今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよな Part2
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>>630
うつぶせの三沢にエルボー落としただけで大ケガしたからな
ハンセンも気を使うだろう >>631
そのエルボードロップで助骨折ったのは、三沢の腕が胸の下敷きになっていたせいだったな。 ハンセンも日本長いから「三沢を壊して欠場させたら自分がおまんまの食い上げになる」
というのは言われるまでもなく理解してたろうな、その反動か川田小橋に対しては
「こいつらが怪我したってしったこっちゃねえ」って姿勢を長く貫いたな >>633
でも川田とは92チャンカー大阪の内容が良くて次のシリーズでは武道館のダブルメインとして組まれ何かでベストバウトを受賞したような。
小橋とは93年7月の武道館が良かったね。ビデオ収録すら入っていなかったが4・16後楽園のチャンカーの公式戦は観たかったよ。
小橋のダイビングショルダーをウエスタンラリアットで迎撃した試合。 川田が中学卒業後すぐに内定貰ってた新日本に入団してたらどうなってたんだろ
三銃士より先輩になって三沢とも知り合わない ウイリアムスのオクラホマスタンピードで、前に抱きかかえると決まり、肩に担いだ時は相手が堪えて後方に着地するw >>635
川田が新日に行ったらメキメキと頭角を表すのが早かったと思う。
新日は身長の低さとか関係無しに実力がある奴が伸し上がり易いシステムになってるし。
佐山や前田が川田のポテンシャルの高さに目を付けてUに誘ったかもしれないし
こればっかりはifを語り出したらキリがない。 三沢がベイダーを破壊した理由は何?
三沢全日本時代はベイダー抜きでは成立しなかったのに >>638
三沢が4・7松本でベイダーの腕を破壊した件かな?
あれはベイダーの怪我はダミーで、一緒にノアに行くからそうしただけだよ。 >>641
付け足し。ノアに行く理由を作るために加害者三沢、被害者ベイダーという構図を作りたかった。 >>642
ウィリアムズが三沢にちょっかい出したのも、実はノアに連れて行ってほしいアピールだったのかな? いや、三沢的にウイリアムスは構想に入っていなかったと思う。ギャラが高いだけで劣化も始まっていたし。
ベイダー&ウイリアムス組の時だけ良かったけど、97年3月の武道館あたりから劣化の始まりが感じられたし。 >>632
試合中に三沢の異変に気付いたのは、解説の馬場でもセコンドでもなく、実況の福沢アナだったという事実。 >>644
ジョー樋口の最後のレフェリーの試合だな。 三冠取る日のパンフ ザドラマチックナイトだもんな子供だからだまされた >>647
次のシリーズの最終戦が20周年記念大会だったから、メインは三沢vs川田の三冠戦って決が決まっていたんだなってのは今になればわかるが、当時はね…
あのシリーズは、三沢の三冠奪取のあとも、川田と田上による三冠挑戦者決定戦があったりして、最後まで盛り上がったよね。
武道館のあとにも試合があることで、次期シリーズに向けたストーリー作りができるから、武道館=最終戦じゃなくてもいいんだよね。
まあ、三沢が三冠を取った武道館は、パンフレットのタイトル以外にも、女子アナにわざわざインタビューさせたり、実況に当時の全日のエースの福沢アナウンサーを据えたりと、日テレ事態がブック知っただろあれ。 川田と田上の千葉公園体育館
三冠挑戦者決定戦良い試合だったなあれ >>648
入社一年目の大神いずみアナウンサーだったな。
プロレスニュースにも登場して、福澤から「妖怪人間ベラではありません」とイジられていたが、すぐに日本テレビを代表するアイドルアナになった。 >>649
実況でも言ってた通り、渾身の全身全霊のストレッチプラムだった。
別に垂直落下じゃなくても、十分に説得力はあったと思うけどね。 鶴田って、三沢のタイガードライバー受けたことあったっけ? >>653
私は逃げるのが上手いので一度も受けたことがないって著書に書いてたw そもそもが「敢えて受ける」とか「受けの美学」とか、
プロレスは相手の技を避けちゃいけないとか、そんな定義もともと無いから。
天龍イズムをみんながパクリ出して、そういうジャンルだと勘違いされてる >>641
それそれ
確かチャンカーのシリーズから所属選手皆フリー扱いになったから
その試合の時点である程度プランは出来上がってたんだね
三沢が小川と居酒屋やりながら丸藤等の若手を育てるプランは
それ以前…2月頃の事なのかな? 当初の独立構想聞くたびに三沢と小川と仲田で居酒屋って接客超最悪な店が
できそうだよなと思った >>659
仲田はまず駄目だな。息子が永田のSNSに載った時にボロクソに言われていたからな。親もあんな感じなんだろう。 >>608
小島のチョップ連打はコントだろ。笑いながら触ってるだけでプロレス舐めてるわ
小橋のぱくりのうえ、あんな舐めたチョップで恥ずかしくないのかね? >>639
知り合ったのは高校。中卒で新日本にテストパスしたから >>661
手打ちだからな。
もっと肩から入れたらいいんだが。 >>659
三沢は自分がこれだけの事をやってるから分かってくれない方が悪いって感じだからな
だから自分の思ったような反響が返らなくなった時点で武道館の記者会見もやめてしまった
末期なんか団体の統率を放棄してリングの中に逃げてしまった感じだし あの頃の三沢の池田大輔推しがよくわかんなかった、なんであんな評価されてた
んだろうか 池田大輔のデビュー戦って週プロのカラーページに小さく載ってたけど
身長195センチって書いてたんだよな
団体発表にしても15センチ鯖読みなんか普通有り得ないから
あれは誤植だったんだろうな マシンガンチョップは小橋でも良いときじゃないと迫力ないからなあ
小島のは雑過ぎるのが気になるわ >>666
三沢がビジネスとしてでなく、単なる個人的な感情で物事を決めるというのは本当だったか。 >>670
三沢は自分の太鼓持ちの小川にGHC巻かせたし
一緒によく飲みに行ってる杉浦も推してたし
感情入りまくりでしょ >>665
初代GHC王者決定トーナメントで多聞が池田に負けたのって俺の中ではありえない。
アマレスの天皇があんな細いのに負けちゃ駄目でしょ。 >>664
三沢はノア時代だけど「来た客を満足させる自信はある」と言ってノアファンからも「悠長」と言われたくらいだからなあ。
そんなんだから後のノアの衰退に繋がったんだよなあ。 >>670
冬木の引退興行をノアが行ってノアの選手がノーギャラだった件とか、越中がノアに初参戦した時に1試合でギャラ300万包んだ件とか
プロレスマスコミは美談のように語ってたけど、それらも悪い見方をすれば公私混同だよね 三沢が全日末期→ノア旗揚げ時に川田に対して「副社長として何をやってたの?」と言われて
川田が何も反論できなかったのが笑ったなw >>677
モスマンは分裂間際で秋山に引っ張り上げられてようやく頭角現したけど、馬場のお気に入りってだけで存在感は薄かった
三沢はケアを嫌ってたって訳じゃ無いと思うけど、素材は良いのにプッシュしなかったのはあまり努力が感じられなかったからじゃないかな
?
実際、99年頃のモスマンって試合出てたっけ?
って位印象が無い
泉田は正直、どこの団体行っても駄目だったと思う モスマン曰く「家庭の事情があり幼い弟がいるのでシリーズ終了ごとに
帰国してたのがお気に召さなかった」らしい
確かに残ってオフも練習すればもっと早く開花したろうし日本語も何とか
なったとは思う >>679
秋山は多聞、志賀、泉田、橋とかを引っ張り上げるために頑張ってたよな
ノアの未来のために後輩を育ててた 三沢は個々のポテンシャルしか見てない感じ 昔週プロで馳が三沢が苦手にしてることにパワーボム系の技を受けるの嫌ってるって言ってて意外に思ったな >>655
それだよな
プロレスは受けじゃなくてセルだよな 泉田かぁ
本田とのコンビは不器用さが逆に良いチームカラーになってたが
結局何も出来なかったよなあ
晩年の暴露本は酷かったわ
自分の意思でホイホイ三沢についていったのに
三沢批判(自身の無能ぶりはスルー)
「スタンドなら小橋に勝てる」
「体の小さい平柳に絡まれても大した事ない」
とか虚勢ばっか張って見るに耐えない内容だった >>676
川田に言わせればやりたくなかったのに元子に無理矢理ならされたらしいが
三沢はこれだけ苦労してるんだから俺の好きにやって何が悪いというのがありありなんだよな
不機嫌は前からだがとにかくNOAHになってからの顔付はますますひどくなっていった印象
批判的な記事は許さないとは仲田への批判にあるが三沢の意思でもあったのは間違いない 勘違いしている選手よりも元子だけは理解できねえ。あんなのただGBにくっついただけだろ。レスラーを何だと思ってんだ、あのクソババアは。 とにかく馬場にとって不可欠の存在だったのは間違いない 馬場がいるから皆我慢していただけ。空気が読めない勘違いクソババア。
タイチだって「パワハラ受けた」とか亡くなった後でも言うことは余程酷かったんだろうな。 三沢も離脱直後に「馬場さんだったら我慢できても、奥さんまで我慢は出来ない」って言ってたな。
馬場があと5年長生きしてたら三沢も40過ぎてたからノア旗揚げはなかったかな。
もしそうだったら三銃士をはじめとする新日本との対抗戦は実現しなかったかな。 元子のお父さんは馬場なんかじゃなくて広岡達朗と結婚させたかった
らしいけどもしそうなったらサッチーとか落合信子みたいになってたんかな >>683
馳で思い出したけど何かのインタビューで受け身の話になって
「新日は全日に比べて受け身の練習が少ないとよく言われてるけど同じぐらいやってましたよ。でも三沢川田小橋田上の受け身は凄すぎましたね。ロープ際での受け身が巧かったな、あれは三銃士も真似できないですよ」 >>689
我らが愛した元子全日では
元子が登場してリングに向かった際に
「元子さーーん!」「うわぁ〜!」「キャ〜♪」
みたいな歓声が飛び交ってたんだが、信じる?www 鶴田の晩年はファミ悪の試合ばかりだったけど、一回だけ相手に田上がいた時があったな。
鶴田が田上を集中攻撃してたけど、最後は手加減するだけ手加減した田上の喉輪落としで鶴田からピンフォール勝ちだった。
あれはいきなり自分が離脱しながらも立派に一本立ちしたかつてのパートナー田上に対するせめてものプレゼントというか、罪滅ぼしだったのかな。
当時話題になってたのかは知らないけど、何か寂しさを感じた記憶がある。 >>697
そういえば鶴田は欠場後は三沢川田とは一度も対戦せずに終わったのかな?
組むことはあったけど
小橋とは95年辺りでタッグで当たった気がする >>686
立っての殴りあいならと書いてたからボクシング >>680
シリーズ終わる度にワイハに帰るし日本語はいつまでたっても覚えないし
って批判してたね >>670
冬木が三沢に提携持ちかけた時に「冬木さん。うちになんかメリットあるの?」って言われて、そういう考え方じゃ美少女出来ないなって思ったって言ってたわ
聞き手のターザンも三沢はビジネスが分かってないって言ってた それと99年の最強タッグ決勝で解説してた時の、小橋&秋山への肩入れが酷すぎたわ
あれは空気読めなさすぎて萎えた >>698
阪神淡路大震災直後の大阪大会で馬場・鶴田・三沢組が秋山・大森・本田組と対戦したな。
エーストリオが一度しか見られなかったのは実に残念。 >>644
三沢がウイリアムスを切ろうとしたら元子さんに泣きついて
三沢くん。使ってくれる?って言われたって独立直後のトークショーで皮肉っぽく話してたわ でもあの時はハンセンはスポット参戦になりつつあったしエースはもう引退を考えてたのかやる気なかったし
ベイダーだけじゃ外人勢が足らないからウィリアムスに頼るのも分からんでもないけどな >>701
その当時の全日はあんまり詳しくないんだが、
ケアがヘビーに転向するにあたり、
ジュニアのベルトを「返上」したことで
他の選手の反感を買ってたような記憶があるな
つまるところ、次にジュニアのトップになる選手に
花を持たせてやれよ(負けてベルト渡してやれよ)という
意味合いのことを言われていたと思う
このあたりの管理というか、ケアが負けブックを嫌ったら
それが通ってしまうのだろうかとか
けっこうナゾであり、それこそ元子のお気に入り待遇? >>707
ウィリアムスは分裂前から劣化激しかったもんな
よくあれで対抗戦でノートンに勝ったな、と
ノートンはノートンで劣化早かったけど >>698
95年9月のファン感の6人タッグで小橋と対戦。
>>697
田上に負けたのは96年10月の武道館だね。95年3月4日も馬場、鶴田、秋山vs田上、渕、雅夫央という組み合わせで対戦。 >>698
小橋とはファン感謝デーの6人タッグで当たってた気がするな
あれ動画で見てみたいわ >>710
田上がI田の技受けるだけ受けて、
最後は田上が珍しいボディアタックからの喉輪落とし一発であっさりピンだからな(優し目の)
鶴田のあの身体つき見たらもう一線では無理だとは思ってたけど、寂しさがあったね >>708
ケアは分裂後初の武道館でのハンセンと組んでのメインが良かったな
カード的に天龍・川田とハンセン・ゴディの最強タッグも意識だったんだろうが。 >>709
この試合、双方共に劣化していて酷い試合だったねぇ。
ノートンは超竜ボムの叩きつける勢い、ウィリアムスはバックドロップの角度で
劣化の具合が顕著になってるのが痛々しかった。
95年辺りに見たい試合だったね。 >>714
ウイリアムスは元々外国人相手に良い試合できないからなあ ウィリアムスが新日に初参戦したとき「荒削りで強引なヤツ」って
印象しかなかったから全日に無償譲渡が決まったときは
不良債権を追っ払った新日賢いなと思った >>708
懐かしい。当時はゴングを毎週読んでたけど、小川や菊地が、ケアが返上したベルトをみんなで取り合えとか舐めてるって
珍しく会社批判してたね。三沢も責任感がないってケアを批判してたかな? >>717
あ、おれもG誌派だったよ
モスマン(当時)はすでに全日ジュニア枠って感じじゃ
なかったのは事実で、小川らに負けるとしたらもはや
クイック系の技をウッカリ喰らうか、あるいは何かかなり
トンチの利いたことするしかないレベルだったとは思うが
それにしてもそこで批判してたのが三沢、小川、菊池だったのか
これは、その時点でのノワ(分裂)の予兆だったと言えるのかも >>717
あとさ、プロレスをサーガ的な視点からみるとさ
テンルーさんも、ジャンボが返上した
UNを取りに行けって言われてホントは悔しかったって
かなーーーり後になって「ぼそっと」呟いたことあるじゃん
それが最終的には、三冠とったときにテンルーさんが
腰に巻いたのはUNだったわけじゃん
だめだ 思い出したら涙腺がやばいw >>714
ノートンはそれでも5か月後辺りにIWGP王者になってるんだよね
ウィリアムスとタイトルマッチで再戦あるかなと思ったけど
短命で終わったね
ちょうど猪木軍による総合格闘技風プロレスの煽りを受けちゃった >>719
当時、俺は子供だったから天龍とUNの関係性って僅かに聞いたことがあるだけで詳しく知らないけど、選手がベルトに思いを込めるのは聞いていて嬉しい話だ。 >>720
健介からベルトを剥がす役目がノートンだったっけ?それが伝説の「正直すまんかった」に繋がったんだよね。 >>717>>718
そもそもケアにジュニアをやらせたことが誤りだったと思う。
FMWの川崎に出場する直前に小川からケアにスイッチしたわけだが不自然だった。
FMWに出場するから強引にチャンピオンにした感じだった。それまでのケアからは「ジュニアのベルトが欲しい」なんてコメントも無かったし。 >>679
泉田も馬場追悼後楽園の川田シングルとか一瞬光ったよね
たまにはシリアスな試合をやらせてあげてもいいんじゃないかな、位に対応してた >>717>>718
あなたたちが何処のどなたか知らないが過去の記憶を共有できる人がいて嬉しいぜ。
当時の全日は現代みたいにマイクアピールも無ければ、軍団抗争、個人間の遺恨も無かったが何故かお金を使いまくって観に行ったよw
俺はゴングじゃない方の週刊誌を毎週買っていた。 >>725
こっちもむかしの楽しかった頃の思い出話を出来て楽しかったよ。
当時は本当に四天王プロレスに熱中したけど、ノアになってからの三沢や小橋の試合にはなぜか熱中出来なかった。
川田がいなくなったからかな?それとも馬場の呪縛から解放されて緊張感がなくなったのかね。 自由というのは不自由や抑圧の中でこそ光輝くものとは良く言ったもので。
ノアでの自由にはその抑圧や不自由がなかったかな。 それは全日本プロレスではなくなったからだよ。
馬場、鶴田の系譜は大きい。 ベイダーのビッグクランチよりノートンの超竜ボムの方が威力が高そうに見えるのはオレだけか?
超竜ボムは凄いからなぁ。
ノートンは橋本クラスの重量でも軽々持ち上げておもいっきり叩きつけるから。
オブライトのフルネルソンの方がヤバいのは認めるけど
全日の堅いマットで超竜ボムで叩きつけられたら四天王も溜まった物じゃなかったと思うぞ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています