今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよな Part2
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>>222
最後の2年間くらいのエースは、だいぶ良くなったと思うが。 スミスっていまカルガリーあたりで警官をやってると聞いたけど
いい意味で融通が利かない堅いお巡りさんになってそう >>223
週プロの記者には「アピールが多すぎる」と言われ何処かのライターには「猿回しみたいなプロレス」と酷評されていたよ。
仙台で世界タッグ獲った時と最強タッグの広島で三沢からフォール勝ちした時の二回だけだね。
瞬間的に輝くけど基本的に持続しない。 スミスのようやくのブレイクは武道館で人生と組んで秋山&馳とやった時かな
あれはカルガリー同期の馳のアシストも大きかったが >>226
馳が武道館の前に「武道館ではスミスの良さを引き出す」と言っていたような気がする。
あれはスミスのキッカケになった試合だね。 >>228
そして年末の最強タッグでは三沢組とフルタイム
翌年にはアジアタッグ戴冠 ケンドール・ウィンダムのフィニッシングブローってなんだっけ? >>229
白鵬がいろいろ細工できること教えてくれたもんな >>232
92最強タッグでドリー&菊地組に勝った時はブルドッキングヘッドロックだった気がする。 >>229
昔、何かのスレでダチョウの上島が「痛さは感じないんだけど、脳にグラッときた」と言ってたらしいね。
確かにエルボー食らったレスラーのリアクションを見ると、「痛い」というよりは脳にグラッときて
それに負けまいという感じが多かったね。 三沢の裏拳みたいなバックスピンエルボー痛そう
川田とオブライトに食らわしたやつ 四天王がシリーズ初参戦(チャンピオンカーニバルやドームなどのスポット参戦除く)で、シングル対戦した外国人。
オブライト→vs川田
ブーバー→vs田上
グラジエーター→小橋
ガン→三沢
※パトリオットは、初参戦シリーズで四天王になる前の小橋と対戦。
ベイダーは、参戦2シリーズ目で小橋と対戦。
サモアジョーは、ノア初参戦の武道館で三沢と対戦。 ブーバーって80年代に来ていた時って誰とやったっけ? >>237
ジョニーガンね。三沢に「もう来ないんじゃない」と酷評されていたなあ。 >>237
スマザースも入れてほしかったな。
全日初登場のシリーズの豊橋で川田にボコボコにされてテレビ収録なのにお蔵入りになったシングルマッチ。 >>236
小橋のローリング袈裟切りチョップは
この逆回転エルボーをヒントに使い出したんだそうな >>241
スマザースとスリンガーのタッグもなかなかよかった、もう一回組ませてみたかった
リーグ戦で白星配給係だったのはしょうがないか 若林がスサマーズとずっと言い間違えてたのが気になって仕方なかったわ >>233
三沢だけ異常に威力あるからそう勘繰ってしまう。
何かあるんじゃないかと。 120ぱーせんとエルボーとは
よく聞いたが食らったの
川田とオブライトだけなんじゃないだろうか 実際頭から落とすのは90年代から始まってたんだよな
明確にやばいのは鶴田ー三沢もあったけど
六人タッグの静岡大会の
ウイリアムスの小橋にやったやつから
伝説の豊橋の三連発
川田の垂直落下ブレーンバスター
三沢のタイガードライバー91とかあったけどさ ゴディの花道パワーボム。
田上の場外マットをはずしてのアームボンバー。
この辺りから、過激さが加速してきたような気がする。 三沢が制裁目的で川田に投げっぱなしジャーマン連発してから歯止めが効かなくなってきてたな
91解禁も川田憎しだし 94・スーパーパワーシリーズ
札幌で40分に渡る、四天王の世界タッグ。
武道館で30分超えの三沢vs川田の三冠戦(>>251のヤツ)
この当たりで、試合の長時間化と過激さが増してきたような気がする。
次のサマーアクションシリーズの世界タッグや三冠戦は、30分以内の決着だったので、四天王のタッグ対決と三沢vs川田のブランド価値を上げるための処置かと思ったが
小橋vsウィリアムスの三冠戦が40分超え。
川田vsウィリアムスも30分超え。
年が明けてからは、川田vs小橋の三冠戦が、60分フルタイムドロー。
当然の如く、四天王の世界タッグもフルタイムドロー。
その後、ハンセンの三冠奪取から、30分以内の決着に戻りつつあったが、小橋が絡む三冠戦は、35分超え→40分超えは当たり前になり。
タイガードライバー91、タイガースープレックス85等も返し始め、技のインフレを加速させてしまった。 三沢と田上のシングルは安定して短かった
20分以内に終わることが多く20分ちょっとでも長いぐらいだった 田上は練習してないからぶよぶよだったな
田上には脳天を落とす技は誰もできなかった ウイリアムスの殺人バックドロップ食らって足の爪先を負傷
ハンセンの腕をハンマーロックした際にハンセンの顔面とバッティングして目を負傷
危険技では滅多に怪我しないのに、不思議なところで怪我する田上さん >>255
タイガードライバー91の最初の犠牲者だろ 91年辺りの最強タッグでハンセンスパイビーから強烈な合体バックドロップを喰らってたような 小橋のバックブリカーからの頭から落とす技あれ
あんなもん普通に死ぬわな >>258
突き刺さってバウンドした感じ
あれやばい >>252
結局、次のシリーズで川田が三沢に報復の投げっぱなしジャーマンやら垂直落下バックドロップ出し始めて、ウイリアムスや小橋が触発されて、田上は奈落式を発案
客は入るから馬場さんも解説で絶賛するしかなくなってたなぁ
ノア旗揚げの時に秋山がフロントネックロックで一石投じたけど、三沢VS小橋の奈落タイガースープレックスで、また垂直落下路線に行くしかなくなったんだよね ライトニングがnwoスティングでメジャー二団体あまりラグがなく上がったんだな >>262
川田の報復投げ捨てジャーマンは一番ヤバかったな
いきなり背後に回って不意打ちに近かったのもあるけど
三沢の首の負傷の発端はあれかと思う >>264
当時の東スポ、週プロ、ゴングでは投げっぱなしジャーマン解禁には結構否定的だったのが印象的 アタル版マッスルスパークの上の人がいないバージョンみたいな落ち方してたわ 秋山が川田のバックドロップくらって首じゃなく胸を押さえて苦しんでるのを見た時ゾッとしたわ 垂直落下、大技連発、カウント2.9乱発。殺人プロレスを当時は勃起射精しながら
大喜びして支持してたクセに、今になってどうして批判するの?
当時だって秋山が四天王プロレス批判して、自分にはできないし、やるつもりもない
四天王プロレスは、一代限りで終わるプロレスと言って、ノワで新路線をやろうとしたが
客は支持せず、ただただ垂直落下殺人を求めてたクセに。結局、豚蛙が紫になって
糞尿垂れ流死して、わーわー言って、今更何言ってんの? 田上は体が柔らかいから新技の実験にはいいと三沢が言ってた気がする。 三沢はノア旗揚げの時にはすでに体中ボロボロで「ノアのエースは小橋と秋山」って旗揚げ会見で宣言
でも実際はテレビもスポンサーも地方興行権買うタニマチも三沢抜きを認めてくれなくて、社長、トップ、エースのフル回転になってしまった
無理矢理、丸藤とKENTAの武道館メイン持ち上げたりしてたけど、周りが本当に求めるのは三沢っていうパラドックスにハマってたな 馬場はそういうところどうしてたんだろう
「馬場さん、またベルト取っちゃいましょうよ」とか唆すタニマチもいただろうにどうやって一線から引けたのか 小橋がチャンピオンのときは、三沢はタッグ戦線中心に活動してただろ。
防衛戦の相手も、池田&ヨネとか、モデスト&モーガンとか、そんなにキツくない相手が多かったし
天龍や冬木などの外敵相手の試合で、ドリーム感出したり
小橋や秋山に任せていた感はあったんだけどね。
ただ、小橋や秋山が欠場したりすると、自分がチャンピオンになって回さざるを得なかったのかな? >>226
馳のジャイアントスイングで拝みポーズしながら回されてる人生をスミスがコーナーで見てて、笑いながらタマのポジション直してた試合かw >>271
旗揚げして半年しない内に小橋が長期欠場だったからな
欠場しなくとも初代GHC王者は三沢で変わりはなかったろうけど、
三沢から小橋へバトンタッチするタイミングが遅かったかもね
これは今言ってもしょうがないことだけど >>275
ノア旗揚げの時は、小橋、秋山、大森、高山、田上、ベイダーがいて志賀、力皇、森嶋も控えてたから三沢は最前線から退きたかったんだと思う
だけど小橋の長期欠場、高山、大森、ベイダー離脱、志賀の怪我、力皇森嶋のシングルプレイヤーとしての伸び悩みで自分が矢面に立つしかなくなった
丸藤チャンピオン時代もうまくいかなくて自分がボロボロの体で7防衛とかしなきゃならなくなったし
あとは完全にタラレバだけど潮崎があと3年早ければ >>269「大喜びして支持してた」
少なくとも俺は違う。スタントマンプロレスで喜ぶクチではなかった。他に書き込んでいる奴らだって同じじゃないの? >>256
チャンピオンカーニバルの福井かどこかでウルフと戦って脚を負傷した時もそれに該当するね。 三沢がリング禍で散る前のノアの地方巡業を数回見たけどもう第4試合くらいで
天狗のお面装着して楽しそうにやってたわ、んで試合後は休憩売店でサイン会
もう少し早くこのポジションに落ち着くことができていれば、と思う >>276
志賀は怪我していなくても大成しなかっただろうなw >>276
外人もベイダー以降はね
バイソンは今一つだったし、グラジが定着してくれてたら面白かったかも知れないけど
日本人のヘビーは彰俊も杉浦も佐野もヨネも池田も頑張ってたとは思うけど、トップには据えられなかった 年老いたリックスタイナーが参戦してたこともあったなノア
どういう縁だったんだろう >>253
三沢vs田上は、
超世代軍vs鶴田軍の匂いがして好きだったんだけどね。
※個人の見解 馬場って小さい奴嫌いなんだろ。四天王キチガイプロレスのこと評価してたの?
一番悪いのは当時のプヲタだけどな >>284
解説で小川良成を絶賛しといて普段は口も聞かなかったらしいしな
三沢が金丸入れた時も文句言ったらしいし
ただ、超世代〜四天王時代は自分や鶴田がエースの時より儲かってたから評価はしてた 2000年以降も旧全日が続いてたら、四天王は一線退いて秋山高山大森モスマンの時代になったのかな? >>286
小橋、秋山、大森、高山じゃね?
小橋、秋山は三沢、川田(小橋)みたいに、離ればなれになりそうだが、ノーフィアーは川田&田上みたいに長く組んでいそうだが。 三沢の死因は天狗の呪いだよ
橋の天狗のお面かぶるのは大丈夫だが
あれで橋のアナル攻めしたのが駄目だった
天狗の怒りを買ったよ ジャイアント馬場
→王者の魂
小橋建太
→焼いて魂 買って読んだけど、めちゃくちゃ面白かった。
察するに、93サマーアクションS最終戦で、三沢が川田に投げ捨てジャーマン3連発を敢行。
翌サマーアクションSII開幕後楽園で、川田が三沢に報復ジャーマン。
ここから「そんだけやるなら俺もするよ」とエスカレートした、
いわゆる四天王プロレスの末期を暗示していたのではないでしょうか。 >>292
サマーアクションシリーズ2は
ウィリアムスがデンジャラスバックトロップ解禁してシングルで小橋に恐怖の三連発やった時だね
ブレーンバスターも垂直気味になったり
あの辺りからだんだんエスカレートしていったのは確か >>292
面白かったけどプロレス記者の文章力の限界を感じてしまう
柳澤健とか作家と比べるとちょっときついな >>294
伝説の“バックドロップドライバー”だな。 >>282
確かにどういう経緯で出たんだろうね?、三沢とかトップとの絡みはなかった様な記憶がある。
上手く使えば面白かったのにもったいない。 >>141
90年代の武道館で最前列に座っていた
おばあちゃんと松永アナ似の男性もいつも気になってた >>299
ダイナマイト・キッドの二代目パートナー
パトリオットの来日当初のパートナー
便利屋、ジョバー
ベイダーのパートナー
分裂後世界タッグ王者に
書いてみたら、波乱万丈だな。
ジョニー・スミス >>299
さすが三冠チャンピオン
観ている所が違うw >>297
ノアとWLWとかいうアメリカの団体が当時提携を結んでたが
そこのトレーナーだか講師をリックスタイナーがやってたはず
その縁じゃないかな >>300
そんなに弱そうに見える体型でもないのに、いつも強い外国人と組んで負ける役ばっかりで、実はかなりのテクニシャン。
あんな酷い扱いされ続けたのによく何年も全日にいてくれたと思う。 キッドの引退後に、初来日のパトリオットと組んでいた頃のスミスも好きだった。
星条旗マスクとユニオンジャックタイツで英米連合として売り出してもよかった気がする。
実際に仙台で行われた、三沢・川田vsパトリオット・スミスは20分近くに渡る好勝負だったし
残念なのは、小橋・菊地がカンナムから、アジアタッグを奪取した試合の次の試合だったから、印象が薄い。更に、次の試合で鶴田がピンフォール取られたから、なお記憶に残らなかった。
ただ、三沢組とパトリオット組の試合は、テレビで放送されたし、実況の福沢はアメリカ・イギリス連合軍みたいな括り方をしていたし、解説の渕も好勝負って言ってた。
まぁ、次期シリーズには、パトリオットは参戦したが、スミスは不参加。
暫定的に小橋・パトリオット組が結成され、年末にはパトリオット・イーグル組が誕生。
全日はパトリオットをどのようにして、売り出したかったのかもわからない。
ちなみに、パトリオットって、何て叫んでたんだ?『イッタ』『イッツァ』『エッタ』どれなんだ? パトリはタッパあるのに93年はアジアタッグ戦線にいたよな。
小橋のライバル的にもっといい扱いしてあげるべきだったと思う。
ハンセン、デビアス、ウイリアムス、ブーバー、彼らと同等の扱いでも良かったと思う。パトリは素材が凄く良かったような印象。 パトリオットは、素材はいいかもしれないが、ハンセン、ウィリアムス、ファーナスと同じでしっかりとコントロールしてくれる相方がいればなお光ったんじゃないかな?
ハンセンには、ゴディやデビアス。ウィリアムスには、ゴディ。ファーナスには、クロファットがいた。
そういう部分からも、全日デビュー当時のスミスとのコンビは継続して欲しかった。
来日2シリーズ目は、殺人魚雷が不参加でハンセンと抗争したけどもパートナーがサニー・ビーチだったからな。
そのつぎのシリーズも小橋と組まないときは、ジャッキー・フルトンと組んでいたし。
まぁ、フルトンもマスク被って… >>306
それはけっこう納得するな。スミスはウルフ、ベイダー、ケア誰と組んでもちゃんと仕事するよね。
人生の全日初登場のパートナースミスだったし、フロントに信頼されているんだろうな。 カンナムのときにも書いたが、スミスにもう少し身長と体重があればな。 馬場が解説で「こんなことやっていたら死んじゃう」みたいなことを吐露しちゃった時は
大げさだなあなんて思っていたけれど、本当にリング禍が起こって戦慄した。
それ以来プロレス見なくなった。 >>312
わかってるのにビジネス的に儲かってたからオーナーとして
諌めもせず、たらせてた馬場が一番の戦慄。そしてそれを見て
狂喜乱舞してた四天王ヲタがまさにキチガイ 四天王というか田上を除いた3人という気がする。三沢vs川田、三沢vs小橋、川田vs小橋。
彼らはギブアップで決まるのを嫌がったよね。
結果的に91年9月の世界タッグで三沢が鶴田からギブアップで勝ったのが際立っているけど、四天王の中ではギブアップ負けはかっこ悪いからそういうフィニッシュを嫌がったのかな。
それとも単にレフェリーが3カウント叩いて終わる方が盛り上がるとでも考えたのか。 三沢のタイガードライバー91よりもフェイスロック。
川田のパワーボム、デンジャラスバックドロップ、垂直ブレンよりもストレッチプラム。
そういう締め技をフィニッシュにしていれば肉体的ダメージを蓄積することも無かったと思う。
ファンの感覚もおかしかった。ああいうのがスゲーって感覚。
武道館の丸藤vsKENTAを観たファンが「ファンも覚悟して観ろ」なんて言っていたけどそういうクチが四天王全盛期に多かったと思う。
三沢、川田、小橋がやっていたことはある意味、殺し合いだった。 >>315
フェイスロックって鶴田からギブアップして以降は
出す度に会場が盛り上がってたんだけど
徐々にただの繋ぎ技に移行していったせいで
末期は全く会場で盛り上がる事が無くなってしまったな
現役晩年なんて使用すらしなくなったんじゃないのかな? まあフェイスロックで落ちるなんてないんだから三沢の美意識で使いたくなかったのかもしれん
しかしよく鶴田がフェイスロックでギブアップなんて飲んだなあと 三沢のフェイスロック、92年ぐらいまでは沸いてたけど
三冠王者時代は完全な繋ぎ技になってたな、レパートリーの一つみたいな感じで
四天王時代はギブアップ決着とクイック決着が極端に少ないよな >>317
他にリバースフルネルソン何ちゃらって絞め技も一時期使う様になったけど これも長続きしなかったな
川田のストレッチプラムは左右に絞るあの動作と
川田の渾身の表情が相まって非常に見映えの良い技だった >>317
鶴田がギブアップを呑んだ件は同感。よく呑んだなと。
四天王プロレスは丸め込みとサブミッションで決まる意外性が無いからつまらなかった。
新日だって棚橋vs中邑で棚橋が丸め込みで勝った試合があったような。
四天王は頭が堅いんだよね。レフェリーが3カウント叩くのと観客がカウント合唱して終わるのが盛り上がるという認識だったのかな。
秋山が入って5強になってからは変化が出てきたけど。 >>315
スゲーって感覚と
プロレスラーはやはり頑丈なんだと思ってただけ。
ウォリアーズのダブルインパクトも
ツームストンパイルドライバーも危険。
四天王プロレスを危険だなんてファンは思っちゃいなかった。
さすがプロレスラーと思ってた。 >>319
93年10月の武道館で川田がストレッチプラムで捻って絞ってからのフォールで小橋に勝ったことがあったけど試合内容は凄く良かった。
そういう決まり手をもっとやれば選手寿命を縮めることも無かったと思う。バックドロップで頭から落とすのなんて酷いことするなあって思ったよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています