1991年の新日本、全日本
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新日 G1クライマックス SGタックリーグがスタート、トップオブスーパージュニアの復活の年
全日 超世代軍の人気が大爆発
後楽園のチケットが取れなくなった年 この年の新日の個人的ベスト3
1 国技館 保永対ライガー
2 札幌 ムタ、TNT対馳、佐々木
3 武道館 長州対橋本
ゲスト 稲川淳二
次点 ドーム マサ斎藤、蝶野対ウインダム、
アンダーソン
他にもいい試合あるけど… >>102
札幌中島のムタ、TNT組の試合は最高だったな。 よりによってTNTはWINGに行っちゃったんだよな
おまけに斎藤彰俊のかませ犬になって哀しかったわ 全日だと10月の後楽園
鶴田、田上、渕対三沢、川田、菊地の試合が印象深いなぁ…
三沢が前日に鼻骨骨折して、そこをめちゃくちゃ狙われてた
ゲストのウッチャンナンチャンが鶴田に背中をぶっ叩かれてたのも懐かしい… >>109
スパイビーがナンちゃんにうんこを見るような目で見てたときかw
あの試合のジャンボラリアットは凄かったな >>109
ラッシーとマイクで絡んだよね、懐かしい 内村が八木亜希子と結婚寸前だったからラッシャーが弄った >>109
鶴田が菊地に決めたジャイアントバックブリーカーが凄かった
実況の若林も興奮してた 秋口になると土曜の夕方がレディースゴルフになってワールドプロレスの放送が殆どなくなるのが
嫌だった。
テレビ欄でゴルフの文字見るとがっかりした覚えがあったし。 >>119
SGタッグなんて全く放送がなかったからな。
それでも興行は全会場超満員か満員だったが。 >>86
マッドブルバスターズ(レックス&スパイク)
じゃなかった? サザンロッカーズの全日初登場は91年のチャンカーだっけ?しょっぱかったなあ。 >>120
この年のSGタッグはいいカードが連日組まれたから放送なしは勿体なかった。
ベイダー、ビガロ、ノートンが分かれて。
また橋本、武藤、蝶野も分かれてそれぞれチームを組んで。
他にもシンもおり。
長州、斎藤
藤波、ベイダー
橋本、ノートン
蝶野、ビガロ
武藤、馳
シン、ドク
コキーナ、サモアン
他にもいたっけ?
健介は負傷中で不参加。
マシーンや越中は出てなくて。
チーム編成は賛否両論だったけど。
でも超豪華な顔触れだったと思う。
本当に放送なしは勿体なかったね。 >>123
サザロは90年ジャイアントシリーズ
ロックロ、ファタスと続いたタッグ屋の流れが止まる >>126
そこはちゃんとシリーズ名も略せにゃいかんだろ! >>124
闘魂Vスペシャルで見たけど面白い試合が多かった
解説のライガーも今みたいにオーバーリアクションがなく的確に解説してて良かった
佐々木の解説は面白みが全くなかったけど G1で全敗してから欠場してた長州の復活シリーズだったね >>124
このシリーズのノートンはマサ斎藤にバックドロップ一発で負けたりと黒星が多かった記憶が… ニューイヤーダッシュの後楽園で
ワンナイトタッグトーナメントやったよね。
参加チームは忘れたけど、
健悟&木戸組が優勝したのは覚えてる。 新年は青柳、栗栖組が組まれてたけどあっさり仲間割れしたね〜 2月、千葉大会
青柳&越中&藤波vsペガサス&栗栖&シン
シンが解説席にいた小鉄さんのバッグを凶器にした際、
なんと小鉄さんがシンに逆ギレ。
辻アナから、「戦う解説者山本小鉄!」と呼ばれた。 >>134
>>千葉大会
今は聞かれなくなったな。千葉県内でやっているのは東金だけ。
インディや女子は千葉に近い新木場でやるけど、新日は新木場でやらないからなぁ。
千葉の人ってどの辺の会場に行っているんだろう? 暮れの大阪大会
藤波、野上vs長州、蝶野がいい試合だったな
野上がはじけてて良かった >>136
ポートアリーナ
もっとも最近は使用されるの専らサブアリーナだけど >>136
千葉公園体育館
91年だと、ハンセン組に三沢小橋がチャレンジのタイトルマッチとか、
いいカードがあった >>136
最近では全日本が流山のキッコーマンアリーナ
というところで三冠戦を組んでいた。千葉での三冠戦
って田上初挑戦の松戸以来かな? キッコーマンアリーナ
ずいぶんショッパイ会場だなwww >>143
キッコーマン→醤油→しょっぱいってことか?
>>142
流山と千葉市は離れているけど92年の松戸以来だね。流山、松戸は知らないけど、千葉公園は客が入らないからどの団体もあまり使わないらしい。
プロレスバブルを過ぎたら客が入らなくなったらしいよ。 91年のG1で三沢威の試合見れたのはよかったと思う >>141
三沢&小橋がチャレンジってどんなカードだった? 多分三沢&川田の間違いだと思う。
小橋が世界タッグに初挑戦したのは翌年の92年だったはず。 この年の5月に行った全日の三郷市の
大会のカードは
鶴田、田上、渕対ゴディ、ウイリアムス、スリンガー 三沢、川田対ディートン、ローズ
小橋対ブッチャー 木村、寺西対キマラ1、キマラ2 あたりだった
地方のためか、レスラーの皆さんもリラックス試合以外はリラックスしてる感じだった中、小橋だけは囲まれてるちびっ子一人一人にサインしてあげてたなぁ…
小川にサインもらいに行ったら、手でシッシッってされて悲しくなった… >>147
三沢&川田が札幌で殺人魚雷に勝って弾みをつけて千葉公園でハンセン&スパイビーに挑戦したが敗退だったかな? >>148
観に行っていないけどそれは知ってる。できたばかりで全日がこけら落としだったかな。
東京からも近くて団体側、営業面でも宿泊費がかからない使い勝手が良いはずの会場だったのに、
94年にミスターポーゴが火を噴いて館長(not青柳)が激怒してプロレスには貸さなくなったんだよなw >>144
千葉公園やらポートアリーナは民間が管理人になったから、プロレスに貸してくれない >>98
メイン→ハンセン三沢
セミ→鶴田川田
第3試合→田上スパイビーだっけ? >>152
セミ前 カンナム対殺人魚雷
第一試合百田対スリンガ〜 小橋、菊地対キッド、ジョニースミスのアジアタッグもなかったかな 長州力のストンピング大好き
「立てコイ、テメエコラ〜!」
「戸口〜!」(対キムドク) >>155
エースの負傷で小橋&エース組が返上、
キッド組と王座決定戦だったかな。
会場は失念。4月のシリーズだったと思う。 3月のドームが何となく不完全燃焼な感じだったから
4月の両国で保永が勝ったときの興奮度は凄まじかったわ >>155
あった。
キッドが菊地をおさえた。
あとはファンクス対カクタスジャック組 大阪府立第一でやったんだよな
こないだノムヤギが返り咲いたのは実はそれ以来の第一でのアジアタッグ 3月のドームはスタイナーズとヒガンテのインパクトは強かった
試合として一番盛り上がったのは長州vsシン
藤波vsフレアーはNWA取ったから盛り上がれたと思ってる >>161
ビックキャットヒューズは200pと言われているが、
ヒガンテと並ぶとだいぶ小っちゃく見えた。
4月以降に再来日して巨漢レスラーデビューしたら
面白かったかも。
シンの入場時の隣にいた謎のマスクマンは誰だったんだろう。(外人?) >>157
4月といえばこの年からリーグ戦が復活したチャンカーだが、
菊地以外はリーグ戦に出てたのに、タイトルマッチが組まれてたのか。 チャンカーは決勝があったのは盛り上がった武道館大会の前の愛知県体育館
鶴田対ハンセンでフィニッシュがジャンピングニーパットで呆気なく優勝した記憶がある >>162
あれはエコライザー。
何故エレナアーシュリーにマシーンマスク被せてシンと同伴させたかは疑問。
疑問っちゅうか無意味。
試合でしょっぱかったエコライザーに仕事させたのか?
ただシンと同伴だけの仕事。
試合後に乱入するわけでもなく。
ちなみに辻はしきりに『SSマシーン』と言ってたが。
この大会でエコライザーとヒューズは最悪の双璧と記事にあった。 >>162
ヒューズはヒガンテと並ぶとかなりぃ小さく見えた。
巨人対決の宣伝効果は皆無。
しかし終了後の打ち上げの集合写真だとヒューズはベイダー、ビガロより大きかった。
普通に来日させたら『超巨漢』で売り出せただろう。 ヒューズはあの時、ジョバーとしては最高の仕事をしたと思うのだが >>165
ノートンの試合後インタビューが、
「向こう(アメリカ)だとガンガンくる奴なのに、初めての日本の大観衆の前での試合で緊張してしまったのかもしれない…申し訳ない」
みたいにエコライザーのフォロー&謝罪に終始する内容だったのが、人間性が透けて見えてほっこりした >>168
当時はアメリカではノートンのライバルって話を聞いてたから「何でこいつがライバルなんだ?!」って思った ヒューズは何年後かにWARでスーツ姿で試合してたような。 >>170
こんときはミスターヒューズとかネームだったな。
ヒガンテとも組んで軍団の一員で。 >>160
健介、中嶋vs嵐、カズって大阪でやらなかったっけ?間違いならすまん。 >>152
当時の三沢は三冠未戴冠、川田は挑戦経験すら無かった。それなのに会場の外の列が凄すぎて警察が早く入場させろと3度も言ってきたとか。
パンフレットも売り切れたんだっけ?
異常な人気だな。 91チャンカーって後楽園、秩父、長岡、大阪ってテレビ中継だったと思うけど、エース&小橋vsサザンロッカーズのアジアタッグは何故かノーテレビの富山でやったんだよな。 91年の夏頃だったかな?
週プロの見出しにに【ジャンボ鶴田 最強 敵なし】と書かれて。
確かに強さ(の演出)は説得力あった。 >>175
アク禁にびびって省略をやめバカにされたガラケーもやめた負け犬省略おじさんさんちーっすw >>173
確かにすごかったよなー。
当日券無理で立ち見みたいな席買った記憶がある。 >>177
前年の最強タッグも府立第一では珍しく6000人発表 ちょうどこの頃だっけかな。
会社の女子が三沢とか川田の話してるの聞いて驚いた記憶が。
それまで野郎だけの世界だった男子プロレスの話題を女子がしててびっくりした。
いい時代だったな。 >>177
その割には発表数は6400人と少なめだったな。
新日並みに入ってたら全日だと7千人超の発表をしそうだけど。 >>180
二階席までぎっしり。
この頃はなんばに全日本事務所あったし、府立第二もよく使ってた。
府立第二で川田対田植えとか、見たなあ、試合後ジャンボが田上にカツいれた 91年の人気は92年にも続いて、三沢または超世代軍のハワイツアーが平日開催でも参加者が集まったり、地方興行のプロモーターが興行を買ってくれたり、レスラーの顔触れが変わらない割には凄い観客動員だった。
後から振り返ると「あの異常な人気は何だったんだ?」と思うくらいだ。 91年になるといままでずっと郵送されて来ていた全日からの武道館ディスカウントする
るのでチケット買って下さいハガキ、が来なくなった。1万が7千、7千が5千、5千が3千だ
ったと記憶してる。2階は対象外、もっともそっちは東スポ経由で3千が1千5百だっ
たが。定価で売れるようになったんだなと人ごとながら嬉しくなった。 本当に曜日は関係ない客入りだったですね。その後の積み重ねで土曜日使えるようにな
ったらしいけど。カード発表を待ってると遅いので武道館観戦の前に次の武道館の切符
を買うのが常態化したのも多分この年あたりから。特に武道館に限ってはカードも内容
も信頼がおけた時期だった。新日のような開けてビックリ、はないけど5千円のチケな
ら8千円くらいの満足感がありました。 新日はカードの新鮮さに拘ったためか外すときは外すからなぁ
全日は同カードを研鑽しまくった感じする(後の四天王プロレスに繋がるんだろうけど) この年まで武道館は年4回開催だったけど、何時からか新春ジャイアントシリーズ以外、毎回開催されるようになったね >>187
なんで新春Gだけ使わなかったんだろうか?
リングスに遠慮してたわけでもないだろうし。 >>187>>189
松本、千葉公園、大阪、横浜で三冠戦が組まれた年もあったけど、何で武道館は使わなかったんだろうね?
1月だけ使えない理由があったのだろうか? この年から新日に参戦したキムドクのデカさに感動したなぁ
昭和の頃はそこまで気にならなかったけどマシンとかヒロ斉藤と相対するとやたらデカく見えた
栗栖とのこれぞヒールみたいなチームも好きだった
いま、あの雰囲気を持ってるレスラーは見当たらないなぁ… この年の新日大阪城大会はドーム大会より
カードも良かったし盛り上がったし面白かったな
武藤がビガロをジャーマンでフォールしたとき飛び跳ねたよ >>191
シンとドクが組んだ時 同じリングに立った時は感激したな。
かつては同じタイガー同士でも丁度入れ違いで接点なし。
もしどちらかの移籍が少し遅れたら確実に絡んだはず。
戸口の移籍が遅れたら、全日でシンと対戦。
シンの移籍が遅れたら、新日で戸口と対戦。
本当に丁度入れ違いだったから。
でも10年後に新日で遂に接点が。
雑誌では『力量ではシン、上田に劣らぬシン、ドクの大型凶悪コンビ』と書かれて。
この二人相手だとマシーンと後藤が小さく見えた。
シンとドクは結局は一時的に組んだ流れだったが。 フィニッシュのツームストーンでフォールしながら自分でワン、ツー、スリーってやるのもカッコよかった 栗栖・ドクといえばG1で組まれたヒガンテ・ライガー組との試合での
「クリ・ドク」
230pのヒガンテに対抗してドクが栗栖を肩車して「どうだ!」と凄んでいたのが
なんか可笑しかったw 同士討ちがシンドクて負けたとか
SGタッグの時に書かれていたような。
どうせならタイガー・ジェット・シン&タイガー戸口で参加して欲しかった。 >>196
あの当時、ドク43歳 栗栖44歳
いまの棚橋とほぼ同い年とは思えない重鎮ぶり キムドクは当時中学生だったから見ててでかいけどもっさりしてて好きになれなかった
本人も色々言ってたけど新日には合ってなかったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています