世界最強タッグ決定リーグ戦2 [無断転載禁止]©2ch.net
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暮れの風物詩のサイキョタグリ。
昭和の頃は夢の顔合わせが幾つもあった。 90年以降は毎回同じ様なチームだったなあ。
だから優勝チームもハッキリわからない。
90年以前の方が参加チームが異なってわかりやすかった。 分裂後の2000年大会はある意味で実に新鮮
渕が初の武道館メイン登場とか 昭和は年末はサイキョタグリとエムエタヴリの季節だった。
年間通じてシンニプロレが優勢でも年末タグリ戦はゼンニプロレが優勢。
シンニプロレっちゅうかアノキ自体がタグリ戦を重要視してなく。
ゼンニプロレはサイキョタグリには力を入れており。
またサイキョタグリはザファン主役のシリーズでもあって。 90年の最強タッグで自分の地元に来てうれしかったな(北海道)。ふだんは雑誌にも
載らない場所だがこの時は取材陣もいて第一試合から写真とってて、なんか興奮した。
地方ならではのユルユル興行でなく、TVで見るような試合ばっかりで今でも憶えている 90年から全日もガラリと変わり、最強タッグは逆にマンネリ気味に。
この年以降は同じメンバー、同じチームばかりに。
特に主力陣は毎年同じチームになって完全にマンネリ。 97年にハヤブサ&人生、WWFからブラックジャックスが参加したときは
新鮮でワクワクしながら見てた。 >>157
個人的には参加チームを解体してハンセン&バリーとブラッドショー&ダンカンのムスタングスが見たかったな。 ハンセン、ベイダーが最後の凄いチームだった。
でもお互いに40過ぎてkpれだけの迫力醸し出してたチームはないな。
ハンセン、ブロディ(共に30代)
ウォリアーズ(共に20代、30代)
ハンセン、ゴディ(30代、20代)
ゴディ、ウイリアムス(20代、30代)
ハンセン、ホーガン(30代、20代)
ベイダー、ビガロ(共に30代)
お互いに40過ぎてこれだけのチームはやはりいない。 >>156
俺も80年代から見ていたが
お前の発言は恥ずかしいぞ!
>主力陣は毎年同じチーム
たとえば三沢が、川田→小橋→秋山→小川
とパートナーを変えたのも知らんのか!?
オブライトやベイダーが参加して盛り上がったのも
知らんのか?
ただ、おまえの興味がなくなっただけだろ?
典型的な爺の愚痴だ。 >>135 自分は97年以降かな?鎖国がなくなりいろんな選手が上がるようになった時かな? >>159
確かに二人は40越えて組んだけど年齢を感じさせなかったね。
むしろ二人より若い相手もパワーと勢いで圧倒して。 昭和の頃は参加チームの発表が待ち遠しかった。
あと全部の公式戦の発表も。
その前に各雑誌で参加チームの予想。
これも好きだったな。
『●●と■■がコンビ結成で殴り込みの情報』とか。
こういうのは大概がマスコミ側が勝手に創作して記事にして。
実際には参加しないパターン。
でもそういう記事にハラハラしたな。
そして放送終了間際での最強タッグ参加チーム発表も大好きだった。
赤い画面に緑の文字が定番。
バックにはカクトウギのテーマ、或いはコモドアーズ?(だっけ?)と。 >>166
興奮したねぇ!
毎回優勝争いとは別に参加メンバーで話題があったりして本当にワクワクしたよね。 オリンピアが流れる時期シリーズ予告でワクワクしたな 最強タッグでは馬場とハンセン等日頃見られる試合は放送して欲しくなかったな。
こういう時にしか見る事ができない試合を優先して放送して欲しかった。
ファンクスとハンセン絡みは最強タッグでも名物だったが。 >>171
81年馬場さん中堅外国人との両リン決着多いなあ >>155
テレビ中継の札幌と馬場さんが骨折した帯広しか思い出せないんだけど、あなたが行ったのは釧路か旭川? >>157>>158
97年2戦目の後楽園でブラックジャックスの入れ替わりを生で観た時は最高だったよ。
あとハンセン組が開幕2連敗したことに時の流れを感じた。昔はハンセンのチームは優勝候補だったのに。翌年から巻き返すけど。 >>144
諏訪魔は5年連続準優勝だっけ?しかもパートナーが全て違ったはず。ある意味、凄い。 ハンセンはパートナー変えて最多出場
82年ハンセン&ブロディ(準優勝)
83年ハンセン&ブロディ(優勝)
84年ハンセン&ブロディ(準優勝)
85年ハンセン&デビアス(優勝)
86年ハンセン&デビアス(準優勝)
87年ハンセン&ゴディ(準優勝)
88年ハンセン&ゴディ(優勝)
89年ハンセン&天龍(優勝)
90年ハンセン&スパイビー(準優勝)
91年ハンセン&スパイビー(準優勝?)
あとは年代忘れたが。
ハンセン&オブライト
ハンセン&馬場
ハンセン&ベイダー(準優勝)
ハンセン&田上(準優勝)
ハンセン&ダンカンJR 92エース
95オブライト
93当初はデビアス
93,94馬場
98ベイダー
99田上
97ダンカンジュニア
96大森だね。
あと引退しちゃったけど2000年はケアと組んで出る予定だったらしい。 >>179
97年はハンセン&ベイダーじゃなかった?
5月の初ドームで初めて組んで最強タッグでもって。
20年前だから記憶がゴッチャだわ。 >>181
そっか、98年最強タッグ優勝戦はビデオに録って何度も見た。
表側に『98年最強タッグ優勝戦』と書いて。
ハンセン&ベイダーが小橋&秋山と。
最後はハンセンが丸め込まれて破れるも試合後に二人は大暴れ。
記憶が曖昧だ。 >>177
武藤も全部違うんだよな
たとえ優勝しても翌年は別チームで 馬場もコロコロ変えてる
82年 馬場、鶴田
83年 馬場、ドリー
84年 馬場、木村
85年 馬場、タイガー
86年 馬場、タイガー
87年 馬場、輪島
88年 馬場、木村
鶴田が天龍と組み始めてから馬場は毎回変わった。
85年86年がタイガーだったか。 >>187
あ、そっか、失敬。
なら尚更毎年バラバラだった。
82年〜88年までは。 ハンセン、小橋、本田、アンドレといろいろ組んだけど、馬場&小橋、馬場&本田は違和感あったな。 どう考えてもあれだけ外人呼んだらシリーズ赤字だろうけど
日テレから補填されてたんだろうな >>189
馬場・小橋の時はまだ一時間枠だったが最後の馬場・本田の時は公式戦がテレビ中継されていたかというくらいに印象が無い
とにかく札幌での馬場・小橋と三沢・川田の対戦はインパクトがあったな
それこそ新日本でいうなら猪木・西村と武藤・蝶野の対戦なくらいなだけに >>192
大阪の川田&田上vs馬場&本田は少し放送されたよ。
あの年のカンナムは駄目だったね。まさか馬場&本田に負けるとは思わなかった。 『世界最強タッグ決定リーグ戦』ってこれまでで一番長いシリーズだな。
40年も続いて。
それも途中で途切れることなく。
完全にブランドだね。
まあ今の最強タッグで優勝チームが『世界最強タッグ』かは全く別として。
『G1クライマックス』だって26年なのに。
『チャンピオンカーニバル』は途中で途切れたかんな。
あとはシリーズではないが、1/4ドームも26年か。 >>193
その大阪大会で前年返上したアジアタッグの新王者の秋山・大森にも負けたんだったか
そうなると最強タッグでのカンナムの最後のピークはやはりその前年の開幕戦での三沢・小橋との対戦か
あちらもかつてアジアタッグを争った中だがもしあそこでフルタイムに持ち込めていたら決勝戦ももっと面白かったかも 95年7月にエースとパトリオットは次期三冠挑戦者決定リーグ戦に出場。同じシリーズにカンナムはエース&パトリオットに勝利。その時は番狂わせだと思った。
しかし、その次のシリーズからのカンナムの急降下が凄かったな。 まさに禁断の世界タッグ挑戦だった印象
その前の6月では四天王ベストバウト戦も行われていただけに尚更
最強タッグでのカンナムとなるとどうしても89年のブルドッグス戦が代表だが92年のパトリオット・イーグルとの対戦も忘れ難い スミス&バンダムがアジアタッグ王者の秋山&大森に勝っても後に繋げないのは全日イズムw 秋山・大森のアジアタッグは個々が単発過ぎた
だから長い割りに記憶に残らない >>191
でも放映時間は夕方5時ていうどうでもいい枠で当時はソフトでの
2次販売ていう考えもないし日テレは大損だよな 馬場&鶴田組
天龍&原組
ザ・ファンクス
ハンセン&ブロディ組
マスカラス兄弟
ブッチャー&シーク組
シン&上田組
レイス&ニック組
キッド&スミス組
特参ウォーリアーズ
昭和に戻りこの10組でやってくれれば…
あ、スヌーカの相手がいない >>201
いいねえ。
スヌーカはリッキーと組ませたらいいかも。 >>200
同時間帯としては破格だったらしいがやはりゴールデンタイムに比べれば下げられてるんだよな
だからその分の差が日本テレビへの借金として蓄積されていくわけで日プロ時代に購入した土地もその担保に入っていたとか >>202
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw >>202
おお!リッキー忘れていた。
最強タッグに染まっていないウォーリアーズはやっぱり除外し
スヌーカ&リッキー組
この10組ならドームツアーも夢ではない…
おっさんの妄想でしたw >>205
俺も読んでてスヌーカのパートナー誰かいるか考えた。
レイスはニックと組んでるし。
したらリッキーを思い付いた。
逆にリッキーならフレアーってのもありだが。
リッキー、スヌーカ組なら実際に組んでも話題を呼んだと思う。 リッキーとスヌーカなら旧知の仲だから連携に問題はなさそう。 >>205
正直ドームどころかアリーナツアーも無理だろうな。 ライディーンに乗ってのリッキ−・スヌーカの入場場面なんて燃えてきそう まぁリッキースヌーカ組なら白星配給チームの次くらいの
扱いだろうな。 99年、グラジがいたらベイダー&グラジ組の予定だったらしいが、それでも小橋&秋山の二連覇だったかな?
どうせ小橋&秋山の二連覇というつまらない結果になったような気がするが。 バンベイ グラジなら強力コンビだな。
スタハとは一味違って。 >>212
グラジは大したことないからな
全ての技が大味
インディシーンで暴れるならそれでも充分だったけどね 馬場は常連外人優遇で初来日チームはわかりやすく白星配給に
してたな。スカイウォーカーズとかもっと売り出してもよかったのにと
思ったわ。木偶の坊でもデカいのはそれだけで貴重だから >>215
もしかしてランドオブジャイアンツのことか?? ランドオブジャイアンツがキッド&Jスミスに負けたのは意外だった。
ランドオブジャイアンツってそんなに悪いという感じでもないのに白星配給係になったな。 >>216
スカイウォーカーは個人名だったなw
巨人好きの馬場がなぜ冷遇したのか不思議だったがたぶん
1シリーズ契約だったので売り出す気なかったんだろうな。
生で見たけどやっぱりデカいレスラーは塩でもええわ >>218
コンビで再来日、マスターズは単独でも来てるよ。 サイキョタグリも90年以降は一気に変わったな。
ザファンやアブチャと大昔の面子もいればスティウィと新たな顔も。
スタハやテリゴの常連もおり。
ジャンツ、ミサミツと日本勢も充実して。 >>219
再来日のときにアンターテイカーズとかいう食わせ者が来てたなw
どっちかはECWのFBIに加入して用心棒キャラで少しブレイクしたけど 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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TQ0PQ >>217
あの時のキッドは前年に比べてかなり痩せてたな
結局は翌年のアジアタッグが最後の勲章に 93年の秋山エントリー外でスマザース&スリンガー組出場は疑問だったな。外国人サイドの6人タッグのジョバーとして呼んだんだろうけど。 そういえば今でも優勝賞金1千万円ってあるのかな?
10年くらい前の開幕戦で「優勝チームには賞金として1千万円贈呈します!」
ってアナウンスがあったとき会場から笑い声がおきて誰もそんなもの出ないって
分かり切ってた感じだったけど。 年末はサイキョタグリとエムエタグリの競演が良かった。
年末タグリは恒例だった。
そん中で夢の対決や異色対決が公式戦で組まれて。
年末タグリならではのカードも。
雑誌で参加メンバー発表を見るのが楽しみだった。 >>224
前年の大抜擢が他の不満や反発を呼んだのか最後の武道館でも秋山の扱いは低かったんだよな
確か悪役商会前の第二試合だったか リチャスいたなあ。
テリゴの甥で。
当時は若手というより少年だった。
でももう50近いだろ。
リチャス何やってんの?
体が軽量だったな。
テリゴ並の体ならまた違ったろう。 >>227
秋山、浅子vs小川、本田で2試合目だったと思う。確かにお笑いの試合の前だね。 >>231
小川アップ、浅子ダウンだったはず。
多聞はそのシリーズ、シングルで雅央に負けていたくらいで、翌年のあすなろ杯で多聞が浅子に勝って序列が変わった。
多聞はアマレスの実績があるのにそれをもっと活かせなかったかなあとは思う。 多聞はルックスも悪いし体がレスラーとは思えないほどだらしなかった
大剛のとこに放り込んで強制的にステ漬けすればいいのにと思った。
アマレスじゃプロレス界1の実績なんだけど何しに入ってきたのか
意味不明だった >>233
大剛って本当にステロイド使用だったのかな?
天山が大剛んとこいた時に『ステロイド使ったら即破門』みたいに言っていた。
それが雑誌にデカデカと記事にもなり。
それで実際に使ってたらなあ。
でも『プロレスに筋書きはない』と唄っておいて実際には『筋書きありき』。
しかも『筋書きないと絶対に成り立たない』とも。
蓋を空けたら、それがプロレス。
天山、小島といきなり体が膨らんだのも不自然だしなあ。
それも比較的短期間で。 >>233
多聞については分裂前のアジアタッグの顔といった印象
分裂が無ければ吉村や石川みたいにもう何人かと組んでいたのか >>235
ノアで池田みたいな細い奴にシングルで負けた時は哀しかったな。あんなアマレス強いのにもっと上手い使い方できなかったのかな。
髭と長髪が悪かったね。あれは外見が悪くなるだけ。 >>224
前年、優勝戦メイン出場の秋山がエントリー外に馬場は冷たいなと思った。
馬場・秋山組か秋山・本田組で出してほしかった。 馬場は最初不出場予定だったし本田はデビュー直後だった
やはり前年の抜擢が内部的な反発を呼んでそれを考慮した感じも >>236
ちょうど今日は分裂前最後のアジアタッグの日
相手は池田・ヨネだったんだよな >>238
抜擢といってもあの状況だと田上のパートナーは秋山しかいなかったと思う。
その「内部的な反発」がどういうものなのか詳しく聞かせてほしいものだ。 90年最強タッグは天龍なしだったが、三沢大ブレイクやゴディ、ウイリアムスと。
天龍いない穴埋めはじゅうぶんだった。
またファンクスやスレーターとかつての全日の顔も参加で。
アンドレも初参加。
また馬場より高いランドオブまで参加。
見所は沢山あった。
小橋はエースと組んだっけ?
小橋は90年は大抜擢されたし。
天龍がいなくなって全日自体はダメージ大きかった。
天龍以外でも10人近く抜けて。
でも三沢、川田、小橋はそれにより大抜擢でチャンスが回ってきた形に。 但しまだまだ力不足で最終戦の前で既に外人決勝は確定 >>240
渕でよかったんじゃないないの?田上のパートナー。
当時のJr.ベビーのチャンピオンだったし、
当時の田上はラフファイトも積極的にこなしていたから、同じようなファイトスタイルの渕の方がチームとしては機能したかも。
後日、三沢も『あっち(田上や渕、小川)がああゆうプレイ(ギロチンホイップや逆さ釣り)を指示されて明らかに躊躇していたもん』って話していたし。 渕の最初の最強タッグ初参加は結局三年後のドリーとのコンビだったんだよな
そしてドリーはそれが最後に ブッチャーとハンセンが唯一いない81最強タッグ。
しかしシンやブロディが初参戦で盛り上がっていた。
最後にあのようなサプライズがあったものの、それまでも盛り上がっていた。
シンとブロディの存在は大きかった。
それまでのブッチャー色をかき消すに存分に役立って。
当時の雑誌にもそう書いてあったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています