1991年の新日本、全日本
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新日 G1クライマックス SGタックリーグがスタート、トップオブスーパージュニアの復活の年
全日 超世代軍の人気が大爆発
後楽園のチケットが取れなくなった年 浅子とか、SWSへの大量離脱が
あって選手層が薄くなったから
入門できたんだろ? >>660
92年の秋山大森を足してもまだその差を埋められない、、、 >>661
その当時身長180越えた新人が井上への期待はファンからすると大きかったんだけどなぁ 雅央の星タイツは一応それなりに期待されてたということなのか
それとも単にジャンボと同じ山梨出身だからなのか この年の7月福岡大会は前年よりカードは落ちたけど内容で魅せてくれた
ライガーとペガサスは切ない気持ちになったし
藤波がアックスじゃなくカナディアンをフォールしたときは沸いたし
メインは文句ない好勝負だったし満足した >>667
橋本対ノートン
ライガー対ペガサス
武藤、蝶野対馳、佐々木
青柳対松永はちょっとだったけど、どの試合もいい試合だった。
会場は7割くらいの入りだったけど、いい試合ばかりだった。
普賢岳噴火直後で、長崎に新日がヘルメット持って慰問したニュースやってた。
実は長崎で猪木対山本広吉が発表されたけど、中止になった。 >>668
ライガーvsペガサスと武藤&蝶野vs馳健は当時はカットが酷かった
CSでノーカットで見れる日が来るとは思わなかった この年の全日の府立はチャンカーと最強タッグだけだったかな…第2は除いて >>672
91年は回数を絞ったてのもおおきいな。
翌年に回数を増やしだすと後半は減少に転じた。 1991.12.5 千葉公園体育館
エルカタナ&ネグロカサスVS野上彰&獣神サンダーライガー
カタナの来日はこれっきり?
https://www.dailymotion.com/video/x6sgcsv 全日本の正月開幕戦、恒例のバトルロイヤルが荒れたな。 4.18武道館で田上が川田をアームボンバーで場外KOするんだよな、アレには痺れた 生稲晃子をゲストに呼んで川田のカッコ付けが始まった。
向こうは仕事で花束渡しただけでアウトオブ眼中なのに。。 川田がおニャン子好きだったのにビックリした覚えがある。俺も秋元才加に花束渡されたかったわ。 その頃川田には嫁も子供もいたんだぜ。何故か公表はしてなかったけど。 >>682
田代まさしの子供と同級生と言ってた記憶があるな 4月の両国でのライガー対カサスのフィニッシュ技がコウモリ吊りという珍しい技だった 川田が結婚してたのは公表されなかったんだな。
あと去年引退したマシーンも知らなかった。
28年連れ添ったと言ってたから1990年頃か。 しかしG1なんてよく企画したよなぁ。個人的には現地観戦して大興奮した
この年の第1回とフレアー、ノートンが参加した第5回が好き。 しかもダークホースの蝶野が優勝だもんな
第1回はいい台本だった >>686
95年は新日トップレスラーと戦うフレアーが毎日見れて幸せだった!
公式戦終わった後も天山戦とか組んでくれたし >>687
あれは春のスーパージュニアでの保永まさかの優勝を手本にしたらしい。
保永まさかの優勝が予想外に反響が良かった。
それでG1もまさかの優勝者に、と。
そして蝶野まさかの優勝。
これが予想以上に大ヒット。
この蝶野まさかの優勝が大ヒットしたお陰でG1は新日最大の看板シリーズへと。
ただ蝶野は翌年も“まさかの二年連続優勝”にも 変わらず大してブレイクせず。
G1は大ブレイクしてるにも関わらず。
それで三度目の優勝後に自ら行動を起こしてようやくブレイク。
蝶野の視点からしたら皮肉だわな。 >>687
外人3強の参加と日本人側は三銃士、長州、藤波の本当のトップ5人
に絞ったのが素晴らしかった。白星配給役がいないというのも当時
のプヲタの心をくすぐった。
で、長州の負けブック飲みやまさかの蝶野優勝で以後、毎年開催に
なるんだからこの第1回は台本、レスラーすべてが素晴らしかった!
>>688
まさかのフレアー参戦には驚いた。全日本プロレス色と特別参加の
イメージの強いレスラー だったから彼のリーグ戦出場には時代が変
わったなぁと思わされた。またこれがいい仕事したもんなぁ。 川田は鶴田のパートナーって所が良くも悪くも足かせになってたな。
小橋は練習の鬼だし。 この年は2月の札幌と8月のよみうりランドでの藤波対木戸戦が2回ともテレビ放送されたね〜
札幌はめちゃくちゃ会場が静まり返っていた記憶が… 木戸が登場するだけで札幌中島体育センターが沸いてたのはまだ数年後かな? 新日、この年はスターケードから始まってWCWとの提携のおかげで従来
の常連外人以外にもいろいろなレスラーが見られるようになったのが夢の
ようだった。
エル・ヒガンテ&ブライアン・ピルマンのコンビがG1公式戦前に組まれ
ていたが大声援だったな。ぎこちないヒガンテのフォローを試合巧者のピ
ルマンがしっかりやっていた。
後年、ピルマンがスーパージュニアのメンバーに選ばれた時もいい仕事を
していたので早世してしまったのがかなり残念。生きていたらW★ING
とかWARに呼ばれていたかな。 ティムホーナーはあんな勿体ぶった発表させられなければ地味ながら良い外人だったのに気の毒だ… >>695
武藤も「いい選手なのに」って、イライラしてたよね。 話は一気に変わるけど、
7月頃にライガーvsペガサスキッド
をなぜマスカラコントラマスカラで戦わせたんだろう?
マスクマンで続けたってよかったのに… ペガサスがマスク脱ぎたいと言ったので、
マスクはぎという設定で脱がしたとか 700だが、
長州はG1不調で引退を示唆。
イメージ的には完全に三銃士の時代へ突入と。
しかしその後は完全復活。
藤波は藤波でこの頃はガチ不調、というか完全に浮いた存在に。 藤波好きだったけど腰悪くしてから力強さ消えたし、この頃の新日の主力は三銃士もベイダービガロノートンもヘビー級だったからキツかったんじゃ無いかって思う 703慣れさ だが、
91年の藤波は新日に居場所がない感じがした。
結局は欠場中に状況が変わりすぎた。
猪木が事実上リングから消えて主力は三銃士へと。
更に長州が実権を握り。
藤波も内心は居づらかっただろうに。 藤波の試合は年々短くなっていった印象が…
地方での外人とのシングルだと4分〜6分くらいで終わってた
TNTとのシングルも4分台でドラゴンスリーパーでとっとと終わらせてた…盛岡だったかな 岩手県営体育館かな
たしか腕ケガしてたような記憶が 706成れ無だが、
復帰後の藤波は完全に居場所を失って見えた。
無理矢理IWGP巻かせたりしたが。
長州やベイダーを破ってタイトル奪取もイマイチで。
あの欠場期間は長く感じた。
藤波の欠場中
猪木が完全にセミリタイア
長州体制
三銃士売り出し
復帰後も藤波の出る幕はなかった。
最初は復帰を喜ばれたが。 藤波自身「戻ったら居場所がなくなっていた」
と後年語っているようだ >>330
遅レスだが
鶴田がコメントしたとプロレスニュースで流れた
「お前はいい奴じゃない」
のフレーズなんか好きだった
「あそこでDDTがくるとは」に続けていったのが
このフレーズの初出だった気がするけど
違うかもしれない 居場所がないからドラゴンボンバーズだったのか、ドラゴンボンバーズなんか立ち上げたから居場所なくなったのか、どっちなんだろう。 91年7月の鹿児島大会のテレビ中継は
長州、橋本対ノートン、アレン
藤波対レイガンズ
武藤、蝶野対アックス、カナディアンジャイアント
マシン、ヒロ斉藤対栗栖、ドクと
昭和チックなカード編成が良かった
メインでアレンが怒っていたが 712ナイフだが、
この年はプロレスブームだったな。 713無いさ、だが、
91年は全日のCカーニバルより新日G1が大ヒットした。
しかし全日は全日で鶴田と三沢の対決を軸に更に人気上昇気流。
興味なかったが、FMWですら着実に人気を上げていた。 スターケードイン東京ドームの時に、シンのセコンドについてたデカいマシーンは結局誰だったんだろう あの金髪のマシーンマスク、自分もすごく気になっていたけどイコラ
イザーだったという書き込みを見て納得。 3月の新日のドームって他の大会に比べるといつもと照明の雰囲気が違うというか
全体的に明るい感じになってたね。
ドームの屋根がよく見えてた覚えがある。 >>716
だって15時開始だとまだ外が明るいから。 718無いわ、だが、
エコライザーのマシーンマスクで登場は意味不明。
シンのセコンドってのも。
『何がやりたいんだタココラ』と長州に言われただろ。 719NIKEだが、
シンとブロンドは組むと思うたけどなあ。
栗栖、ドクがシンと組んだからシンとブロンドの合体はなかったな。 >>711
金子と野口が調子乗りだして面白くなくなったな 721●ナニー“シコシコ”だが、
91年は新日も全日も明るいスタートだった。
前途洋々で。
この時代にゴールデン放送じゃなかったのは勿体ない。
ゴールデンでもそれなりに視聴率は取れたと確信。 その頃の新日本の場合、90年12月の浜松大会、92年1月の東京ドーム大会はゴールデン放送されたけど
視聴率があんまり良くなかったから後に続かなかったんだよ
そのかわり1時間半とか2時間の特番とかはたまにやってたろ
2000年の橋本負けたら引退SPのころ、その成功でしばらくゴールデン特番で放送されることが多かったけど
数字取れないしょっぱい試合の連続でチャンスを逃したw 723何さ!だが、
90年2月ドームはそれなりに視聴率取れたみたいだな。
目玉が沢山あったからね。
でも9月の横浜の猪木30周年もゴールデンで放送すべきだった。
過去の猪木VSシンを幾つか流して。
そういう説明入れた方が猪木、シンのタッグの深みが更に伝わった。
過去の両者の経緯をしっかり交えて。
ゴールデンは浜松よりこっちの方が意義があったと思う。
浜松は最大の目玉?だったエキシながら猪木VSニックが消えたり。
91年は結局はゴールデン放送無しなんだよな。
猪木自体も91年は一度も試合をしておらず。 >>284
岩手のベイダー橋本もしたんでしょ?たしか。
新日本プロレスワールド 頼むからそれ入れて欲しかった。 >>722
全日は88年の2度目のゴールデン陥落以降は特番さえもゴールデンでは
全くやらなかったからな。 新日はテレ朝が株主でも有るからなぁ
後、野球がこの時代はまだ強かったから巨人戦の有る日テレに取ってそんなに重要なコンテンツじゃなかったんだろ 731浪井だが、
後楽園ホールは一階会場と誤認識され続けてきたかんな。 東京ドームでシンのセコンドについた偽マシンはイコライザーなのはバレバレだったが、週プロが、控室が一緒だったあの選手か?とか半分暴露しててジュース吹いた(笑)。 この年は巨人が弱くて、原辰徳がプロレスニュースに静止画面で登場、果ては福澤が例の声まねまでして笑った。
原が今のジャイアンツを救えるのはプロレスしかないよ→それを聞いたある巨人ファン「プロレスじゃなくてあんたのバットで救ってくれ」(笑) 734名指しだが、
エコライザーにマシーンマスク被せたのは意味不明。
またシンのセコンドに付かせたのも同じく。
しかも試合中に乱入するわけでもなく。
また試合後にシン救出で長州を襲う事もせず。
ただいるだけ。
新日側が『シンの傍で立ってるだけでいい』と仕事を与えただけか?
ノートン戦が不甲斐なかったから。
雑誌見たら試合後にシンが長州の控え室を襲撃。
そこに本家マシーン等ブロンドがシンを止める写真が。
エコライザーマシーンはそこでも突っ立ってるだけの姿が。 735奈美子だが、
新日初登場のスティングも塩だったかんな。
こりゃ日本では受けんわ。
そう思うたわい。
知り合いはスティングを『スチング』とバカにしてたわ。
試合でもスティングは毒霧吹かれていいところがなかった。
ムタばかりが目立ち。
スティングはムタと対等のはずが、ムタの対戦相手程度に見えた。 739波急だが、
>>736
当時の動画や雑誌には金髪の後ろ髪が見えてる。
ただあの演出は今も意味不明だが。
その後はシンとブロンドが悪の合体を果たすと思った。
でもシンは栗栖と組んでたからその敵のブロンドとは組まず。
シン ドク 栗栖VSブロンドと。
あのまんまシンがいたらブロンドと組んだだろうが。 語呂合わせキチガイガラケーにレス返すアホがいるからこのキチガイ
ハイテンションになっちゃって荒らしまくっているじゃないか
荒らし、しかもキチガイに加担するとは同じような精神異常者たちか スーパーフェブラリィ’91
最終戦千葉公園体育館
藤波越中青柳 vs シン栗栖ペガサス
この試合どなたかアップしてくれませんか?
まさかの小鉄vsタイガーシンの小競り合いが見れるよ。 確かこの千葉大会の中継、ニュース速報入らなかったか?録画したから、そのまま残ってしまった。
どんなニュースか忘れたが。 シンと小鉄って
四角いカメラケースみたいなの取り合いしたやつか? そうそう!小鉄さんのジェラルミンケースをシンが奪ったやつ! 746な、読む、だが、
小鉄とシンは関連性が深いな。
シンが初来日でリングに乱入したのも小鉄の試合。
小鉄もシンは認めていたし。
新日創成期にシンのお陰で新日は一気に登り調子になったかんな。
小鉄は高橋以上にシンを認めていたのかも。 >>743
地方ニュースなら入ってない地域もあるぞ >>743, 747
タイ・バンコクでクーデターが発生
ラジオ・テレビ3局が占拠された >>748
>>743だが、確かにそういう事件あった。死者も出て惨事だった。貴重な情報ありがとうございました。
ちなみに3月のチャンピオンカーニバルの中継、鶴田対カクタスの中で地震情報が速報で入った。
ニュース速報や地震情報は録画したらそのまま入るんだよな。 ニュース速報のテロップで盛り上がるのは珍しいなw
ちなみに翌年の全日中継中の岩崎恭子金メダル速報は何とも思わなかったw >>750
そうしたいのはやまやまだが、引っ越しのとき、VHSテープがなくなった。すまん。 >>750
ネットでいろいろ探したけど、なかったです。 オープニングしかありませんが、山本小鉄vsタイガージェットシンが下記サイトで見れます。
https://www.dailymotion.com/video/x6ss2r8 バトルオータムの徳島大会、TV中継は中継だったけど後半は闘魂三銃士SPだった。その三銃士はOPで阿波踊り踊って橋本が祭りはパワーって言ってた。
でもなぜ徳島がテレビ中継されたんだろな。 武藤が釣りをして、釣った魚が額を割っていた。そしたら武藤が、次にムタになったとき、対戦相手はこうなります!は笑った。
ほのぼのした場面でそれ言うか?みたいな(笑)。 この頃の読売新聞東京版ラテ欄。渕の名前が必ず淵になっていたのはただの誤植だったんだろうか?ラテ欄って局の人間が作るから間違え続けるのが不思議でしょうがなかった >>757
テレビ欄といえば、全日本プロレス中継ではなく、番組名がプロレスリングにいつもなってた。
福岡だけなのかわからんが、ワールドプロレスリングど同じような表記だった。 7月。横須賀でリック・ルード&エースがディートン&ブラックに勝ったのに、頻繁に組んでいる小橋&エースが後楽園でディートン&ブラックに負けるという矛盾。
あとルードのフィニッシュがしょぼかったw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています