全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち 新日本にきたレスラーらがアメリカに帰ったら大成するみたいなジンクス昔あったろ
昔のアメリカでやっていたポジショニングを奪い合う攻防を覚えて帰ったからだよ
猪木の一番得意技
向こうで覚えたんだべ 全日本は見てりゃすぐ分かるが本来パワーファイターらが技巧派のフリしたんばっかだったからね >>204
会場で見たが試合自体のクオリティはやっぱ他とは段違いだったよ。メインの橋本蝶野が食われまくり >>210
三沢の外人ライバルとして最もふさわしかったのはゴディだったと思う。
年齢的にも三沢と同世代だし。
馬場もゴディを次の外人エースと考えていてハンセンとの世代交代も間近だったから体調管理さえしっかりしててくれてればと今でも思う。
ノア旗揚げの後で三沢に息子を紹介してたけど、あのときですらまだ40歳だったんだよなあ。
つくづくもったいなかった。 やっぱここ見てると小橋はスナイパー時代が
至高やったんやなって思う
小橋のフィニッシャーはやっぱムーンサルト 三沢とゴディはリング上では手の合う関係だったな。
三沢がシングルで勝った試合は静かな立ち上がりから
徐々に試合が動いていく感じがとても良かった。
あのあたりが2人の上手さかね。 SGタッグみたいなお祭りリーグがあったら、三沢ゴディ組を見てみたかったかも 武道館の医師VS小橋は永遠のベストバウトだわ
今思うと、95年くらいまでは超世代っぽい試合も多かったね 91年4月のチャンピオンカーニバル
大阪大会鶴田VS川田が見たくて
初めて全日本を見に行きました。
あまり印象には残ってないんですが
当時の全日本ではやや異質だった
プロレス非行青年の川田が好きだった。
あの時の客入りは凄まじかったのは
印象に残ってます。 川田がデブレスラーといって差し支えないくらいタプタプだった
今思うとあの身長でハンセンゴディウィリアムスとやり合うために試行錯誤して体重増やしてたんだろうな 弟子のタイチもジュニアからヘビーに上がるのに
まず太る所から始めてたな
今はいい感じになってる タイチはいっそ入場曲もペニシリンの
ロマンスにしてホストキャラ川田路線を
貫いてほしいwww
インターコンチなら巻けるでwww 92年と言えば、
三沢三冠発戴冠
ハンセンと川田の三冠戦
仙台の伝説のアジアタッグ
の3試合だな。 >>222
確かにポッチャリしてたけど、身体の張りはあったし動けたからね 若林の実況「怒りの焔(ほむら)を燃やせ、川田」というのを
「いかにもホモ顔のヤセ、川田」と聞き違えた川田ファンが「確かにホモ顔だがヤセではない」
と怒った、というネタが週プロに載ってた プロレスを見始めた頃、超世代軍を超おさらい軍って聞こえてしまって落第的なチームかと思ってしまった。 ゴング命名で唯一定着したのが超世代軍というチーム名だったような。
他は全く定着しなかった。
でも頂闘軍とか殺人狼とかDJブロンドスとか
光明対決とかナンセンスな名前が
逆に楽しかった。 鶴田・田上組を鶴明砲(かくめいほう)とか言ってたな
ゴングだったかな 鶴田輪島で鶴輪コンビとかひねりが全くないのもゴング命名だった SDDもそうだし、やたらと名前を付けたがるんだよね。
殺人魚雷コンビで定着した後も使い続けていたが
もういい加減諦めたらいいのにと思った。 ファンタスティックスってアジアタッグ巻かせるわけでも
ないのになんで来日させてたんだろ
WCWのジョバーをやってた奴を若手にしか勝たせないのに
来日させてたのと同じようなもんだろうけど >>229
反選手会同盟とプロレスバカもゴング命名
で定着してたね。
あと平成維震軍も金沢が考えたものらしい。 ブッチャー→呪術師
ファンクス→荒馬兄弟
マスカラス兄弟→飛行仮面兄弟
シン→狂虎 明艦砲あったね
ノーフィアー、テンコジといった
アメプロ風タッグが主流の中、
最後の昭和全日的タッグだったな
なぜか小橋秋山より声援大きかったし 川田のが、三沢よりベストバウトとカーニバル制覇は先なんだ
ドームの三沢越えも、三冠プラスカーニバル優勝の三沢に完全勝利だし
馬場の川田買いがわかる
今、思えば三沢川田は二回ドームメインだけど
三沢小橋は一度もドームでやってないんだね >>232
読売テレビの山本アナウンサーが一回だけSDDって言ってた。 91年10月の七尾か何処かのテレビマッチのセミでハンセン&スパイビーvsマレンコ兄弟が組まれ週プロに「テーマが無い」と言われた。
他にはハンセン&スパイビーvsファンタスティックスとか、93年1月の高松ではハンセン&ブレイド・ブッチ・マスターズvsファンタスティックが組まれた。
大切なテレビマッチでこんな無意味なカードを組むマッチメッカーって現代なら酷評されるだろうな。
カードの出し惜しみなのか、それとも観客のニーズがわからない単なる馬鹿なのか。 でも当時は週プロもマッチメイク噛んでたんだから、批判もおかしな話だが。
海外陣営の要望とか通好みのカードとかあったのかね。 243
なんでマッチメイクのこと論評してんだ?
自分ならこんなにうまくできるみたいな吹かし自慢でもしてえんか?
バカたあおまえのこっちゃ 243
なんでマッチメイクのこと論評してんだ?
自分ならこんなにうまくできるみたいな吹かし自慢でもしてえんか?
バカたあおまえのこっちゃ ほんとにいい加減なやろおだな(°▽°)
それがおまえが敵を作ることになるんが分からないんか? >>245
じゃあハンセン&スパイビーvsマレンコ兄弟、
ハンセン&スパイビーvsファンタスティックス。
階級も違う、特に遺恨も無いこの組み合わせに何の意味があるのか説明してみろよ。
他人をバカ呼ばわりするくらいなら説明できるんだろうな? >>248
階級が違ったり、遺恨がなければいけないのか?
そこから遺恨に発展する可能性もあるだろ >>243
三沢vsジョニー・ガン
田上vsピエール
秋山vsラクロス
この辺は、テレビ中継あったね。 93年の新春シリーズだったと思うけど小川対ボビーフルトンのシングルをがっつり放送してたな…渋い >>249
実際に遺恨、抗争等に発展していない。カード組んで試合を消化して終わりだから言ってんだよ。
キッド&Dスミスvsマレンコ兄弟みたいに遺恨も無い、タイトルかかっていなくても後に語り継がれるような試合もあった。
テレビ中継あったんだから、もっと活かせたと思うよ。 >>252
雪が降っていた米沢ね。三沢&小橋vs殺人魚雷。田上&秋山vs川田&菊地。観に行ったからよく憶えているよ。 >>248
あえて意味を見出すとするなら
馬場「ハンセン君、いつもお疲れ様、今日はちゃっちゃとあがってゆっくり休んでくれよな」くらい >>254
三沢小橋組が本格的に始動する前にゴディがフェードアウトしていった印象だから
三沢小橋組対殺人魚雷の組み合わせは新鮮だ。
川田田上対殺人魚雷はギリギリ間に合ったけど。 >>256
三沢&小橋vs殺人魚雷は結構な頻度で組まれてた。後楽園、福島、盛岡、水戸、船橋、尼崎、大和いったところでセミからメインで組まれてた。
いずれも20分以上の激闘だったけど、三沢&小橋の本格始動前なので全敗だったね。 俺的には三沢小橋組のベストバウトは本格始動前の92年6月武道館の鶴田田上組戦だな >>258
あの試合は本当にいい試合だった。
あの試合で田上の高角度喉輪落としが決め技になって、以降はアームボンバーを使わなくなっていった感じ。
若林アナは当初ネックハンギングアームボンバーと呼んでたな。 小橋は格が1枚落ちる時代の方が試合が面白かった。
といいつつ絶対王者時代も応援してたけど >>259
初期の高角度喉輪って左手で相手の首根っことか脇の辺りを抑えて一番高いところまで抱え上げてからズドーンと叩き落とす感じで、確かにネックハンギングアームボンバーでも違和感は無いよね
90年代後半からはほとんど片手で上げてた感じで、なんか迫力無くなった チョークスラムの始祖は本当に田上なの?だとしたらスゲェよな 奈落式のチョークスラム初公開の試合は現地で観たが、小橋は受けるのが上手い。
川田と小橋は田上をよく活かしたと思う。もちろん田上自身の努力もあったと思うけど。 市瀬の本とか読むと田上は一見飄々としてたけどほかの3人に置いて行かれてしまうかも
という恐怖と向き合い本人なりに努力してたんだな 田上「他の3人に置いていかれたら嫌だなぁ・・・」
馬場「じゃ道場に来て練習しろ」
田上「いやそれは・・・」 今考えると川田田上は本当にいいタッグだったな
当時は川田は三沢と組んで欲しいと思ってたけど >>266
田上の「我関せず」みたいな気質が、ちょっとめんどくさい川田の性格と合ってた気がする ネックハンギングアームボンバーという呼称の当時で印象的なのは
川田に初めてシングルでフォール勝ちした試合。
92年のカーニバル公式戦かな。 ノア時代、SUWAが田植えを『世界のAT』と呼んでいたが
チョークスラム、断崖技、ヘビー級でライガーボムとある意味本当なのかも
しれないなwww >>267
川田は田上大好きで試合時間をわざわざ田上に直接聞きに来るんだよなw 92年のCCの公式戦の川田対田上で川田がのど輪落としを綺麗に食らってたのが印象的…2、3発やられてた… 鶴田があと2年ぐらい元気なままだったら最強タッグで鶴田田上組が優勝の線もあったのかねぇ。 >>272
92年に鶴田が入院してなかったら優勝してたかな。
それともやっぱり三沢&川田だったかな。 >>272
『鶴田と組んで優勝』って1枚ハクが付くよね >>273
時代の流れ的には三沢川田組の優勝なんだろうけど、
優勝してもおかしくないチームになってきたところで
終わったのが残念でした。
>>274
鶴田的にも「出場した全パートナーと優勝」もいうのも掛かってたんだよね。 >>266>>267
田上は91年1月に川田に抗争をけしかけられたのが良い方向に作用した。それまではただのでかいだけの選手だった。
川田は田上と組んで松本でウイリアムス&エースから世界タッグを取り返した時に「このチームは俺がサポートに徹した方がいい結果が出るから」と田上に取らせた理由をコメント。
我が強い川田なのに田上に関しては信頼しきってんだよな。
三沢&小川、小橋&秋山等のタッグ再編の時も川田&田上組は継続だったし、
96年の川田&オブライト組の時も「田上とのタッグを解消する気はない」とコメントしたしね。
こんな手が合うタッグも珍しいんじゃないかな。 ジャストミート福澤か恩知らず若林か忘れたけど鶴田に対する実況
「四十を過ぎて全盛期!」
が印象に残る 実況はこの時の若林福沢体制の時が一番よかった。
福沢アナは賛否両論あるけど、技術的な所は十分だったし。
実況が金子だとガッカリだった。 >>279
チーフ金子は真鍋と同じような喋り方で、やらされている感が強く感じた >>275
馬場とのインタータッグ挑戦で世に出た鶴田がインタータッグも含めた世界タッグでタイトル戦線の幕引きをしたのも因縁か
出来れば渕とのコンビでアジアタッグにも挑戦くらいしてほしかったが >>279
>>279
この時代の実況陣はうまいだけでなくて、いい意味で灰汁が強いんだよ。
若林&福沢アナ+(特報王国の)後藤アナ。地方アナでは、中京テレビの佐藤アナと読売テレビの山本アナ。
平川アナウンサーは上手に実況するけど灰汁はないからね。
これ以上語るとスレ違いになるから、語らないけれども、アナウンサーもこの時代のプロレスにうまくフィットしていたね。 四天王のシングルだと川田対小橋が一番ハズレなく名勝負が多かった気がするな…93年10月のシングルはめちゃくちゃ良い試合だった…
あとこの日フリッツ来たな〜 この時期のテレビ中継と言えばプロレスニュース(プラス1含む)。
賛否両論とは言われてたけど、実際はどれくらいの割合だったのかな。
コーナーとしては選手の個性とかストーリーラインもわかっていいコーナーだったと思うけどね。
後は福沢アナとあのノリを受けいれられるかどうかなんだろうけど。 >>285
最強タッグやチャンピオンカーニバルのダイジェストなんか、あのコーナーがあって流しやすくなっただろうし、番組の緩急にもなっていたし、悪いコーナーではなかっただろう。 >>285
実は言うほど賛否の否はなかったんじゃないかなぁ
何となく「賛否両論て言われてるんですよ、このコーナーって」っていう面白みというか雰囲気をわざと入れ込んで作られてた感じがする今思い出してみると 結構、新日本やワープロを挑発することあったよなプロレスニュース内で
蝶野がNWA獲った時に馬場がNWA獲った時の映像出してきて
昔のNWAは今とは比べ物にならないほど価値があったと金子に言わせたり
これは批判的な読者投稿週プロに載ったの覚えてる 馳「ぶん殴ってやる。あのアナウンサー、あまりにもふざけ過ぎだよ!」
福澤「他団体のレスラーにも賛否両論、プロレスニュース」
馳は沸点が低い男ではあるが。 一時副音声でレスラーの動きや技が決まるのに合わせて変な効果音が
入るやつはさすがに否 93年くらいだったか、プロレスニュースでフロレスと関係ない映画かなんかの宣伝した時は腹が立った。
冷静に考えるとたった数秒なんだけどなんか水差されるんだよね。 今更ながら鶴田田上渕対三沢川田小橋って絶妙のバランス構成だなって思う。 G+でプロレスニュースとかも当時のまんまで再放送して欲しいとずっと思ってる >>289
でも馳と福澤は馳が全日に入団してから
和解したよね。 >>291
福澤不在の時金子野口が代理でプロレス
ニュースをやっていたけど自然な感じがしないというか
やらされているというのかとにかくつまらないものだった。 今日は天龍離脱後再出発の東京体育館の日
そういえば今日みたいな雨が降っていたとか テレビ中継で放映されたのが
○タイガー&川田vs谷津&●冬木
○D・スミスvsローデスJr●
●馬場&鶴田vs○ゴディ&ウィリアムス
だっけ。 >>293
プロレスシンデレラがあるから無理
当時は無許可だったんじゃないアレ?今なら大問題だろw >>303
30分枠になったから、プロレスニュースやめたんだろうが、あの プロレスニュースの最後は、福沢アナウンサーらしいわ。
オープニングでも少し見せて 話はズレるが
91年ごろかな?全日中継終わった後の5分か10分くらいの番宣番組に出てた
ピンクの衣装をよく着てた沢口みなみアナ美人だったな >>307
ゴールデン特番が一度もなかったどころか30分に短縮だから、
プロレス村内での盛り上がりとは対照的に日テレの評価は低かったんだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています