全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち >>249
実際に遺恨、抗争等に発展していない。カード組んで試合を消化して終わりだから言ってんだよ。
キッド&Dスミスvsマレンコ兄弟みたいに遺恨も無い、タイトルかかっていなくても後に語り継がれるような試合もあった。
テレビ中継あったんだから、もっと活かせたと思うよ。 >>252
雪が降っていた米沢ね。三沢&小橋vs殺人魚雷。田上&秋山vs川田&菊地。観に行ったからよく憶えているよ。 >>248
あえて意味を見出すとするなら
馬場「ハンセン君、いつもお疲れ様、今日はちゃっちゃとあがってゆっくり休んでくれよな」くらい >>254
三沢小橋組が本格的に始動する前にゴディがフェードアウトしていった印象だから
三沢小橋組対殺人魚雷の組み合わせは新鮮だ。
川田田上対殺人魚雷はギリギリ間に合ったけど。 >>256
三沢&小橋vs殺人魚雷は結構な頻度で組まれてた。後楽園、福島、盛岡、水戸、船橋、尼崎、大和いったところでセミからメインで組まれてた。
いずれも20分以上の激闘だったけど、三沢&小橋の本格始動前なので全敗だったね。 俺的には三沢小橋組のベストバウトは本格始動前の92年6月武道館の鶴田田上組戦だな >>258
あの試合は本当にいい試合だった。
あの試合で田上の高角度喉輪落としが決め技になって、以降はアームボンバーを使わなくなっていった感じ。
若林アナは当初ネックハンギングアームボンバーと呼んでたな。 小橋は格が1枚落ちる時代の方が試合が面白かった。
といいつつ絶対王者時代も応援してたけど >>259
初期の高角度喉輪って左手で相手の首根っことか脇の辺りを抑えて一番高いところまで抱え上げてからズドーンと叩き落とす感じで、確かにネックハンギングアームボンバーでも違和感は無いよね
90年代後半からはほとんど片手で上げてた感じで、なんか迫力無くなった チョークスラムの始祖は本当に田上なの?だとしたらスゲェよな 奈落式のチョークスラム初公開の試合は現地で観たが、小橋は受けるのが上手い。
川田と小橋は田上をよく活かしたと思う。もちろん田上自身の努力もあったと思うけど。 市瀬の本とか読むと田上は一見飄々としてたけどほかの3人に置いて行かれてしまうかも
という恐怖と向き合い本人なりに努力してたんだな 田上「他の3人に置いていかれたら嫌だなぁ・・・」
馬場「じゃ道場に来て練習しろ」
田上「いやそれは・・・」 今考えると川田田上は本当にいいタッグだったな
当時は川田は三沢と組んで欲しいと思ってたけど >>266
田上の「我関せず」みたいな気質が、ちょっとめんどくさい川田の性格と合ってた気がする ネックハンギングアームボンバーという呼称の当時で印象的なのは
川田に初めてシングルでフォール勝ちした試合。
92年のカーニバル公式戦かな。 ノア時代、SUWAが田植えを『世界のAT』と呼んでいたが
チョークスラム、断崖技、ヘビー級でライガーボムとある意味本当なのかも
しれないなwww >>267
川田は田上大好きで試合時間をわざわざ田上に直接聞きに来るんだよなw 92年のCCの公式戦の川田対田上で川田がのど輪落としを綺麗に食らってたのが印象的…2、3発やられてた… 鶴田があと2年ぐらい元気なままだったら最強タッグで鶴田田上組が優勝の線もあったのかねぇ。 >>272
92年に鶴田が入院してなかったら優勝してたかな。
それともやっぱり三沢&川田だったかな。 >>272
『鶴田と組んで優勝』って1枚ハクが付くよね >>273
時代の流れ的には三沢川田組の優勝なんだろうけど、
優勝してもおかしくないチームになってきたところで
終わったのが残念でした。
>>274
鶴田的にも「出場した全パートナーと優勝」もいうのも掛かってたんだよね。 >>266>>267
田上は91年1月に川田に抗争をけしかけられたのが良い方向に作用した。それまではただのでかいだけの選手だった。
川田は田上と組んで松本でウイリアムス&エースから世界タッグを取り返した時に「このチームは俺がサポートに徹した方がいい結果が出るから」と田上に取らせた理由をコメント。
我が強い川田なのに田上に関しては信頼しきってんだよな。
三沢&小川、小橋&秋山等のタッグ再編の時も川田&田上組は継続だったし、
96年の川田&オブライト組の時も「田上とのタッグを解消する気はない」とコメントしたしね。
こんな手が合うタッグも珍しいんじゃないかな。 ジャストミート福澤か恩知らず若林か忘れたけど鶴田に対する実況
「四十を過ぎて全盛期!」
が印象に残る 実況はこの時の若林福沢体制の時が一番よかった。
福沢アナは賛否両論あるけど、技術的な所は十分だったし。
実況が金子だとガッカリだった。 >>279
チーフ金子は真鍋と同じような喋り方で、やらされている感が強く感じた >>275
馬場とのインタータッグ挑戦で世に出た鶴田がインタータッグも含めた世界タッグでタイトル戦線の幕引きをしたのも因縁か
出来れば渕とのコンビでアジアタッグにも挑戦くらいしてほしかったが >>279
>>279
この時代の実況陣はうまいだけでなくて、いい意味で灰汁が強いんだよ。
若林&福沢アナ+(特報王国の)後藤アナ。地方アナでは、中京テレビの佐藤アナと読売テレビの山本アナ。
平川アナウンサーは上手に実況するけど灰汁はないからね。
これ以上語るとスレ違いになるから、語らないけれども、アナウンサーもこの時代のプロレスにうまくフィットしていたね。 四天王のシングルだと川田対小橋が一番ハズレなく名勝負が多かった気がするな…93年10月のシングルはめちゃくちゃ良い試合だった…
あとこの日フリッツ来たな〜 この時期のテレビ中継と言えばプロレスニュース(プラス1含む)。
賛否両論とは言われてたけど、実際はどれくらいの割合だったのかな。
コーナーとしては選手の個性とかストーリーラインもわかっていいコーナーだったと思うけどね。
後は福沢アナとあのノリを受けいれられるかどうかなんだろうけど。 >>285
最強タッグやチャンピオンカーニバルのダイジェストなんか、あのコーナーがあって流しやすくなっただろうし、番組の緩急にもなっていたし、悪いコーナーではなかっただろう。 >>285
実は言うほど賛否の否はなかったんじゃないかなぁ
何となく「賛否両論て言われてるんですよ、このコーナーって」っていう面白みというか雰囲気をわざと入れ込んで作られてた感じがする今思い出してみると 結構、新日本やワープロを挑発することあったよなプロレスニュース内で
蝶野がNWA獲った時に馬場がNWA獲った時の映像出してきて
昔のNWAは今とは比べ物にならないほど価値があったと金子に言わせたり
これは批判的な読者投稿週プロに載ったの覚えてる 馳「ぶん殴ってやる。あのアナウンサー、あまりにもふざけ過ぎだよ!」
福澤「他団体のレスラーにも賛否両論、プロレスニュース」
馳は沸点が低い男ではあるが。 一時副音声でレスラーの動きや技が決まるのに合わせて変な効果音が
入るやつはさすがに否 93年くらいだったか、プロレスニュースでフロレスと関係ない映画かなんかの宣伝した時は腹が立った。
冷静に考えるとたった数秒なんだけどなんか水差されるんだよね。 今更ながら鶴田田上渕対三沢川田小橋って絶妙のバランス構成だなって思う。 G+でプロレスニュースとかも当時のまんまで再放送して欲しいとずっと思ってる >>289
でも馳と福澤は馳が全日に入団してから
和解したよね。 >>291
福澤不在の時金子野口が代理でプロレス
ニュースをやっていたけど自然な感じがしないというか
やらされているというのかとにかくつまらないものだった。 今日は天龍離脱後再出発の東京体育館の日
そういえば今日みたいな雨が降っていたとか テレビ中継で放映されたのが
○タイガー&川田vs谷津&●冬木
○D・スミスvsローデスJr●
●馬場&鶴田vs○ゴディ&ウィリアムス
だっけ。 >>293
プロレスシンデレラがあるから無理
当時は無許可だったんじゃないアレ?今なら大問題だろw >>303
30分枠になったから、プロレスニュースやめたんだろうが、あの プロレスニュースの最後は、福沢アナウンサーらしいわ。
オープニングでも少し見せて 話はズレるが
91年ごろかな?全日中継終わった後の5分か10分くらいの番宣番組に出てた
ピンクの衣装をよく着てた沢口みなみアナ美人だったな >>307
ゴールデン特番が一度もなかったどころか30分に短縮だから、
プロレス村内での盛り上がりとは対照的に日テレの評価は低かったんだな。 おお。。。!
じゃあ超世代軍、鶴田軍、殺人魚雷のころは
きっちり60分やってんだね
なんか嬉しい テレビが30分になってから逆に選手が意地になって長い試合が増えた気がする。94年5月の札幌、世界タッグとか。
全部観たいなら会場に来い!みたいな感じ。 複数スター制になり、簡単に負けさせられないので時間切れ引き分けが増えた気がする・・ 市瀬本によると95か96年は一年に6回60分ドローがあったそうだ(シングルタッ、タッグ、6人)
意地もあったろうけどもうどっちが勝ってもマンネリでそこに行くしかないという感じもした 30分になり、
ウィリアムスと川田か小橋の試合だったかな、
佳境になっていきなり来週後半とか!
ナメんな、フザケンナ!
と深夜に怒鳴ったわ。 馬場がいる6人タッグで60分フルタイムがあった。他の5人は相当疲れたろう。しかもチャンピオンカーニバル中だった。
選手の将来のこと考えてやれよ・・自分はもう上がったからいいけど。 最強タッグのシリーズ中に小橋田上のシングル組んだりして三沢がキレてた 三沢もシリーズ中に2回三冠戦組まれた時は「2回やらされて〜」って馬場にブーたれてたな チャンピオンカーニバル開幕2連戦がウィリアムス、ハンセンだった時に川田は
「スーパーマンじゃないんだから、不利だ」みたいに怒ってた >>317
95最強タッグ大分の川田vs小橋のことかな?
田上vs小橋は94チャンピオンカーニバル松本で急遽組まれたね。三沢vs小橋の代替えカードとして。 >>321
ごめんごっちゃになってた
それで合ってるね 四天王プロレスはインフレし過ぎて、
ある時期から自分たちの首絞め始めた
すべて出しきって何十分もやらないといけないから安易にシングルマッチ組めず、
最後のほうはシングルマッチは三冠戦だけみたいになってたし 選手の負担軽減のためにチャンピオンカーニバルは
70年代のようにトーナメントにしても良かった気が。
最強タッグはタイトルにリーグ戦と付いているから無理だろうけど。 97年CC決勝での三沢、川田、小橋の巴戦も見てる方が疲れるくらい無理させてた…
この年の後楽園でのウィリアムス対エースは伝説の大凡戦と言われてるけどそんなに酷かったんだね… 復活当初のようにABにブロック分けしてもよかったかもね >>312
浅子とか井上が絡んできてから30分になったイメージ ずっと2ブロックで良かったんだよ。
鶴田が欠場になった93年から総当たりにして、このままいったらヤバいぞ〜って思った 93年は四天王プロレス前夜だけどハンセン、ゴディ、ウィリアムスに三沢川田田上小橋が総当たりで本当に豪華だった。 スレ立てたもんです
実は、某ゲーム伝説の団体スレも自分が立てたのですが、
やっぱ超世代全日も、某格ゲー会社も、
ファンとともに歩んでた時期だからこそ、いちばん幸せでしたね……!
当時のまだバブルっぽい空気もあったかもしれませんが…… スーファミの全日やってたわ
1作目は菊池いたけど2作目からはリストラされてんだよな >>325
1シリーズに1度は必ず観戦していた者だが伝説のウイリアムスvsエースは観られなかった。週プロにも酷評されていたね。外国人の意識は四天王に比べて低いと。
試合中にポーズ決めたり客席へのアピールばかり頑張る外国人勢w >>332 90年代後半になるからスレチだが、武道館とかで上の方の試合のカードの都合で溢れたエースが入った外国人同士の六人タッグは面白かった印象がある
エースってメインはるにはイマイチだったけど、前座に入ると格上感があったし試合をリードする実力もあったんだよな >>328
最強タッグでのチームをそれぞれに分ける方式で十分だったかも エース対ウィリアムスって
顔面パンチで終わったやつかな。
後楽園ホールで見たわ。
20分くらいダラダラして、パンチ一発。
エースがマジか分からんけどずっと顔抑えてて、
ウィリアムスがスマンスマンみたいに介抱してた。
メインは川田対小橋のフルタイムかな。
記憶があれだが。 >>296
当時は、後藤アナもプロレス実況していたのだから、福沢アナ不在時は、後藤アナにプロレスニュースやってもらえばよかったのに、
特報王国ののりで『後藤です』は、普通に需要あっただろ。 金子、プ板ではすごく評判がわるいが、
若林の熱血実況、福沢のアメリカン実況に対して
まじめな実況なかんじで倉持ぽくて好きだったんだがな
大阪三冠ボムのときの「ニュートンも震えた…!」は名言かと スーファミの全日武道館、プレミアついてアマゾンで値段がえらいことになてる
でも作品としては全日最強タッグのが面白いんだがね >>333
格上感ねえ。98年7月の武道館でスミスがヘッドハンターの片方から3カウント取った試合のエースは酷かったよw >>337
真鍋、野口、中丸『俺たちは問題ないな』 >>335
週プロ熱戦譜の決まり手にパンチって書いてあった…
この日は同時刻に新日のドーム大会があったね >>337
金子は声が高すぎて実況に向いてなかった >>81
3連戦行った友人に聞いたら客が一番入ってたのがUインター
その次が全女だったみたい
全日は2階席に空席が相当あったんだって >>94
90年5月後楽園
川田、仲野vs冬木、菊地
この試合見て川田の恐ろしさを知ったな 川田の高山へのガチ蹴り見たけどやばいね
完全失神してる
ミルコのハイとかでもなかなか見れないかんじ 大阪府立体育会館 客席
新日 雛段 あり
全日 雛段 なし
これが基本線。 >>344
このときはUインター・全女・全日の3団体が雛壇の費用を割り勘で出してたな。
>>347
91年のチャンカンは雛壇あったの? 全日本大阪府立で6000人以上入ったのは90、91年の最強タッグと91、92年のチャンカンと92年の1月だけ
97年の小橋三沢の三冠戦は超満員でも5500人 1993年 大阪府立体育会館
4月10日 Uインター 7500人(札止め)
4月11日 全日本女子 7400人(札止め)
4月12日 全日本 5700人
全日だけ平日だけど完敗だったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています