今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよな Part2
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>>22
あれはやばいわ
あのまま事故になっててもおかしくなかった >>18
凄く激しい試合をしてたよね!
ワープロのJr.の試合本当に面白かった。 >>21
肩車してたのサムライだっけ?
サムライが離さないから大谷がヤバい角度で
落ちたんじゃなかったっけ? もう、2スレ目なんだな。
なんだかんだ言いながら、みんな四天王プロレス気になるんだな。 >>20
武藤のは切り返し技、ってイメージあるね
スコットとかファーナスのは両足で首を挟んで
後方回転してマット叩き込けるって感じだよね >>26
サムライだったかなあ
週プロでも大きく取り扱ってたのは覚えてるなあ >>29
金本タイガー&サムライ対ライガー&大谷かな?
その危険なフランケンからフィニッシュは猛虎原爆固めだった
ようつべで「スカイハイフランケンシュタイナー」で出てくるヤツ >>27
全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレってのがパート14まで行ってたけど
さすがに話題がなくなって2018年2月でスレ立たなくなってたな
でも語ろうと思えばまた語れるもんだね 90年代の新日と全日のプロレスっ旧態依然として昭和臭さを引き摺ってる感じがするんだよな。
95年・96年なんて世は小室だトレンディーだとスタイリッシュになっていってるのに
新日は狼群団や昭和維新軍VS平成維新軍だの全日は地味なタイツでレスラーが辛気臭い表情を浮かべてるという。
nWoでやっとプロレスが世間に追いついた感じがするんだよな。 >>32
なんか分かる気がするよ
だけどね、nWoTシャツ着て電車乗るの恥ずかしかったよ…友達3人でね 90年代はもろに全日大好きだったけど
華がなかったよね全日本は
そこがまた良かったんだけど
新日本はきらびやかで大物呼びまくって
大々的に興行してたね その昔は全日本の方が華やかだったみたいね…徐々に開国してったけどハヤブサの扱いは勿体なかったな 今度の馬場興行にジョー・ディートン出るらしいね
福澤がプロレスニュースでよくネタにしてたなぁ懐かしい 四天王の前の超世代軍の頃が一番面白かったな。
その頃が一番儲かってたみたいな話儲かってたらしいし。
鶴田やゴディが元気だったら90年代後半はまた違ってたんだろうね。 インディジョーンズのテーマに乗って入場するディートンを見たい
鞭かなんか持ってたっけ おい!てめえら垣原と大森の話を誰か教えて下さい。
お願いします。 >>037
伝説の92年6月新潟市体育館長蛇の列とかね。同じような面子で何の仕掛けも無かったのに凄い時代だったね。 >>13>>17の人と似ている。
頭から落としたりエプロンから場外マットに落としたり、そんなの楽しむのが無理。
他には必殺技1発で決まらないのがつまらなかった。 ディートンといえば90年7月後楽園の6人タッグ。下手だけど好きな選手だった。 >>26
あれサムライがどうやろうが綺麗に決まらなかったと思う
そもそも肩車された状態から前方回転受け身って時点で無理がある。どうやっても引っ掛かるだろう ディートンは92年の正月の後楽園でのジャンボとのシングルがなかなか良かった
ノーTVなのがもったいなかったわ SFCの全日本のゲームにディートンが収録されてたけど必殺技のブルドッキングヘッドロックからフォールに行っても必ず2で返されるって不憫な仕様だった >>44
1・2が鶴田、渕vs三沢、小橋
川田、菊地vsハンセン、エース
田上、小川vsディーd、ビリブラ
は憶えているけど1・3ってどんなカードだったっけ? >>46
メインが三沢川田とハンセンBブラック、あとジュニアバトルロイヤルと
馬場木村対小橋菊地だったかな >>45
ディートン関係ないが、
そのゲームで田上かゴディを使って相手をロープに振ってロープ際でカウンターのラリアットやるとなぜかギロチンホイップ食らったような吹っ飛び方になって可笑しかった 四天王もだが、それに付き合った常連外人たちも大変だっただろうな
海外ならアメリカンプロレスみたいなのやってるだけで十分な所なのに、全日の四天王時代だとハードな上に適応しないと常連としてやってけないし
確かクロファットがインタビューで、全日のリングは他の諸外国のリングと違ってスポーツ的な真剣さみたいなものがあって自分はそれも好きだしやりがいもあるが、
ついていけない外人はすぐ来日出来なくなる的な話してたような覚えが
ディートンは正直上手くはないレスラーだったから、一時だけアジア戦線やトップレスラーと当たる事はあっても荷が重かったというかすぐ戦線からフェードアウトしてファミリー軍団とかメインになったのもわかる
アジア戦線でもカンナムやジョニースミスとか技術ある選手は四天王相手でも上手くやれたがディートンじゃジョバー役でも上手くないしついていけないよなあ >>48
馬場、木村vs小橋、菊地なんてよくそんなカード組んだねw
>>50
スミス、ウルフ、ハインズ、イーグルあたりはちゃんと対応できていた印象があるけどスパイビー、エースは駄目だったな。
エースは個々の技が雑だしコスチュームとか試合中のアピールだけ頑張ってるだけ。
小橋のバックドロップ&エースクラッシャーの合体技もエースがちゃんと飛べば迫力あるのに、ただ手を相手の首に添えて倒れるだけだったしな。
後から来たオブライトにもあっさり抜かれちゃったしね。 落ちこぼれ外人の部類に入ると思うエースだけど「一回くらいはやらせてやろう」的に
組まれた武道館での三沢との三冠戦は奴のベストバウトかな 四天王4人でグルグル回すのが常態化してるころだったから一服の清涼剤、
とまでは言えなくとも箸休めくらいの役割は果たした試合だったと思う
客も結構びっちり入っていたし 週プロが「次の武道館、行くか迷ってる」そんな声が何人から聞かれた。と書いた武道館ね。エースが三沢に挑戦した時。
小橋、秋山vs高山、垣原目当てで行った人も多かったかな。 エースさんは本当猿芝居だったからなw
天龍みたいな声だしてしょっぱい試合よくやってたね エースのショートタイツのお尻についてるXサインマークはウサギちゃんパンツに見えた >>55
名前忘れたけど評論家に「猿回しみたいなプロレス」って揶揄されていたもんなあ。
GETなんて作ってみたけど小橋には無駄な期間でしかなかったな。パトリオットは1シリーズで裏切るしw
個人的にはエースよりはパトリの方がまだ良かったと思うけど。 そんな叩かれるほどエース嫌いじゃなかった俺は肩身が狭い・・・ エースはでかくてマスクいいから好きだったけど本人の勘違いぶりが酷かったなw エースにプロレスセンスがないのはビンスに森嶋を見せた時点でわかるw エースはスタナーとダイヤモンドカッターを産み出したってだけでプロレス史に名前を残した 間違ってたら失礼だけどエースって練習あまり好きなタイプじゃなさそうだ
胸、腕、お腹、身体がひどかった
新崎人生が参戦してたときにエースと対戦してて
「カモーン!ジーンセイ!」って言ってたのには笑った >>61
ダブルアームエースクラッシャーも後にペディグリーとして広まったしギロチンエースクラッシャーも後にWWEだったかのレスラーがフィニッシャーにしてた 四天王プロレスが極まってファンも目が肥えたよな。
三沢対ハンセンの回転エビ固めの決着にブーイングが飛んだときにこれは思ったわ。
ファンはどこまで過激なプロレスを求めてるんだと。 エース、致命的に耐久力が無いよな。
あの両手広げて、びろ〜んみたいにダウンしている姿が痛々しかった。
オレ的にはオブライトと同格ぐらいだと思う。
オブライトが全日参戦時に持ち前のスープレックスのインパクトでエースを抜いたが
オブライトが徐々に失速し始めてエースが抜き返したみたいな。
98年ぐらいだと、完全にエース>オブライトになっていたね。
エースは98年にチャンカーで手負いとはいえ田上に勝って川田とフルタイムドロー。
三沢との三冠戦もそこそこの内容だったし、その三沢をタッグでピンフォールを取る。
オブライトはその年の世界タッグで何故かキマラと組むという落ちぶれぶりと。 >>65
× オブライトはその年の世界タッグで何故かキマラと組むという落ちぶれぶりと。
○ オブライトはその年の最強タッグで何故かキマラと組むという落ちぶれぶりと。 >>57
GETって実質続いたの一年弱だよね
パトリ抜けたらただのコンビでしかなかったけど
TOPも一年くらいでウィリアムスもアメリカ行っちゃったしね >>33
それは男3人揃ってってのが恥ずかしいんだろ
Nwoのせいにすんなよ >>69
すまんそこは笑ってくれよ
せめてwをつけてくれよ…いきなりシュート仕掛けてくるなんてひどすぎる エースは元子の寵愛を受けてた、とよく言われてたがならば
塩なのにあの好待遇なのも納得
まあそれ以外にもリングの外での立ち回り〜三沢と渕が米国視察行った時に
現地でコーディネートしたり等〜も上手かったらしいけど >>64
それは感覚が麻痺しただけで目が肥えたわけではないな >>63
あとはインプラントDDTもエースじゃなかったっけ
これで試合が作れればなぁ…… >>74
顔もカッコいいしもったいなかったよね
リングネームよし、顔よし、パンツよし、
駄目なのは身体とプロレス頭と声だね パンティといえば昔友達が小橋のタイツをオムツと言ってたな… エースは小橋と組んでアジア争ってた時は負け試合のジョバー役だったのにね
まあ小橋がもうこの時点ですでに寝てくれない勝ちブックおじさんになってたから、負ける時は仕方なしにエースが寝るしかないんだけどw
でもこの頃からすでにエースを格上げしようという動きだけはかなり見えたな
中継なしの地方ノンタイトル戦でカンナムに連敗(ファーナスのフランケンとクロファットのタイガーでエースがピン負け)した後、
テレビで紹介される肝心なタイトル戦ではギロチンエースクラッシャー初披露でエースに勝たせたりとかね
タイトル陥落する時も負けて陥落じゃなくて怪我(故意のギミックかも?)で移動とかだったりね
90年春以降の格上げされた後の小橋が仲野とかディートンとか相手に負けブック飲むわけないだろうし
小橋もエースも両方格上げしたいとなるとアジアでこのコンビは続けるの難しいからアジア戦線は小橋の相手は菊池にしてエースとはすぐ一旦解消したのかもな 高木功はもし全日本に残ってたら田上の代わりに四天王になってただろうか 高木って、センスは合ったと思うけど
人柄についてはあまり語られないよね
ま、素行の悪さからして駄目だったろ 解散するってな
どうでもいいニュースをNHKで流すな! >>84
ジャニーズの嵐だろ。
それ
>>85も少し考えたら解るだろ。
高木功一人なのに解散しないから。 見た目高木ブーなのにリングネームは嵐(二代目)というギャップ 馬場は高木気に入ってたみたいだけど、
残ってても結局、田上小橋に抜かれてただろう
ね
まぁ田上も小橋も川田に引き上げて貰った部分が大きかったから、
高木のやる気次第だったかも知れんけどw >>87
そもそもあっちの嵐も解散じゃなくて活動停止 そう言えば今考えるとパトリオットの腕の怪我ってどうだったんだろう?
リングの上だけの怪我だったのかな?
小橋の膝、秋山の腰、三沢の首、本当にヤバいのはどれだろ パトリオットは薬物中毒の方がすざまじかったと聞いたが
一日に200錠以上の薬物摂取してたらしい、何リットル水が必要なんだろう ステロイドかな?
パトリオットさんはエースより全然面白かったなぁ。
フルネルソンバスター→大見得切るのがカッコ良かったよね! パワーボムで小橋からシングル勝ちしてたね
GET結成ちょい前くらい >>94
たしかペインキラーとか睡眠導入剤とかグリーニーとかそれらの中和剤とかのちゃんぽん >>96
95年7月の佐世保ね。動きは硬かったけどデカくて良かった。残念ながらエースよりも下の扱いだったけど。 猪木が96年ドームでベイダーとやった試合は四天王プロレスに対するメッセージだと思った。「こんな50過ぎた老体でもお前ら(四天王)のしてることなんてやろうと思えば出来る、だから凄くもなんともないんだぞ」的な。 テレビで観ていると新日本のリングの方が硬そうに見えたんだけど実際の所はどうなのかな?
全日本のリングのマットは触ったことあるが新日本はないわ。
当時の新日本ガチプロレスファンはそこを指摘していたぞw
新日本のリングは硬くて2,9プロレス合戦は無理とw >>102
長州のインタビューで「全日の方が柔らかい」って言ってた。
ジャパン道場のリングは新日タイプだったので練習時に衝撃で「頭がクラクラした」らしい。 プロレス観戦してたら
西永レフェリーに
お前らリングの解体手伝ってくれたら三沢選手、川田選手のサインあげるぞって声かけられて
リングの解体手伝ったことがある
マットの下の部分はどうなってたかわからないが
小学生の時にマット運動で使ったマットが
二段重ねで敷いてあったのは覚えてる
かなりボロボロのマットだったけど やはり新日本の方が硬いのか
俺も全日本のリング片付け手伝ったけど意外と柔らかかったな 誰が言ったか忘れたが
全日のマットは柔らかい分、走ったりしたときに新日のマットよりスタミナを消費するって言ってた記憶がある。 >>100
世の中にはへそ曲がりな人間ているから1人2人くらいはいるだろ。俺は思わないけど。 >>107
ってか、猪木ベイダー戦の
96年1.4ドームの時点でまだ四天王プロレスなんて言葉自体存在してない
紙面でも書かれるようになったのは
三沢ー小橋がベストバウトを2年連続で取った後ら辺からだと思うが >>106
谷津も全日のリングはあんこが柔らかくて足首に負担がかかり慣れるまで
かなりきつかったと言ってた >>109
いや、93〜94年から週プロやゴングで使われ始めましたよ。 遅くとも94年の時点で三沢達のことを四天王って呼んでた覚えがある
ただ概念としての四天王プロレスってものが言われ出したのはもう少し後かなと思う 四天王プロレスについて当時全日本に参戦していた外国人たちは何て言ってるのかな? >>113
横浜文化体育館だっけね
泣いてたね、小橋と菊地の手を取って >>114
たいてい「クレイジー」って言いそうじゃない? 93年5月の札幌2連戦2日目で四天王が外国人4強にシングルで全勝したのをきっかけに四天王と呼ばれ始めた記憶がある。
スパイビーはかなり落ち目だったけどw 93年のスーパーパワーシリーズが四天王自体の格上げシリーズで(まだ四天王呼びはなかったが)、
小橋がやや格落ち感あったけど、
次のサマーアクションシリーズ横浜サバイバルタッグで田上からピン、
年末の最強タッグで川田からピン取って、一気に横一線状態になった気がする。
確か最強タッグの時に若林アナが「鶴田さん!今この4人は最高です!!」とか言ってて、
その辺りから彼が四天王という認識が高まったのでは。
ただ、この流れ(特に小橋の格上げ)をもう少しなだらかにすれば、
四天王プロレスが早々にマンネリにならなかったようにも思う… 小橋は後年「札幌で自分がゴディを破ってから四天王と呼ばれるようになった」と言ってたな。
当時はゴディが川田田上小橋からピン取られて落ちていってる感じだった。
チャンカンで三沢に勝ったりはしてたけど。
馬場もゴディのプロレスラーとしての実力は高く買ってたから、これから失地回復するのかなと思ってたらゴディが体を壊してしまった。 >>119
たしか、ゴディは三冠に挑戦するシリーズに体調を崩して、フェードアウトしていったよね。
代わりに、ウィリアムスが、殺人バックドロップを解禁して、自分のポジションを確立した。 >>111
四天王と呼ばれるようになったのは93年からなのは知ってますよ
彼等の体現する過激な極限プロレスが四天王プロレスと呼ばれるようになったのは、
もっと後の話じゃないか?って事です 当時は四天王プロレスと並行して2.9プロレスというフレーズもよく見た記憶が ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています