アントニオ猪木の引き際はいつ頃が良かったか? [無断転載禁止]©2ch.net
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猪木の引き際、引退はいつ頃が最適だっただろうか?
88.8.8に藤波との60分ドローで完全引退が噂された。
しかし猪木が引退したのはこの10年後の98.4.4。
しかも長州より後に引退という状況に。
※長州はその後 復帰したが。
完全に引き際、引退時期を逃した猪木。
猪木の引退はいつ頃が最適だったかを考えよう。 でもコンディション的にはスポット参戦になってからの方が技のキレ、動きは戻ってたよ
巡業に出てた時はいつもお疲れ気味で集中力もキレてたが
特に延髄斬りのジャンプ力とキレが全然違った 議員以降の猪木の試合を記憶を辿って並べてみた。
・89年12月 モスクア
猪木、チョチョシビリ×斎藤、レイガンズ
・90年2月10日 東京ドーム
猪木、坂口×橋本、蝶野
・90年9月30日 横浜アリーナ(デビュー30周年記念試合)
猪木、シン×ベイダー、浜口
91年 一切試合無し
・92年1月4日 東京ドーム
猪木×馳
・92年3月 横浜アリーナ(新日旗揚げ20周年記念大会)
猪木、木戸×長州、木村
・92年5月 大阪城ホール
猪木、馳×レイガンズ、ランボー
・93年5?福岡ドーム
猪木、藤波×長州、天龍
・94年1月4 東京ドーム
猪木×天龍
・94年5月 福岡ドーム
猪木×ムタ
・94年?月
猪木、北尾×長州、天龍?
・94年9月?
猪木、木戸×蝶野、安田(猪木、安田×蝶野、木戸?)
・95年1月4日 東京ドーム
猪木×ゴルドー
猪木×スティング
・95年12月30日 代々木第一体育館
猪木、高田×山崎、藤原
・96年1月4日 東京ドーム
猪木×ベイダー
・96年6月? ロサンゼルス
猪木、スバーン×藤原、タクタロフ(猪木、タクタロフ×藤原、スバーン?)
・96年12月30日 代々木第一体育館
猪木×海賊ガスパー
・97年1月4日 東京ドーム
猪木×ウイリー
・97年4月 東京ドーム
猪木×タイガーキング
・98年4月4日 東京ドーム(引退試合)
猪木×フライ
取り敢えずこんな感じで。 >>121
97年7月に札幌で猪木&タイガーキングvs佐々木健介&藤田和之というのもあった。 >>122
そうだ、あったね。
すっかり忘れてたわ。
猪木と健介の最初で最後の対決でもあり。
猪木と藤田もか。
健介の逆一本背負いで猪木が危険な落ち方してヒヤリとした。
引退直前の98年3月の愛知県体育館で角田とのエキシビションもあった。
あれはエキシビションであって正式な試合ではなかったけど。
93年1月4日の東京ドーム大会。
猪木、橋本×ノートン、レイガンズが組まれていた。
でも猪木欠場になったのは本当に残念だった。
俺は猪木とノートンの対決も一度は見たかったしね。 >>121
猪木vsリーガルと猪木、馳vs藤原、石川 猪木vsニック・ボッグウィンクルが中止になった
猪木vsドリーも計画されてたらしいが猪木が今更だと中止に そうか、まだあったね。
記憶を辿って思い起こして書いたから。
猪木×角田はエキシビションだね。
92年1月4日の東京ドームでは猪木×シンだったね。
でも馳が割り込んで結果的に猪木との対決権利を獲得。
カナダのシンの自宅まで赴いた馳の行動は凄かった。
でも猪木×馳より猪木×シンを見たかった。 猪木対タイガーはあっさり終わったけど
試合開始直後に猪木の周りを
タイガーが例のステップでぐるぐる回るシーンは痺れたな
プロレスはやっぱり異なった世界観同士の遭遇が一番面白い >>121
猪木・北尾vs長州・天龍は95年5月の福岡ドーム 山崎一夫からフォール取られたのは、見てて「えっ!?」って思った >>121
95年4月29日北朝鮮メーデースタジアム
猪木vsリックフレアー戦も抜けてる。 95年の中国遠征
猪木vs後藤
猪木・長州vs後藤・ヒロ
これも 95年3月ころに東京体育館か愛知県体育館で猪木と藤原のシングルもあったはず。
試合後に両者が男泣きというのを覚えてる。
>>132
それは確か90年秋頃のはず。
猪木30周年記念試合で辻が、猪木の延髄斬りを受けた後藤が
何日も痛みが取れなかった…との解説があった。 猪木カウントダウンは94年スタートだっけ?
猪木とノートン ライガー 武藤の試合は見たかった。
武藤とは以前はタッグ含めて何度も対戦はした。
でも赤タイツ以降の武藤とは対戦なし。
ムタはあっても武藤との対戦は見たかったなあ。
お互いにやり辛いだろうが。 89年の議員後は猪木は20試合くらいか。
引退までの9年で20試合。
1年で平均2試合って計算になるな。
議員後から5年で引退カウントダウン。
引退カウントダウンから4年で完全引退。
猪木は議員になった時点で引退したかったのが本音みたいだが。 あんときはスキャンダルでテレビ映れなくてホーガン・ムタvsヘルレイザーズの後にホーガンが猪木に突っ掛かったのカットされてて悲しいかった あったねえ。
アイアム イチバン!
イノキ ニバン!
とかで挑発して。
アントキノ猪木、いやっあんときは拳銃密輸疑惑だっけ?脱税疑惑だったっけ? 長州力に後頭部のラリアットを受けて3カウントで負けた試合後に引退すべきだったと思う。 >>138
長州も「猪木、引退しろ」って言ってたけど、その後の藤波vs猪木でコロッと態度変えたんだよな 猪木のジャーマン→後頭部ラリアットは衝撃だった。
札幌、両国の長州戦連敗は引退ロードだったよ 出戻った前田の馬力に対抗できないのを悟って、避けるようになったあの時代におれの中で猪木は終わった。
あれ以降冷ややかな目で見るようになったんだよ猪木信者さえも。 猪木も金欠になってたら長州や藤波のようにリングに上がった可能性あるよな
幸か不幸か議員にも当選しパチンコパチスロの大ヒットで巨額の金手にし
闘魂ビンタだけでひっぱりだこ。前田もリングス一財産築いたので遊んで暮らせる 猪木の引退年55
現在は藤波64で長州66
二人は猪木の引退年を遥かに越えてしもうた。
それどころか馬場の享年61すらも越えて。
ちなみに前田の引退年は40。 猪木が引退してもう20年か。
さすがに今はないが、引退後数年は新日に携わり続けた。
格闘技路線を無理強いしたり。
新日の外敵という立場で小川を使ったりと。
新日30周年あたりまではまだ良かったが。 今年中には死んで欲しい
テメエの興行の為に、北朝鮮を国際政治を
無視した利用
国賊を超えた西側諸国すべての敵
死にやがれ 馬場の実質引退試合は三沢小橋vsハンセン馬場の三沢にピン取られた試合
ハンセンの実質引退試合は96年の最後の三冠挑戦で小橋にラリアットで負けた試合 89年2月22日の両国での猪木×長州も良かった。
猪木引退(間近)を匂わせるには最高の試合だったな。
またそう印象付ける為に猪木も試合後に泣いたり。
猪木自身もそれを狙っていたのだろう。
また政界に出馬を視野に入れて。
当選したらセミリは確実。
猪木は正式に引退したかったみたいだが、それが無理でもセミリ。
猪木は役者だと思った。 2.22は、試合後に長州が猪木越え関係の話を一切せずに、
いきなり前田戦をぶちあげたのがすごかった。
なぜか週プロは完全無視で、ゴングの方だけが、毎週前田と長州を
交互にインタビューしたりして、試合実現交渉の仲介をやってるみたいだった。 猪木長州戦なんてもううんざりだったよな。
猪木対前田、前田対長州が見たかったんだよみんな。 確かに。
でも前田は解雇されて既に1年以上だった。
それとも交流戦を視野に入れた長州のコメントか?
しかしそのコメントは覚えてなかったわ。 前田戦をぶちあげたって言ったってもう遅いよ
前田は新団体立ち上げたし、交流戦なんてできるわけないじゃんってみんな思ってたから
週プロ無視は当然と言えば当然 前田は「猪木さんはプロレスの天才、あの人には勝てないよ」って後日漏らしてた >>151
そうでもない。新生UWFはすぐにカードのマンネリ化が目立ってたし、
業界の盟主新日がやる気になれば合同興行は可能だった。
それに、みんながみんな、前田様UWF様の孤高っぽさを評価してたわけじゃない。
現に、この一か月くらい後のオールナイトニッポンでは、ゲストの桑田圭祐が、
前田に面とむかって、「いちばん見たいのは前田VS天龍戦」って言ってたし。 個人的には、ドームのムタ戦かな
あそこで魔界に引き釣り込まれて蛇界転生、とかなったら一生付いてったかもしれんがw >>153
《前田VS長州》《前田VS天龍》
どちらを見たかったと言えば前田VS天龍だな。
前田VS鶴田も見たかった。
どんな内容かはわからん。
ただハマれば双方共にいい試合にはなっただろう。 猪木は闇の部分があってこそなんだなあ
まあ今の猪木には特に思うことはない
無理せず安らかな最後を遂げてほしい なんだかんだ引退試合まで引き際はまぁギリギリ良かったと思うけどな
その後ゾンビみたいにチラチラうろついてるのが 危険な攻撃を仕掛けられたとしてもあの時、前田とシングルやっときゃあ良かったんだよ。
あれで猪木信者は一気に覚めてしまった。
新日関係者的には、前田がケツを守るにしても猪木と前田の実力差が露呈する試合になるのを怖れたっぽいね。
今でさえ前田は「あれはアングルだった。」と言ってるけど、あの頃の前田の目付きはどう見ても裏切りに対する憎悪はあったと思う。
はっきり言ってアングルであんな緊張感は出せないでしょ(笑) 日本マットで最高齢試合出場記録なのは
テーズ?
ドリー?
マスカラス? 前田がそもそもケツギメを守ったかなあ、っていうのがあるからな
前田にしてみれば史実より早く新生を立ちあげればいいことだし 当時は子供だったから「前田は危険。猪木ヤバイ」と思ってたけど、
社会人になったらぜんぜん見方が変わった。
前田がケツギメを破るなんてありえんよ。
いちど会社がつぶれて路頭に迷ってからなんとか大手に拾ってもらった人間が、
その大手の重役に感情優先でどうこうするなんて、酔って気が大きくなったときですら
考えもしないレベルのありえなさだよ。 >>163
ケツを守る守らないんじゃなくて、前田の場合「猪木よりおれの方が強いやろ。」というのを見せつける試合してくるから危険視されたんだよ。
前田も言ってるけど、やっちゃいけないプロレス。
当時、猪木は前田のローを受けるのが嫌でマッチメークの時も前田と絡むのを露骨に嫌がってたとは新日関係者談 >>162
ミスター陳がFMW出た時
あんな年寄りリングに挙げて殺す気かと思ったが
あれでも60そこらだったんだな
今の長州とか藤波なんかよりはるかに若い でもミスター珍って透析患者だから、病人どころか障害者なんだよね
FMWってやっぱりぶっ飛んでたね >>166
こないだインタビュー受けた時にほとんど寝たきりのおじいちゃんになってたストロング小林がいきなりリングに上がってきたような感じだったな。 猪木カウントダウンって確か94年からか。
でもそっから4年も引っ張った。
カウントダウンから10試合くらいやってたはず。
スティング ゴルドーとの時は完全に引退間近ムードだった。 力道山からの誘いを断り、家族や仲間達とコーヒー農園での仕事を続けるべきだった。
それで 全てが一件落着。 そうなれば猪木は今日という日に75歳を迎えられなかったかも。 猪木は後継者はどう考えていたのだろう。
藤波、長州、前田、橋本、武藤、小川、藤田
でも結局は猪木の後継者は出なかった。
いなかったと言うべきか。
橋本は猪木が根回しして小川に潰させた時点で除外。
小川も猪木の元から離れた時点で除外。
藤田も猪木の後継者としてはどうもしっくりこない。
武藤はそもそも猪木の後継者になる気はなかっただろう。
藤波や長州、前田も後継者ではなく独自の道を。 誰でも後継者というのは意のままに操れる人間を希望したいんだけどなかなかうまくはいかない(笑) 後継者っちゅうても単純な後釜、或いは自分の操り人形。
馬場は前者で猪木は後者か。
だから全日は馬場の後継者は鶴田、三沢と。
新日は結果的に猪木の後継者はなかった。
新日のトップは藤波、長州、橋本、蝶野と取り敢えず設けたが。
でもトップが後継者とも違うかんな。
特に新日の場合は。
しっかし馬場や猪木は「後継者は誰?」と散々言われてきた。
しかしその下の世代では「後継者は?」と言われなかった。
やっぱり馬場と猪木がそれだけ偉大でビッグだったってことだ。 小川とシングルやって負けてればよかったのに
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SUEJZ 猪木と小川は見たかったのもある。
でもそうなれば小川の商品価値が下がるかも知れない。
リングを退く猪木とこれから売り出す小川。
あの引退試合が小川じゃなかったのは正解かも。
小川が猪木の引退相手を努めて(試合結果はどうあれ)キレイにバトンタッチ。
そんな都合良く簡単にはいかない。 猪木と小川は見たかったのもある。
でもそうなれば小川の商品価値が下がるかも知れない。
リングを退く猪木とこれから売り出す小川。
あの引退試合が小川じゃなかったのは正解かも。
小川が猪木の引退相手を努めて(試合結果はどうあれ)キレイにバトンタッチ。
そんな都合良く簡単にはいかない。 猪木のあのセンスを継承できたレスラーはほぼ皆無だろう。
あのセンス、発想、スター性、存在感。
武藤は単純な動きのセンスでは猪木を越えていたという意見がある。
猪木が嫉妬したくらいだし。
だが総体的に見たら武藤でも足元に及ばないと思う。 猪木の弟子で猪木越えたのはホーガンかな
次点で長州だけど越えたかというと越えてないですようん >>181
プロレスセンスは藤波、ファイティングスピリットは長州、カリスマ性は前田に分配したみたいな意見を見たことがある。 猪木の終焉は一度決定した前田とのシングルを撤回した時。
あの頃の前田は猪木的世界を演じさせてくれない唯一の男。
戦わずして負けるってまさにこのことだよな。 猪木引退から20年か。
猪木の現役見てきた年数より長いわ。 北朝鮮がいい方向に向かってるんだから、
今でこそ平和の祭典第2弾を平壌でやるべきだな。 1、離婚等の87年
2、自らが引退を匂わせた88年
3、議員になった89年
4、橋本、蝶野との対戦のドーム大会の90年
5、体調不良でドーム大会欠場の93年
6、ファイナルカウントダウン宣言した94年
7、猪木時代終焉を決定させる試合をした95年
これまでも引退するに相応しい時期やタイミングは確かにあった。 >>176
猪木引退で客を呼び退職金で北朝鮮イベントの借金を相殺させようという新日本側の思惑で、あのコーナーは猪木に任せていて新日本も小川戦と思っていたが猪木は当てつけにフライに勝たせた。
引退セレモニーで満面の笑みだったのは、あっかんべーという気持ちだったんだろう。 レスラーとしての引き際はなんだかんだあれがベストだったと思う。
でも、その後はかつての栄光に泥を塗るばかりでプロレスじゃないところで活躍出来る場所があれば良かったのに。
最近の猪木はもう本当に今すぐ死んで欲しい。
人生の引き際は完全に間違っている。 前に『看板タイトルNWF返上の81年に同時に引退してたら』って書き込みあった。
NWF返上はIWGPの為の返上→封印なのに。
それで猪木が一緒に引退するわけない。
当時を知らない人間の書き込みだとすぐにわかった。 >>192
本当に猪木はそんなことを答えたのかなあ?
前年75年辺りが全盛期のピークだろうからまだまだコンディションバッチリの頃だし、
アリ戦自体世間の評価は最低で大きな負債も作って辞めるに辞めれなかったんじゃないかな。
今でこそアリ戦は我々プロレスファンの間では見直されてきたけど世間一般では色物の茶番のままなんだから
そんなものの後で堂々引退なんて理解に苦しむんだけど。 >>194
実際に言ったのではなく『言いそう』ってことでは?
猪木はアリ戦以降は様々な面でプロレスへの情熱が落ちたって記事はあった。
そんなバカな!と思ったが。
でもアリ戦実現という集大成があったから気持ちがその後は弱まったってのもわかる。
今となっては。
人間は自身の大きな夢を叶えたらその後はポカーンとしてしまうという。
アリ戦以降からプロレス見始めた俺はまだまだ猪木は熱い情熱があったと思った。
またいつまでも後進に道を譲らずメインっちゅうか中心に居座ったり。
これは情熱というよりワガママか。
でもIWGP構想発表あたりの猪木はまだまだプロレス熱が凄く感じた。
あとは馬場との対決を本気で考えていたみたいだし。
でもこちらはアリ戦とは違い、実現せず。 猪木自身がプロレスへの情熱が失われていったからなあ。
クーデターあたりでは完全に覚めていたとか。
本人の気持ち的にはこの83年頃でも良かったのかも。 88.8.8で引退宣言
89年を引退ツアー
90.2.10猪木・坂口VS藤波・長州で引退
これがベストだったかな
実際は藤波は腰痛で欠場中だったけど 前田を避けてマサ斎藤とばったやってた時点で猪木信者も覚めてしまったからね。 名勝負数え歌が盛り上がってる頃に引退宣言
1年ツアーして引退 オレの時代は最後の方の猪木しか知らないからなぁ
かっこ悪いイメージしかない
ということは遅すぎたんだろうね >>201
いい時期でもないと思うけどなあ。
もっと早くに引退の方がまだ伝説になれた。
95年に35周年で引退とか。 >>202
いつ頃から見てるの?
猪木の最後の方ってことは90年代後半?
議員前と議員後のセミリでは確かに印象が違うはず。 >>195
猪木個人にとっての刺激としてはアリ戦を超えるものはなかっただろうね
アリ戦以降は猪木の意思や欲求というより
エースとして社長としての立場が先行して
それぞれの企画に臨んでいた気がする 馳とのシングルでなまじいい試合してしまったのは間違いだったんだろうな 引退後のエキシビションだったならまだ良かったんだろうけど 一応現役として強烈な印象残してしまったからなぁ ドームのチョチョシビリ戦かな
ゴールドメダリストだし猪木の歴史は格闘技戦の歴史とも言えるし、負けで終わりでも良かった それでも遅すぎるのかもしれないけどチョチョシビリ戦 猪木が新日を旗揚げしたのが28歳だった。
これから全盛期という時に、シン、パワーズ、K・K・クラップ、ニコリ・ボルコフ、何とか兄弟・・・酷いメンツだった。
まともなのはマスクド・スーパースターくらいだったもんなあ。
あの頃、ドリー、テリー、レイス、ジョナサン、ニック、ガニア、サンマルチノとのシングルが観たかった。
ハンセン、ホーガンと名勝負をしたのが40前だった事を考えると本当にもったいなかった。
馬場憎し、それ以外にない。 >>210
シンは酷いメンツじゃないだろ。
初期のシンは全日外人達と比べたら知名度は落ちたが。
でもその頃の猪木と全日外人の試合は見たかった。 >>103
実質アックスボンバーで終わったものを15年後に本当にアックスボンバーで終わらすというシナリオは良いかもな。 >>40
悪くない引退試合だね。
華はもたせたが(猪木が蝶野フォール)
終わりをあそこまで感じるとはね(大半は橋本の蹴り)
でも、すごく良い試合。
でもなー、96、1・4のベイダー戦あるからなー。 95 1 4のゴルドー戦やスティング戦も酷かったなあ。
酷いというか猪木落日を強烈に感じた。
猪木引退カウントダウンも開始されていたし。
でもベイダー戦は様々な面で意外だった。
しかし結果的に猪木よりもベイダーが先に逝くとは。 猪木とノートンの試合も見たかったが。
でもノートンはベイダーみたいに非情にはならなそう。
ノートンが非情になったら猪木も壊れちゃう。
引退前にタッグでも一度は見たかった。 >>202
ほんと
96年のベイダー戦なんて未だに語られ続けてるもんな
なんだかんだでベストなタイミングでの引退だったんじゃないの?
>>199
だってマサ斎藤のほうが強いもん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています