全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
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超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち >>117
川田も足の状態が思わしくないという理由で1試合欠場。次の大会では小橋&菊地の公式戦が無かったため川田&小橋&菊地vs鶴田軍のシックスメン。三沢のみ2大会続けて欠場。 きっとその川田の欠場も、足の怪我は関係ないんだろうね。鶴田が92年に足首の怪我で欠場した時も、実は重篤な内臓疾患だったっていう…。 >>119
夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」 に書いてる
まあ下らん理由だ
川田は辞めるつもりで東京に帰ったらしい その頃ってフィニッシャーじゃない意外な決まり手結構多くなかった?SDDのダブルタックルとか >>120
そう>>115に書いたけど川田にシングルマッチやらせるわけにもいかない、妥当な相手もいないからたぶん「カード組めないからお前も休めよ」程度で欠場にしたのだと思う。 馬場アンドレ対殺人魚雷と言えば、馬場のランニングネックブリーカーであの時のゴディが寝た事に驚いたわw
解説してた竹内さんも、まさかって驚きながら「入りましたよ!」って感じだったからなあw >>122
すぐに思い出せるのは91年7月の横須賀の世界タッグかな。ゴディがスパイビーに後方回転足折り固めもどきのやつ。
パワーボムでいいのにね。何であんな見栄えの悪いフィニッシュにしたんだろ。 鶴田がランニングネックブリーカーでハンセンから勝った三冠戦もあった >>126
鶴田がハンセンに勝った試合では一番まともな部類のフィニッシュだったような。
フォール勝ちでも丸め込みとかが多かったからね。
結局バックドロップで勝ったことは一度もないまま終わった。 >>127
格を落とさないようにするか、純粋にバックドロップがお互いに無理があったのか、どっちだろね >>128
ハンセンがジャーマンを食らったのは一度も見たことがない。BDも同様では。 菊地はやられっぷりで光ってしまったので浅子が使われ出したら陰が薄くなっていってしまったね… >>128
格落とさないと言えば、最強タッグ優勝戦の殺人魚雷vsハンセンスパイビーで
最後明らかに時間切れ引き分けのゴングが先に鳴ってるのにジョー樋口のあのクッソ遅いカウントで
ハンセンがウイリアムスにフォール負けにされたのはなんか露骨だったなあw
ってか、殺人魚雷を優勝させるなら普通にスパイビーが寝ればいいのにどうしてあんな風にしてまでハンセンが寝たんだろ、意外性を狙ったのか >>134
90年ウイリアムスはハンセンにシングルで2連敗だからな
ハンセンvsゴディは1勝1敗だがゴディが勝ったときはウィリアムスがプチ介入
タッグながら最後に勝たせてハンセン≧ゴディ≧ウィリアムス的なバランスを取ったんだろうな まあ試合後の乱闘は全日ではシン辺りが来日しなくなった後はほとんどやる選手居なかったし(ブッチャーすらベビー気味になってたし)、ほとんどハンセンによる風物詩のようなもんだった感w
この回の三沢小橋vsハンセンエースの試合後とか、この頃の全日にしては珍しく他の外人選手たちも含めてみんな止めに入って珍しい光景だったね
(この前の試合で川田とかなりいい試合してグロッキーになってたクロファット以外はみんな乱入してるね)
ttps://youtu.be/bTYXQGyK1v8
小橋が格落とさないようにハンセンがラリアットしてフォールだけエースがするっていうなんともなブックだったせいもあるかな
新日ではこういうの日常茶飯事なのに、全日ではハンセンくらいしかやらなかったしw
まあ多分馬場がこういうのあんまり許可しなかったんだろうけど >>135
なるほど、そのバランスのためにそうする必要があったんだね 時期はズレるが
武道館の小橋vs医師は凄まじかったな
でも、断崖技もないし
危険技は最後の殺人バックドロップだけかと
大好きな試合だわ >>139
81年MSGタッグでハンセンは藤波のバックドロップを食らった
雑誌に『藤波のバックドロップがハンセンに決まる』
『今の藤波は正に猪木二世』
これを覚えてる
あと猪木もハンセンにバックドロップを何度も決めたはず お前ら記憶力良すぎだろw
その頃ビデオ録画して当時は熱心に繰り返し見てたはずだけど、ほとんど覚えてないわ・・ 鶴田とハンセンのシングルってお互いに気を使ってるような遠慮しあってるようななんともユルい感じの凡戦ばかりな印象
鶴田対ブロディとかハンセン対天龍は面白かったのにね 人生の先輩ばかりだなwこのスレ。記憶を共有できて嬉しいよ。
三冠戦のフィニッシュがDDTなのは斬新。90年6月の鶴田vsゴディ。 憶えている人いるかな?90年サマーアクションシリーズ開幕戦、大宮の鶴田&谷津vs三沢&川田の試合後。
エプロンに手を着く三沢の背中に客席から椅子が投げられて、百田が気づいてそっちの方向に行く。三沢は無反応。
投げられたのはもちろん鶴田でも谷津でもセコンドでもなさそう。あれは何だったのか未だに不明。 >>142
リング外での仲の良さが悪い方に作用してしまった感じがした。
>>143
4日間でシングルマッチ2敗は鶴田にしてみればしんどいな。
三沢戦のフォール負けを渋ったというのも無理からぬことではある。 四天王スレに比べて
色んな団体オタが出入りしてるな
当時の超世代がどれだけ各団体に影響を与えたかよく分かる 今のノア、白色マット、『美学のある闘い』、
鎖国、そしてオサレ書体のNOAHと
なんか全盛期のDDTやタジリのSMASHみたいな
オサレインディーを目指してるぽいな
どうせなら超世代のころのスタイルを
志向すればええのに
スレチすまん いや無理でしょ
壁役できるベテランいないし
15年前なら選択肢としてあったかもしれんが >>143
田上の唯一のアジアタッグ戦の日でもあるんだよな
初挑戦で取ったのは四天王でも唯一
しかしパートナーの仲野はこのまま全日本を離脱し王座返上
そして十年後には田上が自分でそれをやるという皮肉
また小橋vsビガロや三沢・川田vsカブキ・冬木とか他にも興味深いカードが >>131
中盤のエプロンサイドでハンセンを力づくで
滞空式ブレーンバスター決めたのは凄いな
ハンセンが真っ逆さまにされるのは
そうそう見られなかったんじゃ すき間なくびっちり入ってるアリーナに時代を感じるね
一本花道はないけど四方向ひな壇組んでたんだよな ハンセン&スパイビーvsマレンコ兄弟とか、
ハンセン&スパイビーvsファンタとか
マッチマークが雑だった。
殺人魚雷vsマレンコ兄弟もあったな。こんなに体格差が違うのに対戦させて客に何を見せたいのか不明なマッチメークw また地元ネタでごめんけど、
いつだかのチャンカーで出雲で小橋エースがあって当時ふたりは同格でめちゃくちゃ白熱したんだけどまさかのセミ前で、
そのあとクロファットvsウィリアムスっていう完全トーンダウンカードだったなあ。ウィリアムスがゴディならまだ面白くなったかもだが。
とにかく90年代序盤は番狂わせが皆無に等しかった >>153
93年かな?
エースはハンセンのパートナーなのにDBスミスに負けちゃ駄目でしょ。 >>153 93・4・3出雲
三沢、川田、菊地vsハンセン、スミス、ディーd
セミがゴディvsクロファット
小橋vsエース
田上&小川vsウイリアムス&リチャード
ちなみにウイリアムスvsクロファットの公式戦は4・14名古屋だね。 ハンセン対キッドってのをたしかCC後楽園でみた、リーグ戦だから仕方ないけど
あの時の場内のやるせなさすぎる空気は忘れられない >>155
あれ?ゴディだったか。記憶カスカスだなあ
メインもすげー短時間でがっかりしたよーな。 >>156ハンセン対キッドのシングルってキッドが引退したシリーズでもやってたよな >>158
91最強タッグでハンセン&キッドvs殺人魚雷はあったけどシングルは無いのでは。 91最強タッグはシリーズ中に超世代軍四番勝負と銘打ってウィリアムス対菊地とか
無茶すぎるカードが実現してるな >>157
短時間といえば92チャンカーで公式戦及び試合数が多いためかスパイビーの勝つ試合が短時間ばかりw
その反面、四天王時代になるとダラダラ30分ドローが増えるわけだがw 91年最強タッグの結果載ってるサイト見つけて
見たらキッド、菊池組とかエース、小川組とか
おもしろいタッグが実現してるのね
パートナーがアンドレとはいえ馬場も格が高く
川田から3カウントとってるね >>159引退するちょっと前に後楽園でシングルやってたと思ったが記憶違いかスンマセン >>166
ハンセンvsキッドは既出だけど91カーニバル開幕戦の一度だけじゃないかな。 91年頃だともう厳しいかなって思われるくらい
キッドの体調はひどかった
来日する度にやせ細っていってたからな >>79
会場入りするキッドに蹴りを入れられそうになった 91年のチャンカーにゴディ&ウイリアムスがリーグ戦に出なかったのは謎だった。後半には特別参加したのにね。
リーグ戦復活1年目のだからテスト的な意味合いで、ゴディ&ウイリアムス絡みのシングルを取っておく目的かな?それ以外の理由が思いつかない。 中継で「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!ダイナマイト・キッド」と
どこかで聞いたような紹介をされていたのもこの時期だったような。 サウザーかwww
若林実況、倉持ファン、昭和全日ファンには
不評だが
あの超世代のスポーツライクな感じには
凄くマッチしてたと思う 田植え社長、ノアの借金ぜんぶ一人で返して
さらにお釣でステーキ屋やってんだな
田植え社長といい、イズさんといい、
新日に比べれば少ないだけで
ふつうのレスラーじゃありえんぐらい
金持ってんだな
そういや二人とも元子さんと仲良かったよね >>168
長年のステロイドによる影響で心臓肥大が見つかったのが、この91年。
医者から「このまま続けたら命の保証がない」と言われ引退を決意。
本人も「あのまま続けていたら、間違いなくデイビーボーイ(39歳で死去)と同じ運命だった」
と言っていた。
晩年は脳卒中による施設暮らしで相当辛かったが、60歳の誕生日まで生きられた。
>>171
「キッドが客に対して暴れるスタイルになったのは完全にジェット・シンの影響」と前田が言っていたな。
自伝の中では、キッドはシンを評価してなかったけど。
>>174
小橋が札幌で試合をした時は、福澤がもろに「北斗のケ〜ン!!!」と叫んでたなw キッドは今の時代ならオスプくらいの体格でもトップいられたよなあ… 91最強タッグ大阪大会後の三沢と川田の喧嘩って何が原因なの?
漫画の暴露本で読んだことあるけど、あの暴露本には信憑性が無いんだけど。 秋山ほんと頭いいよな
四天王スタイルだとノアの二の舞だから、
超世代スタイルを手本にしてるね
ジョーたち、デカくて強いガイジンも
重用してるからね
新日ガイジンがうまくてカッコいいのばかりだから、逆に際立つ! >>105
当時は大量離脱で挑戦者として適当な日本人チームがいなかったという事情もあった
小橋・菊地でさえまだ代打出場がやっとという感じで
この辺りは昭和六十年代が逆に日本人オンリーだったのと比較しても面白い
目立たないが実はアジアタッグこそが団体事情の焦点になっていたりするのも興味深い >>182
アジアタッグは使い勝手がいいベルトでマッチメーカー次第で活きるね。
そういえば武藤全日本でアジアタッグが2年くらい空位になった時期があったがあれは何だったんだろw
ファンの「アジアタッグは持っている王者によって価値が変動するタイトル」は名言。 アジアタッグがどう使われるかでマッチメーカーの腕やその時点での団体の内情が分かる感じなんだよな
中堅が多ければ名誉職で若手が増えれば登竜門にジュニアだったらジュニアタッグ
全日本で完全な生え抜き同士の王者組が誕生するのはようやく平成に入ってからでそれ以前のとっくに国際や元新日本同士の王者組が誕生していたり
それだけ昭和の全日本が他団体からの混成所帯だったかも分かるって >>184
当時、俺はガキだったんで鮮明には憶えていないが親父のベルトって印象だったが、フットルースが取ってカンナムとのライバル関係が始まって、この2チームがアジアタッグを変えた気がするなあ。
若手の登竜門的意味合い。 その前にフットルースと決起軍コンビがやってたが全員二十台という強烈な若さだった 若林はエースが初来日した頃に燃えるお兄さんなのだ
と言っていた。プロレス実況でも同局のアニメの宣伝
しなければならないのかと当時思ったし少しワロタ。 小橋とエースのコンビについては当時の全女の西脇とメドゥーサのコンビとの対比もあったか >>188
西脇メデューサはちょっと前じゃない?
それなら長谷川咲恵とデビーマレンコの方が同時代のイメージがあるなぁ
印象論なんで厳密には時期とか違ったらごめんだけど 西脇メデューサは89年
小橋エースは90〜91年
長谷川デビーマレンコは92年かな
https://blog.goo.ne.jp/rossyogawa/e/24272767da12d43c2e3de5a9c1d23164
私はデビーと同世代の長谷川咲恵を組ませ、“日米新世代コンビ”を名乗らせたが、モチーフは小橋健太&ジョニー・エースだった。 小橋エースは結構組んでたけど、
今思い返すとアジア獲ったのと
ドームでベイダーハンセンと戦ったくらいしか記憶にないな >>190
そっか小橋エースからの着想で長谷川デビーだったのね
勘違いゴメン&説明ありがと! 一応は世界タッグも取ってた
アジアタッグと世界タッグを馬場時代に共に取ったのは三沢・小橋と小橋・エースだけ 小橋エースは何で塩同士で組ませるんだと思ったな
スパイビーエースも >>187
燃えるお兄さんはスパイビーでなかったかな。 小橋・エースとディートン・ブラックのアジアタッグ戦は商品で買った
元王者のキニスキーがタイトルマッチ宣言する豪華版で
スパイビー・エースはそれぞれハンセンのパートナーになる前と後で組んでるのも面白い >>195
関係ないけど、お兄さんが高校の入学式の日に髪を立ててきて「ジョニーエースヘア」と小さく説明が入っていたよw
>>196
案の定、週プロにはハンセンの元パートナー同士のタッグなんて書かれていたね。岡山だったと思うけどハンセン&デビアスvsスパイビー&エースの公式戦なんて現代なら盛り上がっただろうなあ。
エースってハンセンにはガンガンいかないんだよなw小橋あたりだと遠慮しないでいけるのに。 元パートナー同士とは言ってたがその前にも組んでる事には触れてなかったような
エースとハンセンの対戦となればやはり今日がその日の東京ドーム
そういえば夢の懸け橋でもやってたか 93最強タッグシリーズの特別試合ではデビアスが欠場したせいでハンセン&スパイビー&エース組がよく組まれてた
相手は馬場&三沢&小橋、三沢&小橋&秋山、ウィリアムス&ブーバー&パトリなど格のバランス的にも良いカードだった
格下のあすなろ秋山が入った超世代軍組にも負けてたがw 秋山はその年は不参加だったんだよな
あるいは前年の大抜擢とのバランスもあったか >>195
エースはザ・ターミネーターの兄貴だからやっぱりエースに対して「燃えるお兄さん」って言ったんじゃないかな。 >>183
あの辺りは健介組が王者だっただけに扱いをどうするかというのもあったかな
とにかく伝統の後楽園二連戦で三冠&IWGP王者の武藤も含めての豪華メンバーによる復活トーナメントをやったアイディアは良かった 夢の架け橋の全日6人タッグはスゴイ試合だったらしいね
橋本、大仁田、テリー見たやつ絶賛だったそうな >>204 惜しむらくはウィリアムスが来日不可の時に行われた事かな。エースでなくてウィリアムスだったら…。 >>3
鶴田のバックドロップは急角度で落としているというより、三沢たちが自ら急角度で落ちて鶴田の無敵感を演出してた気がする >>206
当初の予定では三沢&小橋&ハンセンvs川田&田上&ウィリアムスと発表されたような。
ウィリアムスが来日出来なくなってエースに代わった。 チャンカーでも後楽園のハンセンvsウィリアムスの公式戦に代わって三沢&小橋&ハンセンvs川田&田上&馬場だったんだよな ハンセン、医師の話題ばかりで
人間魚雷も思い出してあげて! 新日本にきたレスラーらがアメリカに帰ったら大成するみたいなジンクス昔あったろ
昔のアメリカでやっていたポジショニングを奪い合う攻防を覚えて帰ったからだよ
猪木の一番得意技
向こうで覚えたんだべ 全日本は見てりゃすぐ分かるが本来パワーファイターらが技巧派のフリしたんばっかだったからね >>204
会場で見たが試合自体のクオリティはやっぱ他とは段違いだったよ。メインの橋本蝶野が食われまくり >>210
三沢の外人ライバルとして最もふさわしかったのはゴディだったと思う。
年齢的にも三沢と同世代だし。
馬場もゴディを次の外人エースと考えていてハンセンとの世代交代も間近だったから体調管理さえしっかりしててくれてればと今でも思う。
ノア旗揚げの後で三沢に息子を紹介してたけど、あのときですらまだ40歳だったんだよなあ。
つくづくもったいなかった。 やっぱここ見てると小橋はスナイパー時代が
至高やったんやなって思う
小橋のフィニッシャーはやっぱムーンサルト ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています