世界最強タッグ決定リーグ戦2 [無断転載禁止]©2ch.net
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90年代だといつものメンバー+ハヤブサ・人生やWWFから
ブラックジャックスが参加した97年が好き 最強タッグでもポイント的存在だったカンナムエキスプレス 80年代で一番つまらなかったのは時間切れ引き分け連発の85年
でも
木村、原 vs キッド、スミス
木村、原 vs レイス、バー
のフルタイム試合は見たいな 85年となればレイスとニックの公式戦対決
バーとカートの対戦もテレビで見たかった 完全決着を基本線にした1989年はつまらんかった
リーグ戦には両リン無得点が。得点争いを面白くしてたのが分かった >>12
新日本では全ての引き分けが同点なのに全日本では時間切れ以外では点にならないのが最大相違 後楽園で観戦したファンクスvsキッドスミス、非常に盛り上がったいい試合だった。 >>14
全日の得点勘定の方が分かりやすかったな。 新日はTV2週目で勝点10とか15だから全日の感覚だと驚いた 新日本はリーグ戦ごとに微妙に得点配分が違う
勝ちにおいてフォールかギブアップが五点は基本だが反則かリングアウトの場合は四点だったり三点だったり 俺も87年が一番好きだな。
この年は思い切って馬場&鶴田の師弟コンビで参加してほしかったよ。
谷津のパートナーは不在になるけど 谷津でなければ鶴田のパートナーは三沢タイガーだったかな
谷津のパートナーは仲野かあるいは俊二を戻したか ・最強タッグ・MSGタッグ&IWGPタッグ
双方に参加したコンビ
シン 上田
ブロディ スヌーカ
長州 谷津
双方に参加したレスラー
ハンセン カーン アンドレ ドス マシーン (戸口も?)
※昭和限定 ブッチャーとマードックは双方には参加せず、
マードックは意外にも最強タッグには参加しなかった。
ブッチャーとの問題から?
逆に最強タッグ常連のブッチャーはご存じMSGタッグには不参加。
双方に参加したのは他にいたっけ? >>21
戸口はキム・ドクとして最強タッグに参加。 >>21
シン&上田は二年連続で双方に参加
ブロディ&スヌーカは全日本復帰後にもUターン参加 81最強タッグ出場した父ラリーと85に出場した息子カートのへニング親子 AWA王者まで細身だったカートがまさかあそこまでガッシリした身体になるとは 木村が馬場にラリアット食らわした時の意味不明感がすごかった。 ラッシャー木村はバッドニュースアレンにも意味不明な不意打ちラリアットを。
展開が読めないアングルはわかりづらいわ。 あの頃はプロレス雑誌とか全く見てなかったんで、訳分からなかった
んだが、木村は何かコメントとか出してたの? >>28
その前からセコンドに剛が姿を見せるなど不穏な空気が出始めたのも あの愛知県体育館での仲間割れは見ていても『?』だったな。
剛竜馬と鶴見五郎も出てきたな。
ラッシャー木村の使い道は全日本プロレスリングに敵対しかなかっただろう。
この時期には。
まさかこの時期からジャイアント馬場を『アニキ』ってわけにゃいなんだろ。
取り敢えずヒール枠っちゅう事でタイガージェットシンやジプシージョーと組んだり。
かつては国際プロレスリングで死闘を繰り広げたジプシージョーと組むラッシャー木村。
当時を見てきた者からしたら複雑な心境だったろう。 あの愛知県体育館での仲間割れは見ていても『?』だったな。
剛竜馬と鶴見五郎も出てきたな。
ラッシャー木村の使い道は全日本プロレスリングに敵対しかなかっただろう。
この時期には。
まさかこの時期からジャイアント馬場を『アニキ』ってわけにゃいなんだろ。
取り敢えずヒール枠っちゅう事でタイガージェットシンやジプシージョーと組んだり。
かつては国際プロレスリングで死闘を繰り広げたジプシージョーと組むラッシャー木村。
当時を見てきた者からしたら複雑な心境だったろう。 あの愛知県体育館での仲間割れは見ていても『?』だったな。
剛竜馬と鶴見五郎も出てきたな。
ラッシャー木村の使い道は全日本プロレスリングに敵対しかなかっただろう。
この時期には。
まさかこの時期からジャイアント馬場を『アニキ』ってわけにゃいなんだろ。
取り敢えずヒール枠っちゅう事でタイガージェットシンやジプシージョーと組んだり。
かつては国際プロレスリングで死闘を繰り広げたジプシージョーと組むラッシャー木村。
当時を見てきた者からしたら複雑な心境だったろう。 馬場をジャパンの主力陣に絡ませにくいので対馬場要員という印象
しかしこの時の木村は鶴田や天龍をも圧倒するだけの凄みがあった まあジャイアント馬場がジャパンプロレスリング勢を全面的に相手はできないわな。
ジャイアント馬場は長州力を明らかに格下と見ていたし。
世代的にも弟子のジャンボ鶴田や天龍源一郎と同年代の長州力。
そんな長州力と自分が対等になれるわけがない、との思いで。
そういう面ではラッシャー木村の方がジャイアント馬場と合っているのは明らか。
この頃から全日本プロレスリングでも外人ではなく日本人の軍団勢力図が激しくなった。 翌年では武道館での最後のPWF防衛の相手にも起用していたし ラッシャー木村の人生を通じて。
大人しいおっちゃんでも『あの人は若い頃は本当に無茶苦茶ばかりの暴れん坊で強かった』
っちゅうのを思い浮かべる。
そういうおっちゃんいんだろ。
今はすっかり丸くなって、体も痩せ細って。
でも昔はゴツくて強くて凄かったっちゅうのが。
悪役商会でマイク時代のラッシャー木村しか知らない人が国際プロレス時代を知って驚いた。
そんな話を聞いた事ある。
特に国際プロレス時代に金網デスマッチで名だたるヒールを叩きのめして。
自分も相手も大流血の凄惨な試合。
逆に全日本プロレスリング初来日のスタンハンセンを知って驚いたっちゅうのもいた。 >>37
そもそも武道館での馬場のPWF防衛戦はこの1回だけだし。 豪華外人コンビと、ロード・ブレアース会長が来るあの頃がなつかしい ハンセン・ブロディとゴディ・ウィリアムスなら
どんな勝負になっただろうな。 やはり81年最強タッグの蔵前かな
バケツ一杯の土砂をブッ掛けたのが強烈 84年が一番豪華と思う。
ハンセン ブロディ
鶴田 天龍
ファンクス
レイス ニック
キッド スミス
馬場 木村
シン ショー 1981年
ブロディ&スヌーカ、馬場&鶴田、ファンクス、レイス&Lヘニング、シン&上田、シーク&ルーイン、ラシク&クラップ、
天龍&原、大熊&小鹿
1984年
ハンセン&ブロディ、鶴田&天龍、ファンクス、レイス&ニック、キッド&スミス、馬場&木村、シン&ショー
1985年
ハンセン&デビアス、鶴田&天龍、長州&谷津、馬場&ドリー、レイス&バー、キッド&スミス、ニック&Kヘニング、木村&原
1987年
ハンセン&ゴディ、ブロディ&スヌーカ、鶴田&谷津、ファンクス、天龍&原、ブッチャー&TNT、馬場&輪島、タイガー&仲野、
カブキ&テンタ、ジンク&ターミネーター、ヤングブラッド兄弟、木村&鶴見
1990年
ゴディ&ウィリアムス、ハンセン&スパイビー、鶴田&田上、三沢&川田、ファンクス、馬場&アンドレ、ブッチャー&キマラ2、
エース&小橋、キッド&Jスミス、ランドオブジャイアンツ、木村&井上、スレーター&ディートン、ファーナス&サンタナ
豪華なのは87年か90年だな >>46
砂ぶちまけも強烈な印象だが
終盤に急所打ちを食らった馬場が物凄い倒れ方をするのも必見w あの試合後にザシークが乱入。
試合前にもザシークが登場してタイガージェットシンを挑発。
これに怒ったタイガージェットシン。
ザシークをサーベルで滅多打ち。
まあ滅多打ちっちゅうほどでもなかったが。
そのリベンジで試合後にザシークが乱入してタイガージェットシンを急襲。
YouTube見てるとタイガージェットシンも流血してんだよな。
リアルの放送時にはこのシーンはカット。
当時の雑誌にもそこまでは写されてなかった。
しかしザシークのナイフ攻撃でタイガージェットシンも流血していた。
このYouTube見て初めて知った。
蔵前国技館全体が大ザシークコール。
新日本プロレスリングから移籍してきたタイガージェットシンはまだ余所者というイメージ。
ザシークは既に全日本プロレスリング常連。
観客も『ここは全日本プロレスリングだ』と言わんばかりの大ザシークコール。
結果的にザシークの乱入はジャイアント馬場とジャンボ鶴田を助ける形に。
試合後も二人はタイガージェットシンと上田馬之助にやられていた状況だった。
そこにザシークが登場。
長い棒でタイガージェットシンと上田馬之助を蹴散らす。
1982年にも二人の抗争は見たかったが。
結果的にザシークはこのシリーズを最後に来日しなくなったのだが。 良い場面だったのにこの後のハンセン登場に持って行かれた印象 鶴田が苗字だけになってるぞ、ちゃんとフルネーム書けよ Cカーニバルにはバラクーダやアサシンのような思わぬ伏兵が星取りを面白くしてたけど
最強タッグってあまりそんな役割は存在しないな。はっきりと優勝戦線チームと白星配給が
分かれてるのが多かった。 シン、上田がクリーンファイトする素振りを見せて
馬場、ドリーを困惑させる場面が大好きだった 成長著しい弟のドスカラスというフレーズが
何故か記憶に残っている・・・ 昔はあまりプロレスリングに詳しくない奴はミルドスカラスと勘違いしていた。 84年のキッド&スミス戦はTV放送がなかったらしいけど、最近のCSでも放送されないの? テレビマッチでの試合なら残ってるのもあるはず。
ただダイナマイトキッド デイビーボーイスミスの試合が放送されなかったのは勿体ない。
契約上の問題で仕方ないが。
まあ彼等は全日本プロレスリングに移籍して正解だったろうな。
もしも新日本プロレスリングに残っていたらどうだったか?
デイビーボーイスミスはどちらにせよ体重増やしてヘビー級になっただろう。
後々のデイビーボーイスミスは体重130の大型パワーファイターになったし。
でもゆくゆくは埋もれていたかも。
全日本プロレスリングでは埋もれる事はなかったが。
まあデイビーボーイスミスはスティーブウイリアムスにも遜色ない体になってたからなあ。
1990年頃には。 一度でいいから「全米を震撼させた」と言われるヤマハ・ブラザースに出場して欲しかった。 >>70
なんの興味もないわ
極道コンビと対して変らんだろ >>72
88年のように4週間もやった訳じゃないのに何でそんなに早かったんだ? あと同時に分裂後最初の最強タッグの開幕日
とにかくここまでこれたという感慨もさりながらハンセンの引退発表そしてなかなかリングに入れないセレモニーでのブレアースの老いぶりが衝撃だった 今日は歴代最高の大会場ラッシュな83年大会の開幕日 あの時は相当に悩んでいたのを後押ししたのがターザン 今日はハンセン初参加の82年大会開幕戦
あのリッキー・ジェイとの名勝負も >>79
当初の予定通りシン(Pは上田)とゴディ(初来日、Pはスコット・アーウィン)が参加していればもっと見所の多いシリーズになっただろう。 あとレイスのパートナーがスヌーカだったらか
ゴディが後にビルと組むのを考えても興味深い 今日は小橋初優勝の日まさか三連覇まで行くとは想像も出来なかったが >>79-81
リッキーとスコット・アーウィンはガニアキャンプの同期生 馬場が骨折しなかったらあの年はどういう結末になったの?
まさか馬場の骨折自体が芝居ってことはないよね? 龍艦砲が五輪コンビを破って全勝優勝を飾った後のインタビューの途中で,
控え室に引き上げる鶴田に向かって「鶴田,鶴田,コノヤロー!」と叫んだのが印象的。
本当は「鶴田ありがとう」といいたかったけれど,涼しい顔で引き上げる様子を
見ていたらムカッときてついバカヤローって言っちゃったんだとか。 馬場・輪島組に敗れたあと,ハル薗田の遺影に向かって深々と頭を下げ,合掌したブッチャーに
涙が出た。 90年の開幕前にやった「最強タッグ激闘の歴史」が好きだわ
その年に見始めたばっかりで勉強になったし
最後にオリンピアに乗せて若林による史上最多のチーム紹介、いまだにソラで言えるw >>87
このシーンは俺も好き
その後ハンセンのウィーが印象強い
残念なのが天龍とハンセンが組んでた事を
知らないファンが多いのが・・・・ 85年は引き分けだらけの酷い大会だったが
優勝したハンセンの笑顔だけはすごくよかった
高熱だったという設定は忘れてください 85年大会は個人的には好きだった。
引き分け続出は実力拮抗だったからだし、何より新日(ジャパン)選手の初参戦は新鮮だった。
開幕のvs血盟軍も好勝負。馬場vs長州の初対決がノーTVなのは返す返すも残念だけど。 82年〜85年頃に新日、全日が年末のタッグリーグ戦に
優勝戦に絡まないクラスの選手の貸し出しをやっていれば夢があった。
最強タッグに坂口&健吾、星野&荒川、MSGタッグに極道、石川&渕とか。 85年大会か86年は
ロード・ウォリアーズに参戦して欲しかった
スケジュール的に難しいが、
10日限定参戦で
特に86年は地味だっただけに・・・・ 1984年の優勝決定の直前。
鶴田がブロディを卍固めで締めあげているとき、寸前で鶴田の頭を下げて自分が
ハンセンのラリアットを食らう天龍の献身ぶりがステキ。 >>96
同意
名誉の反則勝ち
この大会の面子も過去最高! 今日はあの12/13。何やらウエスタンハットをかぶった大男が… 1983年かな。
ハンセン・ブロディ組VSマスカラス兄弟の一戦は楽しみにしてたけど,
思いのほか実力差がはっきりしちゃってて悲しかった。 インポでも、ダッチョでも、エブリバディロケンロール! 若乃花,貴乃花ブラザーズに参加して,不穏な空気を醸し出してほしかった。 それだったら、
86年ころに巨人の駒田が全日本に入団して
馬場 駒田 組が見たかった! 最強タッグっちゅうたら仲田龍の声の響きを思い出す。
懐かしい。 ジャイアント馬場、ラジャ・ライオン組を見たかった。 87年にブッチャーが復帰しなければシンは参加したんじゃないかな? >>114
ジェイソンザテリブルはもっともっと全日本でみたかったよな。
彼が全日本に定着していたらと考えると残念でたまらないねぇ。
間違いなく全日本向きのファイターだったよな。 テリブル、フォール負けなしだったかな。優遇されていた印象。 連投すまん。
1989年にスパイビーが来なくなって予定していたゴディとのコンビ消滅したけど
その後最初の予定ではボブオートンだったがそれみたかったよな。
この年新日本に参加していたからネックになったらしいが
鶴田、天龍、ハンセンとの絡みは見たかった。
あとまたスパイビー絡みだがスカイスクレイパーズも見たかったな。
ハンセン、ウイリアムス、エースが猛反対して没になったが
元子さんは楽しみにしていたらしいが。 シッドってそんなに評判悪かったんだ?
ハンセン、エースはわかるが、ウイリアムスまで止めたとは! 非力のビルだったからこそ殺人魚雷の結成のインパクトも高くなった テリゴのパートナーがビルアってのも物足りなかった。
スティウィとはこの89年は物理的に無理だし。
フリバ時代のマイヘや非力だがバディロの方が話題性あった。 おとぉーちゃんのワッチョイ、ゲロゲロwwwwww ブッチャー&シン × ゴディ&アーウィンは良かった。
ようつべで見ても良さが伝わってくる。
当時は武道館に見に行ったが、凄く盛り上がっていたし。 当日はブルドッグスvsカンナムに義兄弟vsフットルースもあったな >>85
その可能性はあったよね。
SWSとの裁判もあったのかもしれないし、
シュートに専念するからプロレスは休ませていただきますだったかも。 札幌でハンセン&スパイビーに勝っていたらあの時点で優勝だったか >>126
四者四様にうまく見せ場があってそれぞれの良さが発揮されてた。
ただ、あの観客のコールはいただけない。 この日はタジェシがジャンツに初のフォール負けだったのだ。
試合後にアブチャとまさかの乱闘を。
まさか開幕戦から仲間割れ騒動を起こすとは予想外。
この89最強タッグでアブチャ、タジェシ組はお互い二回づつのフォール負け。
タジェシはこのジャンツ、ヤツヨシ組とリュウゲン、スタハ組。
アブチャはダイキ、デイスミ組とジャイバ、ラシャキ組。
でもジャイバ、ラシャキ組との試合はノーテレだった。
だからテレビマッチで放送されたのはタジェシ二回にアブチャ一回。 クロファットとファーナスがもう少し大きかったらなあ。
でもこの二人がマスク被ってメキシコでアレンと組んだ試合があった。
週プロに出てた。
カンナムがマスクってのも意外だったが、アレンと組んだのも意外。
92年頃だったかな? 田上の試合で唯一感動したのが、99年、ハンセン田上組 ハンセンは正式参加の82年まで十七年連続参加なんだよな
外国人としては当然に最高記録で 17年連続はすごい
90年代は優勝できなかったね。 それでも最後の二回に決勝進出してるのが凄い
結局一番組んだ数が多かったのはブロディで ハンセンのパートナー
82年ブロディ
83年ブロディ
84年ブロディ
85年デビアス
86年デビアス
87年ゴディ
88年ゴディ
89年天龍
90年スパイビー
91年スパイビー
あとはゴッチャでわからん。
馬場、大森、ベイダー、田上、ダンカンJrか。 ブロディ
デビアス
ゴディ
天龍
80年代はそれぞれパートーナー変えて4回優勝。
90年以降は優勝はなかったが、準優勝は何度も。
ほぼ毎回準優勝じゃなかったか? 暮れの風物詩のサイキョタグリ。
昭和の頃は夢の顔合わせが幾つもあった。 90年以降は毎回同じ様なチームだったなあ。
だから優勝チームもハッキリわからない。
90年以前の方が参加チームが異なってわかりやすかった。 分裂後の2000年大会はある意味で実に新鮮
渕が初の武道館メイン登場とか 昭和は年末はサイキョタグリとエムエタヴリの季節だった。
年間通じてシンニプロレが優勢でも年末タグリ戦はゼンニプロレが優勢。
シンニプロレっちゅうかアノキ自体がタグリ戦を重要視してなく。
ゼンニプロレはサイキョタグリには力を入れており。
またサイキョタグリはザファン主役のシリーズでもあって。 90年の最強タッグで自分の地元に来てうれしかったな(北海道)。ふだんは雑誌にも
載らない場所だがこの時は取材陣もいて第一試合から写真とってて、なんか興奮した。
地方ならではのユルユル興行でなく、TVで見るような試合ばっかりで今でも憶えている 90年から全日もガラリと変わり、最強タッグは逆にマンネリ気味に。
この年以降は同じメンバー、同じチームばかりに。
特に主力陣は毎年同じチームになって完全にマンネリ。 97年にハヤブサ&人生、WWFからブラックジャックスが参加したときは
新鮮でワクワクしながら見てた。 >>157
個人的には参加チームを解体してハンセン&バリーとブラッドショー&ダンカンのムスタングスが見たかったな。 ハンセン、ベイダーが最後の凄いチームだった。
でもお互いに40過ぎてkpれだけの迫力醸し出してたチームはないな。
ハンセン、ブロディ(共に30代)
ウォリアーズ(共に20代、30代)
ハンセン、ゴディ(30代、20代)
ゴディ、ウイリアムス(20代、30代)
ハンセン、ホーガン(30代、20代)
ベイダー、ビガロ(共に30代)
お互いに40過ぎてこれだけのチームはやはりいない。 >>156
俺も80年代から見ていたが
お前の発言は恥ずかしいぞ!
>主力陣は毎年同じチーム
たとえば三沢が、川田→小橋→秋山→小川
とパートナーを変えたのも知らんのか!?
オブライトやベイダーが参加して盛り上がったのも
知らんのか?
ただ、おまえの興味がなくなっただけだろ?
典型的な爺の愚痴だ。 >>135 自分は97年以降かな?鎖国がなくなりいろんな選手が上がるようになった時かな? >>159
確かに二人は40越えて組んだけど年齢を感じさせなかったね。
むしろ二人より若い相手もパワーと勢いで圧倒して。 昭和の頃は参加チームの発表が待ち遠しかった。
あと全部の公式戦の発表も。
その前に各雑誌で参加チームの予想。
これも好きだったな。
『●●と■■がコンビ結成で殴り込みの情報』とか。
こういうのは大概がマスコミ側が勝手に創作して記事にして。
実際には参加しないパターン。
でもそういう記事にハラハラしたな。
そして放送終了間際での最強タッグ参加チーム発表も大好きだった。
赤い画面に緑の文字が定番。
バックにはカクトウギのテーマ、或いはコモドアーズ?(だっけ?)と。 >>166
興奮したねぇ!
毎回優勝争いとは別に参加メンバーで話題があったりして本当にワクワクしたよね。 オリンピアが流れる時期シリーズ予告でワクワクしたな 最強タッグでは馬場とハンセン等日頃見られる試合は放送して欲しくなかったな。
こういう時にしか見る事ができない試合を優先して放送して欲しかった。
ファンクスとハンセン絡みは最強タッグでも名物だったが。 >>171
81年馬場さん中堅外国人との両リン決着多いなあ >>155
テレビ中継の札幌と馬場さんが骨折した帯広しか思い出せないんだけど、あなたが行ったのは釧路か旭川? >>157>>158
97年2戦目の後楽園でブラックジャックスの入れ替わりを生で観た時は最高だったよ。
あとハンセン組が開幕2連敗したことに時の流れを感じた。昔はハンセンのチームは優勝候補だったのに。翌年から巻き返すけど。 >>144
諏訪魔は5年連続準優勝だっけ?しかもパートナーが全て違ったはず。ある意味、凄い。 ハンセンはパートナー変えて最多出場
82年ハンセン&ブロディ(準優勝)
83年ハンセン&ブロディ(優勝)
84年ハンセン&ブロディ(準優勝)
85年ハンセン&デビアス(優勝)
86年ハンセン&デビアス(準優勝)
87年ハンセン&ゴディ(準優勝)
88年ハンセン&ゴディ(優勝)
89年ハンセン&天龍(優勝)
90年ハンセン&スパイビー(準優勝)
91年ハンセン&スパイビー(準優勝?)
あとは年代忘れたが。
ハンセン&オブライト
ハンセン&馬場
ハンセン&ベイダー(準優勝)
ハンセン&田上(準優勝)
ハンセン&ダンカンJR 92エース
95オブライト
93当初はデビアス
93,94馬場
98ベイダー
99田上
97ダンカンジュニア
96大森だね。
あと引退しちゃったけど2000年はケアと組んで出る予定だったらしい。 >>179
97年はハンセン&ベイダーじゃなかった?
5月の初ドームで初めて組んで最強タッグでもって。
20年前だから記憶がゴッチャだわ。 >>181
そっか、98年最強タッグ優勝戦はビデオに録って何度も見た。
表側に『98年最強タッグ優勝戦』と書いて。
ハンセン&ベイダーが小橋&秋山と。
最後はハンセンが丸め込まれて破れるも試合後に二人は大暴れ。
記憶が曖昧だ。 >>177
武藤も全部違うんだよな
たとえ優勝しても翌年は別チームで 馬場もコロコロ変えてる
82年 馬場、鶴田
83年 馬場、ドリー
84年 馬場、木村
85年 馬場、タイガー
86年 馬場、タイガー
87年 馬場、輪島
88年 馬場、木村
鶴田が天龍と組み始めてから馬場は毎回変わった。
85年86年がタイガーだったか。 >>187
あ、そっか、失敬。
なら尚更毎年バラバラだった。
82年〜88年までは。 ハンセン、小橋、本田、アンドレといろいろ組んだけど、馬場&小橋、馬場&本田は違和感あったな。 どう考えてもあれだけ外人呼んだらシリーズ赤字だろうけど
日テレから補填されてたんだろうな >>189
馬場・小橋の時はまだ一時間枠だったが最後の馬場・本田の時は公式戦がテレビ中継されていたかというくらいに印象が無い
とにかく札幌での馬場・小橋と三沢・川田の対戦はインパクトがあったな
それこそ新日本でいうなら猪木・西村と武藤・蝶野の対戦なくらいなだけに >>192
大阪の川田&田上vs馬場&本田は少し放送されたよ。
あの年のカンナムは駄目だったね。まさか馬場&本田に負けるとは思わなかった。 『世界最強タッグ決定リーグ戦』ってこれまでで一番長いシリーズだな。
40年も続いて。
それも途中で途切れることなく。
完全にブランドだね。
まあ今の最強タッグで優勝チームが『世界最強タッグ』かは全く別として。
『G1クライマックス』だって26年なのに。
『チャンピオンカーニバル』は途中で途切れたかんな。
あとはシリーズではないが、1/4ドームも26年か。 >>193
その大阪大会で前年返上したアジアタッグの新王者の秋山・大森にも負けたんだったか
そうなると最強タッグでのカンナムの最後のピークはやはりその前年の開幕戦での三沢・小橋との対戦か
あちらもかつてアジアタッグを争った中だがもしあそこでフルタイムに持ち込めていたら決勝戦ももっと面白かったかも 95年7月にエースとパトリオットは次期三冠挑戦者決定リーグ戦に出場。同じシリーズにカンナムはエース&パトリオットに勝利。その時は番狂わせだと思った。
しかし、その次のシリーズからのカンナムの急降下が凄かったな。 まさに禁断の世界タッグ挑戦だった印象
その前の6月では四天王ベストバウト戦も行われていただけに尚更
最強タッグでのカンナムとなるとどうしても89年のブルドッグス戦が代表だが92年のパトリオット・イーグルとの対戦も忘れ難い スミス&バンダムがアジアタッグ王者の秋山&大森に勝っても後に繋げないのは全日イズムw 秋山・大森のアジアタッグは個々が単発過ぎた
だから長い割りに記憶に残らない >>191
でも放映時間は夕方5時ていうどうでもいい枠で当時はソフトでの
2次販売ていう考えもないし日テレは大損だよな 馬場&鶴田組
天龍&原組
ザ・ファンクス
ハンセン&ブロディ組
マスカラス兄弟
ブッチャー&シーク組
シン&上田組
レイス&ニック組
キッド&スミス組
特参ウォーリアーズ
昭和に戻りこの10組でやってくれれば…
あ、スヌーカの相手がいない >>201
いいねえ。
スヌーカはリッキーと組ませたらいいかも。 >>200
同時間帯としては破格だったらしいがやはりゴールデンタイムに比べれば下げられてるんだよな
だからその分の差が日本テレビへの借金として蓄積されていくわけで日プロ時代に購入した土地もその担保に入っていたとか >>202
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw >>202
おお!リッキー忘れていた。
最強タッグに染まっていないウォーリアーズはやっぱり除外し
スヌーカ&リッキー組
この10組ならドームツアーも夢ではない…
おっさんの妄想でしたw >>205
俺も読んでてスヌーカのパートナー誰かいるか考えた。
レイスはニックと組んでるし。
したらリッキーを思い付いた。
逆にリッキーならフレアーってのもありだが。
リッキー、スヌーカ組なら実際に組んでも話題を呼んだと思う。 リッキーとスヌーカなら旧知の仲だから連携に問題はなさそう。 >>205
正直ドームどころかアリーナツアーも無理だろうな。 ライディーンに乗ってのリッキ−・スヌーカの入場場面なんて燃えてきそう まぁリッキースヌーカ組なら白星配給チームの次くらいの
扱いだろうな。 99年、グラジがいたらベイダー&グラジ組の予定だったらしいが、それでも小橋&秋山の二連覇だったかな?
どうせ小橋&秋山の二連覇というつまらない結果になったような気がするが。 バンベイ グラジなら強力コンビだな。
スタハとは一味違って。 >>212
グラジは大したことないからな
全ての技が大味
インディシーンで暴れるならそれでも充分だったけどね 馬場は常連外人優遇で初来日チームはわかりやすく白星配給に
してたな。スカイウォーカーズとかもっと売り出してもよかったのにと
思ったわ。木偶の坊でもデカいのはそれだけで貴重だから >>215
もしかしてランドオブジャイアンツのことか?? ランドオブジャイアンツがキッド&Jスミスに負けたのは意外だった。
ランドオブジャイアンツってそんなに悪いという感じでもないのに白星配給係になったな。 >>216
スカイウォーカーは個人名だったなw
巨人好きの馬場がなぜ冷遇したのか不思議だったがたぶん
1シリーズ契約だったので売り出す気なかったんだろうな。
生で見たけどやっぱりデカいレスラーは塩でもええわ >>218
コンビで再来日、マスターズは単独でも来てるよ。 サイキョタグリも90年以降は一気に変わったな。
ザファンやアブチャと大昔の面子もいればスティウィと新たな顔も。
スタハやテリゴの常連もおり。
ジャンツ、ミサミツと日本勢も充実して。 >>219
再来日のときにアンターテイカーズとかいう食わせ者が来てたなw
どっちかはECWのFBIに加入して用心棒キャラで少しブレイクしたけど 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
TQ0PQ >>217
あの時のキッドは前年に比べてかなり痩せてたな
結局は翌年のアジアタッグが最後の勲章に 93年の秋山エントリー外でスマザース&スリンガー組出場は疑問だったな。外国人サイドの6人タッグのジョバーとして呼んだんだろうけど。 そういえば今でも優勝賞金1千万円ってあるのかな?
10年くらい前の開幕戦で「優勝チームには賞金として1千万円贈呈します!」
ってアナウンスがあったとき会場から笑い声がおきて誰もそんなもの出ないって
分かり切ってた感じだったけど。 年末はサイキョタグリとエムエタグリの競演が良かった。
年末タグリは恒例だった。
そん中で夢の対決や異色対決が公式戦で組まれて。
年末タグリならではのカードも。
雑誌で参加メンバー発表を見るのが楽しみだった。 >>224
前年の大抜擢が他の不満や反発を呼んだのか最後の武道館でも秋山の扱いは低かったんだよな
確か悪役商会前の第二試合だったか リチャスいたなあ。
テリゴの甥で。
当時は若手というより少年だった。
でももう50近いだろ。
リチャス何やってんの?
体が軽量だったな。
テリゴ並の体ならまた違ったろう。 >>227
秋山、浅子vs小川、本田で2試合目だったと思う。確かにお笑いの試合の前だね。 >>231
小川アップ、浅子ダウンだったはず。
多聞はそのシリーズ、シングルで雅央に負けていたくらいで、翌年のあすなろ杯で多聞が浅子に勝って序列が変わった。
多聞はアマレスの実績があるのにそれをもっと活かせなかったかなあとは思う。 多聞はルックスも悪いし体がレスラーとは思えないほどだらしなかった
大剛のとこに放り込んで強制的にステ漬けすればいいのにと思った。
アマレスじゃプロレス界1の実績なんだけど何しに入ってきたのか
意味不明だった >>233
大剛って本当にステロイド使用だったのかな?
天山が大剛んとこいた時に『ステロイド使ったら即破門』みたいに言っていた。
それが雑誌にデカデカと記事にもなり。
それで実際に使ってたらなあ。
でも『プロレスに筋書きはない』と唄っておいて実際には『筋書きありき』。
しかも『筋書きないと絶対に成り立たない』とも。
蓋を空けたら、それがプロレス。
天山、小島といきなり体が膨らんだのも不自然だしなあ。
それも比較的短期間で。 >>233
多聞については分裂前のアジアタッグの顔といった印象
分裂が無ければ吉村や石川みたいにもう何人かと組んでいたのか >>235
ノアで池田みたいな細い奴にシングルで負けた時は哀しかったな。あんなアマレス強いのにもっと上手い使い方できなかったのかな。
髭と長髪が悪かったね。あれは外見が悪くなるだけ。 >>224
前年、優勝戦メイン出場の秋山がエントリー外に馬場は冷たいなと思った。
馬場・秋山組か秋山・本田組で出してほしかった。 馬場は最初不出場予定だったし本田はデビュー直後だった
やはり前年の抜擢が内部的な反発を呼んでそれを考慮した感じも >>236
ちょうど今日は分裂前最後のアジアタッグの日
相手は池田・ヨネだったんだよな >>238
抜擢といってもあの状況だと田上のパートナーは秋山しかいなかったと思う。
その「内部的な反発」がどういうものなのか詳しく聞かせてほしいものだ。 90年最強タッグは天龍なしだったが、三沢大ブレイクやゴディ、ウイリアムスと。
天龍いない穴埋めはじゅうぶんだった。
またファンクスやスレーターとかつての全日の顔も参加で。
アンドレも初参加。
また馬場より高いランドオブまで参加。
見所は沢山あった。
小橋はエースと組んだっけ?
小橋は90年は大抜擢されたし。
天龍がいなくなって全日自体はダメージ大きかった。
天龍以外でも10人近く抜けて。
でも三沢、川田、小橋はそれにより大抜擢でチャンスが回ってきた形に。 但しまだまだ力不足で最終戦の前で既に外人決勝は確定 >>240
渕でよかったんじゃないないの?田上のパートナー。
当時のJr.ベビーのチャンピオンだったし、
当時の田上はラフファイトも積極的にこなしていたから、同じようなファイトスタイルの渕の方がチームとしては機能したかも。
後日、三沢も『あっち(田上や渕、小川)がああゆうプレイ(ギロチンホイップや逆さ釣り)を指示されて明らかに躊躇していたもん』って話していたし。 渕の最初の最強タッグ初参加は結局三年後のドリーとのコンビだったんだよな
そしてドリーはそれが最後に ブッチャーとハンセンが唯一いない81最強タッグ。
しかしシンやブロディが初参戦で盛り上がっていた。
最後にあのようなサプライズがあったものの、それまでも盛り上がっていた。
シンとブロディの存在は大きかった。
それまでのブッチャー色をかき消すに存分に役立って。
当時の雑誌にもそう書いてあったな。 意外にもレイスは81年大会が初参加だった。
それまでは長期のNWA王者だったから参加できず。
81年 82年 84年 85年と参加。 ファンクス以外の元世界王者が参加しない79年と83年はマスカラス兄弟が参加
そう考えるとマスカラスの大物ぶりが尚更に実感 そう言えばレイスとマスカラスは最強タッグでは重なってないんだね。
マスカラスが最強タッグ二回しか参加してないのも意外。 レイスマスカラス組は武道館の前座のみ?高野も入っているが。 一宮産業会館ってカマタとロビンソンのPWF戦もあってローカルで小さいけど歴史に残る会場だな。 88年か89年にファンクスが参加していれば
vsブッチャー、シン組が実現していたのにね
1度は見たかった >>257
同意。
双方入れ違い。
つーかファンクスとシンが最強タッグでは入れ違いだな。
87年 シン不参加
88年 ファンクス不参加
89年 ファンクス不参加
90年 シン不参加(新日へUターン後)
最強タッグ以外でもどっかのシリーズで実現してたらなあ。
88年頃に実現したら双方が持ち味発揮しただろう。
でもやっぱり最強タッグの舞台が最も相応しい。 分裂後の全日にブッチャー、テリー、ドリーは来たけどシンだけは来なかった
元子さんと合わなかったのかな シンの最強タッグ初戦はいきなりファンクスだったんだよな 世界タッグ前の三大タッグ王者が揃い踏みしたのは86年大会のみ >>259
シンは馬場の兄弟弟子だから来てもおかしくなかったと思ったが。 初めて自腹でプロレス観戦したのが、88年後楽園大会だったなぁ
メインの馬場、木村対天龍、川田は凄いいい試合だった
天龍が馬場に雪崩式バックドロップを食らったときは会場大興奮、ラストは木村のマイクアピールを天龍がさせなかったんだよね〜
あの試合で完全なる天龍信者になってしまった
他にも外人勢がめちゃくちゃ豪華で当時5000円は安すぎるだろうと思ってたな〜 馬場・シン・アドニスでアトキンス門下
馬場とアトキンスの最後の接触はトロントでのインタータッグ戦でレフェリーを務めた時だったか 89年はスタイナーブラザ−ズを参加させたかったがようだがそれができず
その代わりにナスティーボーイズが参加になったらしい 89年はWCWと全日本はそこそこ交流があり
ゴディのパートナーも ルガーやウィンダムも候補になってたらしいな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ アーウィンは予想外に良かった印象。
優勝戦線に絡むのは無理でも。 アーウィンの非力が翌年の殺人魚雷誕生のインパクトをむしろ高めた感じも >>271
>>272
それらを鑑みれば、アーウィンは印象を残しつつ役割を全うしたってことだな。 ないとわかっていたが
96年にテリーファンクがグラジエーターを連れて参戦するなんて言ってたが >>273
最終戦でのブッチャー・シンとの対戦も大ウケだったし
>>274
流石に二回総当たりは出来なかったろうがオブライト・サブゥーとの対戦なんて面白かったかも アーウィンはシンやブッチャーと真っ向からやり合ったのが良かった。
あの試合は当時は放送されず。
後々に特番で放送された。
まあメインの優勝決定戦が長かったから。
でもあの試合も放送して欲しかった。
動画では何度も見たが、単純に面白い。
雑誌にも『大型外人四人のド迫力攻防は見応えあった』と書かれて。 海外で名のある売れてる選手を集めると、プライド高いし星取表の調整は難しいだろうな〜
まぁ、そういう時の為に両者リングアウトがあるんだろうけど。 >>267
ナスティボーイズは
「憎めない面白ヒール」として最適役だったのに、そのあと継続参戦させなかったのはもったいなかった
カンナムがベビー役でナスティボーイズと当たった試合なんかその典型というか、双方がピッタリとハマっていた
カンナムはこういうベビーやらせても上手いし、その後超世代や四天王とか相手にヒール役やらせても上手かった(クロファットがどっちでも柔軟に対応出来る司令塔だったのが大きい)
89最強タッグ終盤のナスティボーイズはカブキ高野組戦辺りを見る限り動きもだんだん良くなってたから、89最強タッグのみの参戦はホント惜しい
場合によっては悪役商会として馬場と戦うのもアリだったはず >>278
ナスティは次の新春ジャイアントシリーズの参加メンバーにも入っていたけどWWF入りでドタキャンになった模様。 ブルドッグスやマーテル・ジンクも似たパターンだったか 上位二チームの優勝決定戦は95年から
それ以前の同点決勝は86年が唯一 昔は最終戦メインで勝ったチームが優勝!って流れだよね。
メイン前に試合終わったチームで、メインの結果のおかげで優勝できたチームってある? 94年の三沢小橋だけじゃないか?
メインは川田組vsハンセン組だったので、当然川田組の優勝だと思ってたら裏切られた。
アクシデントだったのか、翌年から最終戦は公式戦組まず。 翌年からシステム自体を変えるあたりを考えると、
もう毎年バレバレだから変更しようと話になってたのかもね。 91年は
ハンセン&スパイビー(20点)vs鶴田&田上(18点)がセミ
三沢&川田(19点)vsゴディ&ウイリアムス(19点)がメイン
ハンセン組勝ったらメイン消化試合 >>287
ブッカーはどうしてこんな展開で書いたのかね
まあ理由があるとすれば一つしかない
リアルでやってるように見せるという意味で「こういうふうに劇的な流れにならないこともありますよ、ガチでやってるんですから」ってわざとそうしたんだろうな
それ以外にそういう流れにするメリットは全くないわけだから >>284
国際の第三回ワールドシリーズでも最終のゴッチ対ロビンソンが引き分けで待ちのロシモフが優勝 シングルのリーグ戦だと優勝予定者が定番の初戦負けや2連敗スタートってあるけど、
タッグ戦もそうだっけ? >>289
得点的に二連敗でも優勝が可能ならありそうだね。
過去の大会がどうだったかはわからないが。
81年最強タッグ開幕戦で優勝候補のファンクスがシン、上田にまさかの反則負け。
ファンクス連続優勝に早くも赤信号!とか煽っていた。
そのシン、上田が二戦目でもレイス、ヘニングから反則勝ちで一気に優勝候補へ。
雑誌にもそう書いてあった。
この当時は月刊誌だから雑誌だけでは煽り効果はないが。
この当時はまだ東スポは読んでなかったけど東スポならバンバン煽り記事並べただろう。
結果的に81年はファンクス優勝はなかったが。 >>291
81年はハンセン乱入の年か
当時、月刊誌しか読んでなかったからTV中継が自分にとっては一番早い情報だったが
ことハンセン乱入に関しては、東スポ読むような兄貴がいる友人がTV中継前にネタバレしやがって
サプライズ感が半減したのを覚えてる 放送開始でいきなりの「スタン・ハンセンだー!」に引っ繰り返った記憶が そういうサプライズは今の時代なかなか無理だろうな。
生中継も少ないし、あっても前日の東スポやネットでなんとなく噂話程度で流れる。
生中継中の完全な予定外のハプニング的で無いと。 原は借金問題だよね?
元々はラグビーの日本代表だったり国際プロレスだったり波乱万丈な人生だよな。 >>292
録画中継は様々だね。
事前に結果聞いて(知って)興味半減のケース。
また事前に聞かされた事により興味津々になるケース。
良し悪しだったと思う。
ハンセン乱入のも友人は事前に聞いたと。
それで『ウソだろ』と半信半疑に。
興味津々で中継を見たらその通りに。
まあ事前に試合結果知っちゃうのは興味半減の部分があるな。
最強タッグの優勝とかタイトルマッチの結果とか。 >>297
事前に結果を知ってしまって、それが両者リングアウトだとテンション下がってた。 1989年の開幕戦
シンが鶴田のバックドロップであっけなくピンフォール負け
両リン、反則決着無しをリーグ戦でもやるんだ、全日プロも変わったなと思った
でも両リン、反則決着無しのリーグ戦はつまらなかった >>201
スヌーカのパートナーはジェイソン・ザ・テリブルかバズ・ソイヤー、ジム・ブランゼルなんかもいい >>299
テーズ式でなくドリー式のバックドロップにフォールされた事でシンの凋落を実感
しかしそれを補って余りあるシン・コールの大爆発 >>299
その割にフットルースとカンナムの試合は引き分けだったな
アジア戦では必ずどっちかに決着つけてたのに最強タッグだけ引き分けってw
この最強タッグの時点ではフットルースがカンナムに一度取られたアジアを取り返した直後だったのでフットルースがアジア持ちの状態だったけど、
倉持アナが「上昇一途のカンナムによく勝てましたねえ」とか竹内さんに聞いていたw
年明けすぐにアジア戦があってそこではカンナムが勝ってまたタイトル移動したけど、フットルースはその後SWS騒動で冬木が抜けて自然消滅しちゃったからなあ
あれがなければもうしばらく争いが続いてたんだろうなあ、タイガー(三沢)小橋やSWS行っちゃった面々(高野とか仲野とか)も含めて多分違う盛り上がり方になってたんだろうなあ SWSへの大量離脱がなければ、本格ヘビーへの三沢のプッシュももっと遅かっただろうし、
天龍同盟も継続してただろうし、どうなってたかな?
鶴田・谷津・三沢組×ハンセン・天龍・川田or冬木組とかを頻繁にやってたかな? >>305
後のノア分裂後に高木と北原が巻いた時はまさに十年遅れのアジアタッグという感じだった
それでも小橋は確実にプッシュが進んだろうが 1983年は最終戦の結末が丸分かりで俺は×
最終戦前の生中継が更に興味を削いだ
馬場組がシン組に足を引っ張られ、鶴龍コンビが超獣組に叩きのめされる結末以外浮かばなかった
まあ前年のファンクスの反則勝ちもそうだが 超獣組があきらかに強過ぎなのでしかたがない。
負ける場合は反則しか無い。 >>304
天龍同盟は天龍の離脱直前ですでに解散してた。 天龍が残ってたらまた違う軍団になったか?
それとも鶴田との合体か? 全盛期の殺人魚雷が馬場のランニングネックブリーカーでゴディが寝たのはちょっと予想外だった
竹内さんも「入りましたよ!!」って予想外な驚き方してたなwww >>311
東京体育館の分を返してもらった感じだな >>310
鶴田との合体は無いでしょう。ただ三沢をどうしてたか。
天龍が離脱しなきゃ無理やり抜擢とかも無かっただろうし。 そう言えば最強タッグは東京体育館ではやらなかったな。
最終戦は蔵前は固定されてたし。
蔵前閉鎖後は武道館が固定されて。
旧東京体育館の閉鎖も蔵前閉鎖と大体同じ時期だったかな?
東京体育館自体は(高いせいか?)あまり頻繁には使われなかったし。
全日も新日も。
蔵前が都内主要会場で。
それでも新日は蔵前での年間興行率は多かったが、全日は少なかった。
蔵前興行乱発しても入らなくて赤字と踏んでたのか?
それなりのカード組めば全日の蔵前も入ったとは思うが。
80年〜84年頃でも。 >>246
94最強タッグ開幕戦の三沢・小橋vsカンナムは、なかなかいい試合だった。
実況の福沢がまさかの予感とか言ったすぐ後に決着がついたのは笑えるが…。
まぁ、あの試合があったから、パトリオット&エースが川田・田上と引き分けたり、スミス&ウルフが三沢・秋山と引き分けたりするブックを書きやすくなった可能性はあるかも。 >>316
三沢小橋が相手でも、カンナムがコンビネーションの良い合体攻撃を何発も決めると十分説得力あったからなあ
三沢に合体雪胴締め落としを決めた後、続けて合体雪崩れDDTやろうとしてたけど(小橋がカット間に合って決まらず)あれも三沢に決めるブックだったら面白かったんだがな
別の試合で菊地はアレ結構やられてたが、決まればカットない限り3カウント入れちゃって問題ないくらい超必殺技級の説得力はあったし
終盤小橋がムーンサルト行こうとした所を妨害して、クロファットが雪崩れリバースブレーンバスター(Jrのバンダム戦やチャンカンの秋山戦はこれでピン取った決め技)を決めた所が最高潮だったな
あの後になんか合体攻撃をさらに一発決めれば勝ちブックにしても説得力あるくらいの状態にまで行ってたからね >>317
最強タッグ開幕戦
後楽園ホール
カンナムの巧さと三沢組の上手さ
福沢の実況
この辺りが上手く噛み合った好カードだったね。 >>314
84年の最強タッグは東体じゃなくて2シリーズ連続開催となる横浜文体が最終戦だった。 福沢の実況はうるさいし、プロレスをバカにしたコメントもするし嫌いだった。 >>319
そうだね、この横浜大会に長州が初登場して。
長州効果で超満員だったみたいだし。
そう考えると長州は全日蔵前大会には登場してないんだよね。
蔵前閉鎖の直後だったし。 ある意味では全日両国大会の顔となったが
特に馬場体制で最後のテリー戦とか 意外にも最強タッグは両国では開催されなかったはず。
85年最終戦は武道館。
こっから馬場が全日が分裂するまで15年毎年最終戦は武道館。 >>318
福澤の実況だけは余計だなwあのバカうるせえんだよ。 福沢はプロレス実況を利用して名前を売りたかっただけだからな 総体的に不入り時代の全日でも最強タッグだけは客入りが良かった。 最強タッグは暮れのお祭り的なイメージあるから、お客が入ったのかな? >>328
90年代終盤は最強タッグでもダメだったが。 333だが、
今や『日本最弱タッグ決定リーグ戦』だな。
世界からもまともに呼べやしない。 まあ「世界最強」のタイトルについては最初から物言いが付けられていたが
プレ日本選手権でもバックランドを一日招聘したのはやはり現役王者ニック参加への対抗か タイトルや名前については昔からどこの団体も一緒で、言ったもんかち。
最強やら世界やら関係ない。 新体制の全日になってからは『最強タッグ』『Cカーニバル』は廃止すべき。
三沢達が抜けてもう18年。
その時点で全日本プロレスではなくなり。
最強タッグもCカーニバルも過去と比較すると見る影なし。
まあ馬場が亡くなってた時点で全日本プロレスではない。
三沢はそれを察して全日離脱した部分もあった。ろう。
三冠もまだあんの?
あれも馬場全日時代だから今はあっても無意味で無価値。
新日のG1も然り。 それでもまだ生きてるんだから「全日本」の看板の生命力はそれだけ大きかったんだろうな
実際に生前の馬場は自分が死ねば全日本は終わりだと言ってたらしいし日本テレビから切られても続くなんて馬場自身が信じられなかったろう 確か、96最強タッグは総当たり2回戦のリーグ戦だったな。 優勝賞金1千万円っていつごろまでアナウンスされてたのかな。
2006年の開幕戦観に行った時「優勝チームには賞金として1千万円贈呈します!」
ってアナウンスがあったとき会場から笑い声が起きてて、このころになると誰もそんなもの
貰えないってわかってたからだけど。
ただ倉持が「優勝賞金1千万、どのチームが手にするのでしょうか」なんていうとホントに出るの?
って思ったりもしてしまう。 若林「世界の強豪が集まる世界最強タッグ決定リーグ戦…」
パトリオット・イーグルを指して、世界の強豪って言われても… 2000年の分裂直後の最強タッグも何とも言えない色々なチームが出て
それはそれで面白かった。
川田&渕、天龍&荒谷、ウイリアムス&ロトンド、ウインダム兄弟、藤原&クロファット
垣原&長井、ケア&スミス、バートン&スティール
インディーのような豪華なようなそんな顔ぶれだった。 >>345
しかし分劣後はスケールも縮小していた。
普通にタッグリーグ戦ならいいが。
『世界最強タッグ』という名称は違和感以上に適切ではなく。 >>342
年によっては10万ドルだったこともあったな。 毎年、新顔や変わり種チームが楽しみだった。
これはダークホースや員数あわせ、白星配給関係なしに。 そう。開幕前や序盤のほうが、強弱関係わからないのでワクワクしたね。 オリンピアをBGMに最強タッグの予告が流れると、もうそんな季節か、と思っていたな。
あと、留さんの「ニューヨークへ行きたいかーっ?」が木曜スペシャルで流れたときも。 >>350
分裂前最後の大会では表彰式でハンセンが大乱闘 オリンピアと言えば、全女は毎年夏に山口でレッスル・マリンピアードって
海上特設リングでの試合があったな。
別に水の上だからボディスラムのダメージが軽減されるなんてことは
ないだろうけど、場外乱闘やプランチャも浮き輪やゴムボートが無いと出来ない。
アンドレなんかリングが沈む以前に入場不可能。 昭和スレ的には最強タッグの入場式は
オリンピアより王者の魂の方が 王者の魂以前は各チームのテーマを流そうとしてグダグダになってたイメージだな 自分も王者の魂はチャンカーも含めた入場式テーマという印象が強い >>356に自己レス
すみませんでした、ここ昭和スレじゃなくて
純粋に最強タッグスレでしたね 開幕戦のテレビ中継の始めに放送する開会セレモニーが好きだった。
オリンピアをバックに各チームが入場してくると、なんとも言えない高揚感があった。 テレビで次期シリーズ(最強タッグ)の参戦予定選手として
番組中に宣伝してる時もよかった。 今の時代のストロングとデスマッチの区分けや、デスマッチ以外での流血が減ったり
両者リングアウト・反則・ノーコンテストなどがすっかり無くなったせいか
デスマッチ団体以外で最凶コンビとかこういう選手は居なくなったね。
デスマッチじゃ無くて、普通に凶器攻撃するこういう選手も面白いんだけどな。 そろそろ最強タッグ開幕戦の時期だ。
今ごろになると毎年それを思い起こす。
過去の最強タッグね。
今の最強タッグには全く興味なしだしどうでもいい。
昭和から平成前半か。 >>368の投稿こそ
全く興味なしだしどうでもいい。 後楽園 大宮スポーツセンター 愛知露橋スポーツセンター 大阪府立体育会館第一 宮城県体育館 中島体育センター 横浜文化体育館 日本武道館
会場のスケールは大きい >>369
バカモノ興味持てよ。
俺はお前に興味あんぞ。
お前の臭くて汚い包茎チンポの皮の長さに興味あるんよ。
お前の包茎チンポは
臭い
汚い
気持ち悪い
形悪い
格好悪い
5K 初期は蔵前の最強タッグがプロレス界としての年間最終戦でもあったんだよな 今日は分裂後最初の最強タッグ決勝から十八年
当時はむしろここまで良く持ち堪えたと思った物だったが 自分が見てきた昭和全日より分裂後の全日の方が長いのか。 379見なく、だが、
『弱小全日内最強タッグ決定リーグ戦』 一人でカラオケ行って大音量でオリンピア流して、マイクで好きなチーム発表してんのって俺だけかな?
三沢川田組!とか前年度優勝チームハンセンブロディ組!とか。
一人だけどめちゃめちゃテンション上がる。 385佐和子だが、
サイキョタグリ エムエタグリとか書いていたのは誰だ?
えっ俺?
うるへー 波平 磯野父 >>382
まさかそれだけやりにヒトカラしてるんじゃないだろうなw >>386
だって一人の時しか出来ないからw
みんないる時やると大抵消されるw >>388
年末は恒例w
ただ、ずっとオリンピアじゃないよ。普通に歌も歌う。
オススメは家で世界タッグ観戦→カラオケ。マジ楽しいから一度やってみて♪ 40お前名無しだろ (ガラプー KK8f-IL5O)2019/02/04(月) 14:49:15.83ID:++3sW2WIK
40指令だが、
棚橋は猪木引退後に入門してんだよな。
まあ猪木 長州 橋本と続いた新日には合わない。
コイツは第二回オールスター戦で主役だと勘違い。
コイツが引退後に語られる事はないだろ。
笑いのネタとして思い出される事はあっても。
実際に棚橋を見て、憧れて『レスラーになりたい』と思った若者がどんだけいんのか?
どんだけ〜
41お前名無しだろ (ガラプー KK13-PM6I)2019/02/04(月) 14:52:28.42ID:ikvt3edQK
41シーチキンだが、>>40いい事言う。まさにその通り。
ボンゴレ〜 391作為だが、
最強タッグはMSGタッグ及びIWGPタッグを常に上回った。
80年だけはMSGタッグが上回ったが。 ブッチャーもハンセンもいない81年が一番不振の印象 393咲く実だが、
81年下半期はブッチャーとハンセンが居ない唯一の期間。
しかし10周年記念シリーズは空前の超豪華メンバー大集結。
ブッチャーが去ったダメージは皆無だった。
ポストブッチャーにはシン ブロディ スヌーカ等が候補に。
ブロディも極悪ヒール枠で。
またもう一方の悪の雄シークや国際悪のエースのジョーやスミルノフ。
ハンセンの移籍でポストブッチャー枠は不必要になったが。
結果的にこの頃から極悪ヒールの存在自体が不必要になっていった。
その為にシンは新日時代程の活躍はできず。
シークは来日しなくなり。
ジョーやスミルノフも中堅二番手以下の存在に。
ブロディは極悪ヒール枠から逸脱してハンセンのパートナー枠に。
スヌーカも同じく極悪ヒール枠を逸脱。 同時期はドリーとブロディのインター抗争の印象も強い >>394
ドリーはもう下り坂だな
ブロディに勝てる気がしなかったわ 396さ、急務だが、
後楽園ホールは1階の会場と誤認識されとったんよ。 専用スレあるのに怖くて来れないガラケー日雇い労働者w >>395
それでもドリーとしては久しぶりのシングルの晴舞台だったからな
それに扱いの難しいブロディの良さ強さを引き出したのもドリーの功績 >>391
80年はブッチャーとシークの抗争がメインだったな >>399
ファンクスとブッチャーの抗争が飽きられてきたみたいで
80年頃は
それで仲間割れしたブッチャーとシークの抗争が注目された
で ブッチャーのベビー人気も出たし
ブッチャーとシークだとベビーとヒールに別れる図式に
しかも自然とそうなった
ブッチャー ベビー
シーク ヒール
もしこの時代にブッチャーとシンが対戦したらやはりそういう図式だったろう
80年81年頃ならば
90年は両ベビー?という意味不明な立場や展開だったけど 最初の後楽園の対決でのブッチャーコールは凄まじかった
そういえば最初のブッチャーコールは同じ後楽園でのレイスとのNWA戦だったか 四天王プロレス時代になってからは参加外人チームがマンネリ化して面白みが
半減した
やっぱり昭和から平成初期かな
ナスティボーイズやランド・オブ・ジャイアンツとかタッグ屋呼んだり
ロン・フラー&バリー・ウインダムとか初来日組の参戦があったりで楽しかった 98年はハンセン&ベイダーの実現やアジアタッグ王者が出られなかったりと久しぶりに昭和っぽかった印象 >>402
フラー&ウィンダムで喜んだやつなんかお前くらいだぞ。 >>406
>>404ではないけど、二世で2m級の体格が共通点だったってことだろう。
ただフラーは新鋭というには遅すぎたな。 >>402
23歳で初来日だったけど、バリーへの声援が結構大きかった。
会場のあちこちで「バリー!」「バリー!」
ブラックジャック・マリガン・ジュニアのカウボーイスタイルから
独自キャラに切り替えて、フロリダ、ミッドアトランティックでトップに
食い込んでいたけど、緒戦のハンセン&ブロディはちょっときつかったなw
「2人はアメリカでやるときと全く違うじゃないか!事前情報として教えておいて
欲しかったよw」とインタビューで言っていたな。
試合前にはブロディから「小僧、好きなようにやってこい!」と言われていたんだけどね。
当時買った『週刊プロレス』で、バリーが北海道か東北の市場内を見物して、
居酒屋で日本酒を飲んでいた写真が今でもやけに印象に残ってる。
あと、フレアーとクロケット・ジュニアが週プロの編集室に来ていた。
ハンセン&ブロディは駅で立ち食いソバと、そんな巡業シーンを思い出す、
『83年世界最強タッグ決定リーグ戦』 あのときバリーはハンセン、ブロディ、シンとはガンガン当てるべきだったな。 前年のリッキー&ジェイの再現を期待したファンも多かった 天龍とロッキー羽田って勝ちパターンが見えないんだけど 当時勝てたの? ニック&レイス組とかよく同じシリーズに呼べたよな
どちらか米スケジュールの為、途中帰国とかもなく >>413
このコンビが実現したのは、アメリカマットがレスリングウォーの影響にあったから。
84年1月にWWFが全米侵攻を開始してから、NWA&AWAが手を組んで「プロレスリングUSA」を設立。
同年3月には、レイス&ニックがウィスコンシン州グリーンベイで結成されている。
年末に日本で結成される以前にもう試運転はしていたんだよね。
この大会には、AWA王者としてサーキットしていた鶴田、あと馬場、天龍も参加していた。
馬場がこのコンビを実際に見て、年末に参加要請をしたんだろうね。
この頃には、レイスもニックも世界王者から降りていたし(ニックはハンセン王座剥奪後、王者に任命されるけど)。
NWAは実質ジム・クロケットのものでフレアー時代、AWAは鶴田→マーテルと移った頃で、レイスとニックは中心から外れていたからね。
アメリカのテリトリー制自体がもう以前のように機能しなくなってきていた。
レイス&ニックは、そんな時代背景で実現した「夢の世界王者コンビ」だった。 >>414
何十年もプロレス観てるけど4人全員青パンなんて試合初めてみた >>414 ロッキーさんのガイジンの引き立て役お見事です 羽田 田上、体型体格酷似也。
羽田 否大成、田上 一応大成。 >>417
此馬鹿、武道館大会、生卵投、犯人也。
↓↓
[***]P お前名無しだろ (ワッチョイ e2b7-86aj)[] 2019/**/**(*) **:**:**.** ID:*********
かなり昔だけど
全日武道館大会ではよく生卵投げたな。
セミやメインになると照明が暗くなって会場が大歓声になるじゃんか。
入場テーマが鳴るとお祭り騒ぎ。
そういうときに生卵をよく投げたもんだよ。
何度も投げたね。
持参した生卵が袋の中で割れたアクシデントもあったりしてね(苦笑)
そのうち武道館は生卵投げに行ってるようになってさ(笑)
そしたら何と雑誌の片隅にそれが掲載されたんだよね。
「悪質ファンの生卵投げ事件」みたいに。
利口な俺様はさすがにマズイと思って止めた。
バカな奴は続けるんだよ。
俺はそんなバカじゃないし。
ま、いい思い出だからさ。
↑↑
此奴 力一杯殴打、希望。 やっぱり釣れたなw
今日も昭和系のスレに片っ端から漢字羅列ですかw >>415
むしろ翌年の帝王対決の方が見たかった
公式戦以外でもやってたみたいだし 令須 対 仁久、放送希望 当時。
公式戦含、否放送、何故?
辺任具 親子揃、最強二人組決定総当戦参戦。
令須 対 辺任具、興味深。
令須 辺任具父、恩義有。
令須 辺任具息子、対決。 カートは世界のプロレスでウォリアーズにボコボコにされてたやつって印象しかなかったからな 日米レスリングサミットに来た時には大型化していて驚いた 辺任具 新日時代、大型筋肉選手。
筋肉増強剤使用、明白。
後遺症原因、早死。
辺任具父、先日 死去。 辺任具息子、八十三年、新日来日。
此時、細身体、弱々印象。
辺任具 当時、二十代前半。 キチガイ釣ろっと!
間違いなく入れ食いなのが恥ずかしいな
悔しかったらスルーしてみろ漢字キチガイ イマモマダ“セカイサイキョウタッグ”ツカッテヤッテンノ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています