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家人はわたしのことを「お父さん」って呼ぶけれども
孫ができたりしたら「お爺さん」って呼ぶかもしれない。
そうせず「お父さん」のままかもしれない。そういうことじゃないかな。
>>482
馬場本人だけはハワイで日焼けしてくることがよくあったよな。
ただ日焼けで肩とかに皮がむけている時もあって
これは流石に客に見せてはいかんなあと思った。80年頃だった。 >>482
全日本時代の天龍は
「日焼けすると体調の変化に気付くのが遅くなる」
と言ってた エッジは家族旅行で日本に来たとき
テリーファンク引退試合を生観戦したらしいね >>486
新日の誰かが結婚した時に
当時いがみあってたはずの平成維新軍のメンバーが
正装で式に出席しているのが載ってたのは
流石にどうかと思った >>491
田中稔の結婚式で金本浩二が号泣してて?だった 結婚式の時はヤクザも揉め事自重するっていうじゃん
前田日明は泥酔して暴れたそうだけど >>485
エラリングはウォールストリート・ジャーナルを愛読してたらしいので、
それなのではと思いますよ。
移動中もコンパスなどを使って、人生設計図を描いてたらしいです。 >>491
週プロに「この日はノーサイド」ってキャプションが付いててそんなものなのかあ?って思った。 かませ犬発言の後、長州と藤波が抗争中にテレビ朝日の番組対抗のクイズ番組か何かに、新日本プロレスチームとして普通に猪木、藤波、長州の3人(坂口も居たかも?)が出演して普通に楽しそうに参加してた。 馬場とブッチャーも仲良くキャッチボールしていたというしな。 全日中継のゴールデンタイム復帰の会見で
馬場を中心に鶴田、天龍、三沢タイガーと長州、谷津、コバクニ
が並んでるのも、当時まだ小学生だった自分には違和感あった。
新日の正規軍vs維新軍よりはいがみ合ってる印象は無かったが、
それでもコバクニなんかは三沢のマスクをビリビリ破ってたし。 武道板のこのスレで木村の弟子の拓大の岩釣が全日本に道場破りに来て渕とアイアンシークに返り討ちに有った話を柔道オタクの連中がでっち上げだと発狂してる
力道山や馬場さん、渕のことも罵倒しまくり⬇
木村政彦はなぜ 4
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1527842576/ K1 地方大会で
ボブサップ軍団と武蔵がコンビニで談笑してたとさ。 >>497
それブッチャーじゃなくてデストロイヤーじゃなかったっけ >>501
いや、ブッチャーであってるよ。
誰か忘れたが、芸人か歌手でトーク番組で語ってた。 馬場とデストのキャッチボール
出何処はビートたけしのオールナイトニッポン
たけしの親父が足立区体育館での試合前に潜入したら二人がキャッチボールしてたという。
二人が敵対してた日プロ時代のことだったとか。
たけし親父談「アイツらホントは仲いいんだな」w
馬場とブッチャーのキャッチボール
出何処は元横浜銀蠅のリーダー。
自宅団地下の空地で全日の興行があって上から覗くと二人がキャッチボールしてたと。
まあどっちもネタ臭いけどなw >>503
そもそも試合前にキャッチボールなんかするか?という話なんだが。
控室でチェスやポーカーに興じるというなら、まだわかるが。 >>491
飯塚孝之、E・サムライ、野上彰いづれ結婚式もその模様が掲載されてたな >>503
オールナイトなんて、とある会場で馬場とデストのシングルが発表されてたけど、
デストが怪我で出れなくなったから、
そこら辺のガタイのいい奴にデストの覆面被せて無理やり試合やらせた、なんて話もあったな。流石にこれは100%ネタだろうけど。
偽デストが馬場に技食らって「痛いよ〜痛いよ〜」と日本語で叫び出して客がざわつき出したらしいw ブロディが亡くなって明日で30年か。
毎年、命日と時期が重なる祇園祭が来る度に思い出すな。
ブロディが亡くなる70年前の同じ日にニコライ2世も殺されて亡くなってるな。 中村敦夫の番組で中村が馬場とキャッチボールして
馬場が何十年ぶりと言ってたなあ。 >>507
熱狂的ブロディファンは17日夕方に屋根に上ってウォッウォッと雄叫びあげてるんだよね。 藤波の結婚披露宴にラッシャーが出席して握手している写真が藤波のフォトアルバムみたいなものにデッカく載っていたな。 今年もプロ野球のオールスター戦が華やかに行われたけど
プロレスのオールスター戦を毎年一回行う年中行事にするには・・・・
1・BIは不参加 (これは仕方ない?)
2・鶴田、藤波、若手、外人が中心
3・4人タッグないし6タッグを中心にしたカード編成
かな? マサさんはオールスターで、他団体のマスカラス相手にきっちり寝たんだよな。
マサさんはプロであり、あんな状況でも寝るのをイヤがった高千穂とは全然違う。 誰かを褒める時に違う誰かを貶す必要は無いと思うのだが 79年の品川プリンスホテルゴールドホールのファンクス対ブッチャー・シークを見たが、
翌朝のホテルでブッチャーとテリーが二人揃って仲良く朝食をとってたというのを目撃した人がいてちょっと驚いた。 >>514
ちょっと面白く無くなってしまうけど、
1.フリーの選手中心に。
2.各団体トップのシングル王者は出ない。
3.シングル戦は若手のみ。
4.なるべく対抗戦はやらず各団体提供試合にする。
オールスター戦やるには重要かな。
あとギャラの問題や試合順や放送局やDVD化するにはどこからか?いろいろ大変。 >>521
4の団体提供試合によるオールスター戦はベースボールマガジン社のドーム大会で実現したな。 第二回オールスター戦では大仁田vsタイガーマスクが確定だったのかな。
当時の大仁田のインタビューでは
「マスクで表情が隠れる彼と違って、自分は観客に喜怒哀楽を伝えられる」なんて語ってた。
あと鶴田の猪木への挑戦表明が面白かったな。
猪木と新間は「十年早い」「礼儀知らずだ」だの大騒ぎ。
これを受けた馬場が「同じようなことをお前らずっとやってるだろw」と切り捨てた。 BSでたまにやってる渕の食べ歩き番組けっこう面白い
コメントはぎこちないけど実直なキャラがよく出てる
渕自身もプロレスラーやっててまさか自分がメインのTVに出るなんて夢にも思わなかったろう >>523
「チャラチャラした星タイツのひとと試合したくない」も良かったね >>524
食事の時帽子かぶったままなのはどうなの
と思ったけれど検索してみたらマナー違反ではないらしい >>523
FMW時代に当時を振り返って
「宙を舞うタイガーマスクに対して地を這う大仁田w」と
自虐的に語っていたこともある。 大仁田のチャンプ時代は危なかしくてしょうがない塩試合が多いんだけど、怪我から復帰後の試合は後年の大仁田を想像すると中々味わい深い。
復帰直後、後楽園でのロジャーカービー戦がオンエアされたけど、カービーの何でもない足攻めに目ん玉むいて絶叫してのたうちまわって、
FMW時代そのままのリアクションだったなぁ。 >>530
大仁田の試合が塩試合ってよく目にするけど、
子供の頃、楽しんで見れてたけどなあ。
そんなにひどかったかねえ。
単に佐山と比較されてたたけなんじゃないか? 自分も子供の頃は楽しんで見てたほうだけど
ただ、今思い返すと内股でチョコチョコ走るのがねえ…
女の子が運動会などで上品に走る姿に似てるというか…
あれがスピード感を欠けさせてたように見える原因だと思うんだよね
プロとしての試合の姿勢や見栄えを気にする馬場が、ああいうのは気になんなかったのかな?
大股で走れとは言わんけど、レスラーなんだからあの走り方はマイナスだったと思うんだけど… 大仁田が大けがしなかったら、井上のタイトルマッチ絡みのプチブレイクは無かったのかな?
それとも、大仁田が王者のままでも、日本人の強敵として井上に期待してたのかな馬場は? 大仁田がケガしなかったらライバルのポジションは渕になって井上は普通にヘビーの中堅のままだったと思うよ
ちなみにウルトラマンレオがバーミン星人との戦いでサマーソルトドロップ二連発から腕を振り回して三発目狙ったら
案の定かわされて自爆する再現度高いムーブやってるの見て笑った 大器として期待されていた三沢はどうなっていただろう
大仁田が負傷しなかったら、ジュニア経験せずヘビー戦線に放り込まれていただろうか 淵はどうして凱旋以後は急にポジションを落とされたんだろ?
テリー引退試合の日にチャボに挑戦するという大抜擢
そこで負けてから二度とスポット当たる試合はなかったような?
チャボとの試合はそんなに悪くなかった気もするけどね…
でもチャボとの試合を含めても数試合でしょ?ちょっと見切りが早かったような…?
ジャパン軍が来て、小林やヒロと抗争するまでは何のチャンスも無かった気がする やっぱり試合が地味すぎたんじゃないか。
ジュニアだと当時はどうしても初代タイガーと比較されるから。
渕は飛び技はドロップキックくらいしかなかったからなあ。 >>538
まあそうだけど
でも試合内容とは別で、当時の全日メンツの中では個性があったと思うけどね
個性というか、消去法的な見方になるけど「新日」に近い風貌やスタイルだったから
厳密にいえばやはり違うんだけど、黒タイツにジャーマンができて、腹が出てない選手は珍しかったからね
腹が出てないというより、ちゃんと脂肪がのってるというのが正解かな
馬場は胴回りが細いレスラーはあまり好きではなかったみたいだから >>539
個性はあってもヘビーでやるには小さいから売れないよね。 渕は凱旋帰国した頃にインタビューで
「バックドロップとジャーマンはほかの誰にも負けない」なんて
派手にアピールしてた。
でもバックドロップを決め技にしだすのは平成に入ってからだし、
ジャーマンにしてもピンとこないし、謎のアピールだったな… >>541
ダニー・ホッジみたいになりたいとも言ってたな。
結局、本人がそう思っても馬場や対戦相手が了承しなかったら
決め技にはできないってことなのかなと思った。 雑誌とか新聞で「渕のジャーマンはゴッチから伝授された」ってことになってたけど、実際はゴッチの所訪ねたとき時間なくて習ったのはサブミッションだけだったらしいねw
チャボ戦で出したスタンド式の逆4の字みたいな技チェーンデスロックも海外修行の土産みたいな触れ込みだったけど、会場の反応イマイチだったよね。
チャボと渕の試合は良かった。チャボの全日本の一番の名勝負じゃないかな。大仁田との抗争もドロドロしてて面白かったけど、内容はチャボと渕の試合のが良かった。 でも淵はジャーマン出したのはチャボ戦くらいで
テレビマッチの記憶では、それ以後は出した記憶ないんだよね
相手のバックは取るんだけど、結局はバックドロップにしちゃう
そのバックドロップもドリー式に比べりゃあれだけど、けっこう優しめでね
投げた後に、相手の体が九の字に反り返るようにバウンドする急角度のやつは菊池戦からぐらいかな?
40歳過ぎてから技に説得力が増すのって珍しいよね、遅咲きの典型的な選手だと思う >>544
ジャパン勢が去った後の王座防衛戦でピート・ロバーツからフォールを取ってる。 渕にとって不運だったと思うのは
大仁田があんなことになってせっかく自分に順番?が回ってきたその時期に
ちょう鶴田がそれまでの若大将イメージから
本格派へのイメージチェンジを大々的に図ってた時期で
そのの本格派への脱皮の象徴が黒タイツと
テーズ教室で直伝されたと謳う「へそで投げるバックドロップ」だったこと
当然その鶴田を差し置いて本格的なバックドロップや
同系統のイメージの付きまとうゴッチ教室仕込み(という触れ込み)のジャーマンを
渕がフィニッシュにするのは鶴田との兼ね合い上無理だったのは仕方がない
でもこの時期に全日ジュニアの看板としてチャボやセブンw
その後のキッド小林、場合によっては井上タイガーあたりも含めた相手と
ジュニア王座を巡る大々的な抗争をしなかった(させてもらえなかった)そのおかげで
後年になって>>544の方が書かれてるような
「地味だが実は影の実力者」キャラで長い間通せたともいえると思う 渕は凱旋帰国の時、
「ワンマンギャングをバックドロップで投げた」と言ってたので、(ギャングはその時点未来日だったけどマニアにはその名は知られてた)
どんな凄いバックドロップなんだろうと思ってたら優しめのバックドロップでガッカリした覚えがある。 >>536
佐山タイガーがそのまま長く新日本でやってたら三沢タイガーも無かっただろうし、
越中みたいに、なかなか帰国命令出ずだったかな?
素顔でヘビー級として凱旋帰国だったか?違うキャラをつけられたか?
馬場はどう考えてただろうなぁ〜 越中三沢でタッグを結成して
第三回のPWFタッグリーグでマスカラス兄弟と優勝戦を戦う、かな。
内容が評価されて最強タッグへ。 >>549
みんなの笑顔を見るとちょっと泣ける、この中には色々あった人も多いから余計 >>551
三沢は若手の頃から特別待遇されてたから、
良いタイミングで帰国させて、
チャンスもドンドン与えてただろう。 三沢は近所の人からあんたは偉くなれるよと言われるほどだったからな 当時の全日の新人(非他スポーツスカウト組)で後輩が入ってくる前に初勝利あげたのは三沢
だけだからな
越中は後藤が、後藤は三沢がデビューしてようやく初勝利
川田はあまりにも後輩が出てこないから二年近くたってようやく後藤に勝たせてもらったけどw
三沢は外様とはいえ先輩の菅原からデビュー二ヶ月足らずで初勝利 >>548
トミー・リッチを失神させたことがあるので
ブリッジ式からスライド式に変えたと後年言ってたな。 >>556
冬木が若手の頃の思い出で語ってたね
「みんな俺の前を素通りして三沢のところに行って「君は凄い!」と褒めて
俺の前を素通りして帰っていく。それが何人も続く。」とか トップに上り詰めれば、人は変わらざるを得ない。
三沢も団体のエースになれば、変わってしまうのは仕方ないんだろうけど
ターザン山本にカード決められるのは不快だとしても、
「渕さんもいらない」「元子さんを外してくれ」
ここまで傲慢になられたら、馬場も嫌気が差しただろうな >>554
集合撮影、大森の並ぶ位置があまりに謙虚すぎる
元子のお気に入りだったんだから、堂々ともっと目立つ位置に写ればいいのに… ジャイアント馬場夫人、馬場元子の内助の功
https://www.youtube.com/watch?v=aRkTRmZSkm8
元子の「馬場さんLOVE」があまりも凄いからなあ。
自分の子供みたいな溺愛だもん。
そりゃ三沢が社長になって馬場のやってきたことを
改革しようとしたら分裂は避けられないわなあ ――今日は「三沢光晴離脱後の全日本プロレス」をテーマにうかがいます。小佐野さんは三沢さんたちが全日本を離脱したときにどう思われました?
小佐野 変な話ね、あの年の初めから「三沢たちが全日本から独立するんだろうなあ」とは感じてて。それはどこのマスコミも感じていたと思うんだけど。
記事にしたのは『週刊ファイト』だけだった。ほかはどこも書かなかった。
――それほど事態は風雲急を告げていたんですか。
小佐野 オーナーの馬場元子さんと三沢の仲がどうにもならないというよりも、あのときは三沢が社長としてやろうとすること、やったことに対して、
元子さんはすべて否定する立場にあったから。「このままでは一緒にはやっていけないだろう」とみんな感じていたんです。
――元子さんは三沢さんの方針に否定的だったんですね。
小佐野 その伏線は馬場さんが生きていたときから張られてたんです。馬場さんが亡くなったのは99年1月だけど、98年5月2日に全日本が初めて
東京ドームをやったんです。あの大会直後、長年の激闘により身体がボロボロだった三沢は長期欠場してるんだけど。8月に復帰するときに現場の
全権を馬場さんから譲ってもらってるんですよ。というか、「ください」という話を馬場さんにしたんです。
――それは勇気のいる申し入れですね。
小佐野 馬場さんもやむを得ず三沢に譲った経緯があったんだけど。馬場さんが亡くなったのはそれから何ヵ月もなかった。そうなると元子さんには
「あのときに三沢くんが全権を奪ったから、お父さんが気落ちして亡くなった」という感情が出てきてもおかしくないと思うんだよねぇ。
――変な話ですけど、もう少しだけ時が経つのを待てば……。
小佐野 馬場さんが亡くなってから三沢光晴が全権を握っていれば、元子さんとの仲はあそこまでこじれなかったかもしれない。だって三沢が
全日本の社長に就いたとき、元子さんは社長室から馬場さんの持ち物をすべて出したはず。三沢には何一つ使わせていない。
――うわあ……元子さんはそういった感情ありきで三沢政権を見ちゃうんですねぇ。 小佐野 あくまで推測だけどね。三沢のやることなすこと気に食わなくなくて「それは馬場さんのやり方とは違う」となる。馬場さんがまだ生きて
いたときでも、三沢がトップになってからは選手の自己主張がオッケーになって、それまでとは違った流れが全日本に生まれたから。その時点で
元子さんからすれば「三沢くんのやり方はおかしい」と思ったんじゃないかな。
――いま話を聞いて思ったのはSMAPの独立騒動なんですね。事務所のトップであるジャニー喜多川さんやメリー喜多川さんはかなりの高齢だから、
もうちょっと待ってから独立に動けばこんな騒ぎには……という。
小佐野 その頃の私は『週刊ゴング』には籍を置いてなかったし、取材記者の立場ではなかったけど。元子さん、三沢、どちらとも仲が良かったので
非常に複雑でしたねぇ。独立する三沢のことは応援したいし、かといって全日本が潰れてしまうのは困る。
――小佐野さんはどんなかたちで分裂すると想像してましたか?
小佐野 これは想像つかなかった。川田(利明)、渕(正信)さんの2人だけが残るなんて絵もね。分裂を回避するには、現場でやることに
関しては三沢の思うようにすれば丸く収まったんだろうけど。
――元子さんからすると、そうはいかなかったということですね。
小佐野 ただ、全日本の内部にはそれ以外の問題も積み重なっていて「もう全日本にはいたくない」というスタッフや選手がいたんです。
レフェリーの和田京平さんなんかに言わせると、東京ドームのあと休んでいた三沢のところにいろんな人が全日本のことで相談にくる。
そこで三沢は義侠心にかられてしまって「馬場さんに言えるのは俺しかいない」となってしまったんじゃないか、と。
――三沢さんに野望があったわけじゃないと。
小佐野 三沢は決して自分がトップに立ちたくて動いたんじゃなくて、みんなの意見を聞き入れて馬場さんに物を言ってしまった。 スケートのデニス・テン選手が刺殺されると言う痛ましい事件が起こったけど、きっかけは
犯人がテン選手の車のバックミラーを盗もうとして揉み合いになったのが原因らしい。
所でディック・スレーターもポール・ジョーンズの車から何かを盗もうとして大乱闘になって
それがきっかけでレスラーになったんだよな。
もしスレーターが素手の喧嘩では無く、刃物を使ってたら、今回の事件の様に痛ましい結果になってたのかな・・・・
そう考えると、本当にゾッとする・・・・・ >>554
何で小鹿だけ厨房から出てきた様な格好してんの? 大量離脱の中心人物の三沢仲田会計士が早逝したのは元子の呪いか
生き残ったのは日テレのDだけ >>475
メガネスーパーの田中社長も会長になったんだけどプロレス雑誌だと最後まで「社長」扱いだったし、そういうもんじゃね 愛称みたいなもんだろ
吉田茂首相は引退後も側近からは総理と呼ばれてた まあ、全日の大半の選手が入門時から「社長」と呼んでただろうし
それ以外の呼び方は急にできるもんじゃないかも
ある程度ランクが上がれば「馬場さん」と呼べるだろうけど >>554
ノアに属してるレスラーは参加できないのか、小橋と百田は派閥から外れたから >>551
三沢はアメリカに移されただろうな。
まあ5年くらい向こうでじっくりプロレスを覚えるべきだったが。 飲み会の会長も会長だしな。
サークルのトップも代表だし。 日本人は社長でもない人を社長(というよりシャチョー)とか先生などと呼んで侮蔑するところがあるからな。 馬場とエリックの試合をアメリカで行われたの見たんだが、
馬場に声援飛んで、エリックはブーイングなのが以外だった
普通はアジア人に罵声飛ばすんじゃねえの? >>580
それはロサンゼルスでのインターの試合?
エリックは地元以外はヒールだったようだし、一応ドイツキャラだからね。
馬場は新人時代はヒールだったが、日プロのエースになってからは米マットでもベビーだったから声援が飛んだのだと思う。日本人街もあるし。 >>560
別にターザン案を丸呑みしていたわけじゃない
デビュー間もない秋山の抜擢はむしろターザンが唖然としている 小鹿と戸口の対談によれば、馬場はベビーとヒールの戦い方の使い分けが出来ていたらしい
バトルロイヤルでアンドレと当たった時に、日本では使った事のないショルダークローを使ったのも
アンドレがアメリカでは完全ベビーだという事を把握した上でヒールに徹したのこと >>584
>マスカラスを最初に撮影したのは1972年夏の2度目の来日の時、後楽園ホールだった。
>マスカラスは「スカイハイ」の音楽と共に日本でも大人気でヒーローになった。
文節の頭に“その後”って付けないと大人気でヒーローになったのは72年の夏みたいに勘違いされるな。 >>581
シークとのインター戦の映像は残ってないのかな
あるいはそっちはノーテレビ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています