【世界の】山崎一夫【山ちゃん】
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トップではなかったけど、新日ではそれなりにいい思い出来たと思う。
G1で決勝までいったし、IWGPタッグもとったし、解説の仕事もあるし。 現にインターは96年に潰れてるんだから移籍してよかったに決まってるわ 10.9ドーム翌日に後楽園であった平成維震軍興行にひっそり出場してるのには、山ちゃんらしい悲哀を感じたな。 引退試合は東京ドーム
その後は現在に至るまで解説者
待遇は良いね >>51
高田の結婚式に出て前田のおまんこ絶叫を聞けたこととか >>61
前田のおまんこは高田ではなく角田の結婚式 >>60
引退試合専用の特別バージョンの入場曲まで作ってもらってるしな Uインターを裏切って潰した功績を新日に買われたりしてるのかな 山ちゃんの結婚式で山ちゃんのスピーチ中に高田がトイレに行ったのが
2人の不仲の始まりみたいな事を流智美が何かに書いてた。 >>22
あのとき何故猪木は山崎からのピンを飲んだのかいまだに謎。 95年の後半だけでも両国でライガーに勝ったりSGタッグで優勝決定戦まで残ったり猪木からフォール取ったりできて移籍してよかったと思ったろうな。
インター最後の試合じゃデビュー3年に満たない高山にKO負けという屈辱的な扱いだったもの。 高田ワンマンエース路線を画策してて、前高山で格は無駄に高い山ちゃんが宮戸は邪魔だったんだろうなぁ。けど高田にとっちゃ若手と地味中堅ばっかりのインターで山ちゃんの存在は頼もしかったろう。 >>68
謎だな。
猪木はジョバーに徹してくれた健吾に1本取らせてやってほしかった。
稲妻がアゴに入って無理やり押さえ込みでいい。 技喰らった時に派手に痛がるのは木村健吾真似たのかな
やたら叫び声上げる選手だったな
ドン・フライに耳噛まれた時の「耳!耳耳!」は
笑ってしまった アレクにカタい頭つき入れられて「ゴルァ!」って吠えてたな。石川は藤田に頭から落とされたりあのタッグ戦はちょっと不穏な匂いがした。 藤田がプロレスを辞めようかと悩んでた時に、山崎に相談したら
「お前みたいに首太い奴がプロレス向きなんだ」って励まされたって言ってた それ馳バージョンもあったな。入ってすぐの藤田が「僕プロレス向いてないみたいです…」って相談したら馳が「お前よりプロレス向いてる奴いねぇよ!」って言って頭叩いた。 飯塚さんとは今も付き合いあるのかな?
それともあの事件以来絶縁か? 山ちゃんと飯塚の間になんか事件あったっけ?山崎隊で組んでたのは覚えてるけどどうやって解消されたかは覚えてないな。 札幌での小川直也戦、おいらも印象深い。実際会場で観戦したが、大変盛り上がり良い試合だった。 >>77
「飯塚どうしたぁ!!!」→飯塚さん、完全無視 それ覚えてないなぁ。天山と飯塚の決別はちょっと切なくなった。 第2次Uの解散の時、リングスに行くって選択肢はなかったのかな。
今でも前田とはいい関係みたいだし。
Uインターで宮戸にパワハラされるよりは、はるかに良かったと思う。
けど、第2次Uの時は、安生、宮戸、中野との試合では相手を小馬鹿にするような態度が
見えたから、自業自得なような気もしないではない。大して強くもない先輩に負けブック
飲んでるのに、そのうえ馬鹿にされるのは腹立つ気持ちもわかる。 本間のものまねが似てた
過去にサムライTVでインディー批判して
叩かれた人は思えんな 船木が山崎に勝った時にみのるがザマアミロって言ったんだよな
安生宮戸も同じような気持ちだったとすると
インターでの扱いも頷けるものがある 前田は何だかんだエースだしデカいし口も達者、高田は若手ともバリバリ練習するし華あるし兄貴分、山ちゃんは今見ても身体はしょっぱいし華もないし面倒見も良くないし人気はそこそこあったけどどう見ても前高山の格は上げ過ぎだったな。 >>86
三人とも山ちゃんよりは遥かに華あっただろ
特に安生は一応ゴールデンカップスで一時代を築いた男だぞ 新生U時代はその3人は華はなかったかな…。安生は小器用なファイト、中野は根性と博多人気、宮戸はかろうじてソバットで盛り上がるくらいか。 >>81
宮戸の著書によると第三次UWFに向けて選手が集まった時には
「前田さんと一緒になって私を睨みつけていた」ので
当然前田と行動を共にすると思っていたとか何とか。
結局そこでの話し合いが決裂して解散になるわけだが。 >>87
そうか?
安生はインターになってから、ようやく華開いた感じだし
中野は新生Uの頃は、一部のコアなファンには人気あったようだが、華があったとは言い難い。
宮戸は、・・何かあったかw
でも、後に安生あれだけ活躍するようになるとは、当時思わなかったな。
プロレス頭はいいもの持ってた。 ヒクソンにやられた直後は、A級戦犯扱いだったから、開き直るしかなかった。 >>87
宮戸が山崎より華あったと思ってるの世界でお前だけだと思う
宮戸本人すら思ってないわ 水道橋と長州の座談まとめた新刊、内容は薄いけど
やっぱ長州、宮戸にはムカついてたらしい >>87
二次Uで一定の評価を得ていた安生はともかく、中野と宮戸が山崎より華があったなんて絶対に思えないわ 新生Uでの山ちゃん会場人気はあるけど試合はあんまおもしろくないんだよなぁ。なんかキックの名手ってイメージだったけど、腰の入ってないキックでフォームもあんまり綺麗じゃない。人が良さそうだったから人気あったのか。 >>96
あんまり道場にも来てなかったみたいだし、TBSのUを取り上げた番組でも
ジムのプールで水泳してるところしか出てなかったし、練習してなかったんじゃないの。
鈴木みのるに、スパーで圧倒されてから来なくなったって説があるけど、真偽は別に
して後輩から舐められやすいタイプだったんじゃないかな。 >>82
サムライTVでの山ちゃんといえば、
インディ批判よりむしろ
番組で共演した女性出演者や女子プロレスラーへの執拗な下ネタに辟易したのを思い出す。
それまで山ちゃんには良いイメージしかなかったから
あの下ネタ好きっぷりにはガッカリしたな。
あまりにしつこかったから
当時2ちゃんのサムライTVスレでもかなり批判されてたな。
インディ批判は別に良し。
DDTやイキイキ塾はじめ
どうしようもないクズが多かったのは事実だから。 橋本の垂直落下式DDTの受けっぷりが
よかった印象があるなあ。 >>97
後輩に舐められていたのは本当なの?
かつて田尻が放送席の山崎に花束を投げつけたとき
金澤が「あの高山や鈴木でも絡めなかった山崎さんにこういうことをするとは」
と言っていたけど。 Uのメンバーの中じゃ良くも悪くも常識人だから凄く嫌われてる訳じゃないんだよね。でも前田や高田ほどの存在じゃないから下からの、特に宮戸からの攻撃対象になった。他の若手もそれに引っ張られてなんとなく嫌いになった感じ。 新日に戻ってからは後輩からどうのこうの言われる事もなかったし、要するにUの若手たちのアクが強すぎたってのもあるでしょ。 現役時代の評価がゼロなのに、宮戸は何であんなに偉そうなんだ? Uインターから新日に移籍したあとに、新日とUインターが対抗戦やる事になった時は
気まずかっただろうなぁ。
嫌いな宮戸も辞めたし、少し移籍を待っていれば、Uインターのナンバー2として
10.9はセミで橋本と闘ってたかも。
結局、その後の1.4は武藤VS高田のセミで橋本と闘ったけど。
猪木をタッグでフォールしたりとか凄くよい扱いだったのは、上記を我慢したご褒美
だったのかも。 中野が山ちゃんの立て看蹴り倒したり、たいして盛り上がらない遺恨マッチやったりしてたな。 >>106
みんながめんどくさがってやりたがらない営業やフロント業務を率先してやったから >>108
あの試合、中野が「誰かがやらないといけなかった」みたいな事言ってたな。
中野相手に喧嘩みたいな試合をやるのが、Uインターに対する落とし前だったのかな。
そんなマッチメークよく飲んだなと思う。
長州は山ちゃんのそういう我慢強い部分を評価して優遇したのかも。 >>109
やってたの3年だけじゃん
しかも4年目には機能しなくなって5年目で潰れてるし 新日に戻った山崎は健吾と組んで「1番じゃないとダメなのか!?同盟」で暴れてほしかった。 新日を辞めた山崎が佐山に誘われてタイガージムに入ったとき、前田の仲介で宮戸も入ってて、
あの二人は同時期にタイガージムのインストラクターになった同僚だったんだよな。
でも佐山がUWFに参加することになって、二人もオマケでUWF入りしたときに大きな差がついた。
新日でのキャリアがある山崎は即戦力の若手として参戦初日からリングに上がれたが、
宮戸は安生らとまとめて「おい新弟子」と呼ばれる存在になり、デビューするまで丸一年かかった。しかもデビュー数日後にUWFは崩壊。
その一年の間に二人の差はさらに大きく広がっており、新日出戻り時代には山崎はUWF代表の五人に入っていて、藤原のパートナーとしてIWGPタッグ王者も任された。
一方宮戸は新生UWFになってもまだ前田に「おい新弟子」と呼ばれてた。宮戸の中ではずっと嫉妬と怨念が育っていたんじゃないかねえ。 まぁ体格やオーラとかアマ経験とか考慮すると宮戸はプロレスデビュー自体難しかったろうから… 宮戸のプロレスラー自称ほどイライラさせられるもんはない >>113
がんばれベアーズてフォール負けしたのと同じようなもの。 >>114
船木「何ですか新弟子って。誰か新弟子が入ったんですか?」
宮戸「いや、俺らのことなんです」
船木「えーっ、それはないですよね〜」
というやり取りがあったとのことだが
確かに1990年の時点で宮戸を新弟子呼ばわりはあまりな…。 とは言え山崎と同格扱いは無理筋
遥か彼方上の先輩だな 宮戸は新日道場の近くに住んでいて、中学時代にプロレスラーになりたくて道場に顔を出していたら、
当時、新弟子だった前田の子分になった。 宮戸の実家は神奈川の二宮だからそんなに近くもない
通うのに片道二時間くらいかかってただろう 山ちゃんの実家は尾山台だったとか
ご近所さんいるんだね Uインターでも山崎はちゃんとナンバー2の仕事してたからなあ
山崎居なくなって高田の前に負けて盛り上げる人がいなくなった >>123
神奈川県中郡二宮町。
大磯の先、小田原の手前あたり。 ガラスのうさぎで有名な町だね。
隣町の大磯は吉田茂の隠居地として知られている。 新日来てのマイクで「IWGP獲って、その後全日行って三冠も獲る!」とか行ってたな。そんなビッグマウス吐くタイプじゃないからちょっとカッコよかった。 G1が一戦ごとに気の利いたコメントしてた覚えが。決勝の橋本戦も橋本強い!って思えるいい試合。グシャッ!て感じに落ちて、直下式受けるの上手いし。 >>135
トーナメント勝ち進むたびに指を折っていったのは覚えている
準々決勝→2、準決勝→1みたいに 宮戸と仲悪い割には話のついてない全日の名前を出したり、なんだかんだいってUインターというか宮戸病に罹患してたフシもあったなあ。 なんだかんだ新日で優遇されて引退後も使ってもらえるんだから、まぁ大したもんだよ。宮戸じゃこうはいかん。 >>131 >>137
インター辞めて、フリーになった会見やった時に言った台詞が
「馬場、猪木に引導を渡す」だった。
その後も、何かの雑誌で全日参戦するような話してたんだが・・。
全日には高山、垣原、オブライト居たしユニット作っても良かったと思う。
>>135
G1決勝も前年のIWGP挑戦もいい試合だったと思う。 >>139
あんときの山崎には「何時代錯誤な事を言ってるんだ?」という印象しか受けなかった。 >>140
確かにw
95年当時でも馬場猪木はないよな、いくらなんでも。
もう、武藤三沢の時代になってたし。
それでも、猪木には引導渡したか。
ただ発言以外でもっと解らなかったのは、あの会見の場に稲川淳二が居た事だったw 高田はUインター時代の著書で、練習着みたいなコスチューム着てそれでもプロか?と宮戸批判をしていた。 姉貴の車に布団と着替えを積んで、道場に行ったんです。
合宿所の扉を開けて「あのー、すみません」って言うと、最初に応対してくれたのは確か新倉さんでした。
「あのー、今日から御世話になる山崎一夫という者ですが・・・」
「おう、聞いてる、聞いてる。上がれ」
「はい。失礼します」
靴を脱いで中に入って、まず最初に合宿所にいた選手たち一人一人に挨拶して回ったんです。
「本日から御世話になることになりました山崎一夫です。よろしくお願いします」
それで、一緒に来てくれていた姉貴が「あんた、この荷物どうすんの?」って感じで合宿所の玄関先に佇んでた時に、寮長だった前田さんが二階から降りてきたんです。
姉貴の姿を見て前田さん、どうしたと思います? 僕が最初、挨拶しに行った時は憮然とした態度だったのに、一変して、
「おっ、お姉さん。お茶飲みに行きましょう!」
そう言って、降りてきた階段をダダダダッて駆け上がって自分の部屋に財布を取りに行ったんです。
僕は、それを見て目が点になってました。「なんなんだ、この人は」と思って。そうしたら木村健吾さんが出てきて、
「お姉さん、早く逃げなさい!」
それで、姉貴はわけのわからないまんま「はい」って車に乗り込んで、逃げるように帰っていったんですけど。
そのあとで階段から凄い勢いで前田さんが駆け下りてきて「あれ? お姉さんは?」って言うわけですよ。で、健吾さんが「もうとっくに帰ったよ、バカ」って。
漫画のような話ですけど、これは実話です。あの時、健吾さんがいなかったら、いったいどうなってたんですかね。ちょっと恐ろしいです(笑) たまたま僕が入って三ヶ月後にクロネコが留学生みたいな形でメキシコから来て、誰もスペイン語が話せないもんだから「お前、世話しろ」って言われて、同室にさせられたんです。
彼はすでにメキシコでデビューしてたらしいんですけど、片言の日本語と、片言にスペイン語と、片言の英語と、三ヶ国語混じりの会話でコミュニケーションとってました。
こっちが日本語を教えて、向こうがスペイン語を教えてくれて、わからないところは辞書をひいて英語でっていうような感じで。
だから、メキシコに行ってないのにスペイン語が話せるというのは僕だけですよ(苦笑)。 僕がデビューする前に、こんなことがありました。
後楽園ホールで、前田さんとジョージさんが組むタッグマッチで、僕は階段を上げたりロープを上げたりする仕事をしてたんです。
ジョージさんはいつもトップロープを飛び越えてリングに入るんですよね、両足を横に流して、ミル・マスカラスのように。
それがわかってたんで、ジョージさんが先に走ってきて入場する時には、僕はロープから離れてたんです。
前田さんはいつもロープの一段目と二段目を開けた間から入る人だったんです。でも、その時は何を思ったか・・・。
ジョージさんって結構女の子に人気があって「キャーッ、ジョージさん!」って黄色い声が飛んでたんで、それに触発されたんでしょうね。
両手でトップロープを持って、足を両手の間に抜いて、飛び越えてリングに入ろうとしたみたいなんです。
でも僕は「次は前田さんだ」と思って、たまたまちょっとよそ見しながら、フッとトップロープを持ちあげたんです。
それも、飛んだ瞬間に上げちゃったらしくて、前田さん、両足の爪先をトップロープに引っかけて、顔からマットにベチャーンって。
前田さんも苦笑いしてるし、お客さんも大爆笑だし、レフェリーも笑ってました。あれは最高におかしかったなぁ。 (佐山の)付き人をやっていて大変だったことっていったら、最初、タイガーマスクは正体不明、国籍も不明ということだったんで、サイン会とかで日本語をしゃべれないんです。
だから、うろ覚えのスペイン語と英語で、お客さんにわからないように「右から何番目のお客はなんか変だ」とか、お客さんの質問に対して、そういうとんでもないことを言うわけです。
それをもっともらしく、僕とケロちゃんで通訳するのが大変でした。
あと巡業先では、朝、ホテルの前でカメラ小僧が待ってるんです。佐山さんは気持ちよく朝シャンして、髪をセットしているから、本当はマスクを被りたくないわけですよ、乱れるから。
それで、僕は先に様子を見にロビーに下りていって、佐山さんの部屋に戻って「すいません、今日も小僧たちがいるんでマスクを被ってもらいたいんですけど」って言うんです。
そういう時だけは佐山さん、ちょっと機嫌が悪かったですね。 そうそう、札幌でこんなことがありました。
その日はテレビ中継があったんですけど、テレビ中継の時は、控室にモニターテレビが置いてあるんです。
その頃って、よく自分の名前をプラカードにして、テレビカメラに向かってワーッてやってるガキ、いや、お子様がいっぱいいらっしゃって、僕ら若手はそういうのを掴み取って捨てちゃう役目を命じられてたんです。
特にタイガーマスクとか猪木さんとか藤波さんとかが出てくる時は、花道に人がワーッて群がるんですよ。
必死になって道を開けてる時にプラカードを持ったガキが来たんで、そのプラカードを左手でむしり取って、右手でワンパンチしちゃったんです。
それがちょうどテレビカメラが迫ってるところで、そのあとで控室に呼ばれて、藤原さんに「バカヤロー、テレビに映ってんじゃねえか。客を殴るんじゃねえ」って怒られて、
「すいません、どうすればいいでしょう」って言ったら「足でいけ、足で」って(笑)。
「足だったら、テレビに映らないから」って。
今思えば、その時からキックを使う事を覚えたのかもしれませんね。 >>136
逆では?
一回勝って指一本立てて、二回勝って二本立てて、三回勝って…… ネコちゃんと合わせてクロネコ、シロネコって呼ばれてたっけ もう一つ、これもその頃の話なんですが、佐山さんがマスクを被って、マントを羽織って、これから入場しようっていう時に、スーッと酔っ払いのおじさんが佐山さんの後ろに来たんです。
僕は横についてたんで、たまたま気が付かないうちに、逆側から後ろに回られちゃったんですけど、真後ろに立って、虎のマスクの両耳を掴んで「頑張れよ、タイガー!」って言いながら頭を揺すってるんです。
佐山さんの頭がもう前後にガクガクしちゃってるんですよ。
佐山さんって普段は凄く優しい人なんですけど、キレると速いんですよね、気が短いから。
チビッ子ファンの夢であるタイガーマスクが、キレてお客に手を出したりしたらヤバいなあ、そう思った瞬間、僕の右手がそのおじちゃんの顔にバチンといって、ゴロゴロゴロッて。
試合終わったあとで、佐山さん、控室に帰ってきて「ダメだよー、山ちゃん。あんなことしちゃあ」って。
あんたがキレるのわかってるからやったのにね。 小林邦昭「佐山は横柄な態度を取られると切れちゃうんですよ。
親分と一緒にいたヤクザに絡まれた時もその親分に謝らせていましたからね」
佐山氏の沸点の低さは本当に証言多数だな。。。 あっ、こんなこともありました。
佐山さんが自分の試合の前に、ほかの若手の試合を見に行ってたんです。控室には猪木さんがいて、猪木さんがまたイタズラ好きなんですよね。
「佐山の靴、持ってこい」
って言うから、持っていったら、その靴ヒモを固結びにしてダンゴをいっぱい作るんです。ギューって思いっきり締めて。
佐山さんが自分の出る二つ前の試合ぐらいに戻ってきて、もう二人で大慌てでヒモをほどきました。 猪木さんのエピソードといえば忘れもしない、高田さんが付き人やってた頃の話なんですけど、よく「明日、走るぞ」って突然言うんです。「明日の朝六時に起こせ」と。
みんなしょうがないから、高田さん、僕、高野俊二、小杉さん、仲野信ちゃんっていうメンバーで一緒に起きてランニングするんです。
走り出す時には猪木さんが一番、先頭を走ってるんですけど、僕ら若いから、どんどん先に行かなきゃいけないんです。
だから猪木さんを抜いて、その5人でずーっと走って行くんですけど、気づいたら後ろを走ってた猪木さんの姿も見えなくなってて、ゴールがどこだかわからないわけです。
みんなで止まって待ってるのもアレだし、「どこまで走れば猪木さんが納得するかな」って、ずっと走り続けてたら海岸まで行っちゃってね。冬の寒い北海道だったと思います。
海岸まで着いたから「もうここまでくればいいだろう」と思って待っていたら、猪木さん、来ないんです。途中でタクシーに乗って旅館に帰っちゃったらしいんですよ。
僕たちが走ったのは何だったんだって。その時の写真、確かどっかにありますよ。猪木さんが走るっていうから、カメラマンの人もついてきたんです。車に乗って先の方で待ってたのかな。
でも結局、写真には僕らだけ写っていて、猪木さんはいない(笑)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています