1990年の新日本、全日本
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この年から観客動員数が増えてきて冬の時代から脱したと思う >>131
なるほど、ウォリアーズの試合を放送できなかったということか。
それにしても関西は放送自体なかったはずだわ。
北尾は…ベルコビッチ?黒のショートタイツとシューズで出てきた時だっけ。
そうそう、武藤と蝶野、赤で揃えてきてたね この年に畑、笹崎、大矢が引退した。
キャラの薄かった3人が残っていたら、どんな存在になってたんだろう…
畑はジュニア、大矢はヒール、笹崎だけは思い浮かばない… >>133
大矢は1年前に引退。
このとき引退したのは片山。 大矢も片山も家族を養っていけないから引退したっていうけど、その当時の新日って
そんなに安かったのかな。 >>135
金沢の本によると88年から月給制から1試合ナンボに変わったそうな。 >>119
>>130
自分も武藤蝶野政権は長く続けてほしいと思ってた。馳健も悪くはなかったけどね・・・。
だからスターケードでスタイナーズが奪取した時は「やっとIWGPタッグに箔がついた」と嬉しかったよ。
のちにベイダービガロ組が戴冠したときにやっと「これで世界タッグに並んだかな」と思えたな。
時は流れ、NWO時代に武藤蝶野組が復活したけど、両者とも大物になり過ぎて釣り合う相手がいなくなってたのはある意味不幸だった。 >>138
馳健時代はマシン、ヒロ斉藤とか越中、飯塚とか中堅クラスの挑戦者チームが多かったよねぇ 10月にIWGPタッグ選手権が予定されていたが、蝶野のケガで流れたって本当? >>140
あった気がする
後楽園ホールでノンタイトルになって越中に代わったんじゃないかな >>141
長州、橋本、リッキーのタッグ結成があった後楽園だったかな 武藤があの熱狂の凱旋から半年そこそこで馳に2回もフォール負け
メガネスーパーに行った方が良かったかもね もしSWS分裂がなかったら、谷津や冬木はどういう扱いにされてたんだろうな
谷津は一応鶴田のパートナーとしてずっと微妙ポジのままだったのかもしれんが、鶴田が病欠した後どういうポジになったか想像つかん
冬木は川田と違って四天王のような格上げされるとは到底思えないし、フットルースを解消しなかったか別のパートナーと組み直したかはわからんが、まあそのまま当分アジアタッグ辺りをずっと争ってたんかな 90年は日本マット界は冬から一気に春を越えて真夏になった感じがした。
Sができたことにより、新日と全日が協力体制という相乗効果。
ファンからしたらあの新日と全日の協力体制は夢が広がったし。
新日は猪木がセミリになったにも関わらず再び熱くなり。
当時は猪木的にはそれが面白くない部分でもあったらしいが。
自分が一線を退いたらたまたま新日が熱くなって。
猪木が退いたのが原因で新日が熱くなったわけではないが。 1990年は社会人になった年だから、自分の稼いだお金で心置きなくプロレス観戦しまくってたなぁ。
仕事終わりに暇だからって、ふらっと行ったり。
プロレス界が一気に盛り上がったものあって1番印象深い年だ。 90年2月は確かUWFの大阪、新日ドーム、タイソンが続いたんだよな。
ドームは水曜スペシャルだったかで放送されて、最初のハンセンの入場でサンライズが流れた瞬間は鳥肌が立ったなぁ。 あのドーム大会が日本マット界を再び熱くさせるきっかけとなった。
新日にはよくカードを聞く電話をしていた。
ドーム大会のカードをなにげなく聞いたら全日勢の名前が出てビックリ。
聞き返したもんね。
ハンセンの新日登場でかつての『ウエスタンラリアット』で入場か気になった。
でも後に雑誌に当日はハンセンは『サンライズ』で入場と。
あのドーム大会は俺の中での夢のオールスター戦だし。
79年オールスター戦はリアルで見てないから尚更。
あのドームの後半はメイン級のカードばかり。
藤波の欠場だけは本当に痛かった。
藤波がいたら鶴田との対決も実現して。間違いなく木戸が藤波になったはず。 >>144
天龍離脱直後のシリーズでは冬木は鶴田軍に組み込まれ、連日三沢や田上と試合組まれてた。
田上からフォール奪ったりそれほど酷い扱いではなかった。
もしそのまま残留してたら、おそらく一時の石川クラスの存在だったのでは?
まぁ前とあまり変わらないけど。 プロレス界的には冬の時代だったけど、1987〜1990は大学生だった事もあって
好きな時にプロレス見に行けて楽しい時代だった。
基本的には新日ファンだったけど、その頃一番好きなレスラーは天龍で第2次Uも
好きだったし、FMWの胡散臭さも気になってた(笑)
それから、どなたかが書き込んでたけど、90年のハンセンのシングル戦はどれも
素晴らしかったね。できれば新日で日本人選手とのシングルも見たかったけど
なかなか難しかったのかな。 90年は色んな交流や外人のトレードがあった。
ウイリアムスの全日移籍(に伴い新日←→全日のハシゴ参戦)
ビガロの全日初参戦
全日勢のドーム参戦
ウォリアーズの新日初参戦
ハンセンの新日参戦
シンの新日復帰
あのまんま交流が続いたらベイダーやノートンの全日初参戦もあったと思う。
ゴディの新日初参戦も。
あの時期にハンセンとベイダーが組んでたら凄かったな。
話題性、インパクト、迫力と。
鶴田とベイダーの対決も実現したかも。
猪木が現場に復帰したから交流は打ち切り?だっけ?
せめて91年いっぱいまで続けて欲しかった。
欲を言えばもっと続けて欲しかったけどね。 >>152
7年後の97年にようやく実現した。
でも90年に見たかった。
90年にはハンセンとベイダーが合体という流れにはなった。
新日でハンセンと長州が仲間割れして。
でも新日と全日の協力路線そのものが90年いっぱいで消滅。
それ以降は2000年まで交流なしに。
だが2000年の全日はそれまでの全日ではなかったし。
90年から2000年の10年は交流なかったのは勿体なかった。
その間に新日はWARやUインターとの交流はあったが。 >>151
リッキー・スティムボートの新日参戦も。 1月大阪
マサ、橋本vsベイダー、コキーナ
長州、ジョージvsマシン、後藤
佐野vsライガー
5月大阪
長州vs橋本
武藤、蝶野vs越中、馳
ベイダーvs北尾
9月大阪
ムタvsサムライシロー
蝶野vsベイダー
長州vs栗栖
やっぱり5月のカードが豪華すぎだな 北尾という大ヒールが相手とはいえ、ベイダーが会場のファンから大声援を受けるなんて88年とか89年にはちょっと想像出来なかったなぁ。 >>156
ベイダーはドームのハンセン戦で人気が不動のものとなった
って後々の記事にあった。
そういう状況での北尾戦だから声援にも拍車が掛かり。
ハンセン戦以降のベイダーには『新日イズム』を感じる様になった、とも書いてあったね。
目を負傷しながらも戦い抜いたのが最大級に評価された原因だろう。 ウイリアムスは89ワールドカップでようやく認められた。
特に橋本戦。
しかしこれからって時に全日へ。
90年は新日と全日のハシゴ参戦だったが、新日はウイリアムス売り出す気がなし。
ウイリアムスの扱いでそう感じた。
ウイリアムスも全日に比重を置いていたし。
まああの頃にベイダーとの対決を見たかった。
ウイリアムスとビガロは新日や全日で何度も対戦したが。 ウィリアムスは90年〜92年位にノートンやホームとも見たかった
ノートン戦は後で実現したが二人とも衰えてて見ててキツかった
ホームも完全なプロレスラーになった後でなくボクサーホームとの異種格闘技戦が見なかった 新日でデカく見えたウイリアムスが全日ではそう感じなかったなぁ。
全日デビュー戦が鶴田や俊二やゴディに囲まれていたにしても。 前橋大会ソウルテイカーに期待したのに見事な咬ませ犬っぷりだった >>161
ソウルテイカー、初来日当初は蝶野にピンフォール勝ちしてたんだけどねぇ
気がつけばショボい扱いになってた… >>160
ウイリアムスの全日初戦は、その小ささにびっくりして試合が入ってこなかったなぁ ファイヤーライガーとサンダーライガーに成り立ての頃は、素晴らしい動きだった。 新日では巨大に見えたベイダーも、全日参戦したときはちんまりに見えたな
アンコ型の体格だったからコミカルですらあった
逆に蝶野と対峙したときの渕が異様に大きく見えた >>165
TNTが新日に上がった時も「この人こんなにデカかったっけ?」と思ったなぁ。 シンが新日Uターンした時もやたら大きく見えた。
小柄な栗栖と組んでたから尚更。 前田や高野兄弟が新日に残って順調に育ってたらなあ。 ベイダー人気はドームもそうだけど、その後の4月のNKホールで北尾をピンしたことで大爆発した印象。
試合後、ベイダーが戸惑うほどの大喝采でブロディみたいに客席なだれ込んでファンと喜びをわかち合ってた。 >>170
「憎たらしい北尾をボコボコにしてくれた」
みたいな感じはあったと思う。
ベイダーが北尾をピンフォール→ベイダーとビガロが交互にボディプレス
このシーンを見て溜飲を下げたクチだったなぁ。 ドームで完全に認められて北尾との対決が更にそれに拍車を掛けたね。
あん時に初のベイダーコールが起こったはず。
4月のNKの方。
ちなみに3月の後楽園でマイクカーシュナーが北尾と対戦した時にも大声援を受けた。
マイクカーシュナーは勝手や事情がわかっておらず?本気で勘違いしたらしい。
自分が日本で大人気になったと。 >>160 >>163 >>165-167
だからこそ、全日の小さい三沢や川田との試合が
盛り上がったんだろうがw >>170
その大会後の週プロのインタビューで北尾は長州さんが助けてくれなかったって
ほざいてたよね
後に対立するのはこの時からすれば当然のことだったんだろう 北尾って今の時代だったら新日のみならず全日や、大日、DDTとか色々な団体掛け持ち
してたのかな。 少しそれるけど、新日本1991年の1月〜3月のTVマッチはCSでもあまり放送されないけど理由があるのかな。
2月札幌中島体育センターぐらいしか放送されていない気が。
1.5後楽園
1.17横浜
2.10駒ヶ根
2.14千葉
3.1諏訪湖
3.6広島
3.9長崎
3.14名古屋 あのときの北尾の不人気も、やり方次第じゃビジネスチャンスだったよなあw
今のレスラーが、いっぱいいっぱいで悪役を演じてる姿を見るとホントそう思う かなり後になってウイリアムスが雑誌でサイズの事を語ってた。
実際に相手と戦ってる時は自分のサイズ(全日では意外に小さいという事)はわからず。
しかし映像で見たら自分の小ささに驚いた、と。
『オールジャパンはテリー(ゴディ)、スタン、ジャンボと確かに大きいのが多かった』
『そう考えたら自分のサイズは彼等より劣るのも納得』
『ニュージャパンは大きな選手はレオン(ベイダー)、ビガロくらいだった』
こんな事を語っていたのを覚えてる。
ゴングか週プロかで。 ヘビー級ギリギリの選手がスーパーヘビーの相手と戦うのが新日の醍醐味だったからな そんな事はいいからまずはスマホに替えろよ
としか言えない 天龍同盟が解散したあたりから小橋が川田より序列が上になるんじゃないかと思ったが
6月のシングル戦で川田が勝って本当に嬉しかった >>184
タイガー、小橋組でアジアを取ってたから、
その流れで三沢、小橋組でいくのかなとは思った。 新日は橋本、蝶野、武藤の序列は状況によってコロコロ異なった。
全日は三沢が一番上で川田、小橋、田上の状況は毎回状況によって変わった。
ただいつ頃からか田上より小橋の方が上になり。 ヒロ斎藤と栗栖正伸のデスマッチ、
結末が何ともお粗末だった・・・ 最後の鶴龍対決の横浜文体
ハンセンの乱入に鶴田はチャンピオンベルトをブン回して威嚇してたw
あれは素晴らしかった!
十数年後、高山がNWFベルトをブン回した時に「ジャンボスタイル」だと思った。 >>188
あの威嚇はジャンボらしくて豪快でよかったよな 天龍が抜けてショックは受けたんだけど
少ししたら「まぁ、鶴田がいるからなんとかなるだろ」
って根拠のない安心感みたいなのが自分の中であったんだよな。
鶴田が強烈なリーダーシップを張るけでも
人気や集客力が抜群な訳でもないし、
大の鶴田ファンって訳でもないのに、あの感覚はなんだったんだろうなぁ。 自分もそう思ってた
長年見続けて鶴田は断トツのエースというのが擦り込まれてたのかな〜 >>190
天龍より鶴田が抜ける方が痛いよな
壁役としては鶴田ほどうってつけの奴はいない 実際2年後に鶴田が肝炎でセミリタイアしてから全日はジワジワと落ちていったからな。 >>186
そりゃ、三銃士は同期入門で
実力も拮抗しているからな。
(そのようにアングルを組まれた。
夏のG1では蝶野無敵とか、、)
かたや四天王は、入門順では三沢が
一番先輩。年齢と入門前の実績では
田上が勝るけれど、、、(^^: >>196
越中がヒロにピンとられたのもビックリした
この頃から長州は越中を干し始めた感じがする >>196
入場テーマの「はげ山の一夜」が妙にハマってる。 >>196
その前年の1989年の秋〜90年の
春に掛けてFMWで栗栖が大ブレイク。
それで新日に電撃カムバックというのが
話題になった。
と言っても、確かにFMWを見ていないファンも
いただろうし
5人タッグがメインというのはなぁ。
俺も見に行ったけれど(苦笑) この年は全日も1月のシリーズで後楽園7回使ってたね
何気に天龍対イワンコロフとかやってたなぁ
後は小橋の7番勝負だね あの時コロフがWWWF王者でいてくれたら世界の天龍になれたのに、
初防衛戦で1ヶ月足らずで転落してるもんな。 当時、しゃらくせえ事ばかり言いやがって〜と思って大嫌いだった辻よしなりだが、
最近プロレスリングマスターズで久々に見たら懐かしさもあって許せるように思えた。
俺も年を取ったのかなーw
相変わらず言う事はしゃらくさかったがw ハンセン戦と北尾戦でファンから認められたベイダー
武藤凱旋で揃った三銃士
藤波の復帰
馳健の台頭
ホーム、ノートンの初来日
と、この年に後の黄金時代の兆しは見えてるよね(ベイダーは後に引き抜かれたけど) 新日 NK大会
4月 M斎藤、橋本vs武藤、蝶野
長州、北尾vsベイダー、ビガロ
越中vsマシン
5月 長州vs武藤
M斎藤、橋本、北尾vsベイダー、ビガロ、ウイリアムス
蝶野vs佐々木
10月 長州、橋本vs武藤、蝶野
M斎藤、佐々木vsベイダー、ビガロ
越中vs青柳
あきらかに10月のカードは落ちてる
意外にも5月は2階席に空席が結構あったな 5月ぐらいまでの勢いが凄かったから
下半期はちょっと落ち着いた感じはある。
馬場と猪木のデビュー記念イベントとか、
SWSの旗揚げとか話題は尽きなかったけども。 >>206
この頃のワープロって秋はゴルフが殆どで10月のカード放送なかったんだよな
武藤が長州から初めてギブアップ取ったから見たかった >>208
以前新日がノーTV用に製作してた闘魂Vスペシャルが
この年からあったら間違いなく収録してたでしょうね
解説が武藤あたりで >>208
結果覚えてないなぁ
ギブアップって、当時はまだ4の字使ってなかったと思うけど決まり手はなんだったの? >>211
さそりを返しての変形の四の字だったと思う
そうとう昔なんで間違ってたらすまぬ
後、四の字はフィニッシャーではなかったけど使ってはいた >>206の10月 長州、橋本vs武藤、蝶野なら
武藤 回転エビ固め 長州 だが >>212
変形4の字は94年のG1だね。
でも、タッグとはいえこの頃に武藤が長州から取ってたとはねぇ。 そして前後の後楽園と武道館で馳が武藤に2回フォール勝ち 闘強導夢、超実力派宣言、夢勝ちます、クラッシュザスーパーヘビー、バトルライン九州、キングオブキングスin浜松アリーナ、闘魂ツアー(闘魂シリーズではない)、、
字面見るだけでウキウキした。ピュアだったな。 新日 両国国技館
6月 長州、越中、星野、小林、佐々木vsA浜口、マシン、後藤、H斎藤、栗栖
武藤、蝶野vsM斎藤、橋本
ビガロvsウイリアムス
8月 ベイダーvs長州
武藤、蝶野vsブルーム、イーノス
ライガーvsペガサス
12月 藤波、木村vs長州、木戸
馳、佐々木vs越中、飯塚
武藤、蝶野vsビガロ、Bブラウン
大阪、NKに比べるとこの年の両国は若干カードが落ちてる感じだな >>217
12月の両国は前月の武道館とその後の浜松の煽りを受けてこの年のビッグマッチで一番微妙なカードだったな >>217
デストラクション・クルーなつい!!
ツープラトンの馬跳びヒップドロップで蝶野が悶絶してたな
期待してたけど結局中堅外人のままで終わった NKホールは、オシャレな新会場として
4月、5月、10月と行ったが、
交通の便は悪い。会場内で飲食ダメ!
会場の外に店がない。
と条件としては良くなかった。
と同時に、カードも低下したしね。
なんだかんだで北尾には興味があったが
10月には、いなくなったし。 >>218
メインは健吾が木戸に翻弄されてヤジが凄かったし藤波もまだ試合勘が戻ってない感じでまったりな試合だったな
>>219
ブルームがSTFをロープエスケープしたときは結構盛り上がった
合体フェースクラッシャーはなかなかの威力があったと思う
>>220
NKは1階席より2階席前列の方が一番リングが近くに感じる特殊な会場だったね
閉館されてからかなりたつけどあの建物どうなるんだろう この年にブロンドアウトローズ対剛軍団の10人タッグなかったっけ?確か両国で見た記憶が。
組み合わせと結果覚えてない >>219
WWFにいってべバリーブラザーズでまあまあ売れたな >>223
あったあった。俺も見た。結果は俺も忘れた。
板倉も出てたよね。スパルタカスとしてだっけ?それも忘れたなあ。
退屈してきた客がオリャよろしく剛の攻撃に「剛!」と遊びだして(ショアがまだない頃)、やっと面白くなりかけた段階で試合が終わったので残念だったのだけ覚えてる。 「プロレスラーの蝶野正洋です。俺は基礎体力をつけようとしている人にこのパワートレーナーを勧めています」 >>226
お待ちし〜ています〜♪
テレテレテン♪ >>223
一本目だか速攻で高杉がマシーンからボディプレスで取った試合かな 鶴田、カブキ組が世界タッグ取ったときは不思議なチームがチャンピオンになったなぁと感じた
武生市体育館だった >>230
カブキはないなあと思った
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