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>>960
ブレットは小林邦からもフェンスアウトの反則勝ち。
このリーグ戦、あらゆる勝ち4点。あらゆる引き分け2点。負けはもちろん0点。小林邦の星取詳細は高田&フェイスに勝ちで4×2で8点。
ブレットと寺西にフェンスアウト反則負けで0点。
キッド、スミス、コブラ、ブラックとは両リンか両フェンスアウトで引き分け2×4で8点。計16点。
9人中6位と低迷。
でも、最終戦の大阪府立では、コブラのNWA世界ジュニアの方に挑戦権が与えられた。 >>961
小林は一時新日マット離れてたこともあるけど
それよりやっぱりこの時のコブラキッドスミスにリーグ戦で
内容はともかく星取や順位で後れを取った扱いのせいで
新日復帰後もジュニアタイトル獲ってもあくまで「まだまだ健在」的な扱いで
第一線というよりはちょっと下がってライガーや馳の売り出しの噛ませ感出ちゃったもんな
まあ実際そういう位置づけだったんだろうけど 第二回のジュニアリーグ戦は大量離脱や電撃移籍もあってメンツはしょぼかったな。
コブラ、越中、小杉、山田、ブラックタイガー、セントクレア
あと誰だよw 第二回のジュニアリーグ戦は大量離脱や電撃移籍もあってメンツはしょぼかったな。
コブラ、越中、小杉、山田、ブラックタイガー、セントクレア
あと誰だよw サンクス
ドン荒川が出なきゃならないくらい人材難だったんだな。
キッド・スミス・ハートが来なくなって外人勢は華がない。
若手の山田が人気急上昇で遠くに光が見えていたのだけが救いだったか。 俺は人材不足もあるけどどっちかっていうと
藤原の「前座の鬼」ギミック同様に
当時の通を気取るマニア寄りファンに媚びを売った
「コミカルな前座の力道山=実は隠れた実力者」ギミックとして見てたなあ
新日前座の「ゴッチイズム」と「中堅ベテランの隠れた真の実力者」ギミックは
マニアックなファンの新日ストロングスタイル幻想の大いなる根拠だったよね
そのずっと後に全日が百田でその二番煎じをしてたのはさすがに…だったけど 新春シリーズでジュニアのリーグ戦が行われたのって4回だっけ?
3回目がトップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニア、
4回目がIWGPジュニア挑戦者決定戦。
その後あった? >968
そのずっと後に全日が百田でその二番煎じをしてたのはさすがに…だったけど
あー・・・
おれ全日派だったけど、なんつうか全日は伝統的に新日と比べて企画力が大きく劣るなーとは
感じてた 荒川の起用は新日的には苦し紛れだったかもしれんけど、全日はそういう苦し紛れの
抜擢すら考えつかん所があるから・・・ >>968
荒川は本気出すと怖いって言うのは説得力あったかも。
もちろん人材不足のおりに「荒川は本当は凄いんだ!」と自分に言い聞かせていた面も否定できないw
大量離脱後に星野と荒川が竹刀をふるって若手を鍛える姿には新日の怖さを感じたな。 >>968
>>970
百田がプッシュされたのって、世界ジュニア奪取するときかな?
何度か挑戦して仲野に勝って王者になったんだっけ。
フロントヘッドロックから強引に回転して抑えるみたいな不細工な勝ち方だったけど盛り上がってたね。
東京から大阪に駆けつけた数十人の百田軍団が狂喜とか、当時の雑誌に書かれてた。
藤原や荒川の抜擢とは違って、四十過ぎのベテランレスラーに一度は花を持たせたいみたいな浪花節がありありだった気がする。 キッドとスミスを売り出すためにブラックを踏み台にしてコブラに負け飲ませたのに
ミスターヒトを怒らせて二人を全日に引き抜かれたのでは泣きっ面に蜂だな
いまさらキッドスミスより弱い(設定になった)ブラックタイガーを
コブラのライバルにしても盛り上がらんし 他のジュニア級だってもともと員数レスラーに過ぎなかったセントクレアーだもんな。
タイガーと小林の二番煎じかつ劣化コピーのコブラと斉藤の抗争は盛り上がらなかったし。
越中と高田山崎がバチバチやりあうようになるまでジュニア戦線は寒かったね。 >>971
新日がやっぱりイメージ戦略的に上手かったのは
「前座の鬼「関節技の達人」」「猪木のボディガード」「道場のポリスマン」
こういった呼称を前座中堅にも流布することで
前座だけど実は陰の実力者〜コミカルに見せても最後は真剣勝負でシビアな戦い
ってイメージを観る側に巧みに植え付けたことだな
これが全日前座だと鬼や達人でなく馬場の「付き人」になっちゃうんだよな
とはいえこの新日のイメージ戦略、
その中で唯一一人負けで損をしたのが健悟なんだけどw 新日のイメージ戦略の上手さはやっぱ新間さんの力かな? フジワもアラカも幻想を抱かせた。
それがシンニプロレの幻想に繋がった。 >>975
とはいえキムケンは野球でいうと「ローテーションの谷間」だから負け役でも救いはあったw
不遇だったのは永源と栗栖だと思う。
二人とも海外で放浪しながら戦ってきたツワモノっていう肩書があっただけに残念。 エイゲもクリマサも強さは抱かせた。
エイゲはゼンニプロレでああいうコメディアンになったから強さを感じさせなくなったが。
フジナは怖さはなくても強さを感じさせたし。
キムケンはそれがなかったなあ。 >>976
う〜ん、この辺の「ゴッチの弟子」に端を発する基本的なイメージはむしろ桜井さんあたりじゃないかなあ
>>970で全日派だったって書いてるから書くんだけど、
なぜ大仁田が壊れて渕が帰国してきた時に
「(全日唯一の)ゴッチの弟子」としてさっさとベルト捲かせなかったかが未だに不思議
いくら馬場がゴッチを評価してなくてもあの時代ではイメージとして有効だし
特に大仁田がタイガーと比べてナマクラだった分、地味な渕ゆえのシリアス売りには最適だったろうに (全日唯一の)ゴッチの弟子なんて売り方したら
ゴッチイズムの新日のが上だと言ってるようなもんだろ >>978
> とはいえキムケンは野球でいうと「ローテーションの谷間」だから負け役でも救いはあったw
まあ負け役はともかく健悟の“ヘタレ”イメージがやっぱりさぁw
一時の新日マットは(ファンにも)明らかに
「ガチでやったら(これも今となっては幻想だけど)健悟より藤原や木戸や荒川の方が…」
って雰囲気を半ば公然と醸し出してたというか
健悟じゃまあしょうがない感マンマンというか、ネw 昭和のシンニプロレはカルゴイズムが凄かったかんな。
それに対抗してかゼンニプロレはルーテ杯とかあった。 反選手会同盟も、本来は越中・小林なんだよな。
小林の癌での欠場がなかったら、
健悟はどういう展開だったかは疑問。 >>983
よぉクソムシまだ生きてたのか早く氏ねよ >980
うーんたぶんだけどもう三沢がいたからじゃねえかな?83年に淵がチャボのベルトに挑戦して負けたけど
見た目も試合ぶりも地味すぎて、とてもジュニア王者を任せれるようには思えなかったしなあ
馬場は急きょマイティをジュニアに抜擢してしのいで、翌84年に三沢をタイガーマスクにして凱旋させてるから
淵のことは眼中になかったんじゃねえかな?馬場がゴッチを認めてなかったのは当時すでに有名だったし
逆に全日のクセにゴッチにレスリング習いに行った淵を怒ってたのかもしれん だいたい馬場には「シリアス
売り」という概念は無いと思うし
馬場は他団体出身のジュニアでもヒロ斉藤のことは気に入っててベルトも巻かせてるからなあ ヒロと言えば上田との仲間割れはすごくわざとらしかったな >>986
渕は華もない上キャラも固まってない感じだったから全然感情移入出来なかった。
マスコミからも結構辛辣に書かれてたね。
ああいう冷酷なテクニシャンというキャラが固まったのはジャパン軍参戦後だよ。 第2回MSGシリーズ優勝決定戦の猪木のコーナートップからのダイビング胴締め落とし。猪木のフィニッシュ技として異色中の異色だし、全く語られない不思議なフィニッシュ。筋書として失敗なのかな? キムケン、ジャパンカップタッグリーグの開幕戦で長州からフォール勝ちしたよね。
この年の両国の藤波とのシングルで三本勝負の一本をフォールで取られてるのをのぞけば、長州がシングル、タッグ通じてフォール負けしたのって1984年8月の最後の蔵前の猪木戦以来だったんだよね。
でもその日は生中継で試合途中で中継終了。肝心のフォールシーンは生中継で流れず。
翌日東スポ見たらまさかキムケンが長州からフォール取ったとは思わなかったから、びっくりしたわ。
この快挙は流れなかったのに、TPG騒動の年末の両国で「やめろ」コールの大混乱の中、仕方なしに長州にフォール負けして試合終わらす模様はテレビでしっかり流れたキムケン。
つくづくついてない人だと思った。 >>991
エンディングのとこで写ってた。
ただ提供クレジットが被ってわかりにくかったが。 >989
あのころマスコミが淵をどう書いてたかは全く記憶にないが、淵は80年代はテレビに出る機会が
あんまりなかったよなあ?オレがこのころの淵をテレビで見たのは馬場と組んで、ロードウォーリアーズ
と対戦した試合ぐらいかな?
むかし坂口が若手をゴッチにとこにやるのを反対したとき、その理由に「ゴッチのとこにいかせた若手は
試合が地味になりすぎて客が呼べなくなる」ていってたらしいが、それ新日の連中より淵が顕著だったような? 88年の格闘技イベントのリング上で佐山と三沢が対面しているが、ゴッチ、渕、藤原も来ていた。
ゴッチが渕に「お前は誰だ?」
渕「タンパの自宅で練習したじゃないですか? その後、手紙も貰ってます」
ゴッチ「覚えてない」 >>989 >>993
渕の場合上田馬之助やナガサキ辺りと同様アメリカでやってた日系ヒール流の動きが今に至るまで抜けきれてないのがファイトスタイルが地味に写る一番の理由だから
ゴッチの指導云々は関係無いんじゃないの?
>>994
>渕「タンパの自宅で練習したじゃないですか? その後、手紙も貰ってます」
>ゴッチ「覚えてない」
こんな話を聞くと渕がGスピのインタビューで話していたゴッチの方から全日参戦を売り込んできたとかいうネタも眉唾物にしか思えなくなるね 淵はゴッチ直伝のチェーンデスロックをもっと使えば良かったのにな…… キムケンは顔が菅原洋一だった(寛平ちゃんとは当時は言われてなかった)から凄みが伝わらなかったw
藤原のテロはなんかあり得たけどキムケンは頑張ってもあのレベルって感じで。 猪木は影響をを受けた外人選手にゴッチやテーズ・コワルスキーをふつうは挙げるが、正直疑わしい
ゴッチについては新日旗揚げ当時のイザコザで罵倒してたらしいし
猪木が本当に影響を受けて手本にしてた外人選手はもしかしたらバーン・ガニアじゃないかと
ガニアは自身が一流選手でメジャーAWAのオーナーだったが、選手の育成やプロデュースにも才能を発揮した
往年のガニアの試合ぶりの巧妙さはいまみても斬新 60年代にマッドドッグ・バションを宿敵にして大抗争を
展開したが、これが70年代のVSシンとの抗争のモデルになったとか フジナがガチ190あればシンニプロレの歴史は変わっていた チョリキがガチ190あればやはりシンニプロレの歴史は変わっていたぞ このスレッドは1000を超えました。
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life time: 203日 5時間 11分 47秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。