ジャイアント馬場は全盛期も強かったのか?
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猪木と共にプロレス界の二大巨頭のように語られてるが全盛期も果たして強かったのだろうか? >>506
WWE殿堂入りは映像コンテンツ他の権利絡みがあると聞いた。というか
WWEはそれが欲しくて飲み込んでいく。
だから今後はあり得るだろうね。 全員全盛期で
シュルト>サップ>ホンマン>シルバ>>>>>>馬場
で結論 馬場アンチさんはお歳はおいくつなの?
どうしてそんなにコピペするの?
教えてください >>503
サンマルチノもそうだったが、
「なんで俺がビンスJrの作った賞を貰わなければならんのだ」
なんて考えてた節があるからな
馬場にしてみればビンスJrって自分がMSGで試合してた頃にモギリやってた下働きだし
それ以降もニューヨークマットは馬場と真っ向から対立してた政敵だぞ ttps://blogs.yahoo.co.jp/hk08300830/GALLERY/show_image.html?id=34643383&no=0
なんとなく検索してたら、こんな写真があった
どんだけ分厚い体しとんねん ttps://blogs.yahoo.co.jp/hk08300830/GALLERY/show_image.html?id=34643383&no=0
なんとなく検索してたら、こんな写真があった
どんだけ分厚い体しとんねん >>516
ガチでの強さの話
ガチ童貞馬場なんて実績ゼロなんだから強い評価できるわけないのに
納得できない輩がいるみたいだね
弱いと認めたら人生が全否定されるから怖いんだろうね 全員全盛期で
シュルト>サップ>ホンマン>シルバ>>>>>>馬場
で結論 >>521
ぶっちゃけどちらの層も馬場さんをコケにするスレなんだな…
プロレスはプロレスであるって偉い人が言ってたぜ ジャイアント・シルバってアンドレの全盛期よりも強いかもしれんぞ
馬場はジャイアント・シンの方と互角ぐらいじゃない?
ジャイアント・シンはパワーはあったけどシルバと違って動きは鈍かったし >>521
人生全否定とか、俺の書き込みをパクってんじゃねえよw >>525
馬場は肘が壊れてパワーもないからね
打撃、投げ技、極め技 全てできないのが馬場 若い頃のネグリジェを絶賛してる奴がいるけど
若い分だけ爺ちゃんになってからのモタモタがないだけで別に褒めちぎるほどのものはないよな
普段からウスノロな奴が「動け動け」とせかされれば気にして少しだけ動きが速くなるって程度だな
そんなの凄い内には入らんよ >>523
両方とも馬場をコケにしてるのに気が付いてないみたいだね >>500
何言っても脳内変換するのはくっさい旧全日系のお前らだろwww >>503
権威が落ちるからだよな、フツー考えて(笑) >>532
言い返せないからって、謎の負け惜しみご苦労w >>534
まあブックありきのショーに強いも弱いもないけどな、ガチじゃないのは全日系も同じだし
こちらは「ノアだけはガチ」という幻想を作った故に後々笑いのネタになったからな
それに2度も極端な大量離脱のクーデターが起きたのも敵が多い証拠じゃないのかな
数年ごとにいろいろあるのと、10年ぐらい表向きは何もないがその間水面下では鬱積していたものが爆発したのの違いだけでさ
そりゃあワンマン社長の傲慢経営だもの、上辺だけは「悪く言う人はいないいい人」wwwに対して不満があっても不思議じゃないからな
例えば引退ご祝儀が多いように見えて実は下は全部紙切れだったとかwジャイアントサービスの仕組みとかwww 全員全盛期で
シュルト>サップ>ホンマン>シルバ>>>>>>馬場
で結論 >>535
落ち着けw
痛いとこ突かれて必死になってるようにしか見えんぞw >>538
大好きな馬場さんの悪事を提示してやったというのにw
お前こそまともに言い返せないからマニュアル通りのベタな切り返ししかできないんだろ
必死なのはお前の方だろww >>539
んーと、言い返して良いのなら……
>>535をざっと読んでみると
>まあブックありきのショーに強いも弱いもないけどな、ガチじゃないのは全日系も同じだし
ガチなら俺らの方が強いと言い続けて客を呼んでた新日と、受けて立つ立場だった全日とでは事情が違うな
>こちらは「ノアだけはガチ」という幻想を作った故に後々笑いのネタになったからな
本気で言ってたのは一部の狂信者だけで、他は後ろに(笑)を付けて言ってただろうに
そして、馬場さんの話なのになんでノアオタが出てくる?脈絡が無さすぎだぞ
>それに2度も極端な大量離脱のクーデターが起きたのも敵が多い証拠じゃないのかな
三沢曰く『尊敬する馬場さんの会社を無くしたくないから独立を決意しました』だそうだが
んで、大量離脱したメンバーも、馬場さんの死後でさえ恨み節をいってないからなー(メガネスーパー含む)
敵が多いと言う根拠にはならん
>数年ごとにいろいろあるのと~
>そりゃあワンマン社長の傲慢経営だもの~
『あっても不思議じゃない』がなんで『あったに違いない』になるのか……
その理屈は土台からして間違ってる
>例えば引退ご祝儀が多いように見えて実は下は全部紙切れだったとかwジャイアントサービスの仕組みとかwww
引退ご祝儀はどっかのインタビューで見た覚えはあるが、調べても記事が出てこないのよ
元記事ある?俺としても曖昧な記憶じゃなく検証したい
で、ジャイアントサービスの件は会社に何かあった時用の積み立てって側面もあったと聞いたが
年金の一件でもあったりなかったりと情報が錯綜してるんで、そのあたりは裏が取れた情報が無いに等しいのよな
と、こんな突っ込みどころ満載の駄文、なんでまともに返さねばならんのだ?
読みこめばもっと出てくると思うが、さすがにそこまでする甲斐性も時間もないな
駄文ってのは、読むの本当に苦痛なのよ 全員全盛期で
シュルト>サップ>ホンマン>シルバ>>>>>>馬場
で結論
総合してないからとか言い訳しないでよw 馬場さんの手にはチョップだこが出来ていてそれは石のように硬かったみたいだね >>540
早口で言ってるのかな?(笑)
はやくノハの東京ドーム大会が見たいんですけどぉー(大笑い) ノアヲタって昔の馬場や鶴田の試合なんかみているのか?
猪木の試合なら腐るほど見てそうだけど。 >>545
なんか可哀想www
ノハはドーム借りて体育マット敷いてその上にネグリジェのリングシューズ置いて大川隆法ばりに降誕祭とかやって、ネグリジェを今だにサイキョッ〜サイキョッ〜とお題目上げてるくっさい信者どもを救済してやれよ(笑) S40年6月【G馬場が震えた日】
ttps://ameblo.jp/hondano/entry-12208641190.html
【馬場のセメント恐怖症】馬場が震えた日〜ザ・デストロイヤーに助けを乞う醜態を演じ観客から失笑
日本プロレス界でセメント嫌い、というよりは恐怖症に陥っていたのが馬場であった。
自分がお山の大将に収まっていた
全日時代のマットからはセメントを消し去っていたが、
日プロ時代はインターのチャンピオンとは表向きの看板だけで、
実のところ、何度かセメントを仕掛けられ小便をチビる恐怖を味わっている。
それがトラウマとなりセメント恐怖症に陥った。
それは傍から見ると、常に表街道を歩むことに対する嫉妬、
ジェラシーからくる苛めに等しかったようだ。
ベンチプレスで80sしか持ち上げられぬ非力さを脚力を活かした巨体でカバーしていたが、それもピークは直ぐに過ぎ、
その巨体が武器というよりはハンデの重荷となってマットに上がっていたのが実情であった。
馬場の末期は自力でマットに立つことも
不能な状態に陥り、アンドレと同じように巨人症の宿命を呪ったが衰えを克服するまでには至らなかった。
フェイクの瞞しの世界でしか生きる術がなかった馬場は野球界をクビになりプロレスが人生最後の砦であった。
「セメントを仕掛けられたらセメントで迎え打つ」という力道山が弟子たちに鉄拳で叩き込んだ教えも体力、気力、実力全てが伴わかった
と言えば実もフタもないことだが、虚仮威しで「プロレスはスポーツ」と思うファンからは馬場は大物トップ外人に勝つ→強い→日本一
という三段論法的ギミックで「馬場最強」を信じ絶大な人気を得ていた。 こうした「馬場プロレス(フェイク)」に対するライバルや先輩たちの
猛烈な反撥、嫉妬、ジェラシーの怨嗟がドス黒く燻っていたのは
確かであった。その源流は「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
という憤怒感情からであった。
1965年(昭和40年)6月3日。札幌中島スポーツセンターで開かれた
アジア・タッグ戦で王座組である豊登&馬場チームは
ザ・デストロイヤー&B・R・ライオンの義兄コンビに敗れるという波乱が起きた。
この年の秋には芳の里グループの強力な後押しで
NWAに権利金の2万5千ドル(900万円)の裏金を積み、
復活インターナショナルのチャンピオンになることが
既に約束されていた順風満帆の馬場に対し、
最後まで反対していたのが力道山亡き後、日プロの社長でもあった豊登であった。 裸足でベアハッグといった地味で見映えのしない単調な豊登のスタイルに比べ、
レスリングの基礎も知らない馬場は
アメリカで身に付けた、派手な立ち技見せ技を中心とした
活劇的フェイクに飾られたファイトは人気を集めた。
この馬場人気に嫉妬し、
豊登がエースの座に危機感を覚えていたのも事実であった。
何より観客は毛唐より大きな体躯で外人を痛めつける馬場の姿に溜飲を下げた。
力道山がこれまで示して来た敗戦国の
小兵ニッポン人が戦勝国の大男悪党ガイジンを投げ倒すスタイルにカタルシスを得、
拍手喝采を送るというこれまでの
パターンに変化をもたらすものであった。
それを側面から強い影響を与えたのが茶の間に浸透した
テレビの普及であったと指摘する声は多い。
視覚的に訴える派手で誇張された
馬場のスタイルは実にマンガ的で正にテレビ向けにピッタリであった。
テレビでファンになった観客が会場にも足を運ぶという
理想的な市場商法スタイルを実戦していたわけである。 当夜、タイトルマッチの開始時間が迫る中、
今日の結末を何も聞かされていないレフェリーの沖識名は、
マッチメーカー(シナリオ作者)でもあった吉村道明を控室横の暗がりに呼び出し、
勝ち負けのシナリオを聞き出そうとしたが、吉村の返答はにべもなかった。
「実力のない馬場をさも強そうに見せるストーリーを考えるのはもう止めた!
頭が痛くなるばかりだ!
ワシよりも馬場とツーカーの仲である芳の里に相談すればいいではないか!」
その横で豊登はニヤリと笑い、
「馬場はもうじきインターのチャンピオンになるほどの実力者。
闘う前に打ち合わせなどしなくても、
プロレス新聞がタレ流す通りの力を出せばデストロイヤーとて目じゃないはずだ!」
と冷たく言い放った。 全員全盛期で
シュルト>サップ>ホンマン>シルバ>>>>>>馬場
で結論 >>550
関係者とトラブル起こして、
あることないこと捏造して書きまくった門茂男を
信じている奴が未だにいるとは。。。 だからさ、素質のないただの巨人ならアトキンスにもあずけないし
次期後継者にしないでしょ?
マンモス鈴木なんて、木刀で殴られても微動だにせずに、木刀が折れたんだから
鈴木のがガチなら強いんじゃないの? ってことになる >>556
門と門馬を間違えて、そこから引っ込みがつかなくなったに1票
>>557
「可愛い子には旅をさせろ」
「1952年の力道山のアメリカ遠征で、力道山が勝てなかった3人は?」
「打たれ強さ≠強さ」 >>557
ガチの素質が無いことは猪木と大木で証明されてます
見せ物としては素質があったので預けただけ ジャイアント馬場は日本人離れした肉体と元巨人軍投手のブランドイメージだけで観客が呼べた生まれながらのプロレスラー 馬場は風呂場で転倒して大けがしなければプロレスラーなんてなることはなかっただろうな・・・・
晩年になってからも「巨人のスカウトがうちに来た時の事を昨日のことのように覚えている。今も夢に見る」と
目を輝かせて語ってたし。
本当は野球で成功したかったんだろうな・・・・
猪木はブラジル日系人社会限定でそこそこ有名な名士だが、世界的にも日本でも無名の存在で終わってただろう。 >>560
ショーマンであってファイターではないな
ガチでは弱かったが結論 >>562
上でさんざん論破されてるのに、もう忘れたのか
ずいぶんと新陳代謝が激しい脳細胞だな S40年6月【G馬場が震えた日】
ttps://ameblo.jp/hondano/entry-12208641190.html
【馬場のセメント恐怖症】馬場が震えた日〜ザ・デストロイヤーに助けを乞う醜態を演じ観客から失笑
日本プロレス界でセメント嫌い、というよりは恐怖症に陥っていたのが馬場であった。
自分がお山の大将に収まっていた
全日時代のマットからはセメントを消し去っていたが、
日プロ時代はインターのチャンピオンとは表向きの看板だけで、
実のところ、何度かセメントを仕掛けられ小便をチビる恐怖を味わっている。
それがトラウマとなりセメント恐怖症に陥った。
それは傍から見ると、常に表街道を歩むことに対する嫉妬、
ジェラシーからくる苛めに等しかったようだ。
ベンチプレスで80sしか持ち上げられぬ非力さを脚力を活かした巨体でカバーしていたが、それもピークは直ぐに過ぎ、
その巨体が武器というよりはハンデの重荷となってマットに上がっていたのが実情であった。
馬場の末期は自力でマットに立つことも
不能な状態に陥り、アンドレと同じように巨人症の宿命を呪ったが衰えを克服するまでには至らなかった。
フェイクの瞞しの世界でしか生きる術がなかった馬場は野球界をクビになりプロレスが人生最後の砦であった。
「セメントを仕掛けられたらセメントで迎え打つ」という力道山が弟子たちに鉄拳で叩き込んだ教えも体力、気力、実力全てが伴わかった
と言えば実もフタもないことだが、虚仮威しで「プロレスはスポーツ」と思うファンからは馬場は大物トップ外人に勝つ→強い→日本一
という三段論法的ギミックで「馬場最強」を信じ絶大な人気を得ていた。 こうした「馬場プロレス(フェイク)」に対するライバルや先輩たちの
猛烈な反撥、嫉妬、ジェラシーの怨嗟がドス黒く燻っていたのは
確かであった。その源流は「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
という憤怒感情からであった。
1965年(昭和40年)6月3日。札幌中島スポーツセンターで開かれた
アジア・タッグ戦で王座組である豊登&馬場チームは
ザ・デストロイヤー&B・R・ライオンの義兄コンビに敗れるという波乱が起きた。
この年の秋には芳の里グループの強力な後押しで
NWAに権利金の2万5千ドル(900万円)の裏金を積み、
復活インターナショナルのチャンピオンになることが
既に約束されていた順風満帆の馬場に対し、
最後まで反対していたのが力道山亡き後、日プロの社長でもあった豊登であった。 裸足でベアハッグといった地味で見映えのしない単調な豊登のスタイルに比べ、
レスリングの基礎も知らない馬場は
アメリカで身に付けた、派手な立ち技見せ技を中心とした
活劇的フェイクに飾られたファイトは人気を集めた。
この馬場人気に嫉妬し、
豊登がエースの座に危機感を覚えていたのも事実であった。
何より観客は毛唐より大きな体躯で外人を痛めつける馬場の姿に溜飲を下げた。
力道山がこれまで示して来た敗戦国の
小兵ニッポン人が戦勝国の大男悪党ガイジンを投げ倒すスタイルにカタルシスを得、
拍手喝采を送るというこれまでの
パターンに変化をもたらすものであった。
それを側面から強い影響を与えたのが茶の間に浸透した
テレビの普及であったと指摘する声は多い。
視覚的に訴える派手で誇張された
馬場のスタイルは実にマンガ的で正にテレビ向けにピッタリであった。
テレビでファンになった観客が会場にも足を運ぶという
理想的な市場商法スタイルを実戦していたわけである。 当夜、タイトルマッチの開始時間が迫る中、
今日の結末を何も聞かされていないレフェリーの沖識名は、
マッチメーカー(シナリオ作者)でもあった吉村道明を控室横の暗がりに呼び出し、
勝ち負けのシナリオを聞き出そうとしたが、吉村の返答はにべもなかった。
「実力のない馬場をさも強そうに見せるストーリーを考えるのはもう止めた!
頭が痛くなるばかりだ!
ワシよりも馬場とツーカーの仲である芳の里に相談すればいいではないか!」
その横で豊登はニヤリと笑い、
「馬場はもうじきインターのチャンピオンになるほどの実力者。
闘う前に打ち合わせなどしなくても、
プロレス新聞がタレ流す通りの力を出せばデストロイヤーとて目じゃないはずだ!」
と冷たく言い放った。 >>567セメントを仕掛けられたら、
セメントで返せなんて力道山は教えてないと思う。
大木の初めてのアメリカ遠征の時に
力道山は大木にこう言ってる。
「オフェンスとディフェンスの継ぎ目を覚えろ。ディフェンスの時間に仕掛けたら半殺しの目に会うぞ!」
「プロレスの世界には大したことなさそうで、馬鹿みてえに強い奴がいるから、
気をつけろ!」
大木は力道山の死後
ルーテーズにシュートを仕掛けて、
返り討ちにあって、
頭を十数針縫う大怪我をした。
大木は力道山の言う事を理解してなかった。 まぁ猪木より弱いことを暴露されてしまったからね
お爺ちゃん達は馬場が弱いことは認めないとね とは言ってもプロレスラーだからな…プロレスのリングでやったら引き分けか馬場の勝ちになるでしょ
馬場に有利な条件でプロレスしないといけないわけだからセメント仕掛けてもすぐに止められるな 馬場なんて風呂場で転ばなくても野球じゃ大成しなかったろうな
むしろ怪我で野球を断念したという言い訳が出来て、プロレス入りのいい花道になった >>574
プロレスなら引き分けか1勝1敗
プロレス総選挙で最も偉大なレスラーは猪木が選ばれてる
そういう意味では猪木が上 >>575
馬場は打撃ができないからね
肘を壊してる時点でガチは無理 >>573
信じたくないのはわかる
ただ現実的に考えて馬場は強さを証明していない
格闘技経験もなければ一度もガチをやっていないのだから
そんな奴を強いと評価する方がおかしい それテレ朝企画かな?
俺は馬場信者でも猪木信者でもないからどっちでもいいけどさ 同じ発言を毎日繰り返してる発達障害を観察するスレだな とっくに否定されてる主張やら、門の記事を恥ずかしげもなく繰返し書き込めるとか、
精神異常者じゃなきゃできないわな >>581
あれでもテレ朝は相当気を使ったと思うよ
だって馬場に人気なんてねーもん
馬場が評価されていたのは
猪木のライバル扱いされてた事と
週プロ全盛の頃ター山に聖人扱いさせて
バカが騙されてただけで
決して馬場単体で人気があったわけじゃない
実際、全日なんて人気ある外国人で客呼んでたからな
プロレスラー=人気商売とするなら
馬場は猪木の足元にも及ばんだろ >>584
突っ込みどころしかないような文だが、とりあえず
>週プロ全盛の頃ター山に聖人扱いさせて
>バカが騙されてただけで
それ、馬場のキャリアじゃ最晩年だろ >>580
やったやん、バンドーカラテとふた月早い盆踊り(笑)
カラテを小馬鹿にしたから22年後に弟子がカラテカさいとうにパプらされたやんw >>584
猪木のライバルってのがわからん
猪木が勝手に馬場に対抗心燃やしてただけだろ 馬場ファンの人からすると猪木は太陽系の星の一つに過ぎない
猪木ファンの人からすると苛めたくなる木偶の坊
こんなところか >>587
上でも書かれてたが……
日本語で書き込めよ、お前はw >>586
猪木は晩年でも人気も集客もあったけどな
じゃ全盛期の馬場なら猪木の全盛期の人気は超えてたのか?
>>588
そう人気者の猪木が対抗心燃やしてくれたおかげで格を保てたよね
じゃ馬場が人気あったっつーなら根拠を数字で出せるか? >>591
先に猪木が人気あったことを数字()で出さないとねw >>591
たしかこの前、渋谷の東急百貨店でやってたジャイアント馬場の展示会が、来客10000人越えだったか
20年も前に亡くなったプロレスラーの展示会でそれだけ集まる訳だが
で、年に数回しか試合しないプレミア付きの猪木の試合と、全日本の興行に行けば必ずある馬場の試合
どうやったら同じに思える? >>591
追記
昭和42年8月の大坂球場でやったキニスキー戦で20000人の札止めになってるな
あと人気なかったら、日テレ付かないしショーバイショーバイの準レギュラーにもならんわ >>594
へえーほんで
馬場メインの集客は2万がMAXなの?
日テレさんのプロレス中継は朝日のワープロの視聴率を超えてたの??
面白いからもっと教えてよおじいちゃんたち
どうせ当時はどうだっただの
晩年がどうだの言い訳すんだろww
見苦しいったらねーよな 猪木は晩年ビッグマッチの目玉として出てたんだよな
セミリタイア状態になったのは議員活動をしだしたときからだっけ?
馬場は若い選手にメインは任せてほとんどの興行に出てたね
馬場がファミリー路線を主戦場にしだしたのは何歳ぐらいの時だったんだろう? プロレス総選挙
1位 アントニオ猪木 12964pt
2位 ジャイアント馬場 6562pt
歴代日本人最高のプロレスラーに猪木が選ばれてる
もし日本テレビで行われていても猪木が1位でしょう
猪木以上のレスラーはもう出てこないでしょう
馬場はプロレスラーとしても猪木に負け
己の団体全日本も新日本に負け続けメジャーから格落ち
そしてガチでも猪木より弱かった >>595
>晩年がどうだの言い訳すんだろww
なあ、スレタイにはなんて書いてある?
最近の子供は日本語も読めないのか? >>595
猪木が人気のあったことを数字で早く出せよw 馬場の存在感は"プロレス"最強。
猪木はよくて引き分け、力道山しか馬場に勝てない。
一方ガチンコは恐らく素人。語る事自体がナンセンス。
馬場は太陽。その他のレスラーは太陽の周りを回る星に過ぎない
これで決着でいいよな。 >>602
俺の書いたことパクってんじゃねえよw
どこの窃盗犯だお前 馬場が強かったとか言ってるやつはマジで馬鹿にされるぞ プロレスがガチの強さを比べる分野ではないため強かったかどうかを
検証すること自体ナンセンス。
猪木は強さを比べる分野ではない場所で強さをアピールした。
それをファンも支持したわけだが実際の所、芸能界で一番野球が上手い人
みたいな不思議な立ち位置だったと言わざるを得ない。 >>606
煽りではないけども猪木さんが強さをアピールした場所というのはいつです?
プロレスがガチの強さをのくだりは全く同意です。 >>606
ササクッテロル Sp85-JK55とかワッチョイ d6f9-fIyxを弄って遊ぶつもりだったのに、
そんな綺麗に纏められちゃ、何も言えないじゃないですかw
いくらシュートが強かろうが、しょっぱい試合しかできないレスラーは試合さえさせて貰えず消えるだけですもんね… >>607
要約するとプロレスという分野のみで猪木は強さをアピールしたんだよw >>605
昔は小学生にも馬鹿にされてたからな
俺でも勝てると俺にも言われてたw >>601
まず最も偉大なレスラーは猪木なのでどちらかというと猪木が太陽
それとナンセンスではなくこれは馬場がガチでの強さを測定するスレなので
語りたくなければ別の場所へ
例えるなら
新日本=アメリカ合衆国 猪木=大統領
全日本=ソビエト連邦 馬場=書記長
昔の新日本全日本は冷戦状態に似てる
他の団体を常にリードし続ける新日本はアメリカ >>600
プロレス総選挙
1位 アントニオ猪木 12964pt
2位 ジャイアント馬場 6562pt
馬場より人気あるけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています