今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよな Part2
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>>679
秋山は多聞、志賀、泉田、橋とかを引っ張り上げるために頑張ってたよな
ノアの未来のために後輩を育ててた 三沢は個々のポテンシャルしか見てない感じ 昔週プロで馳が三沢が苦手にしてることにパワーボム系の技を受けるの嫌ってるって言ってて意外に思ったな >>655
それだよな
プロレスは受けじゃなくてセルだよな 泉田かぁ
本田とのコンビは不器用さが逆に良いチームカラーになってたが
結局何も出来なかったよなあ
晩年の暴露本は酷かったわ
自分の意思でホイホイ三沢についていったのに
三沢批判(自身の無能ぶりはスルー)
「スタンドなら小橋に勝てる」
「体の小さい平柳に絡まれても大した事ない」
とか虚勢ばっか張って見るに耐えない内容だった >>676
川田に言わせればやりたくなかったのに元子に無理矢理ならされたらしいが
三沢はこれだけ苦労してるんだから俺の好きにやって何が悪いというのがありありなんだよな
不機嫌は前からだがとにかくNOAHになってからの顔付はますますひどくなっていった印象
批判的な記事は許さないとは仲田への批判にあるが三沢の意思でもあったのは間違いない 勘違いしている選手よりも元子だけは理解できねえ。あんなのただGBにくっついただけだろ。レスラーを何だと思ってんだ、あのクソババアは。 とにかく馬場にとって不可欠の存在だったのは間違いない 馬場がいるから皆我慢していただけ。空気が読めない勘違いクソババア。
タイチだって「パワハラ受けた」とか亡くなった後でも言うことは余程酷かったんだろうな。 三沢も離脱直後に「馬場さんだったら我慢できても、奥さんまで我慢は出来ない」って言ってたな。
馬場があと5年長生きしてたら三沢も40過ぎてたからノア旗揚げはなかったかな。
もしそうだったら三銃士をはじめとする新日本との対抗戦は実現しなかったかな。 元子のお父さんは馬場なんかじゃなくて広岡達朗と結婚させたかった
らしいけどもしそうなったらサッチーとか落合信子みたいになってたんかな >>683
馳で思い出したけど何かのインタビューで受け身の話になって
「新日は全日に比べて受け身の練習が少ないとよく言われてるけど同じぐらいやってましたよ。でも三沢川田小橋田上の受け身は凄すぎましたね。ロープ際での受け身が巧かったな、あれは三銃士も真似できないですよ」 >>689
我らが愛した元子全日では
元子が登場してリングに向かった際に
「元子さーーん!」「うわぁ〜!」「キャ〜♪」
みたいな歓声が飛び交ってたんだが、信じる?www 鶴田の晩年はファミ悪の試合ばかりだったけど、一回だけ相手に田上がいた時があったな。
鶴田が田上を集中攻撃してたけど、最後は手加減するだけ手加減した田上の喉輪落としで鶴田からピンフォール勝ちだった。
あれはいきなり自分が離脱しながらも立派に一本立ちしたかつてのパートナー田上に対するせめてものプレゼントというか、罪滅ぼしだったのかな。
当時話題になってたのかは知らないけど、何か寂しさを感じた記憶がある。 >>697
そういえば鶴田は欠場後は三沢川田とは一度も対戦せずに終わったのかな?
組むことはあったけど
小橋とは95年辺りでタッグで当たった気がする >>686
立っての殴りあいならと書いてたからボクシング >>680
シリーズ終わる度にワイハに帰るし日本語はいつまでたっても覚えないし
って批判してたね >>670
冬木が三沢に提携持ちかけた時に「冬木さん。うちになんかメリットあるの?」って言われて、そういう考え方じゃ美少女出来ないなって思ったって言ってたわ
聞き手のターザンも三沢はビジネスが分かってないって言ってた それと99年の最強タッグ決勝で解説してた時の、小橋&秋山への肩入れが酷すぎたわ
あれは空気読めなさすぎて萎えた >>698
阪神淡路大震災直後の大阪大会で馬場・鶴田・三沢組が秋山・大森・本田組と対戦したな。
エーストリオが一度しか見られなかったのは実に残念。 >>644
三沢がウイリアムスを切ろうとしたら元子さんに泣きついて
三沢くん。使ってくれる?って言われたって独立直後のトークショーで皮肉っぽく話してたわ でもあの時はハンセンはスポット参戦になりつつあったしエースはもう引退を考えてたのかやる気なかったし
ベイダーだけじゃ外人勢が足らないからウィリアムスに頼るのも分からんでもないけどな >>701
その当時の全日はあんまり詳しくないんだが、
ケアがヘビーに転向するにあたり、
ジュニアのベルトを「返上」したことで
他の選手の反感を買ってたような記憶があるな
つまるところ、次にジュニアのトップになる選手に
花を持たせてやれよ(負けてベルト渡してやれよ)という
意味合いのことを言われていたと思う
このあたりの管理というか、ケアが負けブックを嫌ったら
それが通ってしまうのだろうかとか
けっこうナゾであり、それこそ元子のお気に入り待遇? >>707
ウィリアムスは分裂前から劣化激しかったもんな
よくあれで対抗戦でノートンに勝ったな、と
ノートンはノートンで劣化早かったけど >>698
95年9月のファン感の6人タッグで小橋と対戦。
>>697
田上に負けたのは96年10月の武道館だね。95年3月4日も馬場、鶴田、秋山vs田上、渕、雅夫央という組み合わせで対戦。 >>698
小橋とはファン感謝デーの6人タッグで当たってた気がするな
あれ動画で見てみたいわ >>710
田上がI田の技受けるだけ受けて、
最後は田上が珍しいボディアタックからの喉輪落とし一発であっさりピンだからな(優し目の)
鶴田のあの身体つき見たらもう一線では無理だとは思ってたけど、寂しさがあったね >>708
ケアは分裂後初の武道館でのハンセンと組んでのメインが良かったな
カード的に天龍・川田とハンセン・ゴディの最強タッグも意識だったんだろうが。 >>709
この試合、双方共に劣化していて酷い試合だったねぇ。
ノートンは超竜ボムの叩きつける勢い、ウィリアムスはバックドロップの角度で
劣化の具合が顕著になってるのが痛々しかった。
95年辺りに見たい試合だったね。 >>714
ウイリアムスは元々外国人相手に良い試合できないからなあ ウィリアムスが新日に初参戦したとき「荒削りで強引なヤツ」って
印象しかなかったから全日に無償譲渡が決まったときは
不良債権を追っ払った新日賢いなと思った >>708
懐かしい。当時はゴングを毎週読んでたけど、小川や菊地が、ケアが返上したベルトをみんなで取り合えとか舐めてるって
珍しく会社批判してたね。三沢も責任感がないってケアを批判してたかな? >>717
あ、おれもG誌派だったよ
モスマン(当時)はすでに全日ジュニア枠って感じじゃ
なかったのは事実で、小川らに負けるとしたらもはや
クイック系の技をウッカリ喰らうか、あるいは何かかなり
トンチの利いたことするしかないレベルだったとは思うが
それにしてもそこで批判してたのが三沢、小川、菊池だったのか
これは、その時点でのノワ(分裂)の予兆だったと言えるのかも >>717
あとさ、プロレスをサーガ的な視点からみるとさ
テンルーさんも、ジャンボが返上した
UNを取りに行けって言われてホントは悔しかったって
かなーーーり後になって「ぼそっと」呟いたことあるじゃん
それが最終的には、三冠とったときにテンルーさんが
腰に巻いたのはUNだったわけじゃん
だめだ 思い出したら涙腺がやばいw >>714
ノートンはそれでも5か月後辺りにIWGP王者になってるんだよね
ウィリアムスとタイトルマッチで再戦あるかなと思ったけど
短命で終わったね
ちょうど猪木軍による総合格闘技風プロレスの煽りを受けちゃった >>719
当時、俺は子供だったから天龍とUNの関係性って僅かに聞いたことがあるだけで詳しく知らないけど、選手がベルトに思いを込めるのは聞いていて嬉しい話だ。 >>720
健介からベルトを剥がす役目がノートンだったっけ?それが伝説の「正直すまんかった」に繋がったんだよね。 >>717>>718
そもそもケアにジュニアをやらせたことが誤りだったと思う。
FMWの川崎に出場する直前に小川からケアにスイッチしたわけだが不自然だった。
FMWに出場するから強引にチャンピオンにした感じだった。それまでのケアからは「ジュニアのベルトが欲しい」なんてコメントも無かったし。 >>679
泉田も馬場追悼後楽園の川田シングルとか一瞬光ったよね
たまにはシリアスな試合をやらせてあげてもいいんじゃないかな、位に対応してた >>717>>718
あなたたちが何処のどなたか知らないが過去の記憶を共有できる人がいて嬉しいぜ。
当時の全日は現代みたいにマイクアピールも無ければ、軍団抗争、個人間の遺恨も無かったが何故かお金を使いまくって観に行ったよw
俺はゴングじゃない方の週刊誌を毎週買っていた。 >>725
こっちもむかしの楽しかった頃の思い出話を出来て楽しかったよ。
当時は本当に四天王プロレスに熱中したけど、ノアになってからの三沢や小橋の試合にはなぜか熱中出来なかった。
川田がいなくなったからかな?それとも馬場の呪縛から解放されて緊張感がなくなったのかね。 自由というのは不自由や抑圧の中でこそ光輝くものとは良く言ったもので。
ノアでの自由にはその抑圧や不自由がなかったかな。 それは全日本プロレスではなくなったからだよ。
馬場、鶴田の系譜は大きい。 ベイダーのビッグクランチよりノートンの超竜ボムの方が威力が高そうに見えるのはオレだけか?
超竜ボムは凄いからなぁ。
ノートンは橋本クラスの重量でも軽々持ち上げておもいっきり叩きつけるから。
オブライトのフルネルソンの方がヤバいのは認めるけど
全日の堅いマットで超竜ボムで叩きつけられたら四天王も溜まった物じゃなかったと思うぞ。 >>727
全日本時代はマイクアピールや他媒体への露出を極力禁じられ、三沢たちはリング内でプロレスをすることしか表現方法がなかったからね。
週プロが「純度100%のプロレス」と形容したことがあったが、まさにその通りだと思った。 ノア立ち上げで脱四天王プロレスやるんだと思ってたら、さらにエスカレートしたのは意外だったな
秋山が開幕戦で脱四天王の姿勢は見せたんだけど >>732
開幕戦の謎のバトル・カッキーも脱四天王? 実際ノアと分裂がなかったら
まともな形の全日本は残ってたかね?
日テレがすぐノア中継始めたところからしても
避けれない分裂だったのは確かだけども
小橋、秋山、大森、高山をメインにして興行してたのかね >>733
あれは何だったのかね?ガチガチの三沢派だと思ってたのに
金丸、丸藤推すための踏み台にされるのが嫌だったのかね >>731
当時、大してプロレスに興味の無い先輩が全日を「あれが本当のプロレスだよ」と言っていたのを思い出した。
一方、Uヲタの友人によると「あんなのは只の我慢比べだ」。 三沢小橋戦をゴッチとテーズに見せたらゴッチは褒めていたのにテーズはボロクソに言ってたのは意外だった >>729
ノア旗揚げ時は三沢はすでに38歳?
小橋も旗揚げ直前に膝手術したしね
90年代で四天王はボロボロだったはず
川田も全日残って対新日本で頑張ったけど、
長期欠場明けだったし大丈夫か?と心配だったよ >>738
ノア立ち上げの時に小橋、秋山がダブルエースで自分は第一線から退くつもりだったしね
小橋離脱で結局三沢が最前線に立つしかなくなったし
丸藤からGHC剥がして連勝した時もスポンサーやらタニマチが「三沢さんじゃないと」って >>737
ゴッチは客目線でで高く評価してテーズは「客に受けるのはわかるが」とプロレスラー目線で否定したのは面白いね >>739
あのとき丸藤に色々なものを継承してシングル王座戦線からは引いてほしかったな。
かつての鶴田の役割を担ってほしかった。
別に自分がチャンピオンでなくても、タニマチやスポンサーを納得させられるような方向性はあったと思うんだけどね。
タッグ戦線で存在感を発揮するとか、チャンピオンじゃないからこそ出来るような他団体とのマッチメイクとかさ。 >>708>>717>>718
97年にケアが世界ジュニアを戴冠した時は10月にレックスキング、98年1月にはリッキー・サンタナ。ケアのキャリアでこんなしょっぱい相手とタイトル戦やらされたのがかわいそうだったな。
小川ならなんとかしちゃうんだろうけど、ケアの若さであの相手は酷だなと後で思った。 ケアがジュニア王者だった頃が
浅子にとって最大のチャンス時期だったな
武道館でのケア戦はいい試合だった記憶があるが… しかし、ファイプロのマウナクア・モルダウのネーミングが酷いよなw
三沢とか前田は氷川とか冴刀とかカッコ良いネーミングだったのに
モスマンとかあーいうレベルは手抜き臭全開というw ファイプロの氷川は「オーケー!」と言いながらエルボーを打つw
あと何でエルボーバットで流血するんだよw >>735
自伝読んだけど、旗揚げで新しいものを見せなくちゃみたいなプレッシャーから
ああいうスタイルになったけど受け入れられなくてショックだったとか書いてたような >>737
ゴッチが誉めてたのは知らなかった。テーズが三沢のタイツ上げを皮肉ってたのは覚えてる。当時は熱狂的信者だったからずいぶん腹が立ったわw
グラウンドを知らない二人だから、気楽にタイツ引っ張り上げられるとか言ってたっけ。
橋本vs天龍もタフマンコンテストとかって切り捨ててたね 97年頃にモスマンが誰との試合かは忘れたけど、解説で御大が「あれだけの気迫を出せてまだ21才ですよ」って絶賛してたのが印象に残ってる
正直、ケアのよさがまったく分からなかったけど武藤や秋山が高く評価してたんだから俺の見る目がなかった 天龍のWARスペシャルを誉めていたのってテーズだっけ?ゴッチだっけ?
「今時、こんな技を使ったりするのか?」みたいな。 >>746
そうだったのか すぐに離脱してそのあと普通にプロレスやってたからノアに残ってほしかったな 全日で垣原は菊地をレスリングで圧してたよ
タックル決めてバックを取り次はタックル潰してバック取る
あれ菊地は自分にガッカリしたんじゃねえかな 菊地はウィリアムスとグラウンドで互角にやりあってたこともあったらしいが 秋山がウィリアムスにグラウンド仕掛けた時に馬場さんが
「レベルが違うから秋山は違う事をしたほうがいい」って言ってたな >>751
その頃の菊地ってオッサン体型になってたよね
身体がついてかないか、錆ついてたのかもね レスリングと空手と器械体操をマスターしてる三沢さん最強だな プロ"レスリング"と言ってる割にプロレス界でレスリングの実績や経験って消化しにくいよな
空手やボクシングだったら打撃技が絵になるし
柔道だったら一本背負いや逆十字固めとかも盛り上がったりするけど
レスリングの手取り足取りって中々金取れるようなムーブになりにくいよな カッキーこの前つべでvs金本とのスーパーjr見たら何気にシャイニング式レッグラリアットとレインメーカー式カッキーカッターやってた
何気にめっちゃセンスあるよね >>757
鶴田も言ってたけど日本のプロレスは相撲の影響が大きいからな
食事やら身体作りとか >>757
伝わりにくいね、アマレスの猛者太田章もレスリングの強さは
「相手のいいとこを出させないというか相手の力を吸い取る力」といってた
非常に分かりにくい >>757
多聞なんかアマレスの天皇と言われたくらいなのに大成しなかったし、よそだけど矢野なんてアマレスの技術を見せないしな。
本人曰く「求められていないから出さない」らしいけど。 >>761
アマレス時代の多聞は恐れ多くて秋山や杉浦は話しかけることすらできなかったらしいな うちには多聞ちゃんがいるから
と三沢は言ってたんだ
最終兵器って意味だよね だったら対橋本安田の時の多聞のタッグパートナー雅央じゃなくもう少し
考えてやってほしかった >>764
田上&多聞だったらもっと注目浴びたろうな
田上ー安田は玄人好みのカードだったもんね 多聞の回転地獄五輪シリーズは数少ないレスリングの実績をうまく消化できたパターンだな
長州も中西もレスリングの猛者だけどパワースタイルだし
馳は時々披露したら滑るしプロレスリングってなんだよって思うわ 話ぶった切るけどウイリアムスとオブライトって亡くなるのが早くないか?
ハンセンとブッチャーとドリーなんてまだ健在なのに。 >>762
多聞は自衛隊体育大学時代
兵隊やく○
と呼ばれてたらしいからな。 >>769
ハルシオン ステロイド 酒 長生きしたら奇妙だろ 外国人レスラーって日本人レスラーに比べて早く亡くなるのが多いな。 今も昔も変わらんと思うけど
なんでも頭から高角度に落せば
大技みたいな風潮あるよな
その時代の全日もそうだった >>772
ムッキムキの選手はみんなステロイドの影響か心不全多いね 志賀がゲームのモーションキャプチャー収録で首やらなきゃなぁ
ポスト四天王いけたかも 復帰後明らかに動きおかしかったし >>769
ウィリアムズはともかくオブライトは重度の糖尿病だったらしいから仕方ない
病気持ちの割によく頑張ったという感じ >>775
試合以外で負った負傷の場合、責任は誰に発生したのかな? 超世代軍立ち上げて三沢が最初にタッグパートナーに選んだのは小橋なんだよな
アジアタッグ返上して川田に変更されたのは会社側の意向なのかな >>778
正確に言うと選んだというよりはタイガーマスク&小橋組としてアジアタッグを保持していた。
確かに何の説明(コメント)もなく三沢&川田組とエース&小橋組が始動していたね。 >>779
当時、鶴田のパートナーに小橋を選んでいたらどうなっただろうね。 >>780
天龍離脱前に鶴田、小橋VS天龍、ハンセンが組まれたことがあり、いずれ正パートナーになるのかなと思ったものだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています