【桜井康雄】昭和の新日本プロレス8【富家ドクター】
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オクラホマスタンピートってウィリアムス限定だっけ? 4の字固めと言えば日プロのワールドリーグ戦、猪木vsデストロイヤーだよな。
両リンになって馬場が優勝。猪木が馬場に挑戦状→時期尚早って流れ。 その後猪木は坂口、大木、バックランドなど相手に引き分け狙いの4の字固めを
多用していたな >>343
ほとんど誰がやってもオクラホマスタンピートだよ。
カリフォルニアクラッシュがホーガン限定なだけ。
アバランシュホールドはカウンターじゃないパワースラム
走りこまないオクラホマスタンピートみたいなもんだろ。 ウイィアムスにロープに振られた猪木があわや3カウントで、ウイィアムスが思わず上げちゃったアレはどれにあたるんだ? >>347
なんかハンセンみたいなウィリアムスだがw あれはスパインバスターかな ウィリアムスのはオクラホマスタンピートは師匠のビル・ワットから伝授されたんだろうね。
マードックのオクラホマスタンピートは相手の股間に腕入れないで、肩に抱えるんだよね。長州がコピーしてた。
アバランシュホールドという名称だと思い浮かぶのがビッグジョン・スタッド。
あとベイダーも良かった。猪木との初対決で圧殺してたね。ベイダーの初期の決め技だった。 藤波とかがやるロープに飛んでのボディアタックも、
アバランシュホールドと呼ぶことがあるからややこしい ウィリアムスは問題起こして強制帰国されなかった?
アドニスかもしれんが… 薬物の持ち込みで入国拒否だかされて帰国があったね。
当初は「家庭の事情」と発表されていた。 >>352
95年チャンピオンカーニバルのときだったね。 4の字固めと言えば ピンフォール技となっていた事を覚えてる人はいるのだろうか?
フレアーvs天龍のWWF王座戦でも1本これで決まってる。 >>349
ウィリアムスもコーナーに走ってる途中で外される時は
股間に腕を入れてなかった。
「ああ今回は外されるんだな。」と見てて分かった。 >>354
レックス・ルーガーがフレアーの4の字固めでピンフォール負けした試合見たな。世界のプロレスでやってた。 >>359
そうですよ。
予算の関係かもしれないが、一大イベントなのに二色刷のポスター、寂しさとともにいい味を醸し出してる。
アメリカのチラシみたいだ。 >>359
キラーブルッスってキラーブルックスのことかな… 81年の新春黄金シリーズの外人レスラーの顔触れが大好きだったな〜
サモアンズ、パテラ、エンフォーサー、アレン後半からシン、ダンカン
ごっついメンバーが集まってた ボディプレスをつぶすのもアバランシュホールドって呼ばれていたよね?
レイスが馬場をボディスラムにとってわざとつぶれるやつ。 366三室だが、
>>363
あのシリーズは圧巻だった。
シン (上田)パテラ ダンカン アレン エンフォーサー サモアンズ プリチャード
ジュニアのプリチャード以外は全て大型。
凄まじい大型ラフファイター揃いと。 >>363
当初、シンとダンカンの参戦は発表されていなかった。
ポスターにも載っていなくて超豪華な第1回MSGタッグのあとだから
メンツ的には少し弱いかなと思っていたらあの2人の参加で盛り上がっ
た。プリチャードと藤波の対戦も良かったし、パテラがエース級の存在
感。いいシリーズだった。 伝説の“ススキノストリップ乱闘事件”のあったシリーズだ。 >>354
あれは4の字でギブアップする(屈辱)より
フォール負けを選んだのでは? >>367
このシリーズの最終戦
猪木対ダンカンは猪木がダンカンを血だるまにして一方的に叩きのめし、乱入してきたシンも蹴散らしていた 大型レスラーが多いシリーズと言えば、シッドやアンダーテイカーが初来日した頃が
印象あるな。
扱いはあまり良くなかったけれど、招聘する目の付け所が良いわな。 >>362
今ブルックスといえばインスタントコーヒー屋さんだな。 >>371
ペリーサタン、ヒューモラスも読んでたけど定着しなかったな >>366
次のシリーズはアグアヨ、フィッシュマン、アニバルなど小粒なメンバーが多かったイメージ… >>375
WWFライトヘビー級王座決定リーグ戦が開催されたからだったね。
ジョージ高野がエントリーして、佐山もエントリー予定でポスターに写真が載っていたが、タイガーマスクになるためにキャンセルしたのかな? >>373
WCWとジョイントしていたときはボスマンやターミネーター、ホーレス・ボウダーなんかも来てたな。
呼べるんならなんでもかんでも呼んじゃえってノリだったな。 >>370
あの試合は今でも覚えてる
同シリーズのパテラとのNWF戦は猪木が風邪かなんかで体調不良だったので
グダグダのまま辛勝って感じだったから、ダンカン戦で鬱憤を晴らした感じだった https://youtu.be/vHhSrIhc5So
昨日の夜これ見つけて一気に最後まで見てしまったわ
当時は本当に熱中してたけど今の若い奴が見てもつまらないだろうな 80年12月29日のMSG定期戦出場のため親日主力勢が渡米、で猪木とダンカンがNWF戦、
坂口はシカアノアイとシングル戦、藤波はドンダイヤモンドとWWFジニア戦を敢行、
そして谷津がホセ・エストラダをワンダースープレックスで降し、デビューを飾った。
ダンカンとサモアンは年明けの親日参戦への前哨戦的な意味かな。。 昭和の海外遠征中継はわくわくするものがあった。
猪木、藤波vsブッチャー、アグアヨとか大興奮したもん。
毎週見慣れたリングじゃないのと観客のリアクションとかいつも
と違う感が新鮮でよかったなぁ。 385美はいつ?だが、
新日も全日も年に定期的に海外遠征していたな。 荒らしキチガイの書き込みに何も考えずレスするがいるのもなぁ。
IDとか見ないのかな? 390(俺の身元を)探れ、だが、
>>389
幾つかある。
81新春黄金シリーズでは猪木とシンは二回シングルが組まれた。
その内の一回はノーテレ。
もっとあったかも知れないが。
81新春黄金シリーズの試合結果見ればわかる。
記憶違いかも知れないけど。 >>380
新日35周年DVD軍団抗争のだな、ウン
どっちかというと、新日事件簿の平成の乱は、いまでもよく見てる(笑い >>372
ブルックスと云えば80年代は選手スタッフがブルックス社製のランニングシューズを履いている事が多かったけど
あれは会社単位で購入する形で個別に支給していたのかな?
>>381-382
実際ジュニア王者時代の藤波はWWFやロス地区メキシコで集客力があったそうだからね >>384
そのメキシコ遠征の試合、ドラゴンと結婚前後のかおり夫人がリングサイドで観戦してたよね。中継でも紹介されてた。 >>396
あのやらせ映像な、ワープロの番組スタッフに
「ブッチャーとアグアーヨが旦那さんを血ダルマにしますので悲しむフリをしてください」 398咲くわ、だが、
>>392←このバカは極度の頭お菓子屋の悪質粘着荒らし。
お邪魔“無視”のホットケーキで頼む。 お前こそ本当みんなが無視しなければならない異常者なんだがな。
レスしちゃうバカとかいるからガッカリだ。 >>396
ブッチャーと猪木の対戦の中ではあれが一番盛り上がった試合だと思う。日本
でもあれぐらい観客がヒートする試合を見せてほしかったがシンとの対決のよ
うにはいかなかったのが惜しまれる。 >>396
婚約の事実を中継内で報じられたりかおり夫人は当時ちょいちょい会場に来てたのが映ってたけど
そんな時に限ってやたらドラゴンは流血させられたり急所を打たれまくってた印象 >>396
その時もかおり夫人いたんだっけ?
結婚直前のMSGにおいての藤波&谷津VSムーンドッグスの時は覚えてるけど >>401
まあ藤波とかおりさんが出会うきっかけも、あの78年寝屋川大流血試合だしなw
海外遠征時の日本陣営って向こうじゃどんな立ち位置なんだろ。メキシコは割とベビー的な
迎え方されてるが、米国だとよく判らんな。まず地元のヒーローがいて対峙するヒールってのが
基本で、そこに割って入る感じだし。相手のキャラ次第なのか。 >>403
あのタッグ戦は変な終わり方だったね。女子プロレスみたいなピンフォールというか >398咲くわ、だが、
だからこの一行目はなんなの? 407司令な、だが、
藤波も大流血になるパターンが多かったな。 ガラケーの足りない機能を補う措置なのだろう
見苦しいし貧乏くさいし惨めで情けない >>393
ジャージはテレ朝に負担させて選手に二着支給していた。 かませ犬事件のあった闘魂シリーズ
長州は後楽園、広島、蔵前のみの参戦だったけど小林は全戦参加してたんだよね…
ブッチャーはこのシリーズから目立たなくなっていったなぁ… 411死いい?だが、
長州革命の試合んときの相手のブッチャーは気の毒だったな。
全く空気で。
実際にアントキノイ…いやっ、あんときは相手は誰でも良かった。
たまたまブッチャーだっただけで。
ただ相手が仮にホーガンやアンドレなら逆にああはいかなかったかも。
つーか重宝されていたホーガンやアンドレをそんな杜撰に扱えなくて。
ブッチャーだからできたのかも。 >>369
これは想像なんだけどギブアップ奪う技って技を巡る攻防になると
観客に対して観せるって意味では実はけっこう難しくて…
基本的には技を仕掛ける頻度の攻防か
掛けた後に耐えて見せるかマイッタさせるかの攻防かになるんだけど
仕掛ける頻度ってのは最終的にはいくら警戒・対策しててもやっぱり一回はその技が決まらないと
(それでギブアップ取れるかどうかは別にしても)つまらないし
(昔の馬場vsエリックのアイアンクロー巡る攻防なんかで考えるとわかりやすい)
かといって関節技や締め技って一旦技の型に入っちゃうと基本動き止まっちゃうんで
そこから耐える攻防っていってもいいとこ2分くらいが殆どの観客にとっては限度なんであって
四の字決まって「さあ、ギブアップか?それとも耐えて逃げるか?」となっても
そこから5分も10分も転がったままだったり
さっき3分間も耐えたのにまたすぐに同じ技に入って5分も過ぎてるよ…じゃやっぱりねぇ
四の字(他の関節技・締め技の多くも)でフォール負けってのは
そういう“極める”技を巡る攻防としては
「いつまでも同じ顔合わせで同じ攻防毎度ダラダラ続けてんじゃないよ!」
っていう批判をかわす
「耐えてたけど最後はついに肩さえ上げることも出来ないほど精も根も尽き果てた」
(場合によっては半失神したことにしたり)って風に見せるのと
「俺は最後まで参ったはしてない!」っていう次回へのエクスキューズなんではないかと
まあ冷静に考えると3カウント取られて「参ったしてない」ってのも無い気もするんだけどw >>413
>>411はマジモンの発達障害
>>412はよくいる要領を得ない老人 東京ドームで猪木vs馳があった時、当初は猪木vsシンの予定だった気がするけど、あれは何でドームの猪木の相手が馳になったの? そうか、違う人なのか。ありがとうw
二人とも無理して面白く書こうとしないで普通に書けば良いのに。
特にマジモンさんの一行目はないよ。
もすこしがんばれ! 417椎名苺だが、
猪木とシンのドーム対決は最初から馳と決まっていた。
馳の格上げの為に敢えてあの様なアングルを組んだ。
馳がシンから猪木との対戦権を力でもぎ取り。
試合もそれなりにいい勝負内容を作れたし。
馳もあの一連の流れで評価は上がり。
しかし《猪木×シン》を期待したオールドファンからは顰蹙。
馳が余計な横槍入れたと捉えられた。
ただ猪木×シンがドームで組まれたらどうだったか?
『やらない方が良かった』と思われる結果で終わった可能性大。
最後は猪木のチョークスリーパーだっただろう。 >>415
馳が立候補して馳対シンやって馳が勝利で権利獲得 猪木対シンはNWFのベルト一夜復活、倍賞リングアナ復活があったから、馳戦にナッツガッカリだって 420捩れ、だが、
猪木VSシンならシンにはグリーンタイツで試合を期待した。 >>416
他のスレでもみんなにうざがられてもずっとやってるから、真正の狂人さんの模様
構わないほうがいい 422四時に、だが、
新日は当時のシンの扱いが難しかっただろうな。
最早ベイダー、ビガロ、ノートンの時代。
しかし過去の実績ではシンが上。
だから杜撰(ずさん)な扱いはできない。
でもベイダー達を差し置いた扱いもできなく。
Uターン後のシンは長州にフォール、KOとノートンにフォールの二回か。
巌流島の馳戦合わせたら三回。
まあ妥当な結果で。
ノートンがシンをフォールした時は顔面血だるま。
ノートン史上最大の大流血と言われたな。
また『ベイダー、ビガロも成し得てない快挙達成』と。
シンもそれだけ商品価値があったんだな。 423よ、兄さんだが、
当時の新日はやっぱりベイダーを頂点に据えていたな。
ビガロは無理でもノートンを頂点に据える時が来るかもとも思うたが。
まあベイダーがUインター移籍でノートンが頂点になったが。
ビガロもWWF行ったし。
ホームもリングス移籍で。 プレイボーイバディローズがドケチで、他人の残したライスにケチャップをかけて食ってた…高橋かケロのコラムを真に受けてたあの頃w 83年の新日は新春黄金シリーズとMSGタッグリーグ以外はそこまで外人が豪華ではなかった気がする…IWGPもホーガン、アンドレはいたけど人数が少なかったし…
サマーはブッチャー、マードック、アドニス、オンドーフが来たけど殆どテレビに映らず… 地方巡業で刺し身しかオカズが無い事があって、生魚食えない外人レスラーが
ご飯にソースかけて食ってたエピソード思い出した アドニスは初来日の時、生の魚食べるなんて気持ち悪いと言ってたが
ブラッシーに熱心に刺身を勧められたので嫌々食べたら「美味しいね!」と言ってたとか。
シリーズ終盤には「大トロより中トロが好き」と言うまでになったらしい。
ザ·プロレスに載ってた。 魚なら焼くなり煮るなりできんだろ って外人はそれすらできないのが普通か 430死去れ、だが、
日本通のマードックは寿司や刺身も好物だったってな。 431資材だが、
マードックは箸も普通に使えた。
でも西洋人間からしたら生魚はゲテモノだかんな。
特に80年代はまだまだ生魚はゲテモノ扱い。 >>429
関係ないけど今って外人って言ったらダメなんだっけ?
外国人と言わないとダメとか聞いたんだが >>428
「肉は鶏。コレステロールの多い物は食べるな。」
だったなザ・プロレスに掲載されていたブラッシーの教えは ザ・プロレスって東スポから出てたタブロイド紙だっけ? あったね。よく買ってた。雑誌よりなんとなくプレミアム感を感じられる。今と違ってわざわざ駅の売店までいかなきゃ買えなかったし。懐かしいなぁ 「ザ・プロレス」、確か隔週発刊でその時は「週刊ファイト」と2紙購入w
デラプロ風なちょっとミーハーな記事も多かったような。 438(荒らしの)良さは?だが、
シン ハンセン ブッチャーと多く来日してきた外人は親日家だな。
ハンセンは奥さんが日本人だが。 >>437
1982年ごろだったと思うけど、ザ・プロレスでハゲ頭ベスト10みたいな失礼極まりない企画があったw
ドリー、ガニア、ホーガンが上位だったと思う。
「まだ20代のホーガンがランクイン!」と褒めてるんだから貶してるんだかよくわからないキャプションつき。
海外情報が豊富で結構好きだったよザ・プロレス。 >>439
誌名の事でベーマガの週プロと揉めてたよね
東スポの方はあっさり休刊になったけど 443獅子さ、だが、
ホーガンの薄髪は確かに若い頃からである意味気の毒だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています