ジャイアント馬場は全盛期も強かったのか?
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猪木と共にプロレス界の二大巨頭のように語られてるが全盛期も果たして強かったのだろうか? 実際には弱いくせに演劇ではイイ役やってるから猪木が怒って暴露したんだろうな
セメント恐怖症は致命的だw >>242
芸当で強さがわかるんか?
60年代の試合見たがあまりに遅い
腕は細い
強くないと思うな
別にいいじゃん
プロレスで成功したんだから弱くてもさ
無理矢理強かったとホラふく方が惨めや
プオタ意外の格闘ファンに聞いてみな
馬場をレスラーの中で強いと言うやつは
一人もいねーよ >>244
上で書かれてた事だが、
馬場 ゴッチでGoogleの画像検索してみ
ゴッチと同じくらい腕が太い馬場の写真が出てくる >>225
キミの言ってる「ショー」の定義が解らんが、じゃあハンセンvs大熊みたいな
試合じゃ大熊はプロのショーマンとして失格ということか。
何もしなくても頑丈さがそれとなく伝わってくるのに。 途中送信失礼
ワッチョイ 896b-SF4Rよ
とっくに否定された事をなに未練たらしく繰り返しているのだ、あんたは
それが反論になっていると思えるのはあんただけだぞw
証拠にほら、誰一人あんたの書き込みに反応しようとしないだろ あんた朝早いねー
みんな寝てるか、これから寝るのに。
さすが力道山リアル世代 >>235
グッズ売り場でも、ニコリともしてなかったよな >>249
お前にしか言ってないがw
矛盾を突かれて痛かったかw
お前が反応してるじゃんw 腕の太さ関係なく肘が壊れてることで馬場に打撃は無理だったか
寝技も猪木に勝ったことはないくらいお粗末
格闘技の経験もない真剣勝負もしたことがないガチ童貞w
ガチ童貞劇団員w >>244
猪木なんか、カシンにケチョンケチョンにやられたんだろ? ガチ童貞劇団員馬場がスパーで猪木にケチョンケチョンにやられたんだけどね >>253
猪木は真剣勝負したことあるのか?
まさかアリ戦かなw S40年6月【G馬場が震えた日】
ttps://ameblo.jp/hondano/entry-12208641190.html
【馬場のセメント恐怖症】馬場が震えた日〜ザ・デストロイヤーに助けを乞う醜態を演じ観客から失笑
日本プロレス界でセメント嫌い、というよりは恐怖症に陥っていたのが馬場であった。
自分がお山の大将に収まっていた
全日時代のマットからはセメントを消し去っていたが、
日プロ時代はインターのチャンピオンとは表向きの看板だけで、
実のところ、何度かセメントを仕掛けられ小便をチビる恐怖を味わっている。
それがトラウマとなりセメント恐怖症に陥った。
それは傍から見ると、常に表街道を歩むことに対する嫉妬、
ジェラシーからくる苛めに等しかったようだ。
ベンチプレスで80sしか持ち上げられぬ非力さを脚力を活かした巨体でカバーしていたが、それもピークは直ぐに過ぎ、
その巨体が武器というよりはハンデの重荷となってマットに上がっていたのが実情であった。
馬場の末期は自力でマットに立つことも
不能な状態に陥り、アンドレと同じように巨人症の宿命を呪ったが衰えを克服するまでには至らなかった。
フェイクの瞞しの世界でしか生きる術がなかった馬場は野球界をクビになりプロレスが人生最後の砦であった。
「セメントを仕掛けられたらセメントで迎え打つ」という力道山が弟子たちに鉄拳で叩き込んだ教えも体力、気力、実力全てが伴わかった
と言えば実もフタもないことだが、虚仮威しで「プロレスはスポーツ」と思うファンからは馬場は大物トップ外人に勝つ→強い→日本一
という三段論法的ギミックで「馬場最強」を信じ絶大な人気を得ていた。 こうした「馬場プロレス(フェイク)」に対するライバルや先輩たちの
猛烈な反撥、嫉妬、ジェラシーの怨嗟がドス黒く燻っていたのは
確かであった。その源流は「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
という憤怒感情からであった。
1965年(昭和40年)6月3日。札幌中島スポーツセンターで開かれた
アジア・タッグ戦で王座組である豊登&馬場チームは
ザ・デストロイヤー&B・R・ライオンの義兄コンビに敗れるという波乱が起きた。
この年の秋には芳の里グループの強力な後押しで
NWAに権利金の2万5千ドル(900万円)の裏金を積み、
復活インターナショナルのチャンピオンになることが
既に約束されていた順風満帆の馬場に対し、
最後まで反対していたのが力道山亡き後、日プロの社長でもあった豊登であった。 裸足でベアハッグといった地味で見映えのしない単調な豊登のスタイルに比べ、
レスリングの基礎も知らない馬場は
アメリカで身に付けた、派手な立ち技見せ技を中心とした
活劇的フェイクに飾られたファイトは人気を集めた。
この馬場人気に嫉妬し、
豊登がエースの座に危機感を覚えていたのも事実であった。
何より観客は毛唐より大きな体躯で外人を痛めつける馬場の姿に溜飲を下げた。
力道山がこれまで示して来た敗戦国の
小兵ニッポン人が戦勝国の大男悪党ガイジンを投げ倒すスタイルにカタルシスを得、
拍手喝采を送るというこれまでの
パターンに変化をもたらすものであった。
それを側面から強い影響を与えたのが茶の間に浸透した
テレビの普及であったと指摘する声は多い。
視覚的に訴える派手で誇張された
馬場のスタイルは実にマンガ的で正にテレビ向けにピッタリであった。
テレビでファンになった観客が会場にも足を運ぶという
理想的な市場商法スタイルを実戦していたわけである。 当夜、タイトルマッチの開始時間が迫る中、
今日の結末を何も聞かされていないレフェリーの沖識名は、
マッチメーカー(シナリオ作者)でもあった吉村道明を控室横の暗がりに呼び出し、
勝ち負けのシナリオを聞き出そうとしたが、吉村の返答はにべもなかった。
「実力のない馬場をさも強そうに見せるストーリーを考えるのはもう止めた!
頭が痛くなるばかりだ!
ワシよりも馬場とツーカーの仲である芳の里に相談すればいいではないか!」
その横で豊登はニヤリと笑い、
「馬場はもうじきインターのチャンピオンになるほどの実力者。
闘う前に打ち合わせなどしなくても、
プロレス新聞がタレ流す通りの力を出せばデストロイヤーとて目じゃないはずだ!」
と冷たく言い放った。 「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
この言葉が見事にガチ童貞劇団員馬場を表現してるなw 263似路美だが、猪木なんて脳天から竹割一発で失神しただろうなあ。 川田さんが擁護してた、あんなに三沢さんが嫌ってたのに・・・ >>246
ゴッチのこん棒をグルグル回すヤツはキツそうだよな?
アレが出来るなら馬場さんは肘を壊して無いんじゃね? どうしてプロ野球に入れたの?嘘じゃないよね?結構いい投手だったのかな >>267
あの時代、運動神経がいい人間はまず野球に行ってたからな
巨人時代に二軍での最優秀賞を何回か取ってたはず
普通ならとっくに一軍に上がれるはずの成績を残してたんだが、なぜか二軍止まりなんだよな >>220
>打撃入れてもレフリーが止めるだろうしね
何で打撃で止めるんだよww >>263
タイトルや煽りには悪意を感じたが
内容はそれほど悪くなかった デカイだけの木偶の坊で投手としてプロになれるとは、とても思えないんだよなあ
そう考えるとフィジカルエリートだったはずだと思うのだけど >>268
一軍だと守備が下手なのを狙われるとかそういうのなのかなぁ、謎だね >>272
全盛期でも試合中にすっ転んでばかりだしそれはない
野球の才能があった可能性は高いが
昨日の番組でやってたが怪我が原因で野球引退しただけでしょ >>274
俺全然馬場のプロ野球時代知らないけど
貴方は知ってるの? >>273
著書では、
コーチにゴマすってた連中だけがドンドン一軍に推薦されたとも言ってたな。
ただ一軍で、あの杉下茂とも途中まで0ー0で投げ合ったくらいだから、チャンスがなかったわけではないし、ソコソコの実力はあったみたいだね。 馬場は右利きだがモノを食べる時は左手を使ってた
そしてよーく見ると左腕より右腕がさらに細い事に気づく
右腕は不自由だったんだと思う 昨夜、TBSの「爆報フライデー」で昭和41年頃、
ジャイアンツの長島が年収4000万の時、
G・馬場は「5億」もらっていたと紹介されていたが、
いくらなんでも、年収5億はないだろ?
長島よりは多かったかも知れないが。 >>279
当時は為替が1ドル=360円の固定相場制だったから
海外で大金稼いでさらに当時の日本円で換算すればあながち嘘ではない >>279
王・長嶋より給料貰ってたのは間違いないだろうが、5億は疑問だな
これがアメリカで稼いだ金って事なら、1ドル360円の時代だし可能性はあるのだが >>281
アメリカ修行時代の話だろ?
↓現在の紙幣価値でもコレ
https://rocketnews24.com/2018/01/31/1013876/
・スーパー高給取り
プロレスデビューを果たした馬場は、その後アメリカへと渡る。
そして売れに売れに売れまくった。当時の試合は「ベビーフェイス(善玉)」vs「ヒール(悪役)」という試合が一般的で、
アメリカ人をも凌ぐ巨漢の馬場は引く手あまただったのだ。
そして給料もヤバい。あるときの契約は週給8000ドル、現在の紙幣価値だと1500万円ほど。
そしてまたある時は10年契約で年俸は27万ドル(現在の紙幣価値で約6億円)を提示されたというからヤバすぎる。
おそらく当時は世界屈指の高給アスリートだったハズだ。 >>282のソースだけど、よく見たら金額これおかしいなw >>281
アメリカ武者修行時代、臆単位で
ファイトマネーをもらったとしても
マネージャーのグレート東郷に
吸い上げられただろうな。 >>283
しかしハワイでの散財ぶりを聞くとあり得るかもと思える
ハワイの店じゃ馬場夫妻が最大のお得意様だったと聞いたな 馬場さんの遺体を秘密裏に運んだ若手というのは丸藤とかか? 周囲の証言にによる馬場の弱さ
・スパーリングでは猪木に1度も勝ったことがない
・猪木どころか大木金太郎にも勝ったことがない
・ベンチプレスは80kg
・肘を故障していたため非常に非力
・セメント恐怖症
寝技もダメ、打撃もダメ、テイクダウンもできない
最悪なのはセメント恐怖症w
ガチで弱かったのは認めるしかないなw 全員全盛期で
シュルト>サップ>ホンマン>馬場シルバ
これが現実でしょう
馬場に格闘技は無理 あんたいいとしこいた老人に近いおっさんだろ、、、
なんでそんな怨念に満ちた人生送ってるんだ? 猪木「馬場さんがすごかったのは屈伸運動。あの体重を支える足はすごかった。
足の力で上に乗った人を簡単に吹っ飛ばした。
でも(巨人でひじを壊したため)腕は悪かった。
寝技も弱かった。スパーリングもしてたけど、オレは負けたことがなかった」。
猪木よりも弱かったガチ童貞劇団員ババw 上田馬之助
「オヤジ(力道山)は、沖識名さん(レフェリー)だけを道場に残し、他の者を全員外に追い出した。
そして、3人のスター候補生にセメントのスパーリングを命じた。
その3人とは、大木金太郎さん、猪木さん、馬場さんである。」
「わたしが後から聞いた話では、まず馬場さんが脱落した。
大木さんと猪木さんは勝負は付かなかった。
この時、オヤジは将来を託すレスラーをこの二人に決めたのではないか。」
大木よりも弱かったガチ童貞劇団員ババw >>291
近所に住んでる学生運動上がりの共産党員なじいさんがちょうどこんな感じだ
人生の大半で信じてたことが、全くのデタラメだった事を信じたくないのだと思われる
発言が下品だったり無意味に攻撃的だったりするところまでそっくり
ぶっちゃけ関わり合いを持たないのがベストだな、地獄への道連れを探して歩き回る怨霊みたいなもんだから S40年6月【G馬場が震えた日】
ttps://ameblo.jp/hondano/entry-12208641190.html
【馬場のセメント恐怖症】馬場が震えた日〜ザ・デストロイヤーに助けを乞う醜態を演じ観客から失笑
日本プロレス界でセメント嫌い、というよりは恐怖症に陥っていたのが馬場であった。
自分がお山の大将に収まっていた
全日時代のマットからはセメントを消し去っていたが、
日プロ時代はインターのチャンピオンとは表向きの看板だけで、
実のところ、何度かセメントを仕掛けられ小便をチビる恐怖を味わっている。
それがトラウマとなりセメント恐怖症に陥った。
それは傍から見ると、常に表街道を歩むことに対する嫉妬、
ジェラシーからくる苛めに等しかったようだ。
ベンチプレスで80sしか持ち上げられぬ非力さを脚力を活かした巨体でカバーしていたが、それもピークは直ぐに過ぎ、
その巨体が武器というよりはハンデの重荷となってマットに上がっていたのが実情であった。
馬場の末期は自力でマットに立つことも
不能な状態に陥り、アンドレと同じように巨人症の宿命を呪ったが衰えを克服するまでには至らなかった。
フェイクの瞞しの世界でしか生きる術がなかった馬場は野球界をクビになりプロレスが人生最後の砦であった。
「セメントを仕掛けられたらセメントで迎え打つ」という力道山が弟子たちに鉄拳で叩き込んだ教えも体力、気力、実力全てが伴わかった
と言えば実もフタもないことだが、虚仮威しで「プロレスはスポーツ」と思うファンからは馬場は大物トップ外人に勝つ→強い→日本一
という三段論法的ギミックで「馬場最強」を信じ絶大な人気を得ていた。 こうした「馬場プロレス(フェイク)」に対するライバルや先輩たちの
猛烈な反撥、嫉妬、ジェラシーの怨嗟がドス黒く燻っていたのは
確かであった。その源流は「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
という憤怒感情からであった。
1965年(昭和40年)6月3日。札幌中島スポーツセンターで開かれた
アジア・タッグ戦で王座組である豊登&馬場チームは
ザ・デストロイヤー&B・R・ライオンの義兄コンビに敗れるという波乱が起きた。
この年の秋には芳の里グループの強力な後押しで
NWAに権利金の2万5千ドル(900万円)の裏金を積み、
復活インターナショナルのチャンピオンになることが
既に約束されていた順風満帆の馬場に対し、
最後まで反対していたのが力道山亡き後、日プロの社長でもあった豊登であった。 裸足でベアハッグといった地味で見映えのしない単調な豊登のスタイルに比べ、
レスリングの基礎も知らない馬場は
アメリカで身に付けた、派手な立ち技見せ技を中心とした
活劇的フェイクに飾られたファイトは人気を集めた。
この馬場人気に嫉妬し、
豊登がエースの座に危機感を覚えていたのも事実であった。
何より観客は毛唐より大きな体躯で外人を痛めつける馬場の姿に溜飲を下げた。
力道山がこれまで示して来た敗戦国の
小兵ニッポン人が戦勝国の大男悪党ガイジンを投げ倒すスタイルにカタルシスを得、
拍手喝采を送るというこれまでの
パターンに変化をもたらすものであった。
それを側面から強い影響を与えたのが茶の間に浸透した
テレビの普及であったと指摘する声は多い。
視覚的に訴える派手で誇張された
馬場のスタイルは実にマンガ的で正にテレビ向けにピッタリであった。
テレビでファンになった観客が会場にも足を運ぶという
理想的な市場商法スタイルを実戦していたわけである。 当夜、タイトルマッチの開始時間が迫る中、
今日の結末を何も聞かされていないレフェリーの沖識名は、
マッチメーカー(シナリオ作者)でもあった吉村道明を控室横の暗がりに呼び出し、
勝ち負けのシナリオを聞き出そうとしたが、吉村の返答はにべもなかった。
「実力のない馬場をさも強そうに見せるストーリーを考えるのはもう止めた!
頭が痛くなるばかりだ!
ワシよりも馬場とツーカーの仲である芳の里に相談すればいいではないか!」
その横で豊登はニヤリと笑い、
「馬場はもうじきインターのチャンピオンになるほどの実力者。
闘う前に打ち合わせなどしなくても、
プロレス新聞がタレ流す通りの力を出せばデストロイヤーとて目じゃないはずだ!」
と冷たく言い放った。 「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
この言葉が見事にガチ童貞劇団員馬場を表現してるなw 腕の太さ関係なく肘が壊れてることで馬場に打撃は無理だったか
寝技も猪木に勝ったことはないくらいお粗末
格闘技の経験もない真剣勝負もしたことがないガチ童貞w
何一つ強さを証明してないまま終わったなwww かなり前だけど、ここが変だよアントニオ猪木って番組で
外人に「何で馬場さんのキックはみんなわざと倒れるの?明らかに弱いじゃん」って
言われて、猪木が「馬場さんは超能力がある」って答えていたなw >>300
まったくだ
人間、こうはなりたくないものだな >>303
新日ファンて馬場、鶴田にコンプあるのか粘着に叩いてくるよなw
芸スポにも現れてスルーされてるのは笑ったわ 新日ファン全日ファンじゃなくて
糖質とかそっち方面だろ、、、
こんな奴らが日常に紛れて生きてるのが怖い >>305
そつちかもな
1.5流スレの自演のやつとか語呂合わせのやつとかマジモンのキチガイ見てると怖いよな >>295
肘が壊れているのに80`挙げるのなら悪くないようにも思うが。
俺はベンチプレスで50`×6(バーは除く)くらいしか挙げられない。
肘が痛くなかったら(ジム通いで痛んだ)もうちょっと上がるとは思うよ。 >>267
タッパはあるから、いい球放れただろな。
けど、それくらいだったから結局、上(一軍)に行けなかったんじゃね? まず、門の記事など全く信用できない。
上田も同様。
馬場をアメリカで鍛えた師匠はシューターの
フレッド・アトキンス。
馬場の著書には夜はメインイベンターだが、
家ではアトキンスにボロ雑巾のように特訓させられたとある。 アトキンスんとこから逃げなかった 逃げられなかったわけだが
そんなやつが弱い訳がない アトキンスが馬場をシューターとして鍛えた、と決めつけてはならないが
アトキンスのトレーニングから逃げ出さなかった−−−−というだけで
レスラー仲間からは一定以上の敬意は払われたということ。
確かDLジョナサンがそう言ってたんだっけか。
逃げた奴はいっぱい居るんだろう、
あんなキチガイじみたトレーニングはやってられねえ、ってことだろうな。 総合ルールじゃ
通用せん
打撃も関節技もレスリングも
なにもできん
プロレスはよわい https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/361459/
【お宝写真館】日本プロレス史上最も美しいドロップキックを放った選手は誰か。答えはひとつ。全盛期の
ジャイアント馬場である。写真は馬場が日本で初めてドロップキック=32文ロケット砲を公開した瞬間だ
(1965年3月26日、東京・渋谷のリキパレス)。
跳躍力や手足のバランスなどすべてにおいて満点の一撃。209センチ、145キロの巨体が宙を舞う姿
は、もはや芸術品と言ってもいい。2メートル吹っ飛んだ相手のドン・
ダフィは一撃でKOされた。翌日の本紙1面では「馬場新兵器人間ロケット」の大見出しとともにこの写真が掲載されている。この試合は「プロレス国際戦、日・米・ソ勝ち抜きバトルロイヤル 馬場帰国第一戦」と銘打たれ、リキパレスに3000
人超満員の観衆を集めて行われた。当時の日本プロレスは創設者・力道山の死から2年目を迎えており、馬
場への期待は大きかった。馬場は2月1日から米国・ロサンゼルスへ遠
征。WWA地区をサーキットし40戦38勝2分けの成績で帰国した。 白黒時代の馬場なぁ
動画で観てもいまいち凄さが伝わんないんだよな
「馬場にしてはよく動けてる」ってかなり補正されてんじゃね?
今と比較すんなって意見あるけど
それは仕方ないんじゃね?
馬場よりごついアンダーテイカ―が40過ぎて
ノータッチトペとかやってんの観てるわけで
初代タイガーとか若い頃の鶴田とか
今観てもスゲーの伝わるけど
馬場、割と普通だしな(オーバーリアクションがスゲーけど) >>315
プロテインを始めとするサプリメントの有無
馬場は社長業も務めるなど、トレーニングに割ける時間の差
巡業先でのジムの有無など設備の差
科学的トレーニングによる効率的な鍛え方の差
ノウハウの蓄積による技術レベルの差
ぱっと思いつくだけで、昔と今じゃこれだけ環境の差があるんだから、
結果だけを見て比較するのはナンセンスだといったい何回言わせるつもりなのか…… 言い訳ばっかで見苦しいなw
だから凄いレスラーは理屈抜きで時代を超えて凄さが伝わるって話なんじゃねーの? >>309
それでも猪木に一度も勝てなかったのがガチ童貞の馬場w
それにその頃の技術は有効で無いって自分たちで言ってるけどw
>>プロレスの寝技は寝た状態から始まっているから実戦での有効性が
なかった、というのは総合人気が高い頃に証明されたし。
また矛盾してるよw >>313
残念ながら猪木より弱いって暴露されてるから >>317
言い訳w
それは猪木にも言えるわけでw
格闘技ファンから見れば馬場が総合で通用しないと思うのが当然
実績もない
格闘技経験もない
ガチ童貞の馬場は何一つ強さを証明していないのが現実 プロレスラーを強弱で語るくらい無意味で野暮なことは無いtって気づいてる?
馬場はスターだった
それで十分だしそれがすべて >>306
俺は1.5流スレ自演、昭和全日語呂合わせ
馬場・鶴田スレ私怨厨は同一人物と思ってるぞ
キチガイは何人も居るもんじゃないwww そもそも否定派は『馬場は弱い』って結論を決めて、そこから屁理屈を捏ねてるようにしか見えないからな
こういうタイプの人間はカルト宗教の信者と同じだから、話すだけ無駄な気もする >>310
残念ながら猪木より弱いと暴露されてしまった >>325
時系列はおかしいし、目撃者もいないか、そのことについての言及無し、その後の流れとも辻褄が合わない……
典型的な3流タブロイド紙の飛ばし記事だよな 信じたくないのはわかるけどw
猪木と上田もスパーリングで弱かったと暴露されてるので間違いないだろw
肘を壊してるという暴露も当たってるようだしw
猪木が嫌いだからって全てを否定するのはどうだろうw 全員全盛期で
シュルト>サップ>ホンマン>馬場シルバ
これが現実でしょう
馬場に格闘技は無理
見せ物にしかならないんだよw >>323
逆w
肯定派が「馬場は強い」って結論を決めてw
矛盾したことばかりで屁理屈を並べてるだけw
そもそもガチの実績もない、格闘技の実績もない奴を強いと評価する方が無理
プロレスが演劇だとバレ総合格闘技から見だした俺ら以降の世代からすると馬場なんて強いと思うやつはまずいない 柔道、グラップリング、総格、BJJ、ボクシング等々やってきたが、やりにくさは断然
馬場>(鶴田、谷津、R木村、M斎藤、石川、高木、安田、三沢、馳、杉浦、永田、、)>猪木
全盛期の馬場にがぶられたら、膝出されたら!と思うと正面からいけないし、
仮にグランドになってもリーチの差は絶望的。十字だと入れたとしても決まり難いほどの規格外巨体。
一方、猪木とはスタンドからのテイクダウンもイメージ出来るし、グランドも得意になって猪木アリ状態を誘ってくれたら、かえってしめたもの。
俺はグランド知らない元相撲取り・ボクサーじゃないし、スタンドは脇甘の猪木に誘ってんの?くらいに思える。
カシンが少年時代に幻想持った?猪木が隙放題で転がってくれてる姿を見てどう感じたか?リアルに想像出来るね。 平成も終わるのにいつまで昭和のレスラーのネタでくだらねえしつこい醜い争いしてんだ?お前らいくつ?歳はいくつ?何歳になったの? S40年6月【G馬場が震えた日】
ttps://ameblo.jp/hondano/entry-12208641190.html
【馬場のセメント恐怖症】馬場が震えた日〜ザ・デストロイヤーに助けを乞う醜態を演じ観客から失笑
日本プロレス界でセメント嫌い、というよりは恐怖症に陥っていたのが馬場であった。
自分がお山の大将に収まっていた
全日時代のマットからはセメントを消し去っていたが、
日プロ時代はインターのチャンピオンとは表向きの看板だけで、
実のところ、何度かセメントを仕掛けられ小便をチビる恐怖を味わっている。
それがトラウマとなりセメント恐怖症に陥った。
それは傍から見ると、常に表街道を歩むことに対する嫉妬、
ジェラシーからくる苛めに等しかったようだ。
ベンチプレスで80sしか持ち上げられぬ非力さを脚力を活かした巨体でカバーしていたが、それもピークは直ぐに過ぎ、
その巨体が武器というよりはハンデの重荷となってマットに上がっていたのが実情であった。
馬場の末期は自力でマットに立つことも
不能な状態に陥り、アンドレと同じように巨人症の宿命を呪ったが衰えを克服するまでには至らなかった。
フェイクの瞞しの世界でしか生きる術がなかった馬場は野球界をクビになりプロレスが人生最後の砦であった。
「セメントを仕掛けられたらセメントで迎え打つ」という力道山が弟子たちに鉄拳で叩き込んだ教えも体力、気力、実力全てが伴わかった
と言えば実もフタもないことだが、虚仮威しで「プロレスはスポーツ」と思うファンからは馬場は大物トップ外人に勝つ→強い→日本一
という三段論法的ギミックで「馬場最強」を信じ絶大な人気を得ていた。 こうした「馬場プロレス(フェイク)」に対するライバルや先輩たちの
猛烈な反撥、嫉妬、ジェラシーの怨嗟がドス黒く燻っていたのは
確かであった。その源流は「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
という憤怒感情からであった。
1965年(昭和40年)6月3日。札幌中島スポーツセンターで開かれた
アジア・タッグ戦で王座組である豊登&馬場チームは
ザ・デストロイヤー&B・R・ライオンの義兄コンビに敗れるという波乱が起きた。
この年の秋には芳の里グループの強力な後押しで
NWAに権利金の2万5千ドル(900万円)の裏金を積み、
復活インターナショナルのチャンピオンになることが
既に約束されていた順風満帆の馬場に対し、
最後まで反対していたのが力道山亡き後、日プロの社長でもあった豊登であった。 裸足でベアハッグといった地味で見映えのしない単調な豊登のスタイルに比べ、
レスリングの基礎も知らない馬場は
アメリカで身に付けた、派手な立ち技見せ技を中心とした
活劇的フェイクに飾られたファイトは人気を集めた。
この馬場人気に嫉妬し、
豊登がエースの座に危機感を覚えていたのも事実であった。
何より観客は毛唐より大きな体躯で外人を痛めつける馬場の姿に溜飲を下げた。
力道山がこれまで示して来た敗戦国の
小兵ニッポン人が戦勝国の大男悪党ガイジンを投げ倒すスタイルにカタルシスを得、
拍手喝采を送るというこれまでの
パターンに変化をもたらすものであった。
それを側面から強い影響を与えたのが茶の間に浸透した
テレビの普及であったと指摘する声は多い。
視覚的に訴える派手で誇張された
馬場のスタイルは実にマンガ的で正にテレビ向けにピッタリであった。
テレビでファンになった観客が会場にも足を運ぶという
理想的な市場商法スタイルを実戦していたわけである。 当夜、タイトルマッチの開始時間が迫る中、
今日の結末を何も聞かされていないレフェリーの沖識名は、
マッチメーカー(シナリオ作者)でもあった吉村道明を控室横の暗がりに呼び出し、
勝ち負けのシナリオを聞き出そうとしたが、吉村の返答はにべもなかった。
「実力のない馬場をさも強そうに見せるストーリーを考えるのはもう止めた!
頭が痛くなるばかりだ!
ワシよりも馬場とツーカーの仲である芳の里に相談すればいいではないか!」
その横で豊登はニヤリと笑い、
「馬場はもうじきインターのチャンピオンになるほどの実力者。
闘う前に打ち合わせなどしなくても、
プロレス新聞がタレ流す通りの力を出せばデストロイヤーとて目じゃないはずだ!」
と冷たく言い放った。 「見かけだけでセメント勝負も出来ず実力も無いのに
化け物(長身)人気だけで高給高待遇を得ている」
この言葉が見事にガチ童貞劇団員馬場を表現してるなw 馬場は衰えていても脚力は誰もが凄いと言っていたからな。
全盛期はいかほどの力があったか。
道場スパーなんて若手の頃の技術が伴っていない時で馬場がアトキンスに鍛えられる前だろ。
そんな時に打撃無しで当時のしょぼい技術で腕力メインの腕極めマッチなんぞにどれだけの意味があるんだ?
馬場にはプロ野球をするだけの運動神経とその体格があったわけだ。
猪木なんぞ運動神経皆無の腕力が少しある程度というだけ。
今の時代に全盛期で戦ったら血塗れで倒れているのは猪木だろw >>339
技術が伴ってないのは猪木も同じ条件
アトキンスの技術も総合以前の技術で使えないんじゃなかったのか?w
また言ってることが矛盾してるぞw
アメリカから帰ってきても道場でスパーして、それでも猪木に一度も勝てなかった
馬場の身体能力を数字で見せてほしんだがw
今のところベンチプレス80kgだけだぞw
今の時代でも猪木に極められて失神してるのが馬場だろw >>340
技術の伴っていない勝ち負けになんの意味もないと書いてるんだけど?
理解力ないねぇww >>341
総合以前の技術は意味ないんだろ?w
お前が矛盾してるんだってw
それにアメリカから帰ってスパーしてそれでも猪木に一度も勝てなかった
それがセメント恐怖症ガチ童貞馬場w
現実には弱かったんだから仕方ないだろw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています