今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよな Part2
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ステロイドかな?
パトリオットさんはエースより全然面白かったなぁ。
フルネルソンバスター→大見得切るのがカッコ良かったよね! パワーボムで小橋からシングル勝ちしてたね
GET結成ちょい前くらい >>94
たしかペインキラーとか睡眠導入剤とかグリーニーとかそれらの中和剤とかのちゃんぽん >>96
95年7月の佐世保ね。動きは硬かったけどデカくて良かった。残念ながらエースよりも下の扱いだったけど。 猪木が96年ドームでベイダーとやった試合は四天王プロレスに対するメッセージだと思った。「こんな50過ぎた老体でもお前ら(四天王)のしてることなんてやろうと思えば出来る、だから凄くもなんともないんだぞ」的な。 テレビで観ていると新日本のリングの方が硬そうに見えたんだけど実際の所はどうなのかな?
全日本のリングのマットは触ったことあるが新日本はないわ。
当時の新日本ガチプロレスファンはそこを指摘していたぞw
新日本のリングは硬くて2,9プロレス合戦は無理とw >>102
長州のインタビューで「全日の方が柔らかい」って言ってた。
ジャパン道場のリングは新日タイプだったので練習時に衝撃で「頭がクラクラした」らしい。 プロレス観戦してたら
西永レフェリーに
お前らリングの解体手伝ってくれたら三沢選手、川田選手のサインあげるぞって声かけられて
リングの解体手伝ったことがある
マットの下の部分はどうなってたかわからないが
小学生の時にマット運動で使ったマットが
二段重ねで敷いてあったのは覚えてる
かなりボロボロのマットだったけど やはり新日本の方が硬いのか
俺も全日本のリング片付け手伝ったけど意外と柔らかかったな 誰が言ったか忘れたが
全日のマットは柔らかい分、走ったりしたときに新日のマットよりスタミナを消費するって言ってた記憶がある。 >>100
世の中にはへそ曲がりな人間ているから1人2人くらいはいるだろ。俺は思わないけど。 >>107
ってか、猪木ベイダー戦の
96年1.4ドームの時点でまだ四天王プロレスなんて言葉自体存在してない
紙面でも書かれるようになったのは
三沢ー小橋がベストバウトを2年連続で取った後ら辺からだと思うが >>106
谷津も全日のリングはあんこが柔らかくて足首に負担がかかり慣れるまで
かなりきつかったと言ってた >>109
いや、93〜94年から週プロやゴングで使われ始めましたよ。 遅くとも94年の時点で三沢達のことを四天王って呼んでた覚えがある
ただ概念としての四天王プロレスってものが言われ出したのはもう少し後かなと思う 四天王プロレスについて当時全日本に参戦していた外国人たちは何て言ってるのかな? >>113
横浜文化体育館だっけね
泣いてたね、小橋と菊地の手を取って >>114
たいてい「クレイジー」って言いそうじゃない? 93年5月の札幌2連戦2日目で四天王が外国人4強にシングルで全勝したのをきっかけに四天王と呼ばれ始めた記憶がある。
スパイビーはかなり落ち目だったけどw 93年のスーパーパワーシリーズが四天王自体の格上げシリーズで(まだ四天王呼びはなかったが)、
小橋がやや格落ち感あったけど、
次のサマーアクションシリーズ横浜サバイバルタッグで田上からピン、
年末の最強タッグで川田からピン取って、一気に横一線状態になった気がする。
確か最強タッグの時に若林アナが「鶴田さん!今この4人は最高です!!」とか言ってて、
その辺りから彼が四天王という認識が高まったのでは。
ただ、この流れ(特に小橋の格上げ)をもう少しなだらかにすれば、
四天王プロレスが早々にマンネリにならなかったようにも思う… 小橋は後年「札幌で自分がゴディを破ってから四天王と呼ばれるようになった」と言ってたな。
当時はゴディが川田田上小橋からピン取られて落ちていってる感じだった。
チャンカンで三沢に勝ったりはしてたけど。
馬場もゴディのプロレスラーとしての実力は高く買ってたから、これから失地回復するのかなと思ってたらゴディが体を壊してしまった。 >>119
たしか、ゴディは三冠に挑戦するシリーズに体調を崩して、フェードアウトしていったよね。
代わりに、ウィリアムスが、殺人バックドロップを解禁して、自分のポジションを確立した。 >>111
四天王と呼ばれるようになったのは93年からなのは知ってますよ
彼等の体現する過激な極限プロレスが四天王プロレスと呼ばれるようになったのは、
もっと後の話じゃないか?って事です 当時は四天王プロレスと並行して2.9プロレスというフレーズもよく見た記憶が >>119
93年のチャンカーで田上がゴディに勝ったのは驚いた。前の年の世界タッグでも勝っていたけどシングルで勝つのは別だからね。
後楽園でもなくテレビマッチでもなかったのが惜しい。 >>123
この年から、1リーグ総当たりになったからね。
四天王対決であっても、地方のノーテレビマッチってのも結構あった。
点数争いのポイントになるカードは、プロレスニュースで結果だけ伝えられた。 川田だけシングルでは勝ってないか
ゴディの体調でもう少し来日出来てればどっかでシングルで勝たせるつもりもあっただろうにね タイガードライバー91と川田の垂直落下式ブレーンバスターって91年に初披露してるんだよな。
危険技の応酬は既にこの頃からなされていたんだと。 全日本プロレスの試合でよくあった事
観客盛り上がり始めた→両選手ダウン→両選手まだダウン→観客からの声援が消えていく→→歓声がイマイチなままフィニッシュ
中堅どころの試合に多かった
メインイベントの試合の前にヒートアップするのを敢えて抑えてるのか、間の持たせ方が下手くそなのか
全日本独特の間があったよね >>126
そうだけどその頃は年に一回出すか出さないかって位だったろう
90年代半ばから投げ捨てジャーマン、デンジャラスバックドロップ、垂直落下ブレーンバスター
とエスカレートしていって
三沢―小橋戦がブランド化した頃から危険技の頻度が一気に上がっていった気がする エメラルドフロウジョン使いだして
危険極まりないタイガードライバー91を
あまり使わなくなったのにはホッとしたな。 馬場が常日頃解説で、ファーナスとクロファットにもう少し身長と体重があればねってよく言っていたな。
カンナムの二人に、もう少し身長と体重があれば、プッシュしてもらえていたのかな。 >>130
そういう事なんだろなw
体格があれば売り出してるというか、いい扱いしてやると 世界タッグに絡ませるくらいで
限界だったのか
ヘビーの路線だと >>130
逆にテンタは太りすぎを酷評されてたな
「ちょっと太りすぎた、というか、大きいことはいいことだなんて言いますけど大きすぎるのもちょっと」 実際そこまでいいレスラーでもなかっただろクロファットもファーナスも ファーナスのパワーとバネ
クロファットのテクニックや試合運び
決して悪くはないと思うけどな。
まぁ、体が大きいから三冠に絡むほどプッシュされるかはわからないけれど
世界タッグ戦線に絡んでくれるだけでも、あの頃のマンネリ打破にはなっただろうし
三冠戦線は、パトリオットやエースがもう一皮剥けていればね。
パトリオットなんかは、初来日のときのインパクトとプッシュはかなりあったのに…
あの年の最強タッグは、小橋と組んで出ても面白かったかもね。
※パトリオットは以前に素顔で来日している。 パトリは大味すぎるのがなあ
カンナムが優れてるのはわかるけど
ただファーナスはタッグじゃないと塩分濃いめ ファーナスは強弱硬軟使い分けられるクロファットがいてこそ、のとこがある
一度違う選手と組んで最強タッグ出てたけど空気だった パトリもタッグ屋ってイメージだったなぁ
シングルだとエースと武道館だったかでシングルやってた印象しかない 後楽園でよくパトリの試合の時だけ星条旗振り回してる奴をみかけたが
あれは熱烈なファンだったのかな、いつもサイン入りTシャツも着用してたような 居たかな?よくみてるなw
後楽園といえばほとんど毎シーズン観に来ている老夫婦がいたよね??
いつもニコニコしながら観戦してた
いつもTVに写るとこに座ってたな。
99年頃だったか、全く来なくなったような気がする
どちらか体調を悪くしたんだろうか >>141
わかる
にこやかな夫妻
リングの左前くらいに座ってた
たまに真ん中に上島竜兵いたね >>138
クロファット、ジュニア選手にはキッツイ攻めするときあるよね
浅子の顔面にけり叩き込みまくって
顔面血だらけみたいな後楽園大会あったなあ >>143
菊地にも縦回転のニールキックを顎に当てて記憶飛ばしてた >>141
たまに孫か娘のお姉ちゃんもいてたな
あと右のほうにカンナムをいつも応援してる帽子の姉ちゃんもよくいてた >>143
口の中から血を流す浅子を見て
実況『浅子流血!!口の中を切っています!!』
馬場『いや、鼻血でしょう。』 >>144
わかる
棒立ちの菊地に思いっきり
バキッって音がなるニールキック >>145
上島竜兵いたんだよ
後楽園ホールのテレビ映る席のど真ん中に
けっこうな頻度で クロファットは浅子に開脚式のタイガードライバー91という鬼畜技を決めたり菊地にプロレス的なグーパンチじゃなくてモロのストレートで殴ったりとたまにヤバイ事を何気にやっちゃうイメージ
好きだったけど 91とはちょっと違うけど
急角度タイガードライバーもエグかったよね >>139
パトリオットとイーグルの実力差が大きいのがな…
殺人魚雷やカンナムは、コンビ内格差は小さかったからな。 >>142
>>146
定年後、夫婦でプロレス観戦なんて幸せな生活送ってるよな
武道館によく出没してた熱狂的な小橋のファンの男性客もいたな
札幌に居たこともあったわ
行け行け行け行け行け行け小橋ーっ!!!!ってw >>150
パンチは小川にやったんじゃなかった?
何にせよかなりあの頃の全日に合ってたレスラーだったな
膝悪くしてボディプレスがセントーンに変わったのが残念だったわ 雪崩式リバースブレーンバスター
をフィニッシュにしてた時もあったね CCで秋山から、ピンを取ったのも、雪崩式リバースDDT(雪崩式リバースブレインバスター)だったね。 後楽園の三沢、小橋戦は良い試合だった
ドラゴンスープレックス
タイガースープレックス
の共演で負けちゃったけど
観客も沸いてたね >>159
あれは勝たしてあげたらかなり盛り上がっただろうな カンナムで盛り上がってんな。
95年7月の博多でエース&パトリに勝って世界タッグ挑戦権を獲得したのに、4ヶ月半後の最強タッグ大阪では秋山&大森のアジアタッグ王者組にも破れるという物凄い急下降ぶりだったな。 カンナムはアジアタッグ戦線だと強すぎるけど、世界タッグだと役不足なんだよなあ。おっと間違えた、力不足なんだよなあ。
現代だったらタマトンガ&タンガ・ロアみたいなタッグ屋として使い道があったかも。 馬場に世界タッグ取らせるとの約束を反故にされたからファーナスが切れて離脱は本当なんだろうか カンナムは今で言うとケニーくらいの大きさなのだろうか?
当時の全日の選手層からして、いくら試合巧者でも
見た目の大きさ的に説得力がなかったなー。 たしかにちょっと背が小さかったね
落ちてきたとは言えハンセンとかウイリアムスの大型選手いたからね ファーナスはドロップキックはいいけどそれだけだったな。
最近で言うとストロングマンとかボディガーみたいにボディービルダーがプロレスやってるという感じ。 >>166
フランケンシュタイナーも良かったよね。 他団体でカンナムと同じような境遇のタッグチームって、NOAHのモデスト・モーガンくらいかな?
スコーピオ・ウィリアムスはタッグのタイトル取ったし。 ファーナスは大車輪ジャーマン開発してからはほとんどテレビに映らなかったのが勿体ない ゴディがなあ
もう少し節制して残ってくれてればなあ
四天王がどういう流れに変わっていたか
それを言ったら鶴田の肝炎もなかったらと思うけど
45歳まで一線でやると言ってたのが実現出来てれば ゴディの欠場から流れが変わったってのはあったね。
ファーナスの大車輪ジャーマン、確か初めて見せたのは武道館の6人タッグでジョンノードに見舞ったやつだったような気がする。
その時はまだフィニッシュになってなかったからノードはケロっとしてたね。 そりゃそうだ、うつ伏せ状態で落ちるんだからw ジョニーガン、トミードリーマー、アルぺレス、バリーフォロウィッツ、ここら辺を
根気良く使って育ててほしかった、ジョニーエースくらいにはなったと思う >>172
94チャンカーの名古屋でカンナムvsノード&イーグルか誰かで、ファーナスの投げっぱなしジャーマンでノードが負けたような気がする。 トミードリーマーってこの後ECWの看板になったんだっけ? >>173
ジョニーガンはパトリオットになったんだよな カンナムとサブゥー、バンダムの抗争があったのもECWだっけか? >>177
そうだよ
イリミネーターズとダッドリーズとも手が合いそうだったけど激突は無し
イリミネーターズは殺人魚雷にフォール勝ちしてる ロブバンダム懐かしいな
そういえばカクタスジャックも初来日は全日だったよね。
案外アメリカでスターになるレスラーの初来日は全日が多い印象がある。 バンタムといえば
ハイハイハイ
と小橋のラリアットを受けたときの一回転のイメージしかない。 >>178
トータルイルミネーションだったかな?イリミネーターズの決め技。 >>180
武道館でクロファットのジュニアに挑戦してなかなかの試合したのに…
オレは、テレビ観戦だったから金○のへたくそ実況で萎えたが、現地は相当盛り上がったと思うぞ。 >>179
たしか、シャムロックも全日が初来日じゃなかったっけ? >>183
UFCに出てたときと同じリングネームのケン・シャムロックで出てた。 >>182
個人的には好きなレスラーだったから急に来日しなくなったから、どうしたのかな?って思ってたわ。
いいレスラーだったけどね。
>>183
たしかそうのはず。
あとハンセンも名を上げたのは新日だけど、初来日は全日だよね。
あと四天王時代に印象に残ってる外国人は
ブラックハーツ
ブライアンコステロ
ビックジョンノード
バリーフォロウィッツ
アルペレス
かな。
たしかプロレスニュースで。
ペレスとフォロウィッツの見分け方を紹介してたようなw 忘れじのレンジャーロス、マークスカルパ、ジャイブトーンズ
ここらは2回3回と呼んでほしかった 全日びいきのオレはカンナムとスタイナーブラザーズと同等だ!と言っていた >>189
全日ファンの多くが当時妄想したであろう夢のカード 馬場は何を評価してヘッドハンターズを世界最強タッグに呼んだのか >>189
カンナムが在籍していた頃の馬場全日本は、外国人はスーパーヘビー級天国だったからな。
カンナムの実力なら他団体や元子以降の全日本プロレスならば、タッグチャンピオンのチャンスもあったかも。
少なくとも、オズ&クエルボなんかよりは実力あっただろうし… カンナムが全日やめて当時のWWFやECWに行った後、ジョニースミスですら簡単に世界タッグ取れちゃうような状態になるとはねえ…
ほんの数年違うだけで馬場が死んだり大量離脱だったりあんな色々と激変があるとはな
しかしアメリカに戻ってた時、割と意外なカードも存在してるんだよな
カンナムがあっちでDBスミスとかと組んでベイダーとかとも肌合わせた事があったとか知らんかったわ
(確か4vs4のやつで最終結果はベイダー組の負けだったはず) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています