テリーゴディ、スティーブウィリアムス [無断転載禁止]©2ch.net
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>>100
元子のお気に入りだったからな。
スパイビーは「モトコ・ババの名前を聞くと、なぜかいつもジョニー・エースが浮かんでくるんだw」と言ってるよw >>100
どういう意味で?
ジョニーエースほどの男をあんな位置で使うのは勿体なすぎる。
ジョニーエース程度ならあの位置で使えば十分だった。
もちろん後者だろうが。
まあジョニーエースは体が塩だった。
少なくともパトリオットやデイビーボーイスミスみたいな体ならなあ。
内容までは仕方ない。
でも内容も塩で体も塩だと塩塩尽くしだかんな。
顔だけ良くてもアンバランス。
ジョニーエースが三沢光晴に挑戦した三冠ヘビー級タイトルマッチがあった。
ジョニーエースが獲れるわけないと思った。
これがテリーゴディやスティーブウイリアムスならそうは思わ(れ)ない。
既にジョニーエースはダメな烙印を押されていたからね。 >>101
色々と含みのある言葉だなw
殺人魚雷に話を戻すけど、ウイリアムスって新日のとき198センチだったよなw
それだとゴディやハンセン、鶴田、田上よりでかくなっちゃうw いいコンビだったけど、よく分かってない実況がハンセン・ブロディを超えたと言ってて、イラっときた エースの場合中堅の時期が長すぎたよなあ。
中堅のイメージが固定されちゃったから、そこから上がれなくなった。
身長もあるし、マスクもいい。器用にいろんな技をこなす。
まあ、ちょっと器用貧乏って感じなのかな?
不器用でもゴツゴツしたウィリアムスみたいなのが受けてたしね。 ゴディ ウイリアムスに比べて攻撃に威力がない 四天王をしとめるにはたりないよな >>103
全日に移籍して188センチになっちゃった・・・w ウィリアムスとノートンの試合は両者共に上手さが無いうえに互いに衰えが目立ち、酷い試合だったよね。
フィニッシュのバックドロップは「殺人かわず落とし」と揶揄されてた。 エースのやられっぷりは見事だった!
特にウイリアムスの怒涛の攻めに対してwww 96の小橋パトリオットVSウイリアムスエースの世界たっっぐあのウイリアムスのテンションは
アレの影響かな? RVDあたりに当時の全日外国人の雰囲気を聞きたいなあ >>101
素子が巡業に帯同するのはそういうお楽しみもあったんだろうな チャンピオンカーニバルで戦ったことあったな。まさに夢の対決 >>114
全日本に来てたヴァル・ビーナスが武道館で試合組まれなかったのは元子をお断りしたせいだ、なんて噂も聞いたよ…。 >>116
ニコ動にあって今見てたわ
三沢光晴追悼特集 1993チャンピオンカーニバル
これで検索 >>108
エースクラッシャー以外にフィニッシュが欲しい感じだったな。
ただ、全日の場合格が固定されちゃってるんで
格下の選手が格上の選手に勝つ番狂わせがほとんどない。
新日の場合、たまにそーゆーサプライズ作ることで上手く回していった感じがあるよね。
全日だと三沢、川田、小橋、ハンセン、ゴディ、ウィリアムス辺りは直接対決以外はほとんど負けないから、
それ以外の選手が割り込むのは大変だった。
対抗するような選手を新たに作る場合、ベイダーみたいに引き抜いて来るしかなかった。
ウィリアムスもそうだしね。 >>107
エースのあの体固めの体勢、全くなっていませんね
馬場が実況してた試合でこう指摘されてたの覚えてるわ。カードは全く記憶に無いのにw フミサイトーの本に、
「エースはこう言うところが駄目なんですよ」 馬場さんにこう言われてしまったらもう終わりなんである。
と言うくだりがあった。 ご冥福をお祈りします
極太コンビとも言われてたなあ エースは馬場亡き後に全日の改革に一生懸命だったけど三沢がうざがってたなあ。 >>124
そんなに一生懸命だったか?
すぐに逃げたイメージしかない その気概があれば元子全日にいるわな ウイリアムすならわかるけど ウィリアムスはノアに呼ばれたくて、離脱決まった三沢にちょっかいだしてたイメージ。 >>128
あれは何がしたいんだと思ったわ
仕掛ける訳でもないし >>123
ゴディ&ウィリアムスは年齢的にハンセン&スパイビーより約10歳若いんだけどな。
まさか2人とも40代で亡くなるとは思わなかった。
>>124
そう言えば、馬場が死去した後「ガイジン・ムーブメント」(外国人復興運動)とか掲げてやってたな。
結局、たいしたことはなかったが。 エースは何が酷いって地方での手の抜きっぷり
晩年の三沢や田上レベルを結構若いときからやってた
ああいうことやってるようじゃ三冠もお情けの1回しか挑戦させてもらえないだろう >>59
すでにCWAチャンピオンではあったんじゃないかな?
ハンセン、ブロディ、レイガンズらのインタビューで再三凄いヤングボーイがいるって、ベイダー(レオンホワイト)の名前が挙がってたからね。
世界のプロレスでは簡単に負けてたから、そんなもんかなあとしか当時は思っていなかったが。 ウィリアムスはWWEに参戦したから失敗後も、三沢が呼ばなかったんだけど、
元子に泣きついて、全日本に戻ってきたんだってさ。 >>128
あれが原因でウィリアムス、三沢たちに快く思われなかったみたい。
数年後IWAジャパンに秋山が参戦したとき、仲田がIWAにフロントに
絶対にウィリアムスと接触させるなと釘刺してたらしいし エースといえば91年時期にゴディにシングルで勝っているんだよね。
フロリダのUWFでリングアウトとはいえ週プロやゴングでも報道されてあのエースが?
ってちょっとビックリもした。
もっともその直後に日本でシングル組まれた時にはパワーボムという
順当な結果に終わっているけど。 >>134
ウィリアムスも問題あるけど、三沢も仲田も小さいね。
ホント細かいこと寝に持つよね。 元々ウィリアムスは元子に媚び売って高額ギャラで呼ばれ続けてて
格安ギャラで試合やってる三沢らは不満たらたらだったらしいやん >>136
三沢もガラドラも経営者としてダメすぎるんだよな
私情を持ち込み過ぎ ジョニースミスが結局ノアに来なかったのは何でなんだろ >>136
アホか。
ウイリアムス、元子に媚びて、三沢をボコボコにするって脅してたんだぞ。
そんなやつ呼ぶわけないし、接触もしたくないのは当たり前だろ。絶対に必要なコマでもないし。 ゴディは田上、小橋には負けてるけど川田には何故か負けてない
ウィリアムスは大森、高山には負けてるけど秋山には何故か負けてない たまたまだろ。
スティーブウイリアムスは新日本プロレスリングではアントニオ猪木以外のフォール負けはないはず。
橋本真也にはリングアウト負けのみ。
まあスティーブウイリアムスが新日本プロレスリングにいた頃は両者リングアウトが普通にあった時代。
ビッグバンベイダーはサルマンハシミコフにフォールされた。
しかしスティーブウイリアムスはサルマンハシミコフにもフォールされてない。
新日本プロレスリングでのスティーブウイリアムスのフォール取られ率はかなり低い。
ビッグバンベイダーより割合は低い。
ビッグバンベイダーはアントニオ猪木には(取り敢えず)ギブアップ一回。
藤波辰爾や長州力にはフォール。
スコットノートンにもフォールされた。
スティーブウイリアムスは来日初期にアントニオ猪木にフォール取られた。
他は藤波“辰巳”にも長州力にもフォール取られてない。
橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司にも。
スティーブウイリアムスの扱いとたまたまとが合わさったのだろうが。 ウィリアムスの新日時代を知らんのだが、強キャラ設定だったの? 新日本ではあまりエース外人的に使われてたイメージは無いなぁ。
と言うか印象自体あまり無い。
離脱直前の三沢にちょっかい出していたのは、ファンやマスコミに煽って貰って三沢対ウィリアムスの機運を高めてノアに呼ばれようと画策してたんじゃないのかね。
ベイダーやスコーピオは三沢に呼ばれているのに自分は無視、エースはその時点でwweフロント入りの話があったんだろうし、ウィリアムスもかなり焦っていたんだろう。
でも三沢や仲田はその手のやり方を異常に毛嫌いして根に持つとw >>143
新日の暗黒期の外人だから当時はビガロとかベイダーとか片っ端から
強豪として売り出しかけてた。ただ受けが下手で自分勝手に
暴れまくるだけだから評価低くて移籍間際は4、5番手の扱い >>144
ウイリアムスはWWEでもバートガンにKOされたし焦ってたんだろうな
あれもともとはウイリアムスを売り出す為の大会なのにあっさりと伏兵に負けるとかチャンスを掴む運がないわな >>139
三沢はスミス大好きだから、かなり誘ったみたいだね。
でも、本人が全日本に恩があるからと断ったらしい。
三沢が全日本の社長になったとき、
スミスの低賃金に驚いて、ギャラUPしといたそうだ。 スティーブウイリアムスは強キャラクターだったよ。
新外国人エース登場と。
また、組んでいたコンガザバーバリアンと仲間割れ→シングルマッチと。
この試合は課題評価で凄く高評価の記事が。
“アンドレザジャイアントVSスタンハンセンに匹敵する試合”とまで書かれて。
オイオイ…って感じだが。
でもミスター高橋ブックに書かれていたアントニオ猪木とのシングルマッチ。
アントニオ猪木がカウント2で返せなくてミスター高橋が慌てた試合。
ああいうのがあったから新日本プロレスリングから『エースは無理』と判断されたのかも。
あまり来日しなくなったから。
1989年に旧ソ連のレッドブル軍団が登場してからスティーブウイリアムスも来日する様になった。
スティーブウイリアムスはアマレスリング出身だからレッドブル軍団とも手が合う。
新日本プロレスリング側からそう判断されたのかも。
この時はビッグバンベイダーやクラッシャーバンバンビガロがいた。
でもスティーブウイリアムスも加えて三大強力外国人という立場に。
そしてアメリカ軍団としてレッドブル軍団とも戦い。
日本、アメリカ、旧ソ連の三国対抗戦というのがウリで。
でもレッドブル軍団が登場しなければスティーブウイリアムスもチョコチョコしか呼ばれなかったかもね。
全日本プロレスリングに移籍という時もそれなりには騒がれた。
1990年には新日本プロレスリングと全日本プロレスリングをハシゴ参戦。
これはスティーブウイリアムス以外にはいなかった。
しかも単発的ではなく一年を通して。
ただ1990年には新日本プロレスリングでは扱いは良くなかった。
テレビマッチにも登場せず。
スティーブウイリアムスが全日本プロレスリングに初登場したのが1990年2月。
それ以降は新日本プロレスリングではゲスト的な扱い。
スティーブウイリアムスは全日本プロレスリングがメインで中心だったし。 元子全日じゃ一応三冠挑戦したりロトンドと最強タッグ優勝したりそのまま世界タッグにも挑戦したり
それなりのことはさせてもらえてたけどなウィリアムス
武藤が実権握りだして明らかに前座ばっかの試合になってそのままポイー >>144-145
へ?ウイリアムスは新日でもトップ外人の一角だったろう。猪木以外に誰にも負けてないのが証拠。
レッドブル軍団相手に中心的存在だったじゃないか。
少なくとも4、5番手ってことはあり得ん。
違ってたらすまんが、猪木が幻のフォール奪われたからか、歴史を歪曲しようとしてるとしか思えん。知らない世代に嘘を教えるのはよくないぞ。 ゴディは、当時世界タッグ王者だった川田に、タイトルマッチでパワーボムでフォール負けしてるよ。 >>150
デビュー戦でビガロを破ったハシミコフがベイダーにも勝った後
新日外人最後の砦で真の実力者みたいに言われて、期待を持たせてたよな。
ハシミコフ戦が実現する前にレッドブル軍団が失速して、
ウイリアムスが勝っても全く盛り上がらなくなっちまったが。 >>149
そのときの三冠戦は誰に挑戦したんだっけ? でも新日本ではベイダーやビガロに比べてやっぱり影薄かったと思うんだよなぁ。
エース外人だったってイメージはやっぱり無いわ。
あっさり全日本に渡しちゃったし。
猪木相手にやらかしたから信用がなかったのかね。 スティーブウイリアムスは1986年が初来日。
クラッシャーバンバンビガロやビッグバンベイダーより前に来日しており。
でも見た目ではビッグバンベイダーやクラッシャーバンバンビガロの方が印象強い。
ただスティーブウイリアムスもトップ外国人だった。
1989年暮れにスティーブウイリアムスが参加したジャパンカップ争奪リーグ戦。
ここでスティーブウイリアムスが初めて日本で認められて人気が爆発。
人気が爆発は大袈裟かも知れないが。
でもこのシリーズでスティーブウイリアムスは強さと存在感を見せた。
翌年1990年頭にに全日本プロレスリング移籍が報道された。
テリーゴディとタッグチームを結成と。
まあスティーブウイリアムスが抜けても新日本プロレスリングはダメージはなかった。
1990年は新日本プロレスリングと全日本プロレスリングのハシゴ参戦だったが。
これがビッグバンベイダーなら痛かったが。
いずれにせよスティーブウイリアムスは新日本プロレスリングでもトップ外国人だったのは事実。
ビッグバンベイダー クラッシャーバンバンビガロ スティーブウイリアムスと。
1990年を最後にスティーブウイリアムスは新日本プロレスリングには上がらず全日本プロレスリング一本。
スティーブウイリアムスは1990年は新日本プロレスリングでも契約が残っていたのか?
それとも新日本プロレスリング⇔全日本プロレスリングの協力路線からハシゴ参戦だったのか?
スティーブウイリアムスは世界最強タッグ決定リーグ戦優勝後には新日本プロレスリングへ参加。
バトルファイナル90に参加した。
ここではスコットノートンが初来日。
スティーブウイリアムス最後の新日本プロレスリング参戦シリーズにスコットノートンが初来日。
リング上での絡みは一切なかったが。
そして同タイプの両者は接点は全くなし。
その10年後の2000年10月に両者は最初で最後のシングルマッチを。 >>153
武藤
チャンピオンカーニバルの公式戦で武藤に勝った流れからだったはず >>155
ガラケーおとーちゃん
89年はジャパンカップじゃなくワールドカップ争奪リーグ戦な とにかく試合が固いんだよな
藤波相手でもリフトしてダッチワイフみたいに投げまくるから
相手はやりにくかったはず。あと一説ではリフトのときにタイツに
手かけておもいきり伸ばすのでポロリの危険性があって生放送じゃ
使えなかった 移動バスの中で、言葉の通じないレッドブル軍団に気を使って優しくしてた
ウィリアムスとレイガンズはナイスガイ >>151
シングルでは勝ってないだろ。田上と小橋はそれぞれシングルで勝ってる。しかし大森とウィリアムスも微妙だったな。 >>150
ウィリアムスはベイダー、ビガロと格の上では同格って感じだったけど、
試合とか見てても独りよがりで噛み合わない試合が多いんだよな。
ベイダーはキツイ攻めはするけど受けるところはしっかり受けるから面白いわけだが、
ウィリアムスはそれがないからね。
エース外人の一人ではあったけど、ビッグマッチのメインで使える選手ではなかった。 両国での猪木とのIWGP戦がメインでなかったところにもそれが伺える その硬いウイリアムスを柔らかいゴディと組ませたのは馬場の大ヒットと言われてたな当時から。ゴディも伸び悩んでたし良い事づくめだった。さすがだわ 93年札幌のゴディと小橋の試合改めて見たけどゴディのコンディションがあからさまに悪かったな。週プロには感動とか過剰におだててたけど小橋本人はどう思ってたんだろうか。 あの試合のゴディは試合早々から表情曇らせて息切れしてて怖い >>139
WWEでいいポジション得たのに、銭のないノワになんか来るもんか ウィリアムスとバートガンのトーナメントってガチだったん?
結局その後ガンも全日来るし、その辺の流れがようわからん
二人とも干されたのか >>170
あれはガチらしい
まあただの喧嘩トーナメントだね >>163
ちゅうか、元々仲が良かったじゃないか。
ゴディのリクエストもあったんじゃないの。
別に馬場のアイデアというわけではない 地元に全日が来たとき、グッズ購入者には馬場がその場でサインしてくれたんだけど
ゴディ・ウイリアムスのTシャツにまでサインするのはどうかと思ったよ。
パンフレットにしてくださいって断ったけどさ。 >>171
喧嘩つーか、タックル有りのボクシングみたいなもんじゃなかった?
タックル入ってもポイントが入るて形で、総合みたいな寝技の攻防になるようなルールじゃなかった記憶が。 >>173
オレもガキの時分、川田Tシャツに有無を言わさず馬場のサイン入れられたわ。無言の威圧感があって、ガキにはよう断れん >>166
あのシリーズの後だっけ。内臓疾患で戦線離脱したのは。 ウィリアムス、新日リング上でもバックドロップ披露していなかったっけ?
小橋戦のような角度はないけど、ハイスピードで受け身がとれない感じの。 NKホールでのベイダー・ビカロとのトリオは壮観だった 「ジャイアント馬場『引退』記念興行」(1999年5月2日・東京ドーム)
ウィリアムスが1年ぶりに全日本に復帰、ハンセン&田上&ウィリアムスが組まれた。
試合後のインタビューで日テレの菅谷アナがウィリアムスに間違えて「オブライトさんは・・・」
これを聞いた瞬間、ウィリアムス激怒w
「オブライト!!??スティーブ・ウィリアムスサン!!!バ〜バ!!バ〜バ!!!!バ〜バ!!!!!!バ〜〜バ!!!!!!!!」
と菅谷アナの耳元で怒鳴って、そのまま席を立って行ってしまったことがあったなw
その後に残されたハンセンと田上の顔w 年末忘年会SPでダチョウ倶楽部から「田上とハンセンもフォローすりゃいいのにww」と突っ込まれたが
三沢が「ま、ウィリアムスは悪くないですからね(笑)」と一言
そして菊地の頭突きを喰らう菅谷アナ >>179
あれ見に行ったけど北尾がリンチ状態で痛快だった
あと凱旋試合の武藤がキレキレだったの覚えてる 初めて負けたのは馬場、アンドレだっけ? で馬場、アンドレに初めて土を付けたのも確かゴディ、ウイリアムス。あの頃の最強タッグはワクワクしてたね。
あとゴディの甥のスリンガーとトリオで組んでたね。 ジョー樋口の最後のレフェリング。
武道館の三冠戦、王者三沢vs挑戦者ウイリアムス
仲田リングアナのコールのあとのものすごい「ジョー」コール。
ジョー、三沢、ウイリアムス、仲田、
みんなこの世にいないなんてまだ信じられない。 馬場アンドレのフォール勝ちの試合、大阪だから竹山アナなんだよな。若林アナで観たかった。 >>184
馬場、アンドレに勝ったのはハンセンとスパイビーじゃなかったっけ?
ゴディ、ウィリアムスは馬場のランニングネックブリーカーで負け。
ハンセン、スパイビーはハンセンが馬場をフォール。アンドレはロープに絡まって動けず。 スレ的には関係ないが、アンドレの両腕ロープ絡まりは芸だったなw
自分からわざわざ絡まりにいってたw その1990年世界最強タッグ決定リーグ戦の決勝戦終了後。
スティーブウイリアムスがマイクで欠場したジャイアント馬場にエール。
『ババーッ、ババーッ、カンバークッ』と。
館内は大歓声。
ジャイアント馬場はザファンクスとの公式戦でアクシデント発生。
ドリーファンクジュニアが足に落ちてきてジャイアント馬場は足を骨折。
年齢も年齢だっただけにこれでジャイアント馬場は引退か?とも言われて。
そんな状況でスティーブウイリアムスがジャイアント馬場へのエール。
しかしジャイアント馬場 アンドレザジャイアントVSザファンクスなんて凄いカードだな。
もう10年前の1980年なら夢のカード、スーパーマッチだった。
あとジャイアント馬場 アブドーラザブッチャーVSアンドレザジャイアント スタンハンセン。
これも10年前の1980年ならスーパーマッチ。
アンドレザジャイアントが全日本プロレスリングに上がる事自体が凄い事だ。
1981年の引き抜きの時はジャイアント馬場は言うちょった。
『うちはその気になればアンドレザジャイアントですら引き抜けますよ』と。
ジャイアント馬場は結局はアンドレザジャイアントを引く抜く事はしなかったが。
そして時を経て、引き抜きとは全く別の形でアンドレザジャイアントは全日本プロレスリングに初登場。
やっぱり1980年頃にアンドレザジャイアントの全日本プロレスリング登場を見たかったなあ。 アンドレの場合は専属契約を結ぶWWFから引き抜くのが必要 >>189
ハンセンのラリアット一回返したんだよね馬場w
でもそのあときっちりもう一回決めてフォール、なかなか良かった >>193
全日でラリアットを返したことあるの馬場と鶴田だけかな? ハンセンのラリアットは説得力抜群。
なぜか色褪せなかった。
バチーン!って1発。
アックスボンバーの比じゃなかった ハンセンのウィリアムスへのラリアットは良かったな。
90年6月の千葉と98年Cカーニバルのは特に最高だった。
ハンセンも「ウィリアムスなら安心」というのが打ち込み方からありありと分かる。
馬場に「受け身が不細工」と酷評されたウィリアムスも、ことハンセンのラリアットに対する受け身は最高だった。 あのアバランシュホールド崩れ後の振り返り様の1発だろ?
すげえ一撃だった。あの巨漢ウィリアムスがぶちのめされた。 >>194
90年代しか知らないんだけど、他に記憶ないね
千葉公園と武道館で立て続けに殺人魚雷を一発逆転のラリアットで葬ったね
どちらも若い二人に苦戦して虫の息だったけど、一瞬の隙を突いてあの二人をなぎ倒す迫力は説得力半端なかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています