【福ノ島】昭和の全日本プロレス58【琴天山】
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完全にハンセン=サンライズになって、数年後にベイダーとのシングルで新日にスポット参戦した時にも
当然のごとくサンライズで入場してたけど
個人的にはやっぱり新日時代の「ウエスタン・ラリアット」が好き 個人的には新日時代のテーマは“ファイヤーパワー”が好きだな、イントロがアホほど長いけど。 >>690
サーベルタイガーは星雲仮面マシンマンでも流れてたぞw ブロディと長州は地方も含め3回当たっている。これ誰でも知っている >>711
マリオ・ミラノって
何気なくデカいな!
192,3くらいあるんじゃね? バラクーダ(ミラノ)、ブラックテラー(タンクパットン)、ミステリアスアサシン(ボビージャガーズ)
急造マスクマンのリーグ戦での伏兵的活躍ぶりは異常w 急造じゃないがモロースキーのアベンジャーも
馬場に勝ち星上げてたな。ミラノは素顔でも79年大会に参加してるがまるで奮わなかったな。 >>720
馬場の十六文をカウント1で返した勲章がある >>709
日テレ・梅垣Dはハンセンが来るずっと前からサンライズをイメージしていたらしい。
最高の入場曲は炎のファイターと語っていた。 スペクトラムのサンライズに、イントロをケニーロジャースの君に夢中にしたのはその人のアイデアなんかね レベッカの土橋は「最高のテーマはスピニング・トウ・ホールド」と言っていた >>720
上田馬之助と組んだスーパー・デストロイヤーはまったく活躍しなかったな
ドリーの連続スピニング・トーホールドになす術なくギブアップ 急造マスクマンではないけど、74年チャンカンでにミスター・レスリングが決勝日進出したのも、番狂わせに近いんだろうな。 リーグ戦の番狂わせって昔から星取り盛り上げるのによく見られたが、
親日ではあまり見なかったと思う。猪木がほぼ順当での優勝。それ以外は負傷や別件(アリ戦等)の影響ゆえの
辞退とかいくぶん不可避的な結果であって、緒戦で猪木がまさかの敗けでリーグ行方が混沌てことはまず無かったな。。 >>728
開幕戦で大木にリングアウト負けしたことなかったっけ、開始1分くらいで。 桜井だったか忘れたが、大木の頭突き数を数えており、数十発攻撃しました
みたいなこと言ってたよ >>729
ああ、第2回ワールドリーグ。あれ開幕戦だったっけ? >>732
開幕戦だった記憶がある。坂口と小林の初対決も行われてフルタイムドロー。 >>733
ああ、そうだったか。。しかし当時としちゃ凄い組み合わせだなw
このまま書くとスレチ承知だが、第2回ワールドの日本人大物対決は猪木の日本選手権提唱の
いしずえ的な濃厚さだなw >>728
新日は猪木が不動のエース
だから順当に優勝するしファンもなんだかんだ外国人エースや坂口小林との大一番楽しみながらも
最終的にリーグ戦は猪木優勝でカタルシスを得るし納得する
全日では70年代半ば以降の馬場は
看板ではあるけどファンクス、ブッチャーが実質一番人気
CCや最強タッグとかだと大物外国人も新日に比べて多いし
そこであの時代の馬場が常勝無敵のエースで毎回優勝だと
さすがの全日ファンやお茶の間の視聴者も既に「…」ってなるから
馬場が全日マットで不動の大エースだったのって
実質ルーインやレスリング、デストあたりとわちゃわちゃやってた
第三回のCCまでじゃないかな それでいて鶴田にチャンカン優勝は第八回まで譲らなかったあたり
ホントに日本人を信用できなかったんだな 高橋が「猪木さんは自分しか信じないので額のカットも自分でやった」と言ってたが
こんな世界じゃそうなるよ
全員明智光秀みたいなもん 馬場さんと長州力から評価された保永昇男氏 プロレスの職人が明かす全日と新日の違いとは?
http://www.hochi.co.jp/sports/column/20180616-OHT1T50128.html
イベントでは全日本時代に、あのジャイアント馬場さんから高く評価されていたことも明かされた。
特別に馬場さんからお小遣いももらってことがあったという。「全日本の選手から、“オレたち
もらったことないのに、いいなぁ”とうらやましがられましたよ」と照れ笑いしていた。
イベントで私は保永氏に、全日本と新日本のスタイルの違いを質問した。
「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。
「新日は、最初から潰しにいっちゃうというか。最初から違いを見せつけるような。
まぁ、簡単に言うと受けないというか、相手の。自分ばっかりいいとこ売っているような
スタイルというか」。
簡潔で明快。これほど2大団体の違いを表現した言葉はないだろう。「だから、すごく全日は
やりやすかったです、私としては。外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、新日の
場合はそういう外国人はまず皆無でしたから」と保永氏。水と油とも言える2つの団体。
その言葉からは自らの思惑を超えて「プロ」に徹した職人のプライドがにじみ出ていた。 >>735
1981年に再びチャンピオンカーニバル優勝
それで時計の逆まわり
翌年にはハンセンとの初対決で激闘
この馬場の81年から復活の流れはどうなんだろ?
松根社長が馬場に「一線を退いてほしい」と諫言した時期はいつ頃か知らないけど
それに対しての意地もあるのかな?ポジションの再アップは…
後から振り返るから言える事ではあるし、結果論でしかないけど
1980年に鶴田が優勝して、翌年からブロディを好敵手にして
馬場はガニアとの3000試合記念試合でトップから後退
もちろん81年のカーニバルは鶴田かブロディが優勝
そしてハンセン参戦後も好敵手は鶴田、天龍は格上げアップ
この流れならもっと若いうちの鶴龍時代が到来してたのでは?
なんか81年にまた馬場が優勝して、ハンセンの好敵手は馬場になった時点で
鶴田とブロディのポジションがトップじゃなくなっちゃったね… >>739
80年に鶴田が優勝したあとに
・馬場 2年連続3回目のNWA奪取
・鶴田 UN失う、リターンマッチも失敗 海外流出越年
これではね… >>738
> 「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。
全日ではでかいやつが優遇されるという風に意外と誤解されてた部分だったように思う。 80年入ってからの鶴田って正直、一時の人気がだいぶ落ちてたような。。それまでは76年のテリー戦
77年田コロのマスカラス戦なんかの評価やヒートアップする応援団、藤波出現の相乗効果的な人気等、
時代に乗った新世代の選手の色合いも強かった。ただ一方で揶揄され続けた「善戦マン」の
イメージからは抜けられず、80年に入ってからはマードックに粘られてのUN脱落、CC優勝もトップ陣営の共倒れの
間隙をついた感じで絶対的な強さを示せたわけでもなかった。
まあ、鶴田が自他ともにエースとして開眼し始めるのはテーズバックドロップ体得や黒コスに変えてからだな。 鶴田はフレアーやニックに勝たせるより
83,4年のうちにハンセンかブロディのどちらかから
バックドロップでピンフォールを取らせたほうが
日本プロレス界のトップとしてファンから認識されてただろうね
全日の筋書きがどうあれ
80年代中盤以降のファンの関心は
鶴田より長州、前田、天龍に向いてしまった >>743
> 83,4年のうちにハンセンかブロディのどちらかから
> バックドロップでピンフォールを取らせたほうが
さすがに83、4年頃はまだ難しかったと思う。
超獣コンビとして売り出し真っ最中だったし。
それに80年代中〜後半頃は長州や前田のような反体制キャラが受けた時期だったと思う。 結果的に長州・天龍が育ってなかったら
馬場→鶴田
猪木→藤波
の既定路線で外人相手の予定調和が続いてたろうね。
鶴田も藤波もBIほどの個性がないから、
両団体とも下降してたと思う。
特に鶴田はそういった反逆レスラーの壁になることによって再認識された部分が強い >>744
>さすがに83、4年頃はまだ難しかったと思う
大黒柱やスターを生み出すにはそれくらい思い切りがないとね
ドングリの背比べばかりになってしまう
86年にハンセン88年にブロディとフォールをとってるけど
この時では余りにも機を逸してるし
実際にその後につながるものは何もなかった
これは鶴田当人以上に
馬場なり日テレがもっと考えるべきことだったと思う >>746
> 86年にハンセン88年にブロディとフォールをとってるけど
> この時では余りにも機を逸してるし
これは全くだね。
86年だと長州らジャパン勢の参戦で外人レスラーのインパクトが薄れてる時期だったし、
88年の新日Uターン後のブロディは衰えが見えてたし、以前の迫力も無かった。
なんか今思えば、豪華外人路線の全日で育ったジャンボが皮肉にも、天龍や三沢といった日本人レスラーで覚醒させられた感じだった。
しかも現役晩年近くにようやく。 プロレスはスマホやPCのように新しいものほど歓迎される分野じゃないってのが改めて分るなw
どうあがいても先達の名声は超えられない。猪木じゃないが、何もない所から一歩踏み出してこそ
それが道になるわけだ。鶴田も藤波もその部分ではある意味ハンデだったかもしれないな。。
まあさすがに現代のプロレスは昭和とはすっかりかけ離れた世界になったからこんなジジイの
たわ言は通用しないか。。w >>745
新日は藤波のすぐ下にも前田・平田・谷津・ジョージなどがいるから、真っ当に使えば何とかなりそう
全日は鶴田と三沢の間が空くとなるとどうなったか?ちょっと想像つかないな 新日はともかく、全日の鶴田時代が遅れたのは
80年の、馬場の3度目のNWA戴冠も微妙に影響あった気もする
天下のNWA王者になり、再グレードアップ
なんたって世界最高峰の力がまだまだ残ってるという事にしてしまった
そうなると、おいそれと後継にポジション譲るわけいかなくなる
そして春のカーニバル優勝し、立場的にハンセンを迎撃するのは馬場
そもそも二度目まではともかく、三度目の必然性はどこにあったの?
それとも、レイスがわざと譲ったとかいう説は三度目だっけ? >>745
鶴田はともかく、
新日は藤波が規定路線ではないだろ。 >>750
馬場が勝った瞬間にセコンドの越中が素でビックリしてた時があったんだけど、確か3回目だったような。 >>751
猪木のすぐあとは藤波だろうが
それが長く続くかはわからない
というところだろう
前田や三銃士が猪木の次に来たら
いろいろおかしくなる >>750
1980年のNWA王座移動についてはレイスが自伝等で語っている
移動は予定には無かったんだが馬場への友情から
アクシデントで伸びたふりをして馬場にNWA王座を渡したんだそうだ >>747
その辺りは本格的なブレイクがむしろNWAからの陥落後だったテリーに似てるんだよな
それでもキャリアの頂点はあくまでAWA奪取とされるわけだが >>750
>>752
レイスがブック破りしたフォール負けだろ、ジョー樋口の右手が一瞬止まっていたし。
レイスは後年、馬場に敬意を表していたみたいなコメントしていたが。 >>754
同じようなコメントが被ってしまった、ごめんなさい。 >>754
そして馬場の転落はアクシデント返しか
前の二回の奪取の時もあって二度目の防衛戦が鬼門と思わせて最初の防衛戦で転落というのもフェイントだったが >>758
2回防衛戦やる日程なかっただろ、マスカラスのNWA挑戦も決まっていたし。 >>759
馬場対マスカラスのシングル、しかもNWA世界戦ともなれば見てみたかった・・・ >>761
「マスカラスは小さいからなあ〜 NWAは本部の指名試合だから仕方ないが俺のPWF挑戦は無いだろ」
馬場なら(プロレス的に)このくらいのコメントは出しそう >>738
保永はファンの頃、全日派だったんだよね
マスカラスとの試合でマスカラスが機嫌が良さそうだったのは保永がよくわかってたからじゃないかな
アジアタッグも浜口の負傷で謎の抜擢をされてで寺西と組んで、格上の渕に勝って王者になったりした
馬場も依怙贔屓をしてたんだな 保永だけでなく平田も全日に先に入門してたと知ってビックリ そういえば亡くなる直前の三沢もヒロと保永はやりやすかったという
発言してたね。
そういえば保永は永源と高千穂の試合をテレビで見て
レスラー目指したらしいけど、馬場猪木でなく永源を見て
レスラーになろうとしたのって保永くらいかな? >>759
むしろ二度目の串間での防衛戦が無理にやったという印象も
>>763
贔屓というより独立を強めるジャパンへの配慮という面も強そう
当時は浜口が駄目ならなんで小林じゃないんだとも思ったが >>763
「保永が代役なら、決定戦じゃなくて新チャンピオンでいいよ」と馬場が言ったらしいな。
それは保永の実力を高く買っていたから抜擢されたんであって、
それは依怙贔屓って言うのか? >>766
ジャパンへの配慮で保永?
ちょっと意味がわからん。 >>765
日プロ末期の若手で一番プロレスがうまかったのが高千穂、二番が永源、二人の対戦は前座の黄金カードだった、
って佐藤昭雄も言っているじゃん >>761
当時、マスカラスvsレイスの世界戦を楽しみにしていた多くの少年ファンは馬場の王座奪取で悲しんだ、とゴングに出てたな。
それを知った馬場が「俺が何か悪いことしたみたいだ」とコメントしたとか。
俺はマスカラスと馬場の対決の方が興味あったけどな。 >>764>>765
馬場は自伝でマシンを「基本ができていない気がした・・・」と書いている。
ヒロは馬場にも評価されている。
>>739
就任した松根社長が全日改革案を月刊プロレスのインタビューで日本人中心、
外人天国是正、来日外人数の整理、そして馬場の引退、プロモーター専念等を
ぶち上げてセミ以下に下げっても現役続投の意向を示した場合は「馬場クンも
わかってるでしょう・・・」と言う日テレから送り込まれた再建請負人の凄味を
感じるモノだったが・・・それが掲載された号では「馬場、復活!」の大合唱
ハンセン戦が掲載されているのは皮肉だった。
でも鶴田vs.ハンセンじゃ都体育館は空席だらけだったんだろうね。 谷津がGスピのインタビューで「長州は俺は馬場の16文なんか受けねぇぞ=v
なんて言ってたが、本当だろうか?
対戦を嫌がったのは馬場ではなく長州の方だった? 馬場は、コテコテの馬場派の自分でもどうしようもない歯がゆい試合をすることがあるのだが、ハンセン参戦時はホント興奮させられたね。
新日時代も吹っ飛んだ感じ。
鶴田に何故これが出来なかったか。
アマリロ修行時代のことなどより
善戦マンファイトが染み付いていたことの方が大きかったように思うが。 >>772
ヒト、谷津、カブキ、高杉の話は話半分で聞いた方がいいと思う >>773
歯がゆい試合?馬場が?
勝敗はともかく、つまらん試合は一試合もないだろ。 ダウンタウンの笑ってはいけない!?
鶴田の勝ってはいけない試合、
善戦マンファイトで
あの鶴田でさえ、じゃなく
ブッチャーに最後ピンだけとらせるがフォール負け後の反撃含め
試合を終始圧倒していたジョナサンみたいな戦い方も時には、
あるいはそんな暴走ファイトがデフォ、だったらかなり鶴田も全日の印象も良いように?変わっていたかと思うのだが。
当時の状況でジョナサンの例はあったにせよ、鶴田にこれを求め、異端児ファイト・狂乱ファイトをベースに強いるのはやはり無理ありか?
とは言え鶴田は対戦相手の格上外人(や後ろに控えるエースの馬場)に遠慮・忖度が大きかったとは思う。 馬場が最初にハンセンとやるのなら、先兵役だったら良かったのかもね
ハンセンと激闘するにしろ、一年以内で完璧に叩きつぶされるような
つまり自身と引き換えに、鶴田天龍に橋渡しをするような形で。
ハンセンとライバルポジションでやるには長かったかな
776さんが言ってる通りで、上に馬場がいれば鶴田はどうしても遠慮がちになる
そんな試合ばかりして、評価も高まらないままバトンタッチされてもねえ…
それに鶴田の悲劇は馬場だけでなく、ファンクスまでハンセンブロディとの抗争が始まってしまったこと。
馬場・ファンクスが上につかえてて、それは鶴田にとっては重いと思うよ
まあ、もちろん上記三者とハンセンとの抗争は観客動員や視聴率も含めて全日復活に多大なる貢献したから仕方ないともいえるんだけど。 鶴田とハンセンを抗争させるより
対NWA,AWA要員でいいだろうと考えて振り分けられたんだろう
ただし当時のファンが全日という会社が思ってるほど
鶴田にアメリカのベルトを巻いて欲しかったと思ってたかどうかは微妙 >>778
そりゃ思ってたよ。
鶴田が世界戦でドローになるたびに、悔しくて夜も眠れなかった。 馬場の方針「お楽しみは最後にね」と決着をすぐにはつけずに引っ張りすぎて時機を逸してしまうかとしばしば。 レイスの当時のインタビューで
「鶴田が本気でNWAを獲りたいなら、こちらに来て定着する事が前提」
「そして挑戦権を得るまでステップアップし、定期戦で何度もチャレンジするぐらいでないとダメだ」
「年に1・2度しか日本に呼ばないで、それで勝とうなんて虫がよすぎる」
一般論としても、アメリカの興行的な見地からしても、正論だよな つまり馬場とNWAの間で「鶴田には王座を取らせない」事が決定していた事になる
自分だけ三度もNWA王者になっておいて、鶴田には善戦だけさせて飼い殺しか
馬場の陰湿さがさらに際立ったな NWAは取らせず
AWAを返還したあとの鶴田をどう扱っていくのかを
馬場は何も考えてなかった感じだな
凡庸にインターをダラダラ防衛してるだけだった >>781
うーん、でも馬場が別途ボーナス払って日本遠征の短期間ベルトのキャッチボールをやったの見ると
別に70年代末以降の鶴田にベルトの(日本遠征での)キャッチボールを許さない理由なんて
少なくともレイスやNWA側には何も無いんだよね、馬場への配慮以外はw
結局「馬場が鶴田にベルト巻かせる気が無かった」
「鶴田自身も(それなら)自分で別途ベルトのレンタル料用立ててまで巻く価値もないことを理解していた」
ってだけのことだったんだと思うわ、NWAの仕組みが明らかになってきた今となっては
なのでレイスのそのコメントって逆に
「シビアなプロレスビジネス」を演出するポーズとしか思えないんだよね
「大物が業界の掟を重々しく語ってみせる」ってとこまで全て含めての
フィクションというかショービジネスでしかないんだろうな、と 本来、三冠統一とか凄い偉業なんだが、それでも当時、話題は天龍中心なのが気の毒だった。
ただ、独自のブランドのベルト出来たおかげでNWAやAWAといった外国の権威にすがる事なく、しかもこれが外人天国から脱却するきっかけになったのは良かったと思う。 三冠統一の舞台は武道館であるべきだったな
なんで後楽園や大田区なんだよw >>783
その頃って佐藤昭雄が絵を描いてたんじゃないの?
馬場がどうこうより佐藤昭雄の仕事だと思う。 まあ、馬場はライバルの猪木という存在がいたからね
NWA戴冠も、猪木との個人的なプロレス内のステータス争いのゆえだろうし
全日VS新日の企業戦争もそうだし
その上で自分のステータス上昇が、全日の価値を上げる事になるし(ファンがそう思ったかは別にして)
それが鶴田へ続く後継者育成やら、自分の後の全日と新日の企業争いは関心なかったのかもね
それに鶴田自身がそもそも馬場みたいな新日に対しての対抗心や、その上で当時の新日は後継者も決まってなかったし
鶴田がギラギラする材料もなかったからねえ…
海外遠征で出会った谷津に「現役でいられるうちに、しっかり金を貯めこんでおくんだよ」とか言っちゃうくらいだしw ハンセン来襲は蔵前最強タッグの歴史的乱入事件が発端。
鶴田、馬場とも全日ジャージー姿でファンクス救出で劇的な応戦をして
馬場、鶴田でも良かった雰囲気なのだが新日トップの猪木がハンセンの敵だった
以上、全日では馬場が相応しかった。
鶴田ハンセンのシングルはほとんど数年も対決してないと思う。
見たかったけど当時は鶴田はまだまだに見えた。
鶴田か藤波かで比較されてた時代だから。 >>788
ジャンボと谷津は結構前からウマがあってたんだね。
谷津も後に「全日スタイルがあってた。少しトロかったけど。」とか言ってたし。
性格的にも谷津は全日向きだったか。
同じアマエリートでも「ちょっとマンガやってくるから」と言ってた長州が、早いうちから意識変わったもんな。
初代タイガーに次ぐ日本人抗争という売り物作るのに貢献した訳だし。 >>786
後楽園でのドローと暴動寸前
大田区での統一
大阪府立での初防衛戦での天龍失神
こういったプロセスを経て武道館での大爆発だったんだよな
まさに三冠はこうして生まれたって >>789
鶴田とハンセンの初シングルは次の最強タッグの福岡大会
ただしその次は三年半後の後楽園でのトリプル戦だったか 全日のリックフレアーvsリックマーテルを
生で見たワシ。後年SWSで佐野に負けたんだぜ。
このショックわかってくれる?
ジャンボ鶴田に勝ったAWA王者マーテルだぜ。
なんだよ ザ モデルって? >>794
自分も見に行ったよw
お客さん入ってなかったよね?
目算で七割前後くらいかな?
ウォリアーズも鶴龍と再戦だし、何といってもゴールデン昇格になったばかりの時期だったはず
どうして満員にならなかったんだろう? >>795
ああ同士よ うれしい。最高のカードだけど
リックフレアーがね。フレアー今見たら
味があっていいけど、当時は何でこんな弱い
やつに引き分けって思ってたもんね。今見たら
フレアーは上手いね。 鶴田がようやく全盛期に入った頃、NWAはそれまでのセントルイスからジム・クロケットjrの元へ本部が移動してしまったことで、鶴田王者の道が閉ざされたんじゃないかと思っている。 NWA,AWAのダブル世界戦が実現したことで
俺が全日本で見たかった夢は全て出尽くしてしまった
それ以降とそれ以前では
どんなカードが実現してもプロレスを見る目が微妙に変わった その後マーテルは、ハンセンにラリアットで
負けて王座明け渡した?って記憶があるよ
当たってるかな ボストンクラブでじゃろ
コーナーポストに額押しつけての >>799
例えば、レイス対ニックとかブリスコ対ガニアとか
それぞれの王者はこのレスラーで見たかったってのはあった?
王者は誰でもとにかくダブルタイトル戦が見たかったとか? ハンセンのAWA奪取についてはこれでハンセンもホーガンみたいに滅多に来れなくなるんじゃないかと心配した >>798
馬場は著書で背広組プロモーターを良く書いてなかったが
皮肉な事に80年代後半からはビンスJrとクロケットJrの背広組2名が
全米代表になっていった >>794
マーテルは素でハンサムなベビーフェイスだったから、WWFでのあの『ザ・モデル』はきついものがあったなw
残念ながらあのギミックをやらされた時点で、マーテルのレスラーとしての命運は絶たれたと思う。 >>795
あの頃は中学生になって、やっと友達同士だけで夜の外出とか遠出も許された時期
だから開放感で、1985年や1986年頃まではあちこちに見にいったよ
ちなみにフレアーvsマーテルの同時期には、学校をズル休みして西武球場に阪神vs西武の日本シリーズも観戦した
子供だったけど、西武の大田卓司が好きでさ
その影響かどうか知らんけど、いぶし銀タイプが好きだった、当時なら淵とか石川が好きだったよ >>804
まあそれ以前で既にマソニックとバーネットが継投していたんだが
>>805
ドームで鶴田と久しぶりにやった時はパートナーのカートの大型化の方がむしろ目立ったからな >>790
デビュー時に師匠格のファンクスから一本取らせてくれる全日と
ハンセンブッチャーに技を受けてもらえず、いいカッコさせてもらえない新日
谷津にとっては最初から選ぶ団体を間違えたとと思ったのかな?w >>808
まあ谷津にとってはMSGでのデビューやタッグ挑戦がそれに当たったかもだが 入団前だと新間あたりはいろいろホラを吹いてそうだしなぁ。
いざ入ったら全く話が違うってのはあったかもしれない。 >>801
そうそう思いだした。鶴田は、コーナーにふってカウンターのフライングボディプレスを食らって負け。 ドム ジンク マーテルコンビの世界タッグのジンクの負けと勘違いだわ。すまん 連投すまん
昭和時代に来日外人を査定するコーナー無かった?週プロだっけ?全日のドクトルワグナーJr.9点 アンヘルブランコ6点 トムジンク6点
とかの あれは、あれで面白かったよね。 >>812
週プロだね。
顧問の鈴木さんだっけ?あの人の文章を真似た講評がなぜかツボだったw 週プロでもあったが、東スポで出してた週刊・ザ・プロレスでも年末限定?で外人レスラーの評価やってた。
あまり覚えてないが、どっちもハンセンだけは常に満点だった覚えある。
あと、マードックも期待度はいつも満点だった。
週間・ザ・プロレスは、評価と一緒にコメントも載ってたが、結構笑えたな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています