世界最強タッグ決定リーグ戦2 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>157>>158
97年2戦目の後楽園でブラックジャックスの入れ替わりを生で観た時は最高だったよ。
あとハンセン組が開幕2連敗したことに時の流れを感じた。昔はハンセンのチームは優勝候補だったのに。翌年から巻き返すけど。 >>144
諏訪魔は5年連続準優勝だっけ?しかもパートナーが全て違ったはず。ある意味、凄い。 ハンセンはパートナー変えて最多出場
82年ハンセン&ブロディ(準優勝)
83年ハンセン&ブロディ(優勝)
84年ハンセン&ブロディ(準優勝)
85年ハンセン&デビアス(優勝)
86年ハンセン&デビアス(準優勝)
87年ハンセン&ゴディ(準優勝)
88年ハンセン&ゴディ(優勝)
89年ハンセン&天龍(優勝)
90年ハンセン&スパイビー(準優勝)
91年ハンセン&スパイビー(準優勝?)
あとは年代忘れたが。
ハンセン&オブライト
ハンセン&馬場
ハンセン&ベイダー(準優勝)
ハンセン&田上(準優勝)
ハンセン&ダンカンJR 92エース
95オブライト
93当初はデビアス
93,94馬場
98ベイダー
99田上
97ダンカンジュニア
96大森だね。
あと引退しちゃったけど2000年はケアと組んで出る予定だったらしい。 >>179
97年はハンセン&ベイダーじゃなかった?
5月の初ドームで初めて組んで最強タッグでもって。
20年前だから記憶がゴッチャだわ。 >>181
そっか、98年最強タッグ優勝戦はビデオに録って何度も見た。
表側に『98年最強タッグ優勝戦』と書いて。
ハンセン&ベイダーが小橋&秋山と。
最後はハンセンが丸め込まれて破れるも試合後に二人は大暴れ。
記憶が曖昧だ。 >>177
武藤も全部違うんだよな
たとえ優勝しても翌年は別チームで 馬場もコロコロ変えてる
82年 馬場、鶴田
83年 馬場、ドリー
84年 馬場、木村
85年 馬場、タイガー
86年 馬場、タイガー
87年 馬場、輪島
88年 馬場、木村
鶴田が天龍と組み始めてから馬場は毎回変わった。
85年86年がタイガーだったか。 >>187
あ、そっか、失敬。
なら尚更毎年バラバラだった。
82年〜88年までは。 ハンセン、小橋、本田、アンドレといろいろ組んだけど、馬場&小橋、馬場&本田は違和感あったな。 どう考えてもあれだけ外人呼んだらシリーズ赤字だろうけど
日テレから補填されてたんだろうな >>189
馬場・小橋の時はまだ一時間枠だったが最後の馬場・本田の時は公式戦がテレビ中継されていたかというくらいに印象が無い
とにかく札幌での馬場・小橋と三沢・川田の対戦はインパクトがあったな
それこそ新日本でいうなら猪木・西村と武藤・蝶野の対戦なくらいなだけに >>192
大阪の川田&田上vs馬場&本田は少し放送されたよ。
あの年のカンナムは駄目だったね。まさか馬場&本田に負けるとは思わなかった。 『世界最強タッグ決定リーグ戦』ってこれまでで一番長いシリーズだな。
40年も続いて。
それも途中で途切れることなく。
完全にブランドだね。
まあ今の最強タッグで優勝チームが『世界最強タッグ』かは全く別として。
『G1クライマックス』だって26年なのに。
『チャンピオンカーニバル』は途中で途切れたかんな。
あとはシリーズではないが、1/4ドームも26年か。 >>193
その大阪大会で前年返上したアジアタッグの新王者の秋山・大森にも負けたんだったか
そうなると最強タッグでのカンナムの最後のピークはやはりその前年の開幕戦での三沢・小橋との対戦か
あちらもかつてアジアタッグを争った中だがもしあそこでフルタイムに持ち込めていたら決勝戦ももっと面白かったかも 95年7月にエースとパトリオットは次期三冠挑戦者決定リーグ戦に出場。同じシリーズにカンナムはエース&パトリオットに勝利。その時は番狂わせだと思った。
しかし、その次のシリーズからのカンナムの急降下が凄かったな。 まさに禁断の世界タッグ挑戦だった印象
その前の6月では四天王ベストバウト戦も行われていただけに尚更
最強タッグでのカンナムとなるとどうしても89年のブルドッグス戦が代表だが92年のパトリオット・イーグルとの対戦も忘れ難い スミス&バンダムがアジアタッグ王者の秋山&大森に勝っても後に繋げないのは全日イズムw 秋山・大森のアジアタッグは個々が単発過ぎた
だから長い割りに記憶に残らない >>191
でも放映時間は夕方5時ていうどうでもいい枠で当時はソフトでの
2次販売ていう考えもないし日テレは大損だよな 馬場&鶴田組
天龍&原組
ザ・ファンクス
ハンセン&ブロディ組
マスカラス兄弟
ブッチャー&シーク組
シン&上田組
レイス&ニック組
キッド&スミス組
特参ウォーリアーズ
昭和に戻りこの10組でやってくれれば…
あ、スヌーカの相手がいない >>201
いいねえ。
スヌーカはリッキーと組ませたらいいかも。 >>200
同時間帯としては破格だったらしいがやはりゴールデンタイムに比べれば下げられてるんだよな
だからその分の差が日本テレビへの借金として蓄積されていくわけで日プロ時代に購入した土地もその担保に入っていたとか >>202
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw >>202
おお!リッキー忘れていた。
最強タッグに染まっていないウォーリアーズはやっぱり除外し
スヌーカ&リッキー組
この10組ならドームツアーも夢ではない…
おっさんの妄想でしたw >>205
俺も読んでてスヌーカのパートナー誰かいるか考えた。
レイスはニックと組んでるし。
したらリッキーを思い付いた。
逆にリッキーならフレアーってのもありだが。
リッキー、スヌーカ組なら実際に組んでも話題を呼んだと思う。 リッキーとスヌーカなら旧知の仲だから連携に問題はなさそう。 >>205
正直ドームどころかアリーナツアーも無理だろうな。 ライディーンに乗ってのリッキ−・スヌーカの入場場面なんて燃えてきそう まぁリッキースヌーカ組なら白星配給チームの次くらいの
扱いだろうな。 99年、グラジがいたらベイダー&グラジ組の予定だったらしいが、それでも小橋&秋山の二連覇だったかな?
どうせ小橋&秋山の二連覇というつまらない結果になったような気がするが。 バンベイ グラジなら強力コンビだな。
スタハとは一味違って。 >>212
グラジは大したことないからな
全ての技が大味
インディシーンで暴れるならそれでも充分だったけどね 馬場は常連外人優遇で初来日チームはわかりやすく白星配給に
してたな。スカイウォーカーズとかもっと売り出してもよかったのにと
思ったわ。木偶の坊でもデカいのはそれだけで貴重だから >>215
もしかしてランドオブジャイアンツのことか?? ランドオブジャイアンツがキッド&Jスミスに負けたのは意外だった。
ランドオブジャイアンツってそんなに悪いという感じでもないのに白星配給係になったな。 >>216
スカイウォーカーは個人名だったなw
巨人好きの馬場がなぜ冷遇したのか不思議だったがたぶん
1シリーズ契約だったので売り出す気なかったんだろうな。
生で見たけどやっぱりデカいレスラーは塩でもええわ >>218
コンビで再来日、マスターズは単独でも来てるよ。 サイキョタグリも90年以降は一気に変わったな。
ザファンやアブチャと大昔の面子もいればスティウィと新たな顔も。
スタハやテリゴの常連もおり。
ジャンツ、ミサミツと日本勢も充実して。 >>219
再来日のときにアンターテイカーズとかいう食わせ者が来てたなw
どっちかはECWのFBIに加入して用心棒キャラで少しブレイクしたけど 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
TQ0PQ >>217
あの時のキッドは前年に比べてかなり痩せてたな
結局は翌年のアジアタッグが最後の勲章に 93年の秋山エントリー外でスマザース&スリンガー組出場は疑問だったな。外国人サイドの6人タッグのジョバーとして呼んだんだろうけど。 そういえば今でも優勝賞金1千万円ってあるのかな?
10年くらい前の開幕戦で「優勝チームには賞金として1千万円贈呈します!」
ってアナウンスがあったとき会場から笑い声がおきて誰もそんなもの出ないって
分かり切ってた感じだったけど。 年末はサイキョタグリとエムエタグリの競演が良かった。
年末タグリは恒例だった。
そん中で夢の対決や異色対決が公式戦で組まれて。
年末タグリならではのカードも。
雑誌で参加メンバー発表を見るのが楽しみだった。 >>224
前年の大抜擢が他の不満や反発を呼んだのか最後の武道館でも秋山の扱いは低かったんだよな
確か悪役商会前の第二試合だったか リチャスいたなあ。
テリゴの甥で。
当時は若手というより少年だった。
でももう50近いだろ。
リチャス何やってんの?
体が軽量だったな。
テリゴ並の体ならまた違ったろう。 >>227
秋山、浅子vs小川、本田で2試合目だったと思う。確かにお笑いの試合の前だね。 >>231
小川アップ、浅子ダウンだったはず。
多聞はそのシリーズ、シングルで雅央に負けていたくらいで、翌年のあすなろ杯で多聞が浅子に勝って序列が変わった。
多聞はアマレスの実績があるのにそれをもっと活かせなかったかなあとは思う。 多聞はルックスも悪いし体がレスラーとは思えないほどだらしなかった
大剛のとこに放り込んで強制的にステ漬けすればいいのにと思った。
アマレスじゃプロレス界1の実績なんだけど何しに入ってきたのか
意味不明だった >>233
大剛って本当にステロイド使用だったのかな?
天山が大剛んとこいた時に『ステロイド使ったら即破門』みたいに言っていた。
それが雑誌にデカデカと記事にもなり。
それで実際に使ってたらなあ。
でも『プロレスに筋書きはない』と唄っておいて実際には『筋書きありき』。
しかも『筋書きないと絶対に成り立たない』とも。
蓋を空けたら、それがプロレス。
天山、小島といきなり体が膨らんだのも不自然だしなあ。
それも比較的短期間で。 >>233
多聞については分裂前のアジアタッグの顔といった印象
分裂が無ければ吉村や石川みたいにもう何人かと組んでいたのか >>235
ノアで池田みたいな細い奴にシングルで負けた時は哀しかったな。あんなアマレス強いのにもっと上手い使い方できなかったのかな。
髭と長髪が悪かったね。あれは外見が悪くなるだけ。 >>224
前年、優勝戦メイン出場の秋山がエントリー外に馬場は冷たいなと思った。
馬場・秋山組か秋山・本田組で出してほしかった。 馬場は最初不出場予定だったし本田はデビュー直後だった
やはり前年の抜擢が内部的な反発を呼んでそれを考慮した感じも >>236
ちょうど今日は分裂前最後のアジアタッグの日
相手は池田・ヨネだったんだよな >>238
抜擢といってもあの状況だと田上のパートナーは秋山しかいなかったと思う。
その「内部的な反発」がどういうものなのか詳しく聞かせてほしいものだ。 90年最強タッグは天龍なしだったが、三沢大ブレイクやゴディ、ウイリアムスと。
天龍いない穴埋めはじゅうぶんだった。
またファンクスやスレーターとかつての全日の顔も参加で。
アンドレも初参加。
また馬場より高いランドオブまで参加。
見所は沢山あった。
小橋はエースと組んだっけ?
小橋は90年は大抜擢されたし。
天龍がいなくなって全日自体はダメージ大きかった。
天龍以外でも10人近く抜けて。
でも三沢、川田、小橋はそれにより大抜擢でチャンスが回ってきた形に。 但しまだまだ力不足で最終戦の前で既に外人決勝は確定 >>240
渕でよかったんじゃないないの?田上のパートナー。
当時のJr.ベビーのチャンピオンだったし、
当時の田上はラフファイトも積極的にこなしていたから、同じようなファイトスタイルの渕の方がチームとしては機能したかも。
後日、三沢も『あっち(田上や渕、小川)がああゆうプレイ(ギロチンホイップや逆さ釣り)を指示されて明らかに躊躇していたもん』って話していたし。 渕の最初の最強タッグ初参加は結局三年後のドリーとのコンビだったんだよな
そしてドリーはそれが最後に ブッチャーとハンセンが唯一いない81最強タッグ。
しかしシンやブロディが初参戦で盛り上がっていた。
最後にあのようなサプライズがあったものの、それまでも盛り上がっていた。
シンとブロディの存在は大きかった。
それまでのブッチャー色をかき消すに存分に役立って。
当時の雑誌にもそう書いてあったな。 意外にもレイスは81年大会が初参加だった。
それまでは長期のNWA王者だったから参加できず。
81年 82年 84年 85年と参加。 ファンクス以外の元世界王者が参加しない79年と83年はマスカラス兄弟が参加
そう考えるとマスカラスの大物ぶりが尚更に実感 そう言えばレイスとマスカラスは最強タッグでは重なってないんだね。
マスカラスが最強タッグ二回しか参加してないのも意外。 レイスマスカラス組は武道館の前座のみ?高野も入っているが。 一宮産業会館ってカマタとロビンソンのPWF戦もあってローカルで小さいけど歴史に残る会場だな。 88年か89年にファンクスが参加していれば
vsブッチャー、シン組が実現していたのにね
1度は見たかった >>257
同意。
双方入れ違い。
つーかファンクスとシンが最強タッグでは入れ違いだな。
87年 シン不参加
88年 ファンクス不参加
89年 ファンクス不参加
90年 シン不参加(新日へUターン後)
最強タッグ以外でもどっかのシリーズで実現してたらなあ。
88年頃に実現したら双方が持ち味発揮しただろう。
でもやっぱり最強タッグの舞台が最も相応しい。 分裂後の全日にブッチャー、テリー、ドリーは来たけどシンだけは来なかった
元子さんと合わなかったのかな シンの最強タッグ初戦はいきなりファンクスだったんだよな 世界タッグ前の三大タッグ王者が揃い踏みしたのは86年大会のみ >>259
シンは馬場の兄弟弟子だから来てもおかしくなかったと思ったが。 初めて自腹でプロレス観戦したのが、88年後楽園大会だったなぁ
メインの馬場、木村対天龍、川田は凄いいい試合だった
天龍が馬場に雪崩式バックドロップを食らったときは会場大興奮、ラストは木村のマイクアピールを天龍がさせなかったんだよね〜
あの試合で完全なる天龍信者になってしまった
他にも外人勢がめちゃくちゃ豪華で当時5000円は安すぎるだろうと思ってたな〜 馬場・シン・アドニスでアトキンス門下
馬場とアトキンスの最後の接触はトロントでのインタータッグ戦でレフェリーを務めた時だったか 89年はスタイナーブラザ−ズを参加させたかったがようだがそれができず
その代わりにナスティーボーイズが参加になったらしい 89年はWCWと全日本はそこそこ交流があり
ゴディのパートナーも ルガーやウィンダムも候補になってたらしいな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ アーウィンは予想外に良かった印象。
優勝戦線に絡むのは無理でも。 アーウィンの非力が翌年の殺人魚雷誕生のインパクトをむしろ高めた感じも >>271
>>272
それらを鑑みれば、アーウィンは印象を残しつつ役割を全うしたってことだな。 ないとわかっていたが
96年にテリーファンクがグラジエーターを連れて参戦するなんて言ってたが >>273
最終戦でのブッチャー・シンとの対戦も大ウケだったし
>>274
流石に二回総当たりは出来なかったろうがオブライト・サブゥーとの対戦なんて面白かったかも アーウィンはシンやブッチャーと真っ向からやり合ったのが良かった。
あの試合は当時は放送されず。
後々に特番で放送された。
まあメインの優勝決定戦が長かったから。
でもあの試合も放送して欲しかった。
動画では何度も見たが、単純に面白い。
雑誌にも『大型外人四人のド迫力攻防は見応えあった』と書かれて。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています