1991年の新日本、全日本
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新日 G1クライマックス SGタックリーグがスタート、トップオブスーパージュニアの復活の年
全日 超世代軍の人気が大爆発
後楽園のチケットが取れなくなった年 >>582
すいません…
セミが藤波、蝶野、越中対アレン他2名の6人タッグだったのと保永が松本城の前でインタビューしてたのを覚えてます 新日91年TV中継会場
3回:後楽園ホール, 両国国技館
2回:日本武道館, 札幌中島体育センター,千葉公園体育館
1回:横浜アリーナ, 大阪城ホール ,名古屋レインボーホール, 福岡国際センターetc...
番外:長野県の会場が3回も放送された(上田、諏訪湖、駒ヶ根) 訂正
長野県は4回でした。(松本、上田、諏訪湖、駒ヶ根)
すみません。 この年から全試合後に今日のダイジェストが放送されていたのが好きだったなぁ…
ヤングライオンの試合とか中堅外人の試合もちょっとだけ見れたし >>587
本来なら実力者で実際に強いアレンとレイガンズ。
この二人を負け役にするプロレスって…… 91年の地方でありがちなカードというと
メインに藤波、長州、三銃士、馳とノートンあるいばビガロ
それ以外にレイガンス、サモアン&コキーナ、ブロンド、ドク&栗栖を交えた6人タッグで
10分ちょっとで日本組の勝ちってのが多かった感じ。
同じ時期の全日本はメインで20分以上やっているので明らかに手を抜いていると言われても
おかしくなかった。 <大宮スケートセンターの思い出>
そういえば初めてプロレスを生で観戦したのがこの1991年だった。
3.21東京ドームを友人が見に行っており、自分は見に行けなかったため、どうしても関東地区でプロレスを生で観戦したかった。(当時14歳)
中3になってすぐ、埼玉県にある大宮スケートセンターまで電車+ニューシャトルに乗ってチケット買いに行った。が、中坊には料金5,000円は高すぎた。。。(ファミコンのソフトを親に黙って売ってチケットを買ったんだよなあ。)
そして当日。会場は予想以上にファンが集まっていて、なんと3,030人超満員札止めだって。立ち見も結構いたんだぞ。(出場は、藤波、長州、武藤、蝶野、馳、佐々木、ライガーなど)
目玉はトップオブザスーパージュニアUリーグ戦最終戦1個前の大会でライガーvsオーエンハート戦は、まるで決勝を見ているようでどっちが勝ってもおかしくないぐらいの好勝負。ほかにもペガサスvsカサスなど地味に面白い試合があった。
公式リーグ戦が終了し、結局、ライガー、保永、ペガサス、カサス4人が得点4で並ぶ大混戦。(4勝2敗)※当初小鉄さんが予言したとおり、全勝で勝ち上がる選手は1人もいなかった。。。
ここにオーエンハートがいないのがちと寂しい。両国、誰が上がってくるかみんな予想してたなあ。ライガーvsペガサスと予想。
この日のメインは、武藤長州藤波vsサモアンコキーナノートン。(両国での武藤vsノートンの前哨戦)コーナーマットを外されて鉄のワイヤーに額を打ちつけられ、武藤が大流血になったが、
最後はノートンを腕ひしぎ十字固めで追い込んだ。※結果はレフリータイガー服部さんのファインプレーで武藤のリングアウト勝ちになり、試合後、武藤選手は病院直行で額を13針縫うという大アクシデント試合。
5000円払っても見に行って損はないいい大会だったよ。
(1991年4月28日(日) 15:00開始、18:30頃終了)
※長文乱文で申し訳ありません。 91は新日も全日もゴールデン放送されて然るべきだったと思う。
明らかにゴールデン時代末期より盛り上がっていたし。
この年の試合をゴールデン放送しなかったのは勿体ないくらい。
視聴率もそれなりに取れただろうし。 91年は新日も一度も特番なかったな
年明けの92年1月のドーム大会が久々のゴールデン特番で
その次が新日vsUインターが成功した後の96年1月ドームだったかな
深夜の2時間特番とかは結構あった気がする 9月の新日大宮大会は台風の影響で移動バスが大幅に遅れて試合開始が8時近くになってしまった
先に到着した藤波が即席の握手会などして間を持たしてた
予定の試合は全て執り行われたが1時間半ほどの駆け足な興行だった >>597
藤波のアドリブだったんだよな
確かに試合内容的には物足りなさはあったけど藤波の神対応で元はとれた 藤波って気が利かないイメージがあるが、そんなことあったのか 握手会もいいけどそこで藤波のライブが始まって「マッチョドラゴン」歌ったらとも思う この年ってIWGPのシングルのタイトルマッチが少なかった印象
藤波が3月に獲ってからフレアーと蝶野としかやってないよね… これが藤波じゃなく長州だったら握手会なんかやるはずもなく
ただ客が待ちぼうけするだけだったな 91年のIWGPといえば、1月の藤波vsベイダー、3月のベイダーvs藤波、ドームの藤波vsフレアー、5月の藤波vs蝶野、11月の藤波vs蝶野か。前半はともかく確かに後半はほとんどやってないんだな >>603
渋い試合が多かったね〜
藤波が蝶野戦で見せた足固め式飛龍裸絞めは特に渋いフィニッシュだったなぁ この年のサマーアクション2〜ジャイアントシリーズのテレビ放映はほぼ毎週鶴田軍と超世代軍の試合が流れていた印象があり変化が無いな〜と思っていた
外人も4強ばかり出てた気がする… 台風の大宮大会ってどんなカードだったっけ?
覚えているのが馳vsロンシモンズ、スティングvs越中
メインが三銃士vsノートン&サモアン&コキーナ
だったけど、他は何があったかな。 >>608
91年11月って27年前だね。
みんな若い。
逆に27年っちゅうたらここに写ってる半分は当時は27以下では?
この時点で橋本も健介も小橋27以下だし。
そう考えると27年は大きいな。
四半世紀以上だし。
全日はまだ鶴田がいて三沢達が超世代軍の時代か。
新日は世代闘争が全日ほど明確ではなかったな。
高田が昇り調子を上げてきた時期でもあり。
懐かしい。 >>608
井上京子の隣は菊地?
あとキューティー鈴木の隣は誰? 27年経って30人中16人が現役というのはすごいな、プロ野球なら総入れ替えしてる この時代は20代のスターレスラーが本当に多かったね…
年長の馬場がまだ53歳で^木は48歳だったからな〜 >>608
その表紙のレスラー
新日所属が6人(三銃士+馳健+ライガー)
全日も6人(鶴田+三沢+川田+小橋+渕+菊地)
人数は揃えたんだろうね。
四天王の内、田上は落選か!
鶴田+三沢+川田+小橋+渕までは当選で、
最後の一人、菊地か田上かで揉めたと思う。 全日は鶴田がいるのに新日は長州、藤波がいないことに今気付いた >>617
そうなんだよね。
鶴田は当時、全日の絶対エースだから
外すわけには行かない。
あと、三沢と川田は鶴田に次ぐ存在、
小橋は若手のホープ。ジュニアも入れなけれな
ということでジュニア王者の渕と同級の若手、菊地。
さて、新日は藤波がIWGP王者、長州がG18王者、
本来ならこの二人を入れるべきだが、そうなると
あと三銃士は外すわけには行かない、それでもう5人。
馳健とジュニアのライガーを入れるために、どちらかを
外すより二人共割愛したんじゃないかな?
こういうのも、「なんで俺を表紙から外したんだ?」
とクレームが来るんだろうな。 >>616
当時はまだ四天王時代ではなかったね
ブーイングも多かったし人気度でいうと菊地の方が上だったと思う 田上がチャンピオンになったのって92年3月の武道館が初めてだったかな この頃からか?
武道館や国技館の試合終了後に路上プロレスが開催されたのは? 9月15日 広島・西条プラザ屋上特設リング。
越中vs金本
武藤vs小原
蝶野vs山本 >>597
この台風で試合開始時間が遅くなったけど
同じ日に辰吉の世界戦が行われたため
移動バスの中で世界戦が見れたというのがラッキー
だったみたい。 >>621
武道館の清水門出た辺りね。
あそこでツームストンをリクエストして「死んじゃう」コールが出て笑った >>626
99年G1で蝶野VS天山の試合で雑誌に
『8年ぶりの“初対決”が実現』
こう書いてあった。
それまで組んでいた二人が遂に対決と。 >>621
武道館の外で試合後チンポ出してマスターベーションしてるやつもいたな
上からザーメンが振ってきてかかった女が悲鳴あげてた 91年は新日の外人四天王と言われたベイダー ビガロ ノートン ホームが揃った。
SGタッグではこの四人が参戦。
ホームはまだレスラー転向前だったが、ベイダーと異種格闘技戦。
他にも91年の新日はシン アレン コキーナもおり。
外人も充実していた時期だった。 >>632
そこで4人が揃えば最初で最後の勢揃いだったんだけどベイダーが欠場したから(代役は中西)一度も揃わなかったんだよなぁ >>633
92年の両国と千葉ポートアリーナ2日続けて揃って出てる
ベイダーが欠場(代役は中西)も92年 >>634
あ、そうだ!
ベイダー欠場は92年だった!
記憶違いすまぬ 第二回GIにベイダーが出れば。
結局ベイダーの新日本ラストマッチって夏か。
サマーストラグルに参戦していたから。 >>632
ホームは最初からレスラーだニワカw
ボクサーは新日だけのギミックだ糞マヌケw >>636
6月の武道館のベイダー、ビガロ対スタイナー兄弟かな… 639むさ苦しい→この生きる価値がないクズ>>637だが、 >>638
ベイダーは92年G1欠場で秋のSGタッグも欠場。
これは残念だった。
ベイダーは新日の中心だったし。
G1前のインタではビガロ、ノートン、ホームを認めるコメント。
バンバンはベストパートナー。
スコットやトニーも凄く成長してるのがわかる。
でもナンバーワンはこのベイダー。
去年は逃したが、今年のG1は必ず優勝する。
ベイダーのG1優勝宣言もあった。
にも関わらず欠場。 >>637
地元のフィンランドではボクシングの試合もしてたんだけどな
つべにも動画あるし ベイダーは新日外人では異例の月給制だったんだけど
ベイダーがWCWばっかり優先して来日しなくなったので
新日が月給を止めたらベイダーが怒ってUインターに行っちゃった >>638
1992.7.1 熊本市体育館
ベイダーノートン VS サモアン コキーナ
が最後かも。 >>645
そのシリーズの最終戦の横浜でベイダー&ビガロvsマサ&ノートンだった。その直後にビガロが翌年ホームもWWFに移ってエース格はノートンだけになったね。 91年12月の藤波対ライガーのあったレインボーホールのメインって何でしたっけ… >>648
長州&マサvs橋本&ノートン。
それ以外に武藤&野上vsビガロ&ティムホーナー、保永vsカサス、青柳vs栗栖もあったね。 この頃の野上は何気に上の方のカードで使われてたね〜 >>70
決め手が、ビリーブラックにトップロープからホイップされたディートンのダイビングボディプレス。
試合後のリプレイで、インディージョーンズのテーマに乗ってスロー再生されるディートンのダイブがシュール過ぎて笑い転げた。 >>75
リックルードは田上とのシングルで腕引っ張ってのショートレンジラリアット出してた。
ショートレンジ系の技を日本で初めて出したのは彼? >>649
これはレインボー史上一番豪華カードだな >>653
日本では越中が最初
海外ではジェイクロバーツ
全日では川田かゴディ マシンファンの自分はよみうりランドのムタ戦にはメチャクチャ期待してた
マシンが負けるのは仕方ないと思ってたけど誰も得しないあの訳わからん結末
ムタも月下のムーンサルト不発だしなんだったんだあの試合 この年は天山、西村、小島がデビューして選手数が更に増えた
翌年に大谷、高岩、永田、石澤、中西の5人がデビューでヤングライオンも豪華な顔ぶれに 浅子とか、SWSへの大量離脱が
あって選手層が薄くなったから
入門できたんだろ? >>660
92年の秋山大森を足してもまだその差を埋められない、、、 >>661
その当時身長180越えた新人が井上への期待はファンからすると大きかったんだけどなぁ 雅央の星タイツは一応それなりに期待されてたということなのか
それとも単にジャンボと同じ山梨出身だからなのか この年の7月福岡大会は前年よりカードは落ちたけど内容で魅せてくれた
ライガーとペガサスは切ない気持ちになったし
藤波がアックスじゃなくカナディアンをフォールしたときは沸いたし
メインは文句ない好勝負だったし満足した >>667
橋本対ノートン
ライガー対ペガサス
武藤、蝶野対馳、佐々木
青柳対松永はちょっとだったけど、どの試合もいい試合だった。
会場は7割くらいの入りだったけど、いい試合ばかりだった。
普賢岳噴火直後で、長崎に新日がヘルメット持って慰問したニュースやってた。
実は長崎で猪木対山本広吉が発表されたけど、中止になった。 >>668
ライガーvsペガサスと武藤&蝶野vs馳健は当時はカットが酷かった
CSでノーカットで見れる日が来るとは思わなかった この年の全日の府立はチャンカーと最強タッグだけだったかな…第2は除いて >>672
91年は回数を絞ったてのもおおきいな。
翌年に回数を増やしだすと後半は減少に転じた。 1991.12.5 千葉公園体育館
エルカタナ&ネグロカサスVS野上彰&獣神サンダーライガー
カタナの来日はこれっきり?
https://www.dailymotion.com/video/x6sgcsv 全日本の正月開幕戦、恒例のバトルロイヤルが荒れたな。 4.18武道館で田上が川田をアームボンバーで場外KOするんだよな、アレには痺れた 生稲晃子をゲストに呼んで川田のカッコ付けが始まった。
向こうは仕事で花束渡しただけでアウトオブ眼中なのに。。 川田がおニャン子好きだったのにビックリした覚えがある。俺も秋元才加に花束渡されたかったわ。 その頃川田には嫁も子供もいたんだぜ。何故か公表はしてなかったけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています