【新春】昭和の全日本プロレス50【バトルロイヤル】
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【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
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【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
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【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
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【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】
【夏の主役】昭和の全日本プロレス36【ミルマスカラス】
【国際血盟軍】昭和の全日本プロレス37【C・ハリケーンズ】
【B・テラー】昭和の全日本プロレス38【M・アサシン】
【M・ルーイン】昭和の全日本プロレス39【K・イヤウケア】
【百田義浩】昭和の全日本プロレス40【原軍治仲田龍】
【プロレス観戦の記念に】昭和の全日本プロレス41【ご家庭へのお土産に】
【ジム・デュラン】昭和の全日本プロレス42【バック・ロブレイ】
【アラビアの怪人】昭和の全日本プロレス43【インドの狂える猛虎】
【リングの中ジャイアント馬場です】昭和の全日本プロレス44【控え室ジャイアント馬場です】
【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】
【チャンピオン】昭和の全日本プロレス47【カーニバル】
【マシンガン】昭和の全日本プロレス48【チャイニーズカンフー】
※前スレ
【バーンガニア】昭和の全日本プロレス49【ハーリーレイス】 [無断転載禁止]c2ch.net
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1505744474/ ,llllllllll!!゙゙゙~゙゙゙゙゙゙゙゙゙!!!llllll!!!!゙゙゙ ̄ ゙゚゙゙!!llllllii,,、
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l`゙゙!,/゙ l,.'l、 ノ「./ .l/ '゙i,
.ll ゙l,、'ト , ll ケ ./ .゙l,, 、
.l ゙l,、 | ,il° .゙l,、
.| .lト .゙‐ l′ .゙lr お互い190センチ超えで、会社もそれなりに売り出したのに
・最強タッグで優勝して三冠ヘビー級&世界タッグを取り一応トップに立った田上
・最強タッグ(オープンタッグ)出場は1回のみで戦績は同率最下位
インタータッグやPWF インター UNベルトを取るどころか挑戦すら出来ず
アジアタッグすら取れなかったロッキー羽田(唯一の勲章は正月のバトルロイヤル優勝)
何故これだけ差が着いた? 90年代末期のvs高山戦とか田上は見応えのある名勝負があるな。
田上は天龍タイプの不器用だけど強引に技を決めちゃうところに迫力、説得力があった。
羽田は華奢だけど鶴田、戸口のような巧さや器用さは全く無く
田上同様に不器用だけど、それに付随するような迫力が全く無かった。
坂口戦で何か爪痕でも残せてたらね。 田上はメガネスーパーに行かなかったのが全て
顔ぶれ見たら絶対に行く方なのに 羽田も77年78年はメインに複数回(負け役では無い)登場して
3本勝負の時は羽田が決勝フォールを取ったり
78年正月のバトルロイヤルで優勝して、そこそこプッシュされたのに
残念な結果に終わったよね。 >>9
羽田がフォール取った記憶が全くないんだが。
そうだったか。 しかし、デストロイヤーは本当に元気だな。
87歳でこんな元気な元レスラーは今までいなかった。
ガニアは89歳まで生きたけど、晩年は認知症でずっと施設暮らしだったし、
現在、最年長で91歳の遠藤幸吉は40年以上表舞台に出てきてないから、
実際は元気かどうかも分からない。 まあ大学教育学部で修士課程まで取り、体育でも後進の面倒見たり人格者っぽいし、
名誉欲や金銭欲に執着せず、自制心なんかも優れてるんだろうな。。 >デスト >>10
メインで員数合わせ外国人からは複数回決勝フォールを奪ってるし
78年の新春シリーズではタッグ(3本勝負)でキムドクやイヤウケアからもフォール勝ちしてるし
同年のチャンピオンカーニバルではキムドク(リーグ戦外の試合)とのシングルでは
両者リングアウトの戦績を残すなど、かなりの好待遇! ようつべにデビアスとのシングル戦が上がってるけど、それなりにいい攻防をやってるよ。
私が会場に行き出したのは昭和58年頃からだけど、もうその頃には極道や百田兄弟とお笑いプロレスやってた。 >>15
記録を見ると昭和57年のサマーアクションシリーズの光大会(セブンが越中に負けちゃった日)でジャンボが交通渋滞に巻き込まれて欠場し、羽田が代打でメインの6人タッグに抜擢されて一日2試合こなした事があったようだ。
翌日その褒美か、セミで馬場と組んでシン・ジェリーオーツ組に勝利してる。
これはイレギュラー対応ではあるけど、それ以来勝ち役としてセミ以降に出る事は無くなったようだね。 86年4月の後楽園(羽田&大熊vsデビアス&バス)が
現役最後のテレビマッチになったんだよね?
大熊は頭突きの連発で見せ場を作ったけど
羽田は見栄えの悪い弱々しいチョップを数発打っただけで
全く見せ場を作れずワンサイドで負けたんだよね。
実況あなも「日本組は地味ですねぇ〜」とか「日本組は何分持ちこたえられますか」等
散々な扱いしてたしねwww 43歳の若さで亡くなったからね
現役時代から内臓疾患がどうしようもなかったんだと思う>羽田
探偵物語出演と「燃える!お兄さん」のキャラの名前に使われた事が勲章だな >>13 まぁ、私の寿命はですね、まぁ、何と言いますかね、やはりタイガーシンも、正々堂々と、凶器を棄ててですね、戦いに挑む、そういった精神で戦ってもらいたいですね by 遠藤幸吉 >>13
遠藤幸吉、何十年ぶりに話題が出たと思ったらストーカーで逮捕されたよね? 遠藤幸吉って若い頃の写真見ると身体も顔もイケテるんだよな >>18
久々のテレビ登場なのに、試合開始前の羽田のやる気の無さ加減がw >>24
三沢や川田が入門した頃にはすでに合宿所に入り浸って、人の食べ物食い漁ってたんだから
それまで一体どんな人生送ってきたんだと思う。 >>26
羽田はライガーと同じような感じで
シリーズ中のみ合宿所住み(オフは引っ越した長野県の実家に帰ってた)だったと思う。
林は常時合宿所住み 最強タッグ初出場初優勝って、ブロディ&スヌーカとウィリアムだけだよね?
勿論1回目とノア勢離脱後の大会は省いてだけど 投稿した後思い出した
デビアスも初出場初優勝だった 試合がテレビ中継に乗らなかったの、林と肥後くらい?オープニングではあった? オールスター戦での坂口とのシングル対決が
最高の舞台だったのかな。 >>28
五輪コンビ、天龍・ハンセン組も初出場初優勝じゃない? 肥後はどう見ても本名の本郷篤の方が良いのにな
リングネームで地味な名前に変えるってのも珍しい >>35
>>28、>>29が書いてるのは初出場組じゃなくリーグ初出場のレスラーだろ? 羽田は今も再放送されてる人気番組の探偵物語で一般人にも顔を知られている
ある意味田上よりも知名度が高いな >>40
イヤいくら探偵物語に根強いファンが多いと言ってもそれが羽田の知名度の高さに繋がるなんてのはちょっと飛躍し過ぎ
大体1話限りのゲスト出演でまともなセリフすら無かった上に
ただガタイが大きいだけでキレのいいアクションを披露した訳でもない羽田なんてプオタじゃなければ余程の優作信者か探偵物語マニアでもない限り憶えていないんじゃないの? カンケー無いけど、「探偵物語」って工藤ちゃんのテレビも角川の映画も松田優作出演ってのが今さらだが面白い。
当時そんな話で話題になったっけか? >>42
それなら、池中玄太80キロ2に1回限りでは無くレギュラー出演したドン荒川の方が知名度あるよ。 >>44
いやいや、それなら、たけしのテレビに出たい奴みんな来い、に毎週出てた大熊元司の方が知名度があるだろw
スベった素人に頭突きをカマす役だけど、たけしにも結構いじってもらってたぞ。 そう思うとデストロイヤーってやっぱり凄いよな、と強引に纏めてみる デストロイヤー引退シリーズのSAシリーズ大分大会観に行ったなぁ
浅子と井上雅とっかえひっかえのシングルだったな
売店では退団直前だった寺さん(寺西)が元気に売り子してたなw そういう基準なら大河ドラマで蜂須賀小六役をやった大仁田が一番だな 昭和の後のほうだとプロレスって適切な?一般認知が低かったから、誰なのか知らない人のほうが
圧倒的だったかも。何でもだが自分はその趣味の中にいる人間だから敏感に反応するけど、
門外の人はまったく訳わかめだよね。。w 羽田はチリチリパーマであの巨体。悪役にうってつけ。
スレチだが船木も、土曜ワイドかなんかでスーツで決めた用心棒役に
出てて笑った。
顔がいいんだが、身体がデカすぎてスーツがはち切れてるから
笑った。 >>45
スベった出場者を強制退場させる役割だったよね?
黒スーツにサングラス姿だったかな?
ハンセンにラリアットかまされるVTRが流されてたよねwww
これを見た大熊は最近の試合なのに「あれは古いやつ」と言って弁解してたwww >>51
同じスレチだが
船木はDr.コトー診療所の漁師役は似合ってたと思うよ。 TBSでやったテレ来いみたいな番組の「お笑いサドンデス」には
上田馬之助が審査員で出てたな 上田はトライデントのCMで名前売っただろ、「もっと真面目に生きろ!」ってヤツ。 昭和の選手はけっこうテレビ出演しているのに、超世代軍以降の選手たちはほとんど出演させてもらえなかったな。
三沢にはミサワホームからCMのオファーがあったと聞いたが、もし出演していたらどんなCMになったのだろうか?
プロレスファン以外への知名度も広がっていただろうに。 CMならジャンボの井関のトラクター
結構な本数作ってた 「トミーとマツ」で全日中継のウルトラセブンの試合シーンが映って
それを見たヘタレの犯人役が覆面被って女を襲っていく話があったわw ブッチャーのサントリーレモン、スミルノフのマカデミアナッツのCMもあったな。 「がんばれベアーズ日本遠征」では
猪木がアントニオ猪木として出演しているんだが。 マイティ・ソー バトルロイヤル観に行ってきたら、BGMで移民の歌が流れてたからソーがブロディに思えてきたわ 全日のパンフの裏表紙はおにぎりとUNベルトを持った鶴田。 >>43
映画は松田優作と薬師丸ひろ子のカップルってんで話題になったと思う。
TVは羽田がダメってわけじゃないけど、ブッチャーを出演させてもよかったのにと思う。
でも最後は優作にやられなきゃならんだろうから、当時人気絶頂の悪役だったブッチャーは
やっぱり無理か。でもこの二人が喧嘩したら本当はどっちが強いんだろうとは当時ちょっと
思ってたな。まぁブッチャーだろうけど。多分身長はそう変わらないぐらいかな。 映画の探偵物語はラストのキスシーンで優作がアドリブで舌を入れた所がみどころ 今度試合を初めて見に行くんだが注意する事とかある?
新日は何回かある程度で全日は初めてなんだ >>70
それは全日スレで聞いたら?ここの人は今の全日に行ってないと思う、私も含めて。 ttps://blog-imgs-108.fc2.com/h/b/k/hbk74296/201710271248153ba.jpg
ttps://blog-imgs-108.fc2.com/h/b/k/hbk74296/20171027131525f92.jpg
芸能人野球大会に来日外国人を参加させるのって問題ないのか >>68
羽田と優作比べても圧倒的に羽田の方がガタイは上だった
羽田に勝てそうもない優作がブッチャーと比べるのは無謀すぎるw 芸能界では大男のとんねるずの石橋も
「天龍さんと輪島さんに会って「プロレスラーってデカいなあ」と思った」と
ラジオで言ってたな
馬場鶴田はその2人よりさらにデカいんだよな 今の新日の体操競技プロレスじゃ大きい人は不利になるね。
今のメインイベンターが小さく見えてしまうから、大きいのはもう使わないだろうな 初めてレスラーを近くで見たとき、上背より胸板の厚さに驚いたな。 >>77
スーツ姿だと身体の厚みが特に違うよね。
でも猪木だけはスーツ姿でもスラリとしているんだよね。 >>77
厚みや幅も凄いけど、俺は脚=太股の太さだな。
太いと言うよりデカイって印象だった。 >>69
いや、映画のは、
ちゃぶ台で急須で茶入れたTシャツの優作と薬師丸とのやりとりが秀逸。 ちなみにテレビ版は、スーパーのレジのあんちゃんを
優作が心ない罵倒したせいで恨まれてしまったというのがなんとも。 あの鶴田を圧倒するブロディがどれだけ凄かったかわかるな。 >>77
全盛期のジョン・テンタとベイダー。
この2人はリングサイドからフェンス越しに見て、とても同じ人間と思えなかった。 >>57
> 三沢にはミサワホームからCMのオファーがあったと聞いたが、
これ、知らなかったわ。
今考えると、世間に顔と名前売るチャンスだったと思うが・・。
いくら四天王で人気出ても、所詮深夜枠の放送だったし。
馬場一人がショーバイショーバイやバラエティに出ても何もならなかった。
>>81
これ最終回だったか?
俺まだ、幼稚園か小学校低学年だったが、見ててなんかトラウマに近いものがあった。
優作は大都会2でも、キチガイに逆恨みされる話あった。 >>52
ビッグ・ブーバーというか当時だと映画ブルース・ブラザース風というべきか >>85
馬場はアイスクリームとキーボードのCMにも出ていたんだけどね。前者はアイドルと一緒だったし。 >>85
最終回だよ。
始まる冒頭で、優作がレジあんちゃんのミスを突っ込んだらあんちゃんの上役が人前で
頭ひっぱたいてた。
終わりの方で、ふいに表れたあんちゃんにいきなり、刃物でという。
あれは、あまり調子にのって上から目線だと恨まれるという教訓だっ
たのかなあと子供の頃考えさせられた。
まだジーパン刑事のチリチリ頭だったしなあ。 >>77
俺が初めて見たのはジョー樋口さん。テレビで悪役レスラーに投げられて木の葉のように宙を舞う華奢な印象と違い、実物のジョーさんは分厚い上半身で、あまりのギャップにビビったことを覚えている。 >>87
ジャイアントコーンと「僕にも弾けた」?
ジャイアントコーンは割と長くやってたな。
確か、同じ時期にジャンボも永谷園のミルクセーキのCMに出てたはず。
アロハシャツ着て子供と一緒に踊ってたような?記憶ある。
四天王ももっとCMなりメディアに出すべきだった。
鎖国体制なら尚更。
>>88
あの逆恨みされてグサッとやられるラストだけでなく、あの最終回全体が異様だった。
いつものコミカルな優作でなかったし、工藤を刺した タモリ倶楽部の安西肇みたいな奴も気持ち悪くて印象に残ってる。
そういえば、優作は大都会2でも調子に乗って刑事部屋で、梅津栄に膝撃ち抜かれてたw 全日レスラーCMといえば明治だかの「ポパイ」ってお菓子(チョコスナックだったか)のCMに
ジョン・テンタが出てたのもあった 全日所属時のターザン後藤が
桂文珍とマルサン豆乳のCMに出てたらしいんだけど
実際のそのCM観た人居る? >>93
見たよ。出番は一瞬だったけどね。豆乳飲みながら力こぶ作ってた。 映画「カランバ」の宣伝デモで両腕引き裂きパフォーマンスのカブキ。 >>90
大都会2 wwwww
太陽にほえろは人情。
大都会は非情。 https://www.youtube.com/watch?v=osWOvcWHLIA
ジョー樋口の髪残量はともかく、背丈がリソワスキーとあまり変わらないのが驚き
リソワスキーは体格がガッチリしていたので、小さく見えなかったんだろうな >>97
大都会は最初の戦いの日々は人情系が強く、ド派手な銃撃戦とか車を爆破したり破壊したりは
あまりやらなかったけどね。
爆破や車破壊や銃撃戦が段々ド派手にやり始めたのはPART2から。
PART3から車を破壊したり爆破したり黒岩がライフルやショットガンで情け容赦なく犯人を逮捕せずに
射殺したりと後の西部警察への布石作どころかほとんどワイルド7みたいな刑事ドラマになっていた。
監督も大体パターン化していた。
渡辺拓也 村川 透 長谷部泰春 小澤啓一ら。特に過激な爆破 銃撃戦物は西部警察同様渡辺 小澤 村川監督が定番だった。 アジアタッグ最弱挑戦者は?
取り敢えず、ジェリーモロー&トーマスアイビーかな レスラーの格で言うんだったら越中三沢組になるかな?
モローは一応石川にシングルで勝った事あるし、 確かにレスラーの格的には最弱かもね。
但し越中三沢組は、タイトルマッチというよりもチャレンジマッチという感じだったからね。 >>98
リソワスキーにしろ、身長170cm前後のあの時代トップレスラーは大きく見えた(ブルーザー、サンマルチノ、バション、スチーブンス、パターソン等) 小鹿もテレビ画面では華奢な体型に見えるけど
実物を近くでみるとデカくて厚みある身体だしね >>87
♪馬場も丸取り〜
というCMもあったな。 >>99
>黒岩がライフルやショットガンで情け容赦なく犯人を逮捕せずに
これこれ。毎回この終わり方。が太陽に、とは真逆で戦慄を覚えた。
へえ、PART2で路線変更だったんだ。 >>104
馬場も実物見ると凄い迫力あったね。テレビでは絶対分からない 松本明子・松村邦洋「馬場さ〜ん、お電話、お待ちしていま〜す」
電話番号のテロップが出る
生中継に切り替わり、日テレ事務所内に松村待機中
複数の電話、一斉に鳴る
松村「もしもし、馬場さんですか?」
電話の主「(モノマネで)はい、馬場です」
(別の電話に出る)
松村「もしもし?」
電話の主「(モノマネで)馬場です」 >>73
ただ優作の盟友?の安岡力也はブッチャーと喧嘩した話があるんだよね。
優作と力也じゃ体格もまた違うけど。ただその喧嘩話も後年になるに連れて
どんどん話が膨らんでいくんだけど。 >>109
安岡力也は100s超えた体格だし一応元キックボクサーだからな よく海外じゃ酒場の喧嘩で腕っ節見込まれて・・みたいな「逸話」があるけど、
日本じゃ普通に団体に入門してからの話だよね。 >>87
確か平成に入ってからだったけど、日清の唐揚げ粉のCMにも出てたね、確か馬場が唐揚げ取ろうとして出演してた女に手を叩かれて終わってたな。 プリンス・トンガもCMやってたなあ。
トンガの知名度って世間的にどうなの?って思ったけどね・・
相撲時代のタニマチ筋なのかね 馬場が出たCMで面白かったのは釣具のシマノ
江口洋介が湖の釣りスポットへ早朝繰り出したら既に先客がいて、それが馬場だったという。
江口が「馬場さん!」と驚くのだが、この頃馬場はロート製薬、年金(JAだったか?)などテレビCMに出まくっていて晩年の馬場ブームだった。 >>93
ターザン後藤は鶴田の井関トラクターのCMでもプロレスシーンで
技をかけられる相手として出演。しかし覆面被ってて顔は見えないが。 >>109
ブッチャーvs.シーク戦の最中でシークに負傷させられた倉持アナは実際に数針も縫う怪我
をさせられたが「宴席の毎に縫った針数がだんだん増えていったw」と松永アナが回想してた。
真説・長州力の著者が取材経験から「レスラーより背広組の人の方が話を盛る傾向が多い・・・」と
話していた。 背広組っていうよりテレビマンが話を盛るのは当たり前というか習性だろ。
レスラーは見栄でやってるけどテレビマンは洒落でやってるのかな。 思いっきりスレチ&どうでも良い話で恐縮だけど
今トランプ大統領が日本に来てるけど、前のオバマさんにしてもそうだったけど
海外の要人の日本来日は、NWA、AWAと言った現役世界チャンピオンの来日
に近い華やかさを感じるのは俺だけだろうか。 国とメディアがそうみせてるから。
マッカーサー登場にしてもね。
アメの方が格上。 >>116
宴会のたびにミスター倉持が誰かに額を割られてたのかと思ったぞ
いや〜うっかりしてしまったわ 晩年の馬場が芸能活動できたのも世界はショーバイショーバイに出たのが大きかったな
まぁ、馬場とやりとりする司会の逸見さんが常に下手、下手に出て馬場を上機嫌にさせて馬場の珍回答聞き出したりしてうますぎたんだけど(珍回答の後のフォローも完璧過ぎw)
他の司会者じゃ馬場と絡んであれほどまで面白くできなかったでしょうね 放送開始時の馬場はかなりぎこちなかったし、逸見さんもとういじったらいいのか様子を見てる感じだった。
でも段々とスムーズになって、何より馬場の表情がとてもリラックスして来た。
後のインタビューでも言ってたが、話しもスローモーな馬場のコメントを遮らずにきちんと最後まで聞いてたのを馬場が信頼したんだと思う。
プロレスと同じだね。 「何を作っているんでしょうか」のクイズでみんな脱落して、最後に馬場だけ残った。
で、どう見てもボクシンググローブなのを馬場が「赤べこ」と解答して逸見さんが悶絶したのはいまだに覚えてる。 過去スレにも書いたし、他でも書いた事あるから「またか」と思う人もいるかもだけど・・・
俺の中でレスラー出演CMのNo.1はやっぱり今でも馬場のヤマハマイバンドだな。
で、何でこれが未だにNo.1なのかというと、
馬場「僕にも弾けた」 ナレ「誰でも弾ける」
やっぱりこのフレーズが効いてると思う。他のレスラーだったら多分こうは
いかなかったんじゃないかね。選曲も良かったと思うけど。
ブッチャーのサントリーレモンのCMは共演の女性タレントの不祥事で
残念ながらすぐお蔵入りになっちゃったね。 >>119
日プロ時代からスーツを着て羽田に来てた外人たちは
貫禄があって格好よかった
シャツを着てくるようになってからはそうでもなくなった スレチで悪いがw、猪木の陶陶酒のCMはおぼろげだが覚えてる。すでに親日旗揚げ以降なのか
時期は定かじゃない。蛇ガラのガウンでやってたと思うが、動画とかまるで出てこないね。。 猪木のCMといえばウインナーかなんかのCMでターザンの格好して「ジャンボー」と叫んでたのがあったような 大仁田はジュニアチャンプ時代にテレビやCMに出たがってたが
馬場や元子にダメ出しされたとか >>101
トーマスアイビーとジェリーモロー。
トムとジェリーじゃないか。
最弱どころか最強だろ。 >>126
デストロイヤーみたいにスーツに覆面で羽田空港に降り立つって
いかにも昭和のプロレスっぽい光景と佇まいも大好き >>122
>>123
逸見さんは馬場にとってのハーリー・レイスあるいはドリー・ファンク・ジュニアだったのか。
それはそうと、逸見さんの弟は同志社大学相撲部で輪島のライバルだったんだよな。 >>128
あった、あった!
恐らくS52、3年頃で、猪木は子供と一緒に歌も歌ってた筈。
♪ジャンボフランク〜ジャンボ〜♪って
って歌詞は覚えてる。 新日の話で申し訳ないが、国籍不明のブラックタイガーが成田空港に現れた
映像がテレビ放送された時は興奮したな。当時すでに自分は高校生だったのに、
国籍不明の人が成田空港に入れるのはおかしいとはまったく思わなかった。
今考えると恥ずかしいが、当時のプロレスはそんなのたくさんあったよねw >>129
大仁田はジュニア王者として凱旋帰国前に寄った
メキシコでサングレ・チカナに一時的にベルトを
取られたんだよな。
結局チカナは来日せず、何のための移動だったんだろうか? どうせ返すんだから一旦移動させても良いだろと関係者が仕組んで不意打ちで3カウント入れたのかもな。 それか、馬場には嵌められたと報告する事にして、大仁田が「ギャラ積めばレンタルしてやるよ」と持ちかけた可能性もある。 >>138
じゃあ何かい?大仁田は体中にペソ札を貼って
帰国したとでもいうのかい? UNをマイケル・ヘイズがデビアスから獲ったのはデビアスがデビッドに寝るのを嫌がったのかテリー・ゴディとの手切れ金代わりにヘイズを王者にしたのか 海外でタイトル移動する方が国際的で価値が上がる感じがするな
実際はUNのタイトルマッチなんてしなかったらしいがww 国際IWAの
ミラー→小林
ロビンソン→グラハム
の王座移動も怪しいらしいな。 大仁田チカナの行ってこいはリアリティ風の味付けじゃないかと思う。
チャボに勝ったのはフロックじゃなくて、大仁田はやれば出来る子、みたいな。
その証拠に一旦負けたチカナにも取り返しましたよ、というところ。
しかしなんかこの頃の全日はタイトルの余計な迂回が多いね。
UNは天龍が素直に獲れないし。
インターもドリーブロディで行ってこいをあんなにやる必要あったのか? >>143
UNの事情は解らないけど大仁田のメキシコ行きは大仁田に経験を積ませるのとEMLL(当時)との提携を強化する為だろうね
インターも馬場王者時代を知らない若年層のファンや関係者向けのプレゼンというか認知度を高める意味とやはりブロディの人気と集客バリューを上げる目的があったんじゃないの 日プロを知らない世代にはインター=日本の至宝?だったね。
ブロディに1年間インターを保持させたのは
外人エースへの格上げとインターを鶴田に安易に渡さない事で
ベルトの認知度を上げる一挙両得だった。 >>144
俺が聞いた話だと大仁田が現地のプロモーターの言いなりになって勝手にタイトルマッチ組んで王座転落してしまい馬場に凄く怒られた、って聞いたな。
まあ向こうのプロモーターからしたらインタージュニアの名称なんてどうでもよくて、
なんか珍しいベルトもってるから箔付けの為にベルトかけて試合しちゃったら上手いこと取られちゃった、みたいなとこなんだろうな。 本来はミドルかライト・ヘビーの選手だろう。
全日ジュニアは100キロ越えが当たり前だからな >>145
インター王者時代のブロディは
不透明決着の防衛ばかりで
ブロディ強しという印象を与えた試合は全くなかった
倉持がブロディが世界最強と盛んに煽ってたのも虚しかったな ブロディの新日移籍が決まった時に
ニュースステーションで
「世界最強のプロレスラー ブルーザー・ブロディの新日本プロレス登場が決定しました」と
言ったって話だね 国際からの移籍組外人でタイトル取ったのはロン バスとカマタだけか?
(キッドは一応国際だけど新日本を経由してるから新日本からの移籍組として計算)
キラーブルックスやモンゴリアンストンパーって、全日ではタイトルマッチ経験無いよね? どんなに受け身が上手くてもダメージあるだろうなという技を喰らっても
全く効いてないのが動作、表情でわかってしまってた。 >>151
世界最高峰のNWAとAWAを取った
フレアーとマーテルがいるじゃないか >>140
鶴田をAWA、天龍をUNにW戴冠させる予定だったが
デビアスがスケジュールの都合で来日できないので王座から降ろしたのでは?
ヘイズは、その年の秋にUNに挑戦してるし前哨戦のタッグで天龍をフォールしている。
全日もシングルベルト3本体制になり挑戦者の棲み分けに苦慮してるフシがあった。
結果的に馬場はフリーバーズを解散させたみたいに言われてるけど
かつての大木・ドクみたいにコディは鶴田、ヘイズは天龍と配分するつもりだったかも? >>154
俺は日テレ特番のマッチメイクが鶴田対ニック、天龍対デビアスじゃあ地味すぎるんで、
レスラーとしては華があるデビッドに変えたんじゃないかと思ってる。
でもこの頃の天龍に負けてくれてそれなりに知名度があるレスラーってこの当時いないんだよな。スレーターは前年ピンフォール負けしてるしね。
マスカラスかロビンソンが適役だった気もするけど、さすがに馬場はそこまで冷酷じゃないか? >>151
ディック・マードックがUN王座を獲ってるが 俺はデビアスからベルトを取る路線でよかったと思うけどなあ
そのために前年から仕込んでたんじゃないの?
と子供ながら思ってた
そのあと3月に天龍があっさりデビアスからフォールを取ってしまい
このライバル関係も中途半端になってしまった 俺もデビアスからとるのが良かったなと思う。
前年、新王者決定戦で負け、両リンで奪取失敗とデビアスを攻略できなかったから、蔵前で三度目の正直が理想的だったな。
デビアスのスケジュールがあったのかもしれないけど、ヘイズに負けて陥落したというのは唐突で拍子抜けした。
そのヘイズを破って新王者になったというデヴィッドを来日させたけど、もし亡くならずに戦ってたらどんな結果になってたかね。
あっさり天龍がフォール勝ちしたら、せっかくアメリカ本土で台頭してきたデヴィッドの価値下げてその後の日本での使い方が微妙になる気もするし、リングアウトや反則勝ちでもイマイチだしな >>158
前にも同様の事を書き込んだけど
普通に考えれば蔵前で天龍がUN取るのが規定路線。
それなのに相手が次期NWA王者に内定してたデビッドだったのが謎なんだよね。
前年、デビッドはNWA王座復帰前のフレアーからミズーリー王座を奪い
王座を明け渡すのはNWA陥落したレイスという次期世界王者に相応しい扱いを受けてる
それなのに日本の3番手の天龍に負け役を務めてたのか?
事実4月にケリーがUNに挑戦する予定だったがデビッドの代わりにNWA取るのが内定したので
馬場が忖度してUN戦の挑戦者は阿修羅に差し替えられてる。
(一応、天龍が前回の阿修羅との防衛戦の内容に不満だったので再戦という形。) DVエリックが天龍に負けてしまったのを反省、猛奮起してNWAを一気に戴冠……
というのは苦しいよなあ。いくら若さならではの伸び代があると言ってもね。
その後の成り行きが上手くいかない。
UNベルトにまでデビッドの名前を貼っていたくらいだから
(マードックが獲ったりロビンソンが獲ったりしても名前は付かなかった)
ひょっとして天龍は蔵前でデビッドに勝てず、しばらく王者だったのかもしれないけど。 鶴田VSニックとチャボVS井上は最初から蔵前と大阪の二連戦で発表されたけどデビッドVS天龍は蔵前のみだったんだよね? ・デビッドが開幕戦で負傷して蔵前の出場が不可能になり(デビッドは開幕戦のみ出場)王座返上
・蔵前で天龍とリッキーが決定戦
というブックだったりしてwww 日本での敗戦など、ネットの無い時代にはどうってことない。いくらでもファンに知らせなくすることができた。
当時、ボクシング世界ヘビー級のタイトルマッチの結果でさえ、テレビのスポーツニュースで
モノクロ写真一枚のみの時代だぜ。
当時の通信技術じゃあ、テレックスで文字のみ配信が当たり前の時代。
外国のニュースなんて、アナウンサーの言葉だけだったよ。
よっぽど重要な出来事だけやたら時間差のある特派員とのやりとりのみ。
現代のニュース映像だって権利を買うんでしょ。 デビットが黙ってりゃ、アメリカから記者は来てないだろうし。
黙っていろんなことができたと思う。 米本国にはないものとかエキシビション扱いでいいとしても、
その後デビッドがNWA王者として来日したときに
天龍に負けてUNを獲られている過去は困るんじゃないかと思ったんだけど
慌てて天龍に負けるブックで呼ばれたリッキーが
後にNWA王者になってしまうんだから、世の中どう転ぶかわからんもんだ。 日本を気にしてたら、ロニー・ガービンがNWA王者になるのは解せない 83年にプエルトリコでキング・トンガがドリー・ファンク・ジュニアにフォール勝ちしたのは
ゴングでもカラーグラビアで紹介されたけど、だからといって
トンガ>>>鶴田、天龍って空気にはならなかったな そもそも最初から勝敗が決まってる事は薄々と気づいてたし 同じ頃ハンセンがジョージアでイワン・プトスキーにピンフォール負けして事もあった。 >>169
プエルトリコだとカルロスコロンに寝るしねwww S.ハンセン ピン負け記録が載ってる雑誌見て、驚いてたが
どうも、スエード・ハンセンらしいと同級生と噂してた。 デビッドが亡くなったのはショックだったなあ、何度も東スポ読み返した。
ジョーさんがフリッツに連絡したんだっけ、すごく悲しい役回りだよね。 ジョーさんはデビッドの遺体をダラスまで送り届けたんだよね。 絶頂期を迎えた25歳での夭折だからな。
来日前から体調は最悪だったが無理して来日した。
こう言うのもあれだけど、デビッドって透き通るように真っ白で
何か「強い生命力」を感じなかったな。ス〜っと抜けるような。
デビッドが亡くなってから全日とは疎遠になったフォン・エリックスだけど、
93年10月に親父フリッツがレトロ企画で武道館に来て、馬場と満面の笑みで握手。
4年後にフリッツ、5年後には馬場も亡くなったけど、最後にあの再会があって
本当に良かったと思う。 >>174
その後ケリーがNWA王者として来日してるだろ。
日本で王座転落して、さらに日本は忌まわしき国となったか? >>175
国内での外国人レスラー同士のNWA王座移動って、あの時が初めてだよね? >>175
そんなの勿論知ってるよ。
「その頃から」って意味だよ。 >>174 >93年10月に親父フリッツがレトロ企画で武道館に来て
あのレトロ企画は良かったな〜
初期のジョナサンとかイヤウケアとか、後楽園ホールで満面の笑顔で、心底嬉しそうだったな ケリーのNWA王座はなんつーかNWAからの香典って感じ バイプレイヤーのモロウスキー、スタイガーあたりもレトロ企画呼んでほしかった。 呼んだのはジョナサン、キニスキー、イヤウケア、コワルスキー、エリックかな >>173
本当は火葬してからじゃないと国外に出せないのになんとかごまかして焼かずにダラスまで送ったんだっけ? >>182
費用は掛かるが遺体を国外に移送するのはOK >>177
オマエ、ランス・フォン・エリックは
本当の兄弟じゃないぞ。知ってたか? >>181
その中で言うとイヤウケヤはやや格落ちだけど創立当時の貢献度を考慮したのかな?
後ブラジルも予定に入ってたけどドタキャンされたな。 はあ年末かあ
オリンピアの音楽に心躍らせたあの濃厚な日々は二度と戻らないんだねえ(遠い目) オリンピアはセルジオ・メンデスがロス五輪用に作った曲だっけね。1984年大会からの使用してるよね。
それ以前の大会で後に馬場の入場テーマになる「王者の魂」使ったことなかった? 新春バトルロイヤルの入場と勘違いしてるかもしれないが。 オリンピアでの全チーム入場も良かったが、それ以前の各チーム入場曲での入場も
良かったな。ただどうしても入場曲がないチームがあり、大木&カマタ組や
白覆面コンビは日テレスポーツテーマで入場させられていた。翌年はリッキー組、
ロビンソン組、ニック組は入場曲があったが、シーク組とブッチャー組は同じ
「吹けよ風呼べよ嵐」で入場。全チーム別々の曲での入場ってあったのかな? オリンピアも、
予告編で長らく使われた後に、会場でも流れるようになった気がするな。 音楽で言うと、
坂本龍一の「カクトウギのテーマ」
あれって全日のCDではサブタイトルが「時間切れ引き分けのテーマ」となってるんだが、
いまいち謎だ。
時間切れ引き分けって、そんなにいいイメージってだけじゃないからなあ。
そのへんの経緯を知ってる人がいたら是非お願いしたい。
次期シリーズの外人紹介で流れてたのはよく覚えているんだが。 個人的にはエリック兄弟の中では
ケビンが一番好きだったなあ
兄弟の中では一番空中殺法
ができたし、一番イケメン
だったし
裸足だったのは好きになれなかっ
たが >>190
何が謎なんだ?
単に時間切れ引き分けの時に流れるテーマというだけだが。 >>189
オリンピアは仲田龍のイメージが強くてなんか嫌なんだよな。 >>191
ケビンのボディアタック格好良かったよね。ドロップキックも良かった。
親父のフリッツとイメージが真逆のスタイルだったけど、兄弟の中で一番試合運びがうまかったのケビンだった気がするな。
初来日のときはシューズ履いてたよね。 >>187
82年と83年は王者の魂
81年の馬場3000試合達成記念レコード「16文」内のテーマ曲、イメージ曲として作られ
87年に輪島にNTVスポーツテーマを譲って自身の入場テーマ曲に使うまでは宙に浮いてたので >>178
何か馬場って外人レスラーとの時しかあの笑顔を見せない感じがあるよね。 ケリーはwwfに移籍してからは
パンチしか出来なくなっていて
超超超しょっぱくなっていた
あんな試合しかできないんなら、
wwfはケリーじゃなくてケビンを
とったほうが良かったんじゃね?
と当時は思っていた
今にして思えばケリーは当時は
プロレスなんかできる体じゃ
なかったんだね >>184
つーかランスはそもそも兄弟ではなく従兄弟という触れ込みだったろ。 >>196
細かいことを言うと馬場が王者の魂をテーマにしたのは84年グランドチャンピオンカーニバルV第2戦の後楽園の大会から。
倉持アナも入場の際はっきりそう言ってる。
ただし輪島とタッグを組む時のみNTVのテーマに戻した。全てを把握してる訳ではないけど、
王者の魂はバトルロイヤルの入場でよく使用されてたけど、正式に馬場のテーマになってからはスターウォーズのテーマに切り替わったと思う。 >>181
サンマルチノ
>>185
ブロディ・メモリアルナイトじゃなきゃ呼ばれなかったかもな
格的にはOKとも思うが
>>200
デビュー間もない頃の輪島は鶴田天龍と組んだときもNTVのテーマ=輪島のテーマ曲で
入場してたような記憶があるが・・・ >>181
番外編でドン・マノキャンも呼んだよね。
デストの引退シリーズだっけ? >>181
スレチだが、コワルスキーとトロスを呼んで川崎で戦わせた大仁田は凄い。
一時期、ブルーザーを呼ぶとか東スポでブチ上げた事もあった。 >>202
ビーチで遊んでいるあんちゃんにしか見えなかったもんなw >>199
ランスの設定は、フリッツの偽兄弟タッグ組んでいたワルドーの息子 >>204
亡くなってなけりゃ、
ブルーザーとクラッシャーのコンビ呼んでたはず。 >>192
当時の全日って試合終了後に勝者の音楽流してたっけ? >>208
当時っていつなんだよ。
レスリングサミット以降の話。
いつからかは知らんが、時間切れ引き分けの時はカクトウギのテーマだっつってんの。 送信ミススマン
ガチ握力は円盤投げの選手だったケリーが一族で一番だったらしい
見た目の迫力ではガタイのある親父やデビッドだったけど
鶴田がタイガークローが一番痛かったというの言ってたのは本当なのかもね 田コロのケリー対鶴田は、一旦はNWA・AWAのダブルタイトル戦で
発表されたんだよな。
あの時は、一時的ではあるが、NWAケリー、AWAマーテル、WWFホーガンと
世界チャンプの年齢が若返った。 ケリーはホーガンに対抗できる
NWA系のスターになれる可能性があっただけに
事故での挫折はもったいなかった >>201
確かにそう。事実中NTVスポーツテーマは輪島のテーマで馬場も付き合ってる感じだった。
輪島も最後の方は鶴見あたりと4、5試合目でやってたけど、例のガウンでNTVスポーツで入場してたのかな?
あまりに場違いだけど。 NWA自体が自滅に近かったからな
資金切れでWWFの勢いがとまった84年秋あたりに漫然としてたせいで翌年春の
レッスルマニアでの起死回生を許したり
WWFの侵攻受けたテリトリーにクロケットが支援するどころか乗っ取りかけたり >>214
80年代後半のエロ系男性誌のペニス増大法かなんかの広告にケリーが載ってたな。
もちろん勝手に使ってるんだろうけど。 >>201
イヤウケアはやっぱりブロディの事を聞かれてたな
「彼はあっという間に私より上に言った」とか答えていた
ジョー樋口とイヤウケアは仲が良くて引退後も付き合いがあったので
日本へ呼びやすかったってのもあったのかもしれない >>201
87エキサイトS開幕戦の
鶴田、輪島vsA・クルーズ、E・オリンピコはNTVテーマだったの覚えてる >>214
ケリーはいつもラリってリングに上がって段取りを忘れるから苦労したとフレアーが書いてた >>221
小学館の入門シリーズのプロレススーパースター267人のケリーのクセの欄に載ってたねw
https://i.imgur.com/1hMPmmV.jpg
この本の長州力のページで「好物=チャーシューメン」となってたが、長州とチャーシュー、語呂がいいからテキトーに書いたんだなと思ったw ケリーがゴング編集部に遊びきたとき「腹減った」とせがむから、編集部が店屋物のトンカツだかカツ丼出したら喜んで食べたらしいね。
馬場に「世界王者にそんなもの食わすな」と小一時間怒られたらしいけどw
あとゴング編集部が、企画でシンに激辛料理食わせたら、シンが貧血か何かで具合悪くなったらしい。
また、馬場激怒w 昭和の頃は外国人レスラーへの取材や企画も自由でおもしろかったが、イメージを損ねることを団体側が嫌って平成からは企画内容をチェックするようになったな。 >>218
よく一緒に来日してたルーインやラモスの事も聞かれてたね。
ルーインはハワイにいるからよく会うけど未だにクレージーな事、
ラモスはペンシルベニアで屠殺業をやってる話なんかをしてた。
小錦を大相撲にスカウトした話もしてたね。 >>224
嘘くせえ話だな。
NWAチャンプなんてアメリカじゃ一般人と同レベルの扱いしか受けないのは馬場だって知ってるだろう >>223
>長州とチャーシュー、語呂がいいからテキトーに書いたんだなと思ったw
昔の新日の試合のパンフレットに、新日レスラーの好きな食べ物や好きなタレントなんかの一覧表載ってたが
長州の好きな食べ物が確かに、チャーシューメンと三矢サイダー(ドラえもんマーク)となってた。 ケリー、ケビンのダブルドロップキックは見事だった。
兄弟だとああもぴったりタイミングが合うとは驚いた。 ここら辺までくると掟破りなんて立派なもんじゃなくてただの人まね小猿だな
たいして手がでかいわけでもないくせに >>235
ドラゴンクローより、掟破りの逆クローの方が定着してたろ。 エリック兄弟は結果的に新日本に移って良かったかも。
あのまま全日本残ってジャパン参戦時や天龍革命の時期に呼んでも持て余してた気がするよ。 ケリーとかケビンとかリング上からクローしたまま場外の相手をリングの上に引きずり上げてて子供心ながら
「エリックファミリーのアイアンクロースゲー!!」
って思ってたけど…
あれって相手がアイアンクローされたままついてってただけなんだよな…(´・ω・`) このスレのプロレス猛者たちに聞きたい。
上でも出てるケリーの裸足だが、一般人からすると
裸足なんて怪我しそうで怖くて仕方ないのだが、
考えてみたら割と裸足でリングに上がるレスラーが
多かったりするよな。なぜだ?何かの文献で、「靴と裸足では
踏んばり方がまるで違う」なんてのを読んだ気がするが、
踏まれたらめっちゃ痛いやんとしか思えない。場外に
どんな障害物が落ちてるかも分からんし >>237
確かにラシアンズみたいに持て余しそう
でも最強タッグかどっかでファンクス戦とか一度見たかったな 裸足だと、確かに指を広げて
床をつかむように踏ん張るのは
靴よりやりやすいだろうな ふつうの人はふつうの生活してたら
指を広げて床をつかむよーにして
踏ん張るなんてことをする必要は
ほとんどないからピンと来ないか
もしれないが、プロレスラーは
その必要がしょっちゅうあるんじゃ
ないかな? 87年の新春バトルロイヤルは
バトルロイヤルというよりも全日軍ジャパン軍外人(フリー日本人)軍の
軍団対抗イリミネーションマッチという感じだったね。
殆どの主力選手がリングアウト失格だったし。 プロレス猛者でも裸足は謎ですよw
指とか骨折しそうだし。 裸足のほうが足関節技から逃げやすいってのもあるんじゃない
最近の全日でヒールホールド使われてたよ
馬場はアキレス腱固めは立ってやらなきゃ駄目と解説してたね 素足だと地方巡業の○○広場特設リングとかの会場だと
入退場の時や場外戦などで小石踏んだりして痛そうwww 裸足なのは水虫対策じゃないの
レスラーたちの間ではリングシューズを水虫製造機とよんでるそうだし
輪島もレスラーになってリングシューズ履くようになったら水虫になったといってるしな
かといってスニーカーじゃ学生の部活みたいだし、 マラソンに裸足の王者アベベっていたじゃない?
運動会でも裸足の方が速いといってわざわざ靴脱いで走った子いたよね。
だけどプロレスはねえ。
アベベも後期には靴を履いていたんだよね。
ありそうなのは、野獣キャラには裸足スタイルの慣習とか
アントニオロッカへのオマージュとか? 丸藤がレスリングシューズで練習してたら
馬場にリングシューズ履けと渡されたって
ブッチャーの凶器シューズを
なんでレフリーは注意しないんだと思ってた コスチュームのセンスなんだろう
最近だとルセフが裸足で野人キャラやったけど怪我してシューズに変えたな 昔の海外遠征中の日本人レスラーはみんな裸足で試合をしてた
馬場も猪木も含めて アマレスやってたやつが昔言ってたが
関節技は、シューズも裸足でも簡単に決まると呟いてた 大熊とか谷津がハプニングで急遽試合をやった時に裸足で駆けつけてそのまま試合やったな。
ハプニングも元々決まってるんだから、別にリングシューズ履いててもいいと思うんだけど、変なところで細かいんだな。 >>256
シャンプー藤波のように本当に忘れてたのかも知れんぞ そのブッチャーも凶器シューズ履くようになるまでは裸足だったんだよな。
コスチュームが空手着?だったしね。元祖はやっぱりアントニオ・ロッカかな。
それ以前にもいたんかな。 >>256
86年に高野の代わりに出場したカーン(マシン&高野vsウォーリアーズから変更)は
Gパンに上半身裸で試合したけど靴は履いてたっけ?
また履いてるしたらどんな靴だった?
あと、新日93年のカブキ齋藤彰俊vs長州 馳の試合でも
馳がセコンドに居た小林を挑発して最終的に
越中 小林 カブキ 斎藤vs長州 馳 木戸 小島に変更されたけど
セコンドに居た木戸と小島は下は新日ジャージ上半身裸のスニーカーで試合したけど
小林と越中はどんな格好で試合したから覚えてる人いる? >>260
たしかカーンは革靴みたいの履いてたんじゃなかったかな?
アナがリングシューズじゃないことを、強調して実況していた記憶がある。 >>253
猪木は、「俺がアメリカでシューズを履いて試合した最初の日本人」って言ってたな。 >>237
まあ新日本でも持て余されたけどな
活用されたのって最初の札幌だけじゃないか スヌーカもアメリカでは一時期裸足で試合する事が多かったな
日本では殆どの試合でシューズを履いていたけど
ケビンやスヌーカ等当時の飛び技を多用する選手にとっては
裸足の方がジャンプする際に踏み切り易かったりコーナー最上段に立っても滑らずに済む安心感があったのかも 日本だと創世記はほとんど柔道や相撲といった裸足の競技出身者だったけど、
リング上でも裸足だったのは豊登とヒロ・マツダぐらいかな。 >>261
そうだね。ついでに言うとズボンもスーツの下みたいな感じだったし、ベルトもそんな感じだった。
ドリーがテリー救出の時よく履いてたウエスタンブーツはカッコいいんだけどなあ。 >>267
あぁ、あの人も裸足だったか。そういや裸足でソバットを決めてるグラビアを
見た記憶があるな。 >>237
>>264
エリック兄弟は
若くてスタイルがいいから
日本側の相手方としては不向き過ぎる
年齢的には三銃士、四天王より少し上 流れとは直接関係ない上に、昭和全日じゃないんで恐縮だけど・・・
87年の暮れにたけし軍団が新日に登場した時、菊池孝氏が週ゴンで
「新日に本当に猪木の言う´プロレス道´があるなら、何故たけし軍団を
土足のままリングに上げた」と書いてたね。後から映像見返したら確かに
みんな靴を履いたままリングに上がってた。 花束嬢は靴を脱いでリングに上がるんじゃない?
靴履いてるっけ? >>256
しかもアンダータイツのままだったよな。
アンダータイツはお尻ペロンしないようにきつく締めてある。
藤波とマードックのお尻ペロンはアンダータイツを着用していなかったからできた芸だw 裏の事情は置いとくとして、要するにたけし軍団てのは「部外者」的な
立場に映るから「土足」って表現を使ったんだろうと思うけどね。 >>260
馳がセコンドの北原を挑発して、
北原が私服&革のブーツで参戦。
革ブーツでキックして大ブーイング。 >>276
新日本では靴を脱いで上がらせていた。
靴底のばい菌がマットに付着してレスラーの傷口に浸入し大事に至る恐れがあるからとケロが言ってた。
靴を脱がない場合は消毒液を染み込ませたタオルを踏んでからリングに上げていた。
全日本はそこまで徹底してはいなかったんじゃないかな? >>260
>>279
小林を挑発で思い出したが、小林も武道館で三沢タイガーに勝った試合後に、
リングサイドで観戦していた大仁田を挑発して一悶着あったよな。
翌週のテレビ中継では、そんな行動自体がなきものにされて放送されたが。 >>280
俺も新日の地方興行(と言っても結構大きな会場)で、花束嬢が靴を脱いで
リングに上がるのを見た記憶があったんよ。新日でそうだったから全日も多分
そうだったろうと思ってああ書いたけど、今改めて思い出してみるとちょっと
判然としないね。 ルー・テーズの師匠であり、マネージャーのエド・ストラングラー・ルイスは、リングマットの汚れが眼に入って失明したって話だから雑菌とか凄いだろ 花束嬢や立会人らの靴を消毒しても、当のレスラーが場外乱闘してリングへ戻れば全く意味はないがね。 表彰でよくリングに上がってた東スポの高橋事業局長は
新日では靴を脱ぎ、全日では靴を履きっぱなしだったのかw >>272
前年の東京ドーム大会はゴールデンタイムで生中継したし
93年の東京ドーム大会は前売りでチケットが完売した。
なので暗黒時代とは言えない! >>246
プロレスって関節技ガチで決めないのに逃げやすくするとか意味あんの? 裸足と言えば伊藤正男
YouTubeにも上がってるが
石川 伊東vsエリック兄弟戦で
実況のアナウンサーが「髭の伊藤 裸足の伊藤」と言って紹介してた。
この試合、エリック兄弟の入場テーマが何故か日本テレビのスポーツテーマwww
エリック兄弟と伊藤を比べると伊藤は格好悪くてダサいよねwww >>271
新日本はベビーフェイスの外人は存在価値が無かったからな。
猪木の敵が外人レスラー。
エリック兄弟にヒールは似合わない。 >>237
エリック兄弟は父同様、シリーズフル参戦がNGだったから持て余す以前の話では?
新日初参戦の藤波・健悟のタッグ王座に挑戦した時も
ダラスで試合して日本での一試合の為だけに来日し
すぐ帰国してホームのサーキットに復帰したと言うんだから
これじゃ王座戦線等、ストーリーラインに乗っけられない。 80年代以降は
パワー系の外人でないと継続してエース外人としては使えない
ケリーはNWAのベルトを持っていなければ
鶴田とシングルすら組まれなかった可能性の方が高い >>294
週一のダラス・スポータトリアムに出ないといけないからな >>281
翌週号の週プロではトップページで「次の小林への刺客は大仁田!」と載ってたが
しばらくして大仁田はゴングで小林と手打ち対談をさせられた上で
馬場から出禁を申し渡されたんだよね。 ケリーにはディスカスパンチという
円盤投げの打撃があった。
世界のプロレスでは華があった。 >>244
ジャパンの連中はバトルロイヤルでのフォール負けはノーカンという
全日本の流儀に従う気が全く無かったからな
新日にいた頃はバトルロイヤルを滅多にやらないかどうか知らんが
新日辞めて全日に移籍してきたんたんなら全日のやり方に従えばいいのに
大塚が下手に権限があったもんだから勘違いして調子に乗ってたんだな
全日の力借りなければ自軍で興行も打てないくせに >>299
だったらバトルロイヤル開催しない方が良かったよね。
長州なんかは外国人と絡もうともしないし、ジャパンの選手が
フォールされたらカットに入ってるし、全日のバトルロイヤルルールを
全く理解して無いというか理解しようとしなかったよね。
兎に角全日史上、最低のバトルロイヤルになった事は確か
日本人でフォール負けしたのは寺西と鶴見だけじゃなかったかな?
カブキや木村もいつのまにかフェードアウトしてたし >>302
プロレスは信頼関係だということがよくわかるね。 >>300
確かルパン声優の山田康夫がナレーションしてて
プロレスを面白く解説してた。
ケリーが反撃のディスカスパンチが決まると観客総立ち。 ルーインは馬場に素行が悪いと言われてたけど
そんなに酷かったの? >>302
カブキはそれまで共闘してた木村とバトルで誤爆→仲間割れして正規軍復帰というアングルだったけど、注目してもらえなかった。 >>280
プエルトリコだと
野外球場で雨季の頃にだからリング上が泥だらけw
https://www.youtube.com/watch?v=bK_gpMPPUv0
ゴミがたくさん投げられても全くレフェリーも片づけないw
https://www.youtube.com/watch?v=xpnyOlQUF8k
>>304
『“アフリカの怪奇”か?“東洋の神秘”か?カウボーイの街・ダラスに妖気が漂い
オカルト戦争が始まろうとしている!』
https://www.youtube.com/watch?v=HsRJV6LzaQg
山田康雄だからこその表現だよなw >>307
そうそう。ルパンかクリント・イーストウッドのwwwあの声でw
あと、
カト・クン・リー〜 ! かとう? 日本人w みたいなのもあってウケたウケたww >>307
しかしこの時代に野球場が満員に近いんだからすげえよな。
川崎球場みたいなもんかな。
アメプロは入場時のパフォーマンスが一番盛り上がってておもろいw
んでだらけてくるとマネージャーが警官みたいなのを倒してリングに乱入w
それとwbcでプエルトリコが強いわけも分かったなあ。 二代目ナレーターは小倉智昭だったよね。
カブキがテレビ東京で見られたのは画期的だったな。
ウォリアーズやキマラは、世界のプロレスが初来日前のプロモーションみたいになってたよね。
新日本に来たビリー・ジャックも世界のプロレスとリンクしてたけどイマイチだった。 >>307
ブッチャーとコロンの試合のアナの声が響いてるってことは場内に流してんだろうか? >>308
カトー、お前の正体は志村だろ〜!
だったな。
あと、マイクアピールしてるお前の気持ちはよくわかるけど、何があったのか知らないから、なんのことかサッパリわかんないや、ゴメ〜ン💦
っていうナレーションもあったな。
この辺はアドリブなんだろうか? >>310
スタンド上段まで観客がぎっしりだから凄いよな。
プエルトリコの方は1986年、ダラスの方は1984年の映像だけど、
両テリトリーが一番盛り上がっていた時期だからね。
しかもここのテリトリーは客の興奮度が尋常でないw >>312
そう。
当時のプエルトリコは大会場での大試合はアナウンスを場内に流していた。
その声は、お馴染みのウーゴ・サビノビッチ。 >>313
実況ではないからねえw
声優もアドリブやるそうだし。山田康雄ならやりそうだよね。w >>315
なんとかビッチとか、ロシア系かな。
場内に流すとは粋ですな。観客もヒートするわけだw サビノビッチって何でレスラーとして来たのか謎だったな。 >>317
ビッチって旧ユーゴ系じゃないの?ストイコビッチ、サビチェビッチ、ミハイロビッチ。 >>318
開幕戦から負けまくりで
最終戦で当時1番下のランクだった川田に
ようやく勝てたんだよね。 >>232
確か来日が遅れたスレーターの代わりに
急遽テレビマッチに起用されたんだよね? >>310
球場で試合と言えばブッチャーがメキシコかアメリカかどこかで凶器で攻撃して、ましてや
スチールハンガーで相手の首を絞めてあわや殺そうかの勢いの試合で退場するブッチャーに怒った観客が
殴りかかるやつをつべにあった。 >>316
山田康雄もプロレスなんて全然知らなかったんだろうなあ。
ナレーションでは同じく広川太一郎もほとんどアドリブでめちゃくちゃだったw >>305
だいぶ前の雑誌に、ルーインがレストランで頼んだのと違うソースを持ってきたってんで
ウエィトレスにソースの瓶を投げつけた話をあるレスラーがしてた(名前は忘れた)。
「あいつはその内殺人を犯す」と。これはアメリカでの話だけど、日本でどうだったのかは
分からん。 >>319
グレート・アントニオもユーゴスラビア出身だったけど、本名はアントニオ・ヴァリチェビッチ
だったね。俺はてっきりイタリア系なのかと思ってた。初来日の時も二度目の来日の時も
イタリアでボクサーやってた話はインタビューでしてたし、アントニオって名前からしても。
にしてもブッチャーは日本と並んでプエルトリコの水が合ったみたいね。やっぱり同じ
有色人種の国だから、黒人への差別もアメリカほどには酷くないってのもあったんかな。 ブロディもプエルトリコお気に入りだったらしいね。
インタビューで日本と島国って点で共通してるって言ってた。
そんなお気に入りのプエルトリコで凶刃に倒れるとは思わなかったろうな。 プエルトリコはギャラの額が高かったんだよ
だからアメリカの一流どころも遠征して来ていた ハンセンもプエルトリコ遠征の話をしてたね
興奮したファンが刃物持って騒いでたのを
自分とレフェリーのルー・テーズが取り押さえたとか
その時、コロンとブッチャーはトンズラしてたとか >>331
いや、それはエジプトでの試合の話だよ。 >>329
ブロディはプエルトリコのカリブ海ビーチが大のお気に入り。
日本では見られないリラックスムードでブッチャーと談笑していた。
>>330
NWAの主要テリトリーの一つとして、全日本に来日した主要外国人の
大半はプエルトリコにも上がっていた。
全日本からも馬場、輪島、渕、大仁田、鶴見、冬木、ジャパンだった馳、新倉も
馬場ルートでプエルトリコ遠征していたな。 小倉になってからのオープニングは
「ワールドプロレスリング、世界のプロレス」
直訳なのだが、新日の番組名と被っていいの、と当時思った。 >>335
小倉はプロレス嫌いだからな。
昔は、そんなに売れてなかったから仕方なくやってたんでしょうね。 プエルトリコは球場があんなに満員になるんじゃ。ギャラは高いよな。
アメリカ領みたいなもんで行き来も楽だし、近いし。
治安は悪そうだが。
しかしナイフもって興奮する観客とか、プロレスを日本のファン以上に
リアルと思ってたんかな。 ブッチャーは裸足だった頃があったけど、イメージ的には裸足が似合うけど、ヒロマツダの裸足はカッコ悪い
マツダが今一つ日本で人気なかったのは裸足のせいかも スヌーカは裸足の時、足首にバンドやテーピング巻いてたね。
何もしないより見栄えが良かった。 スヌーカーの裸足はカッコ良かったな
タミーナもアラフォーで出番無い
昭和が遠くなるわけだ あんな穏やかな顔した渕もプエルトリコではヒールをやるしかなかった
でもあの顔だから覆面を被ってヒールをやっていた
ドリーファンク・Jrとも合流していたらしい 渕はテネシーで眉を剃って髭をたくわえ田吾作タイツのヒールをやってたぞ。 ヒールが似合うというよりベビーでやるには華が無さすぎ
年取ってからの方が味が出て良かったな 日本人は基本アメリカでヒール時代だし。
カブキは別として >>345
あの時の入場でスクリーンに渕が映し出されたら
渕スーツ姿のあまりの貫禄、格好良さと決まり具合に
新日本の会場がどよめいたんだよな。 渕は鶴田のパートナーとして
超世代をいたぶってた頃はすごくよかったのに
四天王時代になってからは全然印象がない
そこから>>345での新日との対抗戦まで5,6年あったけど
その間はもったいない時期を過ごしたなあ >>338
マツダがシューズ履いてたら人気が出たかといったら、そうも思えないんだなぁ。
そう悪いレスラーとも思わないけど、やっぱりあの地味な風貌やファイトスタイルが
原因だったんじゃないかって気がする。
ところでプエルトリコって四国の半分ぐらいの面積しかない島国なのに、
アメリカでも一流クラスが集結してたのはやっぱり凄いね。ボクシングでも
何人も名チャンピオンを輩出してるし。人口に占めるチャンピオン比率って
多分メチャクチャ高そうだけど。 >>351
野球もすごいよな。メジャーリーグ選手プエルトリコ出身者多いし。
日本で活躍したミヤーン、ポンセ、バナザードとかプエルトリコ出身だよな。
WWCのビッグマッチも野球場で開催されてたね。 >>351
ヒロマツダが地味ってアホか。
お前試合見たことないだろ。 >>352
反面同じようにアメリカと同じように行けるジャマイカはボルトに代表されるように陸上競技と
日本ともやったサッカーばかりでプロレス含めて格闘技のイメージがない。 >>354
サッカーが盛んなのは英連邦だからかな。
たしかにジャマイカ出身のレスラーってあまり思いつかない。ドリー・ディクソンとかくらい? ヒロ・マツダは想像以上に日系ヒール的なファイトだったんだという印象
裸足で大げさに飛び跳ねてのチョップ連打
「地味なテクニシャン」みたいなイメージの方が間違っているんだと思う マツダの試合は
普通に試合してる動画しか見たことがないが
狼軍団時代にヒールとして猪木の試合に乱入したり
シンのセコンドについてる場面では
斎藤や上田と比べても
そこに居るのか居ないのかもわからないような空気みたいな存在感だった ヒロ・マツダの得意技は親指突きによる関節外しだが。 タイソンにタイトルを奪われ、高田と格闘技戦をやったトレバー・バービックは
ジャマイカ出身だったね。フォアマンがフレージャーを吹っ飛ばしてチャンピオンに
なった試合もジャマイカの首都キングストンだった。具志堅にタイトルを獲られた
グスマンはジャマイカじゃなくてドミニカだったか。しかしこう考えると同じカリブ海の
島国でも随分違いがあるもんだね。 >>358
ホーガンの肩を外したんだよね。
あの実録ノンフィクション漫画プロレススーパースター列伝に載ってた ローデスVSマツダ
Dusty Rhodes vs. Hiro Matsuda (clips)
https://www.youtube.com/watch?v=297xcCBbgNk アジア系日本人女性がなんかおかしなメイクと立ち居振る舞いによって
なんか違うよなこの人達、本土に居たら困った人じゃない〜みたいな違和感を
マツダから感じてしまうのがいけないんじゃなかろうか。
いわゆる華のある/ないととは違うと思う。
馬場がハリケーンやマードックを評した、ギャラの分だけしか仕事をしないけど
もらうギャラの分はきっちり、とでもいうような面があったんじゃないかな。 マスカラス同様マツダも馬場とのシングル戦は実現しなかったね。
やっぱり体格差を考慮に入れてたのか、或いは色々複雑な思惑があったのか。
小説「獅子と龍」によると、昭和41年夏、マツダが凱旋帰国してマツダブームを起こした時
馬場は複雑な気分だったとか。 >>362
オープン選手権でも組まれたね、フロリダの名物カードだったのかな? >>363
華がないってアホか
お前マツダの試合見たことないだろ。 マツダって名前が自動車会社のマツダを思わせてダサい。
トヨタかホンダにすればよかったのに。 >>368
ちゃんとした由来があるんだよ、調べてみな。 当時は、まだまだトヨタもホンダも所詮弱小メーカーに過ぎなかった オープン選手権の時、馬場マツダ対鶴田ドリーなんてやってるんだな。 >>362
この試合はあまり参考にならない。
マツダの最晩年だし、技もチョップと肉まんクローしか出していない。
ホッジと抗争していた60年代の映像があれば観てみたいね。 ヒロ・マツダってリングネームがダサい。
当時ならグレートやサンダーなりカッコいいカタカナを名乗るのが普通だろう。
ヒロ・マツダなんてただのオッサンじゃんw >>373
ちゃんとした由来があるんだよ、調べてみな。 マツダはオープン選手権の頃は鶴田、狼軍団の頃は斎藤、杉山、
その後は長州、谷津とアマレス出身者と近しい印象。 プレ日本選手権とか、あんなメンツで蔵前で興行できちゃうのは新日だからだな。
あれは全日には真似できない世界だった、杉山なんか半分リタイア時代だったし。 ただあれってあまり成功したとも言えなかったんでしょ
第二弾が無かったことでも分かるね
まだまだあの頃は日本人VS外人の時代だし >>364
>ギャラの分だけしか仕事をしないけどもらうギャラの分はきっちり
猪木も最初に出した自伝にそんな感じの事を書いてたね。
「プロレスをはっきりビジネスと割り切るマツダさんの考えは、それはそれで
立派だと思ったが」、自分はそれとは違う考えをプロレスに対して持っていたと。 マティ鈴木がマツダについて
「国際プロレスの負債から一人だけバックれた」とか「地元フロリダですら大して顔が広くない」と言ってたんだよな
ミスター珍は晩年まで「力道山道場の練習がキツくて逃げた男」とマツダを酷評していたと
松永のブログにあった ヒロ・マツダなんてダサいリングネームつけるからヒロ斉藤とか超ダサいリングネームが蔓延したんだ。 また「ちゃんとした由来がある」と言ってきそうだけどw
昭和全日じゃないけど、武藤がフロリダから凱旋帰国した時は
師匠?のマツダがTVで解説やってたね。 「ヒロ」というのは英語圏の人々には覚えやすい呼び名なのではないかと思う。
日本人で名前が「○○ひろ」の場合、ニックネームはたいていHiroになる。
マツダが力道山のキツい練習から逃げたというのは正確ではない。
力道山はマツダを大相撲へ入門させ、関取まで昇進して名前が売れたらプロレスへ戻す計画を立てていて、マツダはそれに反発して海外へ行ったと聞いている。
マツダのファイトについてはホッジやテーズが絶賛していたから、一流であったことは間違いない。 大相撲に入門させた後また呼び戻す計画があったのは猪木じゃないの?
最初にマツダでそれをやろうとしたけど海外に行っちまったんで、猪木に
変更になったって事なんかな。 アメリカで最も有名にして憎悪を浴びる名前、東条英機と山本五十六をインスパイアしたトージョー・ヤマモトこそ最高のリングネーム! マツダのリングネームは、最初の日本人レスラーソラキチ・マツダと初の世界王者マティ・マツダから付けたんだろ
マティ・鈴木のマティも、マティ・マツダからだろうし >>387
ヒロは言いやすさ云々よりもヒロヒトから
引っ張ってきただけ。 >>379
外人が手薄の新日がその場しのぎでも
あの顔ぶれでビックマッチが組めただけでも十分かも
>>381
それでもマツダが全日から新日に移ったことで
その後の新日にはフロリダルートから多くの恩恵があった
ブリスコ、ローデスも呼べたし
それにしても馬場とマツダは何故切れたのか >>389
マツダの新日移籍によって、待望のNWAが冠されたスティーブカーンの
タイトルまで新日に来たんだよね。その後チャボの引き抜きにより、
そのタイトルが巡り巡って全日の看板タイトルになったのも皮肉だが。 「ヒロマツダか。懐かしいなー」
と思って画像ググってみたらちょっと歳いった気の良さそうなおっさんの画像が出てきて
「あれ?ヒロマツダの晩年ってこんな感じだったっけ」
と思ったら画像の人は全然関係ない床屋のおっさんだったwこの人もヒロマツダっていうのかw >>391
検索してしまったw
ビートきよしかと思ったわw
ヒロマツダ、日本生まれ日本育ちの日本人だけど、アメリカで生まれ育った日系人っぽい顔付きになってたよね。
ショーコスギとかもそうだけど、あっちの生活が長いと環境がそうさせるのかな。 すずきさん、ホンダさんがアメリカにいくと
親戚ですかと喜ばれると中学の先生が言ってたなあ。
バイクが有名。 WWFでの活動が本格的になって日本に来なくなったハルク・ホーガンが
たまに日本に来てハンセンやムタ相手にレッグシザースかけたりすると
マニアの人は「ヒロマツダ直伝」としたり顔でつぶやいていたな >>367
80年代からプロレス見はじめたんでね、実際マツダの試合見てないんだよ、youtub でオープン選手権に
参加してた時の動画見たんだけど、オッサン臭くて
カッコ良くないし ジャーマンでも使ってたら
見方も変わったかもしれないんだけど
やはり裸足は良くないよ、カッコ悪い >>395
Gスピの東プロと国プロの合同興行に参加した関係者数人のマツダ評を読むとレスラーとして
の評価は高く無い。永源は「動きが間延びしてぎこちない・・・猪木さんの方が上!」と話していた。
猪木と組むと断然に猪木のファイトスタイルの方が評価が高い。
新日は同じフロリダ在住でもレスリング経験の無い者ははゴッチ教室へ送り込んで練習のみ
集中させて長州や谷津は現地での試合経験をマッダ&グラハムの所で積ませて
使い分けていた。特に谷津が最初にパターソンの所に行ったのはゴッチと長州でトラブルに
なったからなんだろうね。このゴッチとマッダ&グラハムはフロリダでは全く親交が無かった
らしい。
>>394
アメリカではやらない日本専用ムーブだね。かって未知の強豪と呼ばれた連中が
評判倒れに終わるのアメリカン国内向けのファイトそのままやって受けなかったの原因
と言われた。日プロの凱旋帰国した時はなぜか馬場を差し置いて人気だったみたい
だけど日本人受けしないファイトはマツダも同じだったんじゃないのか? >>397
1984年の春頃、マツダが新日の維新軍の参謀として来日してたけど
テレビ中継では試合放映されなかったので、ファイトぶりがわからなかった
その頃は40代後半のはずだけど、どんなもんだったんだろ?
狼軍団や維新軍つながりのマサ斉藤は、40代後半の頃は体もファイトも凄かったが… >>397
>ゴッチとマッダ&グラハムはフロリダでは全く親交が無かったらしい
S54年か55年にゴッチが膝の治療で来日した時、ゴッチ、マツダ、藤波の3人が
月プロで対談してたけどね。マツダはゴッチの指導を受けた事はあるんだろうけど、
この時は雑誌の企画で顔合わせただけで、向こうではもう交流なかったんかな。 それと、1984年といえばテリー復帰の年でもあるけど
テリーの復帰って「馬場の要請」って話と「牧場経営の不振でテリー家の事情」
この両方だという説があったけど、どちらなんだろ?
ただし馬場の要請なら、復帰後の扱いはちょっと低い感じ(リング上の扱いでギャラ等は知らんが)だし…
勝手な想像になるけど、もし馬場の要請だったのなら
テリー復帰の保険をかけつつ、UWF問題の流れで独立した新日プロ興行との提携話が同時進行で進んでいて
結果的に維新軍までゲットする事ができた、そうなると保険だったテリーの扱いが難しい
さすがに旬の維新軍をファンクスの下に置く事はできない
また馬場の予測以上にテリー復帰の不人気さが拍車をかけて、最終的に長州戦の惨敗につながる
元々はフレアーvs長州だったわけで、チケットを買ったファンに対しての誠意?で両リンなんて結末は許されない
結果的に代役のテリーが犠牲になった?
それを引きずったのか、次のシリーズの最強タッグでのファンクスの不人気さは凄かったなあ メルカリで貴重な昭和全日本のパンフレット沢山出ているぞ。
欲しいけど今月は買えない >>395
ジャーマンでも使ってたら…って、
マツダがジャーマンの名手だと知ってて書いてるの?知らないの? >>401
どっちもじゃないかな。
「1984年にババからツアーに復帰してくれとの依頼があった」
「復帰したことでファンを傷つけたことはつらかったが、無視することのできない財政的利益があった」
と書いてるから『Terry Funk: More Than Just Hardcore』より >>401
馬場の要請、というのはテリーが言ってるだけでしょ。
馬場は引退する前から少し冷ややかなコメントしてた。全てテリーの都合だよね。
ドリーはどう思ったのかな? 大仁田の引退商法は、テリーからヒントを得たことは間違いないだろうな。 テリーの引退から復帰は
当初からの既定路線だろう
引退試合の実況を聞いててもそれがはっきり分からし
引退させるつもりならそのごもマネージャーだのレフリーだので担ぎ出すわけがない
来日のペースは引退してても対して変わってないw テリーの引退ツアー&復帰はガニアの引退ツアー&復帰のパクりだろ
ただ、ガニアの復帰の方が上手くやって超満員でウケてたけど
アメリカだと引退後復帰はウケるけど、日本人の気質にはウケないな 92年の20周年記念の6人タッグで
試合にやたら絡もうとして馬場に止められてたのを最後に
旗揚げ以来の大功労者テリーも
馬場全日との関係は一切切れてしまった もしかしたら何度も語られてるかもだけど
vs長州の時期のテリーの体はやたら細かったよね
ちゃんと肉がつけば、骨格的にも身長的にもテリーの方が長州よりかなり大きいはずなのにね
でもあの試合は長州がどっしりした体格で、テリーはジュニアヘビーぐらいの体格に見えた
その年の春のレッスルマニアでは体格的には問題ないのに、たった半年でどうしちゃったんだろうか?
映画撮影にしても、スタローン映画ではチョイ役でトレーニング不足に陥るほど拘束されてたとは思えないし… テリー「俺は現役だ!」
馬場「おまえの時代は終わったんだアポー」 >>411
引退時に減量して他のと、試合をしてなかったら膝の調子が一時的に良くなったとは言っていた だいたい発表の時点で引退が3年後って、、、長いわ!!! 当時のテリーは本当に「世界のアイドル」と思い込んでたから
そんなスーパースターがわざわざ日本で引退するということは
実は本国での存在価値はそれほどでもないのか?
と少し疑ってたなあw
実際どうだったんだろう 「アイドルがやられます!世界のアイドルがメッタ討ち!」 あれだけ盛大に引退セレモニーやっといて翌年に復帰じゃファンでも納得できない。
テリーの事はたいして、良いレスラーとは思ってなかったんであ引退すると聞いても興味が無かった。
テリーはブッチャーを相手にした時のみ光る人だったし
それと復帰した時にハゲていたのもあかあ上がらかった
要因かも、猪木とテリーはハゲたら駄目 テリーは主役じゃないと使いずらいかな。ドリーは普段淡々と試合するタイプだからいいけど。 1987年の最強タッグではファンクスは優勝戦線には残ったが
最終戦でカードが組まれなくてあの辺でもう
「ファンクスは過去のチーム」と明示されていた
ただファンクスVSブッチャー、TNTは凄い盛り上がったらしい その程度の誤字は気にするなよ
訂正なんてする必要ねーよ >>415
本国云々はともかく自分のファンがもっとも多いところで引退試合するのは当然じゃないのかな。
蒼井そらが引退するとしたらきっと中国でやるでしょう、そういうことでは? >>417
それは自分も思ってた
当時は小学生だし、月刊誌の外国の試合リポートでしか判断できなかったけど
なんかNWA・AWA・WWFのレーティング10みたいなのが毎月載っていて
まあボクシングのランキングみたいな意味だと思ってたが、ドリーもテリーもベスト10には入ってなかったからね
それにNWAのタイトル戦線にも顔を出してなかったし
レイスやブリスコ兄弟とか、全日マットでは盛りを過ぎたと思われてる選手も挑戦したりしてたし
ドリーがフロリダのブッカー?をやってた頃にフレアーを招いて、
ドリー自ら挑戦して終始優勢の60分フルタイムドローって記事を見た覚えがあるぐらいかな
まあ、兄弟共にNWA王者を経験して離婚沙汰になってるから
安定した日本マットの収入が基本になるのは当然なんだろうけど
でもテリーは50歳過ぎてから、ハードコア路線でリビングレジェンドにまでなってるから面白い >>418
テリー復帰後に現場監督の佐藤昭雄は「いままでのようにはいかないからね・・・」とテリーに
釘を差しておいたらしい。 プロレスラーって、引退→復帰を
繰り返す人が本当に多いよね テリーが引退を言い出したのは、ガニアが引退宣言して引退ツアー開始した頃で、復帰したのもガニアが復帰した後
ただ、ガニアの復帰はビッグマッチだけの単発参戦
テリーはレギュラーとして復帰して、対した理由無しに復帰してしまったのが駄目だった >>415
ブッチャーファンだった俺はブッチャーに対して同じように思ってたな。
S54〜55年辺りは参加してないシリーズを数えたほうが早いぐらいだったけど、
それだけ日本で連続ファイトしてるって事は、その間アメリカにいなくても対して
影響ないって事なんかいな?と。実際向こうではどれぐらいのポジションにいるのか
気になってた。参戦したどの地区でもそれなりのポジションにいたようだと過去スレで
解説してくれた人がいたけど。 アメリカのどこでも引っ張りだこなんて選手は
武者修行時代の馬場とホーガンくらいだろ。 テリー「ソ連、ぶっ潰す」
と東スポに載ってたなあ。
レッドブルの時、猪木に直談判するとか。 アンドレやローデスもそうだったんかな。S54年頃のゴングにはファンクスや
マスカラスに関して「アメリカの一部の地区では無名」なんて出てたけど、
恐らくブッチャーもそうだったんだろうと思う。あれだけダダッ広い国だから
これはまぁ当然だろうと思うけど。 >>389
親日でマツダのリング上での仕事つうと、猪木とボブのWWF戦に狼軍団乱入〜ノーコンテストブックを指示して
そのあと決定してたプレ日本優勝戦(猪木VSマツダ)への、猪木とファンの報復ボルテージを高める役だったな。
WWF戦をぶちこわされた猪木、、「マツダ!てめえ蔵前でぶっこ〇すからな!」 >>428
その解説をしたのは自分だよw
日本とプエルトリコは別格だけど、ブッチャーは北米でも
多くのテリトリーで当地ベビーとの抗争を繰り広げて盛り上げている。
カナダ、五大湖地区、ジョージア、フロリダ、ミッドアトランティック、テキサス
短期だが84年にAWAにも上がっている。
ガニアが使った黒人レスラーはブッチャーとトニー・アトラスくらいだよ。
ブッチャーが主要テリトリーで上がらなかったのは、WWFくらい。
本人は「ビンスが自分のスタイルを受け入れなかった」と言っている。
>>431
ハンセンもアンドレとローデスに関しては「全米レベルのスター」と言っている。
向こうだと“legitimate”という表現になる。『本物』ということだね。 >>433
そうでしたかw 向こうの雑誌のモーストヘイテッド部門では常に上位にランクされてた
時期もあったようだし、「そこそこ知られてはいるんかな」とは思ってたけど。
にしても繰り返しになるけど、あれだけ広大な国だから「どこでも大人気」なんて
レスラーは限られてくるだろうけど、カリフォルニア1州だけで日本と同じくらいの
面積があるなんて聞くと「無駄にダダッ広い国」て印象を受けてしまうw >>432
2回戦のvs藤波、準決勝のvs坂口がノーTVなのは残念だった
>>433
ルーファス・ジョーンズもAWA出てた 輸入プロレス雑誌が売ってたが当時。
技をかけてる写真が一枚もなくて唖然として立ち読みしてた。読めんかったが。
リング上の佇まいの写真と、文章だけ。
向こうは、ファンを賢くするな、という合言葉があったそうな。 >>435
当時のプロレス雑誌で、準決勝の試合中にリングに上がって坂口に
殴りかかる上田と杉山の写真を見た記憶がある。まあ当時の坂口は、
介入があったから負けたという理由づけが必要な格はあったからな。 プエルトリコ出身のモラレス、コロン、ビクター・リベラは黒人扱いだったのかな
コロンの肌の色はアーニー・ラッド以上に黒かったけど プエルトリコ出身なら「プエルトリコ人」て扱いだったんじゃないの?
でも見た目が黒人ぽかったら「プエルトリコ出身の黒人」て扱いだったかも。
よく分からんけどw >>420 細かいな
宍倉清則の遺伝子を受け継いだな プエルトリコは一応アメリカの一部
なんじゃないの? ニューヨークにはプエルトリコ人のスパニッシュハーレムがあったからモラレスは爆発的な人気があったけど、それよりも人種の壁を超えたスーパースターがブルーノだった
ブルーノの後継者がホーガンか プエルトリコと言えば「あの」ホセ・ゴンザレスだな。
意外にも全日本には度々来てたみたいだけど、そこそこ使える選手だったんだろうか。 >>446
ゴンザレスはめちゃめちゃ上手いよ。
意外と力強いし。 >>448
そうか?いつのシリーズでも1勝20敗くらいのボロボロの成績出し、三沢タイガーとのシングルがようつべに残ってたけど、ほとんど見せ場を作る事なく簡単に捻られてたが。 >>442
アメリカの自治領て事だけど、これがよく分からんのだな。
アメリカじゃないけど完全な独立国でもなくて、管轄下?に
あるって事なんかな。 >>452
キューバ(旧ソ連)に対する軍事的予防線としてアメリカ艦隊をカリブ海に展開するための意味合いで長年そのままだったんだが、
アメリカとキューバの国交正常化とともにその必要もなくなろうとしている。 >>445 >>456
http://i.imgur.com/2eTWf5V.jpg
遅レスだけど今見直すとゴレンジャー欽ドンにウィークエンダーや影同心ロックフォード氏の事件メモといった
後々まで語り継がれる番組が一斉に放送開始しているテレビにとってスゴイ歴史的な日なんだね
確かに裏がこれだけ強力だと全日中継は分が悪い >>458
ゴレンジャーが関東でゴールデンだったとは知らんかったw
関西では土曜の夕方だったから。
でも昭和50年当時のジャイアント馬場って視聴率の優劣は別として
ドリフや萩本欽一と土曜8時でテレビで競ってたぐらいのビッグネーム
だったということですな。 猪木が町のおばはんに馬場と間違われる時代が来るとはね。
馬場が存命ならそんなことにならないんだろうけど
猪木の知名度もぐらついてんだな。
イベントでは、猪木氏は、永遠のライバルで1999年1月に61歳で亡くなったジャ
イアント馬場さんに触れ、町を歩いているとよく「馬場さんに間違われる」と告白した。
中でも以前、熱海に行ったときに「おばさんが来て、ねぇねぇ馬場さんでしょと言いやが
った」と振り返った。
猪木氏が、その呼びかけに黙っていると「そのおばさんが、また来て、今度は友達も連れ
てきて、ねぇ馬場さんでしょってうるせぇから」と明かした上で「アポッって言ってやっ
た」と馬場さんの物まねを披露。禁断のサプライズにイベントに集まった満員のファンを
爆笑に包んでいた。
http://www.hochi.co.jp/topics/20171105-OHT1T50199.html >>461
いやあ、記事をメモアプリに貼り付けてから
5ちゃんにコピペすると本文が長すぎます!って怒られるから
タブレット右端で、改行入れてんだよ、手で。
めんどうなんだよ、結構w 猪木はたまに馬場に間違えられたらしいね。
馬場が猪木に間違えられる事は無いだろうがw >>458
腸ねん転が解消後の最初の番組改編期の関東地区の番組表は興味深い。
バーディ大作戦の後番組はGメン75でその裏は大江戸捜査網とTVドラマ黄金時代。
独立を迷う馬場を後押ししてまで設立させた全日プロは日プロ時代より半減してしまった
視聴率はヘーシンクデビューで瞬間的に盛り返してオープンタッグ決勝の頃はドリフを
相手に12%を超える視聴率、のちのスカイハイブームも視聴率に貢献するもその後に
息切れして78年の終わりにはゴールデンタイム降格の決定がなされて79年4月から
夕方へ移行し元の枠は土曜トップスペシャルとして90分の映画や歌謡曲、
バラエティ等の特番枠になって全日が単発でその枠に戻るのはその数年後だった。
関西も同じだったのかな?また当時の毎日放送のトップはプロレス嫌いがいたと言う話も
あった。 結局、全日本プロレス中継はゴールデン放映時視聴率20%はなかったのか プロレスが好きでもドリフや欽ドンを無視してまで馬場対ルーインを見る子供は少なかっただろう。この時代は父親の見る番組を家族中で見るから結果みてる子供も多いだろうけど 欽ドンが無ければなあ。
8時20分頃までドリフ見てそれから日本テレビにチャンネル変える人が多かったんじゃない?
ウチの家もそうだった。
普通の家庭はドリフと欽ドンのザッピングなんだろうね。 >>460 >463
いや猪木の「このあいだ馬場さんに間違えられまして」って話は昔から講演会や芸能マスコミ相手の囲み取材でよく口にする定番ジョークなんだけどね >>467
>>469
全日が夕方放送になって以降の話だが、国際が月曜20時に
放送していた時は毎週必ず見ていたのに、土曜20時になったら
全然見なくなった。学校の友人たちもみんなそうだった。 ドリフは歌のコーナーがあったから一時間まるまる見ることはなかった。ひょうきん族も目玉コーナーはドリフの歌の時間を選んで放送してたくらいだし。プロレスはそういうの無理だけど >>471
12チャンネルはもう国際中継から手を引きたくて
わざと勝ち目ゼロの時間帯に持って行ったんじゃないかって
推測もあるね >>473
これはあったみたいだね。テレビ東京になるに当たって、
ゴールデンタイムに金網デスマッチを放送することには、
局内で反対意見がかなり多かったらしいし。 >>468
え?そうなの。
猪木ニュースをスルーしすぎてたか(汗) 田舎ではTBS系列放送なしだから、
全員集合は夢の話だったなあ。
火曜のドリフ大爆笑が楽しみだった時代。 75年の馬場vs 大木の 初対決の視聴率って、どれぐらいだったんだろうか? 日テレと12チャンネルの両方でキックボクシングやってるけど、日テレのほうは
沢村や富山の系列かな。TBSでやってるのしか記憶になかった。
しかし天地真理の新番組で空手六段とか、全員集合に輪島功一がゲストで出てたり、
中々格闘技ずくしの日だね。 >>476
意外にテレビ朝日もネットされていない県もある。
プロレスではないが、年末番組であった小学生30人31脚がなくなった理由に全国大会とは書いてるのに
テレビ朝日系列でネットされていない県は出れないために不公平だと言う批判が出て文科省までつつかれ
番組を終わらせた要因になった。 >>478
日テレとフジのキックはすぐに撤退したよ >>480
日テレは6年くらい続いたよ
NETは1年ももたずに撤退したと思った
フジは記憶にないなあ、やってたっけ? >>480
あぁ、そうなんだ。道理で記憶にない筈だ。
ところで昔の雑誌で読んだけど、日プロで馬場と猪木がインタータッグの
チャンプだった頃はよく外人が「馬場と猪木は兄弟か?」と聞いてきたらしいね。
確かに外見も似てると言えない事もないけど、それ以上にリング上での連携や
チームワークがよくできてたんだろうね。「阿吽の呼吸」と言うのか。 >>481
NTVのキックは福留が実況してたイメージ 小学校の低学年の頃、沢村の試合をTVで見たけどありゃ日テレだったんかな。
レイモンドとか何とか言う外人もよく出てた記憶があるけど。 TBS,ABC系 沢村忠・富山勝治・飛馬拳二・伊原信一ほか
NTV,YTV系 風間健・横山剛・猪狩元秀・錦利弘ほか
NET,MBS系 山崎照朝・嵐五郎(盧山初雄)・添野義二ほか
12チャンネル,U局 藤原敏男・大沢昇・島三男・長江国政ほか >>479
テレ朝は元々教育テレビだったから、先行の日テレやTBSは勿論、同じ年に開局したフジと
比べてもネット局獲得で大きく遅れをとった。 >>479
全国高校生クイズ選手権もクレームでてもよかったかもね。 >>487
沖縄が日本テレビのネットされていないんだっけ。 >>489
沖縄は今でもクロスネットも含めて唯一日テレ系がない。
土曜19時にやってた頃もゴールデンでやってなかったんじゃなかったか? 全日本プロレス中継の敵は実は巨人戦だから。土曜日はビジターの阪神・広島と巨人の試合は
系列局が中継権持っているからホームゲームを含めて少なくても月2回は深夜送りされるから
視聴習慣がつかないでしょう。 そもそも
そんな時間帯に追いやられてる時点で
全日本は日プロに比べてかなり格下の扱いだったんだな 金曜夜8時の新日の敵は太陽にほえろや巨人戦か。
田舎じゃ、フジと日テレ系列しかなかった。なぜか全日夕方時代は系列あるのに
深夜だったし。 土曜8時より土曜17時30分の頃が視聴率が良かったのかなあ? >>488
坂口合流でスタートしたワープロも貧弱な外人勢のために視聴率は予想を下回り10%代前半
で初期は苦戦したがこれを振り払ったのがシンの登場だった。視聴率は18%代まで跳ね上がり
後年に「ワープロの救世主」とPに言わしめた貢献ぶりだった。のちに小林・大木戦で20%前半
にまで達してNETの人気番組に躍り出た。数字的にはストロングスタイルよりシンの狂乱ファイト
だった・・・
>>492
編成上は不遇でも日テレの小林社長肝いりの団体の番組なので大手スポンサーや
日大講堂の低額での使用等と経営的にはかなりのサポートを受けている。
ヘーシンクの参戦も日テレ主導だったので契約からファイトマネーまで全て日テレ持ちだった。
>>494>>493
松根社長は就任時のインタビューで「夕方の視聴率としてはTV局としては及第点でも
ゴールデンではネット局数や放映権料が違うのでゴールデンタイム復帰を目指す!」と
明言していた。 石川県には1991年までフジ系の石川テレビとTBS系の北陸放送しかなかった
北陸朝日放送とテレビ金沢が開局してようやく普通になったけど、それまでは全日は北陸放送・新日は石川テレビの深夜で放送してたな >>496
民放1局目がNTV系の地域の四国や山口や東北
民放1局目がKRT→TBS系の地域の北陸、山口以外の中国地方、九州沖縄 土曜8時か土曜7時、どっちが視聴率が上だったのかなあ? 関東エリアの人は夕方の方が野球で潰れたりしなくて嬉しいんだろうがゴールデン降格すると地方は悲惨だからな 地方も案外夕方の地域そこそこあったはず。
むしろ近畿と東海がなぁ。 >>501
見るかいな。
問題起こした人間は基本取らない。
取るなら北尾を取ってるだろ。
日馬富士か頭下げてお願いしてきたら別だが。 テンタにプロレス教えるより相撲技で戦う姿が見たかったよ
輪島がブッチャーに上手投げ爆発させたときは興奮した そんなこと言ったらテンタは相撲で続きが見たかった。
曙より前に初の外国人横綱になってたかもしれんのに 昭和57年からプロレスを見始めたけど
北海道では、新日は金曜8時の生放送
、全日は土曜か日曜の深夜だった。
見始めたきっかけは、たまたま見た長州のかませ犬発言の日だったけど、クラスの奴等はみんな新日最強、全日ダセーだったから、臍曲がりの俺は、新日なんて外人がショボくてダサい、全日は豪華外人でカッコ良いと全日派になった。
紀伊国屋の洋書売り場に行って、輸入書のプロレス誌を立ち読みして、遥か遠いPWFやAWA、NWAに幻想が膨らんだなぁ、、、 東海地方では昭和57年4月にそれまで金曜深夜放送だったのが日曜午後12時放送に変更になった。
その日曜午後の放送が全日のムードに合ってて好きだったw 輪島は相撲時代は四つ相撲で下手投げが得意の力士なのに
のど輪落としが必殺技になったのは苦笑せざる得なかった
相撲時代でものど輪なんてやってないのにw 中学のとき、同級生が日曜夕方に遊びに来て、茶の間で
夕方4時に新日見てたら、白いい背広とサングラスのブッチャーが登場してきた。
信じられない思いでテレビえお見て仰天した。
???もう全日来ないのか。一回だけか?と混乱した。 天龍の天龍チョップ(突っ張り)は鶴龍対決の頃にはもう使ってなかったね 天龍チョップは子供がヤケになっているように見えてカッコいい技ではなかった。
グレードの低い頃の天龍なら見ていて面白くはあったが、グレードが上がって鶴田と肩を並べてからは似つかわしくないと封印したのかもな。 >>512
天龍チョップか笑
あの技リアルタイムで何度か見たけど、確かにカッコ良い技では無かったな。
何せ一緒に見てた友達が、あの技が出るわ笑ってたし、天龍のプロレスアルバムに載ってた
漫画でも「出た!猪木の延髄蹴り!出た!ゴディのパワーボム!」って、天龍が他の
選手の技を出す度に解説者が茶化し、最後に天龍が天龍チョップ(迫力の無い、ぺちゃんぺちゃん
と言う効果音付笑)を出すと「出たー!天龍の天龍チョップ!」と絶叫すると言う、パロディと言うか風刺ネタにされてた位だからな笑 >>493
自分が中学世代になるとワープロのライバルは丁度開始された金八シリーズだったな。
ベストテンで田原俊彦が「哀愁でいと」でいきなりチャートインして来た時、オレ知らないからw「誰?」って感じ。
当時クラスの特に女子はたのきんの話題ばっかで、プヲタは男数人。休憩時間にその仲間で
昨日のMSGタッグが〜、とかヒソヒソ会話してたよ。 全日スレゆえ閑話休題。。 >>515
テレビ朝とTBSが無い県だったから
ワープロのライバルなんて考えたこともなかった。従って金八もベストテンも無い悲惨な地域。明星や平凡読んで僻地感満載時代
w >>508
喉輪落とし使ってたか?
アームボンバーは喉輪じゃないだろ? 子どもの俺は天龍チョップ大喜びだったよ
出さないとガッカリだった
空手の青柳相手に久々に天龍チョップ炸裂させて
やっぱりここぞという時には身に付いた技が出るのだと思ったね
出身格闘技の技使うの大好きなんだよ >>517
喉輪落としは田上のオリジナル技のはず。
ただ、輪島のゴールデンアームボンバーも開発当初、相撲の喉輪の応用技だったような覚えがあるんだが・・。
記憶違いか。 突っ張りは寺尾の印象が強かったから使うのやめたのかも。
しかし身についた技が本能的に出るのは説得力がある。
三沢対川田で終盤ヘロヘロの川田が本能的にタックルを放ったのも見応えがあった。 >>518
コーナー対角線にいくチョップが好きだった >>512>>513
後年、ライガーに見舞ったのはすごかったけどな。
昔笑われてた頃にこれ出せばよかったのにと思ったが、
やり過ぎてKOしちゃう可能性があるからプロレス向きの技じゃなかったんだろうな。 51歳のオッさんだけど、俺の金曜8時は
S50年代前半〜54年秋=太陽
54年秋〜56年春=金八、新八そしてまた金八
56年春〜57年春=学習塾
57年春〜57年秋=貫八
57年秋以降=新日
だったなぁ、、、 >>520
当初はロープに振ってカウンターののど輪だったよ。 >>507
俺も名古屋だったんだけど、当時ガキで家にビデオも無いから、金曜の深夜でもどかしい思いをした。
金曜深夜になってから、名古屋で馬場がNWA獲ったり、一宮でレイスとマスカラスのNWA戦があったけど、
ガキだから全部会場に行けるわけじゃない。せっかく地元でやってるのにテレビさえ見れなくて悔しかったな。
インター争奪トーナメントの愛知県体に行ったけど、ガラガラだった。
メインがドリー対ブッチャー、セミがブロディ対馬場だった。
元々新日本が強い地域ではあるけど、ビデオも普及していない時代に深夜に放送ってのもさらに差をつけられた
要因かなと思う。
日曜の昼間に移って、初めて東海地方のビッグマッチが中継されたのは、馬場・鶴田対ハンセン・ブロディの愛
知県体じゃないかな。
唯一のハンセン・ブロディのインタータッグ戦。
このときのブロディが鶴田から一本とったけど、フィニッシュがニーじゃなくてエルボードロップだった。 黄金の左とは言われていたが
実際には輪島は左より右腕の力が強い 子供が寝た時間だからと11PMとかやってるのに、その後に馬場とかマスカラスが出てくるんだから、地方は >>528
それ北の湖が言ってたね
実際は「黄金の右」なんだって
右からのおっつけが凄まじく強くて体が浮いて
左の下手投げをくらってしまうとか >>523
>昔笑われてた頃にこれ出せばよかったのにと思ったが、
>やり過ぎてKOしちゃう可能性があるからプロレス向きの技じゃなかったんだろうな。
子供の目から見てもただコーナーに押し込む為だけの時とたまにガタイのいい外人相手に使っていた激しく叩きつける時の違いが分かってしまうからなあ天龍チョップは
>>530-531
四つ相撲が基本の北の湖とは相性が良かったからね輪島は >>506
たまたまって…
あの日は大洋vs巨人が雨天中止になってなければ深夜送りだったのに 嘘か本当か知らんけど、投げ方が上手だったか下手だったかを
審判が判定して上手投げ、下手投げと決めてると思ってた人が
いたらしい。相撲にあまり詳しくない人ならあり得るかも。 >>535
セルフのスタンドで、軽自動車だから軽油を入れちゃう人みたいだなw >>517
最後の方は、
ロープに飛ばさず、
スタンディングの状態で、左手を相手の喉、右手を相手の後頭部を掴んで叩きつけてたからな。
田上の喉輪の原型は間違いなく輪島。 >>536
まぁ勘違いてのはあるからね。かく言う俺も子供の頃、ニュースとかでよく
「誤って転落」とアナが言ってるのを「ごめんなさい」と言いながら落ちる事だと
思ってたw ゴールデンアームボンバー→ロープから返ってきた相手の首に喉輪→相手の体をユッサユッサ揺さぶる→ドターン!
ジャンピングネックブリーカードロップやウエスタンラリアットは
ロープから返って来たのやら自らの突進力の勢いを利用したフィニッシュホールドに説得力のある技だけど
ゴールデンアームボンバーはその勢いを消して相手の体揺さぶる意味が未だにわからない
輪島さんには悪いけど最初見た時なにこれ?って思ってしまった…(´・ω・`) 輪島は間違いなく“相撲の天才”だよ。
戦った連中は皆「立ち合いの瞬間、考えられないスピードで左を取られる」と言っている。
大相撲史上、唯一の学士横綱。 >>538
私も子どもの頃の勘違いはあった。ボクシング中継で、当時の解説者で郡司さん
とかいう人がいてラウンド終了ごとに実況アナが「郡司さんは5対5のイーブンです」
と採点を報告するのを、郡司さんの言い分だと思っていた。 >>504
輪島の左下手投げを食ったブッチャーが北の湖、高見山に見えたよ。 >>541
俺の知り合いはやっぱり子供の頃に「何で胃癌退職はあるのに肺癌退職や
肝臓癌退職はないんだろう」と思ってたらしいw まぁこんな話ばかりしてても
キリがないけどw
ところでゴールデンアームボンバーは輪島の腕力の強さを強調する意味が
あったんじゃないかね。プロレス入り表明直後の週ゴンで「千代の富士を上回る膂力」
なんて出てたし。まぁ今考えたら如何にもプロレス的な技だったとも思えるけど。 同音異句なら汚職事件とお食事券とか薬剤師とヤクザ医師などギャグみたいなのが多数あるなw >>544
聞き間違いシリーズもあったよね、フィリピン系と非ピリン系とかw だいぶ前に他スレにも書いた事あるけど、「バロン・フォン・ラシクはバロン・フォンらしく
してりゃいいのに」とよく頭の中で反芻してたな。流石に友達に公表する勇気はなかったけどw
ま、怒られる前にここいらで失礼。 >>539
ただし最初の段階では揺さぶりはなくて迫力が全く感じられなかった。
揺さぶりを加えて改良した最初の相手が軽量のジンクだったから、あの時はそれなりに説得力があったんだよ。 ジャパン軍団が大量離脱しなかったら、輪島とどんな絡みになってたんだろう。 >>539
>>547
とんねるずの石橋もギャグにしてたな、「ユッサユッサしてる間に、相手逃げりゃいいのに」 ユッサユッサをなくすと小川のSTOっぽくなっちゃって
それはそれでなんか味気ないなw >>534
テレ朝は日テレと違って深夜送りなんてないだろ。
野球があればそのままお蔵入り(テレ朝系列じゃないとこは放送あり)。 確か最初のユッサユッサの犠牲者はトム・ジンクだったはず。 WWFのアンダーテイカーが使うチョークスラムは
輪島とは関係ないんだっけ >>553
チョークスラムをアメリカに広めたのはベイダーかシド・ビシャスのどちらかじゃなかったかな? >>551
これは違うな、テレ朝も野球の雨傘番組扱いで深夜送りのことはあったよ。
私が覚えているのはMSGシリーズの開幕戦が野球と当たって深夜の放送になり、
眠い目こすりながら見ていたのに、録画放映にも関わらず試合途中で放送終了w 30年前の今日は87世界最強タッグリーグ開幕戦後楽園ホールから実況生中継 ブッチャーとブロディの復帰か。懐かしいな。
深夜枠でプロレスやボクシングの名勝負の番組もあったね。 >>557
馬場がリーグ戦の展望を話す倉持アナを遮ってまで、ブッチャーに衰えが無く自分もやる気が出てきたという話しをしてたな。
よほど嬉しかったんだろうな。 ゴールデンアームボンバーだが、確かに子供心にも
あのユサユサは格好悪かった。
例えばストンコのスタナーの様に、前蹴りで相手を
跼ませる。その首根っこに絡めてなんて入り方だったら、
まだスマートで説得力もあったかもしれないのにな。 でもあの技は結構危ないと思う。頭を押さえつけて叩きつける技なんて他にないし 危ないに決まってる。あの揺さぶりで「脳が揺れる」んじゃないかな。
>>540
卒業はしていないんじゃないかな。テストの答案に手形を押した、という逸話があるくらいだし。 当時、輪島の東京デビューの最強タッグ武道館観戦したけどユッサユッサ出た時会場は大爆笑だったよ! あの程度の揺さぶりというか
あれ以上の揺さぶりは無理でしょ。誰でも 脳揺らすんだから危険技だよ
長州のタックルで輪島テイクダウン出来たか知りたかった
谷津は輪島デビュー戦についてシン程度になら勝って当然
横綱の強さとはそういうものとコメントしてた >>563
輪島伝説かw
ネタで言われてるけど、卒業はしてるよ。
今は大卒力士がわんさかいるから、いずれ輪島に次ぐ学士横綱も出てきそうだな。 >>566
レスラーが身体ごと揺れてんのに?
しかも、ゆっくり。 引退してからプロレス入りまで長すぎたよな。
正直一般人の38歳よりはるかにスローモーだったもんな。
まあ普通はケガでボロボロになって相撲辞めるんだから、アスリートとしては微妙だろ。
天龍やテンタみたいな形で入るならまだしも。 >>559
馬場は前年86年9月に輪島とプエルトリコ遠征に出てるんだけど、
この時ブッチャーと5年ぶりの再会をしてるんだよな。
動画でも見れるが、シングル戦を行っている。
この時、葉巻の交換を久しぶりにしたらしいけど、全日本復帰を
話し合ったのは間違いないだろうな。 カウンターで決めるには受けるほうがあぶない
でも揺らすとなんだか説得力が微妙という >>573
そう。
ヒューゴ・サビノビッチが場内実況で「ヒガンテ・バ〜バ!!!」と絶叫してるやつ。 >>575
https://www.youtube.com/watch?v=vcqN6DTPvlQ
馬場、ブッチャー、コロン、テリー・ファンク、リック・マーテル、バリー・ウィンダム、ボリス・ズーコフが
参加(ブロディは棄権)して1986年9月に行われた『WWCユニバーサル王座決定トーナメント』の公式戦。 >>576
馬場生き生きしてるw外国なのに日本の試合みたいで面白いな >>561
ゴールデンアームボンバーと、
二段式ネックブリーカーをごっちゃにしてないか?
ゴールデン〜でゆっさゆっさなんてほとんどしてなかったんじゃないか? 今日11月22日は最強タッグハンセンとブロディ最初で最後の対戦から30年 >>580
セミの馬場、輪島vs龍原は時間切れ引き分け
他にファンクスがブッチャー組と対戦してるな >>579
二段式も実況アナはゴールデンアームボンバーと呼んでいただろ?
二段式使うようになってからは、普通ののど輪落とし出さなくなったし。 >>582
呼んでないわ。
ギロチンネックブリーカーって言ってたじゃないか。
間違えた癖に言い訳すんな。 >>584
知らんわ。
だったらややこしいレスすんな。 >>580
それを読んでクラッシックの録画を引き出して改めて観たよ。
今更だけど、その試合をコールした仲田龍、裁いたジョー樋口を含め
6人のうち今も生きているのはハンセンただ1人なんだよね・・・
30年の歳月を実感・・・ ハンセンゴディ組対ブロディスヌーカ組は出来れば最終戦あたりで見たかったな >>587
ただその内の何人かは普通なら今も生きてる筈の年齢なんだよな。
それも寿命だと言ってしまえばそれまでだけど。 >>571
84年鶴田がAWA王者として遠征した時(馬場・天龍も同行)ブッチャーいたんじゃないの? >>590
馬場・天龍も同行したときはいなかった
後に鶴田がマーテルにベルト獲られたセントポールではブラックウェルと組んで
ブラックジャックスと対戦してた >>590
いや、その時にブッチャーはいなかったよ。
84年に鶴田はAWA王者として2回渡米してるんだけど、
馬場・鶴田・天龍の3人でAWA地区を遠征したのは1回目だけで、
この時(3月2日〜15日)にブッチャーはまだAWA入りしていない。
鶴田が2回目の渡米(4月27日〜5月16日)をした時に、
ブッチャーがAWA入りして鶴田とは一緒になったけど馬場はいなかったよ。 >>588
TV放送を見てブロディのパートナーがスヌーカに代わったのを知ったから驚いたよ。
あの突然の変更は何があったのかな?説明も無かったし・・・ 理由は俺も知らんけど、そのままデビアーズ参戦は無かったと思う。
実質初登場のデビアーズを年の最終戦のメインを任せるのは危険過ぎるだろう。
6月に来たジェイソンあたりの方がまだマシ。 ブロディとスヌーカって相当ウマが合ったんだろうね、仲間割れ後も
何度もタッグ再結成していたし。ブッチャー&シークとか龍艦砲とか、
日本のリングでは仲間割れ後は二度と組まないのが当たり前みたいな
ところがあったから、かなり稀有な例だと思う。 >>596
タスキも作ってなかったから、
本当に急な変更だったんだろうな。 30年前の本日、故ハル薗田氏の日本ラストマッチ vsフットルース デビアースその後のシリーズにも来なかったのはヘソ曲げたのか?遠征嫌いますなのか… 馬場がNWAの防衛戦でトップロープから落ちて股間をロープで打ってフォール負けするのって
レイス相手?ブリスコ? 1987年最強タッグは最後の昭和全日本を感じさせてくれるものだったね。
当初の予定どうりにトムジンク&リッキースティンボートだったら更に盛り上がったかなあ。
この時馬場が控え室でAUP構想発表したけどこのメンバーでアメリカ逆上陸計画
当時はWWF絡みでクロケットプロも弱体化していたからワクワクしたものだったよ。
実現は1989年だったがブロディなくなる前、ブッチャー手術前に実現していたらと
考えると残念だよなぁ。特にカンザスあたりでブロディ登場でそれなりの話題になったんじゃないかな。
同時期にホブガイゲルのWWA設立を上手く絡ませて
クロケットプロ退社のローデスのフロリダPWFとか絡めて。
継続性はないどろうけどまだ辛うじてNWA幻想が生きていた時代だから
新NWA的な組織としてそれなりにと思ってしまうよ。 >>601
レイス
当時テレビで見ていて、馬場大好きな私は、唖然としました >>597
一応龍艦砲は2000年のノア勢の大量離脱後に
数回組んでいる。
ただこのころのハンセンはブレーキだけでなくアクセル
も壊れたダンプカーとなっていて動きが悪かったんだよね。 滋賀の大津だったけね。
佐賀ですごいエグい角度のランニングネックブリーカードロップで勝って奪取したんだよね。
この移動はレイスの個人判断で馬場も想定外だったんだっけ?
大津のリマッチでコーナーポストでモタモタしてたら、レイスに足すくわれて落下して股間をトップロープに強打して負けというトホホな終わり方。
「足のばせばロープに届くのに何やってんだ」と当時は思ったな。
おかげでレイス対マスカラスのNWA戦見れたけど。
馬場対マスカラスのNWA戦てもしやってたらどんなことになってたか。 デビアースは当て馬だったんじゃないか
別に常連じゃないしこの後も全く呼ばれなかったし >>590
仮にそこにブッチャーがいたとしても当時はまだ新日に上がってた頃だし、
全日復帰とかの話にまではならなかったんじゃないかね。 NWA初戴冠のあとの2度目の防衛戦(ブリスコ)って馬場はどうやって負けちゃったんですか?
検索しても映像や詳細がわかりません。 >>609
確かバックドロップで決勝ホールをとられたと思うが >>610
>>611
ありがとうございます 見たような記憶あり 検索したらありました
'74NWAワールド・チャンピオン・シリーズ
第14戦、12月9日豊橋市体育館 観衆3700人
NWA世界ヘビー級選手権 60分3本勝負
ジャック・ブリスコ(2-1)ジャイアント馬場
@馬場(13分47秒体固め=アトミック・ドロップ)
Aブリスコ(3分30秒4の字固め)
Bブリスコ(2分34秒体固め)
馬場がジャンピング・ネックブリーカーを決めようとしたが、ブリスコにかわされ自爆。すかさずブリスコは、バックドロップを決めフォール。
http://yaplog.jp/highkick/archive/102 12/5東京日大講堂で初防衛したあと12/6 12/7 と新潟・長岡と世界王者として凱旋していたんですね
12/12の川崎での最終戦では鶴田がNWAに挑戦していたとは知らなかった ランニングネックブリーカーの自爆って見たことないな 亡くなったジミーはこのシリーズ、グレートスヌーカの名前で来日してたんですね 今みるとブリスコ以外でも本当に興味深いシリーズ結果だと思います 鶴田のNWA挑戦はこのブリスコ戦が国内では最初かな。
アメリカではデビュー2ヶ月後にドリーの王座に挑戦とあるけど。 >>616
確かにw ラリアートと違うからね。宙に浮いてる馬場を空中で捉えて
バックドロップ決めたって事なんかな。本当にできたら凄いけどw
映像あったら見たいけど、多分なさそうだね。 馬場がドリーのNWAに挑戦した時初公開したランニングネックブリーカードロップの動画が
消された?見つからないんだけど、URL知りません? 川崎市体育館で2大タイトルマッチって
無駄遣いしてる気がするなあ
単独でも客はいるところだろ 馬場がブリスコを破った時の舞台が鹿児島というのも
日本人初のNWA 王者誕生には
物足りない気がするんだけど
せめて大阪府立とかで日程組めなかったのかな?
同時期に新日が猪木 小林戦の再戦で蔵前を満員にしてたのと比べると客の熱狂ぶりが全く違う >>606
大山のアメリカンに、デビアースのタスキが売ってたから一様呼ぶつもりはあったのでは? >>823
たしかGスピリット?だったかの佐藤昭雄氏のインタビューによると全日でNWA世界戦の
タイトルマッチが組まれていたのはジュニアのせい。
当時NWA世界王者の招へいにはジュニアがブッカーになっていたが、ジュニアは呑気な性格で
全日の大都市でのタイトルマッチなんて考えておらず、毎回来日しても地方都市でしかタイトルマッチが
組めなかったとの事。 会場は随分前から押さえておくわけだからね。
会場抑えたあとに、「◯月◯日から×月×日までNWA王者送れるからよろしく」とブッキングされても、興行日程に合わせないといけないから四苦八苦したんだろうな。
決められた日程の中で、馬場の奪取、奪取後の防衛戦、離日する前に返すリマッチ、王座移動に絡まないタイトル戦などをやりくりして組むことになる。
東京、大阪でセンセーショナルな移動劇がなかったのはそういう事情があったんだろうね。
にしても、ドリーが適当だったとはいえ、馬場ももう少しネゴシエーションしてうまくやれば良かったのにとは思う。
鶴田のAWA奪取は、その反省もあったのか、ここぞというときの蔵前でやってうまくいったよね。この頃は佐藤がブッカーやってたんだろうけど。 ファンクスの呑気な性格については馬場も著書で書いていた
「ファンクスが来れば全員揃う」と言うほど集合時間に遅れて来るとか
ドレスアップして現れるような場所でも普段着で登場するとか >>627
蔵前での挑戦は既に前年末から報道されてて
全日側も相当宣伝に力を入れてた。
王座移動ひ鉄板の感があって、意外性は無かったな。
ただし絶対大阪で奪回されると思ったけど。 >>627
NWA王者派遣に影響力のあるプロモーター達に交渉して大会場を押さえた日程での来日を
してもらい代わりにプロモーター配下のレスラー数人の日本遠征を確約すればできたのに
ドリーどころか馬場自身もそんな事ができるとは思って無かったと佐藤が述べていた。
馬場がNWA第一副会長になった時の利点を「NWA王者をこっちの自分のスケジュールで呼べる
くらいかな・・・・」と話していてゴングにはWWF1984の猛攻に防戦一方のNWAが馬場の力を借りる
必要になったから結んでいて事実、NWAとAWAの提携を取り持ったりしている。 >>629
蔵前でのAWA奪取よりは大阪での防衛の方がはるかに驚いた。
間違いなく奪い返されると思ってたよ。
馬場が何度もやって全日の作法みたいなもんだと感じてたんだな。
>>622
単独でも埋まる、って考えがちだけど違う。
川崎が超満員になったことってないと思う、オープン選手権決勝でも無理だった。 >>623
でも昔のプロレス興行って地方巡業マッチも大切にしてると言うか
意外と地方で「オッ!」と言う様な対決実現してるよね。
テリーとドリーの兄弟対決とか。
後古い話で恐縮だけど、日プロ時代の第3回ワールドリーグで実現した
カール・クラウザー(ゴッチ)対ミスターXとか。 確かにメイン級のシングルがセミやセミ前で行われてたりするけど、
内容はぞんざいだったんじゃないの? >>631
そうだよね。
ただ試合の少し前に、王者奪取と仮定してその後AWA圏内でどのエリアをサーキットするかの報道もあったような気がするんだよね。
だから大阪の防衛ももしかしたら?という思いはあった。 後昭和54年夏頃に実現した、ブッチャー対マスカラスのシングルも地方マッチだったっけ?
(手元に資料が無いから分からんけど) >>631
82年のサマーアクションは超満員じゃなかったか? >>625-627
ネゴシエーションといってもNWA本部が日本側の都合ばかり優先する訳にもいかないしドリーなんて性格以前にシニアから受け継いだアマリロ地区を手放した時点で業界内での評判や影響力も下落していただろうしね
それにNWA王座以外のタイトルマッチやチャンカー最強タッグも85年頃まではプロモーターへの売り興行の価格を上乗せする為の大義名分に使われたり
会場の格や大小よりテレビ中継のスケジュールを優先していたからドリーのブッカーとしての力量ばかり責めるのもどうかと思う >>637
5400で満員、超満員じゃない。
馬場×シン、鶴田×マスカラス、大仁田×チャボ。
当時の東スポでこれでもかという煽りだったけど、満員どまりだった。 NWA王者の役回りは傘下の会員(プロモーター)が行う興行を廻りサポート(タイトルマッチ)することである。
プロモーターが推す地元選出の人気レスラーとの対戦である以上、実力差が分かってしまうような試合(セ
メント)は厳禁で、相手レスラーに花を持たせつつ苦戦しながらの幸勝や引き分け、反則負け、両者リング
アウト等などで防衛を重ねることであった。
観客にはチャンピオンの強さを見せることではなく挑戦者(地元ヒーロー)の強さ、魅力を引き出すことであ
る。試合の主役は地元のスターレスラーでありそれを裏でプロデュースする陰の主役がチャンピオンの役割。
結果は紙一重の差であったと観客に錯覚させるのが王者の器量の深さであろう。当然、地元選手の人気や
価値を落とすような試合はタブーとされた。
ご当地レスラーの善戦ぶり(まさに鶴田が想起される話だ)を巧みに演出し「今回は惜しかったが次回戦えば
チャンピオンになれるのでは?」という期待を持たせることが大切で、次回興行(タイトルマッチ)に足を運ば
せることであった。そうした試合が行える力量を持ったレスラーがチャンピオンの必須条件であった。
各地の興行師やブッカーが考案する筋書きには稚拙なモノも多く、チャンピオンが毎回、そうしたブッカーが
用意するシナリオを覚えるのは面倒である。1週間に3回、4回のタイトルマッチではその負担も大きい。そこ
で予めチャンピオン側が基本となる数パターンのシナリオが用意されており、それをブッカーが選ぶことが多
かったようだ。 ハーリー・レイスが毎回、移動の度にベルトが空港の金属探知機に引っかかり不審者として別室で厳重なチェックを受けた話は
暴露本でも紹介されていたのでご存じの方も多いだろう。NWA世界チャンピオンといってもこれが現実でマイナーショー競技の
悲哀であろう。もしファーストクラスで移動なら税関職員の応対も違っていたに違いない。
その点、日本遠征は特別で交通費・宿泊費は団体持ち。時には飲み食いだけでなく、くノ一(女=ソープや芸者)接待まであった。
馬場はファーストクラス、グリーン車、都市型近代ホテル(旅館)を用意。日本選手のギャラを削っても外人選手へ厚遇を尽くした。
ギャラには税金が引かれるがその納税分も馬場は負担していた。馬場が外人レスラーたちに支持された最大の要因はこのカネ
払いの良さだったわけである。
もっともこの日米賃金格差の不満が鬱積して後の天龍退団、鶴田の独立騒動、三沢たちの賃上げストライキ騒動に連なっていく
のである。「シナリオ通りに試合をしていれば怪我などすることはあり得ない話」として選手たちの公傷制度を認めなかったところ
に馬場の冷たい人間性が分かるエピソードではある。 確かに日本に来た歴代のNWAチャンピオンたちの試合内容を具に思い起こせば、出来不出来は別にしても
その筋書きや結果は全て当てはまると言える。日本選手は怪我をすれば無報酬が恐くてタイトルマッチでも
退屈でアクビの出る無気力試合が多かった理由の一つがここにあったわけである。
会員プロモーターの利益を上げることがチャンピオンに課せられた義務でり、観客動員数が落ち、傘下のプロ
モーターたちから不満の声が大きくなると「王者交代」が主だった有力メンバーの間で討議され決定されたという。
人気が無くなれば次なる選手に王座はチェンジ。これこそ、疑似格闘技エンターテイメントショーの大原則であろう。
そしてサム・マソニック、ジムクロケット・ジュニア、ドリー・ファンク・シニアといった有力プロモーターの傘下レスラーで
なければ実力があっても王者には成れなかったのが「NWA裏ルール」の基本であった。 >>616
御大相手にそんな醜態ムーブ促すなんて二度と呼んでもらえないぞw
馬場の攻めを返していいのは16文で上げた足をすくって4の字に行くデストくらいだな。
流星仮面のフライングスリーパー自爆はスーパーの動きもいいからそれはそれで見ごたえがあるが
社長はねえ。。 ハンセンは初来日の時に税金分を引かれたと書いていたが? >>583
そんな呼び方してたんだな
輪島スペシャルの記憶しかなかった >>625
>>630
全日以前のNWA王者の来日時には
テーズ(57年) 後楽園球場、大阪扇町プール
キニスキー(67年) 田園コロシアム、大阪球場
キニスキー(68年) 札幌中島、宮城県営スポーツセンター、大阪府立、蔵前国技館
ドリー(69年) 蔵前、広島県体育館、大阪府立、東京体育館、札幌中島
ドリー(70年) 大田区、横浜文体、大阪府立、福岡スポーツセンター、東京体育館
ドリー(71年) 愛知県体育館、京都府立体育会館、宮城県営スポーツセンター、
札幌中島、大阪府立、東京体育館
交通が発達してない時代だから全日時代よりもスケジュール的に厳しかったはずなのに
これだけ大会場で興業が打てているから佐藤の言うことはイマイチ信用できないな 鶴田のAWA奪取国内防衛アメリカ遠征は小学生低学年のオレからみても規定路線だったな
そのころ愛読していたチャレンジ直前の月刊プロレスに
「鶴田がAWA王者としてアメリカ遠征する」
とまるで決まっているかのような特集記事があった ニックやロビンソンのベテラン相手にタイトルを防衛していたのに
サーキット最終戦の若手に負けちゃうなんてどうなってんの!と思った
しかもバックドロップ完璧に決まっていたのにレフりーなにやってんの!
あのまま防衛して帰ってきたらケリーとAWA NWA ダブルタイトル戦だったのに そうか週刊プロレスに切りかわったのがタイガーマスク引退のころだから1983夏
鶴田がAWA奪取は1984年2月
う〜ん確かに月刊プロレスではないんだな
オレは月刊誌タイプの特集記事を読んた記憶だが勘違いかね S58年頃はゴングや月・週プロの他にもビッグレスラーやエキプロ、
そのまた別冊なんてのがあって、ちょっとわけワカメ状態だったな。
一度買った本なのに、まだ買ってなかったと思ってまた買っちまった事もあったw >>648
日プロはそれらの会場でどれだけ客を集めてたんだろうな?
いくら大会場を押さえてもガラガラじゃあ意味がないからな。 >>658
一般週刊誌でもプロレス特集みたいなのは結構あった。
ポストのたけしの連載で、
「馬場がドリーと組んでもなんだか感情移入出来ないな、」とか言ってたな。
たけしは単に興行ポスターを見ただけなんだろうけど、今じゃあ有り得ないな。 >>650
マーテルは年齢は若かったがキャリアは鶴田とあんま変わらん ビッグレスラーの表紙は、フライデーの表紙のパクリだった。 >>643
PWFタッグ決定戦でブロディは馬場のランニングネックブリーカードロップを空中で体勢をずらしてダメージ
を和らげたりハンセンは16文を受けずにラリアットでPWFを奪取している。こんな事が許されるのは
全日にマットに多大の貢献もあり馬場にフォール勝ちも許してくれる超獣コンビだけなんだろうね。
>>640
ドリー以降にその傾向は顕著になった。 >>658
今から思えば、
ビッグレスラーが一番攻めの誌面作りをしてたな。
「猪木はストロングスタイルと言ってるが、最高のショーマンレスラーだ!」と書いたり、
レスラーの好きなところ嫌いなところっていう関係者やファンの意見を掲載するコーナーもあった。
廃刊がつくづく惜しい。 >>664
駅でザ・プロレスと間違って買ってしまたのが週刊ファイトだった
>>659
全部超満員だったかどうか知らんが
全日でNWA王者を呼んだ時よりは平均して集客してるだろう
猪木ドリー戦の福岡なんて後年の新日でも見かけないくらいビッシリ人が入ってる
ましてやテレビの視聴率では勝負にもなっていない >>663
あの、ハンセンじランニングネックブリーカー決めたがフォールとれずに
馬場が攻めてが無くなってハンセンをロープに振って16文という時に、ハンセンがロープ抱えて返ってこなくて16文が空振りとなった瞬間、ハンセンが突進してきてウエスタン・ラリアット一閃!
でピンフォールしたやつか。
大興奮だったな。ピン決着に。 当時、ビッグレスラーが、
全日本の秘密兵器は前田か?
てな記事書いてて、んな馬鹿な?三流プロレス誌はだからダメなんだと思ってた。
が、前田、高田だけならって馬場が話持ちかけてたと何十年後にわかった今
あれ、本当だったんだっって思う。 >>666
ザ・プロレスは隔週で週ファイと重なるときは特にワクワクしながら駅までチャリ漕いだよw
81年頃から4〜5年位ほぼ欠かさず購読してたけど、以前の引越しのときにほぼ処分しちまった。。
ファイト紙のローランドボック特集とか今ならいい値が・・つくかな? 昭和49年1月のブリスコ、レイス、ドリーらが揃い踏みしたシリーズの観客動員数はどんなだったのかな?
ブリスコは連日の防衛戦だったようだが。 ブリスコvsドリーの大阪東淀川体育館は使用したのはあれ一回だけだよね。 >>670
動画が残ってる日大講堂はよく入ってるけど
それ以外はマクガイヤー兄弟をメインに持ってきた新日と互角だった
というのは前々から書き込みで語られてたな テレビの定時(金曜8時)放送が効いてるのか、親日初期でも客の入りは外人のメンツに関わらず
安定してたな。Youtubeで見れる猪木とBバーナード戦でも凄い熱気だw 82年の最強タッグって、当初はテリーゴディ スコットアーウィン組が出場予定だったんだね。 ブロディとロブレイにリンチされたスヌーカの復讐戦も取り入れてのレイス組だったのに
WWFとの契約が決まったスヌーカが最強タッグ欠場してしまった
レイス&スヌーカ組の格上げのために馬場鶴田組がピン負けした事が
全くの無意味になってしまった そんなスレに来て煽らないと構ってもらえない可哀想な子w 仲間割れ4日後にMSGでバックランドのベルトに挑戦してるし
その後超人気者になったから1シリーズ参加は絶対無理だった >>660
コロコロコミックや「小学○年生」といった学習雑誌でもよくプロレスの
特集記事が掲載されてた。
子どものころの俺はそれらの雑誌とゴールデンタイムの中継でプロレスファンになった。 WWFの重鎮サンマルチノも、ビンスシニア〜新間のパイプをぶった切って、親友の馬場との義理を
果たすべくスヌーカを全日に送り込むというのはさすがにためらったかなw そのころのサンマルチノはIWFなる団体でWWFと敵対してた
どっちみち子飼い選手じゃなきゃ無理だが その後のスヌーカを見るとWWFに移籍したのは失敗だった >>673
そうなんですよね、ああいった客の熱狂が全日本には
欠けていたんですよね
初期の全日で客が盛り上がってる試合というと
蔵前でのファンクスvs 馬場 鶴田ぐらいですかね?
新潟での馬場vs デストロイヤーなんて静まりかえってる 新日の会場行った人はみんなわかるが、あれは熱気ではなく、狂気だよ。
猪木らは殺伐という言葉使ってた。 >>683
力道山時代から
ファンが盛り上がるのは
基本的には勧善懲悪なんだよな
全日でもファンクスvsブッチャー、シークがそうだったけど
肝心な馬場、鶴田の試合にそういうストーリーがない
馬場好みの大物対決路線はそれはそれで面白いけど
どうしても2回目以降は色褪せるからね >>674
そのあとロング・ライダースに変更になって最終的に上田&スーパーデストに落ち着いたと。 >>684
58年11月 蔵前の綱引きでカードを決めた4対4
59年2月蔵前の 藤原vs浜口 ジュニア巴戦 長州組vsホーガン組
59月2月 大阪の 猪木前田藤原vs長州浜口谷津
59年4月 蔵前の5対5勝ち抜き戦
59年6月 蔵前の猪木vsホーガン
この辺りの試合は会場の雰囲気が狂気だったよね。
大阪の試合なんて、試合中にケロが何度も大声で(途中から怒鳴り口調で)
「物を投げないで下さい!」と絶叫してたしね。 >>677 素人童貞のプオタに言われる筋合いないね >>665
週刊になってからも何となくそれは感じるところがあったね。
旧U押しだったのかは分からんけど、藤原組長のイラストコーナーで
猪木を揶揄するようなのが出てきたり。「こんなん出しちゃっていいんかな」
と思った事もあったね。
>>688
昭和のプロレスについて語るスレなんだから、>>676みたいな状態になるのは
ある意味分かり切った話なんだってw 今更言うほどの事でもないんじゃないか?w 旭日双光章受賞記念に日テレジー+
デストロイヤー覆面十番勝負放送希望!
スーパーデストロイヤー戦が見たい デストロイヤーの覆面十番勝負で
対戦したスーパーデストロイヤーは、
スコットアーウィン?それとも別の人? >>686
でもテレビの紹介では、スーパーデストロイヤーだけ確定してて、パートナーがシンになるか上田になるかシークになるか決まってないと煽ってたな。
アーウィン兄弟のどちらかを呼ばなければ行けない事情があったかもしれんけど、その3人じゃあどう見てもバランスが悪いね。
スコットは少しファイトがおとなし目なんだな。ビルの方がまだラフファイターっぽい。 >>692
ドン・ジャーディン
いろんなレスラーがスーパーデストロイヤーを名乗った中でそのオリジナル、元祖の人 スコットもビル同様にアーウィンキックの使い手だったのかな?
ジョー・ディートンも器用に使ってはいたけど >>679
小学○年生では、日本人外人問わず人気レスラーの集合したポスターやカードなんかの付録もあった。
一時期学研の中学○年コースでもよくプロレス扱ってたな。
確か84〜86年辺り?までだったが。
あと学研で、長州と藤波を特集した漫画の単行本か何か出してた。
小学生だった当時、欲しいと思ったが結局買わず終いだった。 スコット・アーウィンって雪崩式ブレーンバスターの発案者だっけ?
ビルにもマスク被せてダラス地区でスーパーデストロイヤーズやってたね。
世界のプロレスのエンディングで、スーパーデストロイヤーズめがけて、アンドレがキング・パーソンズを抱えて投げてボディアタックさせる映像が流れてたな。 >>670
動員数までわからないけど1974年の全日を総括した馬場のインタビューの中で
「1月のNWAチャンピオンシリーズと春のチャンピオンカーニバルの後半戦が特に
(興行成績が)良かった。」と述べている。
>>696
1981年の春から夏には小学館の学年児童誌でプロレス特集が組まれて各団体やレスラーの紹介や
食事の凄さが掲載されたり「今はハンセンが一番強い!」と書いてあったり
アニメ「おじゃまんが山田君」のオープニングではハンセンvs.ホーガン戦を模したと思われる
シーンが出てきたり世間では第○期プロレスブームと言われ始めていた頃だった・・・ 曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
スティーブ・ネルソン0-2
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
井上京子0-1
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
ジェイク・リー0-0-1
前田日明0-0
【通算1-126-7勝率0.007%】 >>672
ブリスコ×レイスの広島、デスト×レイスの名古屋は入っていないけど
郡山や和歌山は史上最高クラスの客数だね。
全日のNWA王者シリーズの客入りが悪かったのではなくて
マクガイヤー兄弟の新春黄金がよく入っていたということ。
全日下げしたい新日派がコストパフォーマンスが悪い、との難癖が定着したことによるのでしょう。 スーパーデストロイヤーズって石川阿修羅のアジアタッグに挑戦して敗れてるのか
最強タッグでは上田がピン負け完全拒否してるせいでスコットがピン負け強要されるし散々だな 全日 1月27日
大阪東淀川 5000人
PWF戦 馬場ーレイス
NWA戦 ブリスコードリー
新日 1月25日
大阪府立 5800人
坂口ートロス
猪木、柴田ーマクガイヤー兄弟
う〜ん、少なくとも使ってる会場が逆だろう・・・ >>701
兄弟揃っていいレスラーなのに使われ方が残念でしたな。 >>702
逆にこの頃の全日は府立や愛知県体で普通のタッグマッチをメインでマッチメイクする事がちょくちょくあったな。
府立で馬場・鶴田 対 ターザンタイラー&レイスチーブンスなんていうメインもあった。 74年にブレイク前のテリーが蔵前で馬場のPWFに
挑戦してるんだけど、客入りどれくらいだったのかね?
このカードで蔵前を使うって全日にしては珍しいな 角刈りテリー
スタローン主演の、ストリートアレイって映画に
ヒール役で出てた。あのにこやかなテリーと全く違う。怖いテリーだった。 オーバー・ザ・トップにもちょこっと出演してたね、テリー。
確かスタローンに簡単にノサれてたけど、色んな意味で
イメージダウンとか考えなかったんかな。 >>706
9700人。
当時だったら良い方だろうね。
セミはデストロイヤー対トルネード >>706
某WEBの熱戦譜だと9700人になってるね。
興行の広告に「冷房完備」って書いてあったのを妙に覚えてる。
馬場対テリーとデスト対トルネードで蔵前って、当時の感覚だと
豪華ビッグマッチだったと思うな。 蔵前の馬場対テリーの前日が新日の日大講堂(猪木対ゴッチ)。
ほぼ隅田川決戦だな。 >>713
全日の印象が強いので日大講堂で新日って珍しい感がある
全日が日大講堂よく使ってた時代はあまり蔵前の印象が強くないのでイメージ的には何か逆っぽい >>706
日プロ時代はドリーの添え物扱いだったテリーがPWFの挑戦者として貫録が付き
馬場も戦って手ごたえがあったらしくテリーの成長を喜んでいた。
覆面世界一戦は前回の不完全燃焼の決着戦だった。トルネードの猛攻に防戦一方に
デストロイヤーが最後になんとか勝った試合だった。
相手の正体はコックスじゃ大苦戦は当然だった。素顔でも心躍るカードだった。
>全日下げしたい新日派がコストパフォーマンスが悪いとの難癖
弱体外人勢の新日・新間は興行戦争を「コスパはウチの勝ち!」といつも僻んでいたw トルネードはマードックね。
それとこれが十番勝負の中でも最も不透明決着で、再戦やら延長も行なわれない妙な試合だった。
トルネードの反則負けだが、レフリーでもなくジャッジでもない立会人が反則を告げるというもの。 >>708
>確かスタローンに簡単にノサれてたけど、色んな意味で
>イメージダウンとか考えなかったんかな。
そんな事言ったらホーガン初主演の映画「ゴールデンボンバー(某金爆とは無関係…だと思う)」で酷い噛ませ犬役というか引き立て役を演じていたハンセンはどうなんだよという話になる訳でしてねぇ 松田優作とロッキー羽田。。。
そもそもあの体でロッキーって ロッキー羽田とかランボー桜田とか
全然スタローンのイメージじゃない ジャンボ鶴田ジャイアント馬場ラッシャー木村マイティ井上はわかるけど、ロッキー羽田は違うと思う。あとビューティーペアも 羽田がローデスと同じアフロヘアだったから名付けただけでは? どう見てもゴロツキー羽田ってカンジだもんなあ・・・
ポン引きとかしてそうだしなあ・・・ ランボー桜田もロッキー羽田も
入場テーマ曲映画サントラだった覚えあるよ
スタローンの許可とか必要だったのかな せっかく上背あるんだから
筋肉付けまくって怪物レスラーになればよかったのに ロッキー羽田のロッキーって、スタローン演じたアノボクサーから取ったんじゃ無く
ロッキー山脈から取ったんだと思ってた。
羽田って確か馬場鶴田戸口と並ぶ巨漢で、その巨大がロッキー山脈とイメージが重なると言う理由で。 その巨大が×
その巨体が○
因みに和製アメリカンドリームと言うあだ名は
まあそう言われる位のスターレスラーになってほしいと言う願いを込めて笑 話題のロッキー羽田のフィニッシュホールドってなんだったの?
ローリングクレイドル? >>721
百田光雄がロッキーのテーマで入場してたが、あれもイメージと違うし。
>>728
俺は子供の頃、太陽にほえろのロッキーかと思った。 >>730
俺が会場に見に行った時前座で冬木とやってたんだけど、1番うけた技はいったんパイルドライバーの体制に構えてから冬木のタイツを上に思いっきり引っ張り上げてTバック状態にした時だな。 >>734
スマン、持ち上げる前の羽田が中腰の体勢だね。 70年代後半によく会場で観戦したが、羽田は前座のタッグで小鹿とか高千穂とかと
対戦してもフォールされないのに、大熊にはよくフォールされていた記憶がある。
なんかはっきりした序列みたいなのがあったのかな? >>719
ハンセンが出演したホーガンの映画は『No Holds Barred』
https://www.youtube.com/watch?v=x8wfXDNIuJs
出演のきっかけはホーガンのたっての願いだったらしいが、ハンセンもまんざらでなくて
引退後はまた映画に出たいと以前話していたな。
>>725
スタミナがなくすぐに息が上がるから『グロッギー羽田』なんて揶揄されていたなw テレビ中継された試合でロッキー羽田が唯一勝った試合が菅原戦だったが
カナディアンバックブリーカーもフットスタンプも出さず
スモールパッケージホールドでピンフォールという惨状
のし上がろうという野心が全くなかった頃だった >>715
コックスはザ・スピリットだね。デストロイヤーと覆面世界一で対戦した時は
まだ観戦キャリアも浅い頃だったけど、「こりゃ手強い相手だ」てのは十分伝わった。
初登場が確か大熊とのシングルだったんだけど、あっという間にKOしちまったのは
当時かなりの衝撃だった。 >>732
それは受けるんだか恥ずかしいんだか謎の光景ですね〜 >>737
それの日本公開時の邦題が「ゴールデンボンバー」 YouTubeにも上がってる大熊、羽田vsデビアス、バス戦て当時のゴールデンで流されたの? 覆面世界一戦は覆面レスラーをたくさん集めてワンシリーズでリーグ戦だかトーナメント戦を開催したのですかね
あとデストロイヤーが優勝したそうですが他に有名なマスクマンはいましたか 急造マスクマンが多いけど急造マスクマンでも中身はちゃんと一流レスラーなんだよな
マードックとかコックスとかダン・ミラーとか 世間が知ってる有名なマスクマン
デストロイヤー マスカラス ドスカラス
マスクドスーパースター タイガーマスク ザ・コブラ
スーパーストロングマシーン 獣神サンダーライガー
ザグレートサスケ 悪いがデストロイヤー以外は、全く世間の人はしらんよ
デストロイヤーも既に忘れられとるかな?
デストロイヤーを知らん世代も増えとるしな 今現在という事で考えればそうかもね。でもデストロイヤーと初代タイガーは
間違いなく一般層にも轟いてた時期があると思う。マスカラスはどうだったんだろ。
プロレスファン限定だったのか、ファン以外の一般層にも届いてたのか、ちょっと
微妙なところかな。 >>745
ありがとう
デストロイヤーの十番勝負だったのか
第一戦のマスカラス戦のジャンプ飛び越え股間痛打試合放棄はアクシデントだったのかなあ
漫画スーパースター列伝マスカラス編ではデストロイヤーがマスカラスに恥をかかせるため頭突きを鍛えてわざとキン玉にブチ当ててたが デストロイヤーの覆面十番勝負の相手って、ずっとマスクマンのマスカラスを
別にしても、マードック、コックス、ミラノ、モロウスキーと、昭和の全日物語
みたいな豪華さだよね。見ていた当時はもちろんそんなこと全然思っていないが。 あれはアクシデントだと思うw >>745にもある通り、多分タイミングがズレたんだろうね。
ところでだいぶ前にも他スレに書いた事あるけど、デストロイヤーの初登場から何十年も
経った頃でも覆面強盗事件があったりすると、新聞には「デストロイヤー型の覆面」と記事に
出てたけど、これはやっぱり凄いね。そこまで浸透してたって事だからね。 覆面世界一決定十番勝負はコックスとかマードックとかの実力者が中の人だったり
最終戦の相手がスーパー・デストロイヤーとか漫画的な展開がするとこが良いね >>742
ゴールデンでは流されてない。
巨人戦中継で飛ばされて深夜枠での放映だった。 覆面世界一決定十番勝負は負けたマスクマンはマスクを剥がされていたのですか
マスカラス以外 >>744
というか全日のレギュラー及び準レギュラーに順番でマスクマンに仕立てた感じだね。
ブラックデビルだけが異色。
ソトもモースも全日とはあまり縁がないレスラー。 >>756
負けてマスク剥がされたのは最後のスーパー・デストロイヤーだけだよ。
スピリットは馬場とのPWF戦の最中にマスク剥がされたけど。 ダン・ミラーとかマリオ・ミラノは
そのままマスクつけさせておいたほうが良かったかもしれないな
全日版のマスクド・スーパースターを量産できたかもしれない >>758
マニュエルソトのブラックデビルは剥がされてないか?
あぁ、あれは無効ということか。 前にも書いたけど、覆面世界一決定戦みたいに実力派レスラー達にマスクを被せて闘わせると言う
一種の仮面舞踏会的なミステリアスなイベントは凄く良いアイデアだったと思う。
だから夏休みのちびっ子ファン集客イベントとしてシリーズ化し、テリーやドリー、カマタやブッチャーにイヤウケア
更には鶴田や羽田、天龍戸口にもマスクを被せて謎のマスクマンに仕立て上げて闘わせたらかなり面白いイベントになったかも。 高杉をマスクマンにするってアイデアは良かったと思うんだが。 むしろマスクマンにしなきゃファンが納得せんだろ。
「何であんなわけ分からん奴が大仁田に挑戦するんだ?」って文句が出る ここで言っていいものかわからんけど
選手全員マスクマン興行ってノアがやってたよね
ハロウィンだかなんだか何関連だか忘れたけど >>762
ジャイアントマシーンじゃないが、その辺のトップクラスだとすぐ特徴が知れて全然「謎」じゃないんでわw
やはりマリオミラノ(バラクーダ)、ボビージャガーズ(ミステリアスアサシン)、タンクパットン(ブラックテラー)等、
中堅レベルのレスラーを思わぬ伏兵として再生させ、リーグ戦の行方を混乱させるような使い方がいいかな。
この手のレスラーはキャラが立っていない分、顔を隠してファイトスタイルを如何様にもイジれる強みがある。 特徴的な体系というか、ケツでバレバレだったコックス。 >>762
それなら馬場にもマスク被せなきゃな。>>766の人が言ってるように、
全然「謎のマスクマン」じゃないけどw >>768
肩に突起があったんであれでマニアにはバレたらしい
海賊男に扮したボブ・オートン・ジュニアも動きがそのまんまだからすぐバレた 高杉にもう少し実力があれば、セブンが長続きして三沢タイガーと対戦できるチャンスもあったのにな
二代目がデビューした時は既に出し殻みたいな扱いでとても対戦できる空気じゃなかった タイガー用にメキシコから選手呼んでるからな。
タイガーがメキシカンに勝つ試合を見ないとファンが納得しなかっただろうな。 >>769
今考えると、馬場にも一度はマスクマンで出てほしかった思いはあるな。
みちプロでグレートゼブラを初めて見た時は、別な人でもかなり感慨深かったし。 >>773
猪木も日プロ時代にマスクを被るって計画があったんだけど、
あの特殊?な顎の形に合わせたマスクを作るのが難しくて
実現しなかったって話を昔何かで読んだけど・・・本当の話か
どうかは分からんなw 三沢タイガーがラ・フィエラ相手にトペコンヒーロで飛び込む瞬間の写真に
セコンドについてそれをボ〜ッとみている黒タイプマスクのセブンがいた >>773
アンドレがジャイアントマシンとなった記事を見て「俺もババマシンになれば人気出るかなー」なんて言ってたからやってほしかったね。 ジャスティン・ビーバーのバックダンサー
〜男性〜
Mykell Wilson
https://www.youtube.com/w★atch?v=M★naGUyNeDXc
https://www.youtube.com/w★atch?v=2★FPVVraaHt4
https://www.youtube.com/w★atch?v=t★2o-BxkHp5Y
CJ Salvador
最初のグループの前列の右
https://www.youtube.com/w★atch?v=gA★MjGfcUdNU
https://www.youtube.com/w★atch?v=2dt★DACmxeLM
https://www.youtube.com/w★atch?v=2Ki★EckN70T4
Dana Vaughns
https://www.youtube.com/wa★tch?v=S8f★e_wmBj4s
https://www.youtube.com/wa★tch?v=Ool★UUvSXGjY
Nick DeMoura
https://www.youtube.com/wa★tch?v=kJ★fEfWPVJwI
https://www.youtube.com/wa★tch?v=Bd★Nk85oIBHk
Johnny Erasme
https://www.youtube.com/wa★tch?v=M15★8kHMw8LI
Jordan Alex Ward
https://www.youtube.com/wa★tch?v=zMX★TY4pJ8yk
Joesar Alva
https://www.youtube.com/wa★tch?v=DpR★zf_SUjfk
Yusuke Nakai
https://www.youtube.com/wa★tch?v=ruSA★oSR3rA4
Jake Landgrebe
https://www.youtube.com/wa★tch?v=4LMH★cE2hSUo
https://www.youtube.com/wa★tch?v=0RF★5CCAJZr4&index=1&list=PL0J3V0dWWUNdA-jm1O1JnKE3Xfm2HkTMm
Luis Rosado
https://www.youtube.com/wa★tch?v=UyF★Y_L93axY
Rudy Reynon
https://www.youtube.com/wa★tch?v=l4H★FVdSEjU0
Abdiel Keebz Chapa
https://www.youtube.com/wa★tch?v=mH★UN3-eExRw
Kyle Wayne Cordova
https://www.youtube.com/wa★tch?v=eJn★lzl9RsBU
David Shreibman
https://www.youtube.com/wa★tch?v=EJK★U5uLE4lU メキシコにはウルトラマンタロウ(タロー・ウルトラ)もいたぞ せっかくメキシコ経験がある鶴見がいるんだから、鶴見がメキシカン2人を従えて、
タイガー・渕・セブン組とキャプテンフォールマッチでもやりゃ良かったんだよな。
で、タイガーが誤爆か何かでふらふらしてる鶴見を丸め込んで決勝フォールを取れば、
タイガーの格も上がったのに。
馬場はアホだから、そういう事出来ないんだよな。 マジックドラゴンがマスクマン止めたのはガッカリした
あの個性がもったいない >>782
鶴見を倒したって、タイガーの格は上がらんだろ。
キャプテンフォールとか少しややこしいルールを受け入れる土壌はまだ当時にはなかったよ。 キラー・カーン
「鶴田選手。俺に言わせれば、彼は自分を強く見せるということに長けていた。
確かにスタミナはあったし、試合運びもそれほど下手ではない。が、自分を弱く見せるということはしなかった。
そこが「最強」と言われるゆえんだろう。少なくとも俺は鶴田を「強い」と感じたことはない。
鶴田は自分がやられているのに、ダメージのあるそぶりを見せなかった。こちらを立ててくれないのだ。こういうレスラーは嫌われる。
鶴田がインタビューで「キラー・カーンはあの顔だからアメリカでメインイベンターになれたんだ」と言っていた。
俺ははらわたが煮えくりかえった。この男は何を言っているのか。あまりに失礼な話である。
顔だけでメインイベンターになれるほど甘い世界なものか。自分はアメリカで成功できなかったからジェラシーを抱いていたのかもしれないが。
業界の先輩に発する言葉ではない。俺は彼の人間性が一発で分かった。人間としては大した男ではない。
それに比べれば、天龍選手とは気持ちよく試合ができた。プロレスにおいて重視する「重み」が鶴田とは違った。
対戦相手として鶴田より天龍を評価する選手は多いのではないだろうか。天龍は自分だけがいいカッコすることはなかった。
プロレスとはこういうところに人間性が現れるものなのだ」 >>769
サンマルチノ「ジャイアント・マシーンの正体は馬場だ」 馬場がなったらジャイアントマシーンじゃなくて
ジャイアントマシーン2号だよね。
3号はパクソンナンでいいかな? >>786
キラーカーンがイケメンだったら
アメリカでは鳴かず飛ばずだったろうな。 >>786
>鶴田は自分がやられているのに、ダメージのあるそぶりを見せなかった。こちらを立ててくれないのだ。こういうレスラーは嫌われる。
痙攣ピクピクで豪快にダメージのあるそぶりを見せてるじゃねーか 一流外人相手ならピクピクだけじゃなくてそれなりにダメージを受けたことにしていたよ
相手が二流以下だと露骨になるけど カーンは見下されてたんだよ >>768
そもそもドリームマシーンのマスクってダラスで桜田がやってたチャンチュン
そのものだもん
何度か海外グラフで紹介されてたのにマスクも変えずにそのまま登場
ゴングのインタビューでもインタビューアーに「あなたは桜田選手ですか」と
言われて否定するなど正体隠す気がない意味不明のギミック
全日の許可なしにあんな記事載せられるわけないからな >>789
カーンのアメリカ人の奥さん、ワイルドな男が好きで
最初カーンをギミックどおりの野蛮人だと思ってアタックしたらしい
素顔が朴訥な人間で拍子抜けしたとかw >>793
ブッチャーの出した本のプロレスを10倍楽しく見る方法の中ではマシーンの正体について、
いったんは桜田の名前を挙げながら、最後は薗田と断言してたな。
あの本に載ってたキャボって弟子はデビューしたのだろうか?
俺はTNTがキャボじゃないかとずっと思ってた。 >>786
>鶴田は自分がやられているのに、ダメージのあるそぶりを見せなかった。こちらを立ててくれないのだ。こういうレスラーは嫌われる。
鶴田はエースだったんだから、それなりの相手じゃないとそういうそぶりを見せる必要は無いよな。
カーンは鶴田にとってそういう存在だったってことだろう。
戸口や長州はカーンみたいなこと言ってないからな。
鶴田にとってカーンは戸口、長州以下の存在だったったってだけだ。 桜田が「カーンはオバケと言われていじめられていた。」
藤波は練習も真面目だったからいじめられない。あいつはそうじゃなかった。」と言ってたし
そういう話は全日にも伝わっていたのかもしれんね 桜田の試合ってドリーム・マシンと新日のナガサキのときしか知らないけど、
仕事でやってます、ハイハイ、って感じで本当につまらなかった記憶しかない
体でかいんだからもっと魅せられたはずなのに カーン自伝
長州殺すために出刃包丁買ったとかグラン浜田暴行したとか陰惨
どっちも告げ口信じて被害妄想
顔の話は褒めたんでしょ猪木が小沢の顔は世界で通用すると言ったのと同じ意味だよ >>799
浜田の件は本当だと思うな。橋本小助、栗栖、ポーゴ等前科がある。 カーンがあっさり引退したのは、なんか好感を持てたな。浜口はその後もリングに
上がったりプロレスと切れなかったけど、カーンは全然そういうのなかったし。
まあ大仁田みたいな異常なのがいるから、そう感じるのかもしれないが。 十五年位前、中邑がアゴにパチ闘技やらされてた頃のプロレスファンに
「あいつ将来WWEのPPVでメイン張るんだぜ」と言ったら基地外扱いだろうなw
よくあの藤田の二の舞になりそうな境遇からプロレスラーとして成長できたもんだ 誤爆スマソw
>>802
カーンの場合本当に口だけでなくWWFから慰留されてたのに引退してるからな
落ち目でもなく直前までTVテーピングに出てた >>793
> 何度か海外グラフで紹介されてたのにマスクも変えずにそのまま登場
> ゴングのインタビューでもインタビューアーに「あなたは桜田選手ですか」と
> 言われて否定するなど正体隠す気がない意味不明のギミック
> 全日の許可なしにあんな記事載せられるわけないからな
「それ以上言うとただじゃ済まんぞ」みたいなこと言って
インタビュアー、ピラニアう山口の首絞めてる写真を大きく載っけてたな。 そうそうw
当時の山口は全日の外部スタッフに近い(ジョーさんを補佐する外人世話役)存在だったから
明らかに全日の許可の下のアングルだろうし そもそもドリームマシーンという名称がアイドルグループみたいでセンスがない ドリームマシーンって当時、オリジナルが米マットにいたんだよな。
何故かオリジナルを呼ばずにチャンチュンを呼んで名乗らせた。 >>795
その本が出た時はまだマシーンは登場してないよ。
タイガーの正体が佐山と聞いてるとは書いてたけど。 鶴田は睡眠薬業界から嫌われてた
試合見てるだけで眠くなるから睡眠薬不要
特にファンクス成分入りの鶴田睡眠薬は効き目抜群 >>796-797 >>804
まあこのやり取りはどっちもどっちとしか言い様がないな
カーンは何ぼアメリカで稼いで評価されていようと一応外様のポジションではあるんだし
鶴田も団体が違うとは云えデビューが早かった謂わば業界の先輩相手に
上から目線を気取った物言いを自覚していない鈍さ言葉選びのセンスの無さと何より他者への敬意に欠けた狭量さが露骨過ぎる ケンドー・ナガサキもイギリスにオリジナルがいたってのは後から知った
落ち武者カットにペイントじゃなくて、剣道の面みたいなマスクマンだった
平成になってそのパクリレスラーが来日したけど、ダサいマスクだったなぁ >>811
実際はカーンを蔑んだわけじゃなくて
米マットではオックス・ベーカーみたいに顔で売れることもあるということを言っただけ。
その時たまたまカーンが売れてたから名前を出した。
「カーンは親に感謝すべきですよ(笑)」って冗談がカーンに通じなかっただけ。 俺も当時「そこまで怒るほどの事かなぁ」と思ったけどね。
当事者のカーンにしてみたら許しがたいモノがあったのかも
しれんともちょっとは思ったけど。 カーンは自伝に書かれてない幼少期の容姿の係わるトラウマがあるから、鶴田の言葉に過剰反応するんだよ そもそも月刊プロレス連載の猪木と村松ナントカの対談に鶴田が猪木の代打に選ばれたのが疑問だった。
村松氏はガチガチの猪木及び新日本ファンだったから、新日本の選手を代打に立てればよかったのに。
おかげで未だに語り継がれる場外遺恨が生まれてしまった。 ただねぇ、もうあれから30数年経ってるんだからさ、親の仇とかそんな話じゃないんだし、
もう水に流してもいんじゃないの?て気もするけどね。これ以外にも色々と伺い知れないような
事があったのかもしれんし、「お前は当事者じゃないからそんな気楽な事が言えるんだ」と
言われたらそれまでだけど。 カーンは坂口にギャラをピンハネされた事も恨み続けているからね
けっこう執念深い性格だよ
「坂口に新日に連れていかれた」みたいに言っているが
新日に連れていかれたからカール・ゴッチにキラー・カーンのキャラを
考案してもらえて売れたんじゃねえか たぶんカーンも、自分が怒ってそう話したこと自体忘れているような話だよね。
カーンもその時にその年齢だったからカチンと来たんだろうし、後になってから
聞き役が村松だと考えたら普通に許せるような話だろうし。カーンがその当時に
話しただけで、鶴田が亡くなった後も繰り返し言ってるわけでもないしね。 「せっかく日プロに入れてデビューもできたのに、猪木さんの付き人っていうだけで、なんでわけの分からない会社に行かなきゃならないんだ…」
って泣いていた藤波のことを思い出したw >>819
>新日に連れていかれたからカール・ゴッチにキラー・カーンのキャラを
>考案してもらえて売れたんじゃねえか
ゴッチには、そういうセンスがなかったことは明白でしょう。これは誰でもわかる。 >>820
ただ>>786は最近出た自伝にそう書いてるらしいんだな。俺は未読だけど。
て事は今もその気持ちは変わってないって事なんじゃないかね。 ターザン山本が「村松さんが猪木を評した過激なプロレスというワードに一番酔ってたのは猪木さんだった」
と後に言ってたけど猪木ってある意味単純で天然なんだよね。
だから他人から儲け話を打診されるとついつい投資してしまうという。 >>824
ああ、そうなんだ。だとしたらちょっと執念深すぎるね。もう分別つく歳なのに。 >>813
>米マットではオックス・ベーカーみたいに顔で売れることもあるということを言っただけ。
>その時たまたまカーンが売れてたから名前を出した。
>「カーンは親に感謝すべきですよ(笑)」って冗談がカーンに通じなかっただけ。
そういう所が「言葉選びのセンスに欠ける」んだよね人の上に立つ地位の筈の人間としては特に
それに鶴田って人から何か言われたらすぐムッとして不貞腐れた態度を取るクセに
自分は「猪木さんと闘いたい」だの「ファンク道場の同期だったバックランドとUNとWWFを賭けたタブルタイトルマッチで勝負だ!」だの結構軽口を叩くのが好きなタイプだったし
>>816-817
あの頃の月プロは当時編集長の杉山頴男が新日贔屓で有名だったから
この辺りで全日の方にも気を配っておくか程度の考えだったんじゃないの?
それとも村松友視自身が「いつまで経っても八号目付近で足踏み状態」と評していた鶴田との対談を望んだとか >>826
だからそこなんだよw 発端は35年前だよ?当時どんなに腹が立ったとしても、
それを今になっても言うか?というね。まぁ当事者同士にしか分からないその他諸々が
あったのかもしれんけどね。 >>827
でも鶴田と接した人間で未だに鶴田のことを悪く言ってる人間て
カーン以外では例の三人組、小鹿、カブキ、天龍だけなんだよな。 結局、鶴田を悪く言ってる人間て馬場に優遇され続けたことへの
嫉妬が根っこにあるんじゃないかという気がする。 だからエキゾチックなルックスを褒めたんだってば海外では受けるだろうと
ゴッチさんだって顔からモンゴリアンギミック発想したんでしょ >>830
馬場は「この世界の揉め事は全て焼き餅から産まれる」と言ってたからな 天龍て鶴田を悪く言ってるの?数ヶ月前にコンビニで立ち読みしたムック本では
「鶴田に勝った事は俺の最大の誇り」みたいな事を言ってたけど。 >>809
俺の勘違いかも知れんが、おそらく2冊目。
薗田を「たぶんヤツだろう。」という
音葉で締めくくってたのは今でも覚えてる。 顔だけで成功したなんて言ってないじゃん
カーンの誤解 >>833
鶴田を持ち上げるような記事の取材では言わないな。
カブキ、小鹿との対談とかで二人に乗っかる感じで言うことがある。 >>838
でも、自伝なんかでも悪く書いてたような? >>834
アンカー先の書き込みよく読んでなかったんで、マシーンて新日のほうかと思ったw
ドリームマシーンな。確かに続編にその記述があった。ただ園田と桜田の他に伊藤正男の
名前も出してて、「たぶんヤツだろう」は伊藤に対して言ってるね。因みに俺はキャボてのは
タッグを組んだ事のあるビッグ・レッドかレイ・キャンディの事かなと思ってたんだけどね。 >>839
やる気の無い鶴田を強くみせるのに苦労したみたいなこと書いてたんだっけ?
読んでないから知らないけど。 鶴田より先に全日にいた人間は新人がいきなりナンバー2なんてありえないから
妬みで小鹿やカブキを筆頭に悪く言うし
逆に鶴田より後に入った人間は「鶴田さんは常識人だった」って悪く言う奴はいないよな カーンの怒りの反論とやらが出た後の投書欄に「それなら闘うモンゴリアンなんて
キャッチフレーズもいらないんじゃないの?」なんてファンの声が載ってたね。
にしても鶴田のあの発言で何で両親を侮辱されたと取るかなぁ。別にそんな事は
鶴田は言ってないと思うんだけどね。 >>842
まぁ、そんなような事や、相手の技を受けない鶴田に対し、ハンセンやブロディから
「いつも俺達の攻撃を受けてくれてありがとう」
と言われたとか
普段練習しない全日レスラーと違って、長州たちが来てから
「プロレスラーも練習するんだ」
と思ったとか。
うろ覚えだけど、もっとあったかも? >>845
> まぁ、そんなような事や、相手の技を受けない鶴田に対し、ハンセンやブロディから
> 「いつも俺達の攻撃を受けてくれてありがとう」
> と言われたとか
馬場と組んだ時はいつも鶴田が受けてたからな。
二番手ってのはそういうもんだとわかってるはずだろうに
なんでそんなこと書いちゃうんだろ。
> 普段練習しない全日レスラーと違って、長州たちが来てから
> 「プロレスラーも練習するんだ」
> と思ったとか。
全日本自体をディスってたか。 カーンって月刊プロレス6月号が発売されていた頃に
そもそも日本にいたっけ? >>846
> 馬場と組んだ時はいつも鶴田が受けてたからな。
> 二番手ってのはそういうもんだとわかってるはずだろうに
> なんでそんなこと書いちゃうんだろ。
これは俺も思った。
それと練習しない云々は、全日本レスラーと書いたか鶴田と書いたてか、正直忘れたが
天龍は他のインタビューなんかでも全日ディスり多いと思う。
自分の出身団体にも関わらず。 >>848
稼げるビジネスにしないと優秀な若者が入ってこない、と今に通ずる良いことを言っているじゃないの >>847
>>835の怒りの手紙を読んだら分かると思うけど、当時はアメリカにいたよ。
直前の4月頃まではMSGシリーズが行われてたから日本にいたと思うけど。 >>847
日本でアメリカの雑誌を買えるように、アメリカでも日本の雑誌を買うことはできる。
但し輸入品だから高額だし、月遅れのことがある。
たぶんカーンは日本の知人から送ってもらっていたのだろう。 ミッドアトランティック地区が低調で、ビル・ワットのところが好調ってホントかよ、って一瞬思った
ジャンクヤード・ドッグVSテッド・デビアスの黒の正義VS白の悪魔で盛り上がってたのかな
ミッドアトランティックはスティムボートがセミリタイアしていた時期か、と思ったが、
年末の最強タッグには出ていて、セミリタイアはそれ以降の話だもんな 鶴田に不満を持つ気持ちはわからないでもないけど
鳴り物入りで入団してスター待遇を受けながらモノにならず
全日にカネと長い年月を負担させた天龍がそれを言うのかと 数回海外遠征行ってるんだっけ? 時間かかったけど大成したしよくね? まぁこの業界ではミスター・プロレス天龍より格上の存在は猪木だけだし
大先輩の日プロ残党ですら大将、大将とゴマをするし、
新日系の連中も長州以下、天龍に睨まれたら全員、俯くほかないし 天龍に「生涯最大のライバルは?」と聞いたら鶴田と言うんかな。長州かな。
俺は読んでないけど、宝島のムック本では「一番強かった相手は輪島」と
言ってたらしいけど。 >>854
天龍
「俺たちはプロレスができなくなったらただの体のデカい男なんだから
鶴田はもっと全日本プロレスを愛してほしい
おれは相撲を辞めた時期があったのでそれがよく分かるんだよ。」
→数年後メガネスーパーに誘われたらあっさり離脱
天龍
「俺は裏切っていない。俺にとって裏切るは嘘をつくことなんだからね。」
金払いがいいので関係者間人気は高いが決して全て筋が通っているわけでもない>天龍 ウォリアーズは、もともと天龍派だよな
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171013-00010000-spht-fight&p=2
やはり聞きたいのは、「誰が強かったか」ということ。通訳もおらず、記者は私だけのため、
意訳があることをお断りして書き進めよう。
「日米でいろんなレスラーと戦った。日本で俺と対戦した選手はみんな強かった。
アメリカでは強い選手とそうでもない選手がいたが、日本の選手はみんな強かった。
これは確かだ」
具体的には鶴田か天龍か?
「天龍は強かった。カーンも強かったな。彼らは相撲出身だからしっかりしている。
テンタ、ハク、バーバリアンも相撲出身だろ」とカナダ出身のジョン・テンタ(琴天山)、
トンガ出身のキング・ハク(福ノ島)、コンガ・ザ・バーバリアン(幸ノ島)も評価した。 ウォリアーズは自分らの技が荒くてもちょっとやそっとでは怪我しない奴を評価してるんじゃないのか? 和田京平
生前の馬場さんは、ジャンボが長期欠場していた間(90年代前半)も給料を
払い続けていました。私が「ギャラ払うの大変ですね」と水を向けると、馬場さんは
「ここでオレが払わなけりゃ新日本にでも、(それ以外の)よその団体にでも
行っちゃうよ。それはオレはイヤだよ」と言ったのでした。 和田京平
生前の馬場さんは、ジャンボが長期欠場していた間(90年代前半)も給料を
払い続けていました。私が「ギャラ払うの大変ですね」と水を向けると、馬場さんは
「ここでオレが払わなけりゃ新日本にでも、(それ以外の)よその団体にでも
行っちゃうよ。それはオレはイヤだよ」と言ったのでした。 和田京平
「大事なことなので」と2回言ったのでした。 天龍は今や一端の芸能人だからね
馬場が師匠だけに芸能人になりたいひとがヒクソンとやるのは失礼だとはわきまえていたようだけど
将来を考えてHGにガチ風の勝負で負けたのが生き様ですよ
プロレスなんて苦笑
なんていって相撲にごますったり、
今度はビートたけしと会わせてくれと東スポで言いだす始末
男芸者だよな >> 天龍
> 「俺たちはプロレスができなくなったらただの体のデカい男なんだから
鶴田はギターや作曲や大学の勉強してたよ
プロレスラーはプロレスしか出来ないんです!と絶叫して泣き喚くの好きじゃない >>859
そういやタックルでカーンが倒れなくてホークが驚く場面あったね 聞かれるから答えるだけで、レスラーは強いかとか興味なさそう 奥さんと付き合ってた頃、家に遊びに行く前に買った手土産を途中で
少し食べてしまう男を好意的に見る人が存在する事が信じられない。 倉持「鶴田には、何人もタニマチを紹介したんですけどね。不動産屋とか劇場の持ち主とかゴルフ場の社長とか。
すると、紹介してご飯食べるまでは僕と一緒だけど、後は僕抜きでやるんです。鶴田ってのは、良くも悪くもそういう人で」
この人格のどこに「良くも」があるのか、一生かかっても分からない。 >>835
山本小鉄を山本川鉄と誤植しとるな
気持ちはわからんでもない >>871
倉持もプロレスをなめていた男だけどな
若林とか三沢小橋の世代のほうがプロレス好きだと思う >>871
倉持の本を読むと、この男は東野タイプの心のないヤツだというのがよくわかる。 >>874
こういう節操もなく義理に欠ける人間だから、
未だに鶴田前夫人とは絶縁状態なんだな。 「つぅさん、またね」で冒頭で鶴田と出会った時、ヤクザをつれてたと書かれていたが、そのヤクザが倉持 >>862
行ったところで、もう身体はガタきてたんだろ。
その話も眉唾だなあ >>875
鉄板のネタになっている
「天龍、今日も元気です!」
という紹介も倉持なら狙ってやってるように思える。 倉持って田鶴浜弘に幼稚園児でも気づくほど背冷めた感じで仕事してたのがわかったけど
山田隆とか竹内宏介にも時折キラリと背筋が凍るほどブロディのように冷たい、間をつくっいたのを大人になってわかって
若林が実況のミスタープロレスだったんだなと思うようになった
でもホモ疑惑があるんだよね 幼稚園児には分かるわけないじゃんwww
お前神童って呼ばれてたのか? >>878
そのネタをダウンタウンDXで勝俣が「天龍、両国中学出身」ってつまらなく改変してて冷めた >>883
推敲してないんで倉持の実況のように日本語が適当不自由でした
田鶴浜と会話が成立しない倉持をみて
僕とおじいちゃんみたいと思ったけど
神童だったかなw 谷津(日大)
長州(専大)
石川(日大)
天龍(狙いは長州力!)
で倉持じゃなかったかな
谷津(幻のモスクワオリンピック代表)
長州(ミュンヘンオリンピック韓国代表)
石川(幕内4枚目)
天龍(前頭筆頭)
格闘技の肩書きは天龍が一番 和田京平の言葉と言えば
「アメリカの天才はマードック。日本の天才は鶴田です。
2人とも軽い準備運動をしただけで試合に行っちゃうんですから。」と言うのもあったな でも、プオタからは何を言われてもいいけど、
同じメインイベンターの同業者に、
「俺は彼の人間性が一発で分かった。人間としては大した男ではない」
とか書かれたらヤだよ >>887
天才の割には
リング上ではイマイチ頂点には届かなかった2人 >>871
これって鶴田が変なのかな?
タニマチってレスラーや相撲取りを引き連れて良い顔したいだけだから
陰気な倉持とはほどほどにして知り合いになった鶴田を呼び出しただけじゃ無いの
鶴田って馬場と一緒でタニマチと会うのが別に好きって感じがしないもんな
倉持の最近のインタビューを読んだらこんな嫌味な奴かって思ったわ >>892
>>871のは俺も変だとは思わないけどね。
ただ、>>869のはキチガイ 谷津ってモントリオール五輪に出てたの?それは知らなかった。
もしかしたら麻生財務大臣が射撃競技で出場してるほうが有名なくらいなんでは? 自分で買ったものを食べて悪いのか?
彼女が不快になったのならともかくそれでも好きで結婚できたんだろ
>>893って器が小さい男なだけじゃ無いの
カブキと天龍は取材媒体によって態度を変えてるよね
プロレス専門誌だと今日は悪口が聞きたいんでしょって言いながら馬場や鶴田の悪口を言う
一般週刊誌が取材に来ると鶴田、馬場を褒める
それと天龍が鶴田の待遇に嫉妬という説は変
天龍はしょっぱい時代でも下駄を履かせてもらいNo.3の待遇だったじゃん
でもカブキ、小鹿とかは鶴田には嫉妬しても天龍には嫉妬しなかったわけだろ
それは単純に大卒の鶴田と彼らは所詮そりが合わないってだけだよ
かわいがり肯定派と常識人鶴田が分かり合えるはずがない >>895
土産として買ったものを途中で食う奴いねえよ。
どう考えても知障レベル。
いい加減鶴田が知障だったって認めろよ 鶴田を常識人だと思ってる奴ってどうしょうもねえよな。
引退決めた時に話を聞きにきたレポーターにわざわざ藤波の悪口を言う奴のどこが常識人なんだよ。
そういうのは別の日に言うもんだろ。
まぁ、どうせ鶴田を擁護してる馬鹿はター山信者なんだろうけど。 倉持「今、ドリーがテリーにブロックサインを出しましたね!」
山田「そ、そうですね(適当)」 倉持アナがテレビニュース読んだときは得した気分だった。 ゴルフ中継で「世界の青木、グリーンに堂々の入場でごさいます」とかやって
他のスポーツ実況できなくなったとか言ってなかった? 青木の話は知らないけど、プロレス中継で馬場の名前出す時は必ず頭に
「世界の」と付けなきゃならんのかな、とは思ってたな。一試合の実況中に
何回「世界のジャイアント馬場」と言ってたんだろw >>903
当時の倉持は、鶴田にも必ず「若き二冠王ジャンボ鶴田」とかつけてた記憶があるなw そうだったかな。言われてみれば、それも言ってたかもしれんw
とにかく「世界の〜」は未だに鮮烈に覚えてるなw テレビ朝日も燃える闘魂アントニオ猪木、世界の荒鷲坂口征二、炎の飛龍藤波辰己と呼んでいたじゃん。 >>906
新日は試合前のコールでだけ言うが、倉持は試合中にそのフレーズを連呼するんだよね。 でも倉持の「世界のジャイアント馬場」ほどには連呼連発はしてなかったと思うよ。
何せ馬場の名前出す時は十回中九回まではそう呼んでた印象があるw テレ朝チャンネルで古いワープロ見てると
今ワイドショー出まくってる山崎正の実況はスポーツライクで心地良いけど
やっぱり舟橋や古館のような如何わしい頭の足らない感じの実況の方が見てて楽しいな。
日テレは淡々とした清水一郎の後継がなんでよりによって倉持なんだろうw 倉持アナはプロレス実況に回されたことを不本意と思っていたようだが、プロレス実況をやったおかげで本を上梓でき多少なりとも印税収入があることを感謝しなくてはいけない。
シークに額を斬られた裏話まではよいとして、ジャンボにタニマチを紹介したら後は勝手に・・・というのは言わなくてよい話だ。
それこそ倉持アナ自身の人間性を貶めることにしかならない。 >>899
山田「私が今日聞いたところでは8:2でハンセン有利でしたがね」
倉持「ということは馬場の勝算は“2%”ですか?」
山田「そうですね(キッパリ)」 >>911
>日テレは淡々とした清水一郎の後継がなんでよりによって倉持なんだろうw
本来は徳光だったのだろうが
プロレス以外で人気が出てしまったからなあ
徳光実況は倉持よりは痛さがないから
本格派だと思う >>805
ドリーム・マシーンのあのインタビューは英語でやったのだろうか? >>835
おいおい、ロッキー3
のミスターTかと思ったよw >>902
倉持が何かの番組で言ってた記憶があるが
「世界の青木が、リングに登場」と言ってしまったと。 >>911
プロレス担当になる前に徳光に飯に誘われたって自伝に書いていなかったっけ
徳光の指名じゃないの 鶴田ほど嫉妬されたレスラーはおそらく、いない
旧日プロ勢、国際のレスラー、新日の地味な前座等
各方面から、羨ましく思われてたのでは? そりゃデビューしてすぐに馬場に次ぐNo.2(若しくは馬場デストに次ぐno.3)の座に
据えられて、ずっとメインやそれに近いところで起用され続けたんだから嫉妬も
されるだろうね。ただ鶴田の凄いところはずっとその座を維持し続けて陥落しなかった
事だと思う。途中で失速して前座や中堅に落ちたりするパターンも多い中で病気欠場までの
20年近くの間、ただの一度もそれが無かったんだから。 >>919-920
ユセフ・トルコが「馬場もエリートだったが馬場よりさらにエリートなのが鶴田だ」と著書に
書いていたからね
トルコは著書で鶴田を絶賛していた
「馬場猪木の後継者世代では文句無しでNo.1だ」とね
門茂男の本でもトルコが
「力道山の地位まで行けそうなファクターを持った男はジャンボ鶴田位しかおらん」と
言っていた話が書いてある >>921
門茂男の本では「どんなに強い外人とガチンコでやっても滅多な事では
負けないぐらいの強いエースを作らなければ日本のプロレスに未来はない」と
前置きした上で鶴田をそう評してたね。鶴田をよほど高く評価してたんだろうね。 鶴田の先輩はみな嫉妬するのは
ある意味当たり前だよな。
カーンは他団体時代だし、記事は改変されるから。カーンが早とちりしたんだろ。
記者の思うツボだな。 >>914
路線バスの旅番組で池上本門に来た徳光アナは力道山のお墓に手を合わせる神妙な
顔で「(在命時は)実況をさせてもらう事はありませんでしたがプロレスのお蔭でアナウンサー
として道が開けました。ありがとうございました!」と感謝の弁を述べていた。その後に横浜
の鶴見に移動し地元の人が「名所は無い」と言う中で即座に「アントニオ猪木の出身地ですよ!」
と反応、最期は地元・茅ヶ崎で全女中継で有名な日テレの先輩・志温野アナが待ち構えて
いて「新人時代はアナとして成功するとはとても思えなかったよ・・・」と言われて形無しw
でも結婚前の徳光夫人には「彼は絶対にりっぱなアナになるから!」と心にもない事を言って
徳光アナを応援したらしいw
最近のインタビューで「ブロディが初来日した頃まではプロレス中継に加わっていた。」と
話していた。馬場のみならず日プロ時代から猪木ともいまだに親交のある貴重なアナ。 >>897
例のガイキチでしたか失礼
関わった自分が悪かった サラリーマンレスラーにカリスマ性を漂わせるのは無理があった。 >>926の言うように、突然「怪物」扱いに変わってもねぇ。
じゃあ、それまでのしょっぱさはどうなんだよって当時から思ってたわ。 プロレスラーは怪物イメージ外そうとしてたジャンボだけど
怪物になってからが好きなんだよな プオタには人気の鶴田も、一般的にはただの眠たいレスラー
プロレスの見方とか知ったかして一生プオタやったなさい 鶴田の外人との試合、確かに熱さはなかったけど、眠たくなることはなかったけどなあ。
単純にでっかい人間がダイナミックに技を出すだけで、面白くないわけない。
眠たいなんて言ってる奴は、たぶんちゃんと見てなかったんだろう。 リアルにタックルに行ったり
体重かけて動けなくするの面白い
物理的に正しいか正しくないかは素人にも伝わる それはプオタの屁理屈
全日は外国人で持ってた
鶴田がエリートでも客呼べない >>932
それ。
俺は熱くなったけどw
日本人で ハンセンやブロディに体格負けせず、あれだけ動けたのは、鶴田だけだったしね。 確かに鶴田の試合は眠かったなあ
特にテレビが夕方に移行した時は、あの時間帯で鶴田のシングル見ると、眠っちゃうんで困った
鶴田とかドリーの正統派相手の試合は、パターンが決まってるから眠い
それに鶴田が身体中から発する香ばしいほどの、お仕事感が、さらに眠気を呼ぶ
ところが、これがハリーレイスだと違うんだよな ジャンボが本気でバックドロップを使ったら相手は大怪我をしてしまうから
マットをフワフワにして、尚且つ右足を流すフンワリ投げスタイルにしてしまった。
テーズから教わった直後の臍で投げるバックドロップは速くて孤が小さくて右足が流れない本物だった。 確かに当初はいいバックドロップだったな。
それが何の要因かはわからない、マットのふわふわかどうかは知らないが
鋭さのないものになってしまったね、それと軌を同じくして身体もどんどんメタボになってきて……黒パンツでなんとか見えたものの、ああなった身体で☆パンツのままだったら違う意味での怪物だったろう。 プロレス自体が本気じゃないのに、本気でやったらなんて理屈がわからない
本気だったら相手がわざわざ左腕でヘッドロックしないんだから 相手がこの程度ならケガしないだろと掛けてきた痛くない技に対して、痛がる演技が下手くそだから鶴田が強く見えるだけだろ 本気出してないウィリアムスのオクラホマスタンピードで失神する顎がいたからな(笑)
やっぱり相手見て加減しないとなw >>928
お前が全日の試合を見てないということが
バレバレw
全日を語る資格無し!
突然じゃねえよ。ボケ。 >>940
台本があろうがなかろうが、
本気で投げることはできるだろ。
何に絡んできてるのかよくわからん。 >>931
煽りも幼稚
まともな人生を歩んでこなかったのが丸わかり
知ったかと恥ずかしくてよく使えるな
浅い見方しかできないのなら書き込むな >>934
あはは
外人と対戦したのは鶴田だろ
お前は論理性のかけらもないのな
まあ学が無いのは書き込みからもハッキリしてるけど
恥ずかし奴だなぁ >>946
まあ、あいつはいつもの猪木狂信者だからな。
ブロディ、カブキ、鶴田叩きに狂ってるから。
まあ、あんまりオツムはよくなさそうだから、バカな書き込みを楽しめばいいかも。 なんだ。カーンは弱いんじゃねえかよ。
県立体育館。“アンドレの脚を折った男”
として勇躍凱旋したカーンはもちろん当
時のトップクラスだったし、一方の藤原
はいち前座。その藤原が前夜、旅館での
選手そろっての夕飯の席において、カーン
に対し『強くもないくせに』と毒付いた
んだ。酒の勢いもあったんだろうけど、年
齢的にも後輩である藤原からそんなこと
を言われたのではカーンとしても黙ってい
られない。互いに『この野郎!』ともみ
合いになった。たまらず猪木が『だったら
リングの上でやってみろ!』と両者に告
げ、翌日急きょ試合が組まれることにな
ったんだ」(当時を知るスポーツ紙記者)
試合は当然ガチンコで、藤原が一方的に
関節地獄に引き込むと、カーンは防戦
一方になってしまった。これを見かねた
長州力とマサ斎藤が乱入すると、カーン
の反則負けとして試合の幕は引かれた。
https://a.excite.co.jp/News/sports_g/20140529/Weeklyjn_5792.html プオタは世間とは隔離された世界で生きてればいいよ(笑) ↑負け犬の遠吠え乙
勝てないと見ると卑怯な逃げの一手を打つ
弱っちい奴 昭和60年代以降の鶴田と外人の試合でいい試合というのは思い浮かばないなあ
平成になってからは尚更
日本人対決の時代に飲み込まれてからは
こっち方面のスキルは退化したんだろう >>939 ラジオ日本の真夜中のハーリー&レイスでヒロさんのゲスト回時
カルガリーハリケーンズで全日マットにあがったら馬場さん使用のフワフワマットで
足が沈んで疲労したって話していました。 >>901
ジェットコースター・死の水道管・火炎塔・油地獄ら引田天功大脱出シリーズ全ての実況も倉持担当だったよね。 >>938 ドリー 鶴田 バンクランドの人間風車は好き
前田のような低くて速いのは陰湿で嫌 小学生時代は退屈でつまらんと思ってた
鶴田vsマードック(鶴田がUN失う試合)が今見ると無茶苦茶面白い。
実にタイミングの悪いカマタのアピール、
朴訥な戸口のリングサイドでのインタビューも含めて… >>954
爆発の瞬間「アイヤー」って叫んでたのかな?w そういや全日所属時代のタイガー戸口は、よく外国人レスラーの通訳をやらされていたよね。
キムドク時代から試合後のマイクアピールが英語だったり、かなり話せたんだろうな。 天龍が「戸口さんが残ってたら絶対に上にいけなかった」
というような事を晩年に回想してたが、本音だったんだろうか、謙遜だったんだろうか?
まあ、1981年〜1982年頃までの天龍は体も細身だったから、デカい戸口に対しては圧倒されたのかもしれない
しかし1983年の春頃から天龍の体格って大きくなったよね?
そのうえ平成に入ったあたりから、さらに大きくなったように見えた
あれぐらい大きくなれば、結果的に戸口が残っても追い抜いたかもしれないね >>948
自己レスだが、新日は、こういうイザコザと不穏マッチが刺激的だったんだよな。
ただ、全日も鶴田vsヘーシンク戦とかシュートっぽいのはあるんだけどね。 鶴田のレスリングに不満や問題が多くてもトップで居続けられたのは
それ以上に他のレスラー達が酷くてしょっぱ過ぎたからなんだよな
高千穂やクツワダ、ロッキーなんか鶴田と比べるのもおこがましいほど酷かった
桜田あたりは外様だから馬場に冷遇されたと思ってるかもしれないけど >>937
>>939
コーナーポスト端からマットがはみ出てたのも定番だったが、いわゆるブッチャー・シーク対ファンクスや
馬場全盛期は白の体操マットかウレタンスポンジみたいのがはみ出てたのが、四天王時代には
はみ出てたのが濃緑の体操マットみたいなマットがはみ出ていた。
まあ鶴田どころかウイリアムスや川田らが頭から突き刺すバックドロップを多用していた。
新日本で後藤が馳にバックドロップして、たった1発なのに心臓が停止して馳があわや死にかけたのに、
ウイリアムスが小橋に2連発デンジャラスバックドロップした時は2発とも頭からマットに突き刺すタイプを放ってた。
仮に3発目を同じように食らわせられたら柔らかいからまだしも硬かったら小橋は死んでるか重傷かも知れんな。 小鹿と三沢の事は度々ここでも語られてるけど
小鹿と大仁田の関係ってどうなんだろ?
大日本が新日と、ドームで全面対抗戦をやる直前に
小鹿やナガサキ達が新日の名古屋?大会に乗りこんで、マイクで挑発した時の事
その件にふれて大仁田が何かのインタビューで
「テレビで見たけど新日勢はやはり小鹿さんに臆してたな、当たり前だよな、あのグレート小鹿だぜ」
みたいな事を言ってたな、実際にはアングルだろうと何だろうと
小鹿の事を「歴戦の猛者」みたいな感じで評してたのは事実だからね
なんか小鹿とナガサキの事を「義経と弁慶が乗り込んできたようなもの、新日勢は怖かったと思うよ」
みたいな事も言ってたな。 大仁田のような損得勘定で動く男の発言から真実は読み取れんよ 大仁田の引退商法は、テリーからヒントを得たのは間違いないだろうなw 猪木の生前葬をパクって大仁田もなんかやりそうだよなw >>965
小鹿「てめー、このやろー」
長州「何コラ!」
インタビューで小鹿が、意味のないやりとりと苦笑いしていた 俺は松根&佐藤体制になってからの全日しかリアルタイムで見ていないから小鹿の評価は低いけど
内部の人やオールドファンはもっと評価が高いのかもね どうなんだろうね。
格は低くないはずけどコンビではセミにはあまり登場しなかったよね。
早い段階から第4試合くらいで会場の温め役をこなしてたけど、
そこら辺をどう評価するか。 大日本の登坂曰く
全日中継でグレート小鹿が勝ってる試合は見たことがないそうだ 何でグレートなのか子供のころ不思議でならなかった。 >>974
俺の記憶の中では一度ある
83年頃のアジアタッグで、石川佐藤を相手に「塩か粉」みたいな物で目潰ししてフォール勝ち
ただしフォールしたのが本当に小鹿だったか記憶に自信がないw
もしかしたら大熊だったかもしれないし、何か裁定が覆って反則か無効試合になった気もするし
まあ一時でも小鹿の手をレフエリーが手を挙げたのは間違いないはずw >>976
相手は原・井上組だな。アジアタッグ王座決定戦。
塩を浴びたのは井上。 >>977
そうか、間違えてた、サンキュー
あの頃のアジアタッグは地味に熱かった覚えがあるな
極道コンビ
原・井上
石川・佐藤
ジョー・マシン
当時の感覚で地味と言ったが、中々良いメンツだ。 全日と新日の大きな相違点のひとつに中堅がデレビマッチで勝つ姿を見せられるかどうかというのがある。
星野、小鉄、木戸が外人4番手ぐらいの選手と
シングルやって勝つのは普通にテレビで放映されてたけど、
大熊、小鹿、羽田が勝つシーンはまず放映される事はなかったね。
極道コンビひアジアタッグがあったからまだ
いいけど羽田なんかはテレビマッチで勝った事は一度もないんじゃないか? 自己レスになるが
上記の八人のうち四人が後年になってから
団体社長…小鹿
団体エース…ナガサキ・石川
WWFのエージェント…佐藤
未来から当時の観客に言っても絶対信じないだろうな 鶴田は、本番やらないAV女優が攻められてもマグロやってるようなもんだからな
あのへたくさなピクピクは痛みより、透かし屁かいだような表情 ブラックウェルが初来日の時だったと思うけど、シングルマッチが中継されて小鹿が勝った記憶がある。 松根&佐藤体制時代は極道コンビは全然中継に出てこなかった
馬場ですら出ないことが珍しくなかったし
ジャパン・プロレスが来て突然、大熊とかがジョバーとしてテレビマッチに出るようになったな >>976
昔国際のリングでアジアタッグ王者の井上・浜口に極道コンビが挑戦し
小鹿が浜口の顔に塩投げて大熊がフォールし王座奪還した事があった。
全日のリングで極道は同じ事をしたんだが原・井上組のクレームで極道コンビの反則負けになった
井上・浜口組とコンビは違うが、国際勢がその時の雪辱をした感じかな。 極道コンビ
なんちゅうネーミングは昭和ならではだなあ。
大熊、子鹿、動物ってのも。
大鹿の方がいいような気もするが。 ヤクザキック→ケンカキックに変更させられた位だから今では無理だろうね >>985
アジアタッグはともかく
終盤の番宣の字幕の「今夜19:30からの土曜トップスペシャルで」小学生当時の記憶が甦ったわw
鶴田vsリッチ カブキvsシン 大仁田vsドス
米国からは馬場vsレイス フレアーvsブロディかな?
リッチが最初にして最後の大物感をもっていた時期だなw
大仁田vsドスがダイジェスト的な放送だったのが残念だった記憶がある
皆が以前から語ってる通り
レギュラー放送を見てる途中の「今夜のトップスペシャルは〜」
の文字が特別感ある日というか、至福の時間だった。 >>985
いきなり11分経過にわろたw
阿修羅の技とかは天龍同盟の時と同じなんだなクイックタッチとか。国際の二人のお陰で寝技の少ないいい試合になった感じだ >>987
最近もドラゴンゲートのパンチ富永も改名直後は「チンピリアンキック」なる名称だったが、すぐさま「PTキック」に変更になってたw >>988
ワイルドファイヤー
トミー・リッチ
ネイチャーボーイ
リック・フレアー
当時はワイルドネイチャーの違い真剣に考えたな。懐かしい。
野生の炎、と自然児。
野生と自然。なんで自然なんだ?大草原とジャングル?とか
プロレスの醍醐味の1つだったなあ。 VAPプロレス大全集のLP版にはリッチのテーマ曲「Roll With the Changes」が収録されていたが、
CD版では収録されていない あのレコードのCD化はホットポイントのカットがいまだに許せねえ https://www.youtube.com/watch?v=eLvCh7fIyjk
極道コンビからアジアタッグを奪ったエリック兄妹が
オリエンタルコンビ相手に防衛戦を行った試合?
しかしアジアタッグ≠ネのにアメリカで防衛戦って… このスレッドは1000を超えました。
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