【横内】国際プロレスpart14【清美川】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>817
国際崩壊時の原はパワーでは木村、浜口に劣り、テクニックでは井上、寺西に劣っていた。
原をエースにという気持ちは分かるが、藤波、剛に劣勢という実力からもエースはちょっと厳しかった。 >>812
木村対ジョニー・パワーズもなかなか屈辱的だった。
新日で用済みになってたパワーズにかなり痛めつけられて、
両者リングアウト寸前に辛うじてリングに飛び込んで勝っ
たけど、印象はものすごく悪かった。 >>812
日本人選手じゃないけど、オックス・ベーカーが猪木に
秒殺に近い扱いを受けたのも、何か屈辱的だった。 逆に高評価だったのが、井上vsアンドレ。
アンドレが親友井上の技を受ける受ける。
回転エビ、カナディアンバックブリーカーをリバーススープレックス、サマーソルトドロップ・・・
井上もアンドレのパンチでぶっ飛び、ブレーンバスター喰らい、カウント2で場外までぶっ飛ぶ。 >>815
木村がキラーカーンにあっさりフォール負けした時は驚いたな。
まだ、猪木とのシングルでも十分メインで成立してる時だったのに 81年からの親日での国際軍団の扱いについて、同年末タッグリーグや翌82年第5回MSGでまるで
親日とのリーグ星取りにうまく絡ませる事もなく、国際勢はただただ消化試合に甘んじる結果となった。
当時、営業戦略としてはまずアンドレとカーンの因縁に焦点を当て、対抗として猪木&藤波という色合いだった。
思うに、ここは一旦国際勢とのアングルは小休止を選択しても当代、親日の安定した人気は揺るぐことはない、
82年秋以降のヘアベンドマッチ等の抗争で再活動させればいいという目途が立ってたのかも。
まあ確かにあのころの親日は何をどうやっても話題になったんだからすごいね。 >>815
星野は偶にメインやテレビマッチの試合に出ていたり常に試合が組まれていたけど
小鉄はカードから外れる事もしばしばあったから、草津・井上・浜口が小鉄に翻弄されているのは見ていてきつかったな。 >>822
その試合ってTVマッチではないよね?
82年だかのMSGシリーズ中のワープロで、古舘が
カーンが木村、戸口から勝利したと他の試合中に
話してたのは覚えてるけど。
戸口が新日に来てカーンとのシングルがごつい試合だったから
その後、戸口が負けたのかよと思ったので覚えてる >>818
実力ワロタ
お前今時プロレスをガチかなんかと思ってるのかよ >>826
日本語読めるかな、お馬鹿さんwww
誰もガチなんて書いてよwww >>825
テレビはなくて、東スポで結果見て驚いた。第二回IWGPの公式戦かな?カーンのコーナポストからのニードロップであっさりフォール負けだったと思う。場所は豊橋だったか?ぐぐっても一切情報無いので、間違ってたらすいません。 >>823
髪切り拒否逃亡で一気に国際軍団のヒール人気に火が付いたんだよな
特に煽り役としての浜口が良かった >>827
実力w
馬鹿だろお前www
>>829
唐突に現れて意味不明
頭大丈夫? >>831
IDコロコロセンパイは今日も職場でぱしらされたんですか?
職場があればの話だけど www まぁまぁ仲良くしろよ
ちょっとした言葉の行き違いじゃないか
せっかく関係者から聞いてきた話を披露してくれる人がいても、自分のプロレス観に合わないとムキなるようなオタクとは違うんだろ? >>833
やっぱり意味不明
頭が悪いってのは大変ですね(笑) ついでにワッチョイ出てるスレでID必死に気にしてるとか情弱過ぎて笑える >>833-836
せめて今日ぐらいは煽らないでいてくれよラッシャー木村の命日なんだから >>837
もう七回忌終わってんだな、早いなぁ…合掌 プロレスは真剣勝負で最強の格闘技
ラッシャー木村が日本最強プロレスラーだった時期もあったと思うよ >>840
それ見た。新日10周年記念のS57.3.6大田区体育館
倒れた木村にカーンがロープに飛んでのWニードロップでフォール勝ち。
MSGシリーズ予選 長州(両者リングアウト)谷津
セミがタイガーマスク(流血でのレフェリーストップ)グラン浜田
メインが大塚リングアナで猪木、藤波、木戸の創成期トリオvsアトラスと誰か2人だった。 鶴田が三沢のフェイスロックでギブアップしたのとプロレス的な意味合いが同じじゃないのか?
まさかモンゴリアンチョップでピン許すブックは誰も呑まないだろう
木村の優しさで受けちゃったんじゃねーの
全日で寺西と組んでカーン組と当たった時に意趣返しみたいな意味わかんない熱さがあった気がするし >>842
全日で木村と寺西が組んだなんてあるの?
カーンと寺西は両方ジャパンなのでは? 新日本だったみたいだな
失礼
つべの動画が削除されてて確認出来なかったが79年辺りだったみたい
要はキラーカーンはギミックだけのストロングスタイルの欠片も無いデカイだけの木偶の坊って話し
アンドレの脚破壊ったってそれ自体がアレなんだから
マッチメークもブックも周りで苦労しまくりだったろう
日本じゃ受けないスタイルだろうもん >>844
その時の山本小鉄の解説も無茶苦茶でラッシャーがダブルアームスープレックスを
出した時、「木村はスープレックスの練習なんかしてないけど、闘争心から出た」
みたいなことを言っていた。それを聞いて、やっぱり山本小鉄はバカ、バカの見本
だなって思った。 冬木は外様だったからな。
全日に入ってもデビューしたての三沢よりも格下。
フットルースでも川田、冬木組だった。
逆にそのことが国際血盟軍に入れられなくて整理解雇
されなかった。 >>846
ダブルアームスープレックスはラッシャーの得意技のひとつで、国際時代にフィニッシュ・
ホールドのひとつにしていた。解説者のくせにそんなことも知らないのかと思った。 選手がダブついた時に菅原高杉はリストラされたが
冬木は残れたし馬場自らサムソンと命名したり
馬場夫妻が仲人をしたりと外様としては気に入られていた方だったんじゃね>冬木 国際時代はもちろん、全日時代もあんまり冬木に関して注目した事が無くて
理不尽大王になってから新日に上がったりした時によく見たけど、あの体型で結構器用なんだよね
フライングボディアタックなんかマスカラス並みに綺麗だったし >>848
使ってはいたが、得意技ならもっと綺麗に投げろよ・・・みたいな感はあった。
ブリッジも効いてなく、持ち上げて落とすだけだった。 >>812
その時期のパワーズにしちゃ相当に張り切った試合だったのだが
当時の雑誌記事(読者の投書含め)はパワーズ健在・まだやれるみたいな物はなくひたすら
「パワーズ程度に苦戦する不甲斐ない木村」の論調一色だった
そしてその年末MSGタッグリーグでパワーズ・ベーカー組は成績不振を理由に途中帰国させられる…
>>822-823
木村は「狙いは猪木の首一つ」で猪木相手に異常な執念を燃やす設定だったから
外国人トップどころとかとの力関係はけっこう緩いというかそんな強キャラ扱いでもなかった >>855
この年のパワーズ、国際ではかなりウエートオーバー気味で年末は病的に痩せていた。 木村はスーパースターに普通にフォール負けしてたよな だがラッシャー木村は、何故かハルクホーガンにはフォール負けしてないはず。
83年はリングアウト負け。84年には反則負け。
内容的にも結構押し込んでた。
まあホーガンが善玉扱いだったこともあるけど フットルースは最初は冬木、川田組だっただろ。
原がいなくなって最強タッグで川田が抜擢されてからだろ変わったのは。 >>850
冬木のファイトは若手の頃から内容は全然変わってないよ。
フギャーと叫びながらロープワークしてたし、不細工なスピンキックやマスカラスばりの振り向きざまのフライングボディアタックとかも
一応使ってた。
会場は毎回「なんだありゃ」という反応だったけど。 パワーズは傲慢経営ながら東部地区のプロモートでは一時、栄華を誇ったわけだが、
さすがに信頼面での支持は得られず、NWFもIWAも崩壊した70年代後半以降はまったくの
孤立無援つうかある種「世捨て人」のような風情もあったな。。。
79年親日に2回来日したが、新春は坂口に北米を奪われ丸腰、気鋭のボブループに完全にエースポジションを出し抜かれた。
秋の闘魂ではいきなりマーシャルアーツ風のキックのポーズでこっちは正直「ポカ〜ン。。」w
そんなこんなの中で翌80年の国際参戦。新春パイオニアのクラップに続いての旧親日エースの登場は
少なからず彼の「お払い箱」的な憂慮も禁じ得なかったわけで。。。。 >>855
>その時期のパワーズにしちゃ相当に張り切った試合だったのだが
>当時の雑誌記事(読者の投書含め)はパワーズ健在・まだやれるみたいな物はなくひたすら
>「パワーズ程度に苦戦する不甲斐ない木村」の論調一色だった
うそつき
月刊プロレスは「死神復活を思わせる大暴れ!」と書いてる やっぱりウソだったか
まあ病気だろうから一生直らない
許すよ >>858
新日本ラストマッチの相手もホーガンだったな 死神復活は、大げさだが試合は、パワーズがほぼ一方的に攻め立てた印象 大流血の木村に8の地固めが決まり見せ場はあった 最後って確か場外でパイルドライバーを木村が決め、しょぼいリングアウト勝ち防衛だったんじゃなかったかな >>862
月刊プロレスはパワーズ復活かみたいたなことも書いてた
別冊ゴングはそもそも木村が一方的にやられていたという書き方をしていない
このスレには前から見てきたように嘘を書く奴が常駐している
木村とグラハムのIWA戦の会場が閑散としていたとか
DVDが出ていて、溢れかえるほど客が入っているのにw
>>855と同じ奴か 今日は全日本での高杉セブンとチャボのインタージュニア決定戦日
しかし試合内容よりもその後の井上の挑戦表明の方が印象に残った >>866
なにもプロレス、ゴング以外にも試合経過は書かれているぞ 個人の印象を書いただけ
おまえリアルタイムで見てないだろう 木村対パワーズ、グラハム戦 俺はグラハム戦客数まで覚えてはないな
855さんとは、別人だよ >>866
リアルタイムで試合を見ていた人が書き込んでいるんだぜ。
上から目線で自分の、しかも後付けの知識を書き込んで、恥ずかしくないか?
昔、テーマ曲スレでリアルタイムさんが何曲も当時のテーマ曲を書き込んでた。
いくつかは記憶違いもあったが、その後出た「忘れじの国際プロレス」で
検証され正解だったと認定されたこともあった。
後付けの知識では、このスレの国際ファンは納得しないんだよ。 >>869
ありがとうです ここは、古いファンでも国際のスレに参加できる貴重な場所ですよね
改めて自分が国際を好きだったと感じる >>868 >>869
リアルタイムでテレビ観戦してるよ
といっても木村対パワーズは3月31日の生放送には全然入らず、後日放送されたが
本放送の冒頭で一瞬、控え室でニックとパワーズが談笑しているシーンが映ったな
この部分はDVDに収録されてない
月刊プロレス・別冊ゴング1980年5月号は当時購入した
もう持ってないがこの試合はグラビアではPがモノクロ3ページ、Gはカラー2ページで掲載
Gは中面の記事で浜口・井上や原が押されていたとは書いてたが
木村がパワーズに一方的にやられていたようには書いてなかった
前年の木村対グラハムはIWAタッグとのWタイトル戦で視聴率も二桁超えで盛り上がった
すべてリアルタイムの感想だよ 清野のラジオに高杉キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 赤コーナー、IWA認定、世界ソルト級チャンピオンンン
225パウン、シオースギー正彦ぉぉぉ >>871
正確なリアルタイム情報を、出来るだけソースの裏付けを伴った書き込みで
お願い致します。このスレは、伝説・神話となった「国際プロレス」とは何だったのかを、
21世紀の今日知りたい人たちのスレなのですから。
>>871さんに期待します。 >>876 と、いい年こいた馬鹿なプオタが偉そうに言ってます
古いゴングに埋もれてセンズリしてる奴がな >>876
あんたは>>868と同一人物なのか?
いきなり人をおまえ呼ばわりしておいて
今度は「>>871さんに期待します。」かよw でもあの世界4大タイトルマッチのパワーズは強かったと思うな。
木村は大流血し(今見たら血糊っぽいけど)、パワーズロックで何度も悶絶。
最後は場外のパイルドライバーで辛うじてリングに滑り込んだ(ように当時見えた)。
「こりゃパワーズ復活か」と思いきや、翌月の新日MSGシリーズでは
サンタナと小林に負けてあっさり予選落ちで途中帰国。
いくら反則とリングアウト負けとはいえ、国際をバカにしてると思った。 >>881
パワーズが国際で強く見せて新日で弱く見せるなんて、それこそブッキングした
新日の作戦だろ?国際に1シリーズだけ登場したマサが全然技を受けなかったり、
パワーズと同じ日に出戻り参戦した剛が、阿修羅に恥かかせた試合と一緒。
提携を始めた時から、新日は徹底してそうするって決めていたんじゃないのか? >>881
国際を馬鹿にしてるって言ったら、IWA世界タッグ戦にストロング小林、健吾は許せるが、
小鉄、星野、永源を出して世界王者にしたことだろw >>882
弱く見せる以前にMSGシリーズでパワーズは空気だったからなあw
シードのアンドレ、ローデスが来るまでの場つなぎというか。
せめて予選通過はしてほしかった。チャボが決勝に進出してるだけに。
>>884
小林、永源に取られた時は井上のパートナーが寺西だったのと外人乱入でまだ気を使ってたのがわかる。
ヤマハはどうしようもないけどw 新日のリングでは元エースの小林がパンチパーマ長州に負けてるし
そういう点は徹底していた 子どもの頃に見たラッシャーの、ブッチャーが乱入して馬場にフォール負けとか、
4の字かけられたままリングアウト負けとか、ドクが乱入しての鶴田に反則負けとか、
今考えると全日もいろいろ気を使ったブックだったんだなあ、と思うよね。
新日と提携してからは、ラッシャーが猪木と試合で絡むことはなかった上に、
両団体の中の格付けを無視したようなマッチメイクしかなかったわけだから。 >>887
ただ、そのブックを飲んだのは国際なんだから。 >>888
ブックを飲んでもいいと思うくらい、当時は日テレでの全国中継に乗るのが魅力
だったんでしょう?新日と提携してからは、国際のエースクラスがテレ朝で
全国中継されたのは、阿修羅が藤波に挑戦した試合くらいじゃないのかな? 草津、井上のIWAタッグ王者が極道コンビのアジアタッグとのダブルタイトル戦というのもあったな。
相手がインタータッグ王者じゃなかったのが悲しい。
最もこの試合は蔵前のメインだったが、客入りはどうだったんだろう? >>881
79年マジソン開幕戦では、国際参戦で無敗だった上田馬之助が、スタンハンセンに完敗。
80年マジソン開幕戦では、木村を苦戦させたパワーズが小林にリングアウト負け。
原を圧倒した剛が、長州に完敗。 馬場と木村の試合はブックだの不可解判定とかいう以前に、実力や貫禄でどう見ても
木村が勝てるムードは無かったな。 ただ、全日は対抗戦では確かに気を遣っていたが
新日は国際に外国人レスラーを払い下げたり、貸出したりしているからな。
中にはアンドレみたいなエース格まで。
興行的にはこちらの方が有難かったんじゃないか。
新間の話によると、パワーズの貸出しも吉原氏の希望だったようだし。 全日も新日も国際を味方にするために国際の求める対抗戦(交流戦)に応じていた訳で、あと国際
が潰れられると選手などを引き取るとか色々難しい事を避けたかったと推測。 >>895
国際崩壊後、新日も全日もほとんどの選手を引き取ってるんだけどな。 >>889
国プロの「エース級が負けるのをイメージダウン」と12chのPが抗議すると
「内容では負けてない!12chのネットされていない地区にまで宣伝になった!」と
返す吉原社長。ネット局数の事を言われるのは辛い12chのPはそれが原因で距離が
できてしまった。「対抗戦はやはり勝敗だと思います。他団体と交わらずクィン
ようないい外人も居たから国プロ独自路線でやっていけばやっていけば良かったのでは?」と
TV局の立場から語っていた。オープンタッグの木村&草津vs.師弟コンビ戦で興行権を
もらい大入り満員になったけど当時の国プロ最強コンビが敗退したイメージは大きく
その後の興行に影響が出たらしい。
>>896
国プロ崩壊寸前の全日合併案が破談になり国プロ社員の退職金捻出のために新日の対抗戦に
舵を切るも「最後の行き場所は自分で決めたい!」と選手間で不満が爆発したった三人の
参加の対抗戦なったがその後、馬場の方が国プロレスラーズの多くをリングに上げている 勝敗も大事だろうけど、それ以外の環境みたいなものでサゲられるのがよくないよな。
馬場は木村なんか顔じゃないよ、格が違うよ、みたいなことを言ったり
リングでは薄笑いみたいな表情を見せる。
猪木は猪木で国際ごときが、みたいな感じを出して
こんな試合やるのは腹立たしいみたいに見せる。 新日は木村、浜口、寺西を変な使い方したとは思わない。
初戦も反則とはいえ木村>猪木で、その後もリングアウト、2度の3vs1も国際が勝ってる。
浜口、寺西も「猪木相手に大会場のメインでやりたい放題で最高だった」と言ってる。
浜口は藤波、健吾、前田にピン勝ちしてるし、2度目の3vs1ではフェンスアウトで猪木に勝ってる。
猪木は小林戦、大木戦、国際、ロビンソン戦でもギリギリの勝負を演じるが、
馬場は木村の反則勝ちという「勝ち」という記録すら渡さなかったし、
内容も淡白で余裕ぶっこいた顔して薄笑いみたいな表情を見せる。
記録に残る馬場の試合と記憶に残る猪木の試合といった感じか。 木村は鶴田にフォール勝ちしてるしな。全日としてはそれがギリギリだろう。
さすがに馬場に勝たすのは難しい。ブッチャー四の字固めはそれなりに気を使ったと。 >>900
ブッチャー乱入だと、リングアウト負けは馬場のはず。
木村>鶴田、井上=鶴田はあったが、まだ鶴田はキャリア3,4年のグリーンボーイだったからな。
馬場はドローも許さなかったな・・・ >>899
>新日は木村、浜口、寺西を変な使い方したとは思わない。
逆にあの3人をいかすにはあの使い方しかなかったし。
木村はともかく、浜口と寺西は小さいから2人で乱入しても若手に簡単に鎮圧されてしまう。
3人1組で扱うしかなかった。
ちょうど猪木の調子が糖尿で最悪だったから当たりの強い外人よりもよかったし。 >>899
それって国際が倒産してからの話じゃん、昨日からの話は提携時代の扱いの話だよ? >>902
ところが、浜口は長州とのタッグで新国際軍の以上の活躍をして藤波、前田にピン勝ち。
寺西も佐山タイガーとの2連戦で今までのラフからテクニシャンとして好勝負をやり、
台頭してきた高田の壁になり、5vs5勝ち抜き戦でも繋ぎ役としていい仕事をした。
むしろ、木村は猪木にしか料理できず、他選手だと凡戦になってしまい使いづらかった。 >>901
木村が鶴田に勝ったのはオープンタッグの直前だからバリバリのUN王者の時代。
この時点で大木、キムドクに負けてインタータッグを落としてたとはいえ、若き二冠王と呼ばれてた頃。
1977年でグリーンボーイというイメージはないよ。 >>904
>ところが、浜口は長州とのタッグで
維新軍(革命軍)の話じゃなくて3人を引き取った時の話な。
3人ひとまとめにするしか使い道はなかっただろ。
浜口を木村と引き離したからその後の2人も生きてきた。
1981年時点では長州まだブレークしてなかったから浜口が長州と(オールスター以来)組んでも大して話題にならなかっただろうな。 >>899
>初戦も反則とはいえ木村>猪木で
だって初戦木村が負けたらそこで終わっちゃうじゃんw
初戦反則、11月の再戦ではボコボコにしてタオルと差を見せつけるためなのは散々言われてきたことだし。 初戦反則負けもNWF王座封印したからこそできたんだろうな 結局、国際プロレスは猪木に1対3で屈辱を受けるための歴史だったってことだな
ラッシャー木村も、そのまま全日に遁走して、お笑いマイク親父に転身という情けなさ
全くの根性なし >>909
当時の記録を調べると、82〜83年はリーグ戦があるシリーズ以外はほぼ毎シリーズ猪木対木村戦を大会場でやってるんだな。
しかも後半は前フリなしでいきなりやる感じ。
大半のベルトを返上してドラマが作りにくいとはいえ、如何に新日が木村頼りだったか分かる。 >>910 前振りなしでいきなり、となると木村は翔田千里だったってことかな? >>904
浜口が藤波から取ったのは維新軍時代でなく、90年の藤波腰痛明けのシングルの時では?国際→維新の時にはなかったような。 国際軍団で使用率や観客動員に問題ないもんだからいい外人が来ないと
当時の新日ファンは不満だったらしいよ >>916
あなた後追いじゃなくてリアルタイマーでしょw
って事はかなり高齢
その年で損案でいいのかn レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。