1991年の新日本、全日本
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新日 G1クライマックス SGタックリーグがスタート、トップオブスーパージュニアの復活の年
全日 超世代軍の人気が大爆発
後楽園のチケットが取れなくなった年 チャンピオンカーニバルが復活したのも、この年でしたね SGタッグの組合せ面白かったな
藤波ベイダー、橋本ノートン、蝶野ビガロとか
武藤馳もここからだったはず >>3
リーグ戦復活は91年じゃないかな?
チャンピオンカーニバルと言うシリーズ名は使ってたけど 大仁田最盛期
SWS迷走
U系3派分列
WING旗揚げ スタイナー兄弟としての初来日
フランケンシュタイナーは技もそうだけど、ネーミングのインパクトが凄かった >>8
ゴング85年1月号だったかな?
他にテリーと三沢タイガーもあった。
しかし1枚目は二人の身長差が凄い。
3枚目が妥当な身長差か。 っちゅうかよく91年スレか。
90年かと思うたが。 全日の1・2後楽園で実況&解説者の福澤・若林・竹内の公約
竹内:今年前半までに鶴田・田上組が世界タッグ奪取する!
できなかったら武道館に自腹で50名招待する。
若林:今年中に三沢が三冠王者になる!できなかったら3日間断食する
福澤:今年中に全日本プロレス中継の視聴率10%超える!できなかったら
小橋のムーンサルト受ける
結果は竹内と若林が公約通り自腹招待と断食行い、福澤は毎分視聴率は10パー
越えてたという理由でムーンサルトはまぬがれた。
アノキの現場復帰でシンニプロレとゼンニプロレの提携が消滅。
ジャイバはサカグには好感を持っていた。
しかしアノキには信用も何もなく提携は自然消滅へ。
あのまんま提携が続けばバンベイやスコノーのゼンニプロレ登場もあったかも。
またテリゴやスティウィのシンニプロレ登場もあり得た。 この年は1月に田上と川田の抗争を4.18まで引っ張れたのが大きいかなぁ?
それと鶴田が最強と言うイメージを上手く醸し出せた上で9月に三沢が鶴田からギブアップ勝ちとこちらも強さと言うイメージを植え付ける事が出来た 全日武道館を武道館四季物語とかてパンフに乗ってなかったか >>14
前年暮れの話だけど、全日中継の90年最強タッグを振り返るみたいな映像で
突然「川田と田上の抗争激化」ってテロップが出て、二人の試合シーンがピックアップされた場面があった
しかし川田が田上に仕掛け、抗争が始まったのは91年1月
あの編集にはどのような意味があったのだろうか。釈然としなかった 大阪府立も91年チャンピオンか〜にばるから、超満員になった 4・18武道館が全日本プロレス初観戦だった。(前年4・13ドームにも全日勢出てたの見たが)
川田 対 田上とか会場も俺も熱狂した。
メインの鶴田 対 三沢 は音響トラブルで入場テーマが流れなかった。
全試合終了後、全日本コールが起きて
帰りに歩いていると武道館の外ベランダ?でチンコ出して騒いでる奴がいた。
神興業見た気持ちで大満足で帰った。
たまたま今年のG1決勝を生観戦する事が出来たが大満足で、この4・18を思い出した。(さすがにチンコ出してる奴はいなかったが)
あの時の鶴田と今の棚橋、同じ年くらいだよね。エースにこだわる所とかちょっと似てるかもね。 超世代の6人タッグって最初から結果が見えてて波乱とか100%起こらないのがなあ
大抵、渕とかジュニアの人がジョバーで入っててほとんど寝る役なんだから、
試合終盤で渕が権利持ってる時に他の二人が分断されて乱闘になると「ああ終わりだな」って即わかっちゃうつまらなさ(実際100%その通りになるし)
これをどうして一切工夫しなかったのか
他の団体だったら、時々クイックとかでも波乱起こして緩急つけつつその後もそれきっかけにお互いもっと盛り上げようとかするのに
ああいう、格上は100%寝ないっていうのはウルトラマンタロウやRXみたいなKBO繰り返すだけのバトルで全然面白味がない
例えば三沢でも小橋でも、渕にスモールパッケージか何かでまさかの敗北とか一回でもいいからやってたら、その後の試合見る客はもっと楽しみになるだろうに エキサイトシリーズ開幕戦のテレビ中継が確か
三沢、小橋対ゴディ、ウィリアムス
鶴田、井上対ブラックハーツ
ランドオブジャイアンツ対アンダーテイカーズと、ちょっと古の全日を感じさせるカードだった…
翌々週の後楽園も日本人対外国人のカードが多く組まれてた記憶が… >>20
ブラックハーツの合体ニードロップでマイティがピンフォール負けしたが地味に痛そうな技だった 三沢、小橋、川田目当てで、女性ファンも増えてきた。 イメージ的に新日は全日・FMWの後塵を拝してたイメージがあったな。
客は一番多く集めていたが。 この年の新日は
3月のドーム大会
4月のスーパージュニア
8月のG1クライマックス
といい形で進んでたのに9月の横アリはメインが不完全燃焼で、10月のSGタッグはノーTVってことも含めて盛り上がりに欠けて92年のドームに向けての盛り上がりを作りきれなかった感じする この年の新日の後楽園は
藤波、武藤、橋本対ノートン、アックス、カナディアンジャイアントのようにメインが6人タッグの特にストーリー性のない大会が多かった… >>25
一般的にはそんなイメージはないと思うが。 カナディアンジャイアントっていたなぁ
内股だったことも有って評判あんまり良くなかったなぁ >>29
あの見た目とコスチュームが全然あってなかった >>21
あの時はマジに鳩尾に入ったらしいから
ああいう雑なことするからハンセンに制裁されるんだよ
ちなみにニードロップじゃなくて、ギロチンドロップね >>31
ブラハはオタクがレスラーになったようなプロレスだったよ G1決勝の日のセミが
藤波、馳、佐々木対ベイダー、ビガロ、ノートンという何気に豪華カードだった >>35
それで、勝った外人トリオが
ベイダーを真ん中にして
入場門の上に立って大見栄を切ったなぁ。 ベイダー ビガロのダブルのボディプレスは良かったなぁ。リキボノスプラッシュが出てくるまで一番説得力のあるフィニッシュだった >>11
竹内さんが招待した6・1武道館で鶴田&田上が世界タッグ挑戦も敗退。この武道館はメインが三冠戦ではなく平日だったため前売りが芳しくなくて招待をこの日に変更したような気がする。
もちろん竹内さんの意向ではなく全日の意向でね。
スパイビーみたいなしょっぱいのがメインだ勝つなんて今では考えられないな。 >>11
視聴率10%の件は、小橋が素人にムーンサルトプレスなんてやりたくないとか選手サイドからダメ出しがあって、直前になって「瞬間視聴率でも」と変更したと思う。
まあ素人の福澤がムーンサルトプレス受けたら駄目だな。 >>19
91年に限らないけど全日って波乱が起きないもんな。大森が万年若手、万年中堅だったり、
田上vs小橋が30分ドローの試合で時間切れ寸前で小橋が丸め込みにいっても近くの客が「新日じゃないから(丸め込みでは)決まらない」と言っていたよw 91年に戻すと、6人タッグで小橋がムーンサルトで勝つ時ってたいてい寝るのが小川なんだよなw ステイトポリスの初登場が91年5月だったかな。キャラはいいけどしょっぱかったね。
サザンロッカーズとか何が良くて呼ばれたのかわからなかった。
俺の中では上手さならマレンコ兄弟>>>>カンナム、ファンタスティックス
サザンロッカーズとステイトポリスは更に下。 >>42
バディリーパーカーはWCWでコーチ業、レスリングスクールを開くくらい上手いの知らないんだな
あとカンナムがマレンコ兄弟より下手も無いな
マレンコ兄弟は技の失敗が多すぎ チャンピオンカーニバル初戦で
川田対クロファット
欠場明けのクロファットが凄い痩せちゃってて川田の攻撃受けてる様子が痛々しかったなぁ
パンタロン履いてたし… >>40
確か、最強リーグで2回対戦した時だったと思うけど、
三沢秋山組が、どこかに負けなかったっけ?
外国人にはたまに負けブックを飲むけど、日本人同士ならこれかな。 >>46
キマラ&泉田が三沢&秋山に勝った時ね。次のシリーズの地方で泉田が菊地にシングルで負けたのを週プロの熱戦譜で見て
この団体バカじゃねえのかと思った。 不自然に格下が格上に勝つのも嫌だが波乱が全く起きないのもつまんないんだよなw この年の4月か9月か忘れたし、今となっては本人が書いていたのかもわからないが・・
武道館大会のパンフレットの最初に馬場の挨拶が書いてあるでしょ?
あれに「日本人対決よりも私は日本人 対 外国人が盛り上がって欲しい」
みたいな事が書いてあって、ずっと印象に残っている。
鶴田と超世代はウケてるが、馬場は嫌なのかな?とか
当初中坊の私は考えさせられた。 G1は91年から。
当初は『グレードワンクライマックス』とそのまんま言っていた。
それも『サマーナイトフィーバーin国技館』と銘打った三日間興行で。
元々は春の『スーパーJ』で保永がまさかの初優勝。
これに因んで意外性を追及。
そこで『蝶野まさかの初優勝』と。
またそれがウケた。
そっからG1は誰が優勝するかわからない、という興味を引き。
G1により蝶野の株も上がり、新日の人気も更に定着。
G1は新日が最も力を入れたシリーズへと。
もし初回G1が長州か藤波が優勝ならここまで人気は出なかったはず。
永島がそう断言していた。
猪木時代の『猪木が優勝』から『誰が優勝するかわからない』が受け入れられる時代へ。
同じく91年にリーグ戦復活した全日のCカーニバルは優勝者は順当だったが。 >>50
最近のG1は強い奴しか優勝しないから面白くないね。91年とか昔は意外な奴が優勝したのにね。 >46 泉田キマラ組だったかな。チャンカンでもキマラが秋山フォールしたのもこの辺りの年だった。 この頃はどの団体も好きだったな
今の新日本はダメだあわない 91年頃は健介もまだ応援のしがいのある選手だったが、
8月に足を負傷して1年近くフイにしてしまった
復帰後は馳に2連敗からのヘルレイザーズにギミックチェンジで
それからはご存知の通り塩街道まっしぐらw >>50
「バイオレントストーム・イン・国技館」だな いちおうスレタイに則って91年の話で進めるけど全日は90年、92年も面白かったな。
93年からは四天王プロレスが始まって、それはそれで見るべきものがあったけど四天王プロレスの一つ前が好きだったな。 >>43
現代と違って衛星放送が無いため観た試合数は少なかったけどステイトポリスの良い印象がない。
92年になるが平塚でカンナムのアジアタッグに挑戦した時は力の差がはっきり出た。
どっちがライトでどっちがパーカーかも印象に無いくらい見るべきものが無かった。 >>50
サマーナイトフィーバーは世代闘争の時の両国二連戦 >>50
サマーナイトフィーバーは名古屋。
両国はViolent Storm ? 国技館。 両国最終日、何故かピンクキャデラックがリングサイドで観戦してたな。
あと、升席に小野みゆき。カメラで抜かれた際に辻が「目頭濡れまくりの女性ファン」とか下品なこと言ってたな。
ゲスト解説水沢アキもこの時だっけ? 野上彰の凱旋帰国もG1の期間だったよね
試合内容が悪くてブーイング浴びまくってたが… 野上はライガーからIWGP獲った試合が酷かったらしく両国3日行ったら物凄いブーイング浴びてたけど、当時はネットとかなくて知らなかったから何でこんなにブーイング浴びてるのか分からなかった >>40
武道館で大森がマイティに勝ったとか
そういう波乱はあったけどね。 両国の大保永コール圧巻だったし感動したな
あのテーマ曲がまたマッチしてたな 全日四天王ブームの頃は、札幌中島でいつも観戦したが、熱さと温かさがある雰囲気が良かった。 >>42
マレンコは兄弟の時はもちろん良いが小橋とかと組んでた時は今一キレが悪かった(小橋が悪かったのか、単に相性が今一だったのかはわからんが)
>>45
あの時はしゃーないね、復帰直後で体も明らかに細ってた
それでも動きそのものは復帰直後にしてはそんな悪くなかったし、早く慣らす意味でも出てきたのは悪くない
しばらくしたら体も戻ったし
どっちにしろ万全な状態だったとしても四天王売り出しの為のジョバーさせられてたことにはかわりないしw >>48
天龍なんかSWS始めた時とか盛り上げる為にジョージ相手に寝たのをはじめ、わかってるなとは思った(天龍個人は良くてもSWSそのものは…だったけどw) >>52
その前のチャンカンで、中堅レスラーに全勝してる秋山が何故かジュニアのクロファットだけには負けるという謎試合があったな
(クイック負けじゃなく、雪崩式リバースブレーンバスターが決まり手)
秋山は小橋と違って格上げ後全く寝ないってことはなかったな >>64
あれはガチなアクシデントらしいね、その時の武道館は行かなかったので週プロで観た。
91年に話をして戻すとアジアタッグで小橋&エースがディートン&ブラックに負けたのは
俺個人の「世紀の大波乱」。おのおのシングルで闘ったら負けるはずない相手に負けた。 テレビ放送限定になってしまうけど、この年の新日のワースト試合は2月の札幌での武藤対アックスデモリッションに1票で マスクドスーパースター時代を全く知らないからアックスを何で使うのか理解できなかった リックルード&ジョニーエースがディートン&ブラックに勝ったのに、小橋&エースがディートン&ブラックに負けたのは不自然だった。
あとルードのフィニッシュのフェイスクラッシャーはしょぼすぎ。 リック・ルードの全日での扱い悪かったよな
そんなルードを翌年のG1で準優勝させた新日は凄いわ リックルードは当時の全日には向いてなかったのかなぁ… >>77
控室でウイリアムスに喰らわされたんだったな
何でもWWE時代の栄光を鼻にかけて威張ってたみたいだし 日本マットを意識しすぎたのか、妙にスピーディなスタイルになってたよね >>73
日本ではマスクドスーパースターで知られてるんだから何でアックス?と思ったな。
本人がそうしたいと言ったのかな? WWF帰りのアックスとかアレンが結構簡単に負けてたのは悲しかったなぁ… >>82
この時期はデモリッションズでやってたから。
日本限定でマスクド・スーパースターでやって欲しがったが。
カナディアン・ジャイアントもデモリッションばりにさせていたな。
カナディアンはその方が良かったかも。 >>83
シン アレン アックスで軍団作って欲しがったわ。
80年代昭和の新日が復活。
でも相手は藤波、長州、木村健吾くらいしかいないか。
あとは昭和新日にはいなかった。
いても前座や中堅で。
せめてシンとアレンは本格的に組んで欲しがった。
そこにドクや栗栖を絡ませて。 千葉のタッグマッチでアックスがマサ斎藤にジャンピングネックブリーカーを決めたがカウント2で返されてた…その後はバックドロップであっさりピンフォール負け…
この頃の新日は10分前後で急にバタバタと試合が終わるパターンが多かったな〜 7月の葛飾区スポーツセンターをター山が観戦しに行ったが手抜きが酷かったみたいなことを暗に匂わせてる文面があったな〜
武藤対シンが組まれてた >>88
シンの息子が来ていた時だね。
友人で葛飾見に行ったのがおった。
シンの息子やたらでかかったと。
まだ二十歳くらいで。 新日の地方に関しては試合内容は見てないので何とも言えないが、カードに関しては「地方なめてんな」ってカードばかり組んでたのは覚えてる 駒ヶ根市体育館大会の収録見ると元ダイエーのカズ山本が観戦してるのが映ってる そういや91年のはずだけど、
地方のTVマッチのメインの6人タッグで健介が試合前にシンに急襲されて
そのまま負傷退場→代理で越中って展開があったけどあれってブック通りなのか?
健介の流血が尋常じゃなかったけど >>92
あれはシンのスイッチが入りすぎたらしい。
さすがにそれだけの大流血だと厳しいと。
それで越中が代わりに二試合やった。
ブック破りっちゅうよりアクシデントだね。
しかしシンと健介ってのも意外な対決だな。
あの頃は極悪人のシンとまだ善良(っちゅうか悪いイメージがなかった)の健介。
しかし今や極悪人の健介と善人のシン。
この頃の健介はまだあまり知名度も浸透してなかったが。 >>92
あの試合後に健介が『シンの野郎!やりすぎだ』
『長州さん(永島さん?)どうにかして下さいよ』と愚痴ったとか。
健介は試合できずに、更には大流血という痛いオマケ。
愚痴るのもわかる。
シンは猪木以外でもスイッチが入った。
しかも復帰後の新日で。 マッドマックスって、ウォリアーズの真似みたいのいなかったかな? 91年の健介は三銃士を追いかけててがむしゃらさが伝わってきてて好きだった
怪我してパワーウォリアーで復帰してから何か間違った方向に行った気がしてならない 91はチャンピオンか〜にばるが復活
大阪府立が爆発 7月の横浜の三沢、小橋vsハンセン、スパイビーで小橋にキレたハンセンはガチ。 91年の出来事。田上7番勝負と田上vs川田の抗争。
テリーゴディーの場外パワーボムで三沢失神。
2月、ブラックハーツ登場。
5月、ステイトポリス登場。
7月の横須賀。小川の逆襲の顔面蹴りで川田が目の付近を負傷。8年後に目の負傷が理由に長期欠場に繋がる。
三沢&川田世界タッグ初戴冠。
9月、鶴田ギブアップ負け。ハンセンが小橋とのシングルでおそらくハンセン史唯一の1試合ラリアット3発。
ディートン&ブラックまさかのアジアタッグ奪取。 この年の新日の個人的ベスト3
1 国技館 保永対ライガー
2 札幌 ムタ、TNT対馳、佐々木
3 武道館 長州対橋本
ゲスト 稲川淳二
次点 ドーム マサ斎藤、蝶野対ウインダム、
アンダーソン
他にもいい試合あるけど… >>102
札幌中島のムタ、TNT組の試合は最高だったな。 よりによってTNTはWINGに行っちゃったんだよな
おまけに斎藤彰俊のかませ犬になって哀しかったわ 全日だと10月の後楽園
鶴田、田上、渕対三沢、川田、菊地の試合が印象深いなぁ…
三沢が前日に鼻骨骨折して、そこをめちゃくちゃ狙われてた
ゲストのウッチャンナンチャンが鶴田に背中をぶっ叩かれてたのも懐かしい… >>109
スパイビーがナンちゃんにうんこを見るような目で見てたときかw
あの試合のジャンボラリアットは凄かったな >>109
ラッシーとマイクで絡んだよね、懐かしい 内村が八木亜希子と結婚寸前だったからラッシャーが弄った >>109
鶴田が菊地に決めたジャイアントバックブリーカーが凄かった
実況の若林も興奮してた 秋口になると土曜の夕方がレディースゴルフになってワールドプロレスの放送が殆どなくなるのが
嫌だった。
テレビ欄でゴルフの文字見るとがっかりした覚えがあったし。 >>119
SGタッグなんて全く放送がなかったからな。
それでも興行は全会場超満員か満員だったが。 >>86
マッドブルバスターズ(レックス&スパイク)
じゃなかった? サザンロッカーズの全日初登場は91年のチャンカーだっけ?しょっぱかったなあ。 >>120
この年のSGタッグはいいカードが連日組まれたから放送なしは勿体なかった。
ベイダー、ビガロ、ノートンが分かれて。
また橋本、武藤、蝶野も分かれてそれぞれチームを組んで。
他にもシンもおり。
長州、斎藤
藤波、ベイダー
橋本、ノートン
蝶野、ビガロ
武藤、馳
シン、ドク
コキーナ、サモアン
他にもいたっけ?
健介は負傷中で不参加。
マシーンや越中は出てなくて。
チーム編成は賛否両論だったけど。
でも超豪華な顔触れだったと思う。
本当に放送なしは勿体なかったね。 >>123
サザロは90年ジャイアントシリーズ
ロックロ、ファタスと続いたタッグ屋の流れが止まる >>126
そこはちゃんとシリーズ名も略せにゃいかんだろ! >>124
闘魂Vスペシャルで見たけど面白い試合が多かった
解説のライガーも今みたいにオーバーリアクションがなく的確に解説してて良かった
佐々木の解説は面白みが全くなかったけど G1で全敗してから欠場してた長州の復活シリーズだったね >>124
このシリーズのノートンはマサ斎藤にバックドロップ一発で負けたりと黒星が多かった記憶が… ニューイヤーダッシュの後楽園で
ワンナイトタッグトーナメントやったよね。
参加チームは忘れたけど、
健悟&木戸組が優勝したのは覚えてる。 新年は青柳、栗栖組が組まれてたけどあっさり仲間割れしたね〜 2月、千葉大会
青柳&越中&藤波vsペガサス&栗栖&シン
シンが解説席にいた小鉄さんのバッグを凶器にした際、
なんと小鉄さんがシンに逆ギレ。
辻アナから、「戦う解説者山本小鉄!」と呼ばれた。 >>134
>>千葉大会
今は聞かれなくなったな。千葉県内でやっているのは東金だけ。
インディや女子は千葉に近い新木場でやるけど、新日は新木場でやらないからなぁ。
千葉の人ってどの辺の会場に行っているんだろう? 暮れの大阪大会
藤波、野上vs長州、蝶野がいい試合だったな
野上がはじけてて良かった >>136
ポートアリーナ
もっとも最近は使用されるの専らサブアリーナだけど >>136
千葉公園体育館
91年だと、ハンセン組に三沢小橋がチャレンジのタイトルマッチとか、
いいカードがあった >>136
最近では全日本が流山のキッコーマンアリーナ
というところで三冠戦を組んでいた。千葉での三冠戦
って田上初挑戦の松戸以来かな? キッコーマンアリーナ
ずいぶんショッパイ会場だなwww >>143
キッコーマン→醤油→しょっぱいってことか?
>>142
流山と千葉市は離れているけど92年の松戸以来だね。流山、松戸は知らないけど、千葉公園は客が入らないからどの団体もあまり使わないらしい。
プロレスバブルを過ぎたら客が入らなくなったらしいよ。 91年のG1で三沢威の試合見れたのはよかったと思う >>141
三沢&小橋がチャレンジってどんなカードだった? 多分三沢&川田の間違いだと思う。
小橋が世界タッグに初挑戦したのは翌年の92年だったはず。 この年の5月に行った全日の三郷市の
大会のカードは
鶴田、田上、渕対ゴディ、ウイリアムス、スリンガー 三沢、川田対ディートン、ローズ
小橋対ブッチャー 木村、寺西対キマラ1、キマラ2 あたりだった
地方のためか、レスラーの皆さんもリラックス試合以外はリラックスしてる感じだった中、小橋だけは囲まれてるちびっ子一人一人にサインしてあげてたなぁ…
小川にサインもらいに行ったら、手でシッシッってされて悲しくなった… >>147
三沢&川田が札幌で殺人魚雷に勝って弾みをつけて千葉公園でハンセン&スパイビーに挑戦したが敗退だったかな? >>148
観に行っていないけどそれは知ってる。できたばかりで全日がこけら落としだったかな。
東京からも近くて団体側、営業面でも宿泊費がかからない使い勝手が良いはずの会場だったのに、
94年にミスターポーゴが火を噴いて館長(not青柳)が激怒してプロレスには貸さなくなったんだよなw >>144
千葉公園やらポートアリーナは民間が管理人になったから、プロレスに貸してくれない >>98
メイン→ハンセン三沢
セミ→鶴田川田
第3試合→田上スパイビーだっけ? >>152
セミ前 カンナム対殺人魚雷
第一試合百田対スリンガ〜 小橋、菊地対キッド、ジョニースミスのアジアタッグもなかったかな 長州力のストンピング大好き
「立てコイ、テメエコラ〜!」
「戸口〜!」(対キムドク) >>155
エースの負傷で小橋&エース組が返上、
キッド組と王座決定戦だったかな。
会場は失念。4月のシリーズだったと思う。 3月のドームが何となく不完全燃焼な感じだったから
4月の両国で保永が勝ったときの興奮度は凄まじかったわ >>155
あった。
キッドが菊地をおさえた。
あとはファンクス対カクタスジャック組 大阪府立第一でやったんだよな
こないだノムヤギが返り咲いたのは実はそれ以来の第一でのアジアタッグ 3月のドームはスタイナーズとヒガンテのインパクトは強かった
試合として一番盛り上がったのは長州vsシン
藤波vsフレアーはNWA取ったから盛り上がれたと思ってる >>161
ビックキャットヒューズは200pと言われているが、
ヒガンテと並ぶとだいぶ小っちゃく見えた。
4月以降に再来日して巨漢レスラーデビューしたら
面白かったかも。
シンの入場時の隣にいた謎のマスクマンは誰だったんだろう。(外人?) >>157
4月といえばこの年からリーグ戦が復活したチャンカーだが、
菊地以外はリーグ戦に出てたのに、タイトルマッチが組まれてたのか。 チャンカーは決勝があったのは盛り上がった武道館大会の前の愛知県体育館
鶴田対ハンセンでフィニッシュがジャンピングニーパットで呆気なく優勝した記憶がある >>162
あれはエコライザー。
何故エレナアーシュリーにマシーンマスク被せてシンと同伴させたかは疑問。
疑問っちゅうか無意味。
試合でしょっぱかったエコライザーに仕事させたのか?
ただシンと同伴だけの仕事。
試合後に乱入するわけでもなく。
ちなみに辻はしきりに『SSマシーン』と言ってたが。
この大会でエコライザーとヒューズは最悪の双璧と記事にあった。 >>162
ヒューズはヒガンテと並ぶとかなりぃ小さく見えた。
巨人対決の宣伝効果は皆無。
しかし終了後の打ち上げの集合写真だとヒューズはベイダー、ビガロより大きかった。
普通に来日させたら『超巨漢』で売り出せただろう。 ヒューズはあの時、ジョバーとしては最高の仕事をしたと思うのだが >>165
ノートンの試合後インタビューが、
「向こう(アメリカ)だとガンガンくる奴なのに、初めての日本の大観衆の前での試合で緊張してしまったのかもしれない…申し訳ない」
みたいにエコライザーのフォロー&謝罪に終始する内容だったのが、人間性が透けて見えてほっこりした >>168
当時はアメリカではノートンのライバルって話を聞いてたから「何でこいつがライバルなんだ?!」って思った ヒューズは何年後かにWARでスーツ姿で試合してたような。 >>170
こんときはミスターヒューズとかネームだったな。
ヒガンテとも組んで軍団の一員で。 >>160
健介、中嶋vs嵐、カズって大阪でやらなかったっけ?間違いならすまん。 >>152
当時の三沢は三冠未戴冠、川田は挑戦経験すら無かった。それなのに会場の外の列が凄すぎて警察が早く入場させろと3度も言ってきたとか。
パンフレットも売り切れたんだっけ?
異常な人気だな。 91チャンカーって後楽園、秩父、長岡、大阪ってテレビ中継だったと思うけど、エース&小橋vsサザンロッカーズのアジアタッグは何故かノーテレビの富山でやったんだよな。 91年の夏頃だったかな?
週プロの見出しにに【ジャンボ鶴田 最強 敵なし】と書かれて。
確かに強さ(の演出)は説得力あった。 >>175
アク禁にびびって省略をやめバカにされたガラケーもやめた負け犬省略おじさんさんちーっすw >>173
確かにすごかったよなー。
当日券無理で立ち見みたいな席買った記憶がある。 >>177
前年の最強タッグも府立第一では珍しく6000人発表 ちょうどこの頃だっけかな。
会社の女子が三沢とか川田の話してるの聞いて驚いた記憶が。
それまで野郎だけの世界だった男子プロレスの話題を女子がしててびっくりした。
いい時代だったな。 >>177
その割には発表数は6400人と少なめだったな。
新日並みに入ってたら全日だと7千人超の発表をしそうだけど。 >>180
二階席までぎっしり。
この頃はなんばに全日本事務所あったし、府立第二もよく使ってた。
府立第二で川田対田植えとか、見たなあ、試合後ジャンボが田上にカツいれた 91年の人気は92年にも続いて、三沢または超世代軍のハワイツアーが平日開催でも参加者が集まったり、地方興行のプロモーターが興行を買ってくれたり、レスラーの顔触れが変わらない割には凄い観客動員だった。
後から振り返ると「あの異常な人気は何だったんだ?」と思うくらいだ。 91年になるといままでずっと郵送されて来ていた全日からの武道館ディスカウントする
るのでチケット買って下さいハガキ、が来なくなった。1万が7千、7千が5千、5千が3千だ
ったと記憶してる。2階は対象外、もっともそっちは東スポ経由で3千が1千5百だっ
たが。定価で売れるようになったんだなと人ごとながら嬉しくなった。 本当に曜日は関係ない客入りだったですね。その後の積み重ねで土曜日使えるようにな
ったらしいけど。カード発表を待ってると遅いので武道館観戦の前に次の武道館の切符
を買うのが常態化したのも多分この年あたりから。特に武道館に限ってはカードも内容
も信頼がおけた時期だった。新日のような開けてビックリ、はないけど5千円のチケな
ら8千円くらいの満足感がありました。 新日はカードの新鮮さに拘ったためか外すときは外すからなぁ
全日は同カードを研鑽しまくった感じする(後の四天王プロレスに繋がるんだろうけど) この年まで武道館は年4回開催だったけど、何時からか新春ジャイアントシリーズ以外、毎回開催されるようになったね >>187
なんで新春Gだけ使わなかったんだろうか?
リングスに遠慮してたわけでもないだろうし。 >>187>>189
松本、千葉公園、大阪、横浜で三冠戦が組まれた年もあったけど、何で武道館は使わなかったんだろうね?
1月だけ使えない理由があったのだろうか? この年から新日に参戦したキムドクのデカさに感動したなぁ
昭和の頃はそこまで気にならなかったけどマシンとかヒロ斉藤と相対するとやたらデカく見えた
栗栖とのこれぞヒールみたいなチームも好きだった
いま、あの雰囲気を持ってるレスラーは見当たらないなぁ… この年の新日大阪城大会はドーム大会より
カードも良かったし盛り上がったし面白かったな
武藤がビガロをジャーマンでフォールしたとき飛び跳ねたよ >>191
シンとドクが組んだ時 同じリングに立った時は感激したな。
かつては同じタイガー同士でも丁度入れ違いで接点なし。
もしどちらかの移籍が少し遅れたら確実に絡んだはず。
戸口の移籍が遅れたら、全日でシンと対戦。
シンの移籍が遅れたら、新日で戸口と対戦。
本当に丁度入れ違いだったから。
でも10年後に新日で遂に接点が。
雑誌では『力量ではシン、上田に劣らぬシン、ドクの大型凶悪コンビ』と書かれて。
この二人相手だとマシーンと後藤が小さく見えた。
シンとドクは結局は一時的に組んだ流れだったが。 フィニッシュのツームストーンでフォールしながら自分でワン、ツー、スリーってやるのもカッコよかった 栗栖・ドクといえばG1で組まれたヒガンテ・ライガー組との試合での
「クリ・ドク」
230pのヒガンテに対抗してドクが栗栖を肩車して「どうだ!」と凄んでいたのが
なんか可笑しかったw 同士討ちがシンドクて負けたとか
SGタッグの時に書かれていたような。
どうせならタイガー・ジェット・シン&タイガー戸口で参加して欲しかった。 >>196
あの当時、ドク43歳 栗栖44歳
いまの棚橋とほぼ同い年とは思えない重鎮ぶり キムドクは当時中学生だったから見ててでかいけどもっさりしてて好きになれなかった
本人も色々言ってたけど新日には合ってなかったと思う >>194
アク禁されてビビって省略やめた負け犬ガラケー爺 6月の武道館のメインは世界タッグ。メインでスパイビーが田上に勝利。武道館のメインでスパイビーが勝ったというのはよくよく考えると凄い。
スパイビーはシングルでもタッグでもゴディ&ウイリアムスに勝ったことが一度も無いのに「外人4強」と言われ続けていたことは釈然としなかった。 そのスパイビーの公式身長203だが、他にいなかったから外人四天王に入った。 >>194
対戦表をみた越中が一言「おっ今日の対戦相手はドクシンかー」 スパイビーはのちにデストの娘とたしか結婚したりもしてるはずだし、レスラーとして
の評価以上に業界の大物先達に気に入られるような社交性とか人間性を持ち合わせてい
たんだろうと想像する。スティングにも勝たせてもらってるし馬場が目をかけてたのは
間違いない。 続けてすんませんが渕も後年のインタビューを読むとスパイビーをずいぶん買っていた
と言ってた。エースは向いてない、なんて言う一方で意外な高評価だった。「10年早け
りゃ馬場さんのいいライバルになったはず」なんて、そこまで言うかねという感じ。 観客「スパイビー!スパイビー!スパイビー!」(スリーパンチにあわせて)
観客「ウ〜ッ!」(ロープへ振るのにあわせて)
観客「スパイビー!!」(ビッグブーツにあわせて)
一時期流行ってたこの手の客の悪ノリ、大キライだったなぁ… この頃の全日はファンもやや調子づいていて、つまらなそうな試合はコールでも掛け声
でも合いの手をいれてでも楽しませてもらうぜ、みたいな変な積極性があったのは確か
オリャとかシャーが発展したというか選手たちからすると好ましくない方へ発展したの
だろう。 209馬場の公式身長だが、新日でも茶化しコールは浸透した。 >>205>>206
スパイビーがスティングに勝ったのは当時、厨房だった俺だが意外な結果だった。
エースは「お前はでかくてマスクがいいからプロレスやれ」と言われて始めたと聞いたことがある。
2人ともしょっぱかったけどやっぱりプロレスって素人が見る以上に難しいのかね。
やっぱりブロディみたいにでかくて動ける選手は奇跡的な存在なのかな。 >>208
シンシン7拍子とか、シンの打撃に合わせて「シン!」の掛け声とか、嫌な観客もいただろうね。
俺は武藤全日本の時の川田のコーナー串刺しハイキックの時の「イ〜〜〜ヤ!!」が耳障りだった。 全日の武道館についてだけどこのころから武道館を本当のシリーズ最終戦にする、とい
う判断も正しかった。90年位だと武道館の翌日に興行が入っていたり数日シリーズが
続くケースもあった。武道館でフィニッシュ、のほうが多少無理もできるだろうし、な
により武道館の価値を選手もファンも再認識したはずだ。アメリカ人レスラーだって
世界に轟くブーダカンの名前と価値とその特別性は理解してたろうな。 >>213
その武道館は東京五輪に向けて改装工事だってね。
今年からか来日頭からだか。
柔道は武道館が会場だからね。 マジソンスクエアガーデン、ウェンブリーアリーナ、日本武道館は世界の三大アリーナ プロレスニュースで取り上げられた小川ファンの女
松戸大会にも現れて例のごとく叫んでたら
うるせぇとか黙れとかヤジが凄かった >>213
この年武道館最終戦は4回中2回だな
CCは2日後にファン感謝デーがあったから実質最強タッグだけって感じ
翌年は5回中3回と増えたけど三沢の三冠奪取は開幕から3戦目だった >>70
遅いカキコミすいません。
それは、93.9.3武道館のハズ。
初めての生観戦、最初の試合だったから覚えている。
コーナーポスト最上段からのダイビングエルボーで、
マイティ失神。
戸惑う大森、促すレフリー、
まだ観客も少ない第一試合だから、やたらに乾いた拍手と、マットの音を覚えている、、 全日中継にて
川田「吉田栄作よりカッコいい!」
小川「プロレス界の加勢大周」 >>210
スパイビーは当時でも何気にもフォール取られることも多かったイメージ
尼崎大会でハンセンのラリアット誤爆で川田にピンフォール取られてた
最強タッグでも三沢、川田と鶴田、田上に敗れてたなぁ >>220
ダニスパはルックスよいし、迫力あったけど、不器用 >>213
武道館を最終戦で組むようになったのは、猪木時代の新日がシリーズ最終戦を
都内大会場で組んでたことが多かったので、全日もそうすべきだとター山が
馬場に進言したから。 この年の最後の全日中継はダイナマイト・キッドの引退試合だった。 >>224
エンディングのあたりはもう、涙ボロボロ流しながら観てたわ… 51分32秒のファン感はなんだかんだで良い興行だったと思う。4.18の後でもあのクオリティの興行を一律3000円だか2000円のチケットでやるんだもん。
そりゃ試合終わった後に週プロ編集部に「今日の試合を表紙にして下さい」と電話するわ >>213
武道館で三沢が活躍して、シリーズ最終戦の地方大会TVマッチで
6人タッグにもかかわらず鶴田に三沢がピン取られてたのってこの年?
武道館で脚光浴びたけど、最終戦で次期シリーズの展開を見せる、
という意味では武道館が決して最終である必要はないのかも。 >>227
ほんとは1000円にする予定が、直前に3000円にされたと、竜さんが嘆いてた >>229
シリーズ最終戦で三沢が取られたのはサマーアクションシリーズの松戸大会。このシリーズでSDDから世界タッグを奪取して鶴田がそうはいくかとなり時期シリーズの世界タッグへと繋がるようになった。 言われてみると武道館が最終戦、というのは確かにいいこと尽くめではないんだね。その後
かつての追撃戦みたいな感じで次期シリーズに新展開で繋げたり星勘定の調整もできる
しね。武道館で完全燃焼、みたいな了解が共有されだしたと同時に四天王ハンセンウィリアムス
の三冠たらい回しが始まったと思う。ついでにセミ以下の取り組みも徐々にぞんざいに
なっていった気がする。 >>225
そうなんだよね。
当初は3月のドームでは試合予定だった。
でもスケジュールの都合上無理に。 >>229
世界タッグが金沢。三冠がその6日くらい前の横浜だった。
選手の消耗度を考えたら武道館または三冠をやる会場は最終戦が良いと思う。
今の新日の1・5後楽園でベルト持ってる奴が負ける露骨なアングル作りは嫌だw
王者に勝たなくても挑戦権獲得はアリだと思う。 そういえばルードはこのシリーズ、途中で帰国して全日への再来日は無かったけどなんでだろ?
ハンセン、殺人魚雷がいる全日だと目立てないと思ったのかな? 新日もイッテンヨンの次の日に後楽園ホール興行やるようになったしな >>233
ちょうど都知事選出馬→断念とかあった時期だね
あと痛風 91年は藤波のドラゴンボンバーズに期待したな。
団体の枠を越えて他団体にも上がる、と宣言。
団体の(制約に)縛られず自由に動くのを趣旨として結成。
ドラゴンボンバーズで全日に乗り込む、とも宣言して。
他はUはスタイルが違う。
Sは新日全日の敵対団体だから無いと。
またFはデスマッチ基本だから肌が合わない。
ドラゴンボンバーズで全日参戦を本気で期待したし実現すると信じた。
しかし結果的にドラゴンボンバーズが他団体に上がる事はなかった。
団体の制約から解き放たれる事はなく。 >>231
SDDってまた懐かしいチーム名だな。ゴングを読んでた人しかわからないけどw >>238
話によると藤波の趣旨に則れば新日側が契約解除→自由契約を提示してきた。
フリー契約になれば団体の制約は無くなるが、他のリスクが大きい。
取り敢えず契約してる以上は新日という大きな城に守られてきた。
しかしそれが無くなれば自由に動ける反面、保証もなくなる。
ただ藤波(達)にはどちらかの選択肢はあったとの事。
しかしそのリスクを考えた末に藤波はフリー契約を断念。
他のメンバー(越中、ライガー、飯塚)も同じく。
その為に藤波のドラゴンボンバーズとしての全日参戦は水の泡に。
かなりぃ前にこんな記事を読んだ事ある。 >>238
全日本云々の前に、新日本の中でも何もやってないけどな。 >>240
ドラゴンボンバーズの名称するまで藤波部屋と呼ばれてたね ドラゴンボンバーズかあ、戦闘竜だか南海龍だかが警察相手に大暴れ、くらいしか
記憶にないな。 殺人魚雷プラスルードという6人タッグをtvで見た記憶があるが(相手チームは失念)
ルードは流れについてくだけで精いっぱいという感じだった。あと世界のプロレスで
見たときよりかなり瘦せた印象を受けた。生では見れなかったが二重履きタイツ脱ぎ、
とかはやったのかな? >>245
都城でvs三沢、川田、菊地。
ホールでvs鶴田、田上、マイティーだった気がする。ユーチューブで最近観たよ。たぶん検索するとヒットすると思う。 ルードは新日で輝いたね〜
蝶野戦、馳戦ではメデューサ等の女子マネを連れだった嫌みなヒールっぷりがハマってて、当時はこいつ負けろと本気で思って見てたなぁ… 全日では、かなり無理してハイスパットさせられてた(というかやらざるをえなかったか)ように見えたなぁ
新日でのルードが本来の姿かな、ゆったりしたリズムで見応えがあった お国じゃルードのほうが全然格上なんだろうけど日本じゃ殺人魚雷の下だから肉体的
以上に精神的にもきつそうだ。その上控室で喰らわされたりするんじゃ帰りたくなって
も仕方ないかな。ハンセンはわからんがゴーディ、ウィリアムスにしてみりゃ自分の地
位を脅かす可能性のある奴の世話を焼いたりなどしっこないしね。 この頃はショーマンスタイルの新日、
ストロングスタイルの全日と両団体のカラーが入れ替わってたな。
新日の場合は第2次UWFの影響が大きいんだろうけど。 新日の秋のシリーズにフランクアンダーソンって来てたよね〜
どんなレスラーだったんだろう… この年のG1が今までで一番の最強メンバーだと思ってる俺 >>254
92年にベイダーが参戦してたらなあ。
でも91年は確かにベスト。
所謂(いわゆる)白星配給が見当たらず。
8人の中で若干劣ったのが蝶野。
しかしその蝶野がまさかの優勝だかんな。
当初はこのG1は毎年恒例にする予定ではなかったみたい。
単発的なイベントで。
『“サマーナイトフィーバー”バイオレンスストームin国技館』だった。
その中で『グレードワン クライマックス』と。
だから『第一回』とか『初優勝』という言葉はなく。
そして蝶野のまさかの優勝で大成功。
それで夏の風物詩として継続された。
このG1が90年代の新日の人気を大きく支えたとも言われ。
このG1の蝶野まさかの優勝は春のスーパージュニアでの保永まさかの優勝からきた。
紙プロで永島が言ってた。
『まさか』が受けるのがわかった、とね。 91年当時そこそこ名の通った会社に入社したんだが、g1の長州3連敗に立ち直れない
までのショックを受けて出社拒否、から退職した5年上の先輩社員がいた。今は傷も癒
えたらしく元気に東京のお笑い大手芸能事務所で座付き作家をやってる。 >>255
サマーナイトフィーバーは名古屋大会の冠だったはず
両国は、バイオレントストームイン国技館
つか>>50と同じこと書かなくていいよ 4/18の武道館もチャンピオンカーニバルってついてたっけ?。
特別興業じゃなかったっけ?。 >>257
それまでの新日、特に昭和の頃は『猪木優勝』が定番だった。
絶対的エース猪木が優勝しないのはあり得ない。
また猪木優勝も説得力あり。
でも時代は平成に変わり、『誰が優勝するのか?』『まさかの優勝』が受ける時代に。
それも全くノーマークだった蝶野の優勝。
猪木の様な絶対的エースがいなくなった事により。
まあタイトルマッチでは勝てないのにG1では優勝。
蝶野以外でもそういう選手はいたが。 81年の初代がデビューしてからタイガーマスクが存在しなかった唯一の年。 この年のワープロは試合だけでなくスポット企画みたいなのがあったね
浜口親子のトレーニング教室とか藤波とか越中がわんこそば食べてたり >>258
括りはチャンピオンカーニバルだけど事実上は特別興行だね。
三沢は優勝戦にすら出られず武道館でも敗れた。鶴田は愛知でハンセンに勝って優勝、武道館では三沢に勝って防衛。
今はこんなブック書かないよね。 >>263
今だと優勝候補が開幕戦で敗退、チャンピオンは
リーグ戦の優勝できないとかだけど、逆にそういうのって
何か白ける。
普通にチャンピオンがそのまま優勝でもいいのになって思うことも。 ゴルフで潰されなかったら1月、9月の大阪大会やG1の2日目3月の広島大会も
放送されただろうしSGタッグも最低3週ぐらいは使ってただろうね 両国二日目がノーテレビなの痛い
武藤vsベイダー見たかった >>264
まぁ凄いパターンにはまってる気はするよね
カーニバルとか最強タッグとか普通にチャンピオンの馬場が優勝してたんやからそれでいいのにな >>265
1月の大阪ってベイダーvsランボーと藤波、マサvs長州、橋本?だっけ。観に行ったけどあまり覚えのない大会だわ >>266
あの時武藤が勝ったあとものすごい数の座布団舞って、この大会は大成功だと確信したよ。翌日は試合前に座布団投げるなってケロが試合前に注意した記憶ある なぜ第二次Uはあんなにしょっぱかったのか?(´・ω・`) >>266
単にノーテレビでなく映像として残っていないのが残念でならない。せめてカメラはまわして欲しかった。 >>266
ノーテレビってなんか久しぶりに見るな(笑) つまり猪木もタイガーマスクも
いない一年だったのか!?
それで年の前半(6月まで)は
G・馬場も欠場した1991年か! >>264>>267
最近の新日のG1なんか特に酷いと思う。石井がIWGPに挑戦したところで獲るはず無いのに。ただ消化するだけのタイトル戦。
リーグ戦は事実上の次期挑戦者決定リーグ。4年に一度くらいはIWGP王者が優勝したっていいだろうに。
それを考えると91年鶴田、92年ハンセンのチャンピオン優勝は良かったと思う。 >>266
まだあるか知らないけど、隠し撮りした動画はyoutube で見たよ。
武藤がベイダーにジャーマン決めてた。 >>255
IWGPのリーグ戦も当初は2回目以降はなかったはずなんだよな
第1回が終わって 猪木が欠場から明けて IWGPチャンピオンのホーガンに挑戦って確かテレビでも言ってたはずなんだ この時代はまだノーテレの試合は会場にテレビカメラが入ってなかった。
後々の価値がなくなった時代はどこも会場にテレビカメラが入り。
雑誌でもG1の全公式戦を掲載とか。
全公式戦の掲載は昭和の最強タッグやMSGタッグ等で見たかったわ。
注目してた試合が地方でどの雑誌も掲載なし。
知るのは結果のみ。
いつだったか、G1全公式戦をダイジェスト込みで放送とかなかった?
91年G1でそれをやってくれたら。
そうすれば武藤×ベイダーも見られた。
後々の価値がなくなってからそうなって、何か皮肉だな。 G1の二日目は武藤対ベイダーの他に、
長州対橋本、藤波対ノートン、蝶野対ビガロがあったんだよね
蝶野がビガロに卍固めで勝った試合とか見たかったな〜 >>279
その日が一番面白かったよ
メインで武藤がベイダーからフォールした後の座布団乱舞は忘れられない
二階で見てたから混ざれなかったが圧巻の光景だった >>280
俺もその日は生観戦した。
なんといっても、橋本が
泣きながら、絶不調の長州に
蹴りを見舞いフォール勝ちしたんだな。
藤波とノートンは両リンで
大ブーイングが起きたが、
メインで武藤がベイダーに
フォール勝ちしたので
俺(観客)は満足して帰った。 読売ランドEASTでやった、ムタvsマシン
試合後、マシンはなんて叫んでいたの?
滑舌が悪すぎて何言っているか全然わからなかった(笑) とにかく、土曜夕方はゴルフゴルフゴルフでムカついて
いたなあ。 関西は夏の高校野球で流れるのも痛かった
88年は何とか猪木vs藤波が雨天中止で観れたが、89年は長州vsベイダー、91年はG1の名古屋が流れてる >>281
藤波対ノートンって珍しい組み合わせだよね >>283
同感。
91年といういい時期が放送潰されたのは痛い。
G1は三日間だから全部放送して欲しかった。
AB4人づつのリーグ戦だから公式戦全部放送可能だろと。
後々のG1公式戦の無意味、無価値な試合はダイジェストでも放送してんのに。
見たくもない試合を放送されて肝心な試合は放送されず。
本当に初回のG1は誰が優勝するかわからないメンバー。
10年前の81年の新日ならば。
猪木、坂口、藤波、ハンセン、シン、アンドレ、ローデス、バックランド。
この8人が参加する様なもんだし。
それで藤波がまさかの優勝と。 >>288
92年暮れの世界最強タッグかな
なので田上のパートナーに9月デビューの秋山が抜擢された >>290
そう…だな??92年9月デビューだが何かおかしい事書いてるか? >>286
シングルだとそれが唯一?
>>282
「お前に天下取らせないからな!」だったかな? >>289
てことはデビュー年で最強タッグに出てたのか
すげえな
スパイビーが薬やめて痩せてきたのもこの辺りからだよな >>293
スゲエと言えば、
9月にデビューして翌シリーズの
最強タッグに参加だから2か月だな。
でも、これは欠場した鶴田の代役。
それを言ったら、新日の中西なんか
SGタッグリーグでデビュー。
これもベイダーの代役だがな。 田上と秋山の急造タッグ、この時ばかりは田上が頼もしく思えたな。 もし秋山が新日ならそれなりに売り出されただろう。
逆に中西が全日なら本田みたいな扱いで終わった感じがする。 秋山のデビュー時の扱いは良すぎた、浅子と雅夫央が不憫に思うくらい。あと大森はデビューからノーフィアー結成まで扱いはとにかく酷すぎた。92年デビュー選手の話でごめんな。
91年に話を戻すとサザンロッカーズ、エキサイトシリーズに再来日のランドオブジャイアンツとデブ兄弟、ステイトポリス、ブラックハーツと、B級のタッグチームを見るのは楽しかった。 >>107
亀だが、TNTはWINGに行きたくなかったけど
プエルトリコのしがらみで行くしかなかったみたいだな。
ただ、おそらくWINGでのTNTVS斎藤彰俊の試合見て
斎藤メインで新日VS誠心会館のアングルが決まっただろうから
何が幸いするかわからないな。 新日の年末シリーズにエルカタナっていうメキシカン来てたよね
ライガーがメキシコで世話になったそう
リングシューズが上げ底で小鉄が見てて危なっかしいって言ってたなぁ 91年ドーム大会に90年ドーム大会の再来を期待した。 >>294
ベイダーのドタキャンがなかったら中西はドームでデビューだっただろうな。 WCWと新日のただならぬ関係は91年ごろから?
でもリックルードとかカクタスジャックなんかは
同じ頃全日に上がってんだよね >>306
団体としてのWCW(新日)>>>プロモート連盟としてのNWA(全日)
になりつつあった時期だね
その後、NWAを脱退したWCWは、WWFとの月曜戦争へ >>301
ネグロカサスと組んでた試合かな
そのOAでしか観たことないかも >>298
新幹線の描かれたジャンパー着ていたランディローズ&マイクゴールデンに対してステイトポリスが交通違反の切符出して怒ったローズとゴールデンが奇襲をかけるってやりとりが良かった。 2月、新日本駒ヶ根大会
試合中お客さんのヤジが選手に聞こえてしまい
後藤達俊がお客さんの前でブチ切れ。
よく聞き取れなかったんですが、
何て言ったんですかね? この時期に後藤が切れたのって「うまのすけー」とか受け狙ったヤジのがしつこかったって聞いたこと有るけど、それかな? この年の年末に馳がシンに沼へ落とされてたのが週プロの表紙になってたね >>314
その年の最強タッグは全会場超満員か満員だったな。
名古屋と福岡の会場は小さいとこだからその点は割り引いて考えるべきだけど。 >>311
ありがとうございます。すっきりしました。 この年の最強タッグ大阪で三沢、川田対小橋、菊地の超世代軍の対決があったね〜 その後、三沢・川田・小橋と菊地との差は広がっていったな
ジュニアだからってのも有ったけど 菊地が世界ジュニアを獲ったのは8度目の挑戦だっけ?小川は4度目。
酷い扱いするよね、これじゃ菊地の商品価値が無くなるだけなのに。4度目くらいで獲らせるのが最も理想的かな。
たまにいるけど初挑戦初戴冠て好きじゃない。 前年にはハル薗田メモリアルマッチとして
三沢&菊地vs川田&小橋 というカードが組まれたこともあった。 >>320
菊地は、ジュニアのベルトを獲る前にアジアタッグを獲得しているんだよな。(自身も防衛戦で渕と秋山にフォール勝ち)
同じ括りにクロファットもいるけど、こちらはカンナムエクスプレスとしてのアジアタッグ戦線が中心でジュニアに絡み始めたのも渕政権の末期から、小川や菊地の壁としての役割だったから、菊地とは扱い違うしな。 菊地は浅子が台頭してきてから徐々に迷走していったよね… 30過ぎても、玉砕火の玉ファイトって訳にもいかんでしょ。
その菊地が最強タッグで唯一自ら勝利した相手がサニー・ビーチ >>323
台頭したと言っても世界ジュニア取れなかったね YouTubeで見てたんだけど、この年の最強タッグいいな。最終戦観に行ったけど忘れてた。YouTube見ながら声だしちまったよ。川田が三沢と組んでた時が90年代の最高の時代だな。俺的にはだけど 新鮮味があったからかな〜
四天王から毎回同じようなカードの繰り返しで食傷気味になったなぁ 四天王プロレスは必殺技が必殺技になっていないのが受け付けなかった。大技返しちゃう、30分以上戦えば凄いと思ってる。
第一次超世代軍の頃の90年〜92年の方が間違いなく面白かった。
鶴田vsハンセン、三沢vsハンセンが意外なフィニッシュということも何度かあったけど当時はそれでも良かった。
90年になるけど鶴田がゴディにDDTで負けたのは意外。まあ、それもアリだと思うけど。 やっぱり頂点に登り詰める過程がいいんだな。ゴディウィリアムスハンセンって言う壁に必死に立ち向かう姿が良かった 91年になると全日は量より質という感じだったな。
内容は外さないと。
新日は逆に質より量と。
91年の新日は日本人外人共に駒が揃っていた。
内容より質で魅せるという。
だから外す試合は幾つも。
全日は派手さはなくとも外れなし。
新日は派手さは凄いが当たり外れも凄い。 333だが、どちらも盛り返して黄金時代を迎えてたかんな。 全日は同じメンバーで高めていった感じはあるな
新日はWCWも含めて初顔合わせが多かったしタッグにしても正タッグチームが余り無かったから(これは今も変わらない)外すときは凄くはずすんだよな >>334
それは言えた。全日は安定感があった。
新日は当たり外れが大きかったから暴動まで起こり。 >>335
⚫昭和新日ファンの傾向
期待値が高すぎて試合がはじまるころには表面張力が起きてるような興奮状態。
本来なら一気に詮を抜いてカタルシスを得たいところにラムネの錠剤のような膨張率の高い異物をほんの一粒。
思いもよらぬ状態に何が何だかわからず自制が効かなくなり暴動へ。 G1が素晴らしかったのにその後のよみうりランド、横浜アリーナははずしたしな 新日の場合は露骨な手抜きがあからさまき見えた。
G1やドームは力を入れる。
でも明らかな手抜きもすぐにわかる。
カードからして。
96年だったか、G1後の9月の横浜アリーナ大会で意味不明な何とかトーナメント開催。
これは見に行ったが、明らかに選手のやる気の無さが伝わってきた。
単発でG1みたいな価値もないトーナメント。
優勝は越中だったかな?
まあ越中からもこんなトーナメントで優勝しても無意味ってのが伝わってきた。
更に前は9月の横浜アリーナも力を入れてたんだけどね。 >>332
90年頃の全日も量は多かったぞ。
量というのは日本人外人の数、つぶ。
最強タッグなんか色んなチームが参加してたし。
天龍とシンがいなくなっただけ。
天龍離脱の穴埋めも三沢が担えたし。
新顔ウイリアムスも加わり。
むしろ新日より粒揃いだったと思う 強くも上手くもなかったけどディートンは好きだったなあ。 新春ジャイアントシリーズの最終戦でキマラ2がフェンスにぶつけられて腹に裂傷負ってたのが痛々しかったな… >>344
武道館のブッチャー戦が全日最後だったかな。現代なら敗者追放マッチ的にやったのかね。プライド高いシンが負けブック呑むのも想像できないけど。
三沢たちのプロレスが始まったからシンが新日に行ったのも自然の流れだね。 >>339
日米スーパースタートーナメントね。
俺も見に行ったが、
決勝は健介対越中で、優勝は健介だったよ。
(越中は、その日、2試合目、最初の試合で橋本を破る)
確かに、この二人の決勝は拍子抜けだった。
この二人の他、長州、藤波、外人側はスコット・ノートン+WCWのトップ
レックス・ルガー、リック・フレアー、スティングを招聘したのに、
序盤の試合でコロコロ負けたな(苦笑) このシリーズのフレアーはトーナメントでの健介戦以外に凱旋帰国した中西にも簡単に負けてたね カクタスジャックがチャンピオンカーニバルで初来日して全敗したのもこの年だったか >>348
長州も中西に負けたんだよな。
「気合が入らないよ」といっていた。 >>349
カクタスはその後スーパースターになったけど、同じ時期に来日したテキサスターミネーターホスはそれっきり聞かなくなってしまった。 東京ドーム横にあったサーカス場で興行したのってこの年だっけ? >>351
WCWでマスクを被ってコロッサル・コングスのクラッシャー・コングに。 >>349
テレビで カクタス 対 鶴田 放映されたね。つばを上に吐いてまた飲んだりしてキタネェと思ったな。
角度は大甘だったけど鶴田が場外でバックドロップやったのは驚いた。
必殺技をこんな所でやるなよとも思ったっけ。 >>354
場外バックドロップはカクタスからの提案だろうな。
「俺は平気だからやんなよ、みんなビックリさせてやろうぜ」ってな感じか? >>352
この年の2月だったはずだよ
この日は入場するまでカードがわからない大会だったんだよね >>355
明らかにミックがどこでもバンプ取れるんで!ってアピールしたんだろうけど、それでホントに必殺技を安売りするあたりが鶴田の鶴田らしさと言うかね しかし新日ドームではバックドロップを見せなかった鶴田
馬場の許可がおりなかったんだろうけど
昭和全日スレで、「バックドロップを受けきれるレスラーがいないから使わなかったんだ」と主張する人がいてマイッタ >>358
お互いの意向でしょ。
バックドロップで完敗は嫌だからクイック的な胴締落としがベスト。
全日側はバックドロップやって勝っても新日得意の負けた方が元気に帰っていく事だってやってくる可能性もあるからね。 >>358
>>しかし新日ドームではバックドロップを見せなかった鶴田
えっ?
途中健吾にやっただろ。 この年の最強タッグで唯一目新しかったレスラーがサニービーチだった >>138
そうそう、めずらしく自然に野上コールがおこってたの覚えてる >>193
レジェンドオブドラゴン。
藤波蝶野が一番盛り上がりに欠けたような.. >>367
猪木から藤波にテーマ曲のプレゼントってその日だけ使った曲があったな >>368
あの曲微妙だったしなぁ
RISINGの方が確実に良いと思う
ドラゴンスープレックスも良いとは思うが >>367
ケロちゃんのコールが藤波〜ドラゴン〜辰彌〜って言ってたのが印象的 この頃の蝶野は決め技に独特なレッグロック使ってた記憶が…レイガンズからギブアップ取ってた ドラゴンレジェンドは新日の大阪城ホールでは初めて超満員となったが、
この年の全日が大阪城ホールを使ってたら果たして満員になっただろうか? 新日の大阪城ホールが5月31日(金)
その日、東京から見にったよ。
藤波対蝶野、スタイナー兄弟対馳健、ノートン対ベイダー、
橋本の異種格闘技戦、保永対ライガーを堪能。
で、大阪に一泊。次の日、少し大阪をぶらつきながら
3時頃の新幹線で帰京、その足で武道館に行き
全日を観戦した。
ハンセン&スパイビー対鶴田&田上、三沢対ゴディ、
ウイリアムス対小橋、、なにより馬場の復帰戦で
武道館が前売り完売という盛況だった。 全日は新日に比べると大阪の営業力弱いからなぁ
大阪府立ならともかく城ホールは厳しかったと思う うろ覚えだが、大阪ネタ。
新日の大会では吉本の女性漫才師がよく観戦してた。
ラジオ大阪で日曜朝に菊水丸やリンゴ姉さんでおはようプロレスやってた。
で、それとは無関係だが当時堺大和高田線の高鷲あたりに全日本プロレス大阪事務所というのがあった。 >>375
懐かしいな、元々は土曜夜だかに「闘魂プロレス塾」って名前でやってたんだっけ >>375
非常階段も出てたね
プロレスファンだったミヤコさん亡くなったんだよな
若かりし頃のシルク姉さん綺麗だったわ >>367
ドラゴンロケット出したときは大歓声だったろ。
フィニッシュにドラゴンスリーパー出したときは「このまま終わるな!」の声が周囲で上がってたけど。 藤波はテーマがどれもイマイチという書き込みがあった。 藤波はテーマ曲変えすぎ。
今はまたマッチョドラゴンなんだっけ? >>211
俺はああいうコール嫌いじゃなかった。89年最強タッグのゴーディ、アーウィン対ブッチャー、シンとかコールが伝説だった。実況の福澤朗も悪ノリしていたし。 藤波天龍タッグのサンダーストームからドラゴンスープレックスに変わる入場曲はかっこよかった 6月の新日の武道館は武藤、蝶野、馳が欠場しても超満員だったよね
セミが藤波対青柳… >>385
メインが長州対健介、あと橋本の異種格闘技、
大阪ホールの再戦と言えるベイダー対ノートン、
保永対ライガー(IWGPジュニア)
俺は確か、招待券をもらったよ。(東京スポーツからだと思う)
会社でプロレス好きな奴を誘って見に行った。 >>386
387沙弥奈だが、
あんときは他はアメリカ遠征で欠場だったんだよな。 >>386
あんときはなあ、当初は武藤や蝶野もアメリカ遠征の予定ではなかった。
武道館を普通に押さえたあとに彼等のアメリカ遠征が決定。
それで彼等無しの武道館大会。
新日としては賭けでもあった。
しかし平成黄金時代を自負していた新日は勝負に出た。
結果的に主力の武藤、蝶野がおらずとも武道館が超満員。
改めて新日の平成黄金時代を実感させた。
雑誌にもそう書いてあった。 >>384
馬場ハンセンのテーマ合体はイマイチだったよな メインの長州vs健介は力の差を見せつける試合だったからメインとしては物足りなかったな >>388
386だが、結構、只券をばら撒いたと思うよ。
俺だって、簡単に入手できたし、
それに超満員というほどでも
なかったように記憶している。
2階席の後ろの席から
前に移動できたくらい。 >>390
テレビで観戦したんだけど、この試合も含めてあっさりした試合が多かった印象…
ベイダー対ノートンは迫力あっておもしろかった 393裂くさ だが、
ベイダーとノートンは良かったぞ。 394裂くよ だが、
ベイダーとノートンの対決は当時の外人対決では一番だった。 395 さ、救護だが、
ベイダーとビガロは対決より組んだ方が良かったぞ。 テレビではノートンがパワースラムでベイダーを仕留めたシーンがダイジェストで放送されただけだった 397裂くなだが、
ベイダーとノートンは短期間でシングル4戦だな。 400だが、
初対決の大阪城ホールは本来ならベイダーとホームのシングルだったかんな。
ホーム来日不可能でノートンが代わりに。 ベイダーとノートンのシングル
91年5月 大阪城ホール
○ベイダー×ノートン●
91年6月 武道館
○ノートン×ベイダー●
91年8月 両国(G1公式戦)
○ベイダー×ノートン●
91年9月 横浜アリーナ
○ノートン×ベイダー●
勝敗も交互だな。 ベイダーノートンホームの3強対決は
1勝1敗システムだったと思う
ビガロは彼らより下に位置づけられてた この年の4月の新日両国見に行った
藤波、長州対馳、佐々木 武藤対ノートン 青柳対ホームが発表されていて、このカードで盛り上がるのかねと思って行ったが全ておもしろかった
そしてメインの保永対ライガーで会場大爆発だったな〜 >>401
初戦はノートンが勝たなかったか?
2戦目ベイダーじゃなかったかね >>404
そうだ、間違えた。
91年5月 大阪城ホール
○ノートン×ベイダー●
91年6月 武道館
○ベイダー×ノートン●
91年8月 両国(G1公式戦)
○ベイダー×ノートン●
91年9月 横浜アリーナ
○ノートン×ベイダー●
交互じゃなかったが、互いに2勝2敗の五分。
91年だけで4回もシングル組まれて。
92年にベイダーが離脱してからはもちろん対決なしで。 駒ヶ根、諏訪湖、上田、松本とこの年のワールドプロレスでは長野県での収録が多かったのは何かあったのかな? >>406
この年の4月にテレ朝系の長野朝日放送が開局したけど、それだけじゃあ理由にならないな。
11月の松本大会は同局の開局記念として、移転して大きくなった松本市総合体育館で行われた。
(1月に鶴田が三冠奪回したときは移転前だった) >>406
そういえば長野は多く放送されてたね。
駒ヶ根、諏訪湖、上田はタイガージェットシンがともに大暴れした大会でしたね。
上田大会は、小鉄さんとテレビ中継中に小競り合いしてたっけ(笑) >>405
さすがに短期間でやり過ぎたよな
試合がパターン化しちゃってて
横浜アリーナのときほとんど盛り上がらなかった あれは勿体なかった。
ノートンが初来日してとんだ化け物だった。
それでベイダーやビガロとの対戦が楽しみに。
二度目の来日でビガロと初対決で勝利。
ベイダー戦はホームの代理で急遽決まったからなあ。
もっと前から正式に決まってれば良かった。
代理でもあそこでベイダー×ノートンを組むかな?
本当に急遽ホームの来日中止だったらしいが。
ベイダーとホームも2戦1勝1敗の五分。
ノートンとホームも2戦1勝1敗の五分で。
ビガロとノートンは2戦2勝でノートン?
92G1公式戦で手負いのノートンが逆転フォールだったはず。
ビガロとホームは1戦1勝でホームかな?
ホームのレスラー転向第一戦がビガロでホーム勝利。
でもコールではノートンやホームよりビガロがあとだった。 >>403
ノートン・青柳組が見れたのは貴重だなw >>410
179 お前名無しだろ (ガラプー KK3e-LCtI) 2018/10/07(日) 22:36:06.82 ID:cVC58k/mK
>>176
このバカ、悔しくて泣いてこちらの身元調べとるのがわかる(笑)。 意外にもあの二人が挑戦したのはこの年だけ
その最初と最後に挑戦したのもこのチーム この年の全日新春ジャイアントシリーズにフェイバリット兄弟って来てたよね〜
黒星続きでこのシリーズのみだった… 418良い歯だが、
95年になるけど23年前の今日10/9はあのドームの日だな。 >>414
ジャイアントシリーズはカンナム、ブルドックス、
マレンコ兄弟、ディートン&ブラック、小橋&エース
というアジアタッグ級のチームが揃って連日
このアジアタッグ的な試合が組まれてたね。 しかし実際のタイトル戦は序盤のカンナムとディートン&ブラックの一戦だけ
サマーアクションシリーズが三度の移動も含めた滅茶苦茶なラッシュだった 新日武道館6月のときはスベり興行だったけど11月はカード、内容とも最高の興行だった
4大タイトル全て好試合だった 長州対橋本での橋本のラリアットの受けっぷりは素晴らしかった >>423
タッグ選手権が武藤&馳vsリック・スタイナー&スコット・ノートンだった記憶有る
前年の武道館も最高だったけどこの年の武道館も最高だった! 武道館前や両国前で路上プロレスが行われたのが91年だったよね?
アジャパンダがジェイソンが出てた >>423
11月の武道館は
IWGPタッグ王者チーム、スタイナー兄弟
(3月のドームで馳健から奪取)に
武藤&馳が挑戦する予定だったが
スコットが怪我で返上。
同じスコットのノートンがリックと組み
争奪戦になったんだね。
その間、健介も怪我で長期欠場になったし。 新日Uターン後のシンが両国のリングには一切上がってない事実。 シン対マシーンのシングル。
極悪トリオ対ブロンドの決着戦をやれば良かったのに。
91G1期間中に。
ヒガンテもG1のリーグ戦とは無関係の別枠で参戦してたし。 >>429
179 お前名無しだろ (ガラプー KK3e-LCtI) 2018/10/07(日) 22:36:06.82 ID:cVC58k/mK
>>176
このバカ、悔しくて泣いてこちらの身元調べとるのがわかる(笑)。 野上vs保永のJr選手権も盛り上がったな
その前の徳島でもいい試合でその時は野上が防衛したんだったな
まあ保永はやっぱり上手いわ 新日の11月の武道館って、3日 後楽園 4日 後楽園 5日 武道館の首都3連戦興行だったよね。
後楽園は初日のメインが長州 藤波 M斎藤vs外人チーム 2日目が三銃士vs外人チーム
両日ともにセミ以下のカードもショボかったような・・・ >>432
マイクロザンスキー、ホットショットが来日した大会だね >>435
マイクロザンスキーはこの後始まったシリーズでは当時の若手の小原、金本に負けるという最低ランクだった。 >>432
武道館の直後に行われたシリーズはいかにも消化試合の匂いがプンプンしてたな。 439試作だが、
ライガーは若手時代の三沢も潰したな。 >>438
この大会行ったな〜
ファン感謝デーでいろいろイベントがあった記憶があり特別リングアナとして健悟が甘い声で選手コールしてたな〜
セミが確かライガー、金本対栗栖、小原のカードで小原はライガーのマスクに手を掛けてボコボコにされ最後は場外にフランケンで投げ飛ばされてのリングアウト失神だった この年のG1で欠場中だった三澤威が復帰したんだよな
直ぐに欠場してそのまま引退してしまったけど、試合見れて良かったと思ってる この頃は新日全日共に後楽園のチケットがなかなか取れなくてこの年唯一観戦したのがリック・ルードが来日したシリーズ
南側の椅子がまだ木製だったが2週間後のWing旗揚げ戦では青いシートが貼られた椅子に代えられていた >>444
ワールドプロレスリングのプレゼントコーナーに出てたやつ。
欲しくて、はがき書いて応募したけど、はじゅれまちた。 藤波vsライガー見たくて闘魂Vスペシャル買ったわ
ライガー派手な技出さなかったけど見応えあっていい試合だったわ
そのビデオにグレートOZ、ライガーvsノートン、H斎藤の試合も収録されてた G1で欠場した長州が復帰したのが福島の会津体育館だった
当時は戊辰の敵地で復帰戦とは意味あるのかと勘ぐってしまったわ >>447
2年前には猪木が講演中に刺されたとこだな。 長州復帰戦はSGタッグの開幕戦で藤波ベイダー組が初結成したな >>446
このビデオで小原vs金本が収録されていて金本が小原と仲良しでないとか試合後小原が握手を拒否したりと後のこと思うとこの頃から小原は若手の中でも異質な存在だったのかも。 >>450
小原、畑、笹崎、平澤、吉橋らは海外遠征から帰ってきても活躍できなかったところなど似たような目で見てしまう 畑は職人アスリートタイプっぽかったけどな。
ただ今まで様々なレスラーからサイン貰ったけど俺の中では畑がbPだ。
色紙差し出せば嫌がらずに誰に対しても書いてくれるんだが、、
彼ほどテキトーでグシャグシャで何書いてるか解らないサインは無い。 全日の10月七尾大会でI田が川田に場外で長時間スリーパーやられた後にゲロ吐いてるのが思いっきり映されてた… 幕張大会
武藤vsXと発表されてて当日すごく楽しみにしてたのに出てきたのがTホーナー
ガッカリ感半端なかったわ >>457
アルティメット・ウォリアー説も有ったしな 459至極だが、
91年SGタッグは豪華なメンバーが揃ってたな。
でもゴルフに潰されて中継が全く無かったのは残念無念何でやねん。 >>456
えずく声とヨダレだけの記憶だけどゲロなんて吐いてたか? >>459
メンバーは豪華だったけど、即席タッグチームばっかで不評だったね >>462
確かにタッグチームらしいのは武藤、馳とコキーナ、サモアンくらいだったような…マサ斎藤、長州も一応そうなのかな >>460
場外で胃液みたいなん吐いてた。
福澤アナが 「戻してます⁈」と実況してた。 長州マサ
藤波ベイダー
武藤馳
橋本ノートン
蝶野ビガロ
コキーナサモアン
栗栖ドク
SGタッグリーグ参加チーム他にいたかな? >>465
シンとドクじゃなかったっけ?間違えてたらすまん この頃ぴあ本出たよね。
結構厚くて、道場のちゃんこ紹介したり読み応えあったわ。 シン、ドクだった。
このシン、ドクはかつてのシン、上田を彷彿とさせるって雑誌には書いてあった。
しかし放送が全く無かったのは痛いな。
初のG1で予想以上の盛り上がりと成果を見せたばかりの直後。
新日も手抜きしたか。
放送はテレ朝か。 テレビ放送がG1→徳島→横アリから一気に11月の松本大会へ飛んだ… 一応、闘魂VスペシャルがSGタッグをカバーしてたね
G1ショックのスランプから抜け出した長州の無双状態で
ベイダーをボコしてクルスフィックスでピンフォールしてた気がする 9.23横浜アリーナで、
長州がやる気満々でリングに登場し、マイクアピールしていたが、
あまりの滑舌の悪さに何を言っているかわからなかった。 何か怒ってたよね
藤波も黙ってないぞ〜って言ってたのは記憶にある G1で三連敗して引退あるかも?と言われてからの復活啖呵だから
あれくらい怒鳴ったほうがいい >>465
長州は87年のジャパンカップでもマサと組んでたな。
あのときも急造タッグが多かったけど、マサがパートナーじゃないと
出ないと駄々こねたのか? 9.23横浜アリーナ TV中継エンディングは衝撃的だった。。。
S・G・タッグリーグ戦日程
10/5(土) 会津体育館
10/7(月) 後楽園ホール
10/8(火) 富士市立体育館
10/9(水) セラトピア土岐
10/10(木) 豊田市体育館
10/11(金) 後楽園ホール
10/12(土) 新潟市体育館
10/13(日) 幕張メッセイベントホール
10/15(火) 神戸・兵庫県立文化体育館
10/16(水) 長崎国際体育館
10/17(木) 福岡国際センター
10/18(金) 広島サンプラザ
え!(TV)の記載が・・・(泣) >>478
昔の世界最強タッグがこれくらいの2週くらいのシリーズだったな そうか、この年ぐらいから闘魂Vスペシャルが出始めたのか
確かにテレビ中継で追いつかないのをカバーしてくれて、ありがたかったんだけど
当時は子供で、金銭的に一本買えばもう小遣いが無くなって、遊びにもしばらく行けなくなるのが…
でもあのセレクト、新日の良心なのか、会社に収益をもたらすための狙いなのかどっちなんだろ?
ビッグマッチをテレビ収録しないで、地方の通常カードを放送とかよくあったじゃん
あれは少し前の新生UWFのビデオがバカ売れして、その二番煎じを狙ったのでは?
この年ではないけど、G1スぺシャルの天龍vs藤波とかノーテレビで、Vスペ収録だったじゃん 10/5放送(9/23横アリ)の次が11/23放送(11/5武道館)
実に6週連続休止
おそらくワープロ史上最長と思われる 佐々木の解説が声が小さいし面白いこと言うわけじゃないしつまらなかったな
ちなみにvol.4のSGタッグの福岡大会のやつ
あと広島サンプラザは闘魂Vで収録されてたっけ? >>480
当時プロレスビデオといえば9800円が基本価格
だった中で3800円というのが画期的でもあり
大ヒットになったみたい。 >>482
プロレスニュースでも福澤に皮肉られてたな 闘魂Vで幕張大会が収録されたのは買ったな。
ベイダー×ホーム
ノートン×シン
あとタッグリーグ戦の公式戦。
長州、斎藤と相手は忘れた。
橋本がケロ田中と解説しながら。 >>486
蝶野、ビガロだね
長州が控室でコメントしてたら蝶野が怒鳴り込んできた…そのあとの長州のあいつはいい根性してるよというセリフを鮮明に憶えてるなぁ >>486
買ったじゃなくママに買ってもらったの間違いだろうがお前はw 91年は新日も全日もゴールデンで放送すべきだった。 スコットスタイナーはこの頃のほうが好きだったな
腕っ節が強くてちょっと垢抜けない兄ちゃん的な感じが
nwo?に入ってからのイメチェン後はあんま好きじゃない
やっぱりスタイナーズがいいよ、兄弟連携よ >>488
お前は早く逝ってくれ。
スコットは後々は変になったのは残念無念何でやねん。
蝶野とシングルとかもあった。
あと個人的にはリックとノートンのコンビは良かった。
>>488は故人が近い。 闘魂Vを初めて見た人に多かった感想
なんかAVみたいな画だな 被せる入場曲も選手それぞれでそれっぽい曲があるんだよね 確か闘魂Vの監督ってAV出身じゃなかった?
被せる入場曲を作ってる人って鈴木修氏じゃなかった?
エンドロールで名前があったような
20年以上見てないから曖昧でスマン 藤波vsライガーが見れただけでも闘魂Vはありがたかったわ 会場音が小さく、雑談風の実況と解説は慣れなかった。 闘魂Vは尺の都合で結構試合をカットしてたね。ただ試合によっては
上手く編集していてどこで切れたか分からないようなところもあった。 Vol1から順にゲスト解説
1 馳 2 橋本 3 ライガー
4 佐々木 5 ライガー 6 マサ斎藤
7 佐々木 8 馳 9 マサ斎藤
意外と固定されてたんだよね
武藤や蝶野はもう少し後になる
途中からタイガー服部が多くなってる
第1回G1両国二日目って映像残ってないのかな?リングサイドにもハンディカメラ配置されてなかったし
蝶野VSビガロは第1回G1のベストバウトだったのに、期待されてた藤波VSノートンは凡戦だったが >>502
なかったのが野上、飯塚、長州、天山辺りかな。
この辺口下手で解説向きでないってことだったのか。 >>502
3でライガーが赤いトレーナーを来てリングサイドにいた小路谷に対し何目立ってんだよな〜って怒ってたのは面白かった >>506
わざわざブラックキャットを退かしてまで目立つ場所に陣取ったんだったな
この頃のライガーの解説好きだったな
今はやたら叫んだりしてなんか嫌だ >>505
そういえば何日目かは忘れたが俺の席の近くにも隠し撮りしてるやついたかも
ビデオカメラにタオル巻いて、それで隠してるつもりか?とかカメラの発熱ひどいだろとか思った 隠し撮りのお陰で武藤vsベイダー見れたんで違法だけど助かってる >>509
俺は会場で見たくちだけど、ムーンサルト決まったときの会場の盛り上がりが尋常じゃなかったでしょ?あの大会は本当に凄かった。80年代の盛り上がりがに負けないくらいの会場の雰囲気 >>510
長州vs橋本もあった大会なのに、ノーテレビなんだよな 名古屋と両国初日と最終戦はテレビ放映されたのになぁ… 8.7 武藤×ノートン、橋本×ビガロ、長州×蝶野、藤波×ベイダー(TV)
8.9 ベイダー×ノートン、長州×ビガロ、藤波×武藤、橋本×蝶野(TV)
8.10 蝶野×ビガロ、長州×橋本、藤波×ノートン、武藤×ベイダー(ノーTV) >>513
9日は何故か水沢アキがゲストで来てたね >>514
>9日は何故か水沢アキがゲスト
藤波に勝った武藤へ、
わざとらしい「武藤コール」を
送っていたのを覚えている。 >>510
91G1は凄かったね。
確かに猪木全盛の80年代にも劣らぬ熱狂と中身。
長州が橋本 蝶野に破れた。
藤波が武藤に破れた。
長州 藤波共に決勝戦に進めず。
決勝戦は武藤と蝶野。
新たな時代の到来を感じ(させ)た。
今の時代の言葉なら『世代交代を上手く演出できた』と。 >>516
藤波長州本命、対抗はベイダー橋本あたりか。。。
当初はこんな予想をしていた人もいたかも。
Aリーグ:
藤波(◎)、ベイダー(○)、武藤(▲)、ノートン(▲)
Bリーグ:
長州(◎)、橋本(○)、蝶野(▲)、ビガロ(▲) >>517
自分もどうせ藤波、長州あたりが優勝だと軽く考えていた…
東スポとか読まずに両国の決勝観に行き、パンフレットの対戦カードを見たら武藤が決勝進出、第五試合で橋本対蝶野の優勝決定戦になっていて始まる前からめちゃくちゃ興奮した思い出があるなぁ
決勝でノーマークの蝶野が優勝したときは会場大盛り上がりで座布団が舞っていた セミの藤波、馳、佐々木対ベイダー、ビガロ、ノートンも豪華すぎて凄い盛り上がっていた >>517
雑誌の予想もそうだったね。
でもまさかの蝶野優勝。
この時はあくまで単発シリーズ予定だったみたいで。
だから当時の雑誌でも『初優勝』ではなく『優勝』と。
これでG1人気大爆発で夏の定番シリーズに。
91春のスーパージュニアで保永がまさかの優勝。
それがウケたからそれに因んだらしい。
確か永島本か高橋本に書いてあった。
そんで春のジュニアも夏のG1も定番シリーズ化。 >>517
当時の雑誌予想だと
《A代表》藤波VS《B代表》橋本
《A代表》ベイダーVS《B代表》長州
《A代表》武藤VS《B代表》橋本
こんな感じただったね。
俺もこういう予想。
それまでのIWGPやMSGみたいな自然なカード。
まさか蝶野が勝ち上がるとは予想外。
それこそこん中で最もキャリア短いノートンが勝ち上がっても意外だった。
でも蝶野ならまだノートンの方が妥当とも。
蝶野は一番優勝から離れた位置にいたわけだし。 >>69
秋山は大森や小川に寝てあげたり、格上げにはちょくちょく使われてたイメージ 愛知の武藤vsノートンも盛り上がったな
ムーンサルト決まった時客が早まってスリー入ったと思って
紙テープが結構飛んだりしてた この年のG1印象薄いけどブライアンピルマンも来日してたよね この年はG1が大当たりでSGタッグも豪華メンバーを揃えた。
このSGタッグ放送なしは勿体なかった。 5月6日の後楽園(夢勝ちます)のメインが武藤vs飯塚
同時にFMWが大阪で興行してメイン終了後にガチの惨劇があったんだよね。
まぁ、これは被害者の客の自業自得なんだけどね。 この年日テレ深夜放送してた「EXテレビ」でプロレスを特集する番組があり
番組でもプロレスブームと謳っていたがホント91年はブームだと納得したよ
ここ近年もブームと言われているようだが?
まったくブームと思いません G1の両国最終日行ったけどWCWから来たレフェリーがリングに
上がったときすげぇブーイングされてたの覚えてる >>526
屋根に上がって観戦してた客が落ちたんだっけ? >>528
ビル・アルフォンソだな
ECWで女子マネのビューラとシングルで対戦したんだよな
FMWに来たときも陽気な感じな人でファンサービスもノリノリで一緒に写真撮ったなー >>521
いいから氏ねよw
>>531
フォンジーちゃんはポールEくらい凄い経歴の持ち主だなw ワールドプロレスリングクラシックスで第1回G1の名古屋を放送していたが、愛知県体育館が超満員で凄い熱気だな
88年辺りの冬の時代を完全に抜け出したと言っていい時期だな 藤波対グラップラーの時とか会場静まり返ってたよねぇ… >>530
屋根から屋根に飛び移ったら屋根が破れて下に落下した。
また、運の悪い事に下に机だったか椅子だったかが
足を上にした状態で放置されたらしく、その足の部分に身体が突き刺さり
貫通して串刺し状態になった。
直ぐに救急搬送されて病院に運ばれ、直後のマスコミ発表では一命を取り止めたと
報道されたが、後に植物状態になったとか?死亡したとかの噂されてた。 この年に開催されたG1クライマックスというのは実際は正式なシリーズ名でなかったけど
あまりの盛り上がりにシリーズ名を忘れてしまい翌年からG1クライマックスというのが
正式なシリーズ名となったとか。
確かサマーナイトフィーバーin名古屋とバイオレントストームin国技館だった。 >>537
そうだね、最初はあくまで両国三日間の単発興行だった。
だから蝶野も雑誌では『初優勝』ではなく『優勝』と書かれていた。
89年暮のワールドカップ〜も単発シリーズだから長州は『初優勝』ではなく『優勝』と。
かつてのMSGやIWGPと意味合いは同じだが。
で、G1も大当たりで翌年も開催、そこで『前年は蝶野が“初優勝”した』と書かれる。
G1も当初はバイオレンスストームin国技館でね。
これが当たらなければ翌年はまた適当にシングルリーグ戦を単発で組んだだろう。 90年は春に橋本 武藤 蝶野 健介のトーナメントがあった。
G1ほど大々的ではなかったが。
これで橋本が勝ち上がり優勝。
優勝というほどでもないか。
もしG1が大当たりしなければ後々に新日もあれだけ盛り上がらなかったかも。
G1の大成功が後々の新日の繁栄に繋がったと。
それに伴い日本マットが活性化され。
まあ日本マットっちゅうても主に全日だけだが。
U系やインディーは無関係。
Sは新日、全日から敵対視され。 橋本はG1を機に復活したね
でも翌年リックルードに負けてまた長いスランプになるんだけど 年末に大阪で行われた武藤、馳対橋本、ノートンのタイトル戦は好勝負だったなぁ〜 >>537
>G1クライマックスというのは実際は正式なシリーズ名でなかったけど
>あまりの盛り上がりにシリーズ名を忘れてしまい
いや、91年の第一回、開催前からG1クライマックスという
名称がついていたよ。
↓例えば、第一回のG1記念Tシャツ、
https://plaza.rakuten.co.jp/inokidamasii/diary/201105250000/
捜せば、もっとその証拠は出て来るだろうが。 最初は「G1クライマックス」と言う名称でなく「バイオレント・ストーム イン 両国国技館」と言う大会タイトルだったことは、あまり知られていないのではないだろうか?
?? >>543
確かチケットもバイオレット…だったような記憶 >>540
そこではなくトニーホームにRevengeしてから復活やないか?
と言っても93年にベルト取るまではイマイチな状態やけどな >>541
セミの藤波、野上vs長州、蝶野も異常な盛り上がりだった
このメンツの中野上が一番いいファイト見せてくれた >>545
バイオレンスストームだろ。
初回の決勝戦ではケロ田中が『グレードワン、リーグ戦』とコールしとる。
翌年からはコール時も『ジーワン、クライマックス』と。
初回以降は『G1』と形容される様になり。
しかしまさか30年近くも続くとはなあ。
この10数年は惰性でやってる様なもんだが。 >>549
バイオレントストーム、な
リーグ戦の名がG1クライマックスで
大会名がサマーナイトフィーバーとバイオレントストーム、ってことか 白星配給係のいないリーグ戦が大当たりの理由だったのに翌年は何故かトーナメントなんだよな >>553
92年、93年はG1って看板だけでチケット売れたからトーナメントでメンバーもフルメンバーでなくて酷かった(ルードは楽しめたけど)
反発や週プロで叩かれ過ぎたためか94年からリーグ戦に戻ったが >>527
今は「プ女子ブーム」だからな。
ファンがブームってどういうことだよ… 95の形式が良かった。
91リーグ戦
92トーナメント
93トーナメント
94リーグ戦
95リーグ戦+決勝トーナメント
96リーグ戦
97トーナメント
98トーナメント
99リーグ戦 >>556
各ブロックの一位のみ進出だとリーグ戦の最終公式戦である程度ネタバレされるから決定戦的なの有った方がいいよね 最近の同点の場合は直接対決で勝った方が決勝進出って
つまんないよね 挙げ句の果てにはこの間のジュニアタッグリーグは決勝3wayとか
同点の時は進出決定戦が必要だよ 三銃士同士が試合やると確かに長い試合になったけど
20分ぐらいまでは大技出さずグランドの攻防がほとんどで
そこから一気にスパートするから見てても疲れないし理想の試合展開だったな >>561
93年12月の名古屋の橋本vs武藤のIWGP戦が
まさにそれだった。 >>561
当時20分超える試合はあんまりないと思うけどな。
だいたい15〜18分くらいでダラダラやらないイメージ。
最近はビッグマッチの度に無理やり30分くらいやるのでダレるように感じるな、 チャンピオンカーニバルが9年ぶりに復活。
鶴田が優勝。 開幕戦のカードがハンセン対キッドと川田対クロファットだったよね >>564
正確にはチャンピオンカーニバルでリーグ戦が9年ぶりに復活だな。
シリーズ自体はずっと続いていたし(「グランド」や「ワールド」といった
修飾語がついてた年もあったが)。 何でこの年ゴディとウイリアムスはメンバーに入ってなかったの? 後から考えると全日本長岡は、良いカード組まれがち。小橋が、三沢、川田から初勝利など 11月5日 新日本の武道館大会 4大タイトルマッチ(事前発表時)
蝶野ー藤波、長州ー橋本、野上ー保永、武藤 馳ースタイナー兄弟
ところがスコットスタイナーの怪我の回復が遅れて来日キャンセル
代役にノートンが抜擢され試合は行われたが(武藤組の勝ち)
予定通りスコットスタイナーが来日して試合が行われたら
武藤 馳は勝ったのだろうか?
また、ノートンは誰と対戦した(そもそも来日したのか?)のだろうか? >>571
恐らく後藤か健吾とシングルマッチだろうな 91.12.5 千葉公園体育館
マサ斎藤 橋本 星野 vs マシン ヒロ 保永
実はマサさんと保永さんは初対決だった。。。 >>571
ノートンは武道館の2日後から始まるシリーズの参加外人に
名を連ねてたから、出る予定はあっただろう。 >>527
坂口と三沢と元子が揃って出演したんだよな。
元子と三沢も対面も生々しいが、
坂口が日テレ系の番組に出たのも驚いた。 >>576
新日勢が日テレ系の番組に出るのはそう珍しいことではない。 >>575
このシリーズは後楽園、武道館のあとだったので地方のみ回ってそっと終わった気がする
確か松本大会はテレビ中継されたよね〜 >>577
事実だとしてもお前いつも否定ばかりだな >>578
大津、姫路、戸田、松本、福井、福井、豊橋
中規模の都市ばかりの地味なシリーズだったね。
確か松本の武藤&馳vs橋本&ノートン以外は
これといったカードはなかったし。 新日の地方のカードってカード編成酷いからな
「新日の地方は手抜き」って週プロ書いてたけど試合内容は見てなかったから分からないけど明らかにカードは手抜きだった >>582
すいません…
セミが藤波、蝶野、越中対アレン他2名の6人タッグだったのと保永が松本城の前でインタビューしてたのを覚えてます 新日91年TV中継会場
3回:後楽園ホール, 両国国技館
2回:日本武道館, 札幌中島体育センター,千葉公園体育館
1回:横浜アリーナ, 大阪城ホール ,名古屋レインボーホール, 福岡国際センターetc...
番外:長野県の会場が3回も放送された(上田、諏訪湖、駒ヶ根) 訂正
長野県は4回でした。(松本、上田、諏訪湖、駒ヶ根)
すみません。 この年から全試合後に今日のダイジェストが放送されていたのが好きだったなぁ…
ヤングライオンの試合とか中堅外人の試合もちょっとだけ見れたし >>587
本来なら実力者で実際に強いアレンとレイガンズ。
この二人を負け役にするプロレスって…… 91年の地方でありがちなカードというと
メインに藤波、長州、三銃士、馳とノートンあるいばビガロ
それ以外にレイガンス、サモアン&コキーナ、ブロンド、ドク&栗栖を交えた6人タッグで
10分ちょっとで日本組の勝ちってのが多かった感じ。
同じ時期の全日本はメインで20分以上やっているので明らかに手を抜いていると言われても
おかしくなかった。 <大宮スケートセンターの思い出>
そういえば初めてプロレスを生で観戦したのがこの1991年だった。
3.21東京ドームを友人が見に行っており、自分は見に行けなかったため、どうしても関東地区でプロレスを生で観戦したかった。(当時14歳)
中3になってすぐ、埼玉県にある大宮スケートセンターまで電車+ニューシャトルに乗ってチケット買いに行った。が、中坊には料金5,000円は高すぎた。。。(ファミコンのソフトを親に黙って売ってチケットを買ったんだよなあ。)
そして当日。会場は予想以上にファンが集まっていて、なんと3,030人超満員札止めだって。立ち見も結構いたんだぞ。(出場は、藤波、長州、武藤、蝶野、馳、佐々木、ライガーなど)
目玉はトップオブザスーパージュニアUリーグ戦最終戦1個前の大会でライガーvsオーエンハート戦は、まるで決勝を見ているようでどっちが勝ってもおかしくないぐらいの好勝負。ほかにもペガサスvsカサスなど地味に面白い試合があった。
公式リーグ戦が終了し、結局、ライガー、保永、ペガサス、カサス4人が得点4で並ぶ大混戦。(4勝2敗)※当初小鉄さんが予言したとおり、全勝で勝ち上がる選手は1人もいなかった。。。
ここにオーエンハートがいないのがちと寂しい。両国、誰が上がってくるかみんな予想してたなあ。ライガーvsペガサスと予想。
この日のメインは、武藤長州藤波vsサモアンコキーナノートン。(両国での武藤vsノートンの前哨戦)コーナーマットを外されて鉄のワイヤーに額を打ちつけられ、武藤が大流血になったが、
最後はノートンを腕ひしぎ十字固めで追い込んだ。※結果はレフリータイガー服部さんのファインプレーで武藤のリングアウト勝ちになり、試合後、武藤選手は病院直行で額を13針縫うという大アクシデント試合。
5000円払っても見に行って損はないいい大会だったよ。
(1991年4月28日(日) 15:00開始、18:30頃終了)
※長文乱文で申し訳ありません。 91は新日も全日もゴールデン放送されて然るべきだったと思う。
明らかにゴールデン時代末期より盛り上がっていたし。
この年の試合をゴールデン放送しなかったのは勿体ないくらい。
視聴率もそれなりに取れただろうし。 91年は新日も一度も特番なかったな
年明けの92年1月のドーム大会が久々のゴールデン特番で
その次が新日vsUインターが成功した後の96年1月ドームだったかな
深夜の2時間特番とかは結構あった気がする 9月の新日大宮大会は台風の影響で移動バスが大幅に遅れて試合開始が8時近くになってしまった
先に到着した藤波が即席の握手会などして間を持たしてた
予定の試合は全て執り行われたが1時間半ほどの駆け足な興行だった >>597
藤波のアドリブだったんだよな
確かに試合内容的には物足りなさはあったけど藤波の神対応で元はとれた 藤波って気が利かないイメージがあるが、そんなことあったのか 握手会もいいけどそこで藤波のライブが始まって「マッチョドラゴン」歌ったらとも思う この年ってIWGPのシングルのタイトルマッチが少なかった印象
藤波が3月に獲ってからフレアーと蝶野としかやってないよね… これが藤波じゃなく長州だったら握手会なんかやるはずもなく
ただ客が待ちぼうけするだけだったな 91年のIWGPといえば、1月の藤波vsベイダー、3月のベイダーvs藤波、ドームの藤波vsフレアー、5月の藤波vs蝶野、11月の藤波vs蝶野か。前半はともかく確かに後半はほとんどやってないんだな >>603
渋い試合が多かったね〜
藤波が蝶野戦で見せた足固め式飛龍裸絞めは特に渋いフィニッシュだったなぁ この年のサマーアクション2〜ジャイアントシリーズのテレビ放映はほぼ毎週鶴田軍と超世代軍の試合が流れていた印象があり変化が無いな〜と思っていた
外人も4強ばかり出てた気がする… 台風の大宮大会ってどんなカードだったっけ?
覚えているのが馳vsロンシモンズ、スティングvs越中
メインが三銃士vsノートン&サモアン&コキーナ
だったけど、他は何があったかな。 >>608
91年11月って27年前だね。
みんな若い。
逆に27年っちゅうたらここに写ってる半分は当時は27以下では?
この時点で橋本も健介も小橋27以下だし。
そう考えると27年は大きいな。
四半世紀以上だし。
全日はまだ鶴田がいて三沢達が超世代軍の時代か。
新日は世代闘争が全日ほど明確ではなかったな。
高田が昇り調子を上げてきた時期でもあり。
懐かしい。 >>608
井上京子の隣は菊地?
あとキューティー鈴木の隣は誰? 27年経って30人中16人が現役というのはすごいな、プロ野球なら総入れ替えしてる この時代は20代のスターレスラーが本当に多かったね…
年長の馬場がまだ53歳で^木は48歳だったからな〜 >>608
その表紙のレスラー
新日所属が6人(三銃士+馳健+ライガー)
全日も6人(鶴田+三沢+川田+小橋+渕+菊地)
人数は揃えたんだろうね。
四天王の内、田上は落選か!
鶴田+三沢+川田+小橋+渕までは当選で、
最後の一人、菊地か田上かで揉めたと思う。 全日は鶴田がいるのに新日は長州、藤波がいないことに今気付いた >>617
そうなんだよね。
鶴田は当時、全日の絶対エースだから
外すわけには行かない。
あと、三沢と川田は鶴田に次ぐ存在、
小橋は若手のホープ。ジュニアも入れなけれな
ということでジュニア王者の渕と同級の若手、菊地。
さて、新日は藤波がIWGP王者、長州がG18王者、
本来ならこの二人を入れるべきだが、そうなると
あと三銃士は外すわけには行かない、それでもう5人。
馳健とジュニアのライガーを入れるために、どちらかを
外すより二人共割愛したんじゃないかな?
こういうのも、「なんで俺を表紙から外したんだ?」
とクレームが来るんだろうな。 >>616
当時はまだ四天王時代ではなかったね
ブーイングも多かったし人気度でいうと菊地の方が上だったと思う 田上がチャンピオンになったのって92年3月の武道館が初めてだったかな この頃からか?
武道館や国技館の試合終了後に路上プロレスが開催されたのは? 9月15日 広島・西条プラザ屋上特設リング。
越中vs金本
武藤vs小原
蝶野vs山本 >>597
この台風で試合開始時間が遅くなったけど
同じ日に辰吉の世界戦が行われたため
移動バスの中で世界戦が見れたというのがラッキー
だったみたい。 >>621
武道館の清水門出た辺りね。
あそこでツームストンをリクエストして「死んじゃう」コールが出て笑った >>626
99年G1で蝶野VS天山の試合で雑誌に
『8年ぶりの“初対決”が実現』
こう書いてあった。
それまで組んでいた二人が遂に対決と。 >>621
武道館の外で試合後チンポ出してマスターベーションしてるやつもいたな
上からザーメンが振ってきてかかった女が悲鳴あげてた 91年は新日の外人四天王と言われたベイダー ビガロ ノートン ホームが揃った。
SGタッグではこの四人が参戦。
ホームはまだレスラー転向前だったが、ベイダーと異種格闘技戦。
他にも91年の新日はシン アレン コキーナもおり。
外人も充実していた時期だった。 >>632
そこで4人が揃えば最初で最後の勢揃いだったんだけどベイダーが欠場したから(代役は中西)一度も揃わなかったんだよなぁ >>633
92年の両国と千葉ポートアリーナ2日続けて揃って出てる
ベイダーが欠場(代役は中西)も92年 >>634
あ、そうだ!
ベイダー欠場は92年だった!
記憶違いすまぬ 第二回GIにベイダーが出れば。
結局ベイダーの新日本ラストマッチって夏か。
サマーストラグルに参戦していたから。 >>632
ホームは最初からレスラーだニワカw
ボクサーは新日だけのギミックだ糞マヌケw >>636
6月の武道館のベイダー、ビガロ対スタイナー兄弟かな… 639むさ苦しい→この生きる価値がないクズ>>637だが、 >>638
ベイダーは92年G1欠場で秋のSGタッグも欠場。
これは残念だった。
ベイダーは新日の中心だったし。
G1前のインタではビガロ、ノートン、ホームを認めるコメント。
バンバンはベストパートナー。
スコットやトニーも凄く成長してるのがわかる。
でもナンバーワンはこのベイダー。
去年は逃したが、今年のG1は必ず優勝する。
ベイダーのG1優勝宣言もあった。
にも関わらず欠場。 >>637
地元のフィンランドではボクシングの試合もしてたんだけどな
つべにも動画あるし ベイダーは新日外人では異例の月給制だったんだけど
ベイダーがWCWばっかり優先して来日しなくなったので
新日が月給を止めたらベイダーが怒ってUインターに行っちゃった >>638
1992.7.1 熊本市体育館
ベイダーノートン VS サモアン コキーナ
が最後かも。 >>645
そのシリーズの最終戦の横浜でベイダー&ビガロvsマサ&ノートンだった。その直後にビガロが翌年ホームもWWFに移ってエース格はノートンだけになったね。 91年12月の藤波対ライガーのあったレインボーホールのメインって何でしたっけ… >>648
長州&マサvs橋本&ノートン。
それ以外に武藤&野上vsビガロ&ティムホーナー、保永vsカサス、青柳vs栗栖もあったね。 この頃の野上は何気に上の方のカードで使われてたね〜 >>70
決め手が、ビリーブラックにトップロープからホイップされたディートンのダイビングボディプレス。
試合後のリプレイで、インディージョーンズのテーマに乗ってスロー再生されるディートンのダイブがシュール過ぎて笑い転げた。 >>75
リックルードは田上とのシングルで腕引っ張ってのショートレンジラリアット出してた。
ショートレンジ系の技を日本で初めて出したのは彼? >>649
これはレインボー史上一番豪華カードだな >>653
日本では越中が最初
海外ではジェイクロバーツ
全日では川田かゴディ マシンファンの自分はよみうりランドのムタ戦にはメチャクチャ期待してた
マシンが負けるのは仕方ないと思ってたけど誰も得しないあの訳わからん結末
ムタも月下のムーンサルト不発だしなんだったんだあの試合 この年は天山、西村、小島がデビューして選手数が更に増えた
翌年に大谷、高岩、永田、石澤、中西の5人がデビューでヤングライオンも豪華な顔ぶれに 浅子とか、SWSへの大量離脱が
あって選手層が薄くなったから
入門できたんだろ? >>660
92年の秋山大森を足してもまだその差を埋められない、、、 >>661
その当時身長180越えた新人が井上への期待はファンからすると大きかったんだけどなぁ 雅央の星タイツは一応それなりに期待されてたということなのか
それとも単にジャンボと同じ山梨出身だからなのか この年の7月福岡大会は前年よりカードは落ちたけど内容で魅せてくれた
ライガーとペガサスは切ない気持ちになったし
藤波がアックスじゃなくカナディアンをフォールしたときは沸いたし
メインは文句ない好勝負だったし満足した >>667
橋本対ノートン
ライガー対ペガサス
武藤、蝶野対馳、佐々木
青柳対松永はちょっとだったけど、どの試合もいい試合だった。
会場は7割くらいの入りだったけど、いい試合ばかりだった。
普賢岳噴火直後で、長崎に新日がヘルメット持って慰問したニュースやってた。
実は長崎で猪木対山本広吉が発表されたけど、中止になった。 >>668
ライガーvsペガサスと武藤&蝶野vs馳健は当時はカットが酷かった
CSでノーカットで見れる日が来るとは思わなかった この年の全日の府立はチャンカーと最強タッグだけだったかな…第2は除いて >>672
91年は回数を絞ったてのもおおきいな。
翌年に回数を増やしだすと後半は減少に転じた。 1991.12.5 千葉公園体育館
エルカタナ&ネグロカサスVS野上彰&獣神サンダーライガー
カタナの来日はこれっきり?
https://www.dailymotion.com/video/x6sgcsv 全日本の正月開幕戦、恒例のバトルロイヤルが荒れたな。 4.18武道館で田上が川田をアームボンバーで場外KOするんだよな、アレには痺れた 生稲晃子をゲストに呼んで川田のカッコ付けが始まった。
向こうは仕事で花束渡しただけでアウトオブ眼中なのに。。 川田がおニャン子好きだったのにビックリした覚えがある。俺も秋元才加に花束渡されたかったわ。 その頃川田には嫁も子供もいたんだぜ。何故か公表はしてなかったけど。 >>682
田代まさしの子供と同級生と言ってた記憶があるな 4月の両国でのライガー対カサスのフィニッシュ技がコウモリ吊りという珍しい技だった 川田が結婚してたのは公表されなかったんだな。
あと去年引退したマシーンも知らなかった。
28年連れ添ったと言ってたから1990年頃か。 しかしG1なんてよく企画したよなぁ。個人的には現地観戦して大興奮した
この年の第1回とフレアー、ノートンが参加した第5回が好き。 しかもダークホースの蝶野が優勝だもんな
第1回はいい台本だった >>686
95年は新日トップレスラーと戦うフレアーが毎日見れて幸せだった!
公式戦終わった後も天山戦とか組んでくれたし >>687
あれは春のスーパージュニアでの保永まさかの優勝を手本にしたらしい。
保永まさかの優勝が予想外に反響が良かった。
それでG1もまさかの優勝者に、と。
そして蝶野まさかの優勝。
これが予想以上に大ヒット。
この蝶野まさかの優勝が大ヒットしたお陰でG1は新日最大の看板シリーズへと。
ただ蝶野は翌年も“まさかの二年連続優勝”にも 変わらず大してブレイクせず。
G1は大ブレイクしてるにも関わらず。
それで三度目の優勝後に自ら行動を起こしてようやくブレイク。
蝶野の視点からしたら皮肉だわな。 >>687
外人3強の参加と日本人側は三銃士、長州、藤波の本当のトップ5人
に絞ったのが素晴らしかった。白星配給役がいないというのも当時
のプヲタの心をくすぐった。
で、長州の負けブック飲みやまさかの蝶野優勝で以後、毎年開催に
なるんだからこの第1回は台本、レスラーすべてが素晴らしかった!
>>688
まさかのフレアー参戦には驚いた。全日本プロレス色と特別参加の
イメージの強いレスラー だったから彼のリーグ戦出場には時代が変
わったなぁと思わされた。またこれがいい仕事したもんなぁ。 川田は鶴田のパートナーって所が良くも悪くも足かせになってたな。
小橋は練習の鬼だし。 この年は2月の札幌と8月のよみうりランドでの藤波対木戸戦が2回ともテレビ放送されたね〜
札幌はめちゃくちゃ会場が静まり返っていた記憶が… 木戸が登場するだけで札幌中島体育センターが沸いてたのはまだ数年後かな? 新日、この年はスターケードから始まってWCWとの提携のおかげで従来
の常連外人以外にもいろいろなレスラーが見られるようになったのが夢の
ようだった。
エル・ヒガンテ&ブライアン・ピルマンのコンビがG1公式戦前に組まれ
ていたが大声援だったな。ぎこちないヒガンテのフォローを試合巧者のピ
ルマンがしっかりやっていた。
後年、ピルマンがスーパージュニアのメンバーに選ばれた時もいい仕事を
していたので早世してしまったのがかなり残念。生きていたらW★ING
とかWARに呼ばれていたかな。 ティムホーナーはあんな勿体ぶった発表させられなければ地味ながら良い外人だったのに気の毒だ… >>695
武藤も「いい選手なのに」って、イライラしてたよね。 話は一気に変わるけど、
7月頃にライガーvsペガサスキッド
をなぜマスカラコントラマスカラで戦わせたんだろう?
マスクマンで続けたってよかったのに… ペガサスがマスク脱ぎたいと言ったので、
マスクはぎという設定で脱がしたとか 700だが、
長州はG1不調で引退を示唆。
イメージ的には完全に三銃士の時代へ突入と。
しかしその後は完全復活。
藤波は藤波でこの頃はガチ不調、というか完全に浮いた存在に。 藤波好きだったけど腰悪くしてから力強さ消えたし、この頃の新日の主力は三銃士もベイダービガロノートンもヘビー級だったからキツかったんじゃ無いかって思う 703慣れさ だが、
91年の藤波は新日に居場所がない感じがした。
結局は欠場中に状況が変わりすぎた。
猪木が事実上リングから消えて主力は三銃士へと。
更に長州が実権を握り。
藤波も内心は居づらかっただろうに。 藤波の試合は年々短くなっていった印象が…
地方での外人とのシングルだと4分〜6分くらいで終わってた
TNTとのシングルも4分台でドラゴンスリーパーでとっとと終わらせてた…盛岡だったかな 岩手県営体育館かな
たしか腕ケガしてたような記憶が 706成れ無だが、
復帰後の藤波は完全に居場所を失って見えた。
無理矢理IWGP巻かせたりしたが。
長州やベイダーを破ってタイトル奪取もイマイチで。
あの欠場期間は長く感じた。
藤波の欠場中
猪木が完全にセミリタイア
長州体制
三銃士売り出し
復帰後も藤波の出る幕はなかった。
最初は復帰を喜ばれたが。 藤波自身「戻ったら居場所がなくなっていた」
と後年語っているようだ >>330
遅レスだが
鶴田がコメントしたとプロレスニュースで流れた
「お前はいい奴じゃない」
のフレーズなんか好きだった
「あそこでDDTがくるとは」に続けていったのが
このフレーズの初出だった気がするけど
違うかもしれない 居場所がないからドラゴンボンバーズだったのか、ドラゴンボンバーズなんか立ち上げたから居場所なくなったのか、どっちなんだろう。 91年7月の鹿児島大会のテレビ中継は
長州、橋本対ノートン、アレン
藤波対レイガンズ
武藤、蝶野対アックス、カナディアンジャイアント
マシン、ヒロ斉藤対栗栖、ドクと
昭和チックなカード編成が良かった
メインでアレンが怒っていたが 712ナイフだが、
この年はプロレスブームだったな。 713無いさ、だが、
91年は全日のCカーニバルより新日G1が大ヒットした。
しかし全日は全日で鶴田と三沢の対決を軸に更に人気上昇気流。
興味なかったが、FMWですら着実に人気を上げていた。 スターケードイン東京ドームの時に、シンのセコンドについてたデカいマシーンは結局誰だったんだろう あの金髪のマシーンマスク、自分もすごく気になっていたけどイコラ
イザーだったという書き込みを見て納得。 3月の新日のドームって他の大会に比べるといつもと照明の雰囲気が違うというか
全体的に明るい感じになってたね。
ドームの屋根がよく見えてた覚えがある。 >>716
だって15時開始だとまだ外が明るいから。 718無いわ、だが、
エコライザーのマシーンマスクで登場は意味不明。
シンのセコンドってのも。
『何がやりたいんだタココラ』と長州に言われただろ。 719NIKEだが、
シンとブロンドは組むと思うたけどなあ。
栗栖、ドクがシンと組んだからシンとブロンドの合体はなかったな。 >>711
金子と野口が調子乗りだして面白くなくなったな 721●ナニー“シコシコ”だが、
91年は新日も全日も明るいスタートだった。
前途洋々で。
この時代にゴールデン放送じゃなかったのは勿体ない。
ゴールデンでもそれなりに視聴率は取れたと確信。 その頃の新日本の場合、90年12月の浜松大会、92年1月の東京ドーム大会はゴールデン放送されたけど
視聴率があんまり良くなかったから後に続かなかったんだよ
そのかわり1時間半とか2時間の特番とかはたまにやってたろ
2000年の橋本負けたら引退SPのころ、その成功でしばらくゴールデン特番で放送されることが多かったけど
数字取れないしょっぱい試合の連続でチャンスを逃したw 723何さ!だが、
90年2月ドームはそれなりに視聴率取れたみたいだな。
目玉が沢山あったからね。
でも9月の横浜の猪木30周年もゴールデンで放送すべきだった。
過去の猪木VSシンを幾つか流して。
そういう説明入れた方が猪木、シンのタッグの深みが更に伝わった。
過去の両者の経緯をしっかり交えて。
ゴールデンは浜松よりこっちの方が意義があったと思う。
浜松は最大の目玉?だったエキシながら猪木VSニックが消えたり。
91年は結局はゴールデン放送無しなんだよな。
猪木自体も91年は一度も試合をしておらず。 >>284
岩手のベイダー橋本もしたんでしょ?たしか。
新日本プロレスワールド 頼むからそれ入れて欲しかった。 >>722
全日は88年の2度目のゴールデン陥落以降は特番さえもゴールデンでは
全くやらなかったからな。 新日はテレ朝が株主でも有るからなぁ
後、野球がこの時代はまだ強かったから巨人戦の有る日テレに取ってそんなに重要なコンテンツじゃなかったんだろ 731浪井だが、
後楽園ホールは一階会場と誤認識され続けてきたかんな。 東京ドームでシンのセコンドについた偽マシンはイコライザーなのはバレバレだったが、週プロが、控室が一緒だったあの選手か?とか半分暴露しててジュース吹いた(笑)。 この年は巨人が弱くて、原辰徳がプロレスニュースに静止画面で登場、果ては福澤が例の声まねまでして笑った。
原が今のジャイアンツを救えるのはプロレスしかないよ→それを聞いたある巨人ファン「プロレスじゃなくてあんたのバットで救ってくれ」(笑) 734名指しだが、
エコライザーにマシーンマスク被せたのは意味不明。
またシンのセコンドに付かせたのも同じく。
しかも試合中に乱入するわけでもなく。
また試合後にシン救出で長州を襲う事もせず。
ただいるだけ。
新日側が『シンの傍で立ってるだけでいい』と仕事を与えただけか?
ノートン戦が不甲斐なかったから。
雑誌見たら試合後にシンが長州の控え室を襲撃。
そこに本家マシーン等ブロンドがシンを止める写真が。
エコライザーマシーンはそこでも突っ立ってるだけの姿が。 735奈美子だが、
新日初登場のスティングも塩だったかんな。
こりゃ日本では受けんわ。
そう思うたわい。
知り合いはスティングを『スチング』とバカにしてたわ。
試合でもスティングは毒霧吹かれていいところがなかった。
ムタばかりが目立ち。
スティングはムタと対等のはずが、ムタの対戦相手程度に見えた。 739波急だが、
>>736
当時の動画や雑誌には金髪の後ろ髪が見えてる。
ただあの演出は今も意味不明だが。
その後はシンとブロンドが悪の合体を果たすと思った。
でもシンは栗栖と組んでたからその敵のブロンドとは組まず。
シン ドク 栗栖VSブロンドと。
あのまんまシンがいたらブロンドと組んだだろうが。 語呂合わせキチガイガラケーにレス返すアホがいるからこのキチガイ
ハイテンションになっちゃって荒らしまくっているじゃないか
荒らし、しかもキチガイに加担するとは同じような精神異常者たちか スーパーフェブラリィ’91
最終戦千葉公園体育館
藤波越中青柳 vs シン栗栖ペガサス
この試合どなたかアップしてくれませんか?
まさかの小鉄vsタイガーシンの小競り合いが見れるよ。 確かこの千葉大会の中継、ニュース速報入らなかったか?録画したから、そのまま残ってしまった。
どんなニュースか忘れたが。 シンと小鉄って
四角いカメラケースみたいなの取り合いしたやつか? そうそう!小鉄さんのジェラルミンケースをシンが奪ったやつ! 746な、読む、だが、
小鉄とシンは関連性が深いな。
シンが初来日でリングに乱入したのも小鉄の試合。
小鉄もシンは認めていたし。
新日創成期にシンのお陰で新日は一気に登り調子になったかんな。
小鉄は高橋以上にシンを認めていたのかも。 >>743
地方ニュースなら入ってない地域もあるぞ >>743, 747
タイ・バンコクでクーデターが発生
ラジオ・テレビ3局が占拠された >>748
>>743だが、確かにそういう事件あった。死者も出て惨事だった。貴重な情報ありがとうございました。
ちなみに3月のチャンピオンカーニバルの中継、鶴田対カクタスの中で地震情報が速報で入った。
ニュース速報や地震情報は録画したらそのまま入るんだよな。 ニュース速報のテロップで盛り上がるのは珍しいなw
ちなみに翌年の全日中継中の岩崎恭子金メダル速報は何とも思わなかったw >>750
そうしたいのはやまやまだが、引っ越しのとき、VHSテープがなくなった。すまん。 >>750
ネットでいろいろ探したけど、なかったです。 オープニングしかありませんが、山本小鉄vsタイガージェットシンが下記サイトで見れます。
https://www.dailymotion.com/video/x6ss2r8 バトルオータムの徳島大会、TV中継は中継だったけど後半は闘魂三銃士SPだった。その三銃士はOPで阿波踊り踊って橋本が祭りはパワーって言ってた。
でもなぜ徳島がテレビ中継されたんだろな。 武藤が釣りをして、釣った魚が額を割っていた。そしたら武藤が、次にムタになったとき、対戦相手はこうなります!は笑った。
ほのぼのした場面でそれ言うか?みたいな(笑)。 この頃の読売新聞東京版ラテ欄。渕の名前が必ず淵になっていたのはただの誤植だったんだろうか?ラテ欄って局の人間が作るから間違え続けるのが不思議でしょうがなかった >>757
テレビ欄といえば、全日本プロレス中継ではなく、番組名がプロレスリングにいつもなってた。
福岡だけなのかわからんが、ワールドプロレスリングど同じような表記だった。 7月。横須賀でリック・ルード&エースがディートン&ブラックに勝ったのに、頻繁に組んでいる小橋&エースが後楽園でディートン&ブラックに負けるという矛盾。
あとルードのフィニッシュがしょぼかったw >>755
この時の橋本メインの映像が横浜アリーナの
トニーホーム戦の煽りVとして使われてたね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています