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長州「阿修羅、どうだ?ダイヤモンド原に改名してみては」
原「いえ、結構です」 阿修羅原に長州を襲撃させるなんて、テロリスト藤原の焼き直しをさせたのは誰だったんだ
馬場が考えたのなら、その後のシングル戦で長州が原を立てずに
抑え込むような試合をしたのも納得できるが >>629
原とシングルで絡んだのは、全日に参戦した年の9月か10月だったはずだが? >>636
@85年10・4
A87年1・10
あとWARでも1回やってたんじゃないか。 >>621-625
あの試合は原も動きや攻めがカタい
むしろ開始5分足らずの状況で唐突にツームストンを繰り出したり(しかも故意か誤ってか藤波の頭を両腿で固定せず危険な落とし方をしている)
して試合を不穏な展開に向かわせたのは明らかに阿修羅の方
>剛の試合の時もそうなんだけど、藤波はやたらグラウンドに持って行くんだよね
>対抗戦だとやっぱり自分を優位に見せるために普段使わない技を出して、新日強しをアピールしたのかも知れない
あの当時のタイトル戦特にシングルだと試合前半ではそんな攻防が当たり前なんだけどな
アキレス腱固めなんて誰でも使っていたし
全日だと鶴田がUN戦やNWA王座に挑戦した試合やドリーのシングルマッチなんかがそう
鶴田は関節技こそ多用しなかったけど
レイスやフレアーとの試合ではリフトの体勢から前に落としてバックを取ったり両膝を付いた形で相手を投げるファイヤーマンズキャリーを見せたりと
アマレス式の技や攻め方をよく使っていたよ >>632
NWAの解体進行や新日本とWWFの手切れもあって新日本と組んだ方が条件が良いとエリックが判断した模様 >>637
全日で長州と原、2回はシングルで当たってたんだ。
87年の方は全然覚えてなかった。
1回目は、なんか後味悪い試合だったが、2回目はどうだったんだろう。
長州は全日離脱直前だったし、イメージとして微妙な試合だった感じがする。
WARの頃は、原はもう動きがダメだったしなぁ。 二度目の時はかつて藤原ともやった大阪城ホールだったんだよな
ただしメインは馬場・輪島対シン・アシークで輪島の大阪初御披露目といった感じ
またシリーズ名にも見られるようにほとんど全日本に飲み込まれるところだった印象 >>641
そうか。
シリーズ名も「新春 ジャイアントシリーズ」に戻してたんだった。
そして、ベルトも次のシリーズからインタータッグも世界ジュニアも全日側に移ったし、ジャパン勢(マシーン、ヒロ含む)移籍の伏線があった。
今、思うと。 それに新春のバトルロイヤルも復活していたしジャパンの元日興行も無かったし それなら馬場と長州というより、馬場と大塚氏だろうな
まあ、同じ事だけど
ほんと、インタータッグやジュニアのベルトなどちょうど全日に戻った後だからね
そのベルト推移がたまたまの流れなのか、ジャパン軍の最低限の仁義だったのかだな 連レスすまん
ジャパン離脱前の流れと天龍離脱前って予兆の現れ方が似てるよね
馬場は両方とも「突然の離脱」的な感じの対応やコメントだったけど
天龍遺脱前も
馬場にフォール負け
武道館のタッグでギブ負け
全日中堅軍の天龍包囲網
川田冬木の全日軍復帰
鶴田にシングルでピン負け
たった四ヶ月でこれだけの事象
まあ離脱じゃなくて、鶴龍コンビ復活の複線だった説もあるから一概に同じとはいいきれないけど >>646
思い出したが、長州離脱の前年の秋には週プロでも
「長州離脱は秒読み段階」みたいな事書いてるんだよね(確かゴングでも似たような記事が?)。
マスコミも書き立てるのに、馬場が何も察知してない訳がない。 >>640
あれは元々マシンとのシングルの予定だったが、マシンが病気欠場したんでパートナーの原が急遽抜擢された。
必然性がなかったから淡白な一戦だったよ。 >長州離脱の前年の秋には
1986年10月、猪木は
デビュー25周年記念試合を
両国で行ったが、
その時、長州から花束が届き、
新日復帰が噂されたよ。 ところがそんな阿修羅だがプロレス転向で
腕立て伏せ10回出来なくて団体関係者を唖然とさせたのは
一般には知れ渡っていない衝撃の事実 先週G+でやってた87年札幌のインタータッグを録画してる人は
試合終了直後の長州の動きを確認して欲しい
明らかにこの日がジャパンでの最後の試合と決めている仕草だ >>637
原は85年に天龍と長州に噛み付いてヒットマンに。
鶴田 天龍 長州 原の四つ巴になると思った。
でも原は思ったより活かされず。
勿体なかった。
その後は元国際という経緯から国際血盟軍に。
その流れでシンともよく組んで。
シン、原のコンビも嵌まればいいコンビになったと思う。
でもシンと組んだら原も合わせて最低限は極悪ヒールの片鱗を見せなければならない。
それは原の本意ではなかたはず。
ベビーではないにせよ。
ただシンと組まされてるだけに見えたし。
87年に天龍と組むまではまたもや燻っていたと思う。
天龍同盟から漸く(ようやく)開花した感じで。 マシンは全日いったのは間違いだったな
あの時期のメンツでは一番目立たってなかっただろう
本人もあそこまで冷遇されるとは思ってなかっただろ シンってラッシャーが亡くなった時も阿修羅が亡くなった時も一つもコメントしなかったけど、
当時から仲間意識ってのはなかったのかな。 >>618
フォール負けでタイトル渡してるのに返してもらう時はリングアウト勝ち。
藤波は不満だったみたいで試合後、試合結果に納得できないとして
即王座返上→再度王座決定戦をアピールしてたね。
結局、会社サイドも認めず次の福岡での長州とのタイトル戦は好勝負だったが
その後の長州戦は消化不良の連続だった。 >>652
ドラマ仕立てだよw
末期、しかも日本リーグが不調に終わり土壇場の国際プロレスにおいて
本来阿修羅は即戦力でリングに上げたかったんだ
でも、あまりのレスラーとしての基礎体力不足に遠藤が付っきりになって大改造したんだよ
これね、プロレス雑誌等の記事じゃなくご本人に聞いた話だから >>654
確かにね。
新日の時に『これから』って時期に居なくなったのは勿体なかった。
あのまんま新日にいたら時代を築けただろう。
逆にマスクは脱いだかも。
でも脱ぎそうな流れにして最終的に脱がない、と。
あの流れだとそこまでがピークになるが。
でも全日だとあの時代はメンバーが充実していたから埋もれたね。
全日でのマシン絡みも色んなカード見られたのは良かったが。 >>655
単に報道されなかっただけでは?
馬場が亡くなった時もシンのコメントはなかった様な。
馬場とシンは関連深いのに。
東スポ、週プロ、ゴングとどれにも掲載されてなかったはず。
見落としただけかな? みんなこの時代は団体に入門してキツい練習していじめやしごきにも耐えて
やっとデビューして前座の第一試合第二試合とかを務めてる時も
やっぱり自分こそは馬場猪木、とまではいかなくても
将来は鶴田や藤波長州や天龍、タイガーマスやせめて健悟くらいwのスターになって
全日や新日のマットの主役としてハンセンやブロディ、ブッチャーやファンクスマスカラスのような
(その時代の)大物外国人とスポットライトの中メインエベントで
チャンピオンベルト争う自分の姿を夢見てるんだよね?
新倉や笹崎ハリケーンズの面々や渕や薗田や越中或いは菅原冬木なんかは
新人の頃からいつ頃まで純真無垢にそういうことを思っていたんだろうか? 日本のマスコミがコメント聞かなかっただけだろ
多少縁があったレスラーか死ぬ度に、いちいちシン側からマスコミに連絡しろとでも? 阿修羅はR木村との血盟軍コンビがよかったよ。ジャパン軍とのカードは好試合だったし(馬場解説では珍しく誉め言葉)、鶴龍には黒星なしだったからね(天龍腰痛でリングアウト勝ち&両リン)。
阿修羅vs長州は全日では長州が原の攻撃を全く受けなくてつまんなかったけど、WARでのラリアットマッチは両者ともラリアットを受け合って面白かったな。 阿修羅 マシンも良かった。
マシンの怪我での途中欠場は勿体なかった。
せめてインタータッグ一度は巻かせて(任せて)上げたかった。 でも阿修羅とマシンって10歳差なんだよね。
阿修羅:1947年1月?日
マシン:1956年12月20日
当時はそんな感覚はなかった。
阿修羅が見た目もイメージも若く見えたからね。 近鉄ラグビーの名FWだった原の加入の頃から印象。入団まもなく特訓に次ぐ特訓、そのまま海外遠征し英連邦王座に就いて
帰国後、原進から阿修羅のリングネームを受け、ツルノを降してWWU戴冠、ピンクレディみたいなw?キンキラコスチュームに
大仰な入場テーマ。。30で入団してホント急ごしらえで次期スター候補を育ててる感がガキの俺にも伝わったな。
全日スレでスマンがw 選手飽和状態の上にウォリアーズが全盛を誇っていた全日とはいえ
マシンと阿修羅のコンビがアジア戦線でしか活躍できないとは情けなかった
原の序列が天龍と長州に及ばないうえに、
馬場がマシンを評価してなかったから仕方ないが 浜口は原が入門した時にはまだ軽量だった原を
骨太体質で肉が付きやすいからすぐにレスラーの身体になる。
でも137キロになった時には《まさかここまでなるとは!》と思った。
そんな記事があった。
龍原砲の頃は確かに重量級のスーパーヘビーに。
ハンセンやゴディにも当たり負けしてなかったし。
でも勢いがあった88年暮れに解雇は勿体なかった。 阿修羅とマシン
1985年の最強タッグでは阿修羅、1986年はマシンがデビアスにピンフォール負け
鶴田、天龍、長州、谷津はハンセンにもピンフォール負けしなった頃
日本人抗争している時と対外人では序列が異なるんだと思ったなあ
この他、阿修羅は木村と組んで、ウォリアーズに大熊、園田、栗栖並の短時間でやられた試合もあり >>664
マシーンは見た目では年齢が分からんしなww >>650 >>657 >>668
それはラグビー引退後殆ど体を動かしていなかった裏事情もあるだろうけど
ゴッチみたいな事を言ってしまうけど昔流の筋トレやボディビルで体を大きくすると自重トレの方は全く出来なくなってしまった話はよく聞くから
ボディビル以外の競技でも“使える”筋肉を造り上げられる様な応用力や実践性の高い筋トレが日本に普及したのは80年代以降だからね
>でも137キロになった時には《まさかここまでなるとは!》と思った。
むしろそれが膝に過大な負担を掛けて選手寿命を縮めてしまう結果をもたらしてしまったとも言える かなり前に何かの記事で阿修羅、大熊、小鹿、石川が190以上なら凄いレスラーになっていた。
そんな記事があった。
何故か小鹿の名前が。 >>671
身長によって同じ体重でも膝への負担が異なる、と聞いた。
※個人差はあろうが。
190 140
170 140
これだと170の方が膝への負担が大きい。
力士でも同じ様な体重でも身長が違うケースがある。
196 180
174 180
やっぱり身長が低い方が膝への負担が大きいのか。
阿修羅の137はハンセンやゴディと変わらず。
でも身長では阿修羅は彼等より10センチは低い。
だからその分膝への負担も大きいと。
一概には言えないが。 長州と原のシングルは3回か。2回目か3回目の時に、スタートから一切他の技を使わずに
ラリアート合戦やって、最後は長州が勝った試合なかったっけ。長州と他の選手だったかな。 >>673
170cmで 体重140 `
って言ったら、膝に限らず
全身にヤバいだろ!? >>668
>でも勢いがあった88年暮れに解雇は勿体なかった。
あの解雇がなくて、ブロディも生きていたら、87年〜89年までの最強タッグは
鶴田&谷津、天龍&原、ハンセン&ゴディ、ブロディ&スヌーカが3年連続参加だったのかな。 原の体型バランスとしては国際崩壊から全日本入団に掛けてが一番良かった印象
だからハンセンの全日本復帰第一戦も光った 原のでかさで137キロはウェイトオーバーじゃないか
せいぜい120ぐらいが限度な気がする >>676
4強時代が続いただろう。ただ、スヌーカが衰えてブロディ&スパイビーだったのではないか? >>679
そういえばブッチャー&スヌーカーってブッカーは何をしたかったんだろうね。
始めはあまりにも異色で新鮮で良かったのに。
もともと短期間で終わらせる予定だったのか。それとも実際に組ませたが何か理由があって解体したのか。 >>674
WARでやった試合だな。
しあいまう、阿修羅が「今日はラリアット一本で勝負だ!」と言って、長州もそれに付き合った。
途中、ブレーンバスターと頭突きが出たほかはほぼラリアットの打ち合いだった。
試合は長州の勝ちだったが、ラリアットは阿修羅が勝っている印象を受けた。 >>679
スヌーカは厳しかった気はするよね。
確かに、ブロディ&スパイビーはあり得るチーム。
スパイビーも89年の来日時に「ブロディというレスラーをもっと知っておきたかった」と言っていたっけ。 >>681
おぉ、サンキュ。いっその事本当にラリアート一本だけでやってくれたほうが
よかったとも思うけど、流石にそうもいかなかったんかな。
>>683
俺もどう見ても137はないだろうと思うけど、当時そんな公式発表でもあったかな。 >>665
本当かどうかは知らないけど阿修羅は新日と争奪の末国際になったらしいけど
当時すでに国際の給与遅延は始まっていて、剛は離脱してるんだよね。
いくら、草津がラグビーの先輩とは言え不可思議なんだよ。
新日は阿修羅の年齢と訛った身体で積極的でなかったとしか思えない。
>>671
そんなこと言ったら遠藤さん怒るよw
137kgが本当なら、それは過ウェート過ぎでもはや走れないよね。
何のスポーツでも走ることは共通した、トレーニングのスタート。
これをしたかしないかが、概ねの選手の新日と全日の差であり
選手寿命、そして本当の寿命の差に影響してると思うよね。 しかし最初の刷り込みが抜けないせいか、未だにラリアートと言ってしまうんだなぁ。
この技が脚光を浴び始めた頃のプロレス雑誌とかでウェスタン・ラリアートって表記
だったから。今じゃ少数派かもしれんけど。 原 進
って見出しのゴングを古本で見たことがある。 しかもそのWARの長州戦てたしか5分もしないで終わらなかったか
ビデオに収録されてたような気がする
記憶違いかな >>688
東京体育館では、自らロープに走るラリアットを交互に打ち合う展開(小橋×
健介のラリアット版)。マイクで勝負を挑んだはずの原が自らラリアット合戦を
辞めてトーキックするも、リキラリアットであっさり敗北(だったはず)。 >>686
いいんじゃないの?
馬場も死ぬまでラリアートで通してたし でもほとんどラリアートの打ち合いならそれぐらいが限度かなって気もする。
やるほうも見るほうも。プロレスの試合時間としたら短いけど、5分間て結構長いからね。 >>690
まぁラリアートでも別に間違いじゃないと思うしね。
でも向こうの発音だとやっぱりラリアットが正式なんかな。
よく分からんけどw 発音的にはラリアットの方が近いが、別にどっちでも。
表記揺れの範囲だ。 しかし原ほど色んな髪型をやって、その全てが似合うという…羨ましい限りだ
デビュー当初から全日移籍までのブロンソン風
ヒットマン復帰からマシンと組む頃までのランボー並みの長髪
天龍革命の頃のセミロング
タイトル落として禊ぎの坊主頭→角刈り
個人的には体型の変化にあった角刈りのいかつい風貌が一番レスラーらしくて良かったと思う
まあ、でも甲乙つけ難いくらい全部似合ってたよな >>680
マスカラスの出たかなり昔のシリーズで似たネタを子供の頃見たことがあった
昔の使い回しじゃんとその頃思った
全日は結構そういうのが多かった 原って真冬でもTシャツにジーンズ、ブーツって出で立ちだったらしいけど、
「俺のこの肉体がコスチュームだ」というメッセージだと二宮清純氏が週ゴンの
コラムで書いてたね。レスラーのファッションがテーマで、他に大仁田や天龍、
アニマル浜口なんかも取り上げられてたと思う。 オールスター戦も当初の予定では鶴田藤波阿修羅のトリオだったんだよな
次世代のエース候補ってことでそのトリオが企画されたそうだけど、鶴田藤波と阿修羅が同格ってのに
全日新日両サイドが難色を示し、結局マスカラスになったっていう話
まあ、マスカラスで正解だったけどね
未だに鶴田藤波マスカラスは夢のトリオって印象があるし カブキのヒールターンもあの時期だっけ?
ラッシャー、原組、カーン、マシン組、原、マシン組とか
カーン、ゴディ組、ゴディ、カブキ組もあったっけ?
ここらへんはメチャクチャだっからどういう流れだったかまったく記憶にないわ コンバットRECが天龍と飲んだときに聞いたらしいけど、天龍同盟のとき阿修羅が飲み会をセッティングしたら二次会がいきなりディスコだったそうな。
しかも幹事の阿修羅は女の子引っ掛けて途中で消えちゃったらしいw
天龍「国際出身のレスラーは変わってるからね」。
巡業中は飲み食いよくしてたらしいけど、オフのときはほとんど会わなかったそうな。 馬場の体重って本当はどれくらいだろう
140もないよね? >>695
馬場なんて五分刈りしか似合わないからなw
(一時期いわゆる「頭突き対策のネタ話」少し伸ばしてたのがあったといえ) >>703
所謂マッシュルームへア時代だな笑>>髪を伸ばしていた馬場
因みにその頃は猪木も髪をザンバラ状に伸ばしていて、プロレス雑誌の投稿欄に
「馬場も猪木も見苦しい長髪はやめろ!」て苦言が掲載されてた笑 馬場は天然パーマらしいね。カットしてた理髪店のおっちゃんがインタビューで言ってた。 >>703
インター王者以前のちょっと伸ばしたくらいの髪なら似合ってたんだが。
大木戦の頃はこりゃあ似合わない……というくらい酷かったな。
歯も銀歯が目だってじじ臭い。
反面、猪木はその頃のヘアスタイルが一番似合っていた。
猪木は日プロの頃はちょっと猿っぽかったけどこの時期は違うし。
関係薄いだろうが賠償美津子もその頃が一番色気があって最盛期か。
その辺で差がついたところは大いにあるんじゃないかと思う。 馬場が長髪にしてた70年代半ば頃って世間でも男の長髪が流行ってたから、馬場もそれに倣ってと
当時思ってたw その頃は幼稚園に入るかどうかの年齢だったから
自分にとっての馬場は長髪のイメージ、その後の角刈りの方が違和感があった
あとスレ違いになるが、坂口と草津が似てるのは定番だけど
その頃は草津はしらない、坂口は新日テレビ中継でなんとなく知ってた
むしろ坂口は俳優の伊吹吾郎と同一人物だと思ってた >>700
天龍と阿修羅は阿修羅解雇前はちょっと微妙な関係だったもんな
天龍も公の場で阿修羅の欠場について事前に言って貰いたかったと批判していたし
あと引退記念の際に出版された天龍と夫人の語り本で夫人は阿修羅に関しては色々あったみたいなコメントしていたので、マスコミで言われてるほどキレイ事ばかりではななかったんだろうな、って思う
天龍も阿修羅が亡くなったときもコメントしなかったからな
複雑なものはあると思う >>701
ウィルバー・スナイダーにエアプレンスピンでブン回されてる写真が残ってるね。
あの写真見た当時(小学6年頃)は「スナイダーSGEEE!馬場の巨体を振り回してる!」
て思ってたけど、今思うとあれ普通の事なのかな笑
全盛時のアンドレを振り回したらもっと凄かっただろうけど笑 >>701
がりがりの人でも2mあれば100sはいくからね。
全盛期なら140kgはあると思う。 >>708
必殺仕事人のおでん屋の技をものにするとか、そういう遊びが坂口にも欲しかった 病気したり怪我すると身長は縮むから、晩年の馬場はひょっとしたら2メートル切っていた可能性もある
鶴田も病気から復帰してからはなんか小さく感じたもんな 今のプロレスラーの体格って、体育会系大学生や肉体労働者でゴロゴロいる程度で特別感がない。
ステロイドみんな打ってたのかな。暴露本乱発でファンタジーも無くなったせいもあるけど怪物イメージなくなったな。 プロバスケにはデカイのはゴロゴロいるけどね
プロレスは儲からないし、世間体もあまり良くない
昔はプロレスはほとんどメジャーだったから普通に子どもなんかも憧れの存在だったけどね 自分の子供が身長195pあったとして、将来考えたらプロレスや相撲はないな。
バスケやバレーを企業チームでやるのが一番いい。
数十年かけてプロレスや相撲は廃業したら終わりというのが世間にばれてしまった。 プロレスはほかのスポーツに比べて選手寿命が長いので、生涯収入で見れば決して稼げない仕事ではないとか言う意見もあるけどね
ガチではないとは言えプロレスの技は危険だし怪我のリスクは当然あるけど、それでもボクシングとか格闘技に比べたら、そのリスクは低い
あと蝶野のように副業のアクセサリー屋とか芸能の仕事が順調ならば他のスポーツ選手に比べても遜色はない収入も可能だしね 肉体労働やってるからか相撲取りみてもゴツいとかデカいとか思わないもんな
中身はゴツいんだろけどさ 馬場の身長に関しては諸説あるけど、巨人入りした時の計測した写真が残ってる。
体重は100を少し超えたくらいで、身長は203センチだった。もっとも16〜17才の頃だから若干伸びたかもしれんが。 馬場はプエルトリコの人を抜いて、巨人症の長寿世界記録を更新した世界的有名人 でも馬場の享年61より生きた人はいないという意味では? >>725 その通り
当時、馬場の訃報はプエルトリコでも大々的に報じられた 007のジョーズの人が74歳まで生きて今はとっくに更新されてるけどね。 「007 ムーンレイカー』にも出演したアメリカ人俳優
リチャード・キールは、身長2m18cm、
WIKIでは「巨人症の有名人」として紹介されているが、
彼は(1939年9月13日 -2014年9月10日)で
満75歳の目前で亡くなっているのだが。 バリーウィンダムも2メートルあったんだよね
あとバスケはアメリカだと190センチ台でも小さいと言われることあるから2メートル台はむしろ普通
馬場クラスだとアメリカじゃデカイ男くらいの感覚なんだろうな〜 馬場はデカイだけじゃなくて、風貌がいかにも巨人症なんだよな。
日本人の巨人症の見本のような男。 巨人症がレスリングにしろバスケにしろ身体能力を阻む要因に全くならないどころか強みになったのは
神からの慈悲なのかね。。。w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています