1991年の新日本、全日本
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新日 G1クライマックス SGタックリーグがスタート、トップオブスーパージュニアの復活の年
全日 超世代軍の人気が大爆発
後楽園のチケットが取れなくなった年 新日もイッテンヨンの次の日に後楽園ホール興行やるようになったしな >>233
ちょうど都知事選出馬→断念とかあった時期だね
あと痛風 91年は藤波のドラゴンボンバーズに期待したな。
団体の枠を越えて他団体にも上がる、と宣言。
団体の(制約に)縛られず自由に動くのを趣旨として結成。
ドラゴンボンバーズで全日に乗り込む、とも宣言して。
他はUはスタイルが違う。
Sは新日全日の敵対団体だから無いと。
またFはデスマッチ基本だから肌が合わない。
ドラゴンボンバーズで全日参戦を本気で期待したし実現すると信じた。
しかし結果的にドラゴンボンバーズが他団体に上がる事はなかった。
団体の制約から解き放たれる事はなく。 >>231
SDDってまた懐かしいチーム名だな。ゴングを読んでた人しかわからないけどw >>238
話によると藤波の趣旨に則れば新日側が契約解除→自由契約を提示してきた。
フリー契約になれば団体の制約は無くなるが、他のリスクが大きい。
取り敢えず契約してる以上は新日という大きな城に守られてきた。
しかしそれが無くなれば自由に動ける反面、保証もなくなる。
ただ藤波(達)にはどちらかの選択肢はあったとの事。
しかしそのリスクを考えた末に藤波はフリー契約を断念。
他のメンバー(越中、ライガー、飯塚)も同じく。
その為に藤波のドラゴンボンバーズとしての全日参戦は水の泡に。
かなりぃ前にこんな記事を読んだ事ある。 >>238
全日本云々の前に、新日本の中でも何もやってないけどな。 >>240
ドラゴンボンバーズの名称するまで藤波部屋と呼ばれてたね ドラゴンボンバーズかあ、戦闘竜だか南海龍だかが警察相手に大暴れ、くらいしか
記憶にないな。 殺人魚雷プラスルードという6人タッグをtvで見た記憶があるが(相手チームは失念)
ルードは流れについてくだけで精いっぱいという感じだった。あと世界のプロレスで
見たときよりかなり瘦せた印象を受けた。生では見れなかったが二重履きタイツ脱ぎ、
とかはやったのかな? >>245
都城でvs三沢、川田、菊地。
ホールでvs鶴田、田上、マイティーだった気がする。ユーチューブで最近観たよ。たぶん検索するとヒットすると思う。 ルードは新日で輝いたね〜
蝶野戦、馳戦ではメデューサ等の女子マネを連れだった嫌みなヒールっぷりがハマってて、当時はこいつ負けろと本気で思って見てたなぁ… 全日では、かなり無理してハイスパットさせられてた(というかやらざるをえなかったか)ように見えたなぁ
新日でのルードが本来の姿かな、ゆったりしたリズムで見応えがあった お国じゃルードのほうが全然格上なんだろうけど日本じゃ殺人魚雷の下だから肉体的
以上に精神的にもきつそうだ。その上控室で喰らわされたりするんじゃ帰りたくなって
も仕方ないかな。ハンセンはわからんがゴーディ、ウィリアムスにしてみりゃ自分の地
位を脅かす可能性のある奴の世話を焼いたりなどしっこないしね。 この頃はショーマンスタイルの新日、
ストロングスタイルの全日と両団体のカラーが入れ替わってたな。
新日の場合は第2次UWFの影響が大きいんだろうけど。 新日の秋のシリーズにフランクアンダーソンって来てたよね〜
どんなレスラーだったんだろう… この年のG1が今までで一番の最強メンバーだと思ってる俺 >>254
92年にベイダーが参戦してたらなあ。
でも91年は確かにベスト。
所謂(いわゆる)白星配給が見当たらず。
8人の中で若干劣ったのが蝶野。
しかしその蝶野がまさかの優勝だかんな。
当初はこのG1は毎年恒例にする予定ではなかったみたい。
単発的なイベントで。
『“サマーナイトフィーバー”バイオレンスストームin国技館』だった。
その中で『グレードワン クライマックス』と。
だから『第一回』とか『初優勝』という言葉はなく。
そして蝶野のまさかの優勝で大成功。
それで夏の風物詩として継続された。
このG1が90年代の新日の人気を大きく支えたとも言われ。
このG1の蝶野まさかの優勝は春のスーパージュニアでの保永まさかの優勝からきた。
紙プロで永島が言ってた。
『まさか』が受けるのがわかった、とね。 91年当時そこそこ名の通った会社に入社したんだが、g1の長州3連敗に立ち直れない
までのショックを受けて出社拒否、から退職した5年上の先輩社員がいた。今は傷も癒
えたらしく元気に東京のお笑い大手芸能事務所で座付き作家をやってる。 >>255
サマーナイトフィーバーは名古屋大会の冠だったはず
両国は、バイオレントストームイン国技館
つか>>50と同じこと書かなくていいよ 4/18の武道館もチャンピオンカーニバルってついてたっけ?。
特別興業じゃなかったっけ?。 >>257
それまでの新日、特に昭和の頃は『猪木優勝』が定番だった。
絶対的エース猪木が優勝しないのはあり得ない。
また猪木優勝も説得力あり。
でも時代は平成に変わり、『誰が優勝するのか?』『まさかの優勝』が受ける時代に。
それも全くノーマークだった蝶野の優勝。
猪木の様な絶対的エースがいなくなった事により。
まあタイトルマッチでは勝てないのにG1では優勝。
蝶野以外でもそういう選手はいたが。 81年の初代がデビューしてからタイガーマスクが存在しなかった唯一の年。 この年のワープロは試合だけでなくスポット企画みたいなのがあったね
浜口親子のトレーニング教室とか藤波とか越中がわんこそば食べてたり >>258
括りはチャンピオンカーニバルだけど事実上は特別興行だね。
三沢は優勝戦にすら出られず武道館でも敗れた。鶴田は愛知でハンセンに勝って優勝、武道館では三沢に勝って防衛。
今はこんなブック書かないよね。 >>263
今だと優勝候補が開幕戦で敗退、チャンピオンは
リーグ戦の優勝できないとかだけど、逆にそういうのって
何か白ける。
普通にチャンピオンがそのまま優勝でもいいのになって思うことも。 ゴルフで潰されなかったら1月、9月の大阪大会やG1の2日目3月の広島大会も
放送されただろうしSGタッグも最低3週ぐらいは使ってただろうね 両国二日目がノーテレビなの痛い
武藤vsベイダー見たかった >>264
まぁ凄いパターンにはまってる気はするよね
カーニバルとか最強タッグとか普通にチャンピオンの馬場が優勝してたんやからそれでいいのにな >>265
1月の大阪ってベイダーvsランボーと藤波、マサvs長州、橋本?だっけ。観に行ったけどあまり覚えのない大会だわ >>266
あの時武藤が勝ったあとものすごい数の座布団舞って、この大会は大成功だと確信したよ。翌日は試合前に座布団投げるなってケロが試合前に注意した記憶ある なぜ第二次Uはあんなにしょっぱかったのか?(´・ω・`) >>266
単にノーテレビでなく映像として残っていないのが残念でならない。せめてカメラはまわして欲しかった。 >>266
ノーテレビってなんか久しぶりに見るな(笑) つまり猪木もタイガーマスクも
いない一年だったのか!?
それで年の前半(6月まで)は
G・馬場も欠場した1991年か! >>264>>267
最近の新日のG1なんか特に酷いと思う。石井がIWGPに挑戦したところで獲るはず無いのに。ただ消化するだけのタイトル戦。
リーグ戦は事実上の次期挑戦者決定リーグ。4年に一度くらいはIWGP王者が優勝したっていいだろうに。
それを考えると91年鶴田、92年ハンセンのチャンピオン優勝は良かったと思う。 >>266
まだあるか知らないけど、隠し撮りした動画はyoutube で見たよ。
武藤がベイダーにジャーマン決めてた。 >>255
IWGPのリーグ戦も当初は2回目以降はなかったはずなんだよな
第1回が終わって 猪木が欠場から明けて IWGPチャンピオンのホーガンに挑戦って確かテレビでも言ってたはずなんだ この時代はまだノーテレの試合は会場にテレビカメラが入ってなかった。
後々の価値がなくなった時代はどこも会場にテレビカメラが入り。
雑誌でもG1の全公式戦を掲載とか。
全公式戦の掲載は昭和の最強タッグやMSGタッグ等で見たかったわ。
注目してた試合が地方でどの雑誌も掲載なし。
知るのは結果のみ。
いつだったか、G1全公式戦をダイジェスト込みで放送とかなかった?
91年G1でそれをやってくれたら。
そうすれば武藤×ベイダーも見られた。
後々の価値がなくなってからそうなって、何か皮肉だな。 G1の二日目は武藤対ベイダーの他に、
長州対橋本、藤波対ノートン、蝶野対ビガロがあったんだよね
蝶野がビガロに卍固めで勝った試合とか見たかったな〜 >>279
その日が一番面白かったよ
メインで武藤がベイダーからフォールした後の座布団乱舞は忘れられない
二階で見てたから混ざれなかったが圧巻の光景だった >>280
俺もその日は生観戦した。
なんといっても、橋本が
泣きながら、絶不調の長州に
蹴りを見舞いフォール勝ちしたんだな。
藤波とノートンは両リンで
大ブーイングが起きたが、
メインで武藤がベイダーに
フォール勝ちしたので
俺(観客)は満足して帰った。 読売ランドEASTでやった、ムタvsマシン
試合後、マシンはなんて叫んでいたの?
滑舌が悪すぎて何言っているか全然わからなかった(笑) とにかく、土曜夕方はゴルフゴルフゴルフでムカついて
いたなあ。 関西は夏の高校野球で流れるのも痛かった
88年は何とか猪木vs藤波が雨天中止で観れたが、89年は長州vsベイダー、91年はG1の名古屋が流れてる >>281
藤波対ノートンって珍しい組み合わせだよね >>283
同感。
91年といういい時期が放送潰されたのは痛い。
G1は三日間だから全部放送して欲しかった。
AB4人づつのリーグ戦だから公式戦全部放送可能だろと。
後々のG1公式戦の無意味、無価値な試合はダイジェストでも放送してんのに。
見たくもない試合を放送されて肝心な試合は放送されず。
本当に初回のG1は誰が優勝するかわからないメンバー。
10年前の81年の新日ならば。
猪木、坂口、藤波、ハンセン、シン、アンドレ、ローデス、バックランド。
この8人が参加する様なもんだし。
それで藤波がまさかの優勝と。 >>288
92年暮れの世界最強タッグかな
なので田上のパートナーに9月デビューの秋山が抜擢された >>290
そう…だな??92年9月デビューだが何かおかしい事書いてるか? >>286
シングルだとそれが唯一?
>>282
「お前に天下取らせないからな!」だったかな? >>289
てことはデビュー年で最強タッグに出てたのか
すげえな
スパイビーが薬やめて痩せてきたのもこの辺りからだよな >>293
スゲエと言えば、
9月にデビューして翌シリーズの
最強タッグに参加だから2か月だな。
でも、これは欠場した鶴田の代役。
それを言ったら、新日の中西なんか
SGタッグリーグでデビュー。
これもベイダーの代役だがな。 田上と秋山の急造タッグ、この時ばかりは田上が頼もしく思えたな。 もし秋山が新日ならそれなりに売り出されただろう。
逆に中西が全日なら本田みたいな扱いで終わった感じがする。 秋山のデビュー時の扱いは良すぎた、浅子と雅夫央が不憫に思うくらい。あと大森はデビューからノーフィアー結成まで扱いはとにかく酷すぎた。92年デビュー選手の話でごめんな。
91年に話を戻すとサザンロッカーズ、エキサイトシリーズに再来日のランドオブジャイアンツとデブ兄弟、ステイトポリス、ブラックハーツと、B級のタッグチームを見るのは楽しかった。 >>107
亀だが、TNTはWINGに行きたくなかったけど
プエルトリコのしがらみで行くしかなかったみたいだな。
ただ、おそらくWINGでのTNTVS斎藤彰俊の試合見て
斎藤メインで新日VS誠心会館のアングルが決まっただろうから
何が幸いするかわからないな。 新日の年末シリーズにエルカタナっていうメキシカン来てたよね
ライガーがメキシコで世話になったそう
リングシューズが上げ底で小鉄が見てて危なっかしいって言ってたなぁ 91年ドーム大会に90年ドーム大会の再来を期待した。 >>294
ベイダーのドタキャンがなかったら中西はドームでデビューだっただろうな。 WCWと新日のただならぬ関係は91年ごろから?
でもリックルードとかカクタスジャックなんかは
同じ頃全日に上がってんだよね >>306
団体としてのWCW(新日)>>>プロモート連盟としてのNWA(全日)
になりつつあった時期だね
その後、NWAを脱退したWCWは、WWFとの月曜戦争へ >>301
ネグロカサスと組んでた試合かな
そのOAでしか観たことないかも >>298
新幹線の描かれたジャンパー着ていたランディローズ&マイクゴールデンに対してステイトポリスが交通違反の切符出して怒ったローズとゴールデンが奇襲をかけるってやりとりが良かった。 2月、新日本駒ヶ根大会
試合中お客さんのヤジが選手に聞こえてしまい
後藤達俊がお客さんの前でブチ切れ。
よく聞き取れなかったんですが、
何て言ったんですかね? この時期に後藤が切れたのって「うまのすけー」とか受け狙ったヤジのがしつこかったって聞いたこと有るけど、それかな? この年の年末に馳がシンに沼へ落とされてたのが週プロの表紙になってたね >>314
その年の最強タッグは全会場超満員か満員だったな。
名古屋と福岡の会場は小さいとこだからその点は割り引いて考えるべきだけど。 >>311
ありがとうございます。すっきりしました。 この年の最強タッグ大阪で三沢、川田対小橋、菊地の超世代軍の対決があったね〜 その後、三沢・川田・小橋と菊地との差は広がっていったな
ジュニアだからってのも有ったけど 菊地が世界ジュニアを獲ったのは8度目の挑戦だっけ?小川は4度目。
酷い扱いするよね、これじゃ菊地の商品価値が無くなるだけなのに。4度目くらいで獲らせるのが最も理想的かな。
たまにいるけど初挑戦初戴冠て好きじゃない。 前年にはハル薗田メモリアルマッチとして
三沢&菊地vs川田&小橋 というカードが組まれたこともあった。 >>320
菊地は、ジュニアのベルトを獲る前にアジアタッグを獲得しているんだよな。(自身も防衛戦で渕と秋山にフォール勝ち)
同じ括りにクロファットもいるけど、こちらはカンナムエクスプレスとしてのアジアタッグ戦線が中心でジュニアに絡み始めたのも渕政権の末期から、小川や菊地の壁としての役割だったから、菊地とは扱い違うしな。 菊地は浅子が台頭してきてから徐々に迷走していったよね… 30過ぎても、玉砕火の玉ファイトって訳にもいかんでしょ。
その菊地が最強タッグで唯一自ら勝利した相手がサニー・ビーチ >>323
台頭したと言っても世界ジュニア取れなかったね YouTubeで見てたんだけど、この年の最強タッグいいな。最終戦観に行ったけど忘れてた。YouTube見ながら声だしちまったよ。川田が三沢と組んでた時が90年代の最高の時代だな。俺的にはだけど 新鮮味があったからかな〜
四天王から毎回同じようなカードの繰り返しで食傷気味になったなぁ 四天王プロレスは必殺技が必殺技になっていないのが受け付けなかった。大技返しちゃう、30分以上戦えば凄いと思ってる。
第一次超世代軍の頃の90年〜92年の方が間違いなく面白かった。
鶴田vsハンセン、三沢vsハンセンが意外なフィニッシュということも何度かあったけど当時はそれでも良かった。
90年になるけど鶴田がゴディにDDTで負けたのは意外。まあ、それもアリだと思うけど。 やっぱり頂点に登り詰める過程がいいんだな。ゴディウィリアムスハンセンって言う壁に必死に立ち向かう姿が良かった 91年になると全日は量より質という感じだったな。
内容は外さないと。
新日は逆に質より量と。
91年の新日は日本人外人共に駒が揃っていた。
内容より質で魅せるという。
だから外す試合は幾つも。
全日は派手さはなくとも外れなし。
新日は派手さは凄いが当たり外れも凄い。 333だが、どちらも盛り返して黄金時代を迎えてたかんな。 全日は同じメンバーで高めていった感じはあるな
新日はWCWも含めて初顔合わせが多かったしタッグにしても正タッグチームが余り無かったから(これは今も変わらない)外すときは凄くはずすんだよな >>334
それは言えた。全日は安定感があった。
新日は当たり外れが大きかったから暴動まで起こり。 >>335
⚫昭和新日ファンの傾向
期待値が高すぎて試合がはじまるころには表面張力が起きてるような興奮状態。
本来なら一気に詮を抜いてカタルシスを得たいところにラムネの錠剤のような膨張率の高い異物をほんの一粒。
思いもよらぬ状態に何が何だかわからず自制が効かなくなり暴動へ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています