【世界の】山崎一夫【山ちゃん】
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本間のものまねが似てた
過去にサムライTVでインディー批判して
叩かれた人は思えんな 船木が山崎に勝った時にみのるがザマアミロって言ったんだよな
安生宮戸も同じような気持ちだったとすると
インターでの扱いも頷けるものがある 前田は何だかんだエースだしデカいし口も達者、高田は若手ともバリバリ練習するし華あるし兄貴分、山ちゃんは今見ても身体はしょっぱいし華もないし面倒見も良くないし人気はそこそこあったけどどう見ても前高山の格は上げ過ぎだったな。 >>86
三人とも山ちゃんよりは遥かに華あっただろ
特に安生は一応ゴールデンカップスで一時代を築いた男だぞ 新生U時代はその3人は華はなかったかな…。安生は小器用なファイト、中野は根性と博多人気、宮戸はかろうじてソバットで盛り上がるくらいか。 >>81
宮戸の著書によると第三次UWFに向けて選手が集まった時には
「前田さんと一緒になって私を睨みつけていた」ので
当然前田と行動を共にすると思っていたとか何とか。
結局そこでの話し合いが決裂して解散になるわけだが。 >>87
そうか?
安生はインターになってから、ようやく華開いた感じだし
中野は新生Uの頃は、一部のコアなファンには人気あったようだが、華があったとは言い難い。
宮戸は、・・何かあったかw
でも、後に安生あれだけ活躍するようになるとは、当時思わなかったな。
プロレス頭はいいもの持ってた。 ヒクソンにやられた直後は、A級戦犯扱いだったから、開き直るしかなかった。 >>87
宮戸が山崎より華あったと思ってるの世界でお前だけだと思う
宮戸本人すら思ってないわ 水道橋と長州の座談まとめた新刊、内容は薄いけど
やっぱ長州、宮戸にはムカついてたらしい >>87
二次Uで一定の評価を得ていた安生はともかく、中野と宮戸が山崎より華があったなんて絶対に思えないわ 新生Uでの山ちゃん会場人気はあるけど試合はあんまおもしろくないんだよなぁ。なんかキックの名手ってイメージだったけど、腰の入ってないキックでフォームもあんまり綺麗じゃない。人が良さそうだったから人気あったのか。 >>96
あんまり道場にも来てなかったみたいだし、TBSのUを取り上げた番組でも
ジムのプールで水泳してるところしか出てなかったし、練習してなかったんじゃないの。
鈴木みのるに、スパーで圧倒されてから来なくなったって説があるけど、真偽は別に
して後輩から舐められやすいタイプだったんじゃないかな。 >>82
サムライTVでの山ちゃんといえば、
インディ批判よりむしろ
番組で共演した女性出演者や女子プロレスラーへの執拗な下ネタに辟易したのを思い出す。
それまで山ちゃんには良いイメージしかなかったから
あの下ネタ好きっぷりにはガッカリしたな。
あまりにしつこかったから
当時2ちゃんのサムライTVスレでもかなり批判されてたな。
インディ批判は別に良し。
DDTやイキイキ塾はじめ
どうしようもないクズが多かったのは事実だから。 橋本の垂直落下式DDTの受けっぷりが
よかった印象があるなあ。 >>97
後輩に舐められていたのは本当なの?
かつて田尻が放送席の山崎に花束を投げつけたとき
金澤が「あの高山や鈴木でも絡めなかった山崎さんにこういうことをするとは」
と言っていたけど。 Uのメンバーの中じゃ良くも悪くも常識人だから凄く嫌われてる訳じゃないんだよね。でも前田や高田ほどの存在じゃないから下からの、特に宮戸からの攻撃対象になった。他の若手もそれに引っ張られてなんとなく嫌いになった感じ。 新日に戻ってからは後輩からどうのこうの言われる事もなかったし、要するにUの若手たちのアクが強すぎたってのもあるでしょ。 現役時代の評価がゼロなのに、宮戸は何であんなに偉そうなんだ? Uインターから新日に移籍したあとに、新日とUインターが対抗戦やる事になった時は
気まずかっただろうなぁ。
嫌いな宮戸も辞めたし、少し移籍を待っていれば、Uインターのナンバー2として
10.9はセミで橋本と闘ってたかも。
結局、その後の1.4は武藤VS高田のセミで橋本と闘ったけど。
猪木をタッグでフォールしたりとか凄くよい扱いだったのは、上記を我慢したご褒美
だったのかも。 中野が山ちゃんの立て看蹴り倒したり、たいして盛り上がらない遺恨マッチやったりしてたな。 >>106
みんながめんどくさがってやりたがらない営業やフロント業務を率先してやったから >>108
あの試合、中野が「誰かがやらないといけなかった」みたいな事言ってたな。
中野相手に喧嘩みたいな試合をやるのが、Uインターに対する落とし前だったのかな。
そんなマッチメークよく飲んだなと思う。
長州は山ちゃんのそういう我慢強い部分を評価して優遇したのかも。 >>109
やってたの3年だけじゃん
しかも4年目には機能しなくなって5年目で潰れてるし 新日に戻った山崎は健吾と組んで「1番じゃないとダメなのか!?同盟」で暴れてほしかった。 新日を辞めた山崎が佐山に誘われてタイガージムに入ったとき、前田の仲介で宮戸も入ってて、
あの二人は同時期にタイガージムのインストラクターになった同僚だったんだよな。
でも佐山がUWFに参加することになって、二人もオマケでUWF入りしたときに大きな差がついた。
新日でのキャリアがある山崎は即戦力の若手として参戦初日からリングに上がれたが、
宮戸は安生らとまとめて「おい新弟子」と呼ばれる存在になり、デビューするまで丸一年かかった。しかもデビュー数日後にUWFは崩壊。
その一年の間に二人の差はさらに大きく広がっており、新日出戻り時代には山崎はUWF代表の五人に入っていて、藤原のパートナーとしてIWGPタッグ王者も任された。
一方宮戸は新生UWFになってもまだ前田に「おい新弟子」と呼ばれてた。宮戸の中ではずっと嫉妬と怨念が育っていたんじゃないかねえ。 まぁ体格やオーラとかアマ経験とか考慮すると宮戸はプロレスデビュー自体難しかったろうから… 宮戸のプロレスラー自称ほどイライラさせられるもんはない >>113
がんばれベアーズてフォール負けしたのと同じようなもの。 >>114
船木「何ですか新弟子って。誰か新弟子が入ったんですか?」
宮戸「いや、俺らのことなんです」
船木「えーっ、それはないですよね〜」
というやり取りがあったとのことだが
確かに1990年の時点で宮戸を新弟子呼ばわりはあまりな…。 とは言え山崎と同格扱いは無理筋
遥か彼方上の先輩だな 宮戸は新日道場の近くに住んでいて、中学時代にプロレスラーになりたくて道場に顔を出していたら、
当時、新弟子だった前田の子分になった。 宮戸の実家は神奈川の二宮だからそんなに近くもない
通うのに片道二時間くらいかかってただろう 山ちゃんの実家は尾山台だったとか
ご近所さんいるんだね Uインターでも山崎はちゃんとナンバー2の仕事してたからなあ
山崎居なくなって高田の前に負けて盛り上げる人がいなくなった >>123
神奈川県中郡二宮町。
大磯の先、小田原の手前あたり。 ガラスのうさぎで有名な町だね。
隣町の大磯は吉田茂の隠居地として知られている。 新日来てのマイクで「IWGP獲って、その後全日行って三冠も獲る!」とか行ってたな。そんなビッグマウス吐くタイプじゃないからちょっとカッコよかった。 G1が一戦ごとに気の利いたコメントしてた覚えが。決勝の橋本戦も橋本強い!って思えるいい試合。グシャッ!て感じに落ちて、直下式受けるの上手いし。 >>135
トーナメント勝ち進むたびに指を折っていったのは覚えている
準々決勝→2、準決勝→1みたいに 宮戸と仲悪い割には話のついてない全日の名前を出したり、なんだかんだいってUインターというか宮戸病に罹患してたフシもあったなあ。 なんだかんだ新日で優遇されて引退後も使ってもらえるんだから、まぁ大したもんだよ。宮戸じゃこうはいかん。 >>131 >>137
インター辞めて、フリーになった会見やった時に言った台詞が
「馬場、猪木に引導を渡す」だった。
その後も、何かの雑誌で全日参戦するような話してたんだが・・。
全日には高山、垣原、オブライト居たしユニット作っても良かったと思う。
>>135
G1決勝も前年のIWGP挑戦もいい試合だったと思う。 >>139
あんときの山崎には「何時代錯誤な事を言ってるんだ?」という印象しか受けなかった。 >>140
確かにw
95年当時でも馬場猪木はないよな、いくらなんでも。
もう、武藤三沢の時代になってたし。
それでも、猪木には引導渡したか。
ただ発言以外でもっと解らなかったのは、あの会見の場に稲川淳二が居た事だったw 高田はUインター時代の著書で、練習着みたいなコスチューム着てそれでもプロか?と宮戸批判をしていた。 姉貴の車に布団と着替えを積んで、道場に行ったんです。
合宿所の扉を開けて「あのー、すみません」って言うと、最初に応対してくれたのは確か新倉さんでした。
「あのー、今日から御世話になる山崎一夫という者ですが・・・」
「おう、聞いてる、聞いてる。上がれ」
「はい。失礼します」
靴を脱いで中に入って、まず最初に合宿所にいた選手たち一人一人に挨拶して回ったんです。
「本日から御世話になることになりました山崎一夫です。よろしくお願いします」
それで、一緒に来てくれていた姉貴が「あんた、この荷物どうすんの?」って感じで合宿所の玄関先に佇んでた時に、寮長だった前田さんが二階から降りてきたんです。
姉貴の姿を見て前田さん、どうしたと思います? 僕が最初、挨拶しに行った時は憮然とした態度だったのに、一変して、
「おっ、お姉さん。お茶飲みに行きましょう!」
そう言って、降りてきた階段をダダダダッて駆け上がって自分の部屋に財布を取りに行ったんです。
僕は、それを見て目が点になってました。「なんなんだ、この人は」と思って。そうしたら木村健吾さんが出てきて、
「お姉さん、早く逃げなさい!」
それで、姉貴はわけのわからないまんま「はい」って車に乗り込んで、逃げるように帰っていったんですけど。
そのあとで階段から凄い勢いで前田さんが駆け下りてきて「あれ? お姉さんは?」って言うわけですよ。で、健吾さんが「もうとっくに帰ったよ、バカ」って。
漫画のような話ですけど、これは実話です。あの時、健吾さんがいなかったら、いったいどうなってたんですかね。ちょっと恐ろしいです(笑) たまたま僕が入って三ヶ月後にクロネコが留学生みたいな形でメキシコから来て、誰もスペイン語が話せないもんだから「お前、世話しろ」って言われて、同室にさせられたんです。
彼はすでにメキシコでデビューしてたらしいんですけど、片言の日本語と、片言にスペイン語と、片言の英語と、三ヶ国語混じりの会話でコミュニケーションとってました。
こっちが日本語を教えて、向こうがスペイン語を教えてくれて、わからないところは辞書をひいて英語でっていうような感じで。
だから、メキシコに行ってないのにスペイン語が話せるというのは僕だけですよ(苦笑)。 僕がデビューする前に、こんなことがありました。
後楽園ホールで、前田さんとジョージさんが組むタッグマッチで、僕は階段を上げたりロープを上げたりする仕事をしてたんです。
ジョージさんはいつもトップロープを飛び越えてリングに入るんですよね、両足を横に流して、ミル・マスカラスのように。
それがわかってたんで、ジョージさんが先に走ってきて入場する時には、僕はロープから離れてたんです。
前田さんはいつもロープの一段目と二段目を開けた間から入る人だったんです。でも、その時は何を思ったか・・・。
ジョージさんって結構女の子に人気があって「キャーッ、ジョージさん!」って黄色い声が飛んでたんで、それに触発されたんでしょうね。
両手でトップロープを持って、足を両手の間に抜いて、飛び越えてリングに入ろうとしたみたいなんです。
でも僕は「次は前田さんだ」と思って、たまたまちょっとよそ見しながら、フッとトップロープを持ちあげたんです。
それも、飛んだ瞬間に上げちゃったらしくて、前田さん、両足の爪先をトップロープに引っかけて、顔からマットにベチャーンって。
前田さんも苦笑いしてるし、お客さんも大爆笑だし、レフェリーも笑ってました。あれは最高におかしかったなぁ。 (佐山の)付き人をやっていて大変だったことっていったら、最初、タイガーマスクは正体不明、国籍も不明ということだったんで、サイン会とかで日本語をしゃべれないんです。
だから、うろ覚えのスペイン語と英語で、お客さんにわからないように「右から何番目のお客はなんか変だ」とか、お客さんの質問に対して、そういうとんでもないことを言うわけです。
それをもっともらしく、僕とケロちゃんで通訳するのが大変でした。
あと巡業先では、朝、ホテルの前でカメラ小僧が待ってるんです。佐山さんは気持ちよく朝シャンして、髪をセットしているから、本当はマスクを被りたくないわけですよ、乱れるから。
それで、僕は先に様子を見にロビーに下りていって、佐山さんの部屋に戻って「すいません、今日も小僧たちがいるんでマスクを被ってもらいたいんですけど」って言うんです。
そういう時だけは佐山さん、ちょっと機嫌が悪かったですね。 そうそう、札幌でこんなことがありました。
その日はテレビ中継があったんですけど、テレビ中継の時は、控室にモニターテレビが置いてあるんです。
その頃って、よく自分の名前をプラカードにして、テレビカメラに向かってワーッてやってるガキ、いや、お子様がいっぱいいらっしゃって、僕ら若手はそういうのを掴み取って捨てちゃう役目を命じられてたんです。
特にタイガーマスクとか猪木さんとか藤波さんとかが出てくる時は、花道に人がワーッて群がるんですよ。
必死になって道を開けてる時にプラカードを持ったガキが来たんで、そのプラカードを左手でむしり取って、右手でワンパンチしちゃったんです。
それがちょうどテレビカメラが迫ってるところで、そのあとで控室に呼ばれて、藤原さんに「バカヤロー、テレビに映ってんじゃねえか。客を殴るんじゃねえ」って怒られて、
「すいません、どうすればいいでしょう」って言ったら「足でいけ、足で」って(笑)。
「足だったら、テレビに映らないから」って。
今思えば、その時からキックを使う事を覚えたのかもしれませんね。 >>136
逆では?
一回勝って指一本立てて、二回勝って二本立てて、三回勝って…… ネコちゃんと合わせてクロネコ、シロネコって呼ばれてたっけ もう一つ、これもその頃の話なんですが、佐山さんがマスクを被って、マントを羽織って、これから入場しようっていう時に、スーッと酔っ払いのおじさんが佐山さんの後ろに来たんです。
僕は横についてたんで、たまたま気が付かないうちに、逆側から後ろに回られちゃったんですけど、真後ろに立って、虎のマスクの両耳を掴んで「頑張れよ、タイガー!」って言いながら頭を揺すってるんです。
佐山さんの頭がもう前後にガクガクしちゃってるんですよ。
佐山さんって普段は凄く優しい人なんですけど、キレると速いんですよね、気が短いから。
チビッ子ファンの夢であるタイガーマスクが、キレてお客に手を出したりしたらヤバいなあ、そう思った瞬間、僕の右手がそのおじちゃんの顔にバチンといって、ゴロゴロゴロッて。
試合終わったあとで、佐山さん、控室に帰ってきて「ダメだよー、山ちゃん。あんなことしちゃあ」って。
あんたがキレるのわかってるからやったのにね。 小林邦昭「佐山は横柄な態度を取られると切れちゃうんですよ。
親分と一緒にいたヤクザに絡まれた時もその親分に謝らせていましたからね」
佐山氏の沸点の低さは本当に証言多数だな。。。 あっ、こんなこともありました。
佐山さんが自分の試合の前に、ほかの若手の試合を見に行ってたんです。控室には猪木さんがいて、猪木さんがまたイタズラ好きなんですよね。
「佐山の靴、持ってこい」
って言うから、持っていったら、その靴ヒモを固結びにしてダンゴをいっぱい作るんです。ギューって思いっきり締めて。
佐山さんが自分の出る二つ前の試合ぐらいに戻ってきて、もう二人で大慌てでヒモをほどきました。 猪木さんのエピソードといえば忘れもしない、高田さんが付き人やってた頃の話なんですけど、よく「明日、走るぞ」って突然言うんです。「明日の朝六時に起こせ」と。
みんなしょうがないから、高田さん、僕、高野俊二、小杉さん、仲野信ちゃんっていうメンバーで一緒に起きてランニングするんです。
走り出す時には猪木さんが一番、先頭を走ってるんですけど、僕ら若いから、どんどん先に行かなきゃいけないんです。
だから猪木さんを抜いて、その5人でずーっと走って行くんですけど、気づいたら後ろを走ってた猪木さんの姿も見えなくなってて、ゴールがどこだかわからないわけです。
みんなで止まって待ってるのもアレだし、「どこまで走れば猪木さんが納得するかな」って、ずっと走り続けてたら海岸まで行っちゃってね。冬の寒い北海道だったと思います。
海岸まで着いたから「もうここまでくればいいだろう」と思って待っていたら、猪木さん、来ないんです。途中でタクシーに乗って旅館に帰っちゃったらしいんですよ。
僕たちが走ったのは何だったんだって。その時の写真、確かどっかにありますよ。猪木さんが走るっていうから、カメラマンの人もついてきたんです。車に乗って先の方で待ってたのかな。
でも結局、写真には僕らだけ写っていて、猪木さんはいない(笑)。 まず最初に新日本の合宿所に入った時に驚いたっていうか、笑っちゃったのがね、二階の突き当りにあるトイレの便座にテーピングがしてあったんです。誰かが座って割っちゃったらしいんですけどね。
その奥にトイレを掃除するブラシがあるんです。そのブラシの箱のところに「これで歯を磨いてはいけません」って貼ってあるんですね。どういう人たちなんだろうって思いましたね。
合宿所ではいろんなことがありました。ある日、スポンサーから日本酒の差し入れがあって、みんなで飲む事になったんです。で、しこたま飲んだら仲野信ちゃんが暴れだしてね。あの人、酔っ払うと暴れるんです。
それで、合宿所の階段を上がりきった正面の壁をバットで叩いて、ボコンと穴を開けちゃって。
次の日、シラフに戻って「ヤバい」と思ったんでしょうね。上の人に怒られるっていうんで、考え抜いた挙げ句に、その穴を隠すように「廊下は静かに歩きましょう」っていうパネルを貼ってました。 僕が最初に憧れてプロレスラーを志すきっかけとなったのが、藤波さんだったわけですけど、藤波さんの付き人が仲野信ちゃんから小杉さんに代わった当時、僕も補佐みたいなことをしてたんです。
よく藤波さんは小杉さんと僕を食事に招待してくれたんです。
知り合いの人がやってる店でスッポンの鍋かなんかを食わせてくれて、そのあと<ピーッ>に連れて行ってくれて、「ああ、やっぱり藤波さんはいい人だ」と(笑)。
僕からしたら大先輩ですけど優しい兄貴って感じですね。
当時は本当に軍隊みたいな上下関係でしたからね。嫌いだった先輩は<ピーッ>。もう最悪。テメェでなくした靴下を「お前、どこやった」って。知らねえよ、お前の付き人じゃないんだからっていう感じで、大嫌いでしたね。
僕が今、生活してる海老名のすぐ隣の、厚木の英雄らしいですけど(苦笑)。 新日本での巡業中の思い出というか、笑い話は、まだまだたくさんあります。
その頃、結構、旅館に泊まる事が多かったんですけど、試合から帰ってきて、風呂に入って、みんなで大広間でメシを喰うんです。
その時、木村健悟さんがその旅館の二階の大広間でメシを喰ったあとに、ちょっとベランダみたいなところがあって、そこで夕涼みしてたんです。
しばらくして「お前ら、ちょっと来い、来てみろ」って言うわけです。みんなでバーッとベランダに集まったら「下、下、下!」って。
で、下を見たら、たまたまベランダの真下が女風呂でね。位置的には女風呂そのものはほとんど見えないんだけど「あそこに覗きしてる奴がいるぞ」って。
「どれどれ」ってみんなで見てたら、確かに覗いてる奴の姿が見えるんです。
それで健悟さんが「こら!」って大声で叫んだら、みんなそこの一か所しか見てなかったんですけど、五か所ぐらいから、ガサガサガサって、クモの子を散らすように、「あっ、こんなにいたのか」っていうぐらい人が逃げてった(笑)。
こっちが逆に驚いちゃったっていうね。顔は確認できなかったけど、たぶんその中に新日本の選手もいたんじゃないですか。 佐山さんも「覗きの名人」って言われてました。
誰が言ってたか忘れたけど「あの腕力は、旅館の壁によじ登って、女子高生が風呂に入ってるのをA組からH組まで、ずーっと見ていたからだ」って(笑)。
しかも職員の先生のも見てたらしいと。それで、あの引きの腕力がついたんだって噂でした。
そういう風呂場関係の話は多いです。やっぱり旅館の風呂で、藤原さんが男風呂の壁をよじ登って隣の女風呂をずーっと見ていたら、たまたま入ってきた女の人と目が合っちゃったらしいんです。
で、すーっと降りてきて、急いで同部屋だった前田さんのとこに走っていって「前田!こんなのが、すごいプロポーションのおネエちゃんが入ってるぞ!」って。
「本当ですか?!」って前田さん、大急ぎでババババッて服を脱いで風呂場へ行って、サーッて顔を出したら、向こうで待ち構えていたおネエちゃんに水をバーッてかけられて、そのまま湯船にドボーンと浸かって(笑)。 それから、あとで聞いた話ですけど、その頃、猪木さんと、坂口さんと、ストロング小林さんという、ヘビー級では三枚看板だったんですけど、高田さんが入門してすぐに前田さんから、
「この世界は男社会でな、そういう付き合いとかもあるんだ。実は今、アントニオ猪木さんと坂口さんとストロング小林さんが三角関係でモメてるんだ」
と言われたらしいんです。
「お前もデビューしたかったら、一回は猪木さんに捧げなきゃならないんだぞ」
って前田さんが言ったら、
「じゃあ、一回ぐらいなら」
って高田さんが言ったとか言わなかったとか(笑)。
あと、今から十五年以上前の話ですけど、新宿二丁目の飲み屋さんのトイレに等身大の高田延彦のポスターが貼ってあって、そこにサインがしてあったって噂もありました(笑)。 これも下ネタで恐縮なんですけど、僕、一生に一回だけストリップを観に行ったことがあるんです。
ドがつく地方に巡業で行った時で、ホントにド田舎だったんです。その時は、自分と佐野と畑と山田もいたかなあ。
なんか4〜5人でメシ喰って、ちょっとビールを飲んで、何もやることもなくて、「ストリップ行ってみましょうよ」って誰かが言い出して、行ったんです。
その時、たまたま韓国から力抜山という選手が来ていて、知らない土地で、彼女もいないし、かわいそうだったんでしょうけどって、先にフォローをしておきますけど…。
みんなでストリップ小屋に入ったら、案の定というか、さびれたオバちゃんしか踊ってないんですけど、最初は真っ暗なんでわからなかったんだけど、だんだん目が慣れてくると、周りの様子も見えてきたんです。
で、最前列で大きな男が肩を揺すってるんです、右肩だけ小刻みに。
よく見たらそれが力抜山だった(笑)、懐かしいですね。 第一次UWFには剛もいたわけだが。
山崎の参加は少し後だったから一緒だった期間は
そんなに長いことでもなかったのかな。 ユニバーサルの巡業中の話で、こんなエピソードもあります。
旅館で、いつもは一人一人別々の部屋だったんだけど、その時は安生と中野が同部屋だったんですよ。
で、たまたまその旅館に高田さんのファンだったと思うんですけど、女の子が2人泊まってるっていうことがわかって、ある計画を立てたんです。
事前に高田さんが、その女の子たちと話をして、安生と中野がそれぞれ一人でいる時に「ファンなんですけど」って女の子がその部屋に押しかけたら、あいつらがどういう行動をとるか見ようって事になったんです。
それでもう、安生の時が最高におかしかったんです。
僕と高田さんと前田さんと藤原さんと、もう一人の女の子が前もって押入れに隠れて、その様子をずっと伺ってたんです。「どう口説くかな」って感じで。
打ち合わせ通りに女の子が「あのー、安生さんのファンなんですけど」って入ってきて、しばらくぎこちない感じで会話してたと思ったら、やっぱり安生がそういう行動に出始めたわけです。
その仕掛け方がまた笑えるんだけど、「マッサージしてくれ」って、まずは安生はその女の子に頼んだんです。
押入れの中で、そういうやりとりを聞いてると、おかしくてしょうがなくて、声は出さないようにこらえてるんだけど、体を揺すって笑っちゃうんですよね。そうすると、ミシミシミシッて音がするから「シー」って。 それで、安生がマッサージをしてもらってて、しばらくしたら、「なんか、まぶしいなあ」とか言って、電気をちょっと暗くするんですよ。
で、また今度しばらくしたら「下手だなあ、こうやるんだよ。そこに寝てごらんよ」って。
女の子を寝かせてマッサージをしかかった時に「もう、これはヤバい」って思って、みんなでバーッと押入れから飛び出したんです。
その時の安生の目がまん丸くなった顔が忘れられないなあ。口がポカーンと開いちゃって。
もう、女の子に乗りかかろうとする寸前ですからね。電気は暗くなってるし、あれはおかしかったなあ。
大男が4人ぐらい押入れの上の段に乗ってるもんだから、ミシミシいってて、いつ壊れちゃうかってヒヤヒヤしながらね、まあ怖いながらも面白かったです。 世界の山ちゃんに今度始めて行こうと思っています。
手羽先以外でオススメってありますか? >>168
「やまちゃんがいっちゃった」っていう2000年の本だろう >>144
前田はこの時のことを恨んでいたから、
UWFから新日に復帰してから、徹底的に健吾を痛めつけて
言動でも馬鹿にしてたんだよな。 >>171
いや違う。
前田「昔ちゃんこの時に木村さんから頭にゲンコツ喰らって痛かったから、
戻った時に思いっ切り蹴って仕返しした」 時を経て金原にも蹴られまくるからな。同胞が蹴りやすいキャラなんだろう。 酒場のトラブルみたいな事態だと前田より金原より健吾の方が強そうだな キムケンは学生時代は手のつけられないワルだったらしいな。まぁ身長高いし顔もゴツいし。 キムケン超短気で運転中にクラクション鳴らされると、相手がトラックに乗ってても引きずり降ろすって話してたな。 ビーバップ映画の戸塚の先生役はハマってた。ヤンキー高校にいる不良生徒もビビるヤクザ顔負けの強面先生。 武藤「木村さんの付き人は楽だった」
草間社長「木村さんは客商売の何たるかをよく理解している人」
という評価もある。 >>173
金原はみのると同じでイキがっていただけ。
>>174
前田の武勇伝は目撃者なしだが健吾の武勇伝は目撃者あり。
マッハ隼人「ロスでボコられた。プロレス界では先輩だが俺のが年上なのに何であんなことできるんだ」
佐山「メキシコの神様的存在のエル・サントとの試合後に『カッコばかりつけやがってコノ野郎!!』と
サントの控室に乗り込んで行くので、マズイですよと必死に止めました」
これは日本で言えば、力道山、馬場、猪木に対して行くようなものであり、非常にヤバイ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています