>>742
このスレも既に54だから過去に同じ話題が出たかもしれないけど
三沢がタイガーになった年の秋ぐらいに、週プロに1985年の展望を小説風?にした特集記事を覚えてる
要は、タイガーマスクがもう一人デビューして、タイガー兄弟の1号と2号ができるというもの
おそらくその計画が実現したら、川田が2号だと思われてた、越中ではスタイル的に無理だろうし
ただし当時は子供心にも新日のマシン1号2号が安っぽい演出だと思ってたから、同系列の構想には「やめてほしいな」と思ってたよ
会場では「三沢タイガーの対戦相手なら誰でもコールを受ける」というアンチタイガー雰囲気が占めてた時期だしね、火に油を注ぐだろうと危惧してたなあ。