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【福ノ島】昭和の全日本プロレス58【琴天山】
【キャピトル東急】昭和の全日本プロレス59【オリガミ】
【六本木インターナショナルビル】昭和の全日本プロレス60【世田谷砧道場】
【馬場元子】昭和の全日本プロレス61【ジャイアント・サービス】
【オープン選手権】昭和の全日本プロレス62【世界オープンタッグ選手権】
【輪島大士】昭和の全日本プロレス63【ディックスレーター】
※前スレ
【松根社長】昭和の全日本プロレス64【佐藤昭雄】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1542684868/ 馬場かカマタに反則負けでPWF獲られた事がたまに話題に上がるけど
インターシングルも反則負けで王座が移動するんだよな
だがドリーがアメリカで防衛戦をやった時は何故か無効のルールが適用されて
ドリーが反則負けでも移動しないというヘンテコな采配 海外でインター戦やったの?知らなかった。大木が韓国でやってそうだけど アメリカでドリーがインター王座の防衛戦したけどチャレンジャーがマイクグラハムやブッチリード、グランアポロ等全日本と縁の薄いレスラーもいて興味深いし他にはブリスコ、レイス、ロビンソンとか凄いメンバーだし日本だとテリー、デビアスと戦ってスゴすぎ。 確かデラプロでマイクが挑戦した試合が載っていたが私服で乱入した親父のエディをドリーが血だるまにするという凄い奴だったような >>7
実際大木は猪木相手に防衛戦をやってた。
>>8
ブッチ・リードは何度も全日参戦が噂されてたけど、結局一度も来なかったな。 大木がインターを返上させられた
表向きの理由ってなんなんだろう?
王座決定トーナメントよりも
普通に大木への挑戦者決定トーナメントを行って
その上で王座奪取ではなぜダメだったのか? ちょっと調べれば分かることを何でここで聞くんだろうな。 82最強タッグ、ハンセン・ブロディ組やファンクスがラストなのもあってか
札幌中島や蔵前は札止めで各会場も入りは良かったみたいだな
でも大阪府立は超満員と倉持言ってたが実際は8割程度w
師弟コンビvsファンクスがノーテレビの旭川で組まれたのが印象的
結局師弟コンビもラストだったし時代の流れを感じるなw 旭川といえば81最強タッグもブロディ&スヌーカー対シン&上田の公式戦もノーテレビだったかな? 旭川といえば81最強タッグもブロディ&スヌーカー対シン&上田の公式戦もノーテレビだったかな? >>11
宥め賺して、そのうえ脅して返上させた、というイメージが湧くね、どうしても。
あんなもやっとしたやり方よりするよりも
大木のチャンピオンとしての防衛期限nヶ月はとっくに過ぎていて
実質無効というか空位状態なんだから、
大木を81年の時点で暫定王者にしておけばすっきりしたのに。
大木がエントリーされていながら、トーナメントに出られなかったのだから
暫定王者がその際に正式返上、なら綺麗だったと思うのだがな。 話が脱線するけど当時のプロレス雑誌でインター王座を返上する際大木のインタビューで「私の体臭の染み付いたこのベルトを手放すのは…」という記事があってそういわれたらちょっといろんな意味でベルトを受け取るのに抵抗を持っちゃうな。 >>17
暫定王者、なんて発想は当時なかったはず。
ちゅうか、暫定王者のシステムは好かんなあ。
プロレス界てまは採用してほしくない。 >>18
大木は力道山Loveだから、きっとベルトを四六時中巻いていたのだろうな・・・ >>19
プロレス界こそピッタリな適当なシステムだよな だいたい、NWAですらあとから勝手に初代から数十年分の正規王者を勝手に認定して作られたデタラメ王座なんだから、
ボクシングの暫定王者のデタラメっぷりなんてプロレスの足下にも及ばないひよっこですよ、ええ そういえばゴディが昔のインタビューで
「ババのオールジャパン関係のタイトルホルダーだと、
どの地区のサーキットでも通常のファイトマネーより、特別にボーナスがつく」
「日本のタイトルの価値や歴史は詳しく知らないが、マネーにつながるという事実で重いポジションというのは若いオレでもわかる」
みたいな内容だったはず
プロレス的なのか、ガチのプロモーター関連のパワーバランスを裏なのかよくわからんけど…
ちなみに週刊ファイト…だったかな? 最強タッグはめったに当たらないカード、ほとんどノーテレビだったな。
レアな対決、多かったはず。 国技館クラスのシングルを地方でやるのも小鹿の提案だったのか、単に客入りが悪いから自転車操業的にリーグ戦がないもの同士で組んだのか
最初から年末の目玉にしたかったようには感じない >>26
レイス組とニック組の対戦も見たかったな
バーもカートも当時期待の新鋭だったし >>20
正確にはあれは馬場以降からのベルトで力道山は巻いていないんだが
そもそも猪木と防衛戦をやった時点で防衛期限は過ぎていた
ちなみに全日本は日プロ崩壊後の大木の防衛戦を認めておらずあくまでベルトを私有していただけという解釈 >>13
師弟コンビのインタータッグはまだしばらく続いたんだよな
ただしファンクス戦としてはやはり鶴田凱旋のインタータッグ戦は最後まで超えられなかった印象 ベルトは実物じゃなくコミッショナーが認めることが大事ってことだね、今見たらコミッショナーもいい加減だけどw でもなぜか全日パンフの大木紹介欄には「インターナショナルヘビー級王者」の表記があった。 >>33
日テレ中継でもインター選手権者大木と言ってたな
韓国だけで防衛戦すれば黙殺するのに国際でやられたから頭に来たんだなw >>34
こないだプロレスクラシック見てたら
大木のことをインターナショナルヘビー級チャンピオン、って
倉持が紹介してたもんね。
山田さんがそれについて特にコメントはしてなかったけど。
>>30
防衛期限と言うことならPWFも半年以上空いたりしてるけどもお咎めなしだよね。
言うに事欠いてCCと最強タッグの間は防衛戦をしないからその期間に含めない、
なんて滅茶苦茶を言ってるし。 ドリーがチャンピオンの時にインターのベルトって確か新しいベルトだったよね。多分前のベルトはやっぱり大木の体臭で臭うからベルトを変えたのだろうな。 >>51
そうなの?ウキペディアには50年近く使用とあるけど
オリジナルの初代ベルトは、初代王者ルー・テーズが個人所有していた世界ヘビー級ベルトの転用。その後、力道山は初代ベルトを参考にアキバ徽章に依頼して2代目を製作。
バックルに王冠がデザインされた純銀製でベルト部分も金属で作られており、更新後は現在まで力道山(百田)家に保管されている[7]。
3代目は力道山がグレート東郷に頼みWWA世界ヘビー級のベルトのうちの1本を譲り受け、1963年10月9日の防衛戦より使用。
このベルトは力道山の死後、2代目と共に一度保管された後、1972年に全日本プロレスを創立したジャイアント馬場に寄贈され、PWFヘビー級王座のベルトとして使用。
この力道山ベルトが復活した際の写真では、馬場と力道山の胴回りの差から、馬場が巻くと相当窮屈になっている。
4代目は馬場が戴冠した1965年より使用。3代目(PWF)・4代目のベルトはともに三冠ヘビー級王座に統一後もこれらを構成するベルトの1本としてそのまま使用され続けたが、2013年のベルト更新に合わせ、馬場家に返還された まあどういう形にしろ大木本人の口から返上したとハッキリ言わせて
ベルト自体もいったん日本側に回収しないかぎり
そのまま勝手に時々インター王者名乗って
韓国の大木主催の興行なんかで防衛戦続けられたりしてもあんまりイイ感じもしないし
万一インタ王者のまま新日マットに上がって猪木にベルト渡りでもしたらってことでは?
なにしろ「全日本(馬場)×日テレ×百田家」の組み合わせの大義名分は
力道山直系・正統の後継はG馬場であり全日本プロレスだってことだし
インター王者は言ってみればその象徴みたいなものだから 最初の頃の最強タッグって参加チームが6とか7なんだよな
こないだのクラッシックでやってた82年なんかも
参加7チームでそのうち馬場鶴田、ファンクスにハンセン・ブロディの3チームが
間違いなく三つ巴で優勝争いするし
天龍・原組が超獣コンビに反則勝ちしたのが星取上では最後に響いた形だけど
基本番狂わせとかあんまり無いまま両リンとか反則で
優勝候補の得点調整だけしてるかんじがちょっと残念だったな
まあタッグだとシングルに比べても顔触れからして
予算上あまり多くのチームを呼ぶわけにもさすがにいかなかったんだろうけど
本当は10チームくらい参加でダークホースもう一チームに
有名どころのタッグ専門屋チームもう一チームとかいると
上位陣にもピンによるポカ負けとかも一つ二つ出来たろうし
優勝争いじゃなくてもダークホースの組のうちどこが一番強いかとか
たとえばレイスやニックの組が貫禄とインサイドワークで
超獣コンビや師弟コンビファンクスなんかからうまく分断して
逆転でピンとったりとかが一試合くらいあっても良かった気がする >>55
82の師弟コンビは優勝争いは全くせず星調整して結果的にハンセン・ブロディ組と同率2位になっただけ
印象に残ったのはハンセンとブロディの必殺技食らってピン負けした馬場の札幌だけだなw >>52
>このベルトは力道山の死後、2代目と共に一度保管された後
>1972年に全日本プロレスを創立したジャイアント馬場に寄贈され
言わぬが花なんだけど「寄贈」ってねぇ……。
預託ならわかるけど、寄贈ってタダってことでしょう? >>34
馬場がレスラーとして最高に光り輝いていたのはインター王者として君臨していた時代
だった。キニスキーにベルトを取られて猪木が猛追してきた頃に馬場下り坂説に対しても
「オレが終わった時はインターを完全に失った時!」と述べている。全日設立時も
ベルトを持ち込むつもりも大木の挑戦を避けて?泣く泣く返上その後にインターは日プロ
崩壊⇒韓国で防衛戦⇒国プロで防衛戦と栄光のベルトが益々、輪をかけてマイナー化が
加速していくのは辛かったはず。大木の国プロ離脱ともない封印したアジアヘビー復活の
バーター取引で取り戻した。韓国国内でプロレス興行に後ろ盾失い海苔事業に不振が
無ければ手放さなかったかもね。 その後のプロレスからもフェイドアウトしていった
かインター保持の気力と体力を無くなり大木も泣く泣く手放したんだろうね。 あったんでしょ。
ワールドリーグトロフィーも新日に行くという話あったし。
そんなモノもそうだし、外人もそう。
ほぼ決まってた話を中途でインターセプトしてしまうのが当たり前の業界。
実際に本人や現物が来るまではわからずあてにならないのが特色かな。
馬場が契約書を交わさない、すごい大物みたいな話があるけど
あってもしょうがない、的な現実もあるんだろう。 82最強タッグのリッキー、最初髭面で登場したが途中で髭剃ってしまったのは何故?
馬場に怒られたんじゃないかなと思ってるがw
リッキー組も初戦は超獣コンビとの闘いで印象残したけど結局天龍・原組より下の3点しか取れず
夢の対決ではレイスにピン負けし最終戦はジュニアの大仁田と引き分けww
これもペナルティなんじゃないかと >>56
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181213-00010000-nikkeisty-bus_all
> いわゆる「昭和のレスラー」はコンビニエンスストアや立ち食いなんかに行かず、
ウーン( ̄〜 ̄; )
コンビニは兎も角立ち喰いそばや駅弁おにぎりとかだったら
少なくとも80年代の専門誌の雑感記事や巡業中のオフショット特集でパクついてる姿の写真がよく載っていたんだけど
勿論天龍の写真もあったし馬場猪木クラスですら嫌がったり恥ずかしがったりせずカメラに笑顔を向けていたしなあ >>61-62
坂口が推進していた通りに新日と日プロの合併が実現していたら
大木がインターを持ち続けるなんてまずありえない
インターは猪木のベルトになったはず >>65
猪木がインター、坂口がUN、黄金コンビでインタータッグだな。
大木はせいぜい高千穂と組んでのアジアタッグぐらいだろうw >>64
いやあ、天龍はそんなとこっ食べてないだろ。
レスラーがカレーやラーメンを注文するのも許せないって怒ってたからな、昔から。 >>66
坂口が律儀にUN返上しないでチャンピオンのまま新日来たら歴史変わってたのにな。
結果回ってきたベルトが北米ヘビー。
アジアの、日本にいるのに北米チャンピオンてw 力道山の嫁が定期的に会場に来てくれたら良かったのに 天龍は人前では豪快にふるまうけど自宅ではトイレの水を数回に一回に制限して水道代を節約したとかいってたな >>55
8〜10チームぐらいがベストかな
あまり多すぎると、ギャラの問題もあるけど
何より総当たりが難しくなる
オープン選手権が人数多く、日程的に総当たりを組めないので
大相撲の番付方式を採用していたね
オープン選手権といえば、黄金カードは組まれていたけど
途中帰国したレイスの、残り試合は誰が相手だったんだろう?
ドリーとの対戦はあったのかな。どうも記憶が薄れてしまった >>68
UNは返上ではなく、文体でバレンタインに落としてきている >>62
後年の長州なんかもそうだけど
結局プロレス団体って選手自身が商品だからその選手がもうそっちのリングには上がらない、
勝手に向こうに上がらせてもらうし向こうのリングでタイトルマッチやるのも
そっちがその試合を認定しようがしまいが現にこうしてベルト持ってるのは俺だし
試合して勝とうが負けようがそんなの俺の勝手だ!
って強硬にやられちゃうといくら契約書がっていってもしょせん民事、
プロレスじゃ選手一人の身柄やチャンピオンベルトに何憶何十億も請求できるわけでもないし
まだあの時代だと数千万とかならエース級のスター選手なら結局は選手個人や団体じゃなく
お互いにテレ朝なり日テレなりがケツ持ったりタニマチが金用立てたりするから
結局契約書っていってもこじれたり引き抜かれたら…ってことになるんだよね
それでもあくまで防ごうとしたら大木の国プロ転出を止めた時みたいに
後援者だの本職の方々とかの力借りての個人的な交渉wとかになっちゃう
それにベルト持ってライバル団体のマットで相手のエースに負けてタイトル渡してから
相手の団体から「訴えるっていうなら、じゃあその前にベルトはそちらにお返します」ってやられても
ベルト戻ってきたってそのベルトはしょせん出てった元王者が相手のエースに負けて
一旦は落としたベルトって事実は残るから商売上の価値も、ね >>64
まあその時代にレスラー特にガイジンレスラーなんかが
駅弁や立ち食いそばを食ってる写真なんかは
レスラーの普段の食事や生活ぶりがどうっていうより
あの頃だとまだ地方巡業の旅の一コマ的なちょっとした紀行ネタや
小ネタ的な扱いってことじゃね? >>66
1973年2月、新日と日プロの合併が実現、この新団体が
インターの防衛戦をスンナリ行えたかは疑問。
というのは、その前に馬場全日はNWAに加盟している。
確かに日本プロレスもNWA加盟団体で、そこが認定する
インター、インタータッグ、UNの防衛戦を行ってきたが、
それは日プロの代表、芳の里が日本のプロモーターとして
認められていたからのこと、新団体の社長は猪木だよね。
日プロが合併した団体と言っても、自動的に、
NWAの加盟団体とは認められないだろう。
となると馬場が、「NWA加盟団体でもない猪木新団体が
インターの防衛戦を行うのはオカシイ」とかクレームを付けただろう。
それ以前に、外人招聘ルートだって、旧・日プロみたいには使えないし。 >>75
そんなこと言ったら北米タッグとかどうなるんだよw
アメリカ側から見たらインターも似たようなもんだぞ >>76
イキナリ出て来た北米タッグと
馬場が日プロから保持していた
インターとは全く比較にならない。
俺は、1973年の時点で
猪木新団体がNWAに加盟していなかったら
馬場がおそらくクレームを付けていただろう
と書いただけだ。
反論があるなら、ちゃんと理論的に書いてくれ。
そのようなレスは今後無死する。 >>71
レイスは最初から武道館までの契約だったと思われ。
ドリー戦は大会二日目の川越でメイン、30分フルタイムでした。 >>77
なら、聞くが日プロ崩壊後もNWAに加盟してない大木がNWAに加盟していない国際プロレスや韓国の単発興行でインター防衛戦やれてたのはどういう理屈か教えてくれ。 昨夜のプロレスクラシック
1983最強タッグを一気に放送してたけど
ハンセンブロディ組
開幕戦、優勝戦、他の勝ち試合も含めて
大半のフィニッシュはハンセンのラリアットで、ブロディはロープに飛ばすアシスト役ばかりだね
こういう役回りが地味に積み重なって、全日離脱につながったんだろうかね?
きっかけは長州やウォリアーズかもしれないけど >>79
金一は韓国プロモーターとしてNWA会員だったから韓国での自興行での防衛戦は問題なかったのでは? >>80
ブロディについてはハンセンもいろんな媒体で語ってるけど
ブロディがハンセンを実のところどう思ってたかは興味あるな
どう考えても全日に来たハンセンはブロディにとっては
ブッチャーからようやく?外国人ナンバー1の席が回ってきたと思ったら
その自分を二番手にしてしまう存在だったろうし
会場人気もハンセンの方が圧倒的に多かったのは
リング上にいれば体感してたはすで
しかも基本シリースごとに棲み分けるんならまだしも
タッグまで組んではどうしても同じ土俵で比較されるわけで
プライド高くて年齢も上で米では自分の方が格上で
そういう会場の雰囲気とか団体やメディアなんかの扱いにも敏感で
しかも自分の方が元々以前からいたマットなわけで
当時は駆け出し時代からの親友・盟友設定を
それこそ列伝風の決めつけで美しい友情物語として信じてたけど
実際にあのブロディが内心穏やかだったとはたしかにあまり思えないんだよな
(ハンセンの初来日はさすがに関係無いだろうし) >>79
大木は馬場の推薦があったから、加盟してなくてもOKだったとか。 坂口が言うには
「NETの三浦専務、そして猪木さんに合併の条件として「芳の里社長を新団体の会長に」と提案したら、
意外なほどアッサリ了承してくれた。日プロ社員も、そのまま新団体で受け入れてくれることになった。 」
とのこと
猪木は「合併したら追い出してしまえばいい」位に思っていたのかもしれないがね
当時の新日はTV中継がつかないと潰れる状況だったからこっちの合併の方が
対等合併に近くなったはず
日プロの連中は本当に頭が悪い >>86
「一度は叩きだした猪木といっしょにやれない」と言う子供じみた感情論が先に立った。
猪木の日プロ追放時に経営陣より激怒して「裏切られた!」と強硬に猪木の除名を主張して
実行されなければ残りのシリーズの試合を全てボイコットすると言いだしたのは
"日プロ選手会"だった。
NETは日テレに対抗するには黄金コンビ再結成、新日は背に腹は代えられず、坂口の
要求を呑むしかなかった。後年に坂口と不仲になる小鉄に対して新間は「TV局を連れて
きてくれたのは誰なんだ!」と戒めるほど感謝している。
坂口&シンは新日初期の救世主だった。 NWAの加盟条件に、年間20(?)試合以上プロモートすることが馬場の本に書いてあったと思う。 >>82
最初はNWFが管轄していたけど、後にNWAに管轄が移った。
経緯はよく知らんけど。 >>75
新日と日プロの合併は日プロが新日を吸収すればよかったんだ。
芳の里が社長でね。
そうすれば数々のタイトルはそのまま生かせるだろ?
その後、名称変更なり役員変更なりすればいい。
以前、住友銀行が(名前忘れた)関西の銀行を救済するときに
住銀が吸収される形にして驚きの手法と言われたことがある。
また、JALがJASを吸収するときに日本航空システムなんて社名になって
のちに日本航空という名前に戻したことも。
まあ、そんなことを考えつく時代じゃなかったろうし、そんな案が出ても検討しなかったろうけど >>90
こんなサイトもあるよ。
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiji/open_zennihon/open_19751206_1218.html >>83
スンマセン、北米ヘビーとごっちゃになってました >>79
>>81や85が代わりに答えてくれたが
君はプロレスの知識が著しく不足している。
このスレに参加する資格がない。
恥さらしだから、もう書き込むな! https://yaplog.jp/highkick/archive/167
韓国・金一道場「NWA加盟記念シリーズ」なんてのまでやっとる
まあ大木はその前から韓国でインター戦やってたけどね >>84
そういえばハンセン移籍に関しては極秘裏に進めていた事にも
「驚きの中にもブロディは不満な雰囲気だった」とハンセンも語ってるね
おそらく蔵前乱入前の馬場やブロディとの会談セッティングの場で初めて?聞いたのかもしれない
でも新日からUターン後のブロディは、インタビューなどでもハンセン人気についても自ら発言して振っているし
何か達観というか、全てを受け入れた上で大人になった感じが見えた
まあ、ブロディの年齢よりも30近くも下の自分が言うのも無礼なんだけど…
新日から戻ったときのブロディは間違いなくインパクト、これからの構想カード的に間違いなく外人エースだったし
そこで初めてハンセンが全日移籍した時と自分が同じポジションなんだという事を実感したのではないか?
もちろんカムバックできた安堵感や、ギャラはともかくリング上での扱いは鶴田とイーブンのポジションという有難みもあっただろうけど…
馬場や淵の回想談やバーバラ夫人の書籍でも人が変わったようになったらしいから
まあそれでも刺殺された遠因(善悪は別にして)とかもあるし、そんな簡単な事ではないんだろうけど… ハンセンがブロディには恐ろしく気を使ってたらしいからな。
ハンセンの人柄がなせる業だったんじゃないかと思う。 >>84
普段は別行動ってのは当時から記事になってた 仕事の上司や部下と四六時中一緒って考えられんだろうw >>96
ハンセン移籍に際してブロディはドリーに対して一物があって
ハンセンはテリーに対して一物あったって話だよね >>96
復帰後は武道館の最強タッグでもインター戦でもハンセンより上のメインの扱いだったから不満は無かっただろうし
逆にそこに不満を持つハンセンでもないし >>59
そしてインターもまた馬場時代が最高に輝いた時代だったんだよな
世界王者の挑戦を逆に受けたりして
力道山の時代はまだ日本に持ってこれないNWAやWWAの代わりの間に合わせみたいな感じ
一年も防衛戦をしない時だってあったし 親日がその後NWAに加盟してもNWA王者が来日しなかった経緯を見ると
大木のインターが親日で王座戦を敢行できるとは思えないな。。
親日のNWA加盟はあくまで反主流派(マクマホンSr、マイクラベールら)に属するという事実。
そして馬場と懇意の主流派(マソニック、ガイゲル、エリックら)の息のかかったインター王座というわけだ。。 確かマクマホンとラベールは全日本のNWA加盟に反対票を投じていたとか NWAにとっては世界ヘビー級王座ならともかく
インターやUNなんて関心すらないよ
日本の団体やマスコミがそれっぽく権威があるかのように
上手く見せかけてただけで
存在すら知らなかったんじゃないかな >>96
> 何か達観というか、全てを受け入れた上で大人になった感じが見えた
いや、仰る通り出戻り以降のブロディはファンの目から見ても
あの髪型やルックス、白いものが増えてきたこともあって
明らかになんか以前のブロディとは全然違う、極端にいうとジーザスっぽい雰囲気
〜よく言えば神々しく昇華されたよう、悪く言うとあの特有のギラギラ感が無くなってたと思う
復帰して鶴田に勝ってベルト獲ったらファンのブロディコールに囲まれて
感極まってリング上で涙流すなんてそりゃいい絵にはなるんだろうけど
個人的にはそんなんブロディ違うわって思ったな もう世界王者ベルトというものに誰も権威を感じなくなりだした時代だったからねえ。
ボクシングも世界認定団体が4つに増え、王者が単純に16階級×4になった。
昨今日本人王者が連発してるのはそのせい。
9階級世界王者一人でフライとバンタム二階級制覇した、ファイティング原田の偉大さは、
実は野球の王選手やイチローを凌ぐグレイトなことなのだが、現在では誰も知られてないよね スレタイにデビッドフォンエリックの名前を見て懐かしいと思った
デビッドはマイケル・ジャクソンやプリンスやマドンナと同じ歳だったんだよな
身体も二メートル近くあったしドラッグに蝕まれて本当に勿体ない逸材だった
フレアーがそのセンスを後に認めてぐらいの人だったのに
初めて観に行った全日本、兄貴のケビンとのタッグマッチのだったな >>84
それでも、ハンセン&ブロディをリングアナがコールする時、順番はたびたび交替してたな。これはブロディが注文をつけたのか、全日側が忖度したのか、どっちなんだろ。 >>111
全日側の意向だと思うな、合体テーマも同時期ぐらいから使用されたし
毎回タッグで来日するわけじゃないし、ブロディがエースのシリーズもあるわけだし
ハンセンとブロディの対等感を持たせるためじゃないかな?
そもそも、ハンセンがブロディより後にコールされるのは全日に移籍した時点からだったのかな?
それとも超獣組が全日で結成された時はブロディが後だったの? >>105
当時の猪木にとっては
大木がインター王者として新日マットで猪木相手に
防衛戦を行うと公に表明すればそれで目的はほぼ達成したようなもの
たとえ原とネルソン・ロイヤルのJr王座戦の時のように
馬場側からもう大木の王座は失効している
NWA本部はこの試合をタイトルマッチとして認可してないとクレームついても
それならとノンタイトル戦に変更して勝って見せればいいだけになる
猪木にすれば大事なことはあの時点で大木のベルトが失効してるか否かや
NWA本部が大木がタイトルマッチを挙行するのを認可してるかじゃなく
少なくともあの時点までの最終王者が大木であること
そしてその大木に自分が勝ってみせればその後全日マットで誰が正式に王者になろうと
本来なら(最終)王者の大木が自らベルト賭けようとしていた試合で勝った自分こそが
実質的には王者であるにふさわしいと自分の優位をアピールできる口実を手にすることになるから
逆に馬場側にとっては失効だ何だと言ってたぶん
猪木が上記のように言いだした後から仮に大木と直接王座決定戦とかで戦って勝ってみせても
もうその時点での大木は猪木に敗れて本来は丸腰になった後の大木でしかなくなる
こういう嵌め方って猪木や新間の十八番でしょw >>111
テレビマッチでは必ずハンセンが後コールだったんだが記憶違いかな? >>114
自分も皆さんが確信的に「コールが交互」というので、
「かなりの割合でそうだったんだ」と改めて認識したけど
自分が覚えてるテレビマッチでは、1982最強タッグのvs馬場鶴田の時はブロディが後だったはず。 >>114
84年最強タッグのレイス&ニック戦ではブロディが後だね。 >>114
最近やってたプロレスクラシックでだいぶそこら辺気を使ってたのが分かる。83年世界最強タッグの時も、マスカラスブラザーズ戦はブロディが後コールで表記もブロディ&ハンセンになってた 組み合わせ入場テーマ曲は、鶴龍だとJ→サンダーストーム、超獣コンビだと
サンライズ→移民の歌だよね。これって逆バージョンも作れば良かったのに。 天龍ハンセン組だとサンダーストーム→サンライズ、でもハンセンが、
「ファッキン、ノーミュージック!」
と怒ったんだよね。 >>108
シングルでキングコング・ニーでピン勝ちだから
凄かったけどな。インパクト。
新日でいえば例えば出戻りハンセンが猪木をラリアットで完全ピンみたいなものか。 >>115
そういえばアメリカはこの主役に、この選手が付き添い
みたいに格上が先にコールだと読んだことがある。 >>113
大木のインタータイトルの有効/無効は色々あるだろう。
そのうえで、馬場が日プロを出る際にインターを持ち出ししようとしたけど
大木の挑戦を受けて行け、と言われて仕方なく返上していった、という経緯も
ポイントじゃないかな。
うろ覚えだけど大木もタイトルの有効/無効に関して
誰も恐れをなして挑戦してこないんだからそんなことを言われてもな
なんて吹いてたような気もする。 タイトルは団体の持ち物だからね
坂口は日プロにUNに置いて行った
上田は国際にIWAを返して新日移籍
三沢も三冠を返上してノア設立
例外はチャボがNWAインタージュニアを持参して全日移籍した位では >>121
その直前の試合でハンセンが天龍を仕留めてないわけだからね
そのうえブロディは居なかったけど、ハンセンは天龍に数週前にピンフォール負けだからね
片やブロディは天龍と同格、もしくはそれ以上の鶴田から完全ピンだからインパクトは確かに凄かった
まあ、鶴田に取り戻されてるから二ヶ月間での四者の格は同一になったんだけど…
四者の中で実績や印象ですこし劣る天龍だったけど、ハンセンに2連勝した事でバランスが取れた感じ
>>122
その例に習っていえば入場順も格上が先に歩く、と聞いた事がある
超獣組は常にハンセンが先に入場だったよね
まあでも、馬場鶴田は常に鶴田が先なんだから、日本では違うんだろうぐらいの事はブロディも知ってたと思うけど…
むしろハンセンが自ら日本の慣習に従って先に歩いてた可能性もある
テーマはコールは団体側だけど、入場だけは本人達のオールマイティーだし。 >>124
NWA反主流派だったエディ・グラハムの作ったベルトが、全日の看板タイトルになったのは皮肉だよね。
逆にレロイ・マクガークのベルトの方は、ソントンからタイガー、コブラと新日が活用することになったし。 大木のインターに関しては、怖い人の意向とかもあったんじゃないかなと予想 >>125
ブロディ&スヌーカ組は必ずブロディが先に入場だった。この二人はプライベートでも仲が良かったらしく、
来日中の行動もほとんど一緒だったとか。ブロディの兄貴分みたいなスヌーカが凄くカッコ良かったな。 年齢を知るまでスヌーカが子分だと思ってた、いや今でも思ってる >>124 >>126
ぶっちゃけベルト(王座)ってのは出自にしろ歴代王者にしろそれ自体の価値よりも、
背後の団体やら幹部やらの「メンツ」のほうに重点があるんだろうな。。まああとは興行の看板か。
NWAジュニアなんてホント曰くだらけだw >>130
NWAジュニアと言えば当時48歳で地味で華もない
レス・ソントンが何でチャンピオンだったのかよく分からん
ソントンは猪木と同い年のB・アレンと並んで年齢に驚かされた >>125
88年は鶴田 天龍 ハンセン ブロディは同格だった。
無理矢理にも同格にした感じで。
天龍も鶴田から離れて同格に。
鶴田と組んでいた頃はどうしても鶴田の次という序列、位置付け。
日プロ時代のBIみたいなもんか。
日プロ時代は猪木がどう頑張っても馬場の上にはいけず。
新日になってから漸く(ようやく)馬場と同列に。
直接対決での勝利ではなく“団体のエース”という立場で。 >>131
Nロイヤル返上後にトーナメントでロンスターが獲得したが、理由不明のままレスソントンに
移動してしまった。レスリングの技術もありマクガークの好みだったのか(あっちの意味じゃないよw)、
このへんは不可解だ。。 >>128
>>129
年齢もそうだけど初来日の時期なども含めて、兄貴分どころか大先輩だよね
でも新日のタッグリーグのボイコットの失踪の心中とか、確かに子分イメージも否めない
体格の差もそうだけど、年相応に見えない若々しさもあると思う
リッキーとの抗争など、ポジションや年齢もそのあたりだと錯覚しちゃうし…
それにファンクスが旧世代の扱いなのに、スヌーカは「新世代の旗手」みたいな扱い
スヌーカがテリーより年上なのは本当に驚いた
何気にスヌーカの子分感は実況の倉持さんや山田さんの罪な気もする…w 連レスすまない
そういえばスヌーカが新日でブロディと再結成した時、1985年だったか?
スヌーカのヘラクレスな肉割れした筋肉がずいぶんと変わってたよね?
良くいえば体格が良くなった、悪くいえば脂肪がつきすぎてる…というのか
結局は晩年までそのままの体型はキープしてたけど
全日からフェードアウトしてから三年で何であんなになっちゃったんだろ?
決して体が大きい方じゃないから、WWFのために大きくしたんだろうか? >>134
ブロディの対戦相手としてのスヌーカはもう少し見たかったな。
レイスと組んでの最強タッグ参戦がなくなってしまったのは本当に残念だった。 スヌーカは若々しかったな。リッキーとの抗争で来日した時点で36歳。
いずれにしろアメリカでは人気テリトリーの大西洋地区やNYのメーンイベンターだったし
インディアナやエリックランドのようなローカル地区での活躍が中心だったブロディでは
だいぶ地位が違ってたと思う。 >>128
スヌーカがブロディの兄貴分なんて感じたことはなかった。
スヌーカがブロディをリードしてるシーンなんかあったか?そんな感想後付けやろ適当すぎる。 ハンセンブロディの対決の途中にスヌーカがブロディに耳打ちしたのに無視されてたようや >>138
タッグのリーダーはスヌーカだったでしょう、こんなチームはたくさんある。
ブッチャーとシークはシークだったし、シンと上田は上田だったし。 >>135
殺人事件でゴタゴタしてた頃じゃなかった?
週プロでも事件の影響なのか、みたいな書かれ方してたと記憶 >>140
シークや上田が指示してるシーンは見たことあるよ。
スヌーカがブロディに指示してるところは見たことない。 やたらと力道山関連のニュースがあるなと思ったが
没後55年だからか
力道山の没後55年にビートたけしから花…息子の百田光雄「ありがたい気持ちでいっぱいです」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181215-00000093-sph-fight 鶴龍も天龍のが年上なのが合体テーマにつながった気がする しかしレスラー同士は同格、それに近くても、ミュージシャンはそうではない
おそれ多くもツェッペリンと繋げられたスペクトラム、高中正義と繋げられた鈴木宏昌氏はどれだけ恐縮した心持ちであったろうか >>142
上田の場合は、日本語で伝えられない細かい要素をブロークンな英語でシンに伝えていたんだろうと思う場面は多々あった。 >>147
英語といえば、デストロイヤーがタッグマッチのときに
リングの外から大声で長ったらしく喚いて場内の笑いをとる
あのお決まりのシーン、いつも何を言ってたんだろうね >>124
> タイトルは団体の持ち物だからね
まあ今はもう大多数のファン含めみなそれがわかってるから
それを当然って言えるけど
あの時代はまだベルトは王者個人のもの
あるいは王者個人が団体から与えられてるものってのが建前だったから
>>140
タッグチームのリーダー役と実際の試合におけるエース役が別ってのは普通に多かった
というか昔の名タッグ専門屋チームってむしろそのパターンの方が多かったような
リーダーで司令塔だけど個人としてはやや体格が劣ってたり年齢いってたりの選手と
リング上で実際に試合自体を回していき主に前に出て戦う方って組み合わせ
ブロンドスとかヘス・ショッツとかフリーバーズみたいなチーム >>149
それは当然といっても100%団体の管理下に従い、ロボットのように淡々とサーキットをこなしてるわけではないよね
馬場関連の書籍ですごくリアルだと思ったのが、ブリスコのNWAタイトル云々の話
日本でタイトルを落とすのに多額のボーナスを得られるチャンスが来た
それはNWA首脳とは別のブリスコ本人の意思で、要はタイトルを手元に持ってるのは自分であり
試合をするのもブリスコ自身、落とすけど間違いなく返してもらうから強行するぞとNWA首脳に強攻に意思を告げるやりとりがリアル
なんか「人間に忠実なロボットが意思や欲を持ち、感情で行動しちゃう」みたいな映画を連想させる
ベルトは確かに団体のものではあるけど、そのベルトを手にする事によって個々に生まれる利権もあると…そこに人間くささを感じる >>126
ベルトと持って移籍してくれば特別ボーナスを弾むと馬場に言われたらしい・・・
>>150
レイスも馬場には恩義があるのでその時はだけ特別にベルトを短期間リースしたと日本
のラジオで述べていた。樋口も知らなかったので映像を見るとカウントが異常に遅いw >>150
海外のサイトに書いてあった話だが
バックランド→ホーガンへのWWFタイトル移動のつなぎ王者は
当初はビル・イーディー(M・スーパースター)の予定だったが
バックランドは「アマレスの下地がない人間にタイトルを渡したくない」と望んで
I・シークにつなぎ王者がまわったという話もあった
外野から見ればI・シークの方が色物に見えるがそこが偏屈バックランドらしいところか >>151
>>152
こういう話を読むと、ビジネス上の戦略とレスラー個々の感情は全く違うんだなと…
いや、今さら当たり前の事とはいえこういう人間味のある個々のこだわりが面白い
だからこそ不穏試合やセメントマッチも生まれるんだろうけど
良くも悪くもそれを典型的に具現化したレスラーがブロディだったのかな?と思う
そういえば長らく王座を保持したテーズが、連勝記録ストップの時かタイトル落とす時か忘れたけど
キニスキー戦かノメリーニ戦かの回想で
「実力的にはまだまだ負ける要素はなかったが、彼はハートというかスポーツマン的で気持のいい男だから負けた」
みたいな話を読んだ事がある
あとゴージャス・ジョージの圧倒的な動員力を認めつつも、決してタイトルは渡さなかった…みたいなこだわりもあったな >>153
列伝ではキニスキーはリアル性悪なんだがな >>145
ミュージシャン同士で呑んでるときに
いやぁゼッペリンとミックスされてさぁ、俺もここまで来たんだぜ〜
なんて自虐いれながら喜んでんじゃないの。 ただ、アメリカだと日本みたいな会社組織の人間(レスラー)じゃなく、皆が自営業みたいなもんだし
プロモーターや団体に対し個々の考え、主張が前面に出てくることも多いんじゃないかな? >>153
へ?プロレスラーは個人事業主なんだから、そんなこと当然だろ。別にプロレス界に限らん。
一般人でもフリーでやってる人間なら当然の話。何言ってんだ?
人間味とか関係ない。
それにやたらブロディを異端の存在と見たがるが、どのレスラーも同じだろ。
いくら団体からのオファーでも、自分の納得できない仕事は引き受けない。それだけ。 >>155
高中正義がラジオで
いつのまにかプロレスで使われてたって大爆笑してたってのは聞いたことがある。 >>157
いちいち「へ?」なんて書かなくていいんじゃヴォケ! ブロディが団体と自分の矜持の折り合いがあまりにも自己中過ぎた
だからエリックとプエルトリコにしか上がるリングが無くなってしまったと >>160
上がるリングは色々あっただろ。
わがまま言っても許される商品価値があったということ。
そこは需要と供給のバランスだ。 プエルトリコで刺殺された時に誰もブロディ擁護しないでコロンに味方した時点でお察し。 >>162
そりゃマフィアに脅されたら誰でもそうなるわな ビガロがプエルトリコからオファーされて
「誰がてめえらのところになんか出るか!ブロディを返せ!」と怒鳴りつけたりとか
B・アレンが「プロモーションの言いなりになならないブロディの真っ直ぐな人間性が好きだった」と
回想していたとかの話もあるからな
井上譲二が「プロモーターから嫌われてたのでレスラー仲間からも嫌われていたのかと思っていたが
レスラーからは「ブロディはとても良い男だった」という声が多かった」とも書いていた >>126
あれはチャンカーにブリスコを派遣するなどグラハムが全日本に再び接近したのも大きかった感じ
逆にソントンのベルトの方はマクガークが引退してベルトが個人所有化していたところを新日本が買ったという印象
結局インタージュニアの管理は82年のNWA総会で全日本に認められるが世界ジュニアの管理が新日本に認められたわけではなく以後は防衛戦を強行する形で継続された V・キニョネスはブロディ事件に関して何か言及してるの?
あ、詳しい事は知らんから既出だったらすまん
IWA関係で来日してて親日派に見えたから…あくまで表面上はね、それに日本でのブロディ人気の事は知ってるだろうし
当然何回か来日する度に記者から聞かれてると思うし。 >>150
あの辺りの描写はなかなかに迫真的でしたよね
むしろそこまでさせる当時のレスリングウォーの凄まじさとNWAの価値の高さが伝わってくる感じで
まあとにかくその前後での馬場のNWAやマソニックに対する落とし前の数々もGスピリッツの記事で触れてましたが >>162
コロンに睨まれたらプエルトリコからのオファーはゼロになるからな。 >>168
ハンセンはあれ以降はプエルトリコには絶対に上がらないと決意。
当然だが。 >>166
キニョネス、25年くらい前のゴングのインタビューでブロディ事件があってから
プエルトリコマットに嫌気がさして役員に名前置いてるだけにして日本を主戦場に
するようにしたと言っていた。ちなみにそのインタビューではブロディとは親友で
彼がプエルトリコに来たときはホテルではなく自分の家に泊めるほど仲良かったと 【頭脳】
三好貴文=高田知彦>>>>>>>>山中寛幸>>>>>>>日山圭 >>167
でもあれは「木を見て森を見ず」というか
長い目でみればブリスコは第一線で息の長いレスラー人生だったのに再冠がなかったのはそういう事をしでかしたせい?とか思ったな。
ドリーみたく「もう王者はこりごり」と思ってたかもしれないが…
>>170
サンクス、そうか組織側の人間だからといっても納得できないものは一線を引いてたのか
でもゴンザレスもかなり後のインタビューで、かなり後悔してるみたいな事を言ってたような気がする
プエルトリコマットも衰退したし、あの事件は誰も得するものは当然いないんだけど、皆が不幸になった気がする >>172
> 長い目でみればブリスコは第一線で息の長いレスラー人生だったのに再冠がなかったのはそういう事をしでかしたせい?とか思ったな。
> ドリーみたく「もう王者はこりごり」と思ってたかもしれないが…
再冠したのってテーズ以降はローデス、馬場みたいな短期を除くと
レイスとフレアーだけじゃん。 >>169
いいテリトリー(ビジネス上)だったろうに。
ハンセン。でもコロンとインベーダーと肌を合わせて試合したくないわな。 >>162
うちで仕事しないかとコロンに誘われたビガロは
ブロディを家族に返してやれファックユーと断った ブロディ事件といっても逆上したゴンザレスが刺したってだけで陰謀説の立てようがないけどな、刺されたまま放置された(コロンの指示?)みたいな陰謀説は知ってるけど嘘くさいし プエルトリコはWWFの次位にギャラが高いテリトリーだったので
アメリカの一流どころが遠征して来ていた
ブロディもその一人だった >>158
高橋幸宏が言っていたけど
教授が中心になって当時の新宿ピットインで常連だった腕扱きミュージシャン達を
ジャンル問わず声掛けて集めてフリースタイルによるインプロビゼーションありの
ジャムセッションをやっていたのをレコーディングする企画が持ち上がった時に
アルバム発売にあたってグループ名を付ける必要があったため
そういう腕扱きの面々によるフリースタイルのジャムセッションを例えて
“カクトウギ・セッション”と名乗りその中の一曲に“カクトウギのテーマ”と名付けていたところ
アルバム発売後しばらくたってから本当にプロレス中継に
“カクトウギのテーマ”が使われてることを知り教授ともども大笑いしたそうな
※ちなみにカクトウギ・セッションには高中も参加してる >>180
パワーホールの作者は「プロレスなんか全然知らないしやつけ仕事で適当にやった!」
と当時は言っていたが最近では「どこで打ち合わせをしても初対面に人に
"長州力にテーマ曲の人!と言われて仕事がスムーズに進むんで感謝しています!」と
コメントしていたw プロレスや長州の事を全く知らずに適当に作曲した事を
反省していたw
>>152
全日来日時に道場で渕は指導を受けている。
>>154
猪木が海外武者修行時に「一番強かった!」と語っている。 ちなみに平沢進は著作権をテキトーにしてたせいで
パワーホール関連の印税が入ってこないらしい
周囲から「テクノたい焼きくん」と呼ばれているそうだ >>184
フリーバーズとマーテルは米国内のオリジナルテーマ曲
他に米国内オリジナルテーマ曲はいるかな? >>185
そうなんだ、カブキのテーマはダラスで使ってたのかな >>184
自分でテープ持参してこれ流してくれと言うのはなかったのかな? >>186
「来日」ごく初期は確か違う曲だったよね
例の「ヤンキー・ステイション」は作曲キース・モリソン名義だけど日本人作家の変名
(スパルタンXと同じく映画のサントラ曲として作られたのを使用パターンってか同じ人) スティーブウイリアムスが新日時代に「俺のテーマ曲はボーンインザUSAにしてくれ」と言ってきたらしい。
確かケロが週プロのコラムか何かで書いてた。 >>185
マーテルのレッツヒアボーイがなんでマーテルのオリジナルなんだよ。全米で大ヒットした曲だぞ。
適当なこと言うな。
バンバンビガロは、最初ジョーズだったけど、すぐ自分のバンドの曲に変えたね。
会場でテープ売ってたらしいけど、買った人いるんかね? そういや最初はジョーズだったな
ひょうきん族のせいで全く怖くなかった >>190
それから>>184 は日本(日テレ)選曲か海外で元々使ってた曲をそのまま使ってたかの質問だろ
レスラー自身のオリジナル曲なんて極少数しかいねーじゃねーかw >>173
陥落前のブリスコはもう燃え尽きそうだから早く後釜を決めてくれと悲鳴を上げていたみたいですね
レイスを評価しないテーズはブリスコの返り咲きを一番期待していたみたいですが レイナード・スキナードのフリーバードも、ホテルカリフォルニアと同レベルの有名スタンダードだが >>200
おお、そうやった。
バッドストリートUSAと勘違いしてた。 >>189
言うだろうな。
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』はミッド・サウスでウィリアムスの代名詞のような曲だったから。
確か、90年3月のバリー・ウィンダム(鶴田との三冠戦)もこの曲だった。
当日はウィリアムスもいたが、既にゴディとのコンビで『勇士の叫び(I Love It Loud)』になっていた。 >>202
>確か、90年3月のバリー・ウィンダム(鶴田との三冠戦)もこの曲だった。
このシリーズは開幕戦からバリーとダスティンの入場曲として使われてた。 他団体から全日に上がった日本人(在日含むw)は殆ど曲変えられてるけど
元の曲のまま使ったのは阿修羅、上田、長州か、他に居た?昭和全日限定で
長州は日テレが選曲したのを拒否して(一・二回使ったかな?)パワーホール
阿修羅と上田はテーマ曲使われたり使われなかったりしてたな >>180
サマー・ナービスってアルバム。
当時レンタルで見つけたわ。
再生してあのテーマが流れてきたときは感動したなあ。 >>205
上田はテーマ曲あったんだっけ?
先日のプロレスクラシックスでは、
テーマ曲無しで入場していたが。 ジャパン・プロレス版の長州のテーマは
Deep PurpleのComin' Homeに「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」と掛け声を追加したものだね
あまりにも不評で元のパワーホールに戻された
阿修羅は天龍革命のあたりでVAN HALENのDREAMSに変わった
三沢タイガーとの試合ではアシュラのテーマだった記憶がある >>202
後楽園のスミス戦、千葉公園の鶴田との三冠戦
ゴディが勝ったあとフリーバードが流れた
(入場はTVに映らなかったので不明) ウォリアーズはアイアンマン、アメリカでも使ってたよね。 >>213
UWFとの5対5イルミネーションマッチの入場は、スパルタンXだった記憶がある。 >>208
82最強タッグではノーテーマで入場してたが馬場や天龍とのシングルでは「地獄に堕ちろ」が掛かった
>>209
阿修羅のテーマはヒットマンになるまで殆ど掛からなかったな
鶴見とのシングルでは流れたけど >>210
千葉公園の3日後の最終戦・武道館(ハンセンとの三冠戦)の入場では『勇士の叫び(I Love It Loud)』だったね。
千葉公園以降『フリーバード』を聞いた記憶がないから、あれが全日本で流れた最後の『フリーバード』だったのかな。
なんで千葉は『フリーバード』だったんだろ。 >>212
全日本プロレスのテーマ曲集に未来日のウォリアーズのテーマが入っていた。
結局そのテーマ曲は使われなかったが、ウォリアーズはうちの物と
新日本をけん制しているようで、変に感じたのを思い出す。 >>209
♪エイ!エイ!エイエイエイエイ!の曲は谷津が引き続き使ってたな
ってかジャパン軍のテーマみたいな使われ方だった >>219
ジャパン軍のテーマはホットポイントだろ。
谷津も小林も使ってた。 ホットポイントもいい曲だが、小林邦昭にはザ・ルームだな >>216
上田は参加した最強タッグ全てで馬場組の足を引っ張ったんだよな
特に開幕戦の82年は印象に残った vapの全日テーマ曲集にある暴走戦士の謎のテーマ曲「ストーンウォリアー」 >>218 >>224
そう云うレコード会社が勝手に作った会場未使用のテーマ曲は全日新日問わず結構あったね
後ウォリアーズは当時馬場のブレーンを気取って全日のオフィスや会場を闊歩していたピラニア山口が盛んに推していた(だから末期の別ゴン→初期の週ゴンでよく特集記事が組まれていた)から
日テレやVAPとしても近い将来の来日を予想していたんじゃないのかな? >>182
まああの時代ならまだ個人の名前でやる仕事でなくようは単なるBGMみたいな扱いだと
印税契約より買取りって方が多かったろうし
平沢側もそれでまとまった金が入ったおかげで年越せたって昔話してたなw
未だにカルト的な人気のある人だけどそれでも霞食って生きてくわけにはいかんしね
でも印税はたしかに惜しいけど
CM音楽とか劇伴BGMのような匿名性の強い仕事で食っていって
P-MODELを続ける(金にならないけどw)って形で
やっていくうえでああいう誰でも知ってる作品があるってのは
例え印税入ってこなくても仕事上相当大きかったはず >>193
> レスラー自身のオリジナル曲なんて極少数しかいねーじゃねーかw
向こうじゃWWEやWCWという大手企業がそういうレスラーのマーチャンダイジングまで
きっちり管理してビジネスにしだすまでは
あくまでレスラーは個人事業主で数週間から数か月間とかで次々にテリを渡り歩くものだから
日本のように会社やTV局が用意してくれるわけじゃないからね
本人がバンドやっててそのオリジナル曲を宣伝がてら使ってとかじゃなければ
ある会場でなにかで使われたのをたまたま気に入って以降もとか
普通にプライベートで自分のお気に入りの曲をってのが殆どになったんだろうね >>205
たしか前のリングでのイメージを早く消すのが第一の目的だけど
その他にテレ朝や12チャンネルwと違って
日テレはあの頃グループに新興のレコード会社vapを興してて
とはいえ新興レコード会社って当然最初は有名アーチストとかあまりいないんで
当時プロレステーマ曲集がヒットしたのがすごく大きかったらしい
それもあってオリジナルテーマや既存曲でも日テレ系の音楽出版が権利持ってる楽曲を
オリジナルとは別のミュージシャンによる編曲演奏バージョンで新たに録音するのが
絶対ではないが“推奨”されてたらしい
まあある程度時期が経つとプロレステーマ曲集が売れるといっても知れてるし
vapもある程度大きくなったしでオリジナル録音に変に拘ることも
日テレ系出版社保有の楽曲とかいう意向も有耶無耶になったそうな >『One of These Days(吹けよ風、呼べよ嵐)』結婚式 シーン分析
>One of These Days(吹けよ風、呼べよ嵐)のベストシーンはお色直し入場
>結婚式で実際に使ったカップルの数は 1 組
https://wiiiiim.jp/music/395.html 印税と言えば山崎ハコは昔いた事務所に騙されて
デビューしてから22年間印税を貰ってなかったんだそうだ
カールスモーキー石井も昔の事務所に権利を持ってかれて
作詞作曲印税は入らないとか クリエイションとかジグソーは
プロレスがなければ、全然知らないままだったわ >>230
「およげたいやき君」のメガヒットも子門真人は子供番組の歌だったので歩合制に
せず一本いくらの契約で大損するもその後に特別ボーナスをもらった。
B面の「一本でもにんじん」も本数契約で特別ボーナスももらえなかったのは
隠れた名曲を歌った「なぎら健一」だった。
>>228
「スカイハイ」以来のオリコンで順位に載るくらいのヒットになったけどほとんどが
カバー曲の中で「サンダーストーム」だけはオリジナルだった。
他のレコードでも「王者の魂」だけオリジナルだった。
新日だけど「新間営業本部長のテーマ」なんて珍曲があったw >>232
サンダーストームだけオリジナル、とはどのアルバム?
そんなんあったの? >>232
「子門真人に特別ボーナス」はデマだって有名だろ その後あちこちで「もらってません」って言ってる フリーバーズは1984年はちゃんと三人で来日してた覚えがあるけど
翌年からはゴディだけな記憶、一本釣りだったのかな…
馬場から見てもチームとしての商品価値はなかったという事かな…?
それとこの時期、全日の大阪軽視が度々話になったけど
鶴田vsロビンソンで府立体育館
鶴田vsゴディで大阪城ホール
これはちょっとねえ…ブロディならまだしも、同じ見に行くなら外人勢ぞろいの最強タッグ行くよね
目算が甘いのか、それともどんなカード組んでも入らないから諦め感なのか… >>232
いやいやサンダーストームはカバーでしょ? >>223
何気に78年〜82年の参加チームを改めて見てみたら
82年の参加チームの充実、粒揃いぶりが凄いなと思った
馬場&鶴田
ファンクス
ハンセン&ブロディ
天龍&原
レイス&スレーター
リッキー&ジェイ
上田&Sデスト
↑
上田&Sデスト
これがシン&上田で参加してれば全会場で全組み合わせが消化試合無しじゃん
Sデストロイヤーには失礼だが… 大木が全日を離れ国際に入団した経緯はどうなってるの?
単純にオファーを出さなくなったのか、承服できない負けブックを押し付けられたか? >>238
ブッチャーが晩年に全日を離脱した時の経緯を話してたインタビューでは
「ババとの間に契約書はなかった、次期来日の事はシリーズ終えて離日する時に必ず話があった」
「ところが結果的に最後のシリーズとなった時に、離日の時にババから何の話もなかった、オレはこれをババからの契約切れと理解した」
こんな内容だったが、時期は違えど窓口は馬場なのは変わってないし、大木も同じ感じではないのかな? 基本的に契約書なんてないんだよ全員
あとから電話できるんだし。 SWS裁判で谷津等のレスラーに対して全日本は勝っていたじゃん
むしろ馬場は細かいから綿密な契約者を作ってたのでは >>240
だとしたら法人として成してない。
個人事業主でもありえんw >>237
シン、上田じゃなかったのが残念です。
シンは別のスケジュールで参加できなかったらしい。
じゃなければ当然シン、上田だろうし。
そこにアーウィン兄弟がスーパーデストコンビなら。
スーパーデストコンビでも白星配給という貴重なる役割を担い。
更にスヌーカなら最高だった。
スレーターには失礼だが。
それでファンクス援護としてスレーター、デビアス。
ファンクス
馬場、鶴田
ハンセン、ブロディ
レイス、スヌーカ
シン、上田
スレーター、デビアス
天龍、原
スーパーデストコンビ
このメンバーなら最強タッグの歴史に残っただろう。 >>231
81年ごろにドラマやCMのタイアップでクリエーションが割と歌番組に出てたな。
「ロンリーハート」や「ハロー、アップルヒップ」とか。 >>224
そうそう。
で来日したらアイアンマン。あれはなんだったのか?
鶴田のTTバックドロップと並ぶ謎。 >>235
そのせいでヘイズがピンでの活動に限界を感じ、ジム・ガービンをパートナーにしたんだっけ
ヒールとはいえよくあの二人でウォリアーズ相手に渡り合えてたよな >>246
でもストーンウォリアーだったら入場は全然盛り上がらないな。
どちらかといえばラシアンズ向けの曲だ。 80年代のロッキー羽田とグレート小鹿のフィニッシュ技を教えてください… >>248
トマホークの音みたいなのががスコーン、スコーンと入ってる不気味な曲だったよな。 >>245
ファンクスで聴くまで全然知らなかったけど
業界では、ゴダイゴなどと同じように評価が高かったらしいね ラジャライオンのテーマ曲も日テレが選んだのかな、アジアン風な感じで歌もあった >>235 >>247
当時の週プロやザ・プロレスに載っていた記事を信用する限りだと
ヘイズとバディ・ロバーツがガチどころじゃないくらいに不仲になって
中立派だったゴディが2人のいがみ合いにウンザリして主戦場を日本に移す決意をしたらしい
他にも一時期テーマ曲にも使っていたバッドストリートUSAが予想以上に売れた事で有頂天になったヘイズが
ミュージシャンとしての活動の比率を増やそうと目論んだのをロバーツとゴディが反対していたなんて噂もあったな 83年最強タッグ、蔵前や札幌の超満員はともかく鬼門の大阪と愛知の満員は上出来だな
特に大阪府立は鶴龍vsシン上田と超獣コンビvsウインダム・フラーのそんなに目玉でないリーグ戦で
前年以上の8700人入れたのは開幕戦だからか?
メインで興奮した?ファンが爆竹鳴らしたのは笑ったがw
愛知県体育館も主催者発表で9800人なら上出来だが福岡と広島は相変わらず満員にならないなw 福岡はさっきプロレスクラッシックでやってた
馬場、鶴田vsシン、上田はよく入ってるな
全日史上で最高というか唯一かも >>231
>>251
あの時代というか実際はちょっと前くらいに
バンドやったりギターやったりしてた人間にとっては
竹田和夫とブルースクリエイションは超有名
というかCharか竹田和夫が日本人ギタリストでは音楽ファンには一番有名だったんじゃないかな
高中がソロで売れたりカシオペアの野呂一生や渡辺香津美なんかが売れるちょっと前の時代
(竹田自身、STHの時代はブルースロックから既に時代の流行りでFUNKやディスコフュージョンっぽい音になってた)
元々「日本のクラプトン」と称されてた人だったんだけど
日本のロック自体がそもそもまだ全然パイの小さかった時代だからね
あとスカイハイは一応原曲?(というかジグソーオリジナル版発売時)自体もヒットはしてるんだけど
(これでも一応全米3位全英9位ついでに日本の洋楽チャート1位なんすよw)
いかんせんB級映画のサントラ用主題歌で
ジグソーもいわゆるシリアスなブリティッシュロックバンドっていうより
初期のライブでは曲間にちょっとした演芸やコント漫談まがいを挟んだりするB級バンドだった
売れたのは当時所属してたスプラッシュレーベルっていう
限りなくインディに近い小さなレコード会社のマネージャーと
A&R(レコード会社のプロモート担当)が音楽出版社の担当と知り合いで
その担当から豪/香港合作の映画の主題歌の仕事があるんだが
有名アーティストからは断られまくってw
もう映画公開の締め切りギリギリになったんでって相談があって
それならうちの曲作れる(たいして有名でもない)ミュージシャンに
期日までにやらせようってことになってジグソーにその仕事が回ってきた
それがスカイハイ誕生秘話w
ちなみに映画の原題は『The Man From HONGKONG』
いかにもB級っぽいでしょw
なお上に書いた全米3位全英9位は映画のヒットによるものだが
日本の洋楽チャート1位だけは映画公開よりしばらく経ってからのヒットで
最初はジグソーの日本のレコード会社担当も
なんで無名バンドの曲が突然売れてるのかわからなかったそうで
その原因が分かったので急遽シングル盤のジャケットを
皆さんよくご存じのあの写真に変更して出し直し更に売上伸びたそうな
メデタシメデタシw >>255
それは意外だ
全日でのシン・上田は動員力が無いイメージだったし
それは魅力が無いという事じゃなくて
「どうせ反則で終わりだろ」的な先読みも多少はあったかも…
あと、その前に放送してた鶴田vsフレアーの蔵前も良く入ってたし
特に猪木vsホーガンの蔵前とニアミスだったから大健闘
あの時期はテリー引退直前という事もあって、
テリー来日とか関係なく、全日ファンの気持ちが高揚してたのかもしれない >>245
クリエーションの「ロンリー・ハート」は当時の「ザ・ベストテン」などにランクインした大ヒット曲だからな。
ヴォーカルがアイ高野だったというのは後年知ったが。 クリエーション云々って話したら、バンドやってる友達に、よく知ってるな、と驚かれた思い出w
当時のプロレスファンはほぼみんな知ってたよな >>260
アイ高野ってジャスピオンの?!知らんかったー >>262
HRやHM以外のおっさんロックファンからすると
特に音楽詳しいわけでもなさそうなプロレスファンが
たとえば「移民の歌」を知ってることより「アイアンマン」知ってる方が
その人の年代にもよるけど意外だったりする
それは一般的なツェッペリンとサバスやオジーとの知名度の差
スポーツ系ではサッカーでのクイーン「ウィウィルロックユー」「ウィアーザチャンピオン」は
さすがに誰でも知ってて不思議じゃないけど
MLBのファンがメタリカの「エンターサンドマン」やAC/DC「ヘルズベルズ」知ってたのは
理由聞いて納得した >>255
そのときの福岡の会場は福岡スポーツセンターで、
当時の最強タッグは福岡国際センター。
国際センターだったら満員になってなかっただろうな。 竹田和夫はプロレス特集のインタビューで、
「俺はファンクスに魂を預けてあの曲を作ったんだ。何とかスープレックスとかと一緒にされたくねえ」
と言っていたが、ドラゴン〜、だよなw
何でピンポイントで敵視してたんだろ レベッカの土橋が
「プロレステーマの最高傑作はスピニングトーホールドだ」と言っていたな
片や平沢進はプロレスに関心が無くて短時間でテキトーに
パワーホールを作ったと言ってたがテキトーなのが覚えやすくて
かえって良かったんだよな なんか昔スピニングトーホールドはぱくりって聞いたけど
まあ耳心地のいいフレーズなんて似てしまうものかもしれんが スピニングトウホールドはクリエイション(音引きじゃないのが正解でしょ)の中でも
珍しいインスト曲だからね。
オープン選手権で選手のテーマはインスト、という雛形が出来たのはスピニング〜と
吹けよ風〜のせいだろう。
厳密には吹けよ風〜は後半部にうめき声みたいなのが入るけどそれまでに終わってしまうから。
この二曲がインストじゃなかったら、そっちで行くこともあっただろう。
スカイハイやチャイニーズカンフーはボーカル曲だったから。 >>212
ウォリアーズはアメリカだと冒頭にホークの唸り声から始まる曲でなかったっけ? フレアーが自伝に書いてある防衛戦で来日したが
成田に到着してその日の便で帰米してしまったエピソードは
全日15周年大会の長州のPWFとのWタイトル戦の事?
文中では3試合ブロードウェイ(時間切れ引き分け)の予定だったらしいが
長州に努まったかな? >>271
話の本質からそれるかもしれないが
フレアーの事を悪く言う関係者や元レスラーの証言て見た事がないねえ
あれほどの大物なら何かしら敵対勢力ぐらいからはありそうだが、少なくともオレの読んだ文献上は。
あと、全日スレだから名を上げるとニックやドリーの悪口も読んだ事がない
ハンセンが若手の頃に過酷な遠征を強いられた、的な含みある発言と嫁さんの伝聞ぐらいか…
でもハンセンは結果的に全日に橋渡ししてくれた恩などが上回り、ファンクスに対してのしこりは氷解してる感じだし
テリーは良くも悪くも破天荒でリスペクトされながらも、どこか「しようがねえなあ(笑)」的な反応の証言は多いね
例えると生前の橋本真也の回想とダブる気がする、テリーに関しての回想談は。 去年だったかな?BSでスカイハイ1曲を特集した番組やってて
今のジグソーのメンバーがインタビューで「日本でこの曲がヒットしたのはスモウレスラーの入場曲だったんだろ?」て言ってて笑えたw >>271
85年のスーパーパワーウォーズだったはず。
来日したけど母親の危篤ということで一旦帰国して
長州戦の間に合うように再来日し長州戦、鶴田戦、最終戦のアニマル&栗栖
の3試合をやってた。 >>272
受けのレスリングの人だからだろうね、例え試合の9割が受けで終わっても苦情を言わないトップレスラーはリング上では嫌われにくい
ロッキー羽田とか受けタイプでも私生活が理由で嫌われる人はいるけど >>272
ドリーは井上の話で
リング外のコトだけど皆で食事してても支払いになるとさっと消えてたりみたいなのがあって
アンドレなんかも怒ってたなんて話があったな
嫁がそういうのに煩いうえがめつくて
本人もそれに対して無頓着というか言いなりってニュアンスで
あとリング内に関してもこちらの技を受けないみたいなカタいことはないけど
攻める時も受ける時も常にマイペースで
自分のテンポでしかやろうとしないって評価は見た憶えあるな
誰のコメントだったか憶えてなくて申し訳ないけど
ニックとフレアーに関しては仰る通りリング上でも
バックステージや会場外での振る舞いに関しても悪く言う関係者は見たことない
あとはパターソンとかモンスーンとかも人望厚いタイプ
パターソンなんて後年のゲイパワハラ疑惑で告発された時も
レスラーや関係者など業界内の人間はは皆擁護派だった https://kissatalk.web.fc2.com/kissa_talk_019.html
ロビンソンとドリーとがね30分1本勝負で闘ったんですよ。これはね、非常に珍しいマッチメイクなんですよね・・・・
これね、ロビンソンが仕掛ける、ドリーが必死になってカットするんですよね。全然技を掛けさせないんですよ。逆にねドリーが飛び込んでいこうとする、技を仕掛けようとする、ロビンソンがキレイにかわすんですよ・・・・・ プロレスクラシック再放送で、グレッグ・バレンタインvsリック・フレアーのUSヘビーやってる。
フレアーがレイスにNWAとられて無冠の時だね。
新日本の常連のグレッグが日テレで見れて新鮮だった。 >>279
プロレスクラシックではセントルイス・チェッカードーム大会
ミズーリ州ヘビー級戦ケリー・フォン・エリックvsグレッグ・バレンタインやってたぞ >>279
そのあとの試合に出てたフィッシュマンは
同じ時期のタイガーマスクと試合してたんじゃないかな
何げに新日と全日の両方にテレビ出演してるな 新日本の海外中継でMSGのレイスvsローデスのNWA世界戦流れたことあったね。 ■天龍源一郎がリックフレアーを語る
■同業者のレスラーに対して常に敬意を払ってた
天龍「・・・(フレアーは)誰であっても同業者のレスラーに対して常に敬意を
払ってたし、自分がトップだから、稼げないレスラーには必ずご馳走するって
いうのが徹底してる人だった」
■聖人のようなリスペクトする人
天龍「トップになれは、普通なら誰かの車に乗っていくのが普通なんだけど、
必ず自分が運転して食事やビールを振るまうっていう。俺にとっちや聖人の
ようなリスペクトする人だったよ。俺みたいなガキでも、自分の車に乗せて
4時間も5時間も代わらずに自分でずっと運転して『腹減ってないか?』って
シュリンプ・カクテルとビールを買って。もしも俺の中に違う人格があると
したら、それはフレアーから得たことだと思うね」
■気配り、目配りを教わった
天龍「フレアーには『プロとは・・・』というのを、身をもって教えられた。
それから『トップは優しくあれ』ということをね。誰に対しても気配り、目配り
だよ。フレアーがどんなレスラーに対しても呼び捨てにしたのを聞いたことない。
あれが彼の偉いところよ」 クロケットプロがターナーに買収されて間もない頃、フレアーがトップコンデンターに指名したのが天龍だったと佐藤昭雄が言ってたね。
スケジュールさえ合えば天龍がNWA世界王者になってたかもと。
日本のスケジュールを空けることできないからこのプランは消え、代わりにウォリアーズとの合体がアメリカと日本で実現したんだよね。
急に天龍がウォリアーズと組んでNWA世界6人タッグ王者になった。
ローデスとウォリアーズが世界6人タッグ王者だったけど、仲間割れしてアニマルがローデスとの遺恨マッチに勝ち、天龍をローデスの代わりの新パートナーに指名したという形にした。
当時の雑誌で「天龍、ウォリアーズと組んで世界6人タッグ戴冠」と報じてたけど、天龍とウォリアーズとの3ショットは6人世界タッグ王者のはずなのに、ベルトは2本だけ。ウォリアーズが当時保持してた世界タッグのベルトを3人で持っての撮影だった。 1985年が、ブッチャーもシンもいない初めての最強タッグだったんだな。 いまクラシックで、1985年最強タッグ開幕戦を再放送してる
ここでは何かと不評の1985だけど、この開幕戦だけは面白いよね
長州谷津vs木村原 ハンセンデビアスvsブルドックス
この2試合は白熱してたし、何より原の体格の張りが凄い
ヒットマンで復帰した頃はブランクで息が上がり、短期決戦ばかりだったけど
この時期は完全に元に戻ってる、いやそれ以上の仕上がり感
カチ上げるタックル式のラリアットは個性的だったよね。 >>288
そうでした、上田が出ていたから勘違いしてしまいました。 リングサイドに映っているイーデスハンソンさんが懐かしい、もう今は80歳くらいかな? 長州・谷津ーラッシャー・阿修羅、いい試合だな。ラッシャーの動きがいいな。 いつの時代を見ても
中堅若手が着てるジャージがダサい >>294
特にこの時期の黄色と黒の配色は、国際プロのキャピタルジャージを思い出してしまう。 引き分けも多いけど、開幕戦のセミメインと、横浜のハンセン組vsレイス組以外フォール決着もなかったんじゃなかったかな。やたら反則リングアウト決着ばかりだった覚えがある >>289
確かに引き分けは多かったけど、個人的には85年好きなんだけどなあ。
85年の長州は最盛期だし、ハンセン&デビアス、ブルドッグス、鶴龍もチームとして一番勢いがあった時じゃないかな。
木村&原も良かった。 1985年大会は最終戦でハンセンデビアス組と長州谷津組が引き分けて、ハンセンデビアス組の優勝決定だったっけ。 CCやワールド大リーグみたいなシングルの大会ならある程度は仕方ないけど
最強タッグやMSGタッグとかで
最下位orブービーとかのガイジン側白星配給役チームが
熱戦譜とか見てるとノーTVの地方興行で
まだリーグ戦の公式戦対戦前に上位候補チームと
リーグ戦そのままの顔触れで普通にセミ前とかでやって負けてたり
酷い時はリーグ戦に参加してない中堅クラスで組んだタッグに
負けてたりするの発見するとなんかガッカリというか
もう少し考えてマッチメークしてくれよって気になってたな >>297
でも85年は動員的にも苦戦したと思うよ
横浜と武道館だけ観戦した、目算でしか覚えてないけど
横浜は前年の6割ぐらいの入り、まあ1984は最終戦だったから比較にはならないけど
でも武道館はひどかったと思う、器が大きいからそう見えたのかもしれないけど
でも、武道館の観客をそのまま両国や蔵前に移し変えたとして、埋まるかといえば全然足りてないと思う
ゴールデンタイムに移ったばかりの時期なのに、動員に反映されてなかった気がする
翌年の1986最強タッグもメンバーがもっとマンネリ感があったが
最終戦の武道館は輪島効果?で1985よりは埋まってたと思う
でも個人的には1985よりも1986が1番面白くなかった、というより開幕時点でワクワク感がなかった…
やはり自分は1987年が1番好きだ、ジャパンがいた反動かもしれないけど、「帰ってきた豪華外人の最強タッグ」って感じで。 >>296
85年は白星配給係がいないので、最後まで優勝の行方がわからないというのが売りだったんじゃないかな。
とはいえ、最終戦のハンセン&デビアスは谷津からフォール勝ちですんなり決めればよかったと思うが。 >>301
新日が予定通り最終戦を両国にしてたら発表でも1万人割れになってただろうな。
無論新日のほうも相当減っただろうが。 >>302
こういうリーグ戦で白星配給係がいないのって
熱戦に次ぐ熱戦、白熱の優勝争いに戦前は期待高まるけど
意外と反則やリングアウト時間切れとかが多くて
強豪がスカッと勝つシーンが少なくて消化不良になったりもするんだよな
レイス&ニックみたいな超大物同士の即席コンビが
星取り上は意外と扱いが難しいのと同様で >>270
それはWWFでリージョンオブドゥームになって以降だね >>305
WWFはその辺マーチャンダイジングに厳しいから
たとえどんだけアイアン・マンのイメージ強くても
オリジナルテーマを自前でちゃんと用意しちゃうんだよな
曲自体の是非はともかく
この辺からしてやっぱり他とはビジネスに対する意識が全然違ってた 今G+の85年世界最強タッグでハーリー・レイス組vsブルドッグスの試合やってるが、レイスがスミスにダイビングヘッドバットやったら今度はキッドがレイスにダイビングヘッドバット。
こんな渋いカードは日本でしか見られなかっただろうな。 >>306
ビジネスに対する意識って、
なんでもかんでも褒めれば良いってもんでもない。
テーマ曲やらキャラクターやら、問答無用で変えるのは違和感があったわ。 オリジナルアーティストに怒られないギリギリのこういうのもっと作れば良かったんだよ
これ作ったのはスペクトラムの新田一郎、誰あろうサンライズのオリジナルの人だけどw
https://youtu.be/sETRtPlQxNw 85年の最強タッグはニック組が3連敗スタートで、白星配給係になるのかなと思ったところに
ハンセン組にTVマッチで反則勝ち
国際血盟軍に反則勝ち
ジャパン勢に時間切れ引き分け
で、たちまち優勝争いに入ったな >>308
そうだよね。今ではそれって「大人の事情」となれば仕方ないと思わざるをえないけど
いいじゃん、ちょっとぐらい気にすんな〜みたいなのがあってもいいのにね。
タイガース・マスクみたいなどっち方面からもやばそうなのとか。 >>310
最初から星取り決まっているからね。と言ったら夢が無いね。 昭和時代はフォール取ったレスラーのテーマを流すって発想はなかったのかな?
試合後にテーマ曲流したのはテリーの引退試合、天龍のUN奪取くらいしか思い付かない。 昭和時代はフォール取ったレスラーのテーマを流すって発想はなかったのかな?
試合後にテーマ曲流したのはテリーの引退試合、天龍のUN初戴冠の時くらいしか思い付かない。 >>313
最初はファンクスのオープンタッグ優勝だろうな。
昔はカセットテープだったから、めんどうってのもあったろうね。 クラシックでオープンタッグの見てたら
ファンクスのテーマでファンクス入場
その曲の後半あたりで、対戦相手の馬場鶴田が入場
ブッチャー組のテーマの時も同じくロビンソン組が入場
この大会では入場テーマはファンクスとブッチャーしか無かったの?
馬場ですらテーマ曲が鳴らないのは違和感あったな
あとは出場してないけど、この年はマスカラスが鶴田戦でスカイハイぐらい? >>316
あれは拍子抜け演出だね。
81年7月に馬場とカマタのシングルがあり。
そんときに馬場の日テレスポーツテーマでカマタも入場。
カマタはヒールなんだし。
全日はそういう事を考えなかったのかな?
あと81年Cカーニバル入場セレモ。
肩に名前の襷(たすき)を掛けてブッチャーやブロディも普通に入場。
外人勢が順番に並んで普通に入場だった。
当時は気付かなかったが、少し前に動画見て気付いた。
81年最強タッグ入場セレモではシンがいたせいか、各自が独自の入場。
シンやブロディはは暴れてシークは客席を徘徊と。
こういう方がいいと思う。 83最強タッグ、愛知県体育館の夢の対決鶴田vsフレアーで鶴田の入場時にJが掛かってた
最強タッグはローリングドリーマーとサンダーストームの合体曲だったからこの日がJのお披露目だったの?
この日は土曜トップスペシャルの生中継だったからお披露目には相応しいと思うが
実況の倉持は鶴田の新テーマ曲について何も言わなかったしなw >>313
両国での猪木対藤原で猪木が勝った瞬間テーマ曲をかけたけど、前田が乱入してハイキックを見舞いセコンド入り乱れたのですぐに止めたことがあった。 >>317
拍子抜けって
まだテーマ曲が流れるって演出が定着してなかった時代だから仕方がないだろ。
そんな当たり前のことを想像できないお前の方が問題だぞ。 勝った側のテーマ曲を流す、って演出は悪い面もあるよな。
有耶無耶だったりしょぼい決着で観客が「あーぁ」ってなってる時でも
強引に「はい終わり終わり」って感じでね。
モノ投げや暴動回避には適切なんだろうけど。 >>321
勝者のテーマを流す前からプロレスを
見ていた者としては同感!
逆に良い試合であっても、
観客が思い思いに感動を叫んでいたが、
今は、そういう声がテーマ曲にかき消されている。 確かレスリングサミットを見た新日が取り入れてんだっけ >>323
それは知らなかったけど
同時期にNKホールで武藤の凱旋試合のIWGPタッグ
あと、ベイダービガロvs長州谷津
どちらも3カウントが入った瞬間に勝者テーマが流れた
当時は唐突感と斬新さ、両方の気持ちがないまぜになった感があった。 >>324
それは知らなかったけどって、
リアルタイムで見てたんだろ?
それは常識だぞ。 >>326
いや、新日が試合後にテーマを流し始めた「理由」が
「レスリングサミットに影響を受けた」という事だとは知らなかった、という意味よ。
、 試合が決まってすぐテーマ曲流すより
リングアナが「〜選手の勝利です!」と言ってから流した方が良いと当時思った。 だよな。
勝者のテーマと敗者のテーマ、両方を用意していて
勝った方の音源のスイッチを入れる、という感じじゃないもんなあ。
予めどっちかを用意してる感じだもんな、今更だけど。 >>329
いやいや、デッキ2台用意してるって言ってるし、
勝ちチームのリーダーのテーマしか流せないって何度も旅日記で書いてるから、
その辺はぬかりないよ。 >>327
わかっとるよ。
あのタイミングでやり始めたんだから、
レスリングサミットの影響なのは明らかだろ。 >>331
リアルタイムで見てたって気づかない奴は気づかないだろ。 日米レスリングサミットの後の大阪府立で、サミットから居残りのアンドレと馬場のタッグが勝った後に王者の魂がかかった
全日としてはあれが最初かしら 試合が終わってすぐに勝者のテーマ曲が流れるのは良いっちゃ良いんだけど(オープンタッグのファンクスもそれに近かったし)、演出感が強くて、最初から用意してたよね感があるのがちょっと、と思うのだった >>310
各チームが最終公式戦を迎える時点で優勝可能性があったんだよね。
この設定は緊張感があって面白かったが、引き分けでの優勝というのは、ファンクスや日本組ならともいざ知らず、
同大会の目玉タッグだったハンセン&デビアスにとってはトーンダウンの印象だったな。 >>336
でもこのリーグ戦、長州・谷津組はピンフォール勝ちはひとつも無く、反則勝ち・負けと引き分けだけ。つまんない星取だと当時感じたよ。 >>335
オープンタッグのファンクスは、表彰式が終わってからスピニングトゥホールドだぞ?!
適当にもほどがある。
用意してた感は、デッキ2台あったら問題ないだろ。意味がよくわからん。 >>297
85年の最強タッグとなるとやっぱりジェシー・バー
ラリアットの受けの良さとか馬場・ドリーと引き分けたりとか当時はまさにレイスの後継者に相応しいくらいの物を感じさせてたのに
その逆にAWA王者になっても細身の感じだったカートがまさかあそこまでブレイクするとは >>338
28戦中ちょうど半分が引き分けか、凄い星取だw >>340
わざわざ揃えたわけではないだろうけど二人ともトリコロールカラーのクラシカルなロングガウンがよく似合っていた。 天龍が離脱した直後の東京体育館で馬場がコーナーに腰を強打して殺人魚雷コンビにフォール負けした試合、
「勇者の叫び」が流れて殺人魚雷コンビがリングを去った後で、まだ倒れている馬場を励ますように「王者の魂」がかかって、
ちょっと感動した 最強タッグ優勝戦はテーマ曲よりもヤマタツが勘弁してほしい 山達はプロレスファンだよ
矢口壱浪なんでインディーレスラーまで知ってる >>328
1982年の最強タッグの時にテープレーダーごと会場から盗まれた事があった
らしい。
>>330
新日では田中リングアナが技が決まりそうになるとゴングをすぐに叩けるように木槌に
手をかけていた。全日は試合後の乱闘でゴングが乱打されていたのが印象深い。 >>338
ハンセン&ゴディは奇跡力組か(・ω・ ) 85年が不評とは知らなかった
ジャパンプロレス参戦してた頃の全日は熱い泥のようで好きだね >>340
バーは25歳の初来日だったけど、馬場、ドリー、レイスに囲まれて良くやっていたね。
馬場の16文をロープを掴んで受けなかったのは驚いたな。馬場もニヤリとしていた。
あと、ハンセンのラリアット一回転受け身も印象深い。
>>347
ハンセン&ゴディは『ニュー・ミラクルパワー・コンビ』と呼ばれていたよ。
息があってバランスの取れた、とてもいいチームだった。 全日参戦中レイスに使い走りさせられて
なんだこのジジイと思っていたけれど
アメリカ戻ったら全米のプロモーターに
あいつはいいレスラーだから使ってやってくれと
レイスから話がついていて感謝したというのは誰だろう あれ?そういえば剛の団体で剛と組んでたのって同一人物のバーだよね?
大型の兄弟みたいなのと抗争してた覚えがある
観戦してないから雑誌で読んだ知識、記憶の片隅に残ってるくらいだけど…
週プロ主催のドームにも出たっけ? バーは確かに初来日の時は大化けするかも感があったけど、
2回目ジミージャックファンクで来た時は全然動けないレスラーに
なってたな。まだ若かったのに。
ローンレンジャー風のマスク着けてたけど、テレビマッチの時でも
着けたり着けなかったりでキャラも中途半端だった。 俺たちのプロレス(10)
それぞれの全日本≠知る12名が明かす
「王道」の真実
団体を設立したジャイアント馬場の没後20年を目前にひかえ、
ともに戦ったレスラーや関係者のインタビューとともに“王道"と
呼ばれた全日本プロレスの歴史を振り返る。
G馬場の死後、袂を分かった者たちの証言、
その意思を引き継いだ者たちの証言から、
2大団体時代の一翼を担ったプロレス団体の盛衰の秘密が明らかに!
・王道・全日本プロレス
誕生までの軌跡
・馬場・全日本を襲った
幾度もの「危機」
・「四天王プロレス」で栄華を極めるも三沢たちがノア旗揚げに動く!
御大亡き後の王道
・御大の死から20年を迎えようとした現在も色あせぬ「偉大なる教え」──。
受け継がれる「王者の魂」
■インタビュー
・倉持隆夫(元全日本プロレス中継実況アナ)
日本テレビと全日本プロレス
・キラー・カーン
蒙古の怪人≠ェ尊敬してやまない我が愛しのジャイアント馬場
・タイガー戸口
「第三の男」が語る全日本プロレスへの愛憎
・桜田一男(ケンドー・ナガサキ)
伝説の喧嘩屋≠ェ70年代を回想 「生え抜き」と「日プロ残党」の溝
・天龍源一郎
円満退社≠ヘなぜバッシングを浴びたのか
・百田光雄
元全日本&ノア副社長が明かす真相
・小橋建太
王道で育った「肩書き」のない男はいかにして絶対王者≠ニなったのか?
・渕正信
全日本一筋45年の側近が目撃した「王道プロレスの栄枯盛衰」
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・川田利明
全日本に残った理由、馬場さん、三沢さん……
「俺の王道」
・田上明
「全日本分裂」と「ノア社長時代」
・秋山準
「王道を継ぐ意味」
■連載
・伝説のプロレス漫画「俺プロ」 再び!!
最狂! 超プロレスファン烈伝
by 徳光康之
・その「真相」と「内情」を再検証
プロレス団体の終焉
第7回:W★ING プロレスクラシックの再放送で
鶴田がAWA王者になって1ヶ月後の蔵前
ニックの再挑戦の試合を久々に見たけど
これ1月前に鶴田が奪取した時も蔵前だったけど
何気に二ヶ月連続で蔵前使用って凄いね、数年前の最強タッグのみの頃から比べれば…
でも春の新設PWFタッグは動員的には不調だったのかな?
このリーグ戦は横浜文化と追撃戦みたいな大宮を見にいった
結果的に馬場の連続試合が途切れた試合と、あとドリーが失神というレアな試合
二日間とも貴重な試合を見れて良かったとは思うが、両日とも満員ではなかったと思う 84年は田園コロシアムも3ヶ月で2回使ってるしね。
下半期は蔵前が無くなったせいか関東の大会場での大会は無かったな。 最強タッグ最終戦も横浜文体だったな、あの時がジャパン勢の初試合か。 >>411
81年に始まり83年に佐山タイガーの引退でほころびが見え始めた昭和新日絶頂期が
崩壊した年って印象だ。
全日はその新日黄金期の吹き飛んだ欠片、ガラクタ、新日の血をうまく活用してゴールデン復活に向け動き出すけど
それは翌年からの話で、84年は全日が全日らしさを失わずに派手で大きな勝負をかけてた年って印象。 84年は俺も太陽にほえろに戻ったもんなあ
ボギー刑事が殉職してからまた新日に戻ったけど 80年代の全日は秋がいつも地味な印象がある
20周年の81年とゴールデン復帰の85年は力を入れてるけど >>416
秋のジャイアント・シリーズは外人勢は毎年豪華だけどね
逆に新春シリーズはショボい印象なんだけど、新年のご祝儀でお客さんは入る印象
あと、自分はプロレス観戦は冬の方が好きだ
単に冷房の効いた会場よりも、暖房の効いた会場の方が熱気を感じる
同じ適温なんだけど、なんか体感が違うんだよな
あと旧大阪府立は暑かったね…飛ぶようにコーラが売れる売れる >>417
>秋のジャイアント・シリーズは外人勢は毎年豪華だけどね
そうかなあ?ブラックウェルが鶴田のUN挑戦者だったり、貧弱な年もあったぞ。
たしかブッチャー&キャンディが、インタータッグを奪取したシリーズだった。 83グランドCCpart2の蔵前フレアーvs鶴田のNWA戦に花束嬢がいなかったのは何故なんだよw
馬場vsブロディのPWF戦には居たのにww >>417
84年はフリーバーズの初のフルメンバー
前半戦にはマーテルの特別参加
後半戦にはレイス、リッキー、バスソイヤー
と結構豪華なメンバーだったね。 >>418
そっか、ごめんごめん…
自分では何か最強タッグの前景気シリーズみたいなイメージがあるんだよね
ブラックウェルはあのジャパン提携の田コロで鶴龍と対戦してたね
でもあの田コロだけは鶴龍は完全に主要カードから外れたな
それで満員になっちゃうんだからねえ…三沢タイガーのデビューもあったけど
馬場ドリーがメインでテリーの復帰のお膳立て…完全に時計が逆回り?と感じた興行だった。
鶴田AWA王者、天龍UN王者
この2人で前半は引っ張ったけど、ジャパンも来るの知ってたはずだし
それでテリーの復帰強硬は時期も機運も悪かったね >>420
そのシリーズだと思ったけど
「リッキーの身内を探してます」のような内容を倉持さんが放送内で話してたと思う
その後の続報が無かったけど、無事に見つかって会えたんだろうか? >>421
思い出したがそのジャイアントシリーズ、後半だけNWA王者のレイスが来たんだった。
馬場が王座奪取するも2度目の防衛戦で奪回され、最終戦ではブッチャーが挑戦していた。 >>419
蔵前は土俵の上にリングを建てるから女性は上がれない。
新日の場合は、リング下で花束渡してたな。 >>424
今確認したら
昭和40年代は全日、新日ともに
蔵前でも花束嬢はリング上にいる
途中から変わったんだな ミルドレッド・バークたちが蔵前で試合した時は違う場所にリング作ったのかな? >>425
オープンタッグの時は子供に花束持たせてたね。 蔵前での三沢タイガー初お披露目の時、危うくトップロープから前のめりで落ちそうになってたよね。
あそこで落ちてたら歴史が変わってたのだろうか。 >>428
ブリザードYUKIを10年先駆けることになってた >>430
おばあちゃんじゃなかったけ。
一緒に映った写真が出てた。 >>415
ワープロのPによると「ライバルは金八ではなく”太陽にほえろ!”だった。」と
述べている。
全日の土曜日8時時代のライバルは「全員集合」だったがお化け番組が相手でも視聴率は
健闘して局内評価はそんな悪くなかった。全日中継の後番組の方が低下したらしい。
>>430
TVの力はさすがに強くて広島にいて会うこともできたらしい。 >>431
母親で合ってる
個人情報は今あえて書かないけど当時は名前も出して呼びかけてた >>433
結婚後、ずっとアメリカにいた母親の血縁者を探したんだよ。
wiki見て確かめてきた。 須藤、このスレおまえにやるから全部ダジャレで埋めろ! 普通に昔話を語ってるスレなのに嫌がらせとは、しはらく書き込みはやめとくわ 他スレではちゃんとしたレスしてるのが笑えるw
日本人と外国人の混成タッグを語れ!
143:お前名無しだろ (ガラプー KK2b-RzWc)[]:2018/12/23(日) 12:02:50.43 ID:fSkQigtUK
>>142
威勢のいい子供が三人の中に混じった印象
【テキサスロングホーン】スタン・ハンセンについて語れ [無断転載禁止]©2ch.net
540:お前名無しだろ (ガラプー KK2b-RzWc)[]:2018/12/23(日) 12:32:19.18 ID:fSkQigtUK
新日時代にハンセンが単発的に組んだパートナー
ローデス(80年5月)
シン(80年12月、77年1月)
ブッチャー(81年6月)
ボック(81年12月) 新日本のファンなの?
40年たっても新日本から嫌がらせにあうとは 昭和の新日ファンってホントにイケズやったわ。
わしが中学生のとき他クラスの新日ファンどもから馬場の悪口を浴びせられるわ、柔道部の道場で決闘をさせられたり散々だった。 >>520
このスレと同じだね、どっちが強いとかどうでも良くて楽しくプロレスを見てたり全日ファン同士で会話してるのに嫌がらせされたわ 強いとか弱いとかじゃなくて昭和の新日本は暗くて華がないから嫌いだった。あと生理的な気持ち悪さがあった。今思えば朝鮮的な嫌悪感だったんだろうと思う 今韓国が日本に嫌がらせしてるのと同じ
全日本側が大人の対応をして嫌がらせがおさまるのを待ってる状態 >>515
ワロタw
キチガイを無理して演じてるんだなw 昭和の親日は新間が嫌いだったな
リング上は普通に面白かった 韓国の日本への嫌がらせ、新日本の全日本への嫌がらせ、このスレの嫌がらせ
キーワードは朝鮮だと思うわ。純粋な日本人のすることじゃない >>524
オレ全日ファンだけどどっちが強いかって滅茶苦茶知りたいぞ その時代も天龍と藤波が雑誌で対談して仲良くなったら新日本が天龍対藤波を勝手に決めて「もしこれが壊れたら馬場の責任です」と嫌がらせしてきた
嫌がらせというか企業戦争なんだろうが、やり方が汚いわ >>541
G+プロレスクラシック再放送見まくってるけど
どの時代の全日も面白いなあプロレスは本当にいいものだとしみじみ思うよ >>543
俺はジャパン時代のは苦手だわ、自分勝手なレスリングと引き分けだらけで。90年代もずっとプロレス見てたからジャパン対全日本の前座試合は面白く見れるけど 新日全日関係なく見てたなぁ
金曜8時に土曜5:30、全日とか新日とかの違いも小さい頃はわかってなかったから週二回楽しかったわ 確かに小さい頃は両方見てたけどプロレスより巨人ファンのが先なんでその流れで全日本のが好きだった。テーマ曲もそうだし馬場が元巨人とか >>543
豪華外人が大挙してた頃がやっぱり面白いわ
今見ると単純にでかい奴のぶつかりあいが面白い 昔は球団を持っていない都道府県は巨人戦しかなくて
特徴のある淡口や八重樫(ヤ)なんかは皆マネしてた。
さすがに八重樫の顔マネは出来んけど。 ここはキチガイガラケー爺に明け渡して新スレ立ててこれよwww >>553
豪華外人の量ではまだ全日だったけど
1981年頃のギリでまだハンセンが新日にいた時期
ハンセンvsアンドレや
ハンセンvsアンドレ
ホーガンもまだまだ未完の可能性もあったし
大型外人の理屈抜きのぶつかりあいは全日を超えてる?かもと思わせた
ガキってのもあったが、俺の友達は新日の「実力最強宣伝」に完全に洗脳されて
「ニックやレイス、フレアーよりもハンセンやアンドレの方が強い、ファンクスは年寄り、強いのはブロディだけ」
「そのハンセンらといい試合してる猪木がNWAに挑戦したら、ニックやフレアーなんていちころ」
その当時が小学生くらいの年代なら、多かれ少なかれそんな内容の会話を皆さんもしてたと思うが…
まあ、確かに「NWA」「AWA」のタイトルホルダーは全日に来てたが、本当に1番強いものではないというイメージ戦略が地味に効いていたかも
馬場が80年代に入ってからもNWA王者になったりしてたのがあまり意味を成さなかったような…
やはり新日とWWFの提携が「外人は全日」という独壇場にストップをかけたんかな…
他にもジュニア戦線の外人なんてむしろ新日の方が上だったような、そもそもジュニアの概念が全日には無かったけど…
藤波やタイガーマスクの挑戦者としての質の良い外人なんて豊富だったよねえ…
つらつらと思いつくまま書いたが、80年代に入った頃は小学生の3、4年の頃なんで
その頃のイメージが基盤になってるので、底が浅いかもしれないけど… >>418
その前後の年でもブッチャーが同時期にタイトル奪取をしてるんだよな
四年前にはデストロイヤーからUSを取ってたし >>557
1982年頃のジュニアだと
新日 タイガーマスク、小林、浜田、寺西、キッド、ブラックタイガー、メキシコの選手・・・
全日 大仁田、渕、ウルトラセブン、ロボット1,2・・・
勝負あった!! そもそも新日本のジュニア開拓は数年前の藤波時代から始まってるわけだし勝負になったらそれだけで問題
この年としてはNWAジュニア問題もあったか
それにしてもジュニアとして初めてのベストバウトを取るのが全日本になるとはこの時点では想像も出来なかった お気に入りの大仁田を売り出すためにジュニアを売り出してきたみたいな感じで
馬場はヘビー級至上主義だから内心はジュニアなどどうでも良かったんだと思う
渕がチャンピオンだった頃は刺身のツマって感じの扱いだった 大仁田はアホだけど一生懸命にいい試合をしよう頑張ってたのは感じたけど寝技ばっかりの渕や腹の出た薗田はわけわからんかった
二人とも味のある良い中堅レスラーとは思うけど 本来は渕みたいなのが藤波以前のジュニア
ホッジやロイヤルなんか見ても 大仁田は「馬場さんが新日のタイガーに対抗して俺をジュニアの王者に盛り立てたから
期待に応えようと苦手な飛び技を行使せざるを得なかった」と、
全日の方針が自分のレスラー人生を縮めたかのような愚痴をこぼしているが
勝手に忖度しといてその言い草は無いな 大仁田にすればその後のブレイク時代は本来のレスラーとしてではないとなるのか >>564
大仁田がレスラー人生をおかしくしたのは
苦手なスタイルのプロレスをやったからではなく
試合後に帰るときに中途半端にリングから飛び降りてコケて大怪我したせいだからなあw >>566
チャボにトロフィーでメッタ打ちされた時がレスラー人生をおかしくした前兆w 大仁田厚はダブルアームスープレックスからそのままブリッジしてギブアップ
奪う技とかジャーマンもやってたっけ?凄く首が強いと思ったな。
当時競合してた新日本プロレスのタイガーマスクよりも体格的に優位だったし
比較されて貶されるほど酷くはなかったな。
あの頃は新日本プロレスが人気あったから。 >>562
>寝技ばっかりの渕
あれはあれで全日内では存在価値があったと思うよ
全日系で「新日的な匂い」のする選手という扱いで
あとは当時の全日リングでは、前座の三沢以外はあまり見られなかった「ジャーマン」の使い手としても…
自分はジャーマン好きだったけど、全日のテレビ中継枠の試合では見られないから残念だった
チャボの移籍と淵の凱旋により、全日でジャーマン見れて嬉しかった
大仁田も記憶にないけど使ってないよね? Wikipediaには得意技とあるね。
>ジュニアヘビー時代の大仁田のフィニッシュ・ホールドだった。今では信じられないが、
ブリッジの美しさに定評があった。しかし、膝の重症以降はブロック・バスター・ホールド、
羽折式風車固めのような他のブリッジ技と共に永遠に封印された。 膝をぶっ壊したからプロレス復帰後のFMWではデスマッチ路線をやりだしたんだが
それで大ブレイクするんだから人生は分からんね 大仁田は真面目で何でもやるしひざと顔としゃべりの問題がなければジュニアも盛り上がった
早くから海外に行ってマスクマンで帰ってきたらな >>571
デスマッチ路線は修業時代にプエルトリコ遠征で「ファイヤー・デスマッチ」に大きな影響を受けたと言っているね。
最初にポーゴやプエルトリコに目をつけたのも分かる。 >>569
普通にジャーマンでインターjrを防衛していたぞ。 >>574
スレタイにも入ってるジェイ・ヤングブラッド戦か >>573
あと渕と一緒にテネシー州に遠征してたからね
FMWの源流はテネシースタイルだから テネシーの前にはプエルトリコに居たからな、海外武者修行で得たスキルはFMWで開花。 ttp://www.showapuroresu.com/league/saikyojr.htm
越中と三沢も出場させて欲しかった 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 >>590
越中と三沢のタッグの実績といえば前年でのアジアタッグ挑戦
どちらも最初のタイトル挑戦だが三沢が亡くなった時でも見落とされていた
また海外修行前の挑戦としては初のケースでもあった >>575
舞台の札幌中島はインタージュニアのベルトが二年前に日本で初披露された場所でもあるんだよな
そしてその半年後は藤波の負傷で中止に カマタの最後の来日(87年)は、石川のサソリと仲野信一の4の字固めでギブ負け
一応 馬場に勝ってPWFを巻いたのに、力が衰えたとはいえ この扱いは無いよな。 PWFを取った時のカマタは厚みがあって肌のツヤもギラギラしてたな
あれなら王者の資格は十分ってくらいに
当時の黄金輝くベルトにもマッチしていた 83年ジョージア州サバンナのインター戦ブロディvs鶴田、結局両リンだったが
解説の佐藤昭雄が鶴田のカウントアウト負けとアナウンスしてますよと言い放ったw
佐藤昭雄の英語力も大したことないなw 当初はトロントでやる予定だったんだよな
三年前にはインタータッグで挑戦を受けていたが 619ム、イクー だが、
《》
.△
.||
.||
○○
《》
.||
○○
《》
○○
《》
.||
○○
《》
.||
.||
○○ >>609
>>610
来日時期が悪かった
ジャパン軍が去り、開幕の相手の天龍が喪失感でのれてない
それに日本人対決の余韻が残ってもいた
もう半年ぐらい遅く、最強タッグに来日してたらリバイバル人気にのってカマタも延命できたかもしれない
TNTが予想以上に良くて結果オーライのタッグだったが、案外ブッチャー・カマタ組でも大受けしたかもしれない >>633
心臓が悪かったんだよ、87年最強タッグの段階ではもう引退してたはず。 >>635
ああ、そうだったんだ
それは知らんかった
なら85年あたりが事実上では全盛期の余韻を残したファイトは最後かな
あの頃はドロップキックとか凄いのを見せてた覚えがある >>633
ただブッチャーがTNT人気に嫉妬してしまったんだよなあ
で、すぐに組まなくなった >>543
俺は海外遠征中継が苦手だった
今の目で見ると面白いとこもあるんだがそれはあくまでスレたファンの視点だからであって
基本的に80年半ばまでのアメプロってオーバーアクションでまともな大技の攻防なんて無いし
一時日本では大技の攻防ばかりのプロレスが大味だって批判があって確かに一理あるんだが
小技の攻防ばかり〜殴る蹴るにエルボーとボディスラムショルダ−スルーくらいで
スリーパーでも出たら会場大盛り上がりみたいな試合は大味どころか
なに食っても塩味しかしねえってかんじだった
それに90年代以降のWWEとかは面白いネタもつまんないネタもあるけど
そのうえで基本エンタメとしてちゃんと良く練れてるなってかんじだけど
あの時代までのアメプロってお世辞にもエンタメとしてもレベル高いとは言えないというか
なんだろう…今よりもリング上も会場で観てる客層も会場の雰囲気も
なんか暗くて荒んでて澱んでてストリップ劇場とかピンク映画やってる三番館みたいと思ったな >>569
自分もあの頃の渕は全日の中での自分の差別化と生き残り策として
わざと寝技多用したり低く投げるバックドロップやってみたり
インタビューとかでもそれまで全日ではある種タブーっぽかった
ゴッチ教室の全日唯一の門下生をあえて強調したりと
新日テイストというか地味だがシリアスってキャラを意識してやっていたと思うな
あれはチャボに勝つとかベルトを獲るというより
シャーロッテで自分がチャボとやるはずが大仁田に変更されしかも勝ちブック付きで
凱旋帰国後も大仁田が復帰困難になってからでさえ
自分はベルト獲り失敗でベテランとはいえ外様の井上が戴冠って扱いだったことに対する
危機感からくる渕なりの自己防衛策としてのシリアスキャラ付けだったんではないかと
それにしてもなぜあのタイミングで馬場は渕にタイトル獲らせなかったんだろうかが未だにわからん…
どう考えてもせっかく凱旋帰国させたのに売り出そうとするならあのタイミングだったろうに
>>568
いやいや、大仁田のジャーマンって膝壊す前から
ブリッジで膝が割れて潰れる寸前になったのをヨイショってかんじで足を持ち上げ直したり
石川のジャーマンみたいに頭付く場所が流れて
Wフォールでよくある相手の身体が顔に乗って潰れる寸前みたいになったりと
相当ひどかった記憶しかないがなあ
間違っても大仁田の「ブリッジの美しさに定評があった」なんて話は
金輪際聞いたことも読んだこともないなあ
それて対戦相手のチャボの側じゃなくって?w >>542
新間が「大仁田がタイガーに挑戦してきた!」とぶちあげると実際は新春シリーズに
坂口と表敬訪問した時に試合が終わって帰ってきた大仁田とすれ違いざまに「ウチの
タイガーとどうかね?」と言われて「いつでもいいですよ!」と軽く返事をしただけ
で馬場が「こんなじゃ対抗戦なんてできませんよ!」と暴露していた。
>>566
以前から空中戦の受け身のマズさが関係者から問題視されていた・・・ >>635
そもそも最後の来日時点でもう既にセミリタイア状態だったと聞いたことがある >>660
セミリタイアの選手を敢えて呼ぶのは、それまでの功績への感謝と労いか。
これが後のオールディーズ・バット・グッディーズに繋がっていったのだと思う。 淵って1度タイトル取ってチャボに取り返されて終わったんだっけ? 渕って小林邦昭から奪ったのが最初じゃなかったっけ?
もうインタージュニアじゃなく世界ジュニアになってからだけど >>670
オレもそんな記憶がある
ただしそれは正月の後楽園でノーテレビだったような?
ジャックナイフ式エビ固めだったかな、雑誌の記事で見た
ジャパン離脱前の武道館ではヒロ斉藤と防衛戦で同じ技で防衛
これはテレビでやってたと思う、もしかしたら記憶違いかもしれないけど >>670
そう、渕はインタージュニア時代王者にはなってないね。
インタージュニアの末期は、チャボ→マイティ→キッド→小林→三沢タイガーの順で移動し、三沢タイガーがヘビー転向のため返上。
それを機に世界ジュニアに改称して決定戦が行われヒロ斎藤が初代王者になった。
ヒロ→小林と移動して、渕が小林倒して悲願の王座奪取という流れ。 ジャックナイフだとクイック的な決まり方か、大仁田のケガ、タイガーのヘビー転向と抜けた穴に渕が入ってるな >>674
終わり方はそんな感じだけど
あの頃の淵はフィストドロップを多用してて、ヒール的というか
実力者ぶりキャラだったから印象ではフィニッシュ以上に強さを感じさせたと思う
あの頃の三者の抗争では、ヒロや小林がワキ腹を押さえて悶絶してるシーンが真っ先に思い起こされる そうなんだ、渕の技って痛そうに見えないけとw珍しく強い試合だったんかな >>676
渕は超世代軍相手の時は痛そうな技しかしてなかった
何気に低空ドロップキックの元祖なんだよな >>639
Wikipediaにそう書いてあるって事だからな。
正直ジャーマンについてはあまり記憶ないが、大仁田厚のブリッジは綺麗だったな。
むしろ、強靭って感じではあるけどもそれは見る人によってそれぞれだろうな。
自分はむしろチャボのジャーマンがぶっ格好でしょぼく感じたけどな。
最後の方で大仁田厚がブリッジしてる。
https://youtu.be/Z7YnfKVBBtQ >>676
昭和スレだけど 渕は新人の雷陣をラリアートでKOしたことあるからな 渕はどんな技でもソツなくこなすけど、動的な技
技というか、唯一ダメなのがロープワーク
ロープに飛ばされて、ちょこんとロープ際で静止?しちゃうんだよね
そのあとに自らダッシュして返ってくる感じ、反動で返ってくる感じが全然ないw
うまくいえないが、わかる人にはわかると思うんだけど…
体をロープに預けないとリアルさが出ないよね、天龍みたいに思い切りロープに預けて思いっきり返ってくるのと真逆なんだよね… うん平成の渕は痛そうや技が多いよね、最近はヘッドロックからのパンチが得意技だし >>689
あ、これかんじわかるわw
なんかロープの手前で身体が自然と憶えてるんじゃなく
歩幅や歩数をそっと合わせてタイミング計ってるというか
ロープに振られた時にどのあたりで身体の向き変えて
身体をロープにどの程度預けるかがいつまでもぎこちなくて
振られるたびにいちいち考えてやってるみたいなヤツ
ロープのリバウンドで跳ね返ってるんじゃなくて
いかにも振られたら向こうまで行ってそれから戻ってくる、そういうもんなんだよ!とでも言いたげなムーブw 全日は最強タッグのあと
山下達郎の曲がかかってたが、あれは微妙なマッチングだった。 >>703
むしろ慣れたらあれが流れないとスッキリしない >>715
こんなしょぼいのの嵐のうちに入らんぞ
手動でやってるしなw
ガラケーだし疲れてるけど後に引けないんだろうなw
見るの嫌ならNG入れてれば何も問題ないよ 正拳突き(フィストドロップ)は殴るものではなく
まさしくトップロープから落とすもの >>690
テーズのムーブなんだよな
それでやり返そうとしたところにバックドロップ >>720
昔はフワッとしたバックドロップだったけどいつからか低空高速バックドロップの使い手になってたな >>730
淵のバックドロップ
全日での防衛時代、菊池にやった10数回連続のが有名だよね
自分が生観戦した試合で1番えぐかったのが
2001年6月の新日武道館(新日vs全日の5vs5対抗戦)でのサムライに放った7連続バックドロップ
サムライの体がグニャリと曲がって、5発目あたりから虫の息での完全KOのやつ
ちなみにあの日は飯塚が長井にKOされて1年以上欠場したり
メインの藤田vs永田が年間最高試合の激闘
1番盛り上がったのはさすがの川田vs小島
あと武藤vs馳が意外な凡戦?で観客のトイレタイム続出
色々と印象に残る日だったな、平成の試合をつらつらと書いて悪い 昼夜問わず荒らしとか50過ぎのおっさんがやることではないな
何かしらの精神疾患を持ってる基地外なんだということはよくわかる >>739
10回連続のやつはやりすぎだよなw
あの頃まではジャーマンも使ってたけどバックドロップにシフトしていった印象
>>751
煽り耐性皆無だから荒らしには向いてないけどなw
批判されたこのスレだけで荒らしてるしなw
誰かが性格保護の朝鮮人と書いてたからまあそういうことなんだろう ジョーマレンコと渕のスープレックスは速いが
低空って効くように見えないんだが。 >>755
キッドの高速ブレーンバスターは?
>>762
批判なんかせずにNGぶち込むかスルーすればいいのにな
まあ1行の荒らしだから見えてても何も問題ないけどw キッドのはSnap Suplex だな、頭から落とすBrainbuster ではないし
Snap Suplex とも当然違う。 ⬆間違えた 訂正します 後の方の
Snap suplex →Vertical suplex ブレーンバスター→マードック式
バーティカルスープレックス→普通のブレーンバスター
だと思うんだがスナップスープレックスってどんな形? ブレーンバスターとは違うけど、アンドレが動ける時に見せていた、
フロント・ネックチャンスリー・ドロップが豪快で良かった。 ありがとう
スナップはフロントネックチャンスリーっぽいね そういやバズソイヤーのジャンピングブレーンバスターはかっこよかったな ブロディはジャックハマーの原型のような叩きつけ方のブレーンバスターやってたね。 >>773
ブロディの方が痛そうだしかっこよかったね マスカラスのブレーンバスターは困ったもんだったな。
シンのはフォームは悪いが、痛そうではあった。脳天はノーダメージだけど。 >>780
自分が倒れないからラクしてるとも言われてたな >>781
マスカラスのブレーンバスターは右手でタイツをつかむやつじゃなく、ボディースラムの様に股に手を入れるやつだっけ ★★レスラーの体重★★ [転載禁止]©2ch.net
390:お前名無しだろ (ガラプー KK2b-RzWc)[]:2018/12/26(水) 01:03:22.55 ID:5ImrH5nbK
アドニス新日最後の来日時160kg
↑詳しいねーw 昭和全日から外れるが、ブレーンバスターネタが出たので…
見映えの説得力では橋本真也のが究極系では?
あと坂口のブレーンバスターは危なかったよね
腰が悪いのか?反らずに途中で手を離してすっぽ抜けたように相手を投げちゃう
またその相手が飛んでく滞空時間が長い、まるで砲丸投げの球のようにw しばらくはスレ違いを気にしなくてもいいと思う、俺は新日本は見てないから答えられないけどw >>785
橋本のはジャンプしてて見栄えも良かったね。
小橋のはジャンプしないけどコックスやマードックのを踏襲しててストーンと落とすのが良かった。 小橋もだし天龍革命後の天龍も相手の力を借りずに自分の力だけでブレーンバスターをやるから力強さが伝わってくる 相手へのダメージという意味ならブロディと橋本だろう、垂直落下はのぞいて レイスのバーティカルスープレックス受け継ぐレスラーいないかな
ブッチャーの山嵐が見たかった デービーボーイスミスのブレーンバスターは安定してたな そうだブレーンバスターと言えばブルドックスもだね、高速と滞空時間の長いのと >>812
デービーボーイじゃなくて、デイビーボーイだろw 他スレにおけるガラケー爺の普通の書き込み
【全日・国際】熱戦譜スレ16【新日・UWF】
7:お前名無しだろ (ガラプー KK2b-RzWc)[]:2018/12/26(水) 18:43:47.78 ID:5ImrH5nbK
>>5
こっからシンの登場か。
ハンセンは藤波には反則で土が付いたんだな。
猪木にはリングアウト勝ちで。
【平 淳】スーパーストロングマシン2 [無断転載禁止]©2ch.net
654:お前名無しだろ (ガラプー KK2b-RzWc)[]:2018/12/26(水) 19:07:36.11 ID:5ImrH5nbK
動画にないかな?
ぜひ見たいわ。
本当に貴重な番組だね。
【全日・国際】熱戦譜スレ16【新日・UWF】
10:お前名無しだろ (ガラプー KK2b-RzWc)[]:2018/12/26(水) 19:36:22.04 ID:5ImrH5nbK
>>9
そうだよね。
彼等はアメリカではハンセンやシンより明らかに格上。
この時代のゴングに新日外人人気ランキングがあった。
1〜5は順番忘れ
アンドレ
ハンセン
ローデス
バックランド
ホーガン
6チャボ
7シン
8キッド
9スーパースター
10パワーズ
6〜10はこの順番のだったと思いますどぇす。 81年のジャイアントシリーズかエキサイトシリーズか忘れたけど
初めてコックスのブレーンバスター見た時は度肝抜かれたな
リッキー台風って漫画で「ブレーンバスター(頭蓋骨砕き)」ってキャプション見てブレーンバスターのどこが頭蓋骨砕きなんだよ
と、思ってたけどコックスのを見て納得した >>237
他は全敗だが優勝候補の一角とは心中という点では二年前のシーク&メフィストと同じ役割の上田&Sデストなんだよな
あちらは最終戦でブッチャー組の足を引っ張ったがこちらは開幕戦が師弟コンビに最後に効いたって感じで プロレスクラシックで鶴田ーグレッグのAWA戦、グレッグの足がサードロープかかってるのにカウント3入って終了という不可解な幕切れ。
この試合の映像をAWAエリアで流すと言ってたから敢えて不可解な幕切れにしたんだな。ヒール王者鶴田を引き立てるため。 >>816
そうそう。馬場がやられるって、本気で心配したわ。 このガラケーキチガイは新日スレには荒らさないんだろ
典型的なキチガイ新日ヲタwww >>817
80年最強タッグといえばシークはあんな調子だしやられ役になるのは仕方ないが
グレート・メフィストってそんな悪いレスラーでもなかったよね?
最強タッグやカーニバルってことでどうしても負け役になっちゃうけど
普段のシリーズでじっくり見てみたかった選手ってけっこういた >>824
そんな事書くから新日スレも荒らし出したぞw >>94
>>81と>>85って、全然違うこと書き込んでるけどな シンのブレーンバスター見てきたけど独特でかっこよかった ブロディが90年代まで生きていたらPART20 [無断転載禁止]©2ch.net
845:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[]:2018/12/27(木) 08:19:09.47 ID:0oZvcvzjK
ブロディは前田の顔面には容赦なくバンバン入れそう。
しかし前田の蹴りは受けなそうな感じが。
それを試合後に前田が厳しく指摘。
前田は後々まで言ってそう。
自分だけガチガチ入れて相手のは一切受けない。
そんな都合のいい試合なら誰でもやりたい。
相手の攻撃を一切受けないで済むならこんな楽な事はない。
前田はブロディに対して皮肉ってこういう主張をするだろう。
※荒らしやネタではなくそう思う。
★8・26★夢のオールスター戦★日本武道館★
459:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[]:2018/12/27(木) 08:23:25.96 ID:0oZvcvzjK
>>455
ケロ田中は新日バイトの前年で大学生だった。
あのオールスター戦を生観戦して新日での仕事を決意。
ライガーは当時は中学生。
広島からわざわざ観戦に。
やはりオールスター戦を生観戦してレスラーになる事を決意。
二つとも記事によるものだから真実かわからんが。
ちなみに当時、中学生だった小橋も生観戦したかった。
でも京都だったから生観戦できなかったと。
※荒らしやネタではなく。
【桜井康雄】昭和の新日本プロレス8【富家ドクター】
110:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[]:2018/12/27(木) 08:28:43.19 ID:0oZvcvzjK
110警察だが、
猪木は意外にもそういう危険な技は出さなかったな。
強いて言うたらアントニオドライバーくらいか。
あれはフロントネックチャンスリードロップで確かに危険性が高い。
でも後々の投げっぱなし系に比べたらそうでもなく。 【桜井康雄】昭和の新日本プロレス8【富家ドクター】
111:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[]:2018/12/27(木) 08:31:24.75 ID:0oZvcvzjK
111イ〜イ〜イ〜だが、
猪木全盛の時代は危険な技で魅せる時代ではなかったし。
逆に猪木に於いてはその存在感と演出で魅せられた。
だから危険な大技を出す必要性がなかった。
アントニオ猪木 対 力道山 [転載禁止]©2ch.net
744:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[]:2018/12/27(木) 08:35:44.52 ID:0oZvcvzjK
力道山は相当強かったらしいが、最強クラスではなく。
猪木も言うに及ばず。
強さ=力道山
演出=猪木
力道山は猪木より強さはあったが、猪木ほどの演出力はなかった。
猪木は力道山ほど強くなかったが、力道山以上の演出力があった。 NWA選手権試合テリー・ファンク対ジャンボ鶴田
テリーの首が目を疑うほど太い
重要なところはしっかり鍛えてるんだな
ビルロビンソンと鶴田がアキレス腱固め掛け合ってた
プロクラ色々発見がある スレに出てきたのだと
ブロディ レイス シン コックス キッド スミス 天龍 バズソイヤー
やっぱりブロディかなあ >>863
865ハム(食べられるのは)いつ?だが、 ブレーンバスターの使い手でマードックの名前が出てこないとおかしい。 フィニッシュホールドという意味だとマードックやレイス、フレアーも使ってた >>863
>>864
技としての美しさとか、効きそうだとかの視点でなく、決め技としてのインパクトだったら
シンが一番強烈だったと思う。猪木にフォール勝ちしてベルトを奪ってしまったんだから。
フォール勝ちと言えばいつもコブラクローのシンだったから、かなり強烈な印象があったな。 >>863
868(連投荒らしには)病むわ だが、 >>870
どの試合?腕折りの試合しか見たことないんで、つべの検索ワード教えて日付とか。
シンのブレーンバスターは初代ファイヤープロレスの裏技でしか知らないから見てみたい >>872
厳密に言うとフィニッシュはナックルパートなんだけど、必殺のブレーンバスターで
NWFベルトを強奪みたいに雑誌とかで報道されていた。
当時は猪木のフォール負け自体が珍しかったし、インパクトがあったなあ。
https://www.dailymotion.com/video/x6voi7o >>864
綺麗さはデイビーボーイ、迫力はブロディ、両方合わせ持つのがバズソイヤー >>873
ありがと初めて見たわ。ロープ越しのブレーンバスターなんだね
当時はインパクト凄かっただろうけど、今動画を見ても特に驚かないかなw >>874
バズソイヤーは新日本時代のパワースラムの印象が強いな、全日本時代も見てたが印象が薄い。。 >>875
当時は馬場も猪木もフォール負けが少なかったから、インパクトも大きかったんだよね。
オープンタッグの成功も最終戦の蔵前ばかりが有名だけど、馬場がフォール負けして
テリーが血ダルマにされてしまった開幕戦のインパクトが強烈だったからこそだと思う。
ブレーンバスターの話とはズレてしまって申し訳ないですが。 >>876
全日時代もあのパワースラムやってたけどあまり印象にないな >>877
そう、オープンタッグも馬場の負けがスタートだよね。 >>878
新日本時代は相手が飛んだところをパワースラムで切り返して迫力を出していた。自分はテッドデビアスの体重をしっかりかけるパワースラムが好きだけど パワースラムって言うなればボディスラムの派生技でしょ。
そんなに取り立てて言うような技でもないような気がするけど。 リーグ戦の開幕戦で馬場が負けたり両リンとかで勝ち点落として
いきなり東スポの見出しに“馬場不覚!優勝にはやくも黄信号”の見出しが躍るのは
言ってみれば中期全日でジョー樋口失神による幻のフォールからの逆転負け同様
日プロ時代から続くいつものサプライズなので
>>881
でもデビアスやソイヤーあたりのパワースラムはスピードもあって動きもダイナミックで
けっこう見映えも説得力もある決め技と思うけどな
それにあれを単なるボディスラムの派生技って言っちゃったら
馬場の十六文やアンドレの十八文のような足裏で蹴る前蹴りはストンピングの派生でしょとか
ドリーや鶴田のダブルアームスープレックスなんかも
ショルダースルーの派生みたいなもんでしょってことになるし >>882
ビッグブーツはビッグ・ショーやヒガンテはまともに出来なかったからな。
割と難しい。
ダブルアームスープレックスがショルダースルーの派生だなんて、意味不明。 親が(元)有名レスラーで有力プロモーター
元々二世や三世レスラーなんて家系も多い業界だし
エリック家だけでなくファンク家ハート家やスター家グラハム家ガニア家など
プロモーター&ビジネスマンとしても成功して
地元のちょっとした名士と呼ばれるくらいのこういう家に生まれたら
子供もまた有無を言わさずレスラーになるべく期待され育てられるのは
ある意味当然というか仕方がないことかもしれないけど…
それで自分の意思関係なく親からレスラーになるのを半強要されるのはまだしも
親と違って別に人並み外れてってほど掌が大きいわけでもなければ
規格外にとんでもなく握力が強いってわけでもないのに
「オマエの必殺技、今日からアイアン・クローな!」って
問答無用に決められるのもなんかヤな人生だよなぁ
せめて四の字とかスリーパーとかならまだしも
「よりによってウチのオヤジときたらなんで… なんだよその“鉄の爪”って…」ってなって
それが後にクスリに走ったりの遠因になってても仕方ない気もしてくるw
だって…イヤじゃん、「得意技は親父直伝のアイアン・クローです」って
彼女や嫁や子供がいるようなイイ大人が真顔で言うのって
UFCや総合系の選手で出てこないかなあ、“得意技:アイアン・クロー”って選手w >>882
馬場は元投手で、片足を上げるのが得意だったからと聞いて妙に納得したよ。
向かってくる相手を避けるために咄嗟に足が出てしまったのが切っ掛けと言っていたな。
>>885
当時、グレッグ・ガニアの所謂「親の七光り」に対する陰口は凄かったらしいね。
それでもグレッグは気にせず、陰口を言った奴に向かって言って堂々としていたって。
自分はこの話を聞いて、なぜか長嶋一茂が浮かんでくるんだよなw実際、一茂がどうなのか知らないけど。
エリック兄弟については、全てが悪い方向に向かってしまった感じがしたな。
デビッドが急死しなければまた全然違ってた気もするけど。弟のマイクも自殺直前に来日した時に、
インタビューで「デビッドは幸せさ。あっち(天国)の方がいい場所に決まってるんだから」とか完全に
自殺をほのめかすコメントしてるしね。まあ、結果論だけど。
80年代前半〜半ばのダラスマットの“狂気性”は今見ても凄いよね。あの中でトップで毎日やるプレッシャーも
相当なものだったはず。ケリーも初来日時にインタビューで「親父にしかられると、今でも教会に駆け込むんだよ」
と急に真剣な顔つきになった。フリッツが“絶対的存在”だったのは間違いない。 エリック兄弟は若い頃からダラスの興行で全員が何らかの部署の責任を負わされていた。
英才教育とはいえ単なる1レスラーとしてなら伸び代はあっただろうが、未熟なうちからトップスターのポジションに加え余計な業務も背負わされていたから病んでしまった部分もあるんじゃないか? 親が子供にレスラーになるように言うのはあまりないよね >>899
やっぱりフリッツは行き過ぎた教育してたんだな
呪われたとか言うのは簡単だけどなるべくしてなった悲劇だね
現実逃避の薬も尋常じゃなかっただろうね それはフリッツに気の毒だしあんまりだと思うけどな〜。
野球選手の子供が親の姿に憧れてプロを目指すのは素敵で
なったら達成感は凄いだろうし、なれなくてもいい話みたいに落とせる、でも
プロレスラーはまぁ誰でもなろうと思えばなれるのが、いろいろ捻れて困ったもんなんだよね。 >>910
お薬といえば、体の小さいマイクやクリスにステ強要してたって話もあるね。
自業自得は言い過ぎだとは思うけど…うーんちょっとなあって考えてしまう。 >>913
そういやそういう話もあったな
なりたくも無かったレスラーにならされてしかも薬強要とか病んでも仕方ないわ テリーが自伝で
「フリッツから「お前はレスラーになるのだ」と決められて
逆らうことができなかった事がエリック家の悲劇の根本にあるのではないか」と
書いていたな
確かに170cmのクリスなんてどう見てもレスラー向けじゃなかった
ちなみにファンクスは2人とも自分の意思でレスラーになったそうだ
話は変わるがこんなイベントをフィラデルフィアでやるそうだ
故ブルーザー・ブロディ記念大会にハンセンら参加
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00430855-nksports-fight >>916
エリック一家でなければ割り切ってジュニアの選手になるとかの選択肢もあったのにね… ケビンなんかは一時期ボディシザースをフィニッシュにすることにこだわってたけど、やはり親父への反抗心みたいなものがあったのかな
しかしなぜ80年代にも入ってよりにもよってボディシザースなのかが本気で疑問だったが このキチガイもアレだが、微妙に気持ちも解る。。スレタイがいつもベタ過ぎ 元子特番関連の書き込みが無い件
目新しい話もなかったけど >>885
カブキがエリック親子の関係を証言している。
逆らうことは絶対許されなかったと。
人前カブキの前でってことだよな。 >>938
スレタイとガイキチ行動に何の関係があるんだ?
お前も来るなよ。 ファンクスは自分の意思でプロレス入りしたに関連した話だが
シニアは「テリーはレスラー向けの性格だがジュニアはレスラー向けの性格じゃないなあ」と
思っていたって話を読んだことがある
だからジュニアから「プロレスラーになりたい」と言われて驚いたとか
馬場の話だとシニアのプロレスは「テリーを老けさせたらこうなるな」と言う感じだそうだ >>950
ドリーは大人しくて、当初は医師になると言い、シニアと衝突したが、結局レスラーになった。
ブロディのニードロップを喰らって吐血したドリーの長男ディンク君が医師になったようだ。
https://twitter.com/fuanku/status/311293771365113856
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>951
医師としてハンセンの子供を診察したんだよね。 >>945
幼少時に悪さをすると広大な牧場の草むしり等をさせられたり日本遠征に帯同させて
見分を広めさせたり厳しくは育てられたらしい。日本遠征時の写真で握力鍛えるための
ゴムボール潰しをケビンにやらせている写真があった。 80年にプロレスを見だした50過ぎのおっさんが、この年末の忙しい時に昼夜問わず荒らしをやってて恥ずかしくないのかな。まぁ基地外だから仕方ないんだろうけど、もう少し考えた方がいいと思う。そんなに語呂合わせが好きなら専スレを建てたら良い せめてレスラーさえ継いだらその先は兄弟各自の考えをある程度尊重出来てたらねえ…
たとえばケビンは小兵だけどスピード活かしたテクニシャンやちょっと小狡い司令塔タイプ
デビットは一番正統派で親父のイメージ活かしたクロー“も”使うオーソドックスタイプ
ケリーはアメコミみたいな絵に描いたような正義のヒーロー
で、普段はクロー攻撃を全くやらないケリーあたりも年に一回限定くらいで
大規模な遺恨試合の決着戦とか
地元ダラスでついにNWA戴冠する試合とか
あるいは兄弟間で対立して引退した親父やワルドー、ランスまで(エーッ!)巻き込んだ
一大ファミリー間抗争(アメリカ人ってこういうの大好きじゃん、ゴッドファ-ザーとかファミリータイズとか)の
決着戦の時だけ無我夢中で無意識のうちに最後にくり出した
掟破りのアイアン・クローがフィニッシュになるとかくらいにしとけば… デビッドとケリーはレスラーとしての素質はあった。
あとの三人はなかったと思う。
もしエリック兄弟が健在ならダラスのエリック王国も更に賑わえただろう。
彼等がプロモート力があったかはわからんが。 >>990
少なくともケビンはレスラーとしての素質充分だったろ。
確かにマイクとクリスはあまりに細身&小柄で
ヘビー級全盛だった当時のアメプロで活躍するには厳しかったかもしれないが。 ケビンいつから裸足になったんだろ?初来日のアジアタッグ挑戦の頃はシューズ姿だったよね? >>990
まあダラスのエリックランドのその後についてはリング上云々よりもNWAの主要マーケットだったため
WWFの全米侵攻作戦の当然ながら最重要ターゲットの一つになってたこと
そしてCATVネットワークをWWFがいち早く抑えていたことで最初から勝負アリってことだったからねえ
その後の旧NWAがWCWとして一時はWWFに対して盛り返したのも
スティングやルガーがB・ハートやS・マイケルズアンダーテイカーより一時的に支持されたとか
ホーガンやホール&ナッシュ、サベージといったWWFから抜いたメンバーとnWoの人気もそりゃあるけど
一番の要因はTBSネットワークでWWFに負けないくらいの放映網で配信されてたことだからね このスレッドは1000を超えました。
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