1990年の新日本、全日本
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
この年から観客動員数が増えてきて冬の時代から脱したと思う 先日ディズニーシーに行くのにリゾートライナーに乗ったら
NKホールがまだ取り壊されず残ってた
新日が買い取って常用会場にすればいいのに 1990年の全日本プロレスは最大のピンチ到来だった年だった。SWSの旗揚げにより大量の選手とスタッフがいなくなり団体の存続も危機に陥っていたから。
しかし皮肉な事に全日本は残った選手の活躍で団体は盛り上がりを見せ、逆にSWSはパッとしないまま2年持たず崩壊したんだから、分からない者だよね。選手削減が功を奏したって感じ。 >>772
とこが?
お前こそ語学力無さすぎなんだよ。
SWSの旗揚げで全日本が崩壊危機に陥ってた事実を知らない輩は黙ってろ。 >>774
キレすぎワロタw
わからないならいいよ別にww 語学力(笑)あるやつが「とこが?」って何だよっていうw
大口叩いてるんだからせめて確認してから書き込めよ たまにむちゃくちゃ文章力のない奴がいるよな。
中卒なのかなあ。 人に読ませるのを前提に書いている以上、
自分だけが理解できる文章では駄目だと思う。
俺自身も極力気を付けているつもりだけども。 いや、、
>>771が書いたことなんか
もう皆、知っているから、
それをさも、自分だけが気づいたように
今さら、ドヤ顔で言われてもなぁ。 細かいことを言えば
「到来」って、「チャンス到来」とか
気運が向いてくることで、
「ピンチ到来」とは使わないと思う。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/157050/meaning/m0u/
ただ「最大のピンチの年だった」の方がスッキリする。
また772に対して指摘するなら
「語学力」より「読解力」ではないか?
別に英語で書いているわけでもないし。
>分からない者
↑は、単なる変換ミスだろうがね。 90年は大量離脱があってか川田の格上げが目立ったな。
アジアタッグレベルから世界タッグに絡めるまで(挑戦そのものは91年だけど)。それこそ三沢以上に押されてた感じ。
7月松戸でのウィリアムス戦なんてフライングボディアタックを叩き落とされたくらい格下扱いなのに、年末の最強タッグでは優勝候補の一角になってたし。 6月の川田と小橋のシングル戦で正直小橋が川田を追い抜く為に
組まれたカードだと思ったわ
元々フットルース好きだったから川田が勝って嬉しかったよ 結果論だけど、全日は鶴田、三沢、川田、小橋が残って本当良かったよね >>783
ファン感謝デーの時かな。
メインが鶴田&カブキ&渕vs三沢&田上&菊地でセミが川田vs小橋。
大量離脱なうという状況下だったから全5試合とちょっと寂しかった。 馬場スリンガー×井上寺西、興味深いカードもこのファン感謝デー? >>786
馬場が大一番にしか出さないジャンピングネックブリーカーを
寺西相手に出したんだったな 小橋建太は異例のスピード出世だったが、
スタハやテリゴら外国人からも評価高かったし、
ジャイバも寵愛してた 川田が週プロでスコットザボディはオレの蹴りで泣いていたと語っていたのを見てたので、後のレイヴェンを素直にカッコいいと思えなかったなぁ… 川田は海外遠征の時にハーリー・レイスやショーン・マイケルズとも対戦経験があるみたいだね >>790
「怒って控え室に殴り込んでくる奴もいるし、泣いて帰る奴もいるし。
最近では誰が泣いて帰ったかなあ。スコッティ・ザ・ボディかw」
というのはインタビューで言っていたな。
あのシリーズはザ・トルーパー(パトリオット)が素顔で来日したりもしたな。 >>792
ちなみに怒って控室に乗り込んできたのは
クラッシャーブラックウェルとフィルヒッカーソン
88年の最強タッグのときだね >>788
寺西相手に馬場が負ければ最高に話題になったのにな。 6対6の時やらなかったシングルマッチ、観たかったな。 馬場が日本人レスラーにフォールを獲られたのが
天龍、三沢、寺西www
コーヒー噴いたwwwwww
ちなみに猪木(新日旗揚げ後)は藤波、長州、マサ、天龍
これで合ってたかな? >>796
エキシビション込みなら、
山田&船木、滝沢 寺西…。
最後の大一番がこの年の3月頃だったか
天龍&川田vs木村&寺西。テレビマッチのセミファイナル。
ゴング直前にラッシャーが天龍に毒霧を噴いた試合といえば
覚えている人は多いのでは。 >>799
この試合、急にラッシーが天龍に絡んで違和感あった >>800
伏線としては前年の最強タッグかな。
馬場がリング下で寝ている間に
一人でずっと龍艦砲にやられ続けていた。 >>804
マイティ、渕らも天龍に硬くなってた。
マイティは秋田でリングアウトかち マイティはフットルースと天龍相手だと本領発揮してたな この年の頭は
天龍&川田&冬木vs鶴田&カブキ&井上
みたいなカードが多かったように記憶している。 カブキ入ってるとガッカリしたわ
あいつ何一つ面白くない
まだ高野とか高木のほうがマシ 新日は前日長州と三銃士らが対戦したと思ったら次はタッグ組んだり曖昧だった 武道館の長州vs橋本の直前の大会でも長州&橋本とかやってた気がする
当時はブロンドアウトローズぐらいしかユニットなかったから色々曖昧だったよな >>808
カブキより、渕、マイティ、寺西の方が、技も組み立てもよかった >>811
渕とマイティは対超世代でも大活躍だったな マイティ井上のvs超世代軍はおおむねこの年までだったな。
91年からは小川が鶴田軍で使われ始めたので。 いつかの後楽園TVマッチのメインが鶴田井上vs三沢川田で、
三沢がタイガードライバーで井上からピン取ってたのを覚えてる。
まだプロレス見始めの頃だったけど、井上のサマーソルトドロップで失笑が起きてたのは忘れられん。
そもそもマイティの決め技って何だったんだろう? 三銃士、四天王の中で
練習量ベストを決めたらどんなランキングなのか?
週プロでは小橋、川田が群を抜いていたみたいなことが書いていたが。 飯塚は海外に行く前のこの頃の方がいい試合してたと思う 武藤も未だにあの体型をキープできてるので、練習してそう >>130
妥当だね。
馳健は間にヒロ、マシンにまでベルト取られて…。
でも取り返して
スタイナー兄弟との試合は
真剣に見ていた。 スターケードでスタイナー兄弟が戴冠したことで、タッグ王座に箔がついたと喜んだファンは多かったろう。 >>816
三銃士はナマクラ、みたいなことはよく馳だか健介だかが言ってたような
でもワーストはぶっちぎりで田上でしょうね >>816
小橋=川田>武藤>>三沢>>>>>>橋本>蝶野=田上
でも力の強さは田上が1番なんだよな
ちなみにプロレスセンスは
川田>武藤>三沢>蝶野>田上=橋本>小橋な
異論は認める >>823
橋本より練習嫌いな蝶野が笑えるし
有り得る。
普通は武藤、三沢なんやろけど、
オブライト、高山、健介あたり
大事な試合を、きっちりやるとこと、
やはり90年のスティーブの垂直落下式バックドロップを一番最初に受けた
試合や高野俊二にジャーマンしたあとに前歯折ってしまう危うさも魅力的やね。 マイティは天龍同盟との戦いで、1シーズンくらいプッシュされた。高木功も。 このシリーズは全日にしては珍しく天龍を巡ってストーリー性があった
テレビ放送でのラストの天龍のセリフ
何も話すことはないのテロップがカッコよかった ド深夜に左遷される間際の
日テレ制作側の悪あがきだなー 天龍包囲網…カブキ、マイティ、木村、寺西、百田あたりを敵にするとうるさいだろうな。 >>830
新春ジャイアントシリーズではまさに、渕、マイティにやられてた 天龍包囲網は燃えたな。
まさしく戦国の信長包囲網と被ってたからなぁ〜。 >>833
前年まではジュニアチャンピオン
まあ、無理があったが >>832
おれは今さら井上かよって思ったけどね。 このシリーズの豊橋がどっかで
谷津、田上対ブッチャー、コロフ
の昭和っぽいカードが組まれてたね >>838
コロフはあの当時で50超え
なんで呼んだんだろ
高木推しの謎シリーズ >>839
馬場「ソ連のプロレスラー、うちにも欲しいな」
馬場「もしもし、馬場です。ソ連の選手をブッキングしてくれないか?」
ブレアース「オーッ、マカセテクダサーーイ」
イワン・コロフ来日。 >>839
天龍が昔世話になったとかでそういった事から呼んだみたい。 >>842
天龍対コロフのシングルで天龍がコロフの喉元に天龍チョップしたときに、こいつ何すんだよみたいな顔して痛がってたなぁ… >>838
田上じゃなくて俊二ね
試合後のブッチャーが引き揚げるときノリノリだった 89年の闘魂シリーズからこの年の新春シリーズまで
ブロンドアウトローズが輝いてた
正直浜口とマシンが加入して何かアレ?って感じはした >>846
ヒロ、保永、後藤の三人で暴れてた頃が
一番自由にやってる感じがして良かったと思った。 >>842
>>844
その前年のドンムラコも天龍が世話になったから呼んだ
こっちは天龍チョップを涼しい顔で耐えて沸かせたけど
半年後の再来日では前半戦天龍が欠場してて手の合う相手が
おらず失速 長州がヒロを気持ちよくブレーンバスター決めてたわな NGKでやったブロンドのトークショー生で見たけど
9割方浜口が喋っててラストにそれまで一言も喋らなかった保永に
MCが話振ったのに浜口が横から割り込んでしまい微妙な空気で終わったな >>848
ドンムラコといえば後年、WARにマスクマンの赤鬼となって参戦したけど
これも天龍が呼んだのか ドムラも89年にちょこちょこ全日本参戦したけど、
扱い悪すぎ >>852
新日のMSGシリーズに来た時よりは良かっただろ。 82年のMSGシリーズには赤鬼・青鬼が揃って参戦してたのか。 >>705
ブロディは馬場すら寝させて自分はほとんど寝てなくね?www >>839
高木はあれほどのしょっぱさで何故プッシュされたのかねw
元力士であれさえすればみんな売り出してもらえるという決まりでもあったのかって程 鶴田の日本武道館 メインのシングルマッチの初勝利って9月の三沢戦?
だとすると天龍や三沢よりも遅いんだな >>859
言われてみれば。勝利ってだけならこの年の3月に。メインってだけならブロディとも天龍ともあるけどね >>860
鶴田の武道館初メインは77年チャンカー決勝の馬場戦。 この年に復帰したばっかの藤波にIWGP獲らせたのは正直無理があったな
それだったら武道館で橋本に獲らせた方がまだ良かった
まあ橋本は結局長期欠場するんだけどね 90年のアジアってかなり激動だな
年始はフットルースが持ってて、
3月にカンナムが奪い返すも、
4月にタイガー(三沢)小橋が奪取(小橋はこれが初タイトル)、
しかし5月に三沢がタイガーのマスクを脱いだ事もありすぐ王座返上、
6月に次期王座決定戦を行って密かに仲野田上が奪取(相手はDBスミスJスミス)したものの、
7月に仲野がSWSへ離脱して再び空位(ついでに冬木も居なくなったからフットルースもアジア戦線から完全消滅)、
9月に再び王座決定戦が行われるが(この時クロファットの怪我によりカンナムも戦線離脱)、最終的に小橋エースが奪取(相手はファンタスティックス)
色々ありすぎた年だなあ
9月の決定戦はカンナムが離脱してなかったらどうなってたのかな
少なくとも決定戦はファンタじゃなくてカンナムとの試合ブックにはたってたんだろうけど
ファンタスティックスって、この時だけじゃなく5年後にカンナムがアジア返上して行われた決定戦でも秋山大森のカマセとして決定戦やらされたんだよな
便利屋として一回もタイトルなしってのはなんかかわいそう
ディートンブラックでさえ一時的とはいえ奪取した事の方が謎だしw
ジュニアも渕にあんな持たせるなら一回トミーロジャースに獲らせても良かったと思うんだがね 密かにピート・ロバーツの世界Jr戴冠を期待してたのは俺だけかな?
地味ながらグラウンドテクニックにたけた職人っぷりが好きだった 大会場ラッシュの新日だったけど、釜石小川体育館大会がテレビ放送されたときは地方感が出ててよかったなぁ
マサ斎藤対ウイリアムスは懐かしの両者リングアウトだった >>864
ロバーツと淵の試合は小学校低学年の俺には難しすぎた >>857
シングルでは馬場に二回寝てるし、
ブロディ存命時はまだ両リンが通用した時代だから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています