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ジンクがアジアタッグに挑戦していたのも知らなかった >>625
純金で作った本物のPWFベルト?
それは馬場家の資産じゃないの? >>625
馬場が自前でカネだして作ったら馬場個人の物、全日のカネ使って作ったら全日の資産。
問題があるとしたら金の密輸だな。もう時効だろうし証拠も無いだろうし。そもそも故人だしな。 2000年に発売されたゴングの竹内さん著「プロレス雑学簿」には、PWFヘビー級のベルトは純金製とレプリカの二本作られ、レプリカベルトはドリー・ファンクJr.に預けたと書いてある。
これは馬場が渡米して防衛戦を行うとき高価な純金製ベルトを持ち運ぶのは紛失などのリスクが大きいので、ドリーに預けたレプリカベルトを使おうと考えたからだ。
しかしドリーは何を勘違いしたのか預かったレプリカベルトを「貰った」と思いこんでフロリダで新設されたタイトルにレプリカベルトを提供してしまったというのだ。
これを知った馬場は慌ててレプリカベルトを回収し、以後日本での防衛戦に使用することとなった・・・と記述してある。
ドクトルルチャのブログとは経緯が異なるが、日本で主に使用されたのはレプリカのPWFベルトだったことは間違いない。 実際プロレスのベルトって純粋な貴金属の加工品としては
どの程度の資産価値があるのかねえ
プレートや飾り細工にしても見た目はそんなに厚みのあるものでもないし
仮に純金や純銀プラチナとしてもよく考えるとそんなに大量に使ってるものでもなさそうだし
よく宝石をちりばめてなんていうけど宝石ってよく考えると
質のいい原石のそのごく一部だけを精密加工細工を行うから高いんで
グレードの低い石から土産品用なんかにされるレベルのものだと
文字通り石ころに毛が生えたようなもんだよね
彫金とかの加工にしても別に特別凝ったって感じでもないし
「NWA(AWAでもPWFでもアジアでも可)のチャンピオンベルト」って付加価値が無ければ
おいくら万円くらいのもんなんでしょう?
まあ本当に高いものだと放り投げたり血まみれの相手ぶん殴ったりできないけど >>619
昭和全日本のアジアタッグの中心は後楽園ホールでも地方でも小会場がほとんどだったな
それが平成に入ってカンナムが参入すると武道館でもやるようになった アジアタッグは中堅クラス選手が地元興行で帰ってきた時にセミあたりで組まれてたな >>629
正確には純金・国内での試合用レプリカ・海外での防衛戦用レプリカの合計三本じゃなかったっけ
で、三本目はドリーに無断使用しないように言い含めて海外に置いたままにしてたような ベルトが空港の金属探知機に引っかかる度に「俺はプロレスのチャンピオンだ」と説明するのが煩わしかったとレイスが話していたような記憶が・・・NWA世界王者でも世間では「何それ?」状態だったからPWF王者などチンドン屋にしか見えなかったことだろう。
ベルトもきちんと目的地に着くかもわからないからレプリカを置いておくのは慎重な馬場らしい措置だ。 >>631
時価にして一億円するという触れ込みだったIWGPの初代ベルト、優勝戦のセレモニーでホーガンが
腰に巻いてるのを見ると明らかにプレート部分の宝石が幾つか剥がれ落ちてなくなってる
ちなみにそれに気づいた若手が「高価な宝石なくしたどうしよう」と生きた心地もしない状態で
上に報告に行ったら「気にすんな、あれただのガラス玉だから」と言われて拍子抜けしたという話が ベルトは臭い
汗や血で濡れては乾き、濡れては乾きして
強烈なにおいがする・・・のかな? >>638
汗まみれでベルトを巻いているのも数分間だから、すぐに拭いて消臭剤かけておけば問題ないんじゃない? >>638
そうした(腰に巻いて来たレスラー達の)血や汗、更には乾杯の時滴り落ちたビール等が
ベルトの価値を高めて行くんだろ。
つまりそう言ったベルトに着いた臭いや汚れは、ベルトを守る為に闘って来たレスラー達の刻印みたいな物だ。 >>632
昔はメインでは無理な中堅レスラーのベルトだったのに変わってしまって、
中堅レスラーの晴れの舞台は無くなった >>631
>「NWA(AWAでもPWFでもアジアでも可)のチャンピオンベルト」って付加価値が無ければ
おいくら万円くらいのもんなんでしょう?
ベルトの制作料が結構掛かるようだから見栄えの良いベルトにするなら最低数百万はすると思うぞ
新日ベルトは東大阪の中小企業が格安で作ったらしいがw >>631
倉持アナがNWA世界ベルト=レイス・ベルトは「1万ドル」と言ってたな。本当かどうか知らんが。
>>637
>>638
全日本の三冠ベルトはどれも傷みまくって悪臭放ってたからリニューアルしたらしい。
さすがに何十年もそのままだと劣化するだろうな。
天龍が言ってたけど、全日本のベルトは試合終わったら会社が預かるから持ち出せないけど、新日本は持ち出し可能なのでIWGPとったあとベルト持って飲み行ったらしいねw
そういやハシミコフがIWGPベルトもらったもんだと思って、売って金にしたという噂あったねw 竹内さんの「プロレス雑学簿」によると、チャンピオンベルトを肩に掛けるポーズを最初にやったのはドリー・ファンクJr.らしいとのこと。
NWA王者時代のドリーがPR写真撮影中にいろんなポーズをとりながら、テキサスのガンマンがガンベルトを肩に掛けていたのを思い出してやったのだそうだ。
そのポーズが好評で以後レイス、ブリスコ、テリー、フレアーら歴代王者はもちろん他のチャンピオンも真似するようになった。
さすがグレートテキサン、ドリーらしい斬新な発想だ! PWFベルトが純金なら、原型になった力動ベルトより一回り大きい分だけ
金の使用量は大きいから純粋な資産としては高価いことになる。
ただPWFにはなく力動ベルトには使われている石の価値が
どの程度かにより違ってくるか。
馬場自身は手元の力動ベルトと純金PWFベルト、どっちが好きだったんだろうな。
元子の好みはPWFの方だったろうが。 そいやブロディはインター王者時代、いつもベルトは腰に巻かず、手に持って入場して来たな。
更に防衛後の控え室での写真もベルトを腰に巻いた物見た記憶が余りに無い様な・・・
まあそれはブロディなりのポリシーと言うか拘りだったんだろうけど。 元子時代までは年に数回業者にベルトを預けてメンテナンス頼んでたらしい
武藤時代以降はメンテナンスしなくなったおかげでどんどん酷くなっていった ちょい追記>>ベルトを腰に巻かないブロディ
今思い出したんだけど、1度だけブロディがインターのベルトを腰に巻いた写真を見た事があった。
ただそれも、バックルの留め金をしっかり固定して巻くと言うより「手で押さえてるだけ」の様に見えた笑 >>636
プロレスのチャンピオンだろうが、ボクシングのチャンピオンだろうが、金属探知機には引っ掛かるだろ。
何それ状態とか関係ない。 >>652
プロレスを見下そうとするクソ人間に言われたくない。 インディー各団体にも多くのベルトあるけど、みんな豪華で高いのかな?? >>643
>>644
まあ貴金属や革、ビロードといった素材や
デザイン彫金全体の造作自体はどう見ても大したもんじゃないし
あくまで一般には需要が無い製品ゆえのオーダーメイド対応不可避による
人件費というか手間賃コミコミのお値段ってかんじなんだろうねぇ
そう考えると純金やダイヤとまでは云わずともプレート部なんかは
一応五輪メダルのように純銀やプラチナ素材に金メッキとかで本当に作られてたら
有名なベルトなら当時で数千ドルくらいは妥当ってところか?
それだと倉持さんもうちょっとTV的には大げさに吹いてもよかった気もw
でもほとんどのローカルタイトルとか弱小団体のベルトって
ブリキや銅板加工に金色や銀色塗装,、ガラスやプラ玉ビーズをセメダインで止めて
ベルト地にニカワで貼り付けって気が…w ホームセンターあたりにも金属そっくりにコーティングできるDIY商品とかあるからな。 70〜90年代ぐらいまでのチャンピオンベルトはレジーパークス製が多いようだが。
今は弟子のデイブ・ミリカンがベルトを作っているな。
この人にNWA(レイスモデル)レプリカで作ってくれっていったらどの位かかるのだろう。 ワープロ見てたら、久しぶりにキング・ハクことプリンス・トンガが出ていた
息子たちと比べると動きがスローモーだった >>642
当時は馬場・鶴田とそれ以外の差が大きかったからな
また他団体から来た選手を入れる混成チームも多かった
後にも分裂前後の本田や嵐の時期がそうだし
若手が多くなれば登竜門
ジュニアが増えればジュニアタッグ
そうした柔軟性もアジアタッグの魅力 >>663
> ジュニアが増えればジュニアタッグ
そんな時期があったんだ。
でも昭和はおろか2000年、武藤全日本以降の話だろ。 馬場の最後のタイトル挑戦って小橋と出たアジアタッグだっけ
相手は川田冬木のフットルース? 馬場にとってはUNだけが縁が無かったことになるのか
あれはNo.2が巻くベルトで馬場はすでにエースだったから 馬場小橋対冬木川田、テレビ中継した?
当時だとVTR販売とか? でもこの馬場小橋vsフットルース以降、カンナムやらファンタスティックスやら外人勢が大挙押し寄せて日本人同士のアジアタッグがパタッと無くなったよな >>666
UNヘビー級は格下のNo.2が巻くベルトとして認知されてたけど、
インターナショナルヘビー級とPWFヘビー級はどういう位置づけだったんだろう?
3本を統一する意味あったんだろうか? >>671
インターは力道山から引き継いだ新日とは違うぞというベルト。
PWFは馬場専用 >>672
過去の伝統の歴史と実績を考えたらインターとUNはPWFより上回る。
でもPWFは馬場専用だからその二つより下に位置付けるわけにゃいかん。
実際にUNが三つで一番下に位置付けられていた。
馬場=PWF
鶴田=インター
天龍=UN
でも天龍時代のUNはシンやハンセンも挑戦しとる。
鶴田時代のUNはブッチャーやブロディ。
UNが鶴田より下の位置付けの天龍専用になって事実上【インター>UN】になった。 >>673
馬場がインター、猪木がUNの時代も、インター>UNだったんじゃないの? >>674
猪木がUNを獲った時点でのサム・マソニックのコメントでは
インターと同格
もちろん力道山時代からの実績があるから建前上のことではあるが
それでもNWAとダブルタイトル戦が組まれるくらいだから
その後のUNとは同列ではない
猪木王者時代があまりにも短かったから
日プロ分裂がなかったらどうなってただろうかな 馬場タイガー高木組で馬場が天龍からフォールとった試合もノーTV? >>661
本物仕様NWA世界ヘビー級チャンピオンベルト デイブ・ミリカン製
https://aucview.aucfan.com/yahoo/d156660921/
落札額は伏せられてるが数百万で落札されたようだ
デイブ・ミリカンに直接頼んでも1万ドル位は取られるのかもw >>973
ハンセンとはPWFとのダブルタイトルマッチじゃないの? >>674
馬場の好敵手として定評のあったエリックが71年に一度猪木のUNに挑戦したのは、どういう経緯なんだろ。
当時のエリックからみればベルトの価値はさておき、猪木は馬場よりまだ格下という意識だったんじゃないかと思うが。 >>681
元々、71年のサマーシリーズ後半には
ザ・シークが特別参加して
馬場のインターと猪木のUNに連続挑戦する予定だったが
その来日がキャンセルになって、急遽エリックが参加した。
エリックは代役を務めただけ。 だから、71年の9月で
同じ一流選手(シーク→エリック)を防衛戦の
相手にする=インターもUNも同格という位置づけになった。
さらに、同年暮れは、猪木はUNを賭けて、NWA王者ドリーと
ダブルタイトルマッチ。かたや馬場は格下のテリーとインターの
防衛戦。ここで逆転した感があるね。
さらに翌72年の新春シリーズには、WWWF王者のPモラレスも
参加が予定され、猪木と対戦する予定だった。 エリックから見れば
アメリカでは馬場より猪木との方が因縁はある >>683
なぜこのシリーズで馬場対ドリーをやらないのかは昔から疑問だった
当時のゴングも事前には今度こそインターとのダブルタイトル戦を
と煽ってたのに
東京体育館は絶好の舞台だろうに
この頃のテリーが相手では格的に微妙すぎるし
そのせいかこの日の観客動員も悪い >>685
最終戦(12.12)の東京体育館、
馬場とテリーでは客が来ないので
急遽、アジアタッグ戦を組んだ。
(当初は予定なし)
12.1、名古屋で猪木&吉村対ドリー&マードックの
アジアタッグが行われ、1−1から時間切れ。
それに対して、外人組が強烈に再戦をアピールして
最終の東京体育館でリマッチというアングルにした。
特にドリーが、再戦を組まなければ、NWAタイトルマッチを
キャンセルして帰国する!とまで言った、とのこと。
世界王者がなんで、そんなにアジアのタッグタイトルに
拘るのか?疑問だが(^^:。
結局、その後、猪木は日プロを追放になり
タイトル没収、坂口&吉村対ドリー&マードックで
決定戦になったが。 >>664
ジュニア同士の最初の王者は昭和期の寺西・保永
前年のジュニアタッグリーグの開催など意外と全日本が新日本に先んじている部分もある
こちらは武藤期だがジュニアによる初のベストバウトも全日本 >>673
長州まで試合やコール順の扱いはPWF>インター
長州離脱後は逆にインター>PWFになっている TBSの打ち切り危機で恩を返した形だろうし
それに最後の崩壊の時はむしろ新日本が助けるべきだったろうし 吉原は猪木というより先輩の永里に遠慮してか新日本批判は最後まで出来ずその分まで馬場に責任を転嫁した印象も強い >>691
吉原氏が晩年新日本の顧問に就任したのもその縁なのかな?
今更感があったがR木村たちが帰れコールを浴びている最中に顧問になる訳にはいかなかったのだろうな。 >>693
R木村を新日本に戻す目的があったのかな?
しかしR木村は馬場から最強タッグのパートナーに誘われ、仲介の菊池孝氏から吉原氏がガンであることを知らされ新日本へ戻る意味はない旨説得されたとか・・・R木村には引退後自叙伝を上梓してほしかったが墓場へ持っていってしまったなぁ 吉原さんは木村らの新日への移籍金とかで草津が自宅抵当に入れてた分の
国際の借金返したり債権者にも返せるだけの借金返して
自分は慣れない保険の営業とかやってたそうだから
健康状態も含め永里氏の口添えあれば猪木や坂口も
そこは普通に業界の先輩でもあるわけで
いってみれば武士の最後の死に場所を用意してあげただけではないかなと思う
少なくともあの時点で新日側に本気で木村を呼び戻したり
吉原さんの影響力で旧UWFがどうなるなんて心配とかは殆ど無かったんじゃあないかなあ
むしろ吉原さん顧問に迎えたことが
吉原さん終生の悔いだったであろう大剛の事故の件から
ブッカーをヒトから大剛へチェンジ→キッドスミス引抜きという
ある意味ハンセン引抜き以上に当時の新日へダメージ与えた事件につながったわけで
そう考えると吉原さんってこう言うと申し訳ないけど
やっぱり本人自身がアンラッキーチャームだったんじゃあないかって気もする ヒトが「俺を怒らせたらどうなるか新日本に思い知らせてやった」と会見で言ってたが
あの時の引き抜きが無くても多分ブリティッシュ・ブルドッグスとしてWWFに引き抜かれてただろうから
新日離脱は必然だったと思う
WWFとの提携が切れた後は大剛の外人ブッキングに頼ってたし
若松マネージャーのマシン軍団はマニアには不評だったが客は集められたし
新日は吉原を顧問にして損はしなかったんじゃないか ヒトは新日本にクロケイド、全日本にトム・マギーちゅうトンデモ外人ブッキングしてたな。 >>689
旗揚げ直後となると当然に草津による馬場前歩かせ事件
それだけ当時の国際が優位だったかが分かるエピソードだったが同時に馬場が立場逆転したら報復してやると内心誓ったのも想像できる 吉原「猪木も交えてガイジンのお金の話をちゃんしなきゃいけないね」
馬場「そう言われてもねぇ」
佐藤昭雄「要するに、海外に顔が広いジャイアント馬場≠ニ
ガイジンの招聘に苦労するアントニオ猪木≠ニいうイメージを保ちたいわけよ
その当時、馬場さんが猪木さんに対抗できるのはそれしかなかったから。」 佐藤昭雄の語り口調や馬場の評価って
なんか有名俳優を親に持ってた子供の思い出って感じがしたな
ビジネスの貢献てな事を本人は語ってたけど
それ以上にあの距離感は同業店の親子だよな
「要は腹に一物をもってる」とかじゃなく
「何だかんだで親なんだからやっぱり感謝だよ」というサッパリした感じ >>697
古いが
とんだ食わせ者。
ってやつやね。。 トンデモ外人でも
>>697の2人みたいに
一興行のメインを務めて成立させてるならまだマシなんじゃないの?
多少有名でもメインとかでシングルで使ってもらえない外人だって結構いるし >>687
> ジュニア同士の最初の王者は昭和期の寺西・保永
たまたまそうだっただけで>>663の
>ジュニアが増えればジュニアタッグ
っていうのとは全く違うぞ。 >>701
うまい表現だね。
敵意は感じられないよね。 どのインタビューでも昭雄は馬場に自分の存在を認めて欲しかったという印象を受けるけど、馬場は
あくまで俺が世話してやった小僧という扱われ方だったというニュアンスで昭雄は語っている印象を
受けたな。 サンマルチノが「ビンス(シニア)にとっては全てのレスラーがボーイズにすぎない
勿論私も含めてね」とハンセンに言っていたって話があるが
プロモーター馬場の感覚も同じようなものではないか
馬場にはビンス(ジュニア)ですら「格下の小僧」で
だから日米レスリングサミットでビンス(ジュニア)にNOを突き通せたとか >>707
日本側に悪態ついてくるビンスに、馬場は坂口の方見て
「坂口、何なんだコイツは?」
と日本語で言ったんだっけ。 馬場はニューヨークでシニアにこき使われてるjr小僧時代を
見てるから全く動じないらしいな。 馬場はオイ坂口この餓鬼は日本人をバカにしていると言って
上から目線だったビンスを震え上がらせ坂口を感心させた キッドスミス電撃移籍の時もビンス坂口門前払いみたく? >>704
というかあの時期は挑戦者に渕や井上を起用するなどむしろ意図的にジュニア寄りにしていた感じ
八十年代最大の常連でもある石川だってその中に混じっても違和感は少ない感じだし まあ当時としてはむしろ浜口が駄目なら小林を起用しろと思った方だが
いくらなんでも別の意味で軽量すぎるだろうって >>712
ジュニアは三沢タイガーと小林で盛り上げてたから
それ以外のメンツでやってただけの話でジュニアとか関係ない。
全日は元々ジュニアとヘビーを新日みたいにきっかりと分けてないし。
ジュニア王者時代の大仁田もリッキーと組んでAWA世界タッグに挑戦してた。 >>714
大仁田は凱旋シリーズでいきなり2回もピン負けした
からなぁ。
所詮ジュニアははヘビーに敵わない、という
馬場の意向がうかがえる。 ジャパン参戦後の昭和六十年代のアジアタッグは完全に日本人のみなんだよな
せめて最後の88年の秋では折角のロックンロールエキスプレスに挑戦してもらいたかったが 邦明にインタージュニアが渡った時、保永と新倉相手に防衛戦連発した時は
「身内相手に楽な防衛戦しやがって」って憤慨した、あんなガリガリな前座レスラーに
ジュニア王座に挑戦する資格あんのかって >>715
凱旋シリーズでヘビー級と当てさせたっていうのが意図的なものなのか。
三沢タイガーの時はそんなことはなかったから、
間接的に「初代タイガーもヘビー級に混ざれば大したことないよ」と伝えたかったのか。 小林に負けた保永をアジアタッグでの浜口の代役にしたと聞いた時には心底驚いた
しかもそのチームにすら負けた事で凱旋から渕が気になっていた自分としても大ショック
その翌週に石川・井上で取り返した時には一応は安堵した物だったが >>719
俺もショックだったけど、最近の保永のインタビューを読むと馬場が気に入るのもわかるなと思う。
Uターンした他のジャパン勢とは違う。 あと馬場が評価していたのがヒロ斎藤
だからこそ世界ジュニアの初代王者にも据えたんだろうが 谷津と永源の策略で引退させられちゃったけど栗栖も。 >>722
栗栖が結構な大物外人と試合させてもらえたのも、馬場に気に入られてたからなのか、
やっぱり。 永源がいるから用済みになって小鹿が首になったとよく言われるが
レスラーとしても当時は永源の試合の方が面白かったように思う。
その後の悪役商会も小鹿がいたらできなかっただろうし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています