アントニオ猪木の引き際はいつ頃が良かったか? [無断転載禁止]©2ch.net
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猪木の引き際、引退はいつ頃が最適だっただろうか?
88.8.8に藤波との60分ドローで完全引退が噂された。
しかし猪木が引退したのはこの10年後の98.4.4。
しかも長州より後に引退という状況に。
※長州はその後 復帰したが。
完全に引き際、引退時期を逃した猪木。
猪木の引退はいつ頃が最適だったかを考えよう。 個人的には、ドームのムタ戦かな
あそこで魔界に引き釣り込まれて蛇界転生、とかなったら一生付いてったかもしれんがw >>153
《前田VS長州》《前田VS天龍》
どちらを見たかったと言えば前田VS天龍だな。
前田VS鶴田も見たかった。
どんな内容かはわからん。
ただハマれば双方共にいい試合にはなっただろう。 猪木は闇の部分があってこそなんだなあ
まあ今の猪木には特に思うことはない
無理せず安らかな最後を遂げてほしい なんだかんだ引退試合まで引き際はまぁギリギリ良かったと思うけどな
その後ゾンビみたいにチラチラうろついてるのが 危険な攻撃を仕掛けられたとしてもあの時、前田とシングルやっときゃあ良かったんだよ。
あれで猪木信者は一気に覚めてしまった。
新日関係者的には、前田がケツを守るにしても猪木と前田の実力差が露呈する試合になるのを怖れたっぽいね。
今でさえ前田は「あれはアングルだった。」と言ってるけど、あの頃の前田の目付きはどう見ても裏切りに対する憎悪はあったと思う。
はっきり言ってアングルであんな緊張感は出せないでしょ(笑) 日本マットで最高齢試合出場記録なのは
テーズ?
ドリー?
マスカラス? 前田がそもそもケツギメを守ったかなあ、っていうのがあるからな
前田にしてみれば史実より早く新生を立ちあげればいいことだし 当時は子供だったから「前田は危険。猪木ヤバイ」と思ってたけど、
社会人になったらぜんぜん見方が変わった。
前田がケツギメを破るなんてありえんよ。
いちど会社がつぶれて路頭に迷ってからなんとか大手に拾ってもらった人間が、
その大手の重役に感情優先でどうこうするなんて、酔って気が大きくなったときですら
考えもしないレベルのありえなさだよ。 >>163
ケツを守る守らないんじゃなくて、前田の場合「猪木よりおれの方が強いやろ。」というのを見せつける試合してくるから危険視されたんだよ。
前田も言ってるけど、やっちゃいけないプロレス。
当時、猪木は前田のローを受けるのが嫌でマッチメークの時も前田と絡むのを露骨に嫌がってたとは新日関係者談 >>162
ミスター陳がFMW出た時
あんな年寄りリングに挙げて殺す気かと思ったが
あれでも60そこらだったんだな
今の長州とか藤波なんかよりはるかに若い でもミスター珍って透析患者だから、病人どころか障害者なんだよね
FMWってやっぱりぶっ飛んでたね >>166
こないだインタビュー受けた時にほとんど寝たきりのおじいちゃんになってたストロング小林がいきなりリングに上がってきたような感じだったな。 猪木カウントダウンって確か94年からか。
でもそっから4年も引っ張った。
カウントダウンから10試合くらいやってたはず。
スティング ゴルドーとの時は完全に引退間近ムードだった。 力道山からの誘いを断り、家族や仲間達とコーヒー農園での仕事を続けるべきだった。
それで 全てが一件落着。 そうなれば猪木は今日という日に75歳を迎えられなかったかも。 猪木は後継者はどう考えていたのだろう。
藤波、長州、前田、橋本、武藤、小川、藤田
でも結局は猪木の後継者は出なかった。
いなかったと言うべきか。
橋本は猪木が根回しして小川に潰させた時点で除外。
小川も猪木の元から離れた時点で除外。
藤田も猪木の後継者としてはどうもしっくりこない。
武藤はそもそも猪木の後継者になる気はなかっただろう。
藤波や長州、前田も後継者ではなく独自の道を。 誰でも後継者というのは意のままに操れる人間を希望したいんだけどなかなかうまくはいかない(笑) 後継者っちゅうても単純な後釜、或いは自分の操り人形。
馬場は前者で猪木は後者か。
だから全日は馬場の後継者は鶴田、三沢と。
新日は結果的に猪木の後継者はなかった。
新日のトップは藤波、長州、橋本、蝶野と取り敢えず設けたが。
でもトップが後継者とも違うかんな。
特に新日の場合は。
しっかし馬場や猪木は「後継者は誰?」と散々言われてきた。
しかしその下の世代では「後継者は?」と言われなかった。
やっぱり馬場と猪木がそれだけ偉大でビッグだったってことだ。 小川とシングルやって負けてればよかったのに
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SUEJZ 猪木と小川は見たかったのもある。
でもそうなれば小川の商品価値が下がるかも知れない。
リングを退く猪木とこれから売り出す小川。
あの引退試合が小川じゃなかったのは正解かも。
小川が猪木の引退相手を努めて(試合結果はどうあれ)キレイにバトンタッチ。
そんな都合良く簡単にはいかない。 猪木と小川は見たかったのもある。
でもそうなれば小川の商品価値が下がるかも知れない。
リングを退く猪木とこれから売り出す小川。
あの引退試合が小川じゃなかったのは正解かも。
小川が猪木の引退相手を努めて(試合結果はどうあれ)キレイにバトンタッチ。
そんな都合良く簡単にはいかない。 猪木のあのセンスを継承できたレスラーはほぼ皆無だろう。
あのセンス、発想、スター性、存在感。
武藤は単純な動きのセンスでは猪木を越えていたという意見がある。
猪木が嫉妬したくらいだし。
だが総体的に見たら武藤でも足元に及ばないと思う。 猪木の弟子で猪木越えたのはホーガンかな
次点で長州だけど越えたかというと越えてないですようん >>181
プロレスセンスは藤波、ファイティングスピリットは長州、カリスマ性は前田に分配したみたいな意見を見たことがある。 猪木の終焉は一度決定した前田とのシングルを撤回した時。
あの頃の前田は猪木的世界を演じさせてくれない唯一の男。
戦わずして負けるってまさにこのことだよな。 猪木引退から20年か。
猪木の現役見てきた年数より長いわ。 北朝鮮がいい方向に向かってるんだから、
今でこそ平和の祭典第2弾を平壌でやるべきだな。 1、離婚等の87年
2、自らが引退を匂わせた88年
3、議員になった89年
4、橋本、蝶野との対戦のドーム大会の90年
5、体調不良でドーム大会欠場の93年
6、ファイナルカウントダウン宣言した94年
7、猪木時代終焉を決定させる試合をした95年
これまでも引退するに相応しい時期やタイミングは確かにあった。 >>176
猪木引退で客を呼び退職金で北朝鮮イベントの借金を相殺させようという新日本側の思惑で、あのコーナーは猪木に任せていて新日本も小川戦と思っていたが猪木は当てつけにフライに勝たせた。
引退セレモニーで満面の笑みだったのは、あっかんべーという気持ちだったんだろう。 レスラーとしての引き際はなんだかんだあれがベストだったと思う。
でも、その後はかつての栄光に泥を塗るばかりでプロレスじゃないところで活躍出来る場所があれば良かったのに。
最近の猪木はもう本当に今すぐ死んで欲しい。
人生の引き際は完全に間違っている。 前に『看板タイトルNWF返上の81年に同時に引退してたら』って書き込みあった。
NWF返上はIWGPの為の返上→封印なのに。
それで猪木が一緒に引退するわけない。
当時を知らない人間の書き込みだとすぐにわかった。 >>192
本当に猪木はそんなことを答えたのかなあ?
前年75年辺りが全盛期のピークだろうからまだまだコンディションバッチリの頃だし、
アリ戦自体世間の評価は最低で大きな負債も作って辞めるに辞めれなかったんじゃないかな。
今でこそアリ戦は我々プロレスファンの間では見直されてきたけど世間一般では色物の茶番のままなんだから
そんなものの後で堂々引退なんて理解に苦しむんだけど。 >>194
実際に言ったのではなく『言いそう』ってことでは?
猪木はアリ戦以降は様々な面でプロレスへの情熱が落ちたって記事はあった。
そんなバカな!と思ったが。
でもアリ戦実現という集大成があったから気持ちがその後は弱まったってのもわかる。
今となっては。
人間は自身の大きな夢を叶えたらその後はポカーンとしてしまうという。
アリ戦以降からプロレス見始めた俺はまだまだ猪木は熱い情熱があったと思った。
またいつまでも後進に道を譲らずメインっちゅうか中心に居座ったり。
これは情熱というよりワガママか。
でもIWGP構想発表あたりの猪木はまだまだプロレス熱が凄く感じた。
あとは馬場との対決を本気で考えていたみたいだし。
でもこちらはアリ戦とは違い、実現せず。 猪木自身がプロレスへの情熱が失われていったからなあ。
クーデターあたりでは完全に覚めていたとか。
本人の気持ち的にはこの83年頃でも良かったのかも。 88.8.8で引退宣言
89年を引退ツアー
90.2.10猪木・坂口VS藤波・長州で引退
これがベストだったかな
実際は藤波は腰痛で欠場中だったけど 前田を避けてマサ斎藤とばったやってた時点で猪木信者も覚めてしまったからね。 名勝負数え歌が盛り上がってる頃に引退宣言
1年ツアーして引退 オレの時代は最後の方の猪木しか知らないからなぁ
かっこ悪いイメージしかない
ということは遅すぎたんだろうね >>201
いい時期でもないと思うけどなあ。
もっと早くに引退の方がまだ伝説になれた。
95年に35周年で引退とか。 >>202
いつ頃から見てるの?
猪木の最後の方ってことは90年代後半?
議員前と議員後のセミリでは確かに印象が違うはず。 >>195
猪木個人にとっての刺激としてはアリ戦を超えるものはなかっただろうね
アリ戦以降は猪木の意思や欲求というより
エースとして社長としての立場が先行して
それぞれの企画に臨んでいた気がする 馳とのシングルでなまじいい試合してしまったのは間違いだったんだろうな 引退後のエキシビションだったならまだ良かったんだろうけど 一応現役として強烈な印象残してしまったからなぁ ドームのチョチョシビリ戦かな
ゴールドメダリストだし猪木の歴史は格闘技戦の歴史とも言えるし、負けで終わりでも良かった それでも遅すぎるのかもしれないけどチョチョシビリ戦 猪木が新日を旗揚げしたのが28歳だった。
これから全盛期という時に、シン、パワーズ、K・K・クラップ、ニコリ・ボルコフ、何とか兄弟・・・酷いメンツだった。
まともなのはマスクド・スーパースターくらいだったもんなあ。
あの頃、ドリー、テリー、レイス、ジョナサン、ニック、ガニア、サンマルチノとのシングルが観たかった。
ハンセン、ホーガンと名勝負をしたのが40前だった事を考えると本当にもったいなかった。
馬場憎し、それ以外にない。 >>210
シンは酷いメンツじゃないだろ。
初期のシンは全日外人達と比べたら知名度は落ちたが。
でもその頃の猪木と全日外人の試合は見たかった。 >>103
実質アックスボンバーで終わったものを15年後に本当にアックスボンバーで終わらすというシナリオは良いかもな。 >>40
悪くない引退試合だね。
華はもたせたが(猪木が蝶野フォール)
終わりをあそこまで感じるとはね(大半は橋本の蹴り)
でも、すごく良い試合。
でもなー、96、1・4のベイダー戦あるからなー。 95 1 4のゴルドー戦やスティング戦も酷かったなあ。
酷いというか猪木落日を強烈に感じた。
猪木引退カウントダウンも開始されていたし。
でもベイダー戦は様々な面で意外だった。
しかし結果的に猪木よりもベイダーが先に逝くとは。 猪木とノートンの試合も見たかったが。
でもノートンはベイダーみたいに非情にはならなそう。
ノートンが非情になったら猪木も壊れちゃう。
引退前にタッグでも一度は見たかった。 >>202
ほんと
96年のベイダー戦なんて未だに語られ続けてるもんな
なんだかんだでベストなタイミングでの引退だったんじゃないの?
>>199
だってマサ斎藤のほうが強いもん マエアキとマサイなら明らかにマサイの方が強いわな。
でもアノキからしたらマサイの方が安心できる。
マエアキはブクヤあってもマサイはそういう心配はない。
当時のアノキからしたらマエアキよりマサイの方が信用もあり。
プロレは信用第一ってのもわかる。 猪木と前田も引退時期が近かったな。
リングでは87年以来交わる事なく。 藤波と時間切れ引き分けの時がベスト
次点で長州にラリアット六連発で負けた時 8.8の藤波戦で引退してたら伝説になってたんじゃないかとは思うが、
あれだけの試合ができる時点で「引退はまだ早い」ってなっちゃうのはしょうがないか。
その後もいい試合というより、すごい試合を何度もしてるしね。
新日もあの頃はドームのビッグマッチが多かったから、猪木というカードは必要だったしね。 ちなみにWWEのダニエル・ブライアンがWWE内のアメリカ向けインタビューで
(日本向けお世辞じゃないということな)
自分があこがれる最も偉大な試合に(WWE向けなんだからWWEの過去の中の試合を挙げればいいものをw)
「フルタイム時間切れ引き分けの例の猪木対藤波戦」を挙げて、
彼にとって最高の目指すべき試合だそうで、生涯に一度でいいからああいう凄い試合をやってみたいものだと言ってた。 アリ戦後は目的を失ったからなあ
80年には糖尿で興奮剤打たない力道山みたいなもんでしょ
ハイセルに手を出さなきゃ、IWGPを花道に蔵前・府立・愛知県立・福岡SS・札幌中島・広島市総合・仙台SSの大一番以外は出ず、10年間主役を続けて老害を撒き散らした挙げ句に93年ドームで引退
長藤前佐はいつの間にかロートル扱いで高田がポスト猪木
上が積み過ぎて武藤は夜逃げで連れ戻されず、蝶野は中堅止まりで橋本は干される
高野兄弟が脇を固め、藤原は前座の力道山と同じく前座のゴッチで終わる 若いころの武藤はそんな感じで猪木批判してたが、
いざ自分自身が同じような年齢になった時になって初めて
「俺の今の年齢の時、猪木さんは橋本の重い蹴りをバンバン受けて試合してたんだなあ。
今の俺だと無理だ。やっぱすげぇわ、猪木さんは」と言うように変わった。 >>226
猪木も馬場を批判していたが、自分が()その時の馬場の年齢になるにつれ批判が止んだ。
まあ馬場と猪木、猪木と武藤では年齢差の差が違うが。
馬場⇔猪木 5歳
猪木⇔武藤 20歳
猪木⇔前田 16歳
まあそういう年齢に達するとそういう気持ちがわかるんだろう。
引退してなければ。 猪木がプロレス界に入ってなければ、新日本プロレスもなければ
タイガージェットシンも来日はなし。ベイダーもなし。
バッドニューズアレンもなし。
馬場のところではハンセンも有名にはなってないだろうし、
初代タイガーマスクもライガーもジュニアヘビー級も、長州も前田も武藤も蝶野らもない。
下手すりゃ70年代で馬場の老齢とともに日本のプロレスは廃れてたかもしれない。 自分は前田とシングル避けて海賊とか訳のわからん演劇やっといて、のちになって新日本に闘いがねえとか言って小川を焚き付けて格闘技路線。
そりゃ新日本から追い出されるはずだわ(笑)
まあ、小川を改造したのは評価するが。 233ヒガンテ公式身長だが、小川は純粋なプロレスラーではなかったかんな。 >>1
ちょうど良かったじゃん。90年代は余興で出ただけだし 猪木、車イスになったのね。
顔もげっそりしちゃって >>236
猪木は糖尿病持ちだから動けなくなったらヤバいぞ・・・ BS日テレ出てるけど痩せて声も出てない。 こんな時が来るとはな 樹木希林が75で亡くなった。
猪木も同じく75。
あまり考えない様にしとるが。 今のうちに言っておこう
猪木の肉体は死すとも闘魂は死せず >>241
498 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:04.55 ID:K4LaC1amK
497敷くなだが、
ファンクスが昭和全日の象徴だったな。
499 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:56.98 ID:K4LaC1amK
498敷くわだが、
ハンセン移籍後の全日は変わったとの意見が多いぞ。
ズレてるの気づいてないバカガラケーw
くだらんダジャレはやるけど省略はアク禁にビビってできない模様w >>242
引退後の猪木がどれだけクソでも現役時代の猪木は素晴らしかった 3.26の東京体育館のチケットを買ってたから、猪木VS前田がカード変更になったのは
当時高校生の俺は、凄く腹立ったけど・・・・・・・
今考えると、やらなくて正解だった。どっちが勝っても、次につながらなかっただろうし
ここで前田が負けたら、リングス、パンクラス、総合格闘技もなかった・・・・・・
逆に言うと、「プロレス」にとってはマイナスだったかもしれないけど。
この時期だったら、寧ろ、猪木VS佐山が見たかった。 A猪木 エー猪木
G馬場 ジー馬場
Aブッチャー エーブッチャー
そう言ってたこともあった。 >>246
498 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:04.55 ID:K4LaC1amK
497敷くなだが、
ファンクスが昭和全日の象徴だったな。
499 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:56.98 ID:K4LaC1amK
498敷くわだが、
ハンセン移籍後の全日は変わったとの意見が多いぞ。
ズレてるの気づいてないバカガラケーw
くだらんダジャレはやるけど省略はアク禁にビビってできない模様w 今日9月30日は猪木デビュー記念日だな。
あの横浜アリーナの30周年記念からも28年か。
あの時点でのデビュー30年とほぼ変わらない年数が経った。 あの横浜アリーナ大会の主なレスラー達が今の時代にいたら。
猪木:47歳、1971年生(1943年生)
シン:46歳、1972年生(1944年生)
ベイダー:35歳、1983年生(1955年生)
浜口:43歳、1975年生(1947年生)
長州:38歳、1979年生(1951年生)
藤波:36歳、1981年生(1953年生)
橋本:25歳、1993年生(1965年生)
蝶野:27歳、1991年生(1963年生)
ムタ:年齢不詳
武藤:27歳、1990年生(1962年生)
馳:29歳、1989年生(1961年生)
健介:24歳、1994年生(1966年生)
ビガロ:29歳、1989年生(1989年生) ちなみに28年前の猪木が今の時代ならプロフィールはこうなる。
1971年2月20日生
1988年春入門
1988年9月30日デビュー
馬場の場合はこうだな。
1966年1月23日生
1988年春入門
1988年9月30日デビュー
年齢的にもキャリア的にも今の第三世代の年代だな。 猪木引退セレモニーで来場したカーンが涙流して猪木と握手。
あれは意外だった。 まさか猪木が歩行困難で車イスになるとはなあ。
馬場ももう少し長く生きたら間違いなく車イスだったはず。
馬場は体重あるから加齢で歩行困難になったから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています