1990年の新日本、全日本
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この年から観客動員数が増えてきて冬の時代から脱したと思う 松戸大会で川田がウイリアムスのバックドロップ喰らったとき
場内一斉に悲鳴があがって総立ちになったな >>669
あれはテレビで見たからよく覚えている。
93年頃からのバックドロップドライバーと言われていたやつと
遜色ない角度だったな。川田が2で返したのにはまた驚いたが。
メインがハンセンvs三沢の三冠王座決定戦で
渕vsピート・ロバーツという渋い世界ジュニア戦もこの日だったはず。 >>671
川田が2で返したときの場内の盛り上がりは今でも覚えてるわ
普通に取り返しのつかないことになったと思ったからね
ちなみにセミが鶴田、カブキvs小橋、田上だったけどOAされてない >>672
千葉、船橋、松戸は日プロ時代からのプロモーターがいたのはさんざん言われてる >>669
直前で川田がウィリアムスにバックドロップと囁いてるの入ってるんだよな この年の最強タッグには、木村、井上組、スレーター、ディートン組やファーナス、サンタナ組など、まだ渋いところが参加してたね
リッキーサンタナはクロファットの代替だと思うが… サンタナがW★INGでアイスマンになったと知ったのは
ずいぶん後になってからだった。 >>676
スレ−ターはこれが最後の全日参戦でその後はWARやIWAジャパンと
インディーを主戦場にするようになった。 選手が引き抜きなどで少なくなったこともあってか
ジャイアントシリーズあたりは地方でも普通に
三沢、川田vsハンセン、スパイビーや鶴田、田上vsゴディ、ウイリアムスが行われてた ノートンは90年暮のシリーズに初来日。
それで衝撃的なインパクトを残した。
ちなみにこのバトルファイナル90はノートン初参戦でウイリアムス最後の新日参戦。
ノートンとウイリアムスが重なっていたという意外なる事実。
絡みはなかったが。
ウイリアムスは全日(日テレ)との絡みが原因か?テレビには全く登場せず。
まあ短期間のシリーズだったが、ファンは一日にノートンとウイリアムスを見られた。
初来日で衝撃的だったノートンの方が注目されただろうが。 >>679
うちの地元も大量離脱後、メインで鶴田、田上対ゴディ、ウィリアムスだった。
しかしやっぱり田上では荷が重く、鶴田のオーが6回も出てやっと盛り上がった 1990年の時点では川田と田上の格的に
地方で組んでもおかしくないカードだったと思う。
90年から92年にかけて一生懸命2人の格上げをしていたような。 折原が全日離脱しなかったら、菊地以上にくちゃくちゃにされる存在になってたのかな〜 >>682
三沢川田が殺人魚雷に初めて勝った時は感動したわ 一瞬金沢だろ…と思ったが91年の5月頃だったか
札幌でやったノンタイトル戦で勝ったんだよね。
三沢がウィリアムスからタイガードライバーでフォール勝ちしたような。 金沢は2月の世界タッグで三沢が場外パワーボム食らったやつじゃない? 三沢がゴディ倒した時の武道館って、そのシングルがメインだったっけ?
三冠戦はなかったのかな? その日のメインは鶴田、田上対ハンセン、スパイビーだったような
田上の不甲斐ないファイトで水を差されたようなことが書いてあった この年も札幌でやってるけどイマイチ盛り上がらないまま
川田がゴディにフォールされてる >>688
メインがハンセン&スパイビーvs鶴田&田上の世界タッグ。
セミが三沢vsゴディ、その前が川田vsウィリアムス。
あと馬場&木村&渕vsブッチャー&キマラT&キマラU。 小橋成長の一年だよね。メインの三沢軍vs鶴田軍の6人タッグでムーンサルトでM井上からフォールしたり 90年はデビュー2年で三沢タイガーとアジアタッグも獲ったっけ。小橋が胸を張ってメインイベンターって言えるようになったのって、やっぱり93年くらいかな? SWS旗揚げ2連戦の裏で全日の静岡、後楽園大会があったね
小会場ながら全力で戦う全日に対してSWSは…みたいな中傷記事を当時の週プロで読んだな〜
今思うと酷い話だな… >>693
・七番勝負
・アジアタッグ奪取2回
・クロファットにシングルで勝利
・タッグで井上、渕をフォール
・最強タッグ出場
この年の主な実績はこんなところかね。
大量離脱前から推されてはいたが。 大量離脱で推しが早まったのと強まったのは有るとは思う
無かったらもう少しゆっくり育てたと思う 8月の両国は何気に馳が健悟超えした日だった
勝った馳組にはもちろん大歓声で逆に負けても客に手を上げてアピールする健悟には
ものすごいヤジがとんでたな
俺の隣にいた鶴見五郎にそっくりなオヤジなんか
髪染めてブロンドに入っちゃえって叫んでたわ
闘いのワンダーランドで見たかったけどOAされてなかった >>699
覚えてる。いい試合だったよね。これから馳健はノシ上がっていくんだなあって希望に満ち溢れてた。
ただノシ上がるペースが少し早かったかも。11月にはもうタッグ戴冠だもんね。 馳は死にそうになってから黄色タイツになってブレイクしたかんな。
健介と組んで二人でブレイクと。
でもスタイナー兄弟には結局は勝たせて貰えず。
またベイダー、ビガロ、ノートンクラス相手には厳しかった。
でも新日はこの二人を売り出してたがね。 馳バックドロップ→黄色パンツ→馳健タッグ→ヘルレイザースで健介とお別れ
って同じ年? ハンセン、ウィリアムスから見たら、四天王はガキだろうから、、、
寝るように説得した、渕やマイティ、ジョーの功績はデカイ。 >>704
四天王がトップになったら寝るのは普通だろ。
トップ相手に寝なかったら、団体が成り立たなくなっちゃうじゃん。 >>702
《90年》
馳バックドロップであわや死去→黄色タイツ→馳健タッグ
《92年》
ヘルレイザーズ結成。
その前の91年夏に健介はガチ怪我で半年以上の欠場。
ここで馳健は事実上終了。
その後92年に健介が復帰しても本格的に馳健が組む事はなかった。
馳は武藤、健介はヘルレイザーズと。 >>700
この興行はハズレ試合がなく全体的にいい雰囲気だったね
パイオニアの板倉も最初は失笑されてたけど三本目あたりからその頑張りに
声援されるようになったしね
セミのタッグ選手権もブルーム、イーノス組が頑張っていい試合になった
ブルームがSTFをエスケープしたときは凄い盛り上がった ハル薗田が全日に残ってたら鶴田軍の参謀役でブレークしたと思う
鶴田、薗田vs三沢、川田とか何気に面白かっただろうな 鶴見も人手不足で、ちゃっかり日本陣営に。鶴田・鶴見の友達タッグもありそう >>695-696
ターザンが馬場とくっついていたころだな。
今も馬場のことをさん付けしているのはターザン信者だろう。
>>699
健吾のパートナーは誰? 鶴田、カブキ、薗田、鶴見vs三沢、川田、田上、小橋
渋すぎてたまらない
また高野が離脱してなかったら鶴田のパートナーに抜擢されてたかも 高野俊二jといえばこの年の初めにゴングのスクープで全日離脱と報じられてたが、
翌週に巻頭で誤報の謝罪をしてたな。
あれは何だったんだろうか? 高野俊二はこの年のスーパーパワーシリーズは確か開幕1、2戦だけ出て欠場してしまったが、あれは怪我が理由だったのかな… 高野田上仲野vs小橋北原菊地だったね
高野と仲野は心ここに非ずって感じだった。もう離脱を決めていたんだろう 名古屋レインボーホール(現:日本ガイシホール)独特の音楽の響き方が好き。。。 >>717
入場のときも仲野と田上は走ってきたけど
高野だけ二人から離れてゆっくりリングに上がって
実況の福沢から燻しがられてたな
こういうシーンが見れたりするから
夜中に特別放送されたはみだしプロレスはありがたかった 仲野はアジアタッグ取ったけど退団しちゃったね…
ザ平均点っていう感じで好きなレスラーだったので、全日にそのまま残ってほしかったな〜 あの話はどこまでマジなんだ
どうも尾ひれつきまくってるような気がしてならない あのドロップキック、わざとなのかアクシデントなのかはわからないけど復帰戦の阿修羅も伸ばしてるんだよな 鶴田、天龍対谷津、仲野だったよね
長州、輪島に追いやられてセミ前に組まれてたなぁ〜 >>719
はみだしプロレスあったねえ。
でもあの日のシン、鶴見ーブッチャー、スカルパは何故か放送されず。
未だに謎だ。
あのお笑いコール、シンシン七拍子等が原因で放送されなかったのかな?
あの日の一番見たかったカードだったのに残念。
また札幌でのシン、鶴見ーブッチャー、ロスも放送されず。
今は動画で見られるが。
結果的に放送されたのは武道館のシンーブッチャーのシングルのみ。
三沢がマスク脱いで急展開な状況だったからシンとブッチャーの抗争は外された?
でもハンセンとゴディ、ウイリアムスの戦いもありあのシリーズは熱かった。
また見所が沢山あったねえ。
大量離脱のダメージを感じさせず。
大量離脱はこのシリーズ終了後か。 武生市体育館の世界タッグ長い試合だったけど
なんか暑さもあってか終始重苦しくあまり盛り上がらなかった 殺人魚雷コンビ結成以来初黒星を付けた試合ではあったが
ハンセンの乱入があったり直後にカブキはSWSに行ってしまったり…。 まあカブキの試合自体が面白くないしな
当時の試合時間長くして激戦に見せる戦略を
こんなファイトスタイルに幅のない選手に割りあてるのは無理ありすぎる >>730
>カブキの試合自体が面白くない
カブキ曰く「昔は、俺たちレスラーが客に
プロレスの見方を教えていた」←俺、カブキから
プロレスの見方を教わった覚えはない!
また曰く「今(2000年代)のレスラーは
客に媚びを売っている】←汚いペンティングに
毒霧吐いて、自分の胸を叩いて音を出すパンチの
方がずっと媚びを売っているよ!www
売らわせてくれるなww
俺は、隣のテーブルで聞いて、吹き出しそうになったが
そういう話を、関心しながら聞いているカブキオタクは
どうなんだろ?
こいつらが「そうですよね!そうですよね!」と同意するから
カブキは自分のいうことが正しい(多くの人が賛同してくれる)
と勘違いして、ムック本に書いて大顰蹙を浴びたんだよwww 佐野が新日に残ってたらペガサスのブレークはなかったかも 今思うと新日の中継にキューティーがゲストで出たの意味あったのかな? 当時どこの女子プロ団体でも地方興行に行くと
「今日はキューティー鈴木出ないの?」って聞かれたそうですよ キューティーは新日の90年12月の浜松大会だね。
ゴールデン放送に合わせて呼んだのだろう。
武藤×シンでは二人とも大きいですねえとか。
斎藤×ニックでも斎藤選手の筋肉凄いとか。
素人娘みたいなコメントばかりだった記憶がある。 >>739
小鉄がジャパ女のコーチだったからそのルートからだな。 ジャパン女子で小鉄氏の指導を受けて
尊敬していると語っていたような。 キューティー、武藤vsシンのときは武藤のファンなんですよねと辻に言われてたな。 >>742
プロレス総選挙の時は橋本を推していたけどなW >>738
昭和の頃は、新日の会場で
「今日は馬場さん出ないの?」と尋ねる観客もいたそうだ。
逆もある。全日の会場で「猪木は出るのか?」と。
俺は全日の横浜文体で、「うおおー!猪木!!」と
叫びながら、入場してきた男に遭遇した。
無論、ロビーは凍り付いたが。 新日、全日ベルリンの壁が崩壊した記念すべき年
ドームに鶴田が登場してカブキを筆頭に全日の選手が多数セコンドで
現れた時は興奮したな〜 >>725
5/14東京大会は朝までスポーツ?で全試合放送されたのではなかったかな? >>744
当時メインで猪木しか出てこないと
非常に違和感があって、なんだか物足りなかったな
馬場が出てこないと最後の〆が奪われた感じだった
長島が引退して王一人が頑張ってる姿を見る時も同様だった >>744
そのころから、馬場にさん付けするキチガイ信者がいたのかよ? >>748
さん付けしただけで信者扱いするお前の方がキチガイ。 >>748
ただ昭和時代は圧倒的に馬場くんって呼ばれていて馬場さんというのは少数派だったね。あの当時はジャイアント馬場くんを○○させる的なイベントがあったし。 >>746
よりによって低調に終わった東京大会をほぼ全試合やったんだったな
タイガーがマスク脱いだときに初めて盛り上がった ディストラクションクルーって
蝶野をロープに引っ掛けて、馬跳びヒップドロップやって割りとキツい技だなー
って思いながら当時テレビで見てたけど
解説の小鉄が
「僕らはこの技を相手を裏と表、両方にやった」って話しててヤマハって酷いなと思った。 >>752
腰痛で欠場中の藤波がゲスト解説で、この攻撃は見てるだけで脂汗が出てくるみたいなことを言ってたねぇ >>752
あれ食らった直後から蝶野が不機嫌になって相手の二人を蹴りまくってたけど
あの頃からヤクザキックとかケンカキックとか呼ばれるようになった気がする >>754
日米レスリングサミットの後の橋本インタビューで、橋本が「あれはヤクザキックだ」と発言したのが最初だと思う。 >>754
ヤクザキックの起源は日米レスリングサミット後の週プロでの橋本のインタビューだよ。
立ち上がりぎわに蹴ってきたんで、「ヤクザキックだよ。あんなのは相手を怒らせるだけなのにな。」
というようなことを言っていた。 90年頃から本格的にプロレス熱復活した人は多そう。
冬の時代から一気に熱い真夏に。
猪木や馬場が一線を退いても凄い盛況だった。
特に新日と全日は盛り返した。
その相乗効果で大仁田まで向上という最悪な現象もあったが。
全日は全日で天龍等大量離脱で団体崩壊の危機に直面するも三沢のお蔭で窮地を脱する。
窮地を脱するどころかそれまで以上の大盛況。
嗚呼 あの頃に戻りたいわ。 >>746
シン組とブッチャー組のタッグだけ放送されず。
隠し撮り貰って何度も見たが盛り上がってた。
遅すぎたとはいえシンとブッチャーの対決だからね。
放送するべきだと思ったが。 >>759
90年4月のNKホール行っておいて良かったと未だに思うときがあるな〜
セミの試合後のベイダー、ビガロが観客席で大歓声を浴びてたのとメインの武藤のリングインの時の会場の期待感は忘れられない! >>763
キチガイを信仰する奴なんかいるかよ、キチガイw >>759
ちょうどこの年の頭に高校受験で
89年度はほとんどプロレスが見られなかったから
1990年のプロレスに関しては今でも結構よく覚えている。 >>760
スカルパめっちゃ弱かったけどいい味出してたな
武道館でもブレイクダンス披露して盛り上げてた >>766
スカルパはジュニアでの活躍に期待された記事があった。
この開幕戦ではシン、ブッチャー、鶴見と大型ラフファイターの中でも
軽量ながら自身の持ち味、身軽さを発揮していた。
まだ若いし、次回の来日ではジュニア枠で本格的にタイトル挑戦も面白そう。
こんな記事があった。
しかし結果的にスカルパが来日したのはこの一回のみ。
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