昭和の新日本プロレス2 [無断転載禁止]©2ch.net
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第2回IWGP、長州のリーグ予選順位ははアンドレ、猪木に次ぐ3番手。
藤波をも抑えた好成績ぶりは第4回ワールドリーグの凱旋〜参加以来だったな。 藤波vsオートンのとき、長崎くんちの龍踊りのごとく藤波の入場に帯同した斉藤清六と山口良一。 朝ドラのひよっこでビートルズの日本公演の日にチケット買えなかった人たちが
武道館の前に集まって臨場感を味わっている場面があったんだけど
もしかしたら猪木vsアリ戦や8・29オールスター戦のときも同じようなことした人いたのかな? 金曜深夜山口良一のANN⇒土曜昼野末陳平のプロレス情報 藤波は凱旋帰国してから大躍進したが、ジュニアなのにヘビー級外人にまで勝たせたのはやり過ぎ >>10
武藤対高田の10.9の時は、入口からオーロラビジョン見てたな Gスピリッツのカーン・浜田インタビューで浜田が讒言を否定してたけど、
そもそも浜田はそういう事をする人物として周囲に認識されてたんだよな。
浜田の事だから、「カーンは新日で扱いが悪いアンドレに恥をかかす機会を狙ってる」とか
言ったんじゃないか?
ついでに言うと、同じ号の最初の方にも「佐山が"浜田さんにいじめられました"って言ってたな」と書かれてて、
相反する内容が同時に載ってるのが非常にゴングらしいというか、、、 間違えた。
×カーンは新日で扱いが悪い
○カーンは新日で扱いが悪いから >>12
しかしながら80年の第1回MSGタッグリーグ戦、猪木との師弟コンビで参加かと思いきや
木村健とのジュニアタッグ。どう見てもアンドレ&ハングマン、ハンセン&ホーガン
シン&上田に対抗しうるコンビとはハナから思えない、白星配給に近い扱いだったな。。 小林と猪木、会って対談とかしてほしいなぁ。小林の現状を見るに、ここ2年くらいしかない気がするけど。 >>18
あんまり体調よくないんだよね?
猪木が見舞いに行って思い出話でも、なんてエピソード作れたら
猪木にとってもメリットしかねえと思うんだがな すっかり萎んで変わり果てた小林の姿を見るのもあまり進まないけどね。。w >>17
入りきれなかった客が「10万円(だったかな)払うから入れてくれぇ」と
懇願したなんて話があったね。 ttp://livedoor.blogimg.jp/jabura9136/imgs/8/c/8c55c6b6.jpg
巌流島対決で付いてきてくれた後援会の方達も
小林が食い物にされていると気づいたら
徐々に離れて行ったんだろうな >>22
35年くらい前、会社に出向で来た方が小林さんと同郷&同級生で当時、
「いつまでもこんなことして(プロレス)んだか…(笑)」って言ってました。 >>22
凄い身体だね。Gメン75に出てきた香港の俳優みたい あの人、身体は凄いんだけど顔はギター漫談の堺すすむみたいなんだよな。 http://livedoor.blogimg.jp/jabura9136/imgs/4/6/465cd068.jpg
パワーファイターの悲しさか、体の故障による衰えが早かったのは事実だが
藤波の格上げのためにまだ全盛の頃から負けを強要されたのは可哀想だった >>22
小林の左隣にいる小柄なオジサン、女子プロの
悪役レフリー、阿部四郎だ、って本当? 猪木とブロディ戦の高橋が猪木のニードロップを喰らってダウンは仕込みだよね
まあピーターは体張っているな >>29
全日でもブロディの試合はレフリー失神率が最も高かったから
ブロディの要求だったんだろう コバヤもコクサプロレ時代はアンイと同じ立場のエースだった。
でもシンニプロレではサカグ以下の中堅の存在に。
コクサプロレ崩壊後にラシャキと本格的に合流してればなあ。
更にまだまだ若かったゴリュウも一緒に。
そうなればコクサ軍団も五人で勢力的にも拡大できた。
三人では人数的にも弱小すぎて軍団抗争ともならず。
コバヤとゴリュウが加われば全然違った。
コバヤの腰痛悪化での長期欠場が痛かったなあ。 1975年、この年のフロリダには吉田光男、ミスター林、伊藤正男などの
日本人レスラーの顏が見える。
前年プロデビューの「MITSUO YOSHIDA」。
最初の頃はマツダと組み、前座のシングルでもそれなりに勝つなど
様子を見られていたのちの長州力・・・
へぼすぎたのであろう。2月の頭くらいで完全に見限られる。
そして3月14日にはマツダ対吉田の柔道ジャケットマッチ。
マツダのお守りにも関わらず、吉田がこの地で台頭することはなかった。
そして6月10日、吉田は大先輩とはいえミスター・林に敗けてしまうという事態に・・・ >>31 こいつの書き方はサノバビだな
ボウシッともいえるがマザファといってもいい 昭和も50年代、70年代後半になってくると小林みたいなゴツい怪力ファイターより
動けるそれも若い世代が人気実力両面で台頭して来るし、そりゃ外様の小林は立場も
弱くなっていくだろうな。。 >>31
コバヤとかアンイって何だよ?
鉄火面か?
きちんと判るように書かんかい!
アァン?? https://youtu.be/7we1VRCz7Ec
長州と後の馳の嫁が共演してる。
これ見ると長州は昔からバラエティに対応できる素養はあったんだなと思う。
浜さん、時事について語る。真面目だな〜。 黄金期の新日本を語る22日(土)渋谷トークイベントに馳浩・田中ケロ・上井文彦が登場
http://boku-pro.com/news/view/13930 若手時代の武藤、橋本、蝶野の所謂闘魂三銃士を若手時代の
馬場、猪木、大木の日プロ若手三羽鳥に例えると、武藤は馬場で決まりなんだろうけど
(他の2人より一足早く海外武者修行に出発した、凱旋試合はメイン級扱い、更に
映画にも出演した)
残る橋本と蝶野はどちらが猪木でどちらが大木に相当したんだろ。 >>11
キムケンが良くゲストに呼ばれてたな
巡業中にあんな深夜、寝て無くて良いのかよと思った >>46
闘魂スペシャルに藤波が初めて出たとき、「要するに」を連発してた記憶が。 月金の帯番組で10分足らずのラジオ、『闘魂ザ・ワールド』ってあったな。ケロが進行役で猪木も出てた記憶がある。内容がつまらなくてすぐ聞かなくなったけどw https://pbs.twimg.com/media/C181tK8UAAAvWHw.jpg
全盛期ていうか、昭和の頃は二人の身長にはかなり差があった
平成に入ってからはかなり狭まった感 アンドレがすっごい縮んだ
猪木も今は180くらい? >>50
これはアンドレがブーツを履いてて馬場の方はスニーカーだから些かアンフェアではあるあるんだけど
それを差し引いても嗚呼やっぱりアンドレと馬場は15cmぐらい身長差があるんだなと思わせる雰囲気を醸し出しているんだよねアンドレの佇まいが 武藤と船木の売り出し方は
馬場と猪木のそれに似てなくもない 猪木って藤波とちがってそれなりに期待されたよね
身長も高いし若い
当時から日本人離れしたホープとしてはみられてたろ
力道山のスカウトだから ジュニア時代のキムケンの動画がいくつかアップされてて
コメントでキムケンが強い!?なぜ?みたいな感じになってるけど
ヘビー以降のヤラレ役に回ったキムケンしか知らないのかなあ
パイルドライバー連発してぶっ壊し屋扱いされた時代も今は昔か >>58
シューズに凶器入れてレッグラリアットしたのが30年前だぞ
ファンも何世代代謝してると思ってんだ というかそこしか知らないファンが増えたんだな
芸人やネットの流言で知ったかが増えた 若手選手の登竜門として創設されたカールゴッチ杯争奪戦でも
健吾兄さんの悲惨さが目についたな >>60
すぐこういう言い草するから
中身ガキのまま無駄に歳だけ食った老害は嫌われんだよ 1974年(昭和49年)3月2日 愛知県蒲郡市民体育館
アントニオ猪木 (弓矢固め 8分20秒) レス・ソントン
地方のノーテレビマッチとはいえ、エース猪木とシングルマッチが組まれるとは
流石NWA世界チャンピオン >>64
読めるよ、昭和の新日本プロレスだろ?
それと>>60が他人をすぐニワカ呼ばわりで攻撃したがるような狭量老害オタクだって事とは別の話じゃないか?
あんまりスレチ続けたくないんでもう一切レス付けなくていいからな 今日は初代タイガー並びにキッドの新日本ラストマッチの日
共に相手は寺西だったか どうもすいません
このシリーズは結局キッドの防衛戦は一度だけでしたね http://geta88kitty.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2016/05/16/01.jpg
当時のプロレスマスコミは新日本を妙に神格化し、WWFを過剰に貶めようとする意図がアリアリだった
カウボーイはそんな矮小なマスコミのおバカな妄想に付き合う気はさらさらなかった >>69
かっこいいなw 海賊男やった後位の頃かな しかしまあ、昭和の親日って旗揚げ昭和47から昭和63(ギリで昭和64年正月)、
約17年の月日で随分と移り変わりがあるよね。ミレニアムの00年から現在の比じゃないつうか。
ノーテレビ、無名外人から始まって、日本人対決、格闘技戦、WWF提携、藤波凱旋、佐山タイガー
親日ブーム、国際軍団、長州革命、大量離脱、ニューリーダー、UWF,、飛龍革命。。。
どれを切り取っても、1スレは言いすぎだがw、アレコレ議論に値するエポックな出来事を辿ってきた。
これは昭和全日には無かった事象。猪木の人物像がそのまま団体に反映してるよ。。 マット界屈指の常識人の蝶野が「優等生」1で「型破り」4なのが意外 >>75
リストから外されてるジョージ高野、ヒロ斉藤、後藤達らが可哀想 >>75-76
型破り酒飲み女好き世渡り上手といった項目が必要なのかどうかはちょっと疑問だけど
それを差し引いても猪木が倍賞美津子との会話で付き人としての仕事ぶりを絶賛したという藤波の点数が低いのは意外だな
飯塚と西村は寮長経験者(平田新倉小杉等)は日常生活での気配りや心使い礼儀正しさといった部分では評価されてもレスラーとしては出世しないジンクスに嵌まったか 比較的近年のことですが、シンは新日本に登場するまでベビーフェイスのみで、
ヒールの経験はなかった、などと書かれるようになりました。
ヒール経験のないレスラーがいきなりあれをやったとしたら驚異です。
実際はそんなことはなく、トロントでフレッド・アトキンス軍団として
ヒールデビューした後にベビーに転向しており、
1971年からのオーストラリア遠征では絶対エースのマーク・ルーインらを相手に
狂乱ヒールを演じています。
当時のものと思われる映像が一部ネット上でも見れますが、
新日本でのスタイルとほとんど一緒です。
シンはオーストラリアでの異郷に殴りこむ凶悪ヒールとしての経験を、
日本マットで生かしたのですね。 >>75の採点者だった倍賞鉄男が亡くなったというのにこのスレには書き込みが無いのか
90年代終盤以降は功罪の罪の部分ばかりが目立つ人ではあったけど昭和末期の84年〜平成初頭の92年頃にかけて特に黎明期のドーム興行での貢献度は高かったんだけどね >>82ようつべでシンの豪州時代の映像あるね。
ブッチャーと組んでたときの。
マリオミラノとのシングルもある。
ミラノをコブラクローで落として。
この頃からコブラクローを使っていたのだ。
シン、プロフェッサータナカ×ルーイン、イヤウケアの金網マッチも。
白黒動画だけど本当に貴重だ。
シンの来日前の1971年頃のはず。 >>84
タジェシって言えよ、ちゃんとやれ、 バカ 日本でのルーインとの絡みは全日本での一シリーズだけだったか >>83
H5年頃に猪木が元秘書に告発された時にワイドショーに出てコメントしてたけど、
如何にも「プロレス村の住人」てな雰囲気出してたね。元々はプロレスには関心が
なかったようだけど。 リングアナとしても熱意の感じられないボソボソ調だったし 高額だったし試合時間もアメリカに合わせて早かったし マリオミラノってイタリアの狼ってキャッチコピーだったような記憶
全日のシンがエースのシリーズにも来て石川のギロチンでガチ失神したよね 故倍賞氏にとってのベストバウトは、旗揚げ戦の猪木vsカール・ゴッチだそうです。
その日、倍賞氏は猪木からプロレスの本質をレクチャーされました。
猪木「試合前、試合中、試合後いつでも俺は対戦者以外の敵と闘っているんだ
それは観客だよ、これは怖い敵だ
俺の一挙手一投足のどんな小さなことも見逃さすまいと迫ってくる
一点からの視線と違い、四方から俺は監視されているんだ
それによって、お客さんは感動もし、また落胆もする
この敵に勝った時、試合は90%以上いい試合になるよ。」 全盛期の猪木はその敵との戦いに勝ち続けてたんだろうけどねぇ。
後年はねぇ・・・ http://blog-imgs-95.fc2.com/m/u/r/murasakilg/006_R_20160706224746b9a.jpg
IWGPとは「世界中のチャンピオンを参加させ、世界規模のツアーを行い、真の世界一を決定する」
という壮大なテーマを掲げた催しだった。優勝は当然猪木だろうなと思ってました。
それが場外失神KO負けというファンへのとんでもない裏切り IWGP構想が発表された時はワクワクしたよね。
IWGPこそが最上位概念だとばかりに猪木は虎の子のNWFを封印した。
蓋を開けてみたら超スケールダウンしてて、それまでやってたMSGシリーズに毛が生えた程度になっていてズッコケた。 MSGシリーズよりスケールダウンだった。
日本人出場者が猪木、カーン、ラッシャー木村、ヨーロッパ代表で1年前まで前座の若手の前田。
藤波、長州、坂口、戸口は不参加で無理やりメキシコ代表エンリケ・ベラとかw 当時の新日の状況だったら参加させなきゃいけない、マードック・アドニス・ブッチャーは次のシリーズ用に温存。
おまけにタイガー欠場なんだから、必ず参加させてたジュニア要員も不要。
新日にしたら利益出しまくりの超お得シリーズだったんじゃないか? >>97
タイガー欠場したっけ?
猪木が舌出しKOの時、タイガーいたよ。
試合前に猪木がタイガーに驚くなよと言ってる。 新日にブッチャーが来ると聞いた時は、IWGP関係なく
アンドレとの異次元対決を期待していたもんだったな
体格的にまともな試合にならないとは分かっていても楽しみだったのに
新日は試合を組もうとはしなかった IWGP開催で各タイトルを返上したからシングルマッチのテーマが出しづらくなった。
クラスに分けてタイトル戦をやる方が分かりやすい。
世界王者=トップの猪木、木村、坂口、戸口、マサ、アンドレ、ホーガン、ブッチャーら
インターナショナル王者=藤波、長州、カーン、マードック、アドニス、スーパースターら
日本王者=メインの下=健吾、浜口、谷津、前田、藤原ら
世界タッグ=長州&マサか浜口、猪木&ホーガン、アンドレ&マードック、坂口&戸口ら
Jr.=タイガー、小林、寺西、キッド、ブラックタイガーら >>100
アンドレは「俺こそ!ザ・ワールド」て本の中で「ブッチャーが俺にコテンパンにやられて
奴の商品価値がガタ落ちするのを新日は恐れてるんだろう」なんて書いてたね。
この本の中では猪木よりも坂口を随分高く評価してた記憶もある。
俺はアンドレ戦も見たかったけど、ブッチャーとボックの試合も見たかったなぁ。
ボックが初来日を果たしたシリーズにブッチャーも参加してて、バッティングは
してるんだよね。対戦が無理ならブッチャー・ボック組の究極の異次元タッグとか。
でもこれも無理かw >>98-99
タイガーは首の怪我で欠場してたからね
仮に体調が良かったら地方のプロモーター達が出場させろと黙っていなかっただろうし
>>101
IWGP開催で各タイトルを返上したからシングルマッチのテーマが出しづらくなった。
逆に考えれば新国際軍や革命→維新軍は下手にタイトルが絡まなかったおかげで試合スタイルの自由度が広がったとも云えるけどね >>103
タイトル戦から軍団抗争へとシフトした。
ただ、軍団抗争になると序列になるから割りを食う選手が出る。
前田は新日離脱前はジョージに全敗で健吾と同格程度だったがUの大将になると猪木が相手になった。
健吾は前田、藤原、時には木戸のジョブになって割りを食い、ジョージ>前田が、前田>>>>>>>ジョージになった。 昭和57年の第5回MSGシリーズ、リーグ戦得点上位2名で優勝決定戦を行うのだが
リーグ戦第2位の猪木がマードック&ローデスのテキサス・アウトローズとの試合で足を負傷
猪木に代わってリーグ戦第3位のカーンが繰り上がりで因縁のアンドレと優勝を争った。
…という結果を当時は信じていたのだが、実は猪木の足の負傷は真っ赤なウソ
実際は糖尿病が酷過ぎて試合の出来る状況ではなかった
それを馬鹿正直に発表は出来ないので、アウトローズの悪辣な攻撃で無念の欠場(笑)
昭和新日本は猪木のプライドを保つためにいろんな演出が成されていたんだなぁと >>102 あの本、ゴーストライターが書いたんだろw
>>105 にしても、アウトローズのニードロップはヤバくて説得力あったよ そういえば猪木が右足だか左足だかが悪かったけど痛めてるのと違う方の足が悪いって発表した事あったよね
そして痛めてる方を攻撃されることはなかったけど痛めてない方を攻撃されて結果的に両方痛めたって話があった記憶 >>105
MSGシリーズ決勝を欠場したのは直後に控えていたドバイ遠征に備える為でもあったんだけどね
このドバイ遠征は果たして世界サーキットが可能なのか試してみる云わばプレIWGP的な意図を持って敢行したんだけど
現地のホテルの設備が最悪レベルで特にマードックスーパースター等外人勢からの苦情が頻発していて
試合会場も招待客かチートな手段で会場に潜り込んできたタダ見族ばかりで有料入場者が殆どいない状態だったとか
一番マズかったのがビザの発給条件がやたらと厳しくて
スペシャル番組を企画していたテレ朝のクルーがカメラを持ち込めず製作がポシャッてしまい帰国後の猪木と坂口はテレ朝の重役達から大目玉を喰らっていたらしい
更に東スポを始めとする専門紙誌が特派員を派遣出来なかったのもあって今もこのドバイでの記録や写真は本当に少ない
(確か当時東スポや月プロの仕事をしていたフリーライターと後に「英雄伝説アントニオ猪木」を出版した写真家の北井一夫だけが個人的なルートでビザの入手に成功して現地での取材と撮影を行っていた
なのでドバイ遠征の特集や回顧記事を作る際は北井氏から一々写真を購入する必要があったという御粗末な事に) 海外ではブッチャーとアンドレはシングルやってんだよな
序盤アンドレが優勢で、ブッチャーの凶器攻撃からこんどはブッチャー優勢に
アンドレは地獄突きをくらうときちんとダウンしてセルしてたな
まあブッチャーの反則負けだけど
新日本でもあの感じでやれば両方とも商品価値は落ちなかったと思うけど >>111
プエルトリコマットはリングを登るハシゴも用意できないのか
一流レスラーが定期的に来日する割にビンボ臭いんだよな カリビアンプロレスか何かのビデオに収録されてたけど、こうして改めて見ると
中々いい試合だね。アンドレの回し蹴り?てこの試合以外に見た記憶がないw
二人のタイツの赤が映えてるね。 82年の度重なる欠場、83年の舌だし・・。
親日ブームと騒がれた80年代前半に猪木がまるで結果残せていないのな。
今の今までの歴史で猪木って常に先陣に立ちたがってたのに、この時期だけは長州革命、佐山、国際軍団といった
群雄割拠の様相がそのまま空前絶後のブームとして語られるんだから皮肉と言うのか。。 社長なんだから新日本ブームはじゅうぶんな成果…なはずだったんだがな。ハイセルさえなければ… 伝説の格闘家、ドン・中矢・ニールセンが亡くなった。
前田戦は猪木対レオン・スピンクスを遥かに凌駕する名勝負になった 本業じゃ弱かったけどなwww
弱い奴と互角に戦ってた前田のしょぼさがバレてしまった。 プロレスは虚実入り混じる世界という言われ方をするが、
そこにある“設定”をプロレスラーが明かしてしまうことはご法度だ。
“設定”にリアリティを感じるくらいのものがあって商売になる。
アントニオ猪木と対戦する側だったラッシャー木村は自宅への悪戯・嫌がらせを受け、愛犬がストレスで円形脱毛症になった。
初代タイガーマスクが活躍したころ、適役だった小林邦昭にはカミソリ入りの手紙が届いた(小林は親指を切った)。
あってはいけないことばかりだがそれだけの世界観をつくり出すプロレスは奥深い。 >>118
>本業じゃ弱かったけどなwww
ニールセンはアメリカのキック界が興行テレビ中継共に一番下火だった時期がキックボクサーとしての最盛期で
またモーリス・スミスと違ってローキックやヒジヒザに否定的なアメリカンキック流の試合スタイルを最後まで変えようとしなかったからね 全米プロカラテって起源はテコンドーだもんな。
ローが出来ないのは当たり前。 大人になったら、アントンリブにタバスコをかけて食いたいと思いながら、ひまわりナッツを
食っていた。マテ茶が普通に飲める時代、アントンは先見の明がった。 バイオマスを使ったエコロジーシステムとかな
ただ時代が早すぎたのと事業の規模に無理がありすぎだわ >>123
ひまわりナッツは会場で売ってたが
当時の市販のピーナッツやアーモンドに比べてやけに塩辛いのが(まあ買ってくれたオトンは酒のつまみにピッタリだと言ってたけど)印象に残っている
>>124
新間は「ブラジルの気候では発酵作用を促進させる菌が育たなかった」と話していたけど
正確には日本でもブラジルでも小さな町工場規模の施設だと成功するのに
大きな工場では菌が上手く発育しない問題を解決出来なかった事が失敗の原因みたいだね >>125
相手は生き物だもんな
大規模な槽ではうまくいかないのに
小さな槽だとうまくいったってのは発酵学ではあるあるらしいけど 猪木の事業欲ってやっぱり師匠の力道山を間近で見てきた事もあるんかな。 猪木はプロレスラーとしての刺激的なことは
30前半くらいでやりつくしてるとこがあるから 全盛期のアントンには、どこかブラジルがあったんだろうね。 >>129
オールスター戦のセミでのR木村vsS小林は最後、場外での引っ張り合いになったが
小林が木村の黒のロングタイツを引っ張ったら中から赤が出てきて失笑w
ジョージ高野vs前田戦ではリングサイドの女性客がキャアキャア言い、
前田「あぁ、俺も結構人気出てきてたな」と思ったら、
レフェリー小鉄がギブアップか? と聞くふりをして「1個出てる」
前田のタイツの横から弾が1個出てて、小鉄が前田をコーナーに連れて行き「しまえ」 さすがに生中継で金玉見えたら番組打ち切りかな?マードックの尻ペロンはセーフなんだなw たけしや鶴瓶みたいに
わざとじゃなければハプニングで済むだろ アンジャもこの頃は衰えが顕著でだらしなさも際立っていたな。
マエアキとの絡みはアンジャが気の毒に見えた。
ウマノスやワカマの方がまだマシ。 猪木はタイツの裾がめくれ上がって尻が半分ぐらい見えてた事がよくあったね。
ピッタリのタイツだからああなるんで、別に女性ファンの目を意識したわけでも
ないんだろうけど。 デストロイヤーは馬場の巨体を見事にコブラに決めつたなあ ttps://pbs.twimg.com/media/Bek346WCcAAjg51.jpg
前田って若手の頃からトンパチだったんだなぁ >>139
この4コマの作者花くまゆうさく?
しかし「酔って暴れる為」ってこの頃の前田は18〜19ぐらいでまだ未成年じゃないのか?
>>138 >>140
アマレス出身で組み技寝技の術に長けた選手なら自分より体格で上回る相手でもコブラを掛けられるという訳だな 馬場とデストが猪木に恥をかかせようと
猪木のコブラを拒絶し続けただけかもしれんが >>143
そういえば、この選手はIWGPシリーズの地上波では登場してなかった気がする。見た記憶がないな。 あと、90年頃にレジェンドマッチとしてワンツ・ニック対藤波・カネックというのをやって欲しかった。 >>143
第1回IWGP出場者で鬼籍に入ったのはこれで4人か。
>>144
第1回は序盤に組まれた猪木戦が終わったらすぐ帰ったからな。
フル参戦した翌年の第2回もテレビには出なかったが。 オットー・ワンツの主催するドイツのCWAはアメリカの一流レスラーを招聘して活気があったらしいが
ユニークなのはベイダーになる前のブル・パワーと抗争している事
ベイダーは巨漢なので新日でチャンピオンになってもベルトが巻けないが
CWAのベルトは巨漢のワンツにサイズに合わせて作ってあるため
ベイダーにも巻けるという笑えるオチ +++++++++++++++++++++++
危険な自民党の言論弾圧.
売国安倍は憲法改正で国民主権と基本的人権
を奪うつもりだ。 ← 民主主義の崩壊
http://www.data-max.co.jp/280113_ymh_02/
↑ マスコミは 9条しか報道しないが 自民案
の真の恐怖は21条など言論の自由を奪うこと
自民案が通ると 政府批判しただけで逮捕されるぞ!
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/ec37220f64a8e1d6ed732dd0ab95cbf0
↑超危険な緊急事態条項で人権無視の内閣独裁に!
https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8
上のビデオで 自民党は 国民に基本的人権
は必要ないと怖いことを平気で言う。
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/31687
↑ 都民ファーストも安倍と同じく 憲法改正で 人権
無視の大日本帝国憲法に戻すつもりだから
絶対に投票してはだめだ。 民主主義が崩壊する
http://www.mdsweb.jp/doc/1488/1488_03f.html
↑”9条自衛隊明記”は 9条無効化だった!
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/8899f65988fe0f35496934dc972e2489
↑ ネトウヨ= 安倍サポーター工作員はネットで国民を騙す。
https://dot.asahi.com/aera/2016071100108.html?page=3
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/c0dd73d58121b6446cf4165c96ebb674
↑ 安倍自民を操るカルト右翼「日本会議」は国民主権否定。
国民投票や選挙では自民党、維新、小池新党に絶対に入れるな。
+++++++++++++++++++++ ワンツは58年のMSGタッグ開幕戦のエキシビジョンマッチでテレビに出てなかったっけ? >>151
新日初参戦のときかな、初来日はウサギで再来日ではブルドッグ。
日本に永住して力士を目指そうと本気で考えた事があったらしいが本当の話?
流の眉唾ネタっぽいんだが。 ブルドッグ・オットー時代の全試合(1976年新春黄金シリーズ)
○フォール ☆ギブ
●フォール、★ギブ ■反則
シングル25試合
○永源、○柴田、■ゴメス、★S小林、★猪木、★S小林、○永源、○柴田
○柴田、★小鉄、★坂口、★猪木、★S小林、●小鉄、○永源、★星野
★猪木、○柴田、○小沢、○永源、●小鉄、○永源、★星野、○柴田、★S小林
タッグマッチ3試合
坂口 S小林(2-0)B・オットー S・ライト 1本目小林にギブ負け
猪木 星野(2-0)B・オットー S・ライト 勝ち負けなし
猪木 山本(2-1)B・オットー S・ライト 2本目小鉄にフォール負け 倒れた相手にごろんと転がる技w スチームローラーだっけ?w ハンセン、アンドレの田コロから今日で干支3回りしたか。
36年なんてあっという間だね。 今から30年ほど前の話です。
当時、新日本プロレスでは正月三ヶ日後楽園ホールというのが定番興行となっていて、大学生だった私は毎年東京に密航していました。
そしてある年のセミファイナルが、坂口征二対ブラックジャック・マリガンだったのです。
この試合はなかなか迫力のある好勝負だったと記憶しているんですが、結果は両者リングアウトか坂口の反則勝ちだったと思います。
当時の新日本にありがちな不透明決着に、超満員の後楽園ホールの空気は微妙なものになりました。
観客席の不満な空気を察したのかマリガンはマイクを握り、リングを降りて退場しようとする坂口に英語で罵声を浴びせました。
おそらく「リングに上がって来い!決着がつくまでやろうぜ、サカグチ!」的なことを叫んだでしょうが、
マリガンの言葉がわからないファンはますますストレスが溜まる一方。
ここで坂口がリングに駆け上がり、マリガンに殴りかかればそれなりに盛り上がったはずなのに、
そういう空気がまったく読めない坂口は振り返ることもなく、ノソっと帰って行きました。 すると、その姿を見たマリガンは再びマイクを握り、こう叫んだのです。
「Hey,Sakaguchi!Do you understand?」
このはっきり意味がわかるセリフに、場内はどっと湧きました!
そして、あちこちから「坂口、アンダースタンド!」「誰か坂口に英語訳してやってくれ」
的な野次が飛び交い、会場に活気が戻ったものでした。
突然の盛り上がりにとまどうマリガンは、腑に落ちない表情でリングを去って行ったのでした。
しかし、あの時、マリガンの挑発に乗って坂口がリングに駆け上がっていれば、
坂口・マリガンのライバル関係が生まれていたのになぁ。
やっぱり坂口は、坂口やなぁ。 密航って何だよ。
恥ずかしいおっさんだな。
ター山信者は死ね。 坂口は北米ヘビー級王座を返上した時点で終わってたな 猪木「コブラツイストはアブドミナル・ストレッチと言うんだけど、あの技は元々俺が得意にしていてね。
『他の選手はその技は使わない』という一つの暗黙の了解があったんだけど、馬場さんが使い始めて。
やっぱり大きいから、『馬場が使う方が凄いんだ』とかいう記事を目にしたことがあったのかな」 馬場のコブラツイストっていかにも効かなそう。いくらプロレス技と言っても、説得力がないと駄目だな >>162
コブラをフィニッシュにしたシンとのPWF戦のあと、取材に来てたゴングの小佐野にかけたら、小佐野が苦笑いしてて、
「馬鹿野郎、笑う奴がいるか!」と怒ってたとか(笑)
そら素人相手に本気でかけるわけはないが、小佐野も空気読めと。 >>160
当時の東スポの記事を読むと
馬場にコブラツイストを使うように勧めたのは猪木本人
馬場が初めてコブラを使った、次の大会で猪木が卍を初披露 猪木のコブラが一番芸術的。次点は鶴田の拷問コブラ。
馬場のコブラってあばらの部分より腕のほうが痛そうだったw 藤波辰巳全試合記録データベースってサイトがあったんだけど久々に
見ようと思ったら見れないんだけどこういうサイトあったの知ってた? 国際との1対3で寺西をコブラで仕留めてたな
腕をがっちりロックする完全型で、寺西マジで泣き顔だった >>168
ドラゴン探検隊で検索してもそれらしいのは出てきませんが・・・
それは藤波の対戦記録は載ってますか? >>168
169です。ごめんなさい私の検索が仕方が悪かったです。はい、ドラゴン探検隊です。
でも「藤波全試合記録データベース」をクリックしても何も出てきませんが、もうこれは
見る事が出来ませんかね?何か方法はありませんか? 力道山、天龍源一郎には相撲があった。ジャイアント馬場には野球があった。
猪木には政治があった。ジャンボ鶴田、長州力にはアマレスがあった。
しかし、中学を卒業してからプロレス一本で63歳まで走ってきたトップレスラーは藤波辰爾の他にはいない。
純度100パーセントのプロレスラー。それが藤波辰爾の真実だった。 >>171
猪木の政治ってのはナンセンスだな
他の連中は皆バックボーン繋がりなのに… 猪木は砲丸投げだろうな。ブラジルで大会に出て優勝(本当かな?)して力道山の目に止まったんだよな 怒りのナックルパートって、砲丸投げのフォームにそっくりだな。 >>173
力道山、天龍の相撲、馬場の野球、鶴田、長州のアマレスと比べると弱いな。
藤波だって中学時代は陸上をやってたっていうから、猪木と同じようなものだろ。 https://cde.peru.com/ima/0/1/0/9/2/1092167/924x530/the-rock.jpg
ロッキー・ジョンソンは黒い猪木≠ニ呼ばれた。
ファイトスタイルが猪木と似ているというわけではなく
日プロのタッグリーグに出場した時、2メートル5センチのアーニー・ラッドと組んでいたため
ラッドが馬場、ジョンソンが猪木に例えられただけである。
ちなみに新日にも呼ばれているが、パートナーのハンセンのラリアートを誤爆して負傷
途中帰国している。 >>173
ブラジルの陸上選手権?で優勝したとかいう話は日本で云うインターハイみたいな18歳以下向けの大会だったらしいね https://www.youtube.com/watch?v=adI3oV8FVWw
この動画見てたら、佐野直喜(現佐野巧真)が
畑浩和のダブルリストや魔神風車固めとフィッシャーマンのミックスみたいな
変形のフィッシャーマンで野上をフォールしてるけど
なんて技なのこれ?こんな技使ってるの初めて見た >>165
確かにコブラに関しては猪木が一番だったな。
身体に絡みつく説得力とフォームの美しさがあった。
あと、天龍が一時期、変型コブラみたいな不思議な技を使ってた記憶がある。
確か、83〜84年頃だったかな? 猪木ナックルパートは砲丸投げ
馬場チョップはピッチャー投球
鶴田ジャンピングニーパットはバスケットボールのシュート
スポーツをプロレスに生かしてる
>>165
シンをコブラでギブアップさせた試合後
俺のコブラは腕を極めると言ってたよ >>179
「ハーフリスト・スープレックス(片翼風車固め)」と
当時の週刊ゴングには記されている。 親日のコブラの名場面つうと、藤波チャボの寝屋川。血量の多いw藤波の額から
掛けられてるチャボの太ももにボタボタ落ちまくる流血が凄かった記憶。
>>181
馬場はピッチングフォーム再利用は16文の脚上げじゃないの? >>180
風車固めって名前で当時の東スポでは紹介されてた
風車固めっていうと一般的にはダブルアームからそのままフォールした形だけど同名の別技
写真付きで紹介してる天龍ファンサイトがあったんだけど、消滅してる
>>182
名前がついてたんだねありがとう
検索してもあまり出てこないってことは
あまり使われずにマイナーなまま終わった技だったんだろうか 前田が凱旋帰国試合で人間風車固めでフォール勝ちしてるけど
あの技でピン勝ちが認められたのはあれ一回だけだったという
片方の肩がマットについてないのにフォール成立というのは
さすがに無理があると判断されたのかな >>184
なるほど。そのサイト見てみたかったなあ。
なんせ記憶が曖昧でよく覚えてないんだけど、
テッド・デビアスに決めてる写真を当時の雑誌で見たような。 >>185
赤パンの頃の武藤はうつ伏せの相手にフルネルソン→そのまま前方ブリッジして
羽折り固めみたいな感じで使ってたね 小林邦昭が最初にフィッシャーマンズスープレックス出した時
レフリー柴田がカウント取りに行くの遅れたのは
メキシカンストレッチ技と勘違いしたのかね >>184
大木金太郎が使ってたX固めにのような技を風車固めと表記してたのを
週プロか週ゴンのどっちかで見た記憶がある。 ttps://pbs.twimg.com/media/C7uafH3VQAAyfMx.jpg
藤波対健吾のワンマッチ興行のレフェリーは確か上田だったような >>185
平成になってからだと野上がドイツイギリスでの武者修行から帰国して最初のシングルで風車固めを用いてライガーからピンを取ってる
その時野上が言ってたけど(当時の)欧州の試合ではよくフィニッシュに使われていたそうだよ >>185
藤波の凱旋帰国シリーズで小鉄が藤波の風車固めで破れてる >>194
いや藤波が小鉄に勝った風車固めはギブアップさせる技だから>>185が触れているフォールを狙う形の風車固めとは厳密に言うと分けて考えるべきだろうね 是非が問われてる野球CSたけなわだがw、親日リーグ戦も予選で独壇場トップが、優勝決定戦で予選次位に負けるっての
たまにあったな。ワールドリーグのモラレスと坂口とか。 昭和62年1月3日の後楽園
セミ前 武藤vsバーバリアン
セミ 猪木坂口vsソイヤー兄弟
メイン 藤波vs木村
だったけど、メインの藤波vs木村は前日2日に同じカードが行われ
不透明決着(凶器使用で木村の反則負け)だったので
急遽、3日のメインで再戦が組まカードが変更になった。
事前に発表されたカード覚えてる人いる?
試合当日会場でカード発表の前に田中リングアナが
カードを変更しますというアナウンスがあったらしいから
もしかしたら当日のパンフには事前発表されたカードのスタンプが
押されてる可能性があるんだよね。 地方巡業のパンフレットの本日の対戦カードのスタンプ…本当に味わいがあるよなぁ 今日のアメトークは現在のレスラー中心にプレゼンしていたが
スタン・ハンセンだけは昭和だった 83タッグリーグで猪木&ホーガンが出た時はさすがに興ざめした。
圧倒的な強さで優勝するの目に見えてるし。
84年は猪木・藤波と坂口・木村でこれまた興ざめ。
坂口木村なんて商品価値のないタッグなんか見たくなかったわ。
新日人気が右肩下がりだったのは猪木藤波というマンネリコンビだけに頼っていたこともあるはず。 では当時の状況の中で何を行えば
実際よりも業績が上げることができたのか?
具体的にお答えください 81年MSGタッグは当初発表されたチームけら大幅に変更されたな。
猪木・坂口
藤波・谷津
S小林・長州
ハンセン・ホーガン
ローデス・Pパターソン
↓
猪木・藤波
坂口・木村健吾
長州・谷津
ハンセン・マードック
BNアレン・Pパターソン >>207
そんなの猪木・鶴田組に決まってるだろ。
これで満員札止めの連続だよ。 >>207
84年に関していえばラッシャーと剛を呼び戻したかったね
猪木ラッシャー、坂口戸口、藤波木村、剛高野で行きたい。
全日が鶴天で売りはじめていたのだから新日も次世代コンビを表にだしたかった。 ジャパン旗揚げがなくても
維新軍はアメリカ遠征中だったから
84年のタッグリーグにはもともと出ない予定だったから
大量離脱があってもなくても
あのシリーズは大した違いはなかったかもしれないな >>207
維新軍団重視の興行でマンネリした新日を以前のスタイルに戻せば済む話。 >>211
81タッグリーグは二転三転したね。しかし小林・長州組って想像つかないな・・・ 84年のキッド・スミス組の全日本への電撃移籍は本当にこたえたなぁ……。ショックでプロレス週刊誌買わなくなった。嫌な記事ばかり金払って読みたくないからな レスラーのブッキング料をケチったらミスター・ヒトが怒ってマスコミにある事無い事ぶちまけたんだっけ
あるいは最近亡くなった大剛に乗り換えようとしたのがバレたとか >>217
バレるも何もブッカーを大剛に変更したのにヒトが激怒したのが発端だよ
尤も安達(ヒト)は信用出来ない仙台(大剛)の方が頼りになると讒言したのはあの頃新日の顧問に就任した吉原功なんだけどね
第一ヒトにしたって偉そうに大口を叩いておいていざ日本に連れてくるのがキム・クロケイドにトム・マギーなんだから
信用出来ないとのレッテルを貼られるのもある意味当然じゃないかってのもあったしな >>213
遠征するのは長州と谷津だけで浜口 小林 寺西は残留でしょ? >>211
パターソンは途中で帰国しているけど最後までスケジュールを押さえれなかったとか。ローデスとの
タッグもうーんといったところか。 パターソン・アレン組と両リンしたせいでハンセン・マードック組は猪木組と同点に
最初は(パターソンのパートナー予定だった)ローデスvsマードックの因縁を作るつもりだったのでは >>216
せめて開幕戦のマードック&アドニス×キッド&スミスは見たかった。 追っかけとレスラーが結婚した話で傑作だったのは、ミスター・ポーゴの逸話です。
ポーゴの嫁さんは、追っかけと言っても全日本プロレスの追っかけだったのです。
その女性は六本木のクラブで働き、稼いだお金の大半をプロレスに費やしていたそうです。
まぁ、そこまでは健全な追っかけです。悪いことにその女性は全日本のほとんどの選手と遊んでいたそうです。
三沢ら日本人もほとんど、その上に来日外国人も網羅していたとのことです。
ミスター・ヒトさんは、「まぁ、みんなの共同××って言われていたね」と懐かしそうに振り返っていました。
ポーゴは嫁さんがそんな女性だったことは知らなかったのでしょうか? >>222
強引な両リンだねw
ハンセン・ブロディも若手時代の龍原に反則負けしている 新日のリーグ戦の勝ち点は勝ち方に微妙に差を付けたりする事で勝ち点調整するから
たまになんでこの相手にリングアウト決着とかあるんだよね。全日の方がシンプルに分かり
やすな。 >>226
新日はフォール、ギブアップ、KO勝ちが5点
反則、リングアウト勝ちが4点
これはいいと思う。
時間切れ引き分け3点、両リン2点とか差を付けると
1点差で優勝が変わるため得点表を見るのが楽しい。 >>224
ヒトの名前が出てきた時点で、うそとしか思えない。 >>221
炎の飛龍と革命戦士が叩いてかぶってジャンケンポンだもんなあ
いや、参ったねこりゃ・・・ >>226
最強タッグ(チャンピオンCもそうだったかは忘れたが)は結局、最終日の2つのカードのどちらが優勝だからつまんなかった。新日本は春のシングル冬のタッグともに上位2チームで優勝決定戦。納得してた >>231
新日は猪木が必ずでるのわかってるからカードを発表する必要が薄い
全日はカード不明では武道館や国技館はうまらない >>231
チャンカーも80年までは優勝戦があった。 オースティンもオーエンに同じ技やられて首やったんだっけ? そうそう
オーエンもリング禍(とは言わないか、正確には)で亡くなるし、関連性無いはずなんだけど何か怖くなるんだよな ttp://geta88kitty.cocolog-nifty.com/blog/images/2017/11/12/02.jpg
左からミスター林(牛之助)、大熊元司、マシオ駒、藤波辰巳、佐藤昭雄
本当は馬場に付いて全日本プロレスに行きたかった藤波 本当に馬場に付いて全日に行きたかったならそうすれば良かったと思うけど、
一若手に過ぎなかった当時は自分の自由意思じゃ動けなかったって事なんかね。 藤波なんて一番下なんだから、もし新日からも全日からもお呼びがかかってなかったら、
日プロ崩壊後に忘れられ連絡網から外されて、全日合流時には消えていたかも。 やっぱり猪木の後釜に藤波は力不足すぎたよね
猪木も新間も前田に期待していたのがよくわかる テレ朝2のワープロ俺の激闘で、小林邦昭の特集やっていたが、
タイガーマスク戦が4試合、何故か野上彰戦が1試合という本人セレクト。
D・キッド戦、ザ・コブラ戦、斎藤彰俊戦あたりを入れてほしかった。 曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
スティーブ・ネルソン0-2
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
井上京子0-1
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
ジェイク・リー0-0-1
前田日明0-0
【通算1-126-7勝率0.007% 実力がないからだろwww
プロレスラーの実力というのは、客が喜ぶ試合作りが上手いか下手かってこと。 >>243-244
柔道時代に痛めた腰や肩の状態が悪くてどうしても動きが緩慢になってしまうのと
やはり猪木に比べると体が硬いスタミナが無い試合運びもワンパターンといった具合に
団体の屋台骨を背負うトップとしては今一つ物足りない所があったからね プロレスハマったのタイガー佐山のデビューからだけど、
その時、すでに坂口は終わった扱いになってた。
テレビもたまにしか出ないし。
でもかなり手加減してて、本気でやったら猪木より強いと
思って見てた。 >>242
格闘技大会「UFC」で八百長 韓国選手に懲役判決
11/24(金) 17:57配信 朝日新聞デジタル
韓国のソウル中央地裁は24日、世界最大の総合格闘技団体「UFC」の試合で八百長を行ったとして、
選手のバン・テヒョン被告(34)に対し、背任収賄罪で懲役10カ月を言い渡した。
判決によれば、バン被告は他の選手1人とともに、2015年11月にソウルで開かれたUFCの試合で、
ブローカーから故意に負けるように依頼を受けて計1億ウォン(約1千万円)を受け取った。
このうち、5千万ウォンは受領後すぐに、残る5千万ウォンも試合後に返却したという。
バン被告は実際の試合では勝利した。
(ソウル=牧野愛博) >>243 >>246
坂口は猪木より強い坂口が本気になれば云々の坂口最強論の根拠って
例えば猪木が欠場した時に代打でメインに出て来てスゴい頑張ったとか
タッグや試合後の乱闘で対戦相手側を蹴散らしたり投げ飛ばしたりしたのがやけに強く頼もしく見えたといった
言っちゃ何だけど「オイシイ所取り」な部分が大きいんだよね 飯塚高史は「平成の木村健吾」
中西学は「平成のストロング小林」
田上明は「平成の坂口征二」 坂口最強説って新日とUWFが業務提携してた頃に新日が劣勢だった中、
ただ一人底力を見せて対等以上にやり合い、元柔道日本一って肩書も
相まってそう言われるようになったのが始まりじゃないかね。その前から
あったのかもしれんけど。 プロレスは本気で戦ってないというのは皆うすうす分かってたから、
坂口の強さについて語るのはなかなか難しかったんだよな… 坂口は技が少なかった大技は
ジャンピングニーアタック
アトミックドロップ
逆エビ固め
ぐらいしか思い出せない >>253
オマエ、坂口は鷲だぞ。大空を羽ばたくだろ。
荒鷲式ラウンディング・ボディプレス
コンドル・ロケット
コンドル・スクリュー
知らないのか? 坂口のボストンクラブ、全く腰落としてなくて
小学生だった僕も、痛くないようにしてると冷めてしもた。
当時教室プロレスしてて、ボストンは必ず決まる超危険技やったし。 >>255
ボストンクラブは危険だよな
キャメルクラッチも危険 ボストンクラブは昭和新日本の前座での決まり手の印象。 猪木と坂口が試合をすれば
試合は猪木の勝ちだが
判定があれば坂口の勝ちなんてマスコミがよく評してたな
猪木がそう見えるようなプロレスをしただけかもしれんけど >>253
めったに出さなかったけど、カナディアンバックブリーカーとか。
>>258猪木は坂口戦となると足4の字にこだわるんだよな。80年のMSGシリーズ公式戦は変形足4の字をかけたままの両リンだったし >>259
猪木だけじゃなく鶴田とかでも
なぜか世界戦や大一番になると
普段はほとんど使わない逆エビとか四の字とか
単なるつなぎでしかないはずのキーロックとか足攻めとかに
不自然に拘ったりするのに興ざめしてたなあ 藤波もバックランド戦で延々と腕攻めをやって、「長すぎたショートアームシザース」
なんて言われてたな。 >>262
藤波、健吾がアトミック放っぽり投げで飛ばされてた 猪木相手のシングルで
半ばやけくそに持ち上げて、トップロープへのアトミックドロップかまして
猪木を悶絶場外負けさせたのは痛快だったけどな >>264
猪木の浮気発覚で美津子夫人への懺悔で坊主頭にした直後の対戦だったな。
週プロのほとんどジョークで、美津子夫人から坂口に「アントンのタ○を潰せ!」の密命が下ったとネタにされていたなw >>265
猪木のことだからそういうのを狙って坂口にやらせたんじゃないかと思える。 >>264
翌年に仙台で行われたシングルは「隠れた名勝負」だったと個人的には
思ってるんだけどな。あまり語られる事もないと思うけど。 教室の後ろでジャイアントスイングやられたけど、
かなりロッカーや机に頭ぶつけたわ。
キャメルクラッチは死ぬかと思ったけど、
息できないからギブアップと言えるわけなく、
まだ余裕で耐えてると思われてた。 中学生のとき運動神経抜群が奴がいて教室とか廊下でローリングクラッチホールドを華麗に決めてピンフォールをとり続けていた
相手の肩に飛び乗って肩車状態になり前に倒れこみながら一回転して相手を丸め込む技
かけられる方は股を少し空けるぐらいは最低限協力していたがガチで丸め込まれた
オレもガチで抑えこまれた
一歩間違えれば顔面やら頭をコンクリート床に強打して大ケガ下手したら死ぬかもしれないのに奴は一度もしくじらない命知らずの男の中の男だった ワイの得意技は脳天落とさないパイルドライバーやったで うわ!
俺もローリングクラッチ得意やった!
頭打たないパイルドライバーもやってた!
お気に入りは、テリーのローリングクレイドル!
最後グランドコブラで決めるやつ。
あれ、かなりのスペース使って回してたわ。 連投ごめん。止まらへん。
インディアンデスロックからボーアンドアローの
流れが好きな奴いて、よくやられてたけど、
全くダメージなかったわ。
スピニングトーホールド掛けられてる時は、
休憩してる感じやった。 新日ファンは回転足首固めのダメージ無さを根拠にファンクス及び全日を馬鹿にしてたよなw ある程度足が太いとまた事情が変わってくるんだよね
逆エビやさそりも
仕掛ける側が短足だと深く決まってえぐい >>273
> インディアンデスロックからボーアンドアローの
> 流れが好きな奴いて、よくやられてたけど、
> 全くダメージなかったわ。
俺もやらせたことがあるが全く痛くなかった。
だが、ギブアップした奴もいたから個人差があるようだ。
吊り天井は全く痛くない。
吊り上げる前の方が、両太ももを踏まれるので痛い。 >>276
弓矢固めは腰、吊り天井は肩関節が硬いと極まっちゃう。
ブッチャーにかけたら瞬時にギブアップしそう。 猪木がブッチャーに弓矢固めやろうとしたら指を噛まれて脱出された事があったな。
噛まれてなければ成功させてたかは疑問だけど。 弓矢固めはひっくり返さなくてもそれなりに苦しいよな ブッチャーはインディアンデスロックすらかけるの苦労しそうだ
アンドレには何とか成功したような >>274
スピニングトーホールドはドリーがやっていた様に両手を使って爪先と一緒にアキレス腱の部分を掌全体で覆うようにして掴んで捻ると凄まじく痛い
>>276-279
吊り天井も掴まれた両手首に力を入れられて捻られると逃げられないから効いたよ
後一度サソリ式弓矢固めを仕掛けたら掛けた相手の膝と顎へのロックが極り過ぎたみたいでその後仲間内では禁止技扱いになってしまった 何気に地味だけどフルネルソンは確実に本気出したらギブアップ取れた。
ジャンケンで負けたら、同時に一斉に技かけられるってしなかった?
足は4の字、手はキーロックと腕ひしぎ、加えてストマッククローと
アイアンクローも食らってた。
今やったら事件にされるよな。。 小鉄さんが83年のMSGタッグリーグ戦前に前田藤波組に伝授したサソリ弓矢固め……実際に試合で使ったのかな?記憶にはないけど >>283
フルネルソンはアマレスでは禁止技に指定されているしMMAの世界でも極まると頸椎を痛めるからと警戒される
>>284
テレビ中継では83年の第4回MSGタッグリーグでの藤波前田組vs長州浜口組で藤波が長州相手に決めたのが唯一の御披露目かな
あの時はすぐ浜口がカットしちゃったけどね >>283
藤波はサソリ弓矢固めは結構使ってたと思う。 猪木が晩年にやってた
インディアンデスロックから
足を突っ込んだまま弓矢固めに移行するのは中途半端で嫌いだった
上手く決まったのは対山崎くらいじゃないかな? >>287
サソリ弓矢とほぼ同じだな。
サソリ弓矢はこれを基にして作ったのかもな。 今思えば、ラッシャー木村に浴びせた帰れコールは
やりすぎだったな。悪いことしたよな。
あの頃、腰も痛めてたのに。 木村カエラの名を聞くたびに切なくなる (´・ω・`) >>290
アホか、お前は。
ラッシャーに対して新日ファンが無関心だったら首の時期が早まっちゃうだろ。 >>269
昔の新日の中堅以下のキャメルクラッチは鼻と口を塞いでラッパかませながら引っ張るんだよ。
保永が高田にやり、痛さでウーうめきながら、ブーと音がしていた。 よくトップロープからの攻撃で、相手がかわしたら
痛がって動けなくなるけど、
本当は当たった方がマットより硬くて
痛いはずやんね! んなこと言ってもリープフロッグのかわしジャンプ程度で着地時に痛めるのもいるからな…
危険はいろんな所に潜んでるんじゃよ >>298
越中はリープフロッグ着地で足骨折したよな。
長州はロープまたいだ瞬間にアキレス腱断裂でひっくり返った。 >>297
だよな。プロレスのマットはトランポリンみたいだしw 場外のフェンス向こうに投げたら反則負けとルール化された時、
それでもショルダースルーで投げてる天然多かったよね〜 マット部分をマジでトランポリンにしたらどーだろ
ルチャ系は面白くなるかも キャメルクラッチ
頬骨しめたり
人中にグリグリやったり
えげつないことやってたね >>303
ただ、まだその時じゃないのに間違えてスルーしちゃった奴はいると思う。 荒川の裏の顔とかに興味はないが
新日ジュニアが最も手薄な時期に
コブラに挑戦した2試合は両方とも
隠れた名勝負 俺、両国に見に行ったよ。荒川が勝つとは思ってなかったけど、良い試合だった。
ただ、越中に挑戦した試合はだめだったね。越中にも責任はあったと思うが。 長州が維新軍ってやってた時は
移動バス別だったんだっけ?
あの頃は潤ってたからそれが出来たのか。 >>301
メキシコのマットは無茶苦茶堅いそうです。 オクタゴンのライバルだったペンタゴンがメキシコで受け身に失敗して下半身不随の大ケガしたんだっけ ドン荒川は、当時の猪木の新日スタイルにあわず
控えに回されたんだよね。
そのあと、自分は1・2・3ダーや元気ですかのお笑い路線に行くくせに。
勝手だよね、猪木は。 >>316
猪木については現役時代はいくら不始末起こしても最終的にはリングの上で解消できてたのが
引退後は仕掛けをしても放りっぱなしの無責任な態度ばかり取ってたから
中邑とかにも見放されてましたね。 79年オールスターでバトルロイヤル後の第一?試合が荒川真とスネーク奄美の「鹿児島選手権」決定戦だった。
天国で2人はそんな話をしているのだろうか。。 >>318
いや、天国で長嶋茂雄と談笑しているだろ 昔イルミネーションマッチで、
対戦カード、ヒモ引っ張って決めた時あったよね。
あの時、最初からカード決まってて、お前は右から何番目のヒモな!
とか決まってたんだろうな。 >>322
全日対ジャパンの対抗戦は裏返したサイン色紙を選んで対戦相手決定。
その前にどちらがサインを取るかで、天龍と谷津がリング上で
ジャンケンしてるんだぞ! 長州VS前田戦は本当良い試合だったなぁ。前田の新日でのベストマッチと個人的に思ってる。ラリアットの受けっぷりも凄いし、身体が真っ二つに折れるサソリもよく耐えた。結末が決まってるとは言え、思わずギブアップしてもおかしくなかったよな >>322
そのジャンケンも何出すか決まってたんでしょうね
>>323
あの頃の前田、強いのに負けてあげてたよね。
第1回IWGPはほぼ全敗でラッシャーにも負けてる。。 >>322
あれはお互いのエプロンについ立てして、リング内の縄を混ぜたから難しいのでは?
あるいは小さく1,2とか書いてあって、長州は1、前田も1とか?
事前に決まっていたのは長州vs藤波or前田のミスター高橋のコイントス。
>>323
長州がタイガーマスクのサインを引いたが読めなくて「ん?」と横向きにしたりしてた。
確かにサインは崩すから読みづらいのでドラフトのように名前が入った封筒でいいかも。 >>325
ワンツと当たってたら勝たせて貰ったのか?
スタッド・カーン・ラッシャーのうち1人には反則でもいいから勝たせるべきだった。 >>327
スタッドはシリーズの核として後で呼ぶ予定だったから、
なるべく順位は上にしたんじゃないか? アンドレに三本勝負で2-1で勝ち、タイガージェットシンを血の海に沈めたカネックに勝ったんだから
それで良しとすべきだ、当時の前田はホープとして期待されていたけどまだまだ青二才 >>324
長州が前田のいい面もそれなりに出しつつ徹底的に叩き潰した試合だったよね。
藤波との試合で勝ったりもしてたが、「長州強し」という印象を決定付けた試合でもあったようにも思うな。 スタッドは継続的に使い道としては上手く扱えなかったのだろうか。。
アメリカではアンドレの好敵手だし流星仮面やケンパテラとのコンビ経験もある。
見た感じマリガンやベーカーのような身体の大きさだけで、ちょっと日本向きの器用さに欠けてるか。 でかいというのならアンドレとの違いを見せなければ意味ないし、
そもそもホーガンだって身長だけなら同じくらい。
猪木とスタッドの両者が本気で売ろうという意思がないと難しかっただろうな。
特に猪木が衰えやハイセルの件で、新しいムーブを考えたりするのが面倒だったんかもな。 NWF王座が存続してたら
チャレンジャーとしては十分使えるだろうから
スタッド、ワンツ、パテラとかはもっと活かせる道はあっただろう >>333
俺もそう思うんだよな。
真のタイトルよりも格下のローカルタイトルとして存続してても良かったんじゃないのかって思う。
北米は消滅させて良かったと思うが。 >>334
そこまで贅沢が言えるほど
新日外人の陣容は豊富ではない 理想的なのはWCWのような世界、US、TVとランクにあった3タイトルを作り切磋琢磨させる。 当初のIWGP構想として世界の王座を統一ということで猪木は自ら持つ王座を封印したわけだが
一方では藤波や佐山、前田らには興行の看板の一つとして王座は保持させたまま。
どうにも腑におちない状態で第1回が開催されるもメンツは旧来のリーグと変わらぬ顔ぶれ・・。
まあそれでも長州革命や国際軍団、佐山人気等で当時、わが世の春だった親日のパワーで押し切ってしまった感だったな。。w >>338
むしろNWF返上からIWGPのタイトル化までの6年近くの間は
企画頼みの混乱期だった
まだ維新軍くらいまではネタがあったのだが・・・
そういう意味ではベルト中心に回して行ったほうが
大当たりこそ少ないがストーリーは作りやすいのかもね
猪木がNWF路線に飽きてしまったのもわかるんだが 軍団抗争になると軍団内で序列ができてしまう。
UWFが戻って来た時は健吾が割を食って藤原、木戸にも負けさせられた。
ジョージは前田にシングル31勝1敗だかなのに正規軍だと
猪木、坂口、藤波、健吾、上田、越中、武藤、ジョージと8番手になってしまった。 藤原の長州襲撃、あれは反抗的な大塚がプロモーションした札幌大会を潰してやろうとした猪木の嫌がらせ
猪木は小さいなw >>339
猪木はタイトルは必要だと思ってたんじゃないか?
タイトル廃止後、新間に「タイトルなくても客は入るんだな」と話してたようだし。 >>341
んで出てかれて、翌年から2月の札幌興行は全日本になったもんね。 昭和プロレスのブーム終焉はいつだと思いますか?
私はタイガー引退かと思う。1983年だな。 猪木はどうやらマジで部下の老後のためにハイセルを作ったらしい
しかし会社の金じゃなく、自腹かスポンサーに頼れば良かったのにw >>344
1986.9 ワールドプロレスリング金曜20撤退 80年代半ばの全日の巻き返しを考えると「昭和プロレス」自体はそのまま年号が変わる時点までの
歴史でいいと思うが、「親日」や「ブーム」という切り口なら大量離脱の84年9月あたりか。
アレ以降の団体方針って「巻き返し」や「てこ入れ」といった難局を乗り越える手段みたいなものでしか
なかった。 83年後半はまだそれまでの貯金で人気は持続させられていた と思う。
でも84年IWGP決勝の下手打ち、更に長州(達の)離脱で一気に奈落の底に。
そっから新日本プロレスの冬の時代が始まった。
その後のブロディ獲得やUWFのUターンでも回復するまでには至らず。 >>344
蔵前国技館の閉館
両国は平成の建物というイメージがある
蔵前ほどプロレスと相性のいい会場はその後も含めてない 皆様、コメント有り難うございます。
私、タイガー引退って書きましたが、
その直前、すでのタイガー戦も盛り上ってもなかったかな。
よってタイガーが赤いズボン履き始めた時に訂正します。
寺西戦あたりから。 蔵前は84年閉館、多くの選手、関係者が「一番好きな会場」という旧大阪府立体育館が85年閉館 >>351
だったら、猪木がIWGPでKOされたとき、の方がキリがよくない?
ただ、自分はそうは思いませぬが 両国は支度部屋と通路の間が関係者以外立ち入り禁止になって
詰まらなくなってしまった。
ファンにとっては改悪だ。 >>354
相撲見てると大阪府立か? 売店の前を通って控室に戻るの。
あれは変 第一回IWGPで猪木がホーガンにKOされた事が昭和新日のターニングポイントみたいに言われているけど
じゃあどんな結末なら良かったのかね?すでに衰え始めていた猪木が
ホーガンに快勝しても時代の逆行だろうに 中途半端な負け方じゃなく、失神KO負けだから歴史に残ったんだよな。藤波の飛龍原爆固めで藤波木村が勝ったときみたいなクイックじゃ駄目 >>356
結果自体よりそのことで猪木の団体内求心力が大幅に落ちたから。 KOされたんじゃなくて「受けそこねて脳震盪」
これはけっこう大事な違い
新間他関係者がお芝居と噂を流したのも猪木が受けそこねるわけないという思いがあったから >>356
まぁ、歴史に残ったし、結果All rightだったと思う。
高橋「本来は、エプロンでのアックスボンバーをショルダースルーで場外に落として、
上がり際をブレーンバスター→どっち記憶が定かではないが、延髄か卍だった」
これじゃあ記憶に残らない。
かといって、上り調子の長州に寝るのはまだ早い。 >>356
猪木本人のコメントは意外に残されていないが
「もうこの頃には首を痛めてて受けきれなくなってきてた。
退院した後も言語障害に悩まされたしばらくは箱根?で静養していた」 試合前に高橋に失神KO敗けを予告してたんじゃなかったっけ? 試合前に高橋に失神KO敗けを予告してたんじゃなかったっけ? >>357
いや、藤波が猪木をフォールしたのも十分プロレス史に記憶されるでしょ。
てかドラゴンスープレックスはクイックと言わないのでは? あの猪木の失神がフェイクだと知ってた人は誰?
いろんな説があるけど。
知らなかったら救急車もっと早く呼ぶなりなんなりしてないか?
そういう意味ではかなり知ってたのではないか? >>365
最近めずらしい今だに失神お芝居説を信じてる人?
なんで猪木がそんなことすると思ったの?
信じた人たちに訊きたいわ >>361
自伝には「言語障害が残って、ゆっくり話すように練習した。そのことが国会議員になったときに役立った」と書いてあったような。 >>364
すぐにカウント入れて猪木の価値を下げないようにした。高橋レフリーが自著に書いてた記憶がある。 >>364
すぐにカウント入れて猪木の価値を下げないようにした。高橋レフリーが自著に書いてた記憶がある。 >>357
猪木がホーガンに失神KO負けしたのは債権者(ヤクザ)が蔵前まで押しかけてて
無事に蔵前から脱出する為に猪木がとった苦肉の策 >>281
スピニングトゥホールドをバカにする奴って
プロレスごっことはいえ
足先に手を添えてクルクル回るだけだからそりゃ痛くないよな
テリーファンでプロレスごっこでもあれすごい上手い奴がいて、
普通のトゥホールドって要は足首を外側向きに捻って極めるわけだけど
スピニングトゥホールドって逆に内側に向かって回転(捻る)するわけでしょ
そいつはこちらの膝裏にキッチリ軸足を当てて
そのうえで足首というか踵をしっかり持って内回転するんで
足首というか踵が回転する度に今でいうヒールホールド気味に極まるし
膝下は半回転した瞬間にてこの原理でうまーくレッグロック極まってしまうんだわ
あれちゃんとやったらちゃんと痛い技になるんだよなほんと
もちろんドリーがリング上で記号としてやってるSTHが
普段は別に足首や膝を極めたりせずに
ただ技の形をなぞるだけだったのは言うまでもないがな >>297
覆面レスラーが額にビールの王冠を外向きに仕込んでるのと同じだな
どう考えて頭突きしたら自分の額の方が痛いやろと もう何が真実なのかどうでもいいw ホント猪木や親日周辺からの逸話に関しては胡散臭さだらけだ。
チョット前のグレートアントニオ戦なんかもガチの制裁マッチとかよく持ち上げてるけど、それなりの台本もあったんじゃねーか? 制裁マッチというよりは
アントニオはあくまでマクガイヤー兄弟なんかと同じ見世物レスラーで
しかもしょっぱいから本来二度は使えない商品なわけで
帰国前にはエースが好き放題にボコってそこのリングから逃げ出す〜追放ってのが
どこの地区でもオキマリの筋書きだったらしい
もちろんアントニオ本人がガチで少々オツムの弱い人だったので成り立った部分も大きいが
いずれにしろその追放マッチの際どこまで「本気」でボコるかはその地区のエースの考えひとつ。
まあ普通はプロレスなんだからそこまで本当に酷くはやらないんだけどね グレート・アントニオは
あの試合の後、血も拭わずに
ホテルで普通に食事してたらしい そもそもアックスボンバーは単なる痛め技。
猪木は足から落ちて、頭も打ってない。
多分、どこも痛くも痒くもなかったと思うよ。 今やってるニューヨークのテロ未遂の報道で
見慣れた建物があるな
と思ったらマジソン・スクエア・ガーデンだった 最近の新日、深夜のテレビで見たけど、
本当につまらない。
大技連発は白けるわ。
あと、入場シーンもコールもカットされてるよね。
昭和プロレスはおもろかったなあ。 >>366
もうちょっと色んな人の証言を読んでから来た方がいいと思うな。
>>371
その説はフロントの坂口泰司氏が「そこまでしませんよ」ときっぱり言ってた。
永島も否定的。 IWGP失神事件といえば、例のスキャンダル何とか言う本にあった
ホーガンの反応が面白かったな
猪木に大ケガさせたのではという自責の念は微塵も無くて
ギャラがちゃんと貰えるかの心配しかしてないのがリアルっぽい
所詮アメリカ人なんだよなぁと >>372
カールファジーの回転足首固めをYouTubeで観たけど、ガッチリ決めてたね。 ハルホは肝っ玉が小さい男高な。
アノキ失神の時はガチで驚いたと書いてあったけど。
あんときはキラカもリングに上がってきた。
クラマ騒然で。 しかしあの試合が生挿入、いやっ生放送ならどうだったか?
あれは確か木曜で学校で見に行った奴から話を聞いて結末はわかってた。
そいつは、アノキは舌を噛んで失神KOと言っていた。
実際に会場でそう見えたみたいで。
まああれが生放送ならもっと衝撃的だったはず。
そうなれば放送終了後にテレ朝に電話殺到だったろうな。 猪木ホーガン戦、ドキドキしながらみてたなあ。
ショーだとわかってたのに、それでも。
セメントと当時はだまされてたUWFの誕生のせいで
皆んな作り物と冷めて、離れて、ゴールデン中継なくなったと思う。 昭和の新日といえば谷津だが、このひとホントに強かったのか?
まえ藤波と組んでホーガンとプレイボーイ・バディローズのコンビと試合してんの
見たんだけど(80年代前半くらいか)マットワークでホーガンに上に乗られて手も足も出なかったぞ
いくらホーガンがデカいといってもアマレス最強と謳われた選手なんだから
何とかするかと見てたけどなにも出来なかった・・・あと立っての展開でホーガン
のバックをとったのはいいがホーガンの腰に回した手をとられて手首キメられてた
ホーガンとローズはコンビはこれが初くらいのはずだが息ピッタリでローズは
巧妙な試合運びで藤波谷津組を翻弄してみせ、実況の古館アナはローズの試合
ぶりを「心憎い」と言い表し、解説の小鉄も激賞してた 最後はホーガンが
斧爆弾で谷津を粉砕 谷津はいいとこまるでなかった
ホントに強かったのか谷津って? おまえら猪木のストロング詐欺に騙された人生で恥ずかしくないのか? バディローズってダスティローデスの偽者だと思ってた >>388
イナズマ食らって骨折した上に
全日では上位の外人相手にシングルでどっか腰引けてたし
長州や鶴田が居ないと何もできなかった人って印象 >>388
当時の谷津は完全に自信喪失でやる気ない状態だったからなw その後の再武者修行で痩せてからだよ そういえば例の札幌長州襲撃で、アレは襲撃するのは藤原じゃなく小杉の可能性もあった、て話を
聞いたな 長州☓藤波もいいかげんマンネリなんで猪木と高橋が話し合って、誰かに長州なり藤波なりを
襲わせて新しい展開をやっていこう、ていったんだっけか(藤波長州には何も知らせず)
んで高橋が藤原がいい、と推したんだけど猪木が小杉を挙げて小杉にやらせろといったが、高橋が藤原を
執拗に推したので「じゃやれ!」と猪木が引いたのであの襲撃は藤原がやってのちのブレイクにつながったんだっけか
高橋は温和なムードの小杉がとくに因縁があるわけでない長州らを襲撃する必然性が見当たらない、と感じて
藤原を推したそうだけど、小杉てマシン登場のときにマシンのショルダータックルくらってド派手に吹っ飛んだの見たら、
なんか「やられ方」に鋭いセンスを感じたんだわ なんというかハデにくらった上にマンガ的な「味付け」が出来てるいうか
・・・猪木が小杉の名を挙げたのは小杉のこの細かいセンスを買ってたんかもしれん やられるのが上手い人は攻撃も
上手にこなせるんじゃないかと いまさらながら小杉がこのとき襲撃者だったら、と空想してしまうわ >>388-389 >>392
谷津の気の弱さ体格やパワーで上回る外人相手への消極的な態度はヤオだガチだのブックやセルがどうの以前に職業人として恥ずかしいレベルだったからな
この後のサマーファイトシリーズ第2弾開幕戦(藤波戸口谷津vsアドニスグレッグ・バレンタインマグロー)でもブザマなヘタレっぷりで酷評されてたし
>>396
ピーターは虚言癖を疑っても良いくらい「あの時の〜は俺の発案で」みたいな自慢話ばかりするから眉に唾して聞いた方が
ただあの札幌の1週間ぐらい前の地方興行で何故か藤原が維新軍にボコボコにされていた(当時の維新軍はよく試合後の乱闘でよく若手をいたぶってたけど中堅の藤原が狙い打ちされるのを記者達が不思議がっていた)そうだから
それなりの伏線は張ったつもりだったのかも >>396
考えすぎだな。高橋本では
猪木「今日、入場の長州を襲いたいんだけど誰が試合空いてる?」
高橋「小杉が空いてますね」
猪木「よし小杉にやらせろ」
高橋「いや、やるのはいいですけど大人しい小杉じゃ無理ですよ。藤原で行きましょう」
猪木「小杉でいい」
高橋「いや藤原で」と押し問答。
小杉に何の意図もなく、たまたま試合が空いてただけw 永島本では名古屋の時点で自分と猪木で藤原と決めてたので
高橋の当日に小杉云々は勘違いだろうと言ってるし分からんわ マサ斎藤に手錠かけた大阪大会覚えてるよね?
あれ誰が鍵持ってて、どこで外したんやろ? 谷津がアマチュア復帰して優勝したのも無かったことに >>402
高橋が宝島だかで言うには「控室に戻って鍵で手錠を外して、クロネコにゲンコツくれて、
斎藤さんリングに戻って下さい。猪木さんと乱闘して私を殴って下さい。反則負けにします」
ところが中途半端な結末すぎて暴動になった。 >>404
それはジャパンの頃だから新日とは関係ない。 あれ?斎藤の手に手錠ついてなかったっけ?
鎖の所だけ切ってリングに戻って来てたような… ぼくは全日ものだったんですが、ある時期からの木村健吾選手への観客からの罵倒にはけげんなものを
感じていました 木村べつに何か失態や不祥事おこしたわけでもないのになぜか急に観客から嫌われだして・・・
花束上嬢に握手を避けられたのを見たときはさすがに可哀想でした 健吾はいったいなにをしたというんですか?
直接には知らんけど、どっかの小学校で苗字が木村だというだけであだ名が容赦なく「ケンゴ」にされ
えんえんいじられた小学生もいたそうです この時期いったいホント、なにがあったんですか? 80年の入団会見では凄いヤツ(谷津)になってやる!とか大見得切ってたな。。
でも翌年6月の凱旋で最初のドロップキックだけであとはgdgd・・。
親日ではついぞ、その勇姿を最前線で披露することは無かった。 谷津てフリースタイルの選手だけど、新日てカールゴッチの影響でグレコローマンが基本なんだってな
谷津そこまで知らずに新日に入団したんだろうな フリー出身の鶴田がいる全日にはじめから行ってたら
よかったのに >>415
グレコとフリーの選手って別にそこまできっちり分かれてるわけじゃなくて
大会に出場の際は得意な方やライバルの出場状況なんかで
どちらかに決めていくだけで、元々の練習自体はだいたい両方やってるよ<アマの選手
それに見せるためのプロレスの場合、
スタンドからスタートして下半身タックルでなく
組み合い差し合いから投げ技やバックとってテイクダウンで
グラウンドに移行するグレコの方がむしろ馴染みやすい グレコで実績がある奴でプロレスラーに転向したのいるのか?
国内も海外もフリーが多いけど。 谷津といえば、猪木とのシングルで、
最後の延髄蹴りの際に、かなりかがんであげてたこと。
アニマル浜口に至っては、3対1の猪木との変則マッチで
延髄蹴りされた際、前に倒れず、フラフラした後、
背中から倒れた。あの演技は素晴らしい。 >>417
ただフリーと両方やるがテーズ、ゴッチ、スコットスタイナー、鶴田、馳、永田とかはグレコやってた。 キックボクシングのハイキックで後頭部蹴ってのKOがあるんだから、
延髄蹴りからのフォールは決して無理がある設定ではない、と思っていた。
ただ、レオン・スピンクス戦でクリーンヒットした延髄蹴りが
まったく効いていないのを目の当たりにして悟ったよ。 >>418
動画出してもらえるかな?
あの試合を何回見ても浜口は前に倒れてるんだけど >>420
ブッチャー戦での連発の際もとても効いてるように見えなかった。 アマレスにおいてグレコってのは歴史的にはフリーより伝統競技って位置付けなんだけど
競技人口で言うと圧倒的にフリーの方が多いんだよ
ジュニアや高校なんかでも基本フリースタイル
で、グレコってのはフリーからの大学や社会人での転向組なんですよ >>420
同意。スピンクスにセールしろと言っても無理なんだろうけど。
試合後のインタビューでも「腕ひしぎ逆十字もちっとも効いてない」と言ってしまうし。
これと同日放送のS.ウイリアムス戦での半失神とで”猪木落日”が印象付けられた日だった。 あんなもの、よくプロレスラーに通用するな。ともスピンクスは言ってたな。 >>401
永島は
長州本の作者が永島は記憶がコロコロ変わるからドキュメンタリーではなかなか扱えない人物と言ってたな
そこを追求するとカテエヤツだなってなるみたい そんなスピンクスも後年、大仁田の卍固めでギブアップしてしまうという。 プロレスだから技を掛ける方が手加減するんじゃないの? アマレス出身のプロレスラーは打撃に弱い、というイメージがオレにはある 90年代のWCWで
スコットスタイナーがヘビ男ジェークロバーツのパンチ攻撃に面白いように翻弄されてた アニキ
のリックは殴り合い強いけど
だいたい谷津のデビュー戦でハンセンとブッチャーのコンビという谷津を立てる気ゼロのカード組む
猪木鬼だわ あの試合でよく覚えてるのはハンセンがあのころよく出してたジャンピングニーが
素晴らしかった!くらいか 就職先はよく調べないとな >>421変則マッチは二回あるから、どちらかなんじゃないかな?二回目の気がするけど。
>>424猪木の腕ひしぎ十字固めは腕抱えるだけにしか見えないこと多いよな。ラッシャー戦の腕ひしぎとか酷かった 日本のプロレスは始まりが相撲・柔道からの選手達だし、その上テーズのグレコローマンバックドロップの影響が強過ぎて、組み合い差し合い→ロックアップなのかと思ってた。UWFもキックでぐらつかせスープレックスで投げ倒し関節技できめる、だからな… 猪木は当たり前のようにロックアップで始まる試合を嫌ってるのか、たまに張り手やナックルで相手をダウンさせてたね。大木戦とか名場面だった 猪木vs国際軍団の1vs3マッチって、
何回やったっけ?
3回だったっけ? >>433
新日に比べて全日は安易にロックアップすると書かれてた。
三沢のロックアップはレイスみたいに下半身棒立ちで見合って、せーの、ひょこんと力強さもなくロックアップする。
逆に新日は猪木、藤波、長州、健吾あたりは激しく、力強いロックアップをする。
多分、激しく組めと指導されたんだろな。 >>434
82年11・4と83年2・7(ともに蔵前)の2回。 >>483
嫌ってるわけでもないと思うが
判で押したように毎回同じ始まり方というのは嫌なんだろう
やる気がある時はロックアップするに見せかけて振りほどきながら張り手なんてこともやる ブッチャーが全日から移籍してきて間もない頃に、スペシャル放送で
当時人気絶頂だったスタン・ハンセンと夢のタッグ結成
猪木が迎え撃つのにド新人の谷津というのはなんとも心細いなぁと当時は思った
案の定血ダルマにされ惨敗、最低でも坂口で挑むべきだったのではと
アマレスなんて退屈で下らない競技と思ってたから
オリンピック日本代表の肩書なんてどうでも良かったし >>438
当初のカードは猪木、ローデスVSシン、ハンセンだったね。 81年は親日も外人が豪華だったが、コンビネーションが噛み合わなさそうな、ちょっとファンの嗜好や希望を
無視したようなカード(コンビ)が提示されてたなw
6月の当初予定の猪木、ローデスVSシン、ハンセン、変更になったブッチャー&ハンセンや
年末のハンセン&ボックとかこういう顔ぶれが揃ってるならどっちかというと対決するほうを望むんだが。
どうも親日の外人の扱いには不満が残るね。。w 70年代後半から80年代前半くらいのころ、来日する外国人レスラーで初来日の全日や国際ではいまいち
だったのがつぎから新日にくるようになって大きく認められて大成、という例が何人も出たなー
代表はハンセンだけど、バックランドやオートンJR,ローデスもそうか アンドレも国際でのロシモフ
はもうひとつだったのが新日では世界的スターだったし キッドもそうか国際でジュニア時代の原と戦ったくらいだった
が新日ではタイガーとの抗争は伝説になったもんな 変わったとこでは黒人のレイキャンディ 初来日の全日でいきなり
ブッチャーと組んでインタータッグ王者にまでなったのに次からは新日に来て常連になってたもんな マードックも全日
時代より新日いってからのほうがハマってたし
なんかあのころの新日は新人がノビノビ試合できる環境だったんかな? 全日はキャリア重視だったからなあ?
ブッチャーやワフーなんて実績あるのに全日から新日いってもいまいちで終わってしまったし >>441
バックランド
オートン
ローデス
アンドレ
新日が輸入した時点で完成品ですな。 時系列やその時それらのレスラーが米でどのくらいの格でやってたか
あるいはシリーズでどのくらいの書くとして扱われたのか無視して
「こっちの方がのびのびやれた」なんて云ってもしょうがないだろうに
ましてやその時すでに米でメインとってるんで新日招聘時にも
エース格で扱われてた選手を新日で認められて大成〜とは
どこの異空間の話だろう? >>445
キッドが年末タッグの時に全日に移籍したが、
せめてMSGタッグ終了後にして欲しかったな。
vsマードック、アドニス
vsアンドレ組
は見ておきたかった。 >>446
マードック、アドニスはWWFでなかったか?
つべでさがしてみよ >>447
MSGタッグ開幕戦
後楽園ホール
ワープロ生中継
この条件で、キッド・スミス対マードック・アドニスが
見たかったな。 >キッドスミス
年末タッグリーグ直前の移籍は本当に口惜しかった
移籍先の全日では開幕早々にファンクスやハンセンブロディだったはずだが、
放送自粛でノーテレビ、踏んだり蹴ったりな年末だった。
年明けてからも抗争相手は若い頃の三沢タイガーだし、それも両リン… あと、子供だったし記憶が曖昧かもしれないけど
佐山タイガーって最初は「日本語話せない設定」だったよね?
何かの事情でタイガーが放送席で着席、保坂か古舘がフォロー代弁してた事があったような?
ところがしばらくして映画(確かスタローンやテリーの映画)の日本語吹き代えで、話してるのみて驚いた。
日本語無理→吹き代えまでの期間に何か説明とかあったの? 当時のプロレス雑誌で「実は僕は日本画です」と告白した記事を見た記憶あるな… タンガーがスペイン語でコメントしたとなりで荒川が「ほんとは日本語しゃべれるんだけどね」 >>451
確かB・タイガー戦で負傷して写真集のプレゼントで放送席に来たときかな
古舘「タイガーは英語とスペイン語しか話せないのでコメントを聞くことはできませんが」
タイガー(無言で頷く)
>>452
デラックスプロレスの梶原一騎との対談だな
「タイガーマスクは日本人だ。だから君はこれから日本語は話したり書いてもいいんだよ」 >>455
ケロ「当初タイガーマスクは日本語ができないことになってたから、
イベントとかではファンからの質問に対して自分が通訳するふりをしてタイガーマスクにモゴモゴ言い、
タイガーマスクが自分にモゴモゴ言ったのを通訳したふりしてマイクで喋った」 >>455
そうそう、サンクス
でも当時の「スーパースター列伝」で正体は佐山サトルか?とか書いていたし
名前の「サトル」表記がカタカナだったから日系二世?かなんかで、本当に話せないんだ?とリアリティーは感じてた。
会場に行った事もなかったし、前座時代も知らないから、今みたいにネットで調べるのも不可能だしね。
しかし、あの時期の新日は佐山が大スターになり、観客動員に大きな柱ができた上に
あの長州が猪木や佐山と同等のスターに化けたり、小林邦までブレイクさせたり、本当にハマッてたなあ…
1984年のジャパン独立にしても、三年前にタイムマシンで戻って
「長州と浜口と谷津が主力で、海外組のマサ、カーンもいちおう入ってるみたいだけど、団体起こすんだぜ」
と言っても絶対に信じないと思うよ。 長州は華がないし、勝っても負けても淡泊だから
一生中堅どまりだろうと思ってたもんな まぁ団体起こしたと言っても、全日の寄生虫で終わってしまったんだがな
旗揚げから崩壊まで全日に頼りっぱなし
ジャパン勢だけで外人呼んで興行するのか思ったら全然やらなかった 噛ませ犬発言前を考えれば
あの長州が新日と全日を揺さぶる第3勢力のトップになるとは誰も想像し得ない
ここまでの大化けは他のジャンルでもあまり見受けられないんじゃないかな >>461
長州との対談での高田「普通、ああいうアクションを起こすと、そこがピークで後は下降する。
ところが長州さんはあそこから更に上がっていった。あれは凄かった」
藤波を超えて猪木戦、2年後には全日に乗り込んで馬場、鶴田、天龍らと対戦、
新日に戻り、現場監督にもなり対Uインターとか更なる仕掛けを打った。凄いと思う。
では、咬ませ犬の役が健吾で、その後も同じようなアングルで行ったとしたら、
健吾が日本マット界の中心となっていたのか? >>462
時期は違うが答えはでてるよね
1987年頃だっけ?ワンマッチ興行と、あとはジェットセンターで修行して帰国
異種格闘技で闘魂ライブのセミを務めたのがピーク
記憶が薄れてるけど、年末の時点では藤波と組んで長州をフォール
ここまでは覚えてるけど、藤波との抗争は半年ももたなかったんじゃないの?
かませ犬の時期もたぶん同じで、剛竜馬と藤波の時と同じ雰囲気で終わったと思う
藤波に噛み付いた時は会場では
「藤波じゃなくケンカ売るなら前田に売れよ!」って野次は多かった
確かにあの時流とポジションなら前田に行くべきだよね
日本マット界の中心どころか新日の中心にもならなかった >>462
長州のすごいところは
その延長で天龍さえ目覚めさせちゃったってのがあると思う
>>463
健吾はあくまで藤波個人しか見てなかったから、そこで完結してんだよ
長州は藤波を通して新日全体の体質を見てた
だから猪木ともぶつかる理由ができたし、維新軍を立ち上げる理由もできた
木村にはそれをする理由も同期もない
その違い >>451当時小学生だったけど、タイガー=佐山だとすぐ分かったのを覚えてる。一年前の新日本メキシコ遠征をワープロで放映して、佐山も登場して大活躍してたから。体型やソバットなどファイトスタイルがそっくりだった 学校で自慢気に話しても、誰も佐山聡なんてレスラー知らなかったw そりゃそうだ。こっちはプロレスキチガイとか言われてたからw テレビだけでプロレスを見てる層には
タイガーの正体が佐山と言われても
それが誰でどんな顔なのかもわからない 自分が限られた世界の中に入り込んでしまうとそこでの出来事が一般常識だと思い、
佐山の人気は一般人にも浸透した普遍的な人気だと錯覚しがちだ。。 マスカラスvsハルコンでマスカラ・コントラ・マスカラやり、ハルコンが負けて素顔を見せたが、
ただのメキシコ人で面白くも何ともなかった。
小林邦昭vsコブラでマスカラ・コントラ・カベジュラなら興味あったかな?
小林の坊主かコブラがマスク取ってジョージが現れる。
猪木vs木村で髪の毛賭けたのに試合中に浜口が猪木の髪の毛をハサミで切って、
負けた木村が髪を切らずに逃走したこともあったなw タイガ―マスク対マスクド・ハリケーンの覆面剥ぎマッチは急遽決まったという
藤波がいまだジュニアに留まり続け、タイガーがベルト防衛戦が行えない以上
とにかく話題が欲しかったと思われる。
だから持病の腰痛で引退直前のすでにマスカラ戦で覆面剥がされた
ボビー・リーをわざわざ呼びつけて二度目の覆面剥ぎをさせたと ザ・コブラはもともと初代タイガーの新たなライバルとして、ヒールで登場する予定だったってマジ? タイガーマスク引退なかりせば
1983年8月カルガリー決戦
・WWFジュニア戦 タイガーマスク×ダイナマイト・キッド
・小林邦昭、ザ・コブラ×デービーボーイ・スミス、ブルース・ハート
1983年9月タイガーマスクさよならシリーズ
・WWFジュニア戦 タイガーマスク×トニー・セントクレアー ⇒王座返上
・NWAジュニア戦 タイガーマスク×小林邦昭 ⇒王座返上
1983年11月蔵前フライング・タイガーデビュー戦
・NWAジュニア決定戦 フライング・タイガー×デービーボーイ・スミス
1984年1月WWFジュニア王座決定リーグ戦
(参加メンバー)F・タイガー、小林邦昭、寺西勇、D・キッド、B・タイガー
D・スミス、B・ハート、B・フェース、ザ・コブラ
・WWFジュニアリーグ優勝戦 F・タイガー×ザ・コブラ >>475 もし無ければ。昔言葉(古文)だし普段使わないねw
佐山タイガーがもしあのまま親日で活躍してたら・・。いや、あの当時の状況じゃ佐山だけじゃなく
長州やUWFへと追従した選手すべてが「もしあのまま・・」のくくりで語ることになる。。 >>475
知能低いなwww
古文のテスト10点だったんじゃねえの? >>477
6ヶ国語のマルチリンガルの帰国子女だが東洋語に疎いもので >>474
タイガーさよならシリーズとなるはずだった83ブラディファイトシリーズは当所はキッドが来る予定だったから、
最後の相手はキッドじゃないの? 9月のブラディファイトシリーズで
一区切りついてた藤波長州戦を乱発したのは
タイガーがいなくなった影響もあったんだろうなあ あーそうかタイガーは梶原一騎の不祥事でキャラをチェンジするのは決まってたんだったな
新リングネームはフライングタイガーかスペースタイガーだったか
たしか予定では小林邦と和解してタッグ結成するんだったか キッドとスミスのブリティッシュブル
ドックスとの対戦見たかったな スミスは結局タイガー引退後の来日で対戦はなかったからな
あとアメリカで対戦したエディギルバードも新ライバルで登場に予定だったか オレはあまり強い
印象なかった選手だけど佐山は高く評価してたんだったけか あとメキシコからはフィッシュマンも CSで、坂口・長州ーS小林・木村健悟の北米タッグ戦やってる。懐かしい。 >>483
その前にやってた藤波/星野ートニー・ロコ/ウルトラマンの試合の方に驚かされたよ
ウルトラマンってこんなに動きが良かったのかよ!とビックリするくらいウルトラマンの飛び技がキレキレで >>483-484
79年のサマーファイトシリーズか。。伝説のレロイブラウンのビール瓶割りデモがあったんだっけな。。
あとローランドボックが初来日の予定だったが事故で中止になった。 >>484
ウルトラマンはタイガーとやったときはヘロヘロだったね。
ガス欠気味になって、列伝で表現されたとおりPOWAAAAN状態だった。
ロコも基礎しっかりしたいい選手だよね。
藤波とのジュニアタイトルマッチも結構いい試合だった記憶ある。
藤波がジュニア王者になった初期はチャボが最大のライバルだったけど、ロコとかエル・ゴリアスといった味のある選手との試合も好きだったな。 ウルトラマンのあれは「心の宇宙遊泳」状態
漫画が現実に追いついてしまい梶原がブックを書いた(中の人も困ったろう)
ブラックタイガーとの初対決も梶原ブックでタイガーが場外で4の字かけて心中という
梶原的にはらしいのだが現実だとおかしな内容 漫画だとリング内でピン負けするのが嫌だから場外で四の字かけて
両者リングアウトを狙った情けない様みたいな演出だったが
いくら敗北が許されないからって不可思議なブック書くなぁ 小林邦昭は、ジャガーNo.1として
タイガーと相対する案もあったんだよな。 小林の覆面破るのいつも、ギリギリのところで
止めてうまかったな。あの技術は凄いわ。 >>490
コブラのマスクは思いっきり剥がしたけどなw そんな小林邦昭は今、この時期になると道場をクリスマス装飾でデコデコにし、
「侮れない虎ハンターの女子力」と噂されるに至る…。 虎ハンターのころの小林邦はいま映像で見直しても全身からなにかオーラが噴出しているかのような
趣きがあって、ただ黙って立っているだけでも絵になるほど 佐山タイガーとの戦いでどんどん成長洗練
されていってたんだなあ、としみじみ
しかし残念ながら佐山タイガーの引退で運命の好敵手を失ってしまってから、小林邦からだんだんとオーラは
感じられなくなってしまった ジャパンで全日行って三沢タイガーと戦ってたころはまだよかったが、それが
終わるともう・・・
新日に戻ってからはUWF勢と試合するが、なんか高田や山崎とはどうもかみ合わない感じ そうしているうちに
90年代に入り体調を崩してしまった なんとか病気は治ったが動きが大幅に落ちてしまった 斉藤アキトシとかとの
抗争は悪くなかったと思うけど・・・ >>493
渕正信、斎藤彰俊、北原光騎とは
殺気立った戦いをやっていたけどな。 天龍「渕正信が光ったのは小林邦昭のおかげ。だって渕正信なんてどうやったって光らないだろ」 >>495
渕が本当にデキるレスラーだったら
凱旋帰国時にチャボに勝って全日Jrヘビーのスター王者にプッシュされてたと思うわ
あの時点で外様でベテランの井上をJrに仕立ててまで引っ張り出さなきゃいけないと
判断された時点で馬場や佐藤や日テレの渕への評価もわかるってこと 全日本に初めて藤原組長が上がったとき、馬場はびっくりして渕を呼び出し、
「なんだお前!藤原に比べたら全然問題にならないじゃないか!」
としかりつけたと言うしな >>497
その叱り方はおかしい
「お前より上手いじゃないか!」だろ >>493
新日じゃ馳に戴冠させる為の繋ぎ役としてベルトとってたもんな。
何でトーナメントで小林が優勝したのか分からなかったが、
年末にその謎が解けた。
>>494
小林はまさに抗争の達人といった感じだったな。
パッとしない奴でも小林と戦うと観客をヒートさせられた。 そんな小林をもってしても、野上彰だけはどうにもならなかったな >>500
この間のワープロ小林邦昭 俺のベスト5では
タイガーマスクとの4試合に加え、
最後の一試合に何故かJJ時代の野上戦を
挙げていたよ。 最後の野上戦は放送時間の都合じゃないの
誠心会館との試合は全部凄かったよ 邦明と野上って敗者髪切りマッチか、邦明はマスカラ戦とか髪切り戦とか多いな 小林邦がアメリカでジョニーロッズと試合してる映像が最近ユーチューブに挙がったが、なかなか
面白かった 小林がパンタロンに珍しい裸足だった でも思えば小林邦昭って外国人でライバル的な
選手がいなかったような ロスでベルト巻いたこともあるんだし手が合わないということはないはずだけど 読者が撮った写真投稿での小林邦昭はいつもヘンな顔をしていた。 小林邦昭⇒チョウ・ユンファ⇒劇団ひとり
スターの系譜だな 大阪府立体育館では、全盛期の佐山タイガーより、
小林コールの方が大きかったよ。
タイガーも覆面剥がれてる時、やめろーってリアクションしながら
無抵抗なのがフェイクそのものだったな。蹴ったらいいのに。 小林邦昭と佐山が入門したばかりの前田によくイタズラしたエピソードは微笑ましくて好きだ ファイトに、平成維震軍の発端となった誠心会館とのトラブルの記事内で、
「空手家が、新日本でセメントなら誰もが認める単独トップ、敵なしの強者小林邦を怒らせた」
云々と堂々と書いてあって興奮した Uインター対維震軍、
安生、山本対小林、野上の
小林は頼もしいな。 >>512
小林がインターと戦った試合とかあったのか。 邦昭はゴールドジム通ってて筋肉美が自慢なのに
パンタロンスタイルのせいであまり目立ってなかったな 小林邦は確かにスーパースタービリーグラハムに憧れて体をつくったとコメントしただけあって
若いころの練習風景の写真とか見ると胸とか凄かった でも試合だとなぜか筋肉が目立たない
パンタロンのせいなのかどうか・・・?
あとこのころたまにはいてた白黒のショートパンツは不評だったみたいだけど、ヘビー級の選手
と試合するときはハマってたな カーンと組んで木村寺西の国際コンビとやったときはパンタロン
より白黒パンツのほうがいい感じだった ttps://stat.ameba.jp/user_images/20110204/22/19563111/bc/cc/j/o0800060011026815352.jpg
二十歳の頃はスゴかった あの白黒タイツ、口の悪いファンには葬式パンツとか白黒半分(当時発売されていた二色ガム)
とか言われてたな メヒコ限定の
アンドレ・ザ・ジャイアント、小林邦昭組
を知ってるか? 新日派として、許せなかった全日レスラーは
田上と渕やったわ。
あれテレビマッチにでれる体型じゃないよな。
普通のおっさんいかやん。筋肉もないし。 デビューしたときの田上は引き締まって胸板の厚いボディをしていた。 全日のまったくひねりのない
バックドロップも許せなかった >>521
山本小鉄も著書のなかで「田上のあの体はなんだ!」と言ってたな。 渕も海外遠征してた頃の写真では引き締まった体してたから
筋肉が付きにくい体質って訳じゃないんだろうな 全日本だから仕方ない。
ロッキー羽田、百田兄弟、佐藤、駒、伊藤、肥後、小鹿、カブキ、クツワダ・・・
若手三羽烏の大仁田、渕、園田ですら若い頃からオッさん体型だった。
新日の若手は引き締まった細身で腹筋出してるのが多かった。 猪木曰く“腹の出ている奴はレスラーとして認めない”
(笑) 腹が出てるのはともかくも
なんと言うか
全日のレスラーは
体に張りがない 実際戦えば全日本の方が強いのもホント腹立つ!
せめて見映え良くしてこいやあ! >>531
旗揚げ準備で忙しくて十分な練習ができず
腹がダブついてたって猪木自身も自伝に書いてたよね 初代タイガーと小林邦の大阪での初対戦の時
小林がマスク破る直前に場外でクロネコがマスクに何かやってる感じがするw タイガーVSソントンで試合後にタイガーがソントンにぶちギレた >534で思い出した
佐山タイガーといえば 試合での厳格さ 試合終了後にまだ余力あるみたいな
ソントンのしぐさに佐山が「まじめに仕事に取り組んでない」と見て顔面キックいれたんだっけ
ブラソ・デ・プラタ戦だったと思うが、プラタがなにか小技に失敗して試合の流れが乱れたことがあって
佐山その瞬間にプラタの後頭部にガチソバットぶち込んでたもんな タイガーという神ブックに協力しなかったら制裁受けてもしょうがないよな。 黄金期とか言うなら
新間を呼んでやれよw
力道山時代からプロレス界に接してるんだから >>537
ソントンはアメリカではNWA世界Jr.王者としてそこそこの大物。
新日は大物をジョブにすることが多い。
藤波>サンマルチノの長期政権を終わらせたイワン・コロフ
佐山>ソントン
武藤、越中、野上>スティング
武藤、野上>アーン・アンダーソン
武藤、橋本、健介、中西>フレアー 野上は普通にシングルでスティングに負けてたはずだが >>539
この番組のプロデューサーは鈴木健三なんだぞw
新間なんて接点無いだろ? >>541
日米スーパースターズトーナメントにWCW勢がたくさん来た最終戦の6人タッグだかで
野上(ドラゴンスープレックス)スティング
このシリーズは健介>フレアー、ルーガーとかWCW勢へのケツ決めが酷かった。 当時の新日はWCWの提携料が高いってボヤいてたから
せめて星だけでも奪ってやろうと思ってたのかもしれん スティングは全日でのスパイビー戦でもそうだが
気前よく負けすぎ スティングはWCWでもなんかWWFから移ってくるヒールのスター選手たちを当てとけばいい、みたいな
安直な抗争が多かった気がする リックルードやジェークロバーツとか
ただデビューすぐにメイン級になったスタニング・オースチンとスティングの試合は面白かった わかり易い
善玉のスティングと狡さが魅力のオースチンとの試合は好カードだったのにWCWさしてプッシュしなかった
だから潰れるんだWCW
あと90年代前半の意味不明のマスクマンブラックスコーピオンとか 新日のマシン軍団をヒントに
してたんかもしれんがレベルが低すぎた だから潰れたんだWCW WCWでのスティングvsムタはマスコミ報道とは異なり、ほとんどスティングの勝ちだった。
ところが新日だとムタの勝ちになるから凡戦になった。 >>538
いまBSフジに合わせてるが、小林邦昭が長州、天龍と同等に語られるとは凄いな
やはり抗争相手のタイガーマスクが偉大だった事もあるんだろうな 一般の人も名前は忘れてしまったかもしれないけど、
「タイガーと戦ってたステテコの人」として覚えてるだろうね 金曜8時ゴールデンで視聴率20%の黄金期の新日は世間に浸透していたからな。
あの健吾だって品川区の駅前で辻立ちしてると握手を求められるからな。 BSフジのプロレス特集、丁寧な作りでとても良かった。 >547
オレが見たスティングVSムタの2試合は両方スティングの勝ちだったが、フィッニッシュが雪崩式
ブレーンバスターとバックドロップホールドだった スティングは決め技サソリだと思ってたけど必ず
サソリで決めるわけじゃないのな
新日でもたしかAKIRA戦はダイビングボディアタックだったが、馳戦はDDTで決めてたな スティングて
ビジュアルは特撮ヒーローみたいにガッチリ決めてるわりに技が見た目と会わんジャーマン出したり
なんか試合ぶりが散漫な印象があった >>540
ソントンを最強タッグに呼べた馬場なのに結局はチャボを全日本ジュニアの祖に引き抜いた レス・ソントンってよくわからないやつだったな。
自分が新日本でタイガーに渡して行ったNWAの世界ジュニアタイトルだったのに、
帰国後、同じタイトルのチャンピオンを名乗って防衛戦してたよね。
確かコブラが日本でタイトル持ってた時期だったと思う。 藤波のWWFインタと前田のWWFインタ。プロレス界ってベルトを簡単に作っちゃうんだなと思ったな 基本的にレスラーは馬鹿だから典型的なアメリカ人思考で世界中どこでもアメリカと同じだと思ってたんだろうな。
ソントンはイギリス人だが似たようなものだろう
雑誌で海外の情報が載るなんて思いもしなかったはず。
シークも倉持が全日の身内だと思ってたくらいだし。 >>554
あの時点のNWA世界ジュニアはそれまでの管理者だったマクガークが業界を引退した後でベルトだけソントンの私物になってたんだよな BSフジの良かったか?
幸せなプロレス人生だった天龍のはまだましだったけど
権利がないから試合映像を使えないし
長州は言ってもいない咬ませ犬発言の嘘トークしてたし
小林は格落ちなのか10分しかなかったし
ケンゾーの嫁は熟女AV女優みたいだった 新日がどれだけベルト作ったか。
実力世界一、NWA北米タッグ、アジアヘビー、アジアタッグ、WWF北米ヘビー、WWWFジュニア、
NWAインターナショナル世界Jr.ヘビー、WWFライトヘビー、WWFインターヘビー、WWFインタータッグ、
IWGPヘビー、IWGPタッグ、IWGPジュニアヘビー、WWFマーシャルアーツ、グレイテスト18、
最近もU30とかたくさん作ってる。 >>558
個人的には闘道館のロケ場面が興味深かった、地方在住だとなかなか行けないんでw
番組で使われてた写真は昔のプロレスアルバムからが多かった気がする 昭和56年3月頃に小沢がキラーカーンとして凱旋帰国した。そのシリーズでは人気爆発した記憶があるけど、結局そのシリーズだけだったな。身体のでかいカーンでもNo.2にはなれなかった… カーンは顔が悪党顔だからヒール側じゃないと無理だろ カーンが海外でガッポリ儲けたのを知った藤原が嫉妬して
セメント仕掛けて不穏試合やらかしたって後に知った時は驚いたな
マスコミやファンが藤原に職人的なイメージを勝手に植え付けただけかもしれないけど
藤原に限らずプロレスラーは自己顕示欲の塊だから、
自分より下だと思ってた存在が上に行くと途端に僻み、妬むものなんだなぁと カーンは日プロからの選手で藤原より全然先輩だろ まぁ悪党顔だから新日ナンバー2とかは
ムリだけど ただ試合運びとかはアメリカで認められただけあって一流 当時の王者バックランド
に挑戦した試合見たけど見事だった
あとカーンてトニーアトラスと試合してアトラスの必殺技のリフトアップで上げられてた
が、あの巨体でリフトアップで「持ち上げられる」のはバランス感覚良くないとムリ
カーンが全日でロードウォーリアーズにリフトで上げられてたの見たときなんでアメリカでは
ウォーリアーズより格上のカーンが対戦相手になってるのかわかったわ
ウォーリアーズリフトを巨体で受けきってお客をびっくりさせれるのカーンしかいない 1982年のMSGシリーズでのカーンVS藤波は名勝負だったなぁ。同シリーズの猪木戦では延髄で負けたけど、蹴られた後頭部にシューズの跡がくっきりと刻み込まれてた控え室での写真にはビックリした 控え室に帰ってからシューズを首に押し当てたんじゃないの? 天龍のキックで輪島の顔面にシューズの紐跡がつかなかったけ? >>570
酒と女でマスコミ抱き込んだ接待革命さんがなんだって? アドニスが延髄当ててくるっと回転するのって脚気の検査でひざにハンマー当ててひょいと反応する感じか。。 >>573
天龍の延髄斬りは足の甲ではなく、リングシューズの硬い底部分を横から当てる。
ガチで痛いと思う。 >>575
あれは顔からマットに落ちたくないから背中で受身を取った
という横着 当時のプロレスファンは、天龍の延髄斬りに対して背中蹴ってるだの延髄撫でだのとは言ってなかったぞ
もう引退したからって後付けでおかしな評判立てるのは良くないわ、天龍に限らずな >>578
> 当時のプロレスファンは、天龍の延髄斬りに対して背中蹴ってるだの延髄撫でだのとは言ってなかったぞ
新日ファンは間違いなく言ってたよ >>566
> ウォーリアーズより格上のカーンが対戦相手になってるのかわかったわ
カーンの方が格上ってことはなかっただろ。
当時タッグに関してはウォリアーズより格上はアメリカではいなかったはず。 ウォリアーズより格上って、WWF以外は全部ローカルなのに何言ってんだ? ウォリアーズ売り出し中の頃はまだWWFの全米進行してなかったのでは 84年に侵攻開始だからなぁ。
第1回のレッスルマニアが85年だし。
その頃にはもう越えられない壁状態だったよ。 ホーガン、ウォリアーズ、S・ホールetc
WWF全米侵攻前夜初期の82〜84年くらいの頃の
プロレス誌の海外記事みると
このへんの新世代のスター候補っぽいのが一時期みんなAWAに集まってるんだけど
相手がニックはまだしもラシクとかリソワスキーとかパテラとかランザとかのロートルっぽいのばっかで
日本のファン的にはイマイチパッとしないなあと思ってたら
みんなさっさとWWFに転出してくんだよな ホーガンをAWA王者にしたところで王者のままWWFに移籍しただろうしなぁ。 >584
このへんの新世代のスター候補っぽいのが一時期みんなAWAに集まってるんだけど
あーやっぱりバーンガニアて慧眼なんだなー のちのベイダーのレオンホワイトや、ショーンマイケルズ
もミッドナイトロッカーズでいたんだよな ただ
>相手がニックはまだしもラシクとかリソワスキーとかパテラとかランザとかのロートルっぽいのばっかで
これ当時王者だったリックマーテルもそうだった ガニア的にはAWA版世代闘争を演出したかったんかも
しれんが
ハンセンがマーテルを破ってAWA王者になった試合は、日本のファンにはなんの因縁もなく唐突に組まれたカード
にしか見えんかったが、このふたりは70年代にフロリダで若手時代抗争したことがあって、当時人気カードだったんだとか
それを意識してのタイトル戦だったんだろうけど、状況が大きく変化した80年代にそんなカードをいきなり組まれてもな
>585
たぶんそうだろ このころのアメリカのプロレスは契約書の概念がなくみな口約束だったそうだし しかし、後のスター選手が集まってたのは分かるが、
レスリングが出来ない奴らを長期間に渡ってどう扱うかきちんと考えてたのか?
普通のテリトリーみたく抗争に一段落ついたら他地区へ転出させて運営を回していくつもりだったのか?
当時としては珍しく育成組織があったり良い所もあるんだが、
結局ガニアの古い頭では長期間にわたるビジョンを描けなかったんだと思う。 >>587
> 結局ガニアの古い頭では長期間にわたるビジョンを描けなかったんだと思う。
ガニアの長期ビジョン
・自分のぶっさいくな娘をホーガンに押し付けてAWA王者としてミネアポリスに縛り付け
・あのなで肩ヒョロチビの息子が(たまにパートナー変わっても)不動のタッグ王者として君臨 前田によると控え室から担架に乗って病院に行った影武者はおれとか言ってなかったか?違った? ガニアの長期ビジョン
・自分のぶっさいくな娘をホーガンに押し付けてAWA王者としてミネアポリスに縛り付け
・あのなで肩ヒョロチビの息子が(たまにパートナー変わっても)不動のタッグ王者として君臨
まぁこんなとこだろうなあ でもこういうビジョンはガニアだけじゃなく
フリッツ・フォン・エリックのビジョン
・人気抜群の長男ケビンはダラスのエースとして据え置き
・次男ケリーをNWA王者にして全米を回らせる
・自身はNWA会長にして現王者の父としてアメプロ業界で不動の地位を築く
どこもだいたい似たような感じだったと思う WWFの全米侵攻開始までは
逆に言えばWWFの全米侵攻がいかに当時のアメプロの常識外の事態だったかわかる まぁ結局はWWFが全米侵攻したお陰で各地の個性的なマーケットは全て壊滅し
今に続くWWEお笑いプロレスの下地が出来上がってしまったんだからマクマホンも
罪な事をしてくれたよな ホーガンとマサがAWAで抗争して、マサの凶器攻撃でホーガンが負傷。新日本のシリーズ参加がキャンセルになったことがあったよな ホーガンとマサがAWAで抗争して、マサの凶器攻撃でホーガンが負傷。新日本のシリーズ参加がキャンセルになったことがあったよな 流智美が言うには、ホーガンがステロイドの後遺症で胸にシコリが出来てしまい
それを誤魔化すためにマサ斎藤に襲撃させて負傷したという言い訳で
新日来日をキャンセルしてる間に手術でシコリを除去したという裏事情があったそうな
まあ流智美の言う事なのでどこまで真実か判らんが そういえば80年代なかばくらいのAWAにトミーリッチが出たことがあって、例のフライングボディ
シザースを相手に決める時、両手を左右に開いて顔を上に上げて天を仰ぐようなポーズを決めて
フォールを取ってて、なかなかカッコ良かった この時のリッチにAWAのベルトをまかせるのもアリ
だったんじゃねーかと
いま思い出したが、このリッチの天を仰ぐポーズって、90年代新日で武藤がフランケンシュタイナー
でピンとる時にやってたポーズの元ネタじゃね? ハンセンが失神した後すぐ目を覚まして大暴れするのは鶴田のピクピク痙攣なみの塩演出 1978年か79年のクラシックスのタッグマッチ見てて、猪木が延髄斬りと同じ飛び蹴りをしてたけど、
フォールに持ち込むでもなく相手もその後普通に動き回ってたw
「延髄斬り」という名前も付いてなく、当時の古舘も「ジャンピングハイキック」と実況してた。
あれを最初にフィニッシュで使ったのはいつだったんだろうか? 古舘の「ジャンピングしてのハイキック」には違和感があった。
「ジャンプしてのハイキック」が正しいだろうと思っていた厨房の俺。 >>596
リッチは見た目がなあ。
顔はスター性充分だけど、身体がポチャポチャ
の幼児体形で全然強そうな感じがしないもんなあ。 正確にはケビンの上に幼くして感電死した兄がいたから、デピッドが三男、ケリーが四男。 >>598
キムクロケードとの格闘技戦でフィニッシュにするみたいに公言してたのに、結局ギロチンドロップかよ…と思った記憶がある。遥か小学生の頃の記憶なので、違ってたらスマン >>598
MSGリーグ戦の対小林が最初だったと思う そう言えばオールスター戦でブッチャーにきれいに決めてたね エリック兄弟が新日に来るようになって、藤波や前田と試合したりしたけど、あのころアメリカで
人気だったエリックスVSフリーバーズの抗争を新日で見たかったな
フリーバーズは全日だったけど、新日のほうがあってると思ってた 90年代に新日がWCWと提携
したとき、当時所属のニューフリーバーズ(マイケルヘイズ&バディロバーツ)が新日で見れる!と
期待したんだけどこなかった もっさいロバーツはどうでもいいけどこのころもあいかわらずハデ
だったヘイズは新日で見たかったわ >>606
90年代のフリーバーズはヘイズとジム・ガービン
ロバーツはすでに引退 ごめん>606ですまちがえた
フリーバーズは全日だったけど、新日のほうがあってると思ってた 90年代に新日がWCWと提携
したとき、当時所属のニューフリーバーズ(マイケルヘイズ&ジムガービン)が新日で見れる!と
期待したんだけどこなかった もっさいガービンはどうでもいいけどこのころもあいかわらずハデ
だったヘイズは新日で見たかったわ
入場時にテーマソングに乗ってヘイズは指鳴らしながらステップきってカッコよく登場してたけど
ガービンは指鳴らせないわステップが踏めないわどうしようもなかった Gスピのラッシャー息子インタビューでラッシャーにも付き人を付けるという話が出たが、
実際そうなってたら誰が付き人になってたんだろうな? >>602
裏ビデオでIWGPの前田×ケリー戦見たけど全然かみ合ってなかったわ 猪木の卍は相手の協力がないと掛けられない技だけど、
あの延髄斬りも、相手が上手くかがんで待っててくれないと
完成しない技だよね。
アンドレの場合、おじぎするくらい下げてあげてたね。 トニーセントクレアが一番上手かったなw 物凄い前方回転w >>611
相手の協力がないと掛けられない技なんて言ったら、
ほとんどのプロレスの技は掛けられないぞ。 ドンムラコをドンムラ子とか言って笑ってたあの頃が懐かしいw ドンムラコをドンムラ子とか言って笑ってたあの頃が懐かしいw ドンムラコをドンムラ子とか言って笑ってたあの頃が懐かしいw Sスローターとかムラコは新日本では全く人気なかったね スローターはともかく、ムラコはアメリカでも人気微妙だったような?スローターはなんつっても
アイアンシークとの抗争でMSGソールドアウトにしたからな
たしかに日本ではあれだったが、オレはスローター好きだった 大型レスラーだが小技が上手で
細かい試合展開を巧妙に作っていくのがなんかユニークだった >>594
流智美
ヒクソンとカシンが似ているから親子かもと
真顔で宝島で話してた >>621
ヒクソンとヒロマツダも親子かもって言ってたよ マツダがアメリカに入った時、既にヒクソンは生まれていたってオチねw 日本人同士の軍団抗争に目を奪われてたときにいきなり現れたアドニス&オートンジャニア。世界には凄いタッグがいるもんだなと驚いたなぁ マンハッタンコンビのツープラトン攻撃をまんまパクって
自分達の専売特許みたいに使いまくった長州はある意味
藤波より汚い アドニス&オートンJrは凄かったが、途中でアドニス&マードックになった ベテランなのに当時最新の
タッグチームのコンビネーションになんなく合わせれるマードックは天才だと思った
ただ、アドニスがプライベートでマードックと仲が悪かったのは知らなかった オートンジャニアがしばらく新日本から消えた理由って何だったか?翌年、馬に乗って出て来るまでしばらく来日しなかったね… >>433
前にYouTubeに上がってたんだけど、初期の頃の猪木対ハンセンで序盤に猪木がいきなり見舞った張り手でハンセンが腰砕けに落ちたのがあった。
試合が始まってなんか面白くないことがあったのか知らんけど、いきなりすげえ張り手だったけどあれが猪木の醍醐味なんだよな。 >>632
酒飲んで暴力をふるったらしい。
翌年の馬をつれてきたシリーズでも酔ってトラブルになったそうだ。 アドニスがWWFでオカマギミックのアドラブルアドニスになったとき、日本のファンはなげかわしい!
ていうひと多かったけど、アドニスのオカマギミックはそれ以前にもAWAでタッグ王者にもなったジェシー
ベンチュラとのイーストウェスト・コネクションでやってんだよな
あと新日での鋲付き革ジャン姿も日本では暴走狼と呼ばれたが、アメリカではハードゲイなんだよなアレ
たしかにアメリカのヘルスエンジェルとかの革ジャンには鋲がない >>635
アドニスというのが、ギリシャ神話に出てくる美少年。女神アフロディーテに愛されたけど、狩に夢中でその最中に殺されて死んじゃったらしい。
ゲイの人たちの間では象徴的に使うことあるらしい。
三島由紀夫も寄稿してた同性愛サークルもアドニス会というらしい。 ムーンサルトプレスを使ったのは武藤よりラニー・ポッフォ(サベージの弟)の方が早いな
1984年10月のPRO WRESTLING USA の試合でニックに使ってる
https://youtu.be/L8ilnAhx58A?t=1568 最近見た動画では、アドニスのオカマキャラでの相棒の一人がオートンだったんだね。当時全く知らなかったけどびっくりしたな。 >>637
ムーンサルトはジョージ高野が1980年に初披露。 アドニスで思い出したが、流智美が自分の本でイギリスからアメリカ行ってオカマキャラでブレイクした
エイドリアンストリートにインタビューしたとき、ストリートがアドラブルアドニスのキャラを「自分のキャラを
WWFが盗んだ!アドニスは合わないキャラやらされて気の毒」みたいなことをいっていた、という記載を
見たことあるけどこれホントかな?
アドニスはWWF以前にAWAでのイーストウエストコネクションとかでオカマキャラやってるし、これ70年代
後半くらいだからむしろストリートのほうがアドニスをマネしたんじゃねーのか?アメプロに精通してるらしい
流がメジャーAWAでタッグのベルトも巻いたイーストウェストコネクションを知らんわけないよ、な? ミスター高橋によると手を出したのはアダムスで一緒にいたオートンも帰国させられたとか
アダムスはとにかく酒癖が悪くて飛行機の中で暴れたなんてこともあった その辺はレスラーとしての格が影響してるな
アダムスは序列で言えばB級レスラー
そんな奴が素行不良だろうが酒癖悪かろうがたいして話題にならないが
次期NWA候補とも謳われたオートンJrが問題起こして帰国させられれば嫌でも目立つ >>629
オートンが来日しなかった運の良さもあるけど
あの頃はマサ斎藤が藤波相手にドラゴンスクリューを使ったり佐山タイガー(大仁田もだけど)がキッドのツームストン→ダイビングヘッドバッドの流れをパクったりと他人の技を真似る事自体は然程珍しくなかったよ
>>641-642
警察の調書ではオートンがヤクザに重傷を負わせたと認定され外人選手が泊まっていたホテルに押し掛けたヤクザや右翼連中もオートンへの報復を狙っていたんじゃなかったっけ?
オートン自身はその後のファイトや週プロのインタビューでも一貫して俺は悪くないヤクザの方から喧嘩を売ってきたと主張し続けていたね >>629
ツープラトンパイルドライバーは星野&小鉄のヤマハの得意技だった。 ツープラトンパイルは足を押さえると重力が3倍になるとか >>613
わかる。俺も教室で友達と
ガチンコマッチしたけど、
ヘッドロックくらいしか掛けられなかった。
フルネルソンも狙ったけど、無理やった。 >>647-648
フルネルソンは警戒されるけどチキンウイング(タイガースープレックスの体勢)やサーフボードそれに欧州式ネックロック(クロス・チンロック)だと案外簡単に掛けられたな
後意外と成功率が高かったのが逆さ押さえ込みとロビンソンやノートンが使っていたショルダーネックブリーカー
要は不意討ちと呼んだら言い過ぎだろうけど相手の想定外の技なら仕掛けるのも不可能ではないんじゃないの ガチンコプロレスごっことリアルファイトを一緒にするのはどうかと 逆エビかけようとしたら両方の踵を持たれて後ろにひっくり返った 腕相撲で893の腕をガラステーブルに叩きつけて破壊したハンセン
30人の893が仕返しにビジネスホテルのロビーに来て「おい、レスラー勝負だ!!」
荒川が蹴り、ジョージがドロップキックやり、猪木がスリーパーで893を引きづる・・・
ハンセン、荒川、ジョージ、猪木は出場停止だなw 梶原の連れてきた893が脅しに来たら
猪木が一目散に逃げだしたの知らんのか >>647
太鼓の乱れ打ちは。相手の頭を自分の両膝で固定すればなんとかいける。 太鼓の乱れ打ちって小学生時代よくやってたけど
プロレスを全く知らない担任教師が見たら壮絶なリンチに見える 原爆固めをかけられるとき、相手の股間を蹴って脱出するのってブラックタイガーが初代タイガーにやったのが初めてかな? ジャーマンをかけられるとき、相手の股間を蹴って脱出するのってブラックタイガーが初代タイガーにやったのが初めてかな? >>648
いやいや、卍よりはハードル低そうだけど、
さあどうぞって姿勢が相手にないと無理だよ。 >>660
小学校の頃、喧嘩でコブラががっちりかかったのを見たことがあるよ。
体格差はあったけどね。
やられた方が戦意喪失した頃、先生が来て怒られてた。 グランドコブラだけどガチのMMAの決まり手になったこともあるから
一瞬の隙きさえ突ければ有効なのでは? ブッチャーがヤクザ数人相手に派手にやらかしたことがあった。
新日時代だから坂口や新間が後の対処をした。
逆に言えばそういうのがあったからブッチャーはペナルティーで干された。
干されたというより飼い殺し状態になったのか? ケンカで使えるプロレス技
1 関節系
ヘッドロック、フロントヘッドロック、スリーパー
2 投げ技系
バックドロップ、パイルドライバー、ショルダーバスター、サイドスープレックス、フロントスープレックス
3 飛び技系
ニードロップ、アリキック、空手チョップ、しょう打、張り手 ハンセンはどんなインタビューでもブッチャーが来た事が
全日に移籍を決めた理由として挙げているな、そんなに嫌だったのか ブッチャーってバッドニュース・アレンからも嫌われてなかったっけ ブッチャーは白人だけでなく、純粋な黒人レスラーからも迫害されていたから
日本で超売れっ子になった事で威張り散らすことが多くなった
アレンに上から目線で怒らせた事があったのもその反動かもしれない ブッチー&アレン&SDジョーンズ 黒い軍団だったっけ?今なら使いにくいネーミングだよね ブッチャーって馬鹿なのか?
アレンに勝てるわけないのに怒らせるようなことして… ブッチャーといえば、インタビュアーの吉田豪がインタビューした際いきなりギャラを要求し、
払ったら説教じみたことばかり言うのであきれた、てラジオで言ってたな
列伝の「100マンエンもってくるか消えろ!」はマジだったみたい なんかかなりクセのある人
みたいでアレンだけじゃなくアンドレにも突っかかったりしてたみたい
90年代に後楽園ホールの階段のとこでブッチャーがひとりでいる写真が雑誌とかによく載ってた
のを見たな 子分のキマラはふつうに控室にいるのになんでひとりだけ階段のとこにいるのか
不思議だったが
なんかもう「俺が俺が」の人で90年代前半くらいまでは身体能力もあまり落ちてなかったし 若いころ
の試合見たらあの体で動き速いし自分に自信があったんだろう 第1回IWGPのメンツにブッチャーが加わってれば一気にドリームマッチの組み合わせも増えたはずだったが
一般シリーズでの顔ぶれの落ち込みを避けてか、次のサマーシリーズでのマードックと一騎打ち等でバランスを保ったな。
似たパターンとして豪華メンツだった80年の第3回MSGのあとの夏のシリーズで、一応?仲間割れ状態だったシンと上田を復活させて
シリーズの目玉としていた。 >>670
地方のどの会場でもブッチャーの控え室は暗い階段の下、一人ぼっちだったよ。
少し不気味ではあるけど、声を掛けたら普通に握手もサインもしてくれた。
自分でも衰えを感じて客寄せパンダであることを悟ってたんだと思われ。
元子新生全日時代、浪花なんかが「ブッチャーさん、今日はよろしくお願いします!!」
ってあの甲高い声で挨拶にきて、迷惑そうだったけど握手を返してた。 81年の秋にブッチャーとマードックが対戦するはずが、ブッチャーが拒否してカード変更になったことがあったな。ディノブラボーだったかな 81年の秋にブッチャーとマードックが対戦するはずが、ブッチャーが拒否してカード変更になったことがあったな。ディノブラボーだったかな なんども語られてるが83年にマードック対ブッチャー、マードック・アドニス対ブッチャー・ラッシャーが組まれたが、
放送は毎週毎週藤波対長州だった。
マッチメーカーの高橋は藤波と長州のマンネリに嫌気がさしてたと言っているが、
悪いのは毎回そのカードを組んだオメーだろうよ。 >>660
グランドのコブラは元々アマレスの技だし、、
まぁアマレスでも滅多に見られないけれど >>647
ケンカではないが
プロレスファンが釣銭泥棒と格闘、
最後に4の字固めを掛けて確保したというニュースがあった。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1701767.html
泥棒にしたら、捕まりたくはないからガチで抵抗したが、
4の字を掛けられたんだな。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:941a5cc947ec9c7d5b589a16479b2c86) >>680
なんでこのスレで延々とケンカの話ばかり 第1回IWGPの猪木とホーガンのリーグ内の公式戦って、どこでどんな内容だったかまるで記憶に無い。
つかテレビマッチだったのかな? 決勝戦のあの試合ばっか取り上げられてるんでw、
どうだったんだろうか。 >>682
シリーズの丁度真ん中の大阪府立で、結果は両リン。 テレビマッチだね。第三週で録画。
その日のカードは
猪木―ホーガン
アンドレ―スタッド
前田―カーン
前の試合で勝ったアンドレがリングサイドの客席をぶんどり観戦。
猪木とホーガンがアンドレの目の前で場外乱闘をはじめ、
アンドレが二人をフェンスの外に引っ張って両者フェンスアウト。
試合の中身は覚えてねえやw ああ、そうでしたか。自分もまるで記憶に無くてw
半ばだとまあ、決勝がまさかあんな結果になろうとは思いも寄らなかったでしょうな。 猪木ホーガン戦は大阪の時点では
師弟対決みたいな感じだった
試合後にアンドレを追い払ったあとの2人のやり取り見てそう思った >>670 >>672
ブッチャーの孤独癖ってアラフォー以上の関係者やファンには有名な話の筈なんだよ
アメリカのビッグマッチを取材した専門誌の特派員やカメラマンがよく書いていたけど
ブッチャーは興行終了後も他のレスラー達と一緒に飲み食いする事は少なく一人でいるのを好むのだと
後ブッチャーが事ある事に「マネー、マネー、」言うのも番記者経験のある人やオタならこれがブッチャー流の挨拶代わりだというのは知っていて当然で
普通はそこから如何にして金を払わず会話の取っ掛かりを掴むのが謂わばプロの腕の見せ所なのに
吉田豪がバカ正直に金渡してブーたれているのは普段偉そうに吹いてる程プ業界事情を熟知も精通もしていない証拠になっているんだがねぇ
尤も知ったか豪チャンはそんな己の無知と半可通ぶりを絶対に認めはしないんだろうけどw >>673-675
ブッチャーとブラボーはモントリオール地区で抗争していた時期もあるから噛み合う相手でもあったんだよな
まああの時はブッチャー×マードックをその後の大場所の為に取って置いたつもりだったんだろうけど >>689
だったらシリーズ中に遺恨を作っておくべきだったな。 >>687
ホーガン「オイ猪木。最近な〜んか元気だと思ったら、やっぱりオマエはアントンリブ食ってるな」 たしかIWGPの猪木VS木村は猪木の顔面蹴りがフィニッシュ技だったよね。そんな結末を飲まされた木村がかわいそ過ぎる… 前田と長州の例の顔面蹴撃事件の時には猪木は前田をさんざん批判していた
くせに >>693
「プロレス道にもとる」の意味わかってねーのかよ
プロモーターの言うことを聞かない ってことだぞ
で 商品汚してケツまくって逃げたんだから
バックがついてなかったら刺されてるぞ >>692
しかもノーTVの津大会だよね。顔面蹴りの写真がデラプロに大きく載ってた気がする。 >>693
前田の顔面蹴りは背後からの不意打ちだったからなぁ
まぁ猪木もグレート・アントニオに同じことやってるしw
ターザン山本が馬場にプロレス道って何ですかと尋ねたら「お客を楽しませること」と答えていた。
また「プロレス道に反しながら出世するのが一番良くない」とも言っていた。 >「プロレス道にもとる」
これは意図的にだましうちや不意打ちみたいな形で怪我をさせることをやってはいけない
という意味だろ
これがなかったらプロレスで人が殺せてしまう >>698
そういうことだよな。
例えば、アキレス腱固めやってるところにカットに入って
顔面にサッカーボールやればKOできるが、いいわけがない。 猪木からピンフオール取ったのは藤波が先だけど、タッグマッチによるもので
その後のシングルマッチではピン勝ちできず引き分け
それに対し、長州はシングルマッチで猪木からピンフォールを奪っている
その時のポイントになった技が延髄ラリアット
背後からラリアットを打つというある意味卑怯な技を使わないと
猪木からフォールは奪えないという理由付けが必要だった >>700
背後からが卑怯なら、猪木の延髄斬りも卑怯だな。 >>700
翌年2月の両国でのシングルマッチは長州がラリアット6連発で完璧に猪木をフォールしたよね。 >>702
後ろからのリキラリアットはリキ腕抱き枕と言われて、ポヨンとして気持ちいいらしいぞ。 >>696
猪木『高橋、今日は顔面蹴りな』 高橋『顔面蹴り?』 猪木『延髄の顔面版だよw』 高橋『いいっすね!』 こうやって決めたのかと想像してしまう…… 猪木ってアンドレ戦でずーーーっとフルネルソン決められてて
やっと脱出したかと思ったら高橋に延髄かましたよなw
傷付かない反則負け、高橋としてもお安い御用 >>706
健吾はアンドレとブロディにフェンス外にぶっ飛ばされて勝った。
アンドレとブロディが傷つかないでニューリーダーの健吾の価値を上げる手法。 >>700
藤波が取った時だって、猪木のパートナーの坂口が負傷という理由があったし、昭和時代は色々面倒だったね 猪木って前田追放にどのくらいかかわってたんだろ?
基本的には猪木は選手の起用には関わらないよね?
ようやく前田と対戦しなくても良くなるから、積極的に追放令を出したのだろうか? >>709
前田の長州蹴撃後の藤原「もし長州が失明でもしたらどうしようと考えたら眠れない」
週プロ「前田は平気で相手を怪我させることをやる。藤原らが、いくら言っても聞かなかった」
田村の顔面骨折させたのもだが、そんなことする必要ない。
もし前田が若手時代に先輩にやられていたら、とっくに怪我で廃業していたはず。 >>697-699 >>710
あの日の前田は試合前から長州に突っ掛かろうとしたり顔面蹴りの前にも特にタッグパートナーがピンチでもないのにカットに入ったりと明らかにおかしかったから
狭い後楽園ホールだから記者達や客の目を味方に付ける事で危険を回避していたけど
もう少し大きな会場だったら隙を狙われて長州側に報復されていただろうな >>711
高田「試合前の控室から前田は考え込むような感じで様子が違った」
先発は長州vs前田で前田が2発目のキックをノーガードの長州の顔面に入れて長州の足元がふらついた。
キレた長州は次の絡みでUのコーナーで前田にガチ張り手。
長州が木戸にサソリの体制もステップオーバーする前の状態で後ろから顔面蹴り。
まだステップオーバーしてなくサソリが決まってない状態でカットに入る必要なし。
試合後も荒れる前田。 さんざん独立するって言ってたろ
太いタニマチが見つかったからやったんだよ
新日を約束破りで追い出されたヒーローとして2次Uを立ち上げ一大ムーブメントにした
すべて計画通り!! 前田は1987年8月のマシン戦で勝った直後に「折った〜!」と叫んでたしな… 前田が新日に居づらくなって新しく団体作るのはいいが
「新日本はヤヲ、UWFはガチ」というデタラメをファンに植え付けた罪は重い >>715
鈴木と柴田がIWGP獲らせてもらえないのもソコだよ。
復帰は認めても一度会社批判をして去って行った者は認められないだ。
ちな新日の幹部(Hさん)が言ってた。 最初の長州の場合はむしろ新日本から頼んで戻ってもらった形だったから立場的にも強い
これは東プロ崩壊後の猪木と同様 前田が追放された後で高田と山崎も新日本を出たが、最後の置き土産とばかりに山崎も小林邦にケンカを売るような試合して辞めていった
「人のいいサンペイちゃん(小林)がやり返さないのをわかってて仕掛けやがって」と残った選手は怒っていたが
そんな山崎がいつのまにかいい奴とか常識人扱いされて新日に出戻ってるのもおかしな話 >>718
そんな時は、新日×UWFのイリミネーションマッチを見ると良い。
健悟×山崎で、ロープブレイクの離れ際に健吾が張り手一発。
激怒した山崎が左右ローキックで前進も全部カラ振り、怒りもカラ振りで
いなされている。 そういや前田が長州の顔面蹴りがもとでいなくなったあとの
新日でのU勢はジョバーにしかなってなかった
短期間であまりファンの印象に残ってないんだろうか
高田なんて健吾に蹴り入れるたびに
ふところに飛び込まれて反撃されまくってたし >>716
>鈴木と柴田がIWGP獲らせてもらえないのもソコだよ
ソコだけでは、ないだろう?www 健吾兄さんは藤原に舐められまくっていたが
高田と山崎には強気に攻める節がある
そこは藤原本人にやり返して欲しかったが >>721
うん。もちろん、今欠場してるのは実は謹慎処分だしね。
例え潔白を訴えても「疑わしきはナントカ」やしね。
柴田の通り名って何だったかな。烈…ちゃぷはめ 人殺しに団体の看板タイトル巻かせるわけにはいかんだろうからね >>721
チョン州も前田の蹴りにビビって腰引きまくりだったもんな。
やっぱりチョンはあんなもの。
そういう前田もチョンだけどな 木村はUWFが来るのをかなり反対してたらしいな
それを伝え聞いたUWFの5人から集中的にやられてたw
選手が激減した時、残って新日を支えた自負があったんだろうけど、
明らかにキックを怖がっててみっとおなかった ヤフー知恵袋より
>1989年に健悟選手の地元、愛媛で開催されたサイン会で
>「僕はプロレスラーになって、新生UWFに行きたい」と発言した少年がいました。
>健悟選手はかつてUWFとの対抗戦でボコボコにされ、
>ファンから「だらしない」と酷評された事もあり、
>ただでさえU系アレルギーの強い新日本の選手である事に加え、
>この発言は健悟選手にとって面白くないはずでした。
>しかし健悟選手は少年に対して、「そうか、前田も高田も頑張っているしな。
>ぜひUWFの道場を訪ねてみると良いよ」と親切にアドバイスし、
>「何かあればここへ連絡しなさい」と自らの名刺を渡しました。
>その少年こそ後の垣原賢人選手なのです
健吾兄さんは人徳者やなぁ、内心は辛かったろうに >>716 >>721
柴田はリタイアしてなければまだのし上がる可能性はあった
ただみのるは武藤全日で三冠王者に据えても集客力が無ければ周りを引っ張っていく器量にも欠けるって結果が出てるからなあ
>>722
これも藤原の言い分ばかりが喧伝される傾向にあるけど
健悟が損な役回りを引き受けていたからこそ現場が上手く纏まっていたという部分は否定出来ないんじゃないの?
後健悟は若手時代前田と同様「ぶっ壊し屋」で評判が悪くて一時はこれ以上怪我人を出し続けるんだったらクビだみたいに言われていた前歴が中堅以上トップ未満に止められた一番の理由なのと
それに目を悪くしていたせいで速い打撃を苦手にしていたなんて噂を聞いた事がある >>728
垣原がイナズマを継承したのにはそんな背景があったのか >>729
UWFの蹴りは速い蹴りではないだろ。プロレスだぞ。 キムケンって相撲出身だったよね。全然そんな雰囲気なかったな。ボクシングをかじってたのかと思ってたくらい >>732
相撲出身の雰囲気がないのは健吾、ジョージ、寺西かな。 >>682
亀レスだが、猪木vsホーガンの大阪公式戦は
ホーガンのジャンピンニーがもろに入って猪木が悶絶してたの覚えてる。 昔はまだ相撲取りが例えば田舎の農家の次男三男でガタイだけはやたらいい子とか
親も先生もとにかく手の付けられない暴れん坊の進路として機能していたわけで
ある程度素地となるタッパさえあれば太って身体出来ていくのは
入門後番付上がっていくのに伴ってでいいって考え方だったから
健悟やジョージのような所謂ソップ型の元力士はけっこういる
逆に今はみんな(学生相撲とかから以外)相撲取りになんかなりたがらないから
運動も勉強も冴えない単なる肥満児みたいなのしかなかなかスカウトに引っ掛からない
そりゃモンゴルやら東欧勢に席巻もされるよね 安田がトラブルで廃業して新日入団した時
坂口「ウチは相撲出身はケンゴくらいだから…」と言ってたのが記憶に残っている
新日は元相撲取りを入門させない方針だったのかな 相撲取りを取らない新日
在日韓国人を取らない全日
どっちも取らない選手を取るFMW >>740
新日も相撲とり取ってるだろw
ジョージは下っ端だが北尾は横綱、安田は小結。
全日も在日いるだろ。 新日本は角界出身者少ないイメージは確かにあるね。
木村健悟、柴田勝久、永源遥なんかは新日本以前の日プロ、東プロ入門組だもんね。
新日本旗揚げしてからの角界出身者の入門はポーゴが第1号かな。そのあとジョージか。
それから北尾、安田の時代まで角界出身者でデビューまでいった選手はいないんじゃないかな。 相撲出身のレスラーは輩出しないが、小錦の兄を素人にもかかわらず異種格闘技戦に駆り出したり
格闘技で勝ち星のない朝青龍の兄貴をバトルロワイヤルで勝ち星をあげたり
グダグダな事をするのも新日本らしいよな >>743
2000年以降のプロレスは知らんのだが、朝青龍の兄貴は新日のレスラーを皆殺しにしたの? 平成の新日本の話するなよ。新日本は昭和で終わってんだから 自身は三銃士?の頃には関心すらなかったが、
世代毎の思い入れの差があるから、まぁそうせっつくなって >743 747
新日は猪木以来、フツーに考えて「そりゃねーだろ」ということをあえてやって、リング内外の
「リアリティ」をかもしだしたがる癖がある そうやって決まったことしかしないライバル全日に
「ウチはちがうんだ!」てやってきたとこだから
新日は昭和で終わったというけどそうでもないような・・・昭和のマシン軍団「客入んなくなったら
マスクマンいっぱい出しゃいーんだよ」は平成の魔界倶楽部が受け継いでるしな 星野サンまさか
若松の役やらされると思わんかっただろうけど テレビでのマシンと星野の対戦ってどのくらいあったかな 新日は手駒が足りないから星野が主力入りしてたなぁ
ジャイアントマシンともタッグだが対戦していたくらいだ 小杉をメインやセミで使うよりは知名度があった星野のほうが何倍もマシだよな Uの連中の戻りがもう少し遅くなってたら、後藤も負け役としてメインの一角を担ってたかも。 実際に後藤はバーバリアンとかとシングルで対戦して瞬殺されてたよな 流星仮面のスーパーマシンって平田のマシンと見た目も名前も紛らわしいね アンドレとスーパースターがWWFに持ち帰ってあんなに派生するとは思わなかったw あのころマシンの露出のない完全フルフェイスのマスクはアメリカのレスラーからしたら珍しかった
だろうな 色も赤や黒、ハルクマシーンは白に金の縁取りか のちに紫や緑も出たな 維新もUWFもいない中、開幕された最後のMSGタッグリーグ戦。
キッドスミスの直前不参加、ホーガンが表向きの早期離脱、アンドレの急激な衰えと、
さんざんだったが、決勝の猪木&藤波 対 マードック&アドニスは本当に素晴らしい試合だった。
キワモノにたよらず、あーゆーレスリングをつらぬいておけばいいんだよ。
あれこそプロたちが繰り広げる至高のタッグマッチだよ。 >>760
猪木の雪崩式ブレーンバスターとか超レアなものも出たしな 愛知での猪木・藤波対マシン軍団も
久々のドラゴンスープレックスが
炸裂して盛り上がったな。
ヘビー級転向後、初だったか? あれだけ日本人勢が抜けたリーグ戦で助っ人参加したタイガー戸口の無個性感が酷い
団体に売り出す気がないのも惨いが、本人にもやる気があるとは思えない試合っぷり
アンドレに秒殺されに来たのか たっつぁんのマシンへのドラゴンはシングル戦以外にもあったのか。
忘れてるのか、もう俺痴呆が激しいわ >>763
ケリーブラウンと組まされたんじゃ、本人もやる気出ないわなw >>760
アンドレの衰えはこの年から目立ったね。
足があがらないから18文キックもままならず、
ダウンしたところに相手が突っ込んできて自爆みたいな勝ち方に。
IWGPのアドニスにはじまり、サモアン、藤波、戸口が同じ負け方してた。
テレビやらない試合で他にもいるかも知れない。 ケリーブラウンは前年にカルガリーで
猪木とシングル戦やってよかったから
期待したけどダメダメだったな。
その時猪木の救出に入ったモンゴリアン・
ストンパーにはテンション上がった。
ストンパーは、猪木の若手海外修行時代の
パートナーと知って二度ビックリ。 アンドレの殿様待遇は外人を使い潰す新日としては例外中の例外だな
アメリカ本国で超一流の外人でも、新日のスタイルに合わなければ酷い扱いするのに
どんなに衰え退化しても、アンドレには集客能力があったと言う事かな ケリー・ブラウンは最初はUWFに上がる予定だったんだよな。
結果的にはピート・ロバーツ、スコット・マギーとの交換トレードみたいになったが。 ストンパーは第1回MSGタッグリーグに出てたと思ったけど、オックスベーカーの勘違いだった ストンパーは第1回MSGタッグリーグに出てたと思ったけど、オックスベーカーの勘違いだった。猪木となら良い試合になっただろうなぁ >>760
もし長州たちがジャパンを旗揚げしてなくても
予定ではNY遠征のはずだから
当初から維新のタッグリーグ参加はなかったのかな >>773
浜口がどうなるか、だね。
カーンと組むか意表ついてマシンと組むか。 >>774
ファイトによれば当初のマスコミの予想では長州・谷津がWWF遠征、浜口・寺西が新日興行へ移籍、
小林がUWFの誘いを断り新日残留だった。 明けて85年お正月は全日の新春オールスターウォーズ85の大阪府立大会、見に行ったよ(スレちスマン)。
10試合くらいあったが全日正規にジャパンや国際、加えて外人だからほとんどタッグマッチという物量戦でw、
しかしまだコレといった遺恨なんかあるわけでなく単なる顔見世興行だったが、まあ客の入りが凄かった。
一万いったんじゃないかな? >>775
貴重な情報サンクス。
浜、寺は正規軍入りしても星野と同格かやや上程度の中堅になりそうな気はする。
見映えがしないからw
小林は残留していたらジュニア級のエース扱いだろうね。 >>767
>ストンパーは、猪木の若手海外修行時代の
>パートナーと知って二度ビックリ。
ストンパー宅で食事に呼ばれ、特製の人参ジュースをふるまわれた。
猪木は心温まる歓待に大喜びだったが、その人参ジュースを飲んだ後、
イチモツが激しく勃ってしまい、それが3日間おさまらなかったとかwww
猪木の自伝に書いてあるよね >>778
猪木「皆さん、考えてみて下さい。試合中もそんな状態だったら、どれだけ困るか」 >>769
ブラウンは身体がブヨブヨだしとても一流レスラーなるようには思えなかったが、カルガリーでの猪木とのシングルではなかなかフォールされずに粘ってたのは意外だった。 ケリーブラウンはT戸口の超高角度殺人パイルドライバー(ショルダーバスターがすっぽぬけて頭から突き刺さった)を喰っても死なかった超人だからな >>778-779
神戸でスッポンの生き血を飲んで同じような目に遭ったのがアドニス >>766
最後の頃はさらに動けなくなってジャイアントブローとジャイアントラリアットがフィニッシュになってたもんな アンドレがジェリー・モローと組んだのはフランス語が話せるからで
本当なら黒人のモローとは出場したくなかったってのは本当? >>785
発表は9200人だけど、今の新日よりちょっと多いくらいだろうな。 ケリーブラウンだっけ?
アンドレ戦後の前田と試合した時に怖がって前田の耳元で「I Like You」て言ったの ストンパーは84のビッグファイト第一弾に参戦予定だったけど来なくて残念。
ホーガンが日本陣営から去り前田がUに移籍して正規軍が手薄だったから、
猪木の助っ人としてちょっと期待してたんだけどな。 >>775
あるいは長州・谷津がWWFインタータッグを持ち帰るはずだったのか
>>776
実は全日本最後の旧大阪府立大会
確かメインに石川と寺西が出ていたんだよな >789
ストンパーはこのころけっこうトシだったはずだが、体力的な衰えがあまりなくてスレーターと金網デス
マッチやってたからなー ただ仰向けの相手の両足とってのストンピング、あとフィニッシュがコブラクラッチ
で、正直当時としても旧式のファイトスタイルだったから客にウケたかどうか・・・ >>786
ミスター高橋の著書(例の暴露本より前に出した本)にアンドレがモローと
一回もタッチすることなく試合終わらせて、高橋がそれを問いただしたら
「ニガーの手を触るのは嫌だ」と言ったと書いてあった。 >>792
ジャポネの穢れと似たようなもん
だから、日本とおフランスは妙な所で意見が一致しやすいのな ヘラクレスロンホークってテレビ出せないほどの
ダメ外人やったんかな? アンドレはバッドニュースアレンにも侮辱的な事言ってキレられたんだろ? >>794
開幕のVS木戸戦はテレビに映ってた。
一応勝ったけど、あの試合のしょっぱさで見切られたと思う。 新日でしょっぱい外人で思い出すのはビリージャック・ヘインズ 来日まえは未知の強豪!という
感じで雑誌の表紙になったりしたが来て試合したら全然動けない・・・
昔ファイトに載ってたミスターヒトの思い出話のコラムで、WWFが全米侵攻のエースにホーガンじゃなく
ヘインズを立てる予定があったといってて仰天したわ 新日には、アンダーテイカーになる前の若手時代に来日してたんだよな、全く記憶にない >>798
パニッシャーダイスモーガンだね。ロープ渡りからのエルボードロップは凄いと思った。 木戸修とのシングルでにキドクラッチ前のインディアンデスロックでギブした外人がいた。
名前は思い出せないが、そいつも筋肉だけはすごかった記憶。
ほんとゴールドジムでマッチョになったら即デビューみたいな奴がアメリカには多すぎる >>797
猪木とのシングルは、せめてフィニッシュで納得させようと猪木が久々のジャーマンをやってくれたのが救い。 >>797
アメリカと日本じゃ試合のテンポが違う
つべで向こうの試合見るといい試合してる
最終戦伝説の力抜山戦が放送されてたら評価は変わってたと思う >>798
マサにフライング真空ラリアット放ってたよ。
駄目だこりゃって思った。
もしかしたらマサが倒れるタイミングを早まったのかもしれないけど。 https://www.youtube.com/watch?v=gZdgnyKDFYM
サンシャインはジム・ガービンだけじゃなく
ビリー・ジャックのマネージャーも務めていたのか サンシャイン懐かしいw
他にプレシャスってのもいたっけ ミッシー・ハイヤット、エリザベス、ベビードール、センセーショナル・シェリー・・・ >>801
やったのは前年の蔵前ラストマッチの長州戦以来か パニッシャー ダイス・モーガンの時のテイカーはデカいし動けるけどイマイチかな?って思ってた俺の見る目のなさwホールと組んでた事もあって 当時のホールと同タイプ認定してしまった >>807
ビリー・ジャック戦のジャーマンは86年3月
その前のジャーマンは85年9月の藤波戦
その年のタッグリーグの藤波、木村戦でも出てたかもしれないが >>809
どうも映像で確認しました
試合後に上田が手を上げてましたね
完全に決めたのは三年前の浜口戦以来になりますか ビリー・ジャック・ヘインズ、ハクソー・ジム・デュガン、ビッグ・ジョン・スタッドあたりは
来日前からプロレス誌の海外情報で結構期待されてたけど
結果的にはあの時代の典型的な日本で受けないアメプロスタイルってかんじだったな
ただビリー・ジャックのフルネルソンは極めたあとスィングして振回すとか
上からのしかかるとか脚かけてメキシカンストレッチみたいにして逃げられなくするとかの
日本向けにちょっとした工夫して「蘇った昔の拷問技」みたいに
マスコミ使ってもっと喧伝すればそれなりに雰囲気はあったと思うけど
まあどっちにしろ上の全員仮に日本で人気出てもWWFでトップになるから
その後日本に定期的に呼ぶことは難しかったんだけどな スタッドは維新偏重のマッチメークで犠牲になった感じ。
長州ごときに負けを飲まされては二度と来るかと思うだろうな。 デビッド・シュルツなんかもいたな。
前述のホール、ダイスモーガンも含め、
素材的にはかなりの選手が来ていた。
新日が第二のハンセン、ホーガンをいきなり狙いすぎてた感があり、
育てようとかいう気がなかったのかもね。
全日ならスパイビー程度の選手でもそれなりにしてしまうのに。 全日はタッグ戦線に入り込めれば生き残りやすいが
新日の場合はいきなりシングルで猪木のライバルとして使えるか否か
というのが問われてしまうので生き残りは難しい
新日はタッグでは軽視されるからね >>812
ヒギンズは大剛ルートの米ではインディ地区中心のレスラーだし
試合ぶりはむしろ良かったろ
まあ素行不良で呼べなくなっちゃったけど
前記のレスラー達やヒギンズ、それにホールやオースチン、モーガン、
ウィリアムス、バーバリアン、ヘルナンデス、ビガロ・・・
ベイダーがトップに定着するまでいい素材来ても上手く使いきれなかったり
初登場ではインパクト残してもその後に登場する「強豪」と喰い合って
だんだんイメージが散漫になるケースが多かったなあ ヒロ・マツダの弟子のサムライ・ウォリアーはウォリアーズを少し小さくした体格だが、
アキレス腱固めをやったりとレスリングをやったら、
週プロ「そういうのより体格を生かしたプロレスをやるべき」
マッチョでレスリングもできるっていいんだけど、そう捉えちゃうか・・・ >>815
その猪木との対決でも、アクシデントで勝っちまわないかヒヤヒヤしたよ。
ヒギンズのパワースラムかなんかで猪木が失神しかけてたような記憶があるわ。
猪木も急激に衰え感じて、政治へ方向シフトしていくんだが。 鳴り物入りで呼んだ“ポストブロディ”ロン・パワーなんかも話題先行で終わっちゃったな。
この時期、育てる余裕というか発想がなかったんだな。
とにかく呼んでみてどうかなって、数打ちゃ当たるって考え。 >>819
脇の下に抱え込むバックフリップだったね
投げで叩きつけられたっていうより
猪木がムギュってかんじで下敷きになって押し潰されたかんじのヤツw
ウィリアムスのバックドロップもだけど
やる方が下手ってのは前提としてあるにしても
この頃になると猪木もこういうアクシデントに上手く対応できないくらい
衰えたのかなあという気分にされたな、当時 スピンクス戦から飛龍革命の後に欠場するまで
猪木のコンディションが良かった時ってないんじゃないかな?
欠場時に「この際だから悪いところを全部直す!」といって
あちこちと手術してたみたいだし 80年代なかばくらいの時期に、猪木を基準にして外人エース選手を選定はツラい・・・
しかしそれで思えば、ベイダーなんかよく来てくれた!て感じかな はじめはともかく以降はちゃん
と定着したし、平成以降も藤波長州、三銃士との抗争をやってのけたからなあ
動ける巨漢で、パンチが主武器という過去にいそうでいなかったタイプで新日らしい好戦的な雰囲気
も合ってたしな 先に登場してたビガロともうまくかみ合ってタッグでも活躍したし
のちのUインターや全日、母国のWCWやWWFと登場したところで必ずトップとる力量は今考えても驚異的
欧州やメキシコでも活躍したしな >>811
新間がいなくなったことも関係あると思うんだよな。
必殺技作るのに金なんかかからないのに何で期待されてる外人に
事前に伝授しなかったのか… ヒギンズは相手を倒してからコーナーポストに登るのが遅過ぎるんだよなw スピンクス戦に向けて減量してそのまま縮み続けたよな 長すぎる軍団抗争で新日は楽して稼ぐ方法に頼ったのが大量離脱後の負債になった感がありますね。
日本人対決なら軍団枠にとらわれず相撲みたいな形式もありえたとは思う。
それをやったのがUWFだけど。 藤波と維新軍の格上げで未知の強豪が藤波以下という扱いがあまりにも悲しかったな。
シュルツなんかサマーの最終戦で猪木と一騎打ちが予定されていたのに、
その大役を長州に奪われた挙句、藤波にも負けるんでは酷すぎるわ。
開幕で谷津を瞬殺したのも試合前の長州の大騒ぎで客もダレてしまってインパクトなかったし。
どうせだったら長州とシングルやってピン勝ちし、
最終戦に向けて盛り上げていってほしかった。
翌年のバンディもよかったのは新春だけだった。 ベイダーも最初はただの木偶の坊でしかなかった
ただ信じられれないスピードで日本のプロレスに順応してった
そこが他のいまいちエースになりきれなかったレスラー達とは違った 長州がブレィクして強豪外人との対決を楽しみにしていたんだけどね。日本人相手にやる威勢の良さをなんで外人に向けないのか、当時は不思議でならなかった。 >>815
長州らが抜けたことによる外人強化の一環としてウォリアーズを呼ぼうとしたけど、仮に招聘に
成功しても猪木とシングルが出来ないから売り出すことはできなかっただろうな。 >>832
けど、バッタ物のマッドマックスなんて呼ぶなら、無理してもウォリアーズ呼ぶべき
だった。けど。ウォリアーズが来たらブロディは新日来なかったかな。
デビットシュルツは古館をぶん殴ったり、かってのシンみたいな存在になるかなとか
思ったし、ヒギンズとのコンビもよかったから継続して参戦して欲しかった。 >>833
あれは本当にキレやすいから無理なんじゃないのか?
下手すりゃリング禍あるよ 昭和56年の新春黄金シリーズはショボかったな。ジ・エンフォーサーとサモアンズだからなぁ。 プロレスも本当にキレちゃう奴は干されるってんだから面倒だよね。
カール・ゴッチもその類だろ?
俺はレスラーとしてそんなにすごいとは思わないが、そういう裏の喧嘩エピソードが彼の格を上げてた気がする。
リング外で喧嘩する奴はただのゴロツキだよ。 >>836
MSGタッグがアンドレ、バックランド、ハンセン、ホーガン、ローデス、シンらを呼んで豪華絢爛だったから新春シリーズは経費削減かね。
全日本の新春シリーズも最強タッグに大物、人気選手まとめて呼ぶから地味なメンバーになるの常だったね。 >>837
安生に殴られて警察呼んだ前田を叩く糞どもに聞かせたい言葉だな。
喧嘩とプロレスは違うもんな。 前田は殴るのは好きだけど殴られるのは嫌いという救いようのない性格
坂田を凹ったのはやり返されない事を知っているから
安生の件にしても自分の方から殴っておいてやり返されたら被害者面
どこが格闘王だよ >>839
最終戦が思い出せない…シンと猪木が闘った?ケンパテラは違うかな?印象に残らないシリーズだよね >>838
確かに年末は凄かったからね。猪木・ローデスVSハンセン・シンとか夢のカードとか https://www.youtube.com/watch?v=20zHMKPcs0U
入場曲、消音対応してるね。
俺の記憶じゃ確か「燃えろ!吠えろ!タイガーマスク」の初オンエアの試合。 >>836
リング外では話題振りまいてくれたけどな。
札幌のストリップ劇場で。 81年新春黄金シリーズ
シン、上田、サモアンズ、
パテラ、ダンカン、エンフォーサー
結構なメンバー揃えてる。 >>850
札幌中島でシン対猪木のUWA世界戦やったんじゃないかな? 最終戦は東京都体育館で猪木ローデスvsシンハンセンの再戦と言われてたがローデスハンセン来ず
後楽園ホールで坂口長州vsサモアンズの北米タッグに
たしか東京都体育館のチケットを売ってたのに後楽園ホールに変更だったはず >>852
最終戦は猪木VSケンパテラか。前年の武道館の再戦だね。武道館のハンセンVSバックランドは鶴田が観戦して雑誌に感想書いてた記憶がある。懐かしいなぁ >>836
前年末のMSGタッグでパワーズとのコンビを拒否したスーパースターが
来日キャンセルして急遽ベーカーが来日。
当初ベーカーとのコンビで来日する予定だったエンフォーサーは、
単独の参加になったんだよね。 方や全日は、ブッチャーとルーイン、特参でガニアとシークか。
なんか地味だな。 ケン・パテラやビリー・グラハムの全盛期ってどれぐらいのネームバリューだったのかな?
昭和47年生まれの自分でも、少し前になる >>854
コンビ結成拒否で来日キャンセル。
夢があるな。 そんなシンとブッチャーが夏には出場団体が入れ替わってるとはこのとき誰が思ってただろうか? >>856
グラハムは来日前から海外記事とかでけっこう取り上げられてて
当時はああいうファンション性取り入れたレスラーってあまりいなかったから
所謂「来日が待たれる未知の強豪」だったと思う
国際に来たあとはマッチョの木偶の坊ってバレちゃったけど
パテラは特には・・・
日本では重量挙げのメダリストといっても重量挙げ自体が
日本ではマイナーというか「格闘技やコンタクトスポーツじゃないし…」ってかんじで
あんまり訴えかけるものでもなかったから ケンパテラ戦での猪木のフィニッシュ技の卍固め(日本武道館)、バックドロップ(後楽園ホール)。いづれも完璧で絵になった。衰えるちょっと前だね グラハムって、本国だとかなりセンセーショナルな存在だった
あの当時世間的には一番の知名度あったんじゃない >>854
長州のパートナーはカーンの予定が星野に変わったけど、
カーンはなんで帰国しなかったんだろう。 パテラはデビュー数年でメインイベンターに昇格して、アメリカではかなりの活躍を見せた選手だけど
日本は国際、全日、新日にきたがあんまりピンとこなかった 試合自体は悪くないんだけど
パワーが売りだがスピードも結構あったし
あーでも思えばパテラって列伝でホーガンと戦ってたな 猪木に「あまり頭がよくない」とか酷いこと書かれてた
っけ?パテラが日本でパッとしなかったのは列伝のせいじゃないか? ケン・パテラはボブオートン・Jr同様に「次期NWAチャンピオン候補」と言われた
器物破損と警官暴行で刑務所にブチ込まれたりしなければ… パワーファイターと言えば、マイクシャープジュニアもイマイチ期待はずれだったな。あのシャープ兄弟の息子だからちょっと楽しみだったんだけど。練習熱心だったらしいのは身体を見ればわかるけどね パテラは猪木戦の当時は
ミズーリ州王座とWWFインタコンチを同時に保持していた
長い歴史で同時保持はこの時のパテラだけ パテラって後にミネソタ州の知事になった人かと思ったら、
ありゃジェシー・ベンチュラだったね。蔵前の一騎打ちでは
猪木に敗れたけど、政治家としては猪木より出世したね。 >>866
シャープは初来日の時にホーガンの良きパートナーって感じでパワーもあり期待したけど、
いかんせん維新軍偏重のマッチメークで素材を潰された感じだね。
あのパワーで長州を弾き飛ばすくらいの試合をしてほしかった。 >>868 コーナートップからの猪木のダイビング延髄とかその場の思いつきだったのかな?w 何だかよく分からない形だったね 猪木VSベンチュラ戦は通常のワープロ枠でなくスペシャル番組枠だった
普段プロレスを見ない層に訴えかけるために猪木がハッスルした説と
トップロープからのニードロップを狙ったが、ベンチュラが起き上がってしまったので
アドリブで延髄蹴りに切り替えたという説があった 後者だとしたら、猪木はそういう一瞬の判断が他のレスラーよりも
優れてるとはよく言われてたね。 ベンチュラ戦の前、猪木はMSGシリーズでアンドレに膝を負傷させられ手術したんだっけ?
延髄斬りを使いすぎて膝を痛めていたとも書かれていた記憶がある。
それなのにベンチュラ戦でダイビング延髄斬りを放つ猪木は凄いと思った。 たしか数ヵ月後のシングル再戦で、フライングニードロップでベンチュラからピンフォール取った記憶がある >>873
しかしフィニッシュのジャンピング胸ペチ蹴りはいただけない むしろセミの藤波とブッチャーの対戦が良かった
あるいはブッチャーの新日本でのベストバウトだったか >>875
もしかしたらマリガン戦だったかもしれないが忘れた。遠い昔 猪木藤波の連続ニー投下は良かったな。
タッグではなんだかんだ言っても猪木藤波がベストチームかな。
猪木坂口では坂口のリズムが遅くて でも85タッグリーグでは一周まわって新鮮にも見えた猪木坂口組w 猪木藤波vs坂口長州なんてのが実現してたら面白かったかも。
坂口と長州が根性出してくれるのが条件だけど。 そういえば、坂口はシングルとタッグの北米二冠だったね。NWAとWWFの両方の北米シングルとかどんだけ北米好きなんだよw 坂口を移籍させる時「坂口は猪木と同格の扱い」という条件を最初から守る気は無かったが
流石にあからさまに猪木の引き立て役の踏み台にするのは気が引けたのか
猪木が関わらない北米タッグを巻かせといてご機嫌を取っていた印象 猪木はレスラーとして坂口のこと
あんまり認めてないと思う
格下と組んでリーダーとして盛り上げれないし、
猪木と組んだ藤波みたいなやれらっぷりもできないし 坂口みたいな塩がトップ2なのはしんどいよな
馬場とならテンポもあったろうが、、 タッグでの坂口ってフィニッシュ時のラッシュぐらいしか使い道ないよな。
猪木と組んでそれやられたらたまらんし。 >>883
社内的な立場では同格で
興行上の仕事の負担が軽いのなら
そっちのほうが楽でいいだろw >>878
83年元旦に後楽園ホールで行われたマリガン戦だね
その試合はワープロじゃなくてTBSが日曜午後1時に放送していたビッグスポーツという番組でダイジェストを流していたんじゃないのかな ラッシャー木村は国際が潰れたのは自分に客を呼ぶ力が無かったからだと自分を責めていた
だから新日から移籍した時の金を全部吉原代表にあげた
坂口は日プロが潰れたのは大木や日テレが離れたせいにして、
己のプロレスのつまらなさを棚に上げていた >>888
他局が試合結果を放送するなんて、いかに当時の新日本がブームだったか分かるね >>888
ビッグスポーツはテレ朝が土曜の4時にやってたスポーツ中継の番組名。
TBSのは違う番組名じゃないか? >>891
ああ申し訳ない
「ビッグスポーツ」じゃなくて「マイスポーツ」だった猪木を取り上げたTBSの番組は
後ついでだけどこの「マイスポーツ」は別の週で佐山タイガーの特集もやっていて
その時はタイガー浜田星野組vsミショネロスの6人タッグマッチの一部を放送していた >889
ラッシャー木村は国際が潰れたのは自分に客を呼ぶ力が無かったからだと自分を責めていた
だから新日から移籍した時の金を全部吉原代表にあげた
これマジ?国際が潰れたのは吉原はじめ上層部に企画力が皆無だったからだと思うんだけど
きちんとした展望もなくAWAと提携してガニアに莫大なカネ払ったり、金網デスマッチも興行上の
設定がちゃんとあるのにとにかく目立つことやれ、て感じで脈絡なくやるし 木村可哀想 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに >>894
1戦目がアレだったから期待してたのにな
>>895
俺も同じこと思った
>>896
いくらなんでもそれは違うだろ
>>897
そんなバカな 木村側のセコンドに付いていた剛の下半身が新日本のユニフォームだったのも立場の中途半端さを表していたような 剛はむかしから、ズルいヤツてイメージがある 新日でのハンセンアンドレ戦だったか、試合後の
乱闘で前田がハンセンのラリアット喰らったりしてる中で、周辺をパタパタ走り回るだけでなにもせず
に誤魔化してた
マイティは剛を「素質はスゴイが性格が変わり者すぎた」とかいってたが、現役のころから悪口ばっかり
言われてたような気がする >>900
国際にいたころは不幸な家庭の苦労人ってイメージを押し出してた。
そういった環境で育った結果、ああいった屈折した人格が形成されたのかな? >>901
親の愛情が不足してるから人の気持ちが分からないんだと思う。 >>899
剛は全日の愛知大会に乱入した時も
真っ黒なジャージだったんで誰なのか判別するのに時間がかかったよ。
原色か白のTシャツにすれば遠くから見てもわかりやすかったのに。 橋本や健介も社会人として異常だったけど、それを片親だった過去を言い訳にして欲しくないな
片親でも他人や家族に優しく出来る人間はいっぱいいる いっぱいいるのかもしれないけど苦労の度合いは半端ないだろうな
分かり合えなかったこともやまほどあるだろうし >>904
片親でも十分に愛情を受けて優しい人間に育つ事は可能。
最悪なのは夫婦の仲が悪くて子供がその鬱憤をぶつける対象になってる状態。
教育・愛情の名の下の憂さ晴らし。
子供は何が正しい事なのか分からなくてなる。 橋本は親父さんが蒸発、健介は親父さんが自殺だっけ。
橋本は親父さんとドキュメントで再会してたよね。
親父さんは普通にプロレス観戦したこともあり、自分の息子が橋本真也だと知らされ、「嘘やろ? 俺この前観に行ったで」とすごいびっくりしてた。
再会したけど、二人ともどう接していいかわからず微妙な空気流れてた。
橋本は「親子なのにな」としんみりしてた。 まともなやつは山ほどいる。ってのは
個々の問題から目をそらせるよなあ 家庭の事情って意味なら前田も悲惨な少年時代だったようだし >903
こういう、この状況ではどんな身なりをすればいいとか的確に判断できるセンスが
プロには必要だよな 猪木とかそういうセンスとび抜けてたな
師匠の力道山もこのへんが鋭くて、以前当時のニュース映画のインタビューを受けた映像見てたら、
インタビュアーに「プロレスは真剣勝負でなくショーでないかといわれてるが・・・」うんぬんて質問されてて
「そうです、プロレスはショーですよ」と答えてたが、そのとき力道山は珍しく口髭アゴヒゲをたくわえて質問に
答えてた いつもと違う身なりにすることでこの受け答えはふだんとは別のモノだ、という状況を演出してたのね
このインタビューで「なにが真剣勝負かと言われたら、この世のすべては真剣勝負」ともいっていた やはり力道山
て凄いんだなーと感心したわ 高野兄弟の父親は黒人で母と駆け落ちみたいに一緒になって2人が生まれた。
米軍兵士の父はベトナム戦争に行っていて、その後アメリカに帰国してしまった。
兄弟は色々な所を転々として食事もままならなかった。
俊二「糠味噌の味噌汁を飲まされこともあった。兄貴が盗んできたお菓子を2人で食べたこともあった」
小一の時に肌の色が違うため仲間はずれになって雑巾を顔に投げられた。我慢していたが、反撃してワルになった」
前田「今ならハーフという言葉もあるが昭和30年代ですよ。だからかジョージは性格がぶっ飛んでる(人のことが言えるか!!)
苦労したためジョージには影がある」
ジョージ「父がシカゴの方にいるらしいんです」
猪木「そうか。よし今度一緒に探しに行こう」 シカゴと言えば、たしか新日本の初期にザシークが参加してたんだよな。創世記の新日本には考えられないビッグネームだよな。パワーズとかアニーラッドもシークのラインから呼んだのかな? シークはシンがNWF王者の時に挑戦してるくらいだから
NWFの関連ではないかな そーいやブッチャーもNWF王者に名を連ねてる。なかなか日本人にとって因縁のあるタイトルだなw ブッチャーVSシンで、シンが全く反則しない驚愕のクリーンファイトなら見たいな >>864他
全日にパテラが来たとき(78年)、テレビマッチで見た記憶があるな。ブラジルを押さえてエース格で
馬場のPWFにも挑戦したはず。あとブラジルと組んでインタータッグも。初来日の国際は俺もチョット世代から
切れてしまうので分らんが、全日の頃はもう大西洋地区あたりでトップヒールだったんじゃなかろうか。 >>917
あの当時はNYじゃなかったかな。
一緒に来日予定だったビリー・ホワイト・ウルフの首を負傷させて欠場に追い込んだって触れ込みだった。
来日中止を上手く新顔パテラの煽りにこじつけたんだろうけど。
ウルフは同じく参加してたワフーの相棒だったんだからさらに便乗してワフーとの抗争を一本の柱にすれば良かったのに。 >>912
修羅の国の八幡・黒崎界隈では「熊西中の高野兄弟」といえば
基地外兄弟として80年代になっても未だ伝説的存在だったんだが… >>882
イメージ的には世界未満アジア以上と言ったところか ビッグサカは南アフリカのベルトを奪取したことあるよね 坂口が使ってたワンハンド・ネックハンギングって
今だとチョークスラムだね >>924 そうそう。あれは一体どんな展開のためだったのか不思議 >>925
単に南ア側の事情なんじゃないの?
ウィルキンスもたまに転落しないと飽きられるだろうし。
ポリネシアタッグの時のような日本と関連したものではなかったんだろう。 >>922 >>924-925 >>927
坂口自身が一昨年だったかGスピのインタビューの中で
南アフリカに遠征したのはゴッチのブッキングだったと話していたよ
タイトルを取ったのは>>927の言う通り興行のアクセント付けだろうね ウィルキンスとなるとテレビ中継開始の最初の蔵前での黄金コンビとの対決の方が思い出される 長州がカネックからUWA世界ヘビー級獲ったどー、団体のお膳立てで作った
藤波のWWFインターヘビーより由緒あるぞーとほざいていたが
メキシコに帰る直前にカネックに取り返されていたんじゃないか
丸腰で帰ってきといて偉そうに言ってるなぁと当時思った 浜田とのUWA世界タッグの方は一応そのままだったんだよな >>836
この>>849にもある通りのメンバー。
パテラ、ダンカン、サモアンズ、エンフォーサー、アレン、プリチャード、シン、上田
当時の月プロレス誌も大々的に煽っていた。
ジュニアのプリチャード以外は全て大型で凄まじいラフ&パワーを持つ。
日本陣営もこの大型ラフファイター達を相手にするのは想像を絶する苦難のシリーズは明らか。
まあ当時の雑誌はこういう具合で煽って盛り上げていたが。
ちなみにこの81年新春黄金シリーズは当初はハンセンやバックランドも参加予定になっていた。 >>932
アレンと特参のシンを抜くと国際みたい
国際だと超豪華版シリーズになるけど 昭和55年春頃に藤波、スティーブカーン、マイクグラハムでベルトを取り合ったのが懐かしいな。藤波はニューヨーク、ロス、フロリダと日米を行ったり来たりして大活躍してた パテラはその春(81)のビッグファイトシリーズ第2弾でも来日したが、もう全くのノーマークつか員数扱いで
いよいよ始まるIWGP予選の話題に進んでいった。ザイールビコとか訳わからんのとかいたな。。
しかし、このシリーズ最終蔵前で大きな話題を振りまき歴史に名を刻む選手が登場するわけだ。。 これから、深夜0時40分から始まるワープロクラシックスの74年6月猪木対シンって蔵前のシンが火を放った方?
大阪府立の腕折りの方? >>935
新日本はタイガーマスク以前と以降で歴史が別けられるよね プロレス界全体だけでなく、格闘技界にも佐山が大きく影響を与えた。偉大過ぎる >>936
今観てるけど腕折り試合の方でした
ただこれは去年の5月か6月にも放送したよね?
しかしこの雰囲気とても日本とは思えん ブラッシーがマネージャーでヒゲ生やした悪役時代のホーガンか、 しかし最高気温30゚Cで「うだるような暑さ」とは・・・ ブラッシーがマネージャーでヒール時代のホーガンて背中の毛も凄かった印象w そういえば一度だけアレンが外国人エースで唐突に強キャラ扱いのシリーズあったよね? >>943
84年の新春黄金シリーズかな?
蔵前のメインで猪木とシングル組まれてたな
ブッチャーと仲間割れしたり、この時は本気でアレンを売り出そうとしてたのかね >>945
そのシリーズはWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦があり、
決勝の蔵前で同点のコブラ、キッド、スミスでの巴戦でのWWFJr.王座決定戦があり、そっちがメインだった。
他は猪木vsアレン、藤波vsラッシャー木村、数日前の札幌で長州テロやった藤原vs浜口もあった。
何か猪木が誰かの欠場かでカードからあぶれたような記憶がある。
札幌では猪木&前田vsホーガン&マイクシャープJr.だっから当初は猪木、ホーガン絡みか? アレンが好きな俺は嬉しかった。
ブッチャーとのシングルの時にはアレンの流血が見られる、と楽しみにしていた。
でも全く予想外の展開に。
あの試合見て『アレン時代到来』を感じさせた。
アレン、木村でかつてのシン、上田を期待した。
しかし最終戦の猪木とのシングルで木村の裏切り。
その後は木村と抗争かと思えば木村は新日離脱で旧Uへ。
何とも中途半端な結末に。
夏に実現したアレンとシュルツとのコンビは良かったと思う。
アレンはもっと売り出して欲しかったなあ。
シュルツとのコンビは売り出せば強力タッグだと思うし。
素行が悪いシュルツでは長くは続かずシュルツ来日不可になった可能性もあるけど。 >>945
>>946
おお、さんきゅ!
あのシリーズはジュニアヘビーリーグ戦のイメージしかなかったから
そうか、あのシリーズだったのか
ジュニアリーグ戦は最高に面白かったが
コブラにキッドスミスときて
序列的にブラックタイガー↓っぽくなったのがちょっと残念だった あのリーグ戦で佐山のライバルだった小林や黒虎が呆気なく負けるのがショックだったなぁ……実質的にスミス売り出しのシリーズだったんだね。 スミスが全日でヘビー転向した後のひどいことひどいこと。
昭和全日スレでさんざん塩呼ばわりされてる。 >>949
小林は負けたか? コブラ、キッドとはドローだった。
コブはラ>キッド、スミスだったな。
俺はキッドが小林にやった強烈バックドロップが印象に残ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=28oapldU9Xs ブラックタイガーが何の脈絡もなくコブラとタッグ組んで、なおかつアッサリとキッドにピン取られたのが哀しかった。 >>952
翌年にはさらにイミフでヒロ斎藤とのコンビでコブラ高野を苦しめていたな。 >>951
クイックで負けた。
その前に寺西に反則負けしたこともあって脱落した。 ついでにもう一つ質問
あのリーグ戦って
コブラ、キッド、スミス、ブラックタイガー、小林、寺西
星野、高田も参加してたっけ?
あと外国人の参加や星取りは? >>955
星野は参加してないな
外人はブレット・ハートとベビーフェイスが来てたかな 蔵前での猪木×アレンでアレンの流血も見たかった。
場外でラッシャーがアレンにまさかの裏切りのラリアット以降。
ここから猪木がアレンを鉄柱攻撃へ。
これでアレンが大流血。
先にリングに上がった猪木。
大流血でフラフラ状態でエプロンに上がるアレン。
そしてエプロンからブレーンバスターでアレンの巨体をリングに。
カウント2で返すアレン。
割れた額にナックルの連打の猪木。
そして延髄斬り。
しかしアレンはカウント2ギリギリで返す。
館内どよめき。
すると今度はアレンが猪木の腹部にヘッドバット。
更に割れた額で猪木にヘッドバット。
パンチ、キックで猪木をコーナーに押し詰める。
猪木をロープに振ってラリアット。
カウント2で返す猪木。
猪木を抱えてオクラホマスタンピート。
カウント2ギリギリで返す猪木。
アレンの猛攻に猪木ピンチ。
館内は大イノキコール。
またもやロープに振ってラリアット。
だが猪木は寸前でかわして延髄斬り。
ダウンしたアレンを無理矢理起こして卍へ。
卍がガッチリ決まって試合終了。
こういう展開でも良かった。 小林邦の星取かなり悪いぞ。
順位はキッド&スミス&コブラが31点で同率1位。
黒虎が22点で4位。ブレットが20点で5位。小林邦が16点で6位。寺西が11点で7位。高田が4点で8位。ベビーフェイスが2点で最下位。 >>958
3人同点一位じゃやっぱ4位以下が割り食っちゃうなあ
しかもコブラとスミス、二人も↑しなきゃいけないとなると
でもブラックや小林だけじゃなく他のメンバーも
これだけのメンツ揃ってるんだから
もうちょっと順位はともかく星取や勝ち点はどうにかしたかったねえ @キッド Aコブラ Bスミス Cブラック Dハート
E小林 F寺西 G高田 Hフェイス
_@ABCDEFGH
@_●□○○△○○○
A○_△○△△○○○
B■△_○□○○○○
C●●●_○△○○○
D●△●●_□○○○
E△△●△■_■○○
F●●●●●□_〇△
G●●●●●●●_□
H●●●●●●△■_
曖昧だけどこんな感じだった気がする。
ハートは三弱のうちのどこかで反則かROで勝ってるのかな? 小林邦昭は昭和62年のIWGPジュニア王者決定トーナメントで覇者となったが、馳に繋ぐための暫定王者みたいなものだったな。 >>960
ブレットは小林邦からもフェンスアウトの反則勝ち。
このリーグ戦、あらゆる勝ち4点。あらゆる引き分け2点。負けはもちろん0点。小林邦の星取詳細は高田&フェイスに勝ちで4×2で8点。
ブレットと寺西にフェンスアウト反則負けで0点。
キッド、スミス、コブラ、ブラックとは両リンか両フェンスアウトで引き分け2×4で8点。計16点。
9人中6位と低迷。
でも、最終戦の大阪府立では、コブラのNWA世界ジュニアの方に挑戦権が与えられた。 >>961
小林は一時新日マット離れてたこともあるけど
それよりやっぱりこの時のコブラキッドスミスにリーグ戦で
内容はともかく星取や順位で後れを取った扱いのせいで
新日復帰後もジュニアタイトル獲ってもあくまで「まだまだ健在」的な扱いで
第一線というよりはちょっと下がってライガーや馳の売り出しの噛ませ感出ちゃったもんな
まあ実際そういう位置づけだったんだろうけど 第二回のジュニアリーグ戦は大量離脱や電撃移籍もあってメンツはしょぼかったな。
コブラ、越中、小杉、山田、ブラックタイガー、セントクレア
あと誰だよw 第二回のジュニアリーグ戦は大量離脱や電撃移籍もあってメンツはしょぼかったな。
コブラ、越中、小杉、山田、ブラックタイガー、セントクレア
あと誰だよw サンクス
ドン荒川が出なきゃならないくらい人材難だったんだな。
キッド・スミス・ハートが来なくなって外人勢は華がない。
若手の山田が人気急上昇で遠くに光が見えていたのだけが救いだったか。 俺は人材不足もあるけどどっちかっていうと
藤原の「前座の鬼」ギミック同様に
当時の通を気取るマニア寄りファンに媚びを売った
「コミカルな前座の力道山=実は隠れた実力者」ギミックとして見てたなあ
新日前座の「ゴッチイズム」と「中堅ベテランの隠れた真の実力者」ギミックは
マニアックなファンの新日ストロングスタイル幻想の大いなる根拠だったよね
そのずっと後に全日が百田でその二番煎じをしてたのはさすがに…だったけど 新春シリーズでジュニアのリーグ戦が行われたのって4回だっけ?
3回目がトップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニア、
4回目がIWGPジュニア挑戦者決定戦。
その後あった? >968
そのずっと後に全日が百田でその二番煎じをしてたのはさすがに…だったけど
あー・・・
おれ全日派だったけど、なんつうか全日は伝統的に新日と比べて企画力が大きく劣るなーとは
感じてた 荒川の起用は新日的には苦し紛れだったかもしれんけど、全日はそういう苦し紛れの
抜擢すら考えつかん所があるから・・・ >>968
荒川は本気出すと怖いって言うのは説得力あったかも。
もちろん人材不足のおりに「荒川は本当は凄いんだ!」と自分に言い聞かせていた面も否定できないw
大量離脱後に星野と荒川が竹刀をふるって若手を鍛える姿には新日の怖さを感じたな。 >>968
>>970
百田がプッシュされたのって、世界ジュニア奪取するときかな?
何度か挑戦して仲野に勝って王者になったんだっけ。
フロントヘッドロックから強引に回転して抑えるみたいな不細工な勝ち方だったけど盛り上がってたね。
東京から大阪に駆けつけた数十人の百田軍団が狂喜とか、当時の雑誌に書かれてた。
藤原や荒川の抜擢とは違って、四十過ぎのベテランレスラーに一度は花を持たせたいみたいな浪花節がありありだった気がする。 キッドとスミスを売り出すためにブラックを踏み台にしてコブラに負け飲ませたのに
ミスターヒトを怒らせて二人を全日に引き抜かれたのでは泣きっ面に蜂だな
いまさらキッドスミスより弱い(設定になった)ブラックタイガーを
コブラのライバルにしても盛り上がらんし 他のジュニア級だってもともと員数レスラーに過ぎなかったセントクレアーだもんな。
タイガーと小林の二番煎じかつ劣化コピーのコブラと斉藤の抗争は盛り上がらなかったし。
越中と高田山崎がバチバチやりあうようになるまでジュニア戦線は寒かったね。 >>971
新日がやっぱりイメージ戦略的に上手かったのは
「前座の鬼「関節技の達人」」「猪木のボディガード」「道場のポリスマン」
こういった呼称を前座中堅にも流布することで
前座だけど実は陰の実力者〜コミカルに見せても最後は真剣勝負でシビアな戦い
ってイメージを観る側に巧みに植え付けたことだな
これが全日前座だと鬼や達人でなく馬場の「付き人」になっちゃうんだよな
とはいえこの新日のイメージ戦略、
その中で唯一一人負けで損をしたのが健悟なんだけどw 新日のイメージ戦略の上手さはやっぱ新間さんの力かな? フジワもアラカも幻想を抱かせた。
それがシンニプロレの幻想に繋がった。 >>975
とはいえキムケンは野球でいうと「ローテーションの谷間」だから負け役でも救いはあったw
不遇だったのは永源と栗栖だと思う。
二人とも海外で放浪しながら戦ってきたツワモノっていう肩書があっただけに残念。 エイゲもクリマサも強さは抱かせた。
エイゲはゼンニプロレでああいうコメディアンになったから強さを感じさせなくなったが。
フジナは怖さはなくても強さを感じさせたし。
キムケンはそれがなかったなあ。 >>976
う〜ん、この辺の「ゴッチの弟子」に端を発する基本的なイメージはむしろ桜井さんあたりじゃないかなあ
>>970で全日派だったって書いてるから書くんだけど、
なぜ大仁田が壊れて渕が帰国してきた時に
「(全日唯一の)ゴッチの弟子」としてさっさとベルト捲かせなかったかが未だに不思議
いくら馬場がゴッチを評価してなくてもあの時代ではイメージとして有効だし
特に大仁田がタイガーと比べてナマクラだった分、地味な渕ゆえのシリアス売りには最適だったろうに (全日唯一の)ゴッチの弟子なんて売り方したら
ゴッチイズムの新日のが上だと言ってるようなもんだろ >>978
> とはいえキムケンは野球でいうと「ローテーションの谷間」だから負け役でも救いはあったw
まあ負け役はともかく健悟の“ヘタレ”イメージがやっぱりさぁw
一時の新日マットは(ファンにも)明らかに
「ガチでやったら(これも今となっては幻想だけど)健悟より藤原や木戸や荒川の方が…」
って雰囲気を半ば公然と醸し出してたというか
健悟じゃまあしょうがない感マンマンというか、ネw 昭和のシンニプロレはカルゴイズムが凄かったかんな。
それに対抗してかゼンニプロレはルーテ杯とかあった。 反選手会同盟も、本来は越中・小林なんだよな。
小林の癌での欠場がなかったら、
健悟はどういう展開だったかは疑問。 >>983
よぉクソムシまだ生きてたのか早く氏ねよ >980
うーんたぶんだけどもう三沢がいたからじゃねえかな?83年に淵がチャボのベルトに挑戦して負けたけど
見た目も試合ぶりも地味すぎて、とてもジュニア王者を任せれるようには思えなかったしなあ
馬場は急きょマイティをジュニアに抜擢してしのいで、翌84年に三沢をタイガーマスクにして凱旋させてるから
淵のことは眼中になかったんじゃねえかな?馬場がゴッチを認めてなかったのは当時すでに有名だったし
逆に全日のクセにゴッチにレスリング習いに行った淵を怒ってたのかもしれん だいたい馬場には「シリアス
売り」という概念は無いと思うし
馬場は他団体出身のジュニアでもヒロ斉藤のことは気に入っててベルトも巻かせてるからなあ ヒロと言えば上田との仲間割れはすごくわざとらしかったな >>986
渕は華もない上キャラも固まってない感じだったから全然感情移入出来なかった。
マスコミからも結構辛辣に書かれてたね。
ああいう冷酷なテクニシャンというキャラが固まったのはジャパン軍参戦後だよ。 第2回MSGシリーズ優勝決定戦の猪木のコーナートップからのダイビング胴締め落とし。猪木のフィニッシュ技として異色中の異色だし、全く語られない不思議なフィニッシュ。筋書として失敗なのかな? キムケン、ジャパンカップタッグリーグの開幕戦で長州からフォール勝ちしたよね。
この年の両国の藤波とのシングルで三本勝負の一本をフォールで取られてるのをのぞけば、長州がシングル、タッグ通じてフォール負けしたのって1984年8月の最後の蔵前の猪木戦以来だったんだよね。
でもその日は生中継で試合途中で中継終了。肝心のフォールシーンは生中継で流れず。
翌日東スポ見たらまさかキムケンが長州からフォール取ったとは思わなかったから、びっくりしたわ。
この快挙は流れなかったのに、TPG騒動の年末の両国で「やめろ」コールの大混乱の中、仕方なしに長州にフォール負けして試合終わらす模様はテレビでしっかり流れたキムケン。
つくづくついてない人だと思った。 >>991
エンディングのとこで写ってた。
ただ提供クレジットが被ってわかりにくかったが。 >989
あのころマスコミが淵をどう書いてたかは全く記憶にないが、淵は80年代はテレビに出る機会が
あんまりなかったよなあ?オレがこのころの淵をテレビで見たのは馬場と組んで、ロードウォーリアーズ
と対戦した試合ぐらいかな?
むかし坂口が若手をゴッチにとこにやるのを反対したとき、その理由に「ゴッチのとこにいかせた若手は
試合が地味になりすぎて客が呼べなくなる」ていってたらしいが、それ新日の連中より淵が顕著だったような? 88年の格闘技イベントのリング上で佐山と三沢が対面しているが、ゴッチ、渕、藤原も来ていた。
ゴッチが渕に「お前は誰だ?」
渕「タンパの自宅で練習したじゃないですか? その後、手紙も貰ってます」
ゴッチ「覚えてない」 >>989 >>993
渕の場合上田馬之助やナガサキ辺りと同様アメリカでやってた日系ヒール流の動きが今に至るまで抜けきれてないのがファイトスタイルが地味に写る一番の理由だから
ゴッチの指導云々は関係無いんじゃないの?
>>994
>渕「タンパの自宅で練習したじゃないですか? その後、手紙も貰ってます」
>ゴッチ「覚えてない」
こんな話を聞くと渕がGスピのインタビューで話していたゴッチの方から全日参戦を売り込んできたとかいうネタも眉唾物にしか思えなくなるね 淵はゴッチ直伝のチェーンデスロックをもっと使えば良かったのにな…… キムケンは顔が菅原洋一だった(寛平ちゃんとは当時は言われてなかった)から凄みが伝わらなかったw
藤原のテロはなんかあり得たけどキムケンは頑張ってもあのレベルって感じで。 猪木は影響をを受けた外人選手にゴッチやテーズ・コワルスキーをふつうは挙げるが、正直疑わしい
ゴッチについては新日旗揚げ当時のイザコザで罵倒してたらしいし
猪木が本当に影響を受けて手本にしてた外人選手はもしかしたらバーン・ガニアじゃないかと
ガニアは自身が一流選手でメジャーAWAのオーナーだったが、選手の育成やプロデュースにも才能を発揮した
往年のガニアの試合ぶりの巧妙さはいまみても斬新 60年代にマッドドッグ・バションを宿敵にして大抗争を
展開したが、これが70年代のVSシンとの抗争のモデルになったとか フジナがガチ190あればシンニプロレの歴史は変わっていた チョリキがガチ190あればやはりシンニプロレの歴史は変わっていたぞ このスレッドは1000を超えました。
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