【ナショナル レスリングアライアンス】昭和の全日本プロレス54【パシフィック レスリングフェデレーション】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>630
ふと思ったのが昭和〜平成初期はジャスコ
やユニー、忠実屋の駐車場での大会が
度々あったけど、今イオンモールやららぽーとの
駐車場で大会やるってことはないのかな。 >>643
90年代に興行数を減らした際にはそういうとこからやめていった。
今はインディでも殆どない。 新日なんかは地方都市 都心部での興行にしてったよな 三沢のデビュー戦なんか浦和競馬場前駐車場だもんな (´・ω・`) >>640
あんときにデストと抱き合ったのは感動したな。
マスカラスにテリーにブッチャーとかつての全日の顔が集結。
『これで馬場も安心して今後のプロレスを見守ってくれるだろう』という記事も。
馬場引退興行でハンセン引退セレモニー。
あのドーム大会は良かったと思う。 >>647
メインにしっかり天龍と川田がいて締めたしな
まあ、健介のマイクは余計だったが…
あとセミで馬場の最後の弟子の太陽ケアが、重鎮の武藤とやったのも大きい
弱小全日の「秘密兵器」的な感じが新日の対抗戦でアピールできてたし
あと淵がライガーを体格と技術で押し切った「実力者ぶり」も地味にアピールというか、浸透してたしな
天龍・川田・淵・ケアとそれぞれがバランス良く適度に世代間が開いてて、残ったメンバーはそれなりに粒が揃ってたと思うよ
個々の役割が分担できたし、それぞれキャラがダブらずに個性的だったからな。 >>646
でも若手のデビュー戦何てそんな物じゃない?
大きな会場でデビューしたのって馬場、猪木くらいだと思う。
後は日本で前座を経験せずにいきなり海外修行と言うエリートコースに乗った選手とか。 そして俊二が蔵前、しかも先輩に勝利
あと鈴木が横浜文体だったか あと、昭和スレなんで気が引けるが許してくれ
その川田が中心になって武藤なんかも派遣されてた2001年
前述のドームは良い感じで年始を飾れたと思うんだが、
その年末の最強タッグの決勝の武道館は、驚くほど悲惨な入りだった
武藤も全戦参加してたし、冬木も天龍と組んでノスタルジアも感じさせたシリーズだった
自分はてっきり超満員だと思って、当日券を入手可能か昼間に事務所に問い合わせたぐらいで…
そしたら元子氏が電話口にでて驚いたのと、「全席あります、宜しくお願いします」と丁重に言われたのが印象深かった
それで年末はそんな状況だったのに、年明けの二月は武藤と小島とカシンとカズの移籍
その二月の武道館は超満員だった、インパクトはあるけど何で実質4倍以上も客が増えたんだろう…
武藤は相変わらずだし、小島とカシンてそんなに全日の風景を変えるほどの存在だったの? >>654
フロントも何人か移籍したから、営業力の差ですかねえ。 鈴木みのるはデビュー前から注目されていて鳴り物入りみたいなところはあった
週プロとかゴングもみのるのことは何かと注目していた感もあったし
新人だと武藤、山田、船木、みのるは特別な感じだったな
全日は新人が少なかったから新日みたいに注目されるケースは少なかったけどジュニア王者の記事で先輩の越中を差し置いて三沢に期待とか言う記事はあった
なんとなく越中より三沢押しのところは最初からあったね >>654
身も蓋もない言い方するとあの頃は招待券もかなりあったんじゃないか?
新日なんかも宝島で書かれていたし
その新日ラインも営業に移ってきたわけだしね
武藤全日はスポンサーで胡散臭いやつらが群がってきていたし、あまり誉められたもんじゃないと思う >>657
本来なら三沢と比較されるのは越中じゃなくて後藤なんだよな。 >>659
そうそう。後藤の方が少し先輩だしね。
それにしても、三沢の扱いは全日の歴史では異例と言えるね。 鶴田やテーズも三沢の逸材は見抜いてたと言うけど
馬場は無関心だったのか? 海外修行もメキシコだし 後年だけど全日だと丸藤は注目されていたほうかも
日テレのなんかの番組で全日時代の三沢と丸藤の師弟関係を取り上げていたこともあったし
丸藤が技のミスをしたときに三沢はそのミスについて責めることはせずに労った場面が番組中に流れていたな
関係ないけどノアは全く見なくなっちゃったけど清宮ってのは昔の三沢っぽい雰囲気はあるな
上手く育てて欲しいけど・・・ >>661
いや、三沢は他の若手よりファイトマネーも良かったって話
そのエピソードだけでも馬場も目をかけていたってことだろう >>661
お話し相手に越中つけてリスマルクに世話を頼んでたんだからチョンマゲ結いの桜田を付けてアマリロに送った天龍並みの待遇だろ カブキ そうそう、馬場さんはね、三沢が若い時に彼を養子にしようと考えてたことがあったんだよ。
──そうなんですか!
カブキ 富山かどこかだったかな? 大会前に、馬場さんが「高千穂(明久・以前のリングネーム)、
俺はなあ、三沢を養子にしようと思ってるんだよ」って。「いいんじゃないですか? 真面目だし」って
答えたら「そうか? でもアイツはどう思うかなあ」と。「いやあ、馬場さんなら二つ返事じゃないですか?」
「そうか、じゃあ話してみるか」というやりとりがあって控室に行ったら三沢がいたから、
「おい三沢、馬場さんがお前のこと養子にしたいって言ってたぞ!」って言ったんだよ。そしたら三沢は
「えっ! 僕ですか? ……でも僕、やっぱりイヤです」と。「バカヤロウ、馬場さんに言われたらしょうが
ないだろう!」って言ったんだけど、また考えて「……それなら僕、プロレスやめます」って。
馬場さんのことはよかったらしいんだけどねえ……。まあそれぐらい、馬場さんからも好かれてたよ。 子どもがいないからって他人の子供を取るなよ。
三沢がどう思うかの問題じゃねーだろ。 >>661
だから馬場は三沢のこと特別扱いしてたってば。
修行も、三沢の当時のサイズを考えると、アメリカは厳しいだろ。 >>669
あれ不思議と若手のそれもほんの駆け出しの頃から
プロ入り前のキャリアとか体格とか関係なく
何故か上が期待して目を掛けてる選手って見てたらわかるよね
後藤や薗田が上にいて越中三沢の前座戦線が〜って言われてた時も
明らかに全日としては上の二人や越中じゃなく
一番後輩の三沢推しなんだなってのは伝わってきたし
新日でいえば前田や高田、武藤や山田は
ハタから見てもやはり早い時期から推し方が違った >>666
つーか。
カブキはそれを馬場から聞いたら三沢に言っちゃいかんでしょ。
口が軽すぎるなあ。
自分で非常識なの分かってないんだな。
信用ゼロ。 >>672
レスリングだと五輪代表とか全日本選手権で優勝とかのキャリアでないと
国体優勝程度じゃ個人としての資質はともかくキャリアとしては
目をかけるだけのハクとしてはあまりにも弱いでしょ
やっぱりそういうの抜きに他の選手たちと比べて
コイツを推していこうと思わせるスター性というか雰囲気があったんだと思うよ >>666
馬場から話聞いたら三沢の所行って直接聞くとかw
本当にカブキって基本的に馬鹿だよなw社会的常識なさすぎだろw
グレートバカブキに改名したらよかったのにw 三沢はデビュー仕立ての頃に見たことあるけど、全身のバネが凄かった!当時の若手の中
じゃずば抜けているのは丸分かりだった! 菅原と冬木の国際転向組と合わせて若手のリーグ戦やってたけど
なんで百田兄弟なんて参加させたんだろう 三沢は近所のお店やさんからも将来のエースと言われてた
やっぱり華のある奴はありまーす
冬木なんてどう考えてもエースになりそうにないもんな
猪木は腹黒いのに笑顔は神ががってるだろ
スターって理屈じゃないんだよ 当時の全日で言えばアポロなんかもイケメンだったけど華がないんだよな >>679
ルーテーズ杯だっけ?
そういえば百田兄弟も出てたなぁw 若いときの冬木と三沢なら、誰が見ても冬木だが
肉屋の女将が三沢見て「この子は違う アンタは不細工」と言われたと回想してたな 「控室にいるとみんな俺(冬木)を素通りして
三沢のところに行って「君は凄い!」と称賛する人ばかりだった」と言う思い出を
冬木が語ってたな
若手の頃から全然違ってたみたい
新日だと高田が若手のうちから「これは絶対に将来のスターだ」って感じだった >>679
当時で言えば鶴龍なんかでも若手と言われてたし年齢的には百田兄弟が若手でもそんなにおかしな話じゃない
ただ百田兄弟の場合はキャリアが長かったからあれだけど
当時だと石川が微妙な立場だったな
年齢的には鶴田天龍と同世代だけど、彼らを追う第3の男みたいな言われ方されてたし
全日は前田や平田、谷津みたいな第3世代がいなかったんだよな
だからこそすんなり世代交代が出来たって言うメリットもあるが・・・ >>683
いや昔から三沢のがルックスも良く見えたぞ
冬木が不細工だったって意味じゃなくてね マジックドラゴン米国での試合見ると鋭いトラースキックの連発で面白いけど日本では普通の試合しようとして失敗だったな 馬場の養子話って大仁田と三沢がいるけど当時は馬場も元子も40歳前後で子作り諦める年齢じゃないけどな、どっちかに子種がなかったのか あのころの全日じゃ鶴田意外は皆のそのそした動きだったからな
三沢の動きは別格だわ 三沢はルックスで有利だったが
ヒゲ面になってからはいまいち。 >>689
若い頃の三沢は身軽だけどキレはなくてフワフワした感じ
サマーソルトキットもエドワード・カーペンティア式のただコーナーからバック宙するだけだし >>691
まあね
あくまで全日の中ではってカッコ付きのスマートさや身軽さキレってかんじだったかな
とはいえサマーソルトはあれ当時は本家カーペンティアのバク宙もガッカリとはいえ
冷静に考えたらそもそもあの体勢で蹴りなんてそりゃどうやれるっていうんだよ?と思ってたのを
ほんとに蹴る動作入れた佐山が凄すぎたんだけどな ジュニア時代の三沢は身体能力は高いけど
あくまでも全日の他の選手と比べてという程度だからねw
2代目タイガーは初代どころかコブラよりも下 >>688
男はある程度の年齢でも大丈夫だけど女は難しいよ
なんとなくだけど馬場は自身の巨人症を引き摺ってたんじゃないかな?と思う
ひょっとしたら自分の子供にも・・・みたいな
だからあまり軽々しく話題に出す話じゃないのかも知れないが・・・ >>649
馬場と猪木のデビュー戦て台東体育館じゃなかったっけ。
これって大きい会場なんかな。収容人員どれぐらいなのか分からんけど。 >>671>>675
それならそれで馬場もカブキにそんな話しなきゃいいのにね。
カブキがそういう人間だって知らなかったわけでもないんだろうに。 カーペンティアの元祖サマーソルトキックって
トラースキックのようなソバットの事だったんだな
相手をコーナーに押し付けて、自分はセカンドロープに登って相手をビンタ
そしてバク宙を決めて着地したら、引っ叩かれた上に目の前でトンボ返りされて
挑発された相手が怒って向かってきたら飛ばないローリングソバットで決める
佐山タイガーも締めの部分だけはカーペンティアと同じようにしてるのは
パイオニアへのリスペクトもあったのかもしれない
まぁ実際に怒って向かってきたのはキッドくらいだけど FMWが電流爆破やってる頃に三沢に大仁田さんや後藤さんの
試合をどう思いますか?って聞いたら沈黙した事があったよな >>700
カーペンティアのはローリングしないただのソバット
カブキのトラースキック、今でいうスーパーキックだね
あれを空中回転後ろ蹴りでプロレスのリングで使ったのも若手時代の佐山のオリジナル 三沢もスピンキックは出来たけどソバットだけは出来なかったってな
川田は器用でソバットもこなしたけど試合では使うなって言われたって >>704
そんなに入るんだ。じゃ結構大きな会場だったんだな。
日プロ時代に馬場とブッチャーの初シングルが行われたのも
確かここだったっけ。映像でも残ってるなら見たいもんだけど。 二代目タイガー時代にプロレスアルバムのインタビューで
越中選手をどう思いますか?と聞かれた時も沈黙してたな >>701
前田なんかは「あんなん底抜け脱線ゲームやんけ」と糞味噌だったけどw
まぁ立場が違うからね。でも正直言って当時は他の団体よりも大仁田たちのほうが
面白かったのも事実だな。 >>707
三沢を庇うわけじゃないけど正体不明の頃ならそれは沈黙するしかないと思うぞ
みんな、正体は三沢って知ってるんでしょ?って感じで確信犯で聞いた質問だろうけど
三沢も本気で困惑したわけでなく、そういう意図はわかった上での沈黙だと思う >>709
結婚するときにマスクを脱いで正体を明らかにしてからは
越中に対してコメントするようになったんだよね 大仁田に対して「嘘つきと関わったら駄目だ」と言った川田 新日本関係者か高田が言ったのか定かではないが
「あんなものは邪道だ」との言葉を過大解釈して
自分達の団体のキャッチフレーズにしてしまったのは見事としか言い様が無かった
邪道≠ホメ言葉にすり替えたのは大仁田かもしれない リーグ戦、百田兄弟対決はさすがに兄の百田義の勝利か? >>696
力道山時代から都内の中型会場の役割だったんだよな
幻の馬場・ゴッチ戦も予定されてたっていうし
いつのまにかそれは大田区に代わったが 客寄せパンダと揶揄された時も「プロにとっては最高の褒め言葉」と言ってたね。
何となくネガティブなイメージがあった言葉だけど、マイナスばかりじゃない認識が
広まった端緒だったような気がする。サッカーで最年長記録更新中の三浦カズも後年
同じような事を言ってたし。その辺の感性つーか、割り切り様は凄いと思う。 >>648
渕・ライガーはまさに最高の仮想BI戦という感じだったな
とにかく長い足でライガーを間合いに入れなかったりジャイアントバックブリーカーを仕掛けたり
翌年の三沢・蝶野はキャラとしてむしろ逆だった印象
あと意外にもドームでは初メインとなる馳
三沢のおかげですというコメントも実に政治家で >>641
きつい、ってか手加減ナシのガチな本音だろう
週プロ読んで受け売りしてエエカッコしいするとか書いたから図星さされて反応したのかも
よくいるから、そーゆーの(笑)
身近で女に相手にされない男がプヲタだったらさ
ドルヲタはさておきプヲタの場合、ちょっとプロレスに詳しかったりすればネットで絡んだり
何かのイベントに参加した際に、そこでそれまでに蓄えた現実生活に
は全く役立たずなプロレス蘊蓄でもひけらかせば妄想疑似恋愛の対象の女子レスラーが
自分を気にかけてくれるかも、とか勘違いしてるんだろうなあ(笑)
数年前に女子プロレス見に行った時に、グッズの売店でちょっとちょっとって感じのヲタに長々下らないプロレス蘊蓄ひけらかさられてた若い女子レスラーが
ヲタが帰ろうとしてそいつに背を向けた瞬間、露骨に顔をしかめた後にあっかんべーみたいなポーズを取って、隣にいた関係者とニンマリ笑い合うってたからな
あれはまさに「プロレスなんかに詳しくても、どうせお前なんか一般女子にもずうーっと相手にされてこなかったんでしょ」って応対してた女子レスラの顔に書いてあったな
まあ、こんなもんでしょ現実はとね(笑) 冬木は体型に目が行ってしまうけど、目もパッチリしてるし端正な顔だよ。
三沢とどっちがイケメンかといったら、そこは各々の好みのレベルじゃないか。 若手選手は試合で基本的な技以外は禁止の時代でも
三沢だけは特例で自由に技を出しても怒られなかったらしい。
問題は三沢が社長になった時に自分だけがOKだった
前座の技制約ルールを全面解禁しちゃって金丸や丸藤あたりが
第一試合からムーンサルトプレスやシューティングスタープレスを
バンバン出すようになり伝統が崩れていった >>721
今となっては、
若手は大技出すなっていう教えの方が正しいような気がするな。 大仁田 は邪道。
冬木は理不尽。
二番煎じはイマイチだったな。
ブリーフ・ブラザーズはWARだったか? >>722
平田は若いうちに少ない技で試合をする癖を付けて置かないと
上に上がった時に試合が組み立てられなくなるって言ってたな そりゃ、いろんな奴と戦わなければならんからな。
相手が受身取れないような奴だったら投げ技なんて掛けさせてもらえないし。 それもあるけど単純に、
ドロップキックやってバックブリーカーやってブレンバスター出して
バックドロップ出してラリアット連発してパワーボムで叩きつけて
エルボードロップ落としてトップロープからニードロップやって
ジャーマンで投げてムーンサルトやって…
なんて大技合戦だけやってたらカウント2.9の応酬合戦でしか試合成り立たないしな
こういう大技繰り出してカウントワンで軽くキックアウトしたり
大技出した後何故かフォールにいかずヘッドロックやリストロックにいかれても困るし 全日とは全く関係ないが、村上和成なんてキックとパンチ、踏みつけ
この三つの技以外は全く印象がないんだが、それなりに白熱して面白かったよな
キックとクローだけで試合を成立させたF・V・エリックみたいと言ったらちょっと誉めすぎか…
でも平成10年代にプロレスデビューして、あれで食ってたのは素晴らしいと思うけどな でもそういうシンプルでクラシックなプロレスって結局、頓挫しちゃうんだけどな
藤波の無我も当初は首固めでギブアップ取る試合とかあったけど、それも最初だけだったからな
それに最近の新日も結局は大技ラッシュ、ロングマッチ化が常態化している
オメガの試合なんかかなり危なっかしい
危ないっていうのは大技ラッシュってより大怪我しそうな危なっかしさのことだけどね
昔のプロレスはブレーンバスター一発でカウント3が入っちゃったりしてたけど、昔の試合そのままの
クラシックなノリを今やっても受けないと思う
もしそういう方向にするならマットを固くするとかしないと説得力がないだろうし >>715
ヒロ・マツダが「この世界は客を集めてくれる奴が一番偉いんだ」と言ってたしね 28年前の今日人生で初めて入院した日なんだが、混乱の全日本マットでは折原昌夫がデビュー 天龍だってチョップ キック ブレーンバスター パワーボム
くれえだからな 紺のタイツの頃のがうまかった
三沢は蹴りが下手で、回し蹴りも下手だったな
ただタイガースープレックスは初代の固め技じゃなく、
投げるタイプだった 三沢は佐山と比べるとデカすぎるだろ
あの身体で佐山並みに動ける訳が無い 佐山並みというか根本的にバネがなかったからね
トリッキーな動きができるわけでもなかったし、
ジャーマンとプランチャとドロップキックができるやつに
ただタイガーのマスク被せただけになってしまった >>734
タイガースープレックスが固め技?投げるだけ?
意味がわからんのだが。説明しろ。 >>736
運動神経の面でタイガー任せられるのは三沢しかいなかったろ。新日含めても三沢が適任。
あとできそうなのはジョージくらいかな。
ちゅーか、佐山以前にも以降にも、同じ身体能力の奴はいない。佐山だけ別格。
大体佐山タイガーのスタイルは、原作のタイガーのスタイルじゃなくて、佐山オリジナル。三沢の方が原作に近いとも言える。 >>729
シンプルな技の応酬のみで今の客を納得させられるわけない >>739
だから、それが的外れだっての。
若手の話をしてるんだが。 >>738
川田もタイガーになる可能性があったんだよなぁ。
バネは三沢より上かもしれないけど、
なってたらどんなタイガーになってたのかそれはそれで興味深い。
マスクの中の表情がバレバレのタイガーだな。 >>738
そういう意味では最初から「プッシュしたい若手」だった三沢に
虎の仮面被せたのって中長期的にみるとどの程度効果あったんだろうね?
ラフィエラ戦以降の三沢タイガーの歩みみると素顔のままプッシュで
海外遠征で実力付けたって設定で凱旋帰国→Jr王者になり鶴田天龍に次ぐ実質No,3に
→ジャパン軍団や外国人と抗争→ヘビー転向→(馬場)鶴田天龍谷津に新世代として挑戦
これでも別に大して変わんなかった気がする >>742
このスレも既に54だから過去に同じ話題が出たかもしれないけど
三沢がタイガーになった年の秋ぐらいに、週プロに1985年の展望を小説風?にした特集記事を覚えてる
要は、タイガーマスクがもう一人デビューして、タイガー兄弟の1号と2号ができるというもの
おそらくその計画が実現したら、川田が2号だと思われてた、越中ではスタイル的に無理だろうし
ただし当時は子供心にも新日のマシン1号2号が安っぽい演出だと思ってたから、同系列の構想には「やめてほしいな」と思ってたよ
会場では「三沢タイガーの対戦相手なら誰でもコールを受ける」というアンチタイガー雰囲気が占めてた時期だしね、火に油を注ぐだろうと危惧してたなあ。 三沢はいくらセンスがあっても五輪出場や相撲出身という肩書がないから
タイガーマスクというブランドがなきゃNo,3扱いは無理が出て来る >>744
そこで後藤に例の虎縞柄のワンショルダーでだなあ〜w
>>745
若手の頃から馬場はじめみんなが特別だと目をかけてて
鶴田天龍の次はどうみても三沢しか目ぼしい選手もいない
しかもあの頃はまだNo,3っていっても鶴田天龍自体が
ようやく馬場からリング上の主役を禅譲されてこれからいくらでも時間あるって時期
将来のエース候補としてのNo,3は無理でも何でもないでしょ >>755
自分の見る観点が偏ってるかもしれないけど
「これからいくらでも時間あるって時期」って文だけで感慨深くなる
ハンセン移籍がいかに大きかったのかって事だよね
お客さんを呼べる選手が育つ前に、興行不振やらゴールデン降格やらの時期があったわけだし
少なくともリング上の政権移譲の事をじっくり展望できるって事は、最悪の事態を乗り越えたって事だしね
それどころか1984年はUWF問題やらをきっかけにして、馬場が攻勢に出て、新日と攻守逆転した年でもあるし、たった数年で変わるもんだねえ ――しかし、キャリア3年で2代目タイガーマスクってハードルが高いですよね。
小佐野 それに初代タイガーと比べて身体が大きいじゃない。そうすると空中殺法が綺麗じゃないというか。
三沢も士道館の添野館長のところに習いに行ったけど、ついにローリングソバットはマスターできなかった。
スピンキックはできたけど。
――三沢タイガーはローリングソバットはやりませんでしたね。
小佐野 川田はできたんですよ。川田は三沢のトレーニングパートナーとして一緒に士道館に通っていてね。
身体の小さい川田のほうがいろいろとおぼえちゃうわけです。あの頃の川田は三沢より細かったから。
――2代目は川田さんでもよかったんですかね?(笑)。
小佐野 2代目タイガーは初代より身体が大きくてヘビー級で対応できるという触れ込みだったんだけど。
まず初代の動きができることが大前提でしょ?初代の動きだけをさせるなら川田のほうがよかったんだよね。
で、川田は習った動きを得意気に見せてくれるんですよ(笑)。
――ハハハハハハ! 川田さんらしいですね(笑)。
小佐野 「こんなことできるんですよ!」って。馬場さんは「……リング上ではやるなよ」と注意していたけど(笑)。
――せっかくの2代目タイガーが台なしになりますよね(笑)。 タイガーがやるからタイガースープレックスか
他の選手が固めてからブリッジして最後は同じ形にしてたが
それのことかな? ラ・フィエラがもう少し大きければな
リスマルクが「ラ・フィエラとなら佐山タイガーvsキッド以上の試合ができた」と言ってたが
三沢タイガーの相手はメキシカンじゃなくてスティーブ・オルソノスキーとかカート・ヘニング、ジム・ブランゼル、トム・ジンク、リック・マーテルとか鶴田の相手にしては体格が劣る実力者にすれば良かった 所謂オージー(オースイ)スープレックスだろ?佐山は後方に投げてたと思うが? オルソノスキーは鶴田のインダーへの歴代挑戦者では大分落ちるよな。同シリーズ中にカブキにもフォール負けしてるし。
その後呼ばれなかったのは、馬場も期待を裏切られて見切りをつけたんだろうな。 >>737
新日時代はオースイスープレックスみたいだったじゃん
押さえ込み重視の技 マイティが薗田に決めたやつでしょ
つーか、その時しか見た事ないけど
鶴田がAWAをニックから獲った両国の日だっけ? >>744
2号は川田の説もあったけど、
発端は、梶原一騎の頼みで、ある空手家を2号にしてくれと頼まれたからみたいだな。
結局内蔵を壊して企画がポシャったが、梶原は、無理な願いを聞いてくれてありがたいと馬場に感謝してた。 >>753
はあ?佐山タイガーのタイガースープレックス見たことあんのか? ラ・フィエラがそれまでに何度か来日していて
誰かと好勝負していたら、三沢タイガーの印象もまた違ったかもなぁ。
子供心にも咬ませ犬的にしか思えなかったし。
良いレスラーだったから勿体ない。 佐山タイガーの相手はほとんどジュニアばっかりだったのが残念
原作のタイガーもジュニアクラスの体格だがスーパーヘビー級の人外な連中とやってたんだから佐山タイガーもヘビー級のアンドレとかホーガンとかともやって欲しかったな
シングルでのカナック戦はカナックやる気なしだったしタッグでブッチャーとの絡みがあったがそこはシングルにしろよと思ったもんだ 三沢タイガーのデビュー戦、インパクト重視でいくならもっと大物を噛ませに使った方がよかったのかも
インタージュニアを大仁田から奪った実績があるサングレ・チカナとか、修行時代の佐山から
NWAミドルを奪取したことがある上に越中もカベジェラ戦で丸坊主にしているエル・サタニコとか 三本勝負とはいえ、佐山タイガーからピンフォール奪った事もあるフィッシュマンを呼んどいて
ジュニアタッグリーグの白星配給係にする全日はセンスが無い 三沢は器械体操やってたから動きはいい。
佐山が173cmであのうごきをやれたから凄いが。
180オーバーの選手じゃムリでしょ。
というか、ブラックタイガーはほんとは佐山以上なのでは?と思った。 プロレス激闘の記憶かプロレスクラシックで
フィッシュマンとロディパイパーが見たいんだよー >>758
?
それなら佐山が負けたら商品価値が下がる
勝ったり引き分けたりしたらヘビーの価値自体が下がる
昔はJr.なんて本来主役じゃないんだもん
誰も得しないぞ ジュニア的には、コブラのほうが三沢タイガーより断然上だった スレチですまんが、カネック以外ヘビー級相手で佐山タイガーは、トップ外人ではないが、122キロ標示?のアブドーラタンパを足4の字固めで勝ったのを会場で見た事あった あまり噛み合わなかった感じだったか タイガースープレックスの違いは、腕のロックのことだよね。
佐山は手のひらを相手の肩甲骨あたりに当てて固定。
三沢は自分の左右の手をガッチリ握ってクラッチ。
微妙な違いだけど、三沢のはテレビとか雑誌でタイガースープレックス’84と言われてた。
三沢タイガーがドラゴンスープレックス使ったら、スーパータイガースープレックスとか言われてた。意地でもドラゴンと呼びたくなかったんだねw 馬場がブリスコからNWAタイトルをレンタルしたときの費用が
7万$(当時のレートで2000万円)近くかかったということだが、
鶴田がAWA奪取時の経費はどれくらいだったのか気になる。
マーテルへの繋ぎ要員としてAWA公認だったからお安く済んだのか?
銭ゲバのガニアにケツの毛までむしられたのか?
やっぱ土曜トップスペシャル枠の放映料で決済したのかな?
非常に気になるw >>759
チカナやサタニコ呼んでも、そんなに当時は知名度なかったろ。フィエラと変わらんよ。 >>766
そういうこと言ってるんじゃないと思うぞ。 >>763
新日本でも初代タイガーマスクはあくまで「ジュニアのアイドル」ってことで
ヘビー級とはきちんと線引きしてたからね
ヘビー級の一流に勝たせるようなアホなまねはしなかった
カネックでもタイガーマスクとの初対決で押し気味の引き分け
そのカネックがタッグリーグでは白星配球係で下から数えた方が早かったわけで >>768
ガニアは鶴田をニックの後継者にしてAWAを建て直すつもりだったみたいだよ
ニック「鶴田のサイエンティフィックなレスリングを観客が理解できなかった」
マーテル「鶴田は観客を盛り上げることができなかった」
言い方は違うが全くの期待外れ マサ斎藤が佐山タイガーにシングルでピン負けしたのは痛恨の黒歴史だった
少なくとも維新軍全盛期では触れてはいけないタブー >>758
原作では確か猪木&タイガーvsハンセン&アンドレ
って試合がって確か日本勢が勝ってたね。
怪しげなマネージャーがあんな奴らではタイガーには
勝てないみたいな感じでボロクソな扱いだった。 >>774
いかにも梶原的だなぁ
佐山タイガーとして登場した「悪役ブルース」では
主役をボッコンボッコンにしてリベンジされることもなかった 辻なおき画のオリジナルのタイガーマスクには
タイガーがドン・レオ・ジョナサンに完全敗北する話があったが
単行本には収録されてないんだそうだ >>766
寺西戦だったと思ったが、そのまま後ろにゆっくり反って固定してフォール取る技に見えるのよ
そんで三沢のは勢い良くブリッジして投げつけるって感じなんだが
俺だけか? >>774
原作→タイガーマスク二世の方だよね
あの漫画のハンセンとホーガン…というか猪木とタイガーマスク二世以外の選手の扱いは酷すぎwジャンボ鶴田も子供扱いとか梶原センセやりたい放題w
特に新日移籍したばかりのブッチャーが悲惨な目にあわされてちょっと可哀想だったw ブラックタイガーがブッチャーを卍固めでKOした時の
「黒ブタは屠殺場に送り込まれたぜ〜っ!」
ってセリフはもはや再掲不可能だろうな… >>777
時代によってマットの硬さが違うから
昔は思い切りは投げられないよ ジャーマンやドラゴンは受け身取れるが、タイガーだけは受け身取りようがないよな。 >>717
「プロレスなんかに詳しくても、どうせお前なんか一般女子にもずうーっと相手にされてこなかったんでしょ」って何か未だにプロレスブロガー(死語)やってる奴全員に当てはまるっちゃうじゃん
ツイッターや FBで知ったかぶりするヲタもそこが浅いから最近じゃ関係者から舐められてるからなー
関係者ならずっと色んな見本誌目を通してるから、ネットで週プロの受け売りやるヲタはあ〜またか、ってすぐ見破られるからな
知らぬは恥知らずな知ったかヲタばかりなり、というねw >>712
邪道と言われればそれを看板に、嘘つきと言われればそれを売りにする大仁田のしたたかさには舌を巻く >>781
ドラゴンをどうやって受け身取るんだよ。
タイガーの方がまだダメージは少ないだろ。 合図をするということは
投げるか投げないかは事前に決めてはいないということか >>786
違うよ。「受け身の準備してないのに投げるんじゃないぞ!」って意味じゃないか? 恐らくそうだろうね。体勢整わない内に投げられたらアクシデント起きかねないし。
合図とか絶対バレないようにやってくれればいいんだけどね。 >>785
ドラゴン語るのに、何で前田?
藤波のドラゴン見ろや。 合図かもしれんが猪木の余裕と見れるな
それより当たってない延髄切りでフィニッシュのが気になる >>790
どこ見てるんだ?綺麗に当たってるじゃないか 当たってない延髄といえば真っ先に思い浮かぶのがウェップナーとの格闘技戦かな。
あれは本当に綺麗な空振りだった。喧嘩屋ってイメージと違って、ウェップナーって
実際は凄い紳士だったらしいけど。昭和全日じゃないからあまりこの話するつもりないけど。 >>769
三沢のデカさだったらむしろマーティンジョーンズとかスティーブライトとかの動きのいい欧州レスラーの方が良さが出たと思う。 >>792
あれは蹴りにいった右足は空振りだったが
猪木の左ひざが顔面に直撃してる >>793
三沢の方が彼らが行うプロのレスリングに付いていけないんじゃないの? >>795
対カブキ戦で寝技についていけずに
解説の馬場に「もっと勉強しろ」と怒られてたね ファビュラス・ワンズなんかを呼んでれば、サイズやスタイルからいって三沢タイガーや邦昭といい勝負になったと思うけど。
向こうではウォリアーズとかヘビー級相手に活躍してたから、鶴龍と当てても面白かったろうに。 >>721
選手任せにしたらダメになった例がWCWだったな >>785
このドラゴンうまいな
途中でクラッチ緩めてるから背中から受身とれてるし IWGPの猪木前田の話が出てる流れにのって
同時期の全日の興行成績ってどうだったんだろ?
対IWGP対策で、1983年からグランドシリーズになってパート3まで続いたけど
春のパート1の最強タッグリマッチは、ファンクスや超獣組の参加でまあ動員は多分問題なし
パート3はテリーの引退シリーズで、これも動員は問題ない、どころか満員続きだっただろうし
肝心のIWGPと時期が被るパート2なんだけど、どうだったんだろう?
最終戦のフレアーvs鶴田、馬場vsブロディの蔵前はそこそこ入ってたのは観戦したからわかるんだけど…
あと翌年の同時期のパート2のエースはシンでしょ?
なんとなくだけどIWGPの裏では、シンでは厳しそうなイメージだよね… >>801
1回だけだと思う。左右非対称だからバランス取るのも難しいと思うよ。 >>802
少なくとも二回だな。
小林戦と小橋にもやらなかったか? >>802
非対称?
ドラゴンよりやり易そうだが。 >>804
そうなんだ、知らなかったです。ありがとうございます。 ずっとスープレックスと言えば鶴田凱旋時以来(厳密にはその前からあるが)
Wアーム、サイド、ジャーマン、フロントの4種(リバースはあくまで返し技なんで)だったので
藤波のドラゴンスープレックスは衝撃だったしオリジナル必殺技として説得力あった
佐山のタイガースープレックス、小林のフィッシャーマンを経て
前田の12種類あたりからちょっと分類微妙なものが出てきて
正直三沢タイガーとか女子プロとかあたりからは
それオリジナルって言ってるけどクラッチとかがちょっと違うだけで
別に普通にジャーマンとかフロントスープレックスで良くね?的なのが増えた印象 馳のノーザンライトを初めて見たときは「ただのショルダースルーホールドじゃん」と思ってしまった >>808
でもノーザンは両腕を固めてるから、ダメージ云々は別にして3カウント取れる技としては説得力はあったな
「まだ返せる体力は残ってても、3秒以内にキックアウトしにくい蟻地獄的なホールド」みたいに見てた
ただ、裏投げの方が見栄えもインパクトも派手だから、そっちをフィニッシュにしても問題なかったと思う
まあ、どちらにしても馳は良い技を保持してたよね、会場が静まってても裏投げがでると「おおー!」って熱が高まったし >>797
ファビュラスワンズはギャラと見合わなかったろうな。
ミッドナイトエクスプレスは呼びたかったらしいが。 >>811
馬場がロックンロールエキスプレスより呼びたかったのはミッドナイトエキスプレスとロスカウボーイズ 全日本に初めて来た時ジェリー・セガノビッチだったのにいつのまにかジェリー・サッグスに名前変わってたな >>813
初来日、あれだけのメンバーの中で全く萎縮していなかった。それどころかのびのび好き放題やってるように見えた。 キレたハンセンから椅子で頭をカチ割られてパンストマスクから
夥しい流血をするブラックハーツ 小林が渕とかヒロ斎藤と世界ジュニア戦やってた頃に編み出した
新フィッシャーマンズスープレックスとか誰も憶えてないよな それにしても全日マットの82年6月蔵前で初お目見えした対角線で区切っての
赤と青のマットは斬新で前衛的だったな。
デザインした奴にアッパレだわ。 >>817
相手の腕も固めるやつな。
受け身を覚えられるから、一回しか使わないって言ってたな。 >>782
女子レスラーに限らず男子レスラーもネットで知ったかかますプヲタはそんなもんだと思ってるよ
一般女子に相手にされないとかもひっくるめて(その原因の一つかもしれないが)、中高年にもなってネットでことさらプロレス通をアピールするのは「俺が一番プロレス通」とか勘違いして他を見下すような根性悪い奴らばっかりだからな
プロレスブロガーと言えば何年前か前に今や世界のN選手が、あるプロレスブログの事をメディアで持ち上げたんだけど
それについてスイーツ通で有名なM選手が後援者の飲み会で「(N選手が言及したブロガーは)プロレスブログをやってる奴の中では唯一、マトモな社会人ぽいから名前出したみたいだな(笑)」なんて言ってたと
今時、ネットで良い歳して年がら年中プロレス通ぶってるプヲタに対しての男子レスラーのイメージも推して知るべし(笑)
まあ本職の選手や関係者からしたら、何かあればいかにもググって調べた知識や週プロとかで既出の記事を下敷きにして、ご都合主義の浅薄な思い込みの提言とか、鼻で嗤うしかないだろう
それをまた肴にして浅学寡聞の身である(笑)プヲタ同士で弄り合ってツイッターで粘着バトルする(それも受け売りネタで)とか、端から見ても笑止千万(笑)
まあ○○は死ななきゃ治らない、かもな
一般女子でもルックスがアレで更にそんな○○とあれば絶対、相手にしない(笑) クラッシュギャルズが、相手が気をつけしてる状態で腕ごと抱えてジャーマンのように投げるクラッシュスープレックスてのを使ったことあったね。 >>821
元々はジャガー横田がダルマ式ジャーマンとして使ってた 全日本で初めてノーザンライトを披露(フィニッシュになった)したのは仲野信市
馳の凱旋試合から3ヶ月後くらいだったかな >>818
あのマットデザインでさらにアメリカ色が強まった感じだよな
その名の通り新日との色分けがさらに強調された感じ
その頃は子供だったから、そこまでの会話は友達とはしないけど
ある程度の年齢のファン同士、特に新日ファンの反応はどうだったんだろう?
やはり「ショーマンの全日らしいマットの色」とか言われてたんだろうか? 日プロのリングは7メートルで全日のリングより大きかったんだな
G+の特集で大きさの違いがよく分かったわ 大きさが違ったら目測やタイミングを誤るって事ないんかな。 >>824
アメリカはあんなマットなんか?
俺は見たことないけど。 >>811 >>812
佐藤昭雄もボビーイートンのセンスに惚れ込んでいて、「あんなうまい奴はいない、呼びたかった」とGスピのインタビューで言ってたよね。
でも初来日は平成になってからの新日本なんだよね。 >>828
いや、そういう意味じゃない、自分の感性の問題でしかないけど
派手というか色彩的に明るい感じがね
テリーや、鶴田の星マークタイツを連想させる色に感じたから
もちろん自分は鮮やかで良いなと思ってたけど、新日ファンはどう思ったんかなあ?とね。 >>811
スタン・レーンは実力的に?は否めなかったけど、スティーブ・カーンはジャーマンも出来たし、オールラウンドのいい選手だったよな。
>>818
そうか、アナが、赤コーナーで攻防続くと赤コーナー優勢って
言ったりするけど関係ないのでは。
とか思ってた。 >>823
その辺りの仲野だとマレンコ兄弟の全日本初登場試合を思い出す スティーブ・カーンもスタン・レーンも藤波とジュニア王座かけて戦ったことあるよな。 ブルドッグスとマレンコ兄弟の試合好きなんだけど、馬場のマレンコ兄弟へのダメ出しが鼻についた。 ジャンボがAWA世界ヘビー奪取して34年か。
馬場が三度NWA取ったとき、猪木がWWF取ったときより嬉しかったよ。
当時のプロレスの最高の舞台、蔵前で王者になったっていうのも良かったよね。 >>837
馬場も猪木も地方での奪取だったからな。
馬場の2度目は愛知県体育館だったが。 >>837
俺は試合結果を知らないまま放送を見たから、ジャンボが勝った瞬間万歳して部屋を駆けずり回ったよw
昭和56年からプロレス観戦始めてずっとジャンボを応援していたから最高の感激となった。
フィニッシュのバックドロップはカメラ切り替えが絶妙で、照明が後光のようになったのが印象的だった。
今は世界タイトルはレンタルだったなどと暴露されたりするが、ジャンボのAWA王座奪取は永遠に輝き続けると思う。 ブルドッグスとマレンコはその後、
熱戦譜みたらどっかのシリーズで毎日のように対戦してたな >>840
確か89年頃はブルドックスとマレンコ兄弟、
ブルドックスとカンナムの7番勝負みたいなのが組まれてた記憶 >>839
会場は蔵前、TV中継は土曜のゴールデンタイムでの奪取だったからな。
あの試合は、負けたニックの試合後者振りも際立ったいたしね(私的には、前半の
アームロックだけでの試合運びに魅了されて、それからグラウンドレスリングに
目を向けるようになり、それがひいてはUWFスタイルに嵌まる遠因になったけど)。 >>839
同意。あれって録画だったんだね。
俺は田舎の子供だったから、当然試合結果は知らず、大好きな鶴田が勝ったから、飛び跳ねて喜んだ記憶がある。 ジャンツのファンっていたんだな。
フジナやチョリキのファンならわかるけど。
しかしジャンツがリクマに破れるとは。
ニクボがまた返り咲くかと思ったらそうならず。
更にはスタハまで巻いたかんな。 >>839
おお!
全く同様のシュチュエーション。
バックドロップホールドのうつくしさも絶品でしたね。
強いて言えば、徳光のイケー!ヤレー!は余計だったが。
樋口とテリーのレフリングも見事。 鶴田のメインで蔵前が満員。
鶴田のメインでゴールデンタイム。
そして永遠の善戦マンかと思われた鶴田が、ついに世界奪取。
感動的でしたね。 昔は新日も全日も90分枠とか二時間枠の特番を
よくやってたのにね 同じように、小林邦昭が三沢タイガーをフィッシャーマンで
破った試合も感動したなあ。のちにタイガースープレッ
クス'85で取り返されちゃったけどさ リングでも一番充実してた頃だし、リング外ではもっと充実してたんじゃないかな小林邦昭さんww(ホテルの部屋の前にファンの女の子がずらっと並んでたとか) >>846
鶴田の墓でもトップに飾られてるのは三冠でなくAWA奪取だからね
渕も言ってるように集客面も含め本当の絶頂期は超世代軍とやってたレギュラー最後の二年なんだろうが時代が立てばやはり一番輝くのはAWA奪取 ジャンツのエダブ奪取はそんなに評価が高いんか。
価値が下がってからのエダブはシンニプロレでマサイが奪取。
エヌダブはやはり価値が下がってからフジナとチョマサが奪取した。
『その昔は価値が高かったベルト』 価値が下がった後のNWAやAWAにまで手を出した事は肝心のIWGPの価値まで下げてしまった印象
そのあたりはとにかく三冠一本に邁進した全日本の方が上か >>853
1988〜89年にかけて
藤波辰巳=IWGP
ジェリー・ローラー=AWA
ケリー・フォン・エリック=WCCW
の統一王座構想があったな。
藤波×ケリーはWタイトル戦で藤波が勝つも即王座返上
藤波×ローラーはIWGPのみ賭けて藤波の勝ち
ローラー×ケリーのWタイトルはローラーが勝ち、ユニファイド王座新設 集客力のないタイトルには価値がないよ
その意味では武道館以外の三冠はかなり微妙 その全日本・三冠・武道館の三位一体的なブランド化の成功は大きかったよな
他での不入りを十分以上にカバー出来るだけの物もあっただけに
それは昭和の新日本・蔵前・NWFをも思わせるが結局は猪木一人のNWFだったのに比べれば安定度は数段上だった あと武道館を使用しない1月シリーズでは大阪府立での開催成績もかなり良かったからな
それだけに地方への拡大も模索していた時期での分裂は痛かった IWGPも王者によってはそうだった。
あとカード。
橋本が王者の時はそれなりに客が入ったらしい。
でも武藤が王者だと客入りもイマイチ。
武藤王者時代の最高の客入りはドームでの高田戦。
しかしあれは武藤のタイトルマッチという概念はなかった。
全面対抗戦の中でのタイトルマッチ。
全日も三冠は同じメンバーで回していたから全日末期は厳しかった。
だから危険な大技の応酬、それも長時間の試合を余儀なくされた。
カードより内容と。 それと後楽園ホールの多数開催だな
ただの繋ぎ興行じゃなく、アジアタッグやジュニアなどの武道館とは別の、
後楽園規模だが売りの試合を前面に出してたのが良かった
「たかが後楽園、されど後楽園」て感じで武道館とは違う意味の観戦欲を持たせた
今のノアなんてビッツグマッチが後楽園ホール、せいぜい横浜文化が年に1度くらいの開催なのに
同じ後楽園で「前哨戦」とか、通常のタッグマッチに冠までつけて開催してる
ビッグマッチが同所数日後に開催されるのに、同一料金で前哨戦という名の普通の試合を誰が見に行くの?って疑問に思う >>858
なんで>>845、>>852みたいにハシシンとかムトケイとか書かないの? >>860
いったんきちんと書いてから、わざわざ書き直しているんだよ。
書き直すの忘れて書き込みボタン押しちゃうんだろうなwww >>854
藤波もアメリカでローラーのAWAに挑戦した プロレスの限界を追求したのが四天王プロレスだった。
例えば今の新日本は危険な飛び曲芸の限界に行っているが
全日本プロレスの四天王プロレスこそ、オーソドックスな基本技中心で
どこまで極められるかに挑戦したスタイルだった。
もう2度とあのようなプロレスをする団体は出てこないだろう。 >>863
同意
私も90年代、地方から日本武道館へ密航すること十数回。
三沢、川田、田上、小橋、秋山らには清く正しく美しいプロレスをありがとうとお礼を言いたい。 Gスピの対談で、どの時代の全日本が面白かったかという問いに、小鹿は80年代前半新日本と切磋琢磨していたころ、カブキが天龍革命のころ、天龍は自分が入団した70年代後半と答えていた。
天龍同盟とやり合ってたこともあるカブキはさておき、小鹿も天龍も面白かったと言ってる時代にメインストリームの中にはいないんだよな。 >>864
サンクスです。
同時代を生きたファンがいることが頼もしく誇りでもあります。 グレカとグレコは仲はどぉなんだ?
リュウゲンもゼンニプロレやジャイバ、ジャンツには感謝してるみたいだし。 でも鶴田追悼番組で亡くなる直前?収録で鶴田が語ってたな。
90年に天龍達が離脱した時の話。
10年後に(全日に)残った人間で笑おう。
自分達は残って良かったと。
出ていった人間達を見返そう。
僕は当時はそういう気持ちでいました。
しかしそのちょうど10年後の2000年にに鶴田は亡くなる。
馬場はその前年に亡くなり。
何とも皮肉だと思った。
でも鶴田自身が全日で良かったと思えてるのがまだ救いかも。 まあそんときのジャンボ鶴田の顔は青白くて正に病人顔だった。
でもまさかジャイアント馬場が亡くなり翌年にジャンボ鶴田が亡くなるとは。
そして時を経て三沢光晴まで亡くなった。
呪われた全日本プロレスリングなんちゅう言葉までできて。
新日本プロレスリングは過去のトップ勢は亡くなってない。
アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾、長州力、前田日明
山本小鉄や星野勘太郎は亡くなったが。
まあたまたまだろうが。 >>868
と言っても離脱した連中もロクなことはなかったよ >>871
その追悼番組でジャンボ鶴田は皮肉な言い方だった。
天龍源一郎以下全日本プロレスリングを離脱した面々に。
まあ確かに離脱組もろくな人生じゃなかった。
冬木弘道も若死に。
谷津嘉章もなんかパッとしない人生っぽい。
金に目が眩んで離脱が殆どだったかんな。
ザグレートカブキなんかまだマシじゃないかな。
でも同じく金に目が眩んで新日本プロレスリングから離脱した連中もだな。
ジャンボ鶴田の言いたかった気持ちもわかるわい。 天龍谷津カブキ冬木、高野仲野高木北原折原あたりかな、離脱組は。
鶴田三沢川田、田上小橋菊地が残留組。 高野や高木は馬場に気に入られてたのに、最悪の選択だったんじゃないかね。
特に天龍との対決ブックがあった高木は、残留してれば田上の役どころを取ってたかも。
まあしかし、地上波テレビのついてる団体から離脱するなんて、後先考えてない感じだよねえ、今思うと 大仁田と天龍除いて全日系の選手ってほんとに
芸能関係、テレビに出れる、
メディアで取り上げられる人っていないよな そういう気質タイプは新日本を選んで入団するからな。
なんせトップが猪木だから。 >>869
終戦以降、日本プロレス→全日本の系譜は「不可思議な9年サイクル」があるよな。
1945年 終戦
1954年 力道山 日本プロレス始動
1963年 力道山 死去
1972年 馬場 全日本プロレス設立
1981年 レスリング・ウォー
1990年 天龍他 大量離脱事件
1999年 馬場 死去
--------------------------------- 2000年代以降
2000年 鶴田 死去
2009年 三沢 死去
2018年 ? >>878
9年あわせにするなら
2008年 日テレノア地上波中継打ち切り決定
2017年 旧ノア倒産、新ノア始動
てことかいな >>820
ブロガーとかw、すっかり死語になっちゃったけど、前から関係者には冷ややかに見られてたよ
一時はウザイけど、それなりに集客に影響あるかも?とか思われてたからタダで宣伝してくれるから、インディーズ団体とかは重宝するところもあったみたいだけど
ブシロードがツイッターを使って巧みに週プロや東スポと、素人がやってるネットメディアごっことは一線を画すようなネット情宣やり始めたからね
所詮何かの二次情報をパクパクしていただけっていう実態がバレた素人メディアごっこちゃんは大多数の新規ファンにとってもはや無用の長物だからな
それでもツイッターは素人メディアごっこちゃんにとってはRTやらフォロワー数で自己承認欲求満たしてくれるからね
今は実態がバレて何の影響力もなくなってもそいつらにとって、多少の慰みにはなってるんじゃない?
そんなヲタのRTやらフォロワーしてるアカウント見ると、類は友を呼ぶった感じでやっぱりねって
ツイッターは素人メディア連中にとっては一円の利益も生まないし、四六時中団体や選手とか同類のヲタ仲間の書き込みを血眼になって追っかけて反応するとかw
そんなものにかまけてたら同年代のいっぱしの社会人からはどんどん取り残されるだけだけどね
リア充とかよく聞くけど、ルックスとかの問題で実人生が充実してないからか、何故か全日本系ヲタにそういうの多いよね >>878
それ前に見たことある。
不思議な9年毎だな。
となると今年はゼンニプロレかプロレノア完全崩壊か。 >>845
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw >>837
鶴田がニックを降してAWA王者として全米サーキットが決まった時、
「何が何だか分からないけど、凄い事ですよ!」と試合後のインタビューで
語ってたな。色んな意味で面白いコメントだと思ったけど。 >>884
徳光さんがしつこくマイクを向けるからジャンボも答えるのが面倒くさかったのだろうな。 「三沢じゃない!全日本のエースはこのジャンボ鶴田なんだということを〇※▲□」
さいご噛み噛みでなければかっこよかった 昭和全日じゃなくて悪いけど、新日で世代抗争が勃発した時の前田の
「誰が一番強いか決めたらええんや!」も噛まずに言えたらGOOD!な
マイクアピールだったね。週プロ辺りが鶴田と前田の対戦をプチ押し?
してたのもこの頃だったかな。 馬場「ひとんちに土足で入ってくるなってんですよ」
(マイク向けられて)
あの頃はほんとにハンセンが独断でやってきたと思ってた。 昭和全日本プロレスリングじゃなくて悪いけど、3年B組金八先生のパート2の
最終回ひとつ前。
坂本金八が加藤優と松浦悟をひっぱたいた直後に二人を抱き締めて
「貴様達は俺達の生徒だ」も噛まずに言えたらGOOD!なセリフだったね。
3年B組金八先生の中でも歴代三本指に入る名シーンだったのに。
あのひっぱたくシーン自体は武田鉄矢の唐突なアドリブだったらしい。
だから武田鉄矢もぶっつけ本番シーンで調子がずれたのかな? >>888
あれも長州の「キレてないですよ」が本当は「キレちゃいないよ」だったのと同じで、「決めたらええんや」じゃなくて「誰が一番強いか決めたらいいんだよ」て標準語で言ってるんだよね。
ジャンボのマイクアピールといえば、三冠統一したときの試合後が印象に残ってる。「誰の挑戦でも受けてやるぞこの野郎」と珍しくエキサイト。
でもコメントの節々に謙虚さが垣間見えてて、荒々しくなりきれないのがジャンボらしいなと思ったw
直前の後楽園の三冠統一戦が不透明決着になったりして、マスコミやファンから「ジャンボだらしない」という声も少なくなかったからムカついてたのかもな。 >>890
あのシーンは武田の噛んだことに対して批判もあるがそれで逆に臨場感が出た気もするんだがな
だから異論はあろうが、自分はあの場面はあれで良かったと思ってる
とっさのときって言葉が上手く出ないときってあるし
勿論、自分の考えは押し付けはしない 金八先生の話が出たついでだけど加藤優の転校初日、松浦との殴り合いは
ヘタなプロレスの場外乱闘よりも迫力あったなw あの頃はクラスの中も金八派、
新日派、太陽にほえろ派に分かれてるところもあったとか。どこまでも昭和全日とは
無関係な話で申し訳ないw 加藤より武田鉄矢のほうが強いよ刑事物語見ればわかる
全日に話し戻すと松田優作が馬場ファンだったってのは本当かな
古館の実況が面白いとは言ってたけど >>894
松田優作は馬場と同じマンションに住んでいたことがあるそうだ。
馬場は松田優作を俳優とは知らなかったかもしれんが・・・ >>890
全日とは無関係ではないだろ。
荒谷二中の不良に小橋建太がいたな。
男子トイレで刑事に転がされ、
ビンタシーンの後ろで、驚いた表情を見せる小橋。 >>895
高倉健に挨拶されても誰だか分らなかったそうだからなあ そんな優作が猪木の元嫁と探偵物語で共演したのも何かの因縁かね。
ロッキー羽田がチョイ役で出た時、一応馬場にも話は通ってたんかな。 馬場が芸能界で憧れの的は東野英治郎と寺島純子
だけだったんじゃないのかな。 古舘と言えば昔、沢田研二ショーでTBSなのに古舘と小鉄を呼んでプロレスショーやったことあるな
ジュリーがレフェリーで学生プロレスの連中が馬場とハンセンを真似してひょうきんプロレスみたいなのやってた
ブレイク前のとんねるずも出てたな
一応、沢田研二もプロレスファンだったそうで前説で当時のプロレスブームについて語っていたな
ただ沢田研二はスポーツ全体が好きな人なんで特にプロレスだけが好きってわけではないようだけどね
恐らく今はプロレスは全く見てないと思うし 馬場と島倉千代子がある番組のゲストで出た時、馬場が「子供の頃憧れてた」と発言。
司会者に「馬場さんが子供の頃にはすでにスターだった?!」と言われて思わず島倉が
立ち上がった事があったな。 新日本所属の荒川真が、全日本を中継する日本テレビのドラマ「池中玄太80キロ」にレギュラー出演していたのは子供の頃軽く衝撃だった。ライバル団体中継する局に出るってのは当時はなかなかないことだったもんね。馬場、猪木クラスならちょいちょいあったけど。 「3年B組金八先生」第2シリーズ・「#13 同窓会・贈る言葉」の中で第1シリーズの生徒が出るんだけど、
その中で九十九弥市役の生徒が「力道山も♪アントニオ・猪木も♪スタン・ハンセン!ブッチャ〜も♪
大木金太郎!」と同窓会で踊ってるシーンがあるんだけど、裏では『ワールドプロレスリング』が流れてるんだよなw
当時、金八には倍賞美津子も準主役級で出演していたから、プロレスファンだった弥市は猪木のサインでも倍賞に頼んだのかなw
この回が当時放送されたのは1980年12月だから、ハンセンがブレイクした年。
弥市がラリアートのマネしてハンセンの名前を出した時同級生の女の子役達がかなりうけてる。
ハンセンの知名度が急激に上がっていたことがその反応から分かるよ。 >>902
馬場がプロレス中継以外でテレビ朝日(NET)に出たことは新人時代のドキュメンタリー「16文の青春」と晩年の「徹子の部屋」「ニュースステーション」での最後の晩餐だけじゃないかな?(司会を務めたゆく年くる年はフジ制作)
馬場なりに日本テレビへの義理でテレビ朝日には出ないようにしていたようだ。
猪木は知らん。 >>904
輪島の結婚披露宴でインタビューを受けてたのが写ってた。 S52年頃、猪木が会社を設立しようとしたら資金を持ち逃げされたってんで
日テレのニュースに出た事があったな。記者の質問に背を向けてほとんど
コメントしてなかったけど。この頃はまだハイセル事業は具体化してないと
思うから、別の会社だったんだろうけど。 >>895
優作といえばUWFの有明コロシアムで観戦してるのがチラッと映ってるね
あれはお忍びで観戦してたんだろうね 確かに金曜夜の8時に猪木のストロングスタイルの新日本を見た後、
土曜の夕方5時半からの全日本を見ると温い感じはしたが、
ただ、NWA、AWAのタイトル戦は燃えたね。
特に当時、世界最高峰と言われたNWA戦。
馬場がジャックブリスコに勝ってNWAを巻いたのは偉業だった。
まあ、お約束どおりリターンマッチで負けたが。
こう言うのは猪木の新日本にない面白さだった。
そう言った意味で上手い具合に棲み分けは出来てたんだな。 倉持アナって子供のころは古舘の陰に隠れて地味なアナと思ってたけど今ユ―チュ―ブで見たら味のあるアナだったんだと思った。 クラモの良さは子供にはわからんかったな
可もなく不可もなくレベルだった >>910
初歩的な言い間違いが多い人だった。
特に意味不明だったのが「ブッチャーのザギザギの額」。どう考えても「ギザギザの額」だろと思ったものだ。 倉持は田鶴浜に冷たいのがなんか嫌だった
まあ、田鶴浜もピントのずれた解説が少なくなかったのも確かだけど >>911
何度もアレックス・スミノルフ
って言ってたな。 田鶴浜先生と言えば馬場・上田戦の62対57の採点がいまだに分からん >>915
馬場のほうが5pばかり上回ってると言いたかったんじゃないの?w 田鶴浜さんは放送禁止用語使っちゃうから今なら首だな クラモとタヅハのチグハグなのが良かった。
フルタはフルタで早口。
雑誌でクラモとフルタの対談ってのがあった。 田鶴浜「馬場選手に 16文ラリアットはどうですか?と聞いたんですよ」
倉持「それで馬場選手はなんとおっしゃってましたか?」
田鶴浜「いやあ、苦笑いでそのまま何にも言わなくなってしまいましたがね」
倉持「。。。。」
そりゃ、倉持も嫌になるわ。 ダイナマイト・キッドの移籍直後
田鶴浜「キッドはね〜僧帽筋が素晴らしいんですね〜あの僧帽筋は・・」
そのあと僧帽筋と10回以上連呼してた 田鶴浜も「フレアーがロジャースの再来みたいに言われるが
バディ・ロジャースはあんなチャチなもんじゃなかった」と
馬場と似たような事を言ってたね >>923
これは桜井康雄も言ってたね。桜井はリッキーをホメてフレアーをケナしてばかりだったが。 田鶴浜さんといえば
「ローリングが、ローリングを」の連呼だろう
どの試合の事かこのスレの皆さんならわかるよねw >>922
その時
松永アナ「筋肉に詳しい田鶴浜さん」
これは笑った。
でも、田鶴浜さんはあの時、80歳で解説してたんだな。
山田隆さんより約30歳年上だもんな。 でも田鶴浜さんは晩年こそ好々爺な感じだったけど
若い頃の書籍や文献なんかの発掘記事を読むと、骨太というか武骨な文章だよね
でもスキャンダラスな文調ではないから、良い意味で馬場とは互いに信頼できる関係だったんでは? >>923
まあフレアーは動きの一つ一つが小さくてぎこちないからね
今昔の試合映像を見直すとNWA王者時代のブリスコなんかの方が遥かにアメプロの基礎と定石造りをしっかりと実践していて高い技量が窺えるし
>>930
田鶴浜は戦時戦後の混乱で出版社やラジオ局(当時)が消失した筈の大正〜昭和初期の貴重な芸能関係の資料を大量に保有していたらしくて
それが各界に顔が広くなった理由だそうだけど
一方で大正力こと読売グループの首魁だった正力松太郎の弱味を握っていたからあれだけ特別扱いされているなんて物騒な噂もあったな 田鶴浜さんハーリーレイスが試合中に四つん這いで後退するパフォーマンスがショックで
流智美に泣きながら電話してきたらしいね。 >>931
ブリスコに関してハンセンも全く同じこと言ってるね。
「彼はアマレスでは歴代No.1の強さだが、リング内ではアマレスを全く感じさせない見事にプロレスに適応したレスラー。
ここまで適応したレスラーは他にいない。フロリダでエディ・グラハムに重宝されたのも当然。」とべた褒めしている。 テーズ曰く、ブリスコは「NWAの権威を守った最後のレスラー」 でもブリスコ兄弟ってリング上の評価とは別に
なんかNWA圏のテリトリー権?みたいなのをライバルに売り払ったとかで
険悪な関係に誰かとならなかったっけ?
記憶が多分に間違いがあるかもしれないが、そんな記事を読んだ事がある
もしかしたら、ジョニー・パワーズと勘違いしてるかもしれない >>932
カマタ戦で馬場が陥落した時は没収試合!没収試合!ってしつこかったなw >>936
WWFの全米侵攻の時に自分の興行権を売って自動車販売業に転職して
裏切り者扱いされた、弟のジェリーはWWFのフロントに入った >>859
その差別化のためか武道館ではアジアタッグをやらなくなるんだよな
分裂前に最後にやったのはそれこそカンナムに小橋・菊地が挑戦した一戦か >>940
そういえばアジアタッグって武道館では殆ど
行われなかったね。89年にフットルースとカンナムの
2連戦と91年のカンナムvs小橋&菊地くらいだったし。
逆に世界ジュニアは武道館でも度々行われてたね。 興行権を売って他の商売するのはアメリカ的ビジネスライクで構わないが
最高権威の元NWA王者のブリスコがWWFのテレビマッチにシレっと出てたのは良くない気がした
本人にその気が無かろうと「NWAがWWFに屈した」かのような錯覚に陥った NWA王者というプロレスの頂点に立ったにも関わらず
ブリスコはプロレスと言う仕事があまり好きではなかったという
記事を読んだことがある ジャクブはプロレをビジネとしてしか捉えてなかったんだろな。
向上心がなかったとゆうか。
まあジャイバとあれだけ強い絆があると思ってたザファン。
しかしジャイバ亡くなってもザファンは来日せず。
あくまでビジネ繋がり程度で。
やっぱりプロレ選手もそういうもんなのか。 後にインタビュー等でブリスコのことを馬場が評して
身体が小さい、軽い、みたいなことを言ってるんだけど
そんなに小さかったかな?
NWAチャンピオンシリーズではレイスより背は高かった。
ドリーと同じくらいにみえたけどな。
ベルトを持ってるせいで二人より格上に見えたし。 >>945
著書では「名レスラーだがブリスコはちょっと線が細かった
NWA王者時代で体力を使い果たしてしまったのではないか」とか書いてたな 猪木のUNに挑戦してる時のブリスコは小さく見えるのに
NWA王者の時は大きく見える 倉持はケリーの身長を188センチと間違ったことを何回も言ってたな >>880
自己承認欲求てのは特定の団体信者ヲタに強いよな
最近じゃ団体側も故意か偶然か分からないが(笑)、ネットで粘着バトルするようなお邪魔ヲタを嘲笑うかのように、ヲタ同士目の敵にしてるような団体の選手をあっさり参戦させるような交流をやり始めたからな
粘着ヲタも叩く矛先を見失って右往左往してて笑える
妄想疾患気味な粘着質な団体ヲタは、たががネットで手前が推した団体や選手が週プロに取り上げられたりプロレスメディアで脚光浴びて扱いが良くなったり、集客力が上がったりすると(これも妄想)
「俺がネットで推したからだ」と言わんばかりの妄想を膨らませるからな
こういう妄想抱くのって完全に精神疾患だろうけど、端から見るとお目出度いヲタだな
ただ、全日本みたいに派遣(笑)とかニート臭いのとか、とてもいっぱしの社会人とは思えないような変なヲタに推される団体側もあんまりイメージ悪くなるとアレだし、ヲタ同士の不毛なネットバトルを弄るような交流試合を組むのは一興だな(笑) >>923
かつて、こういう昔の選手を持ち上げる年寄りは頭が固くていかんなあ・・と思ってたが、
今「マイケルエルガンなんてノートンに比べたら・・」とか「ハンソンなんてビガロに比べたら・・」
なんて思ってしまう自分も年を取ったことに気がついた >>949
句読点もひどいし駄文だしお前もとてもいっぱしの社会人とは思えんなw カミノゲ読んだら田上は地元でステーキ屋やってるんだな
まだ川田とも親交が続いてるようでちょっと安心した 【スーパースター】昭和の全日本プロレス55【カリフォルニアハッスル】
次たてるならこんな感じかな? >>949
全日本は興行減ったし、取材なお呼ばれもあんまりないし、関係者暇してそうだから豆にネットの書き込みなんかチェックしてそうだね
そうすると、まさかの選手ブッキングやってとかやってるのは、故意にヲタ弄りしてる可能性もあるかもw >>925
愛しのボッチャーにも田鶴浜さんらしき解説者が出てくるけど、
倉持らしきアナに話振られたらいきなり「ハッハッハッ! こりゃいいや」
と登場してきたなw >>954
ここの知ったかスレももう上がりか(笑)
全日本も粘着ヲタを故意に弄って、まさかの選手参戦なんかやっても集客伸びるか?
付け加えると粘着ヲタにありがちな妄想癖は昔、週プロで山本が「プロレスにおける妄想力」とか礼讃して支離滅裂、意味不明の幼稚な提言(笑)してたけど
今、その時期に週プロ読んでたと思われる全日本ヲタのネットの書き込み漁ると
さっき書いた妄想性の精神疾患ぽいのが多いな
中にはガチでカミングアウトしてるのもいるし、そんな連中には2ちゃん依存の異常者も多そうだな
そいつと絡んでる全日本系ヲタも書き込み掘り下げていくと妄想疾患の同類ぽいし、なんかシャレにならんわな(笑) >>945
キラーカーンが凱旋帰国した時のピラニアインタビューでこう答えていた。
ブリスコとバックランドを比べて、ブリスコの方がずっと力があった、組んですぐにわかった、と。
素人目にはバックランドの方がはるかに馬力があるようにみえるのにな。
まあ、ブリスコの無駄な肉のない体、しかもあの背筋をみると、少しうなずけるところもあるが。 山田隆さんって当時、結構年取ってると思ってたけど解説辞めるときまだ60前やったんやな。声が老けてた >>957
日大でのNWAのリターンマッチで馬場に変形気味のバックドロップを見舞った場面なんかまさにそれだったな
豊橋での奪還のフィニッシュもあれなら納得 でもブリスコってレスラー仲間の評価は高いのかもしれんけど、
「流石(元)NWA世界チャンピオン!」と、強さを納得させるような
試合って見せてくれなかったような。 >>958
昔(昭和)の50歳、60歳と今のそれは全然違うよねw 馬場が「子供の頃60歳て『随分年寄りだな』と思ってたけど、自分がなってみたら
『まだやれるじゃないか』」と言ってファンから歓声を浴びた事があったな。
まさかその1年後に亡くなるとは全く想像もしてなかったけど。 若林穴・・・おっとアナと山田コンビは相性はイマイチだったね
山田はちょっと苛ついた感じの時は少なくなかった
若林がちょっとズレた反応したときは「だから〜(怒)」みたいな感じで明らかに声が苛立っていた
若林は竹内がベストだね たまたま観た全日本プロレスクラシックで
ブリスコとブラジルのNWA戦やってたけど凄く面白かった >>960 >>966
ブリスコは誰とでも良い試合が出来る力量があるんだけどキニスキードリーレイス等に比べると試合ぶりが消極的というか自分から攻めに行く場面が少な過ぎるんだよ
Wikipediaのブリスコのページにある馬場の「逃げのレスリングをしている」というコメント(>>946が紹介してくれているのはたぶん馬場本人じゃなくてゴーストだった菊池孝が感じた印象では?)もその辺りを指しているんだろうし
事実鶴田とのUN決定戦や新日での猪木戦なんか本来ならビジター的立場のブリスコの方から積極的に動かないといけないシチュエーションなのに
まるで自分が王者で対戦相手の猪木や鶴田が挑戦者なんだみたいな態度で試合していて
それこそ鶴田や猪木の攻勢をブリスコが受けて立っているみたいな団体やテレビ局の側が望むのとは真逆の試合展開になっていたからね 倉持も若林もどっか勉強不足なところは感じた
竹内は若林のことは買っていたけど倉持は評価してなかったし、山田隆は若林と
合わなかったのもそういう部分はありそうだね
若林は元々がプロレスファンだそうだけど、間違いが少なくなかった >>968
そうかねえ。若林何か間違えたか?
世間一般のオタク同様間違えはせんよ。
若林は結構変人だったらしいから、それも含めて馬場も山田もイライラしてたんだろ。 ブッチャーが自分の額を切ったカミソリで、相手の額をカットしてC型肝炎を感染させて、訴訟で賠償金の支払いを命じた記事を読んだ
ビリーグラハムら名だたるレスラー達がC型肝炎に感染してるのを自覚しながら、カミソリで対戦相手の額をカットしてたブッチャーに非難轟々だが、いまブッチャーはどうしてるんだろうか? >>970
マジレスするとブッチャーだけの問題ではなくプロレス業界の構造的な問題だと思う
きちんと検診義務化なりすれば問題は起きなかったはず
勿論、ブッチャーは廃業に追い込まれたろうが厳しいようだけどそれも仕方ないと思う >>969
関節技とかけっこう間違えてたぞ
馬場は若林と相性悪かったな
いつもイライラしてた >>973
倉持の間違いはいい加減な知識による
言い間違い。
若林の間違いは試合に夢中になって興奮
しての言い間違い。 若林は用意したフレーズを言いたいだけなんだよな。
レスリングサミットでも松山千春にスルーされてたし。
資料読みでお馴染みの日テレのアナウンサーらしいけど。 >>976
古館の実況がプロレス中継内だけでなく一般のメディアなんかでも話題になり取り上げられだした
あの時期から実況アナってのは目の前の事象を伝えることよりも
まずいかに気の利いて視聴者が面白がるオリジナルのニックネームだのキャッチフレースだの
決め台詞だのを言うかが重要というイメージに視聴者以上に局やアナ達の側が囚われるようになった
これはなにより当の古館自身も含めての事象で
日本の男性局アナウンサーのゴールって今でも「古舘伊知郎になること」なんだよ >>977
同意
スポーツ実況をしているアナウンサーはスポーツ以外の番組でも絶叫したがる。
古舘の悪い影響が蔓延してるわ。 ゴングは若林に甘い印象がある
一時の若林のハチャメチャ実況も面白いとかヨイショしていたし
プロレスニュースが賛否あったときは、福澤=プロレスファンの敵、若林がプロレスファンの良心みたいな感じで言われていたのも日テレに踊らされてるだけなのに、と白けた思いだったけどな >>974
松永の「ジョー意識は意識不明です」も含め、日テレプロレス担当の言い間違い、「ザギザギの額」のような覚え間違い、そして「ぶっ倒れています」「白人の血が流れます」のような不適切な表現は目についたね。当時はそれで済んだけど今なら叩かれそう >>979
竹内さんの雑誌とはいえ、
若林&竹内を「悪ノリコンビ」って持ち上げてたからなぁ。
いやいや、その悪ノリが嫌なんだって
と思ってたんだけど。 >>922 >>929
ボディビルを日本に紹介した一人で協会立ち上げに絡む重職だったしそこは言わせてあげて
まあ後年は何かに付けやたら連呼癖があったけど。
>>930
学生時代は三段跳びだかで今で言う五輪強化選手みたいなアスリートだったんだよな
記者に転じて文武両道を地で行くような人だったとか。解説晩年から想像もつかないがw
晩年の田鶴浜さんは口が明らかに試合のスピードに付いて行けなかったからな
映画のTV放送みたいに前枠で試合前に見どころを語ってもらうとかにすれば良かったかも >>980
倉持アナはいろいろ適当とか言われるけど完全にやる気無いとかじゃなくあの人途中から変に必死なんだよなw
最初は丁寧に在りがちな紋切り型が崩れることでただならぬ雰囲気を演出…ってのは褒め過ぎか。
そこに松永アナのいかにも報道さながらの緊迫した雰囲気の真面目なサイドレポートや
山田さんのハッタリの利いた解説が加わった異空間ぶりは今にすれば出鱈目かも知れんがいかがわしく禍々しくて大好きだわw >>975
若林はファン目線でズバズバ質問するからな。
馬場はプロモーターとして答えられない質問されると口ごもってしまうと著書に書いてたな。
それがアナウンサーとして悪いとは思わん。むしろ当たり障りないことしか聞かない奴よりよっぽど良い。 >>977>>978
そんなのはダメなアナウンサー。
実力あるアナウンサーは、ちゃんと基本に忠実に喋ってる。
あと、絶叫すること自体は別に悪いことではない。
見ている側の気持ちとリンクした絶叫なのかどうかが問題。
その点、古舘や若林は場面に適した絶叫だった。
福澤や辻がわざとらしい。 >>980
それは単なるお前の揚げ足取り。
そんな間違いは取るに足らん。
そんな細かいこと本当に気になるんなら、精神的な病が疑われる。 >>976
スルー?どこで?
長い夜になりそうだってやつ?
それより倉持の方が失礼な質問してたな。
ウォリアーの衣装、ステージ衣装の参考になりそうですか?とか。
考えたこと言いたいって若林に感じたことはないな。基本的に目の前の出来事を重視するタイプだと思うぞ。 >>983
倉持アナは盛り上げるのめちゃめちゃ上手いと思うよ。
今から思えば、古舘とは違うタイプの天才。
オープンタッグは、倉持の実況がなければ、ここまで語り継がれることは無かったんではなかろうか。 このあいだの、新日の大阪大会の永田vs北村の試合で絶叫する野上アナをライガーは試合後に「耳障りだ!」と一刀両断したのは気の毒だったわ 松永アナが「凶器はフォークです!」とレポートした途端に
倉持アナが「ああ…またフォークだ!!」と急にフォークを強調しだしたりw
乱闘の揉み合いをカメラ追いきれず会場外に消えてまだやり合うブッチャーとレイスの様子とか
やっぱり倉持松永はベストタッグ過ぎるわな クラモはプロレには興味がなかった。
仕事として割り切った。
ワカバやフルタはプロレが好きだったから仕事以上に張り切った。
でも後々にクラモが言ってた。
例えばプロヤ等他のスポーツ担当なら味わえない、経験できない事がプロレには沢山あった。
そういう意味ではプロレ担当になって学ぶ事も沢山あった。
まあザシクに本当に襲われたりと。
ああゆー事はプロレ以外に有り得ないし。
フルタもデビシュに襲われたりと。
記者なんかもそうだろう。
プロレ担当になったばっかりにタジェシから本当に襲われたりと。
今のプロレにゃそんな事はないだろうが。 鶴田が死んだ時ルックルックこんにちはの司会をやってた松永の悲痛な言葉に涙した 福澤はプロレスニュースで好感持ってない人もいるかも知れないけど、実況は手堅くこなしていた印象
竹内もその実力は評価していた
竹内は平川アナは若手では有望と評していたな 三沢のエメラルドフロウジョンが炸裂して、エメラルドフロウジョンという技の名前がでなくて、この技が出ましたとか、なんかごまかして実況したの誰だったかな?技の名前知らないのか忘れたのか、間違った技の名前を平気で言ってるアナは、目立ったな >>989
自分も野上は嫌い
そういう役割を求められてるのは理解してるけど、どうも鼻に付く 最近のは全くわからんが。
フクザやツジヨシもプロレ好きだったんだよな。 福澤はプロレスは好きじゃなかったと著書で書いてる
福澤は逆にそれが良かったと振り返ってる 83年11月の蔵前大会での長州×前田。
試合中にまだ新人でリポーターの辻が古舘に「放送席の古舘さん」というのがある。
リポートの内容は忘れたが。
辻の実況の頃はリポーターは藤井や真鍋だったが。 ♪♪
ジャイバにジャンツにアブチャにミルマ
テリゴ ザファンにロドウォ キラカ このスレッドは1000を超えました。
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