全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
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超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち 98年7月くらいの小橋秋山がオレの中の三冠ベストバウトなんだけど、少数派なんかな?
サソリ(だっけ?)外しとか???なシーンもあったけど、秋山がヒールに徹して最後メタメタにやられる最高の試合だった記憶 >>387
当時は、武道館大会も最終戦ではなくて、シリーズの中盤〜終盤の平日に開催していたような?
現代のプロレス興行に置き換えると、ドラゲーの月一の後楽園大会が、平日開催だけど、ドラゲーはしっかりとストーリー作って、営業して成功させてる。 >>389
武道館の後も関東近県日帰り可能なとこで数日やってたな、日プロ時代からの
「追撃シリーズ」の名残りなんかね、ビッグマッチで大層盛り上がった余熱を
利用してもうちょっと稼ぐか、的な >>390
ビックマッチの後もシリーズが続くと、次期シリーズに向けた流れを作ることができるからね。
特に、全日みたいなマイクで煽るとか、遺恨云々を全面に出さない団体の場合は、シリーズの終盤に何かを起こして、次期シリーズに繋ぐこともできたからね。
超世代軍の世界タッグ奪取の後の、三沢が鶴田にフォール負け→武道館の世界タッグ
三沢の三冠奪取→川田と田上による挑戦者決定戦→記念シリーズの武道館での三冠戦
ハンセンが殺人魚雷にボコられる→ハンセン・エースvs殺人魚雷→デビアス参戦
等。 >>384
91年、92年なんか凄かったよね。新鮮味が無い面子なのに地方は常に満員、興行買ってくれるプロモーターもいるから年間140試合超え。
ドーム行けただろうね。 >>392
とは思うけど、他の人が指摘してるように
ドームは事前にカードを発表しなければ
ならないから難しいかも知れない。
ただし、数ヶ月前にカード発表して
当日までに通常シリーズでもりあげていく
というパターンは新日か1.4モデルとして
ひとつ常識みたいに作り上げたもの。
通常シリーズで最終戦を武道館じゃなくて
ドーム、というのだったら92、93年あたり
だったらいけたかも? >>393
現実的に考えて、ドームでやれたとしたら、92年の20周年記念大会くらいだろうな。
●20周年記念大会
●三沢vs川田の超世代軍頂上決戦
ただ、これだけでは弱い
ちょっとしたスパイスが必要だ。 >>394
・三冠戦 三沢vs川田
・世界タッグ戦 鶴田&田上vsゴディ&ウィリアムス
・20周年記念試合 馬場&ハンセンvsドリー&ブッチャー
実際の92年ジャイアントシリーズの日程とカードをちょっと変える感じ。 >>395
アンドレがいないな。
>>395の三冠戦&世界タッグ戦に
馬場&ハンセン&アンドレvsブッチャー&ドリー&スパイビー
小橋&パトリオットvsカンナム
菊地&秋山vs小川&M井上
R木村&百田&泉田vs泳源&大熊&渕
くらいは、思い付いた。 後の実際のドームがやはり三沢・川田だったのを考えても興味深いですね >>387
そんな編成してたら大阪、愛知なんか客入るわけないよな >>398
このスレタイにある90〜92年にしても愛知は名古屋の小会場以外は全滅だったからな。
三重もこの頃は一度も満員になってなかったんじゃないか? >>399
確かに中部地区は盛り上がりもそれ程ではない印象。
まだ84年の方が観客動員も盛り上がりも上だったかも知れない。 >>389
日本テレビの放送日の から逆算してやるから、平日開催だった >>395
92年でなくてもう少し後なら小橋vsハンセンを組んで、小橋初のハンセン超えなんてどうかな。
セミ前は馬場、ゴディ、田上vsアンドレ、鶴田、ウイリアムス。 >>399
93年のチャンピオンカーニバルも
三沢vsハンセン、田上vsゴディ
川田vs小橋というカード揃えて
愛知県体育館でなく名古屋市体育館だったからね。 >>394
当時の熱を考えるとあのまんまのカードにテリーとブッチャーが絡む試合
一つ足すくらいでドームでやれた気もする
あの頃は武道館で試合見る前にカードすらわかんない次の武道館のチケットを
とりあえず買っておかないと、っていう異常な状況だった >>395
・世界タッグ戦 鶴田&田上vsゴディ&ウィリアムス
そのカードはこの年3~4回行われてるはず。目新しさが無いな。 >>403
三沢vsゴディ
ハンセンvs田上
だぞ。 >>404
テリー・ファンク参戦って、ちょっとしたスパイスどころじゃねーな。 91年のチャンピオンカーニバル決勝の愛知大会も酷い入りだったな
鶴田vsハンセンじゃ正直客呼べないし
アンダーカードが外人同士の6人タッグ、三沢・川田vs田上・小川と酷かった >>407
記憶違いかもしれないけど当日来場してた気がしたので もし、92年の旗揚げ記念大会が、ドームだった場合を妄想してみた。
第1試合
スリンガー&浅子vs井上雅&大森
第2試合
R木村&百田&泉田vs永源&大熊&渕
第3試合
パトリオット&JスミスvsM井上&小川
第4試合
小橋&菊地vsクロファット&ファーナス
第5試合
ドリーファンクJr.&テリーファンクvsブッチャー&キマラ
第6試合
馬場&アンドレ&秋山vsハンセン&エース&ディートン
第7試合
世界タッグ戦
鶴田&田上vsゴディ&ウィリアムス
第8試合
三冠戦
三沢vs川田 >>410
小橋&パトリvsスパイビー&エースなんてどうかな。小橋はもうアジアタッグレベルではないでしょ。
三沢三冠戴冠の武道館観に行ったけどファンタスティックスが相手だと小橋では役不足だね。 >>410
横浜アリーナクラスのカードだな
そういえば全日もノアもアリーナでやらなかったな 本当にあのときドームをやるとしたら新日本とかWWFとかと絡むしかなさそう。
超世代人気が爆発してたとはいえ、選手の大量離脱後の存亡の危機を乗り切った所で選手のコマも決して十分とは言えない状況だったから、単独ドームなんて冒険はさすがに出来なかっただろうと思う。
90年の新日本へのドーム貸し出しで出来たパイプはいつどうやって切れたんだっけ?
猪木が役職に復帰したからとかそんな話だった気もするけど。 馬場は落ち目のフレアーを新日にやって
これからのウイリアムスを獲得できたから上機嫌で鶴田天龍ハンセンを新日に貸した
名目は坂口の社長就任祝いとして
でも猪木が全日本のおかげで客入ったのが気に入らなくて交流なくなった でも、喧嘩してたわけでもないよな
ディーンマレンコが移籍したけど波風立たなかったし >>410
満員にはならないな
追加カードで武藤vs馳、蝶野vs佐々木、橋本vsラリーキャメロン
藤波、越中vs長州、浜口 これで満員になるな >>416
馬場からすればジュニアのタッグ屋専の片割れなんてどうでもよかったんだろうけど
今思えばああいう選手こそジュニアが手薄な全日には必要だった 名古屋はテレビ放送がずいぶん遅れて平日深夜だった記憶がある 91年チャンピオンカーニバルの愛知大会と武道館大会のカードの差は酷かったな
その数ヶ月後の新日G1愛知大会はカードも豪華だったし盛り上がりが半端なかった
会場も文句なく札止めだったし >>422
再開したカーニバルの決勝戦というだけで価値があるという判断だったのかな。
でも武道館の鶴田vs三沢、+世界タッグ、川田vs田上の遺恨マッチ、世界ジュニア戦よりは劣るね。 >>423
訂正。世界ジュニアの渕vs菊地は愛知県だった。 >>422
当時の愛知では新日の方が強い。
共同企画という力のあるプロモーターがあったので。 >>424
翌年の愛知で菊地対ブッチャーの試合組まれてたのが印象に残ってる… 昔から全日本の愛知はマッチメイクからして
酷かったんだけど、一時頻繁に土曜トップ
スペシャルで特番収録組まれてたのか謎。 >>422
1ヶ月前には新日が県体より大きなレインボーホールを
碌なカードも組まずに満員にしてたしな。 それこそ91年カーニバルの武道館なんて、ドーム級のカードだよな
6万人行ったんじゃない? 個人的には全日の試合は、明るいドームよりも薄暗い会場で観たいw >>430
分かるw
全日って薄暗い会場に小さく流れるテーマ曲のイメージだわ
同じ後楽園でも新日と比べると何故か雰囲気が暗いの何でだろう >>430>>431
俺は全日の武道館は2階(ある意味3階)の最前列で観るのが好きだった。FCだと2階の最前列席は取れた。 たしかに武道館一階と二階の最前列は最高にみやすくていい
武道館で行われる次回武道館の前売り券買うと絶対に入手できたし 90〜92年ごろの中継を見ると、入場時にちゃんと照明演出してたのに、いつからやめちゃったんだろう?あれを続けてれば三沢のいう今風の演出を踏襲できてたのに。 >>428
藤波、長州vsベイダー、マシン
越中、飯塚vs馳、佐々木
ホームvsビレイン
武藤vsロトンド
ライガーvs保永
これて10000人以上集めたのは凄いわ >>434
三沢の今風の演出ってめっちゃダサかったよね
似合ってない変なガウンとか >>433
武道館一階の後方は見やすいけど天井が低く開放感が無かったので会場の盛り上がりに入っていけなかった… >>437
一階後方はリングが近くていいんだけど二階席がほとんど見えないんだよな
二階席の鈴なり具合とリングの両方が見えてこそあの凄い臨場感と一体感みたいのが
伝わってくるんだと思う、実際観客の半数は二階席にいるわけだしそこが遮断されちゃう感じだね 円形の武道館の2階席最前列は転落するんじゃないか怖かったw
上から見下ろすから見やすいけど。 武道館の2階(会場内的には3階?)は高さはあるけど
リングまでは思ったほど遠くないというか結構よく見えた。
それでも初めて1階の前の方で見た時は近さに感動した。
アリーナより見やすいかも。 武道館は大会場なのに通路側細くてトイレも小さかった印象…あと売店も小さい… 全日系カードで数字だけで見れば、
いちばん価値があるのは、
三沢小橋でも小橋秋山でも鶴龍でもなく、
三沢川田なんだな
あと、三沢川田は、さすがに勝敗ブックは決めるけど、フィニッシュはあえて
馬場が決めてないというウワサを聞いたことある
京平がジャッジミスったりとかもそれだとか 20周年記念大会も、初めてのドーム大会も、三沢vs川田がメインだったからな。
馬場が最も信頼していたカードなんだろう。 25周年記念大会は、三沢vs小橋
実況はチーフ金子ではなくて平川アナ。
日テレ的には、平川>金子なのか? >>443
初ドームの三沢対川田には小橋が嫉妬で発狂したらしいね、当初の小橋のカードが
たしか小橋モスマン対グラジ保坂だったから気持ちは分からなくないけど >>445
馬場って、モスマン好きだよな。
しかし、保坂って… 保坂は悪いレスラーじゃないけど全日初ドームのそのカードは荷が重過ぎるな 保坂は大仁田の信頼があつい選手の一人だったような。 確か、
田上&井上雅&大森vsグラジエーター&黒田&保坂
だったかな?
黒田の『哲ちゃんカッター!!』で失笑が漏れていたような。 >>445
半年前に25周年大会で、三沢vs小橋やったからな。
馬場の信頼以外にも、順番的に三沢vs川田は妥当だよな。 同じドームで渕多聞スミスvs金村邪道中川ってカードがあったけど
当時はメジャーやインディーというのが根強くあったせいか
渕も多聞も全く技を受けずに一方的な試合してたわ
唯一スミスだけが技を受けて試合を作ってた記憶がある 多聞はその3人と比べるとデカすぎるからな
掛けれる技も少ないだろうしそういう役割は自然とスミスになるんじゃなかろうか
渕のそういう所は客が観たいのもあるし相手も想定内かと >>445
丸藤のインタビューでこの時小橋とすれ違うだけでビンタされたって
言ってたから相当荒れてたんだね 小橋が発狂後ゴネにゴネて小橋エース対ハンセンベイダーになったんだけか
前年ベストバウトの男が最初のカードじゃたしかに「俺は不要なのか?」ってなるよな ベイダー小橋のシングルでベイダー相手に寝れば良かったのに >>455
それは来年の目玉に取っておきたかったんだろうな、うまくやれば小橋対ベイダー
なんてドームのメインにできるしな。でもあっさり文体で1月にやちゃったんだよな
ケチらずにすぐ出した三沢の英断とも言えるし逆にじらしにじらして引っ張るような
老獪さと手腕がなかったとも言えるが 全日ドームの小橋って1回目はこれで2回目は老いたロードウォリアーズと6人タッグで
あんまり美味しいポジションもらえてないな
田上はもっと美味しくないけど 2回目は観戦してないが結局一番盛り上がったのは馬場が出てきたときだった気がする 基本カードが無いんだよ
CCで実現しちゃってるから。言わんこっちゃない。2ブロックで続けてほしかった。 全日のドームって今見ると2回とも外様選手が絡みすぎててあんまりわくわくするカードないよな
全日のドームなんだから全日勢でしっかり勝負すりゃいいのに
前座にはインディー選手がワラワラいるし後ろの方にはロードウォリアーズやらベイダーやらいるし
でもカードは460の言うとおり出尽くしてるから無いししょうがないけど・・・ >>461
99年のドームでは川田対橋本ってのも挙がってたんだよね。共に復帰戦として。
実現したのはその5年後の武道館だけど 99年ドームは
セミがかなーり薄味に終わったのが痛かったなー。
エースアニマルの兄弟トリオは貴重だったが。
ジュニアの6人タッグが面白かったけどなんか不穏だったんだっけ? 保坂はドーム後しばらく
who is this? this is hosaka てのを売り文句にしてたね。 サスケハヤブサと小川が握手するかどうか引き分けで良い試合ではあったよね
みたいな空気の中で全日勢が誤爆を引きずって乱闘とかいう凄い空気のズレたことしてたな
あの試合の注目はサスケハヤブサと小川良成なのに垣原モスマンと揉めても何も盛り上がらないわ
もちろんそれが今後のストーリーに繋がるでもなく サスケがGPのベルト持ってったよね。
カッキーてよく揉めてた印象 最高峰のカードをCCの決勝でやって、そのあとのドームだからカードが無いよな・・
結局、優勝者vs誰かなんだけど、ゲストがいきなり三冠挑戦ってのもね。
同じカードをまたやらなきゃいけない...選手のモチベーションが大変だったと思う。 2ブロックでやれば三冠王とリーグ戦覇者がカーニバル中に対戦しなくて済むし、約半分のカードが温存できる。
1ブロックはいいことないね。 >>468
93年の新春G・エキサイトは興行不振だったから、
危機感があったんだろうな。 >>469
まあエキサイトシリーズの武道館なんか5大シングルマッチと銘打ってはいたが
次期CCを見越してけっこう出し惜しみしたカードだったな
たしか秋山ゴディ、渕菊池タイトルマッチ、小橋スパイビー、ハンセン川田、三沢田上三冠
だったかな、武道館に見合うのはハンセン対川田くらいだと当時感じたがよく入ってた
この日観戦予定の友人が一人来れなくてダフ屋に1500円で5000円の一階席を売った
その友人分の席に座った人にいくらで買ったか聞いたら10000えんと言ってたのを憶えてる チャンピオンカーニバルの前に武道館やるくらいなら、チャンピオンカーニバルの決勝を武道館でやった方がよかったのに。
あとは、6月、9月、12月(最強タッグ最終戦)の計4回を崩さなければよかったのに。
いくら、超世代軍で潤っていても全日本プロレスの体力は、そんなものだった。 リックルード、デイビーボーイスミス、テリーテイラーなど自国ではスターだった選手も来日してが合わなかったのかそれ以降呼ばれなかった…ビッグブーバーは意外と頑張った方だった >>444
副音声で、川合俊一と、金子アナ。伝説の馬場さんが、泣いてぃます。と言った 小橋&菊地がカンナムエキスプレスから、アジアタッグを奪取した仙台大会。
実況していた福沢アナウンサーが、自分が実況したなかで最高の試合だったって言ったことで、伝説の試合という位置付けになっている。
自分も現地で観戦したが、あれを越える会場の雰囲気はなかなか出てこないだろう。
(後でテレビで見た時も、内容はずば抜けて良いとは言い切れないが、試合の内容と会場の雰囲気と実況がマッチしていて興奮するんだな)
この後のアジアタッグ戦線でも超世代軍vs鶴田軍をやろうとして、後楽園で渕&小川相手に防衛戦を組んで、30分以上の試合をやっていたが、あそこまでの盛り上がりには、ならなかった。この頃の小川は、ジュニアに挑戦したこともない。
この頃は、何でも超世代軍vs鶴田軍の形式にしようとする動きが強すぎた気がする。
ジュニアに至っては、渕一強時代で盛り上がる要素もなかったが… >>466
竹内さんが『IWAのベルト』って間違っていた記憶が… うろ覚えだけど
この時期元プロボクサーが
全日に入団しなかったけ
デビューしないで退団したと
週プロにのってたような記憶
写真が掲載されてなかったから
どんな奴かすげー気になってた >>476
馬場亡き後の三沢体制になってからスーパーヘイトこと平井もこの頃全日入門したんだっけか
セコンドでよく見かけたよね
皮肉にも全日で試合するようになるのは分裂した数年後だったけど >>477
三沢社長の時に一回入ったけど新弟子扱いが嫌だかでやめて
大量離脱後の元子体制になってから天龍の手引きかなんかで再入団だな
実績と技量考えりゃ新弟子扱いが当然と思うけど >>476
浅見だか浅利だかそんな名前だったと思う。
>>477>>478
平井はWARで一時期エース候補まで行ったからねえ、冬木軍離脱で仕方なくビガロ&平井組で売り出そうとしていただけだが。
維震軍との札幌の7vs7にも入れられたくらいだから期待だけはされていたんだろう。
それが浅子、雅央どころか志賀、金丸よりも下の扱いだから我慢できなかったんだろうな。 >>479
ボクサーの人は数日でいなくなったと
聞いたが。 >>474
その後楽園のアジアタッグで初めて菊地が渕からフォールを取ったんだったか
そして意外にもあの時が全日デビューだけによる初のアジアタッグ戦でもあったわけで >>477
平井はWARのメインに出たり新日ヤングライオン杯に出たりしたけど90年代末期の全日に練習生扱いで入門したけど渕に使えないとか言われて試合に出る事なかった >>482
意外とタッパあったし、父親の伝手もあったのかもしれんけど
面構えがどうにもやる気なさそうだったね >>481
そのアジアタッグは92年7月だが、菊地は91チャンカーとその年の7月の大阪で渕から勝利を挙げていると思う。 ふと思い出したんだが昔の全日って無意味なカードが多かったよな。後楽園2連戦、テレビ収録があっても無くても無意味なカード。
92新春シリーズの開幕戦。川田&菊地vsハンセン&エース。こんなの菊地が負けるに決まってんのにどういう意図があって組んだんだろ。 プレステの王者の魂て全日ゲームがあるのだが、
裏面にキャラが
馬場
川田 小橋 三沢
と書いてあって、ああもうこのころは小川弱とアンタッチャブル組んで
馬場と三沢が仲たがいしてた時期なんだな、と哀しくなってしまった
川田が馬場の下に書いてあるのも、すげえ意味深ww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています