今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよな Part2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
彼等は、何故あそこまでエスカレートさせたのでしょうかね。あまりにも垂直落下を増やしたため、リングの下に当時 最新の衝撃吸収マットを敷いています。現在の新日本 オカダ ケニー
棚橋 飯伏らも 四天王プロレスをよりスピーディーに進化させた(体が小さい軽いから速く動ける)ものですが、当時の四天王プロレスは、
面白かったです。毎日手を合わせて地方で組手
モーション確認 らを一緒にしていたから、どんどん阿吽の過激さになってました 川田が「年一回しか行かないような地方では分かりやすい試合を
したほうがいい」と提案したら三沢に「川田は地方で手を抜こうとしてる」と
決めつけられた、という話をするけど結果論としてそれは一考の価値があったような気がする
川田にしては珍しく正論 川田のいうわかりやすい試合ってなんだったんだって話よな、気になるわ
四天王プロレスと違うのかね。
でも当時地方で手抜きしてたらしてたでファンは文句言うんだろうしなw >>4
たぶん文脈から察するにカウント2・9の応酬をやめて決め技一発で決まる、的な試合かな 分かりやすい試合ってのは、予備知識の無い一見の客でも喜ぶ試合とかそういう意味だろうけど
四天王が果たしてそういう試合をやる必要があるかどうかは?
天龍以降そういう地方でもガンガンやってたんだしさ >>5
必殺技が出れば試合が終わる。
技のインフレも防げるし、試合に緊張感が出て悪くはないよね。
四天王時代であっても、ハンセンのラリアットなんかはその立ち位置だったしね。 だからもう三沢小橋vs川田田上って図式が無くなる時点で、全日も方針を転換すれば良かったんだよね、体もボロボロだったし
でもその96年ぐらいからボチボチ開国路線になったから、馬場にもそういう意識はあったのか
しかしメインの試合内容は更に過激さを増していくという… 四天王とか94年9月の小橋vsウイリアムスの時は「すげえ」と思っていたけど、それがやがて一撃必殺が無いプロレス、ただ長く戦っているだけのプロレスで全く面白くないと思ってしまった。 >>3
珍しくって川田は正論が多かったぞ
小橋の大技ばかりのプロレス批判したり 開国したあとだけど
全日の選手が他団体の試合出たの
川田のUインターだけだったけど
ノア時代に
新日本ドームで
三沢が蝶野とやったり
小橋と蝶野でGHCやったり
したあたりは一番ネックだった
テレビ局関係はどうやって解決したのかね
逆もしかりで
永田がノアにあがったりだの >>11
その時の権利云々に関してなジャッジする人間が交替したとか、方針転換したとかそんなところかな?
教えてエロい人。 80年代から全日を見続けて当然四天王プロレスにも熱くなったけど
突然おなか一杯になって武道館から足が遠のいた、きっかけは
チャンピオンカーニバルの巴戦だな、パンチラと一緒で見せすぎは食傷 >>13
あの巴戦は観ていて気の毒だった
優勝戦に至るまでで既にボロボロで
三人とも動きに切れが無かった
特に三沢
公式戦で秋山の雪崩式エクスプロイダーだったか?で元々悪い首が更に悪化した
初戦は小橋と30分時間切れで、インターバルほとんど無しで川田戦だもんな >>15
おしゃべり川田が主導権を握るか、自分LOVE小橋がKYで苦労話を垂れ流して
流れを渡さないか、どっちにしろ休火山田上は脇確定かな >>13に同意というかほぼ同じ道筋を辿った俺
ふた月毎に武道館やってほぼ鎖国で回すんだから逆によく持ったとも言える
当時武道館スタンプラリーというのがあって6回完走して何がもらえたと
思う?選手の名前が刻印された鉛筆!!www せめてTシャツだろーと力抜けた
思い出です よく90年代は新日は話題、全日は四天王の試合内容だとか言われてたけど新日だってライガー大谷金本のジュニア勢が試合内容で魅せてたよな。 新日本もダブルインパクトフランケンシュタイナーとかで危なっかしい技を出してた
橋本の垂直落下DDTや健介のノーザンも
今考えると危ないけど
あの2つは出たら試合決まってたね
全日本はそんな感じの技が一試合に何発も出てそれを返してた
首にダメージ負うよねそりゃあ
リーガルは間違って垂直落下DDT返しちゃったけど >>19
ダブルインパクトは言うほど危険じゃないし
フランケンなんて武藤とたまに来るスコットしか使わない
橋本の垂直DDTはビッグマッチで基本一回しか使わない
ノーザンは首からは落とさない >>20
三代目タイガーが大谷にやったやつは危なかったんだよ
札幌だったと思うけど >>19
それらよりもドームでスタイナーが馳にやったSSDの方がヤバい。
仮に落とし方が下手な奴だったら、受け身が巧い馳でもただでは済まなかったはず。 >>22
あれはやばいわ
あのまま事故になっててもおかしくなかった >>18
凄く激しい試合をしてたよね!
ワープロのJr.の試合本当に面白かった。 >>21
肩車してたのサムライだっけ?
サムライが離さないから大谷がヤバい角度で
落ちたんじゃなかったっけ? もう、2スレ目なんだな。
なんだかんだ言いながら、みんな四天王プロレス気になるんだな。 >>20
武藤のは切り返し技、ってイメージあるね
スコットとかファーナスのは両足で首を挟んで
後方回転してマット叩き込けるって感じだよね >>26
サムライだったかなあ
週プロでも大きく取り扱ってたのは覚えてるなあ >>29
金本タイガー&サムライ対ライガー&大谷かな?
その危険なフランケンからフィニッシュは猛虎原爆固めだった
ようつべで「スカイハイフランケンシュタイナー」で出てくるヤツ >>27
全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレってのがパート14まで行ってたけど
さすがに話題がなくなって2018年2月でスレ立たなくなってたな
でも語ろうと思えばまた語れるもんだね 90年代の新日と全日のプロレスっ旧態依然として昭和臭さを引き摺ってる感じがするんだよな。
95年・96年なんて世は小室だトレンディーだとスタイリッシュになっていってるのに
新日は狼群団や昭和維新軍VS平成維新軍だの全日は地味なタイツでレスラーが辛気臭い表情を浮かべてるという。
nWoでやっとプロレスが世間に追いついた感じがするんだよな。 >>32
なんか分かる気がするよ
だけどね、nWoTシャツ着て電車乗るの恥ずかしかったよ…友達3人でね 90年代はもろに全日大好きだったけど
華がなかったよね全日本は
そこがまた良かったんだけど
新日本はきらびやかで大物呼びまくって
大々的に興行してたね その昔は全日本の方が華やかだったみたいね…徐々に開国してったけどハヤブサの扱いは勿体なかったな 今度の馬場興行にジョー・ディートン出るらしいね
福澤がプロレスニュースでよくネタにしてたなぁ懐かしい 四天王の前の超世代軍の頃が一番面白かったな。
その頃が一番儲かってたみたいな話儲かってたらしいし。
鶴田やゴディが元気だったら90年代後半はまた違ってたんだろうね。 インディジョーンズのテーマに乗って入場するディートンを見たい
鞭かなんか持ってたっけ おい!てめえら垣原と大森の話を誰か教えて下さい。
お願いします。 >>037
伝説の92年6月新潟市体育館長蛇の列とかね。同じような面子で何の仕掛けも無かったのに凄い時代だったね。 >>13>>17の人と似ている。
頭から落としたりエプロンから場外マットに落としたり、そんなの楽しむのが無理。
他には必殺技1発で決まらないのがつまらなかった。 ディートンといえば90年7月後楽園の6人タッグ。下手だけど好きな選手だった。 >>26
あれサムライがどうやろうが綺麗に決まらなかったと思う
そもそも肩車された状態から前方回転受け身って時点で無理がある。どうやっても引っ掛かるだろう ディートンは92年の正月の後楽園でのジャンボとのシングルがなかなか良かった
ノーTVなのがもったいなかったわ SFCの全日本のゲームにディートンが収録されてたけど必殺技のブルドッキングヘッドロックからフォールに行っても必ず2で返されるって不憫な仕様だった >>44
1・2が鶴田、渕vs三沢、小橋
川田、菊地vsハンセン、エース
田上、小川vsディーd、ビリブラ
は憶えているけど1・3ってどんなカードだったっけ? >>46
メインが三沢川田とハンセンBブラック、あとジュニアバトルロイヤルと
馬場木村対小橋菊地だったかな >>45
ディートン関係ないが、
そのゲームで田上かゴディを使って相手をロープに振ってロープ際でカウンターのラリアットやるとなぜかギロチンホイップ食らったような吹っ飛び方になって可笑しかった 四天王もだが、それに付き合った常連外人たちも大変だっただろうな
海外ならアメリカンプロレスみたいなのやってるだけで十分な所なのに、全日の四天王時代だとハードな上に適応しないと常連としてやってけないし
確かクロファットがインタビューで、全日のリングは他の諸外国のリングと違ってスポーツ的な真剣さみたいなものがあって自分はそれも好きだしやりがいもあるが、
ついていけない外人はすぐ来日出来なくなる的な話してたような覚えが
ディートンは正直上手くはないレスラーだったから、一時だけアジア戦線やトップレスラーと当たる事はあっても荷が重かったというかすぐ戦線からフェードアウトしてファミリー軍団とかメインになったのもわかる
アジア戦線でもカンナムやジョニースミスとか技術ある選手は四天王相手でも上手くやれたがディートンじゃジョバー役でも上手くないしついていけないよなあ >>48
馬場、木村vs小橋、菊地なんてよくそんなカード組んだねw
>>50
スミス、ウルフ、ハインズ、イーグルあたりはちゃんと対応できていた印象があるけどスパイビー、エースは駄目だったな。
エースは個々の技が雑だしコスチュームとか試合中のアピールだけ頑張ってるだけ。
小橋のバックドロップ&エースクラッシャーの合体技もエースがちゃんと飛べば迫力あるのに、ただ手を相手の首に添えて倒れるだけだったしな。
後から来たオブライトにもあっさり抜かれちゃったしね。 落ちこぼれ外人の部類に入ると思うエースだけど「一回くらいはやらせてやろう」的に
組まれた武道館での三沢との三冠戦は奴のベストバウトかな 四天王4人でグルグル回すのが常態化してるころだったから一服の清涼剤、
とまでは言えなくとも箸休めくらいの役割は果たした試合だったと思う
客も結構びっちり入っていたし 週プロが「次の武道館、行くか迷ってる」そんな声が何人から聞かれた。と書いた武道館ね。エースが三沢に挑戦した時。
小橋、秋山vs高山、垣原目当てで行った人も多かったかな。 エースさんは本当猿芝居だったからなw
天龍みたいな声だしてしょっぱい試合よくやってたね エースのショートタイツのお尻についてるXサインマークはウサギちゃんパンツに見えた >>55
名前忘れたけど評論家に「猿回しみたいなプロレス」って揶揄されていたもんなあ。
GETなんて作ってみたけど小橋には無駄な期間でしかなかったな。パトリオットは1シリーズで裏切るしw
個人的にはエースよりはパトリの方がまだ良かったと思うけど。 そんな叩かれるほどエース嫌いじゃなかった俺は肩身が狭い・・・ エースはでかくてマスクいいから好きだったけど本人の勘違いぶりが酷かったなw エースにプロレスセンスがないのはビンスに森嶋を見せた時点でわかるw エースはスタナーとダイヤモンドカッターを産み出したってだけでプロレス史に名前を残した 間違ってたら失礼だけどエースって練習あまり好きなタイプじゃなさそうだ
胸、腕、お腹、身体がひどかった
新崎人生が参戦してたときにエースと対戦してて
「カモーン!ジーンセイ!」って言ってたのには笑った >>61
ダブルアームエースクラッシャーも後にペディグリーとして広まったしギロチンエースクラッシャーも後にWWEだったかのレスラーがフィニッシャーにしてた 四天王プロレスが極まってファンも目が肥えたよな。
三沢対ハンセンの回転エビ固めの決着にブーイングが飛んだときにこれは思ったわ。
ファンはどこまで過激なプロレスを求めてるんだと。 エース、致命的に耐久力が無いよな。
あの両手広げて、びろ〜んみたいにダウンしている姿が痛々しかった。
オレ的にはオブライトと同格ぐらいだと思う。
オブライトが全日参戦時に持ち前のスープレックスのインパクトでエースを抜いたが
オブライトが徐々に失速し始めてエースが抜き返したみたいな。
98年ぐらいだと、完全にエース>オブライトになっていたね。
エースは98年にチャンカーで手負いとはいえ田上に勝って川田とフルタイムドロー。
三沢との三冠戦もそこそこの内容だったし、その三沢をタッグでピンフォールを取る。
オブライトはその年の世界タッグで何故かキマラと組むという落ちぶれぶりと。 >>65
× オブライトはその年の世界タッグで何故かキマラと組むという落ちぶれぶりと。
○ オブライトはその年の最強タッグで何故かキマラと組むという落ちぶれぶりと。 >>57
GETって実質続いたの一年弱だよね
パトリ抜けたらただのコンビでしかなかったけど
TOPも一年くらいでウィリアムスもアメリカ行っちゃったしね >>33
それは男3人揃ってってのが恥ずかしいんだろ
Nwoのせいにすんなよ >>69
すまんそこは笑ってくれよ
せめてwをつけてくれよ…いきなりシュート仕掛けてくるなんてひどすぎる エースは元子の寵愛を受けてた、とよく言われてたがならば
塩なのにあの好待遇なのも納得
まあそれ以外にもリングの外での立ち回り〜三沢と渕が米国視察行った時に
現地でコーディネートしたり等〜も上手かったらしいけど >>64
それは感覚が麻痺しただけで目が肥えたわけではないな >>63
あとはインプラントDDTもエースじゃなかったっけ
これで試合が作れればなぁ…… >>74
顔もカッコいいしもったいなかったよね
リングネームよし、顔よし、パンツよし、
駄目なのは身体とプロレス頭と声だね パンティといえば昔友達が小橋のタイツをオムツと言ってたな… エースは小橋と組んでアジア争ってた時は負け試合のジョバー役だったのにね
まあ小橋がもうこの時点ですでに寝てくれない勝ちブックおじさんになってたから、負ける時は仕方なしにエースが寝るしかないんだけどw
でもこの頃からすでにエースを格上げしようという動きだけはかなり見えたな
中継なしの地方ノンタイトル戦でカンナムに連敗(ファーナスのフランケンとクロファットのタイガーでエースがピン負け)した後、
テレビで紹介される肝心なタイトル戦ではギロチンエースクラッシャー初披露でエースに勝たせたりとかね
タイトル陥落する時も負けて陥落じゃなくて怪我(故意のギミックかも?)で移動とかだったりね
90年春以降の格上げされた後の小橋が仲野とかディートンとか相手に負けブック飲むわけないだろうし
小橋もエースも両方格上げしたいとなるとアジアでこのコンビは続けるの難しいからアジア戦線は小橋の相手は菊池にしてエースとはすぐ一旦解消したのかもな 高木功はもし全日本に残ってたら田上の代わりに四天王になってただろうか 高木って、センスは合ったと思うけど
人柄についてはあまり語られないよね
ま、素行の悪さからして駄目だったろ 解散するってな
どうでもいいニュースをNHKで流すな! >>84
ジャニーズの嵐だろ。
それ
>>85も少し考えたら解るだろ。
高木功一人なのに解散しないから。 見た目高木ブーなのにリングネームは嵐(二代目)というギャップ 馬場は高木気に入ってたみたいだけど、
残ってても結局、田上小橋に抜かれてただろう
ね
まぁ田上も小橋も川田に引き上げて貰った部分が大きかったから、
高木のやる気次第だったかも知れんけどw >>87
そもそもあっちの嵐も解散じゃなくて活動停止 そう言えば今考えるとパトリオットの腕の怪我ってどうだったんだろう?
リングの上だけの怪我だったのかな?
小橋の膝、秋山の腰、三沢の首、本当にヤバいのはどれだろ パトリオットは薬物中毒の方がすざまじかったと聞いたが
一日に200錠以上の薬物摂取してたらしい、何リットル水が必要なんだろう ステロイドかな?
パトリオットさんはエースより全然面白かったなぁ。
フルネルソンバスター→大見得切るのがカッコ良かったよね! パワーボムで小橋からシングル勝ちしてたね
GET結成ちょい前くらい >>94
たしかペインキラーとか睡眠導入剤とかグリーニーとかそれらの中和剤とかのちゃんぽん >>96
95年7月の佐世保ね。動きは硬かったけどデカくて良かった。残念ながらエースよりも下の扱いだったけど。 猪木が96年ドームでベイダーとやった試合は四天王プロレスに対するメッセージだと思った。「こんな50過ぎた老体でもお前ら(四天王)のしてることなんてやろうと思えば出来る、だから凄くもなんともないんだぞ」的な。 テレビで観ていると新日本のリングの方が硬そうに見えたんだけど実際の所はどうなのかな?
全日本のリングのマットは触ったことあるが新日本はないわ。
当時の新日本ガチプロレスファンはそこを指摘していたぞw
新日本のリングは硬くて2,9プロレス合戦は無理とw >>102
長州のインタビューで「全日の方が柔らかい」って言ってた。
ジャパン道場のリングは新日タイプだったので練習時に衝撃で「頭がクラクラした」らしい。 プロレス観戦してたら
西永レフェリーに
お前らリングの解体手伝ってくれたら三沢選手、川田選手のサインあげるぞって声かけられて
リングの解体手伝ったことがある
マットの下の部分はどうなってたかわからないが
小学生の時にマット運動で使ったマットが
二段重ねで敷いてあったのは覚えてる
かなりボロボロのマットだったけど やはり新日本の方が硬いのか
俺も全日本のリング片付け手伝ったけど意外と柔らかかったな 誰が言ったか忘れたが
全日のマットは柔らかい分、走ったりしたときに新日のマットよりスタミナを消費するって言ってた記憶がある。 >>100
世の中にはへそ曲がりな人間ているから1人2人くらいはいるだろ。俺は思わないけど。 >>107
ってか、猪木ベイダー戦の
96年1.4ドームの時点でまだ四天王プロレスなんて言葉自体存在してない
紙面でも書かれるようになったのは
三沢ー小橋がベストバウトを2年連続で取った後ら辺からだと思うが >>106
谷津も全日のリングはあんこが柔らかくて足首に負担がかかり慣れるまで
かなりきつかったと言ってた >>109
いや、93〜94年から週プロやゴングで使われ始めましたよ。 遅くとも94年の時点で三沢達のことを四天王って呼んでた覚えがある
ただ概念としての四天王プロレスってものが言われ出したのはもう少し後かなと思う 四天王プロレスについて当時全日本に参戦していた外国人たちは何て言ってるのかな? >>113
横浜文化体育館だっけね
泣いてたね、小橋と菊地の手を取って >>114
たいてい「クレイジー」って言いそうじゃない? 93年5月の札幌2連戦2日目で四天王が外国人4強にシングルで全勝したのをきっかけに四天王と呼ばれ始めた記憶がある。
スパイビーはかなり落ち目だったけどw 93年のスーパーパワーシリーズが四天王自体の格上げシリーズで(まだ四天王呼びはなかったが)、
小橋がやや格落ち感あったけど、
次のサマーアクションシリーズ横浜サバイバルタッグで田上からピン、
年末の最強タッグで川田からピン取って、一気に横一線状態になった気がする。
確か最強タッグの時に若林アナが「鶴田さん!今この4人は最高です!!」とか言ってて、
その辺りから彼が四天王という認識が高まったのでは。
ただ、この流れ(特に小橋の格上げ)をもう少しなだらかにすれば、
四天王プロレスが早々にマンネリにならなかったようにも思う… 小橋は後年「札幌で自分がゴディを破ってから四天王と呼ばれるようになった」と言ってたな。
当時はゴディが川田田上小橋からピン取られて落ちていってる感じだった。
チャンカンで三沢に勝ったりはしてたけど。
馬場もゴディのプロレスラーとしての実力は高く買ってたから、これから失地回復するのかなと思ってたらゴディが体を壊してしまった。 >>119
たしか、ゴディは三冠に挑戦するシリーズに体調を崩して、フェードアウトしていったよね。
代わりに、ウィリアムスが、殺人バックドロップを解禁して、自分のポジションを確立した。 >>111
四天王と呼ばれるようになったのは93年からなのは知ってますよ
彼等の体現する過激な極限プロレスが四天王プロレスと呼ばれるようになったのは、
もっと後の話じゃないか?って事です 当時は四天王プロレスと並行して2.9プロレスというフレーズもよく見た記憶が >>119
93年のチャンカーで田上がゴディに勝ったのは驚いた。前の年の世界タッグでも勝っていたけどシングルで勝つのは別だからね。
後楽園でもなくテレビマッチでもなかったのが惜しい。 >>123
この年から、1リーグ総当たりになったからね。
四天王対決であっても、地方のノーテレビマッチってのも結構あった。
点数争いのポイントになるカードは、プロレスニュースで結果だけ伝えられた。 川田だけシングルでは勝ってないか
ゴディの体調でもう少し来日出来てればどっかでシングルで勝たせるつもりもあっただろうにね タイガードライバー91と川田の垂直落下式ブレーンバスターって91年に初披露してるんだよな。
危険技の応酬は既にこの頃からなされていたんだと。 全日本プロレスの試合でよくあった事
観客盛り上がり始めた→両選手ダウン→両選手まだダウン→観客からの声援が消えていく→→歓声がイマイチなままフィニッシュ
中堅どころの試合に多かった
メインイベントの試合の前にヒートアップするのを敢えて抑えてるのか、間の持たせ方が下手くそなのか
全日本独特の間があったよね >>126
そうだけどその頃は年に一回出すか出さないかって位だったろう
90年代半ばから投げ捨てジャーマン、デンジャラスバックドロップ、垂直落下ブレーンバスター
とエスカレートしていって
三沢―小橋戦がブランド化した頃から危険技の頻度が一気に上がっていった気がする エメラルドフロウジョン使いだして
危険極まりないタイガードライバー91を
あまり使わなくなったのにはホッとしたな。 馬場が常日頃解説で、ファーナスとクロファットにもう少し身長と体重があればねってよく言っていたな。
カンナムの二人に、もう少し身長と体重があれば、プッシュしてもらえていたのかな。 >>130
そういう事なんだろなw
体格があれば売り出してるというか、いい扱いしてやると 世界タッグに絡ませるくらいで
限界だったのか
ヘビーの路線だと >>130
逆にテンタは太りすぎを酷評されてたな
「ちょっと太りすぎた、というか、大きいことはいいことだなんて言いますけど大きすぎるのもちょっと」 実際そこまでいいレスラーでもなかっただろクロファットもファーナスも ファーナスのパワーとバネ
クロファットのテクニックや試合運び
決して悪くはないと思うけどな。
まぁ、体が大きいから三冠に絡むほどプッシュされるかはわからないけれど
世界タッグ戦線に絡んでくれるだけでも、あの頃のマンネリ打破にはなっただろうし
三冠戦線は、パトリオットやエースがもう一皮剥けていればね。
パトリオットなんかは、初来日のときのインパクトとプッシュはかなりあったのに…
あの年の最強タッグは、小橋と組んで出ても面白かったかもね。
※パトリオットは以前に素顔で来日している。 パトリは大味すぎるのがなあ
カンナムが優れてるのはわかるけど
ただファーナスはタッグじゃないと塩分濃いめ ファーナスは強弱硬軟使い分けられるクロファットがいてこそ、のとこがある
一度違う選手と組んで最強タッグ出てたけど空気だった パトリもタッグ屋ってイメージだったなぁ
シングルだとエースと武道館だったかでシングルやってた印象しかない 後楽園でよくパトリの試合の時だけ星条旗振り回してる奴をみかけたが
あれは熱烈なファンだったのかな、いつもサイン入りTシャツも着用してたような 居たかな?よくみてるなw
後楽園といえばほとんど毎シーズン観に来ている老夫婦がいたよね??
いつもニコニコしながら観戦してた
いつもTVに写るとこに座ってたな。
99年頃だったか、全く来なくなったような気がする
どちらか体調を悪くしたんだろうか >>141
わかる
にこやかな夫妻
リングの左前くらいに座ってた
たまに真ん中に上島竜兵いたね >>138
クロファット、ジュニア選手にはキッツイ攻めするときあるよね
浅子の顔面にけり叩き込みまくって
顔面血だらけみたいな後楽園大会あったなあ >>143
菊地にも縦回転のニールキックを顎に当てて記憶飛ばしてた >>141
たまに孫か娘のお姉ちゃんもいてたな
あと右のほうにカンナムをいつも応援してる帽子の姉ちゃんもよくいてた >>143
口の中から血を流す浅子を見て
実況『浅子流血!!口の中を切っています!!』
馬場『いや、鼻血でしょう。』 >>144
わかる
棒立ちの菊地に思いっきり
バキッって音がなるニールキック >>145
上島竜兵いたんだよ
後楽園ホールのテレビ映る席のど真ん中に
けっこうな頻度で クロファットは浅子に開脚式のタイガードライバー91という鬼畜技を決めたり菊地にプロレス的なグーパンチじゃなくてモロのストレートで殴ったりとたまにヤバイ事を何気にやっちゃうイメージ
好きだったけど 91とはちょっと違うけど
急角度タイガードライバーもエグかったよね >>139
パトリオットとイーグルの実力差が大きいのがな…
殺人魚雷やカンナムは、コンビ内格差は小さかったからな。 >>142
>>146
定年後、夫婦でプロレス観戦なんて幸せな生活送ってるよな
武道館によく出没してた熱狂的な小橋のファンの男性客もいたな
札幌に居たこともあったわ
行け行け行け行け行け行け小橋ーっ!!!!ってw >>150
パンチは小川にやったんじゃなかった?
何にせよかなりあの頃の全日に合ってたレスラーだったな
膝悪くしてボディプレスがセントーンに変わったのが残念だったわ 雪崩式リバースブレーンバスター
をフィニッシュにしてた時もあったね CCで秋山から、ピンを取ったのも、雪崩式リバースDDT(雪崩式リバースブレインバスター)だったね。 後楽園の三沢、小橋戦は良い試合だった
ドラゴンスープレックス
タイガースープレックス
の共演で負けちゃったけど
観客も沸いてたね >>159
あれは勝たしてあげたらかなり盛り上がっただろうな カンナムで盛り上がってんな。
95年7月の博多でエース&パトリに勝って世界タッグ挑戦権を獲得したのに、4ヶ月半後の最強タッグ大阪では秋山&大森のアジアタッグ王者組にも破れるという物凄い急下降ぶりだったな。 カンナムはアジアタッグ戦線だと強すぎるけど、世界タッグだと役不足なんだよなあ。おっと間違えた、力不足なんだよなあ。
現代だったらタマトンガ&タンガ・ロアみたいなタッグ屋として使い道があったかも。 馬場に世界タッグ取らせるとの約束を反故にされたからファーナスが切れて離脱は本当なんだろうか カンナムは今で言うとケニーくらいの大きさなのだろうか?
当時の全日の選手層からして、いくら試合巧者でも
見た目の大きさ的に説得力がなかったなー。 たしかにちょっと背が小さかったね
落ちてきたとは言えハンセンとかウイリアムスの大型選手いたからね ファーナスはドロップキックはいいけどそれだけだったな。
最近で言うとストロングマンとかボディガーみたいにボディービルダーがプロレスやってるという感じ。 >>166
フランケンシュタイナーも良かったよね。 他団体でカンナムと同じような境遇のタッグチームって、NOAHのモデスト・モーガンくらいかな?
スコーピオ・ウィリアムスはタッグのタイトル取ったし。 ファーナスは大車輪ジャーマン開発してからはほとんどテレビに映らなかったのが勿体ない ゴディがなあ
もう少し節制して残ってくれてればなあ
四天王がどういう流れに変わっていたか
それを言ったら鶴田の肝炎もなかったらと思うけど
45歳まで一線でやると言ってたのが実現出来てれば ゴディの欠場から流れが変わったってのはあったね。
ファーナスの大車輪ジャーマン、確か初めて見せたのは武道館の6人タッグでジョンノードに見舞ったやつだったような気がする。
その時はまだフィニッシュになってなかったからノードはケロっとしてたね。 そりゃそうだ、うつ伏せ状態で落ちるんだからw ジョニーガン、トミードリーマー、アルぺレス、バリーフォロウィッツ、ここら辺を
根気良く使って育ててほしかった、ジョニーエースくらいにはなったと思う >>172
94チャンカーの名古屋でカンナムvsノード&イーグルか誰かで、ファーナスの投げっぱなしジャーマンでノードが負けたような気がする。 トミードリーマーってこの後ECWの看板になったんだっけ? >>173
ジョニーガンはパトリオットになったんだよな カンナムとサブゥー、バンダムの抗争があったのもECWだっけか? >>177
そうだよ
イリミネーターズとダッドリーズとも手が合いそうだったけど激突は無し
イリミネーターズは殺人魚雷にフォール勝ちしてる ロブバンダム懐かしいな
そういえばカクタスジャックも初来日は全日だったよね。
案外アメリカでスターになるレスラーの初来日は全日が多い印象がある。 バンタムといえば
ハイハイハイ
と小橋のラリアットを受けたときの一回転のイメージしかない。 >>178
トータルイルミネーションだったかな?イリミネーターズの決め技。 >>180
武道館でクロファットのジュニアに挑戦してなかなかの試合したのに…
オレは、テレビ観戦だったから金○のへたくそ実況で萎えたが、現地は相当盛り上がったと思うぞ。 >>179
たしか、シャムロックも全日が初来日じゃなかったっけ? >>183
UFCに出てたときと同じリングネームのケン・シャムロックで出てた。 >>182
個人的には好きなレスラーだったから急に来日しなくなったから、どうしたのかな?って思ってたわ。
いいレスラーだったけどね。
>>183
たしかそうのはず。
あとハンセンも名を上げたのは新日だけど、初来日は全日だよね。
あと四天王時代に印象に残ってる外国人は
ブラックハーツ
ブライアンコステロ
ビックジョンノード
バリーフォロウィッツ
アルペレス
かな。
たしかプロレスニュースで。
ペレスとフォロウィッツの見分け方を紹介してたようなw 忘れじのレンジャーロス、マークスカルパ、ジャイブトーンズ
ここらは2回3回と呼んでほしかった 全日びいきのオレはカンナムとスタイナーブラザーズと同等だ!と言っていた >>189
全日ファンの多くが当時妄想したであろう夢のカード 馬場は何を評価してヘッドハンターズを世界最強タッグに呼んだのか >>189
カンナムが在籍していた頃の馬場全日本は、外国人はスーパーヘビー級天国だったからな。
カンナムの実力なら他団体や元子以降の全日本プロレスならば、タッグチャンピオンのチャンスもあったかも。
少なくとも、オズ&クエルボなんかよりは実力あっただろうし… カンナムが全日やめて当時のWWFやECWに行った後、ジョニースミスですら簡単に世界タッグ取れちゃうような状態になるとはねえ…
ほんの数年違うだけで馬場が死んだり大量離脱だったりあんな色々と激変があるとはな
しかしアメリカに戻ってた時、割と意外なカードも存在してるんだよな
カンナムがあっちでDBスミスとかと組んでベイダーとかとも肌合わせた事があったとか知らんかったわ
(確か4vs4のやつで最終結果はベイダー組の負けだったはず) >>185
濃い方がペレス
あっさり味がフォロウィッツ >>188
同じシリーズに初来日した、ノード、ガン、コステロに対して、テレビ解説をした百田のコメント
ノード→体格がいいから、化ける可能性はある。
ガン→正統派のスタイルで売っているから、いいところが伝わりにくい。
コステロ→色んなことができる体型。 ハヤブサ・人生vsカンナムエキスプレス
ノーフィアーvs仮面愛国コンビ
ハヤブサ・人生vs仮面愛国コンビ
ノーフィアーvsカンナムエキスプレス
ハヤブサ・人生vsブッチャー・キマラ
ノーフィアーvsブッチャー・キマラ
ハヤブサ・人生vsファンタスティックス
微妙に時代が合わなくて実現しなかったカード ビッグジョンノードとヘラクレスヘルナンデス
が似ていたな サニー・ビーチはネタ外国人としての地位を確立して、愛され感があるが、ブライアン・コステロには、それすらないからな。 >>181
トータルイリミネーションね
ゴディから2回ピン取ってる
サタンはなんでもできるしクローナスは巨体で450できるしカンナムの上位互換て感じ ハヤブサのベストパートナーは人生なのか?
実際のプライベートの関係はどうなんだろね? 初来日した時のカクタスジャックはチャンカンで全敗してっただけのジョバーだったのに、その後あんな格上がるなんて想像もしてなかったなあ
その時一緒にチャンカン全敗しに来たテキサスターミネーターホスはそのまま失敗外人として消えちゃったけどw リーグ戦全敗といえばマスターブラスター
その後エースの弟と組んでwcwでちょこっと売れた? カンナム好きだったなぁ。
ファーナスの激似の弟がデビューした記事を見たときは
クロファットとファーナス兄弟でのトリオを期待したのに。 >>205
川田に41秒で敗れた“デビット・アイズリー”を忘れるな!! >>205
鶴田vsマスター・ブラスター
は、金子アナの実況デビューの試合(本人がプロレスニュースでコメント)
フィニッシュはスリーパーだった。 >>205
レッキングクルーか
全日に再来日してるね 当時最初にレッキングクルーって名前聞いた時、ファミコンゲームのレッキングクルーを思い出してしまった人は多そうだ
ゲームのレッキングクルーの方も、マリオが出るゲームだった割にそんなヒットしなかったゲームのイメージだったせいで、
このレスラーもあまりパッとせず消えそうな名前だなあって思ってしまった思い出 >>193
スミスは2000年1月にも世界タッグに挑戦しているけど、ノア勢の離脱が無かったら不憫な扱いが続いた気がする。
スミスとかディートンとかタッグマッチで寝てくれる外国人はマッチメイカーにとって使い勝手がいいだろうね。 ベイダーとの世界タッグ挑戦の寸前にベイダーが試合中にスミスにラリアットかまして
ウィリアムスと電撃合体したんだよな
当日は「何も問題はない」とかベイダーが言ってたが
まぁなんと噛ませの扱いをされてるんだスミスはと思ったわ 俺はスミス大好きだったぞ!
エースなんかより全然良いプロレスラーだと思う
もう少し身長あればプッシュしてもらえたのかな? ジョニースミスは東京ドームで逆上がり失敗した印象が強いわ スミスは武道館でいつもどうでもいい6人タッグとかに
適当に混ぜられてたって感じだったな
それを不憫に思ってるファンは多かったようでコール時の
声援は6人の中でいつも一番大きかった ジョニースミスは「いい選手」なのは間違いないけど、客を呼べるタイプではないというか、キャラクター的にもスマートすぎて観客を引き込むようなある種のいびつさがない。 >>213
熊本の世界タッグ戦の一つ前の興行の福岡国際センターのことか?
ベイダー&スミスvsウイリアムス&ハインズで、ウイリアムスがハインズにバックドロップ見舞ったやつ。
ベイダーとスミスの間には何もなかった。 >>218
それなんだよな
プロレスそのものは塩なエースなんかより遥かに上手いのだが、イマイチ華がないというか地味系なのがね
だからDBスミスと決裂した後のキッド組の寝要員パートナーとしては都合良くて適役だった
ビリーブラックとかも似たようなポジだったけどパートナーがディートンだったからアジアでも一発屋レベルで萎んじゃったが、
スミスの場合はキッドが退いた後も使い勝手の良さもあって地味に試合に出続けたのがその後につながった感
スミスでもトップ層にしなきゃならないほどの状態に激変してしまったんだよね時代が あんなしょっぱいエースより下の扱いだったスミスが世界タッグ獲った時は「やっと報われたか」と思ったよ。 エースでも努力しているなら「下手なりに努力はしている」と思ったはず。
ただ、それが全く感じられなかった。コスチュームを派手にしたり試合中に客へのアピールばかりそういうのばかり頑張って、技の精度は酷いままだった。それがスミスとの決定的な違い。
スミスはあんな不憫な扱いばかりされていたのに腐らなかった。普通の人間なら心が折れてやる気を無くすと思う。98年なんか最強タッグにも出られなかったのにその後もよく腐らなかった。 >>222
最後の2年間くらいのエースは、だいぶ良くなったと思うが。 スミスっていまカルガリーあたりで警官をやってると聞いたけど
いい意味で融通が利かない堅いお巡りさんになってそう >>223
週プロの記者には「アピールが多すぎる」と言われ何処かのライターには「猿回しみたいなプロレス」と酷評されていたよ。
仙台で世界タッグ獲った時と最強タッグの広島で三沢からフォール勝ちした時の二回だけだね。
瞬間的に輝くけど基本的に持続しない。 スミスのようやくのブレイクは武道館で人生と組んで秋山&馳とやった時かな
あれはカルガリー同期の馳のアシストも大きかったが >>226
馳が武道館の前に「武道館ではスミスの良さを引き出す」と言っていたような気がする。
あれはスミスのキッカケになった試合だね。 >>228
そして年末の最強タッグでは三沢組とフルタイム
翌年にはアジアタッグ戴冠 ケンドール・ウィンダムのフィニッシングブローってなんだっけ? >>229
白鵬がいろいろ細工できること教えてくれたもんな >>232
92最強タッグでドリー&菊地組に勝った時はブルドッキングヘッドロックだった気がする。 >>229
昔、何かのスレでダチョウの上島が「痛さは感じないんだけど、脳にグラッときた」と言ってたらしいね。
確かにエルボー食らったレスラーのリアクションを見ると、「痛い」というよりは脳にグラッときて
それに負けまいという感じが多かったね。 三沢の裏拳みたいなバックスピンエルボー痛そう
川田とオブライトに食らわしたやつ 四天王がシリーズ初参戦(チャンピオンカーニバルやドームなどのスポット参戦除く)で、シングル対戦した外国人。
オブライト→vs川田
ブーバー→vs田上
グラジエーター→小橋
ガン→三沢
※パトリオットは、初参戦シリーズで四天王になる前の小橋と対戦。
ベイダーは、参戦2シリーズ目で小橋と対戦。
サモアジョーは、ノア初参戦の武道館で三沢と対戦。 ブーバーって80年代に来ていた時って誰とやったっけ? >>237
ジョニーガンね。三沢に「もう来ないんじゃない」と酷評されていたなあ。 >>237
スマザースも入れてほしかったな。
全日初登場のシリーズの豊橋で川田にボコボコにされてテレビ収録なのにお蔵入りになったシングルマッチ。 >>236
小橋のローリング袈裟切りチョップは
この逆回転エルボーをヒントに使い出したんだそうな >>241
スマザースとスリンガーのタッグもなかなかよかった、もう一回組ませてみたかった
リーグ戦で白星配給係だったのはしょうがないか 若林がスサマーズとずっと言い間違えてたのが気になって仕方なかったわ >>233
三沢だけ異常に威力あるからそう勘繰ってしまう。
何かあるんじゃないかと。 120ぱーせんとエルボーとは
よく聞いたが食らったの
川田とオブライトだけなんじゃないだろうか 実際頭から落とすのは90年代から始まってたんだよな
明確にやばいのは鶴田ー三沢もあったけど
六人タッグの静岡大会の
ウイリアムスの小橋にやったやつから
伝説の豊橋の三連発
川田の垂直落下ブレーンバスター
三沢のタイガードライバー91とかあったけどさ ゴディの花道パワーボム。
田上の場外マットをはずしてのアームボンバー。
この辺りから、過激さが加速してきたような気がする。 三沢が制裁目的で川田に投げっぱなしジャーマン連発してから歯止めが効かなくなってきてたな
91解禁も川田憎しだし 94・スーパーパワーシリーズ
札幌で40分に渡る、四天王の世界タッグ。
武道館で30分超えの三沢vs川田の三冠戦(>>251のヤツ)
この当たりで、試合の長時間化と過激さが増してきたような気がする。
次のサマーアクションシリーズの世界タッグや三冠戦は、30分以内の決着だったので、四天王のタッグ対決と三沢vs川田のブランド価値を上げるための処置かと思ったが
小橋vsウィリアムスの三冠戦が40分超え。
川田vsウィリアムスも30分超え。
年が明けてからは、川田vs小橋の三冠戦が、60分フルタイムドロー。
当然の如く、四天王の世界タッグもフルタイムドロー。
その後、ハンセンの三冠奪取から、30分以内の決着に戻りつつあったが、小橋が絡む三冠戦は、35分超え→40分超えは当たり前になり。
タイガードライバー91、タイガースープレックス85等も返し始め、技のインフレを加速させてしまった。 三沢と田上のシングルは安定して短かった
20分以内に終わることが多く20分ちょっとでも長いぐらいだった 田上は練習してないからぶよぶよだったな
田上には脳天を落とす技は誰もできなかった ウイリアムスの殺人バックドロップ食らって足の爪先を負傷
ハンセンの腕をハンマーロックした際にハンセンの顔面とバッティングして目を負傷
危険技では滅多に怪我しないのに、不思議なところで怪我する田上さん >>255
タイガードライバー91の最初の犠牲者だろ 91年辺りの最強タッグでハンセンスパイビーから強烈な合体バックドロップを喰らってたような 小橋のバックブリカーからの頭から落とす技あれ
あんなもん普通に死ぬわな >>258
突き刺さってバウンドした感じ
あれやばい >>252
結局、次のシリーズで川田が三沢に報復の投げっぱなしジャーマンやら垂直落下バックドロップ出し始めて、ウイリアムスや小橋が触発されて、田上は奈落式を発案
客は入るから馬場さんも解説で絶賛するしかなくなってたなぁ
ノア旗揚げの時に秋山がフロントネックロックで一石投じたけど、三沢VS小橋の奈落タイガースープレックスで、また垂直落下路線に行くしかなくなったんだよね ライトニングがnwoスティングでメジャー二団体あまりラグがなく上がったんだな >>262
川田の報復投げ捨てジャーマンは一番ヤバかったな
いきなり背後に回って不意打ちに近かったのもあるけど
三沢の首の負傷の発端はあれかと思う >>264
当時の東スポ、週プロ、ゴングでは投げっぱなしジャーマン解禁には結構否定的だったのが印象的 アタル版マッスルスパークの上の人がいないバージョンみたいな落ち方してたわ 秋山が川田のバックドロップくらって首じゃなく胸を押さえて苦しんでるのを見た時ゾッとしたわ 垂直落下、大技連発、カウント2.9乱発。殺人プロレスを当時は勃起射精しながら
大喜びして支持してたクセに、今になってどうして批判するの?
当時だって秋山が四天王プロレス批判して、自分にはできないし、やるつもりもない
四天王プロレスは、一代限りで終わるプロレスと言って、ノワで新路線をやろうとしたが
客は支持せず、ただただ垂直落下殺人を求めてたクセに。結局、豚蛙が紫になって
糞尿垂れ流死して、わーわー言って、今更何言ってんの? 田上は体が柔らかいから新技の実験にはいいと三沢が言ってた気がする。 三沢はノア旗揚げの時にはすでに体中ボロボロで「ノアのエースは小橋と秋山」って旗揚げ会見で宣言
でも実際はテレビもスポンサーも地方興行権買うタニマチも三沢抜きを認めてくれなくて、社長、トップ、エースのフル回転になってしまった
無理矢理、丸藤とKENTAの武道館メイン持ち上げたりしてたけど、周りが本当に求めるのは三沢っていうパラドックスにハマってたな 馬場はそういうところどうしてたんだろう
「馬場さん、またベルト取っちゃいましょうよ」とか唆すタニマチもいただろうにどうやって一線から引けたのか 小橋がチャンピオンのときは、三沢はタッグ戦線中心に活動してただろ。
防衛戦の相手も、池田&ヨネとか、モデスト&モーガンとか、そんなにキツくない相手が多かったし
天龍や冬木などの外敵相手の試合で、ドリーム感出したり
小橋や秋山に任せていた感はあったんだけどね。
ただ、小橋や秋山が欠場したりすると、自分がチャンピオンになって回さざるを得なかったのかな? >>226
馳のジャイアントスイングで拝みポーズしながら回されてる人生をスミスがコーナーで見てて、笑いながらタマのポジション直してた試合かw >>271
旗揚げして半年しない内に小橋が長期欠場だったからな
欠場しなくとも初代GHC王者は三沢で変わりはなかったろうけど、
三沢から小橋へバトンタッチするタイミングが遅かったかもね
これは今言ってもしょうがないことだけど >>275
ノア旗揚げの時は、小橋、秋山、大森、高山、田上、ベイダーがいて志賀、力皇、森嶋も控えてたから三沢は最前線から退きたかったんだと思う
だけど小橋の長期欠場、高山、大森、ベイダー離脱、志賀の怪我、力皇森嶋のシングルプレイヤーとしての伸び悩みで自分が矢面に立つしかなくなった
丸藤チャンピオン時代もうまくいかなくて自分がボロボロの体で7防衛とかしなきゃならなくなったし
あとは完全にタラレバだけど潮崎があと3年早ければ >>269「大喜びして支持してた」
少なくとも俺は違う。スタントマンプロレスで喜ぶクチではなかった。他に書き込んでいる奴らだって同じじゃないの? >>256
チャンピオンカーニバルの福井かどこかでウルフと戦って脚を負傷した時もそれに該当するね。 三沢がリング禍で散る前のノアの地方巡業を数回見たけどもう第4試合くらいで
天狗のお面装着して楽しそうにやってたわ、んで試合後は休憩売店でサイン会
もう少し早くこのポジションに落ち着くことができていれば、と思う >>276
志賀は怪我していなくても大成しなかっただろうなw >>276
外人もベイダー以降はね
バイソンは今一つだったし、グラジが定着してくれてたら面白かったかも知れないけど
日本人のヘビーは彰俊も杉浦も佐野もヨネも池田も頑張ってたとは思うけど、トップには据えられなかった 年老いたリックスタイナーが参戦してたこともあったなノア
どういう縁だったんだろう >>253
三沢vs田上は、
超世代軍vs鶴田軍の匂いがして好きだったんだけどね。
※個人の見解 馬場って小さい奴嫌いなんだろ。四天王キチガイプロレスのこと評価してたの?
一番悪いのは当時のプヲタだけどな >>284
解説で小川良成を絶賛しといて普段は口も聞かなかったらしいしな
三沢が金丸入れた時も文句言ったらしいし
ただ、超世代〜四天王時代は自分や鶴田がエースの時より儲かってたから評価はしてた 2000年以降も旧全日が続いてたら、四天王は一線退いて秋山高山大森モスマンの時代になったのかな? >>286
小橋、秋山、大森、高山じゃね?
小橋、秋山は三沢、川田(小橋)みたいに、離ればなれになりそうだが、ノーフィアーは川田&田上みたいに長く組んでいそうだが。 三沢の死因は天狗の呪いだよ
橋の天狗のお面かぶるのは大丈夫だが
あれで橋のアナル攻めしたのが駄目だった
天狗の怒りを買ったよ ジャイアント馬場
→王者の魂
小橋建太
→焼いて魂 買って読んだけど、めちゃくちゃ面白かった。
察するに、93サマーアクションS最終戦で、三沢が川田に投げ捨てジャーマン3連発を敢行。
翌サマーアクションSII開幕後楽園で、川田が三沢に報復ジャーマン。
ここから「そんだけやるなら俺もするよ」とエスカレートした、
いわゆる四天王プロレスの末期を暗示していたのではないでしょうか。 >>292
サマーアクションシリーズ2は
ウィリアムスがデンジャラスバックトロップ解禁してシングルで小橋に恐怖の三連発やった時だね
ブレーンバスターも垂直気味になったり
あの辺りからだんだんエスカレートしていったのは確か >>292
面白かったけどプロレス記者の文章力の限界を感じてしまう
柳澤健とか作家と比べるとちょっときついな >>294
伝説の“バックドロップドライバー”だな。 >>282
確かにどういう経緯で出たんだろうね?、三沢とかトップとの絡みはなかった様な記憶がある。
上手く使えば面白かったのにもったいない。 >>141
90年代の武道館で最前列に座っていた
おばあちゃんと松永アナ似の男性もいつも気になってた >>299
ダイナマイト・キッドの二代目パートナー
パトリオットの来日当初のパートナー
便利屋、ジョバー
ベイダーのパートナー
分裂後世界タッグ王者に
書いてみたら、波乱万丈だな。
ジョニー・スミス >>299
さすが三冠チャンピオン
観ている所が違うw >>297
ノアとWLWとかいうアメリカの団体が当時提携を結んでたが
そこのトレーナーだか講師をリックスタイナーがやってたはず
その縁じゃないかな >>300
そんなに弱そうに見える体型でもないのに、いつも強い外国人と組んで負ける役ばっかりで、実はかなりのテクニシャン。
あんな酷い扱いされ続けたのによく何年も全日にいてくれたと思う。 キッドの引退後に、初来日のパトリオットと組んでいた頃のスミスも好きだった。
星条旗マスクとユニオンジャックタイツで英米連合として売り出してもよかった気がする。
実際に仙台で行われた、三沢・川田vsパトリオット・スミスは20分近くに渡る好勝負だったし
残念なのは、小橋・菊地がカンナムから、アジアタッグを奪取した試合の次の試合だったから、印象が薄い。更に、次の試合で鶴田がピンフォール取られたから、なお記憶に残らなかった。
ただ、三沢組とパトリオット組の試合は、テレビで放送されたし、実況の福沢はアメリカ・イギリス連合軍みたいな括り方をしていたし、解説の渕も好勝負って言ってた。
まぁ、次期シリーズには、パトリオットは参戦したが、スミスは不参加。
暫定的に小橋・パトリオット組が結成され、年末にはパトリオット・イーグル組が誕生。
全日はパトリオットをどのようにして、売り出したかったのかもわからない。
ちなみに、パトリオットって、何て叫んでたんだ?『イッタ』『イッツァ』『エッタ』どれなんだ? パトリはタッパあるのに93年はアジアタッグ戦線にいたよな。
小橋のライバル的にもっといい扱いしてあげるべきだったと思う。
ハンセン、デビアス、ウイリアムス、ブーバー、彼らと同等の扱いでも良かったと思う。パトリは素材が凄く良かったような印象。 パトリオットは、素材はいいかもしれないが、ハンセン、ウィリアムス、ファーナスと同じでしっかりとコントロールしてくれる相方がいればなお光ったんじゃないかな?
ハンセンには、ゴディやデビアス。ウィリアムスには、ゴディ。ファーナスには、クロファットがいた。
そういう部分からも、全日デビュー当時のスミスとのコンビは継続して欲しかった。
来日2シリーズ目は、殺人魚雷が不参加でハンセンと抗争したけどもパートナーがサニー・ビーチだったからな。
そのつぎのシリーズも小橋と組まないときは、ジャッキー・フルトンと組んでいたし。
まぁ、フルトンもマスク被って… >>306
それはけっこう納得するな。スミスはウルフ、ベイダー、ケア誰と組んでもちゃんと仕事するよね。
人生の全日初登場のパートナースミスだったし、フロントに信頼されているんだろうな。 カンナムのときにも書いたが、スミスにもう少し身長と体重があればな。 馬場が解説で「こんなことやっていたら死んじゃう」みたいなことを吐露しちゃった時は
大げさだなあなんて思っていたけれど、本当にリング禍が起こって戦慄した。
それ以来プロレス見なくなった。 >>312
わかってるのにビジネス的に儲かってたからオーナーとして
諌めもせず、たらせてた馬場が一番の戦慄。そしてそれを見て
狂喜乱舞してた四天王ヲタがまさにキチガイ 四天王というか田上を除いた3人という気がする。三沢vs川田、三沢vs小橋、川田vs小橋。
彼らはギブアップで決まるのを嫌がったよね。
結果的に91年9月の世界タッグで三沢が鶴田からギブアップで勝ったのが際立っているけど、四天王の中ではギブアップ負けはかっこ悪いからそういうフィニッシュを嫌がったのかな。
それとも単にレフェリーが3カウント叩いて終わる方が盛り上がるとでも考えたのか。 三沢のタイガードライバー91よりもフェイスロック。
川田のパワーボム、デンジャラスバックドロップ、垂直ブレンよりもストレッチプラム。
そういう締め技をフィニッシュにしていれば肉体的ダメージを蓄積することも無かったと思う。
ファンの感覚もおかしかった。ああいうのがスゲーって感覚。
武道館の丸藤vsKENTAを観たファンが「ファンも覚悟して観ろ」なんて言っていたけどそういうクチが四天王全盛期に多かったと思う。
三沢、川田、小橋がやっていたことはある意味、殺し合いだった。 >>315
フェイスロックって鶴田からギブアップして以降は
出す度に会場が盛り上がってたんだけど
徐々にただの繋ぎ技に移行していったせいで
末期は全く会場で盛り上がる事が無くなってしまったな
現役晩年なんて使用すらしなくなったんじゃないのかな? まあフェイスロックで落ちるなんてないんだから三沢の美意識で使いたくなかったのかもしれん
しかしよく鶴田がフェイスロックでギブアップなんて飲んだなあと 三沢のフェイスロック、92年ぐらいまでは沸いてたけど
三冠王者時代は完全な繋ぎ技になってたな、レパートリーの一つみたいな感じで
四天王時代はギブアップ決着とクイック決着が極端に少ないよな >>317
他にリバースフルネルソン何ちゃらって絞め技も一時期使う様になったけど これも長続きしなかったな
川田のストレッチプラムは左右に絞るあの動作と
川田の渾身の表情が相まって非常に見映えの良い技だった >>317
鶴田がギブアップを呑んだ件は同感。よく呑んだなと。
四天王プロレスは丸め込みとサブミッションで決まる意外性が無いからつまらなかった。
新日だって棚橋vs中邑で棚橋が丸め込みで勝った試合があったような。
四天王は頭が堅いんだよね。レフェリーが3カウント叩くのと観客がカウント合唱して終わるのが盛り上がるという認識だったのかな。
秋山が入って5強になってからは変化が出てきたけど。 >>315
スゲーって感覚と
プロレスラーはやはり頑丈なんだと思ってただけ。
ウォリアーズのダブルインパクトも
ツームストンパイルドライバーも危険。
四天王プロレスを危険だなんてファンは思っちゃいなかった。
さすがプロレスラーと思ってた。 >>319
93年10月の武道館で川田がストレッチプラムで捻って絞ってからのフォールで小橋に勝ったことがあったけど試合内容は凄く良かった。
そういう決まり手をもっとやれば選手寿命を縮めることも無かったと思う。バックドロップで頭から落とすのなんて酷いことするなあって思ったよ。 ストレッチプラムってウンコ座りにさせて上下に振るスタイルから
尻餅つかせて左右に捻るスタイルに途中から変わったよね >>315
いや、敢えて絞め技による決着ではなくピンフォールに拘った事で
ギブアップをしない強靭なレスラーだという演出にもなったと思う。
これはこれで正解。 >>320
フォール負けが嫌なのでギブアップ決着になったらしい
川田はストレッチプラムで揺さぶってからのフォールはたまにやってたね
三沢、小橋と比べると川田はひとつひとつの技を大切にしてたよ 鶴田のバックドロップも垂直落下系だけど、安心感がある。安定してるというか。
四天王時代の垂直落下は「うわっ」って目を背けてしまう危なっかしさがある。
森嶋と鶴田のバックドロップの違いも然りで。
技を出す側がちゃんとコントロールしてるか、受ける側の受け身に依存してるかの違いというか。 >>325タイガードライバー1つとっても
三沢よりクロファットの方が大切に使っていたな。 >>327
クロファットは全日全ての中でもトップクラスに上手いよな
渕と川田と三沢のいいとこ取りって感じ >>326
こう言っちゃなんだが菊池相手のバックドロップはやり過ぎとしか感じなかったなあ >>329
両者の差を考えるとフライングボディシザースで3カウント位が妥当だけど
鶴田の元付き人への愛情表現でしょう、「お前も対戦相手として三沢とかと
同等に扱ってあげる」というような感じの >>330
後半3行は目から鱗のような解釈だわ。今までそんなこと考えたこともなかった。 >>330
今までは、鶴田が自分の強さを誇示っていうか来た客に「俺のバックドロップを見せて満足させて帰らせてやる」くらいに思っていたけど、そうでもなかったのかね。 菊地が一番輝いてたのはやはり超世代軍対鶴田軍の6人タッグでこれでもか、と
拷問系の技を受けまくってた時だったと思う
鶴田の「三沢川田小橋だけじゃなく菊地も光らせてやりたい」という思いやりが
えげつないボディスラム、コブラ、キッチンシンクetcになったのだと解釈したいな あの頃の鶴田の叩き潰す様なスタイルは今までに無かったし菊地相手だろうがガンガンいってたのは気持ちよかったわ
あとはハンセン、クロファットも菊地には厳しかったな >>333
引退セレモニーの時に「全日本プロレスには良い選手がたくさんいます!三沢、川田、小橋、田上、秋山…菊地もいます!」と言ってた位だからレスラーとして買ってたんだろうね 菊地は鶴田と川田に壊されたと思う
あの二人の攻めはえげつな過ぎた メガネスーパーの件が無ければ
菊地が鶴田と頻繁にあたる事は無かっただろうな メガネスーパーで大量離脱がなければ馬場さんが鶴田の次にエースにしようとしてたのは田上だからな 実際、Sがなければ
鶴田は冬木と組む流れになってて
天龍と高木の抗争が本格化して
んでどうなってたんだろ?
直前はこんな流れだったよね >>337
田上ものほほんとしてエグかったからな。
本部席へのアトミックホイップでテーブルクラッシュ!
菊地のタイツが破れたし。
たしか、秋山もやられたんだよな。 菊地は
超世代軍
聖鬼軍
その間に一瞬ジュニア王座に輝いて
そっから
悪役商会で
頭突きの音で観客笑わせるキャラになってた辺りもうドランカー的な症状出てたのかなーって思うなあ 菊地は本部席に寝かされてからのキッドのヘッドバッドもきつかっただろうな 何度か富谷にある焼肉屋
仙台で試合出るときに見に行ったけど
もう歩くときは常に膝も曲がっておじいさんみたいな歩き方だし
ろれつも回ってないし
店員としての雰囲気も
現役レスラーとしての雰囲気も悲しかった
悲しかったし心配になった >>341
エプロンからの奈落技は田上のノド輪落としが元祖だっけ?
三沢のエプロンからのタイガードライバーや
花道からのタイガースープレックスも
危険すぎてやばかったわ >>345
死んでしまうー!
って実況されてたからな。 田上のエプロンからの喉輪落としが使われ始めた頃のインパクトはすごかった。
場外の喉輪落とし(これでもヤバイはず)が、安心するレベルだった。 正直鶴田が菊池の事を思ってあんな受身取れない攻めしてたとは思えない
菊池の現状と鶴田が天龍と違って後輩に奢る事がほとんど無かったことから
天龍なら痛いけど脳へのダメージが少ない攻めしてただろう 正確には川田のボディスラムが先なんじゃなかったっけ。 この間の飯塚高史引退試合で、天山と握手して和解かと思いきや
天山の頭を噛みついた時、野上アナが「何と言うことだー!!」
…どこかで聞き覚えがあるフレーズ、展開だと思ったら、
99年の最強タッグ表彰式で、ハンセンが盾を使って小橋の頭ぶっ叩いた時、
矢島アナの「何と言うことだー!!」と一緒だった。 >>345
花道タイガーSは後にも先にも小橋とのGHC戦での1回だけだな
あれはマジで危な過ぎた >>345
奈落技は90年9月の後楽園で川田が小橋にブレンバスターをやらなかったか? >>348
鶴田は急角度な技はかけないよ。
拷問コブラやデッドリードライブもどきの放り投げ。 おそらくタイガースープレックスは、途中でホールドを外すことで
相手は両手を後方に伸ばすことで床に受け身を取れる。
意外と怪我しにくいのかも。
入念に検討したんだろ。 >>351
あれを見た船木が感嘆して前田日明との対談で「ノアはマジで凄いですよ」って熱弁して、前田がノアに興味持ってコメントするようになったな 菊地は付き人時代凄く鶴田に可愛がられたらしいよ
天龍についた北原が肝臓壊したり小橋が馬場に無視されてた頃
鶴田と一緒にタニマチのお座敷呼ばれて鶴田の代わりに程よく飲んで
お小遣いもらって寮に帰ってきたらしい、お小遣いは鶴田でなくタニマチが
くれたのかもしれないが >>349
秋山にエプロンサイドから場外へ放り投げた事あったねw
何気にヒドイ技 やりすぎたバックドロップと言えば
仲野にやった鶴田のバックドロップはやばかったなあ 市瀬の本、どうだった?
なつかしかったけど、新しい要素が薄い…って言っちゃいけないのかな。 >>356
鶴田は付き人とラーメン食べに行って「俺の分は払ってあるから外でな」とかいうドケチ伝説あるだろ >>361
佐藤昭雄に言われて以降は付き人の飯の面倒くらいはみてたようだよ 川田『小橋ならば、大丈夫だろ。』→エプロンからのブレインバスター。
ハンセン『小橋ならば、大丈夫だろ。』→コーナーに座らせてのウエスタンラリアット
ウィリアムス『小橋ならば、大丈夫だろ。』→殺人バックドロップ3連発
田上『小橋ならば、大丈夫だろ。』→奈落式喉輪落とし
三沢『小橋ならば、大丈夫だろ。』→奈落式タイガードライバー
三沢『小橋ならば、大丈夫だろ。』→花道からのタイガースープレックス
秋山『小橋ならば、大丈夫だろ。』→コーナーに座らせての場外へのエクスプロイダー
田上『小橋ならば、大丈夫だろ。』→秩父セメント
彰敏『小橋ならば、大丈夫だろ。』→エプロンに叩きつけるブレインバスター
小橋『みんなやっているから、大丈夫だろ。』→危険技連発。危険技返しまくり。→技のインフレ。
矢島『全ての危険技を受けたから、今の小橋がいます!!』←実際の実況とは少し異なります。 三沢「田上なら大丈夫だろ」→タイガードライバー91 川田「こいつら日本を甘くみているから制裁してやれ」→ブラックハーツの片割れへの急角度パワーボム。 川田が大人の女性が勤めるお風呂屋さんにある先輩レスラーに連れて行ってもらった
話をして時々試合に出る人というヒントを出したので福澤からはその方は天高く拳を
突き上げる人ですかという話もあったな。 >>363
田上→断崖オレガタウエダ
グラジエーター→カミカゼアッサムボム
も追加で 小橋がウイリアムスによく食らってた
雪崩式フロントスープレックスも相当ヤバイと思う 佐藤『小橋だから(変な記事書いても)、大丈夫だろ。』→全日『オマエ出禁な。』 >>371
「変な記事」の詳しい内容を教えてくれないか?出禁になるようなことが書かれていたのか? よく生きて引退できたな小橋
あまりに丈夫さを過信しすぎなんだよ、かける方も受ける方も
豊橋のバックドロップとか花道からのタイガーSPとか犯罪レベルのエグさだからな >>355
船木「あんな危ない技出しまくって大丈夫なの?
秋山「あれはあれ用の受け身があるんですよ
なお全然大丈夫じゃなかった模様 >>372
小橋vs馳の試合で馳のことしか書かず、
写真も、馳だらけにしたら、小橋がブチキレた。 >>373
現役最後の方は首が「三沢さんより酷い状態」で
日常生活にも支障が出てたようだし
あそこで引退を選択して本当に良かった >>376
それは「変な記事」ではないだろ。佐藤記者が思ったことを素直に書いただけで。
10人中8,9人が「それはおかしい」と感じたなら「変な記事」かもしれないが。 >>380
まぁ、小橋は、納得できなかったんだろうな。 >>381
佐藤記者が馳の上手さとか引き出しの多さとか馳の良さが目立つような内容だったから小橋は納得できなかったというのはわかる。
それで数年間、口も聞かなかったらしいけどよほど記事の内容に我慢できなかったのかねえ。 週プロの誰かが「選手に一方的に恨まれることもある」というようなことを言っていたけど、選手と親しくなると否定する部分が無く賛辞ばかりでつまらない記事になるだろうね。 全日本に入団して初の四天王とのシングルだったから
注目は馳になるのは致し方ないんだけどね 小橋とすれば「馳の見せ場を受けてやった」のかもしれないが「負けたけど馳の攻めに小橋が翻弄された」みたいな内容が許せなかったんだろうな。
俺は小橋のプロレス嫌いだからその内容でもいいんだけどw 市瀬の本800p読了したが四天王というのはカッコイイ憧れの三沢君を
三人の女子が力づくで奪い合った大河ドラマだったのだ、と理解した
幼馴染でしつこくつきまとい彼女面の川田さん…三沢君の好物が入ってない弁当をよく作って持ってくる
年下でほんわかだけど一途な小橋さん…一生懸命全力で三沢君好みの女性になろうと日々研鑽
ダイナマイトボディ転校生の田上さん…最初は目もくれなかったがカッペ二人が必死に三沢君を
取り合ってるので乗り遅れまい、と争奪戦に参入 市瀬は何もないところから、テーマを見つけて記事にするのが上手かったと、佐藤が週プロの編集室25時で書いてたな。
当時の全日は、鎖国体制で話題に乏しかったから、市瀬が合っていたのかもな。 >>358
鶴田のやり過ぎと言えば、天龍への失敗パワーボム。
自分でも、やり過ぎたって言ってた。 >>386
秋山はゼロワン旗揚げ戦の週プロ記事で「秋山には気負いが感じられた」
と書かれて「どっかのボンクラ編集長が・・・」ってゴングのインタビューで言ってたな 鶴田が生きてたら四天王プロレスもなく三沢もまだ生きてたのかな ゴディの離脱、ハンセンの衰えでの外国人陣営の弱体化。
SWS大量離脱後に唯一残っていた上の世代である鶴田が病気になったことで四人が突出する事になってしまった。
ハンセンや鶴田は年齢的に仕方ないとしても、ゴディはもったいなかった。
ベイダーが5年早く全日本に参戦してたらまた違ったかな。 >>393
92年パトリオット
93年ブーバー
94年ノード、ガン
95年オブライト
色々と大型外国人を参戦させたが、誰もハンセン級には慣れなかった。
まぁ、オブライトは三冠挑戦
世界タッグ奪取等はしたが。 久々エメラル初公開の三沢x秋山の三冠戦見たけど
もう秋山の攻めが滅茶苦茶でエグい、馬場も受け身取れないよって言ってるよ エメフロってやっぱり体力キツくなってきたのと危険技に歯止めかけたいのとで使い始めたのかね >>391
その時の編集長が誰かは忘れたが…レスラーの「受け身を取ったことが無い奴に何がわかる!?」は本音だろうな。 >>394
でかいだけなら95スーパーパワーシリーズにボビーダンカンジュニア。 >>395
角度のえぐい三沢のサイドバスターは良かったな。
昔、鶴田が超世代軍の誰かにえぐいサイドバスターやってたが、あれはやる方が角度を調整しやすいんだろうね。故意に急角度に落とせる。 ハンセン&ブロディvsゴディ、ウイリアムスなんて観たかったなあ。
ハンセン、ブロディ、パトリvsゴディ、ウイリアムス、ブーバーでもいい。
エースみたいなしょっぱいくせにろくに努力もしない奴なんか入る余地なし。 96年にウイリアムスの弟子として来日したブライアン・ダイエットは勿体無かったな
素材は良かったのに早々とリタイアしてしまった カンナムエキスプレスも当時大ブレイクしてましたね。
馬場とハンセンが電撃合体したのもそれくらいか。 佐藤なんて、新日担当してたのに武藤の異種格闘技戦の記事について、武藤を怒らせ、
取材拒否中に長州のことをぼろくそ批判して、長州がお前だけは許さないって切れてた男だぞ。
本人は、愛ある駄目だしだと思っているようだが。 当時の全日はオブライトやベイダーみたいに来日一発目に大きく扱われないともうずっとジョバーだよな
ジョバーから成長してトップに入るようになったのなんてしいて言うならジョニーエースぐらいで
初来日で6人タッグの負け役やらされてたら「ああ・・・新しい外国人かと思ったけどこういう扱いか」って察しちゃってたわ >>363
コーナーに座らせてエクスプロイダーってよくわからないわ。断崖じゃなくてコーナーから?
死ぬでしょw >>404
でも当時の新日なんて手抜き試合のくせに客が入っているから偉そうにしていたじゃない。地方大会を観に行ったけど手抜きが酷かったぞ。
なんであんなに偉そうなのってくらい。 >>408
うわーノア時代はちょっとチェックする程度だから知らなかったか覚えてなかったわ
これアマレスエリートの秋山だからまだできたんだろうが、一歩間違えたら大惨事だな
まさに怖いもの見たさのグロレスだわw >>408>>410
KENTAが丸藤にやったリング下へのファルコンアローとか、小橋が秋山にやったリング下へのブレンバスターとかああいうのを「命懸けでやってる、凄い」という風潮が嫌だったよ。 四天王時代はファンにカウント2.9プロレスが受けていたわけだが、例えば三沢のタイガードライバーで決まった試合があるとする。
京平が3カウントを叩いて決着。ところがジョー樋口がレフェリーでも同じフィニッシュで決まるのが疑問だった。
ジョーの方が明らかに叩くのが遅い。京平が3のところをジョーは3.5〜4くらいの速度で叩く。ジョーの時は数えるの遅いんだからギリギリで返せるじゃないか?と思ったw 川田三沢戦で京平はフィニッシュの場面なのに2.9にしたことがある >>413
97.6.6の三冠戦だよね
エルボーで決まってたのに2.9にしてたよな
ミスなのか台本なのかわからないが、その後のジャーマンでフィニッシュだった 京平って結構やらかし多いよな
そのくせ「日本人でレフェリーを名乗っていいのはジョーさんと俺だけ」とか言ってたが >>408
これ死んじゃったらどうするんだろう、やるほうのやられるほうも危ないな
有明コロシアム?とかの大会場っぽいからリング回りを広くとってあるんだろうけど >>416
ノアの東京ドームだな、1回目の
小橋もエプロンから場外にブレーンバスターかけたり無茶ばかりやってたな ハンセンが場外のマットはいで小橋にパワーボムしたのも頭おかしかった >>418
ハンセンの究極はいつぞやのバトルロイヤルで川田に鉄柵をぶん投げた事だね。
川田「あんなの喰らったら死ぬぜ・・・・・」 会場のファンは過激な仕掛けに笑みを浮かべながら"スゲェー"って言ってたね。
実際凄いんだけど、それ以上にレスラーを持ち上げる"信者魂"を感じたw >>418
田上も小橋にマットを外しての場外パワーボムやってだよね。
解説の馬場がリングの中でやれってぼやいてた。 ノアドームの小橋秋山はタフマンコンテストの極みだったし最終回だったな
というか最終回にして欲しかったしあれを最後に別路線をノアは探すべきだった
結果的には最終回でも何でもなかったけど 四天王プロレスは是か非かと聞かれたら非を選ぶ。
垂直落下等の大技はフィニッシュの1発のみであればいい。
乱れ打ちは×。 >>419
何年か失念したが正月恒例のバトルだね、付近に座ってたが西の入場口の床に
川田の垂らした血だまりが何か所かできてたのを鮮明に覚えてる。92年だったか あんなプロレスがやりたいのならFMWに行けばいいんだ。体力が落ちてるからあんなことしか出来ないんだよ。と川田がハンセンについて言ってた記憶がある。 >>424
ホールの赤い柵を投げたのが96年、松本で世界タッグがあった時。
椅子で大流血したのは93年。 >>421
93年1月15日、田上&渕vs三沢&小橋のことかな。91年にゴディが三沢に場外マットが無い所でパワーボムやって三沢が失神したのを見たことがあったから、
その田上の場外マットなしパワーボム見た時は
これやっていいのかよwと思った。田上は怒ると怖いんだなとも思った。 >>427
田上は三沢に三冠挑戦した時にも床へのパワーボムやってた
93年の1戦だったと思うが >>427
たしか、田上と小橋のシングルの前哨戦だったんだな。
実況の福沢は、小橋と田上の熱い気持ちの裏返し的なことを言っていたが、解説の馬場はリングの中でやれよって言ってたんだよな。
田上はたまに、突拍子ないことやるからな。
ある意味、川田やハンセンよりも危ない。 >>430
田上が奈落式ノド輪を披露した時は試合後に近くの客が「こんなデンジャラスな奴だったとは」と言っていたよ。
あれは小橋がきれいに受けたのもあるけどね。 >>408
これより花道からのタイガースープレックスのほうが見てて怖いな 田上の喉輪と違ってやる側も頭から落ちてるからねえ。 マキタスポーツが言ってたが常人はバケツに水を5分目位に入れてこぼさないように
気を付けるけど三沢とか小橋はよせばいいのにバケツたっぷりに水をいれて
更に塀の上を歩いてたと
んで「こぼれちゃうよ、こぼれちゃうよ!」と周囲をハラハラさせて本当に三沢は
水をこぼしてしまったと言ってた。
唐揚げは体に悪いのはわかるけど食えば文句なくおいしい、それとプロレスは同様で
「悪性のエンターテインメント」であると結論づけてた >>434
あのブログ良い記事だったのに何故か炎上してたなぁ そういえばプロレスのライセンス制度って何だったんだろうな。実現寸前まで行ったらしいけど。
武藤いわく「ライセンス制度が実現したって、どうせやる奴は(ライセンスが無くても勝手に)やる。」と言っていたがその通りになっただろうな。 >>408
でもこの断崖式、何もホールドせずに後ろに投げてるだけだから
トペコンが自爆したのとあんま変わらんやろ
まぁヘビー級でロープ越えダイブ自体が危ないと言われればそれまでだが、飛び抜けて危険には見えない >>439
秋山が出来る限り角度と落下速度を調節してたようにも見えるね
だから自分が変な風に落ちたんじゃないかな
もう一段上から投げてたら、いくら小橋でも駄目になってた、とか 今発売してる四天王の書籍読んだけど面白くなかった。
しかしプロレス関連の書籍が近頃まあ多いな。 ここの連中は週刊大衆読んでなかったのか?
まあ>>441の言うとおりあまり面白くはないが。 要は小橋と川田が三沢を取り合ってたのが四天王プロレス
結果としてはノアができた時点で小橋が三沢を奪い取り川田に勝ったということか あんな分厚い本になんでしたんだろうな。
中身は対して面白くないのに。 >>443
分裂以降は川田と小橋はリングでは交わらずに終わったな
でもまぁ、それもあって小橋の引退セレモニーで川田来たときは歓喜して泣きそうになったわ 三沢戦で絶縁されてなければ試合してただろうけどななあ ノアドームの三沢川田で最後に川田がマイクを持ったせいでその後の参戦はなくなったみたいな事を仲田龍が言ってたな。
言ってた内容は問題なかったと思うけど、ドームのメイン後を川田のマイクで締められたというのがまずかったのかな。
あの頃の勢いからすれば、別に川田を使わなくても大丈夫という腹だったんだろうけど、もったいなかったな。 このころは泣く子も黙る中田龍だったからな、試合後勝手に川田が
マイクアピールしたのが許せなくて怒りまくったんだろう
川田がブック破ったわけでもないのに大げさに騒ぎまくってたよな 三沢川田でノアのドームのメインやるってのは誰のアイデアだったんだろう
三沢の強情なところを見るに三沢だと思えないが
ガチドラか? >>450
泣く子も黙る仲田龍ね。
新日が低迷している時にノアももう少し上手くやっておけば今の低迷は無かっただろう。ここまで酷くはならなかったはず。
あぐらかきつづけた結果が今の惨状。 ノアの公式サイトに寄稿したGK金澤のコラム読むと仲田がどんな人だったかが窺えるね。 全方位強硬外交姿勢をキープしてある意味元子より質の悪いアンタッチャブルな
存在だったからな、雨の日に傘を差しだしてくれるような朋友がいなくて当然 愛知県で心筋梗塞で車の中で亡くなってたんだっけか
仲田龍リングアナウンサー >>451
仲田だろうね
試合順は誰が決めたのかわからないけど、
全日時代ドームで川田選手に負けてるからリベンジの機会を与えたかった、みたいのが「ノアを創った男」に書いてあった気がする 仲田→永源→泉田、の流れは筋書きがあってもこう上手くは運ばない 相手の足元見ずに、ちゃんと星の貸し借りしてやってれば、三沢もあんな死に方せずに済んだと思うと悔やまれる >>457
「ファンの見たいカードを組む!」とかじゃなくてそんな理由かよ
カード組む理由も人としての小ささとクズさが出てるな そもそも総研玉…
失礼、そもそも、馬場亡き後を三沢に任せたのが間違いだった。
本来なら、鶴田が社長になればよかったが、体調が悪かった。
ならば、力道山Jr.の百田辺りに社長をやらせておくべきだったかもね。
社長=中心選手はダメだよ。
練習時間すら取れないんだから。
今のプロレス団体で、選手兼社長が何人いるか?
そのなかで、一線級の選手はどのくらいいるか? >>453
息子も新日に後ろ足で砂かけてやめたしなw 百田を社長にする、百田が社長をやる、というならあの時点で
百田がすごく太いスポンサー企業でも引っ張ってくるとかじゃないと無理かな
表面とりつくろっても裏じゃ誰もいう事聞かないだろ 百田の言うことを三沢が聞かないのはわかる
かと言って新日みたいに全くの別業界の人間連れてきてもやはり言うことを聞かないだろう
三沢が社長するしかなかったと思うよ 日テレが三沢についたんだから、三沢以外に社長なんてできなかったろ >>462
20年前と今を同列に語ればダメだろ
当時はまだギリギリ選手兼社長の時代だよ
まあそれでも新日本は坂口・藤波と一線を退き始めた選手で回してたけどな 90年代の中心選手社長だと
全日本・三沢
FMW・大仁田(後に荒井)
Uインター・高田
WAR・天龍(後に武井)
みちのく・サスケ
くらいかな? あの頃の全日本プロレスの社長をできそうな人
渕…三沢たちの兄貴分。一線を退いた選手。
ジョー樋口…カリスマ元レフェリー。かなり高齢だったが、知名度抜群。
日テレOB…天下り先。 >>471
ハンセンの社長は以外とありだったかも知れなウィー。 社長の懐刀とかだったら渕でいいけど、トップとなると少し違う感じ。
格としては三沢以外では鶴田しか、いなかったと思うけど、サラリーマン的なイメージはともかくとして、健康問題だけはどうしようもなかったな。
ただ、三沢社長時代の全日本末期の路線は結構好きだった。
元子との不仲をやり過ごしてあのまま全日本プロレス社長として続けてほしかったな。 もともと現場経験ある親方が社長になる日本のプロレス
業界だったからなあ。
極真も大山がなくなったら奥さんがトップに立とうとして分裂したし。
椅子に座ってるだけのババアにこき使われて収益はほとんどババア
に入るんだからやってられんわ。 結局儲けが社長総取りなんだから
レスラー経験者でないと納得できん。
WWEは最初っからプロモーターが社長だったから。 >>476
5大シングルマッチもボロクソに言われたらしいし、花道作るのもモニターやレーザー使った演出もダメ
あれもダメこれもダメ 馬場時代から何も変えちゃダメって言われたらやってられないだろ 日本のプロレス界のことを思えば内輪でゴタゴタ揉めてる場合では無かったな
2000年以降のプロレスの大きな低迷の一因でもある あそこで元子が「現場については全部三沢に任せる」位の度量見せてたらどうだったかねえ
結果としては元子にも三沢にもそっちの方が良かった気がするが あとは三沢がグッズ子会社使っての脱税の片棒担がされるのが嫌だったらしい 三沢政権下での川田は徹底的に冷遇されてたからあのまま続いてたら川田が出ていってたかもな。 チャンピオンカーニバルがトーナメントになって川田も田上も1回戦負けで聖鬼軍ファンとしては悲しかった限り 「女が出しゃばると良くない」とビジネスウーマンから聞いたことがある。一歩引くのは大事と言っていた。
馬鹿元子は悪い話しか聞かないし、武藤の奥さんも元子に比べたらかわいいもんだが悪い評判を聞いたことがある。 馬場が作った全日本は壊したのは三沢ではなく元子なんだよな。
天龍が帰って来た2000年7月の後楽園でもリングに立って泣きながら謝罪していたけど、三沢たちを追い出しておいてファンには謝るんだから馬鹿げた話。
馬場が生きているから選手もスタッフも我慢していただけで元子なんかただのクソババァ。 >>479
馬場自身は、馬場が退いたら三沢たちがやりたいようにやればいいみたいなこと言ってたような記憶があるが…
馬場がそう考えていても、周囲は馬場のやり方を変えることを認めなかったのか。
それとも、馬場自身が変革を認めさせない根回しをしていたのか? 「元子を現場に踏み入れさすな」と三沢から言われて馬場が
「ついに三沢も俺に噛み付くようになってきた、おかーちゃんにそんなこと言えないよ・・・」
と馬場が頭を抱えたお話 >>487
元子一派が社長にしたかったのは鶴田 人望があり過ぎる三沢は敬遠されてた
でも鶴田が三沢を社長にする事を猛プッシュ
変革したかった三沢社長を元子一派が解任して追放 >>487
株主の元子だけだろ。認めなかったのは。
他は従うしかない。 >>478
そのWWEにしてもレスラーの痛みを分かち合う為に
ビンスやその息子がリングに上がって受け身を取らざるを得なかった >>489
三沢社長を解任したのは百田をはじめとした三沢派の役員だったんじゃなかったっけ?全日退団&新団体旗揚げの為に
ただそうやって立ち上げたノアも三沢逝去直後の新社長人事で、ノアで唯一リーダーシップがあった秋山を社長にさせないように
仲田が三沢未亡人に先回りして話を回して人畜無害な田上を社長にした、その後田上はノアを清算させられる憂き目にあう
結局三沢以降の社長適任者は今現在もノアには不在のまま
仮の話になるが馬場全日同様ノアに対して日テレの資本が入り、いざという時に日テレから
(日テレからかつて全日に一時期社長として来た松根さんのように)
社長or役員に来てもらって、事務方仕事を委任出来る環境があれば三沢ももう少しラク出来たかも >>492
三沢解任は元子派が子会社への支払いの件に関して三沢社長の背任行為があったとして仕掛けたはず
それで裁判にまでなったんだし >>491
むしろWWEはオーナー一家が身体張りすぎてレスラーにプレッシャーがかかったと思うw >>493
社長って勝手にやめると背任罪になるから
役員会までに根回して緊急どうぎで解任という小説まがいの作戦だろ。 社長解任動議は確か三沢派が仕組んだことだった気がする。
京平の本とかでは元子は三沢が社長としてある程度経験を積んだら身を引くつもりだったが三沢は待てなかったみたいな事だった気がする。
真実かどうかはもうわからないけどね。 >>483
5月ドームで復帰
7月 万全の状態でないが三冠挑戦
8月 眼球障害で欠場
1月 小橋戦で復帰
2月 ベイダーとシングル戦敗
3月 カーニバルトーナメント1回戦敗退(相手は三沢)
6月 田上と世界タッグ奪取
怪我が続いてただけで冷遇されてたわけではない >>486
団体存続の危機でこの人はこの人なりに頑張ってたんだろうけど
だからといって天龍、大仁田、冬木、嵐、T後藤、北原とか
馬場的に一番NGな選手たちをホイホイリングに上げちゃったんだから
ポリシーも何もあったもんじゃないな
あの最初の後楽園のマイクもまるで三沢達を悪者みたいな扱いにしているような
気がして全日嫌いになった
それでも川田だけは応援し続けていたけど
ドームの健介戦、武道館での武藤との三冠戦
最高だった 三沢一派が抜けた後の元子全日本はとにかく狂ってて歪んでて半年
くらいは最高にアバンギャルドで面白かった
敷居はすごく低くなったけど今までは想像し得なかった自由があった あそこまで羽目外すんならなんで三沢のやりたい事認めなかったのか、って位カオスだったよなあw 三沢達抜けた後年内に武道館の予定が4回残っててどうなることか
と思ったけど客入りは置いといて力技でちゃんと開催したもんな
その点に関しては元子の手腕を認めるわ、伊達に女帝と言われてたわけじゃなかった >>501
俺も元子全日本は好きだったわ
ノアが「三沢全日本の流れ+α」だったから
元子全日本のカオスぶりがたまらなかった
当時の新日・全日とインディー
外国人天国時代の全日本
が見事に融合した >>501
「敷居が高い(低い)」の使い方ってその使い方で正しいんだっけ? 元子が嫌がってた交流戦が
頼みに綱になって
川田、渕が新日と闘うんだからな。 蝶野は渕の体格をこき下ろしてたけど
アマレス素地のある渕も方が実際強かったのか? >>507
どの時代をみるかなのだが
あの時点では蝶野はすでに首をやってて、ガチなんかやれない身体かと >>505
指摘するなら正しい使い方と意味を教えてあげればいいのに >>505
それまでなら参加出たはずがないような
インディ選手が参加できるようになったという意味では
501氏の用法は間違ってないと思うけど。 >>510
拙い文章を補足頂きありがとうございます
相島、奥村、平井、荒谷、浪花、長井etc,雑誌でしか見たことない
レスラーは新鮮だった、なかには高クオリティの選手もいたし 敷居が高い
相手に対して不義理や不面目なことがあるので、その人の家に行きにくいこと
インディの選手が全日に不義理をしていたのなら正しいな >>511
全日本のサイトで見た時は
「相島って誰?」状態だったな
参戦して評価が高まっていった好事例 四天王って一くくりにしがちだけど、危険視されてる部分ってようは三沢が川田に対して今で言う「飯伏が内藤なら何やってもいいと思ってる」みたいな感じだったのと
それに追随した小橋だよな。川田は三冠ドライバー出したときくらいだし、田上も弾劾式だした時くらい。年中やばかったのは三沢と小橋 闘龍門の選手参戦したりとかあの破茶滅茶感が好きだった元子全日、一方のノアは川田やハンセンたち外国人選手抜いた旧全日って感じだった。 >>512
敷居が高い
不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくい。
[補説]文化庁が発表した平成20年度「国語に関する世論調査」では、
「あそこは敷居が高い」を、本来の意味とされる
「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」で使う人が42.1パーセント、
本来の意味ではない「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」
で使う人が45.6パーセントという逆転した結果が出ている。
本来の意味で使うべきだという意見ならそれはそれだが
「他力本願」とか「役不足」みたいに、日本語は本来意義と
違う方向に進化(変化)していくものでもあるから。。。 闘龍門の参戦ってのは
キックボードに乗ったM2K? M2Kとキマラの対戦面白かった
キマラがぜんぜん倒れてくれなくて、
ついに一人がキマラの背後、足元で「orz」の恰好になり、
残り二人でダブルドロップキックを放って、
それでキマラがorzにけつまずいてコケるのw
場内も盛り上がってたなぁ 四天王プロレスの行き着く先に待っていたは
リング上での死だった >>516
そのノア感わかる
おれはUインター見て、前田、藤原、船木ぬきのUて思ったし
(この時点では鈴木は軽視していた) 誤用する奴には「言葉は変わっていくもの」っていう便利な言い訳があっていいよな >>512
不義理というなら99年に一度全日に入門したのにすぐ辞めた平井くらいしか思いつかないな。
他の選手は不義理はないね、俺が知るところでは。
聞いたところによると平井は某選手のパワハラが原因で辞めたって聞いたけど(事実かわからないので「某選手」と表記)。
WARでエース候補までいった平井が浅子、雅央それどころか志賀、金丸よりも下の扱いされて続くのかなあ…?とは思ったけど。
ヤングライオン杯にも出た平井が全日のしょぼい若手(金丸は除く)より下の扱いなんて我慢できないだろうとは思ったけど。 何故そこまでやる必要がある?ってぐらい過激でストイックだったという印象。
あの辺からだんだんプロレスについていけなくなった。 平井ってエース候補だったの?WARはそれでよかったの?
なんかジョーカーみたいなペイントしてビガロと組んでたのは覚えてるけど >>525
平井が若い頃、ヤングライオンに出してもらえたり新日vs WARの札幌のシングルの対抗戦にも起用されたりかなり期待されていたよ。
冬木軍が離脱した時もビガロ&平井組で平井を売り出そうとしていた記憶がある。 武藤全日本時代に何回か生でも見たけど誰か一人リストラするんなら
絶対こいつだよなと見るたびに感じさせられた 元子全日好きだった俺からすると、長井・奥村・荒谷・北原・嵐あたりはまだそこそこ見れる選手だったけど、
平井と宮本和志は良いところが全く見つけられない選手だった
武藤全日でも荒谷と平井は前座の出番が終わった後は若手に混じってセコンド業務やらされてたな
荒谷は一時的に小島聡にシングルで勝利したりアジアタッグに絡んだりして、
タイトル戦線退いてからも菊タローとのバカ兄弟で前座ながら独自の存在感見せたけど、
平井は試合も面白くないしタイトル戦線でも前座でも使い所の無い存在価値が見いだせない選手だった 対戦相手いじりまくる菊タローも対平井には困ってた感ありありだった
「平井さんのリストバンドの色が変わった」とかもう他になにも言うべき事がなかったぽい
現役末期に減量してジュニアタイトルに挑戦した時は地味に盛り上がってた 武藤と丸藤が対談した時に武藤が「土方ノアにやるから丸ちゃん(丸藤)ウチにおいでよ」
というかなりシュートな発言をしていた 荒谷って一時肉体改造していい体型になってたけど
すぐ戻ってたな 四天王時代の最大の必殺技って実は
オブライトのフルネルソン・スープレックスじゃないか
あの技が出てオブライトが負けたことってあるのかな?
三冠戦で三沢や小橋をぶん投げてピン勝ちするところが見たかった >>514
小橋に関しては、川田が散々プロレスは技の数じゃないって忠告してたのに引退するまで改めなかったのが残念だった。 プロレスって受けの方が重要だから沢山の危険技使う事自体は難しくはないんだよな
テーズのインタビューからも 武道館での集客が命綱だったからな
四天王対決の三冠戦が多くて、カードの多様性に欠けてた嫌いがあったな
だから小橋vs高山の三冠戦とか、こういうのが見たかったんだよと喜んだが…
すぐに例の離脱事件になってしまって残念だったわ >>529
そのあたりを「まだそこそこ見れる」て…
同じ元子全日好きでもかなりな違いがあるもんなんだな
おれは川田と長井と宮本が正規軍の強化合宿として
どこかの砂浜を3人そろって走ってる写真見て、
がんばれがんばれって心から(遠い目) 元子全日って散々お高くとまってた老舗ご潰れそうになって手段を選ばなくなった感があるよな 俺は平井より保坂がどうして全日に入団できたのかがわからなかった。
平井に関してはジョバーは必須な存在だから切られなかったのだと思う。 >>541
よく覚えてないけど誰かの伝手だったと思う。
外道と似た考えで、同じエンタメでも行き過ぎたブリブラみたいな
フザけたプロレスが嫌で普通の団体に移りたかったって。 スポーツライクなプロレスがしたかったんだろう。
保坂はゼロワンでよく見たな。
15年ぐらい前の話だけど。 WARの残党とか安生とか長井とかもうなんでもありのごった煮感が悪くなかった >>544
カシンとか浪花とかブッチャーとかもうめちやくちゃだったよな。
何でもかんでも入れて食べる鍋料理みたいだったけど、おいしい鍋料理だったよ。 元子もそれなりに散財したと思うわ、四方八方かき集める感じだったし
それこそマイクロトンドなんてそれなりの値段するだろうし
あと最強タッグでのクロファット超久しぶり来日はうれしかったなあ 元子もあれだけのカオスを受け入れられるなら
最初から三沢の考えを受け入れてればよかったのにな
目先の事しかなかったのかな 武藤が社長に就任した瞬間に、馬場の色は消え去ったよな。
今は、秋山社長なので、少しは王道に戻りつつあるが、
ただ、秋山・大森が再び見られたのはよかった。 もう三回忌までは何があっても全日本を潰させないという元子の執念だよね あのときの全日本はわけのわからん外国人レスラーも来てたな 初期のNOAHの外国人結構好きだった。
モデスト、モーガン、ウィリアムス、バイソン等がいい味出していた外国人が結構いた。 >>550
それまで私に社長をやらせてほしい、と言えなかったのかね?
・・・まぁ、そうなったらその時点で分裂不可避かw 新日の東京ドームの健介戦でベストバウト大賞とったことで川田って四天王プロレス以外もできるんだと驚いた。しかもこの試合新日のマッチメーカーだった永島に絶対に試合中リング外に降りるなという注文つけられてたのに。 元子全日ではキムドクが若手相手に勝ちブック漁ってた 小橋とか健介は一回客に受けたらずっと同じことばっかやるんだよな。川田とか武藤なんかは違うことやるんだが。 >>557
前者二人は脳みそ不足分を筋肉で補ってるタイプだからやむなし >>549
馬場の色というか、元子全日の功労者たちを
つぎつぎに切り捨てていったんだもの
「元子全日派」を切り捨てる行為だったし、
おれはあの時代を「禿全日」と呼び、四天王全日同然に興味なし 禿全日とは言うけどウィリアムスなんかは給料だけ高くて塩っぱいし切るしかなかったわなぁ >>561
思い出した。ウイリアムスって劣化が酷かったのにギャラだけは高かったらしいね。若い選手数人分のギャラだったとか。あんなの切られて当然。 最後の方のウィリアムスは無駄なアピールが増えてテンポ悪かったなぁ
衰えたなりにもガンガン攻めるスタイルを維持しとけばまだ塩分控えめになっただろうに
知名度は抜群だったろうけどそれを換算しても不必要なレベルまでショッパくなってた つくづくテリー・ゴーディの早期の劣化、早死が悔やまれる。 ベイダー・ウイリアムス組は長く見たいタッグだった
実働2シリーズくらいだったかな?
即タッグ王者になったのにベイダーの怪我と分裂騒動で自然消滅してしまった >>549
馬場の色というか、元子全日の功労者たちを
つぎつぎに切り捨てていったんだもの
「元子全日派」を切り捨てる行為だったし、
おれはあの時代を「禿全日」と呼び、四天王全日同然に興味なし >>561
ウイリアムスは採算度外視で元子マネーで
正平していた面があるわけだから あるていどやむなしかも
おれが「禿に切られた」と表現したのは、全日から姿を消し
後にキングスロードに参戦したような選手たちなんだな
機会がなくてキンローは一度もいけなかったが >>555
そんな約束事あったのか
あの試合なぜか川田が減量して挑んだけど
完全に健介にパワーで負けてたな ウィリアムスとか元子の置き土産の外人たちは飛行機もファーストかビジネスで
6~7人呼ぶと20万ドルくらいかかるのでやむなく切った、と武藤が言ってた
さすがに全日、待遇良かったんだなと思った
「更に六本木の家賃が月200万に駐車場が月7万×6台とか速攻引っ越したよ」とも
言ってた。元子は見たまんまの人で見栄っ張りでもあったんだなあ 三沢はよく外人レスラー批判してたな
高い割には働かないと
一番評価してたのがジョニースミスだった >>573
三沢はスミス好きだったよな。ベイダーのパートナーに押したりしてたし。
スミスは馳も評価してたし、評価高いよな。
私見だが、俺は、スミスとクロファットが好きだった。
誰と組んでも、試合を作り、パートナーを光らせられる選手はもっと評価されるべき。 対抗戦の健介対川田は一回目か二回目どっちか忘れたけど
川田が健介の頭部に強めに蹴りを入れると
何故かタイガー服部が川田を止めに入るっていう萎える流れが何度かあったな
反則でもないのに何で割って入るんだと スミスは会場人気も高かったな
ミサイルキックからのオーが何故かツボだったw >>576
そのあとのラリアットがしょぼいのが残念なんだよなw 武藤全日は、代々木アニメーション学院とプロレス学校提携寸前まで行ったんだよな
武藤本人は自分が未熟で頓挫したと言っているが、優秀な交渉ブレーンがいたら
代々木アニメーション学院プロレス学科、レスラー専攻、レフェリング専攻
声優リングアナ専攻、ディーバ専攻などが出来た可能性があった。まぁ定員割れですぐ
閉鎖されただろうが、、、
一応、ソース
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201508030007-spnavi >>574
クロファットはたしかに良かったな
2000年の最強タッグで復活したけど消えちゃったね >>575
健介が打たれ弱いの知ってて止めたのかと
つうか新日は顔面や頭部の打撃に打たれ弱いよね
大阪の川田・渕vs永田・飯塚の試合で大した打撃でもないのに新日側がグロッキーになったもな >>570
川田はあの頃は年齢的にも105キロがベストコンディションだったんだろうね
90年代はハンセンとか大型外人と連日闘うために増やしていたんだろうけど
力負けするのは仕方ない
川田は別にパワーで売ってるわけでもないし >>583
105sは、新日ならば、ヘビー級の体重だからな。
渕も新日ならばヘビー級。
よく、ライガーと渕の試合を見たいって話が出ていたけれどさ、全日基準ならば、ジュニアの大物対決だけど、新日基準になると、ジュニアのライガーがヘビー級の渕と試合するわけだ。
実際に対戦したけど、渕が優位に進めたのは当たり前なんだよな。(ライガーがクイックで勝ったが) 上 プロレスは勝ち負けが決まってるから優位もあったりしない 全てはフィクション >>581とか単にセルの話だと思うのだがガチ前提なの? >>581
あるあるw長州も顔面攻撃(前田のは別格)弱いよね
テリーのジャブ1発目で片膝ついちゃったんじゃなかったっけ >>580
2000年のクロファットは、
ほんとはすでにプロレスできる身体じゃなかったのではないかと。
トレパンみたいなゆるい長ズボンはいて闘ってたじゃん。
アレ、ズボンの下はテーピングでガッチガチだったんだと思う。 >>588
元々膝が悪いのに加えてWWE時代に交通事故にあってるからね >>587
チョーシューはハンセンやブロディに嫌われてたもな
顔を背けるし技を受けないから >>591
長州(技は)受けてないですよ。受けてないですよ。受けてないですよ。俺に(技を)受けさせたら、大したものですよ。 技を受けないレスラーなんか存在しないんだが、当事者の感覚で
なんかやりにくいとか、綺麗に受けてくれないとかあるんだろうなぁ >>586
馬場全日本のスレいつもの展開
既に始まっているがここから猪木、長州、ジェットシンsageの流れになる >>593
古いけどシンはパンプ取らないねw
あとハンセンがジャーマン食らったの見たことないw ハンセンて鶴田にバックドロップで負けたの観たことが無いんだが、ハンセンに後ろに投げてはいけない決まりでもあるのかな。 ゴディは手を広げて綺麗に投げられてたなー
ジャーマンくらうとき いつかのチャンピオンカーニバル公式戦ハンセン三沢のシングルで
三沢がハンセンをタイガースープレックスの形で捉えたからどうなるのかと思ったけど
案の定振りほどかれて食らうことはなかった >>597
90年の最強タッグ決勝で投げられてたよ >>598
そうなんだ
ハンセンの自伝に、自分が若手だった頃に
腰痛持ちのベテランに、知らずに腰攻撃して
他のレスラーからたしなめられた件があったような
いろいろ深いかもw 90年代にハンセンがパワーボム喰らったのを見たことない ゴディが完璧なパワーボムを決めてハンセンからピンフォール取った事はあった。
93年のゴディウィリアムス組対ハンセンディートン組の試合。
ゴディとウィリアムスが二人がかりでハンセンをボコボコにして最後はゴディがきれいに持ち上げてパワーボムでピンだった。
この試合の動画は結構あがってるはず。 ハンセン最後のチャンピオンカーニバルの年にウィリアムスのドクターボム喰らってたよ 今思うと川田のステップキック、小橋や小島のペチペチと
通ずるものがあるな
天龍みたいな一線を越えたベコッ!じゃなくて
柔らかいレガースで固い額をチョンチョン蹴ってもな
で、蹴った自分の足も痛いオーバーリアクション(笑) 川田のステップキック
ハンセンには額じゃなくて鼻あたりにけっこうズバズバ当ててんだよなあ
超世代時代はまさにペチペチキックみたいな感じだけど >>606
93年6月の仙台ね。珍しくパワーボムくらってた。昔、天龍と戦った時にも一度くらいあったかな? >>610
87年か88年の最強タッグで天龍がハンセンにパワーボム掛けたはず
なんか最強タッグの総集編で観た 小川良成って小橋のハーフネルソンスープレックス
受けたことある?見たことないな。忖度してたのかな。 武藤、三沢、あと特にノア時代の小橋に対しては逆エビ(逆片エビ)をやってはいけないw >>613
武道館の天龍、川田vsハンセン、ゴディであったね。
関係ないが天龍が馬場さんからパワーボムで3カウント取った時のパワーボムはボトッと落ちるだけでカッコ悪かったw 大仁田の倒れてる時間長すぎって指摘は今思うとホントそう
同じ時期、新日で蝶野らがバンバンタッチワーク生かして速いテンポでせめてヤクザキックでピンフォール取るのを全日に比べて本気感がないというやつはいたけど、
よく考えると四天王時代はぶっ倒れて休んでる時間が長すぎてテンポは悪い
プロレスマニアじゃない人がテレビでパッと見ておもしろいと感じる、惹かれるのは常に試合が動いてる90年代新日のストロングスタイルとアメプロの融合スタイルだったはず >>618
天龍は持ち上げるのがキツそうな相手でも強引にパワーボムに持っていくからね。
88年の三冠統一戦のハンセン戦でも、パイルで落とせば良いのにって持ち上げ方でも
強引にパワーボムを決めて不恰好に落としたし。
でも、その泥臭さが天龍の味でもあるんだよね。
そういう観点から見たら川田のパワーボムは小奇麗に見えるわ。
パワーボムを決めるか?決められないか?の完全な白と黒だもん。
決めた時はスッと持ち上がるのも小奇麗に見える要因かもしれない。 >>620
鶴田が大阪で天龍に見舞ったパワーボムは失敗だったらしいが、
川田がブラックハーツの片方に見舞った急角度のパワーボムは故意かな?川田はしょっぱい外国人には厳しかったからね。 >>619
日テレが88年4月以降ゴールデンでプロレスやらなかったのは
そういうテンポの悪さもあったんだろうな。 >>616
鶴田軍の頃は、大技を受けたりローンバトルをさせられるのは田上の役だったね。
寝る役は小川だったけど。
超世代は基本菊地がやられ役だったけど、大技はみんなで受けていた。 >>621
双方のタイミングが合ってないから事故っぽいな
川田は制裁したっぽく言ってたけどこの辺が川田の自己プロデュースのうまさだな >>623
菊池のローンバトルにイライラした馬場さんが「なんでタッチしないんでしょうね?」って解説で言い放ってたな >>624
川田って気難しいという印象があって、ファンからは「一言多い」なんて言われるのよく見たけど、
ここ数年になって「川田は上手い」って頻繁に見かける。あれで性格が良かったらもっと人気出ていたかな? あの性格でストイックキャラだったんだから十分だろうw 川田に田上ぐらいの身長があれば天下獲れると言われてたな 川田はあの大きさでハンセンと正面から打撃戦やるのはしんどかったと思う。凄い精神力だ。 ハンセンは三沢とやると「エースを壊しちゃいけない」みたいな気配りを
感じることがあった、その分川田と小橋には一切遠慮しなかったな、特に川田 >>630
うつぶせの三沢にエルボー落としただけで大ケガしたからな
ハンセンも気を使うだろう >>631
そのエルボードロップで助骨折ったのは、三沢の腕が胸の下敷きになっていたせいだったな。 ハンセンも日本長いから「三沢を壊して欠場させたら自分がおまんまの食い上げになる」
というのは言われるまでもなく理解してたろうな、その反動か川田小橋に対しては
「こいつらが怪我したってしったこっちゃねえ」って姿勢を長く貫いたな >>633
でも川田とは92チャンカー大阪の内容が良くて次のシリーズでは武道館のダブルメインとして組まれ何かでベストバウトを受賞したような。
小橋とは93年7月の武道館が良かったね。ビデオ収録すら入っていなかったが4・16後楽園のチャンカーの公式戦は観たかったよ。
小橋のダイビングショルダーをウエスタンラリアットで迎撃した試合。 川田が中学卒業後すぐに内定貰ってた新日本に入団してたらどうなってたんだろ
三銃士より先輩になって三沢とも知り合わない ウイリアムスのオクラホマスタンピードで、前に抱きかかえると決まり、肩に担いだ時は相手が堪えて後方に着地するw >>635
川田が新日に行ったらメキメキと頭角を表すのが早かったと思う。
新日は身長の低さとか関係無しに実力がある奴が伸し上がり易いシステムになってるし。
佐山や前田が川田のポテンシャルの高さに目を付けてUに誘ったかもしれないし
こればっかりはifを語り出したらキリがない。 三沢がベイダーを破壊した理由は何?
三沢全日本時代はベイダー抜きでは成立しなかったのに >>638
三沢が4・7松本でベイダーの腕を破壊した件かな?
あれはベイダーの怪我はダミーで、一緒にノアに行くからそうしただけだよ。 >>641
付け足し。ノアに行く理由を作るために加害者三沢、被害者ベイダーという構図を作りたかった。 >>642
ウィリアムズが三沢にちょっかい出したのも、実はノアに連れて行ってほしいアピールだったのかな? いや、三沢的にウイリアムスは構想に入っていなかったと思う。ギャラが高いだけで劣化も始まっていたし。
ベイダー&ウイリアムス組の時だけ良かったけど、97年3月の武道館あたりから劣化の始まりが感じられたし。 >>632
試合中に三沢の異変に気付いたのは、解説の馬場でもセコンドでもなく、実況の福沢アナだったという事実。 >>644
ジョー樋口の最後のレフェリーの試合だな。 三冠取る日のパンフ ザドラマチックナイトだもんな子供だからだまされた >>647
次のシリーズの最終戦が20周年記念大会だったから、メインは三沢vs川田の三冠戦って決が決まっていたんだなってのは今になればわかるが、当時はね…
あのシリーズは、三沢の三冠奪取のあとも、川田と田上による三冠挑戦者決定戦があったりして、最後まで盛り上がったよね。
武道館のあとにも試合があることで、次期シリーズに向けたストーリー作りができるから、武道館=最終戦じゃなくてもいいんだよね。
まあ、三沢が三冠を取った武道館は、パンフレットのタイトル以外にも、女子アナにわざわざインタビューさせたり、実況に当時の全日のエースの福沢アナウンサーを据えたりと、日テレ事態がブック知っただろあれ。 川田と田上の千葉公園体育館
三冠挑戦者決定戦良い試合だったなあれ >>648
入社一年目の大神いずみアナウンサーだったな。
プロレスニュースにも登場して、福澤から「妖怪人間ベラではありません」とイジられていたが、すぐに日本テレビを代表するアイドルアナになった。 >>649
実況でも言ってた通り、渾身の全身全霊のストレッチプラムだった。
別に垂直落下じゃなくても、十分に説得力はあったと思うけどね。 鶴田って、三沢のタイガードライバー受けたことあったっけ? >>653
私は逃げるのが上手いので一度も受けたことがないって著書に書いてたw そもそもが「敢えて受ける」とか「受けの美学」とか、
プロレスは相手の技を避けちゃいけないとか、そんな定義もともと無いから。
天龍イズムをみんながパクリ出して、そういうジャンルだと勘違いされてる >>641
それそれ
確かチャンカーのシリーズから所属選手皆フリー扱いになったから
その試合の時点である程度プランは出来上がってたんだね
三沢が小川と居酒屋やりながら丸藤等の若手を育てるプランは
それ以前…2月頃の事なのかな? 当初の独立構想聞くたびに三沢と小川と仲田で居酒屋って接客超最悪な店が
できそうだよなと思った >>659
仲田はまず駄目だな。息子が永田のSNSに載った時にボロクソに言われていたからな。親もあんな感じなんだろう。 >>608
小島のチョップ連打はコントだろ。笑いながら触ってるだけでプロレス舐めてるわ
小橋のぱくりのうえ、あんな舐めたチョップで恥ずかしくないのかね? >>639
知り合ったのは高校。中卒で新日本にテストパスしたから >>661
手打ちだからな。
もっと肩から入れたらいいんだが。 >>659
三沢は自分がこれだけの事をやってるから分かってくれない方が悪いって感じだからな
だから自分の思ったような反響が返らなくなった時点で武道館の記者会見もやめてしまった
末期なんか団体の統率を放棄してリングの中に逃げてしまった感じだし あの頃の三沢の池田大輔推しがよくわかんなかった、なんであんな評価されてた
んだろうか 池田大輔のデビュー戦って週プロのカラーページに小さく載ってたけど
身長195センチって書いてたんだよな
団体発表にしても15センチ鯖読みなんか普通有り得ないから
あれは誤植だったんだろうな マシンガンチョップは小橋でも良いときじゃないと迫力ないからなあ
小島のは雑過ぎるのが気になるわ >>666
三沢がビジネスとしてでなく、単なる個人的な感情で物事を決めるというのは本当だったか。 >>670
三沢は自分の太鼓持ちの小川にGHC巻かせたし
一緒によく飲みに行ってる杉浦も推してたし
感情入りまくりでしょ >>665
初代GHC王者決定トーナメントで多聞が池田に負けたのって俺の中ではありえない。
アマレスの天皇があんな細いのに負けちゃ駄目でしょ。 >>664
三沢はノア時代だけど「来た客を満足させる自信はある」と言ってノアファンからも「悠長」と言われたくらいだからなあ。
そんなんだから後のノアの衰退に繋がったんだよなあ。 >>670
冬木の引退興行をノアが行ってノアの選手がノーギャラだった件とか、越中がノアに初参戦した時に1試合でギャラ300万包んだ件とか
プロレスマスコミは美談のように語ってたけど、それらも悪い見方をすれば公私混同だよね 三沢が全日末期→ノア旗揚げ時に川田に対して「副社長として何をやってたの?」と言われて
川田が何も反論できなかったのが笑ったなw >>677
モスマンは分裂間際で秋山に引っ張り上げられてようやく頭角現したけど、馬場のお気に入りってだけで存在感は薄かった
三沢はケアを嫌ってたって訳じゃ無いと思うけど、素材は良いのにプッシュしなかったのはあまり努力が感じられなかったからじゃないかな
?
実際、99年頃のモスマンって試合出てたっけ?
って位印象が無い
泉田は正直、どこの団体行っても駄目だったと思う モスマン曰く「家庭の事情があり幼い弟がいるのでシリーズ終了ごとに
帰国してたのがお気に召さなかった」らしい
確かに残ってオフも練習すればもっと早く開花したろうし日本語も何とか
なったとは思う >>679
秋山は多聞、志賀、泉田、橋とかを引っ張り上げるために頑張ってたよな
ノアの未来のために後輩を育ててた 三沢は個々のポテンシャルしか見てない感じ 昔週プロで馳が三沢が苦手にしてることにパワーボム系の技を受けるの嫌ってるって言ってて意外に思ったな >>655
それだよな
プロレスは受けじゃなくてセルだよな 泉田かぁ
本田とのコンビは不器用さが逆に良いチームカラーになってたが
結局何も出来なかったよなあ
晩年の暴露本は酷かったわ
自分の意思でホイホイ三沢についていったのに
三沢批判(自身の無能ぶりはスルー)
「スタンドなら小橋に勝てる」
「体の小さい平柳に絡まれても大した事ない」
とか虚勢ばっか張って見るに耐えない内容だった >>676
川田に言わせればやりたくなかったのに元子に無理矢理ならされたらしいが
三沢はこれだけ苦労してるんだから俺の好きにやって何が悪いというのがありありなんだよな
不機嫌は前からだがとにかくNOAHになってからの顔付はますますひどくなっていった印象
批判的な記事は許さないとは仲田への批判にあるが三沢の意思でもあったのは間違いない 勘違いしている選手よりも元子だけは理解できねえ。あんなのただGBにくっついただけだろ。レスラーを何だと思ってんだ、あのクソババアは。 とにかく馬場にとって不可欠の存在だったのは間違いない 馬場がいるから皆我慢していただけ。空気が読めない勘違いクソババア。
タイチだって「パワハラ受けた」とか亡くなった後でも言うことは余程酷かったんだろうな。 三沢も離脱直後に「馬場さんだったら我慢できても、奥さんまで我慢は出来ない」って言ってたな。
馬場があと5年長生きしてたら三沢も40過ぎてたからノア旗揚げはなかったかな。
もしそうだったら三銃士をはじめとする新日本との対抗戦は実現しなかったかな。 元子のお父さんは馬場なんかじゃなくて広岡達朗と結婚させたかった
らしいけどもしそうなったらサッチーとか落合信子みたいになってたんかな >>683
馳で思い出したけど何かのインタビューで受け身の話になって
「新日は全日に比べて受け身の練習が少ないとよく言われてるけど同じぐらいやってましたよ。でも三沢川田小橋田上の受け身は凄すぎましたね。ロープ際での受け身が巧かったな、あれは三銃士も真似できないですよ」 >>689
我らが愛した元子全日では
元子が登場してリングに向かった際に
「元子さーーん!」「うわぁ〜!」「キャ〜♪」
みたいな歓声が飛び交ってたんだが、信じる?www 鶴田の晩年はファミ悪の試合ばかりだったけど、一回だけ相手に田上がいた時があったな。
鶴田が田上を集中攻撃してたけど、最後は手加減するだけ手加減した田上の喉輪落としで鶴田からピンフォール勝ちだった。
あれはいきなり自分が離脱しながらも立派に一本立ちしたかつてのパートナー田上に対するせめてものプレゼントというか、罪滅ぼしだったのかな。
当時話題になってたのかは知らないけど、何か寂しさを感じた記憶がある。 >>697
そういえば鶴田は欠場後は三沢川田とは一度も対戦せずに終わったのかな?
組むことはあったけど
小橋とは95年辺りでタッグで当たった気がする >>686
立っての殴りあいならと書いてたからボクシング >>680
シリーズ終わる度にワイハに帰るし日本語はいつまでたっても覚えないし
って批判してたね >>670
冬木が三沢に提携持ちかけた時に「冬木さん。うちになんかメリットあるの?」って言われて、そういう考え方じゃ美少女出来ないなって思ったって言ってたわ
聞き手のターザンも三沢はビジネスが分かってないって言ってた それと99年の最強タッグ決勝で解説してた時の、小橋&秋山への肩入れが酷すぎたわ
あれは空気読めなさすぎて萎えた >>698
阪神淡路大震災直後の大阪大会で馬場・鶴田・三沢組が秋山・大森・本田組と対戦したな。
エーストリオが一度しか見られなかったのは実に残念。 >>644
三沢がウイリアムスを切ろうとしたら元子さんに泣きついて
三沢くん。使ってくれる?って言われたって独立直後のトークショーで皮肉っぽく話してたわ でもあの時はハンセンはスポット参戦になりつつあったしエースはもう引退を考えてたのかやる気なかったし
ベイダーだけじゃ外人勢が足らないからウィリアムスに頼るのも分からんでもないけどな >>701
その当時の全日はあんまり詳しくないんだが、
ケアがヘビーに転向するにあたり、
ジュニアのベルトを「返上」したことで
他の選手の反感を買ってたような記憶があるな
つまるところ、次にジュニアのトップになる選手に
花を持たせてやれよ(負けてベルト渡してやれよ)という
意味合いのことを言われていたと思う
このあたりの管理というか、ケアが負けブックを嫌ったら
それが通ってしまうのだろうかとか
けっこうナゾであり、それこそ元子のお気に入り待遇? >>707
ウィリアムスは分裂前から劣化激しかったもんな
よくあれで対抗戦でノートンに勝ったな、と
ノートンはノートンで劣化早かったけど >>698
95年9月のファン感の6人タッグで小橋と対戦。
>>697
田上に負けたのは96年10月の武道館だね。95年3月4日も馬場、鶴田、秋山vs田上、渕、雅夫央という組み合わせで対戦。 >>698
小橋とはファン感謝デーの6人タッグで当たってた気がするな
あれ動画で見てみたいわ >>710
田上がI田の技受けるだけ受けて、
最後は田上が珍しいボディアタックからの喉輪落とし一発であっさりピンだからな(優し目の)
鶴田のあの身体つき見たらもう一線では無理だとは思ってたけど、寂しさがあったね >>708
ケアは分裂後初の武道館でのハンセンと組んでのメインが良かったな
カード的に天龍・川田とハンセン・ゴディの最強タッグも意識だったんだろうが。 >>709
この試合、双方共に劣化していて酷い試合だったねぇ。
ノートンは超竜ボムの叩きつける勢い、ウィリアムスはバックドロップの角度で
劣化の具合が顕著になってるのが痛々しかった。
95年辺りに見たい試合だったね。 >>714
ウイリアムスは元々外国人相手に良い試合できないからなあ ウィリアムスが新日に初参戦したとき「荒削りで強引なヤツ」って
印象しかなかったから全日に無償譲渡が決まったときは
不良債権を追っ払った新日賢いなと思った >>708
懐かしい。当時はゴングを毎週読んでたけど、小川や菊地が、ケアが返上したベルトをみんなで取り合えとか舐めてるって
珍しく会社批判してたね。三沢も責任感がないってケアを批判してたかな? >>717
あ、おれもG誌派だったよ
モスマン(当時)はすでに全日ジュニア枠って感じじゃ
なかったのは事実で、小川らに負けるとしたらもはや
クイック系の技をウッカリ喰らうか、あるいは何かかなり
トンチの利いたことするしかないレベルだったとは思うが
それにしてもそこで批判してたのが三沢、小川、菊池だったのか
これは、その時点でのノワ(分裂)の予兆だったと言えるのかも >>717
あとさ、プロレスをサーガ的な視点からみるとさ
テンルーさんも、ジャンボが返上した
UNを取りに行けって言われてホントは悔しかったって
かなーーーり後になって「ぼそっと」呟いたことあるじゃん
それが最終的には、三冠とったときにテンルーさんが
腰に巻いたのはUNだったわけじゃん
だめだ 思い出したら涙腺がやばいw >>714
ノートンはそれでも5か月後辺りにIWGP王者になってるんだよね
ウィリアムスとタイトルマッチで再戦あるかなと思ったけど
短命で終わったね
ちょうど猪木軍による総合格闘技風プロレスの煽りを受けちゃった >>719
当時、俺は子供だったから天龍とUNの関係性って僅かに聞いたことがあるだけで詳しく知らないけど、選手がベルトに思いを込めるのは聞いていて嬉しい話だ。 >>720
健介からベルトを剥がす役目がノートンだったっけ?それが伝説の「正直すまんかった」に繋がったんだよね。 >>717>>718
そもそもケアにジュニアをやらせたことが誤りだったと思う。
FMWの川崎に出場する直前に小川からケアにスイッチしたわけだが不自然だった。
FMWに出場するから強引にチャンピオンにした感じだった。それまでのケアからは「ジュニアのベルトが欲しい」なんてコメントも無かったし。 >>679
泉田も馬場追悼後楽園の川田シングルとか一瞬光ったよね
たまにはシリアスな試合をやらせてあげてもいいんじゃないかな、位に対応してた >>717>>718
あなたたちが何処のどなたか知らないが過去の記憶を共有できる人がいて嬉しいぜ。
当時の全日は現代みたいにマイクアピールも無ければ、軍団抗争、個人間の遺恨も無かったが何故かお金を使いまくって観に行ったよw
俺はゴングじゃない方の週刊誌を毎週買っていた。 >>725
こっちもむかしの楽しかった頃の思い出話を出来て楽しかったよ。
当時は本当に四天王プロレスに熱中したけど、ノアになってからの三沢や小橋の試合にはなぜか熱中出来なかった。
川田がいなくなったからかな?それとも馬場の呪縛から解放されて緊張感がなくなったのかね。 自由というのは不自由や抑圧の中でこそ光輝くものとは良く言ったもので。
ノアでの自由にはその抑圧や不自由がなかったかな。 それは全日本プロレスではなくなったからだよ。
馬場、鶴田の系譜は大きい。 ベイダーのビッグクランチよりノートンの超竜ボムの方が威力が高そうに見えるのはオレだけか?
超竜ボムは凄いからなぁ。
ノートンは橋本クラスの重量でも軽々持ち上げておもいっきり叩きつけるから。
オブライトのフルネルソンの方がヤバいのは認めるけど
全日の堅いマットで超竜ボムで叩きつけられたら四天王も溜まった物じゃなかったと思うぞ。 >>727
全日本時代はマイクアピールや他媒体への露出を極力禁じられ、三沢たちはリング内でプロレスをすることしか表現方法がなかったからね。
週プロが「純度100%のプロレス」と形容したことがあったが、まさにその通りだと思った。 ノア立ち上げで脱四天王プロレスやるんだと思ってたら、さらにエスカレートしたのは意外だったな
秋山が開幕戦で脱四天王の姿勢は見せたんだけど >>732
開幕戦の謎のバトル・カッキーも脱四天王? 実際ノアと分裂がなかったら
まともな形の全日本は残ってたかね?
日テレがすぐノア中継始めたところからしても
避けれない分裂だったのは確かだけども
小橋、秋山、大森、高山をメインにして興行してたのかね >>733
あれは何だったのかね?ガチガチの三沢派だと思ってたのに
金丸、丸藤推すための踏み台にされるのが嫌だったのかね >>731
当時、大してプロレスに興味の無い先輩が全日を「あれが本当のプロレスだよ」と言っていたのを思い出した。
一方、Uヲタの友人によると「あんなのは只の我慢比べだ」。 三沢小橋戦をゴッチとテーズに見せたらゴッチは褒めていたのにテーズはボロクソに言ってたのは意外だった >>729
ノア旗揚げ時は三沢はすでに38歳?
小橋も旗揚げ直前に膝手術したしね
90年代で四天王はボロボロだったはず
川田も全日残って対新日本で頑張ったけど、
長期欠場明けだったし大丈夫か?と心配だったよ >>738
ノア立ち上げの時に小橋、秋山がダブルエースで自分は第一線から退くつもりだったしね
小橋離脱で結局三沢が最前線に立つしかなくなったし
丸藤からGHC剥がして連勝した時もスポンサーやらタニマチが「三沢さんじゃないと」って >>737
ゴッチは客目線でで高く評価してテーズは「客に受けるのはわかるが」とプロレスラー目線で否定したのは面白いね >>739
あのとき丸藤に色々なものを継承してシングル王座戦線からは引いてほしかったな。
かつての鶴田の役割を担ってほしかった。
別に自分がチャンピオンでなくても、タニマチやスポンサーを納得させられるような方向性はあったと思うんだけどね。
タッグ戦線で存在感を発揮するとか、チャンピオンじゃないからこそ出来るような他団体とのマッチメイクとかさ。 >>708>>717>>718
97年にケアが世界ジュニアを戴冠した時は10月にレックスキング、98年1月にはリッキー・サンタナ。ケアのキャリアでこんなしょっぱい相手とタイトル戦やらされたのがかわいそうだったな。
小川ならなんとかしちゃうんだろうけど、ケアの若さであの相手は酷だなと後で思った。 ケアがジュニア王者だった頃が
浅子にとって最大のチャンス時期だったな
武道館でのケア戦はいい試合だった記憶があるが… しかし、ファイプロのマウナクア・モルダウのネーミングが酷いよなw
三沢とか前田は氷川とか冴刀とかカッコ良いネーミングだったのに
モスマンとかあーいうレベルは手抜き臭全開というw ファイプロの氷川は「オーケー!」と言いながらエルボーを打つw
あと何でエルボーバットで流血するんだよw >>735
自伝読んだけど、旗揚げで新しいものを見せなくちゃみたいなプレッシャーから
ああいうスタイルになったけど受け入れられなくてショックだったとか書いてたような >>737
ゴッチが誉めてたのは知らなかった。テーズが三沢のタイツ上げを皮肉ってたのは覚えてる。当時は熱狂的信者だったからずいぶん腹が立ったわw
グラウンドを知らない二人だから、気楽にタイツ引っ張り上げられるとか言ってたっけ。
橋本vs天龍もタフマンコンテストとかって切り捨ててたね 97年頃にモスマンが誰との試合かは忘れたけど、解説で御大が「あれだけの気迫を出せてまだ21才ですよ」って絶賛してたのが印象に残ってる
正直、ケアのよさがまったく分からなかったけど武藤や秋山が高く評価してたんだから俺の見る目がなかった 天龍のWARスペシャルを誉めていたのってテーズだっけ?ゴッチだっけ?
「今時、こんな技を使ったりするのか?」みたいな。 >>746
そうだったのか すぐに離脱してそのあと普通にプロレスやってたからノアに残ってほしかったな 全日で垣原は菊地をレスリングで圧してたよ
タックル決めてバックを取り次はタックル潰してバック取る
あれ菊地は自分にガッカリしたんじゃねえかな 菊地はウィリアムスとグラウンドで互角にやりあってたこともあったらしいが 秋山がウィリアムスにグラウンド仕掛けた時に馬場さんが
「レベルが違うから秋山は違う事をしたほうがいい」って言ってたな >>751
その頃の菊地ってオッサン体型になってたよね
身体がついてかないか、錆ついてたのかもね レスリングと空手と器械体操をマスターしてる三沢さん最強だな プロ"レスリング"と言ってる割にプロレス界でレスリングの実績や経験って消化しにくいよな
空手やボクシングだったら打撃技が絵になるし
柔道だったら一本背負いや逆十字固めとかも盛り上がったりするけど
レスリングの手取り足取りって中々金取れるようなムーブになりにくいよな カッキーこの前つべでvs金本とのスーパーjr見たら何気にシャイニング式レッグラリアットとレインメーカー式カッキーカッターやってた
何気にめっちゃセンスあるよね >>757
鶴田も言ってたけど日本のプロレスは相撲の影響が大きいからな
食事やら身体作りとか >>757
伝わりにくいね、アマレスの猛者太田章もレスリングの強さは
「相手のいいとこを出させないというか相手の力を吸い取る力」といってた
非常に分かりにくい >>757
多聞なんかアマレスの天皇と言われたくらいなのに大成しなかったし、よそだけど矢野なんてアマレスの技術を見せないしな。
本人曰く「求められていないから出さない」らしいけど。 >>761
アマレス時代の多聞は恐れ多くて秋山や杉浦は話しかけることすらできなかったらしいな うちには多聞ちゃんがいるから
と三沢は言ってたんだ
最終兵器って意味だよね だったら対橋本安田の時の多聞のタッグパートナー雅央じゃなくもう少し
考えてやってほしかった >>764
田上&多聞だったらもっと注目浴びたろうな
田上ー安田は玄人好みのカードだったもんね 多聞の回転地獄五輪シリーズは数少ないレスリングの実績をうまく消化できたパターンだな
長州も中西もレスリングの猛者だけどパワースタイルだし
馳は時々披露したら滑るしプロレスリングってなんだよって思うわ 話ぶった切るけどウイリアムスとオブライトって亡くなるのが早くないか?
ハンセンとブッチャーとドリーなんてまだ健在なのに。 >>762
多聞は自衛隊体育大学時代
兵隊やく○
と呼ばれてたらしいからな。 >>769
ハルシオン ステロイド 酒 長生きしたら奇妙だろ 外国人レスラーって日本人レスラーに比べて早く亡くなるのが多いな。 今も昔も変わらんと思うけど
なんでも頭から高角度に落せば
大技みたいな風潮あるよな
その時代の全日もそうだった >>772
ムッキムキの選手はみんなステロイドの影響か心不全多いね 志賀がゲームのモーションキャプチャー収録で首やらなきゃなぁ
ポスト四天王いけたかも 復帰後明らかに動きおかしかったし >>769
ウィリアムズはともかくオブライトは重度の糖尿病だったらしいから仕方ない
病気持ちの割によく頑張ったという感じ >>775
試合以外で負った負傷の場合、責任は誰に発生したのかな? 超世代軍立ち上げて三沢が最初にタッグパートナーに選んだのは小橋なんだよな
アジアタッグ返上して川田に変更されたのは会社側の意向なのかな >>778
正確に言うと選んだというよりはタイガーマスク&小橋組としてアジアタッグを保持していた。
確かに何の説明(コメント)もなく三沢&川田組とエース&小橋組が始動していたね。 >>779
当時、鶴田のパートナーに小橋を選んでいたらどうなっただろうね。 >>780
天龍離脱前に鶴田、小橋VS天龍、ハンセンが組まれたことがあり、いずれ正パートナーになるのかなと思ったものだ。 ヤングライオン時代の中西がウィリアムスばりの垂直落下バックドロップ出して長州に激怒されてたな
秋山がどんどん先に行くから焦ってたのかな >>782
それって高岩だったはず
受けたのが中西 高岩ならやりかねないな、週プロで見たような記憶がある。
高岩って他のレスラーとなんか違うよな。 長州がいつも高岩にプロレス辞めろ辞めろ言ってたのは
叱咤激励ではなくいつか重大な事故起こすと危惧してたからでしょ >>787
星川を再起不能にしたのは高岩が悪いの?映像を見ていないから何とも言えないけど。 確かカブキは「プロレスでは怪我をする方が悪い」と言ってたな
プロレスにおいて相手を怪我させようとして技をかける訳ではないから、という理由で
四天王は「〇〇なら受けられる」という信頼もしくは甘え、高岩は相手の事を考えないって無責任さ
どちらもプロレスの王道じゃないな、大仁田のデスマッチの方が馬場のプロレスに近いだろ >>788
高さ四メートルの金網マッチで雪崩式のパワーボム食らって、最後ラリアットか
何かで昏睡状態になって搬送されたんじゃなかったんじゃなかった?
もともとその試合の前哨戦でも高岩のラリアットか何かで頭部にダメージ負って欠場してた記憶
金丸も雪崩式のデスバレードライバーとか食らってヒヤッとしたしね
相手の受けの技量とか考えずに無茶苦茶な技繰り出す印象はある >>781
鶴田&小橋、三沢&田上、ハンセン&川田、ゴディ&ウィリアムス、馬場&アンドレとかになったのかな?
この組み合わせだと、殺人魚雷が頭2つくらい抜けているな。 すでに完成されつつあった四天王プロレスに、後から割って入っていった秋山は凄すぎる >>792
秋山は、鶴田の離脱というアクシデントがあったとはいえ、デビュー2シリーズ目には、当時のトップ陣と試合をしていたからな。
そして、ファミリー軍団と悪役商会の試合を見て、間の取り方の大切さを学んだとか言ってのけるセンス。
全日の英才教育もあるけれど、そりゃあ四天王プロレスにも対応できるわね。 ジータス激闘の記憶見てると
秋山のタックルをホークウォリアーが当然対応できるよと潰したりして面白い >>795
99年の東京ドームで6人タッグで対戦してるね。 >>793
ファミ軍vs悪商なんてロートルを救済するためだけでほぼ無意味な試合なのに、そんなコメントする秋山って大人なんだな。 まぁ、ファミリー軍団vs悪役商会みたいな試合は、ある意味プロレスの様式美だからな。
そこにブッチャーやドリーがたまに絡んだりするわけで、そりゃ若手にとっては良い教科書になるよ。 >>798>>799
そういう試合も含めての“興行”だからな。 永源とかのベテランは当時の太い顧客ガッツリ持ってたから重要な人材だったんでしょ >>798
「秋山大人だな」には同意するけど
アレが無意味というのはどうかな。
むかしのムック本かなんかで、初期みちのくについて
ヨネ原人の試合が興行全体のクオリティを上げてるって
力説してたライターがいたよ。
どんなに空中戦すばらしくたって、5試合全部似たようなのじゃ
客も疲れちゃうし飽きちゃうからって。
馬場が出てくるだけでとか。
ラッシャーが「。。。渕!」て言うだけでとか。
俺はものすごく厭だけど、永源のツバとか。
メインとは(ついでに前座とも)違う内容で客を喜ばす。
それは1日のショウを形作る大切な。。。と、俺は思う。 ファミリー軍団と悪役商会は元々全員テクニシャンだしね
泉田だってしょっぱいレスラーじゃないし。百田がちょっとアレなくらい 体が動かなくて技かけれない受け身取れない
間合いで魅せるしかない人たちの試合だから
マジで参考になった可能性 秋山が全日uターンした時会見で「今の全日の人たちは他の選手の試合をあまり
見てない印象がある。渕さんの試合とかは見た方がいい」と発言したら
うすら笑いが起こったらしい。その時秋山は「あっこいつら馬鹿だな」とちょっと
思ったらしい >>805
90年代前半の渕の試合なら見る価値はあるが、ここ数年のボディスラムやって腰を痛めた演技をする、毎回その繰り返し。こんな試合なら見る価値は無いと思う。 ラッシャーは会場の外で子供に至近距離で声をかけられて明らかに聞こえているはずなのに無視していた。
それを複数回見てそれが理由で嫌いになった。 ラッシャーと同じジムに通ってた時期があって3年間くらいで100回以上会ってて
その都度あいさつしたけど最後まで無視されたぞ
俺だけなんか嫌われてるのかと思ったけど他の会員も口を揃えてそう言ってた
着替える時は股間をしっかり隠してたけどそれ以上に補足白い脚が痛々しかった 古館も至近距離でラッシャーに話しかけたのに
まったくの無反応で怖くなったって
>>806
一年に一度くらいはライガー弄んだ赤鬼の本気が見たいよね >>798
ファミ悪は前座のメインイベントだったからな
興行の流れとしては欠かせない試合だった >>808
優しいと聞いてるからその反応は何かしらの精神疾患を疑うな >>808
無口だよ。とにかく無口。1年に2,3回しか喋んないんじゃ 新日時代家族含めてプロレスファンからひどい目に遭わされてるから
ガードが固くなって最終的にそういうとこに行き着いたのかな、と解釈してた >>813
そんな理由で小学生、中学生相手でも100%無視するのかw >>813
酷かったらしいね
毎日のようにいたずら電話きて窓ガラスは何度も割られ飼い犬が毒殺されて
精神的におかしくなるわな でもだからといって子供でも常に無視していたら自分の印象が悪くなるだけだな。 ジム時代で一個思い出したんだけどジム責任者(40代後半)と俺たち会員が3〜4人で
カウンターで休憩しつつ世間話をしてたんだ、友人が「明日の忘年会で新入社員だからって
司会進行を丸投げされちゃって困ってるんだよね〜」みたいな事を言ったら責任者がすぐ
そばでベンチ台に腰掛けて休憩してたラッシャーの方に指さして「そういうことならマイク
得意な人がいるんだから教えてもらわなくちゃあ」とか笑って返したんだ、責任者はラッシャー
がなんか言ってくれると思ってたみたいで軽くいったんだけど普段のラッシャーの姿勢を知ってる
俺たちは顔面蒼白,当のラッシャーはすっと立ち上がってもう戻ってこなかった。一週間位気が引けて
ジム行くの自粛した ラッシャーが永源の唾を食らった時のわざとらしい反応が大嫌いだった。 中々興味深いラッシャーエピソードが噴出してるな
面白いわ 昔、全日に天龍がいた80年代後半だけど海野や福田なんかが
試合会場で若者15人くらい見付けて「雑用手伝わない?」って誘って
リング屋の作業手伝わせた。地方の会場だけだと思うけど
で、小遣いが支払われるのではなくてパンフに全選手のサイン貰ってくれたり
ジャンケンでグッズを数品くれたり
ラッシャーがサインするのってそんな機会しかないよ、基本的に >>819
その友人やばいな
ラッシャー関係なしにだれでも相手にしたくないだろそんな奴 >>819ラッシャーがどうのっていうよりキチガイジム責任者エピソードだとしか思えないな >>806
鶴田軍の頃の渕や田上のスポーツライクなラフファイトは、テクニックがないとできないわな。
外国人だと、このスレで度々名前が出ているクロファットなんかが、この枠に当てはまるね。 小橋&秋山のAK時代と煽って秋山が「AK時代じゃなくてAの時代にする」とコメントして、チャンピオンカーニバルの決勝で小橋vs秋山を期待させておいて秋山1回戦敗退は意外性があって良かったな。
7秒だから秋山の価値も下がらないし大森への期待値も上がってあれは良かった。
2月に分裂騒動の初回の報道があったわけだが、チャンカー開幕前には小橋vs秋山は全日でやらずに新団体でやるってもう決めていたのかね。 >>826
92年の新春ジャイアントシリーズでやった鶴田軍、超世代軍、外国人軍の
三軍対抗戦は地味に面白かった。一応勝率を競うというスポーツライクな
設定も相まってメンバーは豪華でなくとも面白かった 俺は「鶴田軍」というダサい名称が嫌いだった。何のひねりもない。
現代の鈴木軍というネーミングとはなんか違うんだよね。 >>826
ギロチンホイップの世界一の使い手は田上だと思っている 〇〇軍より、フットルースやノーフィアーの方がダサいわw >>834
フットルースもノーフィアーももともとプロレスとは関係ないものが由来だからいいんじゃないの。 フットルースって天龍命名なのかな?天龍はアメリカ暮らしが長かったから
和風な見た目と経歴に反してアメリカのトレンドをずれた感じで取り込んでる
んだよな。越中も天龍から「越やん、こういうナウいの聴かなきゃダメだよ」
と言われてケニーロジャースのCDを貸してもらったと言ってた
イメージだと村田英雄とか吉幾三とか愛聴してそうなんだけど。まあKロジャース
というのもいかにも天龍ぽいか フットルースだからケニー・ロギンスかと思ったらロジャースかよw フットルースはバンダナとロングタイツがねw
天龍に「派手なタイツ履いてみろ」みたいなこと言われたらしいけど、四天王時代に黒&黄色のロングタイツが似合っていた川田には黒歴史だなw >>827
そこまでは決めてなかったんじゃない?
ただ小橋が次の防衛戦には秋山準を指名します!と言ってすんなり挑戦してもその先の構想が見えてこないから大森高山を挟んだのかも知れないね。真相はわからないけど。
三沢全日が続いたとして高山の次は秋山だったかもしれないし。 >>841
ただ4・7松本の三沢がベイダーの腕を破壊したという設定は、もう既にベイダーがノアへの三沢を追うための理由作りって聞いたからそう思っちゃうんだよね。
あの時期の小橋vs秋山って目玉だからね。 あれくらいの時期の田上って何してたっけ?
最後の最後に世界タッグ取ったのとハンセンと最強タッグ準優勝は覚えてるが >>843
1月にノーテレビの鹿児島で高山とシングルやって勝ったような記憶がある。 2000年のチャンカーで田上は誰に負けたっけ?
全然記憶に無いわ。 >>845
スティーブ・ウィリアムス、サンダ!
ヘイ、ヘイ!!
バーバ!バーバ!バーバ!バーバ!! 冬木と川田がエアロビ特訓とかわけわからんのを見た記憶が… >>843
ベイダー田上vs三沢秋山という謎のカード組まれて
2.9も何も無く三沢のローリングエルボー一発で田上があっさり負けるという
四天王の扱いとは思えないような試合があった 田上は、当時トップ戦線に絡んでいない秋山に負けたかと思えば、三沢や川田に勝ったりしたり、リーグ戦の点数の調整に使われていた感がある。 >>844
馳がアジアタッグに挑戦した時だったか
>>850
まさに四天王の調整役なんだよな
いわば初期三銃士の蝶野みたいな感じで
なんで田上がとも言われるがやはり田上がいてこその四天王なわけで >>842
そうだったのか
ノア旗揚げ年の年末での小橋ー秋山が見慣れてしまった日本武道館じゃなくて有明コロシアムだったのが却って良かった
コスチュームも黒ー白で入場も花道作って華やかになってたから一味違った空間になってた
試合は相変わらず過激だったけど
場外マット剥がしてエクスプロイダーで投げ捨てたりしたよね >>851
そう。本田&マスオのアジアタッグに馳&泉田が挑戦。
馳はフルに出ていないからアジアタッグ獲るはずないけど当時はそういう見方をしていなかったw 天龍一派離脱がなければ鶴田の次のエースは田上ぽかったな
高山といい馬場さんはプロレスラーはデカくないと駄目って考えだし 全日正規軍・鶴田、谷津、カブキ、渕、小川
新天龍同盟・天龍、高木、北原、折原
超世代軍・三沢、小橋、川田、菊地
田上軍・田上、冬木、仲野、高野…… 四天王じゃないけどゴディの三沢に対する場外パワーボムはキチガイを超えてる 決まらなかっただけで、田上が三沢に仕掛けたマットを剥がしての断崖式喉輪落とし(断崖式喉輪自体がゴディの花道パワーボムよりもヤバい)や>>408は、>>857よりも危険じゃね? あとコーナーのロープ接続部のクッションカバーに頭が当たるように投げるのを
最初に生でみた時は引いた、三沢小橋戦でどっちがやったかは覚えてない >>837
仙台で小橋&菊地とアジアタッグやったときは、完全にヒールだったけれどもな、カンナム。
あと、小橋&菊地の初防衛戦も、対戦相手の小川&渕は完全にヒールだったな。 >>832
田上のギロチンホイップは、バリエーション豊富だからな。
トップロープ以外にも、コーナーパット、て >>861
続き
トップロープ、コーナーパット、鉄柵、川田の脚等、落とす場所が豊富だった。 >>859
ウィリアムスが小橋に対して、コーナーパットに叩きつけるバックドロップやってたな。 >>859
つ小橋
三沢は、小橋に奈落式タイガードライバー、秋山にコーナーからの雪崩式タイガードライバーやってた。 >>860
小橋&菊地というより小橋が究極のベビーなんだよな
逆に言えばヒールが務まらない
菊地は小川と組んで秋山&大森とやった時はヒールだったか >>857
あれは駄目なヤツ
叩き付け方がリング上のと変わらないから
会場内にドスーン!って響き渡ったよね
普通なら救急搬送レベル
ハンセンでさえ床でパワーボムやるときは加減していた >>852
ノアの最大の失敗は最初のドームで秋山に勝たせなかった事
あれで小橋の絶対王者は確立したが小橋以後が続かなくなった
大一番で天龍や川田に勝たせた馬場とはそこが決定的に違う 田上のスローは足腰が強いからかホイップしたあとも崩れないんだよな
小橋が真似してギロチンホイップやった時は投げながら自分が崩れて膝ついてんだもん >>867
川田がドームで三沢に勝って
直後の武道館で小橋に負けたのがよくわからなかった
その小橋も復帰後の三沢にすぐ負けたし
で、さらに三沢がまた川田に負けて
川田の怪我はアクシデントだけど >>867>>869
98年6月の川田戦も2004ドームの秋山戦も小橋は負けブックを拒んだんだよ。 2000年10月の黒小橋がヒールになるチャンスだったと思う。年明け、ベイダーと秋山に膝壊されて長期欠場になったけど。 >>870
そうか
ドーム以後の川田の防衛ロードも見てみたかったな
秋山との三冠戦は結局実現しなかったし >>871
ベイダーと秋山に壊されたっていうか
もともと膝は分裂前の時点からパンク寸前だったんじゃないかね? 全日本末期の小橋とベイダーの抗争が面白かった
ノーフィアーもいたし
ベイダーに勝つまで髭は剃らないって言ってた髭小橋
めちゃカッコ良かったね >>874
浅野忠信とかTAJIRIに似てるとか言われてたねw >>875
似てるね!イケメンの熊さんみたいな感じでカッコ良かった。 最初のベイダーVS小橋は、小橋がぶっ壊されてくって感じでエグかったな
下手すりゃ死ぬんじゃ?ってぐらい攻められてた 解説の川田
「場外にエスケープすればいいんですけど小橋選手はこういう時逃げないんですよねぇ」
「三沢選手はすぐ逃げるんですけど」 >>879
武道館までとっておかないですぐ一騎打ちやった印象、この時点では「三沢って気前いいな」
と思った >>879
あの時の横浜文体もの凄い人だった
発表も6200人ぐらいだったはず
全日で一番入ったと思う 鶴龍一騎打ちを3回見に行ったけどそのどれよりも入ってたのはたしか >>882
おい、だいぶオッサンだな
俺も大概だけど
お疲れ様です スカパー無料放送日の今日
G+で午後8時半〜11時
1999 6.11三冠戦 三沢×小橋が見れる >>884
『エメラルドフロージョン!幻の技、復活!!』の試合か。
平川アナが、バーニングハンマーとエメラルドフロージョンを連呼してたし、確かテレビの画面にも、バーニングハンマー、エメラルドフロージョンって出ていた記憶がある。(アナの連呼は間違いない)
会場組はドキドキしたかもしれないが、テレビ観戦組は、何となく結果がわかってしまった記憶がある。 >>877
まぁあんだけベイダーの技を正面から受けるレスラーなんて
日本人はおろか外人ですらいなかったしね
場外でもビッグクランチ食らったよね >>887
ベイダーアタックを交通事故とは言い得て妙だと思ったわ。 >>880
武道館の回数が増えたこともあって、全日は90年代半ばは
横浜文体を使わなかった.
98年から再開したけど、そのときの客入りがあまりよくなかったから、
99年は小橋vsベイダーを組んでテコ入れを図ったんだろうな。 スカパー無料放送の99年6月武道館の三沢小橋の三冠戦 なかなかよかった
自然と見入ってしまう熱さがあるね >>890
その他の試合もまだ若手だった金丸と丸藤の才能がヤバいな あとやっぱり志賀の怪我はもったいなかった 志賀のバキバキボディはまじで凄かったな
馳や川田にネジ切られるー!ってぐらい絞め技喰らったりして心配したもんだ >>889
いや90年代前半は逆に後楽園の人気が爆発しすぎてその分横浜を後楽園の代替的に
使ってたな。80年代は武道館級のカードも結構あったけどこのころはいかにも
市瀬がマニア受け狙って組んだような小粒なカードが多く目につくようになった
その後武道館の日程増確保できるようになってから減ったのかな スカパー無料放送って、みんな加入勧誘の字幕出たまま見てるの?あれヤだから見ない やはり過度な大技は無用と感じた昨日の無料放送。
エプロンから場外への大技など。
>>894
リモコンのCSボタン押したら一定時間消えるからそれで見る。 >>891
丸藤は早くから天才児って言われてたから
あれだけど、当時は地味だと思ってた金丸も
良い動きしてるんだよね
秋山が自軍(スターネス)に入れたがってた訳だ >>896
金丸は上手すぎて地味に見えるって感じだよね 小川と同じ
田上と高山のスーパーヘビー同士のモンスターファイトも熱かった
しかしスリーパースープレックス食らった三沢がオデコに激痛走ってる場面は何度見てもゾッとするな
小橋が91やら85を返してるのを見ると四天王プロレスにケツ決めがあったのかなかったのか謎になるな >>897
最終的にエメラルドフロウジョンで決まるからケツ決めありだろうね
エメラルド使う前、いつだったかの三沢小橋の三冠戦でエルボーで前のめりに崩れ落ちて3カウントみたいなやつは本当にスタミナ切れで負けたのかと思えるような展開だった プロレスファンの夢を壊すような無粋な事は言わないぞ 四天王時代の武道館といえば
いつも最前列に座っていたおばあちゃんがいつも気になってたな
ノアの武道館では見る事無かったので
いつ頃まで武道館に来られてたんだろう? >>900
昨日のG+でも映っていた老夫婦の話かな?おばあちゃん隣のじいちゃんに楽しそうに話しかけながら観戦していたのがほっこりした >>901
昨日は99年の武道館だったらしいから
この頃になるといたかどうか…
小柄で白髪パーマでメガネかけてたおばあちゃん なんか高木ブーみたいなおじさんもいつも最前列にいた記憶あるわ
武道館の >>903
いつもスーツで観戦してた人ね
小太りで七三で腕組みして観戦してた
この人も最前列の常連だから
そのおばあちゃんと話してるシーンがあったの覚えてる
意外と観客席見てたんだな俺w >>896
丸藤のデビューも影響を与えたと思うが金丸もデビューした時は飛び技を頻繁に使っていたんだけどな。 >>907
高橋の暴露本とかネットの普及によりプロレスをガチだと思う人が激減したわけだが金丸なんてそれで得をしたんじゃないかな。ジョバーも評価される時代になったことで。
91年92年あたりの小川とか、90年代前半のジョニー・スミスなんかも現代なら高く評価されていたと思う。
小川なんか超世代軍が勝つ時はたいてい負ける役だったからね。 >>905
その人!
秋山の陰におばあちゃんもいる
写真は98年の小橋秋山戦かな?
何となく99年の馬場死去後に姿見なくなった気がする >>908
井上雅、泉田、川畑『健康のためのプロレスも評価される時代が来たな』 >>910
雅央は外から来た奴の適性を見るという点でかなり信頼されていたようだが他の奴らは違うんじゃないのw 雅央はオブライトが来た当初様子見で当てられてたな、あとノア移籍後も
橋本安田に様子見で当てられてたが2回とも大けがしてるのでテストドライバー的な
適正があったかどうかは疑問。ただ相手を壊す心配はゼロだな >>913
雅央はオブライトが来た直後はシングルで対戦していないよ。
オブライトは10月に来て12月の武道館では多聞とやった気がする。 雅央とオブライトのシングルって
オブライトの日本での最後の試合だね
99年最強タッグの最終戦の武道館だと思う 雅央はオブライトとのスパーで病院送りにされたんでしょ
川田が新日ならアクシデントを最強外人の宣伝に使用したろうに
全日にはそういう発想なかったって 全日本でオブライトと言えば、高山や垣原と、「旧Uインター軍」ってな感じでタッグを組んで、
川田や田上と戦ってたって印象があるけど、ここではスレ違いか? ジョニー・エースがメキシカンエースクラッシャーを出した時は驚いたなぁ。
アレは未来の技だと思ったわ。実際今の新日は曲芸的な技が増えたよね。
三沢だからこそできたんだろうなって思う。田上が相手じゃ無理だもんな…。 >>920
四天王に関係ある話ならアリだと思うよ。 四天王プラス
アマレス猛者 秋山。
ってのがファンとして心強かった。 こないだジータスでやってた99年6月の武道館完全版、
川田田上vs大森高山の下剋上の後、場内がめちゃくちゃどよめいた次の試合がエースvs秋山で、
ウラカンで秋山が秒殺って試合、つくづく秋山は場の空気を読むのがうまいと思った。
マッチメイカーがすごいのか、秋山がすごいのか。
あの時まだ若手であの図々しさというか度胸というか… 東京ドームの小橋VS秋山はなぜか何回観ても「危ない!」「返して!返して!」って新鮮な気持ちで観れたな
四天王プロレスの一つの完成形の試合だと思う >>926
長州が馳に「何でアイツを採らなかったんだ!」って怒ったのも分かる気がするよな >>929
腰に爆弾あったから駄目だろうって馳が判断してスカウト見送ったんだよな
対する全日本は馬場自ら獲得に乗り出したっていう >>929
そしてそう言った事を覚えていない長州w 秋山のスキンヘッドは未だに似合わないな。
武藤はばっちり合うけど。 >>925
メインが長くやるからその分、秋山の試合を早く終わらせただけでしょ。 >>935
メインが始まったのが20:50ぐらいで終わりが21:30過ぎだしな 直前に世界タッグ王座獲られたんだよね確か
秋山がエースにフォール負け
リベンジマッチというのもあったけど
お客さんがメイン早く観たがっているからと
短期決着を最初から狙ってたみたいだね
そいれがブッカーの指示なのかはわからんけど
それでも見応えのある試合だったと思う >>937
チャンピオンカーニバルの広島と仙台の世界タッグで秋山はエースに負けているから星を返しただけ。
3分くらいで終わったのは当然ブッカーの指示。その短時間に上手いこと詰め込んだなとは思う。しょっぱいエース相手でも試合を成立させる秋山ってやっぱり凄いんだな。 いきなりお互いフィニッシャー出しあうって、
短時間勝負の定番の展開だしな >>937
秋山の「みんなメインを早く見たいでしょうから前座は早く終わらせました」って試合後のコメント覚えてるわ >>940
武道館の前にも「武道館はみなメインを(一刻も)早く観たいでしょうから僕の試合は早く終わらせますよ」と短時間での勝負を予告していたね。
当時はガチだと思っていたからこの言葉を素直に受け取っていたよ。 >>938
三沢が社長になってからの当時のブッカーって渕?
馬場が亡くなるまでは三沢がやってたような気がするけど 90年代最初は週プロのターザンや市瀬がやっててその後は渕がやってた
98年ぐらいから三沢がやりだした
川田曰く三沢さんがマッチメイクしてる辺りから客が入らなくなったと言ってたな >>943
川田のその発言はおかしいな
三沢がマッチメイクはじめたのが98年の8月頃からだから
その後の馬場死去→三沢社長就任→全日分裂の流れで
客足の減少は感じなかったし聞いた事もないな
個人的には96年頃が客数減少していた感じがする
あくまでテレビで見てた感想だけど
後楽園も空席がチラホラで観客のノリもイマイチ
あの頃はテレビ中継自体やる気が無かったから
かなりテンションも低めに見えた 90年代後半の全日は地方が入らなかった
武道館だけはずっと満員だったから人気が落ちたイメージはないかもしれんけど
川田は全巡業に出てるんだから武道館以外の客入りの落ち込みについては誰よりも知ってたでしょ >>945
プロレス界はバブル崩壊の影響をしばらく受けなかったから、90年代後半から客足が落ちてきた。
あと外国人含めた参加選手のマンネリ化。
マニア以外には超世代軍VS聖鬼軍なんて何のことかわからなかっただろう。 96〜97年ごろから武道館も天辺の方は空席があったよ
やはり年7回体制が続いてメンバー固定化も相まってマンネリの度合いが強くなってきてた
さらにメイン一本で勝負するスタイルになってセミ以下のカードがかなり弱くなっていた
ハンセン対多聞とかセミで見せられた記憶がある 馬場がWWFとの接近を図りだしたのもその辺りの影響がありそうかな
今度は再び海外と組む時期だという感じだがあくまで慎重にといった姿勢で
皮肉にも馬場最後の試合となったベイダー投入の武道館はそれこそ一番上の手摺までギッシリだった
そして三沢は舞台や衣装をリニューアルすることで延命を図った感じだったが >>947
本田vsオブライトはセミ。96年3月の本田vsハンセンはセミの一つ前だったと思う。
ただ95年6月のハンセンvsキマラがセミってのはねw
キマラなんかショルダークローをダラダラやるだけでシングルマッチはつまらなかった。川田にも「キマラが何もしてこなかったから」と酷評されていたくらい。
セミ前のクロファットvsバンダムの世界ジュニアが盛り上がったから世界ジュニアがセミでも良かったくらいなのに。 正にメインと共に「世界」の名に相応しかった一戦だったな >>944
あなたの指摘が正しいね。
三沢は98年に週プロで「ジュニアの扱いが悪い。あれじゃあ選手にやる気が出ない。」という内容のコメントを残していて、翌年の仙台で志賀の世界ジュニア挑戦をセミでやらせるなど扱いを変えようという意思が感じられた。
デルフィン&浪花がせっかく参戦しても第1試合なんて馬鹿な使い方していたけど、あれもいずれ三沢なら世界ジュニアに挑戦させるとかもっと良い扱いしたんじゃないかな。 確かモスマン・浅子が武道館の第二試合だったか
分裂後にはGHCジュニアと世界ジュニアのダブルを武道館のメインでやってたな >>949
クロファット対バンダムは面白かったな
カンナムは本当に辞めたのが勿体なかった >>952
そうだね、世界ジュニアが第二試合だった。
当時はそんなこと考えなかったけど「第2試合なら浅子の初戴冠は無い」今ならそう考えちゃうねw >>953
世界ジュニアをクロファットが取ったのはアジアタッグ王者の時でその後にアジアタッグだけ返上したんだよな
たとえジュニアでも世界はアジアより上という感じで >>955
クロファットは渕から剥がすために無理やりジュニアをやらせていた印象がある。
菊地の初戴冠は96年7月だったが小川、菊地相手にベルトを落とすのが嫌だったのかな、渕は。
タッグなら菊地に何度も負けていたけど大きい会場でベルトを落とすのは別なのかね。 同時期の新日ジュニアと較べると扱いには相当な差があった。 >>944
川田「三沢さんがマッチメイクしてから客が入らなくなった」
三沢「馬場さんが亡くなってから客が入らなくなった」
全日ファン「四天王プロレスが飽きてきた」 ジュニアは渕時代がおわって、
いざ小川、菊池時代になったらライバルと言える様な
対戦相手がまったくいなかったからな ジュニアは本当寒かった
菊地vs浅子だったか小川vs浅子のタイトル戦だけやけに熱い試合だった… ロブヴァンダム,サブーあたりをもっとうまく活用してほしかった
馬場の意向を受けて「椅子あんま使うな」って渕が指示したらしい
それで椅子使わない試合を馬場が見て「あいつはダメだな、もう呼ばん」はひどすぎる なんで人気絶頂とは言わんけど
女性ファンわんさかいて
ライバルの小川を挑戦者決定リーグ戦で倒して挑戦権まで持たせた菊地が
渕にバックドロップでボロカスにされてから
王座戴冠まで三年くらいかけたのか
その間に菊地と小川の地位もそっくり入れ替わってたし オブライト、サブゥー組とかいう訳分からんコンビで最強タッグ出てたな
首位を独走してた小橋パトリオット組に最初に土をつけたのがオブライトサブゥー組だった
そしてあの年の最強タッグは2巡制 >>956
というか本来の準ヘビーという意味でのジュニアヘビーはむしろ渕やクロファットみたいな中量級の感じなんだよな
あのホッジやロイヤルもそんな感じだし
その意味でライガー以後の新日本の軽量級はむしろライトヘビーという感じでむしろメキシコに近い >>960
結局浅子は、一度もベルトを巻かないで引退したな。
まぁ、引退が早かったからなんだろうが。 >>964
あれは元々オブライト・高山組とサブゥー・ヴァンダム組の参加で予定してたのではと今でも思う
開国後初のリーグ戦の割にメンバーが若干弱く、馬場はこの年から不参加
初参戦の藤原もリーグ戦不参加の中
2回戦制の導入でとにかく過酷だったな
このあたりが同一メンバーでまわすうえの限界期だった 泉田キマラが三沢秋山に勝つのは馬場全日とは思えないほど思い切ったブックだったな >>968
前年の小橋・ハンセンとのシングルを経て
ブッチャーが大日本に移籍した事で
妙なキマラ推しがあったな
一時期小橋の準パートナーにもなってたし あんな黒くて太ってふざけたコスチュームとペイントの選手
トップに置けるわけないのにな 小橋はキマラと組むのが嫌で馬場さんに相談しに行った事あるって言ってたなw >>966
浅子のタイトル初挑戦は菊地と組んでのカンナムのアジアタッグだったか
同時にカンナムも最後のアジアタッグ戦で >>969
小橋は、外国人と組む機会が多かった。
エース、パトリオット、キマラ、モスマン等
あと、ハンセンやウィリアムスとの名勝負も多い。
外国人相手の名勝負だと川田とハンセンもあるか。 馬場としてもマンネリ状態は感じていたんだと思う。
98年にはハンセンとエースのパートナーを探していて、「世界最強」タッグですから、それにふさわしい選手をと思っています。って解説で予告してベイダーとバートガンを連れてきたし。
本当ならその後、アメリカに視察に行く予定だったし。
いい外人レスラーを連れてくることでそれを打破しようと思ってたのかな。 >>974
外人を呼んだところで、それで客が増えるとは思えなかったな。 ああ、いいな
98年とか確か小橋秋山三冠でプロレス見始めた時だ
そりゃあんなん観たら信者にもなりますよ、あれでもう翳っていたのか、、、 >>976
東京以外は史上最低レベルの客入りだったからな。 >>976
98年とか内容的には良いんだけど格も固定でカードもマンネリ、話題性にも乏しいっていう手詰まり状態だった気がする
俺的には何故かノアってこの頃の全日本をそのままやってるイメージ
俺は全日本だと86〜88年頃の天龍革命時代と91〜94年の超世代〜四天王の頃が内容も話題性も常に観る側の想像を越えるものが観れて面白かったと思う 98年頃はたしかにつまらなかった
垣原や多聞を格上げすれば良かったのに寄りによって小川弱だもなw
三沢のパートナーにはかなり無理があった 小川の抜擢はむしろ三沢
ハンセン・ベイダー組の参加が発表された時の武道館の反響は凄まじかった
おそらく馬場が生きていたらWWFとの提携に続いて世間的にも通じる有力新人のスカウトのパターンか
もちろん日本テレビの協力も仰いで >>980
最強タッグ開幕戦でベイダーハンセンに子供扱いされた小川w
たしか馬場さんWWFと交渉する予定が病気で断念したはず WWFのレスラーが来たら盛り上がったのにな あの日の武道館で友達と顔見合せて両手挙げて喜んでたファンは今もファンなんだろうか… >>979
三沢の新パートナーはこの中にいる!?タッグマッチ放送があって
井上、泉田、本田、大森?が寒い試合してた気がするぜ 俺は98年のドーム以降は面白く感じた
というより、この頃からテレビ中継が俄然ヤル気出してきたから
そう感じたかもしれない
ただ試合を流すだけの放送から
テロップ多用、ちょっとしたドキュメント
インタビューも増え放送内容が一変した
カーニバルの星取表を手書きボードで紹介してた頃は切なかったから
色々挑戦しはじめたこの頃の中継チームは評価している
小橋のGRAND SWORDなんか
当初は元の曲に戻せ言われてたのに
番組内で大量に流された事によりすぐ根付いた ドーム前の武道館で田上対ベイダーとかを見せられた覚えがある?
いいカードはやはりドーム用に取っておくんだなと思った ふと思い出したけどファーナスって弟連れてきてなかったっけ?
ディートンだったかな >>983
週プロのレポートの中で、『三沢さんのパートナー?何も聞いてませんよ。ぼくの予想は大森です。』とか、語っていたな。小川 >>962
93年2月の武道館で渕から菊地にスイッチかと思ったらまさかの防衛(俺個人としてはまさか)。
ターザンいわく菊地はこの時の敗戦が尾を引いてしまった。
現代で言うとIWGP獲れない後藤みたいになってしまった。 >>968
確かに。思い切ったブック。
しかし次のシリーズの地方の第二試合で泉田が菊地にシングルで負けたのを熱戦譜で見て、リーグ戦の期間中だけ強くなるのはやめてほしいと思った。 >>969>>970>>971
当時の全日ファンは優しいからキマラにも好意的だったな。野比のび太が40点くらい取ったら褒められるみたい。
キマラのシングルマッチみたらショルダークローをダラダラと仕掛けるだけで、川田には「キマラが何もしてこなかったらさっさと終わらせた」みたいに酷評されていた。
キマラはブッチャーの引き立て役として評価されていたが、ブッチャーがいなかったらキマラなんか単なるデブ。
最強タッグのオブライト&キマラ組が発表された時の武道館の客の溜息。あれが全てだよ。 >987
週プロで「僕の予想は大森です」と言っていたのはマスオだな。
小川は「他の人は何と言ってます?僕はないでしょう」だったと思う。 >>985
99年3月だったかな
鶴田の引退セレモニーも行われた時の
そして三冠王者としてチャンカーに優勝してドームで三沢に陥落
>>988
あの時の菊地はアジアタッグ王者だったからな
その意味からすれば冷遇は微妙だが >>985
馬場死去後初の三冠戦
同日に鶴田引退セレモニー
川田が返上した後の三冠戦
流れのうえで田上が挑戦する資格は十分あったよ >>946
それを言ってしまうとプロレスの軍団抗争自体
マニア以外興味ないのでは? パートナーの川田の代理という感じだったからな
とにかく外人相手の田上のメインというのは不安な感じもあったが
確か同日はバーニングとアンタッチャブルの世界タッグも >>994
全日は軍団抗争を売りにしていなかったから、ただ戦うだけ。つまらなくて当然。 >>997
馬場全日では、ドラゴンゲートみたいな興行打つのは無理だっただろうな。
三沢は、そういう面も含めて変えたかったんだろうな。 >>995
チャンピオンカーニバルの後にドームがあったからね。
前の年も、3月の武道館はエースが三冠に挑戦。
セミは川田田上にウィリアムスオブライトが挑戦。
チャンピオンカーニバルは三冠王の三沢が優勝。
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