世界最強タッグ決定リーグ戦2 [無断転載禁止]©2ch.net
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やはり81年最強タッグの蔵前かな
バケツ一杯の土砂をブッ掛けたのが強烈 84年が一番豪華と思う。
ハンセン ブロディ
鶴田 天龍
ファンクス
レイス ニック
キッド スミス
馬場 木村
シン ショー 1981年
ブロディ&スヌーカ、馬場&鶴田、ファンクス、レイス&Lヘニング、シン&上田、シーク&ルーイン、ラシク&クラップ、
天龍&原、大熊&小鹿
1984年
ハンセン&ブロディ、鶴田&天龍、ファンクス、レイス&ニック、キッド&スミス、馬場&木村、シン&ショー
1985年
ハンセン&デビアス、鶴田&天龍、長州&谷津、馬場&ドリー、レイス&バー、キッド&スミス、ニック&Kヘニング、木村&原
1987年
ハンセン&ゴディ、ブロディ&スヌーカ、鶴田&谷津、ファンクス、天龍&原、ブッチャー&TNT、馬場&輪島、タイガー&仲野、
カブキ&テンタ、ジンク&ターミネーター、ヤングブラッド兄弟、木村&鶴見
1990年
ゴディ&ウィリアムス、ハンセン&スパイビー、鶴田&田上、三沢&川田、ファンクス、馬場&アンドレ、ブッチャー&キマラ2、
エース&小橋、キッド&Jスミス、ランドオブジャイアンツ、木村&井上、スレーター&ディートン、ファーナス&サンタナ
豪華なのは87年か90年だな >>46
砂ぶちまけも強烈な印象だが
終盤に急所打ちを食らった馬場が物凄い倒れ方をするのも必見w あの試合後にザシークが乱入。
試合前にもザシークが登場してタイガージェットシンを挑発。
これに怒ったタイガージェットシン。
ザシークをサーベルで滅多打ち。
まあ滅多打ちっちゅうほどでもなかったが。
そのリベンジで試合後にザシークが乱入してタイガージェットシンを急襲。
YouTube見てるとタイガージェットシンも流血してんだよな。
リアルの放送時にはこのシーンはカット。
当時の雑誌にもそこまでは写されてなかった。
しかしザシークのナイフ攻撃でタイガージェットシンも流血していた。
このYouTube見て初めて知った。
蔵前国技館全体が大ザシークコール。
新日本プロレスリングから移籍してきたタイガージェットシンはまだ余所者というイメージ。
ザシークは既に全日本プロレスリング常連。
観客も『ここは全日本プロレスリングだ』と言わんばかりの大ザシークコール。
結果的にザシークの乱入はジャイアント馬場とジャンボ鶴田を助ける形に。
試合後も二人はタイガージェットシンと上田馬之助にやられていた状況だった。
そこにザシークが登場。
長い棒でタイガージェットシンと上田馬之助を蹴散らす。
1982年にも二人の抗争は見たかったが。
結果的にザシークはこのシリーズを最後に来日しなくなったのだが。 良い場面だったのにこの後のハンセン登場に持って行かれた印象 鶴田が苗字だけになってるぞ、ちゃんとフルネーム書けよ Cカーニバルにはバラクーダやアサシンのような思わぬ伏兵が星取りを面白くしてたけど
最強タッグってあまりそんな役割は存在しないな。はっきりと優勝戦線チームと白星配給が
分かれてるのが多かった。 シン、上田がクリーンファイトする素振りを見せて
馬場、ドリーを困惑させる場面が大好きだった 成長著しい弟のドスカラスというフレーズが
何故か記憶に残っている・・・ 昔はあまりプロレスリングに詳しくない奴はミルドスカラスと勘違いしていた。 84年のキッド&スミス戦はTV放送がなかったらしいけど、最近のCSでも放送されないの? テレビマッチでの試合なら残ってるのもあるはず。
ただダイナマイトキッド デイビーボーイスミスの試合が放送されなかったのは勿体ない。
契約上の問題で仕方ないが。
まあ彼等は全日本プロレスリングに移籍して正解だったろうな。
もしも新日本プロレスリングに残っていたらどうだったか?
デイビーボーイスミスはどちらにせよ体重増やしてヘビー級になっただろう。
後々のデイビーボーイスミスは体重130の大型パワーファイターになったし。
でもゆくゆくは埋もれていたかも。
全日本プロレスリングでは埋もれる事はなかったが。
まあデイビーボーイスミスはスティーブウイリアムスにも遜色ない体になってたからなあ。
1990年頃には。 一度でいいから「全米を震撼させた」と言われるヤマハ・ブラザースに出場して欲しかった。 >>70
なんの興味もないわ
極道コンビと対して変らんだろ >>72
88年のように4週間もやった訳じゃないのに何でそんなに早かったんだ? あと同時に分裂後最初の最強タッグの開幕日
とにかくここまでこれたという感慨もさりながらハンセンの引退発表そしてなかなかリングに入れないセレモニーでのブレアースの老いぶりが衝撃だった 今日は歴代最高の大会場ラッシュな83年大会の開幕日 あの時は相当に悩んでいたのを後押ししたのがターザン 今日はハンセン初参加の82年大会開幕戦
あのリッキー・ジェイとの名勝負も >>79
当初の予定通りシン(Pは上田)とゴディ(初来日、Pはスコット・アーウィン)が参加していればもっと見所の多いシリーズになっただろう。 あとレイスのパートナーがスヌーカだったらか
ゴディが後にビルと組むのを考えても興味深い 今日は小橋初優勝の日まさか三連覇まで行くとは想像も出来なかったが >>79-81
リッキーとスコット・アーウィンはガニアキャンプの同期生 馬場が骨折しなかったらあの年はどういう結末になったの?
まさか馬場の骨折自体が芝居ってことはないよね? 龍艦砲が五輪コンビを破って全勝優勝を飾った後のインタビューの途中で,
控え室に引き上げる鶴田に向かって「鶴田,鶴田,コノヤロー!」と叫んだのが印象的。
本当は「鶴田ありがとう」といいたかったけれど,涼しい顔で引き上げる様子を
見ていたらムカッときてついバカヤローって言っちゃったんだとか。 馬場・輪島組に敗れたあと,ハル薗田の遺影に向かって深々と頭を下げ,合掌したブッチャーに
涙が出た。 90年の開幕前にやった「最強タッグ激闘の歴史」が好きだわ
その年に見始めたばっかりで勉強になったし
最後にオリンピアに乗せて若林による史上最多のチーム紹介、いまだにソラで言えるw >>87
このシーンは俺も好き
その後ハンセンのウィーが印象強い
残念なのが天龍とハンセンが組んでた事を
知らないファンが多いのが・・・・ 85年は引き分けだらけの酷い大会だったが
優勝したハンセンの笑顔だけはすごくよかった
高熱だったという設定は忘れてください 85年大会は個人的には好きだった。
引き分け続出は実力拮抗だったからだし、何より新日(ジャパン)選手の初参戦は新鮮だった。
開幕のvs血盟軍も好勝負。馬場vs長州の初対決がノーTVなのは返す返すも残念だけど。 82年〜85年頃に新日、全日が年末のタッグリーグ戦に
優勝戦に絡まないクラスの選手の貸し出しをやっていれば夢があった。
最強タッグに坂口&健吾、星野&荒川、MSGタッグに極道、石川&渕とか。 85年大会か86年は
ロード・ウォリアーズに参戦して欲しかった
スケジュール的に難しいが、
10日限定参戦で
特に86年は地味だっただけに・・・・ 1984年の優勝決定の直前。
鶴田がブロディを卍固めで締めあげているとき、寸前で鶴田の頭を下げて自分が
ハンセンのラリアットを食らう天龍の献身ぶりがステキ。 >>96
同意
名誉の反則勝ち
この大会の面子も過去最高! 今日はあの12/13。何やらウエスタンハットをかぶった大男が… 1983年かな。
ハンセン・ブロディ組VSマスカラス兄弟の一戦は楽しみにしてたけど,
思いのほか実力差がはっきりしちゃってて悲しかった。 インポでも、ダッチョでも、エブリバディロケンロール! 若乃花,貴乃花ブラザーズに参加して,不穏な空気を醸し出してほしかった。 それだったら、
86年ころに巨人の駒田が全日本に入団して
馬場 駒田 組が見たかった! 最強タッグっちゅうたら仲田龍の声の響きを思い出す。
懐かしい。 ジャイアント馬場、ラジャ・ライオン組を見たかった。 87年にブッチャーが復帰しなければシンは参加したんじゃないかな? >>114
ジェイソンザテリブルはもっともっと全日本でみたかったよな。
彼が全日本に定着していたらと考えると残念でたまらないねぇ。
間違いなく全日本向きのファイターだったよな。 テリブル、フォール負けなしだったかな。優遇されていた印象。 連投すまん。
1989年にスパイビーが来なくなって予定していたゴディとのコンビ消滅したけど
その後最初の予定ではボブオートンだったがそれみたかったよな。
この年新日本に参加していたからネックになったらしいが
鶴田、天龍、ハンセンとの絡みは見たかった。
あとまたスパイビー絡みだがスカイスクレイパーズも見たかったな。
ハンセン、ウイリアムス、エースが猛反対して没になったが
元子さんは楽しみにしていたらしいが。 シッドってそんなに評判悪かったんだ?
ハンセン、エースはわかるが、ウイリアムスまで止めたとは! 非力のビルだったからこそ殺人魚雷の結成のインパクトも高くなった テリゴのパートナーがビルアってのも物足りなかった。
スティウィとはこの89年は物理的に無理だし。
フリバ時代のマイヘや非力だがバディロの方が話題性あった。 おとぉーちゃんのワッチョイ、ゲロゲロwwwwww ブッチャー&シン × ゴディ&アーウィンは良かった。
ようつべで見ても良さが伝わってくる。
当時は武道館に見に行ったが、凄く盛り上がっていたし。 当日はブルドッグスvsカンナムに義兄弟vsフットルースもあったな >>85
その可能性はあったよね。
SWSとの裁判もあったのかもしれないし、
シュートに専念するからプロレスは休ませていただきますだったかも。 札幌でハンセン&スパイビーに勝っていたらあの時点で優勝だったか >>126
四者四様にうまく見せ場があってそれぞれの良さが発揮されてた。
ただ、あの観客のコールはいただけない。 この日はタジェシがジャンツに初のフォール負けだったのだ。
試合後にアブチャとまさかの乱闘を。
まさか開幕戦から仲間割れ騒動を起こすとは予想外。
この89最強タッグでアブチャ、タジェシ組はお互い二回づつのフォール負け。
タジェシはこのジャンツ、ヤツヨシ組とリュウゲン、スタハ組。
アブチャはダイキ、デイスミ組とジャイバ、ラシャキ組。
でもジャイバ、ラシャキ組との試合はノーテレだった。
だからテレビマッチで放送されたのはタジェシ二回にアブチャ一回。 クロファットとファーナスがもう少し大きかったらなあ。
でもこの二人がマスク被ってメキシコでアレンと組んだ試合があった。
週プロに出てた。
カンナムがマスクってのも意外だったが、アレンと組んだのも意外。
92年頃だったかな? 田上の試合で唯一感動したのが、99年、ハンセン田上組 ハンセンは正式参加の82年まで十七年連続参加なんだよな
外国人としては当然に最高記録で 17年連続はすごい
90年代は優勝できなかったね。 それでも最後の二回に決勝進出してるのが凄い
結局一番組んだ数が多かったのはブロディで ハンセンのパートナー
82年ブロディ
83年ブロディ
84年ブロディ
85年デビアス
86年デビアス
87年ゴディ
88年ゴディ
89年天龍
90年スパイビー
91年スパイビー
あとはゴッチャでわからん。
馬場、大森、ベイダー、田上、ダンカンJrか。 ブロディ
デビアス
ゴディ
天龍
80年代はそれぞれパートーナー変えて4回優勝。
90年以降は優勝はなかったが、準優勝は何度も。
ほぼ毎回準優勝じゃなかったか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています