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デビッドはちゃんと生きてんのか? >>5
アメリカ遠征に使われてたね。馬場がレイスを追っかけてセントルイスへ行く予告に使われてた気が 入場では馬場記念試合のガニア
そして平成からは復活チャンカーの入場曲にも >>6
アメリカ遠征のBGMとしてこれ以上にないほどマッチしていたね。
ミズーリ州セントルイス
フロリダ州セントピーターズバーグ
ノースカロライナ州シャーロット
ジョージア州アトランタ
テキサス州ヒューストン
テキサス州アマリロ
テキサス州ダラス
テキサス州サンアントニオ
イリノイ州シカゴ
ウィスコンシン州ミルウォーキー
ウィスコンシン州グリーンベイ
ミネソタ州ミネアポリス
ミネソタ州セント・ポール
いったいどれだけのアメリカの地名を80年代の全日本で覚えたのか・・・
昔、シカゴに行ったとき「ああ、この辺にローズモント・ホライズンがあって馬場、鶴田、天龍が来たんだな・・・」と感慨に浸ったよw
昨日、本屋で『痛快無比!! プロレス取調室 〜ゴールデンタイム・スーパースター編〜』という本を立ち読みしたら、
玉袋筋太郎達も同じこと言ってたな。
それに対して対談相手のハンセンは「興味のあることを通じて何かを学ぶことは一つの才能だ」と肯定的だったw 次期シリーズ予告の時に使われた「マシンガン」もワクワク感があって好きだった。
日テレスタッフの選曲のセンスはよかったね。 前スレ>>1000についての話だけど
それだけ記憶に残る試合があっても天龍とのUN決定戦が無気力試合と見做され失望されて
以降はダメ外人の烙印押されたままだったことを考えると、本当に信用って一瞬で失われるんだなと >>10
渾身の「顎の先端に、ヒィィーーッツ!」いいね >>1
コモドアーズの「マシンガン」も忘れずにって書こうと思ったら
>>9で書いてあった >>8
北米を旅行した時にトロントでメイプルリーフガーデン(テリーNWA転落)、
NYではMSG(プロレスの殿堂)の前に立った時は感無量だったよ。MSGは今でも利用
されているけどメイプルリーフガーデンは1階のイベントホールのみが利用されている
らしかった。アトランタのオム二センターは既に無くCNN本社とフィリップスアリーナ
になっていた。後でプロレス本を見たらこの頃の会場は老朽化で取り壊されていた。
日本では力道山時代から今も使われていて現存し多くの名勝負があった会場は
横浜文化体育館くらいかな?
英語に堪能な俳優の江守徹は学生時代に猥褻だと発禁処分になった「チャタレー夫人の恋人」
をどうしても読みたくて原書で読むしかなく方法がなくて必死に勉強したらしいwww >>8
国内の地方都市も詳しくなった。
出張で高松行った時に高松市民文化センターまで足を伸ばしたら、
いわゆる「市民文化センター」で「そりゃそうか」って事があったw テキサス州にある都市を答えよ、みたいな質問で、
真っ先にアマリロなんて答える人はそうそういないよな。 セントルイスって地名に聞き覚えはあっても
それがミズーリ州にあると知ったのはやはりプロレスのおかげ 九電体育館ってプロレスで使われなくなってとっくに移転か取り壊されたのかと思ったら、十数年前近く行ったら健在だった。
福岡の地震のときの避難所やバスケで使用されてたよね。
来年新しい体育館できるから閉鎖らしいけど。
体育館やホールも長く使うとこもあれば、NKホールみたいにさっさとなくなってしまうとこもあるね。 タンパのロビンソン高校とかミネアポリスのロビンズデール高校やヘンリー高校。 >>20
キン肉マンの
超人協会の総本山はどこにあるってんで、ミズーリ州、セントルイス!
って地図を指指してた。ー フロリダと言われて真っ先に思い出すのはペンサコーラ テリトリー制全盛の頃にアメリカを旅しながらあちこちでプロレスを見てみたかった。 >>23
初期のキン肉マン大好きだったが、それは覚えてなかったわ
プロレス好きなのにキン肉マンに関してはプロレス色強めの頃より最初期のズッコケヒーロー期の方が好きだったな。小ネタでプロレスネタ出すのは好きだったけど
クイズ番組でロシアの文豪は?って問題にイワンコロフって答えちゃうとことか。
セントルイスって地名、というか単語は星セント・ルイスって漫才師で覚えたと思う 大分県に荷揚という町があるとずっと信じていたプロレスファンも少なからずいそう。 >>30
全米超人協会、全米超人同盟、全米超人評議会。
NWA, AWA WWF に照らし合わせてたよね。
ズッコケ時代はウルトラマンチックかな。
テリーマン出たところであれ?プロレスか?
ってなってきて
超人オリンピックでプロレスになっていった。 シリーズ名が毎回決まって「ビッグファイト」だった。 >>32
>全米超人協会、全米超人同盟、全米超人評議会。
>NWA, AWA WWF に照らし合わせてたよね。
そこらへんのキン肉マンは人気が良くなかったらしい
プロレスファンから見ると面白いんだけどね
今見るとWWFの全米侵攻を予言したかのよう スカルボーズのモデルって誰だろう?
キラー・コワルスキーっぽいが それこそスカル・マーフィっじゃないの?
本物より線はチト細いが >>35
スカル・マーフィーだよ>スカル・ボーズのモデル >>31
>>31
県立荷揚町体育館のあった荷揚町は実は大分市の中心部
(大分中央警察署の裏手にあった)。
36年前の超獣コンビ日本初戦を観戦した思い出の
名会場や。 ググったら市町村名の町じゃなく大分市内の地区みたいだね
かよう町かと思ったら、にあげ町なのな >>38
私は94年に上京したので、荷揚町で最後に観戦したのが93年のジャイアントS
あの本田多聞がデビューした大会
当時だと、1月、7月、10月に来てたのかな? 大分県立荷揚町体育館は全日本がよく利用していたね。しかも好カードばかりで羨ましかった。
よほど有力なプロモーターがいたのだろうか? テネシー州メンフィスとか、フロリダ州セントピーターズバーグとか、学校の地理ではまず出てこない地名だけど、プロレスのおかげで覚えちゃったな。 ブレアース自身の品格がまさに権威だったんだよな
それに対抗するように新日本もビンスシニアを招聘 全日はあんまり政治家がリングに上がることはなかったな
初期にはいたらしいが 鈴木宗男が天龍と上田のUN戦でタイトルマッチ宣言やったな >>44
テネシー州メンフィスは(オールド)ロックに多少なりとも興味のある人間にとっては
馴染みがある、というより聖地みたいなものだろう >>40
そりゃ「にあげ」だろ。
かよう なんて思ってる奴の方が少ないと思う。 新潟は新潟市体育館や三条市厚生福祉会館といった昭和からの会場がいまだ健在
三条では昨年、馬場の記念展示会があった。
http://www.city.sanjo.niigata.jp/gyousei/page00754.html >>5 >>8
ディスコアレンジのスターウォーズに乗せて会場周辺の町並みの空撮から中継が始まるのが
ウルトラクイズとか海外もの刑事ドラマのOP画っぽく普段の中継と違う特別感があって好きだった >>21
昔は良く使われてたのにいつの間にか(プロレス興業で)使われ無くなった会場って結構あるよね。
日大講堂、品川プリンスホテルゴールドホール、台東区体育館etc・・・
もう取り壊されてる所もかなりあるだろうけど、上記の会場は80年代中頃から余り使われなくなったみたい。 >>53
プロレスに貸さないとか地元とかの催し優先とかで外部興行だと使用料が跳ね上がったり
現在のプロレス人気、動員ではもう会場の規模がでかすぎて
今の新日ですら使えるかどうかみたいなとこも多い
いわゆるハコモノで地方とかやたら立派で広い会場あるからな >>56
何年か前に閉館したはず
印象でしかないけど、川崎市体育館って動員的に満員になるイメージがない
ブッチャーが新日リングに登場してアピールしたよね
自分の子供のころだけど、1984年に鶴田天龍vsシン上田のインタータッグを観戦
八割ぐらい埋まってたから大善戦かな?
たぶん時期的には鶴田がAWAを獲られた後で
プロレスファン的には、IWGPの後ぐらいで話題は新日一辺倒の頃だった記憶 >>58
ブロディは初来日('79新春ジャイアント・シリーズ)の最初の巡業地も川崎市体育館だった。
1月2日,3日はいつもの後楽園ホールだけど、第3戦が川崎市体育館。
巡業は川崎で始まって川崎で終わった感じ。 >>48
その翌月のマーテル vs 鶴田のAWA世界ヘビー級選手権(1984年7月31日・蔵前国技館)では、
力道山の親友だった稲村佐近四郎(第2次中曽根内閣で国土庁長官兼北海道開発庁長官)が認定書を読み上げたね。
あの頃は何か政治家とのつながりが強かったのかな。 >>57
去年カルッツかわさきの名前でリニューアルオープン。 政治家を立会人としてリングに上げるのはテレビ局の思惑が強い。
二階堂進氏はテレビ朝日の強い意向で日本プロレスリングコミッショナーに就任し、ビッグマッチでリングに登場し全国に顔を売った。
新日本にとっても大物政治家がプロレスに関わることで箔がつくしテレビ朝日も顔が立つ三方三得だった。 >>62
馬場の大親友・サンマルチノとほぼ同時に亡くなるとは・・・
馬場が呼んだのかな。 >>57
> 印象でしかないけど、川崎市体育館って動員的に満員になるイメージがない
川崎はキャパも地方会場としてはハンパに大きく
ビッグマッチ用としては小さい
なにより武道館や蔵前といった東京の大会場と
横浜文体の間にあって商圏的にどっちにも被っちゃうから
シリーズに組み込んでもあんまりいいカード廻せないし
そうなると宣伝にも力入らないからね
当然毎シリーズ後楽園もあるし全日はあまり使わなかったけど
多摩川川越えりゃ大田区体育館もすぐだから
ファン的もさすがにカバーするにも優先順位低くなってた 82年は川崎三大決戦と称してビックマッチが組まれた
PWF戦馬場対シン
UN戦鶴田対マスカラス
インターJr戦大仁田対チャボ
https://www.youtube.com/watch?v=EibmCAWHFHM 88年のチャンピオンカーニバル最終戦が川崎だった。
メインがPwfタッグで天龍阿修羅がブロディスヌーカから防衛、
セミが鶴田対ブバ。
満員だった 不謹慎かも知れんが、元子さんが亡くなって全日の過去アーカイブスが市場に出る可能性があるのはありがたいかも 仙台出身だったからそのシリーズでは
最後のブロディー鶴田・インター戦、ついに鶴田がブロディからフォール勝ちが忘れられない
仙台大会といえば宮城県スポセンで好カード、って時代にファンでいられてよかったな >>67
ブロディ・リッチじゃね?
スヌーカは胸部亀裂骨折で欠場のはず ブロディ復帰しての鶴田からのインター奪取は凡戦
これといった見せ場やヤマ場も無かったなあ
ハンセン鶴田もつまらない試合多かったよね 元子さんとは、もう37年前だが地方興業で、見かけたのが最初 元子さんが、キップ売場付近で試合前に当日のカードをマジックで書いおり俺が覗いたら、見ちゃだめと怒られた?思い出がある ご冥福をお祈りします
後楽園ホールでも、何度か見たな 新日本のゴタゴタから解放されて良かったね+前の天龍ハンセン戦が乱打戦だったので、
静かな立ち上がりでみんな落ち着いた+
奪取後、客席に降りてファンと抱き合う+その数ヵ月後に非業の死去、
という要素が合わさった記憶だよね ブロディ復帰後のハンセンとの対決
全日主力とのシングルマッチ連発で
鶴田との完全決着の二連戦、天龍や谷津とのシングルなど
半年に満たない間の出来事だからね、カードを温存する慎重居士の馬場にしたら珍しいペース
結果的に亡くなる前にやっておいて良かったね
ただし唯一の心残りはハンセンとのシングルか…
しかしあの好カード連発は(後の鶴田ブロディvs天龍ハンセンの構想も含めて)
ブロディと馬場の話し合いがあったのかもしれないな
(ブロディのヒザがもう限界で、あと数年だったというバーバラ夫人の話もあるし) 元子さんが亡くなったなら、近いうちBI砲の映像ソフト発売実現しそうだな。
日テレと猪木は話が出れば乗ってくるんじゃないかな。 70年代の川崎は好カードに恵まれてたぞ。
73年 馬場対ブッチャー(PWF)
74年 馬場対マルコフ(PWF)、ブリスコ対鶴田(NWA)
75年 鶴田対エリック
馬場対ホフマン、鶴田対ドリー(オープン選手権最終戦)
76年 鶴田対テイラー(十番勝負)
77年 開催なし
78年 鶴田対ドク(チャンカー公式戦)
79年 鶴田対エリック(十番勝負)
全部テレビ中継あり。
そのころの文体、プロレス興行には貸してなかったんじゃないかなあ。
過去スレで川崎は芳の里が勧進元なので、好カードを組んでもらえたって
レスがあったけど、実際はどうだったんだろう。 横浜文体は遠藤幸吉が日プロ時代から新日に絡んでた頃まで担当プロモーターだったからな >>76
76年カーニバル レイス対ブッチャー
76年鶴田対テイラーの他に、
馬場、ロビンソン、ブッチャー、マードック、コックス参加のバトルロイヤル 死ぬまでに一度はキール・オーディトリアムに行きたいと思っていたがかなわなかったなあ >>78
補足ありがとね。
76年のレイス対ブッチャー、生観戦したのに忘れてたよ。 >>78
>馬場、ロビンソン、ブッチャー、マードック、コックス参加のバトルロイヤル
これ、知らなかったな。ブッチャー、コックス、マードックって例の黒人差別の件で戦わせるのはヤバいといわれていた組み合わせだもんな。
それにデストロイヤーもいたんじゃないの?ブッチャーにとっては四面楚歌だな。 今は亡きプリンスのファンになる前からミネアポリスという地名は知ってたな。 故ジャイアント馬場さん夫人・元子さん死去
東スポWeb
4/23(月) 11:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180423-00000008-tospoweb-spo
“世界の16文”“東洋の巨人”として一時代を築いた不世出の名レスラー故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で、
元全日本プロレス社長の元子さんが14日に肝硬変のため、都内の施設で亡くなっていたことが22日、分かった。78歳だった。
親族のみで19日に通夜、20日に告別式が営まれた。戒名は「顕徳院法栄妙元清大姉(けいとくいんほうえいみょうげんしょうたいし)」。
元子さんは昨年1月に東京・渋谷区の自宅で行われた「喜寿を祝う会」で元気な姿を見せたが、同年初夏から肝臓の病気が悪化して6月に都内の病院に入院。
10月には「持ってあと2週間」と医師から告げられた。その後に驚異的な回復を遂げるも、肝臓の病気は施術のしようがないほど悪化し、
定期的に腹水を抜く処置と投薬だけが続いていた。
以来、小康状態を保ち13日夜も元気に笑顔で話して夕食も取ったが、翌14日に容体が急変。同日午後9時9分に息を引き取った。
元子さんは1940年1月2日生まれ、兵庫・明石市出身。15歳の時に、キャンプのため、明石を訪れた当時プロ野球巨人軍の投手だった馬場さんと知り合った。
66年に婚約して馬場さんがプロレスに転向した時も72年に全日本プロレスを旗揚げした際も裏方として馬場さんを支え、82年に結婚を公表した。
1999年1月31日に馬場さんが亡くなった後は故三沢光晴さん(享年46)を社長として再出発を図ったが、経営面の考えなどの食い違いにより、
2000年に三沢さんらが大量離脱して「プロレスリング・ノア」を設立。団体は存亡の危機を迎えたが、
同年7月に社長に就任するとミスタープロレス・天龍源一郎(68)の復帰、当時新日本プロレスのエースだった武藤敬司(55)らの移籍により、団体を蘇生させた。
02年10月の日本武道館大会を最後に社長職を辞任してマット界から退いた。
14年7月に秋山準(48)が新社長に就任すると、相談役などを務め、翌年に辞任するまで秋山体制を支えた。
元子さんの急逝により、またひとつ「昭和のプロレス」が幕を閉じた。 > 元子さんの急逝により、またひとつ「昭和のプロレス」が幕を閉じた。
違和感あるな >>66
鶴田マスカラス戦は終盤いきなり荒れ始めたよね
そこだけ覚えてるわ >>76>>78
レイス×ブッチャーが川崎最高試合賞だな。
この時ほどブッチャーが弱く見えたことはなかった。
最低試合賞は馬場×ホフマンかもしれない。 76年まで川崎市体育館を最終戦によく使ってたのは、羽田空港が近かったからじゃないかと思う。
試合が終わって全外人レスラーをバスに乗せて
空港へ向かう。あの距離なら30分もあれば着くだろう。77年に成田が開港してからは、川崎最終戦が随分減ったんじゃないかな? >>88
それだったら大田区体育館でもよかったんじゃないか? 大田区体育館で覚えてるのは
天龍革命の当初の時期、1987年の鶴田vs原
三冠が統一された、平成元年の鶴田vsハンセン
これぐらいかなあ、三冠統一は観戦してないけど、鶴田vs原は観戦した
観客数は半分ちょいぐらいだったかな?
鶴田vs天龍の武道館の連戦の割をくったのかな?
大田区体育館はどの位置でも基本的に見やすくて、いい会場だと思うけどな
少なくとも横浜文化の二階席の端っこに比べたら全然良いよ
でもあまりビッグマッチに使われないね、でもそれで三冠統一の地に選んだのは以外だな 87年の観衆は公式発表では1,850人
セミが天龍、川田vs仲野、寺西などありきたりなカードばかりだったし、なぜかこのシリーズ、ゴディとニキタ・コロフの扱いが非常に悪かった コロフなんか上とあてれば新鮮なのに。
たとえ両リンでも。 >>93
3はあんまり似てないな
ファンクスのラッキーコインもこの絵だったっけ >>69
オレは生観戦したよ。
バックドロップで最強外人ブルーザー・ブロディから
ピンフォールを奪ったジャンボ鶴田。
ファンとしても長年の願いだった。
最高だったね。
周りに同好の士がいなかったのが惜しかったけど。 >>93 >>95
こう言っちゃ何だがこれを見ると天龍同盟のRevolutionTシャツが如何に斬新で画期的だったかがよく分かるな >>93
プロレス観戦の時以外で着れるかは別にして
天龍とレイスは似てんじゃね?
マスカラスは似て当たり前だけどw
馬場のこのデザインのTシャツは買ったわ、後楽園ホールでその場でシャツにサインしてもらった だいたい全日本プロレス旗揚げ時はお膳立てが全て整ってて恵まれた環境でスタートしておきながら
深夜枠に追いやられて30分に短縮されて人気低迷していったのはやっぱり下手くそだな。
長州じゃないけど何やってんだだよ。
馬場が居なくなったとたん選手が大量離脱って薄っぺらい団体だったってこった。 平成だけどノーフィアーのTシャツ欲しいなと思ったら、あれジャイアントサービスじゃないプロレス外のブランドなんだな。
そのせいか素っ気なく『売ってない』て言われた >>97
RevolutionのTシャツのロゴデザインは天龍のタニマチの
デサントの人が関わってるとか 週プロ今週号のサンマルチノの追悼記事、巻末で1ページだけだったな・・・
あくまで「今のレスラー」を重視したのか、それとも昔のレスラーはもうお役目御免なのか・・・
因みにカール・ゴッチさんが亡くなった時は表紙&前半ページで、確か2、3ページ使って追悼特集してた。
今度は是非Gスピリットで、表紙&10ページくらい使って特集してほしい。
もうしばらく週プロは読まん。 元子さんはレスラーではないが・・・
どう扱うのかなw >>93
当時でも何種類ぐらいあったんだろう?番号けっこう飛んでるし
ブルーノやMSGってのに時代を感じる
主だった選手ではブッチャーやロビンソン、大木、ドクとかが無いが彼らのTシャツもあったのかな?
記憶ではNWAのマークとか羽田のTシャツもあったはず
当時何故か極道コンビのが欲しかったwが会場売店には人気の一部商品しか置いてなく結局買えず ジャイアントサービスのあった場所って
インターナショナルビルディングっていうんだね。
一見、馬場の持ち物?みたいに思える。入居の時に
ほぉいい名前じゃないか、ここにしよう、と思ったかな。 >>104
極道については、確か小鹿単体のはあったけど
大熊のは無かった気がする。
小鹿単体のTシャツなんていったい累計で何枚売れたのかも気になるところ。 ところで昔からよくある
「ロープに足をかけて疑惑の3カウント」って
どう考えても足かけると体重乗らないから
ズルにしても却って説得力ない気がするんだが
あれはどういう理屈なんだろうか? >>104
昔のゴング誌に掲載されてる広告では初期の物は大体揃ってる。
意外なのは、あれだけ全日に貢献したブッチャーのTシャツが全く作られていない。ヒールだから?
とも思ったけど、プロレススーパースター列伝や、プロレスアルバムでは取り上げられてるんだよな。
後ロビンソンのTシャツも無かったね。
後、7番だけが常に品切れ状態だったけど、実は7番てTシャツでは無くデストロイヤーの「マスク」なんだよな。 スレタイ、57にして
一番いいんじゃない?
っていうか、一番いい頃の全日を象徴している
最新号のGスピリッツの原プロデューサーの
全日中継のインタビューも興味深かった
個人的には土曜トップスペシャルをやり始めた
1983年2月末(3月始め?)の中継が一番面白かった >>109
鶴田×リッチ
カブキ×シン
大仁田×ドスカラス
かな? キム・ドクって結構良い話が多いが
在日特有の突如ブチ切れたりってエピソードは無いの? >>107
足を高くして腕立て伏せをすると普通の腕立て伏せより
上半身に体重が乗ってきつくなる。
それと同じ原理だろ。 >>97
レボリューションTシャツはドジャースのモロパクリだろ >>107
実力負けかまぐれか
わけわからなくして遺恨継続。 >>99
地上波放送とスポンサーで完全な勝ちパターンなのにドツボにハマって首ペキ死亡した紫蛙さんを馬鹿にするなよ >>107
俺も30年近くずっと同じ疑問を持ってたけど、
>>112
で納得した。確かにそうだw
ありがとうw >>112
なるほど
…って腕きついのは自分の身体支えてる重心の問題の気もするがw
まあロープに振って戻ってきたり
右利きでも左でヘッドロックするのは大切だもんなw ロープに振られて戻るのはやられるだけでなく返し技もあるし
最小限にダメージ抑えながら反撃の機会を狙ってるんだよ
馬場が秋山にヘッドロックは左でやるのがセオリーと教えるんじゃなく
相手を押したら押し返してくるからその力を利用してかけろと教えてたってのが面白い
技がかかるのは全部理由があるんだ >>112
それに加えて、フォールされている奴が跳ね返そうとしても、覆いかぶさっている奴の両足がロープで固定されている状態だから、跳ね返ることがないんじゃないのかな。 >>112
生中継で控室に入ったカメラの前でドリーがやっていた。西村はゴッチ流なのか?
腕立て伏せをしながら脇の下の顔を入れて脇腹の捻りも入れるのを繰り返すハードな
モノを紹介していた。
巡業中はジムにも通えないから狭いホテルの部屋でもできる椅子やベット使った
筋トレをシンがゴングで紹介していて勉強になった。ブッチャーと違ってちゃんと
トレーニングしてるんだねwww
>>119
FMWのドキュメントで若手にトレーニングする大仁田が「(単に)ロープに
振られるんじゃんなくてロープを使うんだよ!(ロープを使って試合を作る)」を
指導していた映像を見た事があった。 >>123
> 西村はゴッチ流なのか?
> 腕立て伏せをしながら脇の下の顔を入れて脇腹の捻りも入れるのを繰り返すハードな
それ、ゴッチ流だね。
ツイストプッシュアップとか言うやつ。
西村はウェイトもやった方がいいと思うんだが。
病気してからトレーニング法も替えたとかで、長州が「ウェイトやれ!」と怒っても頑なにやらなかったらしいからな。
あと、渕が何かで話してたが、昔シークは壁の高い位置に足の裏をピタッとくっつけた状態で、腕立てやってたとか。 佐藤昭夫と小鹿によると、馬場は試合前には
腕立て伏せを300〜400回、試合のない日は
500回やってたようだな。
鶴田は正月のテレビ番組で女性アイドルを背中に乗せて腕立てをやらされてたのを見たな。
ニヤけてたにのが気になったけど! >>125
松山千春が言ってたな
一緒にいる時に馬場が突然トレーニングを始めて驚いていたら
「僕にはこの時間帯はトレーニングの時間なんだ」と言われたって >>124
そのシークだけど、全日本に来たときゴングかプロレスのどっちかで、控室で腕立てする写真があったよ 珍しい場面だったと思う しかしシークは、写真をとるなら試合を撮れ!と記者に怒鳴ったって書いてあったな >>126 >>128
シーク以外にドリーやレイスなんかもトレーニングする姿を見せるのは野暮だという考え方みたいだったようだね
馬場も人前でトレーニングするのを嫌がるというか恥ずかしがる性格だった筈だから
その当時は松山千春の事を相当信頼していたんじゃないのかな >>126
イチローはシーズン中に家に稲葉が来てる夜に
トレーニング始めたって言ってたな。 >>125
天龍は東スポの取材で女性記者を
パワーリフトしてたな。写真ではニヤけてた。
もろ手のひらで持ち上げてた。
見出し「ドクター源さんの性感パワースラム」 >>131
リフトアップも相手が女性となると、掴むところが掴むところだけに今だったらアウトだろうな。
週ゴンの巻末企画で日高のり子がビリージャックにリフトアップされてる写真があったけど、当時でも男目線で羨ましいと感じたしw >>132
ドリフで志村が女子プロにボディスラムをかける流れでいつもやってたなそれ。 >>127
プロレスラーと五分に渡り合うどころか勝ってしまうチャックのオールスター感謝祭で
毎回、行われた藤原との相撲対決は名物だった。 トニーアトラスは、ミミ萩原?だったと思うが、リストアップしてにやけていた >>129
でもテーズとのインター防衛戦の前の、山篭もり特訓の様子がプロボクグラビアページに掲載されてたね >>135
ハンセンはミミ萩原をお姫様抱っこしてチンコたってた >>136
そういうのはマスコミ向け営業としてのトレーニングじゃね?
他にも猪木や木村の山籠り特訓とか良くあるシーズンオフのネタだったじゃん。実質温泉慰安旅行だったんだろうけど。
普段やってる真面目なトレーニングは公開しないって事でしょ >>138
昔、国際がオフの度かぶら川鉱泉で合宿って記事があったが
どうみてもあのあたりにタニマチいて慰安会だったような 元子さんが馬場さんは病室で足の運動してたと話してたよ
今頃あの世でイチャイチャしていることだろう >>127
チャックに腕相撲で勝てるレスラーなんか日本国内にはいなかっただろ そんなに腕立てをしても腕が太くならない馬場って?
筋力は筋肉の太さに比例すると思うが
あの細い腕なのに馬場は意外と力が強いと言う記述もよく見かける
鶴瓶は若い頃馬場を取材したら腕立てをガンガンやって見せて
スパをやったら力を全然入れてないのに激痛が走ったとよく話していたな >>143
馬場の腕って、投手時代のケガが原因じゃないの?
腕って片方だけ痛めても、両方とも筋力つかなくなるって聞いたけど? >>145
チャックウイルソンのことでなくて、一般論でだよ >>131
そういえば、昔天龍は当時、日テレで放送してた「独占スポーツ情報」だったかの
女性アナウンサーもリフトアップしてた写真もビッグレスラー何かの記事で当時見た記憶ある。
>>143、>>144
でも、日プロ時代の馬場の写真や映像見ると、細いなりに張りのある身体してたな。
野球時代の怪我もあると思うが、余り腕が長いと筋肉が付き難いのかも?(脚はしっかりした脚だったが)。
逆にドン荒川やライガーのように、短い手足は太く成りやすいような。 今はアナウンサーじゃないらしいけど、俺は鷹西美佳を見るたび、
「天龍に持ち上げられた人だ」
と思ってたわ 小橋がウェイトトレーニング必死にやってたら「お前そんなに筋肉つけるとホモと思われるぞ」と、馬場に注意されたんだっけ? 腕の太さと怪力とは必ずしも一致しないよな。
レイスも腕は細く見えたけど、馬場に何度もブレーンバスターやパイルドライバーを掛けてるし、アンドレもボディスラムしてるし。 >>153
まだ小橋が若手で認めてない頃にウェイトやってると
「そんなボディビルダーみたいな真似やめろ!」
と言ってたそうだが
段々、小橋の頑張りを認めるようになってからは
「よし、俺もやってみるか?」と馬場も一緒にベンチをやったりするようになったとか。 馬場のトレーニング話といえばどうしても
「馬場が定期健診を受けたら医者から運動不足と言われた」ってたけしのネタを思い出す >>158
自宅マンションンの地下室を借りて倉庫兼トレーニング室の兼用ながら筋トレや受け身
を取れるくらいに広さと装備があった。ブッチャー引き抜きを知り即座に馬場に
連絡を入れたゴングの竹内氏はすでに一報があり「地下室に行ったきり1時間以上も
戻って来ない・・・」と元子夫人が心配する中、当人は怒りふるえていた。
その後に怒りにまかせてガンガンにトレーニングしたらし体調が良くなったw
結果論だけどブッチャー引き抜きは全日のみならず馬場まで再生させた。
ちなみに腕立て伏せはやり過ぎは体を痛めるけど腹筋は筋肉痛は辛いけど大丈夫
らしい。 俺の場合、馬場って昔から腕が細いって言われてたけど体のデカさに比べたら細いだけて、初めて生で見た時は意外に太くて驚いた。 全日のトレーニングといえば、ゴングに掲載された馬場と三沢タイガーの「公開秘密特訓」が忘れられない。 長州は「最強タッグで馬場さんと初めてロックアップした瞬間、全てが崩れさった」と言っていた。
あまりに非力で手応えがなかったから?
サソリをかけようとしたら、足の力にはびっくりした、あんな足の強い選手はいないとも言ってたが。 >>164
ウェイン・シャムロックも全日本初来日に触れて
「負けばかりだったが楽しい思い出だった
馬場の足の力の強さが印象に残っている
馬場の足の力の強さは世界一なんじゃないかと思った」と言ってたな >>164>>165
上半身はともかく脚は驚異的、みたいな話はよくあるね。
おまけに日プロの若い頃は上半身もかなり……ともあるが
先日TVの馬場×ブルーノ戦を見たらブルーノの方が一回り以上太腿が太いんだ。
ブルーノはさらに脚が強い筈なんだよね。
思うに補正がかかっているんじゃないかな。
こんな身体で、と見くびっていると思いの外、脚は強かった、みたいなギャップに。 >>166
>>151の写真だな、加工したかのような体つき。 >>166
船木がパンクラス時代にセーム・シュルトの打撃の威力を
語っていた時に、タッパある選手の打撃は凄い。
おそらく馬場さんの打撃も相当なものだろう。と
馬場の名前が出たので読んでて驚いた。 >>164
馬場が非力なわけないだろ。
新日幻想もしくは自分の力の絶対的自信が崩れさったって意味じゃないのか。 >>166
補正がかかってるのは、お前の心の方だろ。
馬場の足腰が強いわけがないって思い込んでる。
これだけ多くの選手が馬場の足腰の強さを絶賛してるのに、疑問に思う方がおかしい。 >>169
長州はその後も馬場とは組んだだけで力量が分かったと言ってるし
長州が馬場とやりたがらなかったのは有名
仲野信一でさえ馬場には勝てる気はしないけど負ける気もしないと断言してる
長州は鶴田に対しては敵わないみたいにはっきりいうし言葉通りだと思うわ
猪木に勝った時も、高い壁だと思ったがこうして見たらそうでもなかったと言ってただろ? ハンセンが猪木より馬場が強いと言ったことあるもんね。 >>176
160だけどおれは馬場の(脚に限らず)力を信じたい側の人間だよ。
アトキンスとかスクワットで道場に汗が溜まる、とかを心強いと思ってた。
それがブルーノ戦での脚の太さ比較ができて、あれ?と思ったクチなんだ。
単純に筋肉の太さを脚の強さとしてはいけないのかもしれないけど
馬場よりはブルーノの方が脚強いんじゃないの?
世界一ってこともなさそうだ? と思った次第。 >>152
馬場は毛糸のパンツか。。?
カンケー無いけどGW予定がないので家飲みだがやっぱ酒はニッカウヰスキーと黄桜だなw >>159
新間が「馬場さんの(選手)寿命が延びたのは自分のおかげ」
みたいな事言ってたなw
そういえば三沢はタイガー時代、コバクニとの再戦前に
山篭もり特訓の後、馬場の自宅の地下で特訓したんだったな。
上にもチラッと書いてあったけど。
そこでタイガースープレックス85を開発したんだっけ? >>176
マスコミ向けの特訓だけどね。その取材で持ってた
プッシュアップ用の器具(左右に分かれてるの)に
しっかりと馬場と名前が記されていたのを憶えてる 筋力の強さは太さだけじゃ計れないよ。
てこの原理で長い方が強いこともある。
バーベルを上げたりするのは太くて短い方が有利だが
腕相撲では腕が長い方が強い。 高校生の頃、がりがりの馬場なんて俺でも勝てらあって思っていたが、
実際に間近で見たジャイアント馬場の巨大さに、逆立ちしても勝てないと思った俺がいた。 >>177
> しっかりと馬場と名前が記されていたのを憶えてる
俺も覚えてる。
なんか、たまに全日道場の様子が雑誌やテレビなんかに出た時、あの2つに分かれたプッシュアップの器具が結構映ったりする。
新日は一本板のプッシュアップバーと呼ばれる奴。
擦り上げがメインだと一本板のがいいのかな? >>171
長州が馬場とやりたがらなかったのは力量とかではない
長州「御大とどうやりゃいいんだよ」
谷津「馬場さんに合わせるしかないんじゃないですか?」
長州「そうしたら俺じゃなくなる」 >>171
その長州も、その頃の馬場と同年代の時期に
小川直也からそっくり、そのまま同じ事を言われてんだよな…
「誰も言えないなら俺が言う、因縁とか云々の流れとかあるかもしれないけど、強さという視点では俺らのレベルではない」
そんな感じの内容、確か福岡ドームでの長州中西vs小川村上、その試合後の談話
小川は同時期にゼロワンで三沢力皇と戦って
まだペーペーの力皇のぶちかましに「息がつまって死ぬかと思った、ありゃとんでもねえ、でもいい選手じゃんか」とか言ってたから単なる毒舌でもない >>180
鶴田が一枚板のを使ってたこれも名前書いてたね >>179
それなら中坊の時、失神キャラのジョー樋口なら楽勝だなと思ったが生で本人見た時にガタイが凄くて、心の中で土下座したよ。 俺も指原莉乃はブサイクキャラだと認識していたが、
間近で見たらあまりの小顔と細いウエストと白い肌に息を飲んだ。 >>183
これは知らなかった。
新日流の腕立て(ゴッチ式)=擦り上げ(プッシュアップバー)
のイメージがどうも強くて。 自分も一本板のプッシュアップバーに憧れて某通販で購入
ライオンプッシュ結構やってるけど、あくまで準備運動て感じで筋肉つけるんなら、ジムでちゃんとメニュー組んでやらないとダメねw 正直な話、すりあがり式腕立て伏せもヒンズースクワットも、筋肉+持久力や根性養成のためだからねえ。
純粋に筋肉つけるためなら、8〜10回上げられる負荷で行うのが理想 確かに一番は、根性や持久力や体力錬成なんだろうな。
あと、全日道場特有の高回数の受け身もそういう意味合いもあると思う。
天龍も実際何かで、高回数の受け身の練習はめちゃくちゃスタミナがつくとか言ってた。 練習でショルダースルーの受け身を何回も練習するのが
凄くキツイんだってね >>161
公開秘密ってどっちだよって感じだな。
俺はヒットマンラリアット特訓の木にラリアットが思い出深い 全日の秘密特訓って輪島も思い出すな
マスコミに極秘で帰国した輪島が馬場とデビューに向けて極秘特訓開始!とかテレビのニュースでやってたの覚えている
その時はデビュー戦がシンって決まってたから対シンの特訓の様子を道場に集まったマスコミに写させてたし
帰国も特訓もどこが極秘なんだか…(´・ω・`) ユキーデのジェットセンターに三沢タイガーが秘密?練習には期待したな。 >>192
日テレで日曜の午後に特番もやったんだよね
週プロでその練習光景の事をプロレスの型の練習とか
ボロクソに叩いてたな >>182
長州は小川とやって格闘技には手を出さない事にしたんだよな
ヒクソンと良い条件で話があったが、側近に自信がないからやらないと言った
ゴッチに対しては学ぶことはないだし長州ってその時その時正直に言うタイプなんじゃないかと 垣原の本に馬場のから竹割りは本当に効いたって書いてあったな
鶴田も馬場から受けた脳天チョップが今まで一番痛いと言ったし
パーティでスイカが丸ごとあってみんなが包丁を取りに行こうとしたら
馬場がそんなのいらないと言ってチョップで真っ二つにして見せたんだよな
馬場は瓦割りで何枚割れるかやったことあるのかなあw >>164
天龍は馬場と組み合ったら真上から体重かけられ動けなくなったと証言している
天龍より背の低い長州なら尚更
力が斜め上にすっぽ抜ける
腕力脚力にしても長いほうが力あるよ >>197
その理屈は合点がいくが
その天龍の発言ていうか回想はいつ頃の事を指してるの?
極端な例だと、天龍が入門した頃のスパーリング等での事なら馬場は30代後半
長州が馬場と戦ったのは40代後半で、10年もの時期に開きがある、当然だけど体力はダンチだろうし
まあ長州のコメントはそうなんだけど、いつも接続詞や代名詞ばかりで要領がつかみにくいからねw
天龍はちょっと毒舌でペーソスというか、洒落がきいてるコメントだったけど。 >>191
阿修羅とラッシャーとで最強タッグ出場前に秘密特訓とやらで、海辺で巨木を投げたりしてたね。
あまり実践的な特訓ではないと笑ってしまうが、ラッシャーだと牧歌的で絵になるんだよな。 >>192
公開秘密特訓で、馬場のチョップをまともに受けた輪島の歯が吹っ飛んだのを見た時は、笑った。 最近百田が息子にトレーニングしてる風景がテレビに流れたので見たんだが
あんなの放送に乗せる百田とスタッフの良識を疑ったわ
自宅で腕の取り方を教えてたんだが
百田が取られながら、そんなに力入れたら肩が壊れるだろう、
俺は年寄りなんだから手加減しろ練習で体壊してどうするんだと叱っていた
嘘でも攻めが甘いもっと締め上げろとか芝居できないのかね
週プロが輪島の練習風景を批判したのも、プロレスの型の稽古だったからでしょ >>201
以前、坂口憲二がTVでスティーブ・カーンの道場に取材に行った時も
カーン「俺の腕を極めてみろ」「グオオーッ!(と大げさに悲鳴をあげる)」
カーン「いいか!ノイズだ!大声をあげて客にわからせるんだ!」というのを
堂々とTVで映していた >>172
「強さは感じないがとにかくネコのように素早い!」と猪木の事を評していた。
>>188
武藤と親交のあるスポーツトレーナーが「スクワットはやり過ぎは膝を痛める一番、
バランスが良いのは(一般人は)ウォーキング!」とコメントしていた。 輪島が石川を型通りにフライングメイヤーで投げ(石川がまた見事に自ら飛ぶ)、首を極める、
そこで馬場が輪島の顔をひょいと上げ(食いしばった顔を客に見せるんだ)と教えていたな。 ゲーリーオブライトは強いのに
攻めてる時も攻められてる時も
うつむいてるから強そうに見えないと解説してた
顔見せなきゃいけないってのがあるんだね 馬場がファンク道場かオコーナーの道場で輪島に指導してる時「ここからは企業秘密で」
とか言って、途中マスコミを締め出して教えてたらしいが、
さすがにシュートの類を教えてたんだろうか?、それとも馬場秘伝の見せ技だったのか?、やはり。 >>206
演技の秘伝だろ。
ここはオーバーアクションで苦しそうにのたうちまわるとか。 ファンクスvs師弟コンビ
昭和48年10月13日(土)
https://imgur.com/a/0MMyUT5 >>207
やっぱ、そうか。
確かに、馬場は他団体のレスラーにもそういったアドバイスしてたようだ。
元Uインターの中野も全日に参戦した時、試合後に馬場から
「もっと痛い表情造れ」とか煩く言われ、全日に出るのやめたとか何とか言ってた。
もっとも中野の場合、逆に馬場からお払い箱にされたのかもw 天龍と対戦したUWF中野は小型で打撃も軽かったが
天龍の突っ張りが見られてよかった
誠心会館空手の青柳にも突っ張り爆発させて
異質な対戦相手には相撲技出てくるんだね 馬場の晩年に全日本に上げた中で、評価したのは新崎人生と藤原組長。
特に組長は、それまで渕レベルを技師だと思っていたので
目からウロコだったらしい。
ダメだったのが荒川と中野で、中野は、
「あいつはあんな小さいのに何で倒れないんだ」
と記者にこぼしていた。
荒川はいつもの調子で、前座仲間だった藤原と同じギャラをくださいよーとか言ったら、
シャレか通じない馬場に瞬殺された。 https://pbs.twimg.com/media/DbJRH8rUQAASW8P.jpg
佐藤昭雄はいろんなレスラーから慕われていて、悪い評判を聞いた事がないのに
なんでマッハ隼人にだけは辛く当たったんだろう?
本人や他のレスラーの証言を聞いても、
マッハ隼人が昭雄を不当に貶める理由も動機もないので
全日でガミガミ五月蠅かったのは事実っぽい気がするし >>211
垣原も馬場から頻繁にダメ出し食らってたようだが、それより評価の低い先輩の中野とは・・。
>>212
Gスピの鶴見と高杉の対談読むと、マッハはみんなから虐められてたとか。
最後に羽田から喧嘩売られて辞めたそうだが、あんまり具体的に語ってなかった。
誤解されやすい可哀相な性格とか言ってたが、今一つ解らなかった。 >>212-213
憶測になってしまうけどマッハの場合性格がどうこうよりルチャ的な所作への偏見と嫌悪感みたいな物がありそう
今のハイスパートルチャと違ってあの当時のメキシカンってロックアップが左右逆だったりロープワークや間の取り方も独特で
全日勢にしてみれば合わせにくくてやりにくい印象があったんじゃないの?
マスカラス兄弟やチャボみたいにアメプロ寄りの動きや試合運びが出来ればまだ扱いが変わっていたかもしれない マッハはいわゆる“いらんこと言い”だったんじゃない?
一言多いというか、物言いにクセがあってカチンとくるとか? >>214
なんか、それが鶴見と高杉の話を読む限り
マッハの普段の振る舞いからトラブル発生してるような感じだった。
バスの中でオイチョカブやってたら、マッハがオドオドしてて羽田が喧嘩仕掛けたとか
キムケンとは一緒に車乗ってて、路肩に車停めてボコられたとか(ちなみにキムケン止めたの剛だったw)。
佐藤昭雄の方は、マッチメーカーや若手のコーチだったりで、試合やスタイルに口出ししたのはあったのかも? >>216
旧UWFでは引退試合の後に胴上げされて送り出されてたもんな
あのスタイルに合わせようとマッハなりに必死だったのか?
それともUWF勢が好青年の集まりだったのか?
財政的に苦しくてイジメどころの騒ぎじゃなく、むしろ戦力的に有難い存在だったか? >>217
意外な事に前田は、マッハを慕ってたようだね。
一時期マッハは海外に住んでて、前田がわざわざ会いに行った話あったような、確か。
良い人間ではあっても、普段オドオドしてるから虐められ易いとか何かかな。 あの頃の外人は基本佐藤を通しての来日だったけど、マッハだけ他のルートからの参戦だったから気に入らなかったのかもしれん。
ただマッハって善人なのは間違いないけど独特の性格のような気がする。
飄々としてお世辞を言えなさそうだし、ラッシャーに対してもリスペクトはしてても、
雲の上の大先輩という捉え方はしてない感じ。
色々な意味でドライなんだろう。 マッハの立場からすれば「全日では皆に馴染めずイジメられたりしていたので、
旧UWFで剛に誘われても戻る気にはなれなかった」とはとても言えなかった訳か デビュー前の修業している輪島の紹介番組で、
馬場から表情作りの指導を受ける様子もしっかり映っていた 上田馬之助「アメリカで苦労したのはセール。やられたときに無表情で我慢してたらホサれそうになったので、必死に派手な表情を作るよう努力した」 中野は新日でも橋本の垂直落下DDTくらって負けた後に
すぐ立って帰ったから新日側を怒らせたんだっけ? >>224
それユセフ・トルコの本に書いてあったな
上田は毎日鏡を見て表情を作る練習をしたって >>223
それ覚えてるw
馬場チョップ受けて、必死に耐える表情は、真剣にやってるんだろうけど、笑えたw 輪島が相撲を引退してたった5年後だったのか。
当時は相撲にも興味なかったし、自分には輪島は前時代的な感覚があったんだけど、
すごいことだったんだなと今は思う。 チョークスラムの原型であるゴールデンアームボンバーを編み出した輪島は凄いと思うよ
ゴールデンアームボンバーはフィニッシュ技としてはちょっとあれだけど…(´・ω・`) 輪島の横綱時代に数年後にシンやブッチャーと戦うなんて思いもよらないだろうね。 >>229
ゴールデンアームボンバーは技よりもそのネーミングセンスがすごいと当時思ったな
いくらあの時代でもさすがにゴールデンとボンバーでアーム挟む言語センスはちょっと普通じゃない
子供がヒーローごっこでウルトラスペシャルスーパーキーック!とか言ってるのと同じレベルだもん ガチ競技経験あるレスラーが強いという常識となったいま
輪島を当時笑ってた人は謝罪ものだよな。 >>224
そりゃ、プロレスで最も重要な技量だもんな。
実は顔芸も馬場と猪木が抜群に上手い。
やっぱり、あの二人がトップ張ったのは体のサイズだけじゃない。 船木が38歳で入って来れるジャンルなんてどうのこうの言ってたが、
お前万に一つも勝てないだろってw >>234
川田が自伝で書いていたが
腕力の強さとか「やっぱり横綱は凄いなあ」と思ったそうだ
あと「天然で面白い人だった」そうだ>輪島 ゴールデンアームボンバーはパット・オコーナー
から伝授された技。
馬場はオコーナーを信頼し、ゴッチよりも遥かに
上位にランクしていたよ。 オコーナーはBI時代の日プロには招聘されなかったんだよな >>230
ハンセンは初来日からしばらくは普通のテレビ番組を見ても分からないんで大相撲中継ばかり見ていて、輪島のファンになったそうだ。
>>235
アメリカ修行中の空港で炊飯器が金属探知に反応して弾けてぶっ壊れたとかその他、本に書けるほどの珍道中だったらしい。 70年代は相撲で全国放送され
80年代はプロレスで全国放送され
90年代は生ダラで全国放送されてって
なんだかんだで輪島をテレビで見ることが多かったなぁ。 >>229
ラリアットで相手が倒れなくてもがいていたら偶然出来た技じゃないのか? >>241
>>229が言ってるのは、二段式首折りじゃなくデビュー時のアームボンバーじゃないか? https://pbs.twimg.com/media/DbGEwo_UQAAQPYh.jpg
全日十周年記念興行の頃かな、世界三大タイトルマッチと
シン上田と馬場と組んでスペシャルタッグマッチがメインの >>243
多分そうだな、サンマルチノがいるし、あとドリーの体格が細いしね
そういえば小川直也のSTOを見た時に、輪島の二段式を思い出した >>226
日プロ時代は顔も渕みたいに地味でw 試合もつまらなく眠くなるので
眠狂四郎と言われていた。 Gスピのヤスフジイ特集を読んでいると上田に同情してしまうな
あんな地味顔で試合がつまらないのに、
それでも新団体創ってエースになりたがるとはなぁ
やっぱそういう野心を持っていたのか 厚生年金の話だが、馬場夫妻ではなく後にSWSに天龍達と移籍したフロントの米沢氏の功績だとの事
ソースは明かせないが関係者から聞いた
カブキは厚生年金貰っているらしいよ 全日では出ていたって事実は変わらないだろ
その人の懐から出してたわけじゃなく全日の会社から出したわけだからさ >>248
手続きに奔走したのは米沢氏だろうけど、
最終的には馬場の承認があったからでは?
特に元子が細かい金の流れをチェックしないわけがない。
俺は最近馬場は経営者として優秀ではなかったが、とりたてケチというわけでもなかったと思ってきているよ。
逆にあれだけ観客動員で圧倒してた新日が厚生年金手続きをやってなかったというのはあり得ないな。 ソースが明かせないんじゃソースになんないよなw
そもそも「馬場がOKと言えばOK 馬場がNOと言えばNO」だとS・ウィリアムスが言ってたし
米澤が進言して馬場が「それはきちんとしなきゃいかん」とOKしたんだから
馬場がきちんとやっていたって事になる このスレではよく厚生年金の話題がよく取りざたされるが
宝島が出した『プロレスリングの聖域』という雑誌の
ケンドー・ナガサキの証言が元で良いのかな?
今春に出るという自伝でも語らればいいけど… >>254
あと松永がブログで
「井上さんは厚生年金がもらえているのでやっていけている」と書いていた
「高橋さんはそうじゃない」ともね
松永のブログは今は閉鎖しちゃったけど >>253
ハンセンが全日本に定着したのもその辺りの権限が明確だったからだと言ってるよね
逆に新日本は誰に実権があるのか分かり難いって あの頃はホント凄い時代だったなあと思うのは
SAMURAI TVの開局記念イベントが生中継された時にゲストで来場した猪木さんが酔っ払っていて
なんと
「馬場の16文なんて八百長だ。
あんな、足上げただけの所に相手のほうから当たりに来るなんておかしな話があるか。」
と発言しました。
これ 今だったら、上へ下への大騒ぎになるのでしょうが
その当時は新日本と全日本が今とは比較にならない程 仲が悪かったので
みんな、「また、猪木が馬場の悪口言ってる。」くらいにしか思わず、特にその後 何もありませんでした。
ちなみにそのシーンは再放送ではカットされていました。 マイティは色々なインタビューで厚生年金をもらえている事、それは国際では無く全日の払い込みが大きかった事を明言しているよ。 >>257
なんか色々よくわからないな
SAMURAIの開局なんてこのスレ的にはそんな昔の話じゃないから
新日と全日の関係は良くもなく悪くもなくって頃じゃないの? >>257
猪木の延髄が空振りしたのに相手が一回転してたのにね 猪木はそうやって時々プロレスを投げちゃうような言動するよね
とても残念だ >>164
それから藤波も馬場さんの両腕が肩に乗っただけで圧迫感あった
細く見えるのは錯覚だって >>196
ハンセンはトークショーか何かで「鉄板で殴られたような痛さ」って言ってた。
>>264
同じように一見すると細い、ヴォルクハンやホイスグレーシーも間近で見るとデカイしな。 猪木にとってプロレスは手段でしかないからな。
目立てば政治家だろうがタレントだろうがなんでもいい そもそもゴールデンアームボンバーなんて技の名前を意識しちゃあいなさそう。
ゴールデンアームを「黄金の左腕」から引っ張ってきた
ってのを輪島本人は知らなかったかもしれない。 >>265
>>ハンセンはトークショーか何かで「鉄板で殴られたような痛さ」って言ってた。
見た目はたいしたことないのに危険な技って、 ほんと馬場って最低だな 自分の記憶違いかもだが、
当初、二段式首折りは「ゴールデンギロチンネックブリーカー」って技名だったような・・。
ゴングの輪島のデビュー前の海外修行の特集記事で見た覚えある。
その技が、いつの間にか「ゴールデンアームボンバー」になってた。 当時からしてもダサいネーミングだが“ゴールデン”は外せないもどかしさを感じる。 右のおっつけが強いから左の投げが決まるんだよな
ゴールデンアームボンバーは最初ロープの反動で返ってくる相手へのノド輪で、トム・ジンクに決めたのがゴールデンギロチンネックブリーカーだったな >>271
それは北の湖が言ってた話だな
本当は「黄金の右」なんだって
右からのおっつけが凄まじく強くて体が浮いてしまって
左からの下手投げを食らうんだとか なんかの本で輪島のゴールデンアームボンバーは効かなそうに見えるが、合気道の入り身投げという技にフォームが酷似しているから
ああ見えてちゃんとダメージを与えられているのではという話を読んだことがある ゴールデンアームボンバーもあれだけど、
今の国産車の色のネーミングもたいがいだぞ
スーパークリスタルサンシャインパールマイカ とかそんな世界。 >>269
ゴールデンギロチンがゴールデンアームボンバーに続く
輪島スペシャル第二弾だ!的に言ってたと思う
でもギロチン出してきた頃には輪島登場のインパクトも薄まっていたうえ
あのギッコンバッタンを繰り返すのが明らかに???だったんで
だんだんのど輪とギロチンの区別とかに周りや実況も拘らなくなっていった印象
あれ前後に振るのは無しかせいぜい一回でスパーンと決めた方が絶対見栄え良かったろうに 石橋貴明が「ユッサユッサしてる間に、相手は逃げりゃいいのに」って言ってたなw ゴールデンアームボンバーの名称といい、タイツのカラーといい
大相撲時代の黄金廻しをイメージしたんだろうけど
少なくともあのタイツはカナリア色にしか見えなかった >>275
藤子F先生の短編ウルトラスーパーデラックスマン思い出した。
主演はあの小池さん。 >>274
合気道経験者だけど、入り身投げはジェイク・ロバーツやオカダカズチカがやる「一人時間差ラリアット」(斎藤文彦命名)に近い。 >>276
あのギッコンバッタンは確かに見映え悪かったな。
当時、自分はまだ小学生で相撲も知らなかったので
輪島の偉大さも知らず、カッコ悪いおじさんがカッコ悪い技使ってるぐらいしか思えなかった、正直w
普通にジャンピングネックブリーカーのが見映え良かったもんなぁ。
後に似たキャラの田上がアームボンバー使うようになった辺りから、この技も有りかと思えてきた。
喉輪のバリエーションも増やしてインパクト残したし。 輪島の強力で脳を揺さぶる恐ろしい危険技だよ
大仁田のチャボ倒すため用意した秘密兵器ネックジャンピングって
ジャンピングネックブリーカーの言い間違いかな >>281
田上が進化させて、力皇の「無双」で完成形って感じだな
もちろん威力というより、見栄えと説得力という点でだが。 ゴールデンギロチン。
ちょっと早すぎたとも言える。
すこし時代が下るとロックのピープルズエルボーが
「エンターテインメントスポーツ最高の技」となるんだからね。
まぁロック様だからできたことだろうけど。 >>284
ホーガンがWWFチャンプになってアックスボンバーでなくギロチンドロップを決め技
にしたのはビンスからの指示だった。見た目が派手で観客や視聴者にもわかりやすい
からだったらしい。レスリングサミットではアックスボンバーでハンセンを葬ったけど
カメラアングルも不味かったのかリング上で派手にジャンプする技より地味で呆気ない
印象を受けた。 日本とアメリカでは客に受ける技がちがうからな
ケリー・フォン・エリックのディスカスパンチとか日本じゃ失笑ものだが
向こうじゃ受ける 今更ながら元子さんと輪島のエピソード。
元子「好きな食べ物は?」
輪島「キャットフード」 >>285
動画見ると、海外のファンがホーガンの日本での試合でギロチンでスリーカウントが入らないのに驚いているコメントとかあるね。
日本のファンがハンセンのラリアットでスリーカウントが入らない時と同じ感覚なのかな。
ハンセンの“ラリアット”はニックネームでもあるし、海外でもラリアットで決めることは多かったけど。 >>285
地味で呆気ない印象?マジか?
ホーガンの日本でのベストアックスボンバーだろあれ。カメラアングルも含めて。 アメリカでジャーマンスープレックスが全く受けないのと通じるかも。 アメリカは最後にブリッジしてピン取る技は
スモールパッケージなどの逆転技と違い、こじんまりしてあっけない印象があるのかも。 日本でギロチンがフィニッシュになったケースって
トップロープからのダイビング式を別としたら
猪木がオックス・ベイカーかジ・エンフォーサーのどっちかから獲ったのしか記憶に無い 格闘技戦のモンスターマン戦は
スタンプホールドからのギロチンが
フィニッシュだったな 女子だとブルの金網ギロチンだね
平成だと小橋のダイビングギロチンかな 円盤投げの経験生かし
遠心力で破壊力上げるディスカスパンチ好きだよ
前田に当てたのは意地を感じた
鶴田ジャンピングニーパットは
バスケットボールのシュートのアレンジだよね ギロチンを輸入したとされるギル・ヘイズ、ピン取るときは必ずこれだった。
国際時代のブルックスも好んで決め技にしていた。 アメリカ限定で客に受けると言えば
ジェリー・ローラーもなんであれが「テネシーの猪木」と呼ばれたほど人気があったのが不思議だった
見た目はおっさんでフィニッシュはショボいフィストドロップだし ブロディは中堅相手にはギロチンで終わる事もそれなりにあったのでは?
地方会場で石川か大熊に決めてフィニッシュにしたのを見た事ある。
ちょうど鶴田のフライングボディシザースドロップみたいな扱いかな? >>301
ファイヤープロレスリングと言うゲームで
ブロディがモデルのキャラの必殺技がフライングニーじゃなく
なぜかギロチンだったシリーズがあったわ >>301
全日に復帰した時の武道館の6人タッグは
高木相手にパイルドライバーでフォール勝ちだったしね。
天龍も格下相手には、コーナーポストからの
フライングエルボー(イワンコルフ戦など)で決めたりするし。 >>290
アメリカではジャーマンはウケないのか?
そういえば、特に昔は使い手が日本人ばかりだったな。
しかも、80年代前半までは新日レスラーばかりの印象。
>>296
昭和のダイビングギロチンと言えば石川か。 >>305
ダイナミックな大味な技がアメリカ人好みだと思う。
ジャーマンの使い手は、チャボとかしか浮かばない。 自己犠牲の精神を理解できないアメリカンにしてみればジャーマンとか
「お前の頭の方が痛いだろ」 ルーテーズはバックドロップの名手だから受けてもおかしくない
ホーガンのギロチンは最初から膝が曲がってて隙間を作ってるから嫌い >>306 >>307
ジャーマンて、十分派手な大技だと思ったけどな。
ゴッチがアメリカで、ある程度受け入れられたのはジャーマンのおかげだと思ったんだが・・。
ゴッチ本人は「ホントは関節技でギブアップ取った方が気分が良かった」と言ってたが、
そういう言い分からもジャーマンはやっぱ、ゴッチなりに見せ技として意識したはず。 ブラックウェルもギロチンを多用してた時期があったな、フィニッシュにしてたかどうかは記憶にないけど。 カートアングルら今もジャーマンやる奴いるけど投げっぱなしでホールドしないんだよな >>311
外人だとさっき上がったチャボやバックランドくらいしか思い浮かばない・・。
世代的にゴッチより少し後になるが。 ホーガンのギロチンて説得力ないよな
アックスボンバーって日本的な英語だと思うが海外ではなんて呼ばれてたんだろ?
確かアックスバッターとか実況が言ってた気がしたが・・ >>313
確かマイク・グラハムがフィニッシュに使ってたような気がする。 >>314
あんなつなぎ技がフィニッシュとして認められてるのはホーガンのみ。
ホーガンほどの華やかさのない選手がやったらブーイングものだろうなあ ホーガンのギロチンドロップはロッキー3で
スタローンへの一撃が凄い。 ゲーリー・オブライトのジャーマンスープレックスは
ハンセンのラリアット以来くらい久々に必殺技の恐怖感あった >>318
ギル・ヘイズとかブルックスとかすでに上がってるのに
ちょっと前のレスも読めないのか レスリング一家出のドリーがマスター出来なかったそうだから、60〜70年代辺りまでは難技として見られてたんだろうか。 キラー・カーンがWWFチャンプ時代のバックランドに挑戦した試合
バックランドのジャーマン狙いにタイミング良くジャンプしていてエライと思った
まー下手に投げが崩れたらカーンも首をおかしくしそうだしな 佐山がザ・タイガーの頃に出した技術解説ビデオでは完全なブリッジワークが出来ないと駄目って言ってた
へそより上で肋骨を絞めてロックするのがコツだって In kayfabe, could anyone explain to me why Hulk Hogan's Leg Drop works better in
the US and his Axe Bomber works better in Japan?
https://www.reddit.com/r/SquaredCircle/comments/619mr8/in_kayfabe_could_anyone_explain_to_me_why_hulk/ ギロチンドロップはバッドニュース・アレンが綺麗だった 鶴田のジャーマンはブリッジ崩れの
ダブルフォールの印象が強いな 新日の連中はブリッジの基礎がちゃんと出来てて腹の上に相手が乗ればそんなに難しい技じゃないって言ってたな 柄パン履いてた頃の大森がよくジャーマンとかドラゴンを失敗してたよね? >>314
WWF時代の実況だと普通に「Clothesline(クローズライン)!」と実況しているのもあるね。
https://www.youtube.com/watch?v=wUGSoshqv5o
4:55
Wikiやその他の所だとそのまま“Axe Bomber”となっているのが多いみたい。
説明で“Crooked Arm Lariat”(腕曲げ式ラリアット)ともなっている。 >>318
平成の話だけど、ヨコヅナもたまにフィニッシュに使ってた。ホーガンからベルト奪回したときは皮肉にもギロチンでフィニッシュ。 アックスボンバーは使い始めの頃ハンセンのラリアートとの差別化で
無理やり「腕を曲げることで通常のラリアートに加え
顔面を肘爆弾で打ち砕いくことでダブルのダメージがあるんです」
って解説してたのが好きだった
でも初期は実際にホーガンも律義にちゃんと腕曲げてやってたよね
藤波に飛竜十番勝負でやったやつやIWGPでカーンにやったやつブッチャー戦のやつとかは
腕振り抜くってより肘で顔ゴンッ!ってぶん殴るかんじでなかなか良かったと思う レスリングサミットのハンセン戦では浴びせ倒しラリアットで勝ちにきたよな。
あの試合ってどういう筋書組まれてたんだろうか。 ホーガンは最初アックスボンバーを自分ではホーガンハンマーと呼んでた記憶が。
デラプロのインタビュー記事だったかな? >>339
ホーガン自身はアックスボンバーよりホーガンハンマーを気に入っていたようで「ホーガンハンマーと呼んでくれ。」と答えていた。
アックスボンバーと名付けたのはミスター高橋かな?
テレビ朝日にアックスボンバーと実況するように手を回したのかも。 平成に入ってだけど、小橋もダイビングギロチンをフィニッシュにしてた時期があったような
シングルでゴディあたりからピン取ってなかったっけ >>341
四つん這い状態の後頭部に落としてウィリアムスから取ってた。
三冠戦だったな。 ギロチンドロップって高い地点からマットに尻もちつくわけだから、命中しても自爆してもどっちみち腰に負担がかかるよね。
ホーガンやブロディもそのせいで実は腰も悪くなってたんじゃないのかと思う。 俺もニードロップよりギロチンのほうが自分にダメージあると思う。
ただ、決め技としてのニードロップはブロディぐらいの技術がないと、相手を負傷させてしまう。
ブロディの相手に体重がかからないキングコングニーは見た目の迫力といい、神業レベル 昔、医者に聞いたけど尻餅って想像以上に恐ろしい事だって。
衝撃が脊椎や腰椎にダイレクトにくるから打ち所?しだいでは一発で不随になることもあるそうだ。 小学校の頃、自分だけジャーマン出来るのが自慢だった。
逆に言えば「何でこんなの出来ないの?」と。
背中が柔らかかったんかねえ。タイガースープレックスも
出来たな。
ただ、ドラゴンだけは怖くて無理だった。よくフルネルソンのみで
後ろに持って行けるなあと。
自分語りスマン。古き良き楽しい時代をふと思い出したんでな… 平成になってからだけど、小橋が田上から三冠とったときのフィニッシュがダイビング・ギロチンで、かけたほうの小橋が落下の衝撃で意識が飛んだというのがあったね。 流れ切って申し訳無いが、悪名高き「1989年4月16日後楽園ホールの三冠戦」について
この試合、試合その物はなかなかの好試合だったのか(だからこそ「また」決着着かずでファンが怒った)
グダグダダラダラの完全なお茶濁しファイトをした挙げ句の不完全決着だったのか。
もし後者なら、本気でファンをバカにしてると思うんだけど・・・(因みに自分は
この試合テレビでも雑誌でも見なかった) アメリカでジャーマンといえばダブルフォール。
全日中継の中の海外情報で、フレアーがレイスをジャーマンで投げ、でも潰れてダブルフォールになり、掛けられたレイスのみ肩上げたって奴。レイスとフレアー逆だったかも。 >>346
ホーガンや小橋は人工関節を入れたり崩れた骨を強化プラスティックで補強したり
大きな手術をしている。車椅子生活にまでなっていないけど・・・
>>309
「ジャーマンは受け身の備えができるけどテーズのスピードとタイミングのバックドロップ
は受け身を取るヒマが無いので危険と鶴見が話していた。
鶴田がせっかくテーズばりのバックドロップをマスターしながらごく初期だけ高速で
使い(ブロディ&ボルコフ戦)その後、スピードも高さも修正したのはこういう理由
だったのかな?
>>312
投げっぱなし方が腰への負担がかからないらしい。 >>349
俺はこの試合はテレビで見てたけど、場外乱闘時のグダグダ感が半端なかったな。
客の大半が「リングに上がれよ」と言ってるのに、意地になって場外乱闘を続けてるという。 伊藤正男、ミスター林らの中途半端なブサ面で中途半端な体型のレスラーが
プッシュされずベルトも巻けないのは分かるが
顔はともかく、タッパがあってある程度プッシュされた
ロッキー羽田がアジアタッグすら取らせて貰えなかったのは何故だろう?
病気になる前の70年代後半辺りの羽田ならアジアタッグ程度なら
取れるランクに居たはずなるだけどね。
実際に員数合わせ外国人からはフォール勝ちしてたし
メインに起用されても、負け役で無い事の方が多かったしね。 >>352
ター山が編集長になって全日マンセーになった週プロもこの試合は批判してたな。 >>351
高速は低いから威力がなさそうだけどなあ >>352>>354
例えばさ、同じ引き分けでも、60分しっかり戦い抜いての引き分けなら絶対
ブーイングも延長コールも物が飛び交う事も無かったと思うんだ。
後は死力を尽くしてのダブルKOとか。やっぱ両リン、反則負けは・・・な
尤もブッチャーvsシークみたく試合終わってからが本番、乱闘の方が本試合より面白かったってパターンもあるけど笑 両リンは子供の自分の目から見ても ああまたかよ って感じてシラケたなぁ
ジョーの乱闘に巻き込まれてのアレとか
新日のフェンスアウトもしかり >>349
確かこの後の文体でも同じカードが組まれてる日程だったっけ? >>358
大田区体育館じゃなかったっけ?
あと、最初から組まれてたのか後楽園のカードがあんな結末だったから
元は別カードが組まれてたけど、カードが変更になって再戦という形で改めて組まれてたかは不明 >>359
最初から二連戦だったと記憶している。
鶴田VSニックのAWA・インターダブルタイトル戦のときと同じ完全決着制。 最近にスレで「大田区体育館で統一されたのが意外」という回想があったけど
この流れを読んで思ったのは、後楽園でファンやマスコミにケチがついちゃったから、急いで結果を出したんでは?と少し思う
本当は「6月5日の武道館」ぐらいまで統一は引っ張るつもりだったんじゃない?
結果的に鶴田vs天龍で「伝説の6.5武道館」と言われるような興行になったけど 鶴田ーフレアーの入場で若手の三沢がエルボー冬木がハイパーエルボーをもろに入れて、少年がフラフラなんてのを発見
冬木なんてヘラヘラしてる
全日系って闇が深いな
因果応報じゃねえの >>361
三冠統一戦は前年のブロディ対天龍に始まり、鶴田対ハンセンも広島で一回やって後楽園と大田区の二連戦。
さすがに4回も決着つかなかったらソッポ向かれるから大田区での統一は予定通りかと思う。 日本プロレス界の至宝である三冠ヘビー級王座。スタン・ハンセンとの統一戦に勝利して初代王者となったジャンボ鶴田は、
リング上から笑顔でファンの歓声に応えたが、その結末は決して団体側の望んだものではなかった。
「'87年に長州力らが離脱した後の全日は、天龍革命によりファンからの人気はむしろ高まった感もあったが、当時、これに
対応できたのは日本人なら鶴田、外国人ではハンセンやブロディぐらいのもの。リング上の充実ぶりとは裏腹に、話題性には
乏しかった。そこで持ち出されたのが“タイトル統一”という手段だったのです」(全日関係者)
「それまでは王座戦がリングアウトや反則などで終わるのは、興行システム的にもむしろ当然とされてきました。ただ、鶴田、
天龍、ブロディ、ハンセンと、同じメンバーが毎度のように不透明決着を繰り返せば、さすがにファンも不満が募る。
プロレス専門誌の台頭によって結果が手元に残るようになり、ファンの議論にさらされたことの影響もあったでしょう」(同)
話題性のある抗争はなるべく長く続けたいというのが団体側の本音だが、「煽るだけ煽りながら全日は本気で三冠統一する
気があるのか」と、ファンの欲求不満は溜まりに溜まっていた。そんな中で行われた'89年4月16日、後楽園ホール大会において
鶴田vsハンセンの統一戦がまたもやリングアウトに終わると、会場内にはブーイングが飛び交い、暴動寸前の不穏な空気に包まれた。
'87年にはライバル団体の新日で、二度の暴動騒ぎが発生しており、熱狂的ファンには「全日、おまえもか」との気持ちもあったろう。
そして、ようやく三冠統一となったのはこの2日後、大田区体育館における鶴田vsハンセンの再々戦だった。最初からどこか
ぎこちなく噛み合わない展開が続く中、ハンセンのラリアットを避けた鶴田が、その隙をついて丸め込んでの3カウントだった。
「三冠統一という節目のビッグマッチ、どうせやるなら日本武道館などの大会場でやりたかったのが本音です。しかし、先の
後楽園であまりに不満の声が高まったために、仕方なく…というのが真相でしょう」(同)
完全なピンフォールではなかったが、それでも一応の決着がついたことにファンは歓声を送った。以降、全日では不透明決着が
激減。三冠戦でも幾多の名勝負が繰り広げられることになる。 地方会場でタイトルマッチなんて日常茶飯事だっただろ 旗揚げ 日大講堂
第一回チャンピオンカーニバル決勝 福井市体育館
PWF王座戴冠 日大講堂
NWA王座奪取 鹿児島県立体育館
オープン選手権決勝 川崎市体育館
オープンタッグ決勝 蔵前国技館
インター争奪戦決定 松戸市体育館
三冠統一 大田区体育館
やっぱちょっとね。大田区体育館が全日に馴染みがないのがと弱いよ。
挙げた中で超満員になったのは蔵前だけ……。 >>366
>挙げた中で超満員になったのは蔵前だけ……。
オープン選手権決勝って超満員にならなかったの?
当時は年齢的にも知らないけど、オープン選手権って猪木へのアンチテーゼ?的な大会で
話題も相当あったんでしょ?
執拗な猪木の口撃に対しての馬場の回答みたいな大会でもあって。
メンバー的にも凄いし、川崎という立地にしてもファンならどこまででも見に行きたい大会なのかと思ってた。
松戸が埋まらないのはわかる、ファンクス対決も結果論だし、最初から発表されてれば別だろうけど。 >>350
あれは雑誌記事ではジャーマンとなっていたが、どうみてもバックドロップホールドだと思う。
そもそもフレアーはジャーマンやらないだろう。 大田区体育館といえば新日のドサ回り先の印象が強いんだよな
近隣だと川崎市体育館は全日全女って感じ オープン選手権は力道山追悼の武道館以外微妙な会場ばっかりだな
十分な準備をしたイベントの割には
大阪府立、愛知県体育館、札幌中島すら組まれていない
まともな会場の中では馬場鶴田戦の宮城県営は客が入ってるのが分かるが
九電記念は場内真っ暗で客も湧いていないからガラガラだったんだろう >>367
もともとオープン選手権に決勝なんかないだろ、大相撲方式で試合組んだだけなんだからw >>370
たぶん夏くらいに立案した企画だろうな。
それまでは年末はありきたりのシリーズ組む予定だったんだろう。
その反省からか、オープンタッグはガチガチに大会場で組んであった。 >>369
つか新日の旗揚げのイメージだろ。
猪木と切れた今頃になって大事にしているが。 >>356
ファンクス vsブッチャー・シーク、ハンセンvsアンドレ、馬場vsハンセンとか両リン、反則決着でも満足したなぁ。
レイスvsマスカラス、ブロディ・スヌーカvsハンセン・ゴディみたいに実現したことに興奮しすぎて結果二の次になった試合もあるわw
ブロディvs天龍みたいに事実上両者KOみたいな両リンもあるよね。 >>369
新日の大田区大会と言えば91年2月のメインで組まれた
小林邦昭vs齋藤彰俊が印象にのこってる。
メインなのにテーマ曲が掛からず、無音状態のまま両選手が入場して
殺伐ととした異様な雰囲気の中行われ、物凄く盛り上がったんだよな! >>375
その試合はTV中継がなかったよね、凄く盛り上がってたみたいで残念だった
闘魂スペシャル?みたいなビデオシリーズで収録されてたかもしれないが
あの頃の新日はビッグマッチにテレビ中継が追いつかない→(大義名分だろうけど)
結構な数でセルビデオの方に力を入れてたな、無双状態の天龍vs藤波の大阪城もビデオだった
ノーテレビより全然マシなんだけど、ビデオは版権の問題で入場曲が差し替えなのが興ざめだったな 原 井上 浜口 寺西の元国際勢が巻いたアジアタッグ
鶴見にも一回くらい巻かせるべきだったのでは? >>376
当時のワープロは土曜4時放送で、ゴルフで潰れることが多かったからな。
全日中継が潰れたことなんて殆どなかったんじゃないか?
せいぜい昭和天皇崩御のときくらいか。 >>375
その時期の新日の大田区大会と言えば、必ず せんだみつおが観戦に来てたw
大会前日に坂口社長がオファー出しても快く引き受けてたそう 全日だと昭和のイーデス・ハンソン、平成のダチョウ倶楽部がリングサイドの常連だった >>376
テレビのつかない団体は潰れるって言われた時代にUWFのビデオがバカ売れして、
ノーテレビを売りにごく普通の地方興行までソフト化してたね。
買って良かったと思ったのは、神戸のムダvsライガー位かな? >>382
二重ペイントのやつだっけ?
ライガーがムタのペイントを張り手の連発で剥がしたら、中からもう一重のペイントが出てきたっつてやつ
昭和の全日に話を戻すと、当時の全日の販売ビデオは
ファンクスvsブッチャー
カブキ
ハンセンvs原
この三本しか記憶にない、新日は百種以上?ぐらい販売されてたけどね 全日本初のオフィシャルビデオは馬場デビュー30周年記念後楽園大会だったな。 >>381
バズタイラーなんかは強かったと思うが・・・
あと、キラーブルックス辺りと
組ませたら取れたかもね? >>381
鶴見とならそりゃもう稲妻一択だな
原井上に一回勝たせてやればよかったのに >>387
馬場がハンセンに負けた千葉大会で一緒に乱入してきた時はやるかと思ったんだがな
まあアジアタッグは取れなかったがそちらで常連の石川が遂に出られなかった最強タッグに何度も出てるし >>380
いつもリングサイドにいた眼鏡をかけた白髪の大柄な紳士は東スポの事業部長
だった。なぜかワープロでは見かけなかった。
>>382
家庭用ビデオデッキが急速に普及したのも大きかったけどレンタル店に置いてあった
佐山タイガーデビュー戦、猪木の60分フルタイムとか全日のモノは無かったという
より発売されてなかった。馬場の全盛期や全日初期、ハンセン戦1st等を見たくても
無理で週プロに「現在の馬場とのギャップが激しいから忖度されて発売されないのでは?」
という推測まであった。友人は「猪木は逆に出し過ぎ!」wと話していた。
そんな中でTVの24時間放送が始まり日テレの週末深夜に全日の名勝負集が始まった
のはうれしかった。 >>361
その前の統一の四日後の大阪での天龍との初防衛戦も大きかった
あの時の天龍失神が前提にあったからこそ武道館もまた盛り上がった >>384
逆じゃね?ムタがライガーのマスク剥がしたらペイントしてるライガーが出てきた。
二重ペイントなんて無理でしょ >>388
鶴見って長い事全日で試合した割にはタッグを組んだ選手は限られるんだな。
血盟軍自然消滅以降は、木村・井上・寺西くらいか。最後の方は外人と組むわけでもなくえらく中途半端な立ち位置だった。
馬場鶴見組、タイガー鶴見組、冬木鶴見組あたりは面白そうだけど。 >>384
ウォリアーズのビデオも出てなかったっけ?
でも、当時確かに全日のビデオって少な過ぎだった。
カブキの出てたんなら、三沢タイガーのも一本ぐらい出しても良かったような。
あと、ジャパンが来てた時期なら、長州絡みのとか鶴龍との試合も出しても良かったはず。 >>393
ウォリアーズのビデオだと、世界のプロレスと同じ素材のやつしか記憶ないな。
実況は世界のプロレスと同じく門馬、杉浦コンビで、ナレーションは山田康雄でなく塩沢兼人になってたが。
https://i.imgur.com/oXO9720.jpg >>391
そうだ、逆だったわw
すまん、確かそのライガーの素顔ペイントはマスク取ったときは汗で半分以上はがれてて、
観客には伝わりにくかったみたいで受けがイマイチだったとか雑誌レポートで読んだ覚えがある
>>393
長州が来る前の時期だから、たぶんハンセン・カブキ・ファンクスの三本で合ってると思う
当時はカブキも含めて輸入レスラーだけだから
「馬場も含めて全日レスラーは売るだけの魅力がないんだろうか?」と悲しい疑問を持っていたよ… >>384
391さんのおっしゃる通りムタがライガーのマスク剥がしたら、
素顔でなくペイントした姿だった。
でも、ムタの二重ペイントは多分東京ドームのどれかであったよ。
後で週プロの解説読むまで気付かない位分かりにくかった。 >>395
あ、たたみかけるようにごめん。
新日は前述の廉価盤・闘魂Vスペシャル以前にもビデオパックニッポン
からやたらと発売になってたね。猪木対ロビンソンとか、いわゆる過去の
名勝負なら分かるんだけど、猪木対ブロディ以降は「それ、この前テレビで
やったやつじゃん」ってのも出てた。 >>394
自分の記憶違いだったか?出てたのは「全日本」のビデオではなかったわけね。
>>395
ここで、ふと思い出したが、PWF選手権の馬場VSハンセンのビデオ出たのっていつだっけ。
Vapのビデオとして販売してたのCMで見た事ある。
昭和59年より後だったかな・・。 あの頃発売されたビデオは入場曲もそのまま差し替えせず使われてた覚えがある。 87年かな?サマーナイトフィーバーイン国技館のビデオは、メインのイリミネーションマッチの10選手の入場をノーカットで入れてたけどテーマの差し替えもなくいい時代だった。 >>396
あ、やtぱり二重ペイントあったよね?
張り手ではがれたのが記憶にある、張り手という事は天龍かも、となると東京じゃなく大阪のWARかも。
>>398
馬場vsハンセンもあった?
もしかしたら原vsハンセンとセットかもしれないなー
よく考えたら秒殺に近い試合でビデオ販売には収録時間が短すぎるよな… >>401
「ムタ 二重」で検索したら「ムタ 二重人格」ばかりヒットして、
心が折れたw
実際に見てないけど、原対ハンセンは初来日時のハンセン対デストロイヤーとの
カップリングで収録時間30分だった気がする。 >>401
自分がまだ小学生くらいで、当時一本一万もするビデオなんか
とても買えなかったが、CMのナレーションの
「ジャイアント馬場、タイトル奪還になるか? PWFヘビー級選手権」というくだりだけ覚えてる。
多分、原vsハンセン(ハンセン全日移籍第1戦?)とは別のビデオだと思われる。 倉持の、ご応募の方はVHSかベータマックスか指定してくださいってのがあったな。 1997年1月4日 東京ドーム
グレート・ムタvsパワー・ウォリアー >>382
このムタvsライガーは闘魂Vの中で珍しく
テーマ曲をそのまま使用してたんだよね。
その代わり普段は入れているケロの解説を
カットしていたが。楽曲使用料払って怒りの獣神
入れてそれだけ気合入れてたよね。 >>400
それ観に行ったわ
ビデオもレンタルされたので観た。
初日か2日目か忘れたが、猪木が入場のとき「ダッダッダッダッダッダッダッ!」と繰り返し叫んでいたのがツボでよく真似したw >>392
本人的にはシン・上田と組んでた時期がベストだったとか >>407
多分2日目かな?それは。一人で藤波と長州の相手すんのか?って感じで。でも初日のイリミネーションマッチの試合後に、武藤に「明日行けよ!」と声かけてるとこもちゃんと入ってるんだよな 次々世代と組んで次世代とやるタッグマッチは前年の最強タッグで既に馬場がやってるんだよな >>405
あ、それか?ありがとう!
記憶に残ってるけど、印象が薄い・・・ >>409
テレビ放送無し(後日解禁したけど)だったからガンマイクが選手の声をよく拾っていたね。
猪木の「武藤明日行けよ!」はビデオで見て笑ったというか「最初から決まっていたのかよ!」と突っ込んだわw >>40
ギャラも扱いも良くよ大物外人とも組めてレスラー人生で一番最高だったが長州軍団が
来ると途端に扱いもギャラが悪くなりそれでSWSに自ら売り込みに行った。
そのため支度金が出ず「北原でさえ出たのに!」と悔しそうだったw 子供心なりに鶴見の意外?な実力者ぶりを認識したのは
1983年初頭に原と抗争みたいのしてたよね?
そのシングルマッチで原から雪崩式バックドロップで幻のフォール勝ちした試合
それまでの鶴見の印象は小悪党で、原の方が格上の認識だった
「へー!鶴見って原より強いんだ!」って驚いた
ただし、時系列的に覚えてないが、その前後くらいに鶴見はカブキに毒霧で情けないリングアウトしてたから
三段論法で原の格が大幅に下がった事になる
カブキ >>> 鶴見 >> 原
序列はこんな感じ
あとこの時期の全日は新日の影響を受けてか、地味に日本人の個人闘争が盛り上がってたね
天龍-上田 天龍-馬場 あたり 上の 天龍-馬場は間違い、馬場-上田だね
天龍と上田の抗争にしても、ランバージャックで上田はすぐに場外に逃げてばっかりの繰り返しで
天龍の方がはるかに強そうにみえた
それにすぐ後に、馬場とシングルでアームブリーカー連発のTKO負けで上田株は大暴落
同時期にパートナーのシンが鶴田に強烈なリングアウト勝ちをしてるから、なおさら上田が情けなく見えていた
でも、レイスに勝ってタイトル奪還した鶴田を一方的に破ったのを見てシン株は大上昇
子供目線だけど、そのへんの序列の大変動で1983年初頭の抗争劇は面白かったな
そして息もつかせぬ流れで、春には最強タッグリマッチでハンセンブロディやファンクスが来たしワクワク感が半端なかった… >>414
原と鶴見の格も84年になったら大きく逆転したように思うけどね。
83年の最強タッグでは原組に負け(しかも鶴見が井上に取られた)
同最強タッグ最終戦の蔵前では、シングルで原にフォール負け
翌84年は1月と5月に 原組のアジアタッグに挑戦するが取れず
しかも5月の鶴見 バズタイラーvs原 石川の時は鶴見が石川から取られたしね。 国際血盟軍時代の原 鶴見組で挑戦すれば取れたかもね。 鶴見がタッグチャンピオンになれたのは全日本離脱後に谷津とのタッグで一度
取ってたね。
確か王座決定戦で俊二&仲野を破ってだったと思ったけど。 鶴見のアフロとドクロキャラはなんとかならなかったのか。
勿体無かったな。 鶴見はサトウガジロウのパロディみたいな意図を感じ取ったけどな子供ながらに >>414
リングアウトの仕方は情けなかったが、
試合内容は明らかに鶴見が勝ってた。
最後もロープでグロッキー状態だったカブキが
苦し紛れに毒霧を吹いたから
むしろ鶴見の格が上がった試合だと思う。 身長をサバ読むレスラーは多いけど、体重をサバ読むレスラーって、日本人だと鶴見ぐらいだったよな。どう見ても181cm、135kgとか子供心にありえんって思った。
数十年後に新日で藤田(弱)がオマージュ⁈したけど。 馬場も長らく320パウンドだったが、明らかに80年代から体重減っていたよね。 橋本が135本当にあったのなら鶴見があってもおかしくはないだろう 現存する馬場鶴田天龍対木村原鶴見のBlu-ray発売希望。 86年の頭だったか、両国か武道館で馬場大熊小鹿vs木村原鶴見で国際側が負けた事あったな。
国際最強チームなのに酷い扱いするもんだ。 馬場鶴田天龍対木村原鶴見 全日本軍勝利
馬場鶴田天龍対シン木村原 両リン
このパターン大好き 鶴見の扱いが軽すぎるんだな。
もっともそのおかげで最強タッグにも複数回出れたんだろうけど。 昭和62年1月は「シン、アシーク、鶴見組」を期待していた小学生でした 鶴見の国外追放ギミックってのもあったよね?
この頃は会場でゴキブリ呼ばわりされてたけど
国際末期はギャラの未払いが一番多かったにも関らず
吉原社長の見舞いには頻繁に行ってたとか ジャパンて全日に来る前は自前で興行打てると思ってたんだな
ところが人気の長州がいても自主興行は入りだった
最初は舐めてた全日に対して選手の貸し出しなど頼らなくてはならなくなった
なんで長州は全日で成功しなかったんだろう
藤波あっての長州だったのかなあ
にしても長州小さいな
馬場と並ぶと頭一つ低い
大きさだけなら大人と子供
馬場が二言目には体のデカさを優位というのもわかるな
鶴見だって戸口だって渕だってでかいもんな >>435
でも相対論でもあるよね、対Uインターの頃の長州は身長はともかく、体の厚みが比較にならんかった
安生、中野、垣原なんて大人と子供の差だし
唯一デカイ高山にしても線が細くて話にならんかったし >>432
モンゴリアンとのタッグは明らかに星調整係だったしw
ただ、鶴見は善くも悪くも物分かり良かったから、長く使って貰えたんだろうな。
他の国際出身者と違って。
>>435
2000年の大仁田との復帰戦でもブランク感じさせない身体の厚みだったな。
あの有針鉄線目掛けてのボディスラムも迫力あった。 >>437
大仁田戦は受けなさすぎてな・・・。
ブロディや鶴田相手に同じことやってみろよ!と思ったな。 >>435
対藤波は積年の恨みと言うか、ジェラシーに感情移入して見てたからな〜
全日行って取って付けたように抗争しても、同じように熱く見れなかった。
小林と三沢タイガーなんか、無理やり過ぎたし・・・ >>439
やっぱ感情に訴えかけるものが大きいよね
全日なら
ファンクスvsハンセンブロディがそうだよね
師匠と弟子、大学時代の先輩と後輩
ある意味では藤波長州の「スターとかませ犬の関係」以上に生々しい?ものがある
感情というより人情にくるものがある、外人同士の対決なのに妙に日本人の胸にくるものがあった。 藤波に反旗を翻す前までは長州って外人の引き立て役だったんでしょ?
外人が来たら短時間でやられて強さをアピール
阿修羅原みたいなもんだったのかな
浜口だけが賛同して二人三脚だったのがジャパンでは谷津嘉章やマサ斎藤にその座を奪われた形に
谷津嘉章は浜口さんに申し訳なかったとか
長州が新日に戻ったのも兄貴のパチンコ屋が景気が悪くて金が必要になったからとか言うし 「プロレス取調室で」鶴見が言ってた「メガネで中抜きが酷かったG.KとS.A」とは
グレート・カブキと佐藤昭雄でいいんだっけ?
田中社長を騙して億単位の金をだまし取ったっていう >>442
以前から鶴見が言っている話だね
WWFとの提携料を中抜きしたんだっけか 紹介料とかの名目でWWFからマージンもらったんだろうな。
よくある話だ。 阪神タイガース永久最下位祈願金魚すくい大会開催希望。 ハンセンとバースって友達だったっけ?
あと越中の阪神ファンは有名だな。 >>447
友達なのか「ヒゲつながり」でマスコミの計らいか知らないが
甲子園球場にハンセンが観戦しに行ったか
全日の会場にバースが観戦しに行ったか
どちらかのパターンで控え室で一緒にスナップに収まった写真は見たことあるな
時期は阪神フィーバーの昭和で結果的に優勝したシーズンだった気がする
多分だけど週刊ファイトの表紙だったかな? >>448
> 甲子園球場にハンセンが観戦しに行ったか
↑
多分、こっちでなかったかな。
俺も何か雑誌で見たおぼえある。
でも、考えてみると特に友人ではなかったのか。
その後、何か交流あったとか聞いた事ないし。 年齢もバースの方がかなり下だし、友人ではないだろうが、たまに二人が似ているといわれていた。
週刊ベースボールの4コマ漫画ではバースを「スタン阪神ことバース」として「ウィ〜」とロングホーン・ポーズ決めてる姿が描かれていたし。 ハンセンはファイトのインタビューで、
「オレの相方ロン・バスと同じ名前なのに、何で、ベースボールのアイツはバースと呼ばれているんだ?」
と記者に訊ねて、
「日本じゃバスと言えば田舎道を走るオンボロバスのイメージだから、バースと伸ばしているんだ」
と説明されて大ウケしていた。 >>451
そのときロン・バスも一緒だったはず。
いじられてむくれるロンをハンセンがからかう、複雑な表情のランディ。 >>450
共にオクラホマ出身で、近所に住んでいたらしい。 >>447
2年ぐらい前だったか阪神百貨店の父の日キャンペーンのイメージキャラにハンセンが使われ
来店してトークショーをやった際にバースとは親交がありオクラホマの家にも遊びに行ったことがあると話してた
>>451
阪神電鉄はバス会社も経営してるのでバスに引っ掛けて「阪神バス故障」とか「阪神バス急ブレーキ」
みたいにスポーツ紙の見出しで揶揄されると紛らわしいから「バース」にした 鶴見やハンセンの証言によると、バースの友人女性の誕生日パーティーに呼ばれるぐらいには
バースとハンセンは友好度があるらしいが、付いてきたテリー・ゴディが酔っ払って
その誕生日だった女性の頭にビールをぶっかけてビショビショにした事件が >>448
85年6月、阪神vs大洋(甲子園)にデストロイヤーと2人で観戦に来ている。
バースも会場に来てるね。『バースの日記』という本に書かれている。
>>455
その直後に部屋を飛び出したハンセンとゴディだが、悪乗りしたゴディはカンカンに怒った女性を見て
「スタン、もう1回戻ろうぜ!」と言い出したw >>451
そういえばダスティ・ローデスのローデスと
近鉄、巨人、オリックスにいたタフィ・ローズのローズは
どっちも同じRhodesなんだよな そのへんは字を読んでるか、それとも音を聴いてるか、だよ。
ブローディ、に固執する新聞もあったし。
阪神のロ「サ」リオには違和感あるね。 レスラー的にはローデスが格好いい。
野球的にはローズが洒落ているね。薔薇だもんな。 マーティン・ジョーンズが実はマーティ・ジョーンズだと最近知ったよ >>459
同時期に横浜にロバート・ローズ(こっちはROSE)がいたから
ローデス読みでもいいのにと思ったけどね。 タイガー・ジェット・シンもジークが本来の発音だそうだがジェットのほうが強そうなのでジェット読みにしたそうだね。 この話題で必ず出るのが
ルー・セッヅ
ニック・バックウィンコー
デッド・ディビアッシ
ディック・スレイルー >>454>>455
海外の有名人を訪ねるインタビュー番組でバース捜索がメインテーマだったのに
探し当てると「友人が遊び来てる!」と言って紹介されたのがハンセンで予期せぬ
大物登場にスタジオでは「もうお腹一杯だよ!」と大喜びだった。ドリーの息子
のディンク君もハンセンの地元の病院に勤務している。
>>435
長州が来ても期待通り効果出ず馬場のみならず天龍も「プロレスって難しい・・・」
と言わしめる始末だったが全日シリーズ語のジャパンの短期シリーズで試合数が
増えたので試合給制の全日レスラーには喜ばれた。
>>414
自分も単なる悪役ジョバーと思ったいたけどシングル戦では原や天龍を追い込む試合
を見て見方を変えた。 >>437
札幌の大舞台で超獣コンビの相手を務めさせられたのはやはり信頼が大きかったんだろうな
現役アジアタッグ王者としては初となる原・井上の最強タッグ参加はやはり鶴見とのバランスも大きいか >>466
鶴見の隠れ名勝負としては岡山での天龍戦も忘れ難い
UN挑戦の資格ありとも書かれたし スミルノフ→来日する度にランクは落とされたが原や石川などの中堅勢には最後まで寝なかった
カマタ→82年頃からランクが落とされ、最後の来日では中堅の石川のサソリ固めどころか
仲野信一の4の字固めでギブ負けするブックを飲まされた
ジプシー ジョー→スミルノフと同じく来日する度にランクが落とされ、最後の来日では
アジアタッグ戦線どころか対ジャパン勢要員からも外されたロートルの小鹿、
国際時代は無双してた寺西、ジュニアタイトル獲得前の渕、アジアタッグ獲得前の保永にまで寝た。
スミルノフ カマタ ジョー この扱いの差は何処から出て来た?
全日では無冠だったスミルノフやジョーと違ってカマタは一応PWFタイトルを獲得したのに ジョーは一気に下ってしまったな。
小鹿はわかるが保永にも負けていたのか。タッグだが剛、菅原と両リンはちょっと酷すぎ。永源、栗栖あたりにはさすがに勝利? カマタはその後、とんねるずの「トーアカマタ!」で
名前が有名になったから、ブレイクするチャンスだった。
体調が悪く来日できなかったのは残念だった。 >>471
永源とは対戦無し、栗栖とは数回タッグで対戦してるが
当人同士の勝ち負けは無し。
このシリーズはジョーの勝ちブックは無し、タッグで数回パートナーが勝ったのみ 北原が全日に上がるる時に栗栖にシュートは絶対にやるなと言ったんだよな
北原が全日ではシュートの練習はしないんですかって聞いたら
あったりまえだろだって
そのかわり受け身の練習がとにかく最高にきつかったって カマタとTNTのコンビなんてやったら
人気出そうだよね >>474
北原の話だと北原が全日に居た時期に、シュートと言うか極めの練習やってたのは、北原と小橋、菊地だけだったとか。
>>475
TNTとスティングはもうちょい全日で見たかった。 >>476
でも昭和〜90年代新日もどれだけ誰もがいつまで極めっこをやっていたことか?
スタンドを知らず
タッパもなく身体も出来てないなら
グランドくらいはやっても無駄ではないけどな。 >>477
確かに新日や全日関係なく極めっこ自体、Uに行った連中が
話題になってから急に注目され始めたように思う。
それまでは藤原とスパーをやる前田を見て、他のレスラーは「変わってるなぁ」ぐらいにしか思ってなかったそうだし。 ハンセンデビアスロンバス対長州谷津アニハの6人タッグがあったが、
ジャパン陣営が小さすぎた 小橋、菊池が極めっこやってなにかプラスになったのかな
多聞辺りはもう醒めてたのか?
小橋が関節をかけてたのを解説の高山が極める方向が逆だけど小橋だから馬鹿負けしちゃうよねと言ってたな
小橋と関節って結びつかないけどインタビューではたまに出て来るよね >>470
カマタは82年夏まではUNとインタータッグに挑戦して、それが最後のタイトル戦になったのかな。
この時で50歳だったから、むしろ息の長い活躍だったと思うが。
87年の来日は蛇足だったが、仲野にまで寝るあたり、本人も物見遊山で来てたんじゃないの。 スミルノフと比べたらカマタ、ジョーは衰えが激しかったからだろ。
スミルノフはその後、新日の移籍してIWGPだったか?にも出たくらいだから。 喧嘩でビル・ロビンソンをボコボコにしたクレージー・セーラー・ホワイトとか
喧嘩でアドリアン・アドニスをボコボコにしたダニー・スパイビーとか
強い奴は関節技を知らなくても強いと言う現実もある >>483
けど、キラーブルックスと共にA.B其々のブロックで全敗の白星配給係だったんだよね。
前年度は、キューバンアサシンとクラウス ワラス(バラス) >>485
あの当時だったら出してもらえただけでも十分だと思ったな。
若手相手には国際時代のフィニッシュ技で無双してたみたいだし。 中には走ったりスクワットをしたくないからスパーリングで汗を流す、
みたいな人もいるかもしれない。
技術を磨くのが目的だとは思うけど。 カマタは最後の来日が酷すぎただけで、その前までは徐々にランクは落ちてたものの石川井上クラスに負けるなんて事はなかった。 >>148
うわ!
懐かしい。あれ天龍だったのか。
アナウンサーの名前誰か不明だったけど、やっぱりその人だ。
ありがとうございます! 馬場がカマタにダイビング・ストンピング決めて勝った試合あったよね。82年か83年くらい。
アトミック・ボムズアウェーってポスト最上段から落とすストンピングだよね?
キニスキーがシュミット式バックブリーカーとともにアトミック・ボムズアウェー得意にしてたと言われてたけど、実際の映像見たらキニスキーのは淡々としててイマイチだった。
馬場のダイビング・ストンピングは正道アトミック・ボムズアウェーって感じで迫力あったよ。 >>489
それでも開幕戦はメイン起用で
シン カマタvs天龍 輪島で両リンだったんだよね。
それが日程を消化する度に急降下でランクダウンして行った >>491
当時の月刊誌にはジャイアントストンピングと表記されてたな カマタは開幕戦こそ両リン引き分けで体裁を保ったけど
2戦目で谷津にフォール負け
4戦目で石川のサソリでギブ負けしてる >>491
82年サマーアクションシリーズ富山市体育館大会
倉持はジャイアントストンピングと言ってた
馬場は4月のハンセンでこの技を決めようとして失敗したが新たな必殺技として考えていたのかな? >>483
スミルノフ
全日初来日…27歳
国際初参加…30歳
全日再来日…34歳
新日初参加…39歳
最後の来日…40歳
カマタ
国際初来日…38歳
全日初参加…41歳
最後の来日…50歳
享年…70歳
ジョー
国際初来日…42歳
全日初参加…48歳
全日最後の来日…52歳
享年…82歳 ロンバスやレイ キャンディが巻けるなら
スミルノフも1回位インタータッグのベルト巻かしても良かったよね。 >>497
でもスミルノフの衰えというか老け込みはあまりにも早すぎるよね。 >>500
新日に初参加したときは「新日も今頃になって呼ぶとは。もう年寄りだろうが」と
思ったんだが、まだ40前だったんだもんなあ。
確かに老けるの早かった気がする。 >>496
この比較は面白いな。
ジョーは48才で新天地に来て国際勢より更に大きな全日勢相手によくやってたと思う。
最後は20才以上年の差がある小林邦明からフィッシャーマンでポンポン投げられてたんだからね。 >>498
そういえばブロディもインタータッグは巻いてないんだな。
ブロディのパートナーとして誰がよかったんだろう(当然ハンセンは除く)? スミルノフは衰えたとはいえ
全日最後の来日→原以下の中堅相手には寝なかった
新日最後の来日→リーグ戦全敗白星配給係になるものの
シルグルマッチで木戸にフォール勝ち >>506
二コリ・ボルコフとか良かったと思ったけどな。
スミルノフでもいいけど。 >>506
バグジーマグロー、ワンマンギャング、バズソイヤー、マニーフェルナンデス ハンセンゴディ組とブロディスヌーカ組が世界タッグで対戦して話題になったが
もしかして2チームとも「日本とアメリカでは格が逆転する者同士」ではないか
ハンセンもブロディもアメリカ本国でも一流といっていい扱いだけど
ゴディとスヌーカの方が遥かに格上だった気がする ゴディはともかくスヌーカはニューヨークのスターだったしな
今でも現役でTシャツが作られるのはスヌーカだけ >>511
ハンセン以外みんな亡くなったんだな(´༎ຶོρ༎ຶོ`) 自分が高校生の頃だけど、ジョーが参戦したIWAジャパンで
「10年ロマンス」という大会名で金網マッチをやったの観戦したよ
後楽園ホールだった、満員ではなかったけど館内の「ジョー・コール」が凄かった
相手はポーゴだったけど、ジョーが首吊りで負けたときに悲鳴轟々だった
ジョーは親日派だったのはここで知ったけど、その日本であれほど声援を受けたのは初めてだったんではないか?
ジョーの実質的な引退がいつ?なのかわからないけど、あの試合で引退したような覚えがある
ジョーにとって幸せな引退だったといえるんではないかな? デビアス ロンバスvs大熊 羽田(86年4月頃?後楽園ホール)
何故この試合がテレビマッチとして中継されたのか謎
もしかして羽田最後のテレビ登場かな? >>515
それで間違いないと思う。
次の武道館でタッグでレイス・マスカラス・高野組という異色チームと対戦してるけどオンエアはされなかった。 >>515 >>516
この映像は当時のレギュラー放送じゃなく、CSやケーブルTVで
後年放送された「熱き名勝負集」からのもの。
この86年4月の後楽園大会自体も、当時の中継では
メインの鶴龍タイガーvsハリケーンズが地方の遅れネットで
放送されただけです。 あと、全日中継レギュラー放送で、羽田の最後の登場は
82年7月串本大会からのマスカラス兄弟vs石川、羽田が最後だったかと。 86年1月の鶴龍対長州谷津で、鶴龍が勝った時に羽田がエプロンに立って
「3つ入ったぞ」的な事を言ってたね。 セコンドとしての羽田は厳しい表情をして相手側にとって威圧感のある、いい役目を果たしていたよね。 >>521
天龍vs上田のランバージャックマッチの時に
天龍サイドの壁役のメンバーに羽田は入ってたよね。
他は小鹿 井上 石川 83年エキサイトSでのアジアタッグ王座決定戦。試合後、ベルト持ち逃げしようとした極道から花道でサッとベルトを奪い返した時の羽田の雄姿は忘れられない。 ジャパンが参戦した時は、大型レスラーのロッキーをなんで対抗戦に起用しないのか不思議だったが
リング外で先輩風吹かして偉そうなだけで、リング内のレスリングはからきしダメだったから
対抗戦なんかに駆り出したら全日の看板に傷がつくと馬場は判断したんだろうな
ノーテレビの前座で栗栖や永源あたりとは戦ってたんだっけ >>519
つべにもある「大熊、羽田vsデビアス、R・バス」の試合は?
羽田のコール時に若林さんが「久々のTV登場」って紹介してたけど
収録しただけで放送には乗らなかったんかな ジャパンが参戦して1シリーズ経過した辺りで、多くの全日ファンが思った事
「原が居ればなぁ〜」 羽田はその頃はすでに糖尿病が悪化してて前座以外で使うのは無理だったんじゃないか
残ったのは「探偵物語」出演と「燃える!お兄さん」のキャラの名前に使われた事だけだったね その大熊 羽田 とデビアス バスの試合、羽田が出した技が苦し紛れのチョップくらいしかないのが何とも。。。
見せ場など皆無。 ロッキー羽田という存在は
プロレス好きで、しかもちょっと斜に構えてプロレスを観てた連中には、
ある種のネタキャラではあるよな。 「和製アメリカンドリーム」は、いくつかある「和製◯◯」というニックネームの代表格だな。 https://youtu.be/KWCImOKBpMU
天龍vsスミルノフ。
メインは馬場がスモールパッケージでハンセンからPWF奪還した試合。天龍この時UN王者だったけどノンタイトルだったね。
攻めもなかなか厳しいし、天龍の攻撃が映える頑丈さ見せてる。リープフロッグから打点の高いカウンターキック披露して会場わかせてる。
なかなかの試合だと思う。いい仕事してる。
でもこれがスミルノフの全日本での最後の試合なんだよな。 羽田は晩年、ウインダムロトンドとの対戦とか馬場と組んだりいい扱いの時もあったね。 >>516
レイス、マスカラス、高野。。。歴史的に変な組み合わせだな >>531
ガキの頃、完全に頭が混乱した。
和製アメリカンドリームってジャパニーズドリームじゃああかんのか。 高野はグレートゼブラやってたけど、馬場さんも一度はやってほしかったな。 >>531
子供の頃読んだプロレス本のレスラー名鑑に
「和製マットの魔術師」の肩書きが二人いて不思議だった >>534
デビアスと当たれるだけでも、いい扱いだよな。 井上が和製マットの魔術師で
寺西が和製カーペンティアだっけ?
一緒や! >>532
山田さんも驚いてたけど天龍のカウンターエルボーがモロにスミルノフの喉元に入っている。失神して3カウント取られてもおかしくなかった。 ノドはあぶないんだよなあ。
新弟子日記の人もノドだろ >>532
厳密に言えばこのシリーズ蔵前の後1試合やってるので最後ではない。 >>532
いい試合だ、タイトル戦でもよかったのにな。
37歳、まだまだ一線でいけたのに。 自分がスミルノフを生で観戦したラストマッチは
テリーさよならシリーズの最終戦、馬場とのシングルマッチかな
あのシリーズはジョーやモローも来てたし、国際勢が多かったね
確か三人ともテーマ曲無しで、相手のテーマ曲と共に同時入場だった記憶 ロッキーって顔だけ見ると温厚そうでいじめと無縁のマイペースで優しい先輩って
イメージがあったけど、実際は違ったのかな。 >>549
心の荒んだ男という印象しかない。
あと結構テレビに出てる割には印象に残る試合がない。
酷評されるオールスター戦での坂口戦がもしかすると生涯のベストマッチでは? 羽田は凱旋帰国した直後はメインのタッグ戦に起用されたりして
天龍と同時期に期待されていたんだな、そして二人とも馬場の期待に応えられなかった >>551
ベストマッチでは?って言われても、
試合自体見てないからなんとも言えん。 天龍と組んで挑戦したアジアタッグ戦がベストマッチだ
と引退時に本人は言ってたな 羽田と鶴田のタッグはヤングハンサムコンビと言われてた 77年世界オープンタッグ開幕戦での倉持アナの選手紹介。
アメリカ代表 ザ・ファンクス (分かる)
日本代表 馬場・鶴田組 (分かる)
国際プロ代表 木村・草津組 (分かる)
韓国代表 大木・ドク組 (分かる)
欧州代表 ロビンソン・ホフマン組 (分かる)
覆面代表 デスト・Tレッド組 (分かる)
フレッシュ組 天龍・羽田組 (分かる)
混成組 M井上・高千穂組 (分かる)
アフリカ中近東代表 ブッチャー・シーク組 (? ? ?)
二人ともアメリカ人じゃんw ブッチャーとシークの出身地に文句言うのは流石に野暮だと思うけどなぁ
ヨーロッパのタイトル取ったからって前田を欧州代表にした新日よりかはマシかと NWFタイトルマッチでシンの挑戦の時はインド国歌を流してたが
あれは本当はカナダ国歌を流さんといかんしな
ちなみにカナダ人のパット・パターソンはアメリカ国歌を流されてリング上でコケそうになったとか >>558
そんなこと言ったら大木、ドク組は日韓代表じゃなきゃおかしくなっちゃうぞ ブッチャーが76年のチャンピオンカーニバルで優勝した後当時の雑誌に、
《あのNWA王座にもなったジャイアント馬場》を破り、
《世界のプロレス界のビッグイベントの一つのチャンピオンカーニバル》で優勝した
ブッチャーをもう舐めるわけにいかないとアメリカで超売れっ子になった云々
の記述には全日ファンとして子供心にも誇らしかった思い出が。 自己レス
もっとも当時の雑誌での次期シリーズ来日選手紹介欄にはブッチャーは
「アフリカ スーダン出身」ってなってましたな。
その昔国際に来た覆面レスラーはパンフ上での出身地は「火星」とかあったみたいだしw >>563
そういうのって割と最近まで嘘くさいのがプロフになってんじゃないのか?
キマラ2号なんて最後の最後までボツワナ出身だったと思うけど。 そう言えば、キマラ1号(カマラ)は「そのコスチュームは黒人への侮辱だ!」と当時、黒人から非難を受けていたと言っていたな。
「ファンにとっては自分は『レスラー』かもしれないが、自分では『エンターテイナー』だと思っている」と後に答えていた。
ブッチャーはエリックランドに上がった頃、地元のアラブ系アメリカ人の団体から「アブドーラの名前とそのコスチュームはアラブ人のイメージを悪くするからやめて欲しい」
と言われてエリックも対処に困ったとか。 スミルノフ、ニコリボルコフ、イワンコルフ、ニキタコルフ、クラッシャークルチェフは
ソ連出身という設定でパンフレットにも出身地→ソ連と記載されてたのかな? カマタはWWFでは東京出身のスモウレスラーと紹介されてたな >>569
好きな食べ物はタクアンって書いてたな。
そんな日本人おらんわ。 イチローが子供の頃、好物の沢庵食べ過ぎて顔が真っ黄色になって
救急車で運ばれた事あるってチチローが昔言ってた。 ニーアオートマタというゲームのタイトルを見ると、トーアカマタを思い出す >>569
当時、コンテンダーランキング上位にもかかわらず“挑戦者に相応しくない”という理由でサンマルチノとのタイトル戦を組んでもらえなかった。 >>570
ワロタwww
おらんことはないだろうけど、まあ、第一に
好きな物として挙げるもんじゃないなw ジョーさんの著書には、来日するたびに大量の味付け海苔を持たせてやったとあった。 >>555>>556
天龍と言えば、プロレス入りを報じたゴング誌や、ジャイアントサービスから
発売されたTシャツには何故か「天竜」と表記されてたな。
後関取時代の相撲雑誌にも「天竜」表記の物と「天龍」表記の物があったけど
ああ言う表記違いの物って結構紛らわしいよな。 石川をwikiとかで検索する場合、どの
「たかし」で検索すべきかいつも迷うな。 >>577
先にマリオ・ミラノから検索して、とべばいい 石川のwikiを見て、忘れてたネタをけっこう思い出させてもらった
大仁田の引退試合の直訴や、ガッツ石松との対戦要望など…
全日時代やWAR時代は寡黙な中堅・補佐役なイメージだったが
WAR離脱後のパフォーマー、弾けっぷりはいったいどうしたんだろう?
長州の「かませ犬」後の変貌は誰しも知るところだが、石川の40代半ばからの変貌も何気に凄くないか? 変貌したせいで野心がムクムクと沸き上がった結果
天龍裏切って東京プロレス立ち上げてしまったんだよな
当時のマスコミは大仁田がどうこう書いてたけど
石川が勘違いしたのは新日との対抗戦で脚光を浴びたからではないかと >>576
昔の新聞とか龍の字が使えなかったりしてたから仕方ない。 >>581
デイリーなんかずっと「天竜」だったな。 >>581
ルイ・ヴィトンもウに濁点の活字がなくてルイ・ビトンと表記されていたよね。 >>583
へー。じゃあもしヴォルク・ハンが昭和に来てたらボルク・ハンになったのか。
だいぶ感じが違うなw NHKではジミー・ページ。局とか会社で表記の基準が色々違うらしい。だから眞子様の記事も面倒になるんだよなー、あーあやりたくねー。 >>580
タニマチや日大関係のつながりもあるし
プロレス団体を作るのは比較的容易だったかもね。
それが続くかどうかは別として。 >>586
石川、学生相撲出身だしね
あとGスピの鶴見や高杉あたりの話読んでも
インディーって自分とあとは伝手のある
一応名前は知れてるレスラー2,3人
あとは素人に毛の生えたようなバイト代程度で済む新人とか集めて
リングだのなんだのもコネで安く借りたりすれば
「単発興行」ならタニマチとかにご祝儀的にチケット買ってもらえたりして
上手くすれば数百万(といっても前半だろうけど)くらいのアガリになるから
そういうのも頭にあったんじゃない?
それと会社起こして団体として継続して興行打ってくのは仰るとおりまた別なんだけど 天龍は、デビュー当時はリングアナのコールが「天龍」だけだったんだよね。
いつ頃から「天龍源一郎」と、言うようになったのかな? 全日も
全日本プロ・レスリング、なんて書かなきゃいけない? キヤノンとかキユーピーとかシヤチハタも、正しく表記しないと怒られるし。 アヲハタをずっとアヨハタだと思ってたわ (´・ω・`) まだWWEがWWFだった頃(アライアンス・アングルの頃)RAWで
ポールEがヴィンスを罵倒するスキットで、サム・マソニック、バーン・ガニア、
ボブ・ガイゲル、エディ・グラハム等ヴィンスが葬ったかつてのプロモーター達の
名前を数え上げたけど
発音はメーソニック、ガーニャ、ゲーゲル、グレアムだったな
(ジム・バーネットとジム・クロケットはそのまんま)
まあ正確にはマソニックはWWF全米侵攻の頃には隠居してたけどね
正式な後継者が決まらずにマソニック派幹部達の集団指導体制になったせいで、
オコーナー、レイス、ガイゲルらのレスラー組と、背広組のマティシックの対立で
二団体に分裂して客を奪い合って消耗したのがミズーリ地区、つまりセントルイス
マットの没落の原因
あとブロディをマティシックに引き抜かれたガイゲル派は、AWAを飛び出して
フリーだったホーガンを度々ビッグマッチ要員としてブッキング、ホーガンは既に
ヴィンスと次期WWF王者にする秘密契約を交わしていて、それはWWEの侵攻前
に各テリトリーで顔を売っておこうという巧妙な策略だった
ホーガンを王者に据えて全米侵攻開始したWWFが真っ先に侵攻したのがかつて
ホーガンがベビーエースとして君臨してたAWA、そして侵攻開始前に頻繁に参戦
してたミズーリ地区とフロリダ地区たった 誤爆スマソ…と思ったが名前の発音の件が少し今のスレ話題に重なってるなw レッツゴー三匹と思ってたら正しくはレツゴー三匹だったり
近鉄バッファローズと思ってたら正しくは近鉄バファローズだったり 正 バファリン
誤 バッファリン
正 キャシー中島
誤 キャッシー中島 チャンピオン太をずっと
「チャンピオンた」と思っていたら、
「チャンピオンふとし」だった、、、 ハンク・シュナーベルというレスラーを
当時のニュース映画がシナルルと発音していて吹いたことがある 渡部愛はわたべあいじゃないからな
わたなべまな だぞ バヤリースなんかかつては
バャリースって書いてたわ
どう読みゃいいんだよ こんな話してたらスタハ省略バカのもう1つの顔、正式名称バカか出てくるぞw >>607
本物か知らんが姉妹スレ(昭和新日スレ)に書き込んでいるじゃん >>611
それは仕方ない
なんせプロのアナウンサーの倉持さんが、その言い方まんまで実況してたから リップ・ロジャースとかいうオカマキャラの選手が来日した事があったけど、昭和最後の年だったかな >>613
馬場の最後のシングルマッチの相手だっけ? 16日の滑川大会だったか
この日は木村も永源とシングルマッチで ゴングは「ゴディ」
週プロは「ゴーディ」だっけ?
あと週刊ファイトはブロディを「ブローディ」表記だった 頭文字Dをあたまもじでぃ、と読んでいたら
レンタルビデオ屋で、
ア行にあったので正解、だと思います。 おれっち、アクラムの弟のゴガだけどさ
イノキのことをアノキなぁーんて呼んでたな >>616
馬場は晩年は10年くらいシングルはやらなかったんだな。
渕や菊地あたりとやってもよかったのにな。
彼らの方がしっかり動いてくれて、成立したろうに。 ロジャース、ディートンとは何故シングルやったのだろう? >>452
バースが使い物にならない選手だった場合、「阪神バスエンスト」とか書かれたくなかったから、阪神フロントが「バースにしようぜ」って決めた話を聞いたことがある >>458
バカのジミー鈴木みたいに自分の聞こえた発音にこだわる奴もいたな
それで「スティーブとスティーブンは同じ」とか無知丸出し発言して笑われてたが ビッグ・ババ・ロジャース(ビッグ・ボスマン)が日本でビック・ブバになった時もブバ、ブーバと表記が分かれた ボボ・ブラジルもネイティブ発音に近いならポポ。
ブラジル系でなく見てのとおりのアフリカ系。
正しい表記はポポ・アフリカ。 ビッグ・ババはあの頃2人いて紛らわしかった、どっちも巨漢だし
もう一人は後のタグボート=タイフーン >>617
少し違うが、ファイトはマサさんのとこをずっと「マササイトー」表記なのも、よく解らんかった。 >>629
俺はそっちで覚えたから
ラリアット表記は最初、すげえ違和感だった レフェリーの事を子供の頃はレフリーと言ってて正直すまんかった…
友達もレフリーと言ってたんだよ…(´・ω・`) ちなみにゲームセンターあらしの「ムーンサルト」を「ムーンサルトり」と言っててすまんかった…
(´・ω・`)アノフリガナオカシイダロ 俺なんかアラベスクの「キャバレーロに夢中」って曲名
正しくは「きゃばれーろ」なんだが「きゃばれーくち」って読んでたわ
スレ違いスマソ 三和シヤッター、文化シヤッターなんだよな。なんでヤが大きくてッは小さいんだろ? ハルク・ホーガンは
ホーク・ホーガン。
ホイットニー・ヒューストンは
ウィットニー 東スポはいまだにラリアート表記なんだが(´・ω・`) 列伝もラリアート表記だったから団塊ジュニア世代は仕方がない 発音的にはラリアットが正しいんだよね。
たまにラリーアートというステッカー貼ってる車見るけどw ハンセンが全日に移籍した当初は倉持もラリアートって言ってたけど
いつからラリアットに変わったんだろう >>642
ジャッキー・チェンがプオタかと思うよなw >>628
でも引退試合の時はわざわざマサ・サイトー表記で試合したんだよな >>637
シルベスタ・スタローンは
シルベスタ・ローン >>626
いやいやブラジル系だからブラジルにしたわけじゃないだろ >>637
ホイットニーのTは発音しないだろ?
“ウィッニー” >>643
俺の中ではハンセンの
ピクチャーレコードかな。 ビッグ・ババだのババ つけるのは馬場にあやかってるの? >>652
「兄弟」とか「強い奴」を意味するアメリカ南部の言葉。 高杉のウルトセブンがウルトラ7だった気がするけど、
版権の問題だったのかな? 「セブンはタイガーマスクの対抗馬だったんだよ」高杉正彦談
本気でそう思ってたんなら、もう少し練習してスタミナ維持の努力すべきだったろう
10分もしないうちに意気が上がってゼェゼェしてたくせに
何がタイガーマスクの対抗馬だよ >>654
普通に「セブン」で表記してたよ
>>655
http://youtu.be/kxptYf7pTD4?t=3m29s
こんなことされたら佐山ならどう対応したかなぁ…
リスマルクはメキシコのトップだから紳士的に対応したけど、
佐山だったらレス・ソントン戦みたいに試合後にガチ蹴り入れているかな? >>656
不細工な試合っぷりだなあ、さすが高杉w >>659
これ当時はともかく今、それもグッズ売るのって円谷の了解取ってんのかね? 了解???そんなもんいるんか?
これがプロレス界の常識やろ 大銀ドーム今日は屋根閉めてるんでNMBサンも安心! メキシコではウルトラマンは円谷の無許可だけど
ショッカーも東映の許可とっているのかな? >>654
何故だか知らんが、ゴングの熱線符表記は7だったような気がする。
単に字数の問題だけなのかも知らんけど。 高杉はパイオニア戦志の時はパンクラススタイルでやりたかったとか、第2次UWFに売り込んだとか、言ってたね。
あの手のスタイルもそれなりに出来るとは思うけど、
じゃあ、お金払って見に行きたがる人がどんだけいるんだって話になる。 >>654
日テレ中継の字幕もウルトラ7はあった記憶がある 高杉と菅原は全日をリストラされてもしょうがないしょっぱさだった セコンドとしてマスクを適当にかぶり格上のレスラーの試合を見上げるセブンに哀しみを覚えた小5の夏 しかし当時、鶴見と高杉でどこで差が生じたんだろな?
鶴見本人は、ラッシャーのマイクパフォーマンスで生き残れたとか言ってたが・・。 >>670
鶴見は自分の事をちゃんと理解出来ていた印象。
元々の人間性もあるんだろうけど、海外やら国際で苦労してきたのが糧になってたと思う。 >>656
何がこの試合の問題なのか?
普通にリスマルクが勝ってるだけでは? >>672
トップロープからのリバウンドを利用したヘッドシザースの受けが下手ってことなんだろう。
あれじゃあプロレスが嘘っぽく見える。 >>671
> 鶴見は自分の事をちゃんと理解出来ていた印象。
これは俺も思った。
鶴見の話だと剛は、散々馬場に不満を言ってクビにされ、菅原は巻き添え食ったそうだし。
鶴見もジャパンが来てた時は不満もあったそうだが、半面自分の役目みたいなのも解ってたんだろうなと思う。 >>673
これって、リハなしだったら難しくない?
全然足がヘッドにかかってないわけだし。それとも彼らは
咄嗟に相手の複雑な動き読んでセールするのか?
自分は、訳わからない技かけられそうな時は黙って相手に任せるのが怪我防止だと
思ってたなあ、そういえば。 高杉に全く問題がないとは言えないが、リスマルクは小さすぎて全日での成功はしょせん無理だったと思う
全日本はルチャには無理解な上主力は大型揃い。メインに絡むことも越中三沢より二回りは小さいため、ジュニアで活躍することすら難しい。
最低マスカラス位の大きさと厚みが必要だった。 難しいとは思うがドス・カラスと長期契約して日本陣営に入れるのが最善だったのかな。大仁田とのインターJr.戦見ると。 ウルトラセブンの初登場は福生市民体育館で
チャボのパートナーとして大仁田組(大仁田のパートナー失念)とやった試合
俺は生で観たけど、コレジャナイ感半端なかったわ
当時のパンフに「元国際の高杉正彦が連れてきた」なんて書いてあったわ。アホかとw
セブンの試合運びはしょっぱ過ぎたが、試合自体は
チャンピオンとして意気揚々と帰って来た大仁田をチャボがジャーマンで決めたからそっちのインパクトの方がデカかったわ。
もう36年前か・・・ >>675
高杉の格でセールもできないなら、もうリングに上ゲル意味すらないだろ。 高杉のインタビューによると、メキシコのウルトラマンと違って
セブンは一応円谷プロ公認らしい、が、デビューしてからクレームが来て
認めるか認めないか円谷プロの人間が全日の試合を見に来たとか
普通デビュー前に権利元にお伺いを立てるもんだと思うけど
事後承諾みたいに認めさせるって強引だなぁ、流石昭和…
しかも円谷がGOサインを出した試合が、
チャボ&セブンVS大仁田&佐藤昭雄のタッグ戦って言うのが何とも…
試合が盛り上がったのはあきらかにチャボと昭雄の功績じゃないか
大仁田とセブンのあの酷いシングル戦を見たら絶対円谷プロの人間NGしてたぞ >>666
絶対出来ないと思う
三分で息が切れる糞レスラーだから、W☆INGですら毎回見せ場のないゴミファイトしか出来なかった
俺は開始五分でリングでのぼせて肩で息してる糞レスラーは、高杉以外見た事ねーよ >>670
高杉はスカすんだよ
例えば相手のスピードについて行けなかっただけなのに「俺は敢えて自分のリズムで動いた」みたいな言い訳を口にするの
肩で息してゼイゼイ言って休みながら、顔だけ涼しげな表情して余裕が残ってるフリするの
ジャーマンのフォームは綺麗だけど、やっぱり腹は大きく波打ってる
そんな糞レスラーが高杉なの
菅原は自意識高くて自分がそこらのレスラーと違う普通の人である事をアピールしたくて仕方ないタイプ
流血の時もカットを嫌って口の中のコンドーム噛み破って口元にじわりと血が滲むかっこ付けた演出したい人
そんなレスラーが他人様の心掴めるわけないの
鈴木戦見てもわかるだろ? 高杉しょっはいのに、馬場はよく使ってたな。
セブンのあとまたメキシコに行ったのに、
軍団抗争のだいぶあとになって、しれっと素顔で戻ってたからね。 >>682
なんで昭和全日スレに来るの?
国際専門の荒らしでしょお前 セブンは、ちびっこが群がってリングから出られないムーブが定番だったよな 昔の円谷プロも相当いい加減だった
ウルトラマンロビンなんて会長と飲み屋で知り合った後に
ダメもとで「プロレスでウルトラマンをやりたい」と言ったら
口約束で「おお、いいよ!」とOK出したぐらいだし。 >>675
でもその技だけじゃなくて場外でのプランチャもフィニッシュのダイビングボディアタックも
ちゃんと受けてないんだよなあ。
ジョバーもまともに務まらないんじゃ首にされても仕方がなかったな。 高杉ってメキシコに行ったのも特にオファーがあった訳じゃなくて
国際が潰れた後に自費で行ったんだっけ? 現在過去未来、高杉のことがここまで熱く語られるのは間違いなくここしかない そんな高杉でも後にIWAジャパンで見たときは
出場レスラーの中で一番大きくて一番動きが良くて
「さすがメジャー上がりは違うな。」と思った。 >>691
「意識高過ぎ高杉くん」のCM見ると苦笑してしまう▪▪▪ >>689
フォールされたのにムクッと立ち上がってメキシコのトップにハグ・・・
どんだけ大物なんだよ・・・ >>669
セブンやドラゴンもだけど
特にビッグマッチのメインでも無い普通の試合で
覆面に団体ジャージ姿でリング見上げてたりする姿が
TV画面の下の方に見えるとなんか切ないよな >>689
負けてすぐにハグも酷いけど
やっぱり一番はそのあたりの一つ一つのムーブの酷さだよな
鶴見は試合みりゃわかるけど
ある時はジョバーとしてある時は憎たらしい小悪党として
またある時は意外にもなかなかデキるクセ者として
役回りによって器用にちゃんと試合作れるから
高杉とはプロレスラーとしてのレベル自体全然違うよ >>689
それ、リスマルクの飛距離が足りないように見えるんだがね。
セブンがわざと距離作ってたのかな? Gスピリッツで清水が、リスマルクの相手はセブン、マッハ、若手の越中、三沢ばっかりで良さが出なかった。せめて鶴見や百田にするべきだったと振り返ってた。 ボディアタックやプランチャ、トぺなんて
基本受ける側が一歩前に出て胸より上で
やや仰け反り気味で受けてナンボの技だからねえ
やる方は「スムーズにきれいなフォームで飛ぶ」のが技量で
飛距離やタイミングに合わせるのは受け手の側の技量や姿勢の問題でしょ 高杉のwiki見ると入場してリングイン時にロープを掴み損ねて後ろに転落したのが2回以上ある、とあるな。
あり得ないミスなんだけど、身体のバネとは別に性格が相当大雑把なのかな?
彼の空中殺法も細かい事は考えずにとりあえず飛んでる感が凄く感じられるんだよね。 そもそも無理なのにタイガーみたいなことやらす方が悪い
マイティ井上にやらさんだろ
まあ奇声からのセントーンで正体バレバレやもんやらさんわな >>659を見て思い出したが、90年代に本名の高杉正彦から高杉政彦に改名してたんだよな。
Wikiですら一切触れられてないw >>705と思ったが一応経歴内では触れられてた。すまん 元々、全日は新日に比べジュニアが手薄だったのは解るが
そもそも無理に佐山タイガーの対抗馬作るのが間違いだったんでは?
元からある素材を活かせば、 井上、大仁田、高杉、渕・・・
やっぱり、ダメか。 少しは高杉のいいところも書いとこっとw
高杉の一番(唯一?)いいところは
「高杉正彦」っていうリングネームだと思う
(まあ本名って言えばそれまでだが)
なんか名前だけだと水色とか青系のショートタイツ履いて
ちょいイケメンでシュッとスマートな若手のホープ、
細マッチョでまだまだ線が細いけどシャープなファイトぶりで
将来のメインエベンターとして早くから期待されている
ちょうど高田や三沢や武藤が若手の頃みたいな
さわやかで華がある若武者ってイメージ
あくまで名前の字面や響きからの勝手なイメージだけねw >>707
> 元からある素材を活かせば、 井上、大仁田、高杉、渕・・・
まあ井上や渕は新日Jr/佐山タイガー対抗ではなく
あくまで全日Jr=ヘビー級の小型版って最初からやってればって気もする
なのになぜよりによってあんな不細工なプロレスしかできない
大仁田と高杉の二人だったんだろうなあ
大仁田vsセブンなんて打合せしてない学生プロレスみたいに
二人が互いに勝手にドタバタやってるだけだもん 高杉がW☆INGでジプシー・ジョーの引退試合の相手務めた時は酷かった
一分前のコールでジョーがトップロープからのニードロップ決めてフォールしたのに高杉が返してしまった
本部席の真後ろに座ってたんだけど、大宝リングアナが「何やっちゃってんのよ」って言ってるのが聞こえた
ビデオだと仕方なくだろうけど、その時時間が止まった!とか字幕入れてた 3分でカラータイマーが切れるところなんか高杉はよくウルトラセブンを表現してた >>711
セブンにはカラータイマーはない
高杉は勘違いをしてたなw >>685
お前みたいな話に広がりのないつまらない人間はネット社会にも向いてないんだよ
ていうかクレーム入って円谷の連中がセブン見に来たとかどっからそう言う出鱈目仕入れたんだよ
つまらない上に嘘吐きとか生きてる意味ないだろ(笑) セブンはウルトラセブンじゃなくて
高杉という人がマスクをかぶった人 だったな >>691
いや、剛スレで徹底的に叩かれた
「剛に比べれば常識人の高杉はマシ」みたいな、高杉の試合をちゃんと見たことのないファンが持ち上げるんだよな、高杉は >>715
剛に比べたら高杉はマシ
これのどこに叩かれる要素があるのだろうか?
人格と試合は別概念だぞ
試合が優れてるという主張ではないんですよね >>716
高杉の試合のどこに剛より上の要素があるんだよ
剛って言うか、馬場時代の全日本のリングに上がったことのある選手で高杉より下の日本人とか思い浮かばんな
お前高杉の試合まともに見た事あるのか? >>717
ああ日本語が理解できない人なのか
高杉の人格が剛より上という主張の中には
高杉の試合に関する言及は一切無い
わざわざ常識人という人格を指す言葉で語ってるのに理解出来ないのは頭が悪いだけだと思う >>718
「高杉の人格は剛より上だから高杉は正しいし、レスラーとしてもしょっぱい剛に困っていた」みたいな事を書く奴がいたんだよ
高杉の場合人格は知らんが試合はゴミ
これで理解出来たか?
性格と試合内容が別なのは当たり前の話で、それを主張してるのは俺
頭悪いな、お前 >>719
横から口出してすまんが>>716へのレスで
>高杉の試合のどこに剛より上の要素があるんだよ
と書いたお前の方が分が悪いぞ >>720
だから715のレスで719の内容を俺は書いてんだって言ってんだろ
ほんと、バカばっかだな 知能指数低いのかね…100説明するのに300ぐらい言わないと理解出来ないんだろうな、こういうのは >>721
>>717は「高杉の試合に剛より上の要素がある」なんて書いてないのに
>高杉の試合のどこに剛より上の要素があるんだよ
じゃバカなのはお前の方だと思われても仕方がないだろw ID:KCRzaCYxd
自分のイカレ具合が理解出来ないんだね可哀想に
さっさと氏んだほうが家族のためだよ
首吊りなさい 間違えた。
>>721
>>716は「高杉の試合に剛より上の要素がある」なんて書いてないのに
>高杉の試合のどこに剛より上の要素があるんだよ
じゃバカなのはお前の方だと思われても仕方がないだろw セブンの話題だけにアイスラッガーの方が適切だったかな >>719
さっぱりわからんな
剛より高杉の方が人格が上なのだから正しい
これは全くへんな書き込みでは無いよな
し、とあるからさらに追加して剛の試合もしょっぱく困ってたもまた事実だよな
高杉もしょっぱくて剛の方も困ってたのかもしれないが
それとこれとはまた別の概念であって剛の試合がしょっぱいことを否定出来ない
もっと論理的思考を身につけた方が良いよ 以前もどこかに書いたが、高杉セブンのダメっぷりを中学技術科の先生が面白おかしく語り続け、授業が潰れた思い出がある 高杉はウルトラセブンの、脈拍360、血圧400、熱90℃の戦いをちゃんと表現していたじゃないか 高杉が人格者だったんじゃbんくて、剛がダントツでハチャメチャだっただけの話 >>732
そうそう、それで試合内容も糞
高杉はそんなレスラー
これっぽっちのことすらわからない低能がギャーギャー吠えてて笑えるわ(笑) >>659
このTシャツ来て円谷プロのイベントに行く強者はいないか?
中国製だと思われそうw >>689
高杉の技量が低いというか、技を受けるのをとにかく怖がっているので、
受けやすい、受けてもダメージがあまりない技に移行していってあげているのに総すかし
こんなんでよくプロのリングに上がれるものだ これほど高杉について語られたことが
かつてあっただろうか でも他団体時代というか、インディブームとはいえ
剛が抜けた後のオリプロ(ゴリラプロだったかな?)でエースとして興行のメインを務めてたんでしょ?
何だかんだいってセブンのネームバリューは大きかったんじゃないの?
その時のお客さんはエースの高杉にお金を払うというより、ウルトラセブンだった人を見にチケット買ったんだろうし…
板倉や松崎を見るための観客より間違いなく多かったと思うよ
まあ、高杉エース時代のオリプロがどれぐらいお客さんが入ってたのか知らないけど… >>702
なんかで読んだ記憶がある。胸から下で受けると頭やみぞおちを打ちやすいが、胸で受けると案外ダメージを受けにくいんだそうだ。 >>703
ろくに紐も結ばないでマスクを被ってるセコンド姿をみても相当大雑把な性格だと容易に推測できる マスクマンとしての神秘性を保つ意味でもセブンをセコンドに立たせた全日にも問題があったと思う
マスクドドラゴンしかり
ま どうしてもセコンドをやりたいって聞かなかったのなら話は別だがw >>742
その人は馬鹿だから仕方がないのですよ
可哀想な人として見守ってあげましょうよ >>741
三沢タイガーがセコンドについたことってありましたか? Gスピリッツvol,10のインタビュー
「あの時は俺が一番人気あったんじゃない?ハンセンとかマスカラスもいたけどセブン、セブンって凄かったね」
もはや狂言レベル。 まあ試合のみでいえば高杉より剛だよな。
それなりに器用で客席盛り上げることも出来た。
藤波との抗争の頃もキレあったもんな。 >>738
そんなに団体引っ張る程のセブンのネームバリューあっただろうかな?
あの当時のオリプロは、ロンハリスとドンハリス(だったか?)のデカイ外人とかいたし、
そういうの目当ての客の方が、もしかすると多かったんでは?
いや、解らんけどね。 >>739
せっかくのリスマルクが台無しか。
マッチメイクしたやつに責任があるな。 平塚在住の高杉と藤沢在住の森次晃嗣お互い近場に暮らすセブンということで
この二人に交流はあるのかな? >>749
オリプロは正直国際の残党だからというのに加え
よく言えば手作り感w、ハッキリ言えばそのB級C級感を面白がりに行くという
言ってみればマニアやオタの酔狂とか判官びいきとか
メジャー団体やスター選手に対するアンチテーゼで集まった客なんであって
別にプロレスラー高杉を応援したいために行ってた客は(身内以外)殆どいなかったと思う
それは剛にしても菅原にしても同じようなものだけど
レスラーとか芸能人とかって人種は
その辺を過去の一番良かった頃の自分と照らし合わせて「俺の人気」って思っちゃうんだろうねえ >>745
モテない奴にたまさか彼女がいた時期があるとしよう。
あんときゃあすごいモテ期だったなあ、と本人が思ってしまうことに無理はない。
狂言レベルかもしれないが同情できるけどな。
>>741
そういう配慮はみえみえだとしても欲しかったな。
最初期タイガーマスクが日本語をしゃべらなかったり
Sマシンがガガガガガと発声したり
するような、まあ努力だよ。
第2試合に高杉が出て、第5試合にセブンが出るようなことをたまにやってたらよかったのに。 >>745
そりゃハンセンやマスカラスは暇そうに会場の中をブラブラしてないだろうからな
セブンしかいないのに「ハンセン、ハンセン」とか「マスカラス、マスカラス」って騒いでたらただのキチガイ TBSドラマ「噂の刑事トミーとマツ」にセブンの試合が映ったが
出演料貰ったのかな? トミマツとセブンの初登場って時期が?
と、思ったらトミマツって82年の1月から約1年、第2シリーズなんかやってたんだな Gスピ読んだ人はご存知だろうが、ドクトルルチャが馬場から「タイガーみたいな選手をメキシコから呼べないか」
と相談されて、リスマルクが来日したんだよね ついでにリスマルクの口添えで越中三沢をメキシコに送ることも行った
ただ残念ながら高い金を掛けたリスマルクがあまり人気が出ず、客も呼べないので、
「やっぱり本物じゃないとダメか…」と感じた馬場は佐山と交渉するも条件面で決裂、結局三沢をタイガーにすることにした >>758
> ただ残念ながら高い金を掛けたリスマルクがあまり人気が出ず、客も呼べないので、
一回しか呼んでないのに人気が出たかどうか正確に測れるはずもないので
それは違うと思うけどね 「全日でやるには小さすぎて売れそうもないので」っていうのが正確じゃないか だってあの馬場だもん
薗田だの高杉だのを特別扱いするわけがねーよ ルチャのレスラーは漫才コンビのボケ・ツッコミみたいに
技を受け慣れているテクニコとルードが戦って持ち味が出るのに
高杉や若手時代の越中相手じゃさすがに可哀想だよ >>761
あの馬場というのが何を指すかはわからないが薗田、高杉は誰であってもプッシュするのが極めて厳しいレスラーである。
薗田は人柄(馬場にはかわいがられた)、そして基本に忠実なスタイルは悪くない。
しかしながらそもそものフレームに
たとえジュニアとしてもぼてっとしたあの身体や特筆のない動き。致命的に華がない。
鶴見と薗田が組み、出身団体の枠を超えた新悪役コンビ(後にカーン参入!)、という売り出しはひょっとしたらあったかもだが、日本人過多のあの時代と当時の時代性からやはりこれも厳しいと言える。 開幕・後楽園ホールのバトルロイヤルでリスマルクは優勝したんだけど、最後まで残った鶴見との絡みはなかなか良かったよ
さすが鶴見 >>757
トミマツのwiki見たら第二シリーズの「決ったァ! トミーの飛行機投げ」だな
女房に虐められているリーマン(穂積隆信)が電気屋のテレビのウルトラセブンの試合を見て興奮w
その後マスクを被って女達を襲う話w
キャストに穂積隆信が書いてたから分かったがウルトラセブンは書いてないわw リスマルクのトップロープからのダイブを場外で受けた天龍もなかなかの立役者。 全日は総じて団体の内外問わずマスクマンの作り方育て方が下手だった印象
安直というかね
そのへんは佐山タイガーを筆頭に素材を厳選した新日と大きく異なる
招聘選手でもドスカラスあたりもライバル設定等のキャラ作りで大きく化けたような気がしないでもない >>758
知り合いが原軍治に聞いた話だとリスマルクにタイガーマスクやらせようとしたけどメキシコでのスケジュールが忙しくて諦めたとか >>767
実力あるけどデイビーボーイの代役臭がついたジョニー・スミスあたり少し絞らせてマスクマンにすれば良かった リスマルクのタイガーねえ‥
でもルチャの動きは意外にモッタリしているから (佐山タイガー基準ね) やらなくて正解だったろう
三沢でなかったら誰になったのだろうか
越中あたりに白羽の矢が立ったか >>772
ヒップアタックかますタイガーはやだなぁ、まだ川田の方がいいんじゃね?
元々2号になるかもしれなかった訳だし マイティ戦で負けた大仁田が泣きながら「俺のベルトだぁ〜」って
アピールしてたけど客は白けてたよね? >>765
穂積隆信は82年の時点ではそんなコミカルな役やってたんだね
でも家庭は・・・ スリンガーにハヤブサみたいなマスク被らせたことあったな。 >>778
穂積隆信はコミカルな役ばかりだろ、青春シリーズの教頭とか(腰巾着の子分は柳生博)。 >>780
確かにそうだったね。TBSでもナッキーはつむじ風とかもそうだった
でも家庭は・・・ >>781
自分の家庭がどうなっているかなんて、言わない人が圧倒的多数だろ?
穂積隆信の場合は、それまでも儲け話にしようと考えたから世間に発表しただけで。 >>782
83年のマスカラスの相手が鶴見で、84年のリスマルクの相手が薗田かな?
待望のリスマルク初来日だったけど、せっかく変身して帰国したマジック・
ドラゴンがかわいそうだった・・・
直に人柄に接した訳じゃないし、レスラーとしてのポテンシャルはともかく、
薗田は好きだったな〜 阿修羅とのシングル、薗田の玉砕っぷりは見事だったな。 >>785
84年の新春バトルの決勝がリスマルクとマジックドラゴンだね。ドラゴンがかなり攻めていたけど、観客の声援はリスマルクに集中していた。
最後もドラゴンの肩は上がっていたんだけど、会場の雰囲気はリスマルク優勝で万々歳って感じだったよね。
その二人にフォールされたのが翌週に鶴田のインター挑戦が決まっていたオルソノスキーで、ジュニアの二人に倒された時点で鶴田に勝てるわけがないという評価が固まった。
あのバトルの結末は少なくともドラゴンとオルソノスキーの二人の命運を決したといえる。 >>777
内外って書いてるくせに何言ってるんだ?
新日信者は来るなよ。 >>787
オルソノスキーは初日のバトルの決勝でも鶴田にフォールされてるんだよな。
シリーズのエース外人が開幕戦のバトルの決勝で団体のエースと2人残り。。。
どう考えても外人の勝利が鉄板なんだが、
あっさりドロップキックで負けてんだな。 マッハがもう一つリスマルクと合ってなかったのがなあ
本当をいえばもう一人メキシコでの抗争相手のルードの選手を呼んで
その対決をカードの軸に組めばよかったのだろうが(リッキーとスヌーカみたいに) 日大生の不意打ちタックルが物議を醸し出しているが、ハンセンなんかしょっちゅうタッグマッチで試合権利のない選手に不意打ちタックルをかましていたよな。 上の方に色々書かれてる、高杉の話で思い出したけど、Gスピリッツだったかな?
に掲載されてた高杉の剛竜馬に対するdisりっぷりは凄まじかったな。
一応高杉よりも先輩で、しかも亡くなって随分経ってる人に対し、幾ら団体を裏切った
とは言え故人に対してあそこまで罵詈雑言言えるのかと。 >>790
そういう意味でドスカラスとドクトルワグナー
なんてよかったのよかったのかも。
この二人のシングルで後楽園のメインだったりもしたしね。 >>792
高杉の場合、インタビューされるのが嬉しくて舞い上がり、調子に乗って有る事無い事喋ってるのが紙面から滲み出ている。
近年のオールドレスラーのインタビューはこんなのばかり。
プ板で「誰々の自伝に書いてあったからこの件は真実!」なんて力説する人がいるけど、
証拠としてあまりに薄いよね。 >>791
別のスレで見て知ったが、今このスレで話題の高杉は
奇しくも日大アメフト部OBなんだね。
それと上で高杉と平田が似てるって書いたが
奇しくもどちらも平塚市出身だった 川田の二号説といい、タイガーマスク兄弟の構想ってマジだったの?
週プロで読んだ記憶があるような、ないような…でもゴングには書いてなかったような
越中が二号になる説もあったようだけど、そもそも越中は飛べないでしょ?
まあヒップアタックをコーナーポストからやるぐらいだし、内在してるのかもしれないけど…
同時期にマシンの二号が出てきたり、年明けに増殖したりしたから、記者も情報探る段階でゴッチャになったとかないのかね? タイガーマスク兄弟はゴングの梶原一騎の連載にあったね
士道館の門下生を転向させるつもりが巡業先で体調崩したとか 剛竜馬に関しては誰に聞いてもボロカスなんだから当然だろうな
剛竜馬が生きてる時にレスラー達に聞いても同じだろう
死んでからとか言うのは的外れ 川田をタイガーマスク2号にしようとしたのは本当
シューズまで作って立ち消えになった >>789
さすがに鶴田の負けはないから、それは残す組み合わせを間違えたな。鶴田が不覚をとってインター戦を盛り上げるという手もなくはないが。
どうせなら阿修羅か石川あたりとオルソノスキーを残せばよかったんだよな。ただ、オルソノスキーは決め技が思い浮かばない。
オルソノスキーとかほんと名前だけ残った
得意技も思い出せないし、いつのまにか業界から消えてたね オルソノスキーって国際に来た時、後楽園ホールの全日大会を観戦に来て、
試合後エキサイトしたテリーをなだめるためにリングに上がっていたよね。
実況の倉持アナも「これは国際プロレスに来日出場中のオルソノスキー選手ですね」
とかテレビ中継で言っていたのを思い出した。 オルソノスキーとフランク・ランカスターが
「全日リングで何の実績もないのに、鶴田や天龍に挑戦した結末の見えてるタイトルマッチ」
その双璧だな、正直いえば頭の中で見分けがつかない あの時代って、日テレもテレ朝も基本的に「他団体は無いもの」みたいな放送スタイルだったから
アナウンサーから他団体の選手の名前が出るとちょっとテンションが上がったなぁ。
鶴田対長州の時に倉持アナから猪木の名前が出たり
越中の事を古舘が「他団体から新日のポリシーに共鳴して」とか。 >>803
AWAの青年将校と呼ばれて将来有望と目されていた
オルソノスキーとランカスターは一緒にすべきでない 古舘から新日マットに現われた理由を聞かれて、「馬場に挑戦状を送ったけど返事がないから」と答えた上田はガチすぎるw 倉持「アメリカではスティーブ・オー と呼ばれています!」 オルソノスキーは国際で木村に挑戦した時は
木村の珍しい技で負けた記憶はある
オルソノスキーの技の記憶はない バディ・ランデルとかオースチン・アイドルとか
ジョージ・ワインゲロフとかポール・ダイヤモンドとか >>804
鶴田vs長州戦の猪木・藤波発言は後からノーカットビデオで知ったような。。
オンエアではカットじゃなかった? >>795
先日の貴ノ鼻問題の時の維新力のようにワイドショーに出ずっぱりになったら・・・
なるわけねえかw ジム・ドゥラン戦とか、バリー・ウインダム戦とか
間違いなく鶴田が勝つ試合を観るのも全日の楽しみ方 >>811
裏四の字固めだったけ?
ラッシャー木村って何気にテクニシャンだなと感心していたのに、新日本に上がってからは一切そんな技を使わなくなったね。
第一次UWF時代「実はドロップキックもできるんだよ」とインタビューで答えて、剛とロスかどこかに遠征したときドロップキックを披露してグラビアを飾った有言実行ぶりに改めて感心したものだ。 木村のドロップキックと大熊のフライングクロスチョップはまさに低空飛行だった。 藤原も第一次UWFを経由して新日復帰する前は
バカの一つ覚えみたいに頭突きしか技を出さなかったし
制約があったんだろう 鶴田はもう一段上のレベルに上がるためにUN返上してインターとったのに、 防衛戦の相手がオルソノスキーではUN時代と変わらんわな。
まだ上田馬之助の方が良かったんじゃ? >>816
ベアハッグ状に相手を抱え、下半身はそのままで
相手の上半身をリバースフルネルソンに固める
なんとか固めって技もあったね >>810
ゴングの写真記事によれば、新春GS第一線では阿修羅に勝った時の決め技はエアプレーンスピン。
これも鶴田戦でみせてないから得意技なのか定かでない。 >>820
グレート・ムルンバに使ってたような気がする、風車吊り 珍しい技と言えば、鶴田が一時期両足で蹴るジャンピングニーを使ってなかったっけ?
大木戦で見た記憶がある。 風車吊りはチョコボール向井が駅弁固めって名で使ってた スミルノフも全日でこのくらいの勢いでやっていれば番付も変わっていたろう。
https://youtu.be/waSOjMUpD1w 木村の珍しい新技といえば裏四の字固めや風車吊りのほか
レイ・キャンディとのIWA戦で決めたグラウンド卍固めってのもあった >>826
凄い動きが速いな
スミルノフが全日に来た時期にプロレスファンになったから、その当時で50歳くらいかと思ってた
動きものっそりしていたし、戦績もあまり良くなかったしね
なんとなく幼少の頃に見て、その風貌が怖くて泣いてたK・K・クラップが全日に来たと思ってた
あとジョーとチャボが同一人物だと思ってたなw
良く見ると全然風貌も体格も違うんだけど、何故か一年以上も気が付かなかった
いくらファンになりたての頃だといっても恥ずかしい勘違いだねw >>816
選手名鑑に「柄じゃないから〜」と使わなくなったのを惜しがっていたけど新日時代
に一度だけやりかけて止めた時があった。うつ伏せの相手の足四の字を仕掛けて反転
して足を締め上げる技だった。その後に吉江が使うようになって目にする事ができた。 >>803
>結末の見えてるタイトルマッチ
デストのUN戦でもあったよね。ブルーシャーク、ブラックデビル。
結末が「両リン」と見えているものならば、もう掃いて捨てるほどあったわけで。 >>830
馬場vsカマタのPWF移動劇ってどうだったんだろ?
その頃はファンじゃないから当時の空気は知らないけど
やはり消化試合に近い防衛戦の扱いだったんかね?
いや、晩年のカマタしか知らんから、もしかしたら当時のカマタに失礼かもしれないけど >>831
ロビンソン引き抜きの際馬場に負けることと、いずれPWFのタイトルを取らせることの
バーター取引があったと推測するわw
その橋渡しがカマタだったということじゃね? >>822
オルソノスキーは、テリーの救出劇を利用して
パートナーの外国人レスラーと仲間割れさせて
日本陣営に付かせた方が良かったかもね? >>831
ベビーのバックランドからベビーのホーガンに直接ベルト移動させるのでは無く
アイアンシークを間に挟んで、バックランド→シーク→ホーガンの順でベルト移動
同じく、ベビーのブレットハートからベビーのホーガンの直接移動では無く
間にヨコヅナを挟み、ハート→ヨコヅナ→ホーガンの順でベルト移動
このパターン(ベビー→ヒール→ベビー)を取り入れて
ヒールの橋渡し役にカマタが選ばれたんだろうね。 >>834
スレチだけど
94年(95年かも)に、ベビーのブレットハートからベビーのディーゼル(ケビン ナッシュ)に
移動させた時は、橋渡し役を当時ヒールだったバックランドが務めたんだよね。 >>834
なんか時系列が逆転しているんじゃないのか。
サンマルチノ→コロフ→モラレス
モラレス→スタージャック→サンマルチノ
の例を取り入れた、ならわかるけど。 >>816
裏四の字は第一回IWGP後の猪木復帰戦で出してる
ドロップキックは第一次Uのシリーズ中に普通に出していた記憶がある >>836
すまん、バックランド以前の王者の移動経緯は知らなかったんで >>838
そうじゃなく、お前の書いたバッランド以後のが間違ってるって話やぞ >>803
ロディ・パイパーもそんな感じで天龍に挑戦したな
もっともアメリカではそれなりの格の選手になってたけど >>819
噛み合わないと思う。まともな試合になるのかな?
噛み合わない展開にイラついた上田がレフリーに暴行して
10分以内で上田の反則負けっぽい。 >>834
ラッシャーといえば馬場と組んだ1984最強タッグでの名古屋大会(仲間割れした試合)
鶴龍との対戦した時は「強え!」と思ったな。
後年にチョップの凄さだけで会場を沸かせた天龍だけど、あの試合の木村の天龍へのヒジ全体を使ったチョップはド迫力だった
ラリアット2連発も天龍相手というのもあるが、説得力バツグン
新日末期の木村は猪木に何度もフォールされてたから、正直いえば盛りを過ぎたロートルみたいなイメージだったけど見直した覚えがある。
同時期に東京体育館で鶴龍vsマサ長州の試合でもマサの頑丈さに驚いた記憶がある
新日では猪木にシングルでもタッグでも、何度も負けてた木村やマサだけど
あの全日参戦当時は本来のポテンシャルが光ってたと思うよ
木村は馬場に抗争がシフトして、マサはアメリカで逮捕されて収監しちゃったけど
もっと両者の鶴龍との対戦が見たかったな、もったいないと思ってたよ。 >>842
あれは最後の「強いラッシャー木村」の姿だったな
天龍も相手の猛攻を受けるのが上手いんだよな
最終戦のハンセンからのラリアットの食らい方も良かったし
(この年だったよな?) >>843
フォール負けしたのは前年だね
84年は超獣に反則勝ちして優勝 >>844
84年は本格的にも天龍が格上げされた年だよね。
フォール負けが、5月のイルミネーションマッチを入れると
凶器攻撃で上田に寝たのと(この試合は上田も鶴田相手に寝た)
10月にUN戦を盛り上げる為にタッグマッチでマイケルヘイズに寝た
2回だけだったと思う。
確かこの年は鶴田もインター戦の前にタッグでロビンソンに寝たんだよね。 >>843
鶴田をかばって受けた84年のラリアットもなかなかスゴイ受けだったな。アレでミラクルパワーコンビの暴走を誘って反則勝ちながら優勝を決めたんだから。 >>846
天龍のハンセンのラリアット受けの究極は
1988年最強タッグ(原が離脱で川田パートナー)の最終戦だと思う
川田が「ハンセンのラリアットは首だけでなく、食らった後の後頭部の強打の追い討ちがキツい」
と言ってたが、あの最終戦のラリアットはまさに具現的な形だったと思う >>829
吉江がやったのとは足の組み方が違う
吉江のはどこが痛いのか全く分からん 暴れるハンセンを止めに入った若手セコンド人の一人がラリアット食らう、っていうムーブがあったけど、
高杉はその役をやったことあったっけ? 自分は見た記憶ない >>849
馬場が最後にスモールパッケージで決めたPWF戦で試合後の乱闘でセブンのまま出てきてまともに受けてる。 >>840
ロディ・パイパーが全日に来たのは83年GCCUの1回だけ
無冠の天龍に挑戦しようがないよ >>850
あと後藤。
冬木はいつも上手いこと逃げて全く食らっていない印象。 >>851
82年の後楽園でのテリー戦で、レフリーのミスター林ぎ食らったのは笑った。 大熊もよく受けてなかった?
しかし、高杉セブンも受けてたかw
子供向けのヒーローキャラ(一応)がセコンドやってるだけでもアレなのに、ラリアットまで受けては駄目だろうw >>844
前年だったか
記憶って当てにならないもんですね テレビに出たいやつみんな来いで大熊がハンセンにラリアット喰らってた映像が紹介されてたけど
当時は全日はうちの地域は深夜放送だったから得した気分だった。 >>858
懐かしい!
大熊に光があたり、
大熊もまんざらでもない?
大熊の人柄も出ていてあれは良かったな! 萩本欽一が全日のレスラー達とゲームをした時
「大熊さんてコメディアンの素質あるね」
と言っていたよ。 大熊さんといえば、昭和58年11PMの全日本プロレス特集の際にリングで歌った大仁田厚に小鹿と共にイチャモン付けてマイクを奪い「こんなに別れが苦しいものなら〜♪」と歌い出したのに笑った。また大熊さん歌上手いんだw ハンセンのラリアットは派手だから浴びると華やかだが、
実際に受けたレスラーはあんまりダメージがなさそうだよな。
普通に食らったことを自慢しながら、飲みに行くパターンなんだろうな。 >>832
だろうね。ただし馬場は、ロビンソンに負けたくないから、カマタに反則負けしてベルトを渡した。馬場はセコい ロビンソンはカマタに勝ったとき
PWFのベルトの名前をわかってなかったな
リング上のインタビュー中に松永に
「このベルトなんて名前だっけ?w」みたいな感じで聞いてる場面がある >>855
大熊がハンセン腹いせのラリアットを食らったときも倉持アナは「若手がやられています!」w
やはりというか相棒の小鹿は要領よく逃げていたな
>>817
熊さんはフライングクロスチョップとかドロップキックとかけっこう飛び技使うんだけど
ドラム缶が飛んでるみたいで不恰好通り越して実に味わい深かった 腹いせラリアットってネーミングが笑えるな
一番有名なのはマンガでネタになったアンドレ戦の前田だろうか >>863
暴走しての反則負けだったので馬場の名誉も守られた転落劇だった。 全日の昭和50年代の大阪府立体育会館、大熊が登場すると会場のアチコチから「大熊のアホ〜」コールが
覚えている人いるかな? >>867
そのアンドレもミスター高橋に腹いせラリアットで病院送り。 腹いせラリアットというか、俺みたいな観客の側として1番残念だったのは試合中にラリアットが不発だった時じゃん
その不満感の溜飲を下げる効果として「せめて若手相手にやってくれー」
そんな感じだったなあw
そういえばテリー引退試合は完成度が高い試合だったと思うが、唯一の不満点はラリアットもスピニング・トウ・ホールドも出なかった点だね
試合後に2人ぐらい食らってたけど引退試合という重さを考えれば、試合後ではちょっと補えないな >>865
>熊さんはフライングクロスチョップとかドロップキックとかけっこう飛び技使うんだけど
栗栖が最新のGスピのインタビューで
「らしくない技をジャパン時代は使ってましたね」と質問されて
「全日では規制がなくて何でも自由だった、馬場さんの技まで使っても何も言われなかった」みたいな事を答えてたな
馬場はリングの立ち位置とか、観客視線には気を使うほうだと思うが、ある意味ではフランクな面もあるんだな >>873
栗栖って全日では全く活躍の場がなかったな
永源なんかは893人脈で馬場に気に入られたけど 栗栖、テンタとのシングルやウォリアーズと当たったりジョバーとして良い印象 >>874
ん?新日時代はテレビにも出てないのに、
全日では色々チャンスもらってたじゃないか。
しかし、ジャパンに残ったにも関わらず、
すぐに引退させられたのは気の毒だった。 >>876
しかしあそこで引退したからこそ
FMW設立したばかりの大仁田から声がかかり、イス大王として名を馳せて
結果的に新日に逆上陸したからね、浜口の復帰の大義名分にも一役買ったし
なんか浜口軍団の副将格として、長州軍と両国で5vs5マッチみたいなのやらなかったか?
あの頃が栗栖の日本でのプロレス人生で1番脚光を浴びてた頃だと思う
その後も戸口とヒールユニット組んでピラニア軍団として重宝されてたし。
まあ大仁田のリングに上がったのが1番大きいと思うが 栗栖が新日時代にテレビ出たの猪木VSはぐれ国際軍の時のサブレフェリーやった時くらい? 大熊はラリアットで吹っ飛ぶにはうってつけな体型だったな。
栗栖が初代タイガーの正体候補だったというのは、ちょっと。。 栗栖の全日での晴れ舞台といえば、全日vsジャパンの7vs7全面対抗戦に抜擢されたのもある。
あれ、建前上は鶴田vs栗栖や馬場vs栗栖もあり得たんだなw >>881
プロレス入門かなにかの本に
タイガーマスクの正体はこの男だ!というタイトルで
3人のレスラーの写真が掲載されていて、その内の一人が栗栖だったね
後は佐山、あと1人は小林?G高野?誰だっけ? >>884
佐山、栗栖、小林邦昭、ヒロ斎藤だったと思う >>882
あの橋本戦はいい話があったよな・、うろ覚えだけど
橋本戦を生観戦してた栗栖の子供が父親の惨敗を目の当たりにして、控え室で泣きじゃくってたら
橋本が栗栖の控室に入ってきて栗栖の子供に
「お父さんは凄く強かったんだよ、僕の方が死にそうだった」みたいな事を言って
最後は「お父さんの敵討ちをして」と言って、子供に張り手を自らの顔面に打たせたやつ
そんな内容だったかな??… >>890
それがんばれ元気の話しじゃなくて実話なのか? >>892
うろ覚えで多少は美化されてるかもしれんが、実話に近いはずなんだが…
確かノーテレビで、ゴングの付録で15年後くらいに試合だけの収録はされてたが
控え室のやりとりは記事しか読んでないから、あと栗栖も泣いてたと思う
「こんな気持になったのは初めてだ…」みたいな感じで。
敗者の子供に勝者が殴らせる同じようなパターンだと、ヒョードルがコールマンの子供にやらせてた覚えもある 6人タッグの負け役とは言えTVマッチのメインにも出てたし
実は馬場の評価も高かったのかも栗栖 アジアタッグ全日側も栗栖の気迫が凄かったとコメントしていた 栗栖は馬場相手にもガンガン行くから嫌がられてたとか誰か言ってた様な? 川田小橋の手加減感じたら引退すると言った馬場が
栗栖にガンガン来られるの避けないと思うけど >>897
栗栖自身は、馬場を椅子で殴ったとき
「永源には咎められたが、馬場さんからは何も言われなかった。」
渕の椅子で殴って脳天から出血した時も
「あれは渕が悪い。逃げないでちゃんと受ければケガしないと馬場さんは言ってくれた。」
と言っていて馬場に認めてもらって嬉しいと感謝してるそうだ。 テレビマッチで天龍のパワーボムで最初にフォール負けしたのは栗栖かもしれないな。
全日時代はウォリアーズ、レイス、フレアー、ハンセンとは対戦しているんだよな。
ニック、マスカラス、ロビンソン、ロシアンズ、デビアス、スレーターとは対戦しているかは分からないが。 >>878
> 浜口の復帰の大義名分にも一役買ったし
どういうこと?
浜口復帰の名目は元気がない長州に渇入れるために乱入してその流れでしょ
> 浜口軍団の副将格として
ブロンド・アウトローズな
1番最初にコールされて入場した栗栖がなんで副将なんだ デビアススレーターは浜口栗栖でやってると思う。もしかしたら当時の全日本の選手と全員当たってる可能性があるの栗栖だけかも。
馬場、鶴田からタイガーや百田、小川あたりまで。 >>898
馬場は確か還暦の時にやったタッグマッチで
「手加減されるのは悲しいが、手加減されないのも辛い」
みたいな事言ってたな。
栗栖は全日本解雇された時、永源と谷津から「明日から来なくていい」
と言われたそうだが、トップの馬場の判断も当然あっての事なんだろうか?
永源と仲悪かったって話だが。 >>902
いや、浜口軍という組織としての員数合わせ的な軽い意味から
元ジャパンという意味でもそうだし、栗栖がいるからあのストーリーに繋がったという意味でね
そんなに深い意味はないんだ…すまん
副将格といったのは試合前のインタビューやら、雑誌での取材など大体が浜口とセットだったから、そんな印象を受けていた
ブロンドの連中も全員が後輩だし、栗栖を立ててるコメントだった記憶があるから、まあこれも俺の主観だし、事実と違うならこれもすまん… 栗栖はタイガーの正体候補にあがった時が人生の華だったな
子供でも騙されんわ! あいつがタイガーだんて 冬木vs栗栖の冬木のジャーマン綺麗だったな
この試合は全日本が冬木出してるんだから若手枠でジャパンは仲野でもよかったんじゃないかな? >>906
所が佐山タイガー以前、サムソン・クツワダがタイガーマスクを名乗ってた時期もあったんだよ。
それを思うと栗栖がタイガーに・・・・て展開も有り得たかも知れないな笑 クツワダ版タイガーと比べたら栗栖も納得だけど
デビュー戦でシャープでキビキビした佐山タイガー動きを見た後で
もっさりした体型の栗栖と見比べたら、絶対浮かばないと思う
それとも若手時代の栗栖は佐山並みに動けてた記録でも残ってるのか >>909
寺西かっこいいな。この年でもまだショルダースルー着地が完璧にできたとは。 >>912
寺西はケガで全日のマットに上がらなくなるギリギリまで着地ムーブはやれてたと思う。 寺西がカッコいいのはあの着地の瞬間の数秒だけ、それ以外は全部ダメ >>890
栗栖の娘の話。金沢本に書いてある。「元新日本」 >>915
途中で切れた。「元新日本」とかそんなタイトルの単行本 高校の時、現代社会の先生が寺西に似てたんだよなぁ。 馬場対寺西、寺西負傷で無くなったが。もしやるなら永源の可能性が高いだろうが保永なら観たかったな。 >>911
大体アニメや劇画のタイガーマスクは、あんな四次元殺法のタイプじゃないもんな。
佐山がタイガーのイメージを一変させた。 >>909
華のないおっさん4人だなぁと思ったけど、この当時は全員今の俺より年下なんだな。 >>922
石川はこの試合後の五年後にドームの「ダブルメインのシングルマッチ」を務める事になるとはな…
まあ、この時点でも新日はドーム興行はやってないから想像しようがないが
しかし五年後の新日に上がってる頃の石川の方が、このアジアタッグの頃の石川より若くないか? >>908
仲野ってジャパン時代、チャンスらしいチャンス
ほとんど無かったな。
新倉なんかは、小林のインターJr.に挑戦したりしてたが。
>>917
違うスレでパワートレーナーがチラッと話題になったが
あのマシーン紹介してたトレーナー、あのやたらハキハキした喋りといい雰囲気といい
俺の高校の時の担任に似てた。 >>924
ジャンボを怒らせて以来、
若手の中では一番チャンスあったでしょうよ。
あ、色々タイトル取らせてもらったのはジャパンのあとか。
全日に入ってからは、谷津の正パートナー、最強タッグ出場、アジアタッグと世界ジュニアの獲得。
あすなろ杯に出なかったってのは、フットルースや高野より格上と見なされてたってことだよね。 >>925
> あ、色々タイトル取らせてもらったのはジャパンのあとか。
そうそう。
ジャパン時代は小林とタッグ組んでたりすると、小林の代わりにマスカラスからフォール取られたりキャリア5年?くらいでも一介の若手に過ぎなかった。
ジャパン分裂して谷津とタッグ組み始めてからチャンスだと思われてたが、やはりと言うかすぐジャンボに替わられてしまった。
でも、その後世界ジュニアやアジアタッグとか身の丈にあったタイトル手にしたし
今思うと外様にしては恵まれてた方だと思う。 >>925
それなりにいい扱いだったと思うけど百田の負け役をやらされたのは可哀想だった。
ハンセンとタイトル戦やった選手が百田に負けるのはねぇ。 >>925
> 谷津の正パートナー
これは全日入団前だよ
> あすなろ杯に出なかったってのは、フットルースや高野より格上と見なされてたってことだよね。
ジュニア王座奪取に専念するってことで出場辞退したんだよ 仲野は初来日のローデスJr.に負けた時の腐りよう、百田に負け時のキレようが印象に残っている。仲野のくせに。
その他、アジアタッグ戴冠後のTV解説で竹内にそのことに振られた時に「(タイトル)とっても何も変わらないですね」とぶっきらぼうに答えた時は、あぁコイツ全日抜けるなと思った。
あと馬場のこともチョップだったか凄いとは言っていたが、勝てる気はしないが、負ける気もしない?というような不遜なことも言っていて負けん気というか自己評価がとても高かった印象がある。仲野のくせに。
まあ、新日合宿所時代に寝てる後輩の顔に大便かましたり、好き放題してた気持ち・全能感が最後まで根っこにあったんだろう。 >>931
人をシバキ倒して自分をアピールする業界やぞ
穀潰しの集まりやろ 決起軍は三沢と俊二が合わない気がする。
俊二と上手くやれる人を探すのが難しいかもしれないけど。 >>933
あれは軽くびっくりした
仲間割れだとか発展的解散とかじゃなく
馬場による強制解散ってw >>935
あれはある意味斬新だったな
馬場「名前だけで全然決起しとらんから解散させることにした」って >>934
> 決起軍は三沢と俊二が合わない気がする。
これは俺も思った。
俊二がナマクラで仕方なかったが、タイガーもこの時期伸び悩んでた感じだし。
>>935
「全然決起しないじゃないか!」
とまで言われたらしょうがないw 袂を分かったはずの谷津嘉章と仲野が今月下旬SPWF同窓会で小田原で試合があるんだってね
対戦するかはわからないけど >>937
俊二と高木と田上がナマクラで、
三沢はまだリーダーシップには目覚めてない感じだし
仲野はどうなんだろ、立ち位置は俊二寄りに見えるし
リングの上では割り切って団結してやる程の技量はみんな無さそうだし
やっぱり強制解散で正解かもしれん。 >>940
でも、高木は一時期だが天龍に自分から突っ掛かってたり
それなりに頑張り見せてた時もあったな。
天龍も手応えあったのか「今回のシリーズは高木を鍛えてやるよ」
とか言ってた時もあった。しかし、本質的なナマクラは変えようがなかったか。
仲野は三沢とも仲良かったようだが、一番は高野と気が合ったとか。 >>928
そうなんか。
いや、三沢と仲田のトークショーで、
仲田「高野もフットルースも成長して…」
三沢「信ちゃんは?成長してないの?」
仲田「いえいえ、もうすでに強いじゃないですか」
ってやりとりがあって、格上の扱いなんかなあと勘違いしち。 >>921
でも、現実のタイガーマスクは元はタイガーマスク二世の方のタイアップだよね。
黄色い悪魔は最初のアニメの方で。
そっちの方ならイスや机で滅多うちのファイトなので、むしろイス大王の栗栖がふさわしいかもw >>941
でも高木はSWSに行ってからも
プレ旗上げ戦のメインに抜擢されたり、あの時点では期待感は失われてなかったと思う
あとそれから十数年後、武藤が全日で正パートナーにしようと推してた時期もあった
やはりあれだけの体格に、飛び技もこなす身体能力は誰かみても魅力的なんだろうと思う
そう書いてて思い出したが、馬場も五輪タッグで海外遠征時にパートナーにしてたな
時期は違えど、その時点の首脳が全員期待してるというのは稀有な存在だったんだろう… 高木はスタミナがネックだけど、デカくて動けるいい選手だと思う。フロッグスプラッシュも迫力あって良い技。
でも問題はメンタルなのかなあ、薬に手を出したのも… 高木は最初の全日時代のうちに結構早めに川田にはあっさり勝ったんだよな。期待されていたよな。
三沢、田上にはどうだったかなぁ?
全日入門後、寝技練習もすぐクリアし、反り投げも即そつなくマスター。さらにニールキックまで会得。そしてそもそものあの巨体に大相撲キャリア。
後には武藤にも勝ったと記憶してるが、橋本には勝たせてもらえなかったっけか?
村上に「あんた強えよ!(でも・・・)」ってマイクされてたような。。。
馬場が極意をマンツーマンで教えた数少ない弟子の一人。
その秘技?には興味あるが秋山にも授けたものと同じか?
それは以前馬場がデビュー前後の鶴田や馳、輪島に授けたものと共通することもあるだろうがまた別のものもあったと想像する(リングの中央に立て。相手を回らせろetc.)。
長州、藤波、蝶野、藤原、前田、高田、船木、鈴木らに内容で圧倒するジョナサン・ブッチャー戦、安田・佐竹戦のような高木の試合、見たかったわ! まあでも石川の先例でも明らかだが
試合中の客席やメディアでのファンの反応見てれば
試合っぷりやテクニック、フィジカルはある程度あとからでも身に付けられるけど
とにかくあのルックスやオーラの無さでは所詮スターになるのは無理だったとしか >>948
そういえば今の全日の石川修なんて高木や森嶋と被るね
巨体に似合わない動きといいそっくり
ただしアクがないというか、人がいいというか悪い意味で全日系?いう感じ
たぶん薗田みたいに人間性は良い人なんだろうけど
でも寡黙でも存在感はある、やはり巨体というのはそれだけで大きな武器だな
それも別の意味でのオーラといえるんじゃないかな? 高木は水色のタイツが絶望的に似合ってなかった
嵐に改名以降の黒のロングタイツは良かったけど >>950
でも、その頃にはおっぱいの弛みがなぁ… >>948
でも石川はジャパンが来た時は対抗戦でよくタッグで出たり、
天龍同盟が相手の時は、全日のレスラーには余り見られない気迫を全面に出した試合で、
天龍相手に普段全くやらないジャーマンまで出した時あった(不格好で崩れたがW)。
当時は輪島ほどでないが、ダサいなぁと思って見てたが、今映像見返したりすると輪島もだが泥臭さがあっていいし、良い意味で不器用な感じな所もいい。 クラシックで82年6月の蔵前大会をやってたがなかなかに興味深いカードだったな
ハンセンが蔵前でセミ前の前なんて初来日も含めて初めてか >>953
スレーターはこういう時はいい仕事するんだよな。
長州のときも顔面にバンバン入れるし、非常に頼もしい。 AWAタッグにはリッキー・ジェイで挑戦してほしかった 世界三大タイトル戦を蔵前で行なうという前提な以上
ハンセンのタッグ戦をAWA世界タッグより後には出来なかったんだな
この頃のスレーターはまだ天龍より格上だったんだよなぁ シンがようやくPWFに初挑戦
乱入のヘスはこれが最後の来日だったか 最後のスレーターのカットが、ハンセンに交わされて天龍に直撃してたのが痛そうだったw 大仁田とリッキーは年末の最強タッグ最終戦ではシングル対戦してたんだか
そして日本ラストマッチのジェイは三沢と 月刊プロレスの若手インタビューで越中が
「三沢と組んで、いつかリッキー&ジェイ組に勝つのが目標」
と言ってたのを思い出した 結局
スレーターはエルボースタンプしか
技なかったよな >>953
初来日の頃はハンセンは普通に前半だろ。
以後 新日や移籍後の全日含めたらセミ前はまずないだろうが。 >>966
ハンセン初来日時の蔵前は馬場VS大木、ブッチャーVS鶴田のダブルメインの前のセミ(VSデスト)に抜擢されたことは常識 あの頃の馬場はファンクスの言う事に盲目に従い過ぎたな
アメリカではいくらファンクスのお膝元テキサスとはいえ
木偶の棒だったハンセンにインタータッグに挑戦させてる
実際インタータッグに挑戦できる能力なんかまるでなかった >>960
足がロープに掛かって相手レスラーの手前に落ちるから無鉄砲も良いところで
危険極まりない。マスカラスのように空中技でも自分の出来る技だけを見栄え良く出してたのを見習うべきだったと思う。 >>967
実質メインはブッチャーVS鶴田なんだよな
意外にもブッチャーとして唯一の蔵前でのシングルメイン >>968
初来日のハンセンの話を聞くと後々の大活躍が嘘みたいだ。
自分はハンセンの初来日時はリアルでは知らないから逆にそっちが嘘みたいに感じるわ。
ハンセンは短期間で一気に開花したんだね。
特に売り出されたわけでもなく。
それが凄い。
新日初参戦時も大して期待されてなかったみたいだし。
特別重宝された存在でもなく。
長州も凄い変わり様だったが、あれは会社としての売り出しも手伝ってのこと。
結果的に長州が見事に会社の期待に応えた。
また運良くファンにもウケた。
しかしハンセンは全くそういうのが無くあれだけ化けて。
最初から凄かったわけでもなく。
そう考えるとハンセンは別格だな。 >>972
新日時代のハンセンは坂口にやってるラリアットとか身体全体でぶち当たらずに手打ちなんだよな
坂口の受けが下手なのもあるかもしれないけど >>972
昔の人気ないハンセンならYouTubeにハンセンVSデストロイヤーがあるから見てみて
昔のハンセンはめちゃくちゃ塩で観客の声援なんか全然ないからw >>966
新日VS国際全面対抗戦でも猪木VSラッシャー以外の対抗戦のカードがしょぼかったから、
ブラボー・長州VSハンセン・ホーガンがセミだったな。 >>967
その日は生放送だったのかな?
馬場ー大木が尻切れにならないようにメイン第一試合にしたのか、万一大荒れ叉は塩試合になったときに備えて鶴田ーブッチャーを保険にしたか・・・ >>973
全日本ばかり見てたから大きな体で馬場とも親交のある坂口って最高に印象がいいんだけどレスラーとしてはいまいちっぽいね。全日本に来てても大成しなかったかも >>979
坂口がいいレスラーだったら日プロは潰れていないよw
血まみれになって転がりまわるぐらいしか見せ場がない人だもん
んで思い出したけど、日プロが潰れた後、全日に行った人って皆、日テレと三年契約を結んでいたはずだよね
上田なんかはちゃんと契約が切れてからテレ朝(新日)に行ったし
何で大木は早くからよその団体に上がれたんだろう 大木だけ契約していなかったのかな
でもそれじゃ離脱前はどういう契約で全日マットに上がっていたんだという疑問が生じる >>973
ただ坂口は血糊を仕込んでハンセンのラリアットを食らったとき血を吐くギミックで
「サンマルチノの首を折った恐怖のウエスタン・ラリアート」を一層盛り上げたことはある
>>972
80年の新春黄金シリーズに来た時から明らかに風向きが変わってた
81年末までの2年間の新日ハンセンの勢い、疾走感は物凄い瞬間最大風速だった
それが突然全日会場に現れるんだからそりゃもう… >>974
見たことある。
あと雑誌等の記事からもハンセンが信じられない位の塩だったのもわかる。
でもそれ自体が信じられないねえ。
というかその後短期間であれだけ化けたのが凄いね。
上にも書いたけど会社のプッシュも大してなくて。
新日初参戦の時は『あのブルーノの首を折った男』が売り。
この頃もまだリアルで見てないが。
でも記事によると新日初参戦の時点でも大して期待はされてなかったみたいで。
シン 上田がいたからそちらばかり注目されて。
しかもハンセン初参戦シリーズにシンと上田が初合体とかで。
ハンセンが本当に化けたのは新日三度目の参戦時らしいが。
79MSGシリーズ。
この時点で一気にアンドレと並ぶ存在価値になったとか。 >>974
これまで日本に来日したビッグネーム達は最初からある程度の存在だった。
初来日を自分がリアルで見てないレスラーでも記事等でわかる。
初来日で大して期待も評価もされておらず(むしろダメで)あれだけビッグになった。
それってハンセンだけだと思う。
最初凄くてもどんどん落ちてダメになっていったのは何人もいるが。
まあ本人の衰えやら会社のプッシュストップと理由や原因は様々だが。
ブロディにしても最初から期待されていたし、初来日で馬場フォールという待遇。
当時のブロディへの期待感が伺える。
あとハンセンが凄かったのは長年に渡ってその地位をキープ。
存在感を示し続けたこと。
衰えも遅かったのが幸いした。 初来日のハンセンを「塩」とまでは言えないんじゃないの。
馬力のあるヘビー級のグリーンボーイ、だろ。
将来性や見所ある、とはされていなかったけど。
同時期に初来日した選手ではバックランドやボブオートンが特筆されてたよね。 >>974
のちの全日中継の中で「ウィー!」と奇声を上げながら攻撃すると観客席から失笑が
もれる光景が流れて福沢アナに「最初はとんだ一杯食わせ者だったんですね!」
と揶揄されていた。
>>980
猪木への挑戦は大木の日本での復帰活動で新日に執拗に働きかけていた。上田より
商品価値の遥かに高いので新日が何かしら手を打って上げたんじゃないのか?
日プロ時代は地味な中堅レスラーでしかない上田はBIと木村に挑戦状を出すもBIは
あっさり無視して国プロがリングに上げてもらった反則絡みながらIWAを奪い商品価値
の上がった所で新日も声をかけた。 >>981
前年のMSGシリーズに来た時点で最大プッシュは確定的だったぞ。
それまでほとんどピン負けのなかった上田に秒殺完勝。
アンドレ相手に互角の立ち回りで突き放し決勝進出。
久々の来日で下馬評を覆す暴れっぷりで一気に番付を上げたのはこのシリーズ。 >>976
真相は不明だけど、猪木と五分の星取りだった大木について、全日内の格は大したことないという事を印象付けたくて最終試合にはしなかったという指摘が多くある。
後年PWFとアジアのダブル戦やってタイトル統一した試合もセミで、メインは鶴田対ドクのノンタイトル戦。
馬場は自身>猪木=大木という印象付けがしたかった。 全日は基本アメリカの一流選手をそのまま呼んで使うだけで、
無名選手を育てるってことが一切できなかったからね >>971
アマリロ修業時代に
・ドリーvs鶴田(1973年5月 NWA世界ヘビー級選手権)
・ファンクスvsハンセン&鶴田(1973年8月 インタータッグ選手権)
鶴田、ハンセンがデビュー数か月で挑戦しているけど、これは各タイトルへのデビュー後最速での挑戦者なのかな。 >>983
バックランドとか技の受け方が不細工で苛立った馬場に踏みつけのお仕置き受けてる
最近のインタビューで試合前に馬場の目の前で鶴田とアマレス式の試合やらされて圧勝して褒められたらしいけど >>988
新日だってそうだろ。
シンくらいじゃねーの?
まあ信者の脳内では、ハンセンもベイダーもホーガンも無名だったと思ってるらしいが。 >>990
ニック・ボックウィンクルのデビュー戦の相手はルー・テーズだが、さすがにタイトルマッチではないよな? >>983
国際プロレスに初来日した頃の、リック フレアーの方だろ❓ >>993
ニックがデビューした1955年のタイトルマッチレコードを見ても、ニックの名前はないね。
http://www.wrestling-titles.com/nwa/world/nwa-h-matches/1950s/nwa-h-matches1955.html
さすがにデビュー戦=NWA世界ヘビー級選手権試合はなさそうだ。
しかしこれ見て思ったけど、当時のテーズは連日レジェンドレスラーの挑戦を受けてたんだな。
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