昭和の新日本プロレス2 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>894
1戦目がアレだったから期待してたのにな
>>895
俺も同じこと思った
>>896
いくらなんでもそれは違うだろ
>>897
そんなバカな 木村側のセコンドに付いていた剛の下半身が新日本のユニフォームだったのも立場の中途半端さを表していたような 剛はむかしから、ズルいヤツてイメージがある 新日でのハンセンアンドレ戦だったか、試合後の
乱闘で前田がハンセンのラリアット喰らったりしてる中で、周辺をパタパタ走り回るだけでなにもせず
に誤魔化してた
マイティは剛を「素質はスゴイが性格が変わり者すぎた」とかいってたが、現役のころから悪口ばっかり
言われてたような気がする >>900
国際にいたころは不幸な家庭の苦労人ってイメージを押し出してた。
そういった環境で育った結果、ああいった屈折した人格が形成されたのかな? >>901
親の愛情が不足してるから人の気持ちが分からないんだと思う。 >>899
剛は全日の愛知大会に乱入した時も
真っ黒なジャージだったんで誰なのか判別するのに時間がかかったよ。
原色か白のTシャツにすれば遠くから見てもわかりやすかったのに。 橋本や健介も社会人として異常だったけど、それを片親だった過去を言い訳にして欲しくないな
片親でも他人や家族に優しく出来る人間はいっぱいいる いっぱいいるのかもしれないけど苦労の度合いは半端ないだろうな
分かり合えなかったこともやまほどあるだろうし >>904
片親でも十分に愛情を受けて優しい人間に育つ事は可能。
最悪なのは夫婦の仲が悪くて子供がその鬱憤をぶつける対象になってる状態。
教育・愛情の名の下の憂さ晴らし。
子供は何が正しい事なのか分からなくてなる。 橋本は親父さんが蒸発、健介は親父さんが自殺だっけ。
橋本は親父さんとドキュメントで再会してたよね。
親父さんは普通にプロレス観戦したこともあり、自分の息子が橋本真也だと知らされ、「嘘やろ? 俺この前観に行ったで」とすごいびっくりしてた。
再会したけど、二人ともどう接していいかわからず微妙な空気流れてた。
橋本は「親子なのにな」としんみりしてた。 まともなやつは山ほどいる。ってのは
個々の問題から目をそらせるよなあ 家庭の事情って意味なら前田も悲惨な少年時代だったようだし >903
こういう、この状況ではどんな身なりをすればいいとか的確に判断できるセンスが
プロには必要だよな 猪木とかそういうセンスとび抜けてたな
師匠の力道山もこのへんが鋭くて、以前当時のニュース映画のインタビューを受けた映像見てたら、
インタビュアーに「プロレスは真剣勝負でなくショーでないかといわれてるが・・・」うんぬんて質問されてて
「そうです、プロレスはショーですよ」と答えてたが、そのとき力道山は珍しく口髭アゴヒゲをたくわえて質問に
答えてた いつもと違う身なりにすることでこの受け答えはふだんとは別のモノだ、という状況を演出してたのね
このインタビューで「なにが真剣勝負かと言われたら、この世のすべては真剣勝負」ともいっていた やはり力道山
て凄いんだなーと感心したわ 高野兄弟の父親は黒人で母と駆け落ちみたいに一緒になって2人が生まれた。
米軍兵士の父はベトナム戦争に行っていて、その後アメリカに帰国してしまった。
兄弟は色々な所を転々として食事もままならなかった。
俊二「糠味噌の味噌汁を飲まされこともあった。兄貴が盗んできたお菓子を2人で食べたこともあった」
小一の時に肌の色が違うため仲間はずれになって雑巾を顔に投げられた。我慢していたが、反撃してワルになった」
前田「今ならハーフという言葉もあるが昭和30年代ですよ。だからかジョージは性格がぶっ飛んでる(人のことが言えるか!!)
苦労したためジョージには影がある」
ジョージ「父がシカゴの方にいるらしいんです」
猪木「そうか。よし今度一緒に探しに行こう」 シカゴと言えば、たしか新日本の初期にザシークが参加してたんだよな。創世記の新日本には考えられないビッグネームだよな。パワーズとかアニーラッドもシークのラインから呼んだのかな? シークはシンがNWF王者の時に挑戦してるくらいだから
NWFの関連ではないかな そーいやブッチャーもNWF王者に名を連ねてる。なかなか日本人にとって因縁のあるタイトルだなw ブッチャーVSシンで、シンが全く反則しない驚愕のクリーンファイトなら見たいな >>864他
全日にパテラが来たとき(78年)、テレビマッチで見た記憶があるな。ブラジルを押さえてエース格で
馬場のPWFにも挑戦したはず。あとブラジルと組んでインタータッグも。初来日の国際は俺もチョット世代から
切れてしまうので分らんが、全日の頃はもう大西洋地区あたりでトップヒールだったんじゃなかろうか。 >>917
あの当時はNYじゃなかったかな。
一緒に来日予定だったビリー・ホワイト・ウルフの首を負傷させて欠場に追い込んだって触れ込みだった。
来日中止を上手く新顔パテラの煽りにこじつけたんだろうけど。
ウルフは同じく参加してたワフーの相棒だったんだからさらに便乗してワフーとの抗争を一本の柱にすれば良かったのに。 >>912
修羅の国の八幡・黒崎界隈では「熊西中の高野兄弟」といえば
基地外兄弟として80年代になっても未だ伝説的存在だったんだが… >>882
イメージ的には世界未満アジア以上と言ったところか ビッグサカは南アフリカのベルトを奪取したことあるよね 坂口が使ってたワンハンド・ネックハンギングって
今だとチョークスラムだね >>924 そうそう。あれは一体どんな展開のためだったのか不思議 >>925
単に南ア側の事情なんじゃないの?
ウィルキンスもたまに転落しないと飽きられるだろうし。
ポリネシアタッグの時のような日本と関連したものではなかったんだろう。 >>922 >>924-925 >>927
坂口自身が一昨年だったかGスピのインタビューの中で
南アフリカに遠征したのはゴッチのブッキングだったと話していたよ
タイトルを取ったのは>>927の言う通り興行のアクセント付けだろうね ウィルキンスとなるとテレビ中継開始の最初の蔵前での黄金コンビとの対決の方が思い出される 長州がカネックからUWA世界ヘビー級獲ったどー、団体のお膳立てで作った
藤波のWWFインターヘビーより由緒あるぞーとほざいていたが
メキシコに帰る直前にカネックに取り返されていたんじゃないか
丸腰で帰ってきといて偉そうに言ってるなぁと当時思った 浜田とのUWA世界タッグの方は一応そのままだったんだよな >>836
この>>849にもある通りのメンバー。
パテラ、ダンカン、サモアンズ、エンフォーサー、アレン、プリチャード、シン、上田
当時の月プロレス誌も大々的に煽っていた。
ジュニアのプリチャード以外は全て大型で凄まじいラフ&パワーを持つ。
日本陣営もこの大型ラフファイター達を相手にするのは想像を絶する苦難のシリーズは明らか。
まあ当時の雑誌はこういう具合で煽って盛り上げていたが。
ちなみにこの81年新春黄金シリーズは当初はハンセンやバックランドも参加予定になっていた。 >>932
アレンと特参のシンを抜くと国際みたい
国際だと超豪華版シリーズになるけど 昭和55年春頃に藤波、スティーブカーン、マイクグラハムでベルトを取り合ったのが懐かしいな。藤波はニューヨーク、ロス、フロリダと日米を行ったり来たりして大活躍してた パテラはその春(81)のビッグファイトシリーズ第2弾でも来日したが、もう全くのノーマークつか員数扱いで
いよいよ始まるIWGP予選の話題に進んでいった。ザイールビコとか訳わからんのとかいたな。。
しかし、このシリーズ最終蔵前で大きな話題を振りまき歴史に名を刻む選手が登場するわけだ。。 これから、深夜0時40分から始まるワープロクラシックスの74年6月猪木対シンって蔵前のシンが火を放った方?
大阪府立の腕折りの方? >>935
新日本はタイガーマスク以前と以降で歴史が別けられるよね プロレス界全体だけでなく、格闘技界にも佐山が大きく影響を与えた。偉大過ぎる >>936
今観てるけど腕折り試合の方でした
ただこれは去年の5月か6月にも放送したよね?
しかしこの雰囲気とても日本とは思えん ブラッシーがマネージャーでヒゲ生やした悪役時代のホーガンか、 しかし最高気温30゚Cで「うだるような暑さ」とは・・・ ブラッシーがマネージャーでヒール時代のホーガンて背中の毛も凄かった印象w そういえば一度だけアレンが外国人エースで唐突に強キャラ扱いのシリーズあったよね? >>943
84年の新春黄金シリーズかな?
蔵前のメインで猪木とシングル組まれてたな
ブッチャーと仲間割れしたり、この時は本気でアレンを売り出そうとしてたのかね >>945
そのシリーズはWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦があり、
決勝の蔵前で同点のコブラ、キッド、スミスでの巴戦でのWWFJr.王座決定戦があり、そっちがメインだった。
他は猪木vsアレン、藤波vsラッシャー木村、数日前の札幌で長州テロやった藤原vs浜口もあった。
何か猪木が誰かの欠場かでカードからあぶれたような記憶がある。
札幌では猪木&前田vsホーガン&マイクシャープJr.だっから当初は猪木、ホーガン絡みか? アレンが好きな俺は嬉しかった。
ブッチャーとのシングルの時にはアレンの流血が見られる、と楽しみにしていた。
でも全く予想外の展開に。
あの試合見て『アレン時代到来』を感じさせた。
アレン、木村でかつてのシン、上田を期待した。
しかし最終戦の猪木とのシングルで木村の裏切り。
その後は木村と抗争かと思えば木村は新日離脱で旧Uへ。
何とも中途半端な結末に。
夏に実現したアレンとシュルツとのコンビは良かったと思う。
アレンはもっと売り出して欲しかったなあ。
シュルツとのコンビは売り出せば強力タッグだと思うし。
素行が悪いシュルツでは長くは続かずシュルツ来日不可になった可能性もあるけど。 >>945
>>946
おお、さんきゅ!
あのシリーズはジュニアヘビーリーグ戦のイメージしかなかったから
そうか、あのシリーズだったのか
ジュニアリーグ戦は最高に面白かったが
コブラにキッドスミスときて
序列的にブラックタイガー↓っぽくなったのがちょっと残念だった あのリーグ戦で佐山のライバルだった小林や黒虎が呆気なく負けるのがショックだったなぁ……実質的にスミス売り出しのシリーズだったんだね。 スミスが全日でヘビー転向した後のひどいことひどいこと。
昭和全日スレでさんざん塩呼ばわりされてる。 >>949
小林は負けたか? コブラ、キッドとはドローだった。
コブはラ>キッド、スミスだったな。
俺はキッドが小林にやった強烈バックドロップが印象に残ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=28oapldU9Xs ブラックタイガーが何の脈絡もなくコブラとタッグ組んで、なおかつアッサリとキッドにピン取られたのが哀しかった。 >>952
翌年にはさらにイミフでヒロ斎藤とのコンビでコブラ高野を苦しめていたな。 >>951
クイックで負けた。
その前に寺西に反則負けしたこともあって脱落した。 ついでにもう一つ質問
あのリーグ戦って
コブラ、キッド、スミス、ブラックタイガー、小林、寺西
星野、高田も参加してたっけ?
あと外国人の参加や星取りは? >>955
星野は参加してないな
外人はブレット・ハートとベビーフェイスが来てたかな 蔵前での猪木×アレンでアレンの流血も見たかった。
場外でラッシャーがアレンにまさかの裏切りのラリアット以降。
ここから猪木がアレンを鉄柱攻撃へ。
これでアレンが大流血。
先にリングに上がった猪木。
大流血でフラフラ状態でエプロンに上がるアレン。
そしてエプロンからブレーンバスターでアレンの巨体をリングに。
カウント2で返すアレン。
割れた額にナックルの連打の猪木。
そして延髄斬り。
しかしアレンはカウント2ギリギリで返す。
館内どよめき。
すると今度はアレンが猪木の腹部にヘッドバット。
更に割れた額で猪木にヘッドバット。
パンチ、キックで猪木をコーナーに押し詰める。
猪木をロープに振ってラリアット。
カウント2で返す猪木。
猪木を抱えてオクラホマスタンピート。
カウント2ギリギリで返す猪木。
アレンの猛攻に猪木ピンチ。
館内は大イノキコール。
またもやロープに振ってラリアット。
だが猪木は寸前でかわして延髄斬り。
ダウンしたアレンを無理矢理起こして卍へ。
卍がガッチリ決まって試合終了。
こういう展開でも良かった。 小林邦の星取かなり悪いぞ。
順位はキッド&スミス&コブラが31点で同率1位。
黒虎が22点で4位。ブレットが20点で5位。小林邦が16点で6位。寺西が11点で7位。高田が4点で8位。ベビーフェイスが2点で最下位。 >>958
3人同点一位じゃやっぱ4位以下が割り食っちゃうなあ
しかもコブラとスミス、二人も↑しなきゃいけないとなると
でもブラックや小林だけじゃなく他のメンバーも
これだけのメンツ揃ってるんだから
もうちょっと順位はともかく星取や勝ち点はどうにかしたかったねえ @キッド Aコブラ Bスミス Cブラック Dハート
E小林 F寺西 G高田 Hフェイス
_@ABCDEFGH
@_●□○○△○○○
A○_△○△△○○○
B■△_○□○○○○
C●●●_○△○○○
D●△●●_□○○○
E△△●△■_■○○
F●●●●●□_〇△
G●●●●●●●_□
H●●●●●●△■_
曖昧だけどこんな感じだった気がする。
ハートは三弱のうちのどこかで反則かROで勝ってるのかな? 小林邦昭は昭和62年のIWGPジュニア王者決定トーナメントで覇者となったが、馳に繋ぐための暫定王者みたいなものだったな。 >>960
ブレットは小林邦からもフェンスアウトの反則勝ち。
このリーグ戦、あらゆる勝ち4点。あらゆる引き分け2点。負けはもちろん0点。小林邦の星取詳細は高田&フェイスに勝ちで4×2で8点。
ブレットと寺西にフェンスアウト反則負けで0点。
キッド、スミス、コブラ、ブラックとは両リンか両フェンスアウトで引き分け2×4で8点。計16点。
9人中6位と低迷。
でも、最終戦の大阪府立では、コブラのNWA世界ジュニアの方に挑戦権が与えられた。 >>961
小林は一時新日マット離れてたこともあるけど
それよりやっぱりこの時のコブラキッドスミスにリーグ戦で
内容はともかく星取や順位で後れを取った扱いのせいで
新日復帰後もジュニアタイトル獲ってもあくまで「まだまだ健在」的な扱いで
第一線というよりはちょっと下がってライガーや馳の売り出しの噛ませ感出ちゃったもんな
まあ実際そういう位置づけだったんだろうけど 第二回のジュニアリーグ戦は大量離脱や電撃移籍もあってメンツはしょぼかったな。
コブラ、越中、小杉、山田、ブラックタイガー、セントクレア
あと誰だよw 第二回のジュニアリーグ戦は大量離脱や電撃移籍もあってメンツはしょぼかったな。
コブラ、越中、小杉、山田、ブラックタイガー、セントクレア
あと誰だよw サンクス
ドン荒川が出なきゃならないくらい人材難だったんだな。
キッド・スミス・ハートが来なくなって外人勢は華がない。
若手の山田が人気急上昇で遠くに光が見えていたのだけが救いだったか。 俺は人材不足もあるけどどっちかっていうと
藤原の「前座の鬼」ギミック同様に
当時の通を気取るマニア寄りファンに媚びを売った
「コミカルな前座の力道山=実は隠れた実力者」ギミックとして見てたなあ
新日前座の「ゴッチイズム」と「中堅ベテランの隠れた真の実力者」ギミックは
マニアックなファンの新日ストロングスタイル幻想の大いなる根拠だったよね
そのずっと後に全日が百田でその二番煎じをしてたのはさすがに…だったけど 新春シリーズでジュニアのリーグ戦が行われたのって4回だっけ?
3回目がトップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニア、
4回目がIWGPジュニア挑戦者決定戦。
その後あった? >968
そのずっと後に全日が百田でその二番煎じをしてたのはさすがに…だったけど
あー・・・
おれ全日派だったけど、なんつうか全日は伝統的に新日と比べて企画力が大きく劣るなーとは
感じてた 荒川の起用は新日的には苦し紛れだったかもしれんけど、全日はそういう苦し紛れの
抜擢すら考えつかん所があるから・・・ >>968
荒川は本気出すと怖いって言うのは説得力あったかも。
もちろん人材不足のおりに「荒川は本当は凄いんだ!」と自分に言い聞かせていた面も否定できないw
大量離脱後に星野と荒川が竹刀をふるって若手を鍛える姿には新日の怖さを感じたな。 >>968
>>970
百田がプッシュされたのって、世界ジュニア奪取するときかな?
何度か挑戦して仲野に勝って王者になったんだっけ。
フロントヘッドロックから強引に回転して抑えるみたいな不細工な勝ち方だったけど盛り上がってたね。
東京から大阪に駆けつけた数十人の百田軍団が狂喜とか、当時の雑誌に書かれてた。
藤原や荒川の抜擢とは違って、四十過ぎのベテランレスラーに一度は花を持たせたいみたいな浪花節がありありだった気がする。 キッドとスミスを売り出すためにブラックを踏み台にしてコブラに負け飲ませたのに
ミスターヒトを怒らせて二人を全日に引き抜かれたのでは泣きっ面に蜂だな
いまさらキッドスミスより弱い(設定になった)ブラックタイガーを
コブラのライバルにしても盛り上がらんし 他のジュニア級だってもともと員数レスラーに過ぎなかったセントクレアーだもんな。
タイガーと小林の二番煎じかつ劣化コピーのコブラと斉藤の抗争は盛り上がらなかったし。
越中と高田山崎がバチバチやりあうようになるまでジュニア戦線は寒かったね。 >>971
新日がやっぱりイメージ戦略的に上手かったのは
「前座の鬼「関節技の達人」」「猪木のボディガード」「道場のポリスマン」
こういった呼称を前座中堅にも流布することで
前座だけど実は陰の実力者〜コミカルに見せても最後は真剣勝負でシビアな戦い
ってイメージを観る側に巧みに植え付けたことだな
これが全日前座だと鬼や達人でなく馬場の「付き人」になっちゃうんだよな
とはいえこの新日のイメージ戦略、
その中で唯一一人負けで損をしたのが健悟なんだけどw 新日のイメージ戦略の上手さはやっぱ新間さんの力かな? フジワもアラカも幻想を抱かせた。
それがシンニプロレの幻想に繋がった。 >>975
とはいえキムケンは野球でいうと「ローテーションの谷間」だから負け役でも救いはあったw
不遇だったのは永源と栗栖だと思う。
二人とも海外で放浪しながら戦ってきたツワモノっていう肩書があっただけに残念。 エイゲもクリマサも強さは抱かせた。
エイゲはゼンニプロレでああいうコメディアンになったから強さを感じさせなくなったが。
フジナは怖さはなくても強さを感じさせたし。
キムケンはそれがなかったなあ。 >>976
う〜ん、この辺の「ゴッチの弟子」に端を発する基本的なイメージはむしろ桜井さんあたりじゃないかなあ
>>970で全日派だったって書いてるから書くんだけど、
なぜ大仁田が壊れて渕が帰国してきた時に
「(全日唯一の)ゴッチの弟子」としてさっさとベルト捲かせなかったかが未だに不思議
いくら馬場がゴッチを評価してなくてもあの時代ではイメージとして有効だし
特に大仁田がタイガーと比べてナマクラだった分、地味な渕ゆえのシリアス売りには最適だったろうに (全日唯一の)ゴッチの弟子なんて売り方したら
ゴッチイズムの新日のが上だと言ってるようなもんだろ >>978
> とはいえキムケンは野球でいうと「ローテーションの谷間」だから負け役でも救いはあったw
まあ負け役はともかく健悟の“ヘタレ”イメージがやっぱりさぁw
一時の新日マットは(ファンにも)明らかに
「ガチでやったら(これも今となっては幻想だけど)健悟より藤原や木戸や荒川の方が…」
って雰囲気を半ば公然と醸し出してたというか
健悟じゃまあしょうがない感マンマンというか、ネw 昭和のシンニプロレはカルゴイズムが凄かったかんな。
それに対抗してかゼンニプロレはルーテ杯とかあった。 反選手会同盟も、本来は越中・小林なんだよな。
小林の癌での欠場がなかったら、
健悟はどういう展開だったかは疑問。 >>983
よぉクソムシまだ生きてたのか早く氏ねよ >980
うーんたぶんだけどもう三沢がいたからじゃねえかな?83年に淵がチャボのベルトに挑戦して負けたけど
見た目も試合ぶりも地味すぎて、とてもジュニア王者を任せれるようには思えなかったしなあ
馬場は急きょマイティをジュニアに抜擢してしのいで、翌84年に三沢をタイガーマスクにして凱旋させてるから
淵のことは眼中になかったんじゃねえかな?馬場がゴッチを認めてなかったのは当時すでに有名だったし
逆に全日のクセにゴッチにレスリング習いに行った淵を怒ってたのかもしれん だいたい馬場には「シリアス
売り」という概念は無いと思うし
馬場は他団体出身のジュニアでもヒロ斉藤のことは気に入っててベルトも巻かせてるからなあ ヒロと言えば上田との仲間割れはすごくわざとらしかったな >>986
渕は華もない上キャラも固まってない感じだったから全然感情移入出来なかった。
マスコミからも結構辛辣に書かれてたね。
ああいう冷酷なテクニシャンというキャラが固まったのはジャパン軍参戦後だよ。 第2回MSGシリーズ優勝決定戦の猪木のコーナートップからのダイビング胴締め落とし。猪木のフィニッシュ技として異色中の異色だし、全く語られない不思議なフィニッシュ。筋書として失敗なのかな? キムケン、ジャパンカップタッグリーグの開幕戦で長州からフォール勝ちしたよね。
この年の両国の藤波とのシングルで三本勝負の一本をフォールで取られてるのをのぞけば、長州がシングル、タッグ通じてフォール負けしたのって1984年8月の最後の蔵前の猪木戦以来だったんだよね。
でもその日は生中継で試合途中で中継終了。肝心のフォールシーンは生中継で流れず。
翌日東スポ見たらまさかキムケンが長州からフォール取ったとは思わなかったから、びっくりしたわ。
この快挙は流れなかったのに、TPG騒動の年末の両国で「やめろ」コールの大混乱の中、仕方なしに長州にフォール負けして試合終わらす模様はテレビでしっかり流れたキムケン。
つくづくついてない人だと思った。 >>991
エンディングのとこで写ってた。
ただ提供クレジットが被ってわかりにくかったが。 >989
あのころマスコミが淵をどう書いてたかは全く記憶にないが、淵は80年代はテレビに出る機会が
あんまりなかったよなあ?オレがこのころの淵をテレビで見たのは馬場と組んで、ロードウォーリアーズ
と対戦した試合ぐらいかな?
むかし坂口が若手をゴッチにとこにやるのを反対したとき、その理由に「ゴッチのとこにいかせた若手は
試合が地味になりすぎて客が呼べなくなる」ていってたらしいが、それ新日の連中より淵が顕著だったような? 88年の格闘技イベントのリング上で佐山と三沢が対面しているが、ゴッチ、渕、藤原も来ていた。
ゴッチが渕に「お前は誰だ?」
渕「タンパの自宅で練習したじゃないですか? その後、手紙も貰ってます」
ゴッチ「覚えてない」 >>989 >>993
渕の場合上田馬之助やナガサキ辺りと同様アメリカでやってた日系ヒール流の動きが今に至るまで抜けきれてないのがファイトスタイルが地味に写る一番の理由だから
ゴッチの指導云々は関係無いんじゃないの?
>>994
>渕「タンパの自宅で練習したじゃないですか? その後、手紙も貰ってます」
>ゴッチ「覚えてない」
こんな話を聞くと渕がGスピのインタビューで話していたゴッチの方から全日参戦を売り込んできたとかいうネタも眉唾物にしか思えなくなるね 淵はゴッチ直伝のチェーンデスロックをもっと使えば良かったのにな…… キムケンは顔が菅原洋一だった(寛平ちゃんとは当時は言われてなかった)から凄みが伝わらなかったw
藤原のテロはなんかあり得たけどキムケンは頑張ってもあのレベルって感じで。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。