全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
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超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち たしか、全日の歴史上、一番利益があがったのでは?? あと、エースとパトリ、カンナム、キマラと
面白いガイジンも多いね
ブッチャーもいい味出してた あの時代は上が充実してて鉄板だったから観客も心にゆとりみたいなのがあって
あからさまにダメなハズレ外人選手も楽しめた、いい時代だったよね 鶴田→小橋と受け継がれた未来のエース級の若手が履く星パンツを
井上雅央が着用してるのを初めて見た時の絶望感 前座で鶴見とか大熊に負けてた頃に履いてた記憶があるんだが違ったかな?あやふやですいません >>13
記憶だともう少し髪が伸びてたのでこの後の時期、88末から89の中くらい >>13
このテロップだと、一瞬この試合が世界Jr王座戦のように錯覚してしまう この期間は、まだ鶴田時代だったなぁ
92年の8月、三沢が三冠初戴冠だったのか! 92年は鶴田の王座転落(8月)、
以降、欠場が続き、トップから外れる
対照的に9月に新星・秋山がデビューしたんだな。
暮れの最強タッグは、欠場した鶴田の代役を
務めた。 鶴田の転落は92年1月。挑戦者が一巡してしまったから仕方ない。
ハンセンに再び超世代を挑戦させたかったのだろう。鶴田はタッグの王者ということにした。 92年はなんといっても創立20周年記念の武道館、セミの記念試合は至高 あの流れがあっての最強タッグ。鶴田欠場は本当がっかり、残念だった。
最終戦のメインが鶴田組vs三沢組だったから、順番でいうと鶴田組の優勝だったと思う。
鶴田自身本当残念だったと思う。 あんだけショボかった田上が秋山連れて最強タッグの試合を消化していく姿は一転して非常に頼もしかった
ある時期からは先輩の下じゃなくて後輩を連れた方が成長するんだろうね やっぱおまえら四天王時代より超世代時代のが
好きなんやな >>22
あのシリーズの田上は頼もしかった。田上も優勝したかったろうな。 優勝決定の三沢川田vs田上秋山の試合で解説の馬場が終始田上を褒めてたな
構えが違う、表情が違う、三沢の切り返し技をさらに切り返しての膝攻撃で
「今の攻めなんかは素晴らしいですよね」と >>23好き嫌いは別に鶴田っていうどでかい壁があったしね
地味でJr.ながら実力派の渕
いまいちながら片鱗は見えてきた、未完の大器の田上
の正規軍
最強過ぎる世界トップレスラー、ハンセン
荒々しいがでかくて強いスパイビー
アンコ型なのに動けて上手い万能選手ゴディ
下手くそだけどとにかく強いウィリアムス
達強豪外国人レスラー
そこに挑むは覆面時代の器用貧乏から脱却しデカイ相手にも真っ向勝負できる強さを身につけた新エースの三沢
サイズのハンデを気迫でカバー、激しい打撃の川田
経験の無さを気迫と努力で乗り越える、次のエース候補最右翼団体の小橋
玉砕覚悟の零戦ファイト、Jr.の未来を背負った菊地
の超世代軍
こんなんプロレス知らないボンクラ中高生がみたら夢中になるがな 壁役としては鶴田は最高だね。
大量離脱のとき「鶴田がいるから大丈夫だろ」
って根拠もなく思ってた。 後に渕は言ってたな
「今の連中には鶴田さんもハンセンもいない」「その意味でも三沢たちは幸運だった」
そして鶴田もまた彼らの壁役としてようやく確固たる位置を確立したって感じで 当時3軍対抗戦としてハンセン軍が
登場したけどハンセン、エース、ブラック、ディートンと
明らかに他の軍団とのパワーバランスを考えて
その場しのぎで作ったんだよな >>25
後のハンセンとの時も含めてレギュラーの鶴田や川田との時よりも良かった感じの田上 92年はシングルでやっと三沢がハンセン、川田がスパイビーに勝ったんだよな
93年からは外国人四強がシングルでフォール負けが多くなっていった 地方でも超満員だったらしいね
試合内容も素晴らしかった
札幌、小橋vsゴディ
金沢、三沢川田vs殺人魚雷 大阪名古屋より札幌で結構いいカードが実現してた記憶がある このあたりから仙台(宮城県スポ)も客が入るようになった。
80年代は西日本の大会場同様入ってなかったが。 この時代の中継が面白かったよな
オープニングとメインの合間のプロレスニュース枠でやるアジアタッグのダイジェストとか次期シリーズの参加外国人選手紹介とか >>37
1992年5月仙台大会の盛り上がりは凄い ハンセンvsゴディ ウイリアムス絡みの六人タッグが大好き! 全日は北海道、東北、北陸がドル箱だったな
大阪はやっぱ新日のテリトリーてかんじ >>41
東北だけどうちの県は新日熱が高いらしい。
全日はこの時期だけは超満員だったけど、
97年や98年ぐらいになると92年の半分以下の入りだったなぁ。 >>39
現地観戦したが、あの大会は凄かった
カンナムvs小橋&菊地のアジアタッグ
三沢&川田vsパトリオット&スミス
鶴田&田上&小川vsゴディ&ウィリアムス&すりんがわ 札幌と宮城は首都圏の客からみても羨ましい時があった パトリ、イーグル、カンナムは
もっと評価されていい カンナムは88年ぐらいまでの馬場の価値観だったら
あそこまでブレイクしてなかったと思う >>43
94年最強タッグの盛り上がりぶりも凄い
前年からのハンセン・馬場vs三沢・小橋で自分的にはあれがベストバウト >>004
92スーパーパワーシリーズとサマーアクションシリーズは満員マークが続出したらしいけど他のシリーズも盛況だっただろうね。
93年5月から始まった四天王プロレスは激しくても俺は好きじゃない。危険な技を耐え合うだけで選手寿命を縮めただけ。 横浜文体は80年のブッチャー・テリーのUN戦が記録的な大入りで以後重要な拠点に 92年7月後楽園で三沢が肩を脱迫して片手を吊ったまま試合したことあったな… >>51
チャンカンは意外と取りこぼしたところが多かった。 >>54
マスターブラスターとデビッドアイズリーがいけなかったのかな… 四天王は90年代半ばまでだなあ
それ以降はテンポ悪すぎ ここの住人は三沢小橋はナシだろうな
三沢川田くらいまでならすげえだろうが >>48
四天王スレでもカンナムは評価されている。
あと、ジョニースミスも >>57
三沢vs田上は時代が変わっても楽しめた。 >>58
サブミッションを売りにし始めたり、武道館の秋山&馳vsスミス&人生。それ以前のスミスも今の時代なら評価されたと思う。
ジョバーは絶対に必要。マッチメーカーにとって使い勝手の良いスミスは現代なら高く評価されたんじゃないか。
強さを競うだけがプロレスではない。「ムーブメントの仕事師」なんてあだ名をつけられたが、スミスは別の意味の仕事ができる選手。 >>18
鶴田の三冠王座転落は1月ね。
鶴田vsハンセン最後のシングル対決であり
初めてラリアットで決着がついた試合でもあった。 この頃の全日本人気は、
トップ同士が当たってもしっかり決着を付ける様になったのも大きな要因だと思う。
団体創設〜長州やウォリアーズの頃迄は、
トップ同士の試合だと両リン・反則・ノーコンテストばかりで本当に客を馬鹿にしてたからな。 >>57
一応は鶴田最後の武道館メインでの世界タッグかな
小橋にとっては初の武道館メインでもあるし 第1試合で黒パン黒レガースの北原がキャプチュードで菊池に勝利 鼻骨骨折しながら試合に出た三沢
この試合菊池の方が悲惨なほどボコボコにされてるな
ジャンボキックとジャンボラリアットやばすぎた
そしてナンチャンはスパイビーに無視される >>62
三冠統一戦も統一するまで何ヶ月もかかったよね。あれはファンを舐めてるよ。両リンとかレフェリー暴行の反則裁定とか酷かったね。 どちらにも傷を付けたくない試合も多かったんだろうけどね。
あまりにも多かったのは確かだ。
最後に全日でリングアウト決着だったのは91年4月の●川田vs田上○だったかね。
両者リングアウトだと90年のハンセン&スパイビーvsブッチャー&キマラUだったような。 ハンセン スパイビー ディートン vs ゴディ ウイリアムス スリンガー の六人タッグ大好き! 92年からスパイビーの代わりにエースになるけど殺人魚雷絡みだとちょっと非力だったな >>67
92チャンピオンカーニバルで渕がキマラ2にリングアウト勝ちだったような気がする。 >>60
パトリオットは初参戦のときは、スミスと組んでいたんだよな。
次期シリーズはビーチ
そのあと小橋
暮れの最強タッグでイーグル。
個人的には、スミスとのタッグ好きだったな。
仙台での対三沢&川田とかここの人たち絶賛するような試合だったし。
残念なのは、直前に福沢アナウンサー絶賛のアジアタッグがあり、直後に鶴田がピンをとられた6人タッグがあって、忘れ去られているけど。
アジアタッグは、動画上がっているけど、三沢&川田vsパトリオット&スミスって動画上がって無いよね。 >>57
93のチャンピオンカーニバルの三沢vs小橋なら無問題
93チャンピオンカーニバル大阪
三沢vs小橋
川田vs田上
ゴディvsウィリアムス
すげえな。 >>72
ただこの大阪大会満員とならなかったんだよね。月曜開催にUインター、全女との連戦だったので。 当時の三沢小橋のシングルはまだ黄金カードじゃなかったもんな 92ジャイアントS、最強タッグ、93新春ジャイアントS、1シリーズ空いてチャンピオンカーニバル
半年で大阪府立4回はやりすぎだろ
田上vs小橋なんてガラガラだった 全日・大阪府立
90年11月 6200人(超満員)
91年 4月 6400人(超満員)
91年11月 6400人(超満員)
92年 1月 6250人(超満員)
92年 4月 6400人(超満員)
92年10月 5500人(満員)
92年12月 5150人(満員) >>75
93年1月26日 4100人()
田上vs小橋 三沢・菊地vs渕・小川 川田vs秋山 >>78
91年4月の三沢vsハンセン、鶴田vs川田の時って凄かったんでしょ?警察から入場を早める要請が3度。パンフ売り切れ。 >>77
つゴディ&ウィリアムスvsハンセン&エース >>73
Uインターはこの頃が絶頂で、全女は交流戦バブルだったからな。
それに対して全日は東京以外では退潮傾向が始まってた。 >>79
この時の鶴田対川田はこのカードのベストバウトだなぁ >>83
確か珍しく鶴田がバックドロップを2発出したんじゃなかったか。体格で劣るのに川田が鶴田によく火をつけたね。 >>27
改行と変換ミスで
右翼団体の小橋
となっててワラタ >>67
田上のリングアウト勝ちは結構熱かったけどね
負け続きの田上が場外マットなしアームボンバーという恐ろしい技で決めたのもよかった >>84
鶴田のパワーボムを返してバックドロップ2連発だったかな。
これがセミでまだメインが残ってるのに満足しちゃうは疲れ果てるはで、やけに印象深い。
川田のテーマ曲もバリバリ伝説のサントラなのも良い。 >>87
天龍がいなくなった後の川田は鶴田やハンセンみたいなでかい選手と当たっても正面からぶつかって、四天王プロレスが始まると三沢、小橋とも何度も激闘を繰り広げて本当に凄い選手。
不器用を装っているけど実際は器用だと思う。 ただでかいだけだった田上とけしかけて抗争して田上を引っ張り上げた川田の功績は大きい。
それでタッグを組むと「俺がサポートに徹した方が良い結果が出る」と自覚して。
我が強いと思われるけど自分は取らずに田上に取らせて川田って賢明な選手だな。田上を活かすことで自分の評価も上げたのでは。
四天王プロレス時代の話ですまん。 >>88
なんだかんだで海外でやってきたのと冬木と組んでたのは大きいと思う。
もちろん本人の資質があってこそだけど。
三沢も結果タイガーになったとしてももう少し海外でやれてたらなぁと感じる。 日本人最強鶴田がスゴすぎた
三沢小橋が全盛期でも鶴田は無理だろ
でも俺は四天王プロが好きだったが 鶴田の拷問技・主な被害者
キッチンシンク→三沢 川田 小橋 (特に川田のイメージ)
膝攻め
場外では鉄柵や本部席の机へのニークラッシャー、
リング内では俯せ状態で片足を持たれ、
その片足の膝裏に鶴田が片足を乗せてのマットへの踏み付け→主に小橋
相手を高々と抱え上げ最高点で一旦静止、
アトミックドロップに行くの?と思いきや、そのまま前方に放り投げ→菊地
(実質2.5Mの高さから放り投げられてる) 91年秋頃のI田の菊地への攻撃はえげつなかった…菊地も何故か坊主頭で新人みたいな雰囲気出してたから余計に可愛がりが酷く見えた >>93
ギロチンスロー(トップロープに喉を打ちつけるやつ)は
主として田上が使っていたんだっけ。
>>97
予定通り小橋&エースvsキッド&Jスミスだったら
結果はどうなっていただろうか。 >>98
キッド&スミスが勝ったと思う。小橋&エースは後にディートン&ブラック相手にベルト落としたくらいだからね。
それを考えたらキッド&スミス戴冠だと思う。 >>100
ギロチンホイップは田上が多用していたな。 >>101
一番最初は鶴田だった様な
むしろ鶴田が開発者かも あと、田植えはブレーンバスターホイップて
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