アントニオ猪木の引き際はいつ頃が良かったか? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
猪木の引き際、引退はいつ頃が最適だっただろうか?
88.8.8に藤波との60分ドローで完全引退が噂された。
しかし猪木が引退したのはこの10年後の98.4.4。
しかも長州より後に引退という状況に。
※長州はその後 復帰したが。
完全に引き際、引退時期を逃した猪木。
猪木の引退はいつ頃が最適だったかを考えよう。 90年2月のドームで引退表明。1年かけて引退シリーズやって91年3月のドームでお終い。三銃士がメイン張るようになったから丁度潮時だった。 >>35
営業上の問題以外にないだろう
ほかの人間に任せたら
間違いなく話題性に欠けて会社の売上も視聴率も落ちる >>35
営業上の問題以外にないだろう
ほかの人間に任せたら
間違いなく話題性に欠けて会社の売上も視聴率も落ちる 1年ぐらいかけて全国を回らないと地方のプロモーターが許さない。
87年頃の前田後継話は、猪木&新日&テレ朝はUが新日に来ても客入りが悪かったため、
いきなり前田だと倒産危機のため、1年ぐらいかけて前田の価値、知名度を上げてからの
禅譲を考えたが、前田は1発勝負を望んだ。
当時の前田だと誰とでもいい試合ができないため、経営上、不安定この上ない。
その後の88.8.8藤波戦は引退へのいい雰囲気ではあったが、横浜文体での試合後に
今日で引退します・・・はないな。 89年の参議院選に落ちたらややこしいことになっていたな。参議院議員になって一線を退けた
ことで猪木が出るとプレミアム感があったからいいけど。本当は引退するタイミングとしては絶好の
タイミングだと思ったが。 83.6.2ホーガン戦後だとまだ早い。
88.8.8はドームでやって負けたら引退宣言して、藤波に負けて引退は嫌みたい。
89年の参院当選はいい機会だったが、ゲスト出場のプレミアムが増して
ベイダー、天龍、ムタ戦と試合内容も良かった。
そうすると、98.4.4で良かったのでは? ただ最後がフライであの試合は・・・
俺は最後が藤波戦だったら精神的な部分でも感動できたと思う。 >>46
98年のドームで猪木最後の大スペクタクルを期待したいところだったが
猪木の前年の試合内容を見てると体力的にはもう無理だろう
最後のトーナメントの顔ぶれ見ても上手くプロレスができて
相乗効果が期待できそうなのは一人もいない
結果として無難に勧善懲悪プロレスで良かったと思う タイミングとしたは89年に議員当選した時だったな。
83年では確かに早すぎた。
やっぱり議員当選した時がベストだっただろう。
奇しくも時代も昭和から平成に変わった頃で。
アントニオ猪木は昭和で完結 と。
90年の30周年で引退という方法もあった。 師匠の力道山の故郷である北朝鮮で興行うって
そこでの試合が本人の中では区切りだったみたいな話聞いた事あるな
ただその北朝鮮での興行のせいで借金まみれになって
引退の時期が数年伸びちゃったわけだが 猪木自身はさっさと引退したがってたが
テレ朝とスポンサーが引き留めていたってのが真相。 平成の初め頃は
「俺は議員になった時に引退したつもりだ」
と事あるごとに言ってたな ところが90年代に入ってからのほうが80年代後半よりも動きが良かったんだよな猪木は
無理せずインスリン注射に頼るようになったあたりから スポット参戦だとシリーズ巡業に帯同するより遥かに楽だかんな。
全ての面で楽。
だからそれなりに体調も維持できたのでは? 猪木の引退時期は88から90がベスト。
巡業に帯同しなくなった時点で現役バリバリではないし。 藤波の引き際は88.8.8猪木戦だな。
健吾の引き際は・・・ 89年2月の長州戦の後は、馬場ほどではないけど、第一線からは退いたんだなと思った。 Uターンしてきた前田と絡む前に引退しとけば良かったな。
旧Uのゴタゴタで猪木(移籍金だけだけ貰っといてドロン)に裏切られたの怨念を持つ前田は、猪木の見せ場をまったく作らせなかった。
前田と絡んだことで猪木ワールドは崩壊した。 昭和終焉と時を同じくして闘魂終了。
時期的にそんなイメージがある。 平成以降の猪木は全くの別物。
スポット参戦になったら最早現役とは違う。 藤原「猪木さんがすっかり国会議員になってしまって寂しい
プロレスラーアントニオ猪木はどこに行ってしまったのか?」
猪木「そう言われても、俺はもう国会議員なんだよなw」
こんなやり取りがあったくらいだから
ドームとかのビックマッチ要因として出ざる得ない頃でも
猪木本人は議員当選以降は引退のつもりだったんだろう そろそろ棚橋も1.4でしか見れなくなるんだろうか? 棚橋は今年で40だろ
猪木がIWGPで失神した頃の年齢だから
多少のオーバーホールをしてればまだまだ行ける
ましてや社長兼任でもないしオカダもいるから
当時の猪木に比べればはるかに立場は楽 猪木は昭和で完結。
また平成と同時に議員になったんだから。
昭和終了時期がベストだったと思うが。
当時の猪木の状況を考えたら引退に持ってこいの時期。
引退材料が整っていたとは思うが。
猪木自身も既にプロレスに熱い情熱もなかったし。 89年の両国で長州に負けたところで引退を発表して、
90年の2.10東京ドームで闘魂三銃士と闘って終わりにすれば良かったのになぁ。
まぁ、きれいに引退したとしても、死んだ訳じゃないから、
2000年代のズンドコ時代は変わらずやってきたんだろうけど…… 逆に引退時期を伸ばしていたらどうなっていたのかねー 延ばせても二年ぐらいだよ。
延ばしていたらもっと悲惨。
桜庭がブレイクして、
格闘技ブームだったんだから。
猪木の引退はもっと小さい扱いにされてる。
まあ俺としては引退時期としてベストは
92年頃だと思う。
よく88年がベストだって言う人がいるけど、
その時代はUWFがあったからね。
前田に負けたみたいに思われる。
92年頃で対戦相手は
藤波か長州がベストだったと思う。 猪木は55で引退
天龍は65で引退
藤波、長州は60超えて取り敢えず現役 一昨日の8月8日で猪木ー藤波フルタイムから30周年か。
あの時は猪木は引退を匂わせていた。
しかし結果的に猪木が引退したのはなんとこの10年後。
まさかこの時から10年後に引退とは全く予想できなかったなあ。 猪木の場合は引退後がなぁ。今もゴタゴタしてるし。
素晴らしい引退であればあるほど落胆も深くなっただろうから、あれでよかったんじゃ 糖尿病と診断された時点で引退すべきだった。
猪木については悪い噂も一杯でてるが、
元々は、プロレスラーが引退後も就業できるように
飲食店やら副業をはじめた筈
アントンハイセルで松岡とかいう怪しい発明家に騙されるまでは
副業も好調だったらしいし、引き際次第ではホント印象変わっただろうな 猪木は糖尿病発覚した時点で引退したい意向だったらしい。
でもそれで現実的に引退はできるわけがない。
後々に猪木は『自分が死ななきゃ引退はできなかった』と。
何かの記事で猪木自身が語っていた。
少なくとも糖尿病発覚した82年頃だと周りが許さなかったって。 うん。
その頃は新日絶頂期だから無理。
90年頃がベストだったと思う。
引退試合は藤波だね。
猪木はピンフォールで負ける。
あるいは武藤でも良かった。
そして武藤をエースにすれば良かった。
全日が三沢をエースにしたように、
武藤をエースにして
ベイダーをライバルにしたら良かった。 90年の30周年記念試合が引き時だったかもしれない
それから1年以上試合がなくて
忘れかけてたところで
久しぶりに新日20周年のゴールデン生中継の馳戦で
視聴率欲しさに引っ張り出された時に
客が忘れかけてた猪木のプロレスを思い出してしまったw
逆鎌固めなんて平成のレスラーの発想には出てこない
あの試合で猪木への需要が蘇ってしまったとこがあるな そうだね。
前田を避けたあの時点で猪木の時代は終わっていたのか現実だね。
猪木信者は冷めてしまった。 俺は90年代からプロレス見始めたけど、やっぱ誰よりも凄かった。
猪木に並んでたのは武藤くらいかな。
ベイダー戦なんかマジで凄すぎた。
だからあの時の引退で大正解だと思う。 やっぱり猪木は80年代で終わったイメージだね。
議員になった時点で引退。
また議員になってすぐ引退は無理だったろうから議員になって数年後。
時期的には92年頃か。
92年なら30周年も済んでるし。
でも猪木はゴルドーやスティングとも対戦してんだよな。
しかも同日のドームで。
ゴルドー戦で泣きが入り、説得されてスティング戦へ。 81年MSGシリーズで猪木はシン、ハンセンを連続相手で奇跡の優勝。
この時のゴングの記事に猪木は恒例の 五月病 と書かれていた。
五月病だと肉を一切食べることができない。
にも関わらずシン、ハンセン、ホーガンという大型の肉食巨獣を相手にしなければ。
そういう裏の(影の)ハンディをも乗り越えた猪木の神通力はは本当に凄い。
こんな記事だったが、この五月病こそ糖尿病だったのだろう。
この当時はさすがにまだ正式には公表できずにいて。
そして翌年にはそれが悪化して遂にシリーズ欠場にまでなり。 猪木はハルク・ホーガンにのされた時点で一線を引くべきだった。
あの敗戦でプロレスブームが一気に消沈。
ハルク・ホーガンをエースにすべきで猪木は脇役になるべきだった。 猪木、帰国! 北朝鮮「核開発は続けます」 なにしに行ったんですかーっ!! [無断転載禁止](c)2ch.net [952522887]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1505109510/ >>76
あれは馳が良い仕事をしたと思うんだが 猪木を生き返らせてしまったのは事実だな
それを踏まえた上で 俺は北朝鮮でのフレアー戦がラストだったら良かったなと思っている 参議院選挙の影響で、リングでのマイクパフォーマンスで
「わたくしは・・・・・・」
と猪木が言うのを聞いた時
もう引退してくれっておもったわ。 猪木は天龍に負けた時点で終わった!
そんな意見は多いみたいだ。
まああれは天龍の勝ち逃げだったみたいだが。 猪木本人としてはアリ戦で引退したかっただろうが
会社としても25周年のドームツアーまでは現役で引っ張りたかったから
現実的なこと考えると結果的にはあのタイミングで引退となるか 84IWGP大阪の猪木、藤波vs斎藤、長州で正直限界を感じたわ。
正規軍が終始維新軍に翻弄されてた。
終盤ツープラトンのパイルドライバーいいのが入ってしまって、猪木は
グロッキー状態だった。
あれはやり過ぎだったのか、斎藤 長州が強過ぎたのか‥‥‥
斎藤 長州あたりにスンナリ勝てなくなったのが悲しくなったのを憶えている。
やめ時はあのへんだったかな。 87年頃から、同世代のマサ斉藤の異常なコンディションの良さに
刺激を受けたってところはあると思う。 91年は猪木が一切試合をしなかった唯一の年だった。
38年の現役生活の中でも1年以上試合をしなかったのは。 >>90
自分的にはその前に
長州力に後頭部にラリアットを受けて
フォール負けを喫した時に
「猪木の時代は終わったんだな」って
感じたけどね。 札幌の挑戦者決定リーグ程度で長州に初フォール負けをするなら
イヤーエンドイン国技館でドラマチックな演出を考えて欲しかった。
猪木と長州がそれぞれ一日二試合という無茶苦茶な展開は失敗だった。 >>94
なんで試合しなかったの?
参議院の関係で? 猪木はいつ辞めていようが
その後から現在に至るまでのあまりにも変なオジサンっぷりで結局全てをぶち壊していると思う。
引退後の猪木しか知らない世代に「昔熱中してた」とかもう恥ずかしくて言えないもん。
馬場さんの方が現役イメージのまま逝った感じがする。 >>100
今の猪木は所詮はレスラー引退後の道楽みたいなもんだから
別に気にしてないけどなあw
死ぬまで本人の好きにやってくれればいい >>20
たしか最初ホーガンとやりたいって言ってたね。
ホーガンはNWO全盛でそれどころじゃなかったけど ジョージ・フォアマンとはフォアマンがチャンピオンにならなかったら戦っていたのだろうか? 40年前の猪木が今いたら北朝の金正恩との対決を提唱しそうだ。
トランプとの対戦の方が現実味あったかも。 40年前の猪木なら34歳か。
今のキムジョンウンと同じ位だな。
70超えのトランプじゃあなあ。
むしろ今の時代に猪木とトランプ対戦の方が。 >>100
全盛期の馬場のイメージの保ってたのならともかく
晩年の馬場さんのイメージのことを言ってるのなら
変なおじさんの猪木の方が数十倍マシ レスラーとしての引退は98年のあの時期でよかったと思う。
そしてそのまま業界そのものから引退してロスにでも隠居生活でも
送っていればよかったと思う。
UFOもIGFもなく橋本vs小川にも全く関わらないのであれば
新日本の歴史ももっといい方向に変わっていたかもしれないし。 引退はベストな時期だったと思うよ
晩年のベイダー戦、天龍戦は良かったしな >>109
三銃士も峠を過ぎて下り坂に入りつつあって
さらにマンネリ気味になってたから
猪木がそのあり方に対して物足らない気持ちがあって
言いたいことがあるのはわかるんだが
新日に対するアンチテーゼとして使っているコマが
ことごとくロクなものがいなかった
シリーズ参戦すら満足に出来ない選手ばかりでは
団体としても使いにくいだろ >>106 >>108
アミンは巨体でアマボクシングやアマレスの経験があったけど
上背に欠けていて運動神経も良さそうに見えないジョンウン坊っちゃんには無理だろう リング上の事故で死ぬかもしれんなと思った時が過去にあった 前田日明とシングルやらなかったのが最大の汚点。
上田馬之助「新日本のやつらは前田日明の蹴りにビビってたのがお客に分かっちゃったからさ。あんなもん同じレスラーなんだから向かっていきゃあいいんだよ。なさけない。」
これに尽きるね。 88年の頃はバブルに反して猪木引退を目玉にしなきゃならないくらい新日が落ち込んでた時期だよな >>39
>>40
深いな。
橋本のロー食らった猪木な。 猪木自伝読んだら、チョチョシビリにリベンジして猪木自身が幕引きを考えたらしい
実際引退するまで長い年月がかかったけど >>117
本当の意味でのトップレスラーとしての最後はチョチョシビリ戦までだっただろうね
議員当選以降はスポット参戦だから意味合いが違った存在になった
猪木本人も
「おれは議員になった時点でレスラーは引退したつもりだ」
とよく語っていた
それ以降の試合は基本的にはあくまで
猪木本人の意思より会社の営業上の施策としてのものと考えるのが自然だろう でもコンディション的にはスポット参戦になってからの方が技のキレ、動きは戻ってたよ
巡業に出てた時はいつもお疲れ気味で集中力もキレてたが
特に延髄斬りのジャンプ力とキレが全然違った 議員以降の猪木の試合を記憶を辿って並べてみた。
・89年12月 モスクア
猪木、チョチョシビリ×斎藤、レイガンズ
・90年2月10日 東京ドーム
猪木、坂口×橋本、蝶野
・90年9月30日 横浜アリーナ(デビュー30周年記念試合)
猪木、シン×ベイダー、浜口
91年 一切試合無し
・92年1月4日 東京ドーム
猪木×馳
・92年3月 横浜アリーナ(新日旗揚げ20周年記念大会)
猪木、木戸×長州、木村
・92年5月 大阪城ホール
猪木、馳×レイガンズ、ランボー
・93年5?福岡ドーム
猪木、藤波×長州、天龍
・94年1月4 東京ドーム
猪木×天龍
・94年5月 福岡ドーム
猪木×ムタ
・94年?月
猪木、北尾×長州、天龍?
・94年9月?
猪木、木戸×蝶野、安田(猪木、安田×蝶野、木戸?)
・95年1月4日 東京ドーム
猪木×ゴルドー
猪木×スティング
・95年12月30日 代々木第一体育館
猪木、高田×山崎、藤原
・96年1月4日 東京ドーム
猪木×ベイダー
・96年6月? ロサンゼルス
猪木、スバーン×藤原、タクタロフ(猪木、タクタロフ×藤原、スバーン?)
・96年12月30日 代々木第一体育館
猪木×海賊ガスパー
・97年1月4日 東京ドーム
猪木×ウイリー
・97年4月 東京ドーム
猪木×タイガーキング
・98年4月4日 東京ドーム(引退試合)
猪木×フライ
取り敢えずこんな感じで。 >>121
97年7月に札幌で猪木&タイガーキングvs佐々木健介&藤田和之というのもあった。 >>122
そうだ、あったね。
すっかり忘れてたわ。
猪木と健介の最初で最後の対決でもあり。
猪木と藤田もか。
健介の逆一本背負いで猪木が危険な落ち方してヒヤリとした。
引退直前の98年3月の愛知県体育館で角田とのエキシビションもあった。
あれはエキシビションであって正式な試合ではなかったけど。
93年1月4日の東京ドーム大会。
猪木、橋本×ノートン、レイガンズが組まれていた。
でも猪木欠場になったのは本当に残念だった。
俺は猪木とノートンの対決も一度は見たかったしね。 >>121
猪木vsリーガルと猪木、馳vs藤原、石川 猪木vsニック・ボッグウィンクルが中止になった
猪木vsドリーも計画されてたらしいが猪木が今更だと中止に そうか、まだあったね。
記憶を辿って思い起こして書いたから。
猪木×角田はエキシビションだね。
92年1月4日の東京ドームでは猪木×シンだったね。
でも馳が割り込んで結果的に猪木との対決権利を獲得。
カナダのシンの自宅まで赴いた馳の行動は凄かった。
でも猪木×馳より猪木×シンを見たかった。 猪木対タイガーはあっさり終わったけど
試合開始直後に猪木の周りを
タイガーが例のステップでぐるぐる回るシーンは痺れたな
プロレスはやっぱり異なった世界観同士の遭遇が一番面白い >>121
猪木・北尾vs長州・天龍は95年5月の福岡ドーム 山崎一夫からフォール取られたのは、見てて「えっ!?」って思った >>121
95年4月29日北朝鮮メーデースタジアム
猪木vsリックフレアー戦も抜けてる。 95年の中国遠征
猪木vs後藤
猪木・長州vs後藤・ヒロ
これも 95年3月ころに東京体育館か愛知県体育館で猪木と藤原のシングルもあったはず。
試合後に両者が男泣きというのを覚えてる。
>>132
それは確か90年秋頃のはず。
猪木30周年記念試合で辻が、猪木の延髄斬りを受けた後藤が
何日も痛みが取れなかった…との解説があった。 猪木カウントダウンは94年スタートだっけ?
猪木とノートン ライガー 武藤の試合は見たかった。
武藤とは以前はタッグ含めて何度も対戦はした。
でも赤タイツ以降の武藤とは対戦なし。
ムタはあっても武藤との対戦は見たかったなあ。
お互いにやり辛いだろうが。 89年の議員後は猪木は20試合くらいか。
引退までの9年で20試合。
1年で平均2試合って計算になるな。
議員後から5年で引退カウントダウン。
引退カウントダウンから4年で完全引退。
猪木は議員になった時点で引退したかったのが本音みたいだが。 あんときはスキャンダルでテレビ映れなくてホーガン・ムタvsヘルレイザーズの後にホーガンが猪木に突っ掛かったのカットされてて悲しいかった あったねえ。
アイアム イチバン!
イノキ ニバン!
とかで挑発して。
アントキノ猪木、いやっあんときは拳銃密輸疑惑だっけ?脱税疑惑だったっけ? 長州力に後頭部のラリアットを受けて3カウントで負けた試合後に引退すべきだったと思う。 >>138
長州も「猪木、引退しろ」って言ってたけど、その後の藤波vs猪木でコロッと態度変えたんだよな 猪木のジャーマン→後頭部ラリアットは衝撃だった。
札幌、両国の長州戦連敗は引退ロードだったよ 出戻った前田の馬力に対抗できないのを悟って、避けるようになったあの時代におれの中で猪木は終わった。
あれ以降冷ややかな目で見るようになったんだよ猪木信者さえも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています