世界最強タッグ決定リーグ戦2 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>231
小川アップ、浅子ダウンだったはず。
多聞はそのシリーズ、シングルで雅央に負けていたくらいで、翌年のあすなろ杯で多聞が浅子に勝って序列が変わった。
多聞はアマレスの実績があるのにそれをもっと活かせなかったかなあとは思う。 多聞はルックスも悪いし体がレスラーとは思えないほどだらしなかった
大剛のとこに放り込んで強制的にステ漬けすればいいのにと思った。
アマレスじゃプロレス界1の実績なんだけど何しに入ってきたのか
意味不明だった >>233
大剛って本当にステロイド使用だったのかな?
天山が大剛んとこいた時に『ステロイド使ったら即破門』みたいに言っていた。
それが雑誌にデカデカと記事にもなり。
それで実際に使ってたらなあ。
でも『プロレスに筋書きはない』と唄っておいて実際には『筋書きありき』。
しかも『筋書きないと絶対に成り立たない』とも。
蓋を空けたら、それがプロレス。
天山、小島といきなり体が膨らんだのも不自然だしなあ。
それも比較的短期間で。 >>233
多聞については分裂前のアジアタッグの顔といった印象
分裂が無ければ吉村や石川みたいにもう何人かと組んでいたのか >>235
ノアで池田みたいな細い奴にシングルで負けた時は哀しかったな。あんなアマレス強いのにもっと上手い使い方できなかったのかな。
髭と長髪が悪かったね。あれは外見が悪くなるだけ。 >>224
前年、優勝戦メイン出場の秋山がエントリー外に馬場は冷たいなと思った。
馬場・秋山組か秋山・本田組で出してほしかった。 馬場は最初不出場予定だったし本田はデビュー直後だった
やはり前年の抜擢が内部的な反発を呼んでそれを考慮した感じも >>236
ちょうど今日は分裂前最後のアジアタッグの日
相手は池田・ヨネだったんだよな >>238
抜擢といってもあの状況だと田上のパートナーは秋山しかいなかったと思う。
その「内部的な反発」がどういうものなのか詳しく聞かせてほしいものだ。 90年最強タッグは天龍なしだったが、三沢大ブレイクやゴディ、ウイリアムスと。
天龍いない穴埋めはじゅうぶんだった。
またファンクスやスレーターとかつての全日の顔も参加で。
アンドレも初参加。
また馬場より高いランドオブまで参加。
見所は沢山あった。
小橋はエースと組んだっけ?
小橋は90年は大抜擢されたし。
天龍がいなくなって全日自体はダメージ大きかった。
天龍以外でも10人近く抜けて。
でも三沢、川田、小橋はそれにより大抜擢でチャンスが回ってきた形に。 但しまだまだ力不足で最終戦の前で既に外人決勝は確定 >>240
渕でよかったんじゃないないの?田上のパートナー。
当時のJr.ベビーのチャンピオンだったし、
当時の田上はラフファイトも積極的にこなしていたから、同じようなファイトスタイルの渕の方がチームとしては機能したかも。
後日、三沢も『あっち(田上や渕、小川)がああゆうプレイ(ギロチンホイップや逆さ釣り)を指示されて明らかに躊躇していたもん』って話していたし。 渕の最初の最強タッグ初参加は結局三年後のドリーとのコンビだったんだよな
そしてドリーはそれが最後に ブッチャーとハンセンが唯一いない81最強タッグ。
しかしシンやブロディが初参戦で盛り上がっていた。
最後にあのようなサプライズがあったものの、それまでも盛り上がっていた。
シンとブロディの存在は大きかった。
それまでのブッチャー色をかき消すに存分に役立って。
当時の雑誌にもそう書いてあったな。 意外にもレイスは81年大会が初参加だった。
それまでは長期のNWA王者だったから参加できず。
81年 82年 84年 85年と参加。 ファンクス以外の元世界王者が参加しない79年と83年はマスカラス兄弟が参加
そう考えるとマスカラスの大物ぶりが尚更に実感 そう言えばレイスとマスカラスは最強タッグでは重なってないんだね。
マスカラスが最強タッグ二回しか参加してないのも意外。 レイスマスカラス組は武道館の前座のみ?高野も入っているが。 一宮産業会館ってカマタとロビンソンのPWF戦もあってローカルで小さいけど歴史に残る会場だな。 88年か89年にファンクスが参加していれば
vsブッチャー、シン組が実現していたのにね
1度は見たかった >>257
同意。
双方入れ違い。
つーかファンクスとシンが最強タッグでは入れ違いだな。
87年 シン不参加
88年 ファンクス不参加
89年 ファンクス不参加
90年 シン不参加(新日へUターン後)
最強タッグ以外でもどっかのシリーズで実現してたらなあ。
88年頃に実現したら双方が持ち味発揮しただろう。
でもやっぱり最強タッグの舞台が最も相応しい。 分裂後の全日にブッチャー、テリー、ドリーは来たけどシンだけは来なかった
元子さんと合わなかったのかな シンの最強タッグ初戦はいきなりファンクスだったんだよな 世界タッグ前の三大タッグ王者が揃い踏みしたのは86年大会のみ >>259
シンは馬場の兄弟弟子だから来てもおかしくなかったと思ったが。 初めて自腹でプロレス観戦したのが、88年後楽園大会だったなぁ
メインの馬場、木村対天龍、川田は凄いいい試合だった
天龍が馬場に雪崩式バックドロップを食らったときは会場大興奮、ラストは木村のマイクアピールを天龍がさせなかったんだよね〜
あの試合で完全なる天龍信者になってしまった
他にも外人勢がめちゃくちゃ豪華で当時5000円は安すぎるだろうと思ってたな〜 馬場・シン・アドニスでアトキンス門下
馬場とアトキンスの最後の接触はトロントでのインタータッグ戦でレフェリーを務めた時だったか 89年はスタイナーブラザ−ズを参加させたかったがようだがそれができず
その代わりにナスティーボーイズが参加になったらしい 89年はWCWと全日本はそこそこ交流があり
ゴディのパートナーも ルガーやウィンダムも候補になってたらしいな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
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ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ アーウィンは予想外に良かった印象。
優勝戦線に絡むのは無理でも。 アーウィンの非力が翌年の殺人魚雷誕生のインパクトをむしろ高めた感じも >>271
>>272
それらを鑑みれば、アーウィンは印象を残しつつ役割を全うしたってことだな。 ないとわかっていたが
96年にテリーファンクがグラジエーターを連れて参戦するなんて言ってたが >>273
最終戦でのブッチャー・シンとの対戦も大ウケだったし
>>274
流石に二回総当たりは出来なかったろうがオブライト・サブゥーとの対戦なんて面白かったかも アーウィンはシンやブッチャーと真っ向からやり合ったのが良かった。
あの試合は当時は放送されず。
後々に特番で放送された。
まあメインの優勝決定戦が長かったから。
でもあの試合も放送して欲しかった。
動画では何度も見たが、単純に面白い。
雑誌にも『大型外人四人のド迫力攻防は見応えあった』と書かれて。 海外で名のある売れてる選手を集めると、プライド高いし星取表の調整は難しいだろうな〜
まぁ、そういう時の為に両者リングアウトがあるんだろうけど。 >>267
ナスティボーイズは
「憎めない面白ヒール」として最適役だったのに、そのあと継続参戦させなかったのはもったいなかった
カンナムがベビー役でナスティボーイズと当たった試合なんかその典型というか、双方がピッタリとハマっていた
カンナムはこういうベビーやらせても上手いし、その後超世代や四天王とか相手にヒール役やらせても上手かった(クロファットがどっちでも柔軟に対応出来る司令塔だったのが大きい)
89最強タッグ終盤のナスティボーイズはカブキ高野組戦辺りを見る限り動きもだんだん良くなってたから、89最強タッグのみの参戦はホント惜しい
場合によっては悪役商会として馬場と戦うのもアリだったはず >>278
ナスティは次の新春ジャイアントシリーズの参加メンバーにも入っていたけどWWF入りでドタキャンになった模様。 ブルドッグスやマーテル・ジンクも似たパターンだったか 上位二チームの優勝決定戦は95年から
それ以前の同点決勝は86年が唯一 昔は最終戦メインで勝ったチームが優勝!って流れだよね。
メイン前に試合終わったチームで、メインの結果のおかげで優勝できたチームってある? 94年の三沢小橋だけじゃないか?
メインは川田組vsハンセン組だったので、当然川田組の優勝だと思ってたら裏切られた。
アクシデントだったのか、翌年から最終戦は公式戦組まず。 翌年からシステム自体を変えるあたりを考えると、
もう毎年バレバレだから変更しようと話になってたのかもね。 91年は
ハンセン&スパイビー(20点)vs鶴田&田上(18点)がセミ
三沢&川田(19点)vsゴディ&ウイリアムス(19点)がメイン
ハンセン組勝ったらメイン消化試合 >>287
ブッカーはどうしてこんな展開で書いたのかね
まあ理由があるとすれば一つしかない
リアルでやってるように見せるという意味で「こういうふうに劇的な流れにならないこともありますよ、ガチでやってるんですから」ってわざとそうしたんだろうな
それ以外にそういう流れにするメリットは全くないわけだから >>284
国際の第三回ワールドシリーズでも最終のゴッチ対ロビンソンが引き分けで待ちのロシモフが優勝 シングルのリーグ戦だと優勝予定者が定番の初戦負けや2連敗スタートってあるけど、
タッグ戦もそうだっけ? >>289
得点的に二連敗でも優勝が可能ならありそうだね。
過去の大会がどうだったかはわからないが。
81年最強タッグ開幕戦で優勝候補のファンクスがシン、上田にまさかの反則負け。
ファンクス連続優勝に早くも赤信号!とか煽っていた。
そのシン、上田が二戦目でもレイス、ヘニングから反則勝ちで一気に優勝候補へ。
雑誌にもそう書いてあった。
この当時は月刊誌だから雑誌だけでは煽り効果はないが。
この当時はまだ東スポは読んでなかったけど東スポならバンバン煽り記事並べただろう。
結果的に81年はファンクス優勝はなかったが。 >>291
81年はハンセン乱入の年か
当時、月刊誌しか読んでなかったからTV中継が自分にとっては一番早い情報だったが
ことハンセン乱入に関しては、東スポ読むような兄貴がいる友人がTV中継前にネタバレしやがって
サプライズ感が半減したのを覚えてる 放送開始でいきなりの「スタン・ハンセンだー!」に引っ繰り返った記憶が そういうサプライズは今の時代なかなか無理だろうな。
生中継も少ないし、あっても前日の東スポやネットでなんとなく噂話程度で流れる。
生中継中の完全な予定外のハプニング的で無いと。 原は借金問題だよね?
元々はラグビーの日本代表だったり国際プロレスだったり波乱万丈な人生だよな。 >>292
録画中継は様々だね。
事前に結果聞いて(知って)興味半減のケース。
また事前に聞かされた事により興味津々になるケース。
良し悪しだったと思う。
ハンセン乱入のも友人は事前に聞いたと。
それで『ウソだろ』と半信半疑に。
興味津々で中継を見たらその通りに。
まあ事前に試合結果知っちゃうのは興味半減の部分があるな。
最強タッグの優勝とかタイトルマッチの結果とか。 >>297
事前に結果を知ってしまって、それが両者リングアウトだとテンション下がってた。 1989年の開幕戦
シンが鶴田のバックドロップであっけなくピンフォール負け
両リン、反則決着無しをリーグ戦でもやるんだ、全日プロも変わったなと思った
でも両リン、反則決着無しのリーグ戦はつまらなかった >>201
スヌーカのパートナーはジェイソン・ザ・テリブルかバズ・ソイヤー、ジム・ブランゼルなんかもいい >>299
テーズ式でなくドリー式のバックドロップにフォールされた事でシンの凋落を実感
しかしそれを補って余りあるシン・コールの大爆発 >>299
その割にフットルースとカンナムの試合は引き分けだったな
アジア戦では必ずどっちかに決着つけてたのに最強タッグだけ引き分けってw
この最強タッグの時点ではフットルースがカンナムに一度取られたアジアを取り返した直後だったのでフットルースがアジア持ちの状態だったけど、
倉持アナが「上昇一途のカンナムによく勝てましたねえ」とか竹内さんに聞いていたw
年明けすぐにアジア戦があってそこではカンナムが勝ってまたタイトル移動したけど、フットルースはその後SWS騒動で冬木が抜けて自然消滅しちゃったからなあ
あれがなければもうしばらく争いが続いてたんだろうなあ、タイガー(三沢)小橋やSWS行っちゃった面々(高野とか仲野とか)も含めて多分違う盛り上がり方になってたんだろうなあ SWSへの大量離脱がなければ、本格ヘビーへの三沢のプッシュももっと遅かっただろうし、
天龍同盟も継続してただろうし、どうなってたかな?
鶴田・谷津・三沢組×ハンセン・天龍・川田or冬木組とかを頻繁にやってたかな? >>305
後のノア分裂後に高木と北原が巻いた時はまさに十年遅れのアジアタッグという感じだった
それでも小橋は確実にプッシュが進んだろうが 1983年は最終戦の結末が丸分かりで俺は×
最終戦前の生中継が更に興味を削いだ
馬場組がシン組に足を引っ張られ、鶴龍コンビが超獣組に叩きのめされる結末以外浮かばなかった
まあ前年のファンクスの反則勝ちもそうだが 超獣組があきらかに強過ぎなのでしかたがない。
負ける場合は反則しか無い。 >>304
天龍同盟は天龍の離脱直前ですでに解散してた。 天龍が残ってたらまた違う軍団になったか?
それとも鶴田との合体か? 全盛期の殺人魚雷が馬場のランニングネックブリーカーでゴディが寝たのはちょっと予想外だった
竹内さんも「入りましたよ!!」って予想外な驚き方してたなwww >>311
東京体育館の分を返してもらった感じだな >>310
鶴田との合体は無いでしょう。ただ三沢をどうしてたか。
天龍が離脱しなきゃ無理やり抜擢とかも無かっただろうし。 そう言えば最強タッグは東京体育館ではやらなかったな。
最終戦は蔵前は固定されてたし。
蔵前閉鎖後は武道館が固定されて。
旧東京体育館の閉鎖も蔵前閉鎖と大体同じ時期だったかな?
東京体育館自体は(高いせいか?)あまり頻繁には使われなかったし。
全日も新日も。
蔵前が都内主要会場で。
それでも新日は蔵前での年間興行率は多かったが、全日は少なかった。
蔵前興行乱発しても入らなくて赤字と踏んでたのか?
それなりのカード組めば全日の蔵前も入ったとは思うが。
80年〜84年頃でも。 >>246
94最強タッグ開幕戦の三沢・小橋vsカンナムは、なかなかいい試合だった。
実況の福沢がまさかの予感とか言ったすぐ後に決着がついたのは笑えるが…。
まぁ、あの試合があったから、パトリオット&エースが川田・田上と引き分けたり、スミス&ウルフが三沢・秋山と引き分けたりするブックを書きやすくなった可能性はあるかも。 >>316
三沢小橋が相手でも、カンナムがコンビネーションの良い合体攻撃を何発も決めると十分説得力あったからなあ
三沢に合体雪胴締め落としを決めた後、続けて合体雪崩れDDTやろうとしてたけど(小橋がカット間に合って決まらず)あれも三沢に決めるブックだったら面白かったんだがな
別の試合で菊地はアレ結構やられてたが、決まればカットない限り3カウント入れちゃって問題ないくらい超必殺技級の説得力はあったし
終盤小橋がムーンサルト行こうとした所を妨害して、クロファットが雪崩れリバースブレーンバスター(Jrのバンダム戦やチャンカンの秋山戦はこれでピン取った決め技)を決めた所が最高潮だったな
あの後になんか合体攻撃をさらに一発決めれば勝ちブックにしても説得力あるくらいの状態にまで行ってたからね >>317
最強タッグ開幕戦
後楽園ホール
カンナムの巧さと三沢組の上手さ
福沢の実況
この辺りが上手く噛み合った好カードだったね。 >>314
84年の最強タッグは東体じゃなくて2シリーズ連続開催となる横浜文体が最終戦だった。 福沢の実況はうるさいし、プロレスをバカにしたコメントもするし嫌いだった。 >>319
そうだね、この横浜大会に長州が初登場して。
長州効果で超満員だったみたいだし。
そう考えると長州は全日蔵前大会には登場してないんだよね。
蔵前閉鎖の直後だったし。 ある意味では全日両国大会の顔となったが
特に馬場体制で最後のテリー戦とか 意外にも最強タッグは両国では開催されなかったはず。
85年最終戦は武道館。
こっから馬場が全日が分裂するまで15年毎年最終戦は武道館。 >>318
福澤の実況だけは余計だなwあのバカうるせえんだよ。 福沢はプロレス実況を利用して名前を売りたかっただけだからな 総体的に不入り時代の全日でも最強タッグだけは客入りが良かった。 最強タッグは暮れのお祭り的なイメージあるから、お客が入ったのかな? >>328
90年代終盤は最強タッグでもダメだったが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています