テリーゴディ、スティーブウィリアムス [無断転載禁止]©2ch.net
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ハンセンのパートナーを下ろされた屈辱を味わったゴディだけにこのコンビの結成と龍艦砲への雪辱には燃えた この年の最強タッグでの外人同士の最後の最終戦は迫力だった あまりに強すぎからからか常にブーイングが飛んでいたように思えた。
結局一度もSDDコールも発生しなかったし。 このチーム絡みで見たかったカード
テリーゴディ スティーブウイリアムスVSビッグバンベイダー クラッシャーバンバンビガロ
テリーゴディ スティーブウイリアムスVSビッグバンベイダー スコットノートン
テリーゴディ スティーブウイリアムスVSザロードウォリアーズ
テリーゴディ スティーブウイリアムスVS長州力 マサ斎藤
時代を越えたらこうなるか。
テリーゴディ スティーブウイリアムスVSスタンハンセン ブルーザーブロディ
テリーゴディ スティーブウイリアムスVSディックマードック マスクドスーパースター
テリーゴディ スティーブウイリアムスVSアドリアンアドニス カーボーイボブオートン
特にタッグチーム専門同士の試合は盛り上がりそう。
テリーゴディもスティーブウイリアムスもタッグマッチ、シングルマッチと両方だが。
ただ時代のせいか、この二人は大人しかった感じがした。
スタンハンセン ブルーザーブロディみたいなハチャメチャや部分は感じられず。
三沢光晴や川田利明、小橋建太相手に昭和プロレスリングみたいな乱闘は不必要だったからだろうが。
昔と違って反則絡みが一気になくなった時代に組んでいたからなあ。 世界のプロレスが放送されていた時にこの二人が大流血試合やってたって聞いた事ある。
テリーゴディVSスティーブウイリアムスは全く記憶にない。
日本でもこの二人の対決が実現したが、二人ともやる気なし。
やる気なしが画面や雑誌の誌面からも伝わってきた。
実際に二人ともやりたくなかったみたいだし。
でもスタンハンセン ブルーザーブロディと比べるとスケールは小さい。
様々な面でスケールが劣った。 テリーゴディとビッグバンベイダーの試合は見たかった。
あとスティーブウイリアムスとビッグバンベイダーやスコットノートンももっと早い時期に。
1990年6月にクラッシャーバンバンビガロはデイビーボーイスミスと組んで二人とは対戦した。
この時にビッグバンベイダーも全日本プロレスリング参戦していれば。
そうしたらテリーゴディやスティーブウイリアムスとの対戦も実現しただろう。
1993年頃にスティーブウイリアムスVSスコットノートンが見たかった。
お互いに絶好調の全盛期。
2000年じゃあお互いに全盛期過ぎて二人とも体調も最悪な状態。
もっと早くにやって欲しかったよ。 週刊ゴングのSDDピンナップに
二人からサインもらえた。
二人ともあんなに早く逝ってしまうとは―
お宝になったけど 1993年頃のスティーブウイリアムスとスコットノートンは体が岩石だった。
スティーブウイリアムスはパワーとテクニック、スコットノートンはパワー一辺倒。
スコットノートンはこの時代はあまりの強さに逆に存在が隠れてしまうと書かれていた。
野上彰 飯塚孝之との試合なんか二人束になってもスコットノートンには敵わないと思わせた。
スティーブウイリアムスもこの1993年チャンビオンカーニバル優勝だっけ?
勢いも凄かった。
この1993年に両者が対戦したら日本のプロレスリングの歴史に残る試合になったろう。
アンドレザジャイアントVSスタンハンセン スタンハンセンVSビッグバンベイダーと並ぶ試合に。
でもこの時代に新日本プロレスリングと全日本プロレスリングの交流は有り得なかったからなあ。 どっちも大関止まりでシングルだとイマイチなんだよな コディがリーダー格なのに入場テーマはウイリアムスなんだよな そこはバランスじゃないか。
テリーゴディはフリーバードだったな。 >>16
ウィリアムスは全日行くまではボーン・イン・ザ・USA
全日移籍してゴディと組んでからコンビとして使ったのが勇士の叫び
ゴディ離脱後もそのまま使ってたから、別にウィリアムス単独のテーマではないよ 殺人魚雷の全日デビュー戦は違う入場曲だったような記憶がある すってん
すってん
すってん
すってん
すってん
すってん
すってん
すってててん
をーををををー
をーををををー 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) リーダーはゴディで格もゴディがちょい上だったわりにピン取るのはウイリアムスの方が多かった記憶がある ちなみにゴディ、ウィリアムスがメインに出た武道館、
セミでは三冠に挑戦するウインダムが「ボーン・イン・ザ・USA」で入場 確かに初期はvs五輪、龍艦砲、ハンセン&スパイビー
全てウィリアムスがフィニッシュ取ってる この二人は同格タッグチームだったろ。
表記はテリーゴディ スティーブウイリアムスでコールはスティーブウイリアムス→テリーゴディだったが。
こういう強力な同格タッグチームはあまりないな。
限定される。
スタンハンセン ブルーザーブロディ
アブドラーザブッチャー タイガージェットシン
ジャイアント馬場 ドリーファンクジュニア
アブドラーザブッチャー ザシーク
タイガージェットシン 上田馬之助
ジャイアント馬場 アンドレザジャイアント
天龍源一郎 スタンハンセン
ザロードウォリアーズ
スタンハンセン ビッグバンベイダー
全日本プロレスリングだとこんな感じか。 プライベートでもメチャ仲良かったからね。
ゴディとウィリアムスとスリンガーの3人で
談笑しながら食事してるところを見たけど
本当の兄弟みたいだったな… 他に新日本プロレスリングや後々の日本のプロレスリング界での同格タッグチーム
アントニオ猪木 ダスティローデス
アントニオ猪木 ボブバックランド
アントニオ猪木 ハルクホーガン
アントニオ猪木 アンドレザジャイアント(単発)
アントニオ猪木 ディックマードック
アントニオ猪木 タイガージェットシン
ディックマードック マスクドスーパースター
スタンハンセン ダスティローデス
スタンハンセン タイガージェットシン
スタンハンセン アブドラーザブッチャー
スタンハンセン ディックマードック
スタンハンセン アンドレザジャイアント(6人タッグマッチ)
スタンハンセン ローランボック
テリーファンク ミルマスカラス
スタンハンセン ハーリーレイス
キラーカーン タイガー戸口
アブドラーザブッチャー ブルーザーブロディ(6人タッグマッチ)
ジョージ高野 スーパーストロングマシーン
武藤敬司 蝶野正洋
藤波辰爾 ビッグバンベイダー
藤波辰爾 長州力
橋本真也 蝶野正洋
馳浩 佐々木健介
獣神サンダーライガー ワイルドペガサス
タイガージェットシン ザシーク
ミルマスカラス エルカネック
三沢光晴 武藤敬司
川田利明 佐々木健介 路上の喧嘩ならウィリアムス最強じゃね?
アスファルトであのバックドロップ食らったら確実に死ぬわ >>29
そういやスリンガーって今なにをしてるんだ? アル中ゴディと薬中ウィリアムス
全日ってこんなんばっかだよなあ >>35
ウィリアムスが元新日なの知らないのか
かわいそうにw >>21
WCWでは勇士の叫びでなかったのが残念でならない。
あの曲使うと全日本のイメージが強くてダメだったのかな? ウィリアムスは撮影会の時胸板チョップしてスリーパーしながら撮影なんだよなぁ。 >>29
ゴディが全日の『87年エキサイト・シリーズ』に参加していた時も、ウィリアムスも新日のシリーズに来日していて
そこにウォリアーズも入れて飲んでいたなw当初から馬が合った2人。
出会いはビル・ワットのミッド・サウス地区の85年まで遡る。
対戦者としてスタートした2人。当時はデビアス&ウィリアムス vs フリーバーズがドル箱カードだったな。 >>38
向こうは、曲使用の許可とるの難しいんじゃない
WCWでは東洋的な入場曲とコスチュームで日本代表のイメージが強くされたね >>35
珍日ヲタは巣へ帰れよw
それ言い出したらベイダー、スコットスタイナー、トニーホーム、ベノワ、エディ、バズソイヤーあたりはどうなるんだよアホw >>42
デビアスやフリーバーズは全日なのにウィリアムスはなんで
新日だったんだろな。まぁあの頃の全日は似たようなタイプ多くて
馬場もいらないだろうが >>2
いまだにスティーブウィリアムスの
キャッチフレーズ「ドクターデス」のドクターを
「医者」だと思っているおバカさんがいるんだな。
恥ずかしいぞ! こいつら酒癖悪そうだから
店で暴れて迷惑かけて
馬場が893使って被害店を脅して
揉み消しとかやってたんやろな
全日ってそんなんばっかやな >>46
ウィリアムスが初来日する前年85年に新日本とWWFの業務提携が切れて、その後、新日本が提携したのが
ダラス地区のワールド・クラスとオクラホマ地区のミッド・サウスだった。
当時、坂口がオクラホマまで行ってビル・ワットと会っている。
この提携で85年〜86年にジム・ドゥガン、ジョン・ノード、ウィリアムスが初来日した。
ダラスからもエリック兄弟が来日、ジノ・ヘルナンデスも来日が決まっていたけど直前で急死した。
デビアスはファンクスのブッキングでそのまま全日本。
ゴディ(フリーバーズ)は全日本と提携時代のエリックルートかな。 1990年春の嵐! 馬場の智謀と2つの東京ドーム■
小佐野景浩のプロレス歴史発見@
そこで馬場さんが出した条件は「その代わりにスティーブ・ウィリアムスをくれ」と。
馬場さんは、新しいタイプの外国人レスラーとしてスティーブ・ウィリアムスが欲しかったんですよ。
馬場さんは以前からウィリアムスに興味を示していて、89年の秋ぐらいから「ウィリアムスってどんな選手だ?」って聞かれたりしてたんですよ。 >>48
救いようのないバカがいる
と思ったら、やはり
ガラプー、お前かよ! >>51
ハンセン&天龍がタッグを結成して、ゴディのパートナーは不在になったんだよな。
『89年スーパー・パワー・シリーズ』でゴディ&スパイビーが試運転したが、その後スパイビーはWCWをメインにして来日が一時途絶える。
そこでゴディのパートナーとして馬場がウィリアムスに秋から本格的に目を付けたのは容易に察せられるな。 ジム・ドゥガンは81年にWWFルートで新日本に来日経験があったな。 >>53
ウイリアムスじゃなくベイダーに目が行かなかったのかな >>55
ベイダーは『'87世界最強タッグ決定リーグ戦』にハンセンのパートナーとしてに全日本に上がることが決定していたけど、
馬場と猪木が直接話し合って新日本に上がることになったんだよな。
馬場としたら、またベイダーを戻す考えはその時点ではなかったんじゃないかな。当時、ベイダーは新日本の看板だったし。
ハンセンの自伝に「馬場は私の後継者としてゴディを考えていた。」と書いてあるから、ハンセン、ゴディに次ぐ「第三の男」が
ウィリアムスということかな。「ゴディのパートナー」という点でも、ウィリアムスなら当時から親友だったし。 馬場が「新日本はよくベイダーをあそこまで育てたね」と感心してた。
全日本に来てたら、たくさん外国人がいるので埋もれてただろうな〜 新日本プロレスリングが何故ビッグバンベイダーを欲しがったのか?
実績も大してなくて。
単に体がやたら大きな超大型だったからか?
あと『ビッグバンベイダー』にする選手を探していたからそれに適したと感じたのかも。
本来はアルティメットウォリアーが予定だったらしいが。
でもレオンホワイトで大正解。
アルティメットウォリアーなら単発で終わっていただろう。
レオンホワイトだからこそビッグバンベイダーがあれだけになった。
逆に新日本プロレスリング側はそれを見越したのか?
それともたまたま期待した以上になったのか?
まあビッグバンベイダーが全日本プロレスリングならやはり大成はしなかっただろうな。
特に1987年世界最強タッグ決定リーグ戦なら尚更。
幾らスタンハンセンのタッグパートナーでも。
しかしあの時点ではテリーゴディがいた。
だからスタンハンセンのタッグパートナーは探す必要がなかった。
いずれにせよビッグバンベイダーことレオンホワイトがあの時代の全日本プロレスリングに上がってもなあ。
大物外国人勢に埋もれていたのも目に見えている。
エース外国人レスラー不在の時代の新日本プロレスリングだからこそ良かった。
だからこそビッグバンベイダーとして活きた。 >>56
それは初耳
まだグリーンボーイだろうけど
デビュー間もない頃だよな? >>59
ベイダーは85年にAWAでデビューしたんだけど、当時AWAにいたマサ・斎藤が対戦して「こいつは絶対日本向き」とすぐ目を付けられた。
その後、87年にヨーロッパのCWAにいたとき、タイガー・服部が新日本へのオファーをしたんだが、すでにその前にAWAでレオン・ホワイト
と面識のあったハンセンを通じて馬場がオファーを出していたんだよ。
http://thesmartmarks.com/printer_842.shtml 馬場の頃は何であんなに強豪外人呼べたのかな?
日テレと馬場のパイプ? でも1987年世界最強タッグ決定リーグ戦でスタンハンセンのタッグパートナーはテリーゴディだった。
元から決まっていたはず。
1985年上半期みたいにタッグパートナー不在ならまだしも。
それとも本来はテリーゴディは違ったのかな?
前年1986年はスタンハンセンとテリーゴディは抗争を展開していた。
この年の世界最強タッグ決定リーグ戦はテリーゴディのタッグパートナーはキラーカーン。
でもキラーカーンは日本を離れていた。
1987年にキラーカーンは引退だっけ?
それでスタンハンセンとテリーゴディを再び組ませた。
逆にタッグパートナーがビッグバンベイダーことレオンホワイトならテリーゴディはどうなった?
日本のプロレスリングから少し離れたのかな?
でもブルーザーブロディ ジミースヌーカとの対戦でもレオンホワイトなら位負け。
テリーゴディだから吊り合いが取れた。
しかしレオンホワイトは全日本プロレスリングに行かなくて大正解。
新日本プロレスリングもビッグバンベイダーはタイガージェットシンに次ぐ救世主だと書いてあった。
もしレオンホワイトが全日本プロレスリングならただのロングタイツだったろう。
新日本プロレスリング初登場の時のビッグバンベイダーもロングタイツだけだった。
その後にマスクで全身を覆ったコスチュームに。 >>62
馬場と日テレが海外に開拓のために飛んで馬場のアメリカでの実績と信用により有力プロモーターからのブッキング協力を得た 実際、この二人はどれくらいトレーニングしてたんだろう?
ウィリアムスはレスリングの下地、ゴディはプロレス頭+ナチュラルパワー
それ以前に根源的な、生き物としての強さを感じた リチャードスリンガーて、ゴディの甥っ子か何かだっけ? ゴディが倒れて、ウィリアムスがシングルプレイヤーとしてブレイクした
これでゴディが戻ってきたらいったいどうなっちゃうだとワクワクしていたのに、無念 >>73
よくゴディが相手をコーナーに振って、自分がコーナーめがけて走ってターンバックルの相手に串刺しラリアットしてたでしょ。
あの時に出る音が“Bam!”なんだよ。日本語だと「ドン!」とか「ドスン!」になるな。
英語では「バンバン」より「ベムベム」の方が近いけどね。 若林「すごぉい!!体が溶けそう!!頭が白くなりそう!!!」 >>62
日テレと放送契約結ぶとき
毎シリーズ最低7人の外人を招集すること
という取り決めがあったとか。 2人とも訳の分からないうちにフェードアウトしてたな
ネットもまだまだだったから真相がわからなかったし ウィリアムスは社長が元子から武藤になった所で切られた
契約を結ばない旨がウィリアムスとロトンドの元にメールで届いて
武藤の常識の無さはなんだ!と怒ってたとか >>80
ただ残念ながら2002年当時のウイリアムスを見ていたら
もう全日本に上がってほしくないというところがあった。
何かウイリアムスがリングに上がるだけで試合の雰囲気が壊れるように
なっていたし。 外人コンビで考えたらやっぱ歴代トップのコンビだと思う。
あくまで日本で活躍した外人コンビとして。
ハンセン&ベイダー組も強かったが、お互いの個の部分が強すぎてコンビとして
の部分がイマイチというかそんな感じかな。
ハンセン&ブロディも強いが、コンビとしての連携等はやっぱ殺人魚雷コンビだろうな。 武藤に言わせるとクロニックを売り出そうとしたら、ウィリアムスが控室でクロニックに嫌がらせしたりと、首切りの理由にはそー言うのもあったらしい。 末期のウィリアムスはTシャツ着て試合したり
背筋は当然のこと腕力も落ちてスープレックスもまともに出来ないし見てられなかった 殺人魚雷以降しか知らないから昔のゴディぶよぶよで笑った イリミネーターズのプロモで日本に行くと毎回、イリミネーターズは良いチームだが、ゴディ、ウィリアムスの方が上だと言われたとか喋ってたね。
日本で接点もないし、比較なんてされてないだろってW >>88
イリミネーターズは全日に来て欲しかったなあ
どんな相手でもいい試合できたと思う
あとタズは四天王プロレスできたと思う SDDがWCWとNWAのタッグをウインダムとダスティンに取られてたけど、どんな結末だったのかな?
確かベルト取られた試合は日本では一切報道されてなかったけど。 テリーゴディ スティーブウイリアムスは四天王時代にも関わらず重宝された。
この時代の全日本プロレスリングではあとの外国人達は四天王より下の位置付けだった。
スタンハンセンは別格として。
まあ日本人は四天王で外国人はスタンハンセン テリーゴディ スティーブウイリアムス。
それ以外との差が凄かった。
日本人や外国人ともにもっと全面的に売り出せば良かったと思うたわい。 チャンピオンカーニバルで優勝させてもらえる訳でもないのに
毎年毎年形だけ出場させられるジョニーエースとかどういう心境だったんだろう >>95
別に元からトップでもないしこれから上がっていくためには上と戦って負けるのが第一歩だろ キマラとかは明らかに配給係だからともかく
何とも言えない立ち位置のエースは複雑な心境だったかもしれん >>95組織の1歯車として、正にリーマンみたいな心境ぢゃね? エースをあの位置で使う団体は恐らく世界中で馬場全日本だけ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています