昭和の新日本プロレス2 [無断転載禁止]©2ch.net
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80年代なかばくらいの時期に、猪木を基準にして外人エース選手を選定はツラい・・・
しかしそれで思えば、ベイダーなんかよく来てくれた!て感じかな はじめはともかく以降はちゃん
と定着したし、平成以降も藤波長州、三銃士との抗争をやってのけたからなあ
動ける巨漢で、パンチが主武器という過去にいそうでいなかったタイプで新日らしい好戦的な雰囲気
も合ってたしな 先に登場してたビガロともうまくかみ合ってタッグでも活躍したし
のちのUインターや全日、母国のWCWやWWFと登場したところで必ずトップとる力量は今考えても驚異的
欧州やメキシコでも活躍したしな >>811
新間がいなくなったことも関係あると思うんだよな。
必殺技作るのに金なんかかからないのに何で期待されてる外人に
事前に伝授しなかったのか… ヒギンズは相手を倒してからコーナーポストに登るのが遅過ぎるんだよなw スピンクス戦に向けて減量してそのまま縮み続けたよな 長すぎる軍団抗争で新日は楽して稼ぐ方法に頼ったのが大量離脱後の負債になった感がありますね。
日本人対決なら軍団枠にとらわれず相撲みたいな形式もありえたとは思う。
それをやったのがUWFだけど。 藤波と維新軍の格上げで未知の強豪が藤波以下という扱いがあまりにも悲しかったな。
シュルツなんかサマーの最終戦で猪木と一騎打ちが予定されていたのに、
その大役を長州に奪われた挙句、藤波にも負けるんでは酷すぎるわ。
開幕で谷津を瞬殺したのも試合前の長州の大騒ぎで客もダレてしまってインパクトなかったし。
どうせだったら長州とシングルやってピン勝ちし、
最終戦に向けて盛り上げていってほしかった。
翌年のバンディもよかったのは新春だけだった。 ベイダーも最初はただの木偶の坊でしかなかった
ただ信じられれないスピードで日本のプロレスに順応してった
そこが他のいまいちエースになりきれなかったレスラー達とは違った 長州がブレィクして強豪外人との対決を楽しみにしていたんだけどね。日本人相手にやる威勢の良さをなんで外人に向けないのか、当時は不思議でならなかった。 >>815
長州らが抜けたことによる外人強化の一環としてウォリアーズを呼ぼうとしたけど、仮に招聘に
成功しても猪木とシングルが出来ないから売り出すことはできなかっただろうな。 >>832
けど、バッタ物のマッドマックスなんて呼ぶなら、無理してもウォリアーズ呼ぶべき
だった。けど。ウォリアーズが来たらブロディは新日来なかったかな。
デビットシュルツは古館をぶん殴ったり、かってのシンみたいな存在になるかなとか
思ったし、ヒギンズとのコンビもよかったから継続して参戦して欲しかった。 >>833
あれは本当にキレやすいから無理なんじゃないのか?
下手すりゃリング禍あるよ 昭和56年の新春黄金シリーズはショボかったな。ジ・エンフォーサーとサモアンズだからなぁ。 プロレスも本当にキレちゃう奴は干されるってんだから面倒だよね。
カール・ゴッチもその類だろ?
俺はレスラーとしてそんなにすごいとは思わないが、そういう裏の喧嘩エピソードが彼の格を上げてた気がする。
リング外で喧嘩する奴はただのゴロツキだよ。 >>836
MSGタッグがアンドレ、バックランド、ハンセン、ホーガン、ローデス、シンらを呼んで豪華絢爛だったから新春シリーズは経費削減かね。
全日本の新春シリーズも最強タッグに大物、人気選手まとめて呼ぶから地味なメンバーになるの常だったね。 >>837
安生に殴られて警察呼んだ前田を叩く糞どもに聞かせたい言葉だな。
喧嘩とプロレスは違うもんな。 前田は殴るのは好きだけど殴られるのは嫌いという救いようのない性格
坂田を凹ったのはやり返されない事を知っているから
安生の件にしても自分の方から殴っておいてやり返されたら被害者面
どこが格闘王だよ >>839
最終戦が思い出せない…シンと猪木が闘った?ケンパテラは違うかな?印象に残らないシリーズだよね >>838
確かに年末は凄かったからね。猪木・ローデスVSハンセン・シンとか夢のカードとか https://www.youtube.com/watch?v=20zHMKPcs0U
入場曲、消音対応してるね。
俺の記憶じゃ確か「燃えろ!吠えろ!タイガーマスク」の初オンエアの試合。 >>836
リング外では話題振りまいてくれたけどな。
札幌のストリップ劇場で。 81年新春黄金シリーズ
シン、上田、サモアンズ、
パテラ、ダンカン、エンフォーサー
結構なメンバー揃えてる。 >>850
札幌中島でシン対猪木のUWA世界戦やったんじゃないかな? 最終戦は東京都体育館で猪木ローデスvsシンハンセンの再戦と言われてたがローデスハンセン来ず
後楽園ホールで坂口長州vsサモアンズの北米タッグに
たしか東京都体育館のチケットを売ってたのに後楽園ホールに変更だったはず >>852
最終戦は猪木VSケンパテラか。前年の武道館の再戦だね。武道館のハンセンVSバックランドは鶴田が観戦して雑誌に感想書いてた記憶がある。懐かしいなぁ >>836
前年末のMSGタッグでパワーズとのコンビを拒否したスーパースターが
来日キャンセルして急遽ベーカーが来日。
当初ベーカーとのコンビで来日する予定だったエンフォーサーは、
単独の参加になったんだよね。 方や全日は、ブッチャーとルーイン、特参でガニアとシークか。
なんか地味だな。 ケン・パテラやビリー・グラハムの全盛期ってどれぐらいのネームバリューだったのかな?
昭和47年生まれの自分でも、少し前になる >>854
コンビ結成拒否で来日キャンセル。
夢があるな。 そんなシンとブッチャーが夏には出場団体が入れ替わってるとはこのとき誰が思ってただろうか? >>856
グラハムは来日前から海外記事とかでけっこう取り上げられてて
当時はああいうファンション性取り入れたレスラーってあまりいなかったから
所謂「来日が待たれる未知の強豪」だったと思う
国際に来たあとはマッチョの木偶の坊ってバレちゃったけど
パテラは特には・・・
日本では重量挙げのメダリストといっても重量挙げ自体が
日本ではマイナーというか「格闘技やコンタクトスポーツじゃないし…」ってかんじで
あんまり訴えかけるものでもなかったから ケンパテラ戦での猪木のフィニッシュ技の卍固め(日本武道館)、バックドロップ(後楽園ホール)。いづれも完璧で絵になった。衰えるちょっと前だね グラハムって、本国だとかなりセンセーショナルな存在だった
あの当時世間的には一番の知名度あったんじゃない >>854
長州のパートナーはカーンの予定が星野に変わったけど、
カーンはなんで帰国しなかったんだろう。 パテラはデビュー数年でメインイベンターに昇格して、アメリカではかなりの活躍を見せた選手だけど
日本は国際、全日、新日にきたがあんまりピンとこなかった 試合自体は悪くないんだけど
パワーが売りだがスピードも結構あったし
あーでも思えばパテラって列伝でホーガンと戦ってたな 猪木に「あまり頭がよくない」とか酷いこと書かれてた
っけ?パテラが日本でパッとしなかったのは列伝のせいじゃないか? ケン・パテラはボブオートン・Jr同様に「次期NWAチャンピオン候補」と言われた
器物破損と警官暴行で刑務所にブチ込まれたりしなければ… パワーファイターと言えば、マイクシャープジュニアもイマイチ期待はずれだったな。あのシャープ兄弟の息子だからちょっと楽しみだったんだけど。練習熱心だったらしいのは身体を見ればわかるけどね パテラは猪木戦の当時は
ミズーリ州王座とWWFインタコンチを同時に保持していた
長い歴史で同時保持はこの時のパテラだけ パテラって後にミネソタ州の知事になった人かと思ったら、
ありゃジェシー・ベンチュラだったね。蔵前の一騎打ちでは
猪木に敗れたけど、政治家としては猪木より出世したね。 >>866
シャープは初来日の時にホーガンの良きパートナーって感じでパワーもあり期待したけど、
いかんせん維新軍偏重のマッチメークで素材を潰された感じだね。
あのパワーで長州を弾き飛ばすくらいの試合をしてほしかった。 >>868 コーナートップからの猪木のダイビング延髄とかその場の思いつきだったのかな?w 何だかよく分からない形だったね 猪木VSベンチュラ戦は通常のワープロ枠でなくスペシャル番組枠だった
普段プロレスを見ない層に訴えかけるために猪木がハッスルした説と
トップロープからのニードロップを狙ったが、ベンチュラが起き上がってしまったので
アドリブで延髄蹴りに切り替えたという説があった 後者だとしたら、猪木はそういう一瞬の判断が他のレスラーよりも
優れてるとはよく言われてたね。 ベンチュラ戦の前、猪木はMSGシリーズでアンドレに膝を負傷させられ手術したんだっけ?
延髄斬りを使いすぎて膝を痛めていたとも書かれていた記憶がある。
それなのにベンチュラ戦でダイビング延髄斬りを放つ猪木は凄いと思った。 たしか数ヵ月後のシングル再戦で、フライングニードロップでベンチュラからピンフォール取った記憶がある >>873
しかしフィニッシュのジャンピング胸ペチ蹴りはいただけない むしろセミの藤波とブッチャーの対戦が良かった
あるいはブッチャーの新日本でのベストバウトだったか >>875
もしかしたらマリガン戦だったかもしれないが忘れた。遠い昔 猪木藤波の連続ニー投下は良かったな。
タッグではなんだかんだ言っても猪木藤波がベストチームかな。
猪木坂口では坂口のリズムが遅くて でも85タッグリーグでは一周まわって新鮮にも見えた猪木坂口組w 猪木藤波vs坂口長州なんてのが実現してたら面白かったかも。
坂口と長州が根性出してくれるのが条件だけど。 そういえば、坂口はシングルとタッグの北米二冠だったね。NWAとWWFの両方の北米シングルとかどんだけ北米好きなんだよw 坂口を移籍させる時「坂口は猪木と同格の扱い」という条件を最初から守る気は無かったが
流石にあからさまに猪木の引き立て役の踏み台にするのは気が引けたのか
猪木が関わらない北米タッグを巻かせといてご機嫌を取っていた印象 猪木はレスラーとして坂口のこと
あんまり認めてないと思う
格下と組んでリーダーとして盛り上げれないし、
猪木と組んだ藤波みたいなやれらっぷりもできないし 坂口みたいな塩がトップ2なのはしんどいよな
馬場とならテンポもあったろうが、、 タッグでの坂口ってフィニッシュ時のラッシュぐらいしか使い道ないよな。
猪木と組んでそれやられたらたまらんし。 >>883
社内的な立場では同格で
興行上の仕事の負担が軽いのなら
そっちのほうが楽でいいだろw >>878
83年元旦に後楽園ホールで行われたマリガン戦だね
その試合はワープロじゃなくてTBSが日曜午後1時に放送していたビッグスポーツという番組でダイジェストを流していたんじゃないのかな ラッシャー木村は国際が潰れたのは自分に客を呼ぶ力が無かったからだと自分を責めていた
だから新日から移籍した時の金を全部吉原代表にあげた
坂口は日プロが潰れたのは大木や日テレが離れたせいにして、
己のプロレスのつまらなさを棚に上げていた >>888
他局が試合結果を放送するなんて、いかに当時の新日本がブームだったか分かるね >>888
ビッグスポーツはテレ朝が土曜の4時にやってたスポーツ中継の番組名。
TBSのは違う番組名じゃないか? >>891
ああ申し訳ない
「ビッグスポーツ」じゃなくて「マイスポーツ」だった猪木を取り上げたTBSの番組は
後ついでだけどこの「マイスポーツ」は別の週で佐山タイガーの特集もやっていて
その時はタイガー浜田星野組vsミショネロスの6人タッグマッチの一部を放送していた >889
ラッシャー木村は国際が潰れたのは自分に客を呼ぶ力が無かったからだと自分を責めていた
だから新日から移籍した時の金を全部吉原代表にあげた
これマジ?国際が潰れたのは吉原はじめ上層部に企画力が皆無だったからだと思うんだけど
きちんとした展望もなくAWAと提携してガニアに莫大なカネ払ったり、金網デスマッチも興行上の
設定がちゃんとあるのにとにかく目立つことやれ、て感じで脈絡なくやるし 木村可哀想 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに 猪木木村の第2戦目はランバージャックデスマッチのはずなのに、実際には猪木をリングに戻そうとする者がいなかった。場外乱闘のない真のストロングスタイルかとワクワクしたのに >>894
1戦目がアレだったから期待してたのにな
>>895
俺も同じこと思った
>>896
いくらなんでもそれは違うだろ
>>897
そんなバカな 木村側のセコンドに付いていた剛の下半身が新日本のユニフォームだったのも立場の中途半端さを表していたような 剛はむかしから、ズルいヤツてイメージがある 新日でのハンセンアンドレ戦だったか、試合後の
乱闘で前田がハンセンのラリアット喰らったりしてる中で、周辺をパタパタ走り回るだけでなにもせず
に誤魔化してた
マイティは剛を「素質はスゴイが性格が変わり者すぎた」とかいってたが、現役のころから悪口ばっかり
言われてたような気がする >>900
国際にいたころは不幸な家庭の苦労人ってイメージを押し出してた。
そういった環境で育った結果、ああいった屈折した人格が形成されたのかな? >>901
親の愛情が不足してるから人の気持ちが分からないんだと思う。 >>899
剛は全日の愛知大会に乱入した時も
真っ黒なジャージだったんで誰なのか判別するのに時間がかかったよ。
原色か白のTシャツにすれば遠くから見てもわかりやすかったのに。 橋本や健介も社会人として異常だったけど、それを片親だった過去を言い訳にして欲しくないな
片親でも他人や家族に優しく出来る人間はいっぱいいる いっぱいいるのかもしれないけど苦労の度合いは半端ないだろうな
分かり合えなかったこともやまほどあるだろうし >>904
片親でも十分に愛情を受けて優しい人間に育つ事は可能。
最悪なのは夫婦の仲が悪くて子供がその鬱憤をぶつける対象になってる状態。
教育・愛情の名の下の憂さ晴らし。
子供は何が正しい事なのか分からなくてなる。 橋本は親父さんが蒸発、健介は親父さんが自殺だっけ。
橋本は親父さんとドキュメントで再会してたよね。
親父さんは普通にプロレス観戦したこともあり、自分の息子が橋本真也だと知らされ、「嘘やろ? 俺この前観に行ったで」とすごいびっくりしてた。
再会したけど、二人ともどう接していいかわからず微妙な空気流れてた。
橋本は「親子なのにな」としんみりしてた。 まともなやつは山ほどいる。ってのは
個々の問題から目をそらせるよなあ 家庭の事情って意味なら前田も悲惨な少年時代だったようだし >903
こういう、この状況ではどんな身なりをすればいいとか的確に判断できるセンスが
プロには必要だよな 猪木とかそういうセンスとび抜けてたな
師匠の力道山もこのへんが鋭くて、以前当時のニュース映画のインタビューを受けた映像見てたら、
インタビュアーに「プロレスは真剣勝負でなくショーでないかといわれてるが・・・」うんぬんて質問されてて
「そうです、プロレスはショーですよ」と答えてたが、そのとき力道山は珍しく口髭アゴヒゲをたくわえて質問に
答えてた いつもと違う身なりにすることでこの受け答えはふだんとは別のモノだ、という状況を演出してたのね
このインタビューで「なにが真剣勝負かと言われたら、この世のすべては真剣勝負」ともいっていた やはり力道山
て凄いんだなーと感心したわ 高野兄弟の父親は黒人で母と駆け落ちみたいに一緒になって2人が生まれた。
米軍兵士の父はベトナム戦争に行っていて、その後アメリカに帰国してしまった。
兄弟は色々な所を転々として食事もままならなかった。
俊二「糠味噌の味噌汁を飲まされこともあった。兄貴が盗んできたお菓子を2人で食べたこともあった」
小一の時に肌の色が違うため仲間はずれになって雑巾を顔に投げられた。我慢していたが、反撃してワルになった」
前田「今ならハーフという言葉もあるが昭和30年代ですよ。だからかジョージは性格がぶっ飛んでる(人のことが言えるか!!)
苦労したためジョージには影がある」
ジョージ「父がシカゴの方にいるらしいんです」
猪木「そうか。よし今度一緒に探しに行こう」 シカゴと言えば、たしか新日本の初期にザシークが参加してたんだよな。創世記の新日本には考えられないビッグネームだよな。パワーズとかアニーラッドもシークのラインから呼んだのかな? シークはシンがNWF王者の時に挑戦してるくらいだから
NWFの関連ではないかな そーいやブッチャーもNWF王者に名を連ねてる。なかなか日本人にとって因縁のあるタイトルだなw ブッチャーVSシンで、シンが全く反則しない驚愕のクリーンファイトなら見たいな >>864他
全日にパテラが来たとき(78年)、テレビマッチで見た記憶があるな。ブラジルを押さえてエース格で
馬場のPWFにも挑戦したはず。あとブラジルと組んでインタータッグも。初来日の国際は俺もチョット世代から
切れてしまうので分らんが、全日の頃はもう大西洋地区あたりでトップヒールだったんじゃなかろうか。 >>917
あの当時はNYじゃなかったかな。
一緒に来日予定だったビリー・ホワイト・ウルフの首を負傷させて欠場に追い込んだって触れ込みだった。
来日中止を上手く新顔パテラの煽りにこじつけたんだろうけど。
ウルフは同じく参加してたワフーの相棒だったんだからさらに便乗してワフーとの抗争を一本の柱にすれば良かったのに。 >>912
修羅の国の八幡・黒崎界隈では「熊西中の高野兄弟」といえば
基地外兄弟として80年代になっても未だ伝説的存在だったんだが… >>882
イメージ的には世界未満アジア以上と言ったところか ビッグサカは南アフリカのベルトを奪取したことあるよね 坂口が使ってたワンハンド・ネックハンギングって
今だとチョークスラムだね レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。