喧嘩芸骨法 堀辺正史
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あの人に体格があったら良いプロレスラーになれたのではないか?
アイデア、ハッタリ、セルフプロデュース等、並みのプロレスラーよりプロレス向きだった五十二代司家堀辺師範について語り合おう。 格闘技て実戦とは
程遠いんだよね。
実戦て突き詰めれば
銃の撃ち合いだからね。
日本は銃社会じゃないから
格闘技が実戦なんて言ってる。
アメリカで極真空手をやってる奴は
道場破りは絶対に
相手にしない。
その場で勝っても、
後で銃で撃たれるから。
帰ってもらえない
場合は警察を呼ぶ。
これが銃社会の現実。 欧米は入門者を納得させるだけの強さないと流行らないんじゃね?
昔の空手や最近のBJJもデモンストレーションで強さアピールしたし。
試合やスパーのない神秘武道が欧米人に受けるんだろうか? >>319
ベイダー乱入のブック書いてた奴が創始者だぞ
プ板だろ >>321
海外から来た白人は日本で合気道に行ったりするのは良く聞く。
テコンドーはアメリカでかなりメジャーだと聞いたことがあるけど、それが実戦的なのかは分からない。 正直第一回骨法の祭典見た当時は
むしろスゲーこんなの見たことないとか思ってたw
他の格闘技の威力知るまでは完全に洗脳されてたわ 堀辺やターザンは他人を騙すというか…ハッタリでその気にさせるのは一流だったんだろうな
関係者は迷惑に思っていたかも知れないけど見てるだけなら面白いオッサン達だったからノレたし、ベテランプロレスファンはプロレスのショー的部分は知っていても骨法は知らなかったからファンタジーにバッチリやられたもんよね >>312
「等しく存在」の意味はなんだろう?
たとえば「法の下の平等」には具体的な中身があって、
不平等だと人が感じるような現実的な実例が存在するから
空疎ではない
では、いつもの具体例をあげるとしよう
もしMMAが17階級になったとしよう
原理的にチャンピオンが17人になる
それで競技としては洗練される面もあるだろう
競技としては成立する
しかし誰々と誰々が戦ったらどうなるだろう?と真剣に
想像したときに、格闘として不満足に映るのは自然である。
つまり少しの体重差で戦わずにチャンピオンが乱立するという
状況だ >>312
そもそも君の主張と俺の主張を比較すると俺の主張のほうが筋道をたてることが易しい。
言い方を変えると、君の主張を根拠づける作業は、君の知能にとって重荷で
無理がある。もっとうまく論じることができる人は十分に存在するだろう、
とは言えるが君ではない。
具体例がゼロで、「等しく存在」なんて適当な文言ををはき、
こちらが議論の核として設定もしていない「実戦らしさ」を、攻撃するのは
無意味。
プロレスを何も考えずに格闘技からパージしている時点で
バカだとわかるのだがな >>285
なにも語っていないのは君
等しい等しい、しかいっていない、のに「等しい」意味を
具体的に述べていないし、なにも有効な反論を展開していない。
これは君が議論できる知能と経験をもっていないから
どっか聞いただけの「平等論」をなにも考えずに披露しているだけだから。
俺の主張は実戦性について精緻にする必要がない。
競技を競技として洗練させるなかで、格闘らしさにとって
周縁的副次的と思われるものをおおまかに捉えていけばいいだけ。
たとえば「顔面にパンチしてはいけません」、こういう制度だ。
「顔面にパンチしてはいけない格闘」これが格闘の競技化にとって
必須だと君が思うなら、君との話は終わり。基礎を共有していない。
で、どうですか?人類史的な格闘を妄想してみたとき、
「顔面にパンチしてはいけない」というルールは
競技化にとってかけがえがない要素に感じられますか?
(実戦性について精緻化できるか)
これは、やろうと思えばある程度まではできる。俺の主張に必要ないだけで。
たとえば基礎準備作業として、実戦性を論じた意見や語義を
あつめて、一般的でおおまかなアウトラインをつくることができる
どういう文脈で人は「実戦」を持ち出し語ろうとするのか、
これすら調べないとわからないことなので作業としてはそれなりに有意義。 あちこちのスレでわけのわからん言い争いが始まっているが、新手の荒らしか? >>326
17階級もあれば複数階級にチャレンジする人間も多く出てくるだろうし、キャッチウェイトでワンマッチやることだって難しいことではない
今と比較して対戦不可能なマッチメイクが特段増えるわけではない >>327
プロレスは本質的な部分を考えれば格闘技ではなく演芸、演劇の類であることは誰にでも分かる
プロレスの本質に何か格闘技的なものがあるのであれば教えてもらいたい
各種格闘競技が等しく存在しているということがどうしても納得が行かないというのであれば
それぞれの格闘競技の間に絶対的な優劣が存在することを具体的な基準に基づいて証明すべき >>328
長文はキチガイ
何かこちらに対して言いたいことがあるのであれば
もっと簡潔に主張をまとめてもらいたい レスバトルする奴は荒らし
相手以上に第三者相手に自分が正しく有利に見えるように頑張っちゃってんだろうが無意味だよ
どうでもいい、じゃまなだけ じゃなくて同一人物が端末二台使い分けてケンカしてるように見せかけてるだけ >>331
ええ…君は具体的な基準に基づいて証明なんてしてないのにまた相手にだけ要求するの?
自ら提唱した平等論に草生やした時点でもう終わりでいいと思うんだけどな
あとお前さんの連投はキチガイじゃないのかい 大山総裁、はじめてお手紙を差し上げます。
私は、最近非常に腹立たしいことを聞きました。
それは日本のある男が、自らを地上最強の男と自負し
「徹し」とかいう技を使えば、鎧甲の上からでも人を殺すことができ、
今まで世界中の強者と戦って負けたことがないと言いはっているのです。
しかも、自分の強さを知りたいのなら、いつでも誰でも戦うと言い、たとえ牛が倒せても
自分は倒されないと、まるで大山総裁に対して挑発的ともいえるようなことを言っているのです。
総裁はこのことをどうお考えでしょうか。(カナダ 匿名希望)
http://i.imgur.com/XIu50oW.jpg 141頁
そんなに強い人がいるのかね。私は聞いたことがないからさっぱりわからない。
そんなに強いなら、極真の大会に出てみたらどうかね。
おおむね、鳴り物入りで騒ぐ人というのは、案外中身はないものだ。本当に強かったら、
静かな男になって、自然に強いということが世間に知れわたってくるものだ。
オレは強い、と口だけなら誰でも言える。なかにはそう言って商売をする人もいるだろう。
だが、それを証明しなければ、いつかは信用を失って消えていく。
そうして消えていった人はたくさんいる。 >>337
こちらは競技間に絶対的に優劣をつけることは出来ないっていう立場だからな
出来ないことのは証明は出来ません
どうぞそちらが絶対的に優劣が付けられるということを証明してみてください
あと俺は平等論なんてポンコツなフレーズに付き合うつもりはないからなw >>321
それはない
東洋の武道には精神的なものを求めて入門するから
UFC以前のブラックベルトみたいな格闘技雑誌なんか見ると
ハッタリインチキの自称達人だらけ 個人的にはここで言う実戦とはタイマンまでだと思って話を進めてる
銃器の仕様まで許すなら、どれが一番殺傷能力が高いかの話になり、軍事板でやれって話になる
いやむしろ実戦と言ってしまったのが悪かったのかもしれない
だが総合アンチは、総合が最強なのを認めたくないから「総合だろうが他の格闘技だろうが銃の前では等価だ」
という方向に話を持っていきがち 人数の限定が予め保障され、武器の不使用までもが確約されているならそれは実戦ではなく単なる競技だなw 物騒な国でお馴染みのブラジルでもヒクソンは生き残ってるのだから、タイマンに強いのは意味があるということだ
ルタ・リーブリのグループと集団戦(多vs多)があったが負けることはなかった
最後はタイマンでヒクソンが相手をボコった ただ漠然と実戦性なんてものを格闘技に求めることに意味がない 実戦ならナイフ術でもやったほうがいいだろう
よって格闘技に実戦性は求めない
「タイマンで勝つ」という実戦性とは違う方向性を追求したい 帯刀、携帯出来る生活環境じゃなきゃそれこそ実戦性に欠ける話でしょ。 タイマンで勝つにはやはり拳銃なり刃物なりを持って方が有効なのでは? 一対一
一体多
多対多
それぞれに武器のアリ無しのオプションが付く
都合六種類にオールマイティーな格闘技など無いのが現実
一対一(武器なし)なら延々と寝技をすることも辞さいないが集団戦では不利だ、というふうに
そんななかで一番需要があるのは一体一(武器無し)なんだから、タイマンに強い格闘技を求めることは意味がある
なぜ需要があるかわかるかといえば、youtubeでstreet fightで検索すれば世界は遺恨なのか名誉をかけた戦いわからんが、
徒手空拳での私闘が数多く確認できるからだ 刃物アリならマチューテでの決闘を海外のグロサイトで確認できるが、少数派である
なんせ肉体がスパスパ刻まれていくという「閲覧注意」の世界だからそれを実践するやつは少ない >>343
格闘技語るのに武器ありやら多人数やら出してくるって 悪魔の証明に持っていきたいみたいだけど居ないものは証明でき「ない」、お互いに格差は「ない」の「ない」は意味違うからね…
また相手にばかり要求してるけど、結局持論は「ない」みたいだね >>355
格差というものが存在しないということは証明のしようがないということね
本当に日本語が読めないんですね 格差はないといいった場合の「ない」は出来ないの「ない」ではなく居ないの「ない」
かんたんな国語のおはなし >>354
路上における実戦っていうのは格闘技ではないでしょ
格闘技っていうのは競技として格闘を行うことに対する概念だから
早い話が格闘技を語るのに路上における実戦性なんて持ち出すことには全く意味がないってことだよね 長文連投しかも内容が無いしな。
二人で捨てメアドでも交換すれば良いのに。
それこそ実戦的。 >>358
>早い話が格闘技を語るのに路上における実戦性なんて持ち出すことには全く意味がないってことだよね
警察の逮捕術は
ナイフ(模造)vs警棒
の競技があるぞ
武器を持つこと以外は打撃や投げも可の日本拳法ライクな格闘技である
ちなみにナイフと警棒は入れ替えて一試合とするので平等性は担保されてる それは刃物などの凶器を持った暴漢の逮捕っていう限定されたシチュエーションにおける実戦性でしょ
オレが言ってるのはただ漠然とした実戦性を追い求めることに意味がないっていうこと 漠然としてたらダメ
具体的なシチュもダメ
お前は何をどうしたいんだ
お前が漠然としすぎている >>362
具体性があればいいんじゃね
ちゃんとその具体性に現実のリアリティが伴ってれば ナイフを家に置いてきた場合 ビビって引き金を引く指がプルプルした場合 「卑怯だぞ!」と言われて迷った場合 俺は実戦ていうのは
日常で起こる事だと思う。
ありそうな状況を
書いてくね。
そして対処方も書く。
まず無差別に通り魔に襲われる。
数メートル以上離れていたら、
勿論走って逃げる。
数メートル以内で
他の人を刺してる。
後ろや横から蹴る。
自分に向かって来た場合は傘を持っていたら、
傘で応戦する。
何もなければベルトか上着を脱いで
応戦する。 次に車を運転して
煽られた場合。
振り切るのがベスト。
それが出来ないで
車を停車せずにいられない場合。
絶対に車から降りず
相手が降りてきたら
車で轢く。
まあこんな感じで
格闘技は意味がない。
習うのは棒術だな。 >>356
格差が存在しないということが証明しようがない?本当に?
証明というか根拠を示すのは出来るけど古市さん言い返すだけだから止めときますわ
自分は証明出来ないけどお前は証明しないとおかしいってマジで思ってそうですな >>338
YouTubeにマスの牛殺し映像アップされてるの初めて見たが
劇画と違って完全にやらせだったなw
おとなしい牧畜牛の鼻輪掴んで動けぬようにしてビシビシ叩いて
牛が絶命するシーンは映してない、ウィリーの熊殺しと一緒。
当時も批判されただろうが、動物虐待とやらせで現在ならアウトだな。 あの大御所の漫画家、永井豪先生がマガジンで骨法題材にした漫画出すぐらいだから骨法が出始めた当時はかなりの影響力あったんだろうな
今なら即化けの皮剥がされるけどw ファンタジーは不可欠だよね
「あそこはヤバい」と思わせるだけで、ある意味相手を制することも出来るわけだし
しかし、牛殺しと牛虐めじゃかなり違うな ビン斬りや試し割もトリックあるしな
ああいう発想できるマスはすごいわ >>339
等しい、等しく存在すると述べたのは君だよ
複数の要素が等しくあること
これを平等という
「たいらかに等しい」
それは放棄したということは
君の主張が変更されたわけ
汚い人間だ >>331
プロレスの本質って何?
たしかに格闘しているよ
一方型で採点するのは格闘?
でそういう判断できるのは
君のなかに格闘らしさ、という価値基準が
存在しているからなのだが
顔面攻撃をルールで禁止すれば
その分格闘の迫真性は薄れる
横綱は技を制限の不文律
これも似たようなもん
なんでそんなことを理解できないの? 対人の格闘で競技として成立する
ルール、枠組みは無数にある
今現在あるものはその一部に過ぎないが
現実に実践されているという事実は重い
で、この無数のルール構成が等しい存在、
てどういう意味の等しい?
俺は具体的な基準でリアルな格闘らしさの
ガイドラインを述べているのだが
ワイモマ君はひたすら観念的で中身がない >>331
全ての現実の格闘技を分類できるなんて
議論は一度もしていない
枠組みにおいて非常に重要なポイント
はあって、そのバランスにおいて
優れているのが例えばMMA
打撃禁止の競技は打撃禁止の分だけ
リアルな格闘技らしさが目減りする
しかしこれは実際の格闘技名を挙げて
打撃禁止の競技が全て容認競技に劣ると
いう判断ではない
なぜならルールはそれだけではないから まあここまでくると
俺の主張が理解できないバカってことだな
ワイモマ君は自分が論じられる以上の
主張をしててこれは実は良くあること
論点を知っていて題目は口に出せるが
良く考えていない、こういうことだ >>346
格闘技でKOに特別な意味が生じるのは
なぜだろう?
なぜ判定勝ちよりも高い価値が直感的に
与えられるのだろう
内省してみなさい
それでも採点による勝ちとKOは「等しい」かな? >>367
絶対的な優劣が存在することを証明しないとな >>372
日本語説明オジサン、絶対的な優劣が存在することが証明されない以上は仕方ないんだよw >>342
ワイモマとは関係なく俺がわざわざバカ相手に
基礎付けを少し施したのはたまに見かけるその銃が最強
みたいな極論で思考停止するバカが多いから
等しい論もその亜種だな >>373
格闘はしていない
格闘を演じているだけ >>377
KO勝ちに意味が生じるのはそこで試合が終わるからじゃね?
判定勝ちとKO勝ちは現代格闘技においては等価 日本語説明オジサンはバカのくせに賢いつもりでいるのが哀しい
根深い知的コンプを抱えているのでしょう >>379
絶対的?おまえの中身ゼロの原則論に
寄り添う必要はない
顔面攻撃を禁止する格闘は
競技にはなるが格闘として真実味が薄い
これは直感できること
禁止するって一種のファンタジーだよ
禁止しない競技が可能ならそっちがその
要素についてはリアル >>383
記録上の勝敗として等しく扱われるだけ
格闘としてはKOしたほうが美学的に格が上
あたりまえ
意地はって子供の議論するなよ
諦めろ >>385
真実味が薄いとかいうのは日本語説明オジサンの主観で客観性にかけるよw
顔面パンチ禁止がファンタジーなら
日時を決めて決まった場所でルールに則って戦うというのもファンタジーだよね 絶対を証明しろって
単なる逃げ口上でしかない
いや君は絶対等価値から動けないだろw
俺は具体性を持って優劣のつく要素に
ついて論じている
君はいつになったら反論を組み立てるの?
ねえいつになったら子供のレトリックに
気がつくのかな >>386
それは日本語説明オジサンの個人の美学でしょ
こちらも客観性に欠ける
KO勝ちと判定勝ちは等価
これが現代格闘技の鉄則 >>388
じゃあ証明してみて
骨法とボクシングはどちらが絶対的に優れている? >>387
やっぱり理解できていないんだね
日時はファンタジーだ
なら日時のない競技は日時性については
リアルだということになる
ただし現実の諸競技では日時があるから
これは差が生じない
やはり議論を理解できていなかったな
このレスで判明したわ
知能が低かった >>391
何言っての?
日本語説明オジサンはちゃんと自分で自分の言ってること理解出来てんの? >>389
鉄則?
現実の競技なんだから
勝敗つけるのは合理性がある
ただ判定は競技のために生まれたルールだよね
ってことでしかない
現代格闘技もクソもないよ
全く理解していない >>393
競技がルールに従って勝敗を判断することに何の問題が
現実社会の暴力沙汰だって法に従って処理されるでしょw
日本語説明オジサンはまともな教育ちゃんと受けてきた?w >>392
本気で理解できないの?
ルールが存在することは競技化のために
現実の格闘を秩序立てることだ
決まった日時も同じこと
だから仮に日時がない競技があれば
その要素については秩序化を免れている
君は議論全体を理解できていない
読めてないんだよ >>394
それは詭弁
法律と格闘のルールは質が異なる事柄
格闘において判定は競技化のためのルールで
あって強弁でしかない
相手を倒す、という中心的な価値にとって
周縁的なもの >>396
さあ知らない
そんな競技現実にないだろ
あほの子か オマエが日時言い出したから
俺が日時あるなし基準ならないほうが
競技化から遠い、と述べたまでだよ
君大丈夫?
君は議論の枠組みを理解できていないから
そういう的外れを言い出すのだよ
気付こう 格闘の実戦性でぐちゃぐちゃ言ってた癖に
判定って競技化のためのルールだよね
と指摘したら
現代格闘技では同じってwww
いやだから格闘としての価値の中で
相手を倒すことはより大きな価値があると言っている
競技だから勝敗システムのなかだけは同値なの >>397
単に日本語説明オジサンが気に食わないから判定決着を貶めてるだけじゃんw >>398
じゃあ全ての格闘競技は日本語説明オジサンがいうファンタジーから逃れられないってことね >>390
ねえねえ理解できていない質問は意味ないよ
ひとつ取り上げてあげよう
両方の競技とも日時を決めて行われるよね
ということは「日時に関しては」優劣がつかない
これでやっとわかったかな?
いやいや理解してないなおそらく >>401
大きな価値があるのは日本語説明オジサン個人にとってでしょw
現代格闘技においてKO勝ちと判定勝ちは等価です >>404
つまり競技間の絶対的な優劣の存在は証明のしようがないということですね >>403
競技化されたものしか俺は初めから
扱っていないから
競技のための制限をファンタジーと
呼べばそうなる
問題はオマエがそこからみんな一緒理論を
口にすることw
学問らしきことを全くしたことがない人間の屁理屈 >>405
それはルール上等価ということ
君やっぱり通じていない
ルールが等価と置いているのだから循環する
ルールと無関係にKOの方が格闘にとってより本質的
柔道の美学にとって一本が理想というのは
競技の洗練化であるが実はこの変種と見ていい やはり元々バカが書いてたということが判明
自分が扱えない問題どころか
俺の主張すら理解できていない
そんなに難しくないのに
クスクスw >>407
呼べばそうなるって日本語説明オジサンが勝手に言い出したことじゃんw >>408
ルールがなければ競技は成立しないからね
本質的だというのは日本語説明オジサン個人にとってだから単なるタワゴトだよなw >>412
ねえねえひとつ考えてみようよ
骨法体系がひとつあるとしよう
一方競技はふたつ
対人の試合と、個人で技術を披露しての採点のみの競技
どちらも格闘技術の競技化だ
で想像してみて
どちらが格闘らしさが保たれているかな?
君は等しいという結論以外ないと言っている
俺はそうは思わない
前者が格闘らしいと感じる
例えば痛みを感じる、とかないろいろ
これに君が共感できないなら話は終わり >>413
共感以前に文章があまりに稚拙で全く言ってる意味が分からない
日本語説明オジサンは大学行かなかったの? >>410
アホか
オマエが「じゃあ全てファンタジーだね理論」に
逃げようとしたから、それは通用しないんだ、
と表明しただけなの
君の中にも俺と同一ではないが
それでもかなり近い、真剣な格闘のもつ方向性が
見えている
でだからプロレスはダメとなる
プロレスは試合での相手への利他行動が必要だからね
格闘の真実味に薄いと見るほかない
それを等しいという言葉に固執して
具体的な考察をほとんどしない、これではダメ >>414
ねえ俺は分かっているんだ
どう思うかな、って具体例挙げても、
君は逃げてそこに反応しない
それは語りたくないからだね
もう実質認めていると見るほかない
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
格闘技術を競技化する方法は多様だが
格闘本来の人間の野蛮な倒しあい、
これをどう保存して競技化できているかは
大きな濃淡があり、
どんな格闘競技も平等だとは言えない
例えば、それは顔面攻撃が可能か否かである
ーーーーーーーーーーーーーーーーー >>415
プロレスが格闘技ではないのは
ジャンルとしての元々の本質が演劇や演芸にあるからで
実際にやってることが真に迫ってるかどうかなんてことには全く関係がない
やってることは遊園地のヒーローショーと一緒だからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています