アントニオ猪木の引き際はいつ頃が良かったか? [無断転載禁止]©2ch.net
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猪木の引き際、引退はいつ頃が最適だっただろうか?
88.8.8に藤波との60分ドローで完全引退が噂された。
しかし猪木が引退したのはこの10年後の98.4.4。
しかも長州より後に引退という状況に。
※長州はその後 復帰したが。
完全に引き際、引退時期を逃した猪木。
猪木の引退はいつ頃が最適だったかを考えよう。 >>1
>完全に引き際、引退時期を逃した猪木
おまえの主観とかどうでもいいよゴミ
うせろニワカ 生きてたら馬場も前座でロープに凭れて16もんきめたり
売店で座ってグッズ売ってるだろうし
猪木は新日追い出されたから已む無くやな 88.8.8で世代交代を悟り試合後に引退宣言→引退ロードして89年夏の選挙前に引退かな やっぱり議員になった89年に引退がベストだったかも。
しかしこの時点で『もうすぐ30年』という時期。
なら30年終わってから引退というのが最も良かったかな。
かつて50 過ぎてリングに上がっていた馬場を批判。
しかしその自分自身も50過ぎてもリングに上がる事に。
90年でも猪木は47、この頃に引退していたら良かったと。 しかし90 年以降の新日はドーム興行も猪木頼みな部分もあった。
猪木を客寄せにしていたら部分もあったから猪木引退は無理だったかもな。 一線を引くとしたら前年の大量離脱の責任を取らせる形で1985年のIWGPかな?
本人のプライドを考慮して負傷アングルで欠場させ藤波がホーガンにリングアウト勝ちで優勝。
以後は重鎮ポジに棚上げ。例え反抗して独立しようにもUWFの例があるから誰も担がない。 記憶違い
1985年のIWGPはリーグ戦優勝者にホーガンが挑戦する形だった。(決勝は猪木×アンドレ)
だから猪木が負傷で決勝を辞退して藤波が繰り上げ出場のアングルで。
その年の秋にWWFとの契約が終了するので最高のタイミングだった。 88年に猪木引退が噂されていた。
でもまさか10年後の98年に引退とは夢にも思わなかったわ。 芸能事務所と同じで辞めようにも自分の意思じゃ決められないだろ!!!コノヤロウ!!!
総合格闘技とやらが大きく出て来る前でよかったじゃね?
稼げるだけ稼いで、色々バレて大損する前に辞める
ビジネスとして正しい見切りだったと思うぞ 猪木引退試合、対戦者決定トーナメントは、今見ても意味不明。 選手としての引退のタイミングは悪くないけどそれ以降のプロレスや格闘技との絡みが晩節を汚しすぎている ハイセルがうまくいってれば蔵前のホーガン戦が引退試合だったでしょ。 引退試合の相手が小川じゃなくてドン・フライにしたのが何故なんだろ?
当時すでに流行りだしていた総合格闘技より強い猪木みたいな演出がしたかったとか?
絶対に猪木vs小川の方が話題性もさらに高いのに謎だわ >>20
あれはフライで大正解
最後は勧善懲悪でスッキリ終わるほうがいいと思ったんだろう
小川みたいな塩相手に名勝負をやる力量は
あの当時の猪木にはさすがにもうない 今の連中じゃ知名度がないからいまだに猪木頼らないと特番組んでもらえないからなぁ
第三世代から後のプロレスはダメだね それは時代の問題だろ全盛期の猪木の自己プロデュース力はすごいのは確かだけど 小川との対決を(トーナメントで匂わせて)期待させてのフライとの試合。
確かにあれはフライで良かったと俺も思ったね。 でも88年に引退をチラ付かせながら結果的に10年後に引退。
しかも長州よりも後に引退ってのもなあ。
やっぱり議員になった時に引退できてればベストだったかも。 最初のドームまで、前田が新日にいたら・・・・
前田に負けて引退もありえた。
藤波にシングルで負ける事をしなかったのは、長く共にいすぎて
藤波のマイナスな部分を本人以上に理解していたから。 今思うと、ホーガンからアックスボンバー食らった時に素直にホーガンを認めてやめていればと思う、 猪木自身はもっと早く引退したかったのが本音だろう。
でもそれが許されなかった状況だったかんな。 晩年猪木も天龍、フレアー、ベイダーと名勝負多いもんな
ムタとの試合も名勝負かは微妙だけど個人的には好きだったしね
佐山との試合は期待外れだったけど…
そういえばスティングともやってるんだよなぁ >>29
引退したいと思いつつ
あれだけの脚光を浴びた人。アドレナリンというかエクスタシーというか、そういうので辞められなかった面も多いと思う。
真剣勝負の世界ですら、引退、撤回、復帰と晩節を汚すアスリートは多いから。 83年に引退がベストという意見もある。
しかしそうなればブロディとの対決は実現しなかった。
出戻りの前田との絡みも。
まあ猪木が83年に引退してたら前田も新日出なかったかも。 猪木の引退はやっぱり88年か89年がベストだったと思う。
実際に猪木は88年に本当に引退したかったらしい。
この頃の猪木は既にかつての「プロレスへの情熱」は完全に冷めていた。
アリ戦から12年、もはや完全燃焼していたみたいだし。
後継者こそ完全に決まってなかったものの、猪木はやり尽くしたと。
でも新間や周囲がガチで引き止めて猪木が引退できない状況を作った。
それがなければ猪木は88年か89年には完全に引退していたらしい。
しかも89年には実際に議員にもなったわけだし。 情熱が冷めてたというわりには、
世代闘争を中途半端にやめてはマサと巌流島やったり
ベイダーの相手したりと
てめえばっか主役になりたがってたのはなぜだ? 当時の暴露本で、巌流島はもともと藤波VS長州でやる予定だったと書いてあった。
というか、長州と藤波が雑談中に、互いの出身地の中間が巌流島じゃんという話になって
思いついたアイデアだったらしい。
それを奪いとったのが社長アントン。
だってさ。 もし負けるということがあるとこれは勝負は時の運ということでは済まないと思いますが >>37
出る前に負ける事を考えるバカが居るかよ!出てけ!! ソ連でやったときのタッグと、橋本 蝶野でやったの見たときに
もう無理だなとおもったよね 90年2月のドームで引退表明。1年かけて引退シリーズやって91年3月のドームでお終い。三銃士がメイン張るようになったから丁度潮時だった。 >>35
営業上の問題以外にないだろう
ほかの人間に任せたら
間違いなく話題性に欠けて会社の売上も視聴率も落ちる >>35
営業上の問題以外にないだろう
ほかの人間に任せたら
間違いなく話題性に欠けて会社の売上も視聴率も落ちる 1年ぐらいかけて全国を回らないと地方のプロモーターが許さない。
87年頃の前田後継話は、猪木&新日&テレ朝はUが新日に来ても客入りが悪かったため、
いきなり前田だと倒産危機のため、1年ぐらいかけて前田の価値、知名度を上げてからの
禅譲を考えたが、前田は1発勝負を望んだ。
当時の前田だと誰とでもいい試合ができないため、経営上、不安定この上ない。
その後の88.8.8藤波戦は引退へのいい雰囲気ではあったが、横浜文体での試合後に
今日で引退します・・・はないな。 89年の参議院選に落ちたらややこしいことになっていたな。参議院議員になって一線を退けた
ことで猪木が出るとプレミアム感があったからいいけど。本当は引退するタイミングとしては絶好の
タイミングだと思ったが。 83.6.2ホーガン戦後だとまだ早い。
88.8.8はドームでやって負けたら引退宣言して、藤波に負けて引退は嫌みたい。
89年の参院当選はいい機会だったが、ゲスト出場のプレミアムが増して
ベイダー、天龍、ムタ戦と試合内容も良かった。
そうすると、98.4.4で良かったのでは? ただ最後がフライであの試合は・・・
俺は最後が藤波戦だったら精神的な部分でも感動できたと思う。 >>46
98年のドームで猪木最後の大スペクタクルを期待したいところだったが
猪木の前年の試合内容を見てると体力的にはもう無理だろう
最後のトーナメントの顔ぶれ見ても上手くプロレスができて
相乗効果が期待できそうなのは一人もいない
結果として無難に勧善懲悪プロレスで良かったと思う タイミングとしたは89年に議員当選した時だったな。
83年では確かに早すぎた。
やっぱり議員当選した時がベストだっただろう。
奇しくも時代も昭和から平成に変わった頃で。
アントニオ猪木は昭和で完結 と。
90年の30周年で引退という方法もあった。 師匠の力道山の故郷である北朝鮮で興行うって
そこでの試合が本人の中では区切りだったみたいな話聞いた事あるな
ただその北朝鮮での興行のせいで借金まみれになって
引退の時期が数年伸びちゃったわけだが 猪木自身はさっさと引退したがってたが
テレ朝とスポンサーが引き留めていたってのが真相。 平成の初め頃は
「俺は議員になった時に引退したつもりだ」
と事あるごとに言ってたな ところが90年代に入ってからのほうが80年代後半よりも動きが良かったんだよな猪木は
無理せずインスリン注射に頼るようになったあたりから スポット参戦だとシリーズ巡業に帯同するより遥かに楽だかんな。
全ての面で楽。
だからそれなりに体調も維持できたのでは? 猪木の引退時期は88から90がベスト。
巡業に帯同しなくなった時点で現役バリバリではないし。 藤波の引き際は88.8.8猪木戦だな。
健吾の引き際は・・・ 89年2月の長州戦の後は、馬場ほどではないけど、第一線からは退いたんだなと思った。 Uターンしてきた前田と絡む前に引退しとけば良かったな。
旧Uのゴタゴタで猪木(移籍金だけだけ貰っといてドロン)に裏切られたの怨念を持つ前田は、猪木の見せ場をまったく作らせなかった。
前田と絡んだことで猪木ワールドは崩壊した。 昭和終焉と時を同じくして闘魂終了。
時期的にそんなイメージがある。 平成以降の猪木は全くの別物。
スポット参戦になったら最早現役とは違う。 藤原「猪木さんがすっかり国会議員になってしまって寂しい
プロレスラーアントニオ猪木はどこに行ってしまったのか?」
猪木「そう言われても、俺はもう国会議員なんだよなw」
こんなやり取りがあったくらいだから
ドームとかのビックマッチ要因として出ざる得ない頃でも
猪木本人は議員当選以降は引退のつもりだったんだろう そろそろ棚橋も1.4でしか見れなくなるんだろうか? 棚橋は今年で40だろ
猪木がIWGPで失神した頃の年齢だから
多少のオーバーホールをしてればまだまだ行ける
ましてや社長兼任でもないしオカダもいるから
当時の猪木に比べればはるかに立場は楽 猪木は昭和で完結。
また平成と同時に議員になったんだから。
昭和終了時期がベストだったと思うが。
当時の猪木の状況を考えたら引退に持ってこいの時期。
引退材料が整っていたとは思うが。
猪木自身も既にプロレスに熱い情熱もなかったし。 89年の両国で長州に負けたところで引退を発表して、
90年の2.10東京ドームで闘魂三銃士と闘って終わりにすれば良かったのになぁ。
まぁ、きれいに引退したとしても、死んだ訳じゃないから、
2000年代のズンドコ時代は変わらずやってきたんだろうけど…… 逆に引退時期を伸ばしていたらどうなっていたのかねー 延ばせても二年ぐらいだよ。
延ばしていたらもっと悲惨。
桜庭がブレイクして、
格闘技ブームだったんだから。
猪木の引退はもっと小さい扱いにされてる。
まあ俺としては引退時期としてベストは
92年頃だと思う。
よく88年がベストだって言う人がいるけど、
その時代はUWFがあったからね。
前田に負けたみたいに思われる。
92年頃で対戦相手は
藤波か長州がベストだったと思う。 猪木は55で引退
天龍は65で引退
藤波、長州は60超えて取り敢えず現役 一昨日の8月8日で猪木ー藤波フルタイムから30周年か。
あの時は猪木は引退を匂わせていた。
しかし結果的に猪木が引退したのはなんとこの10年後。
まさかこの時から10年後に引退とは全く予想できなかったなあ。 猪木の場合は引退後がなぁ。今もゴタゴタしてるし。
素晴らしい引退であればあるほど落胆も深くなっただろうから、あれでよかったんじゃ 糖尿病と診断された時点で引退すべきだった。
猪木については悪い噂も一杯でてるが、
元々は、プロレスラーが引退後も就業できるように
飲食店やら副業をはじめた筈
アントンハイセルで松岡とかいう怪しい発明家に騙されるまでは
副業も好調だったらしいし、引き際次第ではホント印象変わっただろうな 猪木は糖尿病発覚した時点で引退したい意向だったらしい。
でもそれで現実的に引退はできるわけがない。
後々に猪木は『自分が死ななきゃ引退はできなかった』と。
何かの記事で猪木自身が語っていた。
少なくとも糖尿病発覚した82年頃だと周りが許さなかったって。 うん。
その頃は新日絶頂期だから無理。
90年頃がベストだったと思う。
引退試合は藤波だね。
猪木はピンフォールで負ける。
あるいは武藤でも良かった。
そして武藤をエースにすれば良かった。
全日が三沢をエースにしたように、
武藤をエースにして
ベイダーをライバルにしたら良かった。 90年の30周年記念試合が引き時だったかもしれない
それから1年以上試合がなくて
忘れかけてたところで
久しぶりに新日20周年のゴールデン生中継の馳戦で
視聴率欲しさに引っ張り出された時に
客が忘れかけてた猪木のプロレスを思い出してしまったw
逆鎌固めなんて平成のレスラーの発想には出てこない
あの試合で猪木への需要が蘇ってしまったとこがあるな そうだね。
前田を避けたあの時点で猪木の時代は終わっていたのか現実だね。
猪木信者は冷めてしまった。 俺は90年代からプロレス見始めたけど、やっぱ誰よりも凄かった。
猪木に並んでたのは武藤くらいかな。
ベイダー戦なんかマジで凄すぎた。
だからあの時の引退で大正解だと思う。 やっぱり猪木は80年代で終わったイメージだね。
議員になった時点で引退。
また議員になってすぐ引退は無理だったろうから議員になって数年後。
時期的には92年頃か。
92年なら30周年も済んでるし。
でも猪木はゴルドーやスティングとも対戦してんだよな。
しかも同日のドームで。
ゴルドー戦で泣きが入り、説得されてスティング戦へ。 81年MSGシリーズで猪木はシン、ハンセンを連続相手で奇跡の優勝。
この時のゴングの記事に猪木は恒例の 五月病 と書かれていた。
五月病だと肉を一切食べることができない。
にも関わらずシン、ハンセン、ホーガンという大型の肉食巨獣を相手にしなければ。
そういう裏の(影の)ハンディをも乗り越えた猪木の神通力はは本当に凄い。
こんな記事だったが、この五月病こそ糖尿病だったのだろう。
この当時はさすがにまだ正式には公表できずにいて。
そして翌年にはそれが悪化して遂にシリーズ欠場にまでなり。 猪木はハルク・ホーガンにのされた時点で一線を引くべきだった。
あの敗戦でプロレスブームが一気に消沈。
ハルク・ホーガンをエースにすべきで猪木は脇役になるべきだった。 猪木、帰国! 北朝鮮「核開発は続けます」 なにしに行ったんですかーっ!! [無断転載禁止](c)2ch.net [952522887]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1505109510/ >>76
あれは馳が良い仕事をしたと思うんだが 猪木を生き返らせてしまったのは事実だな
それを踏まえた上で 俺は北朝鮮でのフレアー戦がラストだったら良かったなと思っている 参議院選挙の影響で、リングでのマイクパフォーマンスで
「わたくしは・・・・・・」
と猪木が言うのを聞いた時
もう引退してくれっておもったわ。 猪木は天龍に負けた時点で終わった!
そんな意見は多いみたいだ。
まああれは天龍の勝ち逃げだったみたいだが。 猪木本人としてはアリ戦で引退したかっただろうが
会社としても25周年のドームツアーまでは現役で引っ張りたかったから
現実的なこと考えると結果的にはあのタイミングで引退となるか 84IWGP大阪の猪木、藤波vs斎藤、長州で正直限界を感じたわ。
正規軍が終始維新軍に翻弄されてた。
終盤ツープラトンのパイルドライバーいいのが入ってしまって、猪木は
グロッキー状態だった。
あれはやり過ぎだったのか、斎藤 長州が強過ぎたのか‥‥‥
斎藤 長州あたりにスンナリ勝てなくなったのが悲しくなったのを憶えている。
やめ時はあのへんだったかな。 87年頃から、同世代のマサ斉藤の異常なコンディションの良さに
刺激を受けたってところはあると思う。 91年は猪木が一切試合をしなかった唯一の年だった。
38年の現役生活の中でも1年以上試合をしなかったのは。 >>90
自分的にはその前に
長州力に後頭部にラリアットを受けて
フォール負けを喫した時に
「猪木の時代は終わったんだな」って
感じたけどね。 札幌の挑戦者決定リーグ程度で長州に初フォール負けをするなら
イヤーエンドイン国技館でドラマチックな演出を考えて欲しかった。
猪木と長州がそれぞれ一日二試合という無茶苦茶な展開は失敗だった。 >>94
なんで試合しなかったの?
参議院の関係で? 猪木はいつ辞めていようが
その後から現在に至るまでのあまりにも変なオジサンっぷりで結局全てをぶち壊していると思う。
引退後の猪木しか知らない世代に「昔熱中してた」とかもう恥ずかしくて言えないもん。
馬場さんの方が現役イメージのまま逝った感じがする。 >>100
今の猪木は所詮はレスラー引退後の道楽みたいなもんだから
別に気にしてないけどなあw
死ぬまで本人の好きにやってくれればいい >>20
たしか最初ホーガンとやりたいって言ってたね。
ホーガンはNWO全盛でそれどころじゃなかったけど ジョージ・フォアマンとはフォアマンがチャンピオンにならなかったら戦っていたのだろうか? 40年前の猪木が今いたら北朝の金正恩との対決を提唱しそうだ。
トランプとの対戦の方が現実味あったかも。 40年前の猪木なら34歳か。
今のキムジョンウンと同じ位だな。
70超えのトランプじゃあなあ。
むしろ今の時代に猪木とトランプ対戦の方が。 >>100
全盛期の馬場のイメージの保ってたのならともかく
晩年の馬場さんのイメージのことを言ってるのなら
変なおじさんの猪木の方が数十倍マシ レスラーとしての引退は98年のあの時期でよかったと思う。
そしてそのまま業界そのものから引退してロスにでも隠居生活でも
送っていればよかったと思う。
UFOもIGFもなく橋本vs小川にも全く関わらないのであれば
新日本の歴史ももっといい方向に変わっていたかもしれないし。 引退はベストな時期だったと思うよ
晩年のベイダー戦、天龍戦は良かったしな >>109
三銃士も峠を過ぎて下り坂に入りつつあって
さらにマンネリ気味になってたから
猪木がそのあり方に対して物足らない気持ちがあって
言いたいことがあるのはわかるんだが
新日に対するアンチテーゼとして使っているコマが
ことごとくロクなものがいなかった
シリーズ参戦すら満足に出来ない選手ばかりでは
団体としても使いにくいだろ >>106 >>108
アミンは巨体でアマボクシングやアマレスの経験があったけど
上背に欠けていて運動神経も良さそうに見えないジョンウン坊っちゃんには無理だろう リング上の事故で死ぬかもしれんなと思った時が過去にあった 前田日明とシングルやらなかったのが最大の汚点。
上田馬之助「新日本のやつらは前田日明の蹴りにビビってたのがお客に分かっちゃったからさ。あんなもん同じレスラーなんだから向かっていきゃあいいんだよ。なさけない。」
これに尽きるね。 88年の頃はバブルに反して猪木引退を目玉にしなきゃならないくらい新日が落ち込んでた時期だよな >>39
>>40
深いな。
橋本のロー食らった猪木な。 猪木自伝読んだら、チョチョシビリにリベンジして猪木自身が幕引きを考えたらしい
実際引退するまで長い年月がかかったけど >>117
本当の意味でのトップレスラーとしての最後はチョチョシビリ戦までだっただろうね
議員当選以降はスポット参戦だから意味合いが違った存在になった
猪木本人も
「おれは議員になった時点でレスラーは引退したつもりだ」
とよく語っていた
それ以降の試合は基本的にはあくまで
猪木本人の意思より会社の営業上の施策としてのものと考えるのが自然だろう でもコンディション的にはスポット参戦になってからの方が技のキレ、動きは戻ってたよ
巡業に出てた時はいつもお疲れ気味で集中力もキレてたが
特に延髄斬りのジャンプ力とキレが全然違った 議員以降の猪木の試合を記憶を辿って並べてみた。
・89年12月 モスクア
猪木、チョチョシビリ×斎藤、レイガンズ
・90年2月10日 東京ドーム
猪木、坂口×橋本、蝶野
・90年9月30日 横浜アリーナ(デビュー30周年記念試合)
猪木、シン×ベイダー、浜口
91年 一切試合無し
・92年1月4日 東京ドーム
猪木×馳
・92年3月 横浜アリーナ(新日旗揚げ20周年記念大会)
猪木、木戸×長州、木村
・92年5月 大阪城ホール
猪木、馳×レイガンズ、ランボー
・93年5?福岡ドーム
猪木、藤波×長州、天龍
・94年1月4 東京ドーム
猪木×天龍
・94年5月 福岡ドーム
猪木×ムタ
・94年?月
猪木、北尾×長州、天龍?
・94年9月?
猪木、木戸×蝶野、安田(猪木、安田×蝶野、木戸?)
・95年1月4日 東京ドーム
猪木×ゴルドー
猪木×スティング
・95年12月30日 代々木第一体育館
猪木、高田×山崎、藤原
・96年1月4日 東京ドーム
猪木×ベイダー
・96年6月? ロサンゼルス
猪木、スバーン×藤原、タクタロフ(猪木、タクタロフ×藤原、スバーン?)
・96年12月30日 代々木第一体育館
猪木×海賊ガスパー
・97年1月4日 東京ドーム
猪木×ウイリー
・97年4月 東京ドーム
猪木×タイガーキング
・98年4月4日 東京ドーム(引退試合)
猪木×フライ
取り敢えずこんな感じで。 >>121
97年7月に札幌で猪木&タイガーキングvs佐々木健介&藤田和之というのもあった。 >>122
そうだ、あったね。
すっかり忘れてたわ。
猪木と健介の最初で最後の対決でもあり。
猪木と藤田もか。
健介の逆一本背負いで猪木が危険な落ち方してヒヤリとした。
引退直前の98年3月の愛知県体育館で角田とのエキシビションもあった。
あれはエキシビションであって正式な試合ではなかったけど。
93年1月4日の東京ドーム大会。
猪木、橋本×ノートン、レイガンズが組まれていた。
でも猪木欠場になったのは本当に残念だった。
俺は猪木とノートンの対決も一度は見たかったしね。 >>121
猪木vsリーガルと猪木、馳vs藤原、石川 猪木vsニック・ボッグウィンクルが中止になった
猪木vsドリーも計画されてたらしいが猪木が今更だと中止に そうか、まだあったね。
記憶を辿って思い起こして書いたから。
猪木×角田はエキシビションだね。
92年1月4日の東京ドームでは猪木×シンだったね。
でも馳が割り込んで結果的に猪木との対決権利を獲得。
カナダのシンの自宅まで赴いた馳の行動は凄かった。
でも猪木×馳より猪木×シンを見たかった。 猪木対タイガーはあっさり終わったけど
試合開始直後に猪木の周りを
タイガーが例のステップでぐるぐる回るシーンは痺れたな
プロレスはやっぱり異なった世界観同士の遭遇が一番面白い >>121
猪木・北尾vs長州・天龍は95年5月の福岡ドーム 山崎一夫からフォール取られたのは、見てて「えっ!?」って思った >>121
95年4月29日北朝鮮メーデースタジアム
猪木vsリックフレアー戦も抜けてる。 95年の中国遠征
猪木vs後藤
猪木・長州vs後藤・ヒロ
これも 95年3月ころに東京体育館か愛知県体育館で猪木と藤原のシングルもあったはず。
試合後に両者が男泣きというのを覚えてる。
>>132
それは確か90年秋頃のはず。
猪木30周年記念試合で辻が、猪木の延髄斬りを受けた後藤が
何日も痛みが取れなかった…との解説があった。 猪木カウントダウンは94年スタートだっけ?
猪木とノートン ライガー 武藤の試合は見たかった。
武藤とは以前はタッグ含めて何度も対戦はした。
でも赤タイツ以降の武藤とは対戦なし。
ムタはあっても武藤との対戦は見たかったなあ。
お互いにやり辛いだろうが。 89年の議員後は猪木は20試合くらいか。
引退までの9年で20試合。
1年で平均2試合って計算になるな。
議員後から5年で引退カウントダウン。
引退カウントダウンから4年で完全引退。
猪木は議員になった時点で引退したかったのが本音みたいだが。 あんときはスキャンダルでテレビ映れなくてホーガン・ムタvsヘルレイザーズの後にホーガンが猪木に突っ掛かったのカットされてて悲しいかった あったねえ。
アイアム イチバン!
イノキ ニバン!
とかで挑発して。
アントキノ猪木、いやっあんときは拳銃密輸疑惑だっけ?脱税疑惑だったっけ? 長州力に後頭部のラリアットを受けて3カウントで負けた試合後に引退すべきだったと思う。 >>138
長州も「猪木、引退しろ」って言ってたけど、その後の藤波vs猪木でコロッと態度変えたんだよな 猪木のジャーマン→後頭部ラリアットは衝撃だった。
札幌、両国の長州戦連敗は引退ロードだったよ 出戻った前田の馬力に対抗できないのを悟って、避けるようになったあの時代におれの中で猪木は終わった。
あれ以降冷ややかな目で見るようになったんだよ猪木信者さえも。 猪木も金欠になってたら長州や藤波のようにリングに上がった可能性あるよな
幸か不幸か議員にも当選しパチンコパチスロの大ヒットで巨額の金手にし
闘魂ビンタだけでひっぱりだこ。前田もリングス一財産築いたので遊んで暮らせる 猪木の引退年55
現在は藤波64で長州66
二人は猪木の引退年を遥かに越えてしもうた。
それどころか馬場の享年61すらも越えて。
ちなみに前田の引退年は40。 猪木が引退してもう20年か。
さすがに今はないが、引退後数年は新日に携わり続けた。
格闘技路線を無理強いしたり。
新日の外敵という立場で小川を使ったりと。
新日30周年あたりまではまだ良かったが。 今年中には死んで欲しい
テメエの興行の為に、北朝鮮を国際政治を
無視した利用
国賊を超えた西側諸国すべての敵
死にやがれ 馬場の実質引退試合は三沢小橋vsハンセン馬場の三沢にピン取られた試合
ハンセンの実質引退試合は96年の最後の三冠挑戦で小橋にラリアットで負けた試合 89年2月22日の両国での猪木×長州も良かった。
猪木引退(間近)を匂わせるには最高の試合だったな。
またそう印象付ける為に猪木も試合後に泣いたり。
猪木自身もそれを狙っていたのだろう。
また政界に出馬を視野に入れて。
当選したらセミリは確実。
猪木は正式に引退したかったみたいだが、それが無理でもセミリ。
猪木は役者だと思った。 2.22は、試合後に長州が猪木越え関係の話を一切せずに、
いきなり前田戦をぶちあげたのがすごかった。
なぜか週プロは完全無視で、ゴングの方だけが、毎週前田と長州を
交互にインタビューしたりして、試合実現交渉の仲介をやってるみたいだった。 猪木長州戦なんてもううんざりだったよな。
猪木対前田、前田対長州が見たかったんだよみんな。 確かに。
でも前田は解雇されて既に1年以上だった。
それとも交流戦を視野に入れた長州のコメントか?
しかしそのコメントは覚えてなかったわ。 前田戦をぶちあげたって言ったってもう遅いよ
前田は新団体立ち上げたし、交流戦なんてできるわけないじゃんってみんな思ってたから
週プロ無視は当然と言えば当然 前田は「猪木さんはプロレスの天才、あの人には勝てないよ」って後日漏らしてた >>151
そうでもない。新生UWFはすぐにカードのマンネリ化が目立ってたし、
業界の盟主新日がやる気になれば合同興行は可能だった。
それに、みんながみんな、前田様UWF様の孤高っぽさを評価してたわけじゃない。
現に、この一か月くらい後のオールナイトニッポンでは、ゲストの桑田圭祐が、
前田に面とむかって、「いちばん見たいのは前田VS天龍戦」って言ってたし。 個人的には、ドームのムタ戦かな
あそこで魔界に引き釣り込まれて蛇界転生、とかなったら一生付いてったかもしれんがw >>153
《前田VS長州》《前田VS天龍》
どちらを見たかったと言えば前田VS天龍だな。
前田VS鶴田も見たかった。
どんな内容かはわからん。
ただハマれば双方共にいい試合にはなっただろう。 猪木は闇の部分があってこそなんだなあ
まあ今の猪木には特に思うことはない
無理せず安らかな最後を遂げてほしい なんだかんだ引退試合まで引き際はまぁギリギリ良かったと思うけどな
その後ゾンビみたいにチラチラうろついてるのが 危険な攻撃を仕掛けられたとしてもあの時、前田とシングルやっときゃあ良かったんだよ。
あれで猪木信者は一気に覚めてしまった。
新日関係者的には、前田がケツを守るにしても猪木と前田の実力差が露呈する試合になるのを怖れたっぽいね。
今でさえ前田は「あれはアングルだった。」と言ってるけど、あの頃の前田の目付きはどう見ても裏切りに対する憎悪はあったと思う。
はっきり言ってアングルであんな緊張感は出せないでしょ(笑) 日本マットで最高齢試合出場記録なのは
テーズ?
ドリー?
マスカラス? 前田がそもそもケツギメを守ったかなあ、っていうのがあるからな
前田にしてみれば史実より早く新生を立ちあげればいいことだし 当時は子供だったから「前田は危険。猪木ヤバイ」と思ってたけど、
社会人になったらぜんぜん見方が変わった。
前田がケツギメを破るなんてありえんよ。
いちど会社がつぶれて路頭に迷ってからなんとか大手に拾ってもらった人間が、
その大手の重役に感情優先でどうこうするなんて、酔って気が大きくなったときですら
考えもしないレベルのありえなさだよ。 >>163
ケツを守る守らないんじゃなくて、前田の場合「猪木よりおれの方が強いやろ。」というのを見せつける試合してくるから危険視されたんだよ。
前田も言ってるけど、やっちゃいけないプロレス。
当時、猪木は前田のローを受けるのが嫌でマッチメークの時も前田と絡むのを露骨に嫌がってたとは新日関係者談 >>162
ミスター陳がFMW出た時
あんな年寄りリングに挙げて殺す気かと思ったが
あれでも60そこらだったんだな
今の長州とか藤波なんかよりはるかに若い でもミスター珍って透析患者だから、病人どころか障害者なんだよね
FMWってやっぱりぶっ飛んでたね >>166
こないだインタビュー受けた時にほとんど寝たきりのおじいちゃんになってたストロング小林がいきなりリングに上がってきたような感じだったな。 猪木カウントダウンって確か94年からか。
でもそっから4年も引っ張った。
カウントダウンから10試合くらいやってたはず。
スティング ゴルドーとの時は完全に引退間近ムードだった。 力道山からの誘いを断り、家族や仲間達とコーヒー農園での仕事を続けるべきだった。
それで 全てが一件落着。 そうなれば猪木は今日という日に75歳を迎えられなかったかも。 猪木は後継者はどう考えていたのだろう。
藤波、長州、前田、橋本、武藤、小川、藤田
でも結局は猪木の後継者は出なかった。
いなかったと言うべきか。
橋本は猪木が根回しして小川に潰させた時点で除外。
小川も猪木の元から離れた時点で除外。
藤田も猪木の後継者としてはどうもしっくりこない。
武藤はそもそも猪木の後継者になる気はなかっただろう。
藤波や長州、前田も後継者ではなく独自の道を。 誰でも後継者というのは意のままに操れる人間を希望したいんだけどなかなかうまくはいかない(笑) 後継者っちゅうても単純な後釜、或いは自分の操り人形。
馬場は前者で猪木は後者か。
だから全日は馬場の後継者は鶴田、三沢と。
新日は結果的に猪木の後継者はなかった。
新日のトップは藤波、長州、橋本、蝶野と取り敢えず設けたが。
でもトップが後継者とも違うかんな。
特に新日の場合は。
しっかし馬場や猪木は「後継者は誰?」と散々言われてきた。
しかしその下の世代では「後継者は?」と言われなかった。
やっぱり馬場と猪木がそれだけ偉大でビッグだったってことだ。 小川とシングルやって負けてればよかったのに
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SUEJZ 猪木と小川は見たかったのもある。
でもそうなれば小川の商品価値が下がるかも知れない。
リングを退く猪木とこれから売り出す小川。
あの引退試合が小川じゃなかったのは正解かも。
小川が猪木の引退相手を努めて(試合結果はどうあれ)キレイにバトンタッチ。
そんな都合良く簡単にはいかない。 猪木と小川は見たかったのもある。
でもそうなれば小川の商品価値が下がるかも知れない。
リングを退く猪木とこれから売り出す小川。
あの引退試合が小川じゃなかったのは正解かも。
小川が猪木の引退相手を努めて(試合結果はどうあれ)キレイにバトンタッチ。
そんな都合良く簡単にはいかない。 猪木のあのセンスを継承できたレスラーはほぼ皆無だろう。
あのセンス、発想、スター性、存在感。
武藤は単純な動きのセンスでは猪木を越えていたという意見がある。
猪木が嫉妬したくらいだし。
だが総体的に見たら武藤でも足元に及ばないと思う。 猪木の弟子で猪木越えたのはホーガンかな
次点で長州だけど越えたかというと越えてないですようん >>181
プロレスセンスは藤波、ファイティングスピリットは長州、カリスマ性は前田に分配したみたいな意見を見たことがある。 猪木の終焉は一度決定した前田とのシングルを撤回した時。
あの頃の前田は猪木的世界を演じさせてくれない唯一の男。
戦わずして負けるってまさにこのことだよな。 猪木引退から20年か。
猪木の現役見てきた年数より長いわ。 北朝鮮がいい方向に向かってるんだから、
今でこそ平和の祭典第2弾を平壌でやるべきだな。 1、離婚等の87年
2、自らが引退を匂わせた88年
3、議員になった89年
4、橋本、蝶野との対戦のドーム大会の90年
5、体調不良でドーム大会欠場の93年
6、ファイナルカウントダウン宣言した94年
7、猪木時代終焉を決定させる試合をした95年
これまでも引退するに相応しい時期やタイミングは確かにあった。 >>176
猪木引退で客を呼び退職金で北朝鮮イベントの借金を相殺させようという新日本側の思惑で、あのコーナーは猪木に任せていて新日本も小川戦と思っていたが猪木は当てつけにフライに勝たせた。
引退セレモニーで満面の笑みだったのは、あっかんべーという気持ちだったんだろう。 レスラーとしての引き際はなんだかんだあれがベストだったと思う。
でも、その後はかつての栄光に泥を塗るばかりでプロレスじゃないところで活躍出来る場所があれば良かったのに。
最近の猪木はもう本当に今すぐ死んで欲しい。
人生の引き際は完全に間違っている。 前に『看板タイトルNWF返上の81年に同時に引退してたら』って書き込みあった。
NWF返上はIWGPの為の返上→封印なのに。
それで猪木が一緒に引退するわけない。
当時を知らない人間の書き込みだとすぐにわかった。 >>192
本当に猪木はそんなことを答えたのかなあ?
前年75年辺りが全盛期のピークだろうからまだまだコンディションバッチリの頃だし、
アリ戦自体世間の評価は最低で大きな負債も作って辞めるに辞めれなかったんじゃないかな。
今でこそアリ戦は我々プロレスファンの間では見直されてきたけど世間一般では色物の茶番のままなんだから
そんなものの後で堂々引退なんて理解に苦しむんだけど。 >>194
実際に言ったのではなく『言いそう』ってことでは?
猪木はアリ戦以降は様々な面でプロレスへの情熱が落ちたって記事はあった。
そんなバカな!と思ったが。
でもアリ戦実現という集大成があったから気持ちがその後は弱まったってのもわかる。
今となっては。
人間は自身の大きな夢を叶えたらその後はポカーンとしてしまうという。
アリ戦以降からプロレス見始めた俺はまだまだ猪木は熱い情熱があったと思った。
またいつまでも後進に道を譲らずメインっちゅうか中心に居座ったり。
これは情熱というよりワガママか。
でもIWGP構想発表あたりの猪木はまだまだプロレス熱が凄く感じた。
あとは馬場との対決を本気で考えていたみたいだし。
でもこちらはアリ戦とは違い、実現せず。 猪木自身がプロレスへの情熱が失われていったからなあ。
クーデターあたりでは完全に覚めていたとか。
本人の気持ち的にはこの83年頃でも良かったのかも。 88.8.8で引退宣言
89年を引退ツアー
90.2.10猪木・坂口VS藤波・長州で引退
これがベストだったかな
実際は藤波は腰痛で欠場中だったけど 前田を避けてマサ斎藤とばったやってた時点で猪木信者も覚めてしまったからね。 名勝負数え歌が盛り上がってる頃に引退宣言
1年ツアーして引退 オレの時代は最後の方の猪木しか知らないからなぁ
かっこ悪いイメージしかない
ということは遅すぎたんだろうね >>201
いい時期でもないと思うけどなあ。
もっと早くに引退の方がまだ伝説になれた。
95年に35周年で引退とか。 >>202
いつ頃から見てるの?
猪木の最後の方ってことは90年代後半?
議員前と議員後のセミリでは確かに印象が違うはず。 >>195
猪木個人にとっての刺激としてはアリ戦を超えるものはなかっただろうね
アリ戦以降は猪木の意思や欲求というより
エースとして社長としての立場が先行して
それぞれの企画に臨んでいた気がする 馳とのシングルでなまじいい試合してしまったのは間違いだったんだろうな 引退後のエキシビションだったならまだ良かったんだろうけど 一応現役として強烈な印象残してしまったからなぁ ドームのチョチョシビリ戦かな
ゴールドメダリストだし猪木の歴史は格闘技戦の歴史とも言えるし、負けで終わりでも良かった それでも遅すぎるのかもしれないけどチョチョシビリ戦 猪木が新日を旗揚げしたのが28歳だった。
これから全盛期という時に、シン、パワーズ、K・K・クラップ、ニコリ・ボルコフ、何とか兄弟・・・酷いメンツだった。
まともなのはマスクド・スーパースターくらいだったもんなあ。
あの頃、ドリー、テリー、レイス、ジョナサン、ニック、ガニア、サンマルチノとのシングルが観たかった。
ハンセン、ホーガンと名勝負をしたのが40前だった事を考えると本当にもったいなかった。
馬場憎し、それ以外にない。 >>210
シンは酷いメンツじゃないだろ。
初期のシンは全日外人達と比べたら知名度は落ちたが。
でもその頃の猪木と全日外人の試合は見たかった。 >>103
実質アックスボンバーで終わったものを15年後に本当にアックスボンバーで終わらすというシナリオは良いかもな。 >>40
悪くない引退試合だね。
華はもたせたが(猪木が蝶野フォール)
終わりをあそこまで感じるとはね(大半は橋本の蹴り)
でも、すごく良い試合。
でもなー、96、1・4のベイダー戦あるからなー。 95 1 4のゴルドー戦やスティング戦も酷かったなあ。
酷いというか猪木落日を強烈に感じた。
猪木引退カウントダウンも開始されていたし。
でもベイダー戦は様々な面で意外だった。
しかし結果的に猪木よりもベイダーが先に逝くとは。 猪木とノートンの試合も見たかったが。
でもノートンはベイダーみたいに非情にはならなそう。
ノートンが非情になったら猪木も壊れちゃう。
引退前にタッグでも一度は見たかった。 >>202
ほんと
96年のベイダー戦なんて未だに語られ続けてるもんな
なんだかんだでベストなタイミングでの引退だったんじゃないの?
>>199
だってマサ斎藤のほうが強いもん マエアキとマサイなら明らかにマサイの方が強いわな。
でもアノキからしたらマサイの方が安心できる。
マエアキはブクヤあってもマサイはそういう心配はない。
当時のアノキからしたらマエアキよりマサイの方が信用もあり。
プロレは信用第一ってのもわかる。 猪木と前田も引退時期が近かったな。
リングでは87年以来交わる事なく。 藤波と時間切れ引き分けの時がベスト
次点で長州にラリアット六連発で負けた時 8.8の藤波戦で引退してたら伝説になってたんじゃないかとは思うが、
あれだけの試合ができる時点で「引退はまだ早い」ってなっちゃうのはしょうがないか。
その後もいい試合というより、すごい試合を何度もしてるしね。
新日もあの頃はドームのビッグマッチが多かったから、猪木というカードは必要だったしね。 ちなみにWWEのダニエル・ブライアンがWWE内のアメリカ向けインタビューで
(日本向けお世辞じゃないということな)
自分があこがれる最も偉大な試合に(WWE向けなんだからWWEの過去の中の試合を挙げればいいものをw)
「フルタイム時間切れ引き分けの例の猪木対藤波戦」を挙げて、
彼にとって最高の目指すべき試合だそうで、生涯に一度でいいからああいう凄い試合をやってみたいものだと言ってた。 アリ戦後は目的を失ったからなあ
80年には糖尿で興奮剤打たない力道山みたいなもんでしょ
ハイセルに手を出さなきゃ、IWGPを花道に蔵前・府立・愛知県立・福岡SS・札幌中島・広島市総合・仙台SSの大一番以外は出ず、10年間主役を続けて老害を撒き散らした挙げ句に93年ドームで引退
長藤前佐はいつの間にかロートル扱いで高田がポスト猪木
上が積み過ぎて武藤は夜逃げで連れ戻されず、蝶野は中堅止まりで橋本は干される
高野兄弟が脇を固め、藤原は前座の力道山と同じく前座のゴッチで終わる 若いころの武藤はそんな感じで猪木批判してたが、
いざ自分自身が同じような年齢になった時になって初めて
「俺の今の年齢の時、猪木さんは橋本の重い蹴りをバンバン受けて試合してたんだなあ。
今の俺だと無理だ。やっぱすげぇわ、猪木さんは」と言うように変わった。 >>226
猪木も馬場を批判していたが、自分が()その時の馬場の年齢になるにつれ批判が止んだ。
まあ馬場と猪木、猪木と武藤では年齢差の差が違うが。
馬場⇔猪木 5歳
猪木⇔武藤 20歳
猪木⇔前田 16歳
まあそういう年齢に達するとそういう気持ちがわかるんだろう。
引退してなければ。 猪木がプロレス界に入ってなければ、新日本プロレスもなければ
タイガージェットシンも来日はなし。ベイダーもなし。
バッドニューズアレンもなし。
馬場のところではハンセンも有名にはなってないだろうし、
初代タイガーマスクもライガーもジュニアヘビー級も、長州も前田も武藤も蝶野らもない。
下手すりゃ70年代で馬場の老齢とともに日本のプロレスは廃れてたかもしれない。 自分は前田とシングル避けて海賊とか訳のわからん演劇やっといて、のちになって新日本に闘いがねえとか言って小川を焚き付けて格闘技路線。
そりゃ新日本から追い出されるはずだわ(笑)
まあ、小川を改造したのは評価するが。 233ヒガンテ公式身長だが、小川は純粋なプロレスラーではなかったかんな。 >>1
ちょうど良かったじゃん。90年代は余興で出ただけだし 猪木、車イスになったのね。
顔もげっそりしちゃって >>236
猪木は糖尿病持ちだから動けなくなったらヤバいぞ・・・ BS日テレ出てるけど痩せて声も出てない。 こんな時が来るとはな 樹木希林が75で亡くなった。
猪木も同じく75。
あまり考えない様にしとるが。 今のうちに言っておこう
猪木の肉体は死すとも闘魂は死せず >>241
498 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:04.55 ID:K4LaC1amK
497敷くなだが、
ファンクスが昭和全日の象徴だったな。
499 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:56.98 ID:K4LaC1amK
498敷くわだが、
ハンセン移籍後の全日は変わったとの意見が多いぞ。
ズレてるの気づいてないバカガラケーw
くだらんダジャレはやるけど省略はアク禁にビビってできない模様w >>242
引退後の猪木がどれだけクソでも現役時代の猪木は素晴らしかった 3.26の東京体育館のチケットを買ってたから、猪木VS前田がカード変更になったのは
当時高校生の俺は、凄く腹立ったけど・・・・・・・
今考えると、やらなくて正解だった。どっちが勝っても、次につながらなかっただろうし
ここで前田が負けたら、リングス、パンクラス、総合格闘技もなかった・・・・・・
逆に言うと、「プロレス」にとってはマイナスだったかもしれないけど。
この時期だったら、寧ろ、猪木VS佐山が見たかった。 A猪木 エー猪木
G馬場 ジー馬場
Aブッチャー エーブッチャー
そう言ってたこともあった。 >>246
498 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:04.55 ID:K4LaC1amK
497敷くなだが、
ファンクスが昭和全日の象徴だったな。
499 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:56.98 ID:K4LaC1amK
498敷くわだが、
ハンセン移籍後の全日は変わったとの意見が多いぞ。
ズレてるの気づいてないバカガラケーw
くだらんダジャレはやるけど省略はアク禁にビビってできない模様w 今日9月30日は猪木デビュー記念日だな。
あの横浜アリーナの30周年記念からも28年か。
あの時点でのデビュー30年とほぼ変わらない年数が経った。 あの横浜アリーナ大会の主なレスラー達が今の時代にいたら。
猪木:47歳、1971年生(1943年生)
シン:46歳、1972年生(1944年生)
ベイダー:35歳、1983年生(1955年生)
浜口:43歳、1975年生(1947年生)
長州:38歳、1979年生(1951年生)
藤波:36歳、1981年生(1953年生)
橋本:25歳、1993年生(1965年生)
蝶野:27歳、1991年生(1963年生)
ムタ:年齢不詳
武藤:27歳、1990年生(1962年生)
馳:29歳、1989年生(1961年生)
健介:24歳、1994年生(1966年生)
ビガロ:29歳、1989年生(1989年生) ちなみに28年前の猪木が今の時代ならプロフィールはこうなる。
1971年2月20日生
1988年春入門
1988年9月30日デビュー
馬場の場合はこうだな。
1966年1月23日生
1988年春入門
1988年9月30日デビュー
年齢的にもキャリア的にも今の第三世代の年代だな。 猪木引退セレモニーで来場したカーンが涙流して猪木と握手。
あれは意外だった。 まさか猪木が歩行困難で車イスになるとはなあ。
馬場ももう少し長く生きたら間違いなく車イスだったはず。
馬場は体重あるから加齢で歩行困難になったから。 何万人の客に囲まれたリングの上に上がる
この先ぜったいに無理と思ってたのに
猪木のおかげで人生最高の経験ができたから。 猪木が負け試合で泣いたのは両国の長州戦と天龍戦だけか。
今から考えたら天龍戦が引退試合でも良かったかも。
あと負け試合じゃなくても試合後に泣いた名古屋か東京体育会での藤原戦。
二人で抱き合って号泣。 >>257
カウントダウンの時だよね?
愛知県体育館だよ。
東体はあの頃にはもうプロレスには貸さないようになってたはず。 >>258
そっか、94年頃の猪木と蝶野のタッグも名古屋?
共にパートナーが安田と木戸。
猪木、木戸で蝶野、安田かな?
あれはまだファイナルの前だと思ったが。
93年だったかも。 猪木の汚点は前田を避けたこと。
前田「今の猪木なら3分でかにばさみで勝てる。」だっけ?
まあこれは煽りだが、負けブック飲んでもどっちが強いか観客に分かる試合をしてくる前田が嫌だったんだろうな。 信頼関係ゼロ。信用してないんだからやるわけないよ。 あの当時の2人を比べたら前田の方が猪木より強いなんて当たり前だよ
前田は29歳でベストコンディション、猪木は45歳でしかも重度の糖尿病なんだからな
当時でも猪木の方が強かったなんて言ってる奴は病院で頭を診てもらった方が良い
45歳でボロボロの猪木に新日を旗揚げした頃の猪木が挑戦してきたようなもの 小川が橋本をボコった直後に前田が引退したけど
猪木はニヤニヤ嬉しそうに小川と前田が戦ったらいいと焚き付けてたなw
前田は「何を言うとるんや俺はもう引退したんやで」とか言って逃げたけど 爆笑問題の番組の春一番の奥さんと会うコーナーで出てたけどちょっと人相変わったように見えた
終始座りっぱなしなのも格の差の演出というより立ち上がるのが辛いように見えた
銀幕のビッグスターもずいぶん逝ったけど強さがウリのプロレスラーが辛そうなのはちょっとショック 猪木は『政治家』以外だと『コメディアン』『タレント』『プロレス評論家』なんだな。 猪木は他のスポーツ選手に対してコンプレックスを持っていた。だがプロレスではどうやっても
他のスポーツと違って八百長呼ばわりされていて同じ評価を受けることはできない。
だからプロレス以外の分野で成功して見返してやりたかったんだよ。 >>236 >>238 >>253 >>266
猪木は腰を手術したから、車椅子だったり座りっぱなしだったりしたんだよ。
何か月かすれば、普通に立って歩けるよ。 猪木の強さには三つの意見があるな。
猪木は実際にはかなり強かった。
猪木全盛期に総合があればそれなりに活躍できる強さを兼ね添えていた。
総合があればそれなりの練習もしたわけだから。
猪木はそこそこの強さはあった。
しかし“最強”とか驚異的な強さではなく普通に強かった。
まあまあ強かったか並み程度。
猪木は打撃の適用力がなかった。
プロレスという枠内だから強さを演じただけ。
総合クラスと比較するとむしろ弱かっただろう。
それぞれ見方や意見が異なる。 長州の67引退に比べたら猪木の55引退は普通に感じる。 >>271
だからペールワンに目潰ししたの?
交渉に失敗したから? やはり1984年の旧UWFに参加してフジテレビに鞍替えしていたら前田日明にエースを譲り、佐山聡にば格闘技路線を歩ませ猪木はビッグマッチのみに試合を組む形で引退していたら・・・ 90年橋本・蝶野戦でスポット参戦はするけど一線は退きますよとやった感じかな
プロレス界は上が自主的に退かないと下が上がってこれないから(遅かったけど)その辺りで引いておく必要があったんだろうな
レスラーだと50の時に30の動きは出来ないから自動的に下がっていくけどお笑いなんかはできちゃうから世代交代できないんだよな
今のお笑いをプロレスで例えると猪木から永田までの世代でメインとセミ独占みたいな状態だよな
猪木→たけし、武藤→松本、永田→宮迫みたいな感じで。棚橋→ジュニアだとするとプロレスならトップに君臨して限界説が囁かれるような頃合いだが全然そうはなってないし >>274
猪木は普通にプロレスの試合をしに来たのにペールワン側が猪木を舐めてガチンコだと
言い出して試合の時間までに交渉が終わらなかったので試合をしたら
ペールワンが大したこと無かったので猪木がペールワンの目をエグって
制裁したというとこらしい。 >>278
ペールワンが強ければ逆の展開もあったかもだね。
たまたまペールワンにそこまでの強さがなかった。
という事は猪木はある意味で命拾いしたって事か。
でも猪木が惨敗していたら報道できなかったかも。 >>279
つうかペールワン側が猪木を舐めてたのと自分の実力を過信してたって事でしょ
地元だからどうとでもなると思ってたのかもしれんが ペールワンが打撃系ファイターならどうなったか?
幾ら猪木でもそれに対応できたとは思えん。
それこそK-1系の打撃系ファイターならサンドバック状態でお手上げだな。 >>281
>幾ら猪木でも
猪木に打撃を凌げる技術はなかったと思う。 47お前名無しだろ (ガラプー KK86-8BbB)2018/11/05(月) 00:02:13.63ID:Lmu264hlK>>48
ムターベイダーは見たかったな。
じゅうぶんタイミングあったし。
90年〜92年ベイダー新日離脱まで。
お互いが持ち味発揮できなかったかな?
48お前名無しだろ (ワッチョイWW 37f4-NwfM)2018/11/05(月) 06:20:48.86ID:y/d8Qg3p0>>51
>>47
黙れってw
49お前名無しだろ (ワッチョイ 1aa6-9R2l)2018/11/05(月) 07:37:43.54ID:yx2rqB1S0>>50
正直 ムタって受けなかったじゃん ムタの名勝負って何?ってくらい
50お前名無しだろ (オッペケ Srbb-xHxd)2018/11/05(月) 12:28:29.44ID:UehrS6B2r
>>49
馳浩を担架に乗せてムーンサルトの試合と
ムタで来い!と挑発されて試合中に変身、天龍と長州を蹂躙した試合
51お前名無しだろ (ガラプー KK86-8BbB)2018/11/05(月) 12:34:36.74ID:Lmu264hlK>>53
>>48
だ〜か〜ら
お前はとっとと一秒でも早くこの世から跡形もなく消滅しろよ。 選手としての引き際は別に悪くなかったんじゃね後進もうまく育ってたし
むしろ引退後のマッチメイクで実権握ってる時期がヤバかったんだからそっちを早く退くべきだった 猪木はやはり4.4で引退でよかったと思う。ただし尻切れトンボになってし
まったファイナルカウントダウンはしっかりと10までやって、ラストは4.4
東京ドームで皆が望んだ小川相手にきっちりと見せ場作ってから「道」で消
えて行く。
結局、フライ戦はフライがどうというよりあの試合時間の短さが一番ガッカ
リしたので、もっさい小川相手にそこそこ時間かけてほしかった。
あのドーム大会は皆、最後の闘魂を目に焼き付けようと観に来たり、テレビ
の前で期待しながら見ていたのだから。 >>281
当時は打撃系はテイクダウンされたら終わりという時代だったかと。
グレイシーが出てきてアレへの対応策が考えられてから打撃系選手が
タックル切る技術を習得していった訳で。 95年平壌でリック・フレアーに勝った後に行方不明が猪木らしいと思う 288庭は?だが、
打撃系だとサンドバック状態になったらお仕舞い。
そういう展開がよくあったな。
大したダメージが無くても終わらせてしまうという。
永田とミルコなんかそんな感じだったな。
あれは蹴りがモロに入ったが。
しかし終了ゴング鳴って永田は『えっ?』ってな顔してた。
大したダメージも無く。 289二泊(三日)だが、
マサ斎藤のコメントだと猪木はレスリングセンスピカ一だと。
猪木が若い頃からレスリングに打ち込んでれば五輪代表になれた。
メダルも取れた可能性がある。
そんな事を言うてた。 同じ年だが健介vs高田(ドタキャン)→猪木vs高田かな。
負けブックで。
高田やPRIDEに貸し作って後々UFOで回収 291(荒らしは)憎い、だが、
猪木は橋本とシングル組めば良かったが。
でも最強と言われた橋本を寝かすわけにはいかなかったか。
ムタは寝たが武藤ではないとの逃げができる。
蝶野も猪木とのシングルはなかった。
やっぱり主軸の三人は幾ら猪木相手でも寝かせられなかったんだな。 292肉に、だが、
永島の話だと96年10月ドームで猪木×橋本の予定だったらしいな。
全盛期バリバリの橋本に負ける猪木。
しかし猪木がその負けを拒んでドーム大会自体が行われず。 293(荒らしを)憎みだが、
猪木と橋本のシングル一本のドーム大会もいいねえ。
96年なら超満員だったろ。
6万越え発表で。 294(荒らしは)憎しだが、
>>1
ここももう2年かよ。 295肉ゴーだが、
猪木はドリーと対戦したかったみたいだな。
テリーとは対戦したくないと。
テリーとの対戦でもし声援が自分を越えた事を考えたら。
猪木からしたら怖いわな。 前田がニールセン戦で名勝負をして猪木はスピンクス戦でズッこけて
‘格闘王’の称号が前田に移った時に素直に前田にエースの座を譲って猪木は引退するのが一番良かったと思う
そうすれば前田はでリングスで構築した世界・格闘技ネットワークを
新日内でもっと早く実現出来てた むしろ総合に向いていたよ。パキスタンで英雄の腕折る狂人だし打撃避けるの上手かった。 >>297
でも猪木は打撃は苦手っぽい
それなりに練習したらわからないけど
ただ猪木が鋭角な蹴りを出す絵が思い浮かばないね 猪木も昭和→平成→令和と残れたね
【令和の猪木】って言葉がピンとこないけど
猪木に限らずだけども 明日で引退して21年!
早いな。東京ドーム行ったよ。 >>257
猪木vs大木を忘れるとは 猪木の歴史の学習が足りないよ
引退するべきだったのは、ハンセンが言うこと聞かなくなって
いいカッコさせてもらえなくなった時だろうな
前田を後継者にしたかったと自伝で述べているが、あの時
どうして前田を守らなかったのか、いまだにわからない
パチンコスポンサーに借金があった?
でも引退試合がすばらしかったから、ダメな猪木は帳消しだよ
実況は、ダメだったな 今日で猪木引退から21年か
1月の長州引退に続いて猪木まで引退と
昭和の終わりを痛感したな 猪木の議員当選から30年か
既に猪木引退説が囁かれた
猪木も実際に引退を考えていたみたい
二足草鞋は無理だろうと >>305
アク禁にビビって省略と語呂合わせやめたヘタレw 猪木 引退時期
平成初期 議員当選直後引退、相応時期。
其後、猪木 東京導夢大会、特別要員也。
東京導夢大会以外、大会場 同。 猪木引際、昭和終了同時期 最適時期。
当時、猪木 四十六歳。
現在、五十過現役 多数。還暦過現役 数名。 やりたい放題やって、気が済んだら適当にスリーパー貰って、負けたらとっとと帰って行くムタに、心底激怒の猪木
その映像観ながら「あれから猪木さん、口訊いてくんなくてさあw」と爆笑しながら話す武藤と、ちょっと困り果ててた蝶野の画がシュールだったな 猪木 対 武多、対決決定発表時、驚愕。
二人共、水油。
併、試合自体盛上、意外也。 猪木 政界引退、潮時、本人発言。
馬場 人間引退、二十年前。 30ネンマエハイノキニトッテサイコウノヒキギワダッタ。 てんりゅう、ちょうしゅう、ふじなみはかんれきすぎまでげんえき。
ほかにもかんれきすぎのげんえきはおおい。
そうかんがえるといのきのいんたいねんれいはおそくなかった。 いのきはごじゅうごでいんたい。
てんりゅうはろくじゅうろくでいんたい。
ちょうしゅうはろくじゅうななでいんたい。
ふじなみはろくじゅうごでまだげんえき。
さかぐちのよんじゅうはちでのいんたいなんかむしろはやくかんじる。 まあ、89年に実質的には引退したようなもんだよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています